ただしいこどものつくりかた2
床が白くすべすべとしていた。
僕は目が大きいので、そこの端から端までどのくらいで跳び移ることができるのかをきちんと知っていた。
ローアの中は狭い。
狭いローアの中で、秀才のうそつきが僕を睨んでいる。
もちろん僕はこの理由もきちんと知っている――僕が毎回ドアのある場所を覚えないからだ。
こいつのしゃれこんだローブには、僕が砕いてしまった船体の欠片がちりばめられている。
光りはしないが、それはそれで似合っているのだ。
ただこいつはうそつきなので、そういうお世辞を信じてくれることはない。
何よりこいつは、ローブを汚したキラキラのことを塵としか思っていないのだから。
足音を立てることができないこいつの影が、いかにも「怒っています」とばかりに尖った。
地団太を踏めないストレスなのかどうかは知らないが、最近のこいつは極めて怒りっぽい。
所かまわずフワフワしておいて、両手が分離しそうなほどの大回転をしなければ空中すら満足に飛べないのだから、
それはストレスも溜まるだろう。
用件だけ伝えにノック(ついでに入退室)した僕の背後から怒号が飛んだ。
常識はずれな浮き方をしておいて、それでも常識に縋りついている。
ざまあみろ。かわいそうなやつ。
こり固まった知識の壁に、僕は穴をあけてやったつもりでいた。
羽根の隙間を縫うように、ホットミルクの香りがする。
ポップスターの風は昼頃になるといつもこのにおいだ。
――ハルカンドラの煤臭い本の山を思い出した。
あいつがどのくらいの歳月をそこで過ごしたのか、僕も未だに正確な期間は分からない。
そこにいたかどうかも分からない。
なんてったって、あいつはうそつきなのだ。
ただ、あいつの口以外は割合に正直で、
読み続けた本の開き方や、
世間話でもするかのようにめくり慣れたページの折り曲げ方は、いつも変わらなかった。
あいつは気になるページがあると、真ん中を手のひらで何度も圧して跡をつける。
これはおそらく僕しか知らない、あいつの癖だ。
ある肌寒い日、
僕は柔らかい手袋がギュウギュウに押しつぶした部分に、同じ単語があるのを200回は見かけた。
こども、こども、こども、こども。
いわゆる受精の結果。
僕とあいつにはないものが組み合わさると出来るもの。
ローアの外では冷たくなりはじめた風と一緒に、どこにもないはずの花の香りが漂う。
小さなワドルディが、カゴいっぱいのおやつを抱えて父母の後を追っていた。
家族だ。
隠さなくてもいい身体をローアの陰にひそめて、僕は家族から逃げ出した。
ピクニックだ。
日差しにはまだ熱があって、でも風は低く冷たい。
間のいい晴れた日に、家族はピクニックをするものだ。
説明のつかないイライラをごまかすために飛び立つと、
あのワドルディたちも森も原っぱも、いっしょくたに混じって消えた。
ポップスターには家族がたくさんある。
血のつながりのある家族の他に、例えば生活と志を共にする家族、
住む場所の違っている家族、他者が寄せ合って作り上げた家族。
ここに住んで数年もすれば、皆それぞれの形で築いた家族があった。
僕にも見栄っ張りのあいつにも、家族はない。
あいつはそういう濃い繋がりを何より苦手としているように見えるが、
実際に、本当に苦手らしい。
あいつがあのやかましい大王だのとワイワイ喋るのを終えた後、
誰もいないローアのディスプレイの真下あたりで、
しばらく転がって動かなくなっていたのを見たことがある。
毎回のようにそうやって気を遣い果たす割には会話の節々にあるトゲを隠すのも下手で、
ポップスターに居ついた理由を、僕はなんとなくそこで理解した。
(おそらくあいつはここじゃないと会話すらまともにさせてもらえないだろう)
(あきれ返るほど嘘の下手な民の星でないと)
(つくづくあいつはかわいそうなやつなのだ)
あいつは僕と違って虚勢を張るのが癖のような生き物である。
