今夜も、あの月あかり照らす歩道橋で。

今夜も、あの月あかり照らす歩道橋で。

■第1話 月あかり照らす歩道橋

 
 
 
ヒョロヒョロに細長いその学生服の肢体は、弱々しい月あかりが心許ない歩道橋の
端っこで肘をついて寄り掛かると、銀縁メガネのブリッジを中指で少し上げ
月の明かりに翳して見づらそうに参考書を見眇めていた。
 
 
夜10時。 バイト帰りのワタセ マドカは、その背中を横目に歩道橋を進んだ。
 
 
ゴールデンウィーク明け、まだまだ肌寒い春夜の風が吹きすさぶこの街に
またしても気怠い日常が飽き飽きするほどに繰り返されていた。

朝になると嫌々ベッドから起き上がり、学校に行って渋々授業を受け、放課後になると
自宅程近くのバイト先のコンビニへ向かいダラダラとレジに立つ。

そしてバイトが終わる夜10時。 この歩道橋を渡って自宅に帰るのだ。
 
 
そんなマドカの ”日常 ”に、突然アポなしで割り込んできたその珍妙な痩せた背中。
 
 
 
 
  (こんなトコで、お勉強・・・? 家でやれよ・・・。)
 
 
 
 
背中を向けるその学生服は、県内トップクラスの有名進学校で、マドカが例え3回
輪廻転生を繰り返したとしても願書すら出せないような、超ド級のお勉強が出来る高校だった。
 
 
 
 
  (あったまイーのは、ヤッパ、考えっことがチガイますねぇ~・・・。)
 
 
 
 
心の中で散々嫌味を吐いたのは、今夜のコンビニバイトでムカつくオヤジに説教染みた
ことをグチグチネチネチ言われた八つ当たりとも言えなくないのは、どうにも否めない。
 
 
その背中の横を通り過ぎた瞬間、無意識のうちに馬鹿にするように鼻で嗤ったマドカ。

そんなつもりは無かったはず、なのに・・・ 自分の耳に聴こえた、そのドス黒い嫌な
息遣いに自分で自分にゾッとする。
今のはいくらなんでも感じ悪かったかもと、慌ててほんの少し振り返った。
 
 
しかし、参考書に目を落とすその横顔は、それに対してなにも感じていなかったのか、
はたまた最初からそんな嘲笑は聴こえていなかったのか、1ミリも微動だにしなかった。

まるでハナからギャルのお前なんか眼中にないとでも逆に嘲笑われたような・・・
 
 
 
マドカはすぐ前に向き直り、歩道橋の階段を駆け下りた。

その靴音は、硬く、甲高く、どこか不機嫌そうに春の夜の空に鳴り響いた。
 
 
 

■第2話 微動だにしない背中

 
 
 
マドカは週に4日、バイトのシフトが入っていた。
 
 
なんなら週6ぐらいで入れてもいいくらいなのだが、ムダに変な方向に気をまわす店長に
”高校生は学業を! ”とかなんとか、バイト時間外に延々うざったく説かれた。

そんな学業を優先しなきゃいけない様な高校に進学していたら、こんなトコでなんか
バイトしてませんけど?と目を眇め顎を上げて言い返したいのをグッと喉元で堪え飲み込んだ。
 
 
赤色チェックのミニプリーツスカートに、だらしなく大きめに開けたヨレヨレの白色
シャツブラウスの襟元には少し曲がった紺色チェックネクタイ。
その上にベージュの大き目Vベストを羽織るその姿は、県内ワーストワンのお馬鹿女子高
だと一目で気付かれてしまう。

おまけにそのワーストワンのイメージを助長しそうな、バッチリ存在感のつけまつ毛に
自然光の下でも発色するベージュカラーに染めた髪の毛は緩くポニーテールにしている。
 
 
”勉強だけが全てじゃない! ”というセルフスローガンの元、じゃあ他に何があるのかと
訊かれたら絶句。 何も答えられないまま、マドカは高校2年の春を迎えていた。
 
 
 
夜10時。 今夜もバイトを終え、歩道橋の階段を気怠そうに上がる。
ダークブラウンのローファーの、少しすり減ってきた踵を更に擦るようにして。

ここの車道に横断歩道があったらどんなに楽だろうと、毎日毎日思っていた。
この無駄な階段の上り下りが、不毛に思えてならなかった。

横断歩道を渡る場合より、きっと、1.5倍か2倍くらいは長い距離を歩かされるはずだ。
算数は一番苦手だから、実のところ、どの位の差があるかの算出方法は分からなかったのだけれど。
 
 
階段を上りきった辺りで、また歩道橋の端っこで背中を丸めるあの学生服が目に入った。
 
 
 
 
  (あ・・・ 昨日もいた、ガリ勉じゃん・・・。)
 
 
 
 
今夜も、弱々しい月の明かりに不自由そうに参考書を見眇めている。
 
 
 
 
  (なんなの・・・? まじ、バッカじゃないの・・・?)
 
 
 
 
わざわざ不便な状況に身を置いているその姿に、イライラして仕方がないマドカ。
新手の勉強法か何かなのか。 試験前日に試験範囲全て完全網羅できるとかなら実践しようか。
 
 
わざと嫌がらせのようにガツンガツンと強めの足音を鳴り響かせて、その背中の横を通った。
そして、通り過ぎたあたりでチラっとまた振り返る。

しかし、参考書に目を落とすその横顔は、今夜もそれに対し1ミクロンも微動だにしなかった。
瞬きすらせずに、じっと参考書を睨んでいる。
 
 
 
あまりの無反応さに、マドカは一瞬背筋に冷たいものが走った。
 
 
 
 
  (ぇ・・・ アレって、あたしだけ、が。

   ・・・・見えてる、系・・・ とかじゃ、ない・・・よね・・・?)
 
 
 
 
歩道橋にしっとり落ちる月あかりにぼんやり照らされたその薄い背中に、思わず身震いする。

霊感とかそうゆう系は無かったはず。 親のソレ系体験談なんかも聞いた覚えはない。
そんな家系ではないはずなのだ。
 
 
途端に怖くなってしまって、マドカはダッシュで階段を駆け下りた。

今振り返って、歩道橋には誰も居なかったらどうしよう。 透き通ってでもいたらと、
それを確かめる事も出来ず、肺が爆発しそうなほど必死に駆けて家へ帰った。
 
 
 
歩道橋の欄干に肘をついて寄り掛かるその背中が、騒がしい足音に迷惑そうに
ほんの少しだけ目線を向けていたのを、マドカは知る由もなかった。
 
 
 

■第3話 参考書から上げた顔

 
 
 
その夜は、バイト先のコンビニでレジに立っていても、どこかソワソワと落ち着かなくて
お釣りを渡し間違えたり、指定された銘柄のタバコを渡し間違えたり散々だったマドカ。
 
 
 
 
  (どうしよう・・・ 歩道橋通らないで、別ルートで帰ろうか・・・。)
 
 
 
 
昨夜の学生服が ”目に見えないアレ系説 ”が頭を離れず、帰り時間のことばかりが
気になっていた。
 
 
10時、バイト終了。

怖くて仕方ないはずなのに、足は何故か歩道橋に向いてしまう。

階段を上がり、”あの姿 ”が見える位置まで行ってみてから、その先のことを考えようと
思っていた。 もし万が一の事があったら、すぐにでも引き返せばいいのだ。
なんなら車道をダッシュで横切ったっていい。
 
 
ゆっくりゆっくり、なるべく足音を立てずに歩道橋の階段を上がる。
ローファーのつま先だけで歩くようにそろりそろりと進む。 運動不足のふくらはぎが
もう張りだして痛いような嫌な違和感を生む。

そして、例の ”アレ ”が見える位置まで上りきると、階段の手摺りに隠れ首を伸ばして覗き見る。
すると、そこにはやはり今夜もあの背中が。
 
 
 
静かに歩みを進める。

そして、”ソレ ”から3メートルくらい離れた位置で止まった。
歩道橋の欄干にそっと手をかけて立ち、恐る恐る ”ソレ ”に目線を向けてみる。
 
 
 
 
 
じーーーーっと見てみた。

その、微動だにしない横顔を。

今夜も参考書に目を落とす横顔を。

じーーーーーーーーーーーーーーーーっと。
 
 
 
 
 
すると、”ソレ ”が参考書からそっと目を上げ、まっすぐ前を向いた。

鼻筋がスっと通っている。 形のいい薄い唇。 痩せたノドにクッキリと現れた喉仏がキレイ。
月の光が映りこんだ銀縁メガネに隠れて、その目はよく見えなかった。

しかし、前を向いただけでマドカの方は一切見ようとはしない。
 
 
そして、ポツリ小さく言った。
 
 
 
 『・・・なんですか?』
 
 
 
 
 (しししししゃべった!!!)
 
 
 
でもしゃべったからといって、それが幽霊系じゃないかなんて分からない。

今夜も姿は見えているけれど声は聴こえたけれど、もしかしたら他の人には ”ソレ ”は
見えていないという可能性だって捨てきれないのだ。
 
 
 
 『い・・・生きてる・・・の?』
 
 
 
マドカの遠慮がちな切れ切れの言葉に、『え?』  ”ソレ ”はやっと顔を向けた。
 
 
青白い顔とまるで感情がないメガネの奥の目の色に、やはりアチラの世界に近い人
なんじゃないかとマドカは真剣に思った。
 
 
 
 『・・・生きてる、人・・・ だよね・・・?』
 
 
 
尚も意味不明なその問いに、”ソレ ”は訝しげに首を傾げまた参考書に目を戻した。
 
 
 

■第4話 生きる、の意味

 
 
 
  ( ”生きてる、人だよね? ”ってどうゆう意味だ?)
 
 
 
アイバ リョウは、見ず知らずの女子から急に掛けられた問いの意味を考えていた。
 
 
 
  (なにかの謎かけ、なのか・・・?)
 
 
 
参考書に戻した目はもうその活字を追うことが出来ず、目線だけそれに落としてはいるが
その不意に突きつけられた ”謎かけ ”のことで頭がいっぱいになっていた。
 
 
 
  (生命があり活動できる状態にある、という意味なのか・・・

   生きがいを見出して日々を送っている、という方か・・・?)
 
 
 
前者なら間違いなく、答えはYESだ。
至って普通に呼吸をして、血液は体内を巡り、食べ物も水も人並みに摂取している。
 
 
でももし後者だとしたなら、それはきっとNOと言わざるを得ないだろう。

県内有数の進学校に入学したはいいが、極度の人嫌いとコミュニケーション能力不足の為
この春入学したばかりなのに5月中旬の今、もう学校には行かなくなっていた。

もとい、行けなくなってしまっていた。
 
 
 
人がいるのが嫌なはずなのに、自宅の自室でこもって勉強するのもなんだか落ち着かなかった。

学校を休みがちになっていた最初の頃、フラフラと当てもなく歩いていたリョウが
見付けたのがこの歩道橋だった。

なんだか中途半端な位置に造られたそれ。
車道向かいの住宅街に入ってゆく住人しか使わなそうなその歩道橋は、昼間も然程利用する人はいない。
片方の階段側には大きなクスノキがあり、心地良い木漏れ日を落とす。
夜は更に閑散とするそこは、月あかりにしっとり照らされ、多すぎず少なすぎない車の
走行音が適度に耳にやさしくて、参考書に目を落とすにはベストの場所だったのだ。
 
 
 
 
雨の夜以外は大体そこで月あかりの下、勉強をしていたリョウ。

夜11時くらいになると歩道橋を下りて自宅に帰っていた。
夜の8時から11時くらいまでが、最も集中できる誰にも邪魔されたくない時間帯だったのだが。
 
 
 
 
  (・・・生きてる、人・・・だよね・・・?)
 
 
 
 
あの一言がまだ頭をグルグルと巡り、リョウを悩ませた。
 
 
 
 『帰って ”生きる ”の意味を辞書で引いてみよう・・・。』
 
 
 
ポツリひとりごちて、その夜は参考書をパタンと閉じた。
 
 
 

■第5話 名を名乗れ

  
 
翌夜も、夜10時少し過ぎたあたりで例の彼女は歩道橋にやって来た。
 
 
 
そしてリョウから3メートル程離れた欄干に手を置いて立ち、今夜もまるでなにか
探るようにしてリョウの顔をギロギロと観察している。
その顔はまるで、見えづらい新聞文字を必死に読もうとする年寄のようで、
目を細め眉間にシワを寄せ、背中を丸めて首だけ亀のように前に伸ばしている。
 
 
 
  (だから・・・ ナンなんだよ・・・。)
 
 
 
リョウは今夜もしれっと涼しい表情を向けてはいたが、内心かなり戸惑っていた。
 
 
意味不明な謎かけを問い掛け、そして連日、彼女らの使う言葉で言うところの
”ガン見 ”をされる。

戸惑わない訳がなかった。

特に、彼女のような ”人種 ”。 世に言う ”ギャル ”と呼ばれている人種とは
真逆の、相反する、決して交わることのない世界に16年間生きてきたのだから。
 
 
 
 『・・・だから・・・ ナンですか?』
 
 
 
極力関わりたくはないのだが、無視出来る範疇を超えた彼女の視線に黙ってはいられない。

すると、
 
 
 
 『・・・ちゃんと、生きてる・・・ 人、なんだよね??』
 
 
 
また、例の謎かけだ。
 
『それは・・・ どうゆう意味で?』 リョウは混乱している様を見透かされぬよう
まっすぐ前を向き無表情で訊き返すと、彼女は身を乗り出し即座に質問返しをした。
 
 
 
 『え・・・? ”生きてる ”って他にナンか意味あんの・・・?』
 
 
 
その彼女の間の抜けた反応に、リョウは瞬時に悟った。 

やはり、彼女の問いには深い意味など何も無いのだと。 リョウが深読みするような
哲学的な意味合いなど皆無なのだ。
 
 
 
 『僕は幽霊にでも見えてるんですか・・・?』
 
 
 
そう言ったリョウに、彼女はパッと表情を明るくしてはじめて笑った。
 
 
 
 『いや・・・ あまりに無反応だし、影も薄いし、なーんか死んでるみたいだから

  実はあたしにしか見えてないんじゃないかって・・・

  ちょっと、まじでビビっちゃってさぁ~・・・』
 
 
 
屈託ない笑顔を向ける彼女に一瞬だけ目を向け、一瞥したリョウ。
謎かけの答えが分かった時点で、もう彼女との間の問題は解決していた。
 
 
すぐさま参考書に目を戻し、再び自分だけの時間に籠ってゆく姿勢を最大限アピールする。

伏し目がちに参考書を見眇め、口は堅くつぐみ、その耳は世界中の音をシャットアウト
しているかのように。
しかし、そんな空気を読みもせず、良く言えばにこやかに。 実のところズケズケと
彼女はリョウに話し掛ける。
 
 
 
 『あたし、すぐ近くのコンビニでバイトしてんの。

  家がすぐ近くだから、ここ通っていつも帰るんだよねぇ~・・・』
 
 
 
 
   (へぇ・・・。)
 
 
 
 
リョウが微動だにせず何も反応を示さずにいると、更に続けた彼女。
 
 
 
 『あたし、ワタセ マドカ。』
 
 
 
おおよそ必要とは思えないその自己紹介に、気が進まない様子を隠しもせずリョウが小さく呟く。
 
 
 
 『ぁ、はい・・・。』
 
 
 
すると、瞬時に二の句が飛んで来た。
 
 
 
 『 ”あ、はい ”じゃないよ! フツー、名前名乗られたらジブンも名乗るでしょ!』
 
 
 『・・・そうなんですか?』
 
 
 
興味なさげにほんの少しの皮肉を含んだそれに、彼女は少し苛立った表情を向けて言った。

いまだ互い3メートル離れた距離から、右腕をまっすぐ伸ばして人差し指で顔を差し
リョウを咎めるような口調で。
 
 
 
 『そーなんデ、ス、ヨ! お勉強だけしててもダメなんだよっ!』
 
 
 
マドカの最後の言葉がなんだか鈍くのしかかり、リョウは珍しくイライラしていた。
 
 

■第6話 ココにいる理由

 
 
 『だーかーらー・・・ アンタ、名前はぁ~?』
 
 
 
これで会話をフェイドアウトさせようと思っていたリョウに、尚も詰め寄るその顔は
互いの3メートルの物理的な距離は決して詰めようとはせず、しかし執拗に ”名前名前 ”と
うんざりするほど繰り返す。
 
 
分かりやすく、ひとつ。溜息をついて見せたリョウ。

そして、
 
 
 
 『・・・アイバ、です。』
 
 
 
ぼそっと最大限の不機嫌顔で呟くと、即座に『下は? 下の名前。』 そう返って来た。

『・・・リョウ。』 そう告げると、マドカは満足気に言った。
 
 
 
 『ねぇ、アンタ。 目ぇ悪くするよ~。

  ・・・こんなトコで、そんな小っさい文字読んでたら。』
 
 
 
 
  ( ”アンタ ”って・・・

   名前で呼ぶ気ないなら、しつこく訊くなよな・・・。)
 
 
 
 
心の底からげんなりしながら、『ぁ、いや別に。』 と口癖となっている一言が突いて出た。
 
 
すると、

『 ”別に ”ってなんだよ。』 なんだか呆れているみたいに肩をすくめてケラケラ笑う。
 
 
 
 『ねぇ・・・ な~んで、こんなトコで勉強してんの~?

  アンタ着てんの、スーパー賢い高校の制服だよね?

  フツー、塾?とか。 なんかそーゆー系のトコで勉強すんじゃないの~?』
 
 
 
さくらんぼみたいにグロスでテカったマドカの分厚い唇からは、プライバシーも
へったくれも無い矢継ぎ早な質問が止まらない。

横目で一瞥し参考書に目を戻すが、マドカは質問をやめる気などさらさら無い風で
お構いなしにそれを浴びせ続ける。
 
 
 
 『塾とか必要ないくらいなー・・・

  スーパー・ミラクル・スペシャルで・・・ デラックスな感じの賢さな訳~ぇ?』
 
 
 
チョイスするワードの小学生並みのお粗末さに、聞いているだけで嫌気が差す。

もっと読書をして、正しい日本語を学ぼうという気にはならないのだろうかと
心の底から気の毒に思った。
 
 
 
 『・・・キライなんで。』
 
 
 
別にご丁寧に返事なんかする必要はまるで無いのに、何故かこの時、リョウはこの問いに答えた。
 
 
 
 『塾とか、人がいるトコ。 キライなんで。』
 
 
 『んな事ゆったら、学校なんか人だらけじゃーん。』
 
 
 
即座に珍しく真っ当な意見が戻る。

リョウが言っている ”本当に伝えたい意味 ”が全く伝わっていないようなので
もう一度、ゆっくりハッキリ言った。
 
 
 
 『・・・人、が。 キライ、なんで。』
 
 
 
それには ”マドカ ”も含まれるという意味が伝わったかどうか、リョウは静かに
顔を横に向けて目を遣った。
 
 
すると、マドカは気怠そうに欄干に手をつき背中を丸めていた姿勢をまっすぐ正した。
小さく溜息のような息をついて、斜め前方に見える赤色の信号機を見つめる。

そして、
 
 
 
 『無人島にでも行かない限り、あっちも、こっちも。

  ・・・どっちに顔向けたって、人ばっかじゃ~ん。』
 
 
 
その緩い口調とは裏腹に、一瞬リョウをまっすぐ射るようにすがめた、その眼差し。

すると、なにか頭をよぎったかのように瞬時にパッと明るい表情を向けた。
見た目と同じせわしなく落ち着きのない、クルクル変わるその表情。
 
 
 
 『 ”キライ ”なんじゃなくて、”苦手 ”なんじゃないの~?

  あたしも数学、チョォ~苦手だもん。 教科書見たくもない・・・

  アンタもさ~、アレじゃん? 避けてるだけなんじゃん?』
 
 
 
 
  (僕のなにを知ってて、そんな偉そうなこと言ってんだよ・・・。)
 
 
 
 
マドカの説教染みた言葉にうんざりと溜息を落とそうとした、その時。
 
 
 
 
 『数学教えてくれたら、アンタに ”人の気持ち ”ってモンを教えてやるよ。』
 
 
 
 
自信満々に言い放ったその顔は、雲の隙間から現れた月のあかりに照らされて
眩しくて、なんだかどこか神々しくさえ見えた。
 
 
 

■第7話 人の気持ちの教え方

 
 
 
 『数学教えてくれたら、アンタに ”人の気持ち ”ってモンを教えてやるよ。』
 
 
 
耳に聞こえたその自信満々な声色が何かの聞き間違えかと、リョウは一瞬かたまって
脳内リピート再生をしてみる。 何度リピートしても、しても、納得いかない。

念の為、もう一度マドカに確認した。
 
 
 
  『・・・ぇ。 ワタセさん、に・・・ 僕が、教わるんですか・・・?』
 
 
 
心からの、純粋な、純真無垢な問いだった。

すると『あーぁ? なに、文句でもあんの?』 目をすがめ顎を上げて不満気に口を尖らす。
胸の前で腕組みをして、片足は斜め前に放り出しつま先でカツカツと踏み鳴らしている。
 
 
 
 『いや・・・ あの、はい。』
 
 
 『 ”はい ”じゃねえ、バーカ! そうゆーとっからだよ、アンタは。』
 
 
 
マドカの言葉遣いが汚すぎて、耳が痛い。
顔をしかめてかぶりを振り、耳珠を人差し指でぐっと押したリョウ。
 
 
 
 『コミニュケーションでしょ! なにごとも大事なのはー・・・

  返す言葉ひとつで、色々、なんか・・・ 

  ・・・なんつーか、さ ・・・相手に与えるモンとかも、ナンカ違うんだよー!』
 
 
 『コ・ミュ・ニケーション、ですけどね。』
 
 
 
 
 『うっせ、バーカ!』
 
 
 
 
 ( ”バカ ”って・・・ 返す言葉ひとつで与えるモンが違うんじゃないのかよ。)
 
 
 
 『ワタセさんよりバカじゃないと思います。』
 
 
 
しれっと涼しい顔で言ったリョウは、なんだか気が付いたら面倒なことになって
しまったと内心戸惑っていた。

口の悪い変なギャル女子高生にすっかり絡まれてしまった。
 
 
おまけにここ数日、マドカのお陰で歩道橋での勉強が全く進んでいない。

人と関わりたくなくてこの場所にいるのに、これでは以前より酷い有様で。
せっかくべストな場所を見付けたと喜んでいた矢先だというのに。
 
 
 
 
  (どうしよう・・・

   どっか、他の場所でも探そうか・・・。)
 
 
 
 
苦い顔をして、途方に暮れたように溜息を落としたリョウ。

すると、リョウの心の声が聴こえたかのように、マドカが付け足す。
 
 
 
 『ぁ、でもさー・・・

  アンタの大事なお勉強タイムの邪魔すんのはアレだからー・・・

  まぁ、ちょっと休憩時間にでも。的な~?』
 
 
 
 
  (なんだその日本語。 ほんとに、意味が分からない。)
 
 
 
 
例えば休憩時間を作ったとして、マドカの言うところの ”人の気持ち ”とやらを
何をどうやって教えるつもりなのか、リョウには皆目見当がつかなかった。

道徳の教科書でも用意するのか。
熱血学園お涙頂戴モノのDVDでも見せるつもりか。
 
 
頭を抱えるように欄干に手をついてうな垂れたリョウに、マドカはケラケラ笑って言った。
 
 
 
 『つっても、さ~・・・

  ・・・どうやって教えたらいーんだろね?』
 
 
 
呆れ果てて、口を利く気が失せたリョウだった。
 
 
 

■第8話 2.8メートルの距離

 
 
 
翌日からマドカは、歩道橋に寄り掛かり参考書に目を落とすリョウと同じように
欄干に肘を置き、背中を丸めて気怠げな横顔を並べていた。
 
 
今夜もぼんやりと月の光は弱々しく、微妙な距離をあけて並ぶふたりの背中をしっとり照らす。
 
 
ふたり、昨夜までの距離3メートルから少しだけ近付いて。
その距離おおよそ2.8メートルといったところか。

それは、遠くて話しづらいけれど、あまりに近いとリョウの ”お勉強タイム” の
邪魔になってしまうからというマドカの小さな配慮のもとだった。
 
 
 
何時間も同じ角度で参考書を睨むリョウが、疲れたように首を左右に倒し凝ったそれを
痩せて手の甲の筋が浮き上がる青白い手で揉んだ。

チラっとそれに目を向けたマドカ。 その片手には野菜ジュースの紙パックが握られ
少し奥歯でストローを噛んでいるのか、片頬が歪んでいる。
 
 
 
 『ねぇ、そーいえば。 アンタ、ごはん食べてないの~?』
 
 
 
自宅で食べてから来ているのか、マドカが歩道橋にやって来る前に食べているのか、
しかしその形跡も何もない事に小首を傾げる。

『いや、別に・・・ お腹空かないんで。』 その返事に、まるで鬼の首でも獲ったかの
ように食って掛かったマドカ。
 
 
 
 『だーからアンタ、そんなガリッガリなんだ~・・・

  ちゃんと食えよ、男子なんだからよぉ~。 モリモリいけっつーの!肉!肉!!』
 
 
 
相変わらずの汚い言葉に、自分の耳まで汚れていきそうな気すらする。

ちなみに、夕飯を食べていないというだけであって、朝・昼食は人並みに摂っている。
ガリガリに痩せているのは体質と、そういう家系であって・・・ と説明しかけて
面倒くさいのでやめた。
 
 
 
 『ワタセさんの、ソレ・・・ ダイエットですか?』
 
 
 
”ソレ ”と言って、マドカがストローで飲んでいる野菜ジュースを横目でチラリ、顎で指した。

すると、
 
 
『はいっ! そーゆートコ!』 マドカが目を細めて眇め、人差し指を立てて振った。
 
 
 
 『あのね。 女子に ”ダイエットですか? ”なんてきーちゃダメなの!

