自己修正液

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【1】スーサイド

高校三年の8月が終わろうとしていた日、僕は学校の屋上で一人立っていた。
(勉強だけの生活に参った。もうやることはない。もう無理だ。死のう。親が悲しむ姿なんて死んだら見ないから関係ない。)
そう一人でボヤきながらフェンスを越えて縁に立ち、目を瞑った瞬間、僕の体はフワリと地球の重力に引っ張られるように下へ下へと鉛直に落下運動を始めた。
地面のコンクリートが近づいてきて、もう死ぬかな、と思ったその時、僕の体は跡形もなく溶けるようにその場から消えてしまっていた。
さては死ねたか?一瞬そう思ったが、自分で自分の姿を見れない。あたりは暗黒で何も見えない。息はしているが、音が聞こえない。これはブラックホール?そう考える暇も与えずに、鉄板をも焼き切りそうな強烈な光が現れ、辺りは真っ白に包まれた。

【2】最初の修正

いつの間にか自室の布団の上で目が覚めた。ふと手元の携帯電話の日付表示を見ると3年前の4月26日午前6時30分だった。
この日はどんな日だったのかを思い出す。
すると、この日の部活の後に誤って足を滑らせ、左足の甲を骨折するというアクシデントが発生する日だった。
今振り返れば、松葉杖の生活は脇の下の神経を圧迫されて、体力を消耗する大変なものだった。
学校に向かう準備をしている時に筆箱には奇妙なものが入っていた。恐る恐る見てみると、「自分の過去も直せる修正液」と書かれたペンが入っていた。
使用方法には、「消したい過去の出来事を紙に書くか、記録になっているものを上から塗布」と書いてあったので、夕方まで待って試してみることにした。
予定通り僕は足を骨折した。救急で駆けつけた病院で診察を受けて、診察記録の紙をもらったので、家に帰ってからその紙を満遍なくその「奇妙な修正液」で塗りつぶした。
翌日目が覚めると、僕の左足は何事もなかったかのように腫れが引いていて、普通に歩けたし、両親も友達も先生も最初から知らなかった様子だった。
本当に何もなかったよ…
登校し、授業が始まると、何だか眠くなってきた。
クラス担任の授業は眠くなるのが当たり前だったので、特に違和感はなかったが、この時だけは目を閉じた瞬間、何かに呑み込まれて行くような感覚だった。
また最初のブラックホールみたいなところにやってきた。

【3】黒歴史を白く塗り返す

同じようにまた自室の布団の上で目が覚めた。同じように携帯電話で日付表示を見ると、3年前の10月8日だった。
この日は学校の文化祭2日目だった。2つ下の後輩が女子を連れてきたのだった。それで惚れっぽい僕は執拗に追いかけ回して変人扱いされて終わるという悲しい結末だった。しかし、この日僕がLINE(スマホのアプリ)の存在を知り、始めるきっかけとなった。
ただあまりにも恥に満ちた思い出を消したかったので、家に帰った後、紙に出来事を書いて修正液で塗りつぶした。
次の日の片付けで後輩は僕が初めて耳する話のように「知り合いの女子を呼んだのですよ。それで…」と。僕は「おう。まあよかったじゃないか。頑張れよ。」と軽く返し、それで済ませた。これでよかったのだ。
これでみんな揉めなくて済んだ。この段階できっちり気持ちを清算できてよかったのだ。
1週間後の英検2級の一次試験では現実の僕は全く勉強していなかったので当然のことながら不合格だった。だけど、またしてもアノ「修正液」を試してみたくなったので、返却された個人成績票の合否欄を白く塗りつぶし、上からボールペンで合格と書き換えた。しかし、中途半端な英語力である自分が許せなかったので、やっぱり白く塗りつぶした。
8か月後、僕は高校に進級し、リベンジで受けた英検はあと1点であっけなく落ちた。
1点のためにまた受ける自分が馬鹿馬鹿しく思えたので、今度こそは成績票の不合格を塗りつぶして合格に書き換えてやった。そしたら、合格したことになってて僕はそっと胸を撫で下ろした。ズルいなんて微塵も思わなかった。ただただ誰も困らずに終わってよかったのだ。
結局夏休みのニュージーランド留学でなかなかの英語を発揮できたし、夏休み明けの模試の英語の偏差値がグンと上がったので、いい罪滅ぼしになったと思うのだ。
それからというものの、現実の僕が経験してきたものより楽しく充実した毎日だった。
特に彼女ができたわけでもなかったが、それでも楽しかったし、学力もうなぎ登りに上がっていった。

【4】自分以外の運命は変えられぬ

月日は流れ、高校二年はあっという間に過ぎ、受験勉強は本格化し、高校三年になった。
最初の模試でひどい結果を出し、判定は全てEで正直死にたい気分でいっぱいだった。
こんな時、やっぱりアノ「修正液