橙色のミムラスを、笑わない君に。

橙色のミムラスを、笑わない君に。

■第1話 突拍子もない告白

 
 
 
”突拍子もない”というのはこういう事を言うのだと、
その時ヤスムラ ショウタはまるで他人事のように頭の片隅で思っていた。
 
 
それは勿論、だいぶ人のそれより足りない残念な寝癖が付いた己の頭で必死に考えて、
今、目の前に佇む、立っても座っても歩いても芍薬より牡丹より百合の花よりも美麗な彼女に
伝えようと心に決めて、その結果、口から飛び出した言葉なのだけれど。
 
 
彼女、ホヅミ シオリは何かの聞き間違いかと思っている風で、暫し瞬きもせず一旦停止、
何か言い掛ようと、その艶々の荒れひとつないぷるんとした唇を小さく動かし、
しかし噤んで再びの、間。

そしてやっと開いた口から出た言葉は、ショウタの ”突拍子もない ”告白に対して
再び訊き返す、慎重なそれだった。
 
 
 
もう一度、先程シオリに言った言葉をゆっくり繰り返す。
 
 
 
 『あの・・・ だからさ・・・

  今朝・・・夢で、見たんだよね・・・
 
 
  ホヅミさんと俺・・・ クリスマスに、付き合い始めて・・・

  お互い、27の春に・・・ケッコン、する事になる、みたいなんだ・・・。』
 
 
 
 
口が半開きで呆然とかたまるシオリには、”学年イチの美人 ”という枕詞が付いていた。
 
 
水がたゆたうような艶がある黒髪ロングヘアは背中にしっとりと垂れ、
几帳面な性格が伺えるその前髪は、目元ギリギリで1ミリの狂いなく一直線に揃えられている。

色白でスレンダーで、成績優秀はもちろん運動神経も良しというまさかの文武両道。
 
風の噂に、父親は病院長だと聞いた。
もうひとつ聞きたくは無かったが小耳に挟んでしまった情報によると、医学部に通う
大学生のカレシがいるとかいないとか・・・
 
 
そんなシオリは、美人特有のおのずと醸し出される気品の為か、家柄のそれか、
正直なところ ”親しみやすさ ”はあまり無かった。

本人はその恵まれた容姿を鼻にかけている様子など全く無いのだけれど、
どうしてもそう周りが感じてしまう要因に、”あまり笑わない ”という最大の特徴があった。
 
 
 
 『ぁ、あの・・・

  そうゆう・・・ ”力 ”みたいなのが、あるの・・・?

  ・・・ほら、予知夢?とか、の・・・。』
 
 
 
シオリはまだ呆けたような顔のまま、ショウタへしずしずと問う。
 
 
すると、明るく元気な八百屋の冴えない長男は大きな口を開け豪快に笑いながら
首を大きくぶんぶんと横に数回振り、大きなゴツい手の平も左右に振り、正々堂々と胸を
張って言い放った。
 
 
 
 『ない。 ぜっんぜん、そんなのは無いっ!』
 
 
 
すると、そのドラマを固唾を呑んで遠巻きに眺めていたオーディエンスという名の
クラスメイトの面々が、一斉に声を揃えて言った。
 
 
 
 『無いのかよっ!!』 『ないのかよっ!!』 『ナイのかよっ!!』
 
 
 
 
シオリがあからさまに怪訝に、美麗な顔を引き攣らせて目を眇める。
 
 
 
 
  (なんっなの・・・ もう、最っ悪・・・。)
 
 
 
 
ショウタの口から飛び出した ”突拍子もない ”告白は、放課後ふたりきりの教室でもなく
日陰のひっそりした体育館裏でもなく、ひと気ない静かな階段踊り場でもなく、
朝のホームルームが今まさに始まろうとしているシオリの2-Cの教室で、
殆どのクラスメイトが見ている中で、堂々と、考えなしに為されたのだった。
 
 
 
 『・・・意味がまったく分からないし。 取り敢えず、ごめんなさい。』
 
 
 
シオリは、いまだ朗らかに笑っているその呑気な顔に向けてひと言吐き捨てると
粛然とした様で自席についてカバンから文庫本を取り出し、開いて目を落とした。
 
 
 
冷静なはずのシオリもさすがに動揺して活字なんか一切頭には入らなかった、その朝のこと。
 
 
 

■第2話 噂

 
 
 
 『ショウタぁぁあああああ!!!

  なんか、すんっげぇ噂になってっけど・・・ お前、どうしちゃったのっ?!』
 
 
 
ショウタのクラス2-Aの、同級生ワタベ ツカサはニヤニヤと緩みまくる頬を
堪えきれないまま、自席に座ってしょんぼり背中を丸めるショウタに、背後から
スリーパーホールドを決め込み、結構な本域の首締め具合で攻め寄った。
 
 
ジロリ。ツカサを一瞥したショウタ。

今更ながら、あんな公衆の面前で告白してしまった自分を、今朝にタイムリープして
ボコボコに殴り倒したい。
二の腕の内側に数字でも刻み込まれていないかと、某アニメ映画のワンシーンを思い出す。
クルミっぽいもの踏んづけて転倒でも出来ればと、真剣に考えあぐねる。

しかも、当たり前といえば至極当たり前なのだが、シオリからの告白への返事は
きっぱりさっぱり1秒の迷いも躊躇いも無く、NO。 瞬殺NO。 秒殺NO。
 
 
ツカサは興奮冷めやらぬ感じで、頬を高揚させ唾を飛ばしながらまくし立てる。
 
 
 
 『お前さー・・・

  なーんで、あんなトコ狙っちゃったんだよ~?

  ムリに決まってんじゃ~ん! ホヅミだぞ、ホヅミ!!

  ウチのオトコ共、誰一人恐れをなして手ぇ出す奴いないってーのに・・・

  ましてや、八百屋のお前が・・・。』
 
 
 
『八百屋はカンケーないだろ。』 ショウタは机に突っ伏して口を尖らす。
 
 
 
 
すると、パコン。ショウタの突っ伏した後頭部に鈍い衝撃が走った。
 
 
後頭部を叩かれた気配にのっそり顔を上げ振り返ると、クラスメイトであり中学からの
腐れ縁であるセリザワ マヒロが苦い顔を向けて、ショウタの横で仁王立ちしている。

胸の前で腕組みをして、その片手は後頭部にクリーンヒットさせた教科書を丸めて握って。
 
 
 
 『ヤスムラさー・・・

  アンタ、もうちょっとホヅミさんのこと考えて告んなさいよねー・・・
 
 
  アンタが玉砕しようが、砕け散ろうが、んなの正直どーでもいーけど

  あんっな人前で、しかも変な ”夢オチ ”話なんかされて・・・

  ホヅミさん、からかわれんに決まってんじゃんっ!!
 
 
  ・・・ったく、マジ信じらんない・・・。』
 
 
 
 
悔しいけれどマヒロの言っている事は正しくて、ぐうの音も出なくて、ショウタは
『すんません。』 とデカい体を小さく丸め、か細く呟いた。
 
 
 
 『ホヅミさん、怒ってるよなぁ・・・。』
 
 
 
ショウタの呟きは、溜息と一緒に魂まで抜け出そうに力無く足元に落ちた。
 
 
 

■第3話 感情の読めない顔

 
 
 
その日の昼休み。
 
 
ショウタはふたつ隣のシオリのクラス2-Cの後方出入口から、こっそり中を覗き
黒髪ロングヘアの華奢な背中を探した。
 
 
 
 
  (からかわれて嫌がらせでもされてたら、まじヤベぇよな・・・。)
 
 
 
 
戸口に半分身を隠してチラチラ覗いているつもりだったのだが、なにせガタイの良いショウタ。

おまけに今朝からすっかり ”時の人 ”に昇格したその姿は、半身隠したところで
目立たないはずはなく、2-Cの面々がニヤニヤしながら目線を寄越している。
 
 
 
 
  (見てんじゃねーよ・・・。)
 
 
 
 
眉根をひそめながらキョロキョロと尚もその黒髪を探すも、教室にはいないようだった。
 
 
すると、
 
 
 
 『ホヅミなら、さっき教室出てったぞー。』
 
 
 
名前も知らない2-C男子から、情報が飛び込んで来る。
その一言に、面白がって囃し立てる声が一気に津波のように広がる。
 
 
観衆の嘲笑に思い切り苦い顔を向け、自分のクラスに戻ろうと振り返ったところへ
シオリが廊下向こうからこちらにやって来るのが見えた。
 
 
そのスラっとしたモデルのような佇まいの黒髪は、教室入口にショウタの姿を捉えると
一瞬ギョっとした顔をしてかたまり、廊下の真ん中でその場から動かなくなった。

しかし、ひとつ息をつくようにして涼しい表情をその白い頬に作ると、シオリは扉横に
木偶のようにボウ立ちするショウタに目もくれず、横を擦り抜けて自席へとまっすぐ進んでゆく。
 
 
 
 『ホ・・・ホヅミ、さん・・・。』
 
 
 
ショウタの蚊の鳴くような弱々しい呼び掛けに、一瞬歩みを止めたシオリ。

そして静かに半身だけ振り返ると、『なに?』 とまるで今朝の事なんか何も無かった
かのようにキレイな感情の読めない顔で抑揚なく訊き返す。
 
 
 
 『あ、あの・・・ ごめん・・・。』
 
 
 
ガタイのいい体を小さく縮込めて、眉尻下げた情けない顔で呟いたショウタへ、
シオリは言った。
 
 
 
 『なにが?』
 
 
 
そしてすぐさま向き直り自席について、文庫本に目を落とした。

俯いた瞬間ストレートの黒髪はその横顔をすっぽり隠し、一直線の前髪は眉を
隠すためシオリの頬や耳の赤さも、眉に現れる感情も、なにひとつ分からなかった。
 
 
 
ショウタは、夏の終わりの向日葵のようにガックリと首をもたげ、その重い足取りは
まるで足枷でも填めているかのように自分の教室へとトボトボ戻って行った。
 
 
 

■第4話 思い込んだらまっしぐら

 
 
 
 『謝りたい・・・ 謝りたい・・・ 謝りたい・・・。』
 
 
その午後、ショウタはそればかりブツブツと繰り返していた。

言った言葉に関しては、嘘いつわりは無かった。
しかし、あんな人前で言うのは、どう考えても無しだ。 あれはマズかった。

例えば同じクラスなら、彼女がからかわれていたら、それをかばう事だって出来るが
なんせ彼女は別のクラスで、どんな風にクラスメイトから見られているのか分からない状態。
 
 
 
 『謝りに行かなきゃ・・・。』
 
 
 
とにかく思い込んだらまっしぐらのショウタ。

終業を報せるチャイムが教室に、廊下に、昇降口に鳴り響いた途端に思い切り椅子
から立ち上がり、その勢いで後方に引っくり返ったそれをそのままにダッシュで
シオリのクラスへ向かった。
 
 
 
その日は一日、クラスメイトから好奇な目で見られ散々だったシオリ。

シオリのキャラクターによるものか、面と向かってからかったり囃し立てたりする
声はなかったものの、教室の至る所から洩れ聴こえるヒソヒソと話す声やクスクス
笑う声に心から辟易していた。
 
 
それならば、堂々とからかわれた方がまだ反論の仕様もあるというものだ。

しかし、”大人しい ” ”話しづらい ” ”笑わない ”という3大イメージを
すっかり植え付けられてしまった今、それが急に翻るとも思えず、ただ流れに身を
任せて1秒でも早くクラスメイトの脳裏から、今朝の悪夢のような出来事が忘れ去ら
れるのを待つだけだった。
 
 
昼休みに、敢えて彼に冷酷な対応も示した。

もし逆の立場だったとしたら、もう二度と話し掛けられないだろうとシオリは推測する。
まずその前に、シオリだったらあんな意味不明な告白なぞする訳もないのだけれど。
 
 
『人の噂も七十五日・・・。』 ぽつり小さく呟いて、七十五日を耐え抜く覚悟を
決めつつカバンに教科書をつめ、帰る支度をはじめたシオリに・・・
 
 
 
 
  『ホヅミさぁぁぁあああああん!!!』
 
 
 
 
  ・・・・・・・・・・・・・・・。
 
 
 
耳に聴こえたその声が、別人であってくれとシオリは願う。
または ”ホヅミ ”姓が他にもう一人いてくれることを切に願う。
 
 
 
  顔を上げられない。

  否、上げたくない。
 
 
 
昼休みは遠慮がちに教室後方の出入口に隠れるようにして佇んでいたはずのその姿は
なぜか今、前方出入口から堂々と、大きく、滑舌よく、元気いっぱいにシオリの苗字を
呼び掛けている。 というか叫んでいる。
 
 
 
 
  (な、なんなの・・・。)
 
 
 
 
すると、段々その声は近寄って来た。

放課後の清掃をはじめた教室の騒々しさに紛れて教室内を乱雑に進み、俯き聴こえない
フリをしているシオリの目の前までやって来て歩みを止めた。
 
 
まだ頑なに顔を上げないシオリ。

机を凝視するその顔は、前髪に隠れた眉根を思い切りひそめて、口はぎゅっとつぐんでいる。
 
 
 
 『ホヅミさん・・・ ちょ、話したいこと、あんだけど・・・。』
 
 
 
そのやたらと良く透るガサツな声と、クラスメイトの忍び声が教室内に響き渡るのを耳に
シオリは観念してしずしずと顔を上げた。

そして、『わかった。』 と抑揚なく一言呟くと、無意識のうちに大きく大きく溜息が
漏れていた。
 
 
 
『わりぃな!』 屈託なく笑うその顔が、憎たらしいほどだった。
 
 
 

■第5話 訳の分からない宇宙人みたいな人の名前

 
 
 
ショウタに続いて廊下を進むシオリ。
微妙な距離をつくるふたりの背中が語る感情は真逆のそれ。
 
 
揃って2-Cの教室を出て行ったふたりを、野次馬の連中が出入口から身を乗り出して眺め
面白おかしく囃し立てる。
ショウタがしかめっ面で小さく振り返り、野次馬に『うっせ!』と言い返した。

そして、『なぁ~?』 と、微かに眉を上げシオリに同意を求めた。
 
 
その顔はなんだか照れくさそうに、口許にほんの少しの笑みをたたえて。
シオリが思い切り怪訝な顔を向ける。
 
 
 
 
  ( ”なぁ? ”じゃないわよ・・・

    誰のせいでこうなったと思ってんの・・・?!)
 
 
 
 
不機嫌な様子を隠しもせず、シオリはショウタの背中について放課後の喧騒が響く
廊下を歩いていた。
すると、『ここら辺でいいかな・・・。』 ショウタがひとりごちて立ち止まる。
 
 
そこは、2年の教室から離れた校舎の一角。
 
 
 
 『やっぱ・・・ あの、人が多いトコで大事な話は・・・ ダメっしょ?』
 
 
 
  (そうね。

   今朝、そのお陰で今こんな大変なことになっていますもんね。)
 
 
 
 
『ここなら・・・。』 言い掛けたショウタへ、シオリが口を挟む。
 
 
 
 『ココも、充分ヒトは通ると思うけど?』
 
 
 
そこは体育館へ向かう通路と、靴箱への通路の丁度交差した場所。

体育系の部活動がある生徒やら、帰宅部で帰る生徒やら、そこそこひっきりなしに
通行人の姿は見て取れる。 2年の教室から ”のみ ”離れた場所なのだ。
 
 
 
 
  (なんなの・・・? ギャグかなんか・・・?

   私を、笑わせようとしてるの・・・?

   全っ然、おもしろくないですけど・・・。)
 
 
 
 
大きな大きな溜息しか出ないシオリ。

昔、溜息をつくと幸せが逃げるなんて聞いたことがある。
多分、もしそれが本当ならば一生分の溜息をついたのではないかというくらいの
本日の溜息パーセンテージ。 もう一生幸せにはなれないかもと覚悟しかける。
 
 
呆れ果て痺れを切らし、シオリはショウタの腕をむんずと掴んだ。
 
 
『コッチ来て。』 そう不機嫌な声色で呟くと、理科室がある西棟へとズンズン進んで行く。

運動系の部活動の声も届かないそこは、3階からそよぐ吹奏楽部の小さな音色と
シオリが荒々しく立てる内履きの足音が響いているのみの、静かなエリアだった。
 
 
だいぶ乱暴に掴んでしまったショウタの腕の感触に、小さく振り返って一瞬その様子を見ると
その顔は、なんだかはにかんで緩んでいる。
 
 
 
 
  (照れてんじゃないわよ・・・!!!)
 
 
 
 
ここら辺でいいだろうと足を止めたシオリが、ショウタの腕を掴んでいた手を払うように離すと
ショウタは肩をすくめて『えへへ』 と笑った。
 
 
 
 
  (・・・・・殺してやりたい。)
 
 
 
 
『・・・で? 話ってなに??』 シオリはすぐさま話を終わらせて、さっさと帰りたかった。

今日はこのあと塾があるので、ボケっと学校にいる暇などないのだ。
 
 
『え?』 なぜ今シオリに腕を引かれてココに来たのか、忘れかけていたショウタ。
 
 
『ぁ、アナタが・・・ 話があるって言うから・・・。』 言って、シオリは今、
目の前にいるこの訳の分からない宇宙人みたいな人の名前を知らないことに気が付いた。
 
 
 
 『名前・・・ そう言えば、私・・・ 知らないかも・・・。』
 
 
 
すると、パッと明るい表情を向け、口角をこれでもかというくらい吊り上げたショウタ。
まるで ”気を付け ”をするように背筋を正すと、クっと顎を少しあげて
 
 
 
 『ヤスムラ ショウタ! 2年A組 出席番号18番 実家は八百・・・』
 
 
 
『ごめん、 そこまではいいわ・・・。』 手をかざし途中で遮ったシオリ。

ショウタは、まるでこれから ”始める ”ために、少しでも自分を知ってもらおう
とでもするかのように笑顔で自己の紹介をしかけていた。
放っておいたら、趣味・特技のほか家族構成・病歴までも言い出しかねないその無駄な勢い。
 
 
 
シオリの口から溜息がまた零れた。

溜息どころか、エクトプラズムあたり漏れ出してるのではないかと思うほど、
それは暗く深かった。
 
 
 

■第6話 謝りたい理由

 
 
 
 『ぁ、そうそう!

  あの・・・ 今朝は、ほんと・・・ あんな人前で悪かった・・・。』
 
 
 
ショウタが途端に情けなく背中を丸めガタイのいい体を小さくして、シオリに謝る。
 
 
 
 『場所考えるべきだったよなー・・・

  ほら、俺ってさー・・・ こう、なんつーの?

  思い立ったらすぐ行動しちゃうってゆーか? 考える前に体が、的な?

  放課後まで待てなかったんだよねぇ・・・ なんせ、今朝の夢だから!今朝っ!』  
 
 
 
バツが悪そうに後頭部をガシガシ掻いてうな垂れている割りには、そのどこか他人事
みたいな口ぶりにシオリは猛烈に腹が立っていた。
言いたい事がありすぎて、なにから言ったらいいのか分からない。
 
 
取り敢えず、一旦冷静に頭の中を整理してみる。
 
 
まず第一に、ショウタも言った通り ”大勢いる前での見境ない言動 ”。

これに関しては本人も反省している様だ。
腹は立つけれど、もう過ぎたことは責めても仕方がない。
 
 
第二に、”夢で見た ”という謎の告白。

これについては今現在まだシオリの耳に謝罪の言葉は聴こえていなかった。
 
 
 
『・・・それだけ?』 早く帰りたいので、話の先を急ぐシオリ。
 
 
すると、『え?』 と下がり眉の根っからの善人顔をしたショウタは、
シオリを無邪気に見つめ返す。
 
 
 
 
  (・・・・・・・・・・・・・・・は???)
 
 
 
 
 『ぇ、あの・・・ 訳の分かんない夢の話、は・・・?

  それについては・・・? なにも、無し・・・??』
 
 
 
『あれは今朝ほんとに見た夢だから!』 うんうんと自分で納得するように笑って頷く。

さぞかしイイ夢だったのか、ちょっと思い出してニンマリ。その頬に浮かばせて。
まるでそれについてはなんの問題もないとでも言うような、清々しいほどの笑顔。
 
 
 
 『ぁ、あのさ・・・ ヤスムラ、君・・・だっけ?

  もう一回確認だけど・・・

  夢で見たっていうだけ、だよね・・・?

  それって、別に私のことが好きでもなんでもないと思わない?

  夢に出て来た、ってだけの話でしょ?』
 
 
 
『いいや?』 姿勢を正し、そのたくましい胸を張る。
ちょっと半笑いで、まるでシオリの間違いを正すかのようなショウタ。
 
 
 
 
 
 『好きだから! 

  これから少しずつ俺のこと知ってもらえればいいと思ってるから!』
 
 
 
 
 
  (・・・・・・・・・・・・・・・・。)
 
 
 
シオリは呆然とその場に立ち尽くしていた。

まるで全く意思の疎通が出来ない、地球の裏側の少数民族と会話をしているような気分だった。
国籍どころか時代も飛び越えて。 否、生物分類学上の種すら違うのでは・・・
 
 
ぐったり疲れて肩を落とし、ふと手首につけた腕時計に目をやるともう帰らなければ
塾に間に合わない時間だった。
 
 
 
 『ぁ、私・・・ 塾があるから帰らなきゃ・・・。』
 
 
 
そう言うシオリへ、ショウタは朗らかに笑う。 『俺、チャリだから送るよ!!』
 
 
『全っ然、ダイジョーブ!』 片頬を歪め低く唸るように告げ、カバンを取りに教室へと
廊下を駆け出したシオリ。 その後を追いながら、
 
 
 
 『塾って場所どこ~?』 『何曜日が塾なの~?』 『てか、バス通~?』
 
 
 
ショウタの矢継ぎ早な質問はご機嫌な駆け足音と共に響き、やむことを知らない。
 
 
 
 
  (もう・・・ なんなのよ・・・。)
 
 
 
 
シオリは腹が立つのを通り越しほとほと困り果てながら、静まり返った放課後の廊下を
同じペースで一緒に駆ける訳の分からない宇宙人みたいなショウタを横目で見ていた。
 
 
 

■第7話 明るく元気なストーカー

 
 
 
 『お前、最近ナンて呼ばれてるか知ってっか~?』
 
 
 
2-Aの教室の、2時間目と3時間目の短い休み時間のこと。

ショウタの前の席に勝手に座り、ツカサがペンケースから15cm定規を取り出すと
一方を掴み、一方を指で反らせてバチン。ショウタの額にヒットさせる。
 
 
『痛っ! なんだよ。』 少し赤くなった額をさすりながら、目を眇めるショウタに
 
 
 
 『 ”明るく元気なストーカー ”』
 
 
 
ツカサはゲラゲラ笑いながら言った。

『はぁ~?』 ショウタは身に覚えがない風で、眉間にシワを寄せ謂われの無い呼称に
不満気に下唇を突き出す。
 
 
 
 『 ”はぁ ”、じゃねーだろ、お前・・・

  ホヅミんことだよ、ホヅミー・・・ お前、アレ完っ全にストーキングだろが。』
 
 
 
『あああ???』 目をパチクリとせわしなくしばたかせると、全く以って不本意なそれに
ショウタは斜め上を見眇めて考え込んだ。
 
 
 
 『なにが? なんで?? え??? どこが、どこら辺が???』
 
 
 
ツカサが呆れて大笑いしながらショウタの顔を盗み見るも、その顔は本当に腑に落ちない様子。

『お前ってさ・・・ すげえよな・・・。』 仕舞には感心してしまった。
 
 
 
 『だってさー・・・

  ホヅミって、医学生のオトコいるって噂じゃん?

  付き合ってる奴いんだから、フツウはさー・・・』
 
 
 
すると、『そっか・・・。』 ショウタが思い詰めたような顔を見せた。
 
 
 
 『それについて、話し合ってなかったか・・・。』
 
 
 
ショウタが口をぎゅっとつぐむ。 慌てて机に手を置いて勢いよく立ち上がった瞬間、
始業のチャイムが教室に鳴り響いた。
 
 
 
 
  (次の休み時間にホヅミさんトコ行こう・・・。)
 
 
 
 
本当は始業チャイムなんか無視して、今すぐシオリの元に駆け出したい気持ちを堪え
ショウタは再び椅子に腰を下ろした。
 
 
 
 『カレシ、かぁ・・・・・・・・・・。』
 
 
 
深く深く溜息のように口から洩れたその ”カレシ ”という3文字。

ショウタの善人顔の代名詞とも言えるその垂れ目は眇め、情けなく下がった眉もしかめて
もう一度ひとりごちた。
 
 
 
 『カレシって・・・・・・・・・・・。』
 
 
 
駆け出したくて堪らない足が、カタカタと落ち着きなく貧乏揺すりを繰り返していた。
 
 
 

■第8話 溜息バリエーション

 
 
 
3時間目の授業が終わるチャイム ”ウェストミンスターの鐘 ”の最初の音階 ”ド ”が
聴こえた瞬間、ショウタは後方のドアを乱暴に開け放って教室を駆けて行った。
 
 
『こらぁ!ヤスムラぁぁああ!!!』 背中に教師の怒鳴り声が聴こえていた気が
しないでもないがチャイムが鳴ったその瞬間、授業からは開放されているのだ。
 
 
 
 
  (なんぴとたりとも、俺の邪魔をしてくれるな!)
 
 
 
 
まだチャイムが鳴り終わっていないというのに、ふたつ隣のシオリのクラス2-Cの
教室後方ドアを勢いよく開け放したショウタ。
 
 
『ホヅ・・・』 元気に呼びかけようとして、そこは水を打ったような静寂。
 
 
まだ2-Cでは授業が終わっていないと気付く。

一斉に40人プラス教師の目が振り返ってショウタに向いた。
その中には勿論シオリの目も。 ショウタが口にしかけた名前に気付き、顔を歪めている。
 
 
『なんなんですか?』 中年女性教師からの冷たい視線に、一瞬たじろぎながらも
 
 
 
 『もう・・・ チャイム、鳴りましたよ?』
 
 
 
ニヒヒ。と口角をあげて調子よく笑った。
尚も無礼なその生徒に向けて目を眇めている教師へ、
 
 
『あれ?・・・時差??』 キョロキョロと見渡し、悪びれも無く畳み掛ける。
 
 
 
その瞬間、クラス中からどっと笑い声が沸き起こった。

教師は怒りをあらわにしながらも、教材を小脇に抱え教壇を下りて乱暴に扉を開ける音を
立てて教室を出て行った。
その殺気立った神経質な後ろ姿に、更に歓声が上がる。

終業チャイムが鳴っても中々授業を終えない事で悪名高い教師のその背中にクラス中が
欣喜雀躍。 『ヤスムラ!よく言ってくれた!』 と肩を組んでくる奴までいた。
 
 
 
そんな事はどうでもいいショウタ。

『ホヅミさぁぁあああん!』 シオリに呼び掛けるも、聴こえていないのかフリなのか
シオリは顔を背けたままこちらを見ようとはしない。
 
 
すると、先程ショウタに肩を組んだ男子が 『ホヅミー!カレシ来てんぞ~?』 と
シオリを覗き込んで声を掛けた。
 
 
その声にもの凄い勢いで立ち上がったシオリ。

乱暴に後方に下がった椅子の脚が床にすれたギギギという嫌な音が響いた。
冷静なはずのその端正な顔は、こめかみに血管が浮き上がり口は真一文字に噤んでいる。
 
 
 
 
  (カレシじゃないっての!!!!!!!)
 
 
 
 
シオリは不機嫌顔のまま教室後方に佇むショウタの前まで早足で進むと、またしても
腕を乱暴に掴んで教室から少し離れた階段裏までショウタを引っ張る。
 
 
 
 
  (もう・・・ あんな風に教室来るのやめてよねぇ・・・。)
 
 
 
 

階段裏の少し薄暗い空間にふたり。 階段をあがって2階へ行く足音が踊り場に反響
して小気味よく響いている。

言いたいことがあり過ぎて、この短い10分休憩なんかでは時間が足りない。
やむを得ず、ショウタの用件を訊いてみるシオリ。
 
 
 
 『なに?』
 
 
 
たった一言冷たく言い捨てるシオリの目に、なんだかだらしなく頬を緩めるショウタの顔。
 
 
 
 
  ( ”カレシ ”に反応してんじゃないわよ!!!)
 
 
 
 
大きく大きく溜息をついた。 ここ数日、溜息ばかりだった。

怒りの溜息、困惑の溜息、悲哀の溜息・・・ 溜息ってこんなにバリエーション
豊かだっただろうかと思うほどの、自分の口から連日洩れ流れるそれ。
 
 
すると、
 
 
 
 『あ! あのさ・・・ 今日の帰り、ちょっと話あるんだけどー・・・』
 
 
 
 
『またぁ?!』 シオリの美麗な顔が更に歪み、今まで聞いた事がないような濁声が
廊下中に響いた。
 
 
 

■第9話 好きな気持ちは別問題

 
 
 
その午後は憂鬱で憂鬱で仕方がなかったシオリ。
 
 
先日きっぱりはっきりお断りしたつもりだったのだが、やはりあの宇宙人には伝わって
いなかったのか、またしても今日の放課後に話しがあると言われてしまった。
 
 
昼食の時間も、まったく食欲がなくて箸は進まない。

小さな弁当箱に上品に詰まった色とりどりのおかずを、ただ箸で摘み上げては戻す。
摘み上げては戻すを繰り返し、その口の中には何も入らず、溜息が出て行く一方だった。
 
 
放課後を報せるチャイムが鳴り響くと同時に、またしてもあの騒がしい足音と開扉音が
耳に入り、ひとつ息をつき腹を決めてシオリはまっすぐ戸口に向かった。

『・・・ども。』 呼び掛ける前にやって来てくれたシオリに、ペコリと照れくさそうに
会釈し微笑むショウタ。
ジロリ。睨んで、心の中で舌打ちを打つシオリ。
 
 
ふたり、先日も行ったひと気のない理科室がある西棟へ向かう。

ショウタがご機嫌に先をゆき、シオリはそれから5歩ぐらい遅れて足取り重く進む。
シオリの顔はまるで死刑執行台へ向かう囚人のそれ。
目は虚ろで覇気もない。

この数日で確実に体重は落ちている気がするのは気のせいではないだろう。
 
 
 
すると、静まり返った理科室の前でピタっとショウタの足が止まり、振り返った。
そして、真剣な眼差しをシオリに向ける。
 
 
 
 『ホヅミさん・・・

  医大生のカレシがいるって・・・ 噂で聞いたんだけどさー・・・。』
 
 
 
その声色は真剣そのもので、情けなく『えへへ』と笑ういつものそれとは全く違った。
 
 
 
 
  (医大生のカレシ・・・?)
 
 
 
 
シオリは咄嗟に俯き、表情が見えない様にして高速で瞬きを繰り返す。
 
 
 
 
  (・・・誰のこと言ってるんだろう・・・?)
 
 
 
 
その時、医大に通う近所の従兄弟コウが頭に浮かんだ。
 
 
 
 
  (ぇ・・・ コウちゃんをカレシだと思い込んでるんだ?!

   なにをどうしてそんな噂が立ったのかは知らないけど、

   ・・・これは、使わない手はないわ・・・!!)
 
 
 
 
コクリ。ただ、シオリは目を落としたまま頷いた。

いまだ俯いたままのシオリは、これでこの不毛な遣り取りに終止符が打てるかもしれないと
ニヤけそうになるのを堪えて、頬筋がふるふると震えそうだ。
 
 
すると、ショウタは言った。
 
 
 
 『ホヅミさんが誰かと付き合ってるっていう事と、

  俺がホヅミさんを好きってのは、

  基本的に、別問題だと思うんだよねー・・・』
 
 
 
 
『・・・・・・・・・はい?』 思わず顔を上げて、ショウタを見つめてしまった。
 
 
 
 
  (なに言ってんの?この人・・・。)
 
 
 
 
 
 『いや、これがさ。

  結婚してる、とかゆーなら

  そりゃー、ちょっとはマズいかな~?とも思うけどさ・・・

  でも結婚してたって奪っちゃダメっていうアレはさ~・・・

  奪われる方も悪い、的な・・・?
 
 
  つか、とにかく、ただ付き合ってるだけっしょ??
 
 
  てことはさ~・・・

  俺がさ~・・・

  すんげー がんばってがんばってさ~

  ホヅミさんの気持ちを変える可能性だってゼロじゃないじゃんっ?』
 
 
 
呆然と、その自信満々で意味不明なショウタの演説を聞いているシオリ。
 
 
 
 『だからー・・・

  ・・・俺、気にしないからさっ!!』
 
 
 
満面の笑みというのはこうゆう顔のことを呼ぶのだろうと思うような、ショウタの笑顔。
まるで ”安心して ”とでも付け足しそうな、その間違った方向のハイパーポジティブ思考。

力が抜けた。
シオリの脚から一気に力が抜け、廊下にヘナヘナと座り込んでしまった。
 
 
『どした?ダイジョーブ??』 隣に同じようにしゃがみ込み覗き込んでくるショウタに
なんの言葉も返す気力は無くなっていた。
 
 
『ちなみにさ・・・ 果物でなにが好き?』 なんの脈絡もないその質問に、
脱力し放心状態のシオリは素直にぼそり答えた。
 
 
 
 『・・・青りんご。』
 
 
 
すると、ショウタはケラケラと愉しそうに『らしいなぁ~』 と眩しそうに笑った。
  
 
 

■第10話 やわらかいけれど確かな圧力

 
 
 
翌朝、シオリが教室の扉をくぐり自席に着こうと進むと、机の上に青りんごがひとつ
置いてあった。
 
 
小玉だがツヤツヤに目映く輝く萌葱色のキレイなそれ。
 
 
 
 
  (・・・な、なに?コレ・・・。)
 
 
 
 
他のクラスメイトの机にもあるのか、周りを見渡してみるがシオリの机の上だけのようだ。

目を細め眉根をひそめて最大限訝しがって小首を傾げると、ヘタを指先で慎重に摘み
目線に上げてまじまじと見眇めたシオリ。
 
 
すると、隣席のクラスメイトが笑いながら言った。
 
 
 
 『明るく元気なストーカーが、朝イチで置いてったぜ。』
 
 
 
『ぁ。』 そう言えば、昨日の放課後に呼び出された時に ”好きな果物 ”だか ”野菜 ”
だか訊かれたような気がする。

あの時は、宇宙人の相変わらず理解不能な発言に呆然としていて、うっかり答えて
しまったのだった。
 
 
 
 
  (あぁ・・・ 実家、八百屋とか言ってたっけ・・・。)
 
 
 
 
シオリは朝イチから放たれた小攻撃に、ここ数日恒例となっている溜息を小さくつくと、
それをサブバッグに入れて目に付かないようにした。なんなら、記憶からも消し去りたい。
 
 
しかし昼休みに弁当箱を取り出そうとバッグに手を入れた時、すっかり忘れていた
それが指先に触れ、再びあの情けない宇宙人の顔を思い出してしまった。
苦虫を噛み潰したような顔をして、シオリはバッグの奥底に青りんごを押し遣った。
 
 
 
 
 『ホヅミさぁぁあああん!!』
 
 
哀しい哉もう聞き慣れてきたその絶叫に、”今度はなに? ”とばかりシオリが顔を
あげる放課後。
 
 
『ちょ、話したいことが。』 今日も今日とて朗らかに大口開けて笑うショウタを
一瞥すると黙って立ちあがり、シオリはいつもの西棟へ向かった。
 
 
西棟への静かな廊下を進むふたり。

ショウタの足音は、まるでスキップでもしているかのように軽やかで、
シオリの足音は、まるで怪我でもして引き摺って歩いているかのように遅く鈍い。
 
 
跳ねるように歩きながら、少し前をゆくショウタが振り返って言った。
 
 
 
 『そうだ!! 青りんご・・・

  アレ、”祝 ”って種類なんだ・・・ すんげー酸っぱかっただろ~?

  青りんごは、まだ熟す前だからさ~ 酸味が強いんだよねぇ~・・・』
 
 
 
嬉しそうに口角をあげる顔を横目に、シオリはこの件になんて言ったらいいのか
考えあぐねていた。
 
 
 
 『ぁ、あの・・・ 気を遣わないで? 持って来てくれなくても・・・』
 
 
 
言い掛けたシオリをショウタが笑顔で遮る。
 
 
 
 『んもぉ、全っ然!! だって、青りんご好きなんでしょ??

