囚われの人

貴方は、とても鮮やかだった。

その色は、私の心を掴んで離さない。

鮮やかさの裏に、毒牙を隠し持っていたとしても。

一度侵されてしまったら、もう離してはくれない。

私は、貴方から逃げられない。

喧騒の中で

どんよりと曇った空。
今にも雨が降りそうな悪天候の中、人々は忙しなく行き交う。


こんな日でも、世界に音が無くなることはない。


すれ違う人々にぶつからないよう、器用に避けて歩く。
いつも通りの街の、いつも通りの喧騒の中を一人彷徨う。

毎日が同じことの繰り返し。
無限ループしていると錯覚に陥りそうになるほど退屈な毎日に、飽きていた。

本当につまらない世界だ。
それならいっそ、今この場所に隕石でも落ちて来ればいいのに。

不謹慎にも、そんなことを思ってしまう。
だが、変化の無い日常に浸かりきっていると想像以上に非日常に飢えていく。

どうせ、今日も何も起こらない。
このまま何事もなく家に着き、夕食を食べて、風呂に入り、眠りにつく。

当たり前のように享受してきた幸せに浸ることもなく、
ただ退屈な感情だけが、私を支配する。

今日は、近道をしよう。

ただの気まぐれで、いつもの通りを抜けて人通りの少ない薄暗い道を歩いた。
街灯も少なく怪しげな雰囲気を放つ道を、躊躇いなく突き進む。

とても、静かだ。

たまにはこっちの道もいいかもしれない、と考えていると
少し先に、人影が見えた。

シルエットで、その人影は男性であることがわかった。
何やら、道に立ち止まってスマートフォンをいじっているようだった。

道にでも迷っているのだろうか、と疑問を抱いたが
もし違ったら恥ずかしいし、などと考え彼の前を通り過ぎようとした。


「あの」


爽やかな青年だった。
今時の、どこにでもいそうな若者だった。
薄暗い中でも分かる肌の白さと栗色の髪が、色素の薄さを感じさせる。

数秒の間、私は彼に見とれていた。

すぐに我に返り、もう一度目の前の青年を見る。
そこでようやく疑問が生まれた。

「今、何か言いました?」

青年は、いじっていたスマートフォンをこちらに向ける。

「ここ、行きたいんですけど。よかったら道、教えてくれませんか?」

差し出されたスマートフォンを受け取り、画面を見てみる。
そこには、少し遠くにあるカラオケボックスの周辺地図が示されていた。

「ああ、ここの道、ちょっと入り組んでいてわかりにくいんですよね」
「そうですか」

青年は、顎に手を当て悩み始めた。
そんな様子を見て私は、人助けでもしよう、などと考えた。

「よかったら、ここまで一緒に行きますよ?」
「ほんとですか?ありがとうございます」

嬉しそうな彼を見て、こちらもほっと一息つく。
彼はスマートフォンをしまい、私の隣を歩き始めた。

「この辺、俺あんまり詳しくないんです」

遠慮がちだが、親しみやすい雰囲気で、彼は私に話しかける。
この辺りの道に詳しくないということは、地元の人間ではないのだろう。

「そうなんですか」
「だから、あなたが案内してくれてすごく助かりました」

彼は柔らかく笑う。
今日は、このルートにしてよかったな。

なんて、暢気に考えていた。

静かな裏道を抜けて、交通量の多い通りに出る。
すぐ隣を走る車のライトと一定の間隔で設置された街灯が、少し目線の高い彼の顔を照らす。

彼は被っていたニット帽をぐっと下げ、道路を走る車を目で追いかけた。

「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな」

言われてから、はっと気付く。
特に何も考えていなかったが、教えたところで別に何もないだろう。

七原真由子(ななはらまゆこ)です」
「真由子ちゃんは、高校生?」

間髪入れずに質問され少し面食らったが、今日の私は親切なのだ。

「はい」
「じゃあ、俺のほうがちょい年上だね」
「そうなんですか?」
「俺は、今年で21」

21歳なら、大学生か社会人、といったところだろうか。

「大学とか行ってるんですか?」
「いや、行ってないよ。つか、タメ口でいいよー、堅苦しいし」
「…じゃあ、社会人?」

その質問に、彼は苦笑した。

「いや、世間で言うフリーターってやつかな。バイト先もしょっちゅう変わるし」
「へえー」

大学生でも社会人でもないことに若干期待はずれだったが、
好奇心が旺盛な私は気になることはすぐに質問してしまう。

「どうして、バイト先をコロコロ変えるの?」
「んー、まあ、いろいろあってね」

誤摩化されてしまった。

そうして当たり障りの無い会話をしている内に、カラオケボックスの前まで到着した。
彼はお礼を言い、一人店内に消えていった。

そして、ふと思い出す。
あの人の名前、何だっけ?

