あの傷の話

彼女の手首には傷がある。左手首なのはきっときき手が右腕だからに違いない。この季節、その手首の傷は長袖の制服にすっぽり覆われてしまう。もったいないなあ、なんて思ってしまった。一本一本、計算されたように並ぶその傷跡は、とても綺麗で、まるで芸術作品のようだった。
彼女の傷跡を見つけたのは今から数日前の図書室だった。借りていた本を返却して、新しく本棚を物色しようとウロウロしていたときに、本棚と本棚の間に彼女を見つけた。そのときに見つけてしまったのだ。本を立ち読みする彼女の、少しずり落ちた征服の間から顔を覗かせる傷跡を。普段は他人のそんな細部まで見ないのに、珍しくコンタクトをつけて学校に来てしまったことが彼女にとっては運のツキだったのかもしれない。その日以来俺は、ずっと彼女の左手首を追っている。
彼女はなぜ手首に傷をつけたのだろう。 3 年生だから受験のストレスかもしれない。もしくは自殺願望でも心の中に飼っているのだろうか。それとも、傷をつけることに何の意味もないのかもしれない。一通り想像しうる理由を考えたけども、結局それは彼女にしかわら利得ないことなのだろうし、そんな理由などどうでもいいと思っている自分に気がついてしまった。

そして今、教室には俺と彼女の二人きりである。子かも彼女は机に突っ伏してぐっすり眠っているようだった。忘れ物に気がついて教室に引き返したのでなぜ彼女が放課後の教室で寝ているのかは分からない。それでもこれは、明らかにチャンスだと思った。
ゆっくりゆっくり、彼女の机に近づく。幸い左手は机の上に投げ出されている。スースーと小さな寝息が聞こえる距離まで近づいて、俺は静かに彼女の左手首に顔を近づけた。やっぱり綺麗だなと思った。この小さな芸術品は俺だけのものだ。俺の大切な宝物にしよう。
左手首に静かに手を添えて、ぎゅっと握る。

「…ん、え?」
「おはよう」
「え、ちょ、何して。は、放して!」
「いやだよ」

彼女は必死に俺の手を振りほどこうとするが、性別の違う男に力で勝てるわけがない。俺はずっと彼女の左手首を握り続けている。
この傷が秘密だっていうなら

「ねぇ!やだ!」

簡単にふれられる場所にしまった君が悪い。

あの傷の話

あの傷の話

見つけてしまった、傷の話

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-21

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