  ウチ、八百屋だから・・・ ちゃんとイイの選んで持ってくっからさっ!』
 
 
 
その顔を見ていたら流石のシオリも、『食べてない』 とも『要らない』 とも
なんなら本心としては『見たくもない』 とも言いづらくなり、モゴモゴと言いよどんで
二の句を継げずに口を閉じた。
 
 
 
すると、いつもの理科室前でショウタが足を止め本日の本題に移った。
 
 
 
 『こないださ~・・・ 塾は、月・水・金ってゆってたじゃん?

  火曜と木曜は何してんの・・・?』
 
 
 
『・・・火・木は・・・部活、だけど・・・。』 言いたくなさそうに答えるシオリ。

なぜ塾の曜日も教えてしまったのか、あの日の自分を思い起こす。
毎回そうなのだけれど、ショウタのやわらかいが確かな圧力に気圧されて結局は
いつも口を割ってしまうのだった。
 
 
『部活っ?! なにやってんのっ??』 垂れ目を最大限にランランと輝かせ見開き
身を乗り出して訊いてくる。
 
 
 
 
  (訊いてどうするのよ・・・。)
 
 
 
溜息まじりに、ぽつり。 『・・・書道部。』
 
 
すると、
 
 
 
 『ええええ!!! まじか、まじかー・・・

  ホヅミさんぽいなぁ~・・・ 袴姿でタスキして、畳に正座して書いたり~?』
 
 
 
なにがそんなに嬉しいのか、頬を高揚させて矢継ぎ早に ”書道 ”というワードから
連想できる貧弱でお粗末なイメージをまくし立てるショウタ。
 
 
 
 『そんな訳ないじゃない。

  制服のまま、イスに座って書いてるわよ。』
 
 
 
シオリが入部している書道部は、部活というのは名ばかりだった。

顧問も一応いることはいるけれど殆ど顔を出さない全くヤル気のない教師と、
書道展などへの出展など考えたこともないような部員の面々。
部活歴がある方が見栄えがいいという内申点狙いの幽霊部員がいたり、お菓子を持ち寄って
まるで談話室のように部室を使う女子生徒の姿もあった。

シオリは元々小学生から書道を習っていたので、純粋に書道が好きで入部したのだが
その緩い環境にはさほど不満はなく、火曜と木曜は部室で好き勝手に好きな字を書いて
心おちつく穏やかな時間を過ごしていたのだった。
 
 
 
『書道部かぁ~・・・。』 ニヤニヤと頬を緩ませているショウタのその顔が
ただのいつもの善人顔ではなかったことに、この時のシオリは気が付けないでいた。
  
 
 

■第11話 バイタリティ

 
  
  
翌朝も、机の上にはひとつだけ青りんごが乗っていた。
 
 
ツカツカと早足で自席まで進み、それを無言で少々乱暴に引っ掴むと
すぐさまサブバッグの奥へ押し込むシオリ。
昨日もらった青りんごは、自宅に帰って母親に押し付けるように渡していた。

『どうしたの?コレ。』 と不思議そうな顔を向ける母親に、不機嫌そうに一言
『知らない。』 とシオリは答えた。
 
 
 
 
その日は部活がある日だった。

放課後、カバンに教科書をしまっているシオリの顔はとても穏やかだった。
まるで鼻歌でも歌い出しそうな程の、ご機嫌なそれ。

今日は、10分の短い休み時間も長めの昼休みにも、あの宇宙人が『話がある。』 と
言って押し掛けて来なかったのだ。
 
 
 
 
  (平和だわ・・・。)
 
 
 
 
うっとりと目を細めまるでお花畑でも眺めるかの如く、シオリはゆったりとした所作で
カバンを手に教室を後にした。

廊下の開け放した窓から流れる午後の風に、シオリの漆黒の長い髪の毛が波打ち揺れる。
書道部の部室がある東棟は、美術部や写真部、文芸部など文科系の部室が並ぶエリアで
シオリにとって静かで居心地のよい場所だった。

体育系部活が立てるボールが跳ねる音を小さく耳にしながら、東棟の部室へ向け階段を
静かにあがってゆくシオリ。
ツヤツヤに磨き上げられた耐久シート床材の床面に、内履きの靴裏のゴムがキュっと
擦れて小さく音を立てる。
階段踊り場にある窓から細く注ぐ日差しに、シオリは眩しそうに目を細めた。

書道部部室の前に立ち、引き戸に手をかけて静かに開けると既に中から感じる部員の
気配に『お疲れさまでーす。』とシオリは小さく室内に呼び掛けながら、足を一歩踏み入れた。
 
 
 
 
 
 
 『ホヅミさぁぁああああん!』
 
 
その瞬間、待ってましたとばかり今日一日耳にしなかったそれが部室内に響いた。
ギョッとして一斉に目線を寄越す部員の面々。
 
 
そこには、見たこともない部員がいた。

基本、女子しかいないその書道部に。 今までいなかった男子が、ひとり。
『えへへ』 と口角を上げ頬を染めてどこか照れくさそうに、ちぎれんばかりに手を振っている。

戸口からたった3メートルくらいの距離だと言うのに、まるで今生の別れかの如く
振り続けられるその学生服のたくましい腕。
 
 
 
 
  (ななななななんなの・・・・・・・??)
 
 
 
 
『な、なにやってるの?ここで。』 シオリは出来るだけ冷静に、低い声色で問い掛けた。

驚き過ぎて内心は声がひっくり返りそうなのだが、インナーマッスルに力を入れ
なんとかファルセットをぐっと堪える。
 
 
すると、3年生部員で一応部長という役割になっている女子先輩が、小首を傾げながら言う。
 
 
 
 『ホヅミさんの知合いだったの・・・?

  ついさっき、なんか急に入部したいって言って来たのよ・・・。』
 
 
 
そして、新入部員の面倒など全くみたくもない部長は、『後は宜しくね。』 と
さっぱりした面持ちでシオリにショウタを半ば強引に押し付けた。
 
 
 
 
  (なんなのよ? なんなのよ? なんなのよぉぉぉおおおおお!!!)
 
 
 
 
シオリの週に2回の貴重な癒しタイムが、今この瞬間もろくも崩れ去った。

ジロリ。睨むも、ショウタはにこにこと朗らかに微笑み、ご機嫌顔で落ち着きなく
キョロキョロと部室内を見回している。 ほのかに鼻をかすめる墨汁のにおいに
くんくんと短く鼻から息を吸っている、そののほほんとお気楽な横顔。
 
 
『ほんとにやるの・・・?』 ただ単にシオリを追い掛けて冷やかしに来ただけ
なのだろうと白けたような刺々しさが滲む声色で訊ねるも、ショウタは片手を
目の高さにあげて ”それ ”を嬉しそうに見せびらかす。
 
 
 
 『ジャ~~~~ン!!

  昨日、書道セット買いに行ったんだよね~!』
 
 
 
あきらかに小学生が持つ某ネズミのキャラクターが描かれた赤い書道セットバッグを
掲げ満足気に笑う。
 
 
 
 
  (昨日、って・・・

   書道部の話しした、あの後すぐってこと・・・?)
 
 
 
 
 『その素晴らしいバイタリティ、他のことに使ったらいいのに・・・。』
 
 
チクリと嫌味を言ったつもりだったのだが、ショウタは『えへへ』 と照れくさそうに微笑んだ。
 
 
 
シオリが机に手をついて、ぐったりとうな垂れた。
 
 
 

■第12話 好きな文字でいいのだ

 
 
 
シオリが座る席の隣に、机を並べるショウタの姿。
神経質な華奢で細い肩とガタイのいい肩幅のそれが微妙な間隔を空けて。
 
 
部長からは面倒をみるよう押し付けられたけれど、基本ここの部活で誰かが誰かの
面倒をみるなんていうシステムは一切無かった。
自由だけが唯一の売りの部活なのだ。

だからシオリもショウタの面倒を見るつもりなど更々なく、勝手にやらせておこうと
思っていた。
 
 
まるでショウタなど隣に座っていないかのように、シオリは黙々と書くための準備を
進めてゆく。 机の上に書くための準備が整うと、他の部員は誰ひとりとしてやっては
いないけれど、シオリは姿勢を正し膝に手をおくとその場で一礼をした。

”礼に始まり礼に終わる ” そっと目を閉じる美麗で涼しげなその横顔。
それを隣でまじまじと見つめ、完コピを目指しているかのよう真似をするショウタ。
 
 
机の正面に座り、机と体の間を握り拳ひとつ分くらい離す。
肩の力を抜きリラックスして背筋を伸ばすと、身体を少し前に倒して構えた。
筆の真ん中あたりを持ち、ひじを机につかないよう浮かせて筆先を半紙に落としたシオリ。

その所作は優美で華麗で、バックの背景には百合の花でもまとい甘い香りが漂って
きそうにさえ思える。
 
 
すると、横から感じたレーザービームのような視線に、半紙に落としていた目をあげたシオリ。

全身に走る嫌な予感に、そろりとスローモーションのように隣に目線を流すと
案の定ショウタが身を乗り出してガン見している。 完全に体をシオリの方へ向けて、
穴が開くほどシオリの涼しげで美麗な横顔を、ガン見。 凝視。 注視。
 
 
 
 
  (いい加減にしてよ、もう・・・。)
 
 
 
 
『こ、こっち見てないで・・・ 書けば?』 ギョッとする顔をなにをどうしても隠しきれない。
呆れ果て戸惑いながら言うシオリに、ショウタがぽつり呟いた。
 
 
 
 『なに書けばいーの?』
 
 
 
『なんでも。 ウチは勝手にみんな好きな文字書いてるから。』 素っ気なく言って
シオリは自分の半紙へ再び目を落とした。

そして、書に集中してなるべく隣席は見ないようにした。
ガソゴソとなにやらやかましく動く気配があったが、完全シャットアウト。
せっかくの癒しの時間なのだ。誰にも邪魔などされたくなかった。
 
 
暫く自分ひとりの世界に籠り真剣に筆を握って、少し凝った肩をまわし肩甲骨を
ストレッチしながら、ふと、何気なしに隣に目を遣ったシオリ。
 
 
すると、
 
 
 
 
  ”ホヅミさん ” ”ホヅミさん ” ”ホヅミさん ” ・・・
 
 
 
 
散乱する半紙には、左手で書いたような小学生の書くそれよりも汚く、浸み込ませ
すぎた墨汁に滲み広がった毛筆で ”ホヅミさん ”とある。

口が半開きのままショウタを見眇めると、ショウタは悪びれもせず笑って言った。
 
 
 
 『好きな文字書いていいってゆーからさっ。』
 
 
 
『えへへ』 笑う。
 
 
 
思わずぐったりと机に突っ伏したシオリの白く美しい頬に、墨汁がついて滲んだ。
部室中に響き渡るほどの大きな大きな溜息が、その麗しい唇から零れた。
  
 
 

■第13話 上下逆さの半紙

 
 
 
露ほども癒されなかった本日の部活が終わる時間がやってきた。
 
 
どんよりと背中を丸め荷物を持って、シオリがヨロヨロと覚束ない足取りでトイレへ向かう。

そして洗面所に手を付き鏡に映った自分を見ると、脱力して机に突っ伏した時についた墨汁が
白くて艶々なはずの頬に情けなく滲んでいるのが見えた。
 
 
 
 『はぁぁぁ・・・。』
 
 
 
またしても溜息をつきながら、ハンカチを少しだけ濡らして頬を拭う。
 
 
 
 
  (もう、ほんとになんなのよ・・・

   あの人、どっかおかしいんじゃないのかな・・・。)
 
 
 
 
バッグからブラシを出して長い黒髪を丁寧に丁寧に梳かし、ひとつ息をつくシオリ。

鏡に映る自分に向かって ”お疲れさま ”とでも言わんばかりに身を乗り出し、
ひとりでコクリコクリと自己完結の頷きを2回。 口をぎゅっとつぐむ。

今日も散々な一日だったけれど、取り敢えずはなんとか終わったのだ。
帰って自宅でのんびりお風呂に入って、好きな読書でもして気持ちをリセットしなければ。
 
 
 
陽が傾きはじめた夕空の下、ショウタのことは放っておいてシオリはひとり校舎を後にしていた。

校門から少しだけ離れたところにあるほぼ生徒しか利用しない夕暮れのバス停は
既に4名並んで待っている。
目を凝らして時間を確認すると、あと10分弱でバスが来るようだ。

サブバッグから文庫本を取り出すと片手に持って、ほのかな夕陽に翳しそれに目を落とす。
 
 
定刻から3分ほど遅れてやってきたバスは、夕刻ということもあって混雑していた。
もちろん空いている座席などなくて、吊革に掴まりバランスを取りながら尚も文庫本を
読みふけっていた。

すると、ゆったりと走行していたバスが無謀な割り込みをした車に、急ブレーキを
かけて一旦停まり、そして再び動いた。 立っていた乗客がみなその衝撃に前方に体が傾ぐ。
シオリもその傾いだ瞬間に顔にかかった長い髪の毛をそっと払い、ふと何気なく窓の外に
目を向けると、そこには見たことがあるような姿が自転車でバスと並走している。
 
 
飛び出しそうに目を見張り、咄嗟にその目を逸らした。
 
 
 
 
  (気のせい・・・ 多分、多分気のせいだから見ないでおこう・・・。)
 
 
 
 
文庫本で顔を隠し、今確かに見えた気がする自転車爆走姿をなかった事にしようと
躍起になるも、怖いもの見たさか否か。ゆっくり文庫本を鼻まで下げ、目だけ出して
もう一度窓外を覗いてしまう。口は半開きになり、ゴクリ。息を呑む音がしっかり響く。

すると、チラチラとシオリを見ながらバスのスピードに合わせて猛烈に自転車のペダルを
漕いでいるショウタが、やっと気づいたシオリに向かって手を振っている。
 
 
 
 
  (あああ危ないってばっ!!!)
 
 
 
 
相当なスピードが出ているというのに、余所見をして手なんか振るものだから路上駐車
している車や、左折しようと停まっている車にぶつかりそうになっているではないか。
 
 
 
 
  (こっち見なくていいから、ちゃんと前向きなさいよっ!!)
 
 
 
 
バスの中から、シオリが必死に ”前を向け! ”と指でさして合図をする。
人差し指を立てて、進行方向を何度も指す。せわしなく何度も何度も、指す。

シオリの両隣に立つ乗客が、それに不審な目を向けているも気にしていられない。
 
 
しかし、ショウタはそれの意味が通じていない風で、シオリが気付いて反応してくれた
事に嬉しそうに朗らかに笑いながら、尚も手を振っている。 そのやわらかい笑顔と
は裏腹に水面下では高速スピンするペダルを漕ぐ脚。
 
 
すると、バスは次の停留所に静かに滑り込み停車した。

ハラハラしすぎて心臓がもたないシオリは、まだ降りるバス停ではないのにも関わらず
思わず降車ボタンを連打して降車してしまった。

少し遅れてバスの横に停車したショウタ。 バス停に手をついて自転車に跨ったまま
背を丸めてゼェゼェと息をしている姿に向かって、眉間にシワを寄せ語気を荒げる。
 
 
 
 『危ないじゃないっ!!

  って言うか、なんでバス追い掛けて走ってるのよっ!!』
 
 
 
すると、ショウタが『えへへ』 と笑った。
そして、顔いっぱいに笑みを広げ口角を上げるとさも上機嫌に言う。
 
 
 
 『コレ・・・ 部活んときに書いたんだけど、

  渡す前にホヅミさん、帰っちゃったからさ~・・・』
 
 
 
ショウタが手に掴みシオリの方へと伸ばすそれを、なんだか微妙な面持ちで受け取り
指先で摘みながら恐る恐る開いてみる。

それは、4つに折り畳まれた半紙だった。
もう墨汁は乾き、むしろ乾燥して少し引きつったその半紙。小筆でなにかが書かれている。
 
 
識別するのが困難なほど汚い毛筆で書かれたそれに、シオリが首を傾げ目を凝らすと
ショウタが『逆!逆!!』 半紙を上下逆さにして見せた。
 
 
 
 そこには、ショウタの電話番号とアドレスが、書かれていた。
 
 
 
 『なんか緊急で困ったことあったら!

  ぁ、もちろん緊急じゃない困ってないときでも。 ぜんぜん、いつでも!!』
 
 
 
すると、その屈託のないバカみたいな呑気な顔と一連の言動に、暫しかたまり呆然と
立ち尽くしたシオリ。
 
 
そして、思いっきり吹き出して笑った。
 
 
 
 『別に明日だっていいじゃない、こんなの・・・

  わざわざ・・・ バス、追い掛け、なくて、も・・・。』
 
 
 
笑ってしまって、途中、言葉に詰まっている。

真っ赤な顔をして、笑い過ぎて目尻に溢れる涙を指先でぬぐう。
体を屈めて、息苦しそうに声をあげてケラケラ笑い続けている。
 
 
 
その笑う顔を見て、ショウタが嬉しそうに目を細め頬を緩めた。

シオリがはじめて笑った、夕陽がしっとりと差し込むふたりだけの静かなバス停での事。
 
 
 

■第14話 夕風に吹かれた前髪

 
 
 
  笑った・・・

  ホヅミさんが笑った・・・

  あの、笑わないホヅミさんが大笑いしてた・・・
 
 
 
ショウタはシオリの笑った顔をうっとり目を細めて思い返し、背中を丸めてぽ~っと
呆けたようにただ自室のベッドに座っていた。

すると突然ベッドに突っ伏し、少しくたびれた自分の枕を羽交い絞めにするとジタバタと
バタ足をして暴れる。
まるで枕をシオリに見立てているかのように、ぎゅぅううっと、強く、キツく。

しかしふっと我に返り、割れ物を扱うようにやさしく枕を離しそっと撫でると膝の上に置いた。
 
 
そして再び、ぎゅぅぅぅうううううううううううう・・・
 
 
 
 
  (ヤバい・・・

   ホヅミさん、チョーォォォオオオオオオオ 可愛かった・・・)
 
 
 
 
バス停で体をよじらせ笑っていたシオリは、小さくそよいだ夕風に吹かれ前髪が乱れていた。

いつもの潔癖にすら感じる一直線前髪の、鉄壁の布陣で隠されているその眉が、
実は、困り眉でハの字に下がり頼りなげなそれだという事に気付いたショウタ。
 
 
 
 
  (勿論ビジンだけど、それよりなにより・・・

   めちゃくちゃ可愛いじゃん・・・ おでこ出しとけばいーのに・・・。)
 
 
 
 
その夜、ショウタは枕は頭の下に敷かず、顔の隣に並べて大切に大切に抱きしめたまま眠った。
 
 
 
 
 
シオリは自宅に帰宅すると、まっすぐキッチンへ向かいサブバッグから取り出した
それをどこかきまり悪そうに母親に向けて差し出した。
 
 
 
 『ねぇ、ほんとに毎日毎日なんなの? この青りんご・・・。』
 
 
 
『ん~・・・。』 シオリは、途端に口ごもり要領を得ない。
本当のことを母親に言うのは恥ずかしいし、でも別に出所が怪しいものでもないし。
 
 
『コレ、酸味が丁度良くてすごく美味しいわよ!』 そう言うと、母親は今渡された
ばかりの青りんごをさっと水洗いすると、ペティナイフをサクっと入れた。 
そして6等分にくし切りしたひとつをシオリの口へぐっと押し付ける。 
『シオリ好みの酸っぱさよ』、と。

瞬間、口の中に広がった甘酸っぱさに、シオリは何も言わずシャクシャクと奥歯で噛んだ。
 
 
 
 
  (美味しい・・・。)
 
 
 
 
すると無言でもうひとつ指先で摘み、更にもうひとつ徐に口に咥えるとシオリは自室へ
向かって階段を上がって行った。
背中で母親から『行儀悪いわよ!』 と声が掛かったが、軽く手を上げていなす。
 
 
 
 
  (ほんと、美味しい・・・。)
 
 
 
 
すっかり陽が暮れ薄暗い自室に入ると、机の上にカバンを置きカーテンも閉めず
電気も点けずに暫し立ち竦んでなにか考え、そっと制服ブレザーのポケットに
入っている4つ折り半紙を取り出した。

そして、机の上にそのままポンと放置する。
 
 
机の前で立ったまま、まだ指先で掴んで持っている青りんごを口に放りゆっくり咀嚼して
ゴクンと飲み込んだ。

そっと手を伸ばして、再び半紙を手に取る。 指先に付いていた青りんごの水分で
わずかに半紙の隅がしっとり濡れている。
ゆっくり、それを開いてみた。

そこには、どっちが上でどっちが下かも定かではないような汚い毛筆書きのショウタの
電話番号とアドレス。
 
 
それを少し首を傾げ相変わらず立ったまま、シオリはじっと見つめていた。
 
 
 
ショウタは、シオリに連絡先を交換してくれとは言わなかった。 教えてくれとは、一言も。
ショウタは、いつも一方的に勝手気ままに感情を押し付ける。

でも、ショウタはなにも求めない。 与えるばかりで、なにも。 ただの、一度も。
 
 
その時やっと部屋が薄暗いままだと気付いたシオリ。

カーテンを閉め、電気を付けて、カバンからケータイを取り出した。
”新規登録 ”の画面を表示し、両手でポチポチと入力してゆく。

背中を丸めどこかバツが悪そうに、なんとなく照れくさそうに。
 
 
 
  『訊かれてないから、別に教えないけど・・・。』
 
 
 
ぽつりひとりごちて、シオリのケータイにその連絡先が1件追加された。

それは、”あ ”の行に。
 
 
 
 
 
   ”明るく元気なストーカー 090-****-**** ”
 
 
 
 
ショウタの連絡先が、図らずも、シオリのケータイの一番手に登録されていた。
 
 
 

■第15話 君の眉が見たいんだ

 
 
 
翌日から、シオリはサブバッグの中に小さなプラスチック製の密閉容器を持って登校していた。
 
 
自分の教室に入り自席に向かうと、今朝もそこには萌葱色のツヤツヤに輝くそれが
ひとつだけ置いてある。

今日のそれも、甘酸っぱそうで爽やかな薫りが今にも匂い立ちそうで。 
思わず顔に近付けてかいでみたい衝動にかられるのを堪えると、微笑みそうになる
口許にぎゅっと力を入れてシオリはそれを容器の中に大切そうに仕舞った。
 
 
 
 
その日の昼休み、ショウタが教室後方出入口に姿を現した。
 
 
 
 『ホヅミさぁあああん!』
 
 
 
その声の方向へそっと目を向けると、ニヤっとその頬に笑みを作り ”こっちこっち ”と
手首から先を小刻みに振って手招きするショウタ。
ひとつ息をついて席を立ったシオリは、何も言わずショウタの横を通り抜けいつもの
教室から少し離れた階段裏まで進む。
 
 
最近はもっぱら、放課後は理科室がある西棟。休憩時間は階段裏と、所定の場所が決まってきていた。
それがどこか不本意なシオリと、満足気なショウタのちぐはぐなコントラスト。

シオリは ”なに? ”という顔だけ向ける、もはや言葉にすらしなくなった休憩時間の光景。
すると、ショウタは後ろ手に隠していたうちわを片手に持ち、のらりくらりと雑談をはじめた。
 
 
 
 『ぁ、今日ってさー 塾の日だよね~・・・?

  俺んち通り道だから、チャリ乗ってかない? 送るよ、俺~。』
 
 
 
そう言いながら、うちわで扇いで自分の顔に緩い風を送っている。

さほど暑くはないその室温に、シオリは謎の行動をとるショウタを訝しげに眇める。
すると、その扇ぐうちわはシオリに向けて風をつくった。
 
 
 
 
  (・・・なんなのよ?)
 
 
 
 
 『バスで行くから全然ダイジョーブ。』
 
 
自転車で送るという申し出をきっぱりはっきり断ると、ショウタはそんなの想定内と
ばかり『えへへ』 と笑って、更に手首のスナップを利かせ強く風を起こす。
 
 
顔面に至近距離で扇がれて、さすがにシオリが嫌な顔を向けた。
 
 
 
 『な、なんなの? 扇がないで、別に暑くないから・・・。』
 
 
 
すると、ショウタはモゴモゴと何か言いたげに言いよどむ。 手首のスナップはそのままに。
『なによ?』 若干イラついた声色で訊くと、小さく小さく呟いた。
 
 
 
 『ま、眉毛・・・。』
 
 
 
『眉毛っ??』 顔を歪めて、その謎の一言の意味を探るシオリ。
 
 
 
 『ま、眉毛・・・ 見えてたほうが可愛いよ・・・。』
 
 
 
そう言うと、両手でうちわの持ち手を掴み、一気に激しく上下に振って強風を起こした。

その風に煽られて背中に垂れる長い黒髪も制服シャツの襟も、落ち着いたグリーン基調の
リボンタイも小さく浮き上がる。
そしてシオリの前髪もふわっと浮かび、ハの字の困り眉が一瞬見えた。
 
 
パッと目を輝かせ見開き、嬉しそうな顔をしたショウタ。

シオリはその手からうちわを無理やり奪うと、思いっきりそれを振り下ろしショウタの
頭を力任せにうちわで殴った。
 
 
そして、片手で前髪を押さえ額を死守すると、鼻にシワを寄せ不機嫌そうに唸った。
 
 
 
 『おでこ出すのキライなんだから・・・ 二度としないで!』
 
 
 
怒りが収まらずもう一度ショウタの頭をうちわで殴り、もうひとつおまけにうちわを
90度回転させ縦にしてヘリでヒットさせて、シオリは荒々しい足音を立て肩で風を
切って教室へ戻って行った。
 
 
 
『えへへ』 ショウタは殴られた頭をさすりながら嬉しそうに頬を緩めて、ぽつりひとりごちた。
 
 
 
   『やっぱ・・・ 可愛いじゃん・・・。』
 
 
 

■第16話 数学の教科書

 
 
 
それは、ショウタがすっかり目をつけられている数学教師の授業がある日のこと。
 
 
次の授業がはじまる前の短い休み時間に、教科書を忘れてきたことに気が付いたショウタ。

それでなくとも散々その教師からは叱られ、次なにかヤラかしたら本当にマズい状態
なのにも関わらず、最低限あって然るべきの教科書が無い。

遅刻・居眠り・早弁・白紙解答・赤点・口答え、エトセトラ・・・ ありとあらゆる事を
しでかし単位を貰えないのではというギリギリの境界線だった。
 
 
『さすがに・・・ ヤバいっ!!!』 慌ててイスから立ちあがり、気怠そうに机に
突っ伏すツカサの元まで駆け寄り数学の教科書を借りようとして、

『俺だって数学だ、バカ!』 一蹴された。 当たり前だ。
 
 
 
 
  (ホホホホヅミさん!!!)
 
 
 
 
ショウタは教室をすごい勢いで駆け出して、シオリの2-Cへと向かう廊下から既に
その名前を叫んだ。
 
 
 
  『ホヅミさぁぁぁあああああん!!!』
 
 
 
廊下中に響き渡るその声。 移動教室やトイレへ行く生徒がショウタを不思議そうに振り返る。

やけに遠くから段々近づく自分の苗字に、シオリはどこか他人事のようにその聞き慣れて
きた声に耳を澄ます。
 
 
 
 
  (新しいパターンだわね・・・。)
 
 
 
 
すると、いつもの教室後方出入口に飛び込んで来たショウタは、そこで留まらずに
シオリの元まで一気に駆け込み、初めて見せるような切羽詰まった顔を向ける。
 
 
『ど、どうしたの・・・?』  そのひっ迫感に、顎を引き背をのけ反るシオリ。
イスの背が痩せた背中にグっと食い込む。
 
 
 
 『すすすす数学の教科書かしてぇぇぇええええええ!!!

  ヤバいんだ、俺・・・ 3年に進級できなくなっちゃうから!!!』
 
 
 
涙目で訴えかけるその必死感に、シオリに笑いが込み上げる。
緩みそうになる口許をギリギリで堪え、ジロリ。睨んだ。
 
 
 
 『わかった、わかった・・・

  貸すから・・・

  貸してあげるから、その代わり。 あとで私のお願いもひとつきいてね。』
 
 
 
『そんな・・・ ホヅミさんの頼みなら今すぐでもきくよ?!』 更に身を乗り出して
覗き込んでくるその屈託のない善人顔。

やたらと近付いてくるその顔に更に後退り両手で遮って、シオリは机の引出しから
数学の教科書を差し出し、『今じゃないから!』 と顔を背けた。
 
 
 
その時、始業のチャイムが鳴り響いた。
 
 
『さんきゅー!』 教科書片手に、大慌てでショウタが自分のクラスに走って戻って行く。

一度、教室戸口で振り返ってシオリに向かってニヤっと口角を上げ、踵を返して駆けて
ゆくその背中。
 
 
 
その落ち着きのない後ろ姿を目で追い、シオリはクスリ。小さく笑った。
 
 
 

■第17話 ページをめくると、現れたもの

 
 
 
数学の時間だけは、とにかく目立たぬよう大人しくただただ1時間を無難に過ごさな
ければならない。 

ショウタは背を丸めて退屈そうに教科書に目を落としていた。
本当のところ、授業の内容も教科書の文字もなにひとつ頭には入っていないのだけれど。
 
 
ふと、シオリのおでこをうちわで扇いだ先日のことを思い出したショウタ。
 
 
 
 
  (ゼッタイ、可愛いのになぁ~・・・。)
 
 
 
 
無理やり扇いだから流石に怒られおまけに殴られたけれど、なんとかもっとあの愛らしい
困り眉を表に出したいものだと、ひとり考えあぐねる。
取り敢えず形だけ机に広げている真っ新なノートに、シャープペンを握る手持無沙汰な手が
無意味な幾何学模様を書いていた。
 
 
ふと、シオリの几帳面にマーカーや赤字書き込みがしてある教科書に目を落とした。

しっかり勉強しているのが見て取れる、優等生らしいその教科書。
当たり前だがイタズラ書きなどひとつも無い。
 
 
 
 
  (歴史の教科書にもヒゲとかメガネとか描かない派なんだろうなぁ~・・・)
 
 
 
 
そんな流派があるのか定かではないが、その勉強家の美しい教科書をぼんやり眺めていた。
 
 
すると、ページ右下隅の余白部分に、なんとなくイタズラ書きをはじめたショウタ。

アルファベットの ”U ”の様に顔の輪郭を書き、一直線の前髪は ”― ”を書くと
”| ”で長い髪の毛を表す。 目鼻口は ”・ ”と ”< ”と ”へ ”で出来た。
 
 
暇つぶしに描いたシオリの似顔絵が思いのほか似ていて、ショウタはクククと笑う。

少しずつシオリの表情が変化する様を、右下隅に1ページずつ描いてゆく。
何ページも、何ページも。
 
 
 
そして、満を持してショウタの登場。 

 (*´▽`*)Ф~~~  うちわで風を起こす様を描いた。
 
 
 
繰り返し繰り返し、何ページも何ページも。

数学の授業中ずっと、机に突っ伏してにこにこ微笑みながらパラパラ漫画を描き続けていた。
そしてそれは、授業終業のチャイムが鳴り響くと同時に完成した。
 
 
 
   パラパラとページをめくると、現れたもの。
 
 
 
几帳面な一直線前髪の仏頂面のシオリが、ショウタにうちわで扇がれて風に吹かれ、
前髪が揺れるとそこには困り眉が現れ、情けない顔をしてシオリが笑うという一連の流れ。

めくるページに合わせたどたどしい動きでカタカタと動く、シオリ。
 
 
 
   シオリが笑う。 笑う。 笑う・・・
 
 
 
ショウタはそれを嬉しそうに目を細め微笑んで見つめた。
 
 
 
 
 
『ホヅミさぁぁあああん!』 次の休憩時間に教科書を返しに行ったショウタ。
ニヤニヤと頬を緩めながらそれを手渡すと、シオリは目を眇めて言う。
 
 
 
 『なに・・・? ニヤニヤしてるけど。』
 
 
 
『ううん!』 大きく首を横にぶんぶん振って、なんでもないフリを装ったショウタ。
尚もニヤけながらお礼を言って戻って行くショウタを、首を傾げながらシオリは見ていた。
 
 
 
 
 
その日の放課後、ショウタの席に慌ててツカサが駆け寄った。

『ちょ! 超特大ニュースだよ!!』 特ダネ入手とばかりに胸を張り、しかしやたらと
厭らしく勿体付ける。
 
 
『なん??』 それほど興味なさげに大きく欠伸をして、背中を反らしながらショウタが
訊くとツカサは得意気に言った。
 
 
 
 『今日の2-Cの数学の時間・・・

  あの、笑わないホヅミが、

  なんか知らねーけど、ひとりで突然、爆笑したらしいぜっ!!

  ”ホヅミが笑った ”って 今、すげー噂になってるんだよ!!』
 
 
 
 
するとショウタはガバっと机に突っ伏して、真っ赤な顔をしてニヤけた。
 
 
 
  (やべぇ・・・ まーた怒られちゃうかなぁ・・・ まぁ、いっか。)
 
 
 

■第18話 毛筆カンバセーション

 
 
 
それ以来、ショウタはシオリを笑わせようとそれだけに全力を注ぐようになっていった。
 
 
少しでも隙を見せると笑わせようとする気配に、シオリも頑なに笑顔を見せないよう
グッと堪える。
まるでふたりだけの我慢大会のように、それは連日繰り広げられた。
 
 
 
 
とある放課後。
 
 
書道部の部室に、ショウタとシオリが机を並べて筆を握っていた。

いつも通りの美しい姿勢で机につき、筆先を半紙に落とすシオリ。
リラックスしてのびのびと、精神を開放して筆先を進めるその穏やかな横顔は
女神様のそれ。

そんなシオリへ半身傾ぐように、そのガタイのいい体で自分の机上を隠し気味に
筆を握るショウタ。 シオリからショウタの書く文字は見えなかった。
 
 
 
 
  (あら・・・ 今日は平和だわ・・・。)
 
 
 
 
ゴソゴソとなにやら怪しげだが、黙々と何枚も何枚も書いている様子のショウタを横目に
シオリは完全に自分ひとりの世界にこもり、貴重な静かな時間を満喫していた。

集中しすぎて少し疲れ、凝った首をゆっくり左右に倒し首筋をほぐしていると
ふとショウタの机に目を向けたシオリ。 
猫背で机に覆いかぶさるようにして書いている大きな体の隙間から、一瞬それは見えた。
 
 
 
 
  ”おでこ ” ”まゆ毛 ” ”ホヅミさん ”
 
 
 
その3種の書が、何枚も何枚も書かれていた。

机の上に、床に、他人が見たらなんのことだか分からない書が広がっている。
乾くのを待つそれは、重ならないよう慎重に。
 
 
 
 
  (ちょっと!!! もう・・・ なんなのよ?!)
 
 
 
 
ギョッとするシオリ。 眉間にシワを寄せ嫌なものを見るような鋭い目線で睨むも、
ショウタは飄々と涼しい顔をして書き続け、シオリを向かない。
シオリが気付いたというのにまだ書き続ける、その憎たらしい横顔。
 
 
シオリが再び筆を握った。
 
 
 
  ”なんでそんなにおでこ見たがるのよ?! ”
 
 
 
半紙一枚に、流れるような達筆な毛筆で縦書きする。
怒りの抗議文を書くときですら、正しい姿勢で基本に忠実に筆を握るシオリがシオリらしい。

すると、それに気付いたショウタが再び姿勢悪く背中を丸めて、筆先に無駄に墨汁を
たっぷり浸み込ませる。 半紙からはみ出んばかりの滲んだ不格好な毛筆が現れる。
 
 
 
  ”まゆ毛みえたほうが、かわいいよ ”
 
 
 
シオリが返す。
 
 
 
  ”いやなの! 変な眉毛だから!!”
 
 
 
  ”そんなことないよー! すげーかわいいのにー!”
 