彼は私の名前だけ聞いて満足して、自分の名前を言い忘れていたのだろう。
こんなことに今気が付くなんて、私も彼もドジだな。

しかし、彼に会うことはもうないので、名前を知らなくても人生に何ら影響はないのだが。
まあ、いっか。


深く考えずに、私は家に帰ることにした。


さっき通った道を引き返し、まだ車両の多い通りの歩道に出た。
車のライトに照らされながら、のんびりと歩く。

今日の夕飯は、どうしようかな。
久しぶりに料理でもしてみようか。

何だか気分がいいので、今日の夕飯はハンバーグにしよう。

今からスーパーに寄って、材料を買い込もう。
この時間なら、割引されている可能性が高い。

軽い足取りで私はスーパーに向かい、必要な材料と安売りしていた卵などをずいぶんと買い込んでしまった。
会計で「合計で4824円になります」という言葉を聞いた瞬間、顔が引きつってしまったが…。

ともあれ、これで今週分の食事は賄えるだろう。
その足で自宅である8階建てのマンションへ帰り、502号室の扉の鍵を開ける。

「ただいま」

靴を脱ぎ、真っ暗な部屋のスイッチに手を伸ばし、電気をつける。
ぱっと明るくなった部屋には、誰もいない。

そう。私は、ここで一人暮らしをしているのだ。

黙々とキッチンに向かい先ほど買った材料を冷蔵庫にしまって、ボウルやフライパンを取り出す。
玉ねぎをみじん切りにし、電子レンジで合い挽き肉を解凍、同時に鍋を火にかけ米を炊く。

慣れた手つきで調理を進行させ、30分後、完成した料理を食卓に運んだ。
今日は、ハンバーグとご飯とインスタントのコーンスープだ。

久しぶりの手作り料理に心躍らせながら、早速手を合わせ食べ始める。
ちゃんと中まで火が通っているし、溢れる肉汁が私の食欲を満たしてゆく。

ハンバーグの美味しさを噛み締めていると、ふと部屋が無音なことに気が付きテレビの電源をつけた。
ちょうど今からニュース番組が始まるところだった。

しばらくは政治関係の内容が続いた。
コーンスープを飲みながら専門家の解説を聞き、「へえー」と感心していると、次のニュースに切り替わった。

「それでは、続いてのニュースです。今日未明、都内で殺害されたと思われる女性の遺体が発見されました。
 警察は、ここ数日間での連続殺害事件との関連があると見て捜査しています」

今日の番組表を見ようとリモコンに伸ばした手が止まった。
今、テレビでもネットでも話題になっているこの事件。

高校でも同じ都内で起きている事件だということで度々話題に上がり、
一部の間では犯人は今この近くまで来ているという噂まで立っている。

私自身、この事件については少し気になる点があった。

身近に起きた事件について気になったり、調べたりすることは誰にでも当てはまるだろう。
しかし、この事件は、どこか変なのだ。
ネット掲示板では論争まで起きていると耳にした。