  イコール ”太ってる ”の意味になんでしょーがよぉ・・・

  それに、あたしもダイエットじゃない、デス、からっ!』
 
 
 
赤い顔をしてやたらとムキになってるマドカがなんだか滑稽で、リョウは思わず口許を
隠して笑った。 決してマドカにそれを悟られないよう、横を向いて、慎重に。
 
 
 
 『 ”太ってる痩せてる ”のディフィニッションなんて、結局は人それぞれじゃないですか。』
 
 
 
リョウの、その飄々とした嫌味くさい憎たらしい顔。

更に追い打ちをかけているのか、フォローしているのか実際理解できないその英単語に
マドカは怪訝な顔をして口を尖らせた。
 
 
 
 『・・・デ?デヒニ・・・? なんか、よく分かんないけどー・・・ 

  取り敢えず、理屈っぽいのもダメ! 難しい言葉つかうの禁止っ!!』
 
 
 
 
  (なんだそれ・・・。)
 
 
 
思わず、ぷっと笑ってしまったリョウ。

隠そうと躍起になればなる程、震える肩を鎮めることが出来なくなってしまった。
 
 
 
 『・・・数学だけじゃなくて、英語も教えましょうか?』
 
 
 
クククと背を丸め笑うリョウに、『うっせ!バーカ。』 とマドカは不満気に返した。

チラリ、リョウの顔を盗み見て、はじめて見せた笑顔にちょっとだけつられて頬が緩んだ。
 
 
 

■第9話 静かな夜

 
 
 
 『明日はあたし、シフト入ってないんだわ~。』
 
 
昨夜の帰り際、マドカがなんだか申し訳なさそうに呟いていたのをリョウはひとり
歩道橋の月あかりの下でぼんやり思い出していた。
 
 
いつもの時間になっても現れないやまかしい靴音に、思わず左手首の腕時計に目を向けたその時
『シフト入ってないって、そういや言ってたか・・・』 ぽつり、ひとりごちた。
 
 
ここ数日全くはかどらなかった勉強が、やっと静かにゆっくり出来ることに喜びすら
感じるほどだった。 思い切り集中し落ち着いて、活字を追う事が出来る。

その顔はリラックスして、肩の力も抜け、参考書を次々めくる指先もまるで踊るようだ。
 
 
 
しかし、カツンカツンと歩道橋の階段を上がって来る足音がすると、慌ててそちらに
目を向けてしまった。
そしてそれが想像していた気怠い姿ではない事を確認すると、どこかホッとした面持ちで
銀縁メガネのブリッジを中指でそっと上げる。

そして、気を取り直し参考書にまた戻った。
 
 
本当に今夜の勉強はよく進んだ。
進みすぎてなんだか、逆に腑に落ちない。
 
 
邪魔する相手がいた方が、躍起になって頭に叩き込もうと集中出来るのかもしれないと
頭の片隅でぼんやり思い、じゃぁ実際、本当のところ勉強は進んでいるのか否か。
自分でもよく分からなかった。
 
 
 
 
  (明日はシフト入ってるのかな・・・。)
 
 
 
 
あのやかましい汚い言葉が聴こえないリョウの耳は、清らかな春の夜風が細かく揺らす
クスノキの葉のすれ合う音と、車の走行音しか流れない。

それにどこか物足りなそうに小さく耳を澄ましていた。
 
 
 
 
 
そしてマドカもまた、自宅の自室でベッドに仰向けで寝転がりながらあの理屈ぽい偏屈者が
今夜も不便そうに月あかりに丸める背中を、ぼんやり思っていた。
 
 
 
 『つか、やっぱ。 なんか食べればいーのに・・・。』
 
 
 
夕飯抜きのガリガリの背中が、やけに瞼の裏をチラチラし落ち着かない夜だった。
 
 
 

■第10話 ピーナッツチョコレート

 
 
 
『うっす。』 今夜も紙パックの野菜ジュースのストローを咥え、気怠そうにローファーの
踵を擦って現れたマドカの姿に、リョウは一瞬目を遣りペコリとほんの僅かに会釈をした。
 
 
 
 『ペコリじゃなくて、挨拶ぐらいしなさいよっ!』
 
 
 
来て早々のジャブに、やはりうるさいマドカが居ない方が断然良いと思い直す。

昨夜のアレは只単にちょっとした気の迷いだったのだと、リョウはひとり心の中で確信する。
 
 
 
 『 ”うっす ”って何語ですか? 意味がよく分からないので。』
 
 
 
きちんと理解出来ないものに適当に合わせて屈するなんて、一番イヤだった。
一定の世代にだけしか浸透していない世代用語を使うのも、どうも好ましくない。
 
 
『ったく・・・ 相っ変わらず、理屈っぽいねアンタ・・・。』 ブツブツと文句を
言いながらも、『コンニチハ。的なヤツでしょーが! わかんだろ、そんくらい。』

何やかや、結局はご丁寧にマドカもそれに返す。
 
 
 
 『 ”コンニチハ ”? ・・・だって夜、ですし。』
 
 
 『うっせ!バーカ。 コンニチハ、コンバンハ、ゴキゲンヨウの意味だよっ! タコっ!!』
 
 
 
 
  (タコ、って・・・ 悪罵にもバリエーションあるんだな。)
 
 
 
 
挨拶代わりに散々悪態つき合ったところで、ふたり、まるで通過儀礼を済ませ
スッキリしたかのように急に黙りこくった。

そしてリョウは参考書にまた目を戻し、マドカはジュースをズズズと飲み干してそのまま
ストローを奥歯でぎりぎりと噛んでいた。
 
 
今夜の空は藍色に厚い雲が低く垂れ込めている。 たまに覗く月の光は淡く弱々しくて
歩道橋を照らす街灯の人工的な明かりに、リョウは参考書を翳していた。
 
 
すると、マドカがなにか思い出したように、学校指定の少しくたびれたサブバッグに
手を突っ込み、その中にあるバイト先のコンビニ袋からそれを掴んで取り出した。

圧着された袋の口を両手でつまんで引っ張ると、バリバリと音を立ててそれは開いた。
そしてその中に手を入れ、数個掴むとリョウの方へ腕を伸ばし差し出したマドカ。

『ん。』 片手に袋、他方の手にそれを掴み伸ばしているマドカは、ジュースのストローを
奥歯で噛んで咥えたままのため、きちんと言葉を発することが出来ない。

離れた位置でなにかを差し出しているマドカに、参考書に集中しているリョウは気が付かない。
仕方なしに、今夜も飄々としているその横顔にカツンカツンと足音を立てて近付いた。
 
 
そして、リョウの細い二の腕を、軽く握りしめた拳でコツンと小突いた。

その不意の衝撃に目線を向けると、ついさっきまでの2.8メートルの互いの距離が
急に50センチの至近距離にまで近付いている事にリョウがたじろぎ驚いた顔を向ける。
 
 
 
 『な・・・なんですか・・・?』
 
 
 
訝しがって少し仰け反ったリョウに、マドカは差し出した手を広げた。

その手の平の中から、小包装されたピーナッツチョコレートが数個現れた。
 
 
 
 『チョコレートは、集中力とか高めるしー・・・

  ピーナッツはー・・・ 脳の働きをカッパツ?とかにすんだよ。

  つか、ちょっとはナンか食べなよ、夜も・・・ 良くないよ。』
 
 
 
すると、すぐさま目を細めてジロリと睨んだマドカ。
リョウが向けている表情は、今にも『別にいいです。』 と言い出しそうで。
 
 
 
 『こーゆー時は、嘘でも ”アリガトウ ”つって貰っとくんだよ!バーカ。』
 
 
 
リョウから小憎たらしい口癖を言われる前に、マドカは先手を打った。
 
 
 
 
  (ったく。 なんでこんなフツーの事がわかんないかなー・・・

   数学のほーが、何百倍も何千倍もムズカシイでしょーに・・・。)
 
 
 
 
すると、
 
 
 
 『じゃぁ、アリガトーゴザイマス・・・。』
 
 
 『 ”じゃあ ”はヨケーなんだよ! ボケッ。』
 
 
 
( ボケもあるのか・・・。) リョウは悪罵バリエーションを頭の中で思い浮かべ
ながらピーナッツチョコレートの透明な包みを剥がし、それを口に放り入れた。
 
 
 
それはとても甘く絡みついて、なんだか喉が焼けるような感じがした。
 
 
 

■第11話 クラスメイトの姿

 
 
 
その夜、いつもの様に歩道橋の階段を上がるマドカの耳に、リョウがいつも佇む辺りから
数人の話し声が聴こえていた。
 
 
階段を上りきり目を遣ると、月あかりに照らされたリョウと同じ学生服姿が3人。
リョウを取り囲むようにしている。
 
 
 
 
  (あれ。 ちゃんと、友達いんじゃん・・・。)
 
 
 
 
どこかほんの少し安心して微笑み、邪魔をしては悪いかと今夜はリョウに話し掛けるのは
やめようとしたところへ何か嫌な声色が聴こえた気がして、マドカはそっと遠く見つめた。
 
 
 
 『学校も来ないくせに、制服着てこんなトコで何やってんの~?』

 『月の明かりで世界史かよ! やっぱ格好イイね~!』

 『伝統あるウチの新入生代表が不登校なんて、評判下げないでくんないかな~』
 
 
 
その同じ学生服の面々は、あきらかにリョウを馬鹿にして悪意あふれる言葉で攻撃している。
厭らしくギラつくその目の色だけが、暗がりにやたらと際立って薄気味悪いほどで。
 
 
思わず階段の手摺りに隠れて、息を殺しこっそり様子を覗いたマドカ。

いつもマドカと散々言い合いをしているのだから、またあの飄々とした嫌味たっぷりな
感じで相手を言い負かすに決まっている。
どこかワクワクしながら、どんな辛辣な皮肉が飛び出すか聞き耳を澄ます。
 
 
しかし、リョウは俯いて目を逸らし、彼らに言われるがままの真っ赤に染まってゆく耳が
ぼんやりと月あかりに浮かび出されているだけで。
 
 
 
 
  (・・・っに、やってんだよ! いつもみたいに言い返せよっ!!)
 
 
 
 
マドカはイライラしていた。

小さく舌打ちを打ちながら、フツフツと込み上がる不快感に無意識のうちに片足は
せわしなく貧乏揺すりをはじめる。
 
 
 
 
  (あんな、クっソもやし共・・・ 一撃で蹴散らせよ!!)
 
 
 
 
一瞬、バトル参戦とばかりその中に突進しようとしかけて、マドカは踏み出しかけた足を止めた。

マドカが・・・ 超有名おバカ高の気怠い制服をまとったマドカが、あいつらの前に出て応戦した所で
リョウが小馬鹿にされる事に拍車をかけるだけかもしれない。 迷惑なだけかも・・・
かと言って、このまま黙って見過ごすなんていきり立った気が治まらなかった。
 
 
するとマドカは階段の手摺りの影で、ゴソゴソとなにやら蠢き出した。
 
 
ウエストの部分で数回折り込んだスカートを本来の状態に戻す。すると超ミニ丈の
チェックプリーツスカートが、膝上10センチの大人しいそれに早変わりした。
おバカ高だと丸分かりのベージュ色Vベストを素早く脱いで、白色シャツブラウスの
ボタンをキチンと第2まで閉めると、ネクタイもはずす。
緩く結ぶポニーテールをほどいて手ぐしでならし、ウェーブを復活させるとふんわりと胸元に垂らした。

そして最終ミッション。『痛ってぇ・・・。』 バサバサのつけまつ毛を慎重に引っ張って
剥がすと薄暗がりでなら ”フツウの可愛い女子高生 ”に見えなくもない。
 
 
『・・・っしゃ!!』 拳を握りひとつ息をついて、マドカがカツンカツンと足音を
立て小走りで駆け出した。

その音にリョウが苦虫を噛み潰したような顔をして咄嗟に俯いた。
 
 
 
 
  (見られたくない・・・。)
 
 
 
 
なんとか ”その ”空気を読んで、知らないフリして今夜は通り過ぎてくれないかと
ぎゅっと目をつぶってリョウは祈った。
 
 
 
 
  (頼む・・・ 頼むから、今夜は・・・。)
 
 
 
 
すると、
 
 
 
 『あれ~・・・ ねぇ。リョウ、・・・お友達~ぃ?』
 
 
 
いつものそれより2オクターブくらい高い可愛らしい声色。
耳が痛くなるような汚い言葉も一切聞こえない。

リョウが薄目を開け恐る恐る顔を上げると、そこにはマドカの声色によく似た別人が立っていた。
ほんの少し小首を傾げ愛らしい雰囲気をまとい、やわらかく微笑んでいる。

ぽかんと口を開き何も言えずにいるリョウへ、そのマドカに似た女子はパタパタと駆け寄り
クソもやし共の間を割って入って、触れ慣れている感じにリョウの腕を細い指先でそっと掴んだ。
 
 
『遅くなってごめんねぇ。』 そう言って、ニコリと頬を緩める。
 
 
そのマドカの姿を見たクラスメイトは、目を見張って鳩が豆鉄砲を食ったような顔を向けた。

目の前に突き付けられた ”リア充 ”に、自分達からダダ漏れする非モテ・オーラを
恥じるかの如く気まずそうに『じゃぁな。』 と呟き、足をもつれさせながら歩道橋の
階段を慌てて駆け下りて行った。
 
 
 
 
その姿が完全に見えなくなった頃、リョウはマドカになんて悪罵で汚く罵られるかと身構えた。
それになんて言い訳しようか、脳内フル回転で必死に考える。
 
 
しかし、リョウの腕を掴んでいた手を力無くそっと離すと、マドカはきまり悪そうにぽつり謝った。
 
 
 
 『・・・ごめん。』
 
 
 
リョウにはその ”ごめん ”の意味が分からなくて、マドカのどこか哀しそうな
その顔を薄暗がりの中ただぼんやりと見ていた。
 
 
 

■第12話 ごめんの理由

 
 
 
 『・・・ごめん。』
 
 
 
マドカはきまり悪そうにそう呟くと、胸元に下ろしたゆるふわ髪を乱暴にガシガシ
掻き毟りもう一度、消え入りそうなトーンで『ごめん。』 と謝った。

『・・・え?』 尚も意味が分からず、俯くマドカをそっと覗き込んだリョウ。
なにも言わずにじっとマドカの継ぐ二の句を待った。
 
 
すると、合わせる顔が無いとばかりに、その場にしゃがみ細い両腕で頭を抱え込んで
弱々しく話し出したマドカ。
 
 
 
 『いや・・・ ギリギリまで迷ったんだよ、ほんとはさー・・・

  あんなの・・・ 一番あたしに見られたくないだろうからさ、アンタ・・・

  だから・・・ 見て見ぬフリ、して・・・ 通り過ぎようかって。
 
 
  でもさー・・・

  むちゃくちゃムカついてしょーがなくてさ。 あんの、クっソもやし共っ!

  一人じゃなんにも出来ないくせしやがって・・・
 
 
  一応、さぁー・・・

  ほら、ウチのガッコだってバレないようにしたつもり、だったんだけど・・・
 
 
  でも・・・。』
 
 
 
マドカが申し訳なさそうにうな垂れ、どんどん小さくなるその声はもうくぐもって
聞き取りにくい程。
 
 
 
 『でも、やっぱ・・・ ヨケーなお世話だった、かな・・・

  ごめん。 ほんと・・・ スマン。 マズったぁー・・・。』
 
 
 
しゃがみ込み俯く顔の前で両手の平を合わせ、謝罪の姿勢をとっている。
何度も何度も『ごめん』 と繰り返すマドカ。
 
 
 
リョウがそんなマドカをじっと見つめた。
 
 
 
自信なさそうに俯くその顔は、いつものつけまつ毛が無いのでスッキリしていて
素朴なやわらかい雰囲気を醸し出し、どこか幼くすら感じる。

制服だってあんな風に敢えて気怠く着崩さずに、今みたいにキチンとしていれば
決して口には出せないけれど・・・すごく、可愛らしく・・・見えるというのに。
 
 
『いや・・・ あの・・・ 別に。』 いつもの口癖が出かかって、リョウが慌てて付け加えた。
 
 
 
 『別に・・・ 謝ってもらわなくて、いいです。

  ていうか、あの・・・ 助かりました、ほんと・・・ ほんとに。』
 
 
 
その言葉に不安気に目を上げたマドカ。
慌てて剥がしたつけまつ毛のせいで、まぶたが痛々しくほんのり赤くなっている。
 
 
リョウが思わずぷっと吹き出した。

いまだ情けない顔を向けるマドカが可笑しくて可笑しくて仕方なかった。
 
 
 
 『今のワタセさんのコレが、”人の気持ち ”ってヤツですか?』
 
 
 
リョウの事を必死に懸命に慮ってくれた、出来損ないギャルのような顔をしたマドカ。

目を細め、リョウは小さく微笑みかけた。
なんだか、胸にあたたかいものが込み上げた。
 
 
すると、マドカは慌てて立ち上がり髪の毛を乱暴に掴んでシュシュで緩く結び
スカート丈を元に戻した。

そして照れくさそうに、スッキリしすぎている目元を隠すように軽く前髪を引っ張ると
 
 
 
 『・・・そーだよ、コレだよ!コレ・・・

  ったく・・・ つか、早くあたしにも数学教えなさいよね・・・。』
 
 
 
いつもの汚い言葉に、リョウはクククと笑った。

すっかり耳に慣れたその悪態が、ただの照れ隠しだという事にやっと気付いた夜だった。
 
 
 

■第13話 気にしてなんかいないんだ

 
 
 
『・・・ねぇ、訊いてもいい?』 どこか遠慮がちに呟いて、リョウからの返事を
待つことなく『なんで言い返さなかったの? さっき。』 とマドカは勝手に続けた。
 
 
 
 『相手が3人だったから?

  でも、もし1人だったらさー・・・

  いつもあたしと言い合いしてるみたいに嫌味っぽく言い返した?』
 
 
 
リョウが情けなく目を伏せ、力無く笑う。
少しの間考え込んだ。
 
 
 
 『・・・それは・・・ いや。 いつものは ・・・ワタセさんだから。』
 
 
 
言いづらそうに口ごもったリョウに、マドカが少し目を眇める。
 
 
 
 『なにっ?! あたしは所詮この制服だから言い負かせる、って?!』
 
 
 
超おバカ高の緩い制服を指でつまんで引っ張り、強調する。
あからさまに癪に障った顔を向け、舌打ちを打つ厚ぼったいその唇。
 
 
『・・・・・。』 リョウはバツが悪そうに目を逸らしハハハ。情けなく笑う。
それだけが理由ではないけれど、完全否定も出来ない。
 
  
『否定しろっ! バカ。』 マドカは再度舌打ちして、ブツブツ文句を呟いている。
 
 
 『あんなさー・・・

  一人じゃなんにも出来ない、クソもやしなんか気にしてんじゃないよ!ダセェ

  なーに卑下しちゃってんの? 意味わかんない。

  つかさー・・・

  アンタが思ってるより、全っ然、他人はコッチの事なんか気にしてないんだよ、基本  
 
 
  あのさ、例えばさ・・・

  あたしがいつも飲んでるジュース、なんだか分かる~?』
 
 
 
急に訊かれて少し驚いたリョウ。 『ミックスジュース?か、なんかでしたっけ?』
 
 
 
 『ちがう。野菜ジュース。 つか、正式名トマトたっぷり野菜ジュース。

  毎晩のようにあたしが飲んでても、アンタ、分かんないでしょ~?

  それと一緒。 視界には入っても、そんくらい他人は気にしてなんかいないんだよ。』
 
 
 
言われてみれば見ているようで見ていない、全く気にしてなどいなかった事に気付く。
 
 
 
 『他人は他人の事なんか、ショージキ、どーだっていーんだよ。

  だから他人の目なんか、基本、気にしなくていーの!

  でもさ、それにしても必要最低限のマナー? ・・・つうか

  人の気持ちとかを、ちゃんと考えんのが大事でしょ~?

  コ・ミュニ・ケ? コ・ミニュ・・・?? まぁ・・・ ソレだ、ソレ!!』
 
 
 
『・・・なるほど。』 まっすぐマドカを見てリョウが頷いた。
だいぶ細かい事をショートカットした乱暴な言い分だが、あながち間違ってはいないように思えた。
 
 
『あれ。・・・どした? やけに素直じゃん?』 マドカがどこか拍子抜けして笑う。
 
 
 
 『いや・・・ はじめてワタセさんの言ってる事に納得しました。』
 
 
 『はじめてかよ! 失敬な奴だな。』
 
 
 
ふたりで呆れて笑い合った。
そして、互い、少し口をつぐんで何か考え込むようにそっと目を伏せる。
 
 
すると、マドカは言うのを少し躊躇うように、言葉を選びながら静かに口を開いた。
 
 
 
 『まぁ、すべてはジブン次第でしょ~

  ガッコだってさ・・・

  やっぱ行こうと思ったら、なんかいいタイミングんトコで行ってみたらいいし

  ダメなら辞めんのも別にアリだと思うし・・・ 

  ジブンで、頭から煙出るまで考えんだね~』
 
 
 
なんだかそのマドカの横顔は凛としていて男前で、格好よかった。
今夜も気怠そうに背中を丸めて歩道橋の欄干に手をつく、いつものマドカなはずなのに。
 
 
 
 『まぁ、ひとつだけ自信もって言えんのは、

  くっだらねぇ表面上のお友達なんか要らないってこと。

  そんなん10人作るくらいなら、ホンモンが1人いたほがずーっとイイよ。』
 
 
 
『・・・いるんですか?』 リョウが目線を向ける。
 
 
すると、マドカが目を細めて微笑んだ。
 
 
  
 『いるよー・・・

  超お勉強できて、しっかりしてて、すげぇビジンの友達がね・・・ 

  中学ん時の同級生なんだ~

  今度アンタに紹介してやるよ、ビジンでまじビビるよー・・・』
 
 
 
嬉しそうに ”その顔 ”を思い浮かべながら、マドカが顔を綻ばす。
はじめて見せたそのやわらかい表情に、リョウは瞬きを忘れた。
 
 
 
 『なんでそんな人がワタセさんなんかと?』
 
 
 『なんかとはナンだ、バーカ!』
 
 
 

■第14話 それくらいの情熱

 
 
今夜の月あかりは、いつものそれよりやさしくふたりに注いでいた。
 
 
 
マドカは相変わらず口が悪く乱暴な言葉を使い、対照的にリョウは珍しくケラケラとよく笑った。
穏やかな夜の風が、ふたりの少し緩んだ頬をなでてゆく。
 
 
 
 『てゆーかさ・・・

  あたし、アンタのことナンにも知らないじゃん・・・

  ・・・結局、アンタ何年よ??』
 
 
 
今更ながら互いの名前しか知らなかったことに気付く。

それに呆れた風に、欄干に背中をもたれて少し俯くと指先で照れ臭そうに前髪を引っ張った。
マドカの笑った目元は、やはりいつもよりシンプルで幼い。
 
 
 
 『僕は、1年です。 ・・・ワタセさんは?』
 
 
 
高校何年生か自分も言ってはいなかったけれど、マドカのそれも知らなかった事に
リョウも内心驚いていた。 改めてみると、年上か下かなどマドカとの間には然程
意味のある事のようには感じなかった。
 
 
 
 『あたし、2年。 つか、はじめてアンタからキャッチボールしたじゃん!

  いつもはブツ切りなのに。 ソレよ、ソレ~! ちゃんと質問してきたじゃ~ん!』
 
 
 
『そーゆーの面倒くさいんで、イイですから。』 マドカの若干うざったらしい言葉に
何食わぬ顔をして語尾をかぶせる勢いでピシャリと制すリョウ。
 
 
 
 『なにがだ、せっかくヒトが褒めてやったっつーのに・・・

  つか、1年か・・・ ウチの弟と一緒じゃんか。』
 
 
 
『弟さんがいるんですか。』 ガサツな言動と男子と話すことに慣れている感じに
なんとなくヤンチャな男兄弟がいそうに思える。
 
 
『うん、一人ね。』 そう呟いて『アンタ、一人っ子でしょ?』 ニヒヒとほくそ笑む。

ジロリと一瞬睨んで目線をはずしたリョウ。 ビンゴだったようだ。
そういう言い方をされるのが一人っ子にとっては一番嫌だというのに。
 
 
 
マドカは欄干に片肘をつき背を丸めると、ちょっと思い出し笑いするように続けた。
 
 
 
 『もう、しょーもないバカでさぁー・・・ ウチの弟。』
 
 
 『あー・・・ 姉弟そろって、ですか。 それは・・・。』
 
 
 
本当に残念そうに、気の毒そうに深く相槌を打つリョウ。
嫌味のつもりではなく、心からのお悔やみだったのだが。
 
 
 
 『どーゆー意味だ! バカ。

  つか、弟の ”バカ ”は、お勉強デキル・デキナイのとは違うんだよ。』
 
 
 
『ん?』 小首を傾げるリョウ。
 
勉強出来・不出来以外にも、この世の中にはまだバカが存在するのか。
 
 
 
 『好きな人とおんなじ高校行きたいーっつって、

  それまで全っ然、勉強なんかしなかったくせにさー

  突っ然、狂ったように猛スパートかけまくって・・・

  今、ちゃーんと北高行ってっからね~ 

  ・・・まぁ、アンタんトコの高校には敵わないけど。』
 
 
 
どこか嬉しそうに話すマドカ。
当時の、勉強机に向かう弟の必死な背中を思い出し、やはりクククと笑いが堪えられなくなった。
 
 
 
 『へぇ・・・ で・・・?』
 
 
 
『でも付き合ってないよ、別に。』 肩をすくめて可笑しそうに笑う。

『スーパー片想い 絶賛継続中~ぅ』
 
 
 
『へぇ。』 この分野はあまり、もとい、完全不得意なリョウ。 口数がぐんと減る。
そういう動機で勉強をはじめる人間もいるという事に純粋に驚いていた。
 
 
 
 『まぁ、それくらいのジョーネツ?とかも、必要なんだろうねぇ~』
 
 
 『ワタセさんは・・・ なんかあるんですか?』
 
 
 
まさか情熱の矛先が自分に向くなんて思っていなかったマドカ。 急に言いよどむ。
そしてどこか不機嫌そうに息巻いた。
 
 
 
 『・・・これから見付けんだよ!バーカ・・・

  慌てんなっ、人生はスーパーロンゲストなんだっつーの!』
 
 
 

■第15話 凛としたキレイな

 
  
その夜、いつもの時間より少し遅れてリョウの耳に聴こえたその足音はふたり分のそれだった。
 
 
 
不思議に思いマドカがやって来る方向に目を向けると、見慣れた気怠い制服姿の隣に
もうひとり女子が立ち、薄暗がりの中ふたり並んでこちらに向かって来る。
 
 
『うっす。』 そう言って軽く手を上げたマドカに、『どうも。』 リョウが小さく返した。

マドカの隣りに立つ彼女に目を向け、小さくペコリ。及び腰に会釈して慌てて目を逸らしたリョウ。
 
 
すると、
 
 
 
 『前にさー・・・ 話したことあったじゃん?

