桃花物怪怪異奇譚  裸足童子とたぬきの姫君2

続きです。やっと現代です。

桃花物怪怪異奇譚  裸足童子とたぬきの姫君2

さて、時は下って現代。
 洛中大学医学部の一年生である田中光顕は、桃井准教授からの急な呼出に応じ、街灯の少ない夜道を医学部解剖生理学科桃井研究室に向かっていた。手には、准教授から指示された桐の箱を持っている。三十センチ四方のその箱はいかにも年代もので箱の変色が激しかった。中身は割れ物らしく、丁寧に扱えとの厳命が下っている。そのうえ、准教授からは更なる細かい指示が出されていた。今夜九時五分ちょうどに届けろ。研究棟内はゆっくり歩け。研究室前の廊下は殊更ゆっくり歩け。
准教授からの命令は何の意味があるのかわからなかったが、学部生のしかも一年生ごときが准教授に逆らえるわけもない。
光顕は、箱を運ぶだけで神経使うのに、きっかり夜の九時五分だと?いい加減にしてくれよと、ぶつぶつつぶやきながら、通用門を通り、人気のない校舎内に進入し研究棟に向かった。まだ、何かの研究を続けている勤勉な人間がいるのか、それとも酒盛りでもしているのか、研究棟には未だちらほら明かりの灯った部屋がある。
光顕はひとつ大きなくしゃみをして、パーカーを着込んだ細身の身体をぶるりと震わせた。コートを着てくるべきだった。晩秋の京都は冷える。夜ともなれば尚更で、足下から這い上がってくる冷気に身体の芯の熱までももっていかれそうだ。今年の春に関東からやってきた光顕はまだ本格的な京都の冬を知らない。光顕はふと自分の呼吸を確認した。小さい頃、重度の小児喘息でこの時期は必ずひどい発作を起こしたものだった。成長するにともない、症状は改善していったが、未だに冬が近くなると、あの絶望的な窒息感を思い出す。
足を止めると、不意に甘い匂いが鼻先を掠めた。よく見れば研究棟のすぐ脇にある一本の木が花を付けている。そういえば、桃の花が狂い咲いたとか何とかで、何日か前にテレビの取材が来ていた気がする。その前にはこの時期には珍しい大雨が降ったせいで、北部の辺りで土砂崩れが起きた話題で持ちきりだった。
最近天候がおかしい。これも地球温暖化のせいか
と適当に全てを地球温暖化のせいにしていると突然携帯電話が鳴った。急いで、しかし、注意深く点在するベンチの一つに箱を下ろし、携帯電話を確認すると、自分でセットしたアラームだった。このままでは准教授指定の時間に間に合わない。時間からして廊下以外の道程は走らざるをえなかった。紅葉と豆腐で名高い南禅寺の近くにある大学の敷地内には、おこぼれのように紅葉の木々が見えるも、忙しい医学生生活を送る光顕には全くその景色を楽しむ余裕はなかった。

研究棟の中でも一番奥まった陽当たりの悪い場所にあるのが、光顕の目指す桃井研究室だ。室長である桃井准教授が若くして部屋持ちになったことを妬まれたために、こんな場所に追いやられたのだと噂に聞いたが、多分嘘である。桃井准教授の研究内容と人格が大学にこの場所を選ばせたに違いない。少なくとも光顕はそう思っていた。
研究内容がマニアック過ぎるうえに本人が人格破綻者一歩手前の変人なのだから。
 消灯時間が過ぎ、研究室までの廊下は真っ暗だった。人気の消えた学校というのはどうしてこうも薄気味悪いのだろうか。光顕は廊下の突き当たりから僅かに明かりがこぼれている場所へと急ぎたい気持ちをこらえつつ、桃井准教授の指示どおり、ゆっくりと研究室の前まで歩いて行った。