まず、事件の特徴としては、被害者の繋がりが全く見えてこないこと。
そして、もう一つ。

被害者の全員が、それぞれ別の方法で殺害されていること。
後者については、明らかに一つの動機のもとに行われている。

それも同じ部屋にいた被害者の家族でさえ、わざわざ凶器を変えて殺されたというのだ。
もしも動機が怨恨ならば、こんな面倒なことはしないはずだ。

まるで、何かを実験しているようだ、と。

テレビで解説していた専門家は、そう言っていた。

これまでに関連していると発表された事件は、11件。
犯人は組織なのではという声や、本当はもっと多くの事件が関連しているのでは、という声も上がっている。

世間は、不安を抱えたまま日常を送っている。
けれど、私にはいまいち身近で起きているという自覚が持てなかった。

実際に、現場を見た訳じゃない。
実際に、知り合いが殺された訳じゃない。
実際に、犯人を見た訳じゃない。

どうも私は危機管理能力に乏しく、目の前で起きたことでなければあまり気にならないらしい。
そんなことを学校の友人にでも話したら、説教されてしまいそうだが。

食べ終えた食器を流しに運び洗い物を済ませると、入浴の準備に取りかかった。
入念に体を洗いシャワーで流すと、ふと嫌なことを思い出してしまった。

そういえば、今日数Ⅱの課題があるんだった…。

数学担当の教師の顔を思い浮かべ、忘れたなどと言ったらどうなるのか恐ろしくなり
後でやらなければと半ば諦めつつ浴室を出た。

課題に取りかかる頃には事件のことなどすっかり忘れ、明日の授業について考えていた。
明日から始まる新しい範囲についても、少し予習しておこうかな。

勉強して、歯を磨いて、明日の準備をして、ベッドに入る。
そうしてまた朝が来て、いつも通り登校する。


そんな日常が尊いものだと知ったのは、そう遠くない未来でのことだった。

嘘と嘘

今日は最悪な日だった。

朝起きたら8時を過ぎていて、せっかく昨日のハンバーグの残りを弁当に入れようと思っていたのに、やむを得ず断念した。
それだけでなく、せっかく昨日の夜頑張った課題も部屋の机に置きっぱなしにしてしまい、追加の課題を出されてしまった。

「はあ…」

思わず、溜め息が出た。
どうして、頑張ったときに限って上手くいかないのか…。

夕焼けに染まった放課後の教室で一人、私は机に突っ伏していた。
廊下からは下校途中の生徒の賑やかな話し声が聞こえてくる。

私もそろそろ帰ろう。

今日はまた追加されてしまった課題をやらなければならないので、夕飯はコンビニで買って済ませることにした。
弁当に入れそびれてしまった昨日のハンバーグの残りと、あと一品何かあれば十分だろう。

誰もいない教室の扉を開け、昇降口に向かう。
今日こそは、500円以内に収める!
決意を新たに、私は校門を通り過ぎて高校近くのコンビニへ歩いた。


さて、今日はどれにしようかな。


店内に入ると、真っ先に弁当コーナーに向かった。
やっぱり、今日はパスタかな。

何となくパスタの気分だったので、パスタのコーナーの前に立った。
いつものミートソースもいいけれど、きのこの和風パスタも美味しそうだな…。

二つのパスタの前で迷っていると、後ろから手が伸びた。

「すいませーん、ってあれ?真由子ちゃん」

…どこかで聞いた声だ。
振り向くと、昨日の青年が爽やかな笑顔を向けていた。

「昨日はありがとう!ほんと助かった」
「いや、私は別に…」

予想外の再会に、少しだけ気まずさを感じてしまって語尾が弱くなっていく。
視線を外し彼の手元をよく見てみると、先程私が迷っていたミートソースパスタを持っている。
パスタコーナーの棚を見ると、ミートソースは彼が持っている分で最後だった。

「…」

無言で彼の持つミートソースパスタに視線を送っていると、彼もそれに気付いたようだ。

「これ、もしかして食べたかった?」
「え…」

さっきまでの笑顔とは打って変わって、彼は申し訳なさそうな顔をしてパスタを差し出した。
確かに、どちらにしようか迷ってはいたが…。

「いや、私はこれにするから」

きのこの和風パスタを手に取り、彼に見せる。

「本当に?…でも、さっきからすごい見てるじゃん」
「えっ」

そんなに私はミートソースパスタに熱い視線を送っていたのだろうか。
確かにどちらかと言えばミートソースのほうに気持ちは傾いてはいたが…。
何だか恥ずかしく思えてきて俯くと、彼は何でもないように言う。