  今度連れて来るっつった、友達・・・ サツキ。 で。コッチが、リョウ。』
 
 
 『ぁ、はじめましてー。 キタハラ サツキです。』
 
 
 
そう名乗った彼女は、以前マドカから ”勉強が出来て、しっかりしてて、美人 ”
と言われ勝手に抱いていたイメージとは違った。

リョウはなんとなく、生真面目でカタブツな感じの女子を想像していた。
何故そんなタイプがマドカと仲良くなるのか、訝しげに首を傾げていたのだ。
 
 
しかし、今、目の前にいるその人はゆったりしたトップスに緩いデニムをロールアップして
ローカットスニーカーを履いている。 大き目なトートバッグの持ち手を片肩にかけ
その持ち手にはしっとり長い黒髪が垂れている。 

一番驚いたのは、そのやわらかさを醸し出す雰囲気からは想像出来ない程の凛とした
目を見張るほどのキレイな顔立ちだった。
 
 
 
 
  (スカート姿のほうが似合いそうなのに・・・。)
 
 
 
 
まるで見とれるように凝視し、慌ててリョウは参考書に目を戻した。
なんだか、変な気分だった。
 
 
すると、
 
 
 
 『ほら、あたしが言った通り ”ビジン ”でビビったろ~?』
 
 
 
マドカがまるで自分の事のように誇らしげに胸を張って笑う。
やはりこの彼女の話をする時だけやわらかい表情をする。

するとサツキはすぐさまマドカの腕を軽く押しやり、照れくさそうに続けた。
 
 
 
 『ちょっと!マドカー・・・

  ・・・そんな ”ビジン ”なんて・・・ 
 
 
  ・・・ホントの事いわないでよー!!』
 
 
 
大袈裟に身振り手振りをつけて可愛くポーズをとると、その端正な顔立ちからは
考えられないほど豪快に大口を開けてゲラゲラ笑う。 マドカも一緒に笑っていた。
 
 
 
 『ほんと、相変わらずバッカで~!』
 
 
 『マドカのがバカでしょーが!』
 
 
 
ふたり、愉しそうに笑っているのをリョウは呆気にとられて見ていた。
暫しその早い展開に呆然と立ち尽くし、つられてクスリと笑いだした。
 
 
キレイな顔立ちをしているのに全くそれを鼻にかける感じもなく、サツキはとても親しみやすい。

勉強が出来てしっかりしていて、公立では一番難関の北高に入学してクラス委員長まで
やっているという。
マドカがサツキの事をあれ程までに自慢げに言う理由が分かる気がした。
 
 
 
散々つられ笑いをして、ふと、リョウは自分がきちんと自己紹介をしていない事に気付いた。

サツキはフルネームを言ってくれたのだから、自分もそうしないといけないとマドカ
から習ったというのに。
マドカが最初に『リョウ』と下の名前だけでなくて、どうせならフルネームで紹介して
くれれば良かったのにと思いながら、この今更のタイミングでの自己紹介は可笑しくないか
しなくてもいいか、でもやはりした方がいいか内心オロオロと二の足を踏んでいた。
 
 
すると、『ねぇねぇ、苗字も教えてよ~。』 サツキが笑って言う。

『ぁ、すみません・・・ アイバです。アイバ リョウ・・・です。』 その声は自分が
思うよりだいぶ小声で発せられた。
よく分からないけれど、少し緊張していたのかもしれない。
 
 
しかし、そんな些細なことなど気にもせずサツキは続ける。
 
 
 
 『すっごいねぇー・・・ リョウ君のそれって、あそこの制服でしょ?

  勉強がんばったんだね~! 受験のとき、一日何時間勉強したの~?』
 
 
 『ぁ、いや別に・・・

  受験のときは、ん~・・・ 寝る時間以外は勉強してた・・・かも。』
 
 
 
そのふたりのいつまで経っても終わらない ”勉強ネタ ”に居場所を失ったかのようなマドカ。

つまらなそうに口を尖らし、無理やり話に割って入った。
子供のようにサツキの視線を自分に向けようと必死なマドカに、そんな一面を見たのは
はじめてでリョウは驚いていた。 そして、それを嬉しそうに茶化すサツキも、また・・・
 
 
 
リョウはサツキの愉しそうに笑う顔を、ぼんやり見ていた。
 
 
 
なんだか、変な気分だった。

なんだか、心臓がいつもより早く打っている気がした。
 
 
 

■第16話 突然小雨が降った夜

 
 
その夜は、突然小雨が降った。
 
 
 
いつもの歩道橋に立つリョウが、蒸した雫のまとわり着く様な気配にそっと手の平を空に翳した。
すると、小さく小さくそれは手の平をノックする。
 
 
『んあーぁ? 今日って雨の予報だったのぉ~?』 マドカがしかめっ面をして
どんよりした夜空を見上げる。 その目は眇めて、下唇を突き出して。
 
 
リョウは足元に置いた学校指定サブバッグから折畳み傘を取り出すと、滑らかな所作で
そっと静かに傘を広げた。 いつ何時、雨模様になってもいいよう常に携帯しているその傘。

このくらいの小雨なら、もう少し参考書を読み込む続きが出来そうだった。
 
 
 
 『・・・ねぇ、ちょっと。 ・・・そこのお兄さん。

  アンタ・・・ これ見てなんとも思わないわけ??』
 
 
 
”これ ”の箇所で、手を広げ外国人が ”Why? ”と言う時のようなポーズ。

しれっと自分だけ雨粒を避けるリョウの隣で、傘を持たないマドカの髪や肩は
少しずつ細かな雨の雫に濡れてゆく。
 
 
『入りたいんですか?』 リョウは笑いそうになるのを必死に堪え、極力真顔で言う。
わざと、その声色も抑揚をつけず、相手がマドカでなければ冷酷非道にとれるさまで。
 
 
 
 『そーね、出来れば。 出来うる事、ならば、入りたいわね!

  だって、なぜなら、濡れますから! 風邪ひきますから!

  アンタさ、まじで、どっか頭おかしーんじゃないの? ほんと信じらんない・・・。』
 
 
 
悪態付きながら、マドカも言い切る前に既に笑ってしまっている。
震える肩と連動して、ポニーテールの緩く結ぶ髪の束が揺れる。
 
 
 
 『じゃぁ・・・ まぁ、どうぞ。』 
 
 
 『 ”じゃぁ ”はヨケーなんだっつーの!バカ。』
 
 
 
すると、リョウは即座にマドカから傘をはずし自分にだけ差し掛けた。
その顔は憎たらしいほどに澄ましている。
 
 
『ごめんごめんごめん!』 慌てて謝って小さく縮こまるマドカに、リョウは肩を震わせて笑う。
 
 
 
 『ワタセさんは少し素直になったらいいと思います。』
 
 
 『アンタに言われたくないわ。』
 
 
 
『ごめんごめんごめんてばー!』 また傘をはずされマドカの左肩がしっとり濡れる。
ふたりの笑い声が、どんより湿ったひと気ない歩道橋にカラフルなスーパーボールのように踊る。
 
 
『少しは黙って下さい。』 『それもアンタに言われたく・・・ごめんごめんごめん!!』
 
 
 
ふたり、ケラケラ笑い合っていた。

リョウの傘に入ってふたりはじめて並んで歩く。 左手に傘の柄を握りマドカに差し掛ける
リョウの手がたまにマドカの右の二の腕に小さく触れた。

マドカが何気なく目線だけ上げて右上を見ると、リョウが意外と背が高かったことに気付く。
その不健康に青白い肌の、痩せたノド。 クッキリと浮き出た喉仏がマドカの目の高さにある。
リョウが笑うと、その喉仏もやさしく震えた。
 
 
 
 
  (そーいえば、よく笑うようになったな・・・。)
 
 
 
 
無意識のうちに、それに見入っていた。
 
 
 
なんだか、変な気分だった。

なんだか、心臓がいつもより早く打ちつける気がした。

なんだか、なんか、耳とか頬とかたまに触れる右の二の腕とかも、なんか・・・。
 
 
 
 
 『・・タぇ・・さん? ワタセさん??』
 
 
呼び掛けられていた事に気付き、『なによ?』 慌てて目を上げるとリョウが少し
覗き込むようにしてマドカを見る。
 
 
 
 『なんかボ~っとしてますけど、大丈夫ですか?

  ・・・難しいことでも考えてました・・・? 無謀にも。』
 
 
 
『なにが無謀だ!』 リョウの腕にパンチでもお見舞いして、傘から追い出して
やろうかと拳をつくって、やめた。
なんだか、心臓が変な具合だから、リョウの腕に触れるのは、やめた。
 
 
すると、リョウが遠慮がちにモゴモゴと口ごもりながら言った。
 
 
 
 『・・・サツキさんとは、あれから会ってないんですか・・・?』
 
 
 
 
 
 
リョウが ”サツキ ”と下の名前を呼んだ。
 
 
 
  なんだか、心臓が、

  あれ。 心臓が・・・。
 
 
 

■第17話 中学数学1

 
 
 
 『ぇ・・・ コレ、中学のですけど・・・。』
 
 
 
その夜マドカがカバンから取り出して見せた教科書の ”中学数学1 ”という見出しに
リョウは目を白黒させてまごついた。

何かの間違いかとマドカに念の為確認するも、その顔は不貞腐れたように口を尖らす。
 
 
 
 『だーかーらー・・・

  言わなかったっけ?

  数学っつか・・・ ほんとは小学算数からやりたいくらいだって・・・。』
 
 
 
深く深く溜息をつき、頭を抱えたリョウ。 『そう、ですか・・・。』

しかし、瞬時に頭を切り替えた。
基礎も分かってないのに高校数学をやるより、キッチリと中学からはじめた方がいいかもしれない。
マドカが包み隠さずに恥を忍んでこの教科書を持ってきたのは、結果オーライなのだと。
 
 
 
 『随分キレイですけど、コレ、新品ですか?』
 
 
 
その教科書をペラペラとめくりざっと中を確認するも、書き込みひとつ、マーカーひとつ
めくりジワひとつ無いそれに首を傾げたリョウ。
 
 
すると『当時、使ってたヤツだよ!』 目を眇めてマドカが唸る。
 
 
『・・・ぇ。』 新品に見えるくらい手を触れなかったという事なのか。
一度でも開いて見たことがあるのか、訊きたいような訊きたくないような。
 
 
 
マドカの戦闘能力を知る上で避けては通れないように思え、恐る恐る
 
 
 『ぁ、あの・・・ 参考までに、数学のセイセ・・・』

 『万年1デスよっ! つか、1以外の数字見たことないよっ!!』
 
 
リョウの言葉を遮って語尾はかぶらせ、威風堂々とマドカの口から出たその数字。
 
 
 
舌打ちを打ち機嫌悪そうに丸める華奢な背中に、リョウは思わず吹き出して笑った。
自分の大きな笑い声にリョウ自身ちょっと驚くくらいに、体を屈め大声で笑っていた。

チラっと横目でマドカを見ると、笑われ過ぎて不機嫌を通り越しどこか哀しそうに見える。
慌てて機嫌をとるように、リョウはその顔を覗き込んだ。
 
 
 
 『大丈夫ですよ、きっと・・・

  僕、数学得意なんで。 多分・・・ ん。 多分・・・・・・・ 多、分。』
 
 
 
『後半、不安になって失速してんじゃないのよ!』 マドカが鋭く睨みつつ、笑ってしまって
それにつられてリョウも笑った。 笑ってばかりだった。
 
 
 
 
 
欄干に教科書を乗せ、ふたり並んで立つ。

互いの二の腕が触れるか触れないかぐらいの、その距離。
マドカの右側に立つリョウが左手で教科書を押さえ、右手の人差し指で文字を指す。
自然にほんの少しだけ左に体は傾ぐ。
 
 
 
 『じゃぁ、さっそく・・・ ”セイフの数 ”からいきますか。

  分かりますか? セイフの数・・・。』
 
 
 
『与党とかの?』 真顔で即答されて、リョウの顔は能面のようにかたまった。
 
 
 
 『ぁ、えーぇっと・・・ そうですか、困りましたね・・・
 
 
  まず、ワタセさんが言ってるのは、内閣とか行政機構の事ですよね。

  僕が言ってるのは、プラスとマイナスの、正負です。』
 
 
 
”ぽかん ”という擬音はまさにこういう顔の事を指すのだろうと思う程の
見事なマドカのぽかん顔。 僅かに口が開いている。
 
 
 
 
  (これは、かなりの強敵だ・・・。)
 
 
 
 
ふんどしを締めてかからねばと、リョウのボルテージも急上昇した。
 
 
 
 『1、2、3とか数字の前に ”+ ”とか ”- ”が付いたものが正負の数で・・・』
 
 
 
リョウは小さな子供に教えるように、分かりやすい言葉を選んでゆっくり丁寧にマドカに教えた。

分からない所ではマドカは眉間にシワを寄せ首を傾げ、理解できると飛び上がりそうな
くらいに嬉しそうな顔をした。

それを横目にクククと笑うリョウ。
至近距離でやわらかく微笑まれて、マドカの心臓がまたあの変な感じになる。

遣り切れない胸の違和感に、思わず心臓のあたりをゴツンゴツンと握り拳で殴った。
 
 
 
『な・・・なにしてんですか?』 リョウがギョっとした顔を向けているが
『別に。』 と目を逸らした。
 
 
 
 『なんかさ・・・ アンタ、教えるの上手いね?

  ちょっと、なんつーか・・・ 意外。』
 
 
 
まともに目を合わせられずに右手の指先でシャープペンをクルクル廻しながら、言う。
 
 
 
 『同年代はアレでも・・・ 

  小学生とか子供相手に教えるの、向いてんじゃない? アンタ。

  そーゆー系の仕事もアリなんじゃないの・・・?』
 
 
 
すると、
 
 
 
 『まぁ、ワタセさん・・・ 子供みたいなモンですからね~』
 
 
 
可笑しそうにまたククク。 口許に手の甲を当ててリョウが笑った。

マドカはしかめっ面で、心臓のあたりをゴツンゴツンと握り拳で殴った。
 
 
 

■第18話 込み上げるモヤモヤ

 
 
 
珍しくやたらと喉が渇いて一旦参考書をめくる手を止め、カバンに常備している
ペットボトルを取り出すもそれはもう空だった。
 
 
リョウはひとつ息をつくと参考書に落とす目を上げ、ぼんやり今夜の月を眺める。
薄雲がかかって霞んだ月が、遠慮がちにそこに覗いている。

ふと、マドカから以前言われた事を思い出した。
 
 
 
 
  ”角のコンビニでバイトしてんの。 今度おいでよ。”
 
 
 
 
普段あまりコンビニは利用しないのだが、近くの自販機まで行くとそれはもう
コンビニに行くのと変わらない距離だった。
なんとなく行ってみようかと思いたった、その薄月の夜。
 
 
歩道橋の手摺りに手を当てながら、階段の段差を駆け下りるその足音はまるで
ステップでも刻みそうな軽快なものだった。

歩道橋を下りたその道をまっすぐ行った通り沿いにそれはあった。
煌々と照明が照らすガラス張りのその中には、雑誌コーナー前で立ち読みする学生
らしき姿が数人。

通りに向けて貼られている ”初夏のおすすめスイーツ ”というポスターの写真が
やけに美味しそうだ。 女子のハートを鷲掴みするんだろうな、なんてぼんやり考える。
 
 
自動ドアの明かりに群がる蛾が羽音を立てて、入店する人が不快な顔を向ける。

車で来た客は今はいないようだった。
ガラ空きの駐車場のあたりから、そっとレジの方を眺めてみたリョウ。
 
 
 
突然来られて、マドカは驚くのだろうか。

喜ぶのか。 マドカのことだから、前もって言っておけとでも言うか。
またうるさく夕飯抜きをまくし立てて何か買わされそうだ。 
歩道橋で立ち食いはあまり好ましくないのだけれど。

色々な想像をして少し笑いを堪えながら、反応をどこか愉しみにしつつ自動ドアを
進もうとしたその時。
 
 
 
レジ前に立つ男性客と、親しそうに愉しそうに話すマドカの姿が目に入った。

その客は同年代だろうか。 一目でクラスでの人気がありそうな雰囲気が見てとれる。
背が高くて、スポーツをしているのか色黒で引き締まった体だというのがTシャツ越し
でもすぐ分かった。 知合いなのだろうか、やけに慣れ親しんだ感じで。
 
 
『マドカからは言うなよ!』 リョウの耳に、その客が ”マドカ ”と呼び捨てに
したのが聴こえた。 店から出る他の客に、自動ドアが開いた一瞬のことだった。
 
 
 
思わず、リョウの足がかたまり動けなくなる。

瞬時に頭の中で目まぐるしく色々なことを考える。
その明るく眩しい光の当たる自動ドアは、弱々しい月夜の歩道橋に佇むことしか
出来ない自分には踏み入る事など出来ない境界線のように思えた。
 
 
踵を返し、仄暗い歩道橋へと引き返す。

コンビニには入らず、ドリンクも買わず、そのままいつもの歩道橋へと。
その足はだんだんと早足になり、仕舞には全力で駆け出していた。

マドカのことは、歩道橋の月あかりの下で話す小1時間の顔しか知らない。
何故か全て知っているみたいなつもりでいたけれど、その小1時間以外の顔は
なにも知らないのだとその時ハッキリ痛感していた。

リョウ以外にも仲良く話す相手はたくさんいて、学校には友達がたくさんいて、
本当はリョウにただ付き合ってくれているだけなのかもしれない。
”人の気持ち ”が分からない、人として不完全なリョウに。
 
 
考えだしたらまるでつんのめり坂を転がり落ちるように、悪い方に悪い方に
考えてしまっていた。

モヤモヤする。
胸の奥が不明瞭な不安や焦りや苛立ちでモヤモヤと重苦しくて、どうしようもない。
 
 
 
全速力で来た道を戻り歩道橋の階段を一足飛びで駆け上がると、リョウがいつも
立つあたり。欄干に手をつき佇むサツキの姿が目に入った。 

サツキもリョウの姿を捉え、軽く手を上げて左右に振る。
 
 
 
サツキの形良い薄い唇から白い歯がやさしくこぼれた。
 
 
 

■第19話 込み上げる焦燥感

 
 
『ど・・・どうしたんですか?』 突然のその姿に、リョウがせわしなく瞬きを繰り返した。
 
 
久々に全速力で走ったため呼吸はひどく乱れ、運動不足な体を嫌というほど思い知らされる。
急なサツキの姿にあまりに緊張して、少し声も上ずってしまったかもしれない。
 
 
サツキは今夜もやわらかい雰囲気をまとって、見とれるほどに端正な顔立ちで笑う。
 
 
 
 『バイトの後にマドカと待合せしてるの。

  ちょっと早目に着いたから、リョウ君トコででも待とうかと思ってー』
 
 
 
 
   (バイト・・・。)
 
 
 
 
リョウは先ほど見掛けたマドカの姿を思い返していた。

思い切ってサツキに訊いてみようか。
でも、なんて訊けばいいのか。
”ワタセさんは僕以外にも男友達いるんですか? ”とでも訊こうか。
 
 
 馬鹿らしい。

 格好悪い。

 情けないにも程がある。
 
 
 
少し伏し目がちに考え込んだリョウへ、『ぁ。 勉強の邪魔んなっちゃう?』 
覗き込むようにキレイな目でサツキに見澄まされ、リョウが照れくさそうに目を逸らした。
 
 
 
 『いや、全然・・・

  邪魔だったらいつも、散々ワタセさんにされてますし・・・。』
 
 
 
サツキがそれにケラケラ愉しそうに笑う。
マドカとリョウの軽快な掛け合いが面白くて仕方ないらしい。
 
 
 
 『マドカってさー・・・

  あんなギャル風にしてなきゃ、実はすっごい可愛いって知ってたー?

  ほんと照れ屋だから、わざと言葉遣いとかも汚くしてさ・・・

  めちゃめちゃ面倒見いいし、やさしいし、カッコいいんだよねー・・・。』
 
 
 
その嬉しそうにマドカのことを話すサツキを横目に、リョウが目を細めそっと笑う。

つけまつ毛をしていないシンプルな目元の、あの夜のどこか幼い顔が浮かぶ。
 
 
 
 
  (なんだか、無性にワタセさんに会いたい・・・。)
 
 
 
 
 
 『・・・ワタセさんも。 サツキさんの事、ベタ褒めしてましたよ。』
 
 
 『私たち、両想いだからね~!

  っていうか・・・ 気持ち悪くなーい? お互い褒め合って、喜んでんの。』
 
 
 
ふたり、ケラケラ笑い合った。

マドカがいない所で、マドカの話をして嬉しそうに微笑み合う。
欄干に肘をついた姿勢で愉しそうに笑うふたりの声が、車の走行音に混じり響いた。
 
 
 
 
 
その時。

バイトが終わり歩道橋へ向かうマドカの目に、遠くリョウとサツキがふたり並んで
笑い合う姿が見えた。
 
 
 
なんだか、胸にこみ上げる原因不明の焦燥感に苛まれる。

遠く歩道橋を見上げ、息を呑んだマドカの足がかたまり動けなくなっていた。
 
 
 

■第20話 一定ラインのひとり

 
 
 
リョウとサツキが愉しげに話す歩道橋へ、マドカが小走りで駆け寄った。
軽く手を上げて、緩く結んだポニーテールの髪をその駆けるリズムに左右に揺らして。
 
 
『サツキ、お待たせー!』 マドカはサツキを見て、ニヤっと口角を上げる。
 
 
『どうも。』 リョウがどこか照れくさそうに小さく声を掛けるも、マドカは目線を
はずし僅かにペコリと会釈をしただけだった。 
リョウがマドカに目を向けるも、その顔は何故かこちらを見ない。
 
 
 
 
 『お疲れ! 今日のバイトは? 変な客とかいなかったの~?』
 
 
 
マドカとサツキが欄干に背をもたれ、並んで立つ。

気怠いいつもの制服姿と、緩いロールアップジーンズの女子高生ふたり。
途端にふたりだけの世界をつくり出すと、コントロール不能な弾けるような
女子トークがはじまり、リョウはどこか所在無く少し離れて再び参考書に目を落とした。
 
 
『あー・・・ 今日は、またアノ変なのが来たわ。』 マドカがコンビニ袋からいつもの
野菜ジュースを取り出し、ストローを乱暴に突き刺して口に咥え啜る。
 
 
 
 『ちょっとー・・・ 気を付けなねぇ・・・?

  それって、無言でケーバンのメモ押し付けた人でしょ?』
 
 
 
サツキがあからさまに怪訝な顔を向け、隣で涼しい顔をしているマドカを眇めた。

『別にー・・・ 無視しときゃいーっしょ。』 マドカはさほど気にしていない風で。
 
 
『ストーカーとかんなられたら大変だよ!』 身を乗り出して詰め寄るサツキに
『ダイジョーブ、ダイジョーブ』 とマドカは顔の前で手をひらひら振りまるで
サツキが心配性すぎるとでも言うかのように可笑しそうに笑った。
 
 
 
すると、目の端でチラリとリョウを盗み見たマドカ。

サツキとふたりで愉しそうに笑う姿を見たら、なんだか無性に腹が立って軽く無視の
ような事をしてしまい、それが気になって気になって仕方なかった。

正直サツキとの会話なんか全く集中出来ていなかった。
 
 
しかしリョウはいつもの飄々とした横顔で、少し距離をおき参考書に目を落としている。
弱々しい月の明かりに、相変わらずのその痩せた背中はどこか人を寄せ付けない
雰囲気を醸し出している。
 
 
 
 
  (別に・・・ 気にしてなんかないか・・・。)
 
 
 
 
マドカが諦めたようにそっと目を伏せる。
無意識のうちに小さな溜息がその哀しげにつぐむ唇から落ちた。
 
 
その直後、リョウがチラリとマドカを見た。 その視線はあまりに不安気で、弱々しい。

今夜のマドカはいつもと違う。
なんだか素っ気ないというか、全く目を合わせないし挨拶すらまともにしてくれない。
 
 
 
 
  (僕、なんか怒らすような事したかな・・・。)
 
 
 
 
気になって気になって仕方なかった。

正直、参考書の活字なんか全く集中出来ていなかった。
しかし、それを直接マドカに訊けるようなリョウではない。
マドカを怒らせたかもしれない可能性を、参考書に目を落とすフリをして必死に考えあぐねる。
 
 
そして、更に気になって仕方ない事がもうひとつ。 
盗み聞きする訳ではないけれど、自然に耳に入ったサツキとの会話。
 
 
 
  ”それって、無言でケーバンのメモ押し付けた人でしょ? ”
 
 
 
 
 
   (へぇ・・・ 意外とモテるんだ・・・。)
 
 
 
 
リョウがコンビニに入りかけた時に目撃した、長身のスポーツマンを思い出した。
親しげに話し、下の名前で呼ばれていたマドカが浮かぶ。
 
 
 
 
  (ストーカーとか言う割りには、愉しそうにしてたくせに・・・。)
 
 
 
 
ふと、リョウもマドカの連絡先を知らない事に今更ながら気が付いた。

直接顔を合わせるから必要ないと思っていたけれど、普通なら仲良くなれば
連絡先のひとつぐらい教え合うものなのではないだろうか。
 
 
”めちゃめちゃ面倒見いい ”とマドカのことを褒めていたサツキ。

面倒見の良さで色々な人に一定ラインまでは親切にしているのか。
愉しげにするのか。
笑うのか。
 
 
 
 
  (僕も、”色々な人 ”のひとり・・・か・・・。)
 
 
 
 
その時、ぼんやり俯いているリョウの二の腕がコツリ。拳でパンチされた。

目を上げるとマドカが、どこかやはり不機嫌そうにすぐ横に立っている。
厚ぼったい唇をほんの少し拗ねたように尖らせ、わずかに視線ははずして。
そして、リョウを小突いた拳を広げ、手の平のピーナッツチョコを見せた。
 
 
今夜はリョウに変な態度をとってしまっている事に、マドカの胸はモヤモヤと
くすぶり後味悪くて言葉で巧く説明できない代わりに、取り敢えず何かないかと
カバンに入っていたチョコを思い出したのだった。
 
 
 
 『ほら・・・

  また、なんにも食べてないんでしょ、どーせ・・・。』
 
 
 
いつもより低い、どこかよそよそしい感じがするマドカのその声色。
チョコを差し出すその手の平を、リョウはじっと見ていた。
 
 
 
 
  (僕も・・・ 一定ラインの、ひとり・・・。)
 
 
 
 
すると、リョウはさっと目を逸らしぼそり呟いた。
 
 
 
 『要らないです。』
 
  
 『はぁ~? ちょっとアンタ、そーゆートコがダメだって! いつも言っ・・・』
 
 
 
『お節介はやめてもらえませんか。』 マドカの言葉を聞き終らないうちに、
けんもほろろに遮った。

そのリョウの声色はあまりに冷たくて機械的で、マドカのやわらかい部分を
容赦なく抉る。 そしてリョウもまた同じように己のそれに抉られた。
 
 
マドカが真っ赤な顔を向けリョウを睨む。

それは怒りよりも哀しみの方が大きい。 眇める目の奥がじんわり滲む。
しかし、リョウは足元の一点を見つめ決して目を合わせなかった。
 
 
『ちょ・・・ どうしたのよ、ふたり共・・・。』 慌ててサツキが間に割って入った。
しかしふたりの間の険悪な空気に気圧されてしまい、何も出来ずオロオロとうろたえる。

『帰ろう、サツキ。』 マドカが低く呟き唇を噛み締め、サツキの手首を乱暴に掴むと
不機嫌そうに甲高い足音を響かせて、歩道橋の階段を駆け下りて行った。
 
 
リョウは目を眇め俯いていた。

握り締めた参考書が、その力にぎゅっと歪にひしゃげる。
まるで迷子の幼い子供のようにその場にうずくまり、唇を噛み締めた。
 
 
 
やり場のない想いが、溜息となって足元にいくつも零れた。
 
 
 

■第21話 弱々しくてちっぽけな

 
 
翌夜、歩道橋のリョウの背中は、いつものそれより格段に弱々しくちっぽけだった。
欄干に突っ伏すように上半身をもたげ、亀のように背中を縮込めている。
 
 
 
  ”お節介はやめてもらえませんか。”
 
 
 
マドカに言い放った昨夜の自分の言葉を思い出していた。

あんな言い方は、無い。
こんな不完全な自分を見放す事もせず親切にしてくれるマドカに、あれは無い。
分かってはいるのに、どうしようもないモヤモヤがあんな形になって現れてしまった。
 
 
本当は、今夜この場所に来るのも躊躇っていた。
マドカに合わせる顔なんかない。
 
 
『怒ってる、だろうなぁ・・・。』 心細げにぽつり、ひとりごちる声は一瞬吹いた
風に揺れたクスノキの葉音に呆気なくかき消される。
 
 
参考書の文字なんて一切頭には入らない。
目の前の活字なんてどうでもいい。

どうしたら良かったのか。
ああいう気持ちの時はどうしたら良かったのか、教えてほしかった。

でも、もうそれを教えてくれる、リョウに飽きもせず付き合ってくれるその人は
来ないかもしれない。
もう来てはくれないかもしれない。
 
 
嫌われた。

きっと、嫌われた。
 
 
今までの人生で、正面から向き合ってケンカなどしたことがなかったリョウ。

ケンカの後はどうしたらいいのかなんて知らなかった。
どの教科書にも参考書にも、そんなこと一言だって載ってはいなかった。
 
 
 
大きな溜息が、震える胸を通って噛み締める唇の隙間からこぼれていた。
 
 
 
 
 
 
そしてマドカもまた、コンビニでレジに立ちながら次第にフツフツと湧き上がる
怒りに鋭く目を眇めていた。

最初に無視のような事をしてしまったのは確かに自分だけれど、なにもあんな
言い方をする事はない。
確かにお節介だ。 リョウに頼まれてやっている事ではない、それは分かっている。
でも、それにしても、あの言い方はない。
 
 
納得いかないマドカは、バイトが終わるとなんの迷いも無くダッシュで駆け出していた。

そして苛立つ気持ちを隠しもせずに、ローファーの踵を踏みしめ足音を大きく
響かせると一気に階段を駆け上る。

そして、ガシガシと肩で風を切って荒々しく突き進み、リョウのすぐ横に立つと
そのマドカの威圧感に目を見開き、リョウが息を呑んで大きく仰け反った。
 
 
 
 
 『そーだけど・・・ そりゃお節介だとは思うけど・・・

  あっんな言い方ないと思う!!
 
