おもひで

三つ子の魂百まで

夏。午前2時半。自室に籠もってプラモデルを作っていた。
机の上にはいくつかのMr.COLORの瓶と三本の筆とシンナーとタオルと…
トゥルルルル
電話が鳴ってマスキングテープを探していた手が止まる。
誰。
不在着信。
もしもし。
自分の声が震えているのは夜中の不審な電話のせいなのか、
それとも夏特有のゴキブリへの恐怖心なのかは分からなかった。
電話の主はやや早口で尚且つ半分嬉しそうに言った。
「君のお友達、死んじゃったよ。死んじゃった、死んじゃった」
え、なに。なんなんですか。ていうか、誰。
「死んじゃったあの子、可哀想だね。
でも、僕殺してないよ。本当だよ?」
なんだ、単なる不審電話か。
この変態男に何を言おうかと思ったが何か言ったところでこいつの思う壺だろう。
馬鹿馬鹿しいし、こっちはこっちでやる事あるからバイバイだね。
「バイバイ」
私が言うとそいつは言った。
「待ってよ、お嬢ちゃん、いい事教えてあげる。
炭酸水買いなよ。そうしたら君は死なないよ」
「忠告ありがとうございます。それじゃあ」
電話を切った。
それと同時に男の舌打ちが聞こえた気がした。
うん、気のせいだよね?
マスキングテープは私の足元にあった。
続けなきゃ、続けなきゃ。でも、少し眠い。


通りを歩いてた。
見覚えがない。
私は誰かに追われてる。
とっさに私は隠れた。
ガードレール沿いのひどく伸びた雑草の茂みに身を置いた。
私を追うその相手が目の前を通り過ぎて行く。
その間、私は何事か妙な呪文か何かを唱えていた。
ホッとして茂みから出る。
空の色が灰色。雨が降りそう。でも、傘はない。
誰かに私は助けを求めてた。
そこで私は夢から覚めた。


「お姉ちゃん、寝言言ってたよ」
「なんて言ってた?」
「It won't be longって」
「なにそれ」
「こっちが聞いたいよ」
そう言って妹は高校名の刺繍入りのスクールカバンを手にして玄関に駆けて行った。
夏休みの初め頃に行くはずだった期末試験の補修をサボったツケが8月後半になって回ってきたらしい。
馬鹿丸出し。
でも、私も馬鹿だ。食卓に突っ伏して寝ていたんだし。。
両親は仕事でいないし。
今は私一人。
寂しくはない。
iPhoneを開くと母からメールが入ってた。
「牛乳切れてるから買ってきて頂戴」
了解。
そこで昨日の電話の事を思い出した。
しかし、今はそんな事より牛乳の買い出しだ。

コンビニが家の近くにあるってこういう時に便利である。
暑い日差しを浴びて少し汗ばんだシャツと私をコンビニのクーラーが恭しく迎えてくれた。
真夏のピークが去ったと昨日のテレビで言ってたけどまだまだ暑いじゃないか。
問いただす必要がある。責任者はどこか。
ぼんやりと寝ぼけ頭でそんなことを考えてる私をバイト君らしい風格の男の子が見つめていたのに気付いて気恥ずかしかった。
さっさと買って帰ろう。
牛乳をカゴに無造作に突っ込む。
小腹が減ったからカップラーメンでも買っていこうかな?
あれ?家にまだ残ってたかな?
ていうかいま、節約中なんだよね。
十秒間思い悩んだ挙句買わない、と決めてレジに並ぶ。
並ぶというか現時点でお客さんは私一人か。
ああ、スウェットパンツがちょっとだけ暑い。
ここで脱いじゃいたいけど、脱いだらバイト君どんな顔すんのかな。
そんなこんなで牛乳を買って、結果的にスウェットパンツは脱がずに足早にコンビニから逃げ去って愛しのお家に帰らなきゃね。
愛しのお家に。


牛乳を冷蔵庫にぶち込んでからビニール袋をゴミ箱にバイバイしようとして開けてみたら昨夜は無かったカップラーメンの空きカップがそこにあった。
してやられた。妹め。
こういう時、健全たる一般市民はTwitterに現在の心境を書き込むのだろうが私はTwitterをやっていない。
代わりに私はお部屋の中にぶっきらぼうに居座る豚の貯金箱から二千円ほど出して決心した。

勿論、私が行くラーメン屋に二千円もするメニューはない。
あくまでご用心である。
「あゆの近所にラーメン屋できたんだよね!今度行こうよ」
と私の友達に言われたのを思い出した。
そして、あゆとは私の名前である。
ラーメン屋は私が住む相鉄線いずみ野駅と隣の弥生台駅のだいたい中間地点にある。
というかやや弥生台寄りの方である。
大まかな想像だと開店時間は11時だろう。
そして現在時刻は10時40分。
私の想像が正しければ11時ジャストに着く計算だ。
コンビニに出た時と全く同じ服装でまた玄関のドアを開ける。
少し蒸し暑いスウェットパンツは履いたままで。

歩きながら私は考える。
春が来ると弥生台の桜は咲き乱れる。
でも、今は夏だから桜の木々は日差しを申し訳程度に遮る天然の傘でしかない。
別に好きでも嫌いでもないこの街をいつか愛せる日が来るのかな。
まぁ、そんなのどうでもいいよね。
にしても、暑い。
真夏のピークが去ったって本当かよ、とさっきも考えてたことを今も考えてる。
あ、ここか。
もう着いた。
腕時計を見ると長針が11の辺りを指していた、
開店していた。
開店時間は11時なんだけど5分前でも開いているのには少々驚かされた。
「らっしゃーせー」
先ほどのコンビニのバイト君より遥かに威勢の良い声が耳に入る。
ていうか威勢の良いコンビニバイト君ってちょっと怖いかな。
私はことさらドアから遠いテーブル席に座った。
メニューを開くと黒々とした墨で書かれていることに今一度震撼した。
ネギラーメンか豚骨ラーメンにしようかとそこそこ真剣に悩んでいる最中にまた例の兄ちゃんが水を持ってきてくれた。
決めた。
醤油ラーメンで。


我ながら良策であった。
何かと何かで悩んだ時はその何方でもないものを選ぶのが良いというのが私の生きる道である。
そして、醤油ラーメン。
ラーメンの王道中の王道を私の舌が拒む訳がないじゃない。
美味である。
つい最近何かの本でラーメンにレンゲは入れるな的な事が記載されていたが構わずレンゲでスープをすする。
半熟卵の黄身が少しスープに垂れてほのかに卵の味もする
これ以上ラーメンの味について触れていたらこの手記が単なるラーメンガイドと化してしまうので言及は避けるが、この夏はただひたすらあちこちのラーメン屋に入り浸っている気がする。
いずれはラーメンデートなるモノをしてみたいのだがこんな私に一日時間を費やしてくれる相手なんぞ現時点では存在しない。
こんな事を考えて少し朴を綻ばせていると例のコンビニのバイト君が入店してきた。
横浜の花火大会の団扇をハタハタさせている。
睨むように見つめているとあっ、という形に口が動いた。
そんな私をお構いなしに私の隣のテーブルにため息混じりにどっこいしょして、
すかさずポケットからiPhoneを取り出す。
これだから現代人は。
スマホの画面より今はメニューを見ろ、メニューを。
こんなこと考えてる私ですが、性悪女ではございませんので、悪しからず。
むすっとした顔で席を立とうとするとそいつが声をかけてきた。
「あの、さっきのレシートの裏側見ました?」
え、なんなの、いきなり。
ごめんなさい、ごめんなさい。私急いでるので。
さっさと勘定を済ませて弥生台駅に向かった。


暇な時に弥生台に来た時は大抵は新橋、領家、西が丘の辺りを散歩するのが常であり、今日もその例外ではなかった。
大抵のスタートラインは弥生台駅であり、今日もその例外ではなかった。
唯一の例外はあのよくわからない、見ず知らずのバイト君に変なアプローチ的な何かをされた事である。
19年間生きてきてこんな事は初めて、喜んで良いのか良くないのか複雑な気持ちで財布の中のレシートを確認。
あー、なんか拙い文字で書いてありますね。
このよくわからん汚い字の数列は電話番号なんだろうな。
隣の「瀬野 優希」てのがこやつの名前であろうことも理解できた。
優希、女みたいな名前しやがって。
何故だか散歩するのが馬鹿らしくなって暇だから大学に行ってみようかなと思った。
夏休み期間だけど定期は半年で買ったからタダで行けるし。