「あっ、じゃあさ、俺の一口あげるからさ、真由子ちゃんのも一口食べさせてよ」

…何を言い出すのだこの男は。
昨日出会ったばかりの女子高生に、そんな怪しい提案をしてくるとは…。

この人、本当に大丈夫なのか?
目の前の青年が少し心配になり、懐疑の目で見る。

「一口って言っても、私はあなたと食べるわけじゃないし…」
「じゃあ、一緒に食べよ」

うっ…。
これじゃあ何だか、私がどうしてもミートソースが食べたい食いしん坊みたいではないか。

「だめかな?」

彼の純粋な眼差しを見ていると、断るのが悪いような気になってくる。
私が押し負けた形で、彼の誘いに乗ることにした。

「いいよ。…でも私今日やることがあるから、早く食べて…」

言っている最中に、このコンビニが高校の最寄りであることを思い出した。
今、この時間帯は下校時刻真っ只中。

幸運にも現在店内には知り合いはいないが、外で食べたりしたらクラスメイトに、
あるいは最悪の場合教師に目撃されかねない。

最悪の事態を想定し、一つの結論を導きだした。

「外だと色々都合が悪いから…、私の家でいいなら」
「!」

さすがに彼も家に招かれるとは思っていなかったようで、状況を飲み込むのに数秒間かかった。

「えーと…、ご家族は…」
「うち、一人暮らしだから」

戸惑う彼にそう言うと安堵の表情を浮かべ、すぐに疑問を抱いた。

「でも、昨日知り合ったばっかの男を家に上げるなんて、いいの?」

思わず、吹き出してしまった。
自分だって昨日知り合ったばかりの女子高生に妙な提案をしたくせに。

彼の支離滅裂ぶりに、私は小さく声を上げて笑ってしまった。

「なっ、そんな今笑うとこあった!?」
「…ふふふっ」

私は彼の言動がツボに入ってしまって、会計を終えて彼と並んで歩いているときも時々思い出してくすっと笑った。

「そんなに面白いかー?」
「だって、おかしいんだもん」

彼は顔を少し赤らめながら不機嫌そうに歩く。

「よく、変わってるって言われない?」

まだ笑いを引きずったまま、彼のほうを見た。
彼は不思議そうに私を見つめ返した。

「いや?言われたことないな…今が初めてだよ」
「へぇ…」

意外だった。
笑顔は爽やかで顔立ちも整っているが、そこはかとなく感じさせる不器用さと若干のズレのギャップが、彼に変人という烙印を押させた。

「昨日この辺詳しくないって言ってたけど、旅行か何かで来てるの?」
「ん?ああ、友達ん家に遊びに来たんだけど…色々あって泊まれなくなってさ、今ネカフェ生活」
「ネカフェ…」

健全な女子高生である私には想像し難かったが、彼は今宿無しということだ。
そこで、もう一つ私の中で考えが浮かぶ。

「じゃあさ、うちに泊まっていけば?」
「えええ!?」

あからさまに驚愕を露わにする彼に、私は続けた。

「食事もお風呂も寝床も完備。あなたにとって、悪くない話だと思うけど」
「そりゃ、俺はすごく助かるけど…」

「何で、ここまでしてくれるの?」

純粋な目をしていた。
幼い子供が、「どうして空は青いの?」と両親に聞くように。

「…なんかさ、ほっとけないんだよ。あなた見てると」

初めて会ったときから、何となく放っておけない人だとは思っていた。
最初は完全に自己満足の善意だったが、今は何か違う感情があるのかもしれない。

「それじゃあ、お言葉に甘えます」

へらっ、とあの柔らかい笑みをこちらに向けた。
甘え上手、なのかなあ。

マンションに着き、エレベーターに乗る。
5階のボタンを押し、扉が閉まると私の隣に彼が立った。

背、高いんだなぁ…。
改めて彼を見てみると、私の頭一つ分以上背が高いように思えた。
そして、昨日との違いに一つ気付いた。

「今日は帽子、被ってないんだね」

彼は視線を落とし、私の顔を見る。

「被っては無いけど、いつも持ち歩いてるよ」

そう言うと、彼は肩に掛けていた小さな鞄を開け、中を見せた。
見てみると、たくさんのニット帽で鞄が埋め尽くされていた。

「好きなんだ、ニット帽」

子供のように笑った。
ニット帽は確かにれっきとしたファッションアイテムで、彼のような人がいてもまあ納得できる。
今日は特に暖かかったし、そう毎日被るというわけではないのだろう。

