海へいく

「明日死ぬとしたら何がしたい?」と彼女は突然僕に聞いてきた。
時間がゆったりと流れる土曜日のお昼ごろ、僕は彼女と、知らない芸能人がつまらないことをやっている退屈なテレビをソファーで見ていた。
「何もしないでいいかな。」となげやりに答えると、彼女は不満そうな顔をした。
それを見て僕は、「海を見にいくかな。」と答えなおした。
答えた後に、なって初めて自分は死ぬ前には海に行きたかったのかということが分かった。
「良子は死ぬ前に何をしたいの?」
「私はそうなったときに考えるな」と言った。
他人には真面目に考えさせるくせに、自分は何も考えていないのは彼女らしい。
少し待ってみたものの、彼女はそれだけしか言わなかったので、僕はまたつまらないテレビを見ていた。
テレビは面白くなく、家の外の自動車の音や、犬の鳴く声ばかりがうるさかった。
彼女もどこか上の空で、ぼんやりと考え事をしているようだった。
そういった何でもない時間が続いた後に、彼女はおもむろに一緒に座っていたソファーから立ち上がった。そして、冷蔵庫を開け、缶ビールを二本取り出した。冷蔵庫を開けた瞬間にひらりとした、彼女の白いブラウスがまぶしくみえる。そうして、彼女は僕に近付いて、ビールを一本僕に手渡してくれた。僕がビールを開けて半分くらい飲んだところで、僕と同じくらいビールを飲んだ彼女は眠そうな顔をしていた。
そんな彼女を見ていたら、僕は彼女と目が合った。
眠そうな彼女は僕に向かってにっこりとした。
僕は言いようがなく、彼女から目をそむけてしまった。
「どうかしたの?」と彼女に聞かれた。
「何でもないよ」と僕は答えた。かなわないなと思った。
また二人は何も言わなくなった。
僕たちはただ無心でテレビを見ていた。

しばらくして唐突に彼女は、「私は何故か明日死んでしまうみたい。」と言った。

本当に?と僕は思った。
「いつから知ったの?」
「割と最近だよ。ふいにわかったの」
「そうなんだ。それでこれからどうするの?」
「直君と一緒にどこか行きたい」
「なら、海に行こうよ。海には水しかないけど、だからこそいいんだよ。」
「やっぱり、直君て面白い」
良子はすぐに出かける準備を始めていた。彼女の準備はすぐに終わった。なぜなら、彼女はブラウスをすでに着ているし、いつも化粧には時間はかからなかった。逆に僕の方が、パジャマでいたから着替えるのに時間が掛かったくらいだ。準備が終わると、家の電気を消し、玄関へ向かった。彼女はいくつか種類があるなか、サンダルを履いた。
 外に出て駅に向かう途中でこんな話をした。
「さっきなんで僕に明日死ぬんだったら何がしたいかなんて聞いたの?」
「それはね、やっぱり不安だからよ。私は何をしたいかを直君に聞くことで自分が本当は何をしたいかについて「確認」とでもいえばいいのかな、分かりやすくしていたの」
「それで明らかになったの」
「もちろん」
彼女の言い方は控えめだったけれど、きっぱりとしていた。
「ならよかった」

駅までの道のりはそれほど長くない。毎日のように歩く道をいつものように歩いた。休みの日のせいか、人はいつもより少ないが、駅に近付いていくと人が少しずつ増えていく。いつかどこかで「人の命は地球より重い」云々の言葉を聞いたことがあるが、もしそうだとするなら、1個の地球には地球64億個分の重さをもつ人間が居座っていることになる。そうだとするなら、人間の重さに耐えきれなくなって地球は壊れてしまうだろうなと思ってちょっと笑えた。人間の体重の軽さを神に感謝した。
駅につくと、どの電車に乗るべきか迷った。何も考えないで来てしまったのだ。
彼女は山の手線の方に向かって歩き出したのでそれに従った。ホームに向かう彼女は楽しそうだった。電車を待っている人はあまりいず、僕たちがつくとすぐに電車がホームへ来た。
ホームと同じように電車にも人はまばらだった。

電車に乗り込むと「逗子へ行こう。」彼女は無邪気に言った。「私は昔そこの海水浴場に行ったことがあるの」
「新宿で乗り換えて小田急線に乗り換えるとすぐに着くわ」
池袋から新宿は山の手線ですぐで、十分くらいで着く。僕はその間良子の顔を眺めていた。彼女は見られていることを知っているはずなのに素知らぬ振りをしていた。
新宿で降り、改札へ向かった。そこは人が多すぎるように思えた。
小田急線に乗り、しばらく乗った後逗子駅へ降りた。
逗子駅はホームを降りると階段を上ってそこから改札口へ出る構造になっている。ぼくと良子はぴったりとくっついて一緒に上った。改札を出るとタクシー停留所があったので、先頭に停まってたタクシーに乗り込み、運転手に行き先を告げた。