「で、足音がどんどん近づいてくるんよ。その間ずっと、どこにおるのか、どこにおるのか、って女の声がずっとしてんねん。で、必死で息を殺すんやけどついに、男のいてる教室の前で足音が止まんねん、それからものすごい勢いでドアがばっと開いて……」
「失礼しまあす!届けに来ましたあ」
 光顕が研究室のドアを開けると、中にいた数人の院生が、悲鳴をあげて飛び上がった。光顕は、その悲鳴で驚き、ここまで慎重に運んできた箱を落としそうになった。
「ど、どうしたんですか」
室内はタバコの煙で真っ白に曇っていた。そこでいい年をした大人達が抱き合いながら固まっている。変な空気に戸惑いながら、光顕が研究台に箱を置くと、一番奥の大きな机に陣取っている桃井准教授が腕時計を見ながら、にやりと笑った。
「ええぞ、光顕。ようやった。予定通りの時間や」
すると、ようやく院生の一人がため息混じりに批難の声を上げる。
「桃井先生の仕業ですかいな。勘弁してくださいよ。ほんまに何か来たんかと思った」
「ええっと……つまり?」
未だ事態を飲み込めていない光顕が視線で説明を求めると、実年齢より下手をすれば十は若く見える准教授が、またもやにやりと笑った。
「怪談大会してたんや。お前も混ざっていけ」
「この寒いなか、いい大人が、よってたかって、わざわざ怪談」
呆れて周りと見回すと、すでに酒の空き缶がそこここに転がっている。出来上がった末の奇行らしい。
「酒臭っ、タバコ臭っ、マジ無理っ。どれだけ肝臓痛めつけるつもりなんすか」
光顕は、ずかずかと研究室を横切り、准教授の後ろにある室内唯一の窓を勢いよく開けた。
「寒っ」
「死ねる」
「何してくれてんねん」
院生達が口々に文句を言うが、酒の臭気とタバコの煙を逃すためだ。気にしない。
「真面目かお前は。そんなナリしてるくせに」
桃井准教授が年甲斐もなく口を尖らせる。
「普通です」
茶髪にパーカーの何が悪いのか分からない。自分だって汚い長髪を輪ゴムで留めているくせに。
「ああ、小さい頃は、おいちゃん、おいちゃん言うて、めっちゃ懐いてたのになあ。なんでこんな可愛げのないヤツになってしもたんか」
桃井准教授は大げさに嘆いてみせる。
「記憶にないです。小さい時に会ったことありましたっけ」
「見てみい、これが叔父に対する態度か、なあ」
そう、認めたくはないが、変人桃井准教授は光顕の母方の叔父だった。最も、なぜか光顕の育った家は母方の親戚と没交渉だったので、そのことを知ったのはこの大学に入学してしまってからのことだ。京都に来ることが決まって初めて母の口から下宿先として叔父である桃井修三の名前を聞かされたのだった。
知っていたら絶対受験しなかった。
「そもそも、その関東弁があかん。なんやあかん、鼻につく」
「標準語です」
どうしてこっちの人間は標準語を頑なに関東弁とよぶのだろう。いちゃもんにしか思えない。標準語から考えて、こっちの人が関西弁だ。しかも、京都の人たちは、京都弁を関西弁とは言わないし、間違って大阪弁と言おうもんなら、大阪と一緒にせんといて、とまでいう。どんなプライドなんだ。
急に、京都の盆地に凝った冷気が部屋の中に吹き込む。年代物の重いカーテンが苦も無くバサバサと踊った。室内で再び悲鳴があがる。さすがに寒すぎるかと、窓を閉じようと腕をのばすと、いつの間にか立ち上がっていた桃井准教授がひょいと窓の外に顔を出した。
「甘い匂いがするなあ。桃の花が咲いてるさかいなあ。」
その言葉に院生達が、テレビの取材現場に居合わせた時の話題で盛り上がる。いつまでも窓際を陣取る桃井准教授を訝って、光顕が視線を向けても、それに気付く様子もなく、なぜかじっと闇夜に佇む桃の木を見つめていた。
「枝が足らんなあ」
どうやら桃の話をしているらしい。
「珍しがった学生が枝ごと折って持っていったらしいですよ」
「あほやなあ」
誰にともなく呟いてから、何を思い出したのか桃井教授が、そういえば、と話始めた。
「そういえばあの桃の木もいわくつきでな。なんでもあの木の下には死体が埋まっとるらしい」
「先生、それ、桜の木でしょう。それくらい俺だって知ってます」
白けた調子で光顕が応じる。
「いや、文学の話やのうてな。工事の関係で今まで何べんか、あの木を掘り起こしたことがあるらしい。で、その度に同一人物の死体が出てくんねん。別の場所に埋葬してもいつの間にかまた帰ってくる。しかもな、資料によるとその死体が初めて出たんは江戸時代中期なんやけど、いつまで白骨化せえねんへん。第二次世界大戦の時、畑作るために掘り起こしたときも、まだ肉が残っとったらしい。それで…」
「はい、そこまで。俺は怪談には付き合いません」
まだ何事か話そうとする助教授の鼻先で、光顕は、ぱん、と手を叩いた。
「なんや、付き合い悪いなあ。おおい、おもろい話があるねんけどな。桃の木といえば……」
桃井准教授はくるりと窓と光顕に背を向けると院生達の輪の中に入っていった
どうやら寒中怪談大会は続くらしい。