5階に着き、 502号室の前で止まる。

「そういえば、私あなたの名前聞いてない」
「おっと」

彼はようやく気が付いた様子で、その場に立ち止まった。

「名前を教えてくれたら、部屋に入れてあげる」

私は少し悪戯っぽく笑みを浮かべ、鍵を見せつける。
彼は、それを見てふっと笑った。

「…四堂才雅(しどうさいが)。才雅でいいよ」
「よろしい」

にっこりと笑い、ドアを開けると彼を招き入れた。

彼は玄関に足を踏み入れ、靴を脱いだ。
お邪魔します、と小さく言いながら部屋に入り、中を見渡した。

「部屋、何にもないね」

年頃の女の子の部屋とは思えないほどさっぱりとしていて、どこか寂しげな空間である。
ピンクなどパステルカラーの可愛らしい家具も一切なく、ここにあるのは白い家具ばかりだ。

彼から見て、異様な光景だっただろう。

私は余分な物は買わないし、増して見えるところになど置かない主義なのだ。
必要最低限の物で生活する。
これが、私のポリシーであり生き方なのだった。

「いい部屋でしょ?」

私が自慢げにそう言うと、彼も柔らかく微笑んだ。

「ああ、いい部屋だね、とても」

リビングのテーブルの前に立ち、彼に座るよう促す。
テーブルの上に袋を置き、パスタを取り出した。

「温め直そうか?」
「いや、まだ温かいから大丈夫。ありがと」
「そっか」

「「いただきます」」

二人同時に手を合わせ、割り箸を割り早速きのこの和風パスタを口に運ぶ。

「あ、ちょっと待った」
「え?」

口に入れる直前で、箸を止めた。

「食べる前に、一口交換しよう」
「ああ、そっか」

ようやく彼の意図を掴み、彼のミートソースパスタときのこの和風パスタを交換する。
ミートソースパスタを一口、口に運ぶとよく知る味が広がった。

「やっぱ、ミートソースおいしい」
「そりゃよかった」

味わって食べる私を見て、彼はほっと一息ついた。
そして彼も、きのこの和風パスタを口に運ぶ。

「うん、いける」
「ほんと?」

まだ一度も食べたことのないパスタなので、早く食べたくてうずうずして待つ。
彼も、そんな私の様子に気付いたようだ。

「ありがと、おいしかったよ」
「こちらこそ」

再び手元に戻ったきのこの和風パスタをフォークで絡める。
口に入れると醤油ベースの香ばしい味が広がり、しめじの歯ごたえとネギの食感が見事なハーモニーを奏でた。

「こっ…これは素晴らしい!」

目の前でニコニコこちらを見る彼をよそにパスタに夢中になっていると、ふと思い出した。
そういえば、今日はいつも見ているドラマの日だ。

そろそろ始まる時間だ、とリモコンを手に取りテレビの電源をつける。
パッとついた画面に最初に映っていたのは、ニュースを読み上げるアナウンサーだった。

ドラマのチャンネルとは別で2時間の特集番組だったが、内容を見て興味を引かれた。

例の、連続殺人事件だった。
未だ犯人像が掴めず、警察が今最も手こずっている事件。
パスタを食べながらテレビに釘付けになっていると、彼が口を開いた。

「今、そのニュースばっかだよね」

うんざりしたように彼は言った。
彼は地元民ではないと言っていたので、都内で起きているこの事件に対して関心が持てないのだろうか。

「あー、そうだね」

何となく当たり障りのない返しをして、再び画面に集中する。
ここで、警察が目撃情報をもとにした犯人像を発表した。

”背の高い20代の男、服装はTシャツにジーンズ”