 
  そりゃ、昨日はちょっと・・・ 

  なんか変な、スルーみたいなの、最初にしちゃったけど・・・でも!

  あんなのは無いっ!
 
 
  あれは傷付くよ、いくらあたしでも!!』
 
 
 

■第22話 世界の終わりみたいな顔

 
 
 
突然、噛み付く勢いで身を乗り出しまくし立てられ、リョウは何も言い返すことが
出来ずただただ目を見張っていた。
 
 
驚いていた。

まくし立てられる事もそうだが、マドカが来たことに驚いていた。
また、ここに来てくれたことに驚いていた。
 
 
『すみません・・・。』 うな垂れたリョウがぽつり、小さく謝った。
 
 
そのか細い声に、マドカが逆にひるんで言葉に詰まる。
首をもたげ肩を震わせる姿に、一瞬泣いているのではないかと思うほど。
 
 
 
 『昨日は、あの・・・ ほんと、すみませんでした・・・。』
 
 
 
リョウが、泣き出す寸前の子供のような表情を向ける。
それはあまりに弱々しくて哀しげで、なんだか見ていられない。
 
 
 
 『いや・・・ あたしもなんか、変な感じだったのは悪かった・・・。』
 
 
 
マドカもバツが悪そうに、しかし素直に謝った。
そして再びリョウへ目を向けるも、尚もその顔はひどく心許なくて。
 
 
 
 『ちょ、どうしたー・・・?

  こんなの、ただのケンカじゃん??

  そんな・・・ 世界の終わりみたいな顔しなくても・・・。』
 
 
 
しずしずとリョウの背中に手を伸ばしてゆっくり触れると、静かにトントンと
やさしいリズムで叩く。
 
 
すると、小さく小さく蚊の鳴くような声でリョウが呟いた。
 
 
 
 『もう・・・
 
  怒って・・・ 来てくれないかと、思いました・・・。』
 
 
 
呆れたように首を傾げ笑うマドカ。
 
 
 
 『ケンカしたらちゃんと謝って仲直りすんでしょー・・・

  幼稚園で習わなかったのかー・・・』
 
 
 
マドカより頭ひとつ大きいひょろ長い手足の、まるで中身は幼い子供みたいなリョウ。

『ダイジョーブだってば、もお・・・。』 クスリと笑った。
 
 
 
マドカの手の平の熱がリョウの背中にじんわり伝わる。

それは背中からだんだんと、気が付けば胸にこみ上げる。 熱く、やわらかく。
 
 
 
 
  (ワタセさん・・・。)
 
 
 
 
すると、マドカがカバンから再びチョコの袋を取り出した。
 
 
 
 『アンタ・・・ 嫌いなのにムリして食べてたの・・・?』 
 
 
 
リョウから『要らない』 と言い切られたことで、すっかり自信が無くなっていた。
 
 
すると、大きく首を横に振るリョウ。 『それは嫌いじゃない・・・ です。』

『なんだよ!』 そう言うと、チョコを数個掴みリョウに突きつけた。
無言でそれを貰い、透明の包みをねじって剥がすとひと粒口に入れた。

今夜のチョコは、なんだか苦い。
 
 
 
 
 
 『サツキはさ、あんなんだから・・・ 超モテんだよ。』
 
 
急にマドカが話し出した。

その顔は何処を見るでもなく、遠く車線の先を見渡すように。
 
 
サツキと愉しそうに笑うリョウのやわらかい表情が、どうしても頭をちらついてしまう。
だからサツキなんかやめておけと喉元まで出かかって、ぐっと飲み込む。
 
 
なんの脈絡もない突飛な発言に、リョウは首を傾げる。
 
 
 
 『まぁ・・・ そんな感じはしますよね。』
 
 
 
『うん。』 『・・・はぁ。』 マドカが何が言いたいのかさっぱり分からなかった。
 
 
 
すると、バイト先でのマドカの姿を思い返したリョウ。

なんとか自分を誤魔化そうとしてみるけれど、気になって仕方ないのは止められなくて。
マドカこそどうなのか喉元まで出かかって、我慢できず訊いてしまう。
 
 
 
 『ワタセさん・・・ は・・・

  どうなんですか・・・?

  やっぱ・・・ 友達とか・・・

  男・・・友達とか、多いんですよね・・・?』
 
 
 
リョウが遠慮がちに探る。 こっそり気付かれないようマドカに向ける目線は
不安そうな色に淡く滲んで。
 
 
 
 『どうだろ? フツーじゃない?』

 『・・・普通、って?』
 
 
 
 『フツーはフツー、だよ。』

 『普通のディフィニッ・・・ 定義なんて、人それぞれじゃないですか・・・。』
 
 
 
 『ん・・・ まぁ、そうだね・・・。』
 
 
 
マドカがまっすぐ前を向いて静かに口を開いた。
雲の隙間から月が顔を出して、マドカの横顔を照らしなんだか眩しい。
 
 
 
 『前も言ったけどさー・・・
 
 
  取り敢えずの10人がいるくらいなら、大事な1人がいた方がいーと思うんだよ。

  だから、あたしは大事だと思える人はトコトンうざいくらい大事にするけど、

  それ以外の人には別にそんなんしないよ。
 
 
  そう考えると・・・ 別に多くはないかもね?友達・・・。』
 
 
 
 
   ”トコトンうざいくらい大事にするけど ”
 
 
 
  (僕も、その中に入れてもらってるのかな・・・。)
 
 
 
リョウが俯いた。 心臓がぎゅっと握りしめられたように歯がゆく痛む。
バカみたいだけれど気を抜いたら泣きそうで、そんな自分に他人事のように内心呆れる。

慌ててチョコをまたひと粒、口に入れた。
やはり今夜のチョコは、やたらと苦い。苦くて、くるしい。

どんどん顔が切なげに歪んでゆく。
 
 
 
 『ちょ、ほんとどうしたのよ・・・?

  アンタ・・・ まーた、そんな顔して・・・。』
 
 
 
再びリョウの背中に触れたマドカの手のあたたかさに、早まる胸の鼓動がその
トントンと刻むやさしいリズムに溶けてゆく。
 
 
 
『このチョコだけは、好きです・・・。』 リョウの声は少し震えて夜空に消えた。
 
 
 

■第23話 画面に現れた一枚の画像

 
 
 
背が高く肩幅がガッチリした色黒が、狭い自室をウロウロと背中を丸めて歩き回りながら
片耳にケータイを当てている。
 
 
その耳は、燃えるように赤く染まってまるで湯気でも立ちそうで。
 
 
 
 『うん、そう・・・ 学祭、学祭。 そう、マドカんトコの・・・』
 
 
 
 
 
 『ほら、マドカと3人でさー・・・

  そうそう、マドカ。 アイツ、焼きそば屋やるらしいからさ、

  アイツに焼きそば奢らせよーぜ? うん、そうそう・・・ 3人で、3人で。』
 
 
 
 
 『え、マジで?! うん、うん・・・ じゃあ、詳しいことはまた後日。

  うん・・・ た、愉しみにしてっからさー・・・・

  うん、じゃあ・・・ また・・・。』
 
 
 
 
 
耳からケータイを離すと、暫しそのケータイ画面を呆然と見つめたままかたまっている。
再度耳に当ててみて、確実にその相手との通話は終わっていることを確認する。

すると、その長身はしゃがみ込んで思いっきりガッツポーズした。
頬は高揚し、目は潤み、口許は嬉しさで緩みまくっている。
 
 
喜びいさんでじっとしていられず、慌てて自室のドアを飛び出すと丁度バイトから
帰宅したマドカと廊下で鉢合わせした。
 
 
 
 『な、なに?! ニヤニヤして気持ち悪い・・・。』
 
 
 
マドカが目を眇め、怪訝そうに顔を歪ませる。

問い掛けたくせにニヤニヤの理由も聞かずに、さっさと自室に入ってゆこうとする
マドカを慌てて引き留め、マドカの部屋の開けかけたドアをゴツい手で押して閉めた。
 
 
 
 『学祭! お前んトコの学祭・・・ 行くって! 今、電話してて・・・。』 
 
 
 
飛び上がりそうなくらいに喜ぶ、デカい図体した目の前の弟ダイゴに呆れてちょっと笑ったマドカ。

『お前からは言ってないよな?』 しつこいくらい何度も訊いてくる。
 
 
 
 『ゆってないってばー・・・ 

  アンタがわざわざバイト先まで来てうるっさく言うから、

  あの後すぐ会ったけど、あたしからは誘わなかったよ~
 
 
  つかさ・・・ あたしから誘ったら一発じゃーん?』
 
 
 
すると、モゴモゴと歯切れ悪く口ごもったダイゴ。
 
 
 
 『いや。 俺から誘って、来てもらうことに意味があんだよ・・・』 
 
 
 
ほんの数分前まで ”その相手 ”と繋がっていたケータイを乙女のように大切そうに
日焼けしたゴツい手で包む。

放っといたら頬にでもケータイを当てて、うっとり溜息でも落としそうな気配だ。
 
 
 
 『つか、さ~・・・

  アンタもしつこいっつーか、めげないっつーか・・・
 
 
  ガッツあるよね? ガッツっつか、ジョーネツっつーか・・・

  おんなじ高校まで通ってんだから、さっさと早く告って散ればいーのに・・・。』
 
 
 
舌打ちをしてマドカをジロリ睨んだダイゴ。

随分と気安く言ってくれるその一言に、不満気に。
”告る ”の部分にも ”散れば ”の部分にも各々異論があった。
 
 
 
ダイゴのケータイのロック解除すると画面に現れた一枚の待受画像。
 
 
豪快に大口開けてサツキが笑っていた。
 
 
 

■第24話 学園祭

 
 
 
ふたり、欄干に手をついてせわしなく走り去る車をぼんやり眺めていたその夜。
 
 
 
リョウはピーナッツチョコを食べ、マドカはストローを咥え、ただ黙って立っていた。

口の中で溶けていくチョコを味わいながら、左隣に立つマドカにリョウの意識は集中していた。
細長い蛇腹のプラスティックを奥歯で噛みつつも、右隣に佇むリョウに向けマドカの
五感は研ぎ澄まされていた。
 
 
すると、
 
 
 
 『あ。 そうだ・・・

  あのさー もうすぐウチの高校の学祭あんだよね~

  あたし、焼きそば焼くの~』
 
 
 
『へぇ・・・。』 嬉しそうに話すマドカに相槌を打ったリョウ。

やはり中学の学校祭とは違って、高校のそれは規模が違うんだろうな。などと
ぼんやり考えていた時。
 
 
 
 『アンタ、来ればいーじゃん。』
 
 
 
この歩道橋だけじゃなくて、他の場所にもリョウを連れ出したい気持ちが沸き起こる。
リョウにとっても決して悪いことではないはずだ。
 
 
  
 『え?????』
 
 
 『え、じゃなくて。

  来なよ! おもしろいよ、来たらいーよ。』
 
 
 
『ないないないない!』 慌てて胸の前で手を ”イヤイヤ ”と高速で振る。

自分の学校さえ行けないリョウが、女子高の学祭になんか行ける訳がなかった。
しかも世の中で一番苦手な人種 ”ギャル ”ばかりの女子高なんて。
 
 
『ぁ・・・ 誰かに会ったら気まずいか・・・。』 ぼそり呟いて、
『変装すればいーじゃんっ!!』 目をキラキラさせて身を乗り出すマドカ。
 
 
すると、両手を伸ばしてリョウの銀縁メガネのツルを引き抜き、さっとはずした。
マドカの突飛な行動に、パチパチとせわしなく瞬きしたリョウ。
 
 
『な、なんですか・・・ メガネ、返してくださいよ・・・。』 不安気な声色。
目を細めて全く見えはしないメガネを探し、両腕が見当外れな空を彷徨う。
 
 
その時。
はじめて見る裸眼のリョウに、マドカはかたまっていた。
 
 
 
声が出ない。

見入っていた。

レンズ一枚挟まないだけで、こんなに人は変わるものか。
 
 
 
 『ぁ、アンタ・・・

  メガネとると、だいぶ・・・ 印象違うから、絶対バレないよ・・・。』
 
 
 
尚もリョウの顔に見入ってしまって、無意識のうちに瞬きがおざなりになっていた。
頬がどんどん熱くなってゆく。

思わずメガネをぎゅっと握りかけて、慌てて手の力を抜いた。
 
 
 
 『いや、無いとなんにも見えないから無理ですよ。』 
 
 
 
マドカが目の前にいるというぼんやりしたシルエットしか見えていないリョウは
まさかマドカにまっすぐ見つめられているなんて思いもせず、またどうせからかって
愉しんでいるのだろうと、目を細め眉根をひそめて困った顔を向ける。
 
 
 
 『あたしの後ろ、くっ付いてたらいーじゃん! ね、行こう行こう!!』
 
 
 
やたらと強引なマドカに押し切られ、人生初、リョウは女子高の学園祭に行く
ことになってしまった。

やっと返してもらったメガネをかけ、ブリッジを中指で押し上げると頭を抱えて
大きな大きな溜息をついたリョウ。
 
 
 
そんなリョウを横目に、マドカは少しだけ目を伏せてぽつり言った。
 
 
 
 『ダイジョーブだよ・・・ サツキも来るからさ・・・。』
 
 
 
『え?』 言われている意味が分からず、リョウは首を傾げた。
 
 
 

■第25話 学園祭2

 
 
 
リョウは左手首の腕時計に目を落とし、マドカのバイトが終わる頃になると歩道橋から
少し離れたコンビニの辺りを見澄ました。

マドカもまた、バイトが終わるとあの気怠さはどこに行ったのか、ポニーテールの
髪の毛を元気に揺らして慌てて駆けてやって来る。
 
 
歩道橋近くになるとそっと見上げてリョウの姿を確認し、にこやかに手を振るマドカ。
リョウは可笑しそうにその姿に向けて、ペコリと小さく会釈した。
 
 
 
あれ以来、マドカからしつこいくらいに学園祭での変装について打合せさせられていた。

なにがスイッチだったのか分からないが、マドカの気合は相当なものだった。
 
 
 
 『分かってると思うけど、いつもの制服で来るんじゃないよ!

  なんか、こう・・・ シンプルなやつ。

  チノパンとシャツとかそんなんで全然いいから!

  あと、髪型も・・・ もっと無造作な感じのがいーかも・・・。』
 
 
 
”無造作 ”な髪型がどうゆうものなのかが、まず分からないリョウ。

『ムースとかワックスとかでさー。』 マドカは自分の頭に手を遣り、指先でワシャワシャと
掴むようなジェスチャーをした。
 
 
『・・・髪につけるヤツとか持ってないです。』 リョウが不満気に口を尖らせる。

髪の毛になにか付けるのはあまり好きではないのだが、きっと言ったところで
今の興奮気味なマドカには耳に入らないだろう。
 
 
 
 『ん~・・・ ああ、オッケーオッケー!

  ウチの弟のパクって持ってくから、それは現地でどうにかしよう!』
 
 
 
 
 
改めて、リョウの足取りは激しく重い。

足首に重りのついた足枷を填られて、腰にはロープで繋がれたタイヤでも曳かされて
いるような気分だった。 鋼鉄製の手錠も、然り。

人嫌いで避けるように歩道橋にひとり佇んでいた自分が、なにをどう血迷ったら
世界で一番苦手なギャルだらけの女子高の学園祭に行くことになってしまうのか。
全く以って意味が分からなかった。
 
 
しかし本当に断ろうと思えば断れるし、ドタキャンだって簡単に出来るはずなのに
なんだかやたらとマドカが愉しそうに話すもんだから、リョウの頑なな気持ちも
少しだけ緩んでいた。

マドカの焼きそばを焼く姿も、見たくないと言えば嘘になる。
 
 
 
重い気持ちとほんの少しの嬉しい気持ちで、リョウの胸中はチグハグだった。
そんな自分自身に、困り果て照れくさそうに頬を緩めた。
 
 
 
 
 
学園祭、当日。 約束の午後1時。

マドカの高校近くの駅前広場で、リョウはソワソワと落ち着きなくその姿を待った。
これから学園祭に向かうのか、高校生カップルの姿がやたらと多い。
少し俯いて顔を隠し、知合いに会わないことだけを祈っていた。
 
 
すると、バタバタと落ち着きなく向こうから駆けて来る姿が見えた。

思わず、ぷっと笑ってしまう。
それは、いつもの気怠い制服スカートの中に学校ジャージを履き、ソースらしきシミが
ついた派手なエプロンをしているマドカ。
 
 
リョウに笑われて少し照れくさそうに、なんだか不貞腐れたように口許を緩める。
初めて見る、リョウの私服姿。
散々口うるさく言っておいた通り、チノパンとシンプルなボタンダウンの白色シャツを
きちんと一番上のボタンまで留めているのが、リョウらしくてちょっとにやける。

背が高くて痩せているから、見栄えは決して悪くはない。
なにより、メガネをはずした時のあの破壊力たるや・・・
 
 
 
 
  (あの裸眼は反則だわ・・・。)
 
 
 
 
『ちょ。』 マドカは手を伸ばして、リョウの首元の一番上のボタンをはずした。

マドカの指先が、痩せて青白い喉にかすかに触れる。
リョウがそっと目を落とすと、頭ひとつ背が低いマドカの今日もバサバサのつけまつ毛が
瞬きに合わせて上下していた。

その距離に、甘くてやわらかいマドカの香りが鼻をくすぐる。
 
 
 
 
   どきん・・・ 
 
 
 
 
大きく心臓が跳ねた。
 
 
 
『こっち!こっち!』 マドカに促されて駅の多目的トイレの個室に引っ張られる。
『えええええ?!』 ふたりで個室に入るのかと、目を白黒させ戸惑い慌てまくるリョウ。
 
 
 
 『女子も、男子も、ふたりじゃ入れないっしょ!』 
 
 
 
マドカはリョウの腕を無理やり引くと、『はい、ちょっと屈んで!』 
エプロンのポケットに手を突っ込み、ワックスを取り出した。

指先でそれをひと掬いすると手の平に薄く伸ばして、少しだけ背を屈めたリョウの
短く黒い髪の毛をガシガシと揉むように掴む。
たまに軽く引っ張ったり、ねじってみたり。
するとあっという間にナチュラルな無造作ヘアが出来上がった。

マドカが少し体を離しリョウを眺める。
 
 
『うん! イイじゃん・・・。』 満足そうにニヤっと笑ったマドカに、
リョウは鏡に映る自分がまるで自分ではないみたいで、照れくさそうに困った顔で笑った。
 
 
 

■第26話 学園祭3

 
 
 
焼きそば班の当番が交代のタイミングに合わせ、マドカはリョウを誘っていた。
 
 
 
マドカに連れられやって来た女子高の校舎。

苦手意識が強すぎて近くを通ったことすらなかったというのに、今からこの不夜城の
ようなゴテゴテと飾られ光り輝くエリアに足を踏み入れるのだ。
 
 
嫌な緊張が喉元に込み上げる。

自分みたいな人間がここに居ることに、アッチのギャルもコッチのギャルも不信感
100%で首を傾げているのではないかと、被害妄想甚だしく身の置き所が無い。
 
 
すると、『ん。』 マドカはリョウの前に手の平を出した。

なにをしたらいいのか分からずマドカを黙って見ているリョウに、『メーガーネっ!』 
リョウから無理やりメガネを奪う。
 
 
 
 『ちょっとワタセさん・・・ 

  ほんとに僕、なんにも見えないんですから・・・。』 
 
 
 
不安気に声を上ずらせたリョウに、目をやって瞬時に逸らしたマドカ。
 
 
 
 
  (裸眼のコイツ・・・ 直視できないじゃんか・・・。)
 
 
 
 
一瞬マドカは息を止め躊躇い、そして意を決したようにリョウの手首を乱暴にとった。
 
 
 
 『あたしから離れなきゃ、ヘーキでしょ?』
 
 
 
そう言って、マドカに強引に掴まれたリョウの手首。

はじめて触れた、マドカのしっとりした指先の感触。
その手はじんわりあたたかくて、リョウのそれはひんやりと冷たかった。
 
 
 
 
 
   どきん どきん どきん どきん・・・

   ドキン ドキン ドキン ドキン・・・
 
 
 
 
 
途端に無言になったふたり。
照れくさくて恥ずかしくて、相手を見られない。
 
 
ほんの小さく、マドカが振り返った。

すると、メガネは無いけれどいつも通りの飄々とした顔を向けるリョウがそこに。
 
 
 
 
  (どきどきしてんのは、あたしだけか・・・。)
 
 
 
 
どんどん火照る頬にマドカは面映そうに俯いた。

メガネを奪われ全く見えないリョウは、ただひとつだけ頼れるマドカのあたたかい指先に
緊張して息苦しいのを気付かれないよう、隠そうと必死だった。

マドカの顔が見えないというのはある意味ラッキーだったかもしれない。
 
 
 
 
  (へ、平気なのかな・・・ ワタセさんは・・・。)
 
 
 
 
リョウの普段青白い頬もまた、今日はほんのり血色が良くなっているのを余裕がない
マドカは気が付けずにいた。
 
 
 
マドカに手首を引かれ、リョウが歩く。

学園祭の大袈裟なくらい飾り付けられた校舎に、たくさんの出店が並び催し物が開催され
耳に痛いくらいのテンションが高い女子のハイトーンボイスと、それに続くように
響く男子の愉しそうな声色。 どこの国の音楽か分からない大音響のBGM。

賑やかな喧騒の中、マドカとリョウふたりは手を引き引かれゆっくり進んだ。
 
 
 
 『どう・・・? 女子高の学祭・・・ はじめてでしょ?アンタ。』
 
 
 
たまに指をさして出店の説明をしたり自分のクラスを見せながら、マドカはリョウが
ココにいることにえらく満足顔だった。
 
 
すると、
 
 
 
 『どうもなにも・・・ 

  メガネ無いんでなにも見えないですよ・・・。』
 
 
 
ぼそり。リョウに言われて初めてそれに気が付いたマドカ。
変装させる事に躍起で、本来の目的が完全に本末転倒になっていた。

マドカは一瞬その場にかたまって、思わず体をよじって大笑いした。
リョウの手首を掴んだままで、ひとりでゲラゲラ笑い続けている。
 
 
そんなマドカにやさしく目を向けると、『そろそろメガネ返して下さい。』 とリョウがぽつり。

『ごめんごめん。』 マドカからそれを渡されると、やっと安心したようにメガネをかけ
ブリッジを中指で上げて、リョウは呆れたように首を振りマドカの馬鹿さ加減に肩を
震わせて笑った。
 
 
そして、

すぐさま再びマドカの手を取り、そっとつないだ。
 
 
 
 『・・・・・。』

 『・・・・・。』
 
 
 
 『あ・・・ 

  ・・・もう、見えるから・・・ 大丈夫でした・・・。』
 
 
 
慌てて手を離すリョウ。
マドカも目を丸くして見開き、かたまっている。

リョウのメガネ越しの目に、マドカの頬が染まってゆくのが見えた。
マドカの目にもまた、リョウの青白い頬がほんのりさくら色に。
 
 
ふたり、同時に俯いた。
 
 
 

■第27話 学園祭4

 
 
 『あれ~? リョウ君・・・ 今日は随分カッコイイじゃ~ん!』 
 
 
 
その声に顔を上げると、そこにはサツキがいた。

凛としたキレイな顔でやわらかく微笑み、その細く白い手を左右に振っている。
そしてそのサツキの隣には、いつかのマドカのバイト先で親しげに話していた長身の色黒が。
 
 
 
 
  (ストーカー・・・?!