3.
昔、一人の雑色が、京の西北、都の外れを歩いておりました。この男は右大臣鷹司光房の次男兼房に仕える者でした。晩秋の丑の刻、闇が一番濃い時間帯でした。この年、大内裏にある一本の桃の木がどうしたことか早々に蕾を開きました。      
この狂い咲きを陰陽寮が吉兆であると読み解いたことから、都の貴族の邸宅で毎晩のように祝いの宴が催されておりました。雑色は、この夜も西大路三条に屋敷を構える兵部卿宮家での宴に参加した主君のお供を終え、帰路へ着くところでございました。
 月のない晩でした。都は深い闇に覆われておりましたが、日々通い慣れた道です。雑色は松明を携え、慣れた足取りで歩いて行きました。主君の邸宅のある上西門の付近から鷹司小路をまっすぐ西に進み、如是院辺りでのことです。ふと、何かの気配を感じ、足を止めました。身分の低い雑色といえど、その腕を買われ大貴族に雇われた者です。腕には覚えがあります。
夜盗の類いか
雑色は腰に下げた太刀の柄に手を掛けました。その時です。細い路地の奥に人影が見えました。
「そこにいるのは誰だ」
雑色は太い声で誰何の声をあげました。すると、人影は動物のように大きな動作でびくりと身震いをします。その仕草は怯えているようにも見えました。雑色は柄に手を置いたままゆっくりと松明を人影の方へと向けます。すると、ボンヤリとした明かりの向こうに坪装束の女が一人、立っていました。その衣や出で立ちからみて、身分卑しからぬ者のようです。どこぞのお屋敷に出仕している女房なのかもしれません。
雑色はやや警戒を解きました。
「こんな時間に出歩いては危ないですよ」
やや優しい口調でそう話しかけると、女はふらりふらりとした足取りでこちらへ向かってきました。市女笠と虫の垂れ衣が顔を覆っているため容貌までは分かりませんが、若い女のようでした。女はおぼつかない足取りで男のすぐ傍までやってきました。女は余りに小柄で細く、おおよそ労働の類いをしたことが無いように見えました。
「お前は妾の主様か」
震えた声で女がそう言い出しました。
酔っているのだろうか。
雑色は怪訝に思いました。女は赤い松明の光を厭うように顔を背けましたが、それでも首筋の滑らかな白い肌と南天の実のように赤い唇が松明の橙色の明かりの中に美しく浮かび上がりました。
「お前は妾の主様か」
女は幼子のように頼りない声音で同じ言葉を繰り返しました。
もしや正気を失っているのかもしれん。だとすれば面倒なことだ。
雑色は思いました。しかし、このまま捨て置くには、女は余りに頼りなく、儚げでした。
「お前の主・・・」
雑色が応えようとした瞬間、女ははっと顔をあげます。雑色は思わず、まじまじとその顔を凝視しました。虫の垂れ衣の間から現れたその面が息を飲むほど美しかったからです。青みを帯びてみえる黒い瞳が涙に潤んで揺れていました。
「主様」
女は喜びを全身で表し、飛び跳ねるように雑色の腕の中に飛び込んできました。
女の白い手が雑色の腕に触れたその瞬間、雑色の身体は余りの衝撃にびくりと大きく痙攣しました。女の触れた箇所から猛烈な痛みが襲います。まるで焼けた鉄を押し当てられたかのような痛みと熱さでした。雑色は反射的に腕を振りほどこうとしますが、女は強い力で更に身を寄せてきます。身を焼く痛みは全身に広がり、雑色の口から音にならない悲鳴が漏れました。大声で叫んでいるつもりでしたが、ただ、ひゅうひゅうと喉の奥で無意味な音だけが鳴っていました。女の白く清い手がずぶりと雑色の腕にめり込み、皮膚と肉が爛れた二の腕から下の部分がぼとりと地面に落ちました。その間も女は主様、主様と譫言のように繰り返しながら雑色を抱き締めてきます。雑色の喉が開き、やっとのことで声が出ました。断末魔の獣のような雄叫びでした。その直後、雑色は食道からせり上がってきた何かを嘔吐しました。胃の腑が燃え上がるように熱く、黒々とした吐瀉物は据えたような酸っぱい臭いがしました。
妙に意識だけははっきりしていました。
これは何だ
思って見たところでどうしようもありません。もはや口だけでなく、鼻腔、耳穴、目からも黒い液体がどろどろと溢れ出ていました。黒い液体は、動物が焦げて腐敗したような異臭を放っています。
俺の臓腑か
強烈な痛みと恐怖のなかで、雑色が自覚した途端、不意に頭の奥でブチブチと何か線が切れる音がしました。同時に、真っ赤に染まった視界が傾き、片方の視線だけががくんと地面に落ちました。片方の眼球が腐って垂れ下がっていました。
「主様」
それでも女は幸せそうに愛おしそうに雑色の腐った身体をかき抱きます。