 
 
  ”かわいくない! ”
 
 
 
  ”かわいいってー! ”
 
 
 
そして最後に、ショウタはシオリの教科書隅に描いたアレを筆で書きはじめた。
 
 
 
 
 
       ”(*´▽`*)Ф~~~ ”
 
 
 
 
 
『ちょっ!!!』  シオリが机に突っ伏して肩を震わせて笑った。
 
 
両手で顔を隠して、いつまでもいつまでもケラケラ可笑しくて堪らなそうに笑う。
背中に垂れた長い黒髪も、震える肩のリズムに小さく揺れ流れる。
必死に今日一日堪えていた笑い声が、蛇口が壊れたかのように溢れだしていた。
 
 
『それ、反則じゃない・・・。』 シオリが笑い過ぎて真っ赤な顔を向け、ショウタを見た。
 
 
 
 
 『・・・俺の、勝ちっ!』
 
 
ショウタが満足気にニヤっと口角をあげた。
 
 
 

■第19話 酸っぱいままが完成形

 
 
 
部活を終え、夕暮れの校舎を後にしたショウタとシオリ。
 
 
今日は前回のようにシオリを見失わないよう、ぴったりと後を引っ付いて歩いていたショウタ。

その様子にほとほと困り果て、仕舞いには観念せざるを得なくなったシオリ。
また自転車でバスを追い掛けられては堪らない。
 
 
ショウタは自転車を押して、シオリがいつも乗車するバス停まで並んで歩く。

次のバス時間を指でなぞって確認し、左手首につけた腕時計に目を落とすと丁度
先程バスは行ってしまったばかりで、次に来るのは30分後だった。
 
 
 
 『後ろ、乗んなって~・・・。』
 
 
 
ショウタが自転車の荷台に座ることを促すも、シオリはどこか困った顔で口ごもり
要領を得ない。 自転車にふたり乗りした経験は17年間で実は一度もなかったし
ましてや男子の自転車になど、どうしていいか分からなかった。
 
 
 
 『なら、歩こうぜ。 30分もボケっとしてんの勿体ないじゃん?』
 
 
 
そう言うと、ショウタが自転車を押して勝手に歩き出した。

どんどん先に進んでゆくその大きな背中をモジモジと足踏みするようにただ見つめ、
シオリがやっと声を上げ呼び掛ける。
 
 
 
 『ヤ、ヤスムラ君は自転車乗って帰りなよ・・・

  ・・・別に、私に付き合う必要ないでしょ・・・。』
 
 
 
すると、振り返りケラケラとショウタは笑った。
まるで愚問だとでも言うかのようにただやさしく笑い、『ほら、帰ろ!』 と顎で帰路を促した。
 
 
 
自転車のタイヤがゆっくり歩道を進み、小さな砂利をパチンと弾く。
ショウタの汚れたスニーカーと、シオリのよく手入れされ磨かれたローファーの靴底が
アスファルトを踏みしめ擦る音を立て進む。
タイヤが回転するカラカラという音がそれにまじり、静かな夕空に響いている。
 
 
シオリはチラリ。横目でショウタを盗み見た。

今日も上機嫌な感じで、その顔は朗らかに笑っている。
垂れ目で、頬筋は常に上がっていて、口角もきゅっと上向きで。
何故この人はこんなにいつもいつも笑顔なのか、考えあぐねる。
 
 
そして、 
 
 
 
 『ねぇ・・・ あの、青りんご・・・ ありがとう・・・。』
 
 
 
言おう言おうと思ってずっと言えずにいた一言を、やっと言えた。
 
 
『酸っぱいの好きな人なら、アレ、すげー旨いでしょ~?』 ショウタは嬉しそうに
頬を緩める。

そして、思い出し笑いをするように言った。
 
 
 
 『好きな果物 ”青りんご ”って言われて、

  俺、チョー 笑いそうんなったんだよね~・・・
 
   
  なんかさ、

  ”いちご ”とかー・・・ ”ぶどう ”とかー・・・

  ホヅミさんのイメージじゃない気がしててさ・・・。』
 
 
 
『イメージ?』 シオリがショウタを見つめて訊く。
 
 
 
 『ぅん。 イメージ・・・

  だから、”青りんご ”って言われて、

  まさにそれだー!!、って・・・

  ほんとは甘くなるくせに、酸っぱいままが完成形みたいな顔してるトコ。』
 
 
 
そう言うと、クククと肩を震わせてショウタが笑った。
 
 
 
 『なーんで人前で笑わないんだよ? ほんとはよく笑うんでしょ~?』
 
 
 
その言葉は決してからかう声色のそれではなく、なんだかあたたかくて心に沁みる。

思わずひた隠しにする本心が顔を出し、不貞腐れるようにシオリが俯いて目を逸らした。
そして、小さくぼそぼそ口を開く。
 
 
 
 『だって・・・

  なんか・・・ 勝手に ”笑わない ”とか ”大人しい ”とか

  イメージ持たれちゃって、それが固まっちゃって・・・

  ・・・もう今更、どうしようもないじゃない・・・。』
 
 
 
そう呟くシオリはまるで拗ねた幼いこどものようで、そんな一面もどうしようもなく
可愛らしくてショウタはどんどん緩んでいく頬筋をどうすることも出来なかった。
 
 
 

■第20話 再び現れたㇵの字の情けない困り眉

 
 
 
 『変なガマンとかしないでさ~

  可笑しいと思ったら、ガンガン笑ってけばいーんだって~

  それで全てカイケツだってば!!!』
 
 
 
いつも通り全く根拠のない自信満々なショウタの発言に、シオリは口を尖らせどこか
困ったような顔をして情けなく笑った。
ほんの少しだけ緩んだ口許がどうしようもなく恥ずかしくなり、足元に目を落とし
ローファーのつま先を見つめる。 黒髪が下げた頭と一緒に揺れてサラリと胸元に流れる。
 
 
すると、ショウタが一瞬の隙をついて片手を伸ばし、シオリの前髪をぐっと上げる。
その奥に、ㇵの字の情けない困り眉が現れた。
 
 
『ちょっと!!!』 慌ててショウタの手を払い、両手で前髪をガードしたシオリ。

鼻にシワまで寄せて、再び強引にウィークポイントを覗かれたことに不快感をあらわにする。
 
 
 
 『その、情けないまゆ毛見えてたほうがゼッタイかわいいってのー!』
 
 
 
かたや、呑気に微笑むショウタ。 ショウタの周りだけほのぼのとした空気が漂っている。
 
 
 
『もぉおおお!!!』 嫌だとあれほど言ってるのにまたしても眉を見られて、
遂に本気で怒ったシオリがサブバッグでショウタのお尻を殴った。

両手で持ち手を握ると、ボコボコとバッグをぶつけ続けるシオリ。
後ろ足に重心を乗せ放物線を描くような豪快なフォームはメジャーリーガー顔負け。
そんなパワープレイでボコボコと殴られて、可笑しくて可笑しくて笑いが止まらないショウタ。
 
 
仕舞いにはシオリもつられて、ケラケラ笑ってしまっていた。
その華奢な手からはすっかり力が抜けてしまい、体を屈めるように大笑いしている。
 
 
 
 『あのさ・・・

  カバンになに硬いモン入れてんの? ケッコー痛てぇわ・・・。』
 
 
 
笑いながらも殴られ続けたお尻を押さえ、しかめ面をするショウタに
『あ! 青りんごの容器・・・。』 シオリはその場にしゃがみ込んでバッグ内の
青りんごが無事か確認をした。
 
 
『良かった・・・ ダイジョウブそう・・・。』 ホッとした顔をしたシオリへ

『ぜんぜん良くねぇーわ。』 ショウタが尚もお尻をさすって笑う。
 
 
 
そして、顔を見合わせてケラケラ笑い合った。
いつまでもふたり、頬を赤くして笑い合っていた。
 
 
 
 
 
自宅に帰り、自室でバッグから青りんごが入ったプラスチック容器を取り出したシオリ。

今日は母親にはそれは渡さずに、そのまま持って部屋へ上がった。
玄関先で母親の『おかえり』 という声が聴こえたが、”青りんご ”というワードが
その口から出る前に慌てて自室に駆け込んでいた。
 
 
プラスチック容器を掴んだままベッドに腰掛ける。
そして、そっとフタを開けて萌葱色にツヤツヤ輝くそれを手の平に乗せ、じっと見つめた。
 
 
 
 
  シャク・・・
 
 
 
 
両手で大切そうに包んで、ひとくち齧り付いてみる。
 
 
爽やかに薫り、酸っぱさが口の中に広がった。
その後、ほのかに感じたやさしい甘味に、照れくさそうにシオリは目を伏せる。
 
 
 
胸がきゅっと、ほの痒く熱を帯びていた。
 
 
 

■第21話 窓から覗いた白く細い手

 
 
 
その日の昼休み明け、シオリのクラスは音楽の授業があり2-Cから音楽室へ
移動していた。
 
 
 
授業のときは、まず最初に起立したまま校歌を合唱する事からスタートするのが
音楽教師のいつものやり方だった。

昼食の直後で気怠く眠い面々は、誰ひとり真剣に歌う者などいない。
その生徒たちの態度に若干の不快感を感じた音楽教師は、『はい、最初から。』 と
一同が真面目に声を揃えるまで何度でもピアノを叩き前奏をはじめる。

そのヒステリックな空気に、苦い顔を向けていた2-Cの一同。
それはシオリも例外ではなくうんざりした顔を向け、ふと窓の外に目を向けた。
 
 
すると、グラウンドでは男子が体育の授業で野球をやっているようだ。

なんとなくぼんやりと塁に配置されるそのジャージ姿のナインを見ていると、
その中の一塁手がぴょこぴょこ跳ねながら、ちぎれんばかりに手を振っている。
 
 
 
 
  (・・・なに??)
 
 
 
 
思わずそれに目を凝らすと、それはショウタだった。
音楽室の窓にシオリの姿を見付けて、試合中だというのに嬉しそうに手を振り続けている。
 
 
 
 
  (よく見付けられるわね・・・。)
 
 
 
 
呆れたような感心したような顔を向け、シオリは口許を緩めて小さく笑った。
 
 
その時、『いい加減、真面目に歌ったらどうですか?!』 遂にヒステリックに
音楽教師ががなり立てた。

一瞬ビクっと驚いて体が跳ねるも、更に反抗するように気怠い空気を醸し出す一同。
まだまだこの起立した状態での合唱が終わらない気配を感じたシオリは、再び窓の外へ
目を向ける。

すると、まだショウタが手を振っているではないか。
 
 
 
 
  (まったく・・・ 集中しなさいよね・・・。)
 
 
 
 
俯いて、少し困った顔で小さく溜息をついたシオリ。

すると、少しだけ手を挙げ窓の外の一塁手に一瞬手を振った。
白く細い指先が、照れくさそうにかすかに揺れる。
 
 
途端に恥ずかしくなって、すぐ手は下ろして後ろ手に組んだ。
 
 
 
 
   頬がジリジリ熱くなる・・・
 
 
 
 
 (別に・・・ 挨拶、みたいなもんだし・・・。)
 
 
なぜか必死に心の中で、自分に言い訳を繰り返す。
心臓がどきん どきんと打ち付け、胸の奥がせわしなく高鳴る。
 
 
 
すると次の瞬間、グラウンドから突然なにやら騒がしい声が響いてきた。
音楽室の面々も一斉に窓の外へ目を向ける。

そこには、グラウンドのファーストベースにうずくまる姿があった。
腕を押さえ苦しそうに顔を歪めている。

シオリから手を振り返され舞い上がったショウタが、一塁にクリーンヒットで飛んできた
打球を左腕に直撃させ、痛みに悶えていたのだ。
 
 
 
 
  (なにやってんのよ、まったく・・・。)
 
 
 
窓ガラスに貼り付いてしかめ面をしたシオリが、心配そうにその姿を見つめていた。
 
 
 

■第22話 穏やかな整形外科医

 
 
 
ショウタは体育教師に連れられ、近所の総合病院にやって来ていた。
 
 
整形外科の診察室に通され、苦しそうに左腕をかばうショウタが促され丸イスに掛ける。
発生状況や痛み具合、腫れや変色を確認した後、レントゲンをとる為に移動した。

大学病院ほど大きい訳ではないけれど、さすがに総合病院というだけあってどこも
かしこも病人だらけで混雑していて、ショウタの治療もやたらと時間がかかった。
看護師に包帯を巻かれアームリーダーで固定されると、再び整形外科医の前に座らされる。
 
 
レントゲン写真を見ながら左腕の状態の説明をするその担当医は、とても穏やかで
やわらかい雰囲気の医者だった。

パリっと清潔感のある白衣。 ネックストラップに院内連絡用の携帯電話がぶら下がっている。
まだ年の頃は20代後半といったところだろうか。
メガネの細縁の上に見え隠れするハの字の頼りない眉が、そのやわらかさを助長している。
 
 
何気なくショウタは白衣の胸のネームに目を向けた。
しかし幅広なネックストラップと胸ポケットに差したペンに遮られ、名前は見えなかった。
 
 
すると、
 
 
 
 『そのジャージって、日の出高校・・・ ですよね?』
 
 
 
整形外科医が口許に笑みをたたえながら、ポツリと訊く。

右手にペンを持ち、それを左手の平にトントンと打ち付けながら。
イスがくるり回転して、ショウタと向き合う形になった。
 
 
『あ、そうです。』 返事をしたショウタへ、少し目を細めて医者は言った。
 
 
 
 『僕の妹も、日の出高なんですよ。』
 
 
 
こんな偶然もあるのかと、ショウタが嬉々として丸イスから少し身を乗り出した。
 
 
 
 『何年生? なんて名前ですか? 

  俺、2年なんですけど・・・ 知ってっかな??』
 
 
 
すると、そのハの字の困り眉がやわらかく言った。
 
 
 
 『2年ですよ、ヤスムラ君と同じ・・・

  分かるかな~? ホヅミ。 ホヅミ シオリってゆうんですけど・・・。』
 
 
 
 
『ええええええええええええ?????』 ショウタの叫び声が院内に響き渡った。
 
 
 

■第23話 青りんごの子

 
 
 
ホヅミ家のリビングで、母親と整形外科医の兄ユズル、そして従兄弟のコウ3人で
夕飯後のお茶をゆったりと楽しんでいる。

コウはホヅミ家近くにある医大に通っていて、頻繁に顔を出していた。
シオリにとってはユズルの他の、もう一人の兄のような存在だった。
 
 
そこへ、塾終わりのシオリが帰宅した。 玄関ドアがバタンと開閉する音が響く。

『ただいまぁ~』 リビングに軽く声をかけ、そのまま2階自室に上がろうとして
『ぁ、コウちゃんいらっしゃい。』 と一言付け足した。
 
 
 
制服から部屋着に着替えてリビングに下りると、兄ユズルが思い出し笑いをするように言う。
テーブルに両肘を乗せマグカップを両手に持って、丸める背中は乙女のようなそれ。
 
 
 
 『今日、お前の学校の子が整形に来てたぞ。』
 
 
 
『へぇ。』 さほど興味がない感じを隠しもせず、シオリは付けっ放しのテレビに目を向ける。

母親が温めてくれた夕飯をリビングテーブルについてひとり食べ始める。
本来はキッチンのテーブルで食べるのだが、塾終わりでシオリひとりの夕飯時は
テレビを見ながら食べるのが常になっていた。
 
 
 
 『なんかさ~・・・

  体育の授業中に、好きな子に見惚れてケガしたとか言っててさぁ~・・・

  青春だなぁー!!! もうそんな甘酸っぱいの、ナイよなぁ~・・・

  なんかそれ聞いて、僕、キュンとしちゃってさぁ・・・』
 
 
 
兄ユズルが遠い目をしてうっとりと話している。

相変わらず両肘ついているそのポーズで、頬を両手で包んで小首を傾げまさに乙女。
母親が頬に笑みをたたえて『あら!いい話ねぇ・・・。』 と兄ユズルと同じ顔で言う。 
 
 
すると、一緒に笑っている従兄弟コウに目を向け、
 
 
 
 『コウは、大学生だからまだまだ甘酸っぱいのあるだろ~・・・

  いいなぁ~・・・ 若いって、いいよなぁ~・・・』
 
 
 
コウは、苦笑いをして一瞬シオリへ目線を向ける。
シオリは夕飯に目を落とし、その表情はよく見えなかった。
 
 
そして、『ユズル君だってまだ20代じゃん? ほら、ナースとかでいないの??』
 
 
 
 『ウチの看護師なんか四半世紀は軽く勤めてるオバチャンばっかなんだよ!!

  父さんに言って、少し若い子入れてもらおうかな・・・。』
 
 
 
そして、ひとりでベラベラよくしゃべる兄ユズルは
『モテ期再来しないかなぁ・・・。』 と心の底からの叫びのように呟いた。 
 
 
 
その時、シオリはひとり俯き眉根を寄せてかたまっていた。
 
 
 
 
  (え・・・・・・?

   ウチの病院に行ったのって、ヤスムラ君・・・??)
 
 
 
 
すると、ショウタの話題はもう終わったかと油断しかけたシオリへ、兄は思い出したように続ける。
 
 
 
 『シオリ知らないか? 同じ2年生だって言ってたぞ、その子。

  その子はお前のこと知ってるっぽかったけど・・・。』
 
 
 
ギョッとするシオリ。 もうこの話題はやめてほしいのに、兄ユズルは尚も続け口を閉じない。
余程ショウタの青春話が気に言った様子だ。
 
 
『ぇ、ぁ・・・ どうだろ?生徒いっぱいいるし・・・。』 適当に誤魔化したシオリ。

十中八九、その青春話の ”好きな子 ”が自分だということはなにがなんでも家族に
知られたくない。
 
 
すると、
 
 
 
 『先生も青りんご好きですか?って訊かれたんだよねぇ・・・

  なんか、八百屋らしいよ。 その子の実家・・・

  なんでピンポイントで ”青りんご ”なのかよく分かんなかったんだけど。』
 
 
 
 
    ガタンッ!!!
 

動揺したシオリが両手に掴んでいたマグカップを倒し、食後用に母親が淹れてくれた
お茶をテーブルの上にこぼした。
 
 
 
 
  (なに余計なこと言ってんのよ・・・ あのバカ・・・。)
 
 
 
 
そして、ソロリ。恐る恐る母親の方を盗み見る。

”青りんご ”というワードに、どうか気付きませんようにと心の中で神様・仏様・お母様に祈る。
しかし、母親はシオリがこぼしたお茶を拭くために、キッチンに布巾を取りに立ち
リビングに戻るとそれをシオリに渡しただけだった。
 
 
『お茶淹れなおす?』 と訊き、例のワードについては引っ掛かっていない気配。
 
 
心の底からホッとしたシオリ。
布巾でこぼしたお茶を拭きながら、このままこの話題はフェイドアウトしようとしていた時
 
 
 
 『シオリも最近、青りんご持って帰って来るわよねぇ~?』
 
 
 
一拍、否。 三拍ぐらい遅れてマイペースな母親が口にした。
 
 
『アレも貰いものなんでしょ~?』 全く悪気のない、天然な母親からのその一言。

母親と兄ユズルは、顔もそっくりだが性格もよく似ていた。
ふたりは世に言うところの ”天然 ”で、シオリにとっては謎の言動が多いふたりだった。
 
 
 
 
  (お兄ちゃんがどうか気付きませんように!!!)
 
 
 
 
天然な兄のことだ。
どうか気付かずに流してくれる事を祈るも、こうゆう時だけやたらと敏感なもので。
 
 
 
 『え?! 青りんご?? それって・・・・・・・・。』
 
 
 
そして兄ユズルは、キラキラした目で満面の笑みで言った。 胸を張って言い放った。
 
 
 
 『あの子の好きな子って、もしかして・・・ お前かっ???』
 
 
 
『あら! そうなのっ?!』 母親も身を乗り出す。

そして、『なんか毎日毎日青りんご1つ貰って来るのよねぇ・・・。』 と頬を染める母。
 
 
 
『シオリが青りんご好きだから、って事よね?! 素敵だわぁ~・・・』 娘の話に
自分を投影して、過ぎし日の甘酸っぱい胸の高鳴りを思い出している様子で。
 
 
『違うから!』 シオリは真っ赤になって席を立ち、自室に戻ろうとした。

恥ずかしすぎて、そのままリビングになんて居られそうになかった。
それでなくとも、多感な年頃で家族、特に兄になど ”そうゆう系 ”の話はしたく
ないというのに。
 
 
不機嫌そうに乱暴に足音を立てリビングを出て行く背中に、兄ユズルは言った。
 
 
 
 『ただのヒビだけど、アレ結構痛いと思うから声掛けてやったら~?』
 
 
 
その声色は、面白がって分かりやすくからかう感じのそれで。
シオリは無視をして更に苛立つ足音を立て階段を上がった。
 
 
 
コウだけが、そんなシオリの後ろ姿を何も言わず見つめていた。
 
 
 

■第24話 送信ボタンに触れた指

  
 
 
  (バカなんじゃないの? ほんと・・・。)
 
 
 
兄ユズルに余計なことをベラベラ話したショウタに、シオリは怒り心頭だった。
 
 
 
 
  (なにをどう考えても、青りんごの件はあり得ないっ!!!)
 
 
 
 
沸々と湧き起こる怒りと共に、あの情けなくえへへと笑う呑気な顔も浮かぶ。

そしてなにより、病院なんて他にも腐るほどあるし整形外科医なんて
他にもたくさんいるのによりによってピンポイントのそれに、ショウタの責任
ではないと分かってはいても、全てこの件に関してはショウタに対して
怒りが湧く。
 
 
 
 
  (そもそもボケっと余所見してるのが、悪いんじゃない!!!)
 
 
 
 
そう心の中で悪態つき、ふと、余所見した理由を思った。
 
 
 
 
  (私が・・・ 手ぇ振り返したからか・・・。)
 
 
 
 
自分があの時手を振り返さなければ、ショウタも大人しく試合に集中して
いただろうし、腕をケガしなかっただろうし、痛い思いなんかしなくて
済んだのだ。
 
 
 
  ”ただのヒビだけど、アレ結構痛いと思うから ”
 
 
 
兄ユズルの一言を思い出していた。
 
 
ベッドに腰掛け、手を伸ばしてサイドボードの上の充電中のケータイを掴む。

暫し背中を丸めてそれをただじっと見つめていた。
指先を少しだけ動かすと、登録一覧が表示される。
一番最初 ”あ行 ”の中の、トップバッターにその名前がある。
 
 
 
 
    ”明るく元気なストーカー ”
 
 
 
 『ダイジョーブ?って一言ぐらいメールしてあげてもいいか・・・。』
 
  
 
ぽつり、ひとりごちる。
 
 
『だって、ほら!いつも、青りんご貰ってるし・・・。』 必死にメールを
する理由を自分で自分に説明しているシオリ。
 
  
 
 『私にもまぁ、ほんのちょっとは責任あるし・・・。』 
 
  
 
躊躇いながらも両手でケータイを掴み、指先でポチポチと打ち始めた。
 
 
 
  ”ホヅミです。

   ケガ、大丈夫? ”
 
 
 
『あまりに素っ気ないかな・・・。』 打ったメールを消去する。
 
 
 
  ”ホヅミです。

   こんばんは。

   腕にヒビが入ったって兄から聞きました。

   だいぶ痛むの? 大丈夫?

   心配してます。

   余所見させてごめんね。 ”
 
 
 
『長い!! ・・・ってゆうか心配しすぎ!!!』 ひとり赤くなり
アタフタして慌てて消去。
 
 
 
  ”ホヅミです。

   腕にヒビが入ったって聞いたけど、大丈夫?

   痛いならあんまり無理しない方がいいよ。 ”
 
 

 『ん~・・・・・・・。』
 
 
なんだかしっくりくるメール文章が作れず、ベッドにゴロンと仰向けになった。

ジタバタとベッドでもがき、うつ伏せになってもう一度ケータイを見つめる。
口をぎゅっとつぐみ、その刹那、大きく大きくひとつ溜息をついた。
 
 
そして再び仰向けに寝転がり、両手で掴んだケータイをじっと見ていた。
そして、指先をスライドさせて、もう一度メールを打ちはじめた。
 
 
 
  ”ホヅミです。

   ケガの具合は大丈夫?

   一応、心配してます。 ”
 
 
 
『 ”一応 ”は入れない方がいいかな・・・。』 ひとりごちた瞬間、
ドアを2回ノックする音が聴こえ、従兄弟のコウが『シオリ~?』と
開けて入って来た。

その音に驚いてベッドから起き上がった瞬間、ケータイを握ったままの指は
≪送信≫ボタンを触ってしまった。 

メールが送信されたメロディが ♪チロリン。鳴る。
 
 
 
 
 
 『あああああああああああああああああああああああ!!!!!!』
 
 
 
シオリが頭を抱えて、うずくまった。
 
 
 

■第25話 慌てふためくその姿

 

 
突然、聞いたこともないような雄叫びを上げたシオリにコウは慌てて駆け寄った。
 
 

 『え?? なに、どうしたの??』

 

ベッドの上にぺたんこ座りをして頭を抱え込み、オロオロとなんだか酷く
慌てふためくその隣に腰掛けてそっと覗き込む。

そしてシオリの背中に手を置くと、『大丈夫か?』やさしくトントンと叩いた。

 
すると、すぐさまメール着信のメロディが響いた。

『ヒっ!!!』 喉の奥から今まで出したこともないような呼吸音が出た。
ビクっと飛び上がり後退りすると、思わずケータイを放り出したシオリ。
 
 
 
 
  (へへへへ返信早すぎるじゃない!!!)
 
 
 
 
真っ赤になってまるで泣き出しそうな困り顔をしているシオリを、
コウは首を傾げて見ていた。

そして、コウの足元に放られたケータイを拾い、ふと画面に目を遣ると
そこには ”エラー ”の表示。
 
 
 
 『アドレス不明でエラーで戻ってきてるよ?』
 
 
 
ケータイを掴む手を『ほら。』 とシオリへ伸ばすと、うな垂れていたその顔を
ガバっと上げてケータイを引っ掴み、慌ててそれを確認する。

そして、ケータイを胸に抱いて『良かったぁ・・・。』 と心の底からホッと
した顔をした。
 
 
『ん~?』 笑いながらシオリを見つめたコウ。

いつも冷静沈着なシオリがこんなに取り乱す姿なんて、こどもの頃からの
長い付き合いだがあまり見たことが無かった。

赤く頬を染めてツヤツヤの髪を振り乱しコンパクトに体育座りをして、
ケータイを握りしめながら安堵のような困ったような怒ってるような顔を
している姿に、直感で先程リビングでユズルから話が出た噂の ”青りんご君 ”
が関連しているのだと気付いたコウ。
 
 
 
 『 ”青りんご君 ”にメールしたの・・・?』
 
 
 
やさしい声色で、訊く。

ホヅミ家系の色が強いシオリは、コウとはどこか似ているものがあった。
シオリの母親と兄ユズルは、母方のそれが強かった。

からかっているつもりはなかったのだが、クールな血が色濃いはずのシオリは
分かりやすく不機嫌顔を向ける。
 
 
思わずクククと笑ってしまう。
なんだかそんなシオリを見ていたら、心の奥底から不思議な感情が湧いてきた。
 
 
 
 『毎日シオリが好きな青りんごくれて、

  シオリに見惚れてケガしちゃうんだから、

  ・・・その彼、随分な惚れ込みようだね~?』
 
 
 
もうこの話は続けたくないのに、コウは珍しくそれをやめようとしない。
母親や兄と違い、敏感に ”空気が読める ”人なはずなのに。
 
 
『ぁ。付き合ってる、とか・・・?』 更に深く突っ込んで訊いてくる従兄弟の
横顔にシオリは思い切りしかめっ面を向けて言い放った。
 
 
 
 『用がないなら、出てってよ!! もう寝るんだからっ!!!』
 
 
 
コウがふと壁にかかる時計に目を遣ると、まだ時刻は9時だった。

肩をすくめてクククと笑うと、『ごめんごめん、おやすみ。』 と立ちあがり
背中で言う。
 
 
そして、部屋を出てゆく瞬間、小さく振り返りぽつりと呟いた。
それは、どこか冷たい声色で。
 
 
 
 『シオリの相手は、医者じゃなきゃ認められないんだよ。』
 
 
 

■第26話 少し怒ったような顔

 
 
 
翌朝、教室に入ると相変わらずシオリの机の上には、いつもの青りんごがあった。
 
 
もしかしたらケガをしたショウタは学校を休むのではないかと思っていたシオリ。
出て来ている事に驚き、そして少し安心していた。
 
 
 
 
  (どうしよう・・・ 様子、見に行こうかな・・・。)
 
 
 
 
机の上にカバンを置き青りんごを掴んだまま、ショウタの2-Aへ行こうか行くまいか
モジモジと悩んでいたシオリの耳に、『ホヅミさぁぁあああん!』 といつものそれが聴こえた。
 
 
思わず勢いよく顔を上げ、教室の戸口に目を向ける。

すると、左腕をアームリーダーで吊って固定しているが、元気そうにいつもの朗らかな
顔で笑うショウタがそこに佇んでいる。 
 
 
ショウタの元まで小走りで駆けると、シオリは怪我をしていない右腕を掴んで引っ張り
いつもの階段裏まで促した。

せわしなく階段を駆け上がる足音が小さな空間に反響して、踊る。
シオリはホームルームが始まる時間を少し気にして、腕時計に目を一瞬落としつつ
少し怒ったような顔をして、ショウタを眇める。
 
 
 
 『ちょっと、ダイジョウブなの・・・?

  バカみたいに余所見なんかするから、まったく・・・。』
 
 
 
すると、心配されたことに嬉しそうにデレデレと頬を緩めるショウタ。

『喜んでんじゃないわよ! こっちは怒ってんの!!』 睨んで口を尖らすも、
更にショウタの頬はだらしなく緩む。 『えへへ』 といつもの情けない笑みをこぼした。
 
 
 
 『あ! あのさ、色々話したいことがあるんだけど・・・。』
 
 
 
ショウタが口を開いた瞬間、廊下に始業のチャイムが鳴り響いた。

一気に廊下が騒がしくなり、教室へ向け駆け込む小走りする足音や靴箱から猛ダッシュで
駆けて来る遅刻ギリギリの切羽詰まったような足音が聴こえる。

ホームルームがはじまる。 教室に戻らなければならない時間だ。
 
 
『じゃ、放課後にね!』 そう言って、シオリは軽く手を上げパタパタと廊下を
駆けて戻って行った。

今日も美しい長い黒髪が、走るリズムにやさしくたゆたう。
シオリの内履きのゴム底が廊下床にすれて小さく音を立てる。
 
 
 
ショウタは目を丸くして、その背中を見送っていた。
はじめてシオリから言われたその言葉。 ”放課後にね ”
 
 
早く教室に戻らなければならないというのに、耳がジリジリと熱くなって
その場から動けなくなっていた。
 
 
 

■第27話 とびきり情けない顔

 
 
 
その朝の ”放課後にね ”以来、ショウタは心臓がバクバクと超特急で打ち付け
何をするにも集中出来ずにいた。
 
 
自席のイスに浅く腰掛け首を反らせて、口は半開き。

左腕を吊り上げたまま延々ボ~っと天井を見ているその姿に、クラスメイトも担任教師も
ケガの影響かと誰も指摘せずに黙って放置していた。
 
 
 
   ”じゃ、放課後にね! ”
 
 
 
シオリの口から出たその言葉を、何度も何度も頭の中で反芻する。

まるで当り前のように、あの薄くて形のいい艶々の唇はそう言った。
ショウタに向かって、そう言ったのだ。
 
 
『放課後・・・に、ね・・・。』 まだ呆けた状態のまま、ひとりごちてみる。 
 
 
おまけに、今までは心の中で思っていても口には決して出さず、不機嫌な顔をするだけ
だったシオリがハッキリと『怒ってるの!』 とショウタに向かって表現した。

少し口を尖らして、華奢な白魚のような手はグーに握って。 それがまた可愛らしくて。
 
 
 
考えれば考えるほど、どんどん頬は熱くなる。

手の平で風を送ってはみるが、微風しか作れないそれ。
ふと、机の中にうちわがあった事を思い出して取り出し、顔を仰いだ。

扇ぎながら、シオリの前髪に風を送って怒られたことを思い出し、にやけ笑いをする。
なにをしてもシオリを思い出してしまって、結局ショウタはガバっと机に突っ伏し
机の下に幅いっぱいに存在感を示す脚は、落ち着きなく高速で貧乏揺すりする。
 
 
結局シオリを頭の中から追い出すのは、諦めた。
 
 
 
 
放課後にいつもの西棟で話をする約束はしたのだが、放課後まで待てなくて昼休みにも
シオリの2-Cをこっそり覗いてみたショウタ。
 
 
 
 
  (うざいって嫌な顔されるか、さすがに・・・。)
 
 
 
 
戸口で目だけ出して教室内をそろり覗き込むと、シオリはクラスの女子と話をして
いるようで、なんだか愉しそうなその様子に邪魔をしては悪いかと踵を返して
きた道を戻ろうとした。
 
 
その時、一瞬教室戸口にショウタの背中が見えた気がしたシオリ。

席を立ちあがってパタパタと小走りで扉まで行き、顔を出して廊下を眺めると
やはり戻ってゆくショウタの背中が見える。 背中にもまわした腕のリーダーの白色が
やけに目立って目に付くその後ろ姿。
 
 
 
 『ヤスムラく~ん・・・?』
 
 
 
扉から更に身を乗り出して呼び掛けると、ショウタがその声にもの凄い勢いで振り返った。

呼び掛けられたことに驚き過ぎてその場でかたまり、棒立ちしている。
その様子に小首を傾げるシオリ。 なにかあったのか、ほんの少し心配になっていた。
 
 
すると、大慌てでショウタが走ってやって来た。
左腕が振れないため早くは走れず、走りづらそうなそのフォーム。
 
 
『用事あった?ウチのクラス来てたでしょ・・・。』 そう言ってまっすぐシオリに
見つめられショウタは思わず泣きそうになってしまった。

いつもの情けない顔を、更に情けなく歪めている様子に慌てるシオリ。
覗き込むように小首を傾げ、頭ひとつは背の高いショウタを見上げる。
 
 
 
 『あ、もしかして・・・ 痛いの??