   って言うか、なんでサツキさんと・・・??)
 
 
 
 
声を失い目を白黒させるリョウに、マドカが顎で指して言った。
 
 
 
 『これ、ダイゴ。 ウチの弟。』
 
 
 
『弟っ?!』 リョウの喉から今まで発したこともないような素っ頓狂な声色が出た。
 
 
 
 
  (コンビニで見たのは、ただの弟さんだったのか・・・。)
 
 
 
 
驚き目を見開いて、なんだかホッとした途端に笑いが込み上げ止まらないリョウ。

散々ネガティブに考えあぐね、あんなに落ち込んだというのに。
ひとりでなんだか可笑しそうにクスクス笑っている。
 
 
『なに? どした??』 マドカが不思議そうに小首を傾げる。
首を横に振り、しかしまだ笑いは止まらず暫くリョウは肩を震わせ続けていた。

マドカは、ふとサツキとダイゴに目を遣る。
 
 
 
 
  (ぁ・・・ 

   サツキと一緒にいるのがウチの弟でホッとしたって事か・・・。)
 
 
 
 
マドカがきゅっと口をつぐみ、物哀しげに目を伏せた。

ついさっきまでリョウのひんやりした手首を掴んでいた自分の手を、ぼんやり見つめ
無意識のうちに小さな溜息がこぼれた。
 
 
 
 
 
それからは、4人で学園祭を見てまわった。
 
 
うるさいほど賑やかでゴテゴテと装飾された校舎の廊下を、なんだか微妙なその4人が進む。

マドカは不機嫌そうに顔を伏せて先頭を歩き、サツキとリョウはふたり並んでにこやかに
実にご機嫌だった。 最後尾のダイゴは、参加すると知らされていなかったリョウがどこか
気に入らない面持ちで後方から鋭い目線を向ける。
 
 
騒々しい廊下を進んでいると、途中、マドカのクラスメイトなのか数人の女子から声が掛かる。
マドカのギャル姿なんか霞むくらいの、更に上をいくその風貌の女子たち。
 
 
 
 『マードカーーー! 焼きそば買ってけーーー!!』
 
 
 『買わねーよ!

  あたし、別んトコで焼きそば屋やってるっつの!』
 
 
 
そんなガサツな遣り取りをリョウはどこか嬉しそうに眺めていた。

マドカが女友達と愉しそうにしているのは、とても微笑ましい。
女子ならなんの問題もないのだ、女子なら。 女子ならば・・・
 
 
すると、
 
 
 
 『あ、マドカ。 カレシとお化け屋敷入ってかなーい?』
 
 
 
そう声を掛けてきたお化け屋敷の受付当番に4人一斉に目を向けた。
その入口には ”男女ペアでの入館 ”とド派手な注意書きがある。
 
 
ふと、マドカが、リョウとサツキに目を遣った。

リョウが、小さくマドカを盗み見る。

ダイゴが、サツキの隣に立つリョウを睨む。

サツキは『お化け屋敷大好きっ! 入りたい入りたい!!』 呑気に目を輝かす。
 
 
 
 
 『き、姉弟で、っての可笑しいじゃん。 ・・・いくらなんでも。

  俺・・・ マドカと入んのなんか、ゼッタイやだからなっ!!』 
 
 
 
すかさずダイゴが口火を切った。

普通に考えても、いい歳した姉弟が仲良くお化け屋敷というのは首を傾げる。
マドカが瞬時に俯き、心の中で小さくガッツポーズする。 口許が少し緩んだ。
 
 
『じゃぁ、決まりだね!』 サツキはそう言うと、隣に立つリョウの腕をマドカの方へ
ぐっと押し遣った。 すかさずダイゴがサツキの隣に涼しい顔をして移動する。

『んじゃ・・・ 先、行くわ。 俺ら。』 嬉しさに緩みまくりそうになる頬を必死に
堪えるダイゴがサツキにチラっと目を遣って合図すると、ふたりはおどろおどろしい
お化け屋敷の入口に吸い込まれていった。
 
 
そのふたりの背中を見送ると、マドカはそっとリョウを盗み見た。 

マドカのその目はどこか自信なさげで弱々しい。
相変わらずの、感情が読み取れないリョウの横顔。
 
 
 
 
  (サツキとじゃなくてガッカリしてんだろな・・・。)
 
 
 
 
その時、リョウは飄々となにも考えていないフリを必死にしていた。
 
 
 
 
  (やった! やったー!! ワタセさんと一緒だ・・・。)
 
 
 
 
 
 
先に入ったふたりに少し遅れて、マドカとリョウも中に進んだ。

真っ暗な闇の奥から、甲高い悲鳴が聴こえてくる。 たまに野太い男声の絶叫も。
その悲鳴が聴こえるだけで、そこに足を踏み入れた他者の恐怖を充分に助長する。
 
 
マドカは思わぬペア分けに舞い上がり、すっかりお化け屋敷系が大の苦手だというのを
忘れていた。 リョウに続いて暗闇に身を置いて、やっとそれに気付き途端に慌てる。
 
 
 
 『あ、ちょ! あたしさ、あんまこうゆーの・・・。』
 
 
 
マドカが必死に目の前のリョウの背中に話し掛けるも、響き渡る悲鳴や効果音のせいで
その声はリョウの耳には届かない。
 
 
『ねぇ、ちょっ・・・。』 リョウの白色ボタンダウンシャツの背中を拳でコツンと
叩いたその時、漆黒の闇の中で振り返るような気配がした。
 
 
すると、マドカの拳が、ひんやり冷たい痩せた手にそっと掴まれた。
驚いてビクっと跳ねた瞬間、それはマドカの手の平に滑り込みやさしくつながれる。
 
 
そして、マドカに聴こえるようにリョウが耳元に近付いて笑って言った。
 
 
 
 『ワタセさん、こうゆうの苦手でしょ?

  ・・・最初、僕を幽霊だと思って怯えてましたよね・・・。』
 
 
 
高鳴る鼓動と赤くなってゆく頬、そして微かに震え汗ばんでゆく手の平を隠そうと
精一杯の平静を装い合っていることを、マドカもリョウも互い気付く余裕など全く無かった。
 
 
 

■第28話 学園祭5

 
 
照れくささを必死に隠しどうって事ない風な顔をして、いまだ手をしっかりつないだまま
リョウとマドカはお化け屋敷の出口を出て来た。
 
 
出口をくぐり抜けた途端、校舎の明るさに目が慣れなくて、ふたりはショボショボと
眩しそうに瞬きを繰り返している。

やっと通常の視界に戻ると、瞬間、マドカとリョウの目に向かい合う相手の顔がしっかり
目に入った。 自分の手にはまだ、相手のやわらかいぬくもりがある。
 
 
 
 『・・・・・。』

 『・・・・・。』
 
 
 
ふたり、素知らぬ顔をしてつないでいた手をそっと離した。

離してしまった途端、そのぬくもりが消えてしまったことに寂しそうにまるで恋しそうに
その手は再びぬくもりを求め彷徨う。
 
 
 
 
  (まだ、つないでてくれてたってイイのにさ・・・。)
 
 
  (まだ、離したくなかったのにな・・・。)
 
 
 
 
ひと足先にお化け屋敷を出ていたサツキとダイゴは、少し離れて壁に寄り掛かり話を
しているようだった。

お化け屋敷好きのサツキはひとりで勝手にどんどん進んでしまい、あわよくばサツキの
手を取りココは格好良くリードしようと算段を目論んでいたダイゴを、呆気なく打ちのめした。
しかし、サツキと一緒にいられるだけで充分嬉しいダイゴの顔は綻び常に白い歯が
こぼれていた。
 
 
すると、マドカとリョウ、ふたりの姿を出口に見付けたサツキが駆け出した。
 
 
嬉しそうにサツキがリョウの隣に並び、そっとリョウの腕を引っ張る。

そして、リョウの肩に手を置き少しつま先立ちをして顔を寄せると、なにやら小さく耳打ちした。
リョウの骨ばった耳に、サツキの形の良い桃色の唇が触れてしまいそうなその距離。
 
 
 
 『ちゃんと仲直りしたんだね・・・ 良かった。』
 
 
 
サツキは目を細めてやさしく微笑みかける。

リョウはサツキに目線を向けると、照れくさそうに顔を綻ばせペコリと会釈した。
ほんのり頬を染めて、やわらかい表情で、心から嬉しそうに。
 
 
 
その様子を、チラリと目の端で見てしまったマドカ。
胸がぎゅっと握り潰されたような鈍く重い痛みに、慌てて顔を逸らした。
 
 
すると、隣に立つダイゴもまた不機嫌そうにそれを睨んでいた。

苛立ちがダイゴの脳から足先へ伝わり、そのつま先は高速でカツカツと床を打ち付けた。
 
 
 

■第29話 壊れたテレビのように

 
 
 
学園祭の帰り道。
 
夕焼けがしっとりと空を染め上げ、垂れ込める雲は橙色と黄金色と静かに迫りくる
濃い夜の色に変わりゆく。
 
 
 
マドカとダイゴは自宅へ向けてなにもしゃべらずに歩いている。
リョウとサツキは方向が別のため、早々とふたりとは別れていた。

姉弟そろって不機嫌そうに眉をしかめ、まるで一人で歩いているかのように相手の
ことなど全く気に掛けてなどいない。
 
 
ダイゴは不機嫌そうにポケットに手を突っ込み、踵を擦って耳障りな音を立てながら歩く。

『・・・うるっさい。』 更にイライラを助長するようなその音に、マドカが目線
だけ向けて軽く睨んだ。
 
 
すると、
 
 
 
 
 『お前の知合い・・・

  サツキのこと狙ってんのかよっ?!

  近寄らせんなよ! つか、そんなの連れてくんなよっ!!』
 
 
 
 
ダイゴがカリカリと抑えきれない怒りをあらわにする。

マドカが悪い訳ではないのは分かっているけれど、あの耳打ちして微笑み合うふたりを
思い出して八つ当たりせずにはいられなかった。
 
 
すると、そのダイゴの言葉に触発されて、マドカもイライラが爆発した。
 
 
 
 『知らないよっ! もう、勝手にやってよね・・・

  あたしにイチイチそんな事ゆーなよ!! バカっっ!!!』
 
 
 
すごい剣幕で怒鳴り返されて、ダイゴがひるんだ。
マドカの機嫌が悪い理由もいまだ分からないまま、更に地雷を踏んでしまったようで。
 
 
 
 『・・・どうした? お前のほうがイカってんじゃん・・・。』
 
 
 
マドカはジロリと睨んで不機嫌そうに舌打ちを打つと、『うっせー。』と低く唸った。
 
 
 
 
 
 
耳打ちのシーンがグルグル頭を巡る。
忘れたいのにもう考えたくないのに、壊れたテレビのようにそれは繰り返し繰り返し再生される。
 
 
リョウの耳にサツキの唇が触れてしまいそうなほどの、ふたりの距離。

照れくさそうに顔を綻ばせペコリと会釈した横顔。

ほんのり頬を染めて、やわらかい表情で、心から嬉しそうに。
 
 
 
 
 
  (なんで・・・

   なんで、あたしじゃないのよ・・・ 

   あたしが先じゃん。

   あたしが・・・ ここまで距離縮めたんじゃん・・・
 
 
   サツキを・・・ 紹介なんてするんじゃなかった・・・。)
 
 
 
 
大切な親友にすら嫌悪感を抱きかねない今の自分が、ほとほと嫌になる。

別に、誰も悪くはない。
悪くなどない。
リョウが誰を好きになろうが自由だし、サツキが誰かに好かれるのも当然だし、
自分の気持ちが相手に届く届かないは自分自身の問題であって、誰かを責めるべきものではない。
 
 
分かっている。
分かってはいるけれど、手を握られて飛び上がりそうなくらい喜んだと思ったら
すぐさま耳打ちを目の当たりにして地の底まで叩き付けられる。
 
 
心臓がもたなかった。

ドキドキと、ハラハラと、イライラが目まぐるしくて心臓は壊れそうだった。
 
 
 
 
 
自宅に戻る。 大きな足音を立てまっすぐ階段を駆け上がり、乱暴に自室のドアを開けると
そのままベッドに突っ伏して、マドカはなんとか頭から嫌な映像を追い出そうと躍起になった。
 
 
しかし、一旦焼き付いてしまったそれは簡単にはマドカから離れてはくれなかった。

リョウの耳にサツキの唇が触れてしまいそうなほどの、ふたりの距離。
 
 
 
枕に顔を深く深くうずめ、マドカは思うままに叫んだ。
 
 
 
 『あああああああああああああああああああああああ!!!』
 
 
 

■第30話 嘘をついた自分

 
 
 
なんだか少し憂鬱で正直気乗りしないままやって来たバイト終わりの歩道橋。
 
 
 
いまだあの耳打ちのシーンに苛まれ、そればかり考えてしまって寝不足のマドカ。

必死に平静を装おうとしたのだが、不自然なくらい明るくはしゃぐような口調に
なってしまっている事にマドカ自身は気が付いていなかった。
 
 
なんだか様子がおかしいマドカに、リョウは不自然さを感じながらも話し掛ける。
努めて明るく、マドカと笑いながら話ができることを願って。
 
 
 
 『弟さんが追い掛けて高校入った相手って、サツキさんですか?』
 
 
 
以前マドカが言っていた ”情熱 ”の話を思い出していた。

あの時なんだか嬉しそうに肩をすくめて笑いながら話していたマドカの横顔。
ダイゴだって相手がサツキでなければ、わざわざ姉の学園祭なんかには普通やって
来ないだろう。
 
 
 
 『・・・そうだね。 

  ・・・なに? ・・・気になるんだ・・・?』 
 
 
 
さっきまでハイトーンで話していたマドカの声色が、瞬時にどことなく沈んで聴こえた気がした。
 
 
 
 『え? いや、別に気になる、とかじゃないですけど・・・ 

  ・・・ほら、こないだ学祭で見たから。』
 
 
 
『ふーん・・・。』 マドカは急に目を合わせてくれなくなった。

やはり空気の流れが変わった気がする。
 
 
 
 
  (あれ・・・? 気に障ること言ったかな・・・。)
 
 
 
 
すると、マドカが感情が読み取れない声色でどこか投げやりに早口で言った。
 
 
 
 『ボケっとしてたら持ってかれちゃうよ。』
 
 
 
『え? なにを??』 言われている意味が全く分からないリョウ。
キョトンとした顔を向け、訊き返した。
 
 
『・・・別に。』 マドカは語尾にほんの少しの嫌な嗤いを込めた。
そんな自分自身にゾッとしていた。そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。
 
 
なんだか居心地の悪い空気に、なんとか話をいい方向に持って行こうと躍起になるリョウ。
 
 
 
 『なんか、弟さん・・・

  なんてゆーか、クラスの目立つグループの

  更に中心にいる人気者、みたいな感じですよね・・・。』
 
 
 
弟ダイゴを褒めてマドカの機嫌が治ればと思い、必死に話を紡ぐ。
別におべんちゃらを言ってゴマすりをしようとした訳ではなく、本心からだったのだけれど。
 
 
 
 『そう? ・・・まぁ、そうゆうタイプかもね。』
 
 
 
すると、遠くなにかを見るでもなく見つめ、黙り込んだリョウ。
ダイゴのことを口にしてみて、自分はダイゴとは対極にいるのだと思い知らされる。
 
 
『・・・どーしたの?』 なんだか様子が変わったリョウに、マドカが目線を向ける。
 
 
 
 『なんか・・・ なんでも巧くいくんだろうな・・・

  ・・・正直、羨ましいです・・・。』
 
 
 
リョウがダイゴのように堂々と自信に満ちていたら、きっとマドカにだって勇気を
出して迷うことなくぶつかる事が出来るのかもしれない。

ほんの少し自分を嘲笑って小さくかぶりを振ったリョウ。
 
 
 
 
  (サツキのことか・・・。)
 
 
 
 
リョウがサツキのことを考えての発言だと、その意味をはかってしまったマドカ。
すると、どうしようもない焦燥感を堪え切れずにまくし立ててしまった。
 
 
 
 『あたしさ・・・ 

  別に・・・ 何でも屋じゃないからさ、

  誰が誰を好きでも、嫌いでも、

  別にそんなのどーでもいーけど ・・・イチイチあたしに言わないで!』
 
 
 
『え? なん・・・?』 マドカがすごい剣幕で言った意味が分からず聞き返そうとするも 
『帰るわ。 明日バイト休みだから、じゃあ・・・。』 背中を向けて立ち去ろうとする
マドカの腕を咄嗟にリョウが掴み、ぐっと引っ張った。
 
 
 
 『ワタセさん・・・?』
 
 
 
やはり様子がおかしいマドカを、リョウが心配そうに覗き込む。

メガネの奥のリョウの目は最初の頃の感情がない陰鬱なものとはあきらかに違った。
やさしくあたたかく、マドカを見つめている。
 
 
 
 
  (もう・・・ 最悪・・・ 

   リョウはなんにも悪くないのに・・・。)
 
 
 
 
 『ごめん! あのー・・・ ちょっと、なんか・・・

  えーぇっと・・・ サツキ、を・・・

  サツキをとられちゃうみたいな、気に、なっちゃって・・・

  あたしの親友なのにさー・・・

  変なヤキモチっつーの? バカみたいでしょ、ほんと・・・。』
 
 
 
咄嗟に誤魔化した。 嘘をついた。 傷付いた。

嘘をついた自分に、傷付いていた。
 
 
 
マドカは途方に暮れたような顔をして、俯いて呟いた。 『ごめん・・・。』
 
 
 

■第31話 満月の引力

 
 
 
突然歩道橋に現れたサツキの姿に、リョウが驚きそしてペコリと小さく会釈をした。
 
 
 
 『近くまで来たからマドカんトコ寄ったんだけどさー・・・

  マドカ、今日シフト入ってないんだね、いなかったわ。』
 
 
 
昨夜、マドカが休みなのは聞いていたリョウ。

『ぁ、はい。 今日はバイト休みです。』 まるで自分のことのようにごく自然に
告げるリョウに、サツキは嬉しそうに目を細めてクククと笑った。
 
 
『寂しいでしょ~?』 欄干に手をつきリョウの隣に立って、少し体を屈めて覗き込む
ように頬をニヤリ緩めている。
 
 
 
 『そうですね。 

  うるさく邪魔する人がいないと、勉強が進み過ぎてしっくりこないです。』
 
 
 
涼しい顔をしてサラリ誘導尋問をかわしたリョウに、サツキは流石とばかり声をあげて笑った。
 
 
 
今夜は満月だった。

その明るく眩しい光は、隅から隅までくまなく照らすようで。 
心の中なんて全て見透かされ、隠し事など出来そうにないと思わせる。

あまりに見事なそれに、思わずマドカに今すぐ教えてあげたくなってそっと目を伏せた。
 
 
 
サツキはその、リョウのなにかを考え込んでいるような横顔をやさしく見ていた。
 
 
 
 『ねぇ、リョウ君・・・

  マドカ先生から ”人の気持ち ”を教わってるんだって?』
 
 
 
可笑しそうに頬を綻ばせるサツキに、リョウは照れくさそうに顔をしかめ頷いた。

すると、『私もひとつ、いい?』 サツキの言葉に、『ん?』 リョウは小さく首を傾げる。
 
 
 
 
 
 『想ってても言葉に出さないなら、

  それは、相手にとっては想われてないのと一緒だよ。』
 
 
 
 
 
サツキは嬉しそうに微笑む。
 
 
  
 『マドカ・・・ 最近ほんっと可愛くなったよねー

  元々可愛い子だけど、なんか・・・ キラキラしてる、ってゆうのかな?

  親友の私としては、寂しいの半分、嬉しいの半分って感じでさー・・・。
 
 
  なんかね、ふたりを見てると・・・

  こう・・・ なんてゆーか、やさしい気持ちが湧いてくるってゆうか

  あったかい気持ちで満たされるってゆうか・・・。
 
 
  伝えたい言葉はさー・・・

  難しい言葉なんか使わなくていいし、

  カッコよくなんかなくていいんだよ・・・

  単純な言葉で充分なんだよ、シンプルでいいの。
 
 
  きっとリョウ君は、元々頭いいからさ・・・

  人より何倍も頭で考え過ぎちゃうんでしょ~?

  大事な場面こそ、幼稚園児にでもなったつもりでいいんだよ・・・。』
 
 
 
リョウが赤くなってサツキの言葉に俯いていた。
これだけマドカへの気持ちがバレていたら、もうサツキには誤魔化す必要もない。
 
 
人嫌いで人と向き合うことが苦手な、弱々しくてちっぽけなリョウがほんの少しだけ
丸めた背中を伸ばし胸を張った。
 
 
 
そして今夜の満月の引力に引っ張られるように、顔を上げるとひとつ息をついて笑った。
 
 
 

■第32話 レジ横のカウンターで

 
 
 
自動ドアが開き来客合図のチャイムが店内に響き渡り、レジに立つマドカが目を向けると
そこにはリョウがどこか身の置き所が無さそうに立っていた。
 
 
 
 『どうしたのっ??』
 
 
 
コンビニに来た客に ”どうしたの ”も無いが、はじめてやって来たその姿にマドカは
すっかり驚き、そしてちょっと嬉しそうに口許を緩めた。
 
 
 
 『今日・・・ なんか、花火大会みたいで・・・

  ・・・あの歩道橋から、花火が見えるらしくて・・・。』
 
 
 
モゴモゴと口ごもり、しかめっ面をするリョウはどこか拗ねた子供みたいだった。
 
 
『あぁ・・・ で、逃げて来たんだ?』 マドカはレジカウンターから身を乗り出す
ようにして、ニヤリと悪戯にリョウを覗き込む。
 
 
 
夜8時。 コンビニ店内に客の姿は然程多くはないが、かと言って暇という訳でもなかった。
リョウがキョロキョロと物珍しそうに店内を眺めている。
 
 
 
 『はじめて来たね。』
 
 
 
マドカは柔和な表情を向け微笑んだ。

出会って最初の頃に ”今度おいでよ ”と誘っていたけれど一度も来てくれたこと
など無かったのだ。
 
 
『・・・ぁ、はい・・・。』 リョウは、一瞬考えてからそれに頷いた。

本当は以前一度自動ドア前までやって来て、入ることが出来ずに引き返したのだが
それはマドカには気付かれていないようだった。

ただレジを挟み立ち尽くしているふたりの間に、なんとなく居心地が悪い沈黙が流れ
手持無沙汰にリョウが言う。
 
 
 
 『やっぱり・・・ なんか買ったほうがいいですよね・・・?』
 
 
 
すると、マドカが可笑しそうにケラケラ笑った。
リョウのコンビニ慣れしていないぎこちない感じが、なんとも滑稽に思える。
 
 
 
 『時間つぶしとか、立ち読みだけに来る人だって多いよ。

  ほら、立ち読みでもしてくれば・・・?』
 
 
 
マドカが顎で指したガラス面に設置された雑誌コーナーにチラリ目を遣って、
『はぁ・・・。』 リョウからあからさまに気乗りしない返事が返って来た。
 
 
『アンタが読みたい本なんか無いか。』 マドカがクスリ。笑った。

漫画も週刊誌も読まないリョウの好奇心を満たしてくれるような物はそこには無かった。
 
 
 
リョウと話している間も、客の精算をしたり弁当を温めたりマドカは忙しそうだ。

邪魔になっているかもしれないとリョウは申し訳なさそうに、手が空くタイミングを
少し離れた場所から見計らいマドカへ呟く。
 
 
 
 『今日は、やっぱりもう諦めて帰ります・・・。』
 
 
 
すると、『えっ?!』 マドカが慌てて声を上げた。

せっかく来てくれて嬉しくて仕方ないのに、もう帰ってしまうなんてあまりに寂しすぎる。
そんな本音は決してリョウに言えはしないけれど、なんとか引き留めようと必死なマドカ。
 
 
 
 『あ! あのさ・・・

  アンタ、コーヒー飲める? ・・・コーヒー1杯だけ買いなよ!