冷房の効いた電車に揺られて1時間半、東京都内の私が通う大学に着いた。
弥生台から乗っちゃったから200円ほど払う羽目になったけど。
大学に着いて早々休憩室に向かった。
休憩室の中には夏休み中何もする事が無さそうな暇人顏のカップルが何組かいて、他には真面目そうな男の子が何人か。
8月に入って大学に来たのは今日を含めて2回だけ。
来て何をするって訳じゃないんだけどね。
どうしようっかな、やっぱり帰ろうかなって時にLINEが届いた。
「あゆ、今日学校来なよ。肝試しやろうよ

ナイスタイミングである。
夏休みの3分の2を無駄に過ごしている私に何かしらの誘いをかけてくる人物を私は神の如く敬っている。
それが例えラーメン屋に行こうという誘いだろうが隣町のショボいお祭りの誘いだろうが。
そうして夏に肝試しとは。
何たる贅沢。
贅沢は敵だ。
贅沢は素敵だ。
集合時間の6時までは暇なので図書室で適当に読みたくもない本を読んだり寝たり寝たり寝たりして時間を潰した。
というかだいたい寝ていて、気がついた時には5時50分だったから冷や汗ものである。
肝試し本編より汗をかいたのではないか、と勝手に想像してしまった。


「遅いよ、あゆ。てか寝てたでしょ、あゆ」
こんな死にそこないの新垣結衣みたいな私を呼んでくれたのは紺野 麗華さんという子で顔はPerfumeのかしゆかに似てる気がする。
紺野様ことこんちゃんは度々私をよくわからない遊びに誘ってくれた。
多摩川打ち上げ花火戦争なる打ち上げ花火の対人発射遊びというただ単に危険すぎる遊びを計画したのもこの子だし、夜間江ノ島散歩という深夜に私の最寄り駅のいずみ野駅から江ノ島まで歩こうという計画をしたのもこの子である。
いつも苦しい思いをしていたのは他でもない私であった。
そんな危険人物、要注意人物、正体不明の自称地球人の彼女の企画する肝試しだから今回もまたまた何事かをやらかす事は火を見るよりも明らかだ。
今日集まったのは私以外全員が紺野様の所属するオカルトサークルのメンバーらしかった。
趣味を実生活の中に持ち込み過ぎて生活に支障が出ていそうな人物や、
2日前に墓から出てきたような奴、
地球語より宇宙語が堪能そうな顔をしている人物が勢ぞろいしていてこれはこれは百鬼夜行なのではないかという有様であった。
肝試しをするのではなく、寧ろ私たちの周辺を歩く人こそ肝試しをしていて私たちはあくまでお化け役に徹しているような気分であった。
というか何で急に肝試しなんて阿呆なことをするんですか。
1人が質問をした。
かく言う私である。
「あゆも中々の阿呆ね。
オカルトサークルは二月に一度肝試しをやるという鉄則があるの。
前も言ったでしょ?」
そうでしたっけ。まぁいいわ。
それでどこをウロつく訳でございましょう?
「ここから30分くらい歩いたとこにある旧トンネルに行くの。
幽霊がうじゃうじゃいるらしいよ」
どこの情報よ。とは聞かなかった。


旧トンネルは森の入り口のような所にあった。
小汚いトンネルの上の方にトンネル名が書いてあるようだが土がドロドロに着いていて読もうにも読めない。
そもそも読む気力もなかった。
ああ、こんな変人たちからさっさと離れて帰路につきたい。
というか何で私を呼んだの。
数合わせ?それともお友達だから?
まぁ、いいけどさ。
「じゃああゆ、行ってきて」
えぇ?何をおっしゃるの。
「いや、あのね、オカルト研究員みたいな頭の中が心霊一色に染まってるお花畑さんたちより健全な一般市民の方が真実を見れそうじゃん?
そうじゃない?あゆ。お願いね」
お願いね、と言われましても。
というか私が一般市民?
というか私1人でこの薄暗いトンネルを?
「ううん、大丈夫だよ、懐中電灯は渡すから」
いいえ、そういう問題じゃございません。
まぁ、いいや。私今日は頑張る。
急な展開である。
暇だから学校に行ったら肝試しと称してトンネルに行かされるとは。
紺野が差し出した懐中電灯が貫くような鋭い光を放っていた。


私はトンネルが嫌いである。
カマドウマはいるし、足音は響くし、夏はジメジメとしていて冬は肌寒いし、
怖い噂ばかりあるし。
いい事なんて何一つないように思えるトンネルだけど何かいいことはあるのかな。
そうして心霊スポットなのかよくわからない旧トンネルを歩いている時に限って私は昨晩の不審かつ意味不明な電話を思い出す。
「友達死んじゃった」って。
そもそも私には数えられる程度のお友達しかいないのですが。
この私の数に限りがあるお友達の中に今日、明日、死ぬかも知れないという不幸な人間はいないし、寧ろ周りから見たら私がかなりそういう意味では危ない人物らしかった。
まぁ、強いて言えば紺野こそそういう人物に当たるわけだが幸か不幸か生きている訳だし。
ていうかあんなよくわからん電話の内容に真に受けてる私は阿呆の極みである気がしてならなかった。
色々考えているうちに出口まで来てしまった。
結局収穫なし。
というか幽霊様様が出て来てもらったらたまったもんじゃない。
あいつらオカルト研究員共にとっては大スクープでも私にとっては単なる悲劇、
こんな1人寂しくトンネル内を彷徨う私の前に出るよりはカップルでワイワイキャアキャア言いながらベタベタベタベタ歩く若い男女の前に幽霊が出る方が
私にとっても幽霊にとっても一般的カップルにとっても幸せである。
何一つ悲しいことはない。
出口から入り口へとUターンしている最中に「あゆ」と遠くから呼ぶ声が聞こえた。
呼ばれなくとも戻るさ。
戻らないと私が幽霊になってしまう。


おまたせ。
私が第一声として紺野に言うと唐突にこう言ってきた。
「後ろの男の子だあれ?」
ギョッとしました。
だって、いきなりそんなこと言われましても…ねぇ。
バッと風のように振り返ると何もいない、それと同時に笑いまじりに
「嘘に決まってんじゃん、あゆ。じゃあ帰ろっか」
そうですね
 
 「あゆ、ごめんね。一人で行かせて」
いいえ、大丈夫ですよ。
楽しかった訳ではないけど楽しく無かった訳でもないですから。
「今度はもっと怖い所に連れてってあげるね」
はい、よろしくお願いします。
実はね、と紺野は物静かに語り始めた。
「あそこに幽霊なんていないの。
だけど他の部員さんたちが幽霊はいる、って信じ込んでてさ。
だからさ、そういう奴らばっかりだからあゆみたいなそこそこ純粋な子がいなきゃと思ってね。
怒ってないよね?」
怒ってないですよ、私いつもムスッとしてますが怒ってないです。
「よかった、じゃあ駅近のラーメン屋行こうよ」
またラーメンですか。
そう思いつつこの阿呆な美少女とラーメンに行くのも楽しそうだなと思いすぐ近くのラーメン屋に駆け込みました。
醤油ラーメン。

 「ナンパされたの?すごいじゃんあゆ。モテモテだね」
いいね、そんなことないです、と謙遜しながらもレシートに書かれた文字列はバッチリ見せつけました。
「ふーん、瀬野 優希。え、女のコ?これ」
男の子ですよ。
「うわ、女みたいな名前してんね」
まあたしかに麗華様には遠く及ばずとも女らしさだけはムンムンに感じる事のできる名称であることは確かですよね。
もう一口、二口は飲んだため半分も入ってないコップの水を飲みながら驚くべき提案をしてきたのです。
「どうせあゆはメールも電話もする気はないんでしょ?じゃああたしが代打になってあげるよ」
え、それは。
「いいじゃん、楽しそうだし。ほら、あたし彼氏いないし。
ねっ、やっちゃうねやっちゃうね」
なんだか後々面倒くさそうなことになりそうなんですが…。
まあ、良しとしましょう。
「しかしこの優希くんも中々センスがいいよね。
高望みせず妥協せずな感じであゆのこと選んでるよね」
はぁ。
選ばれた身としては迷惑以外何者でもないのですが。
「そんな嫌な顔しないの。皺増えるよ。あ、ラーメンきた。いただきまーす」
いただきます。
そうして夕食シーンはカットいたします。
でも、たらふく食べたって事だけは伝えておかなきゃね。