  ・・・痛み止めちゃんと飲んだ? 飲まなきゃダメだよ!』
 
 
 
すると、口をぎゅっとつぐみ首をぶんぶんと横に大きく振るショウタ。
いまだ、とびきり情けない顔を向けたまま。
 
 
そして、やっと絞り出した『ダイジョーブ・・・。』 という一言を喉の奥から発すると
暫くシオリの顔を穴が開くほどじっと見つめた。
 
 
『放課後に。』 そう小さく呟いて、そのガタイのいい体はシオリに背を向けて
自分の教室へ戻って行った。
 
 
 
なんだか頼りなく見える猫背の大きな背中を、シオリはぼんやりと見ていた。
 
 
 

■第28話 ちゃんとしたアドレス

 
 
 
放課後になり、シオリは机上にカバンやサブバッグを置き帰り支度を済ませて
ショウタがやって来るのを待っていた。

座っていたイスから立ちあがり、カバンの取っ手を掴んで今にでもすぐに
帰ることが出来る状態。
 
 
そろそろ来るはずだと、チラチラ教室後方ドア付近を気に掛けて見ている。
しかし、いつもならもうとっくに来ているはずなのにショウタは現れない。
 
 
 
 
  (なんかあったのかな・・・。)
 
 
 
 
暫しその場で持ち手を掴んだり離したりを繰り返し、やはり気になってショウタの
2-Aまで行き、こっそり教室内を覗いてみたシオリ。

わずかに体を傾げ顔だけ出して中を眇め、ショウタの姿を探す。
今日もツヤツヤの黒髪が重力に従い垂直にしっとり垂れ、たゆたう。
 
 
すると、急に背中をポンっと叩かれ驚いて飛び上がった。
慌てて振り返ると、そこにはショウタの姿。 にこにこ朗らかにいつもの笑顔を向けている。

『迎えに来てくれたの~?』 嬉しそうに口角を上げるその顔が、どんどん赤くなって
ゆくのを目の前で見ていたら、シオリまで急激に恥ずかしくなってしまった。
 
 
 
 『別に・・・ そうゆう訳じゃない、けど・・・。』
 
 
 
慌てて目を逸らしモゴモゴと口ごもると、
 
 
 
 『いや~、やっぱ片手が使えないとさ・・・

  便所いくのが大変なんだよね~ ほら、いつもは・・・』
 
 
 
トイレでの所作を再現しようとするショウタに、『き、聞きたくない!』 手を伸ばしてやめさせ
シオリは赤い顔をしていつもの西棟へ向け、ひとりでずんずん足音を立て歩き出した。
 
 
肩をそびやかすその華奢な背中にクククと目を細め笑って、ショウタもその後に続いた。
 
 
 
 
 
相変わらず静まり帰った西棟の理科室前で、廊下の壁に背をもたれてシオリが立つ。
ショウタはその隣にしゃがみ込んでいた。

そんなふたりの間には、ひとり分の微妙な距離をつくって。
 
 
 
 『たまたま行った病院がホヅミさんトコのでさ~・・・

  おまけに、看てくれたセンセーが、ホヅミさんのお兄さんで。

  まじ、ビビったよぉ~・・・』
 
 
 
ショウタはなんだか愉しそうに上機嫌に話す。
兄ユズルの頼りないハの字眉を思い出し、本当に兄妹なのだと思い出し笑いする。
 
 
 
 『私も昨日、兄から聞いてビックリした・・・。』
 
 
 
青りんごの件でからかわれた事は、恥ずかしいから口にするのはやめておいた。

余計なこと言うなとピシャリとキツく責めたいところだが、腕を吊る痛々しい姿を
実際目にしたらそんなことは言えなくなってしまっていた。
 
 
『ダイジョウブなの・・・?痛い?』 少し体を屈めて、しゃがんでいるショウタを見ると
『痛み止め飲んでるから、ヘーキ。』 えへへと頬を緩める。
 
 
すると、シオリが言おうかどうしようか暫く迷いながら、小さくぽつりと言った。
 
 
 
 『ねぇ・・・ 前に、

  半紙にアドレス書いたの貰ったじゃない・・・?』
 
 
 
『ん?』 ショウタが目線だけで返事をする。
 
 
『アレ、汚すぎるのよ!』 怒ったような顔で口を尖らすシオリ。

ショウタは言われている意味が分からずに、黙って二の句を継ぐのを待っていると
シオリは一気にまくし立てるように赤い顔をして早口で言った。
 
 
 
 『ほら、ヤスムラ君のケガは、ちょっと私にも責任あるってゆーか・・・

  私もちょっと絡んでるから、だから、ちょっと気になって、

  で。 昨日メールしようと思ったら、なんかエラーで戻って来ちゃって・・・

  ほんと、もっとちゃんとキレイに書いてくれないと、

  緊急でなんか連絡しなきゃいけない時に困るから、ほんと・・・

  ほんと ・・・・こ、困るんですけど・・・・。』
 
 
 
息継ぎなしで一気に言い放ったシオリは、顎を上げて上の方を見つめせわしなく瞬きをしている。

それをショウタは呆然と見つめていた。
頭の中でたった今言われた言葉を繰り返し繰り返し巡らせ、その意味をはかる。
再び、心臓がバクバク超特急で走り出し、全身がカッカするほど熱くなってゆく。
 
 
『メ、メール・・・くれたんだ・・・?』 やっと出た声は、か細くて弱々しい。
 
 
『いや、だから・・・ 私にも責任あ・・・』 慌てて言い掛けたシオリへ、ショウタは
 
 
 
 『・・・まじか・・・ 

        ・・・・めちゃ、くちゃ・・・ 嬉しい・・・。』
 
 
 
まるで溜息のように、呟いた。
それは心の底から出た言葉のようで、泣いているのかと思うほど震えていた。
 
 
その声色を聞いたらなぜかシオリまで胸にこみ上げるものが溢れ、ちょっと泣きそうに
なってしまった。
慌ててひとつ息をついて呼吸を整えると、ショウタの隣に同じようにしゃがみ込み
カバンからケータイを取り出したシオリ。
 
 
 
 『・・・ほら、教えてよ。 ちゃんとしたやつ・・・。』
 
 
 
すると、ショウタが潤んだ目で慌ててケータイを掴み、指先で自分のアドレスを表示する。

ケータイを掴む互いの手が触れ合いそうな、その距離。
ふたり、照れくさそうに指先で操作していると、ショウタの目にシオリの既存登録画面が
目に入った。
 
 
 
 
   ”明るく元気なストーカー ”
 
 
 
 
『ちょ・・・。』 それを指差し、真顔でまっすぐシオリを見つめる。
 
 
 
 『 ”や ”でしょーが! なんで ”あ ”に登録しちゃってんの~?!』
 
 
 
すると、シオリがぷっと吹き出した。
そして津波のようにどんどん押し寄せる可笑しさに、声を上げてケラケラ笑う。
つられてショウタも大笑いした。
 
 
ふたりで、西日が差し込む静かな廊下にしゃがみ込み、ずっと笑っていた。
 
 
 
なんだか、とても心地がいい時間だった。
互いのケータイに、やっとのことで互いのアドレスが登録された。
 
 
 

■第29話 毎日一緒に

 
 
 
 『ねぇ、今日はバスで来たの・・・?』
 
 
”勿論バスで来たんだよね? ”という愚問のニュアンスを込めて、シオリが訊く。
 
 
 
『え? いつも通りだよ?』 そのあっけらかんと返す顔に、大きな溜息が漏れる。

頭のどこかでは、どうせ自転車で来ているのだろうと思っていた。
しかし、さすがに片手が全く動かせない状態の中、もし急ブレーキをかけなければ
ならない状況になったりしたら危ないし、バランスだって取れないし・・・とシオリが
必死に考えているのに、隣にしゃがみ込むその善人顔はお気楽にケータイに登録された
シオリのアドレスを眺めてニヤニヤし続けている。
 
 
 
 『ねぇ・・・ 危ないと思わない?

  片手で運転して、もしなんかあったら・・・

  両手ケガしちゃったら、もうアウトよ?!』
 
 
 
 『でもさ~・・・ 少なくとも今日はチャリで来ちゃったし・・・

  置いて帰る訳にもいかないし、かと言って押して帰るのダリぃし・・・。』
 
 
 
すると、シオリが俯いて暫し考え込み、急にバッと顔を上げた。

なにかが思い浮かんだのだが、それを言おうか言うまいか悩んでいる様子で。
しかし、腹を決めて小さく小さく呟いた。
 
 
 
 『私・・・ 今日、塾なんだけど・・・。』
 
 
 
『ぁ、ん・・・ 水曜だもんな。そろそろ時間・・・?』 ショウタが腕時計を見ようと
して左腕は吊られていた事を思い出し、右手首に目を遣った。

『だから・・・。』 言わんとする意味が分かっていないショウタへ、少し苛立った
口調でシオリが言った。
 
 
 
 『塾まで・・・ 送ってくれない・・・?』
 
 
 
『えっ???』 シオリからのまさかのリクエストに、驚きすぎて頭を反らせた瞬間
壁にゴツンとぶつけた。 鈍い音が静かな廊下に木霊する。
 
 
 
 『歩いて、って事だからね?

  自転車にふたり乗りじゃなくて、押して歩いて帰るの! ・・・分かる??

  そのケガには私にも責任ない訳じゃないから、って、意味で・・・。』
 
 
 
言い訳するように滑稽なほど必死に、シオリが早口で言う。
 
 
 
コクンコクンコクン。目を見張り、高速で首を縦に振るショウタ。

嬉しすぎてどんどん顔は赤く染まり、耳まで真っ赤にしているその横顔はあまりにも
素直で純粋で分かりやす過ぎて、その流行り熱はいとも簡単にシオリに伝染する。
 
 
『もう・・・ 手間かけないでよね・・・。』 膝を抱えるように背中を丸め赤い顔を
隠しながら呟いたシオリへ、ショウタが照れくさそうにえへへと笑う。
 
 
 
 『さ~せぇええん・・・。』
 
 
 
『明日からはバスか歩き、ね?!』 しつこく念押しされ、ショウタはケラケラ笑って
『分かった分かった。』 と嬉しそうに頬を緩める。
 
 
『まったく・・・ ちゃんとチェックするからね!』 目を眇めて、ジロリ。
 
 
 
 『じゃあさ・・・。』
 
 
 
ショウタが、座り込んで床に投げ出している内履きの少し汚れたつま先をじっと
見つめながらシオリの反応を気に掛けつつ、小さく、どこか自信なげに呟いた。
 
 
 
 『じゃぁ、毎日一緒に帰ろうよ・・・。』
 
 
 
 
 
   熱い。

   熱い。

   顔も耳も首も、体も。

   全部が一気に、急激に、熱い。
 
 
 
 
 
今まで廊下に響いていたふたりの笑い声がまるで嘘だったかのように、瞬時に消えて
なくなった。
互いの呼吸する音と、遠く向こうで響いている足音がかすかに聴こえるのみ。
 
 
『・・・ダメ?』 恥ずかしくて不安で、どこか怖くて。 シオリの方を向けない。
 
 
シオリはなにも言わない。
黙りこんだまま、膝に顔をうずめて小さく丸まっている。
 
 
『やっぱ・・・ ダメか。』 情けなくえへへと笑ったショウタへ、シオリが言った。
 
 
 
 
 『・・・考えとく。』
  
 
 

■第30話 ショウタが育った商店街

 
 
 
『・・・考えとく。』 と消え入りそうな声で呟いたシオリが、ガバっと顔を上げる。
 
 
 
 『と、取り敢えず・・・

  今日は塾があるから、もう帰る!!

  ・・・ほら! 自転車押して帰るよ!!』
 
 
 
ショウタがしゃがみ込んでいた床からヨロヨロと片手で立ち上がるのも無視して
照れくさそうに不機嫌そうに、シオリはカバンを掴みひとりでどんどん廊下をゆく。
 
 
その後ろ姿を頬を緩め笑いながらショウタが慌てて追い掛けた。

早歩きのようにすごい勢いで廊下を進んでゆくシオリの歩幅は、近付いてくるショウタの
足音を耳に少しずつペースを落とし、ショウタが追い付いた時には通常のそれになっていた。

ふたり、並んで放課後の廊下を歩いていた。
 
 
 
 
校舎裏手の駐輪場。

部活動がある生徒はまだまだ校舎に残っているため、結構な数の自転車が停まっている。
それは飼い主を待つ犬のように、どこか寂しげでどこか退屈そうだ。
 
 
ショウタが体を屈めて片手で自転車の鍵を開錠しようとするも、ループチェーン式の鍵は
不安定に動いてしまって中々鍵が開けられない。

それを一瞥し、シオリが無言で鍵を奪うと即時にカチャンとそれをはずす。
”鍵も開けられないくせに ”という念を送るように、ショウタを睨むシオリ。

『さ~せぇん。』 ショウタはバツが悪そうに頬を緩めた。
 
 
 
自転車を押しながらふたりで校舎脇の通学路を歩く。

緑色フェンスの奥のグラウンドでは野球部が白球を追い、上げる掛け声がまだまだ
明るい青い空に吸収される。

それを横目に見ながら歩くふたりの微妙にあいている距離は、”一緒に帰っているように
見えなくもない ”程度でしかない。
それでもショウタにとっては嬉しくないはずもなく、デフォルトで下がった眉が更に
情けなく下がり頬も緩みっぱなしだった。
 
 
やたらと舞い上がっているショウタは、息継ぎも忘れてしゃべり続けていた。
自分の話だけに留まらず、アタフタとシオリへ質問攻撃をはじめる。
 
 
 
 『あの・・・ ダイジョウブだから、少し落ち着いて・・・?』
 
 
 
以前、部活の後に一度同じシチュエーションで帰ったことはあるはずなのに
前回のそれと今回となにが違うのか分からないが、ショウタは何故かガチガチに緊張していた。

それが可笑しくて仕方がないシオリ。 横目でチラっとその様子を見て、気付かれない
ように肩をすくめてこっそり笑った。
 
 
ぎこちなく進むふたりの足は駅前を通り過ぎ、商店街に差し掛かる。

小さいが賑やかなそこ。 さほど広くはない路地に所狭しと個人商店が並び活気ある
声があがっている。
シオリはあまりこうゆう商店街には来た事がなかったので、物珍しくて嬉しそうに
キョロキョロと眺めていたが、ショウタは途端に下を向きなぜか隠れるように背を丸める。
 
 
 
 
  (どうしたんだろ・・・?)
 
 
 
 
シオリがその様子に首を傾げた時、
 
 
 
 『ショウタぁぁぁあああ!!! お前、カノジョ出来たのか??』
 
 
 
魚屋の店主から声がかかった。
その瞬間、次々と肉屋やら花屋やら何人ものおじさん・おばさんから呼び掛けられる。
 
 
 
 『寝小便してたショウタにカノジョがなぁ~・・・』
 
 
 
しみじみと感慨深げに胸前で腕を組み、遠い目をするその店主。

『うるっせー!』 ショウタが真っ赤になって言い返す。
それをぽかんと見ていたシオリ。 突然起こった矢継ぎ早なそれを傍観していた。
 
 
ここはショウタの実家である八百屋がある商店街で、古くからここで店を構える店主が
多い為まるでアッチもコッチも家族や親戚のようなもので、ショウタが女の子と歩いて
いるという超特大スクープに商店街は狂喜乱舞だった。
 
 
 
 『ショウター!、お前・・・

  ウチの娘、嫁さんにするって言ってたアレはどうなったんだ~?』
 
 
 
漬物屋のにやけるオジチャンから掛かったあからさまな揶揄に、
 
 
 
 『いつの話だっ! それ、保育園の時んだろ・・・。』
 
 
 
眉間にシワを寄せ不機嫌そうにムキになって言い返したショウタ。
シオリは可笑しくて可笑しくて体をよじらせて笑っていた。
 
 
 
 
  (こうゆう環境で育ったから、

   ヤスムラ君は、こ~んな感じなんだ・・・。)
 
 
 
 
すると、ショウタが更に慌てて身を屈める。

そして、『ホヅミさん・・・ ダッシュ!!』 耳打ちするように小声で呟くと
片手で自転車を押してとある一角を走って通り過ぎようとした。

状況が掴めないシオリも言われた通りにショウタに続き小走りで過ぎようとしたところ、
 
 
 
 『ショウタァァアアアアアアアアアアアア!!!』
 
 
 
ひときわ大きな濁声が商店街中に轟いた。

苦い顔をして足を止めるショウタ。 振り返りたくないという空気をその大きな背中から
ビンビンに醸し出すもそんな気配はお構いなしの、その相手。
 
 
ゆっくり振り返り、ショウタはその引き攣る頬に無理やり笑みを作った。
 
 
 
 『た、ただいま・・・ 母ちゃん・・・。』
 
 
 
”八百安 ”と看板がかかった八百屋の店先に仁王立ちする恰幅のいい前掛け姿の
その人ショウタ母は、めざとく息子の姿を見付けるとその隣に佇む麗しい女の子に
目が飛び出そうなほどに驚き、息子と彼女に交互にせわしなく目線を遣った。
 
 
 
 『もももも、もしかして・・・ この子が ”青りんごちゃん ”?!』
 
 
 
ショウタはイノシシばりに突進して来そうな母親の肩を片手で押さえると、
慌てふためきながら『ちょ、送ってからすぐ戻るから!』 と、店先に自転車を
放り出してシオリの腕を掴みダッシュでその場から離れた。

ショウタの母親を呆然と見ていたシオリも、ペコリとひとつ会釈だけして腕を引かれて駆けた。
 
 
 
『もぉ・・・ハズいわ。』 困り果てた顔でショウタが肩を落とし、シオリは一連の
流れをもう一度思い返して、声を上げて愉しそうに思い切り大笑いした。
 
 
 

■第31話 ほんの少し近付いた距離

 
 
 
 『いや、あのさ・・・

  アレ、あの、干してあったあのアメコミのパンツ・・・

  アレ父ちゃんのだから! ・・・俺んじゃないから!!!』
 
 
 
商店街を抜けたあたりで、ショウタがなにやら大慌てで真っ赤な顔をしてまくし立てる。

『え?』 言われている意味が全く分からず、キョトンと見返すシオリ。
しかし、尚もショウタは必死に動く右手を上げたり下げたり落ち着きなく続ける。
 
 
 
 『あ!!!違うわ・・・ あの、白ブリが父ちゃんの、だから・・・

  アメコミの、が・・・ ほんとは・・・ 俺ん、なんだ、けど・・・。』
 
 
 
店舗兼自宅になっているショウタの八百屋。 2階のベランダに洗濯物が干してあるのを
見付けたショウタがシオリに見られまいと足早に通り過ぎたかった所、母親に見つかって
足止めを食らい、ショウタのド派手な ”アメコミ・トランクス ”を見られたのではないかと
ひとりアタフタ弁解をしていたようで。
 
シオリの目には洗濯物など見えていなかった為、なにを言われているのか全く分からず
結局ショウタが一から十まで恥ずかしい説明をし、説明し終わって増々恥ずかしいという
地獄のような状況だった。
 
 
もう笑い過ぎて立っていられずその場にしゃがみ込んだシオリ。
 
 
『アメコミじゃないのもあるんだけど・・・。』 とボソボソ言い訳めいているショウタへ
『どうでもいいわ!』 と、尚もケラケラ笑った。 目尻から涙が伝って、両手で顔を
覆うようにしてそれを拭う。
 
すっかり前髪も乱れてしまって困り眉がコンニチハしているけれど、シオリ本人はそれに
気付いていないようだった。
 
 
笑われ過ぎて照れくさそうにコメカミをぽりぽりと人差し指で掻き、でもどこか嬉しそうに
ショウタがシオリを見つめる。

前髪の件は言わないでおいた。 せっかく可愛いんだから、そのままに。
 
 
 
商店街をまっすぐ行った先に、シオリの塾があった。

まだ開始の時間には少し早かった。 他の誰もまだ来てはいない時間だ。 
そっと俯くように腕時計に目を落とすシオリ。
 
 
 
 
  (まだ早いって言ったら、付き合わせちゃうよね・・・。)
 
 
 
 
どこで時間をつぶそうか考えていたシオリへ、『何時から?』 ショウタは訊く。
少し間を置きポツリ、『6時・・・。』 どこか遠慮がちに呟いた。
 
 
 
 『まだ1時間近くあんじゃん! どうすんの??』
 
 
 『ぁ、うん・・・ テキトーに時間、つぶそう・・・かな・・・。』
 
 
 
なんだか引け目を感じてるように小さく言うシオリに、ショウタはケラケラ笑う。
 
 
 
 『なぁ~んだよ・・・ 付き合うよ~。』
 
 
 
至極当たり前のような顔を向けショウタが言うも、尚も申し訳なさそうに俯くシオり。

ショウタは目を細め微笑む。
シオリの仕草ひとつひとつに、胸の奥がきゅんと歯がゆい音がする。
 
 
 
 『違った! はじまる時間までしつこく付きまとうわ!

  俺、なんだっけ・・・?

  えーぇと・・・ ”明るく元気なストーカー ”だからさっ!』
 
 
 
ぷっと吹き出して笑ったシオリ。
そっと目を上げてショウタを見つめる。 そして素直に嬉しそうに笑った。
 
 

塾から少し離れたところにある丁度いい高さの植え込みに、ふたり並んで腰掛ける。

シオリは腰掛けるその狭いブロック部分に、ちょこんと浅く座り足を投げ出す。
豪快に深く腰掛けたショウタは、背中の植え込みを押し退け葉が数枚落ちた。

ふたりの距離は自転車を押して歩いていた時より、ほんの少し近い。
 
 
ショウタのこども時代のエピソードを聞いて腹を抱えて笑っていたら時間なんて
あっという間に過ぎてしまった。
 
 
 
 
  (もう時間だ・・・

   まだ・・・ ヤスムラ君と話してたいのに・・・。)
 
 
 
 
名残惜しそうにショウタが手を振って元来た道を戻ってゆく。
何度も何度も振り返って、その度にシオリへと大きく手を振って。
 
 
 
シオリはその背中をじっと見ていた。

じんわり熱を帯びた心臓が、どきん どきんと高鳴っていた。
 
 
 

■第32話 青い春

 
 
 
 『ぁ、ヤスムラー・・・ 包帯とれかかってる・・・。』
 
 
ショウタが左腕をアームリーダーで吊ったまま、スキップでもしそうな面持ちで
放課後の教室を出ていこうとしている所を、マヒロが呼び止めた。

ショウタの片手には、学校カバンとサブバッグと、更には小学生が持つような
お習字セットまで掴んで。 右手しか使えないため、それは結構な重量になっていそうで。
 
 
『ぁ、ほんとだ・・・。』 机にカバン一式置き、ショウタは右手だけで包帯を結ぼうとするも
出来るはずもなく、シオリに甘えて頼んでみようか一瞬考えニヤけたところに
『結んであげるから、ほら、手ぇ出しなよ。』 マヒロが指を伸ばした。
 
 
掃除当番が気怠そうにモップで机の間の床を撫でている中、ショウタは机に浅く
腰掛けその前にマヒロが立って、ショウタのほどけかかった包帯を巻き直す。

マヒロはお習字セットを、どこか納得いかない表情で見眇めていた。
 
 
 
 『ねぇ、ヤスムラー・・・』
 
 
 
左腕を吊っているアームリーダーを一旦はずしたショウタが軽く腕を上下している。
やはりまだ少し痛む。 少し顔を歪めて、マヒロに巻かれている包帯に目を向けた。
 
 
 
 『アンタ、書道部入ったって・・・ ホント??』
 
 
 
すると、包帯に落としていた目を上げニヤっと白い歯を見せて
『ホヅミさんが書道部だからなっ!』 と嬉しそうに笑う。

『その左手で習字なんか出来んの~?』 怪訝な顔を向けるマヒロは、呆れたように
頬を歪めているが、『右は動くから問題ないっしょー!』 と呑気に上機嫌で返した。
 
 
そして、
 
 
 
 『まぁ、そもそも習字したくて入った訳じゃねーしな。』
 
 
 
ショウタはそう言い、マヒロが包帯の端を蝶々結びし終わったのを確認すると、
『さんきゅ。』 と一言、カバンを引っ掴み待ちきれないように廊下を駆けて行ってしまった。
 
 
 
 
  (ホヅミさんがいればいい、って意味か・・・。)
 
 
 
 
なんとなくモヤモヤしたものが拭い切れなかったマヒロ。
やはりどうしても納得いかない。 胸に引っ掛かるものを無視できない。
 
 
丁度帰り支度をしていたツカサの机へ近寄る。 ツカサはカバンの持ち手を掴み
イスの背に膝を当ててぐっと押し込み机の下に納めると、イス脚の先に付いた
滑り止めのゴムが床に擦れてギギギと耳障りな音を立てている。
 
 
『ねぇ。』 マヒロは声を掛けた。
 
 
 
 『ヤスムラってさ~・・・

  ほんとにホヅミさんのこと、好きなのかな・・・?』
 
 
 
突然話し掛けてきたと思ったらショウタの話がはじまって、ツカサは少し驚いた顔を向ける。
そして、なにか察したツカサは、少しニヤける頬を隠しながら何気なく訊いてみる。
 
 
 
 『・・・じゃ、ねえのぉ~?

  なに? ・・・なんか気になんの??』
 
 
 
『別に・・・ 気になるとかじゃないけどさ・・・』 マヒロはなんだか要領を得ない。

しかしその顔はあきらかに納得いかない、不満そうなそれで。
 
 
 
 『ねぇ、だってさ!

  ホヅミさんって、医大生のカレシがいるんでしょ?

  なのに、なんでヤスムラのストーキングを許してる訳?

  てか、ヤスムラもヤスムラだよ!

  カレシいる子に、あんなに付きまとうかね? フツウ・・・。』
 
 
 
どんどんヒートアップしてゆくマヒロの不満は、留まることを知らない。

ツカサに掴みかかりそうな勢いで身を乗り出す姿の圧力に気圧され、机の前に立って
いたツカサは数歩後退りすると尻が机のへりにぶつかり、そのまま腰掛ける。
 
 
 
 『ヤスムラはさ~ ”イイ人 ”だけが取り柄の奴じゃん?

  もしかしたら、都合よく利用されてんじゃないのかな・・・。』
 
 
 
ぷっと笑ってしまったツカサ。

ブツブツ延々呟くマヒロの顔は、まるで欲しいオモチャをショーウインドー越しに
眺めて駄々を捏ねるこどものように不貞腐れている。
 
 
 
 『ん~・・・

  ショウタが言ってたぞ、前に・・・

  ホヅミにオトコいてもいいのか訊いたら、

  ”明日になったらホヅミさんの気持ちは変わるかもしれないから ”って。』
 
 
 
『バカじゃないのっ、アイツ?!』 眉根をひそめて不機嫌そうに罵る。
 
 
 
 『まぁ、本人が好きでやってることだし、

  もしかしたら、ほんとにホヅミの気持ち動かさないとも限らないし、

  別に、外野がとやかく言うことじゃないんじゃね~・・・?』
 
 
 
すると、口を尖らし俯いたマヒロ。

『それはそうだけど・・・。』 足元に目を落とし机の脚を意味も無くコツンコツンと
蹴りながらブツブツとまだ不満気に呟いている。

そんな横顔をチラリ眺め、ククク。笑うとツカサは言った。
 
 
 
 
 『アッチもコッチも青春だなぁ~・・・

  俺にもどっかに転がってねぇかな・・・ 俺の青い春、ドコー??』
 
 
 

■第33話 橙色の名前

 
 
 
その日の部活終わりの帰り道。
 
 
ショウタとシオリ、ふたりは並んで夕暮れの通学路を歩いていた。
相変わらず少しだけ微妙にあけている距離は、アスファルトにしっとり落とす暗い
影までもどこか照れくさそうに進む。
 
 
 
まだ左腕をアームリーダーで吊って不自由なショウタは、シオリから部活を休むことを
勧められるもそれに素直に従うはずもなく、何処吹く風といった顔で右手に筆を握っていた。

しかし、左手で半紙を押さえられないという事は思った以上に厄介で、いくら文鎮で
半紙上部を押さえても筆先を動かした途端に容易にそれはズレてしまう。

それでなくても力任せなショウタ。 結構な圧をかけて落とす筆先と共に半紙まで
同じ方向に動いていた。
 
 
 
 『今日は上手に書けないな・・・。』
 
 
 
ぶつくさと呟く隣席にシオリが目線を向け、”今日は、って・・・。” と心の中で
突っ込むとデフォルトで汚いショウタの字が更に流れ乱れて、もう何を書いている
のかすら分からない程だった。
 
 
『・・・なんて書いてるの?』 思わず声を掛けると、即答で 『まゆ毛。』
 
 
一瞬ギロっと鋭く睨んで、すぐ自分の半紙に目を戻したシオリ。
いつも心の中だけでする舌打ちが、うっかり出てしまいそうなのを慌てて堪える。

アホなショウタのことなど放っておいて、自分の書に集中しようと思ったのだけれど
ひとつ溜息をつくと一旦筆を硯の上に置いて体を屈め、シオリの書道セットのカバン
から予備として持っている文鎮を取り出した。

そして、なにも言わずショウタの半紙左側にそれを置いた。
突然書くやすくなったそれに、目をぱちくりとさせて嬉しそうにシオリを見つめるショウタ。
 
 
すると、
 
 
 
 『 ”まゆ毛 ”はヤメテ。 他の、書いて。』
 
 
 
『じゃあ、”シオリ ”にするっ!!』 照れくさそうに顔を綻ばすショウタへ、
ジロリと再び一瞥し、ふんっと鼻でも鳴らすように息を吐いてシオリはそっぽを向いた。
 
 
 
 
 
ショウタの八百屋がある商店街に差し掛かった。

この時間帯は仕事帰りに夕飯の買い物をする人が多くて、店のアチコチから元気な
太い声が飛び交い、夕空の下、商品を照らすライトの眩しさも相まって最も明るく
賑わって活気がある。
 
 
 
 『安くするよ!』  『まけとくよ!』  『今日の献立は決まってんの?』
 
 
 
そんな声にまじって、『ショウター!』  『噂のカノジョかー?!』  『生意気な!』
商売とは関係のない掛け声もいつも通りに飛んでいた。

しかし、そのからかう声は皆一様に嬉しそうで、言われる側は照れくさいのは否めないが
本音を言えば嫌な感じはしていなかったショウタ。
 
 
ほんのり熱い頬を誤魔化し、聴こえないフリをして歩みを進めるふたり。
シオリはやはり笑ってしまって、なにをどう頑張っても肩が震えてしまう。
 
 
ショウタの実家 ”八百安 ”の前を通りかかると、今日は父親が店先に立っていた。

噂の彼女を目の当たりにして、目を真ん丸にして驚き固まっている。
慌てて後退った瞬間、茄子のカゴに手が振れてしまいひっくり返しそれは足元に散乱した。

えへへとひとり小さく情けなく笑ったその顔。 ショウタは父親似のようだ。 
やわらかく穏やかな雰囲気が全身から溢れ出ている。
 
 
『送ってから戻るから。』 ショウタは照れくさそうにボソっと父親に告げると
足早に立ち去ろうとする。 シオリは頬に笑みを浮かべペコリと会釈してそれに続こうとした。
 
 
 
 
すると、店先の脇に花の鉢植えが並ぶスタンドラックが目に入った。

3段のラックには所狭しと色とりどりの花が丁寧に植えられ手入れされ、みずみずしくて
目映いほど愛らしい。
 
 
 
 『お花・・・ お母さんが手入れしてるの?』
 
 
 
数歩先に進むショウタの背中に声を掛けるシオリ。 振り返ったショウタへ指を差してそれを示す。
 
 
 
 『ああ、そうそう・・・

  母ちゃんが花好きで、なんか色んなの植えてんだわ。

  家の中もごちゃごちゃと花だらけだよ。

  俺もなんか知らんけど、気付いたらそこそこ詳しくなっててさ~・・・。』
 
 
 
『そうなんだ・・・。』 にこやかに相槌を打って、再度鉢植えに目を向けたシオリ。

その中の溢れる程に咲き乱れる橙色に、何気なく目がいった。
 
 
 
 『アレは、なんて花・・・? なんか、華やかで可愛いね・・・。』
 
 
 
すると、ショウタが一瞬驚いた顔を向けクククと肩をすくめて笑った。
可笑しそうにどこか嬉しそうに、いつまでも笑っている。
 
 
『ん?』 その笑う姿をシオリが不思議そうに眺めていると、ショウタは言った。
 
 
 
 『俺さ・・・
 
  ホヅミさんに花あげるとしたら、”アレ ”だなって思ってたんだよね~』
 
 
 
そう言ってまた頬を緩め目を細める。
 
 
 
 
 
    『あの花は、ミムラス。

     ちなみに、花言葉は・・・  ”笑顔を見せて ” 』
 
 
 
 
夕陽に照れされたショウタの顔は、なんだかやけにやさしくてあたたかくて、
シオリは胸に込み上げる感情に身を任せ、ぼんやりとただまっすぐその笑顔を見つめていた。
 
 
 

■第34話 重なった想い

 
 
 
『あれ・・・ 雨だ・・・。』 ショウタが空に向かって右手の平を広げ見上げる。
急に広がった雨雲は、先程まで見事にふたりを照らしていた夕陽を呆気なく隠してしまった。
 
 
アスファルトからは湿ったにおいが立ち込め、次々と落ち始めた雫が小さなグレーの
シミをそこかしこに広げる。
困ったようなしかめ面をするシオリが、肩をすくめ頭の上に手をかざした。
 
 
 
 『ぁ。 ちょい、待ってて。』
 
 
 
そう言うと、ショウタは目の前の八百屋の裏口から自宅に入り、程なくビニール傘を
持って戻って来た。

『1本しか無かったんだけど・・・ いい?』 ショウタが申し訳なさそうに呟くその意味が
イマイチ分からずシオリが返事出来ずにいると、それを差し掛けようとアタッチメントに
指をかけた。
 
 
すると、実は壊れていたその傘。

次の不燃ごみ回収日に捨てようと、母親が玄関先に避けておいた物だったようで。
突然、破裂音とともに大きくその骨を広げ、それは広がり過ぎて逆方向にまで折れ曲がる。
マンガにある台風の時にさした傘のように、全く使い物にならない形に変形してしまった。
 
 
それを呆然と見つめるふたり。

一瞬、何が起こったのか分からずぽかんと口を開けて立ち竦み、そして顔を見合わせて
大笑いした。
一向に笑いがおさまらず、腹を抱えてケラケラ笑い続けるふたりはどんどん降りそそぐ
雨に髪も制服の肩も足元も濡れて冷たくなってゆく。
 
 
『ちょ、店の軒先で待ってて!』 そう言うと、シオリの背中をやさしく押して八百屋の
軒下に促したショウタ。

そして再び自宅の奥へ駆けてゆくと、真っ新の手ぬぐいと探し当てた別の傘を持って戻って来る。
 
 
シオリの濡れた頭に広げた新しい手ぬぐいで、動かせる方の片手で不安定にやさしく
雨の雫を拭くショウタ。
自分だって濡れているのに、シオリを拭く用の手ぬぐいしか持って来なかったようだ。
向かい合って立つその至近距離と、ショウタの大きな手にシオリは面映さを隠せない。

目の前に垂れた手ぬぐいになにか書いてあるのを、ふと手に取り見てみると”八百安 ”
と書いてある。
『これ、お店の?』 クスっと笑いながらショウタを見上げた。
 
 
 
 『あぁ・・・ うん。

  正月の挨拶用に作ったんだわ。

  腐るほどあるから、あげようか・・・?』
 
 
 
クククとまたふたり、顔を見合わせて笑った。

すると、ショウタを濡らす雨の雫が短い前髪から滴るのが目に入ったシオリ。
ショウタも拭いてあげようとそっと手ぬぐいを掴む手を伸ばそうとして、しかしどうしても
照れくさくてまごついていた所、自分の雫なんか気にしていないショウタが再び持って
きた傘のアタッチメントを恐る恐る慎重に押して、今度は大丈夫か確かめようとしている。

手ぬぐい片手にシオリもじっと息を呑んでそれを見つめる。
 
 
すると、普通に広がった傘。 振り返りシオリを見るショウタがにやり口角を上げた。

そして、『行こっか。』 顎で促したショウタに、コクリと頷いてシオリが微笑んで
その傘の中に飛び込んだ。
 
 
 
 
ふたり、薄暗い雨の中、寄り添って歩いていた。

今までで一番近い距離で。
ショウタがビニール傘の柄を握る右手が、歩くリズムでシオリの左腕に小さくコツンと
触れる。 狭い空間にふたり、どうしようもなく高鳴る鼓動を必死に隠して。
ショウタはシオリが濡れないように、気持ちシオリ寄りに傘を傾けた。
 
 
シオリは首に ”八百安 手ぬぐい ”を掛けたままだった。

誰もが振り返るような黒髪美人の女子高生が、首から白地に黒文字で ”八百安 ”と
書かれた不格好な手ぬぐいを下げていることに、ショウタはなんだかソワソワと落ち着かない。
 
 
『ハズいでしょ?・・・ダイジョーブ??』 顔を覗き込むように不安な目を向ける。 

しかしシオリは、『ぜんぜん。って言うか、コレ、ほんとに貰っちゃっていいの?』
目を細めて笑顔を向ける。
 
 
 
 『・・・も、もらってくれるなら・・・ 喜んで。』
 
 
 
 
 
ふたり傘で寄り添い歩くショウタに、シオリの長い黒髪からやさしい香りが流れ
もっと近付きたいという想いが溢れる。 触れてみたい。その頬に、その手に、その唇に。

どうしようもなく胸が熱くなり、なんだか鼻の奥がツンとじんわり痛む。
 
 
 
 
  今までで一番、近い距離で。

  今までで一番、胸が締め付けられて。

  そして今までで一番、喉がつかえるような息苦しさが込み上げる。
 
 
 
 
 
  (やっぱ・・・ すげぇ、好きだ・・・。)

 
  (ヤスムラ君のことが・・・好き、かもしれない・・・。)
 
 
 
 
『ホヅミさん・・・』 ショウタが立ち止まり、シオリをまっすぐ見つめた。
狭い傘の中で向かい合い、ふたりの距離なんて30センチも無い。
 
 
しとしと降り続く雨の雫が傘にぶつかりスタッカートを付けて踊る。

アスファルトに落ちては小さく跳ね返る透明のそれは、ショウタの汚れたスニーカーと
シオリのローファーをしっとり濡らし、靴下までもわずかに冷たい。
 
 
 
 『やっぱ・・・ 俺、さ・・・

  あの、前に言った夢とかそんな、アレじゃなく・・・

  ほんとに、すげー・・・ すげー、ホヅミさんのこと・・・
 
 
  ・・・好き、なんだけど・・・。』
 
 
 
その真剣な眼差しと言葉に、シオリは慌てて目を逸らした。

真っ白で艶々な頬がどんどん赤く染まってゆく。
心臓がドクドクと音を立て高速で脈打つ。
薄いレースを広げたように、目の前がなんだかぼんやり霞む。
 
 
そっとシオリが顔を上げた。
そして、まっすぐショウタを見つめる。

一生分の勇気を出して、震える喉の奥から小さく絞り出すシオリ。
 
 
 
 『わ、わたし・・・』
 
 
 
言い掛けた時、『シオリ~・・・?』 誰かに後ろから呼び掛けられ、慌てて振り返った。
 
 
 
従兄弟のコウが傘をさして、そこに立っていた。
 
 
 

■第35話 解けなかった誤解

 
 
 
呼ばれた名前にシオリが振り返ると、そこには従兄弟のコウが大きなネイビーの傘を
さし佇んでいた。 その片手にはシオリが愛用する花柄の赤い傘を持って。
 
 
『コウちゃん・・・。』 小さく呟いたシオリは、そこに何故コウが立っているのか
分からないまま暫し見つめ、ハっとして思わずショウタへと目線を走らせる。

すると、ショウタの顔は射抜かれたようにまっすぐとコウを見ていた。
明らかに衝撃を受けた顔で。 いつもの情けない下がり眉が哀しげに歪んでいる。
 
 
良質な傘の柄をその手に握りやわらかい雰囲気で佇むコウは、シンプルな黒色パンツに
グレーのジャケットを羽織り、さり気なく持つブランド品のトートバッグからは
医学書がほんの少しだけ覗いている。
美しい姿勢で立つそのスラっとした佇まいは、自信がみなぎり余裕が溢れ出ている。

瞬時に ”それ ”と気が付いた様子で、ショウタは咄嗟に顔を伏せた。
 
 
 
  (この人が・・・そうなんだ・・・

   ・・・だよな、ホヅミさんくらいビジンなら、

   こうゆう人じゃなきゃ、似合わないもんな・・・。)
 
 
 
安物のビニール傘を片手に、大きなショウタの体が情けなく小さく縮こまっている。

俯いて苦い顔でなにか考え込み、急にガバっと顔を上げたショウタ。 
コウへ向かって身ぶり手振りを交え、挙動不審なくらい慌てた様子で説明をはじめる。
 
 
 
 『あの・・・

  ただ、雨降ったんで・・・ 送っていってただけ、なんで・・・

  あの、なんつーか・・・ 

  ・・・ホヅミさんの名誉のためにも・・・

  俺が、無理やり送るって言っただけ、なんで・・・。』
 
 
 
ショウタは必死に、目の前にいるコウの ”彼女 ”であるシオリの潔白を説明する。
シオリが彼女だと信じ込んで。ふたりでひとつの傘の中にいる理由を懸命に。
シオリがコウに謂れのない疑いを掛けられ、責められることが無いよう無我夢中で。
 
 
 
 
  (違うの、ヤスムラ君・・・。)
 
 
  (これが ”青りんご君 ”か・・・

   って言うか、俺をシオリのカレシだと思ってるんだ・・・?)
 