生来取り繕うのが苦手な種族のくせに、
着飾ってなんやかんやと表情豊かなふりをして、
そうして勝手に精神を摩耗させているのだから、馬鹿としか言いようがない。
そんなあいつにこどもが出来たら。
あいつ単独で、という条件を元に想像したその結果はいずれも最悪そのものだったが、
僕が隣にいると、案外うまくコトが運びそうなことに気がついた。
ピクニックのカゴには焼きたてのお菓子とパン。
喉が乾けば川の水でもリンゴでも、ここには何も怖がらず口に入れられるものがそろっている。
それから、僕はボール遊びが得意だ。
あいつはシートの上にでも放っておいて、こどもに玉乗りをさせよう。
経験上、熱心にやっていれば、あいつも気になってソロソロ寄ってくる。
そこで僕が用意した特性クラッカー入りのボールを渡して、
あいつの気取ったローブがブワっと逆立つ所を見て、こどもと大笑いするのだ。
僕は、手に入りそうのないものが大嫌いだ。
でも、少しでもそれが手に入る確率があるのなら、諦める理由はどこにもない。
そういうわけで、僕は、こどもが、欲しくなった。
材料をこの星で集めるのは簡単だ。
おとぎの国にはお菓子が降ってくる。
この星もおとぎの国なので、生き物や、たまに星も暗黒も降るし、
誰かの記憶が落ちてくることだってある。
絵具の魔女は僕の提案を、
してはいけない悪さをする子供の後ろで、咎めようか見て見ぬふりをしようか、
迷うような親の目で受け止めてくれた。
解剖した魚を片付けずにこっぴどく叱られた、
どこかの星の王子様の話もしてくれた。
だけど、僕がしようとしていることと、
埋めも捨てもされずに腐っていく魚と、
何がどう似ているのか、僕にはちっとも分からなかった。
いくらかの材料と、彼女が持て余していた古い魔術式のシートをねだって、
僕はまたミルクくささの薄れた空へ舞い戻った。
絵描きに使う予定だったそうだが、結局宝の持ち腐れになっているそうだ。
魔女は、よくわからない悲しい顔をして、ギシギシうなる窓を、閉めた。
(僕は、魔女の住む家のドアを増やしたことはない)
――僕は、あいつのようにうそつきで、
ひとりでもへっちゃらで、
憎むものを忘れず持ち続けているやつを見たことがない。
ポップスターは平和だ。
憎むものがあるとしても、それは一時のスパイスのようなお祭りに変わる。
後は大体名前を口に出すのも恐ろしいピンクの悪魔が舞い降りて、
星を繋げたり増やしたり減らしたり、月をかじったり、虹を招いたり、花を散らしたり、
そういうとてつもない能力で現実に抗い、
機械仕掛けの神様を呼んでは、悪夢に無理やり幕を引かせるのだ。
だけど、あいつは違った。
あいつは何か知らないけれど、何かをずっと憎んでいて、
それが何なのかを言えないから苦しんでいるはずなのに、
どうして憎んでいて、誰が憎ませているのか、誰にも教えることは無かった。
例えあいつの半身、ローアを墜としたとしても。
ローアが檻を破り、そしてローアに泥がつくずっと前、僕はあいつにいくつかの昔話をした。
あの桃色の邪神のことや、そいつが守護している豊かな星のかたち。
あいつはそれを聞いているのか聞いていないのか、
(今となってはしっかり聞いていたのだと分かるが)
関心もないようなそぶりで、だが確実に僕から魔法のいくつかを貪ったのだった。
魔力のほとんどない普通の生き物が、命を削らんばかりに魔力を喰らう姿を、
僕は生まれて初めて目にして、そして震えた。
あいつの手には、魔力では説明のつかない魔法が根付いていた。
――それが「努力」と呼ばれる非凡なスペルであることを、
僕は後々絵具の魔女から教わることになる。
僕は、「努力」とやらが欲しくなった。
だけど、何故だかその欲求は何処かで変異を繰り返し、
ここ数日はあいつと僕の混ざり合ったものが生まれる、
という妙な空想にとり付かれるようになった。