 紺野とは大学最寄りのモノレール駅まで一緒でもそこから方向が違うのです。
「まぁ、私に任せてよ。なんか進展あったら連絡するからさ」
しなくていいです。
「そらじゃ、じゃあねあゆ」
グッドバイ。
そうしてまた一時間半電車に揺らされて帰るんだ。
うとうとしながらいずみ野駅に着いた時にはもう九時を回っていました。
それで。
偶然でしょうか。
前方に見覚えのある顔。
「大丈夫だよ、あんまり待ってませんから」
優希くん。
そう言うと私の手をギュッと握りしめたのです。
こいつ、かわいい顔してやりおるな。
肉食系なんて容易い言葉では言い表せない、なんと言うか。
獰猛、野獣、妖怪、青二才、劣悪、俗悪、醜悪。
そうして私は死にそこない。
「約束時間、守りましたからね。褒めてね」
約束時間?
作り笑顔満点の顔に多少の疑問は抱いても口に出す事はありませんでした。
まさか。
察しました。
紺野のやつ。
代打になるってそういう事なのね。
連絡は取っても紺野と優希は会わない。
代わりに私が会う。
仲介者なのは私なのか紺野なのか。
「どこ行こうか?」
いずみ野駅でデートスポットなんてありませんよ。


 仕方がないので二人で私の家の前まで行き、そこで二人仲良くお話していました。
仲良く?
「君から会おうって言ってくれて嬉しかったよ」
君が言う本当の「君」は私じゃないのに。
優希くんは気付いてない。
ごめんね、優希くん。2人で騙しちゃって。
なんだか悲しくなってきちゃった。
でも、優希くんも悪いんだよ?
私の事なんか、好きになったりして。
私も優希くんのこと…
「あのさ、今更だけど君の名前知らないんだよね」
それは教えて欲しいという事ですね?
言葉足らず。
知らないんだよね、だから教えてよ、まで言ってよ。
「当ててみなよ」
もう一言。
付け加えてあげる。
「当たったらキスしてあげてもいいよ」
途端に顔を赤らめる優希くんは、恥ずかしそうな素振りを見せつつも私の唇だけを真っ直ぐ見つめてる。
え、意外と純粋?よくわかんないや。
「今泉さん?」
「何でそうだと思うの?」
「高校二年の時に好きな子の苗字言ってみた。合ってる?」
「ぶぶー」
自分の唇の前で小さく人差し指のバッテン作りながら言いつつ、
なんとなく自分のしてる事がなんだか模範的な青春的行為とかそんなもんに思えて仕方なかった。
そういったものに憧れていたのも事実だけど、いざ自分がやってみる立場になるとなんだか興醒めといいますか、幸せは簡単に掴めない方が良いと言いますものね。
それじゃあ、答え合わせといきますか。
私の名前は…。
「優希くん‼︎」
え?
優希くんのお母さんが来たのかと、最初は思いました。
でも。違うの。
現実は時にして儚く、時にして残酷。
そしてあまりにもプログレッシブ。
「恩田さん…」
はい大正解。
私の名前は恩田 歩。みんな、よろしくね。
でもそれは解答欄に書かれた答えではなかった。
そこに立っていたのは私の愛すべき妹。
恩田 小百合。
制服姿で右手には相鉄ローゼンのレジ袋。
何でよ、っていう顔してる小百合。
どうしようっていう顔してる優希くん。
その隣には狸に化かされたような顔した私がいる。
「嘘つき」
小百合はぶっきらぼうに、尚且つ怒りを必死に静めたような口調で言った。
「あたしのこと、好きじゃないんだね。
でも、お姉ちゃんに手出すってのはなかなかやってくれるよね、君。
私に飽きたならちゃんと言えばよかったのに」
流れが読めないんですが。
助けてください。
泣き出しそう。
小百合はレジ袋の中から何かを取り出して、それを勢いよく優希くんの顔面にストレートかつ鮮やかに投げつけた。
それは彼の顔でその勢いを全て吸収し、無音より静かな音でそっと地面に落ち、
そうして息を吹き返したかのように私の足元に転がってきた。
炭酸水。
小百合が泣いてる。
優希がうずくまってる。
ようやく2人の関係を理解できて、それで。
怖くなって逃げ出しました。
その時だけは、誰よりも早く走れた気分だった。



夜の11時過ぎにラーメン屋に駆け込むような女子大生なんていると思いますか?
弥生台近くのラーメン屋に辿り着いたのは11時頃、ガラッと開店中と書かれた表札付きの扉を開けてたいふうのように椅子に座りました。
隣の席では老けた男が、私の顔をチラリと一瞥するとまた湯気の立つラーメンをレンゲですすり始めました。
汗をかいてるのはその時初めて気がつきました。
シャツが少し湿ってる。
店内の冷房の風が湿った背中に吹きかかりネコのように毛が逆立つのを覚えました。
怖がってなんて、ないから。
店員さんが水を持ってきてくれました。
勿論、心配していたとかそんなんじゃなく、ただ単に1人のお客さんとして。
コップをテーブルにコトン、と置いてからその店員は語尾をあげて言いました。
「あゆ?」
はい?
あ、あなたは。
「あゆじゃん、久しぶり。あ、店長さん、ちょっと休憩しますねー」
「理沙…?」
店長の返事を待つより先に私の正面に座りました。

私はここのラーメン屋は友人伝いに知ったのです。
その子はちょっと儚い顔をした多部未華子みたいな、少々表現が分かりずらいですがほんとにそんな子で、無類のラーメン好きなのです。
家も弥生台の近くで2、3回ほどお邪魔したことがあるのですがその度に自作のラーメンを作って下さったのですが、味の方はまぁ、ここでは敢えて言及いたしません。
しかし、ラーメン愛だけは私を含めてそこらの女性陣の一枚、二枚上手でした。
ただ、まぁ困ったことに遊びに誘ったり誘われたりする度に必ずと言っていいほど昼食先はラーメン屋なのですから、ビックリですが。
そして、その女の子が今、私の目の前で頭に巻いていたタオルを取って手で弄んでいる。
今井 理沙と申しまして私とは高校時代の同期生でした。
まさかラーメン屋でバイトしているとは。
「バイトじゃないよ。学校辞めたんだ」
あらまぁ。
何があったの?とは別に聞きませんでした。
学校を辞めた人の話は聞いても明るい気分になれることは余りないですからね。
「何なら、奢るよ」
いえ、悪いです。と思いつつ甘えようかどうか迷っておりますと、
「何かあったんでしょ?」
図星です。
「話してくれたら奢ってあげてもいいよ」
どこから話せばいいのかしら。
でも、私、頑張る。


「へー、そうなんだ」
なんだかひどく興味無さそうな口調で言っていましたがこの子の癖なのでもう
慣れてます。
本当は興味津々なんですよ、多分。
「じゃあ、あゆの妹とそのナンパくんがラブラブカップルで、
なのにあゆの方に浮気したんだ」
うーん、多分そういう事だと思いますよ。
ネギラーメンをすすりながらコクリと頷いた私を見て一言、
「大変だよね、あゆも」
それは分かってます。
だからこうして頭の中が動乱状態なのです。
「あゆって男友達あんまりいない癖に妙にモテるよね。
まぁ、そこそこ可愛いからね」
あら、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。
私、褒められると鼻の下が伸びちゃうタイプなので。
「でも、そのナンパくん…瀬野さんだっけ?
なかなかやり手だよね。目立って可愛いようなワケでもなく
かといって妥協したワケでもなくあゆを選んだんだからね」
それは、紺野の阿呆が言っておりました。
私ってそんな微妙な立ち位置にいる人間なのでしょうか。
なんか嫌な感じ。
「私ね、そういうタイプの子が一番羨ましいなーって思うんだ。
目立って可愛いワケでもないからみんなにチヤホヤされたりしないしね。
ダイヤモンドじゃなくて原石に憧れてるんだ」
私は…原石?
お化粧して、お洒落して男にチヤホヤされてる女の子たちがダイヤモンドなら、
素肌を晒して、部屋着寸前な格好の私は原石。
私のお友達もみんな、原石。
「でも、あゆの妹はダイヤモンドだよね」
水を飲み干して、空になったコップを見つめて理沙は言った。
私は原石、
あの子はダイヤ。



