ただしいこどものつくりかた3
その日の魔術師の嘘には、生来飽き性の彼にとって、気の遠くなる様な下準備が必要だった。
それこそ100本のバラを抱えて跪く男に似たような面持ちで、
今日という日を迎えなければならなかったのだ。
道化師の視線は自分の手元、そしてその下に押さえられている本を往復している。
確認をして、念入りに、今まで仕込んできた“癖”を繰り返した。
何としてでも道化師の目の中に、この単語を擦り込まなければならない。
道化師がニヤリと笑った。
誕生日を控えた恋人の求めている宝石を、秘密裏に知ることができた、といった目だ。
彼は思惑通りの言葉で尋ねてきて、魔術師は生返事を装い、
こうして、見事にバラの接ぎ木は成功した。
***
道化師の魔力に初めて触れた時、魔術師のローブは自身も知ることのなかった醜い食欲に汚れた。
魔術師の用いる魔力は曲がりくねった針金のようで、
万の調整と確認を経て、目耳に入れ、ようやく頭をかき回すことができる。
かの道化師の魔力は、もちろん針金でもなく、
この世の言葉で表現できる“何か”というものでもない。
与えられたそれはひどく喉の渇く水で、
飢えた雛鳥が飲みこむ小石のようなもので、
底の抜けたコップに注がれ続ける飲み物は際限なく道化師の羽根を求め続けた。
パンと飲み物を分けるような心持で魔力を与えた道化師の爪は、魔術師の唾液で濡れ、
嫌悪と驚愕に戦慄く爪先と、確かに瞳を潤していた庇護の光が思い出される。
道化師は喜んでいたのだ。
与えることと、それを――暴力的にせよ――求められることに。
***
好意に対して驚くほど無防備な道化師の一面を知ってからは、
時間と手間を要するだけで、さほど頭を悩ませるような駆け引きも必要なかった。
――あの時与えられた魔力を、大して美しくもない悪戯の為に放ち続けている。
――求めてやまない、支配するための力を。
ローブで覆った喉の奥に、苦い液体が溜まっていくのを感じた。
猛毒の煤に汚れた鍋をすすぐ魔術師の影に、虹色の泡が盛り上がって、そして染み込んで消えていく。
絵具の魔女に
「アンティークな絵画道具」
として預けた、魔術式を織り込んでいるシートの破片が、泡と一緒に溶けて行くのを見届けた。
おそらく、彼は確かめない。
愛されているかどうか、彼は確かめない。
そのために、共に過ごしてきたのだから。
一度目の前に希望をちらつかせてしまえば、それだけで良い。
二度目の奇跡を信じるための嘘は、新しい料理のレシピのように次々と浮かんでくる。
支配をしなければならない。
使いたいと願うものに、力が等しく与えられる世界の為に。
冠などなくても、強くありたいと望めば、強くあることの出来る世界の為に。
壁を破って、道化師はおそらく南の方から入ってくる。
驚かなくてはならない。
呆れなくてはならない。
言葉を尽くすのは、まだ先のことでなくてはならない。
今や自分が所有者として君臨する、この小さな船内で、
魔術師は道化師の羽根の付け根から魔力のすべてを啜り出すその瞬間のために、小さく身震いをしたのだった。
ただしいこどものつくりかた3