 
 
 
『ヤ、ヤスムラ君・・・。』 シオリが本当のことを言おうとしかけた時、
コウが即座に口を挟んだ。
 
 
 
 『君、青りんご君だよね・・・?

  わざわざ、送ってくれてありがとう。

  俺がもっと早く迎えに来れたら良かったんだけどね。

  シオリ、ケータイに気付かなかっただろ? 何回か掛けたのに・・・
 
 
  ほら、帰ろう・・・ おじさんが早く帰ったから、みんなで夕食だってさ。』
 
 
 
そう言うと、コウはやさしく微笑んで手を差し出した。
伸ばした腕の手首にチラリ覗いた高級腕時計が、雨の雫に小さく濡れる。
 
 
 
 
  (コウちゃん・・・ 空気を読んで合わせてくれてるんだ・・・

   でも、これじゃ・・・

   もっと言い出しにくくなっちゃった・・・。)
 
 
 
 
ショウタが今どんな顔をしているのか怖くて見られず、しかしふたり寄り添う傘からも
出られずにシオリは哀しそうに目を伏せる。
なにか言いたげに、でもなんて言ったらいいのか分からずにその形の良い唇はぎゅっとつぐむ。

目の端で、隣に立ち竦むショウタがうな垂れ足元に目を落としている気配だけは伝わる。
ショウタの息苦しそうな呼吸の音が、傘のカーブに跳ね返って響いていた。
 
 
 
 
  (違うの、ヤスムラ君・・・ 誤解なの・・・。)
 
 
 
 
『ヤスムラ君、あのね!』 言い掛けたシオリの元へ、コウが革靴の足音を立て歩み寄った。

そして少し乱暴に手首を掴むと、『ほら、帰ろう。』 と頬に上手に笑みをつくって言う。
 
 
 
ぐっと引っ張られ、ショウタの傘からコウが差している傘へ移ったシオリ。

コウは持ってきた花柄の赤い傘を広げると、シオリの手へと渡す。
そのまま傘を掴んでいない方の手をぎゅっと握ったコウは、シオリの自宅へ向けて
無言で半ば強引に歩きはじめた。
 
 
強く引かれよろけながら、シオリはショウタを振り返る。

雨の中、うな垂れてずっと足元の汚れたスニーカーを見つめているその姿は、
今にも泣き出しそうに心許なくてちっぽけだった。

シオリは何度も何度も振り返って、ショウタを見つめる。
誤解を解きたくて、本当のことを言いたくて、自分の気持ちを伝えたくて。
 
 
 
 
  (私も・・・ ヤスムラ君のことが・・・。)
 
 
 
 
その時、コウがおもむろにシオリが首から下げている手ぬぐいを掴んで引き抜いた。
一瞬だけ傘から覗いたコウの顔は、笑っていなかった。

慌ててそれを掴んで奪い返すと、シオリは大切そうにその手に握り締める。
少し濡れてしっとりしてしまった手ぬぐいに顔を半分うずめ、哀しげに俯いて
コウに強引に促されるまま足取り重く自宅へと帰って行った。
 
 
 
 
 
翌朝、重く沈んだ気持ちのまま登校し教室に入ったシオリ。
いつも机の上にたったひとつ置いてあるツヤツヤの萌葱色に輝く、それ。
 
 
 
 
 
今日は、それが無かった。
 
 
 

■第36話 顔なし

 
 
 
  ”ホヅミさんが誰かと付き合ってるっていう事と、

   俺がホヅミさんを好きってのは、

   基本的に、別問題だと思うんだよねー・・・”
 
 
 
 
以前、シオリに脳天気に言い放った自分の言葉を思い返していたショウタ。

いまだ降りしきる雨の中、小さくなってゆくシオリの赤い花柄傘とその隣に立つ
ネイビーのそれを見つめたまま。
安っぽいビニール傘を掴む手から力が抜けた瞬間、いとも簡単に透明なそれは
アスファルトにコツンという音を立てて転がり傾げ、意地悪く雨粒に打ち付けられている。

ショウタを濡らす雨は止むことを知らない。
 
 
 
 
  ”だからー・・・

   ・・・俺、気にしないからさっ!!”
 
 
 
 
あの時の、お気楽で本当は何も深く考えてなどいなかった自分にほとほと嫌気が差す。

『なにが ”気にしない ”だ・・・ バカか・・・。』 自分に腹が立って仕方ない。
 
 
 
 
今までは、シオリの ”カレシ ”はショウタの中で真っ黒な ”顔なし ”だった。

本当にいるのかいないのか分からない、まるで幽霊みたいな架空の世界の人。
だから正直なところ、現実的にシオリの隣に立つ顔なしを想像する事など出来なかったし
その人の前でシオリがどんな顔で笑うのか、照れるのか、不貞腐れるのか全く想像出来なかった。
考えたくないことは自動的に排除して、ただ楽観的に目先のことだけ見ていた。
 
 
しかし、今夜。 生身の人間として、本当にこの世に存在する ”カレシ ”を
この目に見てしまった。 声を聴いてしまった。 言葉を交わしてしまったのだ。
 
 
大人の佇まいで落ち着いた振る舞いをし、『シオリ』 と呼び捨てにし、家族も公認
らしいその雰囲気。 カバンから見えた医学書が、ショウタに更に追い打ちをかける。
 
 
 
 
  (学校での数時間のホヅミさんしか、知らないんだな・・・ 俺。)
 
 
 
 
シオリをどんどん好きになればなるほど、敢えて考えない様にして目を閉じ耳を塞いで
いた現実が今夜、確実にハッキリを顔を出していた。
 
 
 
 
  ”好きな子には、付き合っているカレシがいる ”
 
 
 
そして、
 
 
 
  ”その相手に、きっと自分は敵わない ”
 
 
 
自信満々にシオリに放ったあの日の言葉。
 
 
 
 
  ”すんげー がんばってがんばってさ~

   ホヅミさんの気持ちを変える可能性だってゼロじゃないじゃんっ?”
 
 
 
 
恥ずかしいったらない。
穴があったら突き落してほしい。
自分の馬鹿さ加減に、ほとほと呆れ泣けてくる。
 
 
『そんな、カンタンじゃねぇよな・・・。』 いまだ雨の中ひとり立ち竦むズブ濡れの
ショウタがぽつりひとりごちたその声はか弱く震えて、冷たく降りしきる雨音に
呆気なくかき消された。

あの日の考えなしの言葉が雨の雫と相まって、頭に頬に肩に冷たく嘲笑うように伝ってゆく。
 
 
 
その夜、ショウタは眠れずに溜息ばかり落とし天井を見つめていた。
いつも大切そうに抱きしめて眠る枕には触れずに、そのままに。
 
 
生まれてはじめてこんな気持ちを知った。
 
 
 

■第37話 なにも乗っていない机上

 
 
 
いつも机の上にたったひとつ置いてあるツヤツヤの萌葱色に輝く青りんごが無い。
 
 
 
昨日、従兄弟のコウが ”カレシ ”のフリをして話を合わせたことにショウタは
当たり前にそれを信じ、ショックを受けていた様子だった。

でもシオリはどこか心の中で、ショウタなら、あの脳天気なショウタなら昨日の
出来事すらあっけらかんと『気にしないからっ!』 と、いつもの朗らかな笑顔を
見せるのではないかと高を括っていた。
 
 
しかし、今、現実に目の前の自分の机上にはなにも乗っていない。
 
 
 
 
  (もう・・・ 嫌われちゃったのかな・・・。)
 
 
 
 
席につくことも出来ず、ただ黙ってその場に立ち尽くしキレイな机上を見ていた。

持ちあがらないくらいもたげた首は、その角度から動かす事が出来ない。
今日も美しくたゆたう黒髪が、胸に垂れて哀しげにどんどん歪んでゆく横顔を隠す。
 
 
 
 
  (もう・・・ どうでもよくなっちゃったのかな・・・。)
 
 
 
 
次々と教室にやって来るクラスメイトの挨拶する声や、愉しそうに談笑する声に
なんだかこのクラスにひとりぼっちのような気になる。
まるで周りの人間に自分なんか見えていないかのように。
たったひとり、自分を見ていてくれた人は夢幻だったかのように。
 
 
 
 
  机上にあって当たり前だった青りんごは、もう無い。
 
 
 
 
  (もう・・・ 来てくれないのかな・・・。)
 
 
 
 
その時、始業のチャイムがそこかしこに鳴り響き、ガヤガヤと騒がしく皆が席に着いた。

シオリも俯いたままストンと腰が抜けたようにイスに座ると、長い黒髪に隠れて
苦しそうな顔を更に歪め唇を噛み締める。
机の下で組んだ指先は、意味も無く爪をはじく。
どんどん鼻の奥がツンと痛みを帯びて熱くなり、見つめている指先がぼんやり滲んでゆく。
 
 
気を抜いたら透明な雫がこぼれ落ちそうで、気を逸らそうと慌てて机から適当に教科書を
引っ張り出した。

そして徐に広げると、そこにはショウタに貸した時に描かれたパラパラ漫画が。
何ページも何ページも描かれたそれは、シオリがカタカタとぎこちなく動き笑う。
下手くそな絵で、下手くそな笑顔で、でも心から楽しそうにシオリが笑う。
 
 
慌てて口許に手の甲を押し付けて、漏れそうになる泣き声を封じる。
喉の奥に力を入れて、込み上げるものをなんとか鎮めようと呼吸を止めた。
 
 
 
 
  (ヤスムラ君と、ちゃんと話がしたい・・・。)
 
 
 
 
なんとかギリギリ涙を堪え、ただひたすら下を向いてその時間を乗り切った。
 
 
 
 
2時間目までの10分の休憩時間。

シオリは引き続き、ただ俯いて席にぼんやり座っていた。
立ち上がる気力がない。体に力が入らなくて、イスから動ける気がしない。

最近あまりついていなかった溜息が小さく漏れた。
でもそれはショウタに対する呆れ果てた笑みを含むそれではなく、哀しみの色ばかり
濃く落とす。
 
 
すると、隣に誰かが立つ気配があった。

微かな反応すらしたくない気分だが、ただひたすら黙って立ち尽くすそれに髪の毛に
隠れた顔をそっと上げて斜め上を見上げると、そこにはショウタが立っている。
 
 
 
その片手には萌葱色の青りんごが握られていた。
 
 
 

■第38話 呼び掛けられなかった名前

 
 
 
静かに横に立つショウタは情けなく眉を下げ微笑むと、今日もツヤツヤの青りんごを
シオリの目の前に差し出した。

大きなその手は、今日もやさしくてあたたかくて、シオリの胸を容赦なく締め付ける。
 
 
目を見張り、なにも言えずにそれをじっと見つめるシオリ。

堪え切れずに涙がひと粒、頬を伝う。 それを見られないよう俯いて慌てて立ちあがると
ショウタのアームリーダーで吊られていない方の腕を乱暴に掴み、廊下へ駆け出した。
 
 
シオリに腕を掴まれたまま、廊下を小走りで駆けるショウタ。

シオリの顔は涙を堪えてしかめ、口はかたく結ばれている。
ショウタのそれは、どこか困ったような哀しい笑い顔になっていた。
 
 
 
 
 
いつもの階段裏に身を潜めたふたり。
休憩時間のそこは、相変わらず階段を上り下りする足音が反響し賑やかだった。
 
 
ここまで引っ張って来たはいいが、なんと言っていいのか分からずシオリは言いよどむ。

掴んだショウタの腕から心寂しげに手を離すと、それは力なくダラリと垂れる。
言いたいことはたくさんあって、伝えたい気持ちも確かにある。
しかし、ショウタを前にするとそれはシオリの臆病な喉の奥から発することが出来ずにいた。
 
 
すると、ショウタが青りんごをもう一度差し出した。
 
 
 
 『今朝・・・ 寝坊しちゃってさ・・・。』
 
 
 
えへへと小さく笑い、後頭部を手持無沙汰に掻き毟る。
無邪気にすくめた肩は、やはり大きくてたくましい。
 
 
『・・・寝坊?』 シオリは耳に聴こえた一言に、まっすぐショウタを見つめた。
 
 
 
 
  (それだけが理由・・・?)
 
 
 
 
更にどこか哀しく笑うショウタが、ゆっくり続ける。
その声色は、あまりに寂しい色に溢れ笑い声さえも泣いているようだ。
 
 
 
 『いやー・・・ あの、さすがにさ・・・

  カレシ見ちゃったら、お気楽な俺も・・・ ねぇ? ハハハ・・・
 
 
  生まれてはじめてだよー・・・ 

  なんか、色々考えたら寝れんくなってさ・・・

  朝方にようやく寝たみたいで。 そしたら起きれんくて・・・。』
 
 
 
やはり、ショウタは気にしていた。 相当なショックを受けていた。

シオリはなにも言えずに、ただショウタを見つめる。
底抜けに明るいショウタにこんな思いをさせてしまった優柔不断な自分が心から嫌になる。
その目にはもう留まり切れない涙が、ゆっくりと真っ白な頬のカーブを伝ってゆく。
 
 
 
 『俺・・・

  もしかして・・・ 

  ・・・ホヅミさんのこと、本気で困らせてる・・・?』
 
 
 
シオリの涙を目にして、ショウタが哀しげに俯いて小さく呟いた。

シオリを泣かせてしまった事に、ショウタの胸もナイフで切り裂かれたように痛い。
その弱々しい苦しそうな声は震えて足元に落ち、力無く消える。
 
 
 
 『もしかして・・・ やめたほうがいい・・・?

  本気でこうゆうの、迷惑だった・・・?
 
 
  俺、ほんとに・・・

  ・・・ストーカーみたいだったのかな・・・。』
 
 
 
 
  (ちがうよ・・・ そんな風になんか思ってないよ・・・。)
 
 
 
 
しかし、シオリの頬に次々零れる涙をショウタは ”肯定 ”のそれだと思ってしまった。
まるで泣き出しそうに情けない顔を向けると、ショウタはぎゅっと拳を握りしめる。
 
 
『ごめん・・・。』 そう一言呟くと、ショウタは弾かれたように廊下を駆けて
去って行ってしまった。

『ヤ・・・。』 最後まで呼び掛けられなかった名前を、心の中で呟いたシオリ。
 
 
 
 
  (ヤスムラ君・・・ ちがうのに・・・ そうじゃない、のに・・・。)
 
 
 
 
いつもシオリに向かって呆れるほど脳天気に笑っていたその姿は、今、背を向けて
一度も振り返らずにどんどん遠く小さくなってゆく。
階段裏の死角になっている位置に崩れ落ちるようにしゃがみ込み、シオリは小さく
丸まって声を殺して泣いた。
 
 
 
萌葱色の青りんごを大切に大切に胸に抱いて、肩を震わせて泣いていた。
 
 
 

■第39話 吊るされた半紙

 
 
 
泣きはらした真っ赤な顔では教室に戻れなくて、シオリは授業がはじまり静まり返った
廊下をひとり、歩いていた。
 
 
行くあては無い。
何処に行ったらいいのか分からない。
教室にカバンがあるから、家に帰ることも出来ない。
 
 
廊下の床を擦るように小さく前に踏み出す足は、あまりに無力で侘しい。

ふと窓外のグラウンドから聴こえる歓声に目を向けると、どこかのクラスが体育の授業で
野球をやっているのが見える。 ショウタがぴょこぴょこ跳ねながらちぎれんばかりに
手を振ったあの日を思い出して、シオリは苦しそうに目を逸らしぎゅっとつぶった。
 
 
 
 
あてもなく歩いて、気付いたら書道部の部室にやって来ていた。

授業中のため、もちろん部室には誰もいない。
ひと気のないまるで死んでいるようなそこに足を踏み入れ、いつもシオリが使う席に着く。
墨汁のにおいと少しカビくさいにおいが混ざったその部屋。 壁掛け時計の秒針が
1秒1秒進む音だけがやたら大きく響いている。
 
 
シオリは机に突っ伏して顔だけ横に向けた。

するとシオリのどんどん滲んでゆく目に、乾かすために吊るしてある書の半紙が目に入った。
壁の端から端へ渡したロープに洗濯バサミで吊るされた半紙は、まるで洗濯物のタオル
のように垂れて少しの風にやさしくそよぐ。
 
 
真面目に書道をしている人間などシオリ以外いないこの書道部。
シオリが前回部活で書いた美しい行書体の隣には、解読不能な汚い字が仲良くぶら下がっている。
 
 
 
 『 ”まゆ毛 ”ってなによ・・・ バカみたい・・・。』
 
 
 
再びシオリの目に涙が滲み、その汚字も歪んで霞む。
 
 
 
 
  (もう・・・ 笑わせてくれないのかな・・・。)
 
 
 
 
うつ伏せになり横を向くシオリの目頭から流れた涙は、鼻根を通り反対側の頬を伝い
机の上に小さな雫を落としてはその水溜りの形を歪めた。
 
 
 
『ちゃんと話したいのに・・・。』 涙声で小さく呟く。
 
 
 
 『ちゃんと・・・ 誤解ときたい。』
 
 
 
 『ちゃんと。 ちゃんと、話したい!!』
 
 
 
 『話きけ! あのバカっ!!!』
 
 
 
 
シオリはガバっと体を起こすと、白い両手で涙を乱暴に拭き部室を駆け出した。
丁度その時、授業の終わりを報せるチャイムが廊下に響いた。

シオリはまっすぐ自分の教室に戻り、放課後にショウタを訪ねようと心に決めていた。
 
 
 
 
 
放課後。

帰りのホームルームが終わるとどこか緊張の面持ちでショウタのクラス2-Aまで
出向いたシオリ。
部活に向かったり靴箱に向かおうとする人波が出入口に佇むシオリを押し退けて次々出てゆく。
教室のドア付近に遠慮がちに留まり、爪先立ちをしてこっそり中を見渡すもその姿は見当たらない。
 
 
すると、そんなシオリに気付いたツカサが近寄って来た。
 
 
 
 『もしかして、ショウタ探してる・・・?

  アイツ、なんか調子悪いつって早退したんだわ。』
 
 
 
『ぇ。 具合悪いの・・・?』 シオリの声色は自分が思うよりもずっと心配そうに響いたようだ。
ツカサがそれに一瞬驚き、少し嬉しそうに頬を緩める。
 
 
そして、 
 
 
 
 『すんげーぇ具合悪くて死にそうだったから、もしアレなら見舞ってやって?

  ・・・アイツの家って、分かる・・・?』
 
 
 
『うん、分かる。』 眉根をひそめ即答すると、シオリはツカサに一言お礼を言って
靴箱へ向けて弾かれたように駆けて行った。

その後ろ姿をツカサは斜めに傾げながら、ゆらゆら揺れどこか愉しそうに見ていた。
長い黒髪が慌てて駆けるリズムに左右に踊り、せわしなくパタパタという内履きの靴音が響いている。
 
 
 
『ヤルじゃん・・・ショウタ。』 ツカサがニヤリと微笑んだ。
 
 
 

■第40話 精一杯乗せた気持ち

 
 
 
 『ご、ごめんくださ~ぁい・・・。』
 
 
 
店先に青モノや根菜などが所狭しと並び、黄色プレートに赤文字でデカデカと
値段が書かれている。

スーパーの野菜売り場に比べたら格段に値段は安く、そして新鮮で美味しそうに
見えるツヤツヤした野菜の数々。
店の壁には大きく見やすい月間カレンダーが掛けられ、年季の入った壁掛け時計が時を報せる。
 
 
シオリはショウタの実家 八百安の店先で、どこか居場所無げに店奥へと緊張気味に
呼び掛けた。

すると奥の方で段ボールの整理をしていたショウタ母が顔を上げ、シオリに気付いた。
 
 
 
 『あらまっ! 青りんごちゃんじゃないの~!』
 
 
 
すっかりヤスムラ家ではシオリのことは ”青りんごちゃん ”
ホヅミ家ではショウタが ”青りんご君 ”と呼ばれていた。
その呼称はやはりどうしても恥ずかしいシオリ。
 
 
『あの・・・ ホヅミです、ホヅミ シオリです。』 名前で呼んでもらおうと
今更ながら改めて自己紹介をした。
すると、ショウタ母は肉付きのいい頬を上機嫌にきゅっと上げて笑う。
 
 
 
 『どうしたの? シオリちゃん・・・

  もしかして、あのバカの見舞いに来てくれたの・・・?』
 
 
 
即座に ”シオリちゃん ”と下の名前で呼ばれ、恥ずかしい反面どこか嬉しい。

『具合、相当悪いんですか・・・?』 不安そうな表情を向けるシオリへ、
母はこれでもかというくらい豪快に、腹を突き出し仰け反って笑う。
 
 
そして『ちょっと待ってな。』 ニヤリ片頬を上げ一言告げると、店の奥を覗くと
すぐ見える自宅階段の2階に向かって、地鳴りのようなダミ声で叫んだ。
 
 
 
 『ショウタぁぁぁあああああああああああ!!!』
 
 
 
すると、一拍置いて階段を気怠い雰囲気で下りてくる足音と共に、
『なんだよ~・・・ うっせーなぁ・・・。』 ショウタがくたびれた部屋着の
Tシャツ&スエット姿で、ボリボリ腹を掻きながら店へ姿を現した。
 
 
そして、
 
 
 
 『ホホホ、ホヅミさんっ!!!』 
 
 
 
驚きすぎてその場でかたまり、二の句を継げないショウタ。

パチパチと瞬きを繰り返し、金魚のようにパクパクとなにか言いたげに口が閉じたり開いたり。
そしてTシャツからわずかに覗く腹を慌てて隠し、身なりを整える。
 
 
 
 『具合・・・ どうなの?』 
 
 
 
シオリから心配そうな目を向けられた事に、大慌てで恐縮して背を丸める。

両手を最大限大きく振って、『ぜ、ぜんぜんっ! ぜんっっぜん平気!!!』
そして、いつもの情けない下がり眉と垂れ目でえへへと笑った。
 
 
 
 
 
近所の公園に、ふたりの姿。

静かに沈む夕陽が眩しいそこは、もう遊んでいるこどもの姿はなくひっそりしている。
大きなケヤキの樹が枝を広げ、みずみずしい葉が青緑色の風をそよがせる。
折り重なった葉の隙間から差し込む陽の光が、木製の少しくすんだベンチに差し込んだ。
 
 
 
 『あのね・・・ ちょっと話したいことが、あって・・・。』
 
 
 
ショウタに促されベンチに腰掛けたシオリが、意を決して言葉を発した。

落ち着かなそうに浅く腰掛け俯いて、今日もよく手入れされツヤがあるローファーの
爪先が内股でㇵの字になっている。
 
 
シオリの隣に座ったショウタ。
あまり朗報ではないのだろうと、どこか覚悟したような顔で無言で俯いている。
 
 
ふと足元に目を遣ると、慌てすぎて父親のサンダル履きで来てしまったと気付く。

格好だってあまりにダサい、ねずみ色のスエット姿。
ふと、昨日のコウの清潔感ある身なりを思い出す。

自分だっていつもはもう少しちゃんとしたジーパンとTシャツなんだけど、と
言い訳めいた事を言い掛けそんな空気ではないと気付き、飲み込んだ。
 
 
 
 『あのね・・・
 
 
  あの・・・ 勝手に、勘違いされてたから・・・

  だから、そのまま否定しないでいただけなの・・・。』
 
 
 
シオリの口からしずしずと出た、結構な決心をした気配のその言葉。
しかし、ショウタはまるで言われている意味が分からなかった。
 
 
暫し、背を丸め頭を抱えて考え込み 『・・・ごめん、なんの話??』 シオリを覗き込む。
 
 
すると、シオリが訴えるように目を上げショウタをじっと見て、ぽつり。
 
 
 
 『従兄弟なの・・・

  昨日のは、医大に通ってるただの従兄弟・・・。』
 
 
 
『えっ?????』 ショウタの細い垂れ目が、3倍くらいに見開かれる。
 
 
 
 『ただ・・・ 

  従兄弟は、ヤスムラ君が勝手にカレシだと思い込んでるって気付いて

  否定しない私に、テキトーに合わせてくれた、だけ、なの・・・。』
 
 
 
『・・・そ、そうなの??』 喉の奥から絞り出すように、呟く。

コクリ。シオリは俯いたまま大きくひとつ頷いた。
サラサラの長い黒髪が、背中から前に垂れてその赤い横顔を隠してしまう。
 
 
 
 『じゃ、じゃあさ・・・

  別に、付き合ってるヤツいないって、こと・・・?』
 
 
 
『うん・・・ だ、だから・・・。』 シオリはこの後なんて言葉を継ごうか考えていた。
 
 
 
 
 
  (ヤスムラ君のことが好きだけど・・・ 好き、なんて言えないよ・・・。)
 
 
 
 
 『だから・・・ 青りんご・・・ 

  ・・・ぜんぜん迷惑じゃ、ないから・・・

  ・・・青りんご、

  ・・・青りんご。 私も、すごい好きだから・・・。』
 
 
 
シオリにとっては精一杯 ”気持ち ”を乗せたつもりだった。

”ショウタ ”のことが好きとは言えない代わりに、どうかこの遠回しな言葉で気付いて
もらえるように。
どうか ”青りんご ”を ”ショウタ ”に置き換えて受け取ってくれるよう願う。
 
 
しかし、勘が鈍いショウタには額面通りにしか伝わらなかったようだ。
 
 
 
 『わかった! これからも、毎日、ずっと、持ってくから・・・

  チョー旨いやつ、ちゃんと選ぶからさ!

  ・・・つか、ほーんと青りんご好きなんだなぁ~・・・。』
 
 
 
ショウタが嬉しそうに頬を高揚させて朗らかに笑う。

口角はきゅっと上がり、目を細めてどこか遠くを見澄ますように。
途端に、こどものようにベンチに投げ出した足をブラブラとご機嫌に揺らしている。
 
 
 
 
  (まったく・・・ どんだけバカなのよ・・・。)
 
 
 
 
『うん・・・ 毎日、楽しみに待ってるから。』 シオリが可笑しそうに肩をすくめ
クククと小さく笑った。
 
 
 
 
 
少しずつ陽が翳る夕空は、眩しいほどに橙色が広がっている。
シオリがチラリ。ショウタの格好を横目で見て、ぷっと笑った。
 
 
 
 『ぁ、いや・・・ あのさ!

  普段はもうちょいマシなんだよ?

  ちゃんと、リーバイスのジーパンとか履いてっから! まじでまじで!』
 
 
 
なんだか必死に身を乗り出して釈明するショウタが可笑しくて、シオリは声を上げて
笑っていた。
 
 
 
 
    可笑しくて可笑しくて止まらなくて、

               心が、なんだかあたたかくて・・・
 
 
 
 
『そろそろ塾でしょ?』 ショウタがいまだアームリーダーで吊る左腕をかばいつつ
立ち上がる。 右手首に付けている腕時計は6時15分前だった。
 
 
『うん、もう行くね。』 同じくベンチから立ちあがりスカートのお尻を小さく払う
シオリに、ショウタは言う。
 
 
 
 『・・・送る。』
 
 
 『・・・うん。』
 
 
 
ふたり、公園の砂利を踏みしめながら夕暮れの中を歩いた。

あまりに見事な夕陽に照らされて、ふたりの頬も耳も真っ赤に染まっていた。
 
 
 

■第41話 よく笑うようになった顔

 
 
 
2-Aのショウタの席の前席に、ツカサがイスの背に抱き付くようにして後ろ向きに座っている。
 
 
その顔はニヤニヤとなにやら厭らしく片頬をあげ、気怠そうに突っ伏すショウタの
首筋にツンツンとイタズラするように人差し指でつつく。
 
 
 
 『なぁ~・・・ ショウタくぅ~ん・・・

  最近、なんかイイコトあったぁ~・・・?』
 
 
 
明らかに特定のなにかを思い浮かべながらの、その言葉。
声色はからかう感じのそれで、イヒヒ。と笑うツカサは愉しそうに口角を最大限あげる。
 
 
『・・・なにが?』 のっそり顔を上げると背を反らせて、奥歯まで全部見える程
大きく口を開け欠伸をすると、いまだ首筋をツンツンするツカサのうざったい指を
手で払いつつかれた箇所を痒そうにポリポリ掻いた。
 
 
 
 『最近さぁ~・・・

  ホヅミが、な~んか、よく笑うって噂になってんだぜ~・・・?』
 
 
 
突然ツカサの口から出た ”ホヅミ ”という固有名詞にショウタは一瞬驚き、
『お前、すげえな・・・ まじで。』 と尊敬するような眼差しで呟いたツカサの
一言が嬉しくないはずはなく、照れくさそうに眉を上げ口許を尖らしてペコリ。謎の会釈をする。
 
 
そう言えば、最近シオリは教室でもクラスメイトと愉しそうに談笑している姿を
見掛けることが増えたかもしれなかった。

”大人しい ” ”話しづらい ” ”笑わない ”という3大イメージを内心酷く気にして
いるシオリにとっても、周りに笑顔を見せる回数が増えることは実に良い事で。
 
シオリの笑う顔を思い浮かべ、嬉しそうに目を細め頬を緩めるショウタ。
 
 
すると、
 
 
 
 『あのさ、

  ほんとに医大生から、奪えちゃうんじゃねーのぉ~・・・?』
 
 
 
ショウタ以外のみんなは、シオリの ”カレシ ”とされる人物が実はただの従兄弟
だという事を知らないままだった。
シオリの個人的なことを誰かに言っていいものか考えながらも、ショウタはツカサに
ぽつり小声で言う。
 
 
 
 『あー・・・

  アレ、違ったんだよねぇ・・・

  別に、付き合ってないの。 ただの、根も葉もない噂!』
 
 
 
『えええ?? ・・・てことは??』 落ち着きなくイスから立ちあがり、ツカサは
ショウタの肩をぐっと掴むと、ぐわんぐわんと揺らす。
 
 
『あとは、俺の頑張り次第ってことっしょー!!』 ショウタがそこそこ勝算ありと
いう顔を向けてうししと笑う。 後頭部に両手を添えて、ぐっと背中を反らし天井を
見つめるともう一度嬉しくて堪らないといった顔で、顔を綻ばした。
 
 
 
 『お前・・・ まじで尊敬するわ・・・。』
 
 
 
ツカサは英雄を見るような目で見つめ、『最近ケッコォ、一緒に帰ってんだろ?』 
身を乗り出して話を続ける。
クラス1、否。 学年1の勇者でありヒーローであるショウタに、裏事情を訊きたくて
仕方がない、いまだ ”彼女いない歴=年齢 ”の、村人A。
 
 
『ん~、まぁな。』 イスの背にヒーローは踏ん反り返って、さほど長くはない足を組む。
そして胸の前で腕も組んで、どこか勝ち誇ったように目を細めた。
 
 
 
 『じゃぁさ・・・ 

  チュゥぐらいは、もう・・・したの??』
 
 
 
 
 
 『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぇ。』 
 
 
 
踏ん反り返るヒーローが急に背中を丸めて、自信なげに小声になった。
 
 
『いつすんの?もうそろそろ、チュゥの時期??』 村人Aは目をキラキラさせ
十字架に祈るように手を組んで、目の前の(仮)ヒーローをうっとりした表情で羨む。
 
 
 
 『いや・・・ それは、ぜんぜん・・・ まだ・・・。』
 
 
 
考えないはずはない、その、ソレ。
枕で、毎晩毎晩練習済なの、だが・・・。

まだその前に越えなければならない色々諸々こまごました事は、山ほどあるのだ。
 
 

すると、

『いくらなんでも手ぇぐらいは握ってんだろ?!』 村人Aの矢継ぎ早な質問は
やむことを知らない。
 
 
 
 『ぁ、えーぇっと・・・ それも、まだ・・・

  つか、まだメールも電話も・・・ 

  そう言えば、したことない・・・かも・・・。』
 
 
 
 
 
  チッ。
 
 
ツカサがあからさまに落胆して舌打ちをした。

そして、『なんだよそれ! そんくらいソッコーでしとけよ!!』
 
 
(仮)ヒーローは、いとも簡単にただの一般人に降格した。

 
 
 
  
  (そんな簡単にゆうけどさぁ~・・・

   毎日顔合わせてんのに、なんてメールすればいーんだよ・・・

   絵文字とかも、あんま苦手だしさぁ~・・・。)
 
 
 
 
ぶつくさと心の中で呟きながらも、シオリから来る返信を想像するとトキめく
心を抑えられない。
 
 
 
 
  (ハートとか付いちゃってたら、俺、気絶しちゃうわ・・・。)
 
 
 
 
甘い妄想ばかり膨らますだけ膨らまし、背中を丸めて顎を机に乗せショウタは
ぽつりひとりごちた。
 
 
 
 『メール・・・ してみよっかなぁ・・・。』
 
 
 

■第42話 胸に刺さった言葉

 
 
 
それから暫く経って、整形外科の診察室にショウタの姿があった。
 
 
向かいに座り相変わらず穏やかなあたたかい空気をまとう整形外科医ユズルは
細縁メガネの奥の目を細め微笑んで、言った。
 
 
 
 『経過は良好! アームリーダーはずしましょうか。』
 
 
 
数週間ぶりに、やっと自由になった左腕。

しかし、まだ不安そうに少し腕をかばうショウタ。
アームリーダーが四六時中食い込んでいた左肩の凝りはさすがにすぐには無くならず
肩を廻したり右手で揉んだりしながら、こわごわ左腕を上げたり下ろしたりを繰り返している。
 
 
『ムリは禁物ですからね~、急には張り切りすぎないで下さいね~。』 ユズルは笑う。

勝手なイメージで、ショウタは診察室を一歩出た瞬間からはしゃぎ出しそうに思え
何度も『ムリはダメだよ。 ダメだからね?』 と繰り返す。
 
 
そして、
 
 
 
 『ところで・・・

  不躾な質問ですけど・・・ ウチの妹とは、付き合ってるの??』
 
 
 
にこにこと嬉しそうに指先でペンを弄ぶユズルは、シオリと年齢が離れているせいか
一般的な兄妹よりとても妹を可愛がっている様子が見て取れた。
 
 
ユズルはショウタの診察は勿論のこと、妹シオリとのことを訊きたくてウズウズしていたのだ。

ショウタが病院に来るのを、実は手ぐすね引いて待っていた。
シオリをこどもの頃から知っている担当ベテラン看護師にも、”この件 ”は話していて
今日は朝からワクワクする様子を抑えられなかったユズル。
 
 
 
 『いや・・・ あの・・・、付き合っては、いないです・・・

  俺の、今後のがんばり次第っつーか・・・

  ホヅミさんの、気持ち次第っつーか・・・
 
 
  あっ! やばい・・・

  またこんな事ゆったってバレたら、俺、めちゃくちゃ怒られます・・・。』
 
 
 
ショウタが散々言ってしまってからアタフタと慌てる様子に、声をあげてユズルが
愉しそうに笑う。 つられて隣に立つベテラン看護師もクスクス笑っている。
 
 
 
 『まぁ、がんばって!