私が高校一年の時、中学2年の妹はおめかしして学校に行っていたのをよく覚えています。
学校はお洒落する場じゃありませんよ、としつこい位に母は言ってあげましたが妹が耳を貸すワケがなかった。
予兆はありました。
その原因もまた、私なのですから悲しいですが。
妹のお友達、苗字は忘れましたが、小西ちゃんとかなんとか言ったか、
まぁどうでもいいですがその子が私の家によく出入りしていたのです。
妹が小学6年になってもまだその子と部屋でおままごとみたいなのをしていて私は正直言って心底呆れていました。
その歳でおままごとなんて楽しそうね、って時々毒を刺したこともあったのですが2人は私の言うことを単なる戯言だと受け止めて下らないおままごとをしていたのです。
ある日、そのお友達の女の子に質問をされた事がある。
「さゆのお姉ちゃんて小ちゃい頃おままごととかしたことある?」
うーん。
思い出してみました。
でも、思い返してみると私の頭の中はあまり晴れやかでも華やかでもない幼少時代の記憶しか出てきませんでした。
カビ臭い押入れの中でお友達と怖い話をしたり聞いたりした。
自室で1人漫画を描いた。
近所の猫を追い掛け回した。
隣町まで行って橋の下を通過する新幹線を1人黙々と見ていた。
可愛いお友達みんなでおままごとしたことは。
ない。
馬鹿らしいと思ってた。
幼稚園児の時なんて砂山で小さなスコップ片手にトンネルを作ったりして遊んでいたのですからね。
おままごとなんて。
おままごとなんて。
大っ嫌い。
でも、その子は思わぬ事を口にした。
「だからお姉ちゃんお化粧してないんだ」
「え?」
「おままごとした事ない子はね、おめかししないんだって。
お友達が言ってたよ」
ゾッとしました。
怖い子ども。この子は、悪魔の子か。
この子の名前は。
悪魔ちゃん。


中学に入学した時には妹の身なりは周りの子に比べると大分洒落てると言いますか、
わざとなのか知りませんがちょっと差をつけようとしているのかな?と思ってしまう事が時々ありました。
それはお洒落とかそんなことに疎い私にだって分かるのです。
水色の可愛らしいスクールカバンを持っていたり、
茶色のローファーを履いている子なんてあまりいないですよね。
それから髪型もよく変わるのです。
黒いサラサラのロングヘア、おかっぱのようなサラサラ頭、すこしだけ髪を染めたこともありましたし、クルクルカールヘアーにしたこともありました。
おしゃれ童子。
妹は、まさにそれでした。
妹の学校での振る舞いをそこまで見ていたわけではありませんが、
一挙手一投足全てに気を使っていたのかもしれません。
少しずつ妹が私と離れていく。色んな意味で。
お洒落になって、可愛くなって、私と違って色々なお友達と歩いてる。
自分が何を好きなのか理解できている。
いつか妹が私の前から消えてしまいそうなほど、急速に。
消えてしまうのは私でいい。



「それじゃあ、あゆは今日うちに泊まる?」
うむむ。
迷いました。
でも、私の持論の一つとして寝るなら自分の部屋の暖かいベッドが良い、というものがあるのです。
これだけは譲れませんからね。
「変わらないね、あゆも」
そうね。
大切なのは変わってくこと。変わらないこと。
どっちなのかしらね。
「あ、もう帰る?ちょっと待って」
と言うと理沙は何かをメモ用紙みたいな物に書き書きしていました。
はい、と渡してくれたメモ用紙には電話番号。
ここのお店の電話番号?と聞くと理沙は
「馬鹿だなぁ。私のケータイのだよ。
暇な時とか何かあった時はかけなよ。いつでも出れるって訳じゃないと思うけどさ」
馬鹿とはなんですか、もう。
でも、そんな理沙さんがやっぱり好きです。
「あたしまだ仕事やらなきゃだからさ。
妹とケンカしないようにね」
分かってますよ。
素敵な妹さんですからね。



私の住む団地の前にパトカーが止まっていました。



家に帰ると両親と警察官がいました。
父は私を見て一言「小百合がいなくなった」と言いました。
放心状態になりかけました。
父の隣にいる母は最早呼吸をするのもやっと、という様にも見え心苦しかったです。
でも、と私は考えました。
いなくなった、というけれど。
すぐに、それこそ明日の朝にはひょっこり帰ってくる気が何となくしました。
私は先ほど妹が優希くんとケンカ紛いのことをしているのを見てしまったのですからね。
おそらくはあの後、妹は誰かお友達の家にでも泊めてもらってるのではないだろうか。
そして、今頃はその子に優希くんの愚痴やなんやらを話しているに違いない。
と考えていたらこのことを両親や警察官に話す必要があるなと思いました。
なんてたって、あの2人のちょっとした事件を見てしまったのは私だけだったのですから。
父も母もそのことは知らないはずでしょう。
ましてや彼氏がいることなんて。

事の詳細を、まぁ結構推測が入ってるのですが、それを話し終えたら両親は
なるほど。といった事を神妙な顔をして呟き、
警察官はまた何かあったらご一報ください。と言い帰っていきました。
事件性ゼロといった所でしょう。
実際、私もそう思っていますからね。
「まったく。お騒がせな奴だ」
父が言うのを尻目に私はもう眠いので自室に戻りベッドに倒れ込んだらすぐに眠ってしまいました。
思えば私は今日何杯ラーメンを食べたのか。


 珍しく夢は見ませんでした。
朝の6時に目を覚まし昨日の出来事を順々に復習してから顔を洗い、
トイレで用を足しました。
まだ8月なのに今日はやけに肌寒いです。
これでは10月並ですよ、まったく。
リビングに行くと母が一人でテレビを見ていました。
父は私が起きてくる前に家を出るので、
朝はいつも私と母と妹の三人なのですが困った事に今日は二人きり。
「あの馬鹿娘が出てくるんじゃないかって思うとニュースも迂闊に見ていられないわね」
母はお皿に盛ったコーンフレークに牛乳をかけながら言いました。
その牛乳は私が買ってきた牛乳ですね。
まさかコーンフレーク用だったとは、びっくりです。
「あゆ、今日はあんた好みの番組があったわよ」
母は言いながら私に朝刊を私を見ずにテレビを見ながら渡しました。
テレビ欄をムムムと凝視していますと「夜の7時よ」と母が付言しました。
あ、と思いました。
(東京心霊大百景 
北千住アパートの謎
下北沢の一角に眠る廃屋
八王子トンネルの怪
東京都 地図から消された村)
八王子のトンネル?
これは私が昨日行った場所ではないか?
あそこが本当に真っ当な心霊スポットだったとはこれまた驚きである。
紺野はあまり信じていた様相ではなかったのだが。
念のために紺野に番組のことをメールで教えると返信がきました。
「知ってるよ、だって私も出るんだからね」
どういうことですか?