画面内で、リポーターが生中継で発表している様子とスタジオの反応が映し出された。
ぼんやりとそれを見て、ふと視線を彼に向ける。



笑顔が、消えていた。
冷徹で、鋭い眼光をテレビに向けていた。



ゾクッ、と一瞬背筋が凍る。
あんなに柔らかく笑う彼が、こんな表情をするなんて。

あまりにも冷たい視線に、私は気圧されてしまった。
視線を下へ移し俯く。

「大丈夫?」

彼からの問いかけに、私はビクッと肩を上げた。
それを見て、彼は寂しそうな顔をした。

「体調悪いの?」
「ううん、大丈夫」

慌てて笑顔を作る。
しかし、彼の表情は変わらなかった。

「何か、不安に思ってることがあるでしょ?」
「…!」


少し、嫌な予感がした。
だがそれは、今ここで言うべきではない。


色素の薄い瞳が、すべてを見透かしているようで。
さっきまでの冷たさが嘘のように、優しい視線でこちらを見つめる。

「ほんとに何でもないの、大丈夫」

笑顔でそう答え、再びパスタを食べ始める。
すると彼も安堵の表情を浮かべ、パスタを口に運んだ。

「真由子ちゃんは、優しいね」

ぼそっと呟かれた言葉に、私は手を止めた。

「真由子でいいよ、年下だし」

彼は一瞬固まって、緊張が解けたように自然な笑みを浮かべた。

「やっぱ真由子は面白いね」
「…そうかな?」

褒め言葉なのか判断しかねたが、一応受け取っておく。
パスタを食べ終え、容器を入れたビニール袋をゴミ箱に捨てようと立ち上がった。

彼の分も受け取り、キッチンのゴミ箱に捨てた。

ついでにお風呂も沸かそうと浴室でスイッチを押し、バスマットを敷いてリビングに戻った。
お風呂が沸くまであと10分、といったところだろうか。

「お風呂、先入る?」
「え、いいの?」

遠慮がちに彼が聞くと、私はあることに気が付く。

「いいよ。そういえば、着替えとか持ってる?」
「そりゃもうたくさん。ネカフェだしね」

そうだった。まあ、仮に持っていなかったとしてもその辺の店で調達すればいいのだが。
いろいろと準備しているうちにお風呂が沸いた。

「タオルとか、勝手に使っていいから」

彼を浴室に案内し、ドアを閉めた。

壁越しに聞こえるシャワーの音に、何となく緊張感が走る。
彼と私はそういう関係ではないが、やはりこの部屋に男を招き入れたのは迂闊だっただろうか。

今更そんな反省をしつつ、私も入浴の準備に取りかかった。
準備を終え、リビングで今日追加された課題に苦戦していると、彼が浴室から出て来たようだった。

「お先にお湯いただきましたー」

タオルで髪を拭きながら、彼はゆっくりとこちらに歩く。
まだ湿った栗色の髪からは水滴が少し垂れ、彼の整った顔の頬を伝う。

やっぱり、綺麗だな。

風呂上がりの彼にも、また見とれてしまっていた。
そんな自分にはっと気が付き、ペンを置いて浴室に向かう。

浴室のドアを閉め、服を脱ぎながら先程のことを思い出す。
あの冷たい眼光は、何だったのだろう。
そのことばかりが脳裏に焼き付いて離れなかった。

あのとき見ていたのは、例の事件の特集番組だった。
彼は、事件の被害者と何らかの関係があったのか?
それで、犯人が許せなくて…。

しかし、どうもしっくりこないのだ。
ならば…と考え、最悪のパターンを思いついてしまった。

もし、今噂の連続殺人事件の犯人が彼だったら。
そう考えるとあの視線を思い出し、また背筋が冷たくなった。

そんなこと、あるわけない。

体を洗い、シャワーで泡を流す。
一通り洗い終え、最後にシャワーを浴びて浴室をあとにした。

リビングに戻ると、彼はいなかった。
トイレかな、と思い振り向くと何かに当たった。

少し見上げると、そこに彼の顔があった。
微かに見えた彼の瞳は、揺らいでいるように見えた。


「どうし…」

言いかけて、一瞬で壁際に追いつめられる。
彼の唇が、私の唇に触れた。

「んっ…」

彼の舌が私の唇をなぞり、無理矢理ねじ込んだ。

舌で口内を侵される。
徐々に激しくなる舌に翻弄され、頭が回らなくなった。

彼の右手が私の左頬を滑り、濡れた髪に指を通すとその感触がくすぐったくて、余計に思考を阻害した。
風呂上がりの湿った身体と熱い体温が、脳内を浸食していく。

薄暗い部屋に、唾液の交じる音が鮮明に響き渡る。
もはやテレビの存在など、忘れてしまっていた。

行為とは裏腹にやさしく私の頬を包む手に、私は翻弄され続けていた。

囚われの人

囚われの人

日常に飽きた女子高生と逃亡中の連続殺人犯が恋に落ちてしまう話。 彼が殺人鬼であると知ったその瞬間から、彼女は彼の全てを嫌悪した。 だがそんなことはお構いなしに、彼は彼女の心を侵していく。(※2015/10/11加筆)

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-09-24

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 喧騒の中で
  2. 嘘と嘘