  あの、ひねくれ者を振り向かせること祈ってるから・・・。』
 
 
 
そして、堪え切れずイスの背にもたれて再びケラケラとユズルは笑った。
照れくさそうに肩をすくめて、えへへとショウタも頬を緩めた。
 
 
 
 
 
ホヅミ家リビングに、いつものように従兄弟コウの姿があった。

『ねぇ、コウちゃん・・・ ちょっと、いい?』 呼び掛けて、人差し指を上に向け
”2階 ”と合図する。
瞬きで了解して、シオリに促されるままコウは2階のシオリの部屋へ向かった。
 
 
シオリの部屋のベッドに腰掛けるコウ。

向かい合うように勉強机のキャスター付イスに座り、シオリはどこか落ち着きなく
クルクル廻っている。
なんて話し出したらいいか分からず、俯いたり髪の束を耳に掛けたり中々話を
はじめられないシオリ。

そしてやっと、『ぁ、あのね・・・。』 シオリが口を開いた瞬間コウがそっと
微笑んで目を伏せた。
 
 
 
 『青りんご君のことだろ~?』
 
 
 
『え。』 言葉に詰まったシオリに、コウは言う。
 
 
 
 『・・・なに? 付き合う事にでもしたの??』
 
 
 
赤い顔をして眉根を寄せると、シオリは大きく首を横に振り『ちがうちがう!』 と
大袈裟にまくし立てた。
 
 
 
 『そうじゃなくて・・・

  なんか、勝手にコウちゃんをカレシだとずっと勘違いされてて・・・
 
 
  ・・・で、この間。

  空気読んでコウちゃんが、その ”フリ ”してくれたでしょ・・・?
 
 
  でも、ちゃんとそんなんじゃないって言ったから。

  迷惑かけたからさ・・・ コウちゃんに。

  ・・・だから、言っておこうと思って・・・。』
 
 
 
何も言わず黙ってにこやかに話を聞いていたコウ。

シオリのどこか慌てながら赤くなって話す様子に、目を細めてまっすぐ微笑んでいる。
そして、肩をすくめ口許に拳を当てクククと可笑しそうに笑うと、静かに言った。
 
 
 
 『青りんご君・・・

  のんびりしてそうに見えて、実は結構デキる子なんだねぇ・・・?

  もちろん、医者・・・ 目指してるんでしょ?
 
 
  じゃなきゃ、シオリのおじさんが許すはずないもんねぇ・・・?』
 
 
 
その声色は、どこか嘲笑うような嫌な響きを含んでいた。
 
 
『別に・・・ そんなんじゃないし・・・。』 途端にぎゅっと口をつぐむシオリ。
 
 
すると、腰掛けていたベッドから立ちあがったコウは、シオリの前まで進むと
少し体を屈めてイスに座るシオリの肩に手を置き、目線を合わせた。

元々キレイな顔立ちをした色白のコウの肌が、更に青白く感じる。
透き通った瞳は、まるでビー玉のようで感情を読み取れない。
薄くて形のいい唇が、なんだか意地悪くひしゃげる。
 
 
 
 『下手に期待させちゃ、青りんご君が可哀相だよ・・・。』
 
 
 
コウのその言葉が胸に突き刺さり、シオリは思わず俯いて足元をじっと見つめた。
 
 
 
 
 
その頃、ショウタは自室のベッドで毛布にくるまり、ひとりグルグル巻きになって
ニヤニヤと悶えていた。
 
 
 
 『ヤバい・・・

  まじ、ヤバいかも・・・

  どうしよう・・・ まじでホヅミさんと付き合えちゃったら・・・

  つか、ほんとに27でケッコン出来ちゃったりしちゃったら!!!
 
 
  うおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!』
 
 
 
くたびれた枕をぎゅううっと抱きしめ、思い切りタコのように突き出した唇を押し付けた。

何度も何度も力任せに唇を押し付け、ちょっと乱暴だったかもと今後はやさしく軽く触れる。
そしてまた、本当にシオリだったなら窒息死するのではないかというくらいの力で
強く強く枕を抱き締めた。
 
 
 
 『ホヅミさん!!! 好きだぁぁぁぁあああああああ!!!』
 
 
 
シオリが哀しげに目を伏せていたことなど、浮かれるショウタは知る由もなかった。
 
 
 

■第43話 自転車の揺れのせいにして

 
 
 
左腕のアームリーダーがはずれ、やっとスッキリした面持ちで軽く肩を回すショウタ。
 
 
自宅裏の自転車を停めている物置前に立つと、サドルを手の平でポンポンと叩き
『待たせたなっ!』 と、ポツリひとりごちる。
 
 
久々に握る自転車のハンドル。 ペダルを漕ぐ足もなんだか軽くて、思わず無駄に
立ち上がりご機嫌に颯爽と立ち漕ぎをして学校へ向かう。

シオリにしつこいくらいに念押しされ、ケガ中はきちんと徒歩で通学していた。
あの徒歩での通学時間が自転車だとこうも早いかと、自転車発明の父ドライス男爵に
なんならキスぐらいしてもいいくらいだった。
 
 
 
 
 
移動教室の途中で廊下にショウタの姿を見掛けたシオリ。

まるでスキップでもしそうにご機嫌で、その腕は自由を勝ち取りどこか誇らしげに
左手をせわしなく動かしている。
 
 
 
 
  (ぁ。 アームリーダーはずれたんだ・・・。)
 
 
 
 
そのあまりに分かりやすい上機嫌な様子に、ひとり、ぷっと吹き出した。
 
 
 
今日はなんだかやたらとショウタが目に入る日だった。

ふと目線を流した先にはショウタがいて、落ち着きなく廊下を駆けていたり
美術の授業の後らしく水飲み場でゴシゴシ手を洗って制服ズボンで手を拭いていたり
調理実習で作ったであろうカップケーキを廊下で食べて教師に注意されていたり。
 
 
 
 
  (まったく・・・ なにやってんだか・・・。)
 
 
 
 
その様子を自分でも気付かないうちに、ひたすら目で追っていたらしくシオリが
廊下を進みながら呆れ顔で少し笑った時、正面から来た人にぶつかりそうになり
慌てて避けた。

『痛っ・・・。』 その時、少し足首を捻ってしまった気がする。 足首に微かな
違和感があった。
しかしこのぐらいなら大丈夫だろうと保健室にも行かず、シオリは午後の授業まで
普通に受けていた。
 
 
 
終業のチャイムが鳴り響き、バタバタと廊下に足音を立ててウキウキする様子を
隠そうともせずショウタがシオリの2-C後方戸口にひょっこり顔を出す。
シオリは目線だけ一瞬そちらに向けて立ちあがると、静かにイスを机の下に納めて
ニコニコ頬を緩めるショウタの元へゆっくり向かった。
 
 
すると、『じゃーーーんっ!!』 ショウタは左腕を目線の高さに上げて、自由になった
それをシオリに見せつける。

今日一日中チラチラとショウタの様子は見えていたので、アームリーダーがはずれた事は
知ってはいたけれど、『ちゃんと見てたよ。』 なんて言える訳がない。

『はずれたんだね。』 小さく笑って返した。
 
 
ショウタが左腕をケガしている間、自転車で登校しないか見張るという名目で
ふたりで帰っていた放課後。 今現在、腕は治りショウタは自転車で来ていた。
その名目はもう使えないというのは互いに分かっていたが、どちらもそれに気付かぬ
フリをして至極当たり前のような顔で、一緒に駐輪場へ向かう。
 
 
 
自転車には乗らずに押して歩いて帰る、放課後。

ふたり、相変わらず微妙な距離をあけたままで。
するとしゃべりながらふとシオリに目をやったショウタが、その歩き方にどこか
違和感を感じた。
 
 
 
 『あれ・・・ どした? 足、痛いの・・・?』
 
 
 
掛けられたその一言に、驚くシオリ。

少し捻ってしまった足首はどんどん痛くなり、熱を帯びて腫れてきていた。
しかし塾が終わって自宅に戻ったら兄ユズルに看てもらおうと思い、そんな事おくびにも
出さずいつも通りにしていたつもりだったのに。
現に同じクラスの誰にもそれは指摘されなかったし、気付かれていなったのだ。
 
 
『ぁ、うん・・・ ちょっと、捻っちゃって・・・。』 情けなく笑う。
 
 
すると、『言えよー! なんだよ、もうー・・・。』 口を尖らしてショウタは
おもむろに自転車に跨った。 

そして、『ほら!後ろ後ろっ!!』 自転車の荷台を顎で指す。
 
 
自転車の少し後ろで、まごついて立ち竦んだままのシオリ。 ふたり乗りをした事が
なくてなんだか尻込みしていた。

『もっと痛くなるぞー!』 ショウタに脅かされて、しずしずと荷台に横向きに掛ける。
ショウタが両足で支えている自転車が、シオリの重みで少しだけ不安定に左右に揺れた。
ショウタは振り返りシオリのカバンを引き受けると、自転車カゴの中の自分のカバン上に
それを乗せる。 そして、もう一度振り返ってシオリをじっと見ている。
 
 
『ん?』 見られて見つめ返すシオリ。

すると、『 ”ん? ”じゃないでしょ! 掴まって!!』 そう促されても何処に
掴まっていいものか分からない。 掴む場所を探しシオリの手は空を彷徨う。

いつまで経っても感じないその掴まれる感触に、ショウタが可笑しそうにクククと
『どこでもいいから掴まれって!』 やさしく笑った。
 
 
シオリはショウタの制服の背中を、その白く華奢な手で遠慮がちにぎゅっと握った。

ブレザーがシワになってしまうんじゃないかと、掴むのは背中でいいのかどうか
答えを出せないでいるシオリに、『動くからなー!』 一言声を掛けてショウタと
シオリはじめてふたり乗りした自転車は、下校する生徒で溢れる校舎脇の道をゆっくり進む。
 
 
 
ふたり、照れくさそうに嬉しそうに頬を染めて。

堂々とふたり乗りで仲良く通学路を進む自転車に、多数の冷やかしや羨ましそうな視線を感じる。
制服の背中を掴むシオリの手が、一瞬ぎゅっと力を込めた。
 
 
 
自転車の揺れのせいにして、ほんの少し、その大きなやさしい背中に寄り添った。
 
 
 

■第44話 新着メール1件

 
 
 
塾の前まで自転車でシオリを送ったショウタ。
 
 
本当は塾なんか休んで早くユズルに足を看てもらえばいいのにと思っていたが、
シオリが大丈夫だと繰り返すので、渋々その言葉に頷いた。
 
 
 
 『あのさ、塾って何時に終わんだっけ?』
 
 
 
自転車から降りカゴの中のカバンに手を伸ばしたシオリへ、さり気なく訊く。

すると、『8時。』 一言返事し、シオリは小さく手をあげ『ありがとね。』 と
照れくさそうにお礼を言って、少し足をかばいながら建物の中に入って行った。
 
 
『2時間後か・・・。』 シオリの背中が見えなくなるまで見送ると、ショウタは
ポツリひとりごちた。
 
 
 
8時になり塾が終わる時間になった。

教室ではぞろぞろと騒がしく次々ドアを出て帰ってゆく姿。 あっという間にそこは
誰もいなくなり、途端に閑散とする。 やたら蛍光灯の光だけギラギラ眩しい。

シオリはまだ席に着いたままで、俯いてぼんやりしていた。
段々腫れが酷くなる足首がジンジンと脈打っている。 そのお陰で今日は全く勉強に
など集中出来なかった。
 
 
 
 
  (どうしよう・・・ お兄ちゃんにでも車で来てもらおうかな・・・。)
 
 
 
 
シオリはひとつ溜息をつき、カバンからケータイを取り出して自宅へ電話しようと
その画面に目を落とした。

すると ”新着メール1件 ”の表示。
 
 
 
 
   From:明るく元気なストーカー

   T  o:ホヅミ シオリ

   S u b:

   本  文:目の前にいるから。

        チャリで帰り送るよ。
 
 
              ヤスムラ
 
 
 
 
  ガタンっ!!
 
 
驚いて慌てて勢いよく立ちあがってしまい、足首にズキンと痛みが走った。

痛みに苦い顔をしつつ少し足をかばい教室の窓側に駆けて窓の外を見ると、
そこにはショウタの姿が。
自転車を停めて向かいの建物の電柱前に立っているのが、街灯のほのかな光に浮かぶ。

窓にシオリの姿を見付け、嬉しそうに手を振っていつもの朗らかな笑顔を顔いっぱいに作って。
 
 
 
 
  (もう、なんなのよ・・・。)
 
 
 
 
シオリは慌てて目を逸らした。

その目にはみるみる涙が込み上げていた。 その透明な雫がこぼれぬよう上を向き呼吸を整える。
カバンを掴むと痛む足を堪え、早足でショウタの元まで急いだ。
 
 
『ビックリした~?』 呑気にケラケラ笑う、その下がり眉の善人顔は私服に着替えていた。

赤系ギンガムチェックシャツにジーパン姿のそれ。
一度家に帰って、また塾前まで来てくれたということのようだった。
 
 
 
 『ちゃんとご飯食べたの・・・?』
 
 
 
心配そうに上目づかいで見つめるシオリに、『食った食った。』 えへへと笑う。

ふいにまた涙が込み上げて、慌てて俯きそれを隠す。
 
 
 
すると、『ほら、乗って! 早く足看てもらわないとー』 ショウタに急かされて
シオリはまた同じように自転車の荷台に横座りした。
そして、ショウタのシャツの背中をぎゅっと掴む。
 
 
 
 
最初よりも強く。

最初よりも分かりやすく、不器用でやさしい背中に寄り添って。
 
 
 
 
 
  ショウタの背中に、シオリの感触が伝わる。

  シオリの頬に、ショウタの大きな背中のそれも。
 
 
 
 
 
触れ合うその部分だけ、熱をもっているかのように火照っていた。
互いそれについて敢えてなにも言うことなく、ただ黙ってそのぬくもりを感じていた。
 
 
 
 
  (ヤスムラ君が、好き・・・。)
 
 
 
 
シオリの中の秘めている想いがどうしようもなく溢れだす。

それと同時にぽろぽろと涙がこぼれて、つやつやの白い頬を伝った。
正面から吹き付ける少し肌寒い夜風が、その雫をさらってゆく。
 
 
 
 
  (大好き・・・。)
 
 
 
 
胸が苦しくて苦しくてぎゅっと目を閉じた。

決して泣いていることに気付かれないよう、シオリはこっそり深呼吸した。
 
 
 

■第45話 夜更けまで紡ぎ合った文字

  
 
 
自宅に戻り兄ユズルに症状を説明して、腫れて熱をもった足首を看てもらうシオリ。
 
 
すっかり ”医者モード ”から切り替わっているユズルは、口に食後のアイスキャンディーを
咥えながらシオリの足首をそっと触り押してみる。
 
 
 
 『あー・・・ まぁ、軽い捻挫だな。

  とにかく湿布で冷やして、寝る時は足は高く上げて寝とけ。』
 
 
 
ユズルは自宅の薬箱を持って来ると、その中から包帯を取り出しシオリの足首を
少し強めに圧迫し固めながら言う。
 
 
 
 『この足で歩いて帰って来たのか? 

  電話すれば迎えに行ってやったのに・・・。』
 
 
 
すると、『いや、うん・・・ あの・・・ 送ってもらったから・・・。』 

どこかきまり悪そうに口ごもる妹の姿に、即座に ”送ってくれた相手 ”が分かったユズル。

ニヤニヤと顔を緩ませ、『へぇ~・・・』 と敢えてそれ以上なにも突っ込まなかった。
シオリが照れくさそうに口を尖らせ、ジロリとそのニヤけ顔を睨んだ。
 
 
 
 
母親が淹れてくれたお茶のマグカップを両手で包み、テーブルに肘をつけて背中を
丸めるシオリがぽつりと口を開く。

ユズルは風呂に行っていて、リビングには母とシオリのふたりだけだった。
 
 
 
 『ねぇ、お母さん・・・。』
 
 
 
どこか思い詰めたようなその声色に、母は ”ん? ”と目だけで返事する。
テレビのサスペンスドラマに夢中な母。 丁度今、犯人が崖の上に立っていた。
 
 
 
 『私・・・ 将来、病院継がなきゃダメなの・・・?

  私の・・・ 将来の、相手の人って・・・ 医者じゃなきゃダメ・・・?』
 
 
 
ショウタの朗らかに笑う顔ばかり浮かんでしまい、以前従兄弟のコウに言われた
あの言葉が頭をチラついて仕方がなかった。
 
 
 
 
   ”シオリの相手は、医者じゃなきゃ認められないんだよ ”
 
 
    ”下手に期待させちゃ、青りんご君が可哀相だよ ”
 
 
 
 
すると、母親は少し驚きテレビからシオリへと目線を遣る。 そしてやわらかい
表情で目を細め微笑んだ。

娘が誰のことを想ってそんな一言を言い出したのか、瞬時に分かっていた。
 
 
小さくクククと笑うと、
 
 
 
 『・・・安心しなさい。

  長男のユズルがいるんだもの、シオリはそんな事気にしなくていいのよ・・・

  自分の好きに生きなさい。

  好きな人と、生きればいいのよ・・・。』
 
 
 
シオリはまるで泣き出しそうに安心した顔を向けると、みるみるその目には涙が込み上げる。
そんな娘の顔を見たら、母まであたたかい涙が込み上げた。
 
 
”こんな事 ”を母親に言って泣き顔を見られるのは恥ずかしくて仕方ない。

『ありがとう・・・ もう、寝るね。 おやすみ・・・。』 そう言ってシオリは
慌てて2階の自室に戻って行った。
 
 
すっかり年頃のキレイな娘に成長したその背中を、やさしくあたたかく母は見守っていた。
 
 
 
 
 
  (ぁ、お礼メールでもしておこうかな・・・。)
 
 
自室に戻ったシオリが机の上のケータイを見つめ、もう一度ショウタからの初めての
メールに目を落としていた。 たった2行の、見方によっては素っ気ない文字。
しかし、その2行が本当は照れ屋なショウタという人間をよく表していた。

指先でそっとスライドして、文章を打っていく。
 
 
 
 
   From:ホヅミ シオリ

   T  o:明るく元気なストーカー

   S u b:Re:

   本  文:今日はほんとにありがとう。

        嬉しかった。
 
 
              ホヅミ
 
 
 
”嬉しかった ”の一言を打ったり消したり暫く繰り返し、息をひとつ付いて覚悟を決め
この文章で送信した。 送信した後で、急激に心臓がバクバク高鳴り落ち着かない。
 
 
すると、すぐ返信が来た。
 
 
 
 
   From:明るく元気なストーカー

   T  o:ホヅミ シオリ

   S u b:Re:Re:

   本  文:いいえ、どういたしましてw

        足はどう?大丈夫?
 
  
             ヤスムラ
 
 
 
 
 
   From:ホヅミ シオリ

   T  o:明るく元気なストーカー

   S u b:Re:Re:Re:

   本  文:軽い捻挫だった。

        湿布したから平気。

        ねぇ、さっき履いてたジーパンて

        例のリーバイス?w
 
         
              ホヅミ
 
 
 
 
シオリがケータイを見つめ、クスクス笑いながら文字を打つ。
ベッドにうつ伏せになったり仰向けになったりしながら、その顔は愉しそうに微笑んで。
 
 
 
 
   From:明るく元気なストーカー

   T  o:ホヅミ シオリ

   S u b:Re:Re:Re:Re:

   本  文:そうだよ!!w

        スエットだけじゃないって分かったろ?w
  
 
               ヤスムラ
 
 
 
ショウタもまた、ベッドに寝そべってメールを打っていた。

たまに声を出してケラケラ笑いながら。
何往復したか分からないそのメール。 電話で話した方がずっと早かったのだが
初めて交わしたメールに胸はときめき、ふたり、夜更けまで文字を紡ぎ合っていた。
 
 
 
この時のシオリは、ショウタの呑気な流行り熱にほだされ、なにもかも上手くいくに
違いないと、そう思っていた・・・
 
 
 

■第46話 ハイタッチ

 
 
 
1学期が終わり、夏休みに入った。
 
 
相変わらずの、ふたりのもどかしい距離。

結局いまだシオリはショウタに想いを明確に伝えることは出来ず、それでもふたりは
頻繁にメールは送り合い、”友達以上 ”だということは言わずもがなだった。
 
 
毎日会いたいけれどなんて口実を作ればいいのか分からず、丁度いい理由を探り合うふたり。
そんな時、ツカサからショウタへ草野球の誘いが舞い込んだ。

『ホヅミでも誘えば~ぁ??』 あからさまにからかう感じの声色を出す電話向こうのツカサに
ショウタは『それだっ!!!』 寝転がっていたベッドから思い切り飛び上がりガッツポーズをする。

勢いよく着地した裸足の小指が、自室の床に散らばってた漫画本の角にクリーンヒットし
『う。』 足の小指を押さえ悶え大きな体を縮こめながらも、嬉しそうに右手はケータイを握る。

そしてすぐさまシオリにメールした。 するとケータイを震わせた ”YES ”の返事。
 
 
 
 
 
草野球当日の朝は、どこまでも青い空にもくもくの白く濃い雲が浮かび、絵に描いた
ような晴天だった。

グラウンドに集まるメンバーの中に、ユニフォーム姿のショウタ。
皆で顔を突き合わせ真剣に試合前の打合せをしているというのに、ショウタはキョロキョロと
辺りを見渡してばかりいて、全く集中していない。

監督から思い切りパコンと頭をはたかれる。 『聞いてんのか!ショウタっ』
しかし、そんなのお構いなしに尚も ”その姿 ”を必死に探している。
 
 
すると、今か今かと待ちわびるその姿がグラウンド入口に見えた。

シオリもどこか居場所なげにキョロキョロと見渡し、ショウタを探している様子。
まだ打合せが終わっていないというのに、嬉しくて堪らないといった顔でショウタは
弾けるようにその方向目掛けて駆け出した。
 
 
息を切らして駆けて来たショウタに、シオリは照れくさそうに佇む。

生成色のナチュラルチュニックにデニムをロールアップし、いつもは背中に垂れる
長い黒髪は頭の天辺で大きなお団子に結わいている。
しかし、前髪だけはいつもの几帳面な一直線のままに。

はじめて見たシオリの私服姿。 それは目を見張るほどに可愛らしくて、言葉が出ない。
 
 
ショウタは暫し潤んだ目で穴が開くほどシオリを見つめると、ぽっかり開いたままだった
その口からやっと声が出た。
 
 
 
 『か、かかかか・・・かか、可愛い・・・。

  すげー・・・ すげぇ可愛い! ええええええ、お団子可愛い!!!』
 
 
 
『あ、ありがとう。 分かった、もういいから・・・。』 あまりに ”可愛い ”を
目の前で連呼され、さすがに恥ずかしくてシオリは俯き手持無沙汰に前髪を引っ張る。
 
 
すると、『ショウタぁぁあああああ!!!』 監督から怒鳴り声が飛んだ。
えへへと悪びれもせず笑い、ショウタがグラウンドに戻って行った。
 
 
 
観覧席のベンチにはマヒロの姿もあった。

シオリとはさほど親しくはなかった為、互いにペコリと小さく会釈だけして
一応その顔に笑顔を作り合う。
マヒロはシオリが来ることを知らなかった為、内心ひどく驚いていた。
そしてモヤモヤが再燃し、落ち着かなくてシオリばかり気にして盗み見ていた。
 
 
 
絶好調で試合を運ぶショウタ達のチーム。 相手と大きな点差を付けて順調に
勝利へのカウントダウンを刻んでいた。
 
 
ショウタがバッターボックスに立つ。

殺気立った相手ピッチャーが真剣な表情で目を眇めているというのに、ショウタは
チラチラとシオリの方へ視線を向けその頬に笑みをたたえて、全く集中していない。
 
 
 
 
  (こっち見なくていいから、前向きなさいよ!!)
 
 
 
 
シオリは人差し指で ”前!前! ”と指を差し合図するも、とろんと呆けた表情で
いまだシオリを見つめている。
 
 
 
 
  (見なくていいってば!! 前!! 前向きなさいって!!)
 
 
 
 
シオリの人差し指にも力が入る。 何度も何度も ”ピッチャーを向け ”と指差し
しているというのに、呑気にニヤリ笑ってVサインなんか送ってきたショウタ。

すると、シオリが突然立ちあがった。
 
 
そして、

『前、向きなさいよっ!! バカ!!!』 怒鳴った。 というか叫んだ。
 
 
その怒鳴り声はグラウンド中に響き渡り一瞬あたりはフリーズして、そして笑い声が
ドっと起こる。 味方チームだけでなく相手チームも笑っていた。
思わず叫んでしまった自分にシオリ自身驚き、バツが悪そうに慌ててベンチに座る。
ショウタは、更にえへへと嬉しくて仕方なさそうに笑った。

シオリに活を入れられたショウタが豪快に振ったバットは、快音を響かせ白球は高い青空に
見事な放物線を描いた。 ベンチにいたメンバーと、マヒロそしてシオリが立ちあがり歓喜に沸く。
 
 
意気揚々とベースに戻って来たショウタは、一列に並んだ面々が出す手の平に自分の
それをパチンと当てて、にこやかに口角を上げた。
最後尾にいるシオリも、嬉しそうに笑いながらその白い手の平を出して待っている。
 
 
するとシオリの前まで来て、止まったショウタ。

大きな手の平をシオリの白魚の様な手に当てようとして、なんだか途端にまごつき
モジモジと照れくさそうに頬を緩める。 ユニフォームのお尻で泥だらけの手の平を
ゴシゴシと拭いてキレイにしたはいいが、再度手の平を見つめ少し首を傾げる。
まるで、まだ汚くてシオリの美しい手には触れられないのではとでも思っている風で。
 
 
一向にハイタッチしない、その手と手。

互いに手の平は出し合っていて、あと数センチでそれはタッチし合うというのに。
その様子を一列に並んだままじっと見ているチームの面々。 皆一様に息を呑み、見守る。
 
 
 
 
  (ちょっと・・・ 早くハイタッチしてよ・・・ 恥ずかしい・・・。)
 
 
 
 
すると、ツカサがつかつかと進みショウタの後ろに立って、思い切り背中を押した。
体が傾げよろけた瞬間、ショウタの手の平がシオリのそれにぶつかり、やっと触れる。
 
 
『見てるコッチがハズいわっ!!』 ツカサまで赤くなり、呆れ顔を向けた。
 
 
 
一瞬触れ合ったその手と手。

ショウタはあからさまに嬉しそうな顔をして、いまだ手の平に残る感触に浸っている。
シオリは照れくさいのを隠そうと、なんでもないといった表情を必死に作って。
 
 
 
マヒロだけがそれをジロリと見眇めていた。
 
 
 

■第47話 鉢分けの意味

 
 
 
試合はおおかたの予想通り勝ち、チームの面々は上機嫌だった。
 
 
昼どきの為このままみんなで近所のファミレスに流れることになり、ショウタはシオリ
にも声を掛ける。 しかし、『私はいいよ。』 と首を横に振ったシオリ。
そこまで自分がいては皆に気を遣わせるのではないかと、過剰に気を遣っていた。
 
 
すると、急に駆けて行くショウタ。 まとめ役であるツカサの所まで行くとなにやら話している。
そして、また慌てて駆けてシオリの前へ戻って来た。
 
 
 
 『俺も。 行くのやめた!』
 
 
 
そう言って朗らかに笑う、頬に泥が付いた善人顔。

『え?!』 困った顔をして、シオリが眉根を寄せた。
 
 
『私に気を遣わなくていいから・・・。』 いくらそう言ってもショウタは頑として
聞き入れない。 なんだか申し訳なくてシオリは尚も困った顔で訴えるような目を向けた。
 
 
すると、
 
 
 
 『この後・・・ なんか用事ある? もう帰んなきゃダメ・・・?』
 
 
 
遠慮がちに不安そうに小さく、ショウタが呟く。 シオリをそっと覗き込むように
背中を丸め意味も無く首の後ろをポリポリと掻いて。 

”その言葉 ”の意味が分かり、シオリは前髪を引っ張り照れくさくて緩んでいく顔を
少し隠すと、小さく2回首を横に振った。
 
 
 
 『なら! ・・・そんならさ、ふたりで・・・ 昼飯行かない・・・?』
 
 
 
ショウタは照れくさそうに、今度は腰の辺りを痒くもないのにボリボリ掻いている。

いつもは黒髪に隠れているシオリの耳が、赤く染まってゆくのがハッキリ分かる。
そして、小さくコクリ。頷いて、『・・・行く。』 ぽつり呟いた。
 
 
 
 
はじめて、ふたりきりでランチに行く。 これはれっきとしたデートな訳で。
 
 
 
 『な、なんか食いたいモンある??
 
  どうしよう・・・ どこがいいかなぁ・・・ なんか調べときゃ良かったぁ・・・。』 
 
 
 
眉根をひそめて必死にショウタははじめてのランチ先のことを気にしているが、
シオリはそのユニフォーム姿の方が気になっていた。

ブツブツ呟きながら進むその泥だらけの背中を無言でぎゅっと掴んで留まらせると、
まっすぐ見つめる。
 
 
『ん??』 振り返ったショウタに、『・・・着替えなくていいの?』 シオリが訊いた。
 
 
 
 『あ・・・ そっか、俺、ユニフォームだったか・・・。』
 
 
 
シオリに言われて、初めて気が付いたショウタ。

デートに舞い上がるだけ舞い上がり、それ以外の事はもうなにも見えていなかった。
泥だらけで更に汗だくのその体で、シオリとの初ランチに行くのはさすがにシオリに失礼だ。
 
 
 
『着替えたら?待ってるから・・・。』 シオリにそう言われて頷き、ふたりはショウタの
実家 八百安に来ていた。

『すぐ!ソッコーでシャワー入って着替えてくっから!!』 大慌てで自宅へ駆け込む
後ろ姿に『別にそんな急がなくても・・・。』 声を掛けたけれど、シオリの言葉は
きっと届いていない。
大きな音を立て玄関の敷居に突っかかりながら、泥だらけの不器用な背中は家の中に消えた。
 
 
店先に出て来たショウタ母に、シオリが笑顔で挨拶をする。
相変わらず恰幅がよくて豪快なその姿。 シオリはショウタ母がなんだか大好きだった。
 
 
店脇のスタンドラックに今日も咲き誇る花々を見ていたシオリ。

膝に手をあて、少し屈むようにして小さなそれに目線を合わせる。
すると心地良い爽やかな香りに包まれ、嬉しそうに更に大きく吸い込んだ。

シオリはショウタから教わった橙色のミムラスが、やはり一番好きだった。
指先でチョンと花びらに触れると橙色は小さく揺れる。 思わず目を細め、微笑む。
 
 
『なに?シオリちゃん、ミムラスが好きなの?』 ショウタ母に話し掛けられた。
 
 
 
 『ぁ、はい。 この間、ヤスムラ君が名前教えてくれて・・・。』
 
 
 
そう言って尚もミムラスに見入っている可愛らしいお団子ヘアーの背中。
すると、ショウタの母は豪快に腰に手を当てて大笑いした。
 
 
『ああ・・・ だからか・・・。』 やけにやさしい顔をシオリに向ける。
 
 
『ん?』 ”だからか ”の意味が分からず小首を傾げショウタ母を見つめ返すも
『ううん、なんでもない。』 と尚も頬を緩めて仰け反って豪快にゲラゲラ笑った。 
 
 
 
 
それは先日のこと。

ショウタが店脇に置いているミムラスを鉢分けして欲しいと言い出した。
理由を訊いても『部屋に置きたいだけだ。』 とそれ以上決して口を開かない息子。
 
 
小さめの植木鉢に持って行ったそれは、ショウタの部屋の日当たりの良い窓辺に置かれ
なにやらやたらと過保護に世話をしている様子だった。
 
 
シオリがミムラスを見つめる横顔を見て、やっと鉢分けの意味が分かったのだ。
 
 
 
『あー・・・ スッキリしたわ!』 ショウタ母が大きめに呟いたひとり言に、
シオリは更に意味が分からず首を傾げた。
 
 
 

■第48話 カウンターに並んで座って

 
 
 
ショウタが慌ててシャワーに入り着替えて10分で戻ると、店先で母親とシオリが
愉しそうに話して笑っているのが目に入った。 
 
 
思わず立ち止まる。 その光景が、なんだかじんわりあたたかくて心が震える。

思い切り頬を緩めながら、『ごめん! お待たせっ!』 飛び込んで来たその姿は
髪の毛が濡れていて、いまにも雫が落ちそうだった。
 
 
 
 『慌てなくていいって言ったじゃない! 