 紺野 麗華さまは謎多き人物である事は私の中では評判である。
まず、所属サークルが何個あるのだかよくわからない。
オカルト研究会なる奇妙奇天烈摩訶不思議なものに属しているのはご承知の通りだが、
風の噂では他にも文芸部、和気あいあいで神聖なボランティアサークル、
料理同好会に入っているそうです。
実際、私と紺野は以前二人でプラモデル製作研究会(プラ研)なるものに見学に行った事がございますが、
研究員の皆様、第二次大戦の戦闘機なんぞに興味はない、といった風情でしてガンプラを制作為さっていたので少々失望致しました。
そんな中で一人黙々と(プラモデルは通例一人で作るものですが)紫電改を作っていた男子がいたのがせめてもの救いでしたが、とうとうそこに加入することはありませんでした。
それに比べて紺野さまはまんざらでもないといった様子でしたから彼女は加入したのかもしれません。
全ての答えは風の中ですが。
 私たち二人似たもの同士ではありませんが、
学部学科だけは同じで二人仲良く外国語学部の英語学科に属しております。
紺野さまのお友達は学部学科を飛び越えて、多岐に渡るサークルの細部まで行き渡っていたようですが
私の場合は学科の中でもごく一部に留まっておりました。
周りから見れば八方美人な美人と物静かで清楚な乙女のように映ったかもしれまんね。
こんな正体不明なお友達と一緒にいるこれまた正体不明な私ですが、
決して外界との接触を断絶していた訳ではないことはあらかじめ言っておきます。
あしからず。
 私の通う大学の、特に外国語学部にはとにかく変人様が多い事が何よりの評判でした。
その変人にはあの忌々しいオカルト研究会の連中もいるようです。
というか私のクラスにもいます。
数度その研究員、名を古淵と言ったかと思いますが、
イマイチ判然としないのですが…まあその人からオカ研への加入を催促されたことがあります。
八王子トンネルに行ったときもちょろっとその旨を伝えられましたが、
やっぱり入りたいと思う気はないのが現状です。
サークル、部活、同好会なるものに一つも属していない私ですが、
オカルト研究会で4年間を過ごすのは少々気が引けてしまうのです。
古淵くんには悪いのですが。
 紺野さまはあのトンネルをこの古淵からその正体を聞かされたようです。
「面白い場所があるんだ。幽霊トンネルの話はもうしたよね。
最近調べてみて分かったんだけど、この大学の近くにあったんだ」


 結論から言うと幽霊トンネルで幽霊は出なかった。
私が同行する以前に研究員たちでカメラを持って行ったらしいが、
後日フィルムには幽霊も幽霊らしきものも変な声も入っていなかったようだ。
その翌日、またカメラを持ってそのトンネルに行った。
その日、紺野は幽霊に化けたらしい。
他の部員の女のコも幽霊ボイス担当として声を吹き込んだらしい。
オカルト研究会とは名ばかりのオカルト演劇同好会ではないかと思ったし、
この事をあいつら研究員どもに否定される筋合いもないだろう。
奴らは嘘つきだ。
嘘つきは泥棒のはじまり、廃絶せねば。
しかし、私がやつらを甚振る前にテレビの特番の一環として幽霊トンネルは放送されてしまう。
一環といっても10分程度らしいのでテレビ局もそこまで重要視していないらしい。
というかフェイクだってことはもうお互い承知なんじゃないのか。
何でそこまでしてあの小汚いトンネルを幽霊トンネルとして仕立て上げたのか。
ただ分かった事は一つ。
あの場所に幽霊はいた。



 何人かの数少ない私の友人に今夜の心霊特番を見るように伝えました。
プラ研でちょっとだけ仲良くなった紫電改を作っていた暇人の斎藤くん、
幽霊役の紺野やオカ研の古淵が番組を見るのは当たり前として、
ラーメン屋での仕事が忙しい理沙が今日は非番だったのが幸いでした。
今夜は一人自宅で見るのは心許ないので理沙の家に出張することにした。
 昼の一時を過ぎても妹は帰ってこなかった。
妹に連絡を取ろうにも彼女の携帯はこの家のリビングに置きっぱなしである。
ということは。
妹の携帯の履歴は今、私がいくら見ても良い訳だ。
自分でもお下品だなあ、と思いつつ携帯電話の着信履歴や過去の受信メールを見たりした。
妹と私にはお互い夜更かしという共通点があって、
二人そろって朝は憂鬱な顔をしていた。
そんな憂鬱顔を妹はお化粧で上手くみんなをだまくらかしていたのかもしれない。
メールの受信ボックスを開いて下へ下へといくと、
「瀬野くん」
という名前が眼に入った。
「じゃあ十時半に相鉄ローゼン前の木の下で待ってるね」
私と優希くんがあったあの日、この二人は会う約束をしてたのか、とすぐに感づいた。
暇だから彼女の私物から優希くんの有益な情報を探し出そうと思った。
しかし、彼女の部屋にある私物の中で特にこれだ、というものは中々ありそうになかった。
化粧用品や投げ捨てたように乱雑に積み重ねられた教科書の他には…。
卒業アルバム。
自分の卒業アルバムすら開かない私ですから妹も卒業アルバムを持っていた事を忘れていました。
なんてドジなんでしょう。
 妹の中学の卒業アルバムはその太さで言えば少年ジャンプの半分程度ですし、
クラス数も私の中学在籍時の5クラスのままのため、
特定の人物を探し当てる事は容易であった。
妹の3年時においてのクラスは分からないので一組から順々に見ていこうと思ったら、
その表紙にはご丁寧に3年1組と書かれていた。
1組の出席番号6番目に恩田 小百合の名前があった。
その1組の中で優希くんやその他何かしらの情報がないかと思ったが特になかった。
ただ1組の担任は私の3年時のクラスの担任と同じだ、という事だけだった。
確か、この先生は去年教員を辞めたらしいのですが。
妹がそんな事を言っていたのを覚えています。
ペラペラめくっていくとようやく4組の出席番号13番目に瀬野 優希の名前があった。
この頃から端正な顔してんだな、と妙に関心しているとその隣の出席番号6番の子に眼がいった。
小西 彩奈
私の妹と二人仲良くおままごとしてたあの小西さんという子だった。
瀬野くんと同じクラスとかいう接点があったなんて。
ここでちょっと思った事がある。
妹はこの小西の家にいるんじゃないか?
今の高校の友達の家に行っているかもしれないが、
でもあの深夜にわざわざ時間をかけて電車に乗って高校時代の友達の家に行くだろうか。
それに比べて小西さんとは小学校以来の仲なのだし、
親も小百合のちょっとした言い訳にだって寛容なはずだ。
軽い推理をしてみたが、ここでちょっとした問題が発生した。
私は小西さんの家を知らない。
妹の携帯には小西彩奈の携帯番号があるが、
家の電話番号までは乗ってなかった。
小西の携帯に電話をかけても切られたり着信無視されるのが関の山だろう。
試しに、今日は一日休みのため家事をしている母に小西さんのことを聞いてみることにした。
「ああ、小西さんの娘さん?元気かしらねえ」
早く本題に入らねば。
家に行きたいんですが。
「家までは知らないわねえ…」
だめか。
「あ、そういえば。年賀状がまだ残ってたかしらね…」
年賀状?
こういうのはまずは聞いてみることが第一である。
どうやら良策であったようだ。
母は10分程度引き出しに入れてあった過去の年賀はがきに入念に目を通していった。
合間合間に私の知らない母の知り合いからの年賀状を見つけては
「懐かしいわねぇ」
なんて言っていた。
早くして欲しい物だが急がば回れだ。
あれ?でも善は急げとも言うしな…。
「あ、これかしら?これね、はいはい」
そう言って渡してくれた年賀はがきには「小西 彩奈」
の文字があった。
ビンゴ。
住所を見るとどうやらここから歩いてすぐのようだ。
私は素足のままコンバースのスニーカーに足を突っ込んだ。



 外気に触れてもさほどムアッとこないのが8月下旬の取り柄なのかもしれない。
7月から8月中程にかけての茹だるような暑さはどこへやら、
昨日はまだ蒸し暑かったけれど、今日の天気はいささか我慢できるものである。
 小西宅は私の城塞から徒歩五分程でして、歩いて日焼けしたり、
バスに乗って無駄金使うようなことにならなくて助かった。
小西さんは緑色の小振りなアパートに住んでいて、
その壁の緑色は先週にでも塗り替えたのかというくらい奇麗な緑色をしていた。
本当に最近塗り替えたのかもしれない。
小西さんの部屋は一階の端、103号室であるようだ。
表札には小西とあり、その下の気木製プレートには家族全員の名前がローマ字表記で記載されていた。
その中には、勿論「AYANA」の文字もあった。
呼び鈴を押すと部屋の中から呼び鈴の反響する音だけが聞こえる。
口実は考え済みだ。
妹の携帯電話は持ってきたからそれを忘れ物ですよ、と届けるのだ。
携帯を忘れ物として渡す。
あくまで帰ってこいとは言わない。
帰ってこい、とだけ言うよりは無言の抗議的な意味としてこちらの方が効果的に思えたからだ。
呼び鈴を押してから15秒程経過した時に中から痩せ形の女性が姿を現した。
この人物があの小西彩奈だろうか?
にしては少しスラッとしていてしかも私より年上のように見える。
「あの、小西彩奈さんはいらっしゃいませんか?」
思い切って聞いてみた私にその女性は予想を上回る事を口にした。
「一週間前から行方不明なんだよね」
私は耳を疑った。
そしてその女性はポッキーを食べていた。