「こんな季節に海に行くんですかお客さん?誰もこんな時期に泳ぐことなんてしませんよ。」と運転手は言った。
すると彼女は「そうですよね、こんな時期に行く人いませんよね。」とはにかみながら言った。
タクシーの運転手はそれで満足したのか、それ以降は何も話さず、黙々と運転をしていた。
車から流れていく景色を見ていると知らないうちに秋が近づいていた。
青々とした木々の葉っぱは、少しずつ色が変わって、赤みがさしている。その木々の葉は、その内に茶色になって枯れていき、また来年には同じような葉をつけるのだろう。
逗子駅の近くは坂道が多かったけれど、しばらくすると平坦な道のりになった。
どうやら海に近づいているようだった。彼女は隣の席で知らないうちにすやすやと眠っていた。

それから、30分くらいして目的地についた。僕は彼女を起こして、運転手に代金を払った。
雲もない天気で、タクシーから降りると風が涼しい。改めて海が近いのだなと思った。
良子は眠そうにしていた。
「ほら、もうすぐだよ」といって僕は彼女を励ました。
「うん、そうだね」と彼女は言うものの、眠そうである。
少し歩いて海が見えると眠そうだったのが打って変わって、彼女ははしゃぎだした。
「直君見て見て!海だよ!」何故か僕が恥ずかしくなるほどだった。
泳いでみたいと思ったが、気温が低いし、海は少し荒れていたので、それは難しそうだった。だから、僕たちは砂浜で、何度も寄せては返す波を見ていた。波はずっと昔からこの先ずっとここで寄せては返しているのだろうと思った。
そんなことを考えた後に、波を見ることに飽きると、僕たちは砂浜沿いを歩き始めた。
砂浜は広くて、視界一面に続いていた。
そこを歩いていると彼女は思い出したように、「今日の昼、私が言ったこと覚えてる?」と言った。
「勿論覚えているよ」と僕は言った。
「明日、良子は死んじゃうんでしょう?」
「そう、私は明日死ぬの。何で死ぬのかはわからないけど、死んでしまうことは決まっているの」
「どうして決まっているなんてわかるのさ」
彼女は黙って答えなかった。
僕は彼女にそのことについて聞くのは止すことにした。
そして、僕は何も言わないし、彼女も何も言わなくなった。 
彼女が僕に明日死ぬことを初めていった時のように、僕は彼女に唐突にキスをした。彼女は当たり前に受け入れた。
そうしている間、僕がいる逗子の砂浜ではない、別のどこかにいるような気がした。
「もうちょっと歩こうよ」と彼女は言った。
「もうちょっといろいろみたいな」
なるほど、いつの間にか夕暮れは間近で、辺りが暗くなりはじめていた。
夕日で、海が紅く染まっていた。
・・・・
辺りが暗くなってきたので僕たちは家に帰ることにした。もし彼女の言うことが正しければ、帰ったってどうせ死ぬからしょうがないのに。でも彼女は疲れているようだったので、
帰る方法を探した。

暗くなった海水浴場でタクシーを見つけることは難しい。駅までは歩いていくには時間が掛かりすぎるし、第一僕たちはくたびれていた。
うちに帰る予定を変更して、近くに民宿が見えたのでそこで休むことにした。

民宿に入って、部屋を手配してもらった。 部屋はたばこ臭くて、狭い。でも、自分たちには明日はないのだからどうでもよいと思った。
 ぼくは部屋に入ると、すぐに彼女を抱きしめた。それは温かくて小さくて頼りなく思えた。「どうして死ぬんだよ」と僕は言った。「理由もわからないのに死ぬなんて・・」
「理由がわからないで死んだ人は多いのよ」と彼女はあっさりといった。
「わからないけれど次の日には、体が冷たくなっているの。」
僕はやりきれなかった。

一つだけ布団を敷いてその中で僕たちは眠ることにした。

翌朝になると彼女は冷たくなっていた。薬による自殺だった。僕は民宿の外に出た。
外に出ると海辺に風が吹いた。
この前まで暑かった風がいつの間にか涼しくなっていた。

海へいく

海へいく

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-04

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