  そしたらそこのカウンターでいくらでも座ってていいからさ・・・

  そこで座って勉強すりゃーいーじゃん!!』
 
 
 
マドカはセルフ式ドリップコーヒーのカップをリョウに突き出した。

リョウが教わったカウンターに目を遣る。
固定された丸イスがあり今現在利用者はいず、なによりレジのすぐ横にあって自然に
視野にはバイト店員が映るその位置。
 
 
 
 『ワタセさんの割りには良い案ですね。』
 
 
 『割りに、は、ヨケーだ! バカ。』
 
 
 
100円硬貨を向かい合ってレジに立つマドカに差し出すと、『まいどあり。』 と
明るくニヤリ頬を緩めた。 それにつられてリョウも少しだけ頬が緩んでいた。
 
 
レジ横のカウンターに備え付けられたイスに座り、リョウがホットコーヒーを飲みながら
参考書に目を落としている。

最近のコンビニに設置されているセルフ式ドリップコーヒーなどリョウが知っている
はずもなく、真剣にマシンの説明書きを読み込む姿が可笑しくてマドカは敢えて手を
出さずリョウの様子を盗み見していた。 無事にコーヒーが抽出され始めると子供の
ように一瞬嬉しそうな顔をしたのを、陰に隠れてクククと笑うバイト店員。

コーヒーには何も入れないようだ。 ブラックで飲むリョウがらしいと言えばらしい。
すっと通った鼻筋、カップの飲み口に付けた薄い唇、痩せた喉仏。
レジに立つマドカから、リョウの右横顔が見える。

それが嬉しくて自然にそちらばかり見入ってしまう。
 
 
しかし、レジに立つ店員がニヤニヤ余所見ばかりしているのは流石にマズい。

なんとかそれを隠そうと口をぎゅっとつぐんで咳払いをしてみるが、どうしても目線が
カウンターへ向かってしまい、また慌てて仕事に集中する。 この繰り返しを延々していた。
 
 
リョウも真剣に参考書を眇めているように見せかけて、右耳はマドカに向けてのみ
集中していた。

マドカが客と短い遣り取りをしている。
不愛想に『あっためますかー?』 と一言呟く。
おつりを渡す。 『ありがとーございましたー。』 と棒読みで返す。

それはマドカの気怠い時に発する声色で。 リョウと話すときは1オクターブくらい
高い感じがするのは気のせいではないはずだと、少しニヤけてしまいそうになる。
 
 
 
 
  (ダメだ・・・

   全然、勉強にならない・・・。)
 
 
 
 
リョウも照れくさそうに俯いて手の甲で口許を隠し、嬉しさに緩みまくるそれを
マドカからは死角になる角度に身を傾け、気付かれないよう必死だった。
 
 
 
 
 『ねぇ・・・ 雨の日も出来んじゃない? ここなら。』
 
 
客が途切れたタイミングで、やっと話し掛けられるとばかりマドカがカウンターの
リョウを覗き込んで言った。
少し乾いた唇を、ポケットに常に入れてあるリップクリームを左右に塗ってぽってり
したそれを更に艶々にしながら。

しかし言ってしまってその瞬間、途端に不安になる。
 
 
 
 
  (そこまでして、ココに来ようとは思わないか・・・。)
 
 
 
すると、
 
 
 
 『そうですね・・・ そうします!』
 
 
 
リョウが照れたように慌てて目を逸らすと、うんうんと嬉しそうに頷いた。
マドカの唇を見ていたらなんだかジリジリと耳が熱くなって慌てて視野からはずした。

その笑顔を見ていたら、マドカの胸は愛おしさが込み上げ歯がゆく震える。
 
 
 
 
  (そんな風に笑うな、バカ・・・。)
 
 
 
 
リョウも横目でチラリとマドカを盗み見ていた。

たまに常連客っぽい人に話し掛けられて、笑顔を見せているマドカが気になって仕方なかった。
 
 
 
 
  (なんか、ヤだな・・・ 

   そんな風に誰かに笑うのなんか、見たくない・・・。)
 
 
 
 
互い、一緒にいられる事に喜びを抑えられずにいながらも、内心モヤモヤしたものを
秘め合っていることに気付けずにいた。
 
 
 

■第33話 暗い帰り道のふたり

 
 
 
バイトが終わる10時になり、マドカがカウンターのリョウに目を向ける。
美しい姿勢で腰掛け、真剣に参考書に目を落としているその横顔。
 
 
 
 『あたし・・・ 終わったけど・・・

  ・・・アンタ、まだやってく・・・?』
 
 
 
いつもは11時くらいまで歩道橋で勉強をしているリョウ。

まだ1時間はある。
出来れば一緒に帰りたいけれど、リョウの勉強の邪魔をする訳にはいかない。
 
 
すると、『だってワタセさん終わったんですよね? なら、僕も帰りますよ。』 
そんなの言わずもがなとばかりの顔を向け、リョウは即座に参考書をカバンにしまい
帰り支度を始める。

マドカがいないのにここにいたって意味がない。
最初からマドカのバイト時間内だけと決めて来ていた。
 
 
 
 『じゃ、着替えてくるから待ってて!!』
 
 
 
パッと明るい表情を向け、慌ててバックヤードに駆け込むポニーテールの背中を
リョウは目を細めて見送った。
駆けるリズムに跳ねるように揺れるその明るいベージュカラーの髪束。

『別にそんな慌てなくても・・・。』 クスリ。笑って、ひとりごちた。
 
 
 
自動ドアを抜け、マドカとふたり歩道橋へ向かってすっかり暗い道を歩く。

花火大会はとっくに終わって、道の脇に心無く捨てられたゴミだけがその名残を残す。
街灯は一応あるけれど弱々しいそれに歩道は結構な暗さで、遠くの赤信号だけやたら
煌々と滲んで光っている。

この時間帯の女の子の一人歩きはさぞかし危険なのではないかと、急に心配になったリョウ。
 
 
 
 『あ、あの・・・ 送ります、家の近くまででも・・・

  もし・・・ 嫌じゃなければ、の話ですけど・・・。』
 
 
 
突然不安そうな顔を向けるリョウに、マドカは驚きまじまじと見つめた。

『ぇ・・・ でも、いいの?』 どこか自信なさげな小さな呟き。
マドカの家まで送るとなると、リョウは結構な遠回りになってしまうはずなのに。
 
 
 
 『だって、暗いじゃないですか・・・ 

  こんなに暗かったって気付かなかったです。

  僕に合わせて歩道橋にいたら、いつもはもっと遅い時間でしたよね・・・

  ほんと ・・・気が付かなくて、すみません・・・。』
 
 
 
リョウは先日サツキから言われた事を思い出していた。

どんな些細な事だって、伝えようとしなければ伝わらない。
例え小さな事だとしても、言葉にして口に出さなければ伝わらないのだ。
今夜コンビニに来たのだって、ほんの小さくたって1歩進もうと思った所以だった。
 
 
マドカがあからさまに嬉しそうな表情を向けた。

そしていつものチョコを手の平に乗せて、当たり前のように『ん。』 と差し出す。
リョウがひと粒口に含むと、マドカも透明の包装をはずしてひと粒ポンと口に放った。
 
 
『あれ? いつもの野菜ジュースは?』 今夜は珍しくストローを咥えないことに首を傾げる。

すると、『焦って着替えたら買うの忘れた。』 ぼそっと呟いたそのさくらんぼみたいな
ぽってり厚い唇。
 
 
 
 『慌てるからですよー なに焦ってたんですかー・・・。』
 
 
 
リョウが可笑しそうにケラケラと隣で笑っている。

笑われて途端に恥ずかしくなってしまい、マドカは不機嫌そうに眉をしかめた。
そして、『・・・いや、別に。』 モゴモゴとさくらんぼ口をぷっくり尖らした。
 
 
『それ僕の口癖じゃないですかー。』 尚も愉しそうに笑い続けるリョウ。
 
 
マドカは『うっせ!』と拳でリョウの薄い腹をめがけ弱くパンチを繰り出す。

かすかに触れるか触れないかくらいの、そもそも当てる気のないそのパンチ。
思わぬ攻撃に、リョウは笑いが止まらなくなり体を屈めて更に笑い続ける。
『おりゃおりゃおりゃー!』 マドカもつられて笑いながら、リョウへ拳を突き出した。
 
 
散々笑ったリョウが、『降参です・・・。』と笑って赤い頬を緩め、マドカの華奢な拳を
そっとその痩せて筋張った手で制する。

もうパンチが繰り出せないように、大きな手の平でやさしく包んだ。
 
 
 
 
 
  その瞬間、目と目が合った。

  目を細め笑い合っていたふたりが、真顔になって見つめ合う。
 
 
 
 
何度目かの、その、手の平の温度。
 
 
 
 
   (ここで、慌てて離しちゃダメなんだ・・・。)
 
 
 
 
リョウは緊張する指先に少しだけ力を込めて、マドカの拳を更に包んだ。

まるでその手の平のぬくもりに気持ちを乗せ、伝えようとするかのように。
 
 
手の平から伝い胸にじんわりこみ上げるやさしい温度に、マドカが慌てて足元に目を落とす。 
俯くとポニーテールに結わえたうなじと耳が真っ赤になっているのが際立った。
 
 
 
 
  どきん どきん どきん どきん ・・・

  ドキン ドキン ドキン ドキン ・・・
 
 
 
 
互い、心臓が喉元にまで移動したのかと思うほど、すぐ耳の近くに鼓動が聴こえる。
相手にも聴こえてしまうのではないかと心配になるほど、それは熱く高鳴る。
 
 
すると、マドカの学校指定サブバッグがその掴む他方の手からストンと落ちた。

握られた拳にばかり意識が集中して、もう片手は力を失うようにその持ち手を離してしまった。
 
 
 
慌ててしゃがんで拾うと、チャックが開いたままのバッグからパンフレットが覗いていた。
それは地元の女子大に関するものだった。
 
 
 

■第34話 興奮気味なその姿

 
 
 
マドカはしゃがんだままそのパンフレットに目を落としていた。
 
 
そしてサブバッグからそれを取り出すと、どこか遠慮がちに自信なさそうに手を
差し出してリョウに見せる。
 
 
 
 『あのさー・・・ コレ、どう思う・・・?』
 
 
 
それは地元の女子大の栄養学科に関するものだった。

表紙を一瞥すると、『どうって・・・?』 状況が飲み込めず、質問返しをする。
まさか勉強嫌いのマドカが大学進学を考えているなんて、想像だにした事が無かったリョウ。
 
 
 
 『あたしさー・・・ 料理すんの好きなのよ、実は・・・

  毎日お弁当は自分で作ってるし、他は全然ダメだけど料理カンケーだけは・・・

  ・・・でね。

  あたし、子供も好きなのよ・・・ こう見えても。』
 
 
 
マドカが子供好きというのは納得な気がした。
元々面倒見も良いし、マドカ自身が裏表ない純真な子供みたいだから好かれそうに見える。
 
 
 
 『だからさー・・・

  管理栄養士?とかゆうヤツになって、

  小学校の給食のメニュー考える仕事がしたいなー、って・・・

  ・・・思って、るんだ・・・けど・・・。』
 
 
 
リョウが目を見開いてかたまっている。 メガネのレンズ越しにでも、その目の驚きの色は
容易く伝わるほどに。 ポカンと口も開いてしまっている。

マドカが、この気怠いギャル風のマドカがこんなにしっかり将来の事を考えていたと
いう事にリョウは心の底から感動して言葉を失っていた。
 
 
 
 『ねぇ・・・。』

 『いいと思いますっ!!』
 
 
 
リョウが珍しく興奮気味に身を乗り出す。 

そして再度マドカからパンフレットを奪うと、それを熟読し少しズレたメガネのブリッジを
中指で押し戻しながら、うんうんと頷いてひとり納得している。
 
 
『もっと勉強しましょう!!』 リョウが顔を高揚させて、マドカに詰め寄る。
 
 
するとパンフレットをめくり受験科目にざっと目を通すと、少し眉根をひそめ
『あと1年半でなんとかなるか・・・ いや、なんとかしよう!』 ブツブツとひとりごちる。
 
 
 
 『休みの日に、昼間も勉強しましょう!』
 
 
 
リョウの頭の中が高速回転して ”マドカ試験勉強スケジュール ”のソロバンをはじく。

『ぇ、でも・・・ アンタ、迷惑じゃないの?』 マドカが心苦しそうに眉をしかめ
足元では自信なさげにモジモジとローファーの靴先が擦り合っている。
 
 
 
 『全っ然です!』
 
 
 
こんなに張り切って興奮するリョウを見るのははじめてで、マドカはそれに少し気圧され
ながらも自分のことで懸命になってくれる姿が嬉しくないはずが無かった。
 
 
 
 『じゃぁ・・・ お言葉に甘えて、お願いします。

  あ! あのさ、せめてものお礼ってゆーか・・・

  あたし、そん時お弁当作って持ってっから!

  毎回買ってたら、お金かかるしさ・・・。』
 
 
 
丁寧にリョウにお礼を言いつつ、瞬時に浮かんだ ”リョウに手作り弁当を食べてもらう ”
という案にマドカは胸の高鳴りを抑えられずにいた。
 
 
 
 
  (ヤバい・・・ 嬉しすぎて死ぬ・・・。)
 
 
 
 
それはリョウも同じだった。 休日も一緒にいられて、更にマドカの役に立てるかもしれないのだ。 

しかし飛び上がりたいくらいの興奮と比例して、ほんの少し小さな焦りが胸に生まれた。
 
 
 
 
  (すごいじゃないか、ワタセさん・・・

   僕も・・・ 中途半端なことしてないで、ちゃんとしなきゃ・・・。)
  
 
 

■第35話 休日の大きな公園で

 
 
 
それからというもの、休日はいつも近所の大きな公園でマドカはリョウに勉強を教わった。
 
 
 
午前9時には待合せ場所で合流して、マドカのバイト先に程近いその公園の屋根が
かかった東屋で教科書やらノートやら所狭しと広げ、テーブルを占領した。
 
 
初日、マドカの私服を初めて見たリョウは、照れくさそうに頬を緩めた。

大きめのTシャツとデニムのショートパンツ、足元はボーイッシュなスニーカーを履き
ふんわりと緩くおだんごにしているマドカの目元はつけまつ毛がないので、とても愛らしい。
 
 
 
 
  (やっぱりまつ毛ないほうが絶対いいのに・・・。)
 
 
 
 
マドカが可愛すぎて直視できなかった。
耳がジリジリと熱くなる感覚が堪らなくて、慌ててマドカから教科書を奪って勉強をスタートした。
 
 
リョウは分かりやすい言葉でゆっくりゆっくり、マドカが理解するまで何度も丁寧に説明する。

身振り手振りは勿論、時には、落ちている石ころや松ぼっくりを拾って来ては分かりやすい
例を挙げそうなる理由が目視できるように教えた。
 
 
 
 
散々集中して勉強していたふたりがふと時計に目を遣ると、もう昼になっていた。

昼休憩をとることにする。
広げるだけ広げた教科書類をテーブル隅に片付けると、マドカが持参した弁当を
そろりとどこか緊張の面持ちでカバンから取り出す。
大きめの行楽用弁当箱を開けると、カラフルなおかずがギッシリ詰まっていた。

マドカの手作り弁当を食べられるなんてリョウには夢のようだった。
人生初の好きな女の子の手作り弁当。
 
 
『す、すごいですね・・・。』 嬉しそうに目を見開き呆然と眺めているリョウ。
 
 
 
 『ちょっと・・・ 見てばっかないで、食べるよー

  えーぇと、コレは ”なんちゃって栗おこわ ”で、

  コレが ”ほうれん草入り玉子焼き ”でしょー・・・

  ソッチは ”手羽元の煮物 ”で・・・ コレは ”ポテトサラダのハム巻き ”。

  後はー・・・ プチトマトとフルーツ、ね。』
 
 
 
素晴らしすぎて尚も見入っているリョウに『やっぱちょっと野菜が足りないんだよね~』 と
弁当箱を入れて来た大き目のバッグから紙パックの野菜ジュースをふたり分取り出した。
 
 
『あ・・・。』 リョウがジュースを指差す。 いつもマドカが飲んでいる、それ。
 
 
 
 『栄養バランス考えて毎日飲んでるんですか?』 
 
 
 『そーだよー・・・ どうしてもやっぱ野菜が不足するからねー

  ゆったじゃん! ダイエットじゃない、ってさー・・・。』
 
 
 
最初の頃、リョウに嫌味っぽく『ダイエットですか?』と訊かれた事をふと思い出し
クスリと笑った。
 

  
 
  (じゃぁ、ピーナッツチョコもちゃんと考えてくれてるのか・・・。)
 
 
 
 
『どう・・・?』 マドカが心配そうに、もぐもぐと口いっぱい頬張るリョウを覗き込む。

すると、リョウは無言でどんどん口に詰めていく。
実際ほんとうに美味しいのとあまりの感激で嬉しいのとで、胸がいっぱいでなんと
言ったらいいのか分からなかった。 

ただただ嬉しそうに、遠足の弁当を掻っ込む子供のように頬張った。
 
 
マドカがそれを見て可笑しそうに笑う。 『ノド詰まるよー・・・』
夏の生ぬるい風がそよいで、嬉しそうにリョウを見つめるマドカの幼い目元をすぎていった。
 
 
 
 
 
すっかり夕方になりその日の勉強は終わらせることにした。

本当はまだ一緒にいたいけれどマドカは夕方からバイトがあり、リョウも帰って自分の
勉強をしなければならなかった。
 
 
公園を出てバイト先のコンビニへ向かうふたり。

まだ充分明るいけれど、少しでも一緒にいたくて適当に理由をこじつけてはマドカを
コンビニまで送るリョウ。
 
 
すると、改めて丁寧にお礼を言うマドカが、ぽつり呟いた。
 
 
 
 『ねぇ、やっぱさー・・・

  アンタ、向いてるよ。 勉強教えるの・・・

  分かりやすーい言葉で、すっごい丁寧に教えてくれるからさー
 
 
  ・・・なんか、小学校の先生みたいだったよ・・・。』
 
 
 
リョウが、その言葉に一瞬立ち止まりその目は空を彷徨っていた。
 
 
 

■第36話 名前で呼ばないふたり

 
 
 
その日、バイトが休みだったマドカはサツキの家に遊びに来ていた。
 
 
 
久々のサツキの部屋。
 
 
女子高生のそれとは思えない程の飾り気ないシンプルさに、マドカはいつ来ても笑ってしまう。
カーテンひとつとってみても、水色無地でまるで男の子の部屋と言っても分からない程。

マドカの方がベッドサイドにぬいぐるみがあったり、壁に写真を飾ったり可愛らしい
花柄のカーテンを掛けたりと女子っぽかった。

他愛無い話で笑い合っていた時、サツキがふと思い出したように口を開いた。
 
 
 
 『そう言えばさー・・・

  先週マドカがバイト休みだった日に、リョウ君に会ったよ。』
 
 
 
サツキの口から出た ”リョウ ”という固有名詞に、瞬時にマドカの顔色が変わった。
マグカップを掴む指先に不意に力が入る。
 
 
『へぇ、そうなんだ・・・。』 そんな事ひとこともリョウからは聞いていなかった。

敢えて隠していたのだろうかと、変に悪い方にばかり考えてしまう。
サツキの口から聞かされた事にマドカの胸はざわめき立つ。
 
 
 
 『コンビニに寄ったら、たまたまマドカが休みの日でさー

  ついでだから、リョウ君トコ顔出してみたんだけどね・・・
 
   
  なんかさー・・・

  色々相談うけたよ、私・・・

  ”マドカ本人には言えないこと ”だったみたいでさー・・・。』
 
 
 
サツキは、ニヤリとほくそ笑みながらマドカにけしかける。

”マドカ本人には言えない ”相談が、”マドカへの想い ”に直結すると分かりやすく
匂わしたつもりでニヤニヤと嬉しそうに頬を緩めていたのだが。
 
 
 
 『へぇ・・・。』
 
 
 
完全に疑心暗鬼になっているマドカには、そんなサツキの思惑など読み取れる余裕は
全く無かった。
マドカ ”なんか ”には言えない ”大切な話 ”と、ひとりで勝手に尾ひれを付けて。
 
 
 
 
  (相談役まで外されたんだ、あたし・・・。)
 
 
 
 
心の中がドロドロとしたドス黒いもので満たされてゆく。
そのドス黒いものは、マドカを飲み込む程に込み上げあと少しで溺れそうなくらいで。

夜の帰り道に家まで送ってくれるのも、休日に勉強を教えてくれるのも、ただの親切心なのだ。
気を遣わずに喧々と言い合い出来る友達というだけの事。
でもサツキに対しては大切な相談事までするくらいに仲は深まっている。
 
 
サツキが悪い訳ではない。

そんなこと分かってはいるけれど、どうしてもトゲトゲした醜い気持ちが見え隠れ
してしまうのを抑えられなくなってきていた。
 
 
 
 『最近さー・・・

  マドカ、リョウ君の話ばっかするよね~?』
 
 
 
追い打ちをかけるように更にサツキの口から ”リョウ ”という名称が再び突いて出る。
 
 
 
 『そんなこと無いけど・・・。』
 
 
 『そんなことあるでしょー

  なんか、リョウ君といるときのマドカ、愉しそうだもんね?』
 
 
 
やわらかく微笑むサツキの、この笑顔の意味が分からなかった。

サツキはリョウから好かれているという事を気付かずに、マドカにこう言っているのか。
もし気付いていて言っているとしたら・・・考えかけて、マドカはかぶりを振った。 
サツキは親友なのだ。 そんな事をするはずがない。
そんな事をする子ではないって、マドカ自身が誰よりも分かっている。
 
 
 
 『アイツさ・・・

  いつまで経っても、絶対あたしのこと

  ”ワタセさん ”って、苗字で呼ぶんだよね・・・
 
 
  ・・・ほんと、感じ悪いったらナイわ・・・。』
 
 
 
どこか不貞腐れたように諦めたように、マドカが呟くと。
 
 
 
 『だってマドカだって ”アイツ ”って、絶対名前で呼ばないじゃない?』 
 
 
 
サツキが可笑しそうにクスクス笑っている。
ベッドに背をもたれてラグに体育座りをするサツキが、子供のように不満顔を向ける
マドカにやわらかい視線を送る。
 
 
 
 『・・・そうだけど。

  アイツ、サツキのことは ”サツキさん ”って呼ぶじゃん・・・?
 
 
  ・・・あれかな、

  やっぱ、男はビジンに弱いんだろーなーぁ・・・。』
 
 
 
そうどこか投げやりに言うと、マドカは俯いてそれ以上は口を開かなくなった。

サツキが不思議そうにそんなマドカをただ黙って見つめていた。
 
 
 

■第37話 事件が起きた雨の夜

 
 
 
その夜はしとしと雨が降って、夏だというのにほんの少し肌寒かった。
 
 
 
以前マドカに言われた事を思い出し、リョウは傘を差しながらコンビニへ向かっていた。

雨の日に外出するのはあまり好ましくないのだが、目指すその場所へ向かうリョウの
歩幅はいつもより大きく速い。
相変わらず過剰に煌々と光る自動ドアの手前で傘をとじ傘立てにさすと、少し体を傾けて
ガラス越しにレジに立つポニーテールのバイトを見澄ます。
今は客がいないようで、指先の爪を凝視してぼんやりしている顔が見えリョウは微笑んだ。

自動ドアが開き来客のチャイムに、マドカが気怠そうに『っしゃいませー。』 と
目線を寄越した。

そしてリョウの姿をその目に捉えると、一瞬嬉しそうに頬を緩め、しかしすぐさま
よそよそしく目を逸らした。
 
 
『ホットコーヒーのラージひとつお願いします。』 リョウがニコニコしながら硬貨を
掴む手をマドカに差し出す。

すると、広げたマドカの手の平に銅とニッケルのひんやり硬い感触と、リョウの指先の
やさしいそれが伝わる。
 
 
 
 
  (もう・・・ しんどいってば・・・。)
 
 
 
 
サツキの話を聞いたばかりで、その心は迷子のように彷徨い暮れる。
マドカはなんとか笑顔を作ると、『まいどあり。』 とコーヒーカップを手渡した。
 
 
その夜もコンビニには次々と客がやって来た。

リョウは貸し切り状態のカウンターで黙々と参考書に目を落としている。
マドカもリョウを目の端で気にしながら、レジで精算したり公共料金の支払いに対応したり
今夜は少し忙しそうだった。
 
 
 
それは、とあるズブ濡れの客が店に入って来た時のことだった。

その客はなにも商品を手に取らないまま、レジにまっすぐ向かいマドカになにか差し出している。
その瞬間、マドカの顔色が少し曇った。

それは以前、電話番号のメモを無言で押し付けて来た男性客だったのだ。
 
 
 
 『あのー・・・ なんですか?』
 
 
 
マドカの強張った硬い声色に、リョウが異変を感じさっと目を上げてレジを見る。

するとレジを挟んでマドカの正面に立つその男は、尚も握り締めたそれをマドカへ突きつける。
また連絡先が書いたメモをマドカに渡そうとしているようだ。
そして、ぼそぼそと不明瞭に『連絡ください。』 と呟いている。

『すいません、そうゆーのはちょっと・・・。』 ハッキリ断るマドカへ、
その男は身を乗り出さん勢いで『連絡ください!』 と一段と低い声色で詰め寄った。

その姿に慌ててリョウがイスから立ち上がった瞬間、バックヤードからたまたま出て
来た店長の姿に驚いて、男は自動ドアにぶつかりそうになりながら走って出て行った。
 
 
『大丈夫ですか?』 リョウが駆け寄ると、マドカは情けなく眉尻を下げ笑った。
『へーき、へーき』 と呟く割りには、早くなる呼吸に息苦しそうに胸を上下させている。

リョウが店を出てあたりを見回すもその男の姿はもう無かった。
その後は男が店に現れることはなく、安心しかけていたマドカだった。
 
 
10時になり、マドカのバイトが終わる時間になると何も言わずリョウは帰り支度を始めた。
それを横目で見て、ちょっと嬉しそうに頬を緩めたマドカ。
 
 
 
 『あの・・・ 慌てなくていいですから。

  ちゃんと野菜ジュースも買ってくださいね。』
 
 
 
リョウが声を掛けると、『わかってるっつの!』 とマドカが緩んだ口を尖らした。
 
 
各々傘をさし、コンビニの自動ドアを出る。
雨脚は更に強まり、アスファルトに打ち付けた雫は乱暴に跳ね返ってふたりのローファーを
しっとり濡らしてゆく。
 
 
すると、電柱の影。 一層暗くなったそこから先程の男が佇んでいるのが見えた。

心許ない街灯の灯りに、男のズブ濡れの薄汚れたスニーカーだけがぼんやり浮き上がっている。
マドカがその姿にたじろぎ、立ち止まった。 足がすくみ動けなくなっている。

その男はこの雨に傘もささず、伸びた前髪から雨の雫をポタポタと滴らせながらマドカへ
向けてまた手を差し出している。 そして腕を伸ばしたまま暗がりから突然駆け出して来た。
 
 
 
 『や、やめて下さいっ!!!

  彼女、嫌がってるじゃないですかっ!!!』
 
 
 
リョウが立ち竦むマドカの前に守るように立ちはだかり、突っ込んできた男を思い切り
両腕で押し退けた。
その力にアスファルトの水溜りに倒れた男。 よれよれのズボンが更にぐっしょり濡れる。
 
 
『もうやめて下さいっ!!!』 尚も張り上げるリョウの低く唸るような声色に
男は慌てて逃げ去って行った。

足をもつれさせながら通りに小さくなってゆくその不気味な背中を、それが視界から
完全に消えてなくなるまで睨んでいたリョウ。
 
 
ふと、リョウの足から力が抜ける。

その場にヘナヘナとしゃがみ込んでしまった。
すると、マドカも腰が抜けたようにアスファルトに膝をつき、立ち膝になっている。
 
 
 
 『こ・・・ 怖かった・・・。』
 
 
 
リョウは喉の奥から絞り出すように呟くと、生まれてはじめての経験に手がワナワナ震え
膝もガクガクと小刻みに揺れている。
そんな状態のまま、慌ててマドカに目を向け確認する。 『・・・大丈夫ですか?』
 
 
すると、マドカの目から大粒の涙がこぼれた。

明るい色素の前髪が雨の雫にしっとり濡れて、額に貼り付いている。
立ち膝のままで暫し呆然としたまま、ハラハラと落ちる涙をそのままに。
 
 
そして、思い切りリョウに抱き付いた。
 
 
 
 『怖かった・・・

  すごい・・・ こ、怖かった・・・。』
 
 
 
リョウに抱きつくマドカの小さい体は恐怖に震え、傘を放り出してしまった為に
雨の雫にすっかり濡れて肩も背中も頬も冷たくなっている。

リョウが戸惑いながらも、やさしくゆっくりマドカの背中にその腕をまわした。
 
 
そして、『大丈夫ですよ、もう大丈夫・・・。』 トントンと子供をあやすように叩く。
 
 
 
マドカが自分の胸に抱き付いている。

自分の硬い胸にマドカの胸の感触。
それは、やわらかくていい香りで、しかし呆気なくもろく壊れそうに華奢で。
 
 
突然の出来事にリョウの頭はショート寸前だった。
 
 
マドカをもっと強く抱きしめたいという想いがどうしようもなく溢れる。

リョウの首元に顔をうずめるマドカは、恐怖で荒くなった鼓動に熱い息を吐き出し
痩せた喉のあたりにそれが掛かり、冷静なはずのリョウの理性も吹き飛びそうだった。
そっと唇を寄せればキスだって出来てしまいそうで。
 
 
 
 
  (ふ、普通に息が出来ない・・・ し、死ぬかもしれない・・・。)
 
 
 
 
リョウはマドカの震える背中をリズミカルに叩きつつ、あまりの息苦しさにぎゅっと
目をつぶり天を仰いだ。
 
 
すると、
 
 
 
 『リョウがいてくれてよかった・・・。』
 
 
 
マドカが震えながら小さく小さく呟いた。

リョウの首元に顔をうずめるその声は、くぐもって小さく落ち雨音にかき消された。
  
 
 

■第38話 その手のぬくもりを

 
 
 
雨の中、傘を道路に放り出して暫く抱き合ったふたりは、動揺が少しずつおさまるにつれ
密着する互いの体温にどうしようもなく恥ずかしくなっていった。
 
 
顔が上げられない。
相手の顔なんて見られるはずがない。
第一声なんて言ったらいいのか、なんと言われるのか。
雨に冷えたはずなのに、頬と耳だけはジリジリと熱を上げてゆく。
 
 
すると、どちらからともなくまるで覚悟を決めたように、ゆっくり体を離すと静かに
立ち上がった。

そして離れた途端に、相手のぬくもりが無くなってしまった事に寂しそうに俯く。
 
 
 
 『ちゃんと送りますから・・・ 安心して下さい。』
 
 
 
リョウが少しだけマドカから目線をはずし、小さく呟く。

コクリと頷きマドカはポケットからハンカチを出すと、すっかり濡れて透けてしまった
リョウのカッターシャツの肩をそのハンカチで押さえ、『ごめんね・・・。』 と
申し訳なさそうに謝った。
 
 
 
 『なんで謝るんですかー

  別にワタセさん悪くないでしょ・・・?