 詳しく教えてください。
懇願する私に彼女は質問を一つだけした。
「で、あんたは誰よ。名乗ってからそーゆーのは聞いてよね」
こりゃ失敬。
名乗り、私の妹が昨日から消息不明なんです、と詳細を若干省きつつ説明すると彼女はその場でサンダルを履いて外に出てきた。
「私もあんたの妹のことは知ってるからね。
詳しくはどっかで話そうよ」
そうですね。
でも「あんた」はやめてください。
怖いです。
ふと表札のプレートを見ると四人の名前があるが、
「AYANA」の一つ上に「NANA」と書いてある。
お姉さんらしいが小西彩奈にお姉さんがいたことは初耳である。
「すぐそこの公園で座って話そ」
昨日の晩に優希くんと行ったいずみ台公園の、
ブランコのない逆側の広場のいくつかあるうちのベンチの一つに腰掛けた。
周りにはパターゴルフをしている地元のおじちゃんおばちゃんたちがいるだけだ。
 「私は奈々っていうんだ。彩奈の4つ上なんだ」
4つ上で私より先輩の奈々さんは私の妹の事を妹が小学校の頃から知っていたようだ。
ただそれほど話をしたことはないらしい。
でもそんなことより。
彩奈さんはどうしちゃったんですか。
「ああ、彩奈?よくわかんないけど、なんか遠くに行きたいみたいな事言ってたな」
もの凄く他人事のように仰いますね。
どうも奈々さんと彩奈は仲がよくも悪くもないというそれはそれは微妙な関係のようで。
「でもこの前二人で八王子の方に買いものに行ったんだけどなー。
そんなに仲悪くはないと思うよ。まあ、この前って言っても2週間も前なんだけどさ」
八王子ですか、私の大学の方ですね。
とは口には出しませんでしたが。
「どうでもいいけど、うちの妹はものすごく廃墟とか心霊スポットとかに凝っててね。
見た感じはただのお洒落大好きな女子高生なんだけどね」
心霊スポット?
詳しく聞かせてください。



 
 私が高校二年に進級した時、妹は中学一年だった。
その頃になっても私と妹は特別何か会話をするでもなく、
かといって喧嘩していたという訳でもなく、というこれ以上の親睦を築くのは無理かと思われていた。
そもそも、私と妹の趣味やらなんやらが全くもって違っていたのだから無理もない。
私はお菓子はいくら食べても太らないという女友達からは裏で妬まれるタイプで、
妹は年がら年中ダイエットを口にしていたがお互い世間的に見ても個人的にもスマートだった。
妹にはプラモデルを作るというなかなかの男勝りな趣味を持っていて、
妹の友達の影響があるらしいのだが誰なのかは教えてくれない。
どうせ男友達だろうと思っていたし、そのうちどうでも良くなってきた。
生憎、私にはプラモデルを作る趣味はない。
代わりに私にはお菓子作りという、まあ女のコっぽい趣味があるのだがこれについては殆ど秘密にしてきた。
高校時代、クラス替えなんかの度に自己紹介があったが毎回クラスに2、3人はお菓子作り大好きちゃんがいて、みんなイケイケな感じだったりぶりっ子全開だったりして、その態度には少し鼻についた
私はそういうタイプの人間ではないし、クラスメイトにも「なんか冷たい感じ」「素っ気ないよね」
なんて言われていた。
裏ではもっとひどい事を言われていたらしい。
 それに比べると妹は安静な暮らしぶりをしていた。
八方美人ではないらしく時々毒を吐いてしまうらしいが、夕食時に家族と話す妹の話題に友人の名前が尽きる事はなく、その中には小百合の名前もあった。
妹は嫌いじゃなかったけど、妹の話し方はあまり好きではなかった。
話の中にやたらと人名が出てくるのだ。
それが例えばアイドルの名前や芸人の名前なら良いのだけれど、
全員妹だけが知っている名前で私も両親もその相手を知らない。
それでも私の両親は妹と楽しそうに会話していた。
やはり、私より年下で可愛らしい妹と話をすること事態が両親にとっては楽しかったようだ。
私みたいないつもいつでも不機嫌そうな顔をしている姉よりは妹の方が目の保養になるらしかった。
牛乳をコップに注ぎながら母が言った。
「たまには二人で出かけてみてはどうなの?」
それを言われて妹は不満げな顔をした私の顔を覗き込んだのです。
「だめ?」
母が言いました。
私は考えました。
思い返してみても、最後に二人きりででかけたのは遥か昔の事、
わたしが中学の時にでかけたかどうか。
二人きりで過ごした時間なんてわずか。
「暇な時に行ってみたら?まあ強制はしないけど」
母は私に期待しているみたいでした。



 あくる晩、私はネットで神奈川県内や東京都内のおもしろそうなスポットを探してみることにしました。
私は遊びなれていないため、県内で安いカラオケ屋や長居できるカフェの在り処なんぞ知らず、
ましてや無料で涼める場所なんて図書館しか知らない私は知らず知らずのうちに
こうして全ての知識をネットに任せなくてはならない事態に陥っていたのです。
しかし。
妹と二人でカラオケに行くのか?
私が妹が歌う歌に興味がないように妹も私の歌声なんぞには興味のかけらもないだろう。
第一、カラオケっていうのは遊び場所に困った中高生が行く場所じゃないか。
ここでカラオケを選んだら負けな気がする、という妙な強がりが私にはあった。
妹にカラオケなんて言葉を出したらどうせ
「別にカラオケでもいいよ」
なんて言われるのがオチだろう。妥協はしたくない。
次に私の脳内に浮かんだのはボーリングであったが、
これは二人きりではひどくつまらない気がした。
二人きりでボーリングっていうのはカップルにのみ許された特権ではないのか。
却下。次。
ここで私は思った。
強制しないって言われたのに何で私はこんなにムキになってまで考えているのだろう。
持ち前の意地っ張り精神と本当は遊びたいんじゃないのという脳内に存在するお二人さんの私が殴り合いの格闘をしていた。
どっちも勝て、どっちも負けろ。
負けた私をぶっ殺せ。
みんなの為だぶっ殺せ。



 生来、意地悪気質であった私は度々そのちょっとした悪事を他人に仕掛けては密かに楽しんでいたという、
変態が匂い立つ野蛮な娘であったが、今回もその例に則ってしまった。
適当にどっかそこらの心霊スポットでも行ってみない?
下調べはすでにしていた私が言うと妹は嫌だ、というような顔はしなかったが
「それでもいいけど、他には何かないの?カラオケとか」
「カラオケなんていつでも行けるでしょ。これはお姉ちゃんの命令だから。
上司命令は絶対なんだかね」
まあ、いいかな、というような顔をしていました。
相変わらず妹はよく妥協をする。
でも、妥協こそ友人関係を円滑にする方法の一つなのかもしれない。
「それで、どこに行くの?」
「聞きたい?」
うん、と妹は純粋な幼稚園児みたいな顔して言ったのです。
「厚木にある廃病院」
ふーん、て顔はしていたけどちょっと焦りの雰囲気が出ていたのを私は見逃さなかった。
そして私も内心、怖かった。
   