それもこれも、あいつの読んでいた本の単語のせいだ。
並んでいた、こども、の文字。
成功したら、それは命の誕生を意味するだけだ。
誕生はたやすく受け入れられるし、何より生まれてしまえば、ここでは雑草も同然。
この星の命は、誕生をことさら祝われることもなく、
生まれれば生まれたものとして受け入れられる。
生まれることが普通で、生きることが普通で、祝うような恐怖がないからだ。
そういうわけで、僕はピエロで、身勝手なので、
あいつを巻き込んで、僕の純粋な好奇心を試したのだ。
何度だって言うが、足がないあいつは、魔法使いでもおばけでもない。
ゾッとするほどうそつきで、物知りなだけの生き物だ。
そうだ。
あいつは(僕よりかは)、割りとまっとうな生き物なのだ。
かわいそうなあいつは足がないばかりに、
「自分がどれだけ正しい生き物に近付けるかどうか」
ばかりを考えているような節があって、
だから、僕よりもずっと「生き物のありかた」に一生懸命だった。
ただ、足のないことが災いしたのか、あいつの生き物に対する執着は、
僕でもちょっと後ずさりしてしまうほどの執着と変質をもってあらわれた。
ローアを修復させた時のあいつの手は、
僕の羽根のそれよりもずっとギラギラに輝いて、
そのままあいつがオイルやら何やらで汚れた手に飲み込まれて、
消えて無くなるんじゃないかと怯えたことを、覚えている。
それでも、あいつには足がない。
僕もたいがい生き物として疑問の残るつくりをしていると思うが、それは構わないのだ。
僕はピエロだ。おそらくそう。
だから、どこかにでたらめな個所があっても良い。
加えて僕は魔法を使える。
魔法を使えるのに、生き物が「そうあらなければならないかたち」に戻る必要などないじゃないか。
僕は失敗した。
「そうあらなければならないかたち」を、僕は知らなかった。
その内に、とてもじゃないが言葉で尽くすには足りない、
細く細く編み込んだ見えないものが必要だなんて、僕は知らなかったのだ。
僕は今嘘をついた。知っていた。
知っていたけれど、ああこいつの言う通りで、確かめる必要などないとタカをくくっていた。
また僕は嘘をつきました。必要などないなんてそんなことはなくて、
確かめれば否定されてしまうのが怖くてしょうがなくて、
こいつがおっしゃる通りで、僕は魔術の初歩の初歩から失敗していた。
こいつは当然それを持っているものだと思っていた。
こいつは僕のようなものではなく、少なくとも、まっとうな生き物だから、
それを持っていて、当たり前のようにあの鍋の中に組み込まれていくものだと思っていた。
こいつは、「そうあらなければならないかたち」の中で、一番必要なものを無くしていた。
足なんかよりずっと大切なそれを、こいつはずっと憎んでいたのだ。
生き物が生き物であるために、守らなければいけないはずの、それを。
僕でさえ持っているそれを、こいつは。
上あごを砕かんばかりにこみあげてきた希望が、足元にぼちゃぼちゃと崩れ落ちる。
あの子を見て、こいつを見て、必死に止めようとするけれど、僕の口は何の堤防にもならない。
あの子は「そうあらなければならないかたち」も授からず、
「そうあらなければならないかたち」が必要でない僕の何分の1をも分け与えられていなかった。
あの子が、こいつの手に抱かれて、そして小さくなっていく。
こいつに手があってよかったと、無かったのが足だけで本当によかったと、
3度目の決壊を迎えた僕の口が安堵に綻んだ。
なんだかんだいっても、大好きだと言われれば、
約束すると言われてしまえば、
僕はうそつきなので、それだけで安心してしまうのだ。
ひどい臭いと見た目になってしまっただろう僕の身体を、
マホロアが、あの子を潰した両手で、優しく抱きしめてくれた。
次は、必ず成功させるそうだ。
ただしいこどものつくりかた2