  それに、ここまで濡れちゃったらもう諦めましょう。

  急いで帰って、お風呂入ってあったまらないと!』
 
 
 
道路に放置されたカバンと傘を掴み、ふたり、まだどこかぼんやりと今夜の様々な
出来事が整理できないまま家路へ向かった。
 
 
いつと変わらない暗い帰り道なはずが、今夜はなんだか怖くて仕方がない。
 
 
マドカはリョウの後ろを俯いて歩き、無言で手を伸ばしてリョウの制服ズボンの
ベルト通しに指をかけた。

黙ったままトボトボと歩くふたりの足音に、雨音と少しずつ強まる風の音が交ざる。
すると一瞬強い風が吹いて、暗い住宅街に不気味な風音がひときわ大きく響き渡った。
 
 
その音に驚きビクッと体が跳ねあがったマドカ。
掴まれたリョウのベルト通しにその衝撃が小さく伝わる。
 
 
すると、リョウが立ち止まり振り返った。

そして黙ってマドカの手をとり、握る。
暗がりでリョウの表情は見えなかったけれど、その手のぬくもりとしっかり握りしめて
くれる指の強さにマドカの瞳から再び涙の雫がこぼれ落ちた。
 
 
 
 
  (もう・・・ 好きだってば・・・

   ・・・いい加減気付けよ、バカー・・・。)
 
 
 
 
そのまま手をつないで、ふたり。

なにも話さずに暗い雨の道を歩いた。
 
 
 
リョウの胸に、マドカへのどうしようもない想いが込み上げる。
もうその気持ちには逆らえそうにないし、素直にそれに従いたかった。
 
 
 
 
  (ワタセさんは、どうするんだろう・・・

   僕に好きだって言われたら、困るのかな・・・。)
 
 
 
 
もうすぐマドカの家に着く。
もうすぐこの手を離さなければならなくなる。
 
 
 
リョウが立ち止まった。
 
 
傘に隠れたその表情は、これからマドカに伝えようとする想いに溢れどこか不安気に
まるで泣き出してしまいそうに情けなかった。
  
 
 

■第39話 意味不明な言動の理由

 
 
立ち止まったリョウの手を、ゆっくり名残惜しそうにマドカは離した。

絡まった最後の人差し指が離れた瞬間、寂しそうにそっと目を伏せる。
  
  
 
 『ほんとに、ほんとに、ありがとう・・・

  気を付けて帰ってね・・・ じゃあ、また明日ね・・・。』
 
 
 
なにも言えずに手を離してしまったリョウ。
手を振って小さくなってゆくマドカの濡れた背中を、じっと見つめていた。
 
 
 
   立ち止まってほしい。
 
   振り返ってほしい。
 
 
 
喉元まで出ているのに、もうひとつ勇気が出せない臆病すぎる自分にほとほと嫌気が差す。
 
 
 
 
  (これじゃ歩道橋で嫌がらせされてた僕と一緒じゃないか・・・。)
 
 
 
『あ、あの!!!』 リョウがマドカの背中に呼び掛けた。 うわずるその声。
 
 
自宅玄関ドアの取っ手に手を掛けたオレンジ色の傘がゆっくり振り返り、肩に傘の柄を
置くマドカが『ん?』 と小首を傾げじっと見つめる。

その間も、リョウとマドカの間に静かに雨は降り注ぐ。
それは薄いレースのカーテンのように、やわらかく、しっとりと揺れるように。
 
 
リョウがマドカをまっすぐ見つめ、何か言いたそうに唇を動かす。
しかし伝えたい想いは、意気地のない弱々しい喉の奥から中々紡ぎ出せず言いよどむ。

『どうしたの?』 マドカがリョウの方へ小走りで戻って来た。 
リョウを覗き込むようにその顔をじっと見つめる。
 
 
 
 『あの・・・。』
 
 
 
全身が心臓になったかと思うほど、頭の先から足の先まで全部でドキドキ打ち付ける。
首を絞められているかのように息苦しい。 普通にする呼吸の仕方が思い出せない。
 
 
 
 『あの・・・

  あの、僕・・・
 
 
  僕、サツキさんと話すときは少し緊張するんです・・・

  やっぱりビジンだから・・・ キレイで緊張するんです・・・。』
 
 
 
マドカが何も言わずリョウを睨むように見ている。
 
 
 
 『でも、ワタセさんとは気楽に話せるんです・・・

  ワタセさんとなら、自然体で話せ・・・』
 
 
 
『悪かったね、キレイじゃなくて。』 マドカから低くて冷たい声色が返って来た。
 
 
 
 『あ、えーぇと。 違うんです・・・

  そうゆう事を言いたいんじゃなくて・・・。』
 
 
 
先に結論から言えば良かったのに、話の組み立て方を誤ってしまった。

伝える言葉はシンプルで良いとサツキから言われていたというのに、思い切りどぎまぎし
おかしな言い方をしてしまった。
リョウはすぐに軌道修正しようとするが、マドカは目を眇めあきらかに顔色を変え
怒っているのが見てとれる。
 
 
すると、
 
 
 
 『サツキとの仲を取り持ってほしいって事・・・?』
 
 
 
慌てて首を横に振るリョウ。
傘の柄を握る手を離し、両手も振って完全否定をしている。
 
 
 
 『違うんです! そうゆう事じゃなくて・・・。』
 
 
 『悪いけどダイゴもサツキのこと好きなのに、

  それはちょっと厳しいかな・・・

  ・・・分かるでしょ、それくらい・・・。』
 
 
 
伝わらない想いに思わず泣きそうになりながら、尚もリョウが首を振って否定する。
 
 
 
 『違います! そうじゃないです・・・。』
 
 
 
どうしたら気持ちを伝えられるのか分からなくなってしまったリョウ。

『違うんです。』 と小さく繰り返し途方に暮れ首が持ち上がらないくらいうな垂れると
マドカはそんなリョウに吐き捨てるように怒鳴った。
 
 
 
 『サツキに告白するのはアンタの勝手だよ・・・

  好きにしたらいい。

  でも、あたしを巻き込まないで。 迷惑だから・・・。』
 
 
 
オレンジ色の傘から覗くマドカの顎には、滴り落ちる涙が伝っていた。

眉根をひそめ本気で怒っているのがその声色で分かる。
否。 怒っているのではなくて、哀しみに打ちのめされていたのだった。
 
 
 
そのマドカの泣き顔を目の当たりにして、リョウは気が付いた。
今までのマドカの意味不明な言動の理由が、やっと。
 
 
 
 
  (僕はサツキさんのことが好きだと思われてるんだ・・・。)
 
 
 

■第40話 矢継ぎ早な言葉

 
 
 
 『サツキ、サツキって

  なんでサツキさんが出てくるんですかっ!!』
 
 
 
事の真相に気付いたリョウが、大きな声を上げてマドカに言い返した。

その顔は手放してしまった傘に雨粒で頬も顎も濡れて、マドカを眇めるリョウの
その目から伝う涙をいとも簡単に隠してしまう。
 
 
リョウにはじめてそんな口調で怒鳴られ、マドカは一瞬身が竦みどこか顔色を伺う
ようにか細い声で呟いた。
 
 
 
 『だって・・・ 

  ・・・サツキのことが好きなんでしょ・・・?』 
 
 
 
リョウが深く溜息を落としてかぶりを振った。

大きく大きく首を横に振る。 握り締めた拳は、怒りを堪えられないように自分の
太ももを叩きつけている。
 
 
 
 『・・・そう見えるんですか?

  僕は、サツキさんといる時が一番自然体に見えますか?

  人嫌いの僕が、肩の力抜いて笑ってるように見えますか?』
 
 
 
矢継ぎ早なリョウの言葉は止まらない。
 
 
 
 『もし、ほんとうにそう見えてるんだとしたら

  ワタセさん、今すぐ視力検査いったほうがいいです。』
 
 
 
マドカが不安そうに再び泣きそうな顔を向ける。
 
 
 
 『・・・なによ・・・

  ・・・なんでそんなに怒ってんのよ・・・。』
 
 
 
そう呟くと、瞳にギリギリとどまっていた涙が次々こぼれ落ちた。
 
 
 
 『ワタセさんの方が、

  数学なんかより、人の気持ちを勉強したほうがいい。』
 
 
 
『なんなのよ・・・。』 マドカが両手で顔を覆って泣きはじめた。
 
 
 
 『馬鹿すぎて話にならない!

  ワタセさんは、馬鹿だ! 大馬鹿だっ!!』
 
 
 
するとマドカは泣きじゃくったまま踵を返し、自宅に向けて駆けて行ってしまった。

冷静なはずのリョウが感情にまかせ言い放ってしまって、そんなどうしようもない
自分に辟易し力無くその場にうずくまる。
 
 
 
 
 『ちがうよ・・・ そうじゃなくて・・・

  ちゃんと・・・

  ・・・最後まで話・・・ 聞いてくれよ・・・。』
 
 
 
涙で詰まるひとり言が、雨がアスファルトを打ち付ける音にかき消され溶けて流れた。
 
 
 
 
 
その後は暫くリョウは歩道橋には行かなかった。

正直なところ、もうどうしたらいいのか分からないというのが本音だった。
マドカもまた、バイトには出ていたけれどそれが終わるとわざわざ遠回りをして
別ルートで帰宅していた。

連絡先を知らないふたりは、文字で謝ることすら出来なかった。
 
 
 
 
 
とある夜のこと。

リョウの部屋のドアがノックされ、母親に呼ばれてリビングへ行くとソファーには
父親が座っていた。
単身赴任中の父親が今日一旦戻るという話を、そう言えば母親が今朝言っていた気がする。
 
 
すると、父親と母親が並んで座り、リョウに真剣な眼差しを向け話し出した。

それは時間にすると5分くらいの話だったのだと思う。
しかし、リョウにとっては数時間ものように感じていた。
 
 
小さく口を開いたリョウ。
 
 
 
 『少しだけでいいから、考えさせて・・・。』
 
 
 
自室に戻ったリョウが、倒れ込むようにベッドに突っ伏した。
まるで泣いているみたいに、その痩せた体は小さく震えていた。
 
 
 

■第41話 その穏やかすぎる声色

 
 
数日後、再びリョウは月の下の歩道橋に佇んでいた。
 
 
 
寝られなくなる程にマドカのことを考えていた。

あんな風にマドカを泣かせてしまった。
自分がきちんと気持ちを伝え切れていないだけだったのに、まるで気付かないマドカが
悪いような言い方までして。
最低で最悪で身勝手な自分というものを、嫌というほど痛感していた。
 
 
相変わらず弱々しい月あかりの下マドカを待つも、やはりマドカはやって来ない。

ちゃんとバイトには出ているのか気になって、こっそり見に行くとガラス越しに
あのバサバサと仰々しいつけまつ毛のバイトが、レジを打っていた。
 
 
身を隠し、思わずそれをじっと見つめていた。

心なしか少し痩せた気がしないでもない。
ちゃんと食べてちゃんと寝られているのか心配になる。
 
 
 
そんなガラス越しに見つめる夜を幾度となく繰り返し、ある夜、勇気を出してリョウは
自動ドアをくぐり抜けレジの前に立った。
 
 
 
 『ホットコーヒーのラージをひとつお願いします。』
 
 
 
まっすぐマドカを見つめると、その顔は驚いたように目を見開き、次第に浮かぶ涙を
必死に堪えるように俯いて、さくらんぼのような唇を噛み締めた。

そしてリョウから代金を受け取ると、か細い声で『まいどあり。』 と呟いた。
 
 
マドカのバイトが終わるまで、ただカウンターに座って待っていたリョウ。
参考書は持って来ていなかった。
マドカと話をするためだけにやって来ていたのだった。

10時になり、マドカが着替えて出て来た。
どこか緊張の面持ちで、バツが悪そうに弱々しく目線をはずすそのつけまつ毛の横顔。
 
 
 
 『ちょっと話があるので・・・

  ・・・歩道橋、行きませんか・・・?』
 
 
 
リョウの言葉に、コクリ。黙ってマドカはひとつ頷いた。
 
 
 
ふたりで歩く、久しぶりの薄暗い歩道橋までのその道。

心許ない街灯の灯りと夜風にそよぐクスノキの葉音。 靴底に乾いたアスファルトの硬い感触。
この道を何度一緒に歩いて帰ったろう。
まるで遠い昔のことのように感じた。
 
 
歩道橋の階段を上がりいつもの場所に着くと、マドカはカバンからピーナッツチョコを
取り出しリョウへとその掴んだ手を差し出した。

『食べたかったんです、ずっと・・。』 リョウが小さく笑う。

マドカも歩道橋には行けないくせに、チョコだけはいつもカバンに入れていた。
リョウにチョコを渡せたことに嬉しそうに俯き、マドカは何も言わずに野菜ジュースの
ストローをさして口に咥える。
 
 
 
 『どうしてここに来ないんですか・・・?』
 
 
 
リョウが静かに話し始める。 その声は穏やかで、責めている感じは微塵もない。

欄干に手をついてまっすぐ、車道の青信号を見つめたまま。
マドカの耳には聴きたくて聴きたくて堪らなかった、その低い声。
 
 
『・・・待ってたの?』 マドカが不安気な声色で訊き返す。 
リョウの顔を見たくて仕方がなかったくせに、見られず俯いたまま。
 
 
 
 『そりゃ待ちますよ・・・

  待つに決まってるじゃないですか・・・。』
 
 
 
『なんで、よ・・・。』 涙声になってしまって、途中で言葉に詰まるマドカ。
咥えていたストローをその口からはずし、欄干に突っ伏すように背を丸める。
 
 
するとかぶりを振って呆れたように笑ったリョウ。
静かにひとつ溜息を落とした。
 
 
 
 『僕は、チョコレートはほんとはそんなに好きじゃない。

  でも・・・ ワタセさんがくれたからコレは好きになりました・・・
 
 
  女子高の学園祭なんか死んでも行きたくないけど、

  ワタセさんが誘ってくれたから行ったんです・・・
 
 
  ワタセさんが褒めてくれたから、もう一度きちんと高校に通って

  先のことちゃんと考え直そうって思えたんです・・・。』
 
 
 
マドカがそっと目を上げ、じっとリョウを見つめる。
 
 
 
 『ワタセさん・・・

  僕はワタセさんの傍にいて、なにか役に立ってましたか・・・?

  僕は、たくさんしてもらったけど・・・

  僕はなにか出来てましたか・・・?』
 
 
 『なに・・・ 急に・・・。』
 
 
 
マドカが怪訝な顔を向ける。

なんだかリョウのその穏やかすぎる声色が怖い。 過去形のそれが何故か恐ろしく感じる。
嫌な予感がして、この話を続けたくないと直感が知らせる。
 
 
 
 『僕は・・・ 帰り道に送る以外に、必要ですか・・・?』
 
 
 
マドカは、なんだかうまく言葉に表せない胸騒ぎに、小さく首を横に振ってこの話を
続けたくないというアピールをする。
 
 
 
 
  (なに・・・

   なんか、ヤだ・・・ なんなの・・・?)
 
 
 
すると、小さくひとつ息をつくとリョウが静かに言った。
 
 
 
 『僕・・・ 引っ越すことになりました。
 
 
  頭から煙が出るくらい考えました・・・ 

  ・・・それで、自分でちゃんと決めました。
 
 
  もう、ワタセさんを送って帰ることが出来なくなります・・・。』
 
 
 
声を失い呆然と立ち尽くすマドカ。
なにかの間違い、聞き違いであってくれと頭の中で何度も何度も繰り返す。
 
 
しかし聞き間違いではないと悟った瞬間、涙腺は壊れてしまったかのように涙が
溢れ流れる。 その場にしゃがみ込み両手で顔を覆って、泣きじゃくるマドカ。

必死に堪えても切ない泣き声が指の隙間から伝い漏れ、震える肩が哀しげで。
 
 
 
リョウが涙で潤んだ目を細めてやさしく笑った。
 
 
 
 『ワタセさん・・・

  最後に、僕とデートしてくれませんか・・・?』
   
 
 

■第42話 好きな人に言う言葉

 
 
 
 『アイツはさー・・・

  サツキのことが好きなんだって・・・ 思ってたの・・・。』
 
 
 
サツキの家に突然駆けこみ、泣きじゃくるマドカを慌てて自室に促したサツキ。
 
 
マドカは泣きはらし目元を真っ赤にして、いつものつけまつ毛も取れてしまっていた。

こんなうろたえるマドカは長い付き合いだが見たことはなくて、いつもは冷静な
サツキまで動揺してオロオロと落ち着きなかった。
 
 
ベッドに腰掛け暫く泣き続けてから、ぽつり呟いたマドカのその言葉。
サツキは聴こえたそれに自分の耳を疑い、素っ頓狂な声を上げ笑った。
 
 
 
 『ええええ??

  なーにをどうしたら、そう思うのよ??

  リョウ君、マドカの前でしかあんな風に笑わないじゃない・・・

  あんな風に愉しそうに言い合いしないじゃない・・・
 
 
  だって、最初の頃にさ

  マドカのバイト終わりを待って歩道橋行った時・・・

  リョウ君、コンビニ前まで行って

  なんか慌てて走って引き返して来たことがあったんだよ・・・。』
 
 
 
『え? いつ頃??』 マドカが驚いた顔を向ける。

リョウがコンビニに来るようになったのは、最近なのだから。
サツキの言った ”最初の頃 ”というのが全く見当つかない。
 
 
 
 『あの・・・ ほら、

  歩道橋でマドカたちがケンカした夜・・・

  リョウ君がなんか変だった夜にさー・・・
 
 
  あれ見て、ああマドカのことが好きなんだろうなって思ってたよ。

  なんかヤキモチ妬いてるみたいだったじゃん、あの時のリョウ君・・・。』
 
 
 
『・・・・。』 マドカが口をつぐんで俯いた。 再び涙が伝いだす。

そんな事全然気付かなかった。 疑心暗鬼になってなにも信じられなくなっていた
自分に今更ながら腹が立つ。 
 
 
 
 『前に話したじゃない? リョウ君に相談受けた、って・・・

  アレ、マドカに関することだからね~?

  ”どうやって気持ちを伝えたらいいのか分からない ”って・・・

  リョウ君、必死に考えてたよ。 一生懸命マドカのこと想ってさ~・・・
 
 
  まわりから見たら、ふたりの気持ちなんかすごく分かりやすいのに

  なんで当人たちはそんなに難しくしちゃってるの?
 
 
  幼稚園で習ったでしょ~?

  嬉しいときは ”ありがとう ”

  悪いと思ったら ”ごめんね ”
 
 
  ・・・じゃあ、好きな人には・・・??』
 
 
 
サツキがマドカをやさしく微笑みながら覗き見た。
 
 
 
 『好き。 リョウが・・・ 大好き。』
 
 
 
マドカがぽろぽろと涙の雫を落としながら、呟く。
次第にその顔はくしゃくしゃに歪み、しゃくり上げて泣きじゃくる。
 
 
『そう!正解。』 サツキがマドカを愛しそうにぎゅっと強く抱きしめた。
 
 
 

■第43話 最初で最後のデート

 
 
 
 『ねぇ、ドコ行く~?』
 
 
マドカが月夜の歩道橋で、隣に立つリョウをチラリ覗き見る。

そのメガネの横顔はあの日の飄々とした感情の無いそれとは全く別物だった。
まるでもう考えてあるかのように、しかし照れくさそうに口ごもるリョウ。
 
 
 
 『あのー・・・ ベタでもいいですか・・・?』
 
 
 
すると、『なに? まさか、海??』 マドカが即答した。
肩をすくめ照れ笑いするリョウを見てマドカが笑う。 『ほんとにベタだね~・・・』
 
 
すると、リョウはまだ続ける。
 
 
 
 『あの・・・ 海に・・・

  自転車で二人乗りして行きたいんです・・・。』
 
 
 
普段の冷静ぶって澄ましたリョウの口から出るとは思えないその言葉にマドカが
可笑しそうに笑って、そして『いいよ。』 と大きく頷いた。

素顔を隠さず見せてくれるそんなリョウが愛おしくて仕方なかった。
 
 
 
 『あのー・・・ それが、ですね・・・

  ひとつ問題が、あり、まし、てー・・・
 
 
  僕、自転車乗れないので・・・

  ワタセさんに運転お願いしてもいいですか・・・?』
 
 
 
マドカが一瞬かたまり、爆笑する。
 
 
 
 『なんだそれっ!! 

  フツウはさー、逆じゃんっ!!
 
 
  ・・・まぁ・・・ いいよ。
 
  じゃ・・・ チャリで海デートだね!』
 
 
 
ふたり、嬉しそうに微笑み合った。
その後もたまに思い出し笑いするように、マドカはぷっと吹き出していた。
 
 
 
 
翌日、マドカはこっそり学校をサボり、自転車を押して制服のまま待合せ場所に現れた。

手を上げてその姿に合図を送るリョウ。
リョウもいつもの学生服姿だった。
 
 
 
 『サボって大丈夫なんですか?』
 
 
 
ちょっと眉根をひそめたリョウに、『お前がゆーな!』 即座に返して笑った。
 
 
マドカがサドルにまたがり、リョウが後ろの荷台にちょこんと腰掛ける。

男子を後ろに乗せたことのないマドカの運転は、グラグラとふらつきながら恐ろしく
ノロいスピードで道を進む。

『今日中に着きますかね?』 リョウが後ろからひょっこり顔を出し声を掛けると、
マドカが『うっせ!』 舌打ちを返した。
 
 
目指す海までの道は、この先延々長い下りの坂道を通る。
今日は眩しいくらいの青空と、手を伸ばせば掴めそうな真っ白でもくもくのカリフラワー
みたいな雲が浮かぶ。

坂道のてっぺんで、一旦自転車を停車させたマドカ。
リョウは遠慮してマドカに掴まることなく、自転車のどこかのパーツを必死に押さえている。
 
 
 
 『ねぇ・・・ ちゃんと掴まって。 こっから坂道だから。』
 
 
 
振り返ってリョウに目を向けるマドカ。

しかし、どこに掴まったらいいものか分からないリョウ。
『ぇ・・・ でも、どこに・・・。』 ぼそぼそと呟くリョウの腕をぐっと引っ張り
マドカは自分の腰に巻きつかせた。
 
 
 
 『もぞもぞ動いたら ”エッチ! ”って叫ぶからねー!』
 
 
 
ニヤリと悪戯に片頬をあげる。
リョウは呆れて少し頬を緩めると、遠慮がちにマドカの腰にまわした腕に力を込めた。
 
 
あまり車が通ることのないその坂道は、まっすぐ真下に海が一望できた。
蒼い海と澄み切った真っ青な空と垂直に伸びる白雲のパノラマが、まるで絵のように美しい。
 
 
一気に坂を駆け抜ける二人乗り自転車。

マドカはペダルから足を離し踏み込むことなく両足伸ばして、ただその傾斜に身を任せる。
リョウは物凄いスピードで下ってゆく自転車に、ほんの少しの恐怖とワクワクする気持ちを
抑えられずに顔を綻ばす。

爽やかな風が正面から吹き抜け、マドカのポニーテールの髪束がリョウの顔にふんわり霞めた。
シャンプーのいい匂いにリョウの胸はどうしようもなく熱く高鳴り、マドカに気付かれない
程度その華奢な背中に寄り添って、そっと目を細めた。
 
 
どんどんスピードを上げてゆく自転車。

道端に立つ電柱が次々と過ぎてゆく。 海まで突き抜ける平日のその道は人ひとり
歩いていなくてこの世界にまるでふたりきりの様に感じさせた。
 
 
 
ふたりはそれに大口を開けてケラケラ笑っていた。

太陽の日差しが眩しくて、あたたかくて、少しだけ触れ合う互いの体温が恥ずかしくて
照れ隠しに思いっきり大笑いしていた。
 
 
 

■第44話 最初で最後のデート2

 
 
 
平日の昼間の海は、あまり人はいなかった。
 
 
こんなに天気がいいのに、なんだか勿体ない気がしてしまう。
遠く防波堤に釣り糸を垂らす中年男性の姿だけチラホラ見える。

学生服姿の男女がこんな所にいたら、あきらかに学校をサボってデートしていると
バレてしまうが、ふたりにとってはそんな事どうでも良かった。
 
 
釣り人から少し離れた防波堤に、ふたり腰掛けた。

足を投げ出して座ると、ブラブラと子供のようにご機嫌に揺らしているマドカ。
それを隣で目を細め笑って見ているリョウ。
波消しブロックに小さく波が寄せ、白い飛沫を作ってはすぐ消えてゆく。
 
 
ふたり、ただ黙って海を眺めていた。

さざ波が寄せたり引いたりする音を、ただ黙って聴いていた。
静かな時間だった。
穏やかで緩やかで、まるでこのままこの時間が続くのではないかと思う程だ。
 
 
マドカが腕をそっと伸ばす。

すると照り付ける日差しにほんの少しそれは赤くなっている。
リョウも同じように伸ばした。 青白い不健康なそれもほんのり赤い。

ふたりで顔を見合わせて笑い合った。
まるで今日という日をその体に焼きつけようとするかのようにふたり、太陽に向けて
腕を伸ばした。
 
 
 