  髪の毛乾かしてきなよ・・・ 風邪ひくってば!』
 
 
 
シオリが困った顔で口を尖らすも、『へーき!へーき!』 と踏んづけたままの
スニーカーの踵の内側に指を差し込み、慌ててそれを履く。 爪先をトントンと
地面に打ち付けて、ついでに足首もグルリ廻した。
 
 
ショウタにとっては、1分でも大切なのだ。
シオリとふたりでいられる時間を、たった1分も減らしたくなかった。
 
 
『ほら!行くぞ行くぞ!』 強引にシオリを促して、商店街を進んだ。
 
 
 
 
 
 『なに食べる~? 食べたいモンある?』 
 
 
並んで歩くふたりは、どこからどう見ても仲の良いカップルにしか見えなかった。

きっとそう見えるんだろうなと思うと、ショウタの頬はまたしても上機嫌に緩む。
これで手でも繋げたら最高なのだけれど、そこまで一足飛び出来るほどショウタの
蚤の心臓には長い足は付いていなかった。
 
 
『ファストフードとかでいいんじゃない?』 シオリが隣を歩くショウタに目を遣る。

今日はネイビーの薄手パーカーにジーパン姿。 背が高いから見栄えは悪くないし
元々常に笑っているような人懐こいその顔は、悪い印象を与えることなどまず無かった。

ショウタに見えないよう少し顔を逸らして、クスっと微笑んでいた。
 
 
 
 
 
駅前のマックに入った、ふたり。

昼どきのそこは混んでいてテーブル席は全て埋まり、空いているのは窓際に向いた
カウンター席のみだった。 
注文するにも長い列に並ぶ。 しかしふたりで並んでアレコレ言いながら待つ順番
なんてなにも苦にはならない。 ”なにを注文するか ”という話題だけでなんなら
2時間くらいイケそうな程、ふたりの頬には笑みが溢れていた。
 
 
やっと手渡されたふたり分の商品が乗ったトレーを、ショウタが持って進みカウンターに
並んで座る。
 
 
結構豪快にパクリとバーガーにかぶり付くシオリが意外で、ショウタはポテトを
一気に3本つかみ咥えながら横目にクククと笑う。

『マックとか食わないのかと思ってた~』 という言葉に、『え? なんでっ??』
ひどく驚いた顔を向けるシオリ。
 
 
 
 『だってさ~・・・

  病院長の娘、とかだとー・・・

  いつも、こう・・・ フォークとナイフ、的な?』
 
 
 
両手でフォークとナイフを握る所作を少し大袈裟にして見せる。
ついでにワイングラスをしっとり回す仕草まで付け加えて。

首元にナプキンを付けたシオリが猫脚のアンティークなテーブルにつき、BGMの
クラシック音楽が流れる映像がショウタの頭を巡ってゆく。 後方に佇むメイドの姿。
 
 
『そんな訳ないじゃない! フツウにお箸だし、焼き魚とかだよ。』 勝手な想像に
シオリは呆れたように笑った。 実際に今朝の朝ごはんだって焼き鮭と目玉焼きだった。
 
 
すると、ショウタがじっとシオリを見つめた。

まるで電池が切れたオモチャみたいに、瞬きも忘れたようにかたまっている。
しかしシオリと目は合わない。 口許あたりを凝視しているようだ。

『な、なに・・・?』 あまりに見つめられて、少し体を仰け反り眉根をひそめるシオリ。
 
 
『マヨネーズ。』 人差し指でシオリの口の端を指差し、ぽつり呟くショウタ。

その一言に恥ずかしそうに慌ててカバンからティッシュを取り出すと、シオリが口の
横を拭うもまだ拭き取りきれずに残っているそれ。 ポテトの油で少し色っぽくテカった
薄い唇の端にチョン。とクリーム色が。
 
 
ショウタが人差し指を伸ばし、躊躇いながらゆっくりシオリの口横のマヨネーズを拭った。

マヨネーズにかこつけて触れたシオリの唇に限りなく近いその肌は、やわらかくて
ぷるんとしている。 
ショウタの顔は何故か赤く火照って、目も潤んでいた。 そしてじーーーーっと
自分の指先を見ている。
 
 
『アリガト。』 恥ずかしくて仕方なくて、俯きながらショウタにその指を拭くための
ティッシュを1枚取り出し渡そうとしたその時、
 
 
 
 
 『ちょっと!!!!!!!!』
 
 
 
 
マヨネーズが付いたゴツイ指を、ショウタはもの凄いスピードで口に咥え舐めようと
した事に気付いたシオリが、その手を掴んで大声で止めた。
 
 
『ババババ、バカじゃないの? ねぇ・・・。』 真っ赤になってギリギリでそれを
阻止するとシオリは隣に座るショウタの腕を、結構な力を込めグーパンチでボコボコ殴る。

耳だけでなく首まで赤く染めたシオリは、恥ずかしくて仕方なくて困っているような
怒っているような呆れているような顔でジタバタ足掻き、前髪の隙間から情けない眉が
見えてしまっていた。
 
 
ショウタがさすがに自分の馬鹿さ加減に、吹き出して笑い出す。
つられてシオリも肩を震わせ笑っている。 ショウタを殴る拳はそのままに。
 
 
 
 『ちょ・・・ 左腕、ヒビ入ったほうだからさ・・・。』
 
 
 
シオリが殴り続ける左腕をかばうように、背を丸めるショウタ。

『知るかっ!!』 更にケラケラ笑い、最後の一撃、伸ばした拳を軽くショウタの頬に当てた。
シオリの小さな拳に、ショウタの少し硬く引き締まった頬の感触。
 
 
 
 
  (ほんと、どうしようもないバカなんだから・・・。)
 
 
 
 
ただマックで昼ごはんを食べるだけの事なのに、ふたりにとっては愉しくて嬉しくて
笑ってばかりでお腹が痛くて、気が緩むと泣けてくるほど大切な時間となっていた。
 
 
 

■第49話 青りんごの習慣

 
 
 
マックで散々笑い合って昼食をとった後は、ふたりで駅前をぶらぶら歩いていた。
 
 
特に目的もないけれど、本屋や雑貨屋やCDショップを覗いて見てまわる。
歩き疲れると缶コーヒー片手にベンチに腰掛けて、そこでもまた時間を忘れて
しゃべって笑った。
 
 
時間なんていくらあっても足りなかった。
ただ一緒にいるだけで、ただ並んで歩くだけで、ただ隣にいるそれだけで満たされてゆく。
 
 
すると、ショウタが左手首に付けた腕時計に目を落とした。
実はシオリに気付かれないよう、今までずっとチラチラと時間は気にしていた。
 
 
 
 『あのさ・・・ 何時まで、ダイジョーブ?』
 
 
 
今の時刻は夕方の5時少し過ぎたところだった。

まだだいぶ明るかったけれど、少しずつ確実に今日という日が終わりに近付いている
気配に焦る気持ちを抑えられない。

シオリも自分の腕時計に目を遣り、『ん・・・ 夕飯までには戻ろうかな・・・。』
どこか寂しそうに後ろ髪引かれるような声色で呟く。

シオリもまた、ショウタに見えぬように時計は気にしていた。
 
 
『夕飯って? 何時? 6時?7時??』 ショウタがまるで泣き出しそうな顔を
向け身を乗り出し訊く。 大きくて頼もしいはずのその手はぎゅっと握りしめて
駄々を捏ねる幼いこどものように体の横で揺らしている。
 
 
『6時、くらいかな・・・。』 シオリのそれも、寂しい色を含んでいた。
 
 
 
 『あー・・・ 1時間、切っちゃった・・・。』 
 
 
 
なんだか不貞腐れたこどもの様に、珍しく不満気な顔を見せ下唇を突き出して背中を
丸めるショウタをシオリはそっと見つめる。
 
 
 
 
  (別に、もう会えない訳じゃないのに・・・。)
 
 
 
 
”トボトボ ”と本当に音が出ていそうなくらいガックリ肩を落とし、帰り道を数歩先ゆく
ショウタの大きなはずの背中があまりに弱々しくて心許なくて、シオリは困った顔を
して愛おしそうに小さく笑った。
 
 
『ねぇ、ヤスムラ君・・・。』 思い切って声を掛ける。
 
 
振り返りしょんぼりした顔を隠そうともしない情けない下がり眉に、シオリは言った。
 
 
 
 『私ね・・・

  青りんご・・・ 

  ・・・あの青りんご食べるのが、もう習慣みたくなってるの。』
 
 
 
言われてる意味が分からず、ショウタは『ん?』 小首を傾げている。
 
 
 
 『夏休み中も・・・

  出来れば・・・ 青りんご、毎日・・・ 食べたいんだけど・・・。』
 
 
 
今言われた意味をじっくりゆっくり何度も何度も巡らせて考えている。
その視線は最初斜め上方を見眇め、その後は高速の瞬きがやや暫く続き、
そして止まって目を見開いた。
 
 
やっと理解出来たショウタ。 『えええええええええええええええええ???』

目玉が零れ落ちそうに見開き、思わずシオリの細い肩をガッチリ掴んで揺さぶる。
 
 
 
 『ぇ。 そ、それって・・・?』
 
 
 
赤い顔でコクリ。ひとつ頷くシオリ。 『・・・毎日、だからね?』
 
 
すると、ショウタは少し震える手で口許を覆ってみたり、オロオロと歩き回ってみたり
電柱にパンチを繰り出してみたり、あきらかに取り乱していた。

『ま、まじかまじかまじかまじか・・・。』 ブツブツとひとり、小声で繰り返す。
 
 
その様子があまりに滑稽で、シオリは肩をすくめてクスクス笑う。

電柱に張り手をし続けているそのパーカーの大きな背中をぎゅっと掴み引っ張ると
『ほら、帰るわよ!』 と促した。
 
 
 
 『え? ちょ・・・ もいっかい確認するけど。 そ、それって・・・?』
 
 
 
尚も信じられずにオタオタしているショウタの脇腹に、シオリは軽くグーパンチをする。
そして再び頬を赤くしながら、口を尖らせもう一度照れくさそうに言った。
 
 
 
 
 『だーかーらー・・・

  ・・・毎日、会いに来てって言ってるの!!!』
 
 
 
 『え? え。 ちょ・・・ も、もいっかい!!!』
 
 
 
『しつこいっ!!!』 夕空にシオリの怒鳴り声が響き渡り、はじめてのデートが
終わりを迎えようとしていた。
 
 
 

■第50話 修学旅行がやってくる

 
 
 
それ以来、ふたりはいつも一緒にいた。
 
 
相変わらずシオリの口から明確な愛情表現は聞くことが出来なかったが、
ショウタにとってはそんな事はどうでも良かった。
 
 
 
   一緒にいられる

   一緒にいたいと思ってくれている
 
 
 
それだけで充分だった。
言葉なんか要らなかった。
横を向けばその姿があるというだけで、心は満たされ震えた。
 
 
 
 
季節はめぐり秋が来て、ショウタ達2年生はもうすぐ修学旅行が迫っていた。
 
 
放課後の書道部の部室。 いつもの所定の席でふたりは並び、筆先を半紙に落としている。

窓から見える通学路の街路樹はほんのり色付きはじめ、夏服から冬制服に衣替えした
生徒が絨毯のように広がる落ち葉を踏みしめ帰宅する姿。 暖色の世界になんだか見惚れる。

窓の外から、書に集中する今日も麗しいシオリの横顔に目線を移し、ニヤニヤと幸せそうに
眺めるショウタは半身に傾げる気怠げな姿勢で右手を動かしている。
 
 
ふとシオリがショウタの半紙に目を遣ると、半紙に縦書きで2行、”2-A ” ”2-C ”と書いている。 

『なに? なんでクラス??』 小首を傾げショウタを見ると、下唇を突き出し
不満気なショウタ。 筆先を硯へ移して、もう吸い上げないくらいに墨汁をたっぷり
浸み込ませている。
 
 
 
 『同じクラスだったら良かったのになぁ~・・・

  ・・・せっかくの修学旅行なのにさぁ~・・・。』
 
 
 
そうぶつくさ呟くと机に片肘ついて、”修学旅行 ”と相変わらず墨汁をつけ過ぎの
滲んだ汚い字で書いた。
 
 
 
 『クラスは違うけど行く場所は一緒じゃないのよ。』
 
 
 
サラッとクールに呟いて、再び自分の半紙に目を遣るシオリ。
そして、美しい姿勢で構えると筆先をゆっくり半紙に落とし筆を運んだ。
 
 
『そりゃ、そーだけどさぁー・・・。』 ショウタはイスに浅く腰掛け、どんどん体を
沈めていきもうイスの背が枕のようになる位置まで体は下がっていた。
机脚から大幅にはみ出したジタバタと駄々を捏ねる学生服のズボンの足。

すると、なにも反応しなくなった隣に座るその姿。 こっそり盗み見ると濃紺ハイソックスの
足はきちんと膝を揃えて座り、白色の内履きもショウタのそれと違い新品のように
汚れのひとつも無い。 いつ何度見ても麗しいシオリに勝手に頬が緩んでゆく。
 
 
チラリ、何気なくシオリの半紙に目を遣ったショウタ。
 
 
 
 
  ”ホテルに戻った後の自由時間とかあるじゃない ”
 
 
 
 
シオリは小筆で半紙1枚に流れるような美しい毛筆でそう記し、まっすぐ澄まし顔をしている。

『うぉっ!!!』 それを目に、慌てたショウタが浅くギリギリに腰掛けていたイスから
遂に転げ落ちた。 イスに抱き付くように這い上がると、『ま、まじで・・・?』
最大限嬉しそうな顔を向ける。
 
 
いまだ澄まし顔のシオリ。
ショウタの方は一切向かずに、再び筆を握りほんの少し口許を緩めて書いた。 
 

  
 
   ”まじで。”
 
 
 
 
ニヤニヤと緩んでいく頬筋をどうすることも出来なくて、ショウタはイスの背を
抱きかかえるように反対向きに座り、重心を前後にかけてガタンガタンと揺れている。
 
 
 
 『えー・・・ チョー楽しみ!

  修学旅行、チョー楽しみだなぁー・・・

  早く行きたいなぁ、あと何回寝ればいいんだ~・・・?

  ああああああああああ、早く自由時間になんないかなぁー・・・。』
 
 
 
『うるさいわね!』 ジロリと一瞥するも、喜びを隠そうともしないその姿に
シオリもこっそり微笑んでいた。
 
 
 
そして、あっという間に修学旅行の日がやって来た。
 
 
 

■第51話 修学旅行がやってきた

 
 
 
3泊4日の修学旅行がやってきた。
 
 
ショウタ達は北海道へ向かい、アイヌ民族学習や自然体験学習など大自然に触れ
仲間同士の絆を深める事を目的とした修学旅行となっていた。
 
 
各クラス毎に移動する際も、隙あらばショウタは2-Cの列までやって来ては
シオリの隣にちょこんと並び、まるでC組の生徒かのような顔をして進む。

その度に見つかり注意されるも、そんな事ぐらいで ”シオリの傍にいる ”という
権利を手放すショウタではない。 たかが教師にちょっと注意されたぐらいで
めそめそ戻って行きはしなかった。 少し背を屈めて長身の体を低くし、まわりの女子と
同化する姿にシオリが肩を震わせて呆れて笑う。
 
 
3回目のそれの時、C組担任に ”C組に近付くな! ”とこっぴどく叱られた。
ショウタのA組担任が、平謝りしながらショウタの首根っこを掴んで連れ帰る。
 
 
 
 『あああ・・・ ホヅミさぁぁああん・・・。』 
 
 
 
ジタバタと手足をバタつかせ暴れる2-Aのロミオに、困った顔で呆れ果てて2-Cの
ジュリエットは笑った。 愛おしそうに見つめて笑っていた。
 
 
 
 
ホテルに戻ってからの自由時間。
もう全体での夕食を済ませ、各自風呂に入ったり部屋で騒いだり、修学旅行らしい風景が広がる。
 
 
賑やかな6人部屋の片隅。 ショウタは背中を丸めケータイをポチポチ打っていた。
同室の級友は、ジュースを賭けたトランプで馬鹿みたいに盛り上がっている。
 
 
 
 
   From:明るく元気なストーカー

   T  o:ホヅミ シオリ

   S u b:

   本  文:なにしてんの?

        今ってヒマ??
 
 
              ヤスムラ
 
 
 
すると5分後。
ケータイを握り締めいまかいまかと凝視しているショウタへ、シオリから返信があった。
 
 
 
 
   From:ホヅミ シオリ

   T  o:明るく元気なストーカー

   S u b:Re:

   本  文:今、お風呂あがったとこ。

        髪の毛だけ乾かしたら、暇だよ。
 
 
              ホヅミ
 
 
 
 
   From:明るく元気なストーカー

   T  o:ホヅミ シオリ

   S u b:Re:Re:

   本  文:じゃ、それ終わったら1階のロビーで会えない?
 
         
              ヤスムラ
 
 
 
 
   From:ホヅミ シオリ

   T  o:明るく元気なストーカー

   S u b:Re:Re:Re:

   本  文:わかった。

        乾かしたら行くね。
 
 
              ホヅミ
 
 
 
ケータイ画面を見つめ、『おっしゃっ!!!』 大声で叫びガッツポーズをしたショウタ。
トランプ組が突然のその雄叫びに驚き、一斉にカードからショウタに目線を向ける。
 
 
髪の毛を乾かしてからだというのに、ショウタはもう部屋を飛び出して行こうと
ドアまで駆け出す。 ロングヘアの女子が髪の毛を乾かす時間がどれくらいかかるのか
なんかショウタに分かるはずもないが、例えそれを知っていたとしても逸る気持ちは
抑えられる訳がなかった。

しかし、一旦足を止めて振り返る。

そして、再び室内へ戻り制服のブレザーを掴んで大きな音を立てドアを開けると、
ホテル1階ロビーへ向けて大慌てで駆けて行った。
 
 
その頃シオリもまた、大慌てで髪の毛を乾かしていた。

ロングヘアのシオリの髪の毛は、そうそう早くは乾かない。
いつも時間を掛けて丁寧にブラッシングしながら乾かしているのだが、早くロビーに
向かいたくてそんな時間は掛けたくなどない。

翌日の髪の毛の状態など無視して雑に乾かし、それをまとめて引っ掴みぐっと上にあげ
バナナクリップで留めて、シオリもまた駆け出していた。
 
 
 
 
エレベーターの目の前でショウタがシオリを待つ。

扉が開く度に満面の笑みを向け、シオリではない人に怪訝な顔を向けられ上機嫌に
上がった頬筋を慌てて戻す。

そして、その笑顔は5回目に日の目を見た。
まとめ髪のシオリが、照れくさそうにエレベーターから降りて来る。
 
 
ふたり、見つめ合って微笑み合う。
照れくさくて、恥ずかしくて、嬉しくて。
 
 
 
『ちょっと、散歩でもしない?』 ショウタが腰をボリボリ掻きながら顎で指す。

コクリ。頷いたシオリも、照れくさそうにツヤツヤの頬を指先で掻いた。
 
 
 

■第52話 はじめて繋いだ、その手と手

 
 
 
ホテルのロビーを抜けて正面玄関から外へ出ると、そこはもう風が肌寒い北の秋の夜だった。
 
 
キレイな月が出ていて無数の小さな星が煌めいている。 秋の夜空は明るい星が少なく
少し寂しい。 双眼鏡でもあれば、ぼんやりと光る雲のようなアンドロメダ銀河を
見ることが出来るのだけれど。
 
 
ショウタ達の高校では、修学旅行時は基本制服着用で、ホテルでは学校ジャージしか
認められていなかった。

ジャージ姿で夜道の散歩に出た、ふたり。
やはり北海道の風は冷たくて、地元の夜のそれとは全く違い同じ国とは思えなかった。
 
 
ショウタがそっと手を伸ばしてシオリのまとめ髪に微かに触れる。

すると、まだしっとりと濡れた感触をゴツい指先に感じた。
その瞬間に目に入ったシオリの真っ白いうなじに、慌てて目を逸らす。
急激に心臓がドキドキ高鳴りだして、ふんわりかすめる石鹸のにおいに眩暈がしそうだ。
 
 
『ま、まだ乾いてないじゃん!』 眉根をひそめ、風邪でもひいたら大変だとショウタが慌てる。

どさくさに紛れてもう一度髪の毛に触れてみた。 同じ人間のそれとは思えないほど
まっすぐでツヤツヤで、そしていい匂いがする。 なんでこんなにいい匂いなんだろう。
 
 
『別にダイジョーブだよぉ~』 シオリが過保護なショウタを見て、頬を緩めた。
髪の毛に触れられた感触に、シオリも内心ドキドキしていた。
 
 
すると、部屋から持ってきた制服のブレザーをシオリの肩にそっと掛けたショウタ。
『つっても、やっぱ寒いでしょ~?』 えへへと照れくさそうに頬を緩める。

ちょっとキザだったかもしれないと、どこか落ち着かなそうにシオリを見るも
『・・・ありがと。』 シオリは目を伏せ、その大きなブレザーに嬉しそうに包まれた。
 
 
 
 
今日一日の出来事を話しながら、ふたりはゆっくり歩いていた。

ふたりの笑い声と落ち葉をゆっくり踏みしめ進む乾いた音が、秋の高い夜空に響き
吸い込まれて消えてゆく。
 
 
近くに小さな公園があるのを見付けて、足を踏み入れた。

夜なだけあって誰もいず、大きな木々で囲まれるそこはまるで閉鎖された空間のようだ。
ベンチに並んで座り、更に尽きることない話を続け笑い合う。
ベンチ脇にある街灯が後方からやさしく照らし、ふたりの影がクッキリと地面に伸びていた。
 
 
一瞬、互いに言葉を紡がない時間ができ、ただ黙って並んで座っていた。
 
 
ふとシオリが隣のショウタに目を遣ると、なにやら強張った顔をしてまっすぐ前を
見ている。 しかしその目はどこを見るでもなく、落ち着きがなくて定まっていない。

目の前になにかあるのかシオリも目を凝らすと、地面にしっとり伸びる影が不審な
動きをしているのが目に入った。
ショウタの左手がなにか掴もうと、落ち着きなく伸びたりやはり諦めて膝上に戻ったり。
 
 
 
 
  (・・・手? つなごうとしてる・・・?)
 
 
 
 
影が見えてしまっている事に、全く余裕がないショウタは気付いていない。
シオリは可笑しくて可笑しくて肩をすくめてこっそり笑う。
 
 
 
 
  (つなぐなら、早くつないでくれればいいのに・・・。)
 
 
 
 
シオリの手まであと少しの所で断念して、また戻ってゆく大きな手。

あまりのじれったさに、シオリはつなぎ易いようショウタと並んで座るベンチの座面上に
さり気なく手を置いて横目で様子を伺った。
 
 
すると、チャンスとばかりショウタはその横に同じように手を置く。
指1本分の隙間を開けて置かれた、ふたりの手と手。

その位置に置いたまま、また動かなくなった不器用な影。
 
 
 
 
  (もう・・・。)
 
 
 
 
シオリが少しだけ手を動かし、自分の右手小指とショウタの左手小指をわずかに触れさせる。
一瞬驚いてビクっと跳ねたショウタの手。 大きくて不器用でやさしい、その手。
 
 
ショウタは、ゆっくりゆっくりシオリの華奢な手に触れてみる。

ひんやり冷たいその細い指。 あまりにすべすべのそれに、自分の緊張して汗ばんだ手を
嫌がられて振りほどかれないか不安気に、横目でシオリを盗み見ながら。
 
 
シオリは掴まれた手にぎゅっと力を入れた。 そっと俯くその顔は眩しそうに目を細める。

すると、一拍置いてショウタのそれも負けじと握り返す。
そして、ゆっくり指を絡めしっかり繋ぎ合った。
 
 
 
 
 
   はじめて繋いだ、その手と手。

   あったかくて。

   恥ずかしくて。

   胸がじんわり熱くなる。
 
 
 
 
ただ黙ってふたり、手を繋いだまままっすぐ前を向いてベンチに座っていた。

肌寒いはずの夜の公園で、その頬は真っ赤に染まって、そして嬉しそうに緩んでいた。
 
 
 

■第53話 情けない顔した生き物

 
 
 
それは、2日目の土産を買う自由時間のことだった。
 
 
相変わらずC組担任の目を盗んでは、シオリの姿を探して駆け回っていたショウタ。

土産物屋のキーホルダーのコーナーで、それを手に取るシオリの背中を見付け
驚かそうと足音を忍ばせてショウタは後方から近付いていた。
 
 
なにやらご当地キャラクターらしいマスコットが付いたキーホルダー。
垂れ眉で情けない顔をしたよく分からない生物のそれ。
どこかショウタに似ている気がして、シオリは思わずクククと笑う。
 
 
すると、後ろから急に腕が伸びて、シオリが手に取り眺めるそれが奪われた。
ビックリして振り返ると、ショウタが朗らかに微笑みすぐ後ろに立っている。
 
 
 
 『コレ、買うの? 誰かの土産??』
 
 
  
『ううん。』 シオリが首を振ると、『じゃぁ自分用??』 すぐさま質問を続けるショウタ。
 
 
別に買おうとは思っていなかったのだが、なんとなく勢いで首を縦に振ってしまった。

すると、ショウタはもうひとつ同じキーホルダーを目の前の棚からはずして掴むと
『じゃぁ、俺が買う!』 と嬉しそうに2つ掴んで小走りでレジへ向かってしまった。
 
 
『え? ちょ・・・。』 止める時間もないくらいの素早い行動で、ショウタはその
情けない顔の生物のキーホルダーの会計を済ませてしまった。
そして、戻って来るとひとつをシオリに渡す。

もうひとつは、『おそろい。』 と目の高さに上げてショウタはえへへと笑った。
 
 
 
 『つかさ~・・・

  ホヅミさん、こうゆーキャラクター好きなの?

  なんか、情っけない顔した生き物だな、コレ・・・。』
 
 
 
キーホルダーを見つめる同じような顔をしたショウタに、シオリは思わず大笑いした。

両手で顔を覆って、いつまでもいつまでも肩を震わせ愉しそうに笑っている。
 
 
 
そして、
 
 
 
 『ありがとう・・・

  私ね、情っけない顔した生き物が大好きなの・・・。』
 
 
 
言いながらまたケラケラ笑った。

なんだかよく分からなかったが、シオリが愉しそうなのが嬉しくてショウタもつられて笑った。
 
 
 
 
 
その夜もホテルでの夕飯を済ませ風呂を済ませた後で、ふたりは夜道の散歩に出掛けた。
 
 
今夜もシオリの肩にはショウタの大きなブレザーが掛けられている。

数歩前を歩くショウタが振り返り、ちょっと照れくさそうにシオリへと手を伸ばす。
すると、そっと目を伏せてシオリは白くて華奢な手をその手に滑らした。
 
 
しっかり指の間をにぎり合い、寄り添って歩いていた。

昨夜よりも近付いて。
二の腕がかすかに触れ合う距離で。
 
 
 
ふたりの距離は、ゆっくりゆっくり確実に近付いていっていた。
 
 
 

■第54話 猛スピードで打ち付ける鼓動

 
 
 
楽しい修学旅行はあっという間に3日目を迎えていた。
 
 
その頃にはC組担任もショウタのめげない様子に白旗を上げ、シオリの横に立ちC組一同と
行動を共にするのを認めざるを得なくなっていた。 教師の完全なる根負けだった。
 
 
クラス毎にかたまって食べる昼食の時も、A組のテーブルから自分の分を持って来て
C組の面々に席を少しずつ詰めてもらい、シオリの隣に無理やり割って入った。

良くも悪くも ”明るく元気なストーカー ”の存在は皆に知れ渡っていたショウタ。
皆どこか呆れ顔を向けつつも『アイツなら仕方ない』 という顔をして許してくれた。
 
 
 
一緒に土産物屋を見てまわっていたショウタとシオリ。
ふと、シオリが女子向けの可愛い小物がある土産物屋に目を止める。
 
 
『ココ、見ていい?』 振り返りショウタを見ると、うんうんと頷き頬を緩める。

色んな可愛い小物や雑貨が所狭しと並ぶその店。 中の一角にタオルハンカチの
コーナーを見付けた。
 
 
明るいパステルカラーのグラデーションが目映いそれを、手に取って触ってみる。

するとその肌触りはやわらかくて、やさしくて、あたたかい。
ふと辺りを見回してショウタの姿を探すと、やはり女子向けの店は照れくさかったようで
店先で佇んでポケットに手を突っ込み、ぼんやりしている。
 
 
シオリは空色のグラデーションのタオルハンカチを掴んで、レジへ向かった。

すると急に立ち止まり、もう一度売り場に駆け戻る。
そして桜色のそれも掴んで、再びレジへ行き会計をした。
 
 
シオリが買い物をして戻って来たのを見て『なに買ったの?』 ショウタが目を細める。

すると、『ん・・・ ちょっとね、お世話になってる人にお礼。』 と、一言。
 
 
そしてまたふたりで、修学旅行生だらけの土産物屋街道を仲良く進んだ。
 
 
 
 
 
その日の夜の散歩道。
 
 
シオリがショウタへ小さな紙袋の包みを差し出した。

シンプルな生成色紙袋だが、隅に付いているワンポイントがお洒落で、記された店名の
文字もやわらかく可愛らしい。
 
 
『え?! 俺、に・・・??』 驚きかたまってパチパチとせわしなく瞬きをするショウタ。

差し出されたそれをしずしずと両手で受け取ると、『見てもいい・・・?』 
背中を丸めて恐縮しながら上目遣いをする。
 
 
 
 『ヤスムラ君には、いつもお世話になっているから・・・

  ・・・青りんごの、お礼・・・。』
 
 
 
そう言って、シオリが目を細め眩しそうに微笑む。

ショウタは決して紙袋を破かないよう慎重にテープを剥がして、中からそれを取り出した。
そして空色のタオルハンカチに目を落とすと、嬉しそうにシオリを見つめた。
 
 
 
 『むっちゃくちゃ嬉しい!!!

  ありがとう・・・ すっげー大事にすっから!!!

  あああー・・・ もったいなくて、使えねぇー・・・。』
 
 
 
たかがハンカチ1枚で大袈裟なショウタを、愛おしそうにシオリが見つめる。
ハンカチを表から裏から眺め、頬に当てて頬ずりしてみたりにおいを嗅いだり。

あまりに喜ぶその大きな背中が愛しくて愛しくて、今夜はシオリからそっと手を
伸ばしてつなぎ、寄り添ってみた。
 
 
すると、突然の思ってもいないシオリの冷たい指の感触に、驚いたショウタが少しよろけた。

向かい合ったシオリのおでこに、ショウタの顎がコツンとぶつかる。 『ごめん!』
図らずも、抱き合うような形で近付いたふたり。
 
 
 
ショウタの目の前に、シオリの頭がある。

あと、ほんの数センチでふたりの体は触れ合う。
 
 
 
暫くふたり、そのもどかしい距離のまま無言で立ち尽くしていた。

少し顎を上げ上を向くショウタの喉仏が、荒い呼吸にクッキリと浮き上がるのが
丁度シオリの目の高さに見える。
 
 
すると、ショウタが震える手をゆっくりゆっくりシオリの背中にまわした。

ゴクリ。息を呑む音がしっかり響く。
そして、少しだけ力を入れてその華奢な背中を引き寄せる。
 
 
 
 
    暗い夜道で、ショウタはシオリを抱き締めた。
 
 
 
 
それ以上腕に力を込め強く抱きすくめたら歯止めが利かなくなりそうで、
ショウタはただ包み込むようにやさしくシオリを抱き締めていた。
 
 
ショウタの左頬に、シオリの右耳が触れている。
互いの触れている部分がジリジリと燃えるように熱を帯びる。
 
 
 
 
   どきん どきん どきん どきん ・・・

   ドキン ドキン ドキン ドキン ・・・
 
 
 
 
ジャージの薄い生地はいとも簡単に、互いの鼓動を直に胸に伝えていた。
 
 
ふたり、そっと目を閉じてその猛スピードで打ち付ける相手の鼓動を感じていた。
ゆっくり呼吸をしようと思っても、全く言うことを聞かない暴走する呼吸器。
好きで好きで好きで好きすぎて、もうこのまま一生離れたくない。
 
 
 
その時、誰かが来る気配に慌てて体を離した。

今の今まであんなに大胆に密着していたくせに、途端に死にそうなくらい恥ずかしくて
ただ相手を見ることすら出来ずに目を逸らし合う。
 
 
 
 
  (キス・・・ したかったな・・・。)
 
 
  (キス・・・ されるかと思ったのに・・・。)
 
 
 
 
真っ赤に火照るふたりの頬を、今夜も冷たい夜風がやさしくなでて過ぎた。

ふたり、はじめての経験がたくさんあった修学旅行が終わろうとしていた。
 
 
 

■第55話 線と点だけで出来る顔

 
 
 
楽しかった修学旅行も終わり、また気怠い日常生活に戻っていたショウタとシオリ。
 
 
しかし、ふたりの距離は少しずつだが確実に進み、ショウタはもう ”ストーカー ”
から昇格していたし、周りからもふたりは完全に ”カップル ”という扱いで見られていた。
 
 
 
 
とある日の、3時間目と4時間目の間の短い休み時間のこと。

シオリが4時間目の数学の教科書を机上に準備しようと引出しをまさぐるも、それが無い。
 
 
 
 
  (ぁ・・・ 昨日の夜・・・。)
 
 
 
 
シオリは、以前ショウタに数学の教科書を貸した時に描かれたパラパラ漫画を
昨夜遅くまで自室でめくり、ひとりクスクス笑って眺めていた事を思い出す。
 
 
 
 
  (あー・・・ 机の上に置きっぱだ・・・。)
 
 
 
 
几帳面なシオリは、今まで忘れ物など殆どしたことがなかったというのに。
慌ててイスから立ち上がると廊下へ駆け出し、2-Aの教室へ向かう。
 
 
2-A教室後方の戸口で背伸びして、その姿を探す。

休み時間の為、立ちあがって教室内を歩き回る姿が邪魔をして、中々お目当てのその姿が
見えない。 すると、やっと見つけたそれは机に突っ伏して寝ているようだ。
 
 
『ヤ、ヤスムラくぅ~ん・・・。』 戸口から呼び掛けるも、きっと眠るショウタの
耳には届かないだろうと困った顔をしていたシオリ。
 
 
 
 
  (どうしよう・・・。)
 
 
 
 
すると、ガバっとその大きな背中は起き上がり、キョロキョロと周りを見渡す。
雑踏でも夢の中でもシオリの声だけには無意識に反応する体になってしまっているようだ。
 
 
 
 『ぁ。 ヤスムラくぅ~ん!』
 
 
 
もう一度呼び掛けたシオリを寝ぼけた顔で戸口に見付けると、細い目を最大限パっと
見開き嬉しそうに慌てて駆け寄ったショウタ。 勢いよく立ちあがった時イスの脚が
ギギギと床に擦れて嫌な音を立て、ショウタの後席のクラスメイトが苦い顔を向けて
いるのに、そんな迷惑には全く気付かぬまま、にこにこと朗らかに頬を緩めている。
 
 
『どしたの~?』 シオリが訪ねてくれた事に嬉しくて仕方なさそうに笑うと、
『数学の教科書貸してくれない・・・?』 申し訳なさそうにシオリが上目遣いで見る。
 
 
 
 『・・・珍しいな~? ホヅミさんも忘れモンなんかすんだな?』
 
 
 
クククと笑いながら、『ちょい待って!』とショウタは自席の机の引出しからそれを
持って小走りで戻って来る。

『全然ベンキョーしてないからキレイだよ!』 なにも褒められたことではないのに
どこか自信満々に言い放つショウタに、『ダメじゃない!』 とシオリも笑う。
 
 
その時、教室に廊下に、短い休み時間が終わるチャイムが鳴り響いた。

小さく微笑み軽くひらひらと手を振って、シオリは自分の教室へ慌てて戻って行く。
その後ろ姿を戸口に佇んで体を傾げ、見えなくなるまでずっと見守っていた。
自分でも気付かぬうちに、目を細めて頬も口許もだらしなく緩んでいたショウタだった。
 
 
 
 
シオリのクラスでは4時間目の数学がはじまり、シンと静まり返る教室内には数学教師の
声と黒板に白色チョークがぶつかる音だけが響いている。
 
 
退屈そうにひとり、小さく溜息をついたシオリ。

塾に通うシオリはハイペースで数学の勉強を進めていた為、学校の授業で教わる時には
既にそこはとっくに勉強済で、だいぶ遅い復習をしているようなものだった。
 
 
手持無沙汰に闇雲に教科書をペラペラとめくっていたシオリ。

ふと、ショウタが描いたパラパラ漫画を思い出す。
シオリはあのパラパラ漫画が大好きだった。 あれを見るとなんだかほんわかと心が
あたたかくなって、昨夜だって何度も何度もめくっては笑っていた。
 
 
 
 
  (私にも描けるかな・・・?)
 