 それで、幽霊は出たんですか。
私は内心色々なソワソワを抱えつつ奈々さんに聞いてみた。
「いや、出なかった。うん、あそこは単なる廃墟で幽霊さんなんていなかったみたい」
私のなあんだ、という気持ちをしたのを察したのか奈々さんは
「でもね、それから妹とは何回かそういう所に行ってみたけどね、
一回だけ出た事があるんだ」
一回?
「あれはどこだったかなあ。東京のどこかのトンネルに行ったら、
出たんだ。彩奈ー、って誰かに呼ばれたって。
勿論私は呼んでないよ?あのときは妹の冗談かな、と思ったけど正直怖くてね。
だから私はもう怖い所に行くのはやめたんだ」
健全ですよ。
怖い所ばかりに行っては健康を害しますからね。
健康第一です。
「でも、妹はそれが原因でハマっちゃってね。
困ったよ。妹がオカルトマニアになっちゃったのかと思うとさ。
ま、全然私生活に影響はなかったみたいだけどさ」
それはそれは。
御愁傷様といった感じですが。
「まあ、今も多分どっかで心霊スポットツアーでもしてるんじゃないかな。
そうじゃなくとも一人旅みたいなね。
あ、ていうかごめんね、もうそろそろでバイトだからさ」
あら、そうなんですか。
それから奈々さんとは緊急用のために連絡先を交換しました。
あと一つ。
今夜、面白そうな番組がありますよ、ぜひ見てください。
「あなたが出るの?」
そんな馬鹿な。


 理沙の家に向かったのは夕刻のことでした。
夏の夕日にヒグラシの鳴き声が重なり、切なさだけが積み重なっておりました。
不安感はありませんでした。
ただ今夜のテレビに対しての妙な楽しみ、のようなものだけがありました。
紺野さんたちの愚行が日の目を見るとなるとそれはそれは興奮してしまいますね。
オカルト研究会のくせして幽霊の正体を偽っていたとはなんたる冒涜か。
恥を知れ、と罵ってあげたくなりましたがやめました。
私らしくもない。
 ピンポン。
夕方過ぎなのに目を擦ってさも寝起きな雰囲気を醸し出した理沙が気だるそうに出てきました。
一瞬状況を把握できていなかったようでしたがようやく、
「あ、入って入って」
ありもしない借金の取り立てを受けたような顔が私の知ってる理沙の顔に変わりました。
「寝てたんだよね」
知ってますよ、知ってますとも。
「最近おもしろいテレビもやってないからね。
ただ休日は寝るだけって感じ。ほんとつまんない」
そう言って冷蔵庫からオレンジジュースのパックを取り出すと二つのコップにそれを注ぎ込みました。
そのうちの一つを私に渡しました。
黄色いマグカップは可愛らしく、オレンジジュースの黄色と上手く調和していました。
「何チャンネル?」
理沙が時間を聞くようなニュアンスで聞いてきました。
何チャンネルだったっけ。
確かテレ東ですよ。
「テレ東って…12だっけ」
番組開始三十分前なのにも関わらずテレビを付けました。
名前は知らないけど顔は知ってる人が映し出されました。
「テレビってうるさいから元々好きじゃないんだよね。
ワイドショーなんてクソッタレって感じ。
小さな頃は好きだったのに。所詮は子ども騙しなんだね」
すべての子供たちが憧れる夢はみんな子ども騙し。
幽霊番組も立派な子ども騙し。


 早く始まれ、と念じる前にその大問題の幽霊特番が始まりました。
これまた顔だけは知っているアイドルと最近よくテレビに出てくる芸人さんが司会を務めていて、
これだけでもハズレ感が半端なかったです。
幽霊特番の旬は若干過ぎ去ってしまった8月下旬のため、
視聴率はあまり期待できないのかスタジオの装飾はやや地味めでした。
番組は始まれど、なかなか本題には移りませんでした。
ゲストの方の最近の怖い話についたり聞いていまして、
さっさとそんな話切り上げろといったところですがなかなかそうは問屋が卸しません。
「こういうのがあるからテレビって嫌い」
理沙が不満たらたらな顔して言いました。
「こういうのって番組のネタ切れ感出しちゃってるよね。
タイトル詐欺だよ、これじゃあ」
ゲストの一人のあまりにくだらない話、
どんな話かと申しますと、冷蔵庫に入れていたプリンを誰かに食べられたとかいう、とてもとてもくだらないお話が終わると、
「まずはこちらをご覧ください」
と司会を務めるアイドルの若々しい顔付きのお姉様が仰いました。
映った光景に覚悟はしていたものの少しだけ、おっ、となりました。
トンネルが映し出されていました。
あの私が先日訪れたトンネルが。

「幽霊を求めて八王子市内の某トンネルを訪れた都内の大学生たち。
彼らの目に映ったのは薄気味悪いトンネル」
薄気味悪い印象はありませんが。
「メンバーの一人がビデオカメラを持って中へ入っていく…。
果たしてトンネルの中で何が待ち受けているのか」
ただ単に薄暗いだけでしょう。
誇張気味なナレーションを小馬鹿にしていると幽霊さんが現れました。
あまりにも、呆気なく。
キャァァァ、と撮影者の声が響き渡りました。
その声は怖がっているというか、怖がっているのを頑張って演じている声だなというのは私にも分かりました。
それ以上に衝撃的だったのは幽霊の姿。
というかこの白服のお姉さん型幽霊はどう見ても紺野お嬢様ですね、お見事です。
「え、なんかヤラセっぽい」
そう言ったのは隣に座る理沙でした。
というかこんなにはい、登場しましたー!という感じで出てきてはヤラセ丸出しです。
お馬鹿。
でも。
あれ。
なにこれ。
「やっぱりヤラセだよなぁ…。この歳になると子供騙しだ!ってわかっちゃうんだよね。ちょっとガッカリね」
理沙の声が遠く聞こえました。
私の目はその映像の一点に釘付けになっていました。
幽霊役の紺野お嬢様の後ろの辺り。
誰か立ってる。
緑色の服に見える。
誰ですか。
こっちを見てるその人影はどんな顔なのか、わからなかった。


「なんか着信音鳴ってるよ」
その声でようやく我に帰りました。
小西奈々様からでした。
「歩めっちゃぼーっとしてたね。眠い?」
いいえ、そんなんじゃありません。
昨晩は沢山寝ましたからね。
おっと。そんなことより。
はい。
もしもし?
「あ、あの、小西だけどさ。妹が。トンネルに」
妹?
トンネル?
小西奈々様の声は多少、というかかなり上ずっていて少し興奮している様でした。
どうしたんですか、ちゃんと説明してください。
「今のやつ、妹が映ってた。
幽霊みたいなのの真後ろにいたの。
あの服、私のお下がり」
話がややこしくなってきました。
幽霊の後ろにいたのは、もっと怖い存在。
生身の人間の方が怖いというのは実話なのですね。



その後、理沙の家から帰ってきたのは夜の10時過ぎで、
それから20分ほど歩いていずみ台の公園までたどり着きました。
あの後、小西奈々様と直接会って話すためお電話で約束したのです。
場所はいつもの公園で。
いつもの、と言っても今日二回目なだけなのですが。
「現状確認しよう」
小西奈々は開口一番にそう言いました。
「小西彩奈は生きてた。
少なくとも、一週間ほど前までは確実に」
紺野お嬢様のお話によればあの撮影はちょうど一週間前のこと。
小西彩奈は謎の失踪当日、八王子のあのトンネルにいた。
何をしに?
わからない。
でも、何か嫌な予感がした。
私と小西様、二人で夜の公園のブランコに腰掛け静かにブランコを揺らしていました。
「あの子は馬鹿だからまた心霊スポットに行ったのかも」
あそこは心霊スポットなんかじゃないよ。
私がそう言うと彼女は少し驚いた顔をしていた。
というかそもそも小西様って幽霊を信じてたんですね。
あんな似非幽霊を。
「歩ちゃん、だっけ?
私ってこう見えて純粋なの」
少しだけ可愛らしい顔をして可愛い声で可愛いことを言いました。
私、なんだか、あなたの顔を見ていたら眠くなってきた。
小西様、私の素敵な趣味、ご存知ですか?
聞きたくなさそうな顔してますね。



シンナーの匂いでむせ返りそうな部屋の中に一人ぽつんと座っている。
突然の電話に思わず電話に出るのを躊躇ってしまった。
今は夜中の0時なのだから。
またあの意図不明な電話なのでしょうか。
「あの、誰でしょうか」
「ぼく。覚えてる?昨日電話したんだけどね。
どう?君のお友達の調子は」
「あの、迷惑電話なら結構です。
というか私が電話に出てあげたこと自体に感謝してください」
「またまた、そんなことを言う。
君の大切なお友達の欲しいパーツがあったらリクエストしてよ」
「左手首」
勿論、おふざけでした。
どうかしてる。みんな。
電話は一方的に切られた。
今回は私からじゃなくて向こうから切ってきた。
溜息をつくとスマホをテーブルの上に置き寝室に戻った。
朝一番に起きて続きを作ろう。