 女が一人立ち尽くしております。女の瞳はどこか虚ろで、手の中にある垂衣をぼんやりと眺めていました。足下には赤黒く粘ついた汚液が溜まり、それが何とも言えない腐臭を放っていました。垂衣が女の手からするすると滑り落ち、
「この者も主様ではなかったか」
女はそう呟くと、闇に溶けるようにふっと消えて行きました。
丑の刻、如是院辺り、闇の中に赤黒い腐液と垂衣がひっそりと残されていました。



 「で、うちとこのご先祖が、その妖をこの箱の中に封じたんや」
桃井准教授は話を締めくくり、光顕が運んできた桐の箱をポンとたたいた。
「そんな恐ろしげなもん運ばせんなよっ」
思わず敬語を忘れて抗議した光顕に院生の鉄拳が入る。桃井研究室はそういう面ではびっくりするほど体育会系だった。
言われてみれば箱には何やらお札のようなものが何重にも貼ってある。しかし経年によるものか黒く変色して箱と一体化してしまい、最早なんと書いてあるかさえ定かではない。
「これ、開けてみいひんか」
桃井准教授がいたずら顔で院生たちを唆す。院生たちはお互い顔を見合わせ、酔いの勢いに負けた一人が声をあげた。
「面白いやないですか。やってみましょ」
小和田という男だった。ラグビー部に所属していて、黒い髪を短く刈り込んだ筋肉質なヤツだ。負けん気の強い性質で、桃井准教授の怪談話に臆したと思われるのを嫌っての発言なのかもしれない。しかし、光顕は頭を左右にぶんぶん振って反対した。
「止めときましょうよ。君子危うきに近寄らずって言うじゃないですか」
「なんや、一年坊主、怖いんか」
「怖いっす。マジ怖いっす。勘弁してください」
光顕は臆することなく真顔で肯定する。臆病だと誹られようと昔からこういった怪談の類がどうにも苦手だった。いわゆる霊感があるわけでもなく、未だかつて霊や物の怪をみたことなどなかったが、それでも理屈抜きで怖いものは怖い。小さい頃、喘息の発作を起こした時、よく朦朧とする意識のなかで自分はこのまま死ぬのではないかと子供ながらに思った。その時の体験が、死という言葉に関連するものに闇雲な恐怖として刷り込まれているのかもしれない。
小和田は白けたように、あほかと呟いた。あほでもバカでもいい。
「こら小和田、若者をビビらすな。田中君、ええから早よ帰り」
小和田の頭を軽く小突いて、険悪になりそうな場の空気を和ませてくれたのは研究室の紅一点榊洋子だった。髪を固く結びあげて、黒縁メガネをかけるその姿は、見るからに理系女子そのものだ。論文作成中などはまさに般若のごとき形相になるが、こういった飲み会の場では、酒豪のいいお姉さんである。
なんにせよ渡りに船の提案に、光顕は乗ることにした。
「じゃあ、お先に失礼します」
腰を上げて、ぺこぺこ周りの先輩たちに頭を下げながら出ようとした光顕に概ね院生はお疲れさんと労いの声をかけた。
「なんや、ミツ。見ていかへんのか」
それでもまだ引き留めようとしたのは桃井准教授だった。
空気を読んでくれ。
「見ません。絶対に見ません。先に帰っておきます。今日は晩ご飯いらないですよね」
「何か軽いもんでもあったら嬉しいかも。お茶漬けとか」
「わかりました」
ドアのところまでついてきた榊が小さく拝むように謝意を表す。そんな仕草がちょっと可愛いと思ってしまった。
「ごめんなあ、わざわざ持ってきてくれたのに」
そう言いながら、背後の小和田を見て小さく笑う。
そういえば、小和田と榊が付き合っているという噂を聞いたことがあった。これは確かに付き合っているな、と光顕は確信した。わざわざ彼氏の失態を謝りに来るとはなんと出来た彼女なのか。
 さらば俺の一瞬の恋
「いや、こっちこそ空気悪くしてすみません」
返事をしながら、視界の端で小和田がすでに箱のお札に手をかけているところを捕えてしまい、光顕は急いでその場を後にした。

桃花物怪怪異奇譚  裸足童子とたぬきの姫君2

桃花物怪怪異奇譚  裸足童子とたぬきの姫君2

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-09

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