気が付けば太陽はもう真南を差し、少ないひと気は更にその姿を消す。

マドカは持参したバッグから弁当箱を取り出し目の高さに掲げると、ニヤっとリョウに
向けてほくそ笑んだ。
 
 
 
 『ぁ・・・ 作ってきてくれたんですか?』
 
 
 
リョウが嬉しそうに頬を緩める。

あまり食に興味がある方ではないリョウも、マドカが作ってくれるものだけは喜んだ。
マドカが少し勿体ぶってフタを開けると、そこにはサンドイッチがあった。
変わった色のパンに野菜やハムや玉子が挟まっているそれ。 見た目も鮮やかでキレイ。

ふと、小さめの容器に入った肉料理に目を向けたリョウ。
 
 
 
 『これは?』
 
 
 『これは、タンドリーチキン。 ちょっとスパイシーにしてみた。』
 
 
 
マドカの料理の腕には本当に感心する。

きちんと持参したウェットティッシュで手を拭いてから、『いただきます!』 と手を合わせ
リョウが嬉しそうにサンドイッチを手に取って、大きく一口かぶり付いた。
 
 
 
『・・・どう??』 マドカがどこか半笑いでニヤニヤしている。

『美味しいですよ? このパンがほんのり甘くてすごく美味しいです。』
 
 
 
すると、マドカはケラケラ笑った。
 
 
 
 『それ、人参練り込んだパンなんだよ?』
 
 
 
リョウは人参が食べられなかった。

以前休日に勉強会をした時、マドカが持参した野菜ジュースを頑なに飲まなかった事があった。
人参だけがとにかくダメで、母親がどう工夫してもそれだけは克服出来なかったのだが。
 
 
目を見開いてかたまるリョウ。 『全然・・・ 分かんなかった・・・。』
 
 
 
マドカが指をVにしてピースを作ると、嬉しそうにニヤリと笑った。
 
 
 

■第45話 最初で最後のデート3

 
 
 
昼食を済ませまたぼんやり防波堤に座る、ふたり。
 
 
遠く沖のほうの海の色は、深くなるほどに濃紺の青をつくりだしている。
潮の匂いがする緩い風がふたりの頬をやさしく撫でてゆく。

再び、穏やかな時間が流れていた。
なにも話さなくてもただ隣にいられるだけで、充分幸せなふたりだった。
 
 
マドカはふと、右隣に座るリョウの痩せて筋張った手を見つめた。

お化け屋敷でつながれて、ストーカーから助けてくれた帰り道にもつないでくれたその手。
胸がきゅっと面映く高鳴る。
 
 
リョウも、ふと左隣に座るマドカの華奢な手を盗み見ていた。
学園祭で手首をつかんで引っ張ってもらった事を思い出し、あの時のときめきに目を細める。
 
 
ほんの少し、防波堤に置くリョウの左手の甲とマドカの右手のそれが触れ合った。
すると、どちらからともなく、そっとその手をつないで指を絡めた。

それは、あたたかくて、やさしくて、涙が込み上げるような感触。
胸がじんわり熱くなって、それに合わせてかすかに視界も滲む。
 
 
 
 
 『やっぱ、好きだわ・・・。』
 
 
 
マドカが思い切って呟いた。
 
 
その瞬間、ひときわ大きな波が波消しブロックに打ち寄せ、呆気なくそれはかき消された。

『ん?』 リョウが聞き取れずに、マドカへ目を向け聞き返す。
 
 
 
『好・・・』 言い掛けた途端、また続けて大波が。

またリョウが『え?』 とまじまじと見ている。
 
 
 
そのもどかしさにイライラしたマドカ。
 
 
 
 
 『好きだって言ってんのぉぉぉおおおおおお!!!』
 
 
 
 
大声で叫んだ瞬間、まるで弄ばれているかのように波は鎮まり途端に凪いだ。
マドカの絶叫は海辺に物の見事に響き渡り、向こうの釣り人ですらこちらを見ている。
 
 
肩を震わせ体をよじらせて笑うリョウ。

実は最初の2回もしっかり聴こえていた。
もっと言ってほしくて聴こえないフリしていたのだが、3度目の正直でこんな絶叫
されるとは夢にも思わず。
 
 
すると、真っ赤になって唇を噛むマドカ。
不機嫌そうに鋭い眼光で下唇を突き出している。
 
 
ジロリ、リョウを睨んで『・・・なんか、言いなさいよね・・・。』 モゴモゴと口ごもる。
 
 
 
 『・・・ぁ、はい・・・。』 
 
 
 『はい、じゃねえ!! 

  ・・・まったく、アンタって人は・・・ 
 
 
  ・・・もう・・・ まぁ、いいや。』
 
 
 
マドカが呆れたように笑った。

『ほんとに、いいんですか?』 リョウが笑いながらとぼけ顔を向ける。
 
 
 
 『それより・・・

  ねぇ、そろそろ苗字じゃなくて名前で呼んでみてもいーんじゃない?』
 
 
 
どうしてもどうしても ”マドカ ”と呼んでほしくて、ずっと言えずにいた事を
切り出してみる。
 
 
 
 『今更どうしてですか?』
 
 
 
わざと飄々と答えるその憎たらしい顔。
最後だっていうのに相変わらずのリョウに、少しイライラしたマドカ。
 
 
 
 『どうしてもだよ!』
 
  
 『でもワタセさんだって僕のこと・・・。』
 
 
 
 
 『あたしはいーんだよ!』
 
 
 『それはどうゆう理屈ですか?』
 
  
 
 
 『ったく・・・

  理屈じゃない事が世の中にはいっぱいあんの!』
 
 
 『・・・そうなんですか?』
  
 
 
 
 『そーなんデスヨ!!

  そんな減らず口叩く前に、チャリ乗れるようになりなさいよねー!』
 
 
 
ふたり、相変わらずの言い合いが出来ることが嬉しくて仕方なかった。
なにかあると上げ足をとるように、互いに口を挟み合って笑っていた。
 
 
 

■第46話 最初で最後のデート4

 
 
 
散々お腹を抱えて笑い合い、笑い疲れたマドカがそっとリョウを見つめる。

遠く水平線を見つめているその銀縁メガネの横顔。
 
 
 
 『あ。 ねぇ、まつ毛になんかついてるよ・・・』
 
 
 
ほらほらと指でリョウの目元をさして、教えようとしている。
『ん??』 リョウが銀縁メガネをはずし、目元をこするように手の甲でやさしく撫でた。
 
 
 
 『ん~・・・ 取れてないなぁ・・・

  ぁ、あたしがとってあげるからさ・・・ ちょ、目ぇつぶって・・・。』
 
 
 
頷いて、リョウが目をつぶった。
スッと通った鼻筋、薄くて形のいい唇、切れ長の目元、痩せて浮き出た喉仏。
 
 
 
 
  (やっぱ、裸眼のリョウはカッコよすぎる・・・。)
 
 
 
 
すると、マドカはそっと顔を傾けるとリョウの顔に近付いた。

唇に触れようとして、一瞬ためらうと、急に恥ずかしくなってしまって唇の横の
やわらかい部分に、目をつぶって自分のぽってり厚い唇をぐっと押し付けた。
 
 
 
 
 
 
   その突然の感触に、慌てて目を見張るリョウ。

   一時停止ボタンを押したかのように、かたまっている。
 
 
 
 
 
マドカは人差し指と親指をくっ付けて、まるでなにか掴んだような素振りで言う。
 
 
 
 『ほら、綿ゴミ。』
 
 
 
リョウが真っ赤になって、シドロモドロになりながらたじろぐ。
 
 
 
 『いや・・・ わ、綿ゴミの問題じゃ、なく、て・・・ですね・・・。』
 
 
 
『ん?』 マドカがとぼけ顔で小首を傾げる。
 
 
 
 『いいいいいいい今・・・・ 僕、に・・・・・・・・・・・。』
 
 
 
『なに? どした??』 マドカはいつまでもケラケラ笑っていた。
 
 
 
 
 
生ぬるい海風がやさしくふたりにそよいでいた。
気が付けばもう夕暮れで、水面は目映いオレンジ色を飲み込むようにキラキラ輝いている。

更にぴったり互いの体の側面をくっ付けて防波堤に座る、ふたり。
マドカがリョウの肩にそっと頭を寄せ、絡め合う指は決して離れないよう力を込めて。
 
 
 
 
大きなオレンジは完全に濃紺に沈んだ。
 
 
 
最初で最後のデートが幕を閉じようとしていた。
 
 
 

■第47話 最後の歩道橋

 
 
 
その夜は藍色の夜空に三日月がくっきりと姿を現し、歩道橋に佇むふたりを
やさしく見守っていた。
 
遠く電線の隙間をぬう様に顔を出すそれは、眩しいほどに光り輝く。
 
 
 
リョウとマドカ、最後の夜。
 
 
明日リョウは父親が住む遠い街へ引っ越しをする。

不登校になった早い段階で一家で父親の赴任先へ行く案は出ていたもののリョウが
ずっと断り続けていた。
”学校は気が向けばすぐにでも行く ”と出来もしない嘘をつき、新天地での高校生活に
踏み出す勇気も無ければ、超有名進学校を辞める踏ん切りもつかずにダラダラと時間
だけが過ぎていっていたのだが。

リョウは先々のこともしっかり考え、新しい街の新しい学校に通い直す決心をしていた。
 
 
それもこれも全て、背中を押してくれたマドカのお陰だった。
マドカがここで話し掛けてくれたあの日から、全てが変わっていったのだ。
 
 
 
歩道橋の欄干に手をおいて、ふたり並んで立つ。

リョウの左手とマドカの右手は、強く握られている。
今夜で最後だと言い聞かせたつもりでも、その繋ぐ手の強さはそれを受け入れられずにいた。
 
 
 
 『ねぇ、これって何センチくらいかな?』
 
 
 
マドカが隣に立つリョウとの互いの距離を指して言う。
 
 
 
 『んー・・・ 5センチくらいですかね?

  でも、手はつないでるから・・・ ゼロかも・・・?』
 
 
 
クスクス笑っているマドカ。

『ん?』 リョウが覗き込むと、『最初はさー・・・ 3メートルくらいあったよね』
思い出し笑いをしている。

出会った頃のことを思い返してばかりだった。
思い返す度クスクスと肩をすくめて笑い、次第にその顔は寂しげに歪んでゆく。
 
 
 
リョウがつなぐ手にぎゅっと力を込める。

すると、マドカもそれに返した。
たった1ミリだって、たった1秒だって離れたくなかった。
 
 
 
リョウがそっとマドカを見つめる。
月光に照らされてその横顔は神々しいほどにキレイで。
 
 
マドカは今夜もつけまつ毛をしていない。

また隠れて泣いて、まつ毛が取れてしまったのだろう。
ほんの少し赤らんだその幼い目元。 本物の少し濡れたまつ毛が瞬きに合わせそっと上下している。
 
 
それをただじっと見つめていた。
抑え切れない想いが胸の奥の奥から溢れだす。
 
 
『あの・・・』 リョウがマドカを呼び掛けるも、モゴモゴと要領を得ずまごついて
二の句を継げずにいる。
 
 
『ん?』 マドカに見つめられて、リョウは増々口ごもった。
 
 
 
 『あの・・・ ま、まつ毛に・・・

  まつ毛に・・・ 綿ゴミが、つ・・・付いてます・・・。』
 
 
 
緊張して喉元が強張っているリョウ。
ゴクリと息を呑む音がマドカにまで聴こえた。
 
 
『え?』 訊き返したマドカに、
 
 
 
 『目・・・ 目を、

  ・・・目をつぶって、くだ・・・さい・・・。』
 
 
 
意味が分かったマドカが肩をすくめて頬を緩ます。
リョウが愛しすぎて胸がきゅぅんと痛む。
 
 
 
 『チュゥするの?』
 
 
 
目を細めて笑いながらマドカが小首を傾げリョウを覗き込む。

『ち、ちがいます・・・。』 リョウは真っ赤になり首を横にぶんぶん振って否定。
 
 
 
 『じゃぁ、なにすんの?』
 
 
 『だからー・・・ 綿ゴミ、を・・・。』
 
 
 
すると、
 
 
 
 『なーんだ・・・ 

  チュゥされんのかと思って、一瞬喜んだのにな~・・・』
 
 
 
マドカが澄ました顔を向け、横目でリョウの反応をニヤリと待つ。
 
 
すると、
 
 
 
 『・・・されたら、嬉しい・・・です、か・・・?』
 
 
 
赤い顔をして俯いたまま、リョウが弱々しくマドカに訊いた。
きまり悪そうに無意味に指先の爪をはじき、目線が定まらない。
 
 
 
 『そりゃ嬉しいよー・・・

  好きな人からチュゥされて、嬉しくない訳ないじゃん。』
 
 
 
『・・・じゃぁ・・・。』 暫し黙り込んだ後、口をぎゅっとつぐみ意を決したリョウ。
 
 
 
 『・・・キ、キスを・・・

  ・・・させて・・・ ください・・・。』
 
 
 
決して口数が多い訳ではないリョウの口から出た、一生分の勇気を使ったかのようなその言葉。
 
 
しかし、『え?聞こえない。』 海で聴こえないフリをされた仕返しをはじめたマドカ。

ニヤニヤしながら手を耳にあてて聴こえない素振りを決め込んでいる。
 
 
 
 『キス・・・を・・・。』

 『ん~? なんて??』
 
 
 
すると、痺れを切らしたようにリョウは叫んだ。
 
 
 
 
 
  『キスが、したいですっ!!』
 
 
 
 
滅多に通らない歩道橋にたまたま通りかかった通行人が、リョウのその言葉にギョっと
して居場所が無さそうに慌てて駆けてゆく。
 
 
マドカは可笑しそうに体をよじらせてケラケラ笑っている。
チラリ目を上げリョウを確認すると、真っ赤になりながらもつられて少し口許が緩んでいる。
 
 
マドカはリョウと向かい合って立つと、背の高いリョウに向け顎を少しあげて口をつぐんだ。

そして目を閉じた。 『はい、どうぞ。』
 
 
 
リョウが少し震えながら、マドカの二の腕に痩せて筋張ったその手を置いた。

そしてしずしずと顔を傾けて近付け、そのさくらんぼみたいなぽってりした唇に
やさしく、ぎこちなく、キスをした。
 
 
 
 
はじめて触れ合った唇と唇。

やわらかくて、甘くて、なんだか気が遠くなるような切なさが込み上げた。
 
  
 

■第48話 最後の歩道橋2

 
 
 
唇のやさしい後味に酔いしれながら、マドカがそっと目を開けリョウを見つめた。
 
 
 
 『ねぇ・・・ あたしのこと、好き・・・?』
 
 
 
真っ赤な頬をしたリョウが、照れくさそうに俯きそしてコクリと一度大きく頷く。

するとマドカが違うとでも言うように首を横に振った。
 
 
 
 『好き・・・?』
 
 
 『・・・はい。』
 
 
 
再び首を横に振るマドカ。
 
 
 
『・・・好き?』 3度繰り返した時、意味が分かったリョウが照れくさそうに笑った。
 
 
 
 『・・・好き、です・・・

  好きです、すごい好きです・・・

  ・・・好きで好きで、もう・・・ ほんと、どうしようもないくらい

  どうしたらいいか分かんないくらい・・・ 大好き、です・・・。』
 
 
 
『分かった分かった!』 マドカがぷっと笑う。
 
 
 
 『よく出来ました!

  これでワタセ先生の ”人の気持ち ”講座は終了です。

  もう教えることはありません・・・。』
 
 
 
リョウが物寂しげにマドカを見つめる。

最後の授業が ”好き ”というたった2文字だったという皮肉さに哀しげに微笑む。
 
 
 
 『あ! 最後にひとつだけアドバイス!

  ・・・アンタ、コンタクトにしたらいーよ・・・

  メガネはずしたら超モテるよ、女子に・・・ 新しい学校、共学なんでしょ~?』
 
 
 
すると、リョウはかぶりを振って小さく笑った。
 
 
 
 
 
   『どうでもいい10人に好かれるよりも、

    大切なひとりにずっと好きでいてほしいです・・・。』
 
 
 
 
まっすぐマドカを見つめるそのメガネの奥のやさしい瞳。

マドカが照れくさそうに澄まし顔を向けた。 『・・・あっそ。』
 
 
 
 
ふたりでクスクスと笑い合う。
絡め合いつなぐ手に更に更に力を込めた。
  
 
 

■第49話 最後の歩道橋3

 
 
 
リョウがカバンから参考書を数冊取り出した。
 
 
 
 『あの、コレ・・・

  受験の全教科の参考書・・・ 僕がざっと目を通してイイ参考書選びました。

  要点まとめたり、マーカーも引いてあるんで、

  そこを重点的に勉強するのと・・・

  あとは・・・ 暗記モノはがんばって暗記しかないです・・・。』
 
 
 
マドカの受験のことも決して忘れてなどいなかったリョウ。
 
 
勉強を教えると言ったのに、途中で離脱しなければならない事を申し訳なく思い
懸命に対策を考えていたのだ。

マドカがそれをペラペラとめくって見ると、書き込みやマーカーがびっしりあった。
 
 
『ありがと・・・。』 一気に涙が込み上げる。 鼻の奥がツンと突き上げるように痛い。
 
 
自分の勉強だってあるのに、一生懸命に参考書を選んでまとめてくれたリョウの気持ちが
嬉しくて嬉しくて、一瞬でも気を抜いたら号泣してしまいそうだ。
 
 
でも泣かないで見送ると決めていたマドカ。 せわしなく瞬きをして堪える。
何度も深呼吸を繰り返し、胸にこみ上げる熱いものを鎮めようとしていた。
 
 
 
すると、リョウが更に手を差し出した。
 
 
 
 『あと・・・ コレ。

  僕の使い古しですけど・・・

  僕にとっては受験に強い、縁起がいいシャープなんで・・・

  絶対、栄養士になれるように・・・ ワタセさんに。』
 
 
 
それは、ファーバーカステルというドイツのブランドのシャープペンだった。

高級そうなそれにマドカは一瞬貰っていいものか躊躇ったが、リョウが頑なに渡そうと
するのでその好意に甘えることにした。
 
 
 
 『じゃぁ・・・ あたしも、なんか・・・ あ!』
 
 
 
マドカが身の回りやカバンの中をあさり、リョウに渡せるものがないか探す。
そして、それを指先を掴んでリョウの目の前に翳した。
 
 
 
 
   それは、三日月の形のキーホルダー。
 
 
 
 
ふたりで海に行った時に乗ったマドカの自転車の鍵に付けているものだった。

こんなものしか無い事を申し訳なさそうに眉をしかめるも、ふと夜空を見上げ
 
 
 
 『ちょうど、今夜も三日月だ・・・。』
 
 
 
鍵だけはずすと、マドカはリョウの手の平にそれをそっと渡した。
 
 
そして、
 
 
  
 『・・・じゃぁね・・・。』
 
 
 
マドカが満面の笑みで明るく言う。

子供のように赤い頬、さくらんぼみたいな唇、もう気怠さがないその佇まい。
 
 
 
『はい。』 リョウも笑って返す。

メガネの奥の目はあたたかく微笑んで、マドカをまっすぐ見つめている。
 
 
 
『元気でね。』 マドカは小さく手をあげて、俯くとリョウに背を向けた。
 
 
 
 
 『マドカさんも・・・ 元気で!!』
 
 
 
 
その華奢な背中に呼び掛けるリョウ。
互いに涙は見せないと決めていた。
 
 
 
 
 
   泣かない。

   泣かない。

   笑って別れなきゃ。

 
 
 
 
マドカの背中が歩道橋の階段に消えてゆく。

あと数段で、もう背中すら見えなくなる。
マドカのローファーの駆け下りる足音がカツンカツンと歩道橋に響き、
 
 
 
 
そして、止まった。
 
 
 
 
 
   一瞬の静寂。
 
 
 
 
 
すると、大きな音を立てて再び階段を駆け上がってくる足音。

マドカが振り返り全力で走って戻って来た。
その顔はぐしゃぐしゃに泣き、口をぎゅっとつぐんで。
 
 
 
そして、そのままなだれ込むようにリョウに抱き付いた。
 
 
 
リョウの背中に手をまわし、きつく抱き付いて声を上げて泣いている。

それはまるで子供のように。
泣き声を少しも我慢せず、泣きじゃくっている。
 
 
 
リョウもマドカを強く抱きしめ返した。
息が出来ないくらい強く強く抱きしめ合う。
 
 
 
そして、ふたりで幼い子供のように泣いた。

互いの温度や匂いや声、全てを刻み付けるかのように抱きしめ合い声をあげ泣きじゃくった。
 
 
 
 
 
 
 
深い藍色の夜空にくっきりと映える三日月が、やさしくふたりを照らし
まるで微笑んでいる様だった。
 
 
 
 
 
     さようなら、僕の初恋・・・
 
 
 
 

■最終話 今夜も、あの月あかり照らす歩道橋で。

 
 
 
数年後。
 
 
 
とある木造の古い小学校。

廊下の少し軋んだ床板は年季が入ってはいるけれど、きちんと磨き上げられたそれに
ゴム底の靴裏が小気味よくきゅっと鳴る。
 
 
あれほど廊下は走らないよう言っているというのに、子供たちは教師の目を盗んでは
元気に駆けまわる。

教師の姿をそのキラキラした目に捉えた瞬間、慌てて走ってなどいないフリをするが
そんなの容易にバレてしまっているのに、必死に素知らぬ顔をするのが可笑しくて堪らない。
 
 
 
新米教師のアイバ リョウは、学級日誌を小脇にかかえて午後の日差しが降り注ぐ廊下を
ゆっくり歩いていた。
廊下の壁には図工の時間に描いたカラフルな運動会の絵や、書道の時間に書いた
”友だち ”という元気な書が所狭しと貼られている。

相変わらず背が高く痩せていて銀縁メガネをかけるリョウは、それを嬉しそうに横目に進む。
まだまだ新米だが、ゆっくり丁寧で授業が分かりやすいと子供たちからも人気があった。
 
 
 
 
ふと廊下の先、校長室の前あたりに白衣を着たふたりの姿を捉えた。

ベテラン管理栄養士である学校栄養職員の年配女性とふたり、並んでこちらへ向かって来る。
 
 
 
 
段々と近付く、その距離。
 
 
靴底が床板に擦れる音が複数重なり合って響く。
遠く体育館からドッチボールをしているのか、ボールの跳ねる音もそれに混じる。
 
 
ふと白衣の胸ポケットにファーバーカステルのシャープペンを差しているのが目に入った。
 
 
 
 
段々と、段々と、ふたりの距離が近付く。

そして、すれ違いざま。
 
 
 
 
リョウがぽつり呟いた。
 
 
 
 『セイフの数って分かりますか・・・?』
 
 
 
すると、その新米栄養士が目を細め、眩しく微笑んで振り返り言った。
 
 
 
 『・・・与党とかの?』
 
 
 
肩をすくめて笑い合うふたり。
 
 
 
 
   『数学教えましょうか?』
 
 
 
   『なら代わりに、人の気持ちってやつを教えてやるよ!』
 
 
 
 
 
日差しが入り込む古びた廊下の木枠の窓から、職員専用の駐輪場が見える。

屋根がかかったそこには、年季の入った自転車に紛れ一台の真新しい自転車が駐車されている。
”アイバ ”と生真面目に名前が書かれたその自転車。
 
 
 
 
三日月のキーホルダーがやさしく揺れていた。
 
 
 
 
 
 
    ~ 今夜も、あの月あかり照らす歩道橋で。~
 
 
 
 
                                  【おわり】
 
 
 
 

今夜も、あの月あかり照らす歩道橋で。

今夜も、あの月あかり照らす歩道橋で。

ギャルのマドカは勉強が全然ダメで、ガリ勉のリョウは人間が全くダメだった。 そんなふたりが月あかりの歩道橋でめぐり逢った。 『数学教えてくれたら、アンタに ”人の気持ち ”ってモンを教えてやるよ。』 ケンカしながら互いの足りないところを補い合ううちに、月の夜に逢うのをマドカは心待ちにしてゆくのだが・・・。 もどかしい想いの行方は?! ≪全50話 完結≫

  • 小説
  • 長編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-01

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著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ■第1話 月あかり照らす歩道橋
  2. ■第2話 微動だにしない背中
  3. ■第3話 参考書から上げた顔
  4. ■第4話 生きる、の意味
  5. ■第5話 名を名乗れ
  6. ■第6話 ココにいる理由
  7. ■第7話 人の気持ちの教え方
  8. ■第8話 2.8メートルの距離
  9. ■第9話 静かな夜
  10. ■第10話 ピーナッツチョコレート
  11. ■第11話 クラスメイトの姿
  12. ■第12話 ごめんの理由
  13. ■第13話 気にしてなんかいないんだ
  14. ■第14話 それくらいの情熱
  15. ■第15話 凛としたキレイな
  16. ■第16話 突然小雨が降った夜
  17. ■第17話 中学数学1
  18. ■第18話 込み上げるモヤモヤ
  19. ■第19話 込み上げる焦燥感
  20. ■第20話 一定ラインのひとり
  21. ■第21話 弱々しくてちっぽけな
  22. ■第22話 世界の終わりみたいな顔
  23. ■第23話 画面に現れた一枚の画像
  24. ■第24話 学園祭
  25. ■第25話 学園祭2
  26. ■第26話 学園祭3
  27. ■第27話 学園祭4
  28. ■第28話 学園祭5
  29. ■第29話 壊れたテレビのように
  30. ■第30話 嘘をついた自分
  31. ■第31話 満月の引力
  32. ■第32話 レジ横のカウンターで
  33. ■第33話 暗い帰り道のふたり
  34. ■第34話 興奮気味なその姿
  35. ■第35話 休日の大きな公園で
  36. ■第36話 名前で呼ばないふたり
  37. ■第37話 事件が起きた雨の夜
  38. ■第38話 その手のぬくもりを
  39. ■第39話 意味不明な言動の理由
  40. ■第40話 矢継ぎ早な言葉
  41. ■第41話 その穏やかすぎる声色
  42. ■第42話 好きな人に言う言葉
  43. ■第43話 最初で最後のデート
  44. ■第44話 最初で最後のデート2
  45. ■第45話 最初で最後のデート3
  46. ■第46話 最初で最後のデート4
  47. ■第47話 最後の歩道橋
  48. ■第48話 最後の歩道橋2
  49. ■第49話 最後の歩道橋3
  50. ■最終話 今夜も、あの月あかり照らす歩道橋で。