瀬野優希も行方不明になっていたことを知ったのはそれから二日後の事でした。
小西家は割と放任主義なところがあるし、
私の家の場合も放任主義とまではいかなくとも、
夜遊びやら無断での他人の家への寝泊まりは自由な所がありました。
でも、瀬野家はそうではないらしく、
私の住む団地の一階掲示板に顔写真付きで張り紙がありました。
顔写真は私が先日見た例の卒業アルバムからの複写らしく、
その写真には見覚えがありました。
「ここ最近誘拐犯なんかが多いらしいからね。怖いよね」
私の目の前の席に座る理沙がコーヒーを飲みながらいまいち感情のこもってない声で言いました。
今日は私と理沙の二人で近所の喫茶店に来ました。
ここ最近ラーメン屋ばかりなので、さすがにたまにはこういうところもいいね、という魂胆です。
「にしてもあゆの妹さんに続いて妹の元カレまで行方不明とはね。
ちゃんと捜索願は出したんでしょ?」
出しましたよ、つい昨日のことですが。
そうなのです。
家出にしてはさすがに長過ぎるし、
生意気ですがそれでもカワイイ妹さんなので遂に捜索願を出すに至ったのです。
妹とそのお友達の小西彩奈、それに加えて瀬野少年までも消息不明とは、
なんとも恐ろしい事態ですね。
「それにしてはあゆ、全く我関せずな顔してるよね」
そうでしょうか。でも、よく言われます。
「あゆも警戒しときなよ。
あゆみたいな可愛い子娘を誘拐犯たちは狙うんだからね」
まだ誘拐犯の仕業と決まった訳ではないのですが。
しかし誘拐犯とは恐ろしい。
誘拐した子供の身体をバラバラにしてそのパーツを子供の家に届けるという小説を書いた事がありました。
途中で断念しましたが。
「そうそう、誘拐犯なんだけどさ、
最近あった電話誘拐犯の件知ってる?」
電話誘拐犯?
それはそれは奇妙なネーミングですね。
「あゆは最近の事件とか知らなすぎだよ。
なんか、誘拐するターゲットの子に夜な夜な電話するらしいんだって」
それで、電話に出た子供を捕まえると。
「あゆ、鋭いじゃん。
怖いよね、夜なんかに電話するんだよ。
あたしだったら眠れないよ。
多分こっそり抜け出してお友達の家に泊まりに行くな」
そのこっそり抜け出す、というのを誘拐犯は待ち構えてるんじゃないですかね。
「あ、そっか。
あゆ、誘拐犯のセンスあるよ」
馬鹿言わないでくださいな。
でも。
理沙のお馬鹿のお陰でしょうか。
何かが私の頭の中にぽかんと浮かんできたのです。
事件解決のパズルのピースみたいなものが。


 そうなのです、これは事件なのです。



 あの日の夜中にも、私は部屋で黙々とプラモデルを作っていました。
お姉ちゃん譲りの男勝りな趣味のように思えますが、
手先が器用な私にはよく向いている気がします。
時計の針が9時半を指していました。
寝不足な私はすこしずつ眠くなってきました。
でも、トイレ行きたい。
トイレに行き、用を足している私の耳にテーブルを震わす着信音が聞こえてきました。
怖かったです。
前まではこんな気持ちにならなかったのに。
第六感というのでしょうか。
あの男の声は二回も聞いているのに。
今日の夜は友達の家に泊まろう。
今から会えない?
と友達の瀬野くんに送り、
集合時間と場所を指定して家を出る準備をしました。
携帯電話は、怖いから持っていきませんでした。
そうしてドアノブに手をかけました。
その前に覗き窓から外をそっと覗いてみました。
 男の人の歪んだ顔を見たのはその時だったのです。
魚眼レンズの覗き穴から見たから歪んでいたのでしょうが、
でもこの異質な雰囲気に私は息を飲みました。
仮に私が今、ここでドアを開けたらどうなるのでしょうか。
それ以上にこのドアから私が遠ざかる音に反応してこの男がドアを開けてくる可能性もあります。
私はそっと鍵を閉め、チェーンもかけました。
寒気がするほどの恐怖を味わったのは今日が初めてでした。
サンダルを鞄にしまい込んで、
ベランダからそっと家を出ました。
そうして走って逃げました。
走って走って逃げ出しました。



 駅前のスーパーの近くで待ち合わせをしていたのですが、
彼はとうとう来ませんでした。
まだ心臓がバクバクと脈打っていました。
人間、焦っていると奇妙な事をするもんので、
その時私は何故かウィルキンソンの炭酸水を買っていました。
しびれを切らして硬直した身体のまま歩いていたらお姉ちゃんを見つけたのです。
どうやら私の家の近くまで戻ってきていたのです。
「お姉ちゃん」
と言いかけて私は口籠りました。
「優希くん」
とこれはどういう訳か言葉が口から出てしまいました。
それから、私は興奮して何かを叫んでいたようです。
私は、見てしまいました。
男が2階の踊り場からこちらを伺っていました。
早く逃げないと。
私は逃げました。
走って走って気づいた事は炭酸水が無くなっていること、
お姉ちゃんに怪しい男の事を伝え忘れた事。
私はもと来た道を走って戻りました。
でも、そこにはお姉ちゃんの姿はなくて、
瀬野君の姿もなくて、あの怪しい男もそこにはいませんでした。
そこには、ただ地面に転がっている炭酸水だけがありました。
私はその炭酸水を拾い上げました。
何故かその炭酸水が私に開けてほしいと乞うているように感じて、
キャップの蓋をギチギチと開けました。
炭酸水が溢れて私の腕にかかりました。
そうして、その炭酸水を飲み干すと行く付くあてもないまま、
歩き始めました。
どこに行こうか。
電車に乗り、車内でウトウトしていた私の頭にあったのはシンナーの匂いの心地よさ。
今では香水よりもシンナーの匂いが好きな私は立派なシンナー中毒者。




 元中学教員逮捕
先月中旬発生した女子学生誘拐事件の犯人は学生らの中学時代の担任であった事が発覚した。
容疑者は菊池 英治(49)で現在無職
学生らは二年前に横浜市泉区内の中学を卒業しており、
菊池容疑者もその中学の教員でしたが、
菊池容疑者は昨年、生徒へのセクハラ行為発覚が原因で退職していました。
逮捕時、菊池容疑者は意味不明な供述を繰り返しており(中略)
誘拐された学生3人のうち二人(谷口恵里佳 大西由美)の生存は確認されていますが、
小西彩奈さんの消息は現在不明で、菊池容疑者は山に遺体を埋めたと供述しており、
現在捜索中である


 
 
 私の妹が帰ってきたのは8月の終わり、
失踪してから10日ほど経っていました。
「色々あったわね」
母が妹の帰宅を喜ぶ一方で言いました。
色々あった。
結局、妹は帰宅するのが怖くなって東京の漫画喫茶に寝泊まりしていたのですが、
店員さんに家出したのかとバレたらしく、
通報されるのを恐れて帰ってきたそうです。
帰宅して早々、家の空気は美味しいだなんてほざいておりました。
阿呆な妹の言葉に私は耳を貸しませんでした。
「でも、小西さん、早く見つかるといいわね」
そうですね。
ピンポン
呼び鈴が鳴り、出てみると郵便配達員がいました。
「判子おねがいします」
判子を押し、そうしてその荷物を受け取りました。
差出人 瀬野 優希


 女子学生誘拐事件の行方不明者 小西彩奈さんの遺体が高尾山の山中で発見された。
遺体は激しく損傷しており、頭部、胴体、四肢が切断されて袋詰めされていました。
捜索隊によると、遺体には何故か左手首のみが紛失しているという。
また、袋の中には右足が二本入っており、
犠牲者は少なくとも二人であると見て、現在調査を進めている。

おもひで

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-30

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