 
 
 
ショウタのまるで新品のようなまっさらな教科書の右下隅に、シオリはシャープペンシルで
情けない垂れ目の顔を描いてみる。

すると、思わずぷっと吹き出したシオリ。 線と点だけでショウタだとすぐ分かる
似顔絵が出来上がってしまった。 何枚も何枚もそれを描き込み、試しにパラパラと
めくってみる。 思ったように上手に動かず不満気に小首を傾げて消しゴムで一旦消す。
そして、再び真剣に眉根をひそめて描き続けた。

シオリの長い黒髪が、突っ伏す机に落ちて広がりパラパラ漫画の邪魔をする。 
片方の耳に髪の束をかけて、数学なんかそっちのけで夢中になって描いていた。
 
 
もの凄い集中力で入り込みふと我に返って見渡すと、もう4時間目の終業のチャイムが
鳴り昼休みに突入していたようだった。 クラスメイトが騒がしく昼食をとりはじめて
いたり購買に買い物に行ったり、そこはもうすっかり授業の静かなそれとは別物だった。

先程の数学の授業など、なにひとつ耳に入っていなかったシオリ。

しかし満足気な顔で、それを一気にめくってみた。 
 
 
 
嬉しそうに愛おしそうに、カタカタとぎこちなく動くショウタを机に片肘を付いて
目を細めて見つめていた。
 
 
 

■第56話 異様に甘い玉子焼き

 
 
 
シオリは小さなお弁当と数学の教科書片手に、書道部部室へと向かう。

パタパタと小さく足音を立て廊下を駆けるその背中は、まるで羽根でも生えているかの
ように軽快で嬉しさが全面に溢れている。
 
 
 
修学旅行が終わり通常生活に戻ってすぐのこと、とある帰り道でショウタがシオリを
覗き込んで言った。
 
 
 
 『あのさ・・・

  明日から、昼飯、一緒に食わない・・・?』
 
 
 
クラスが違うふたりはもちろん別々に昼食をとっていた。

互いに弁当を持参していたため、教室の自席で毎日それを食べていたのだが、
どうしても少しでも一緒にいたかったショウタ。 それはシオリだって同じで。

『どこで食べるの・・・?』 さすがにどちらかのクラスでふたり寄り添って食べるのは
クラスメイトの手前、恥ずかしい。 だからと言って階段裏は埃が立ちそうでなんだか
衛生的に気が進まない。
 
 
『あ! 部室は?』 ショウタの一言で、その翌日からふたりは一緒に書道部の部室で
お昼ごはんを食べていた。

墨汁のにおいや若干のカビ臭さはあったものの、ふたりきりでいられる貴重なその場所に
不満はなかった。 少しでも一緒にいられるという事だけで、充分満足なふたりだった。
 
 
 
 
シオリが部室のドアを静かに開けると、もうショウタが来ていて窓を開け放ち空気の
入れ替えをしてくれていた。

晩秋の冷たい風が部室内に吹き抜けると、どんよりした空気のにおいが一気に変わる。
キーンとした冷気に身が引き締まり、ショウタはすこしだけブルっと体を震わせた。
 
 
『教科書ありがと。』 シオリが持ってきたそれを返すと、ニコっと微笑むショウタ。
パラパラ漫画にいつ気付くか、シオリは少しだけニヤっとショウタを見つめ返した。
 
 
机なんかたくさんあるというのに、ふたりはたったひとつの机に窮屈そうに弁当箱を
置き仲良く向かいあって食べる。

シオリの弁当はあまりに小さくて、本当にこんな量で夕飯まで体がもつのかショウタは
いつも首を傾げていた。 

『なぁ・・・ 足りんの?それで。』 色とりどりのおかずと小さな手毬おにぎりが
緑色のバランで仕切られているそれ。 シオリはピンク色の箸でつまみながら笑う。
 
 
 
 『毎日、それ言ってるよ? ヤスムラ君・・・。』
 
 
 
昼食のたびに毎回言われるその一言を、シオリは呆れながら可笑しそうに笑う。
 
 
 
 『だってさ~・・・ 俺の弁当の3分の1じゃね?』
 
 
 
母親手作りの自分のドデカ弁当を差し出して、そのサイズ比を見せ付けると
『それも毎日やってるから!』 シオリがケラケラと愉しそうに笑って言った。
 
 
ショウタの弁当はさすが食べ盛りの男子高校生用だけあって、とにかくボリューミーだった。

シオリの弁当はカラフルな野菜がメインだったが、ショウタのそれは唐揚げやらウインナーやら
ベーコン巻きやら茶褐色のおかずが豪快で、八百屋だと言うのに野菜はあまり見当たらない。
あのショウタ母が朝から元気に台所に立ち、フライパンを振るう姿が目に浮かぶ。
 
 
シオリが箸を伸ばして、ショウタの弁当のアスパラベーコン巻きを摘んだ。

『コレ、ちょうだい?』 そして返事も待たずにパクっと咥えてもぐもぐ食べる。
嬉しそうに頬を緩ませて『美味しい。』 と笑うシオリに、ショウタもシオリの小さな
弁当箱から上品に美しく巻かれた玉子焼きを貰って口に放る。
 
 
 
 『うめぇ~~~!

  ウチの母ちゃんの玉子焼き、なんかイッヨーに甘いんだよなぁ・・・

  味見とかゼンっゼンしてないんだよ、きっと。 テキトーすぎる・・・。』
 
 
 
思わず、シオリはぷっと笑う。

”生意気に文句言ってんじゃないよっ! ”と、ショウタ母の声が聴こえるようだ。
 
 
 
 『私ね・・・ ヤスムラ君のお母さん、大好き・・・。』
 
 
 
眩しいくらいにキレイな顔でまっすぐ見つめられてそんなこと言われ、ショウタは目を
見開いてかたまった。 家族のことを好きだと言ってもらえて、嬉しくないはずは無い。

八百屋の店先でシオリと母親が愉しそうに話していた姿を思い出し、なんだか心臓が
急にぎゅうううっと締め付けられ、目頭が熱くなって慌ててショウタは顔を伏せた。

ちょっとでも気を抜いたら泣いてしまいそうで必死に深呼吸する。
 
 
 
 『・・・ありがとう。』
 
 
 
その声色は少し震えていて、馬鹿みたいに泣きそうだということに気付かれないか
ショウタは気が気じゃなかった。
 
 
 

■第57話 眠り続けるショウタに

 
 
 
その日の放課後。 
 
 
ショウタがシオリを迎えに2-Cまで出向くと、黒板前でなにやら担任と話している
その姿が目に入った。
 
 
『分かりました。』 担任にそう言って振り返ったシオリが教室戸口にショウタを
見付けるとパタパタと小走りで駆け寄る。
 
 
『なにヤラかして怒られてたの~?』 ニヤリ笑ってショウタがからかうと、
『ヤスムラ君じゃないんだからっ!』 シオリも笑って目を眇める。
 
 
 
 『ちょっと担任に呼ばれちゃったから、先に帰ってていいよ。』
 
 
 
今日は部活がない日で、シオリはこの後6時からいつも通り塾があった。

毎日仲良く一緒に帰っていたふたり。 のっぴきならない事情が無い限り、そう言われた所で
ショウタにはシオリをおいてひとりで帰る気など更々ない。
 
 
『待ってるよ。』 至極当たり前といった顔でさらりと告げると、嬉しそうにシオリは
小さく微笑む。 内心、そう言ってくれると思ってはいた。 シオリだって出来れば
一緒に帰りたいという気持ちは変わらないのだ。
 
 
 
 『どこで待っててくれるの・・・?』 
 
 
 
『ん~・・・ 自分トコにいるわ。』 そう言って、にこやかに口角をあげると
ショウタは軽く手をあげて『じゃ、あとで。』 と、また教室に戻って行った。
 
 
 
 
30分ほど担任と進路に関する話をして、シオリが慌ててショウタの2-Aを覗くと
教室にはショウタ以外誰もいなかった。

色褪せた窓辺のカーテンがだらしなく垂れている。 陽が暮れるのが早くなった晩秋の
教室にはしっとりと夕陽が翳りはじめ、磨かれた床に机の4本脚の伸びた影を落とす。

そんな中、ショウタは相変わらず机に突っ伏して寝ているようだった。
 
 
 
 
  (まーた、寝てる・・・。)
 
 
 
 
起こさぬようそっと静かに近付いて、ショウタの前の席に座るシオリ。

すると突っ伏す机の上に、今日シオリが借りた数学の教科書が広がっている。
パラパラ漫画に気付いた様子で、何度も何度もめくったのかページの右下隅が折れ曲がり
めくり跡がしっかり付いていた。
 
 
 
 
  (あ・・・ もう、気付いたんだ・・・?)
 
 
 
 
クスリ。笑ってシオリはその教科書を静かに引き抜くと、なんとなくパラパラとめくってみた。

シオリが描き込んだ情けない下がり眉のショウタが朗らかに笑い、青りんごを差し出す
その絵。 すると、描いた覚えのないものがカタカタと動き出した。
 
 
それは、青りんごを差し出すショウタの横に佇む、前髪が乱れハの字の困り眉のシオリ。

ふと机に突っ伏し眠るショウタに目線を戻すと、その右手にシャープペンシルが
握られているのが目に入った。 シオリを待つ間、ショウタが描き足したようだ。
 
 
尚もパラパラとめくると、呆れたように頬を緩めて肩をすくめ笑ったシオリ。
 
 
カタカタと動くそれは、青りんごを差し出すショウタの頬に、困り眉のシオリがキスを
するというお話だった。
 
 
『まったく・・・。』 小さく呟いて微笑むと、シオリはシャープペンシルを握った
ままのショウタの右手からそれを静かにはずした。

そして、その大きくてやさしい手を白い両手でそっと包む。
あたたかくて、不器用で、まっすぐな、ショウタのその手。 
 
 
 
 
  (大好きだよ・・・。)
 
 
 
 
シオリは座っていたイスから腰を上げ少し前屈みになると、いまだ眠り続けるショウタに
そっと近付いた。

そして、眠り続けるその顔をやさしく見つめると、その頬に小さく小さくキスをした。
 
 
 
すると、ガバっと突然起き上がったショウタ。

頬をぽりぽりと痒そうに掻くと、少し寝ぼけた感じで、『あれ・・・ 寝ちゃってた。』
とぼんやり呟く。
 
 
『終わったの~?』 欠伸しながら朗らかに微笑まれ、シオリは赤い顔で高速で首を縦に振る。

一瞬キスをしたことに気付かれたかと慌てたけれど、ショウタは全く気付いていない
ようだった。 それが可笑しくて肩をすくめてクククと笑う。
 
 
ショウタは腕時計に目を落とすと、『ほら、塾があるから帰るぞ~!』 と自転車の
鍵が付いたキーホルダーを指先でクルクルと廻した。
 
 
 
ふたりお揃いの、情けない顔の生き物のキーホルダーがやさしく揺れていた。
 
 
 

■第58話 クリスマス・イヴ

 
 
 
その日は、いつもの街も空もどこもかしこも浮足立つ空気に満ちていて、
誰もかれも嬉しそうで、朝から心が躍るのを抑えきれなかった、ふたり。
 
 
 
12月24日 クリスマス・イヴ。
 
 
 
ショウタとシオリは放課後、一旦家に帰ってから夜にまた待合せをしてデートを
する予定を立てていた。
 
 
いつも通りにスタートした朝なはずが、その日は机の上に乗っている青りんごも
どこか微笑んでいるように見えたし、一緒に部室で食べるお昼ごはんもなんだか
照れくさい。 放課後並んで歩く帰り道だって、いつもとなにも変わらないはず
なのにどうしようもなく面映くて、ふたりは頬を染め言葉少なだった。
 
 
夜7時。 イルミネーションに煌めく駅前で待合せをした。
 
 
逸る気持ちを抑え切れずショウタは30分は早く到着していた。

精一杯オシャレしたつもりのショウタ。 駅前のショーウインドーに自分を映し確認する。
グレーのシンプルなカットソーにダメージデニムを履き、黒色のダウンジャケットを
羽織った。 この日の為に買ったベージュのワークブーツは真新しくて硬い踵のあたりが
少し靴擦れしそうな気配だった。
 
 
冷えた冬空の下、白い息を吐いて毛糸の手袋をはめた指先をあたためる。

足先もどんどん冷えてゆく。 モジモジと足踏みをして動かしておかないと凍えて
しまいそうだ。 ふと片手にぶら下げた紙袋をチラリ覗いて、その中にあるプレゼントに
目を細める。 はじめて女の子に渡すクリスマスプレゼント。 なにを渡していいのか
散々悩み ”女子高生 クリスマスプレゼント ”というワードでネット検索して
隅から隅までリサーチしまくった。 休日に照れまくりながらひとり買い物に行くも
結局ショップでも選びきれずに悩みまくり、出直して別日に再トライしていた。
 
 
 
 
  (喜んでくれるかな・・・。)
 
 
 
 
照れくささと少しの不安が入り混じった顔で、ひとり情けなく眉を下げた。
 
 
すると待合せ時間より15分ほど早く、道路向かいに信号待ちで佇むシオリの姿を見付ける。

ショウタに気付いていないらしく、寒そうに肩をすくめて両手を擦り合わせ息を
吐きかけて指先をあたためているその姿。
 
白色のダブルボタンコクーンコートは、大きな襟元にフェイクファーが付いていて
ふんわりとしたシルエットが見惚れる程に可愛らしい。 コートの中はオフタートルの
ニットワンピに細い足が際立つニーハイブーツ。 そして髪の毛は頭のてっぺんで
大きなお団子に結わいていた。 以前ショウタに過剰に『可愛い』 と褒められて
実は内心かなり嬉しかったシオリ。
 
 
道路向かいのショウタが、シオリに向けて大きく千切れんばかりに手を振る。

あまりに可愛らしいその姿に、誰かに声でも掛けられるのではないかとショウタは
気が気じゃない。 ぴょこぴょこ飛び上がり、最大限自分の存在をアピールする。

するとそれに気が付いたシオリ。 嬉しそうに微笑んで小さく手を振り返す。
1秒でも早く近付きたいのに、今夜の信号はまるで意地悪をするかのように
中々青に変わろうとしない。
 
 
車道の信号が黄色になりやっと赤色に変わった瞬間、ショウタは若干フライング気味に
横断歩道を駆け出した。 シオリもチラっと車道を左右確認して小走りで進む。 

そしてふたり、まるで長いこと逢っていなかったかのように嬉しそうに頬を染めて見つめ合った。
 
 
 
 
  (やべぇ・・・ すっっっげぇ可愛い・・・。)
 
 
  (ヤスムラ君・・・ カッコイイ・・・。)
 
 
 
 
照れくさそうにふたり、どこか誇らしく相手を見つめ微笑んだ。
 
 
ショウタがそっと手を差し出すと、その大きな手の中にシオリは手袋の指先を滑らせる。
ぎゅっとつないで嬉しそうに微笑み、『ぁ、ちょい待って。』 ショウタは一度手を離した。

そして自分の左手の手袋をはずす。 それを見たシオリもクスっと目を細めて自分の
右手の手袋をはずした。 再びそっとつながれた手と手。 手袋のウールの厚みさえも
ふたりにはもどかしい。 つないだ手に互いのぬくもりをダイレクトに感じながら
赤と緑に煌めくクリスマスの街をゆっくり進んだ。
 
 
 

■第59話 朗らかな誰かに似た・・・ 

 
 
 
いくらクリスマスと言えども、高校生のふたりは高級レストランでディナーをする
ほどのお小遣いは持っていない。
 
クリスマスプレゼントを買う分にも避けておかなければならなかった為、どこで夕飯を
食べようかふたりは事前に相談し合っていた。
 
 
 
仲良く手をつないでやって来たのは、リーズナブルなイタリアンレストランだった。

チェーン店のそこは普段から学生の姿も多く、ドリンクバーもあるため長い時間
居座っていられる。 きちんと事前に予約もして席を確保していた。
 
 
通された窓際のテーブル席は、丁度イルミネーションが煌めく大通りに面していて
大きな窓からそれが一望できる。 
『いい席で良かったね!』 嬉しそうに目を細め眺めているシオリの横顔をショウタは
満足気に見つめていた。
 
 
互いにはじめて異性に渡すクリスマスプレゼント。 自分の座る長椅子の隣に紙袋を
ちょこんと置くも、どのタイミングで渡すべきなのかが分からず相手の様子を盗み見る。

ほんの少しの無言の時間が訪れる度にチラチラとそれに目線を向けるも、食事の前が
いいのか後がいいのか、はたまた最中がいいのか、互いに全く分からなかった。

しかしテーブルにピザやパスタが並び、愉しそうにしゃべって笑って食べているうちに
小さいことなんかどうでも良くなっていた。

食後に注文したデザートプレートはクリスマス仕様になっていて、カットされた
ブッシュドノエルに苺やミントの葉が鮮やかで、粉砂糖は雪のようだ。
デザートが出て来てからも更に長い時間ふたりはしゃべって笑い、さすがにそろそろ
店に迷惑かと慌ててそこを後にした。
 
 
 
 
 
ふたり手をつないで目映いクリスマスカラーの街を歩く。

更にどんどん低くなってゆく気温に吐く息は顔の前を白く流れるも、寄り添い歩く
ふたりには寒さなど感じなかった。
 
 
イルミネーションが眩しい公園を進み、装飾された大きなモミの木の前で立ち止まったショウタ。

つないでいた手をそっと離しシオリと向き合うと、ずっと握りしめていた紙袋を
照れくさそうに差し出した。 
 
 
 
 『コレ・・・ 気に入るか、分かんないんだけど・・・。』
 
 
 
そうどこか不安気な目を向けるショウタに、シオリは少し呆れた顔を向ける。

大好きな人から貰うプレゼントが嬉しくないはずないのに、そんな当たり前のことすら
不安そうに、ショウタはどこか心細げに佇んでいる。
 
 
 
 『・・・見てもいい?』
 
 
 
嬉しくて仕方ない顔を向け、シオリはそっと紙袋の中を覗いた。

するとそこには、もふもふのくまのぬいぐるみが。 袋から取り出しよくその顔を見ると
なんだか下がり眉の情けない顔をしていて、朗らかな誰かさんによく似ている。
 
 
 
 『なんかさ~・・・ 

  ホヅミさん、情けない顔が好きだってゆってたから・・・。』
 
 
 
自分が一番情けない顔をしていることに、いまだ気付いていないショウタが
くまよりも情けない顔でえへへと照れくさそうに笑う。 

クククと肩をすくめ笑うとシオリは思いっきりそのくまをぎゅっと抱きしめた。
目を閉じて深呼吸をして、大切そうに愛しそうに更に力を込めて抱きしめる。
 
 
 
 『ベッドに置いて、毎晩一緒に寝るね・・・。』
 
 
 
照れくさそうに嬉しそうに頬を染めるシオリに、ショウタが急に真顔でぽつり一言呟いた。
 
 
 
 『ぇ。 ・・・いいなぁ・・・。』
 
 
 
正直すぎる心の声が、うっかり漏れてしまった。

シオリが恥ずかしそうに目を眇めると、ショウタの胸にグーパンチした。
 
 
 

■第60話 小さな植木鉢

 
 
 
ふと、シオリが紙袋に小首を傾げる。
 
 
胸にくまのぬいぐるみを抱いているのに、まだ紙袋には重みを感じる。
『ん?』 再び中を覗くと、薄い紙で包まれたものがもうひとつ入っていた。
 
 
『ちょっと持っててくれる?』 ぬいぐるみをショウタに渡し、それを慎重に取り出す。
そしてそれを覆った薄紙をはがすと、小さな植木鉢が出て来た。
 
 
 
  それは、橙色のミムラス。
 
 
 
シオリが好きだと言った花で、ショウタがプレゼントするならコレだと思っていた花だった。
 
 
 
 『母ちゃんに鉢分けしてもらって、ずっと部屋で育ててたんだよね~・・・

  室内であったかくしとけば、冬でもダイジョーブだから!』
 
 
 
シオリは目の高さにその小さな鉢を掲げ、溢れるほどに咲き誇る橙色の香りをかぐ。
嬉しくて嬉しくてどうしようもなくて、心があたたかいもので溢れる。
 
 
 
 『・・・花言葉、 ・・・なんだっけ?』
 
 
 
シオリがミムラスを潤んだ瞳で瞬きもせず見つめたまま、小さく訊く。
 
すると、ショウタは朗らかに笑って言った。  
 
 
 
     『 ”笑顔を見せて ” 』
 
 
 
 
シオリはそっと目を閉じて、ショウタから突拍子もない告白をされた春の日を
思い返していた。

ギョっとして呆れ果てて困り果てて、いくら冷たく断っても怪訝な顔を向けても、
それでも尚もめげずにいつも朗らかに微笑んでくれたショウタ。
 
 
 
 
   ”あの・・・ だからさ・・・

    今朝・・・夢で、見たんだよね・・・
  
 
    ホヅミさんと俺・・・ クリスマスに、付き合い始めて・・・

    お互い、27の春に・・・ケッコン、する事になる、みたいなんだ・・・。”
 
 
 
 
あまり人前で笑えなくなっていたシオリを、ショウタは毎日毎日あの手この手で笑わせた。
半紙に堂々と名前を書かれ、自転車でバスを追われ、教科書にパラパラ漫画を描かれ。
 
 
 
  ”なーんで人前で笑わないんだよ? ほんとはよく笑うんでしょ~?”
 
 
 
 
 
気が付けばシオリもショウタのことがどうしようもなく好きになっていた。
毎日会いたくて、言葉を交わしたくて、その手に触れていたい。
 
 
 
   ショウタがいてくれるだけで心はあたたかくて。

   ショウタがいてくれるだけで強くなれて。

   ショウタがいてくれるだけで笑顔でいられる。
 
 
 
 
  (今日こそ、ちゃんと気持ち伝えなきゃ・・・。)
 
 
 
シオリはショウタへのプレゼントの紙袋を、そっと差し出した。

その瞳にはいまにも溢れそうな涙が、ぎりぎりのところで留まっていた。
 
 
 

■第61話 お願い

 
 
 
 『コレ・・・。』
 
 
シオリが大きな襟元のファーを引っ張り上げ、少し口許を隠しながら照れくさそうに
プレゼントが入った紙袋をそっと差し出した。

ショウタはシオリから預かっていたぬいぐるみを返すと、嬉しそうにぽりぽりと
頬を指先で掻いて口角を上げる。
 
 
そっと紙袋を開け中を覗くと、更にカラフルな薄いラッピングペーパーで包まれた
ものが見えた。 ショウタは目を細め、まるでガラス細工にでも触れるように
しずしずとそれを取り出す。

ラッピングペーパーを丁寧にはがすと、出て来たもの。
 
 
 
 『え・・・・・・・・・・・・。』
 
 
 
ショウタが言葉を失い息を呑む。 目を見開くと、ゴクリと喉が鳴った音が響いた。

その様子に、シオリが恥ずかしそうに前髪を引っ張り俯きながら、小さく呟く。
 
 
 
 『はじめて編んだから・・・

  あんまり上手じゃないんだけど・・・ ごめんね?』
 
 
 
それは、手編みのマフラーだった。
 
 
トリコロールカラーのそれはフリンジが付いて、ショウタが通学する時にいつも着ている
濃紺のピーコートにピッタリで。

実は修学旅行から戻った頃から、勉強の合間をぬってシオリは生まれてはじめての
マフラーをこっそり編んでいたのだった。 教本と格闘するも思うようにうまく編めず
2回ほどき、最初からやり直しをしてやっと出来上がったそれ。
 
 
暫くそれを手にしたまま呆然と佇み、ショウタがやっと声を発する。
 
 
 
 『ぇ・・・ す、すげぇ・・・

  俺・・・ 生まれてはじめて、手編みのモン貰った・・・。』
 
 
 
その声は少し震えて、泣いているのかと思うほどだった。

ショウタは目をつぶりぎゅっとマフラーを抱き締めると、顔をうずめて大きく息をする。
ほんのりシオリのにおいがする気がして、どうしようもなく胸が締め付けられる。
 
 
『今! もう・・・ 今すぐ、してもいい??』 マフラーを伸ばすと嬉しくて堪らない
といった顔で首にグルグルに巻いたショウタ。 そうかと思えば首からはずして、
ふたつに折り輪っかに通すようにしてみたり。
 
 
大きな背中を丸めて、必死にマフラーをどう巻こうかで悩んでいるその素直すぎる姿に
シオリは溢れる想いをもう堪えられなくなっていた。
 
 
静かにショウタに近付き、そっと、その大きな背中に後ろから抱き付いたシオリ。
手を伸ばして思い切りぎゅううっと不器用な背中に体を寄せ、目をつぶる。
 
 
その突然のぬくもりに一瞬驚いてビクっとショウタの体が跳ねる。
慌てて振り返ろうとしたショウタへ、シオリが言った。
 
 
 
 『ふっ・・・り返らないで・・・。』
 
 
 
ショウタのダウンジャケットの背中に顔をうずめ抱き付いたまま、ぎゅっと目を
つぶるシオリが震えながら小さく呟く。
 
 
 
 『ねぇ・・・ 

  前に、数学の教科書貸した時に言ったこと覚えてる・・・?』
 
 
 
背中に全神経を集中し動揺しまくるショウタは、この夢のようなシチュエーションに
脳内パニック真っ最中で、なんのことを言われているのか全く分からなかった。 
 
 
 
 『え・・・? な、なんだっけ・・・?』
 
 
 『教科書貸してあげるから、

  その代わりに私のお願いもひとつきいてね・・・、って言ったの。』
 
 
 
そう言えば、そんなような事を言われたような気がしないでもないが、
それよりなにより、ダウンジャケットの厚みがもどかしい。
もっと直にシオリのぬくもりを感じたい。
 
 
 
 『ああ・・・ うん、そっか。

  ・・・まだお願い聞いてなかったな、そいえば・・・。』
 
 
 
すると、シオリが更にショウタに抱き付く腕に力を込めた。
大きく大きく深呼吸をして、震える胸を鎮め喉の奥からなんとか声を絞り出す。
 
 
 
 『・・・ずっと、

  ・・・私の隣にいて・・・ 笑わせて・・・。』
 
 
 
確かに耳に聴こえたその一言に、更に目を見開き我慢しきれずショウタが振り返った。
そして、潤んだ目でシオリをまっすぐ見つめる。
 
 
 
 
   『ヤスムラ君のことが・・・ 大好き・・・。』
 
 
 
 
ついに堪え切れずシオリの瞳から透明な雫がこぼれ落ちた。
 
 
 

■第62話 夢じゃない証明

 
 
   
   ”ヤスムラ君のことが・・・ 大好き・・・。”
 
 
耳の中でリフレインするその一言に、ショウタは卒倒しそうだった。
 
 
ずっと訊きたくて確かめたくて、でも臆病さが邪魔をして確かめることが出来ずに
いたその一言。

”言葉なんていらない ”なんて自分に言い聞かせていたけれど、心のどこかでは
やはりシオリの口から ”その一言 ”を聞きたくて聞きたくて仕方なかったのは否めない。
 
 
それが今、あの夢どおりにクリスマスの今夜、シオリの口から聞くことが出来たのだ。

突拍子もない夢が本当に正夢になってしまった瞬間、ショウタの中でなにかがプツンと
切れる音がした。
 
 
 
 『あれ・・・
 
  コレって、また、あの・・・ 夢?
 
 
  ・・・夢なんじゃないか・・・? また、どうせ夢なんだろ・・・?

  そうだ、そうに決まってる。 だって、こんな・・・ こんな・・・
 
 
  手編みのマフラーとか凄すぎる・・・ ああ、そうか夢か・・・ 夢だ。
 
 
  ハハハハハ・・・ あー、夢なら覚めないでほしい・・・ 

  ああああああああああああああああああー・・・・。』
 
 
 
『ヤ、ヤスムラ君・・・?』 舞い上がり過ぎてキャパオーバーでショウタが壊れた。

延々ブツブツと『夢だ夢だ』と繰り返し不気味に微笑むと、目も虚ろになっている。
 
 
 
 『ゆ、夢じゃないってば!』
 
 
 
いくら説得しても、そのオーバーヒート状態の下がり眉は聞く耳を持たない。

マフラーを首元にぐるぐるに巻くその大きな体は、耳に手を当てたり離したり
『あーあーあーあー・・・』 完全に意味不明な言動を繰り返している。
 
 
『夢じゃないってば! ほら、現実だってば!!』 手をぎゅっと握りその温度で
伝えようとしても、オロオロと狼狽するばかりのショウタ。
 
 
『ヤスムラ君っ!!』 シオリはショウタの肩にすっかり冷えた手を置きぐわんぐわんと揺らす。
向かい合うシオリが困ったように目を眇め、分からず屋に向けて不満気に口を尖らす。
 
 
すると、シオリは覚悟を決めたように大きくひとつ息をついた。
 
 
そっと爪先立ちをしてショウタに近付くと、呆けているダウンジャケットの腕を掴み
シオリはぎゅっと目をつぶって、その分からず屋の頬に思い切り唇を押しあてた。
 
 
 
 
 
   ショウタの燃えるような火照った頬に、シオリの冷えた唇の感触。
 
 
 
 
 
ショウタがあまりの衝撃に、よろけて数歩後退りする。

雷に打たれ一気に全身に電流が走ったように、頭の先から爪先まで痺れる。
そしてシオリにキスされた頬に大きな手の平を当てて、その感触を守るかの
ように目を見張った。
 
 
せわしなく瞬きを繰り返すショウタ。
心臓がバクバクと音を立て苦しくて、喉の奥からはただの一言も声が出ない。
 
 
『ゆ、夢じゃ・・・ないでしょ・・・?』 真っ赤になって目を逸らすシオリに、
ショウタは頬に手を当てたまま、コクリコクリと何度も何度も頷いた。
 
 
 
 
  (お、俺・・・ し、死ぬかも・・・。)
 
 
 
 
ショウタは、ゆっくり一歩また一歩とシオリへ近付く。

そして、真っ赤な顔で俯く愛おしいその人を意を決して思い切り抱きすくめた。
分厚いダウンジャケット越しでもショウタの胸の鼓動がシオリに伝わる。
抱きしめられてシオリもまた、息苦しそうに高鳴る鼓動に身悶えた。
 
 
 
 
  (心臓壊れて、死んじゃうんじゃない・・・? 私・・・。)
 
 
 
 
すると、やさしくシオリの肩に手を添えて、そっと体を離したショウタ。
真っ赤に染まる頬で、ふたり、まっすぐ見つめ合う。
 
 
 
視線が絡み合い、互いの瞳の中にはもう他のものなど何も映っていなかった。
 
 
 

■最終話 橙色のミムラスを、笑わない君に。 

 
 
 
クリスマスカラーの夜の街に、ジングルベルが遠く鳴り響いている。
 
 
 
ふたり、イルミネーションが目映いモミの木の前でまっすぐ見つめ合う。

ショウタがやさしく触れるシオリの肩には、その大きな手が小さく震えているのが
分かり易いほどに伝わっていた。
 
 
すると、空からはらりはらりと真っ白な雪が舞いはじめた。
クリスマスの贈り物のように、美しくやさしく白い天使が舞い降りる。

しかし、それにも目を向ける余裕など全くない、ふたり。
 
 
確かな ”その気配 ”に、互い、ただただ心臓の音ばかり急速に高鳴ってそこから
動けなくなっている。
 
 
 
 
  (ど、どうしよう・・・ キス、してもいいのかな・・・。)
 
 
  (・・・キス・・・ するんじゃないの・・・?)
 
 
 
 
潤んだ目で延々見つめ合い、恥ずかしさだけがどんどん募ってゆく。

互い、まるですがるような目を向け合って。
誰かが背中でも押してくれたらどんなにいいかと、草野球でハイタッチした事を思い出す。
 
 
その時、一瞬強い風が吹いてシオリの前髪をやさしく撫でていった。

すると前髪の奥に、愛おしいㇵの字の困り眉が現れる。
恥ずかしくて照れくさくて、いつもにも増して困っているそのシオリの眉。
 
 
 
キュン。とショウタの胸の奥が更に熱くなった。
 
 
 
ショウタはシオリに一歩近付き、そっと凍えるその手で几帳面な前髪を上げる。
そして、愛しい愛しいシオリのおでこに、やさしくあたたかく唇を押し当てキスをした。
 
 
その瞬間、シオリがそっと目を閉じた。
おでこに感じる愛しいぬくもりに、鼻の奥がツンとして真っ赤に染まる頬に雫が伝う。
 
 
おでこから唇を離し、ショウタはその涙をいまだ震える指先でそっと拭った。

そして真っ白な頬をその大きな両手で包むと、全身で高鳴る鼓動に苦しげに目をつぶり
静かに静かに顔を寄せてシオリの唇にキスをした。
 
 
 
 
 
   こんなにあたたかい感触を、生まれてはじめて知った・・・
 
 
 
 
 
名残惜しそうに唇を離すと、ふたり、照れくさそうに潤んだ目で見つめ合う。
白い息が流れてかすめ、小さく微笑むともう一度ぎゅっと強く抱きしめ合った。
 
 
 
  『・・・死にそうなくらい、好きだ・・・。』
 
 
 
シオリの華奢な体を抱きすくめてショウタがささやくように呟いた。
 
 
 
 
 
その瞬間のことだった。
愉しげにクリスマスソングが流れる街に、シオリのケータイがけたたましく鳴り響いた。
 
 
抱きしめ合う体勢から驚いたシオリが体を離し、カバンからそれを掴むと画面を見つめる。
 
 
『ぁ・・・ 家から?』 随分遅くなってしまった事に心配する電話が入ったのかと
ショウタがどこか申し訳なさそうに呟いた。
 
 
すると、シオリが首を傾げる。

『ウチの病院からだ・・・。』 なにか嫌な予感が走り、ケータイを見つめたまま
中々電話に出られないでいる。
遅くなった事への心配なら、家の電話から来るはずなのだ。
 
 
 
 『も、もしもし・・・?』
 
 
 
やっと電話に出たシオリが、何も言わずにただケータイに耳を当てて立ち竦んでいる。

そして、『・・・分かった。すぐ行く・・・。』 そう震える声で抑揚なく呟き電話を切った。
 
 
どこか只事ではない様子に、『なんかあったの・・・?』 ショウタが心配そうに覗き込む。

すると、シオリが浅い呼吸を繰り返し、息苦しそうに顔を歪める。
そしてみるみる青ざめてゆく顔で、ぽつり呟いた。
 
 
 
 
  
  『お、お兄ちゃんが・・・ 

   事故にあって・・・ 意識不明の重体、だって・・・。』
 
 
 
 
そう言うと、腰が抜けたようにシオリがその場にへたり込んだ。
 
 
 
 
 
そしてシオリから、また笑顔が消えた。
 
 
                      【橙色のミムラスを、笑わない君に。】
 
                                   
 
 
 
 続章【橙色のミムラスを、笑わない君に。】~ 青の行方 ~ へ、続く
 
 
 

橙色のミムラスを、笑わない君に。

橙色のミムラスを、笑わない君に。

学年イチ美人のシオリは、その朝、イイ人が代名詞の冴えないショウタの口から飛び出した ”突拍子もない ”告白に口を半開きにして呆然とかたまった。 ”俺たち、クリスマスに付き合い始める夢を見たんだ ”と真顔で詰め寄るショウタは、断っても断ってもめげずに朗らかに笑う。 笑わないシオリが笑ってばかりのショウタのペースに巻き込まれ、次第に・・・。 ≪全63話≫

  • 小説
  • 長編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ■第1話 突拍子もない告白
  2. ■第2話 噂
  3. ■第3話 感情の読めない顔
  4. ■第4話 思い込んだらまっしぐら
  5. ■第5話 訳の分からない宇宙人みたいな人の名前
  6. ■第6話 謝りたい理由
  7. ■第7話 明るく元気なストーカー
  8. ■第8話 溜息バリエーション
  9. ■第9話 好きな気持ちは別問題
  10. ■第10話 やわらかいけれど確かな圧力
  11. ■第11話 バイタリティ
  12. ■第12話 好きな文字でいいのだ
  13. ■第13話 上下逆さの半紙
  14. ■第14話 夕風に吹かれた前髪
  15. ■第15話 君の眉が見たいんだ
  16. ■第16話 数学の教科書
  17. ■第17話 ページをめくると、現れたもの
  18. ■第18話 毛筆カンバセーション
  19. ■第19話 酸っぱいままが完成形
  20. ■第20話 再び現れたㇵの字の情けない困り眉
  21. ■第21話 窓から覗いた白く細い手
  22. ■第22話 穏やかな整形外科医
  23. ■第23話 青りんごの子
  24. ■第24話 送信ボタンに触れた指
  25. ■第25話 慌てふためくその姿
  26. ■第26話 少し怒ったような顔
  27. ■第27話 とびきり情けない顔
  28. ■第28話 ちゃんとしたアドレス
  29. ■第29話 毎日一緒に
  30. ■第30話 ショウタが育った商店街
  31. ■第31話 ほんの少し近付いた距離
  32. ■第32話 青い春
  33. ■第33話 橙色の名前
  34. ■第34話 重なった想い
  35. ■第35話 解けなかった誤解
  36. ■第36話 顔なし
  37. ■第37話 なにも乗っていない机上
  38. ■第38話 呼び掛けられなかった名前
  39. ■第39話 吊るされた半紙
  40. ■第40話 精一杯乗せた気持ち
  41. ■第41話 よく笑うようになった顔
  42. ■第42話 胸に刺さった言葉
  43. ■第43話 自転車の揺れのせいにして
  44. ■第44話 新着メール1件
  45. ■第45話 夜更けまで紡ぎ合った文字
  46. ■第46話 ハイタッチ
  47. ■第47話 鉢分けの意味
  48. ■第48話 カウンターに並んで座って
  49. ■第49話 青りんごの習慣
  50. ■第50話 修学旅行がやってくる
  51. ■第51話 修学旅行がやってきた
  52. ■第52話 はじめて繋いだ、その手と手
  53. ■第53話 情けない顔した生き物
  54. ■第54話 猛スピードで打ち付ける鼓動
  55. ■第55話 線と点だけで出来る顔
  56. ■第56話 異様に甘い玉子焼き
  57. ■第57話 眠り続けるショウタに
  58. ■第58話 クリスマス・イヴ
  59. ■第59話 朗らかな誰かに似た・・・ 
  60. ■第60話 小さな植木鉢
  61. ■第61話 お願い
  62. ■第62話 夢じゃない証明
  63. ■最終話 橙色のミムラスを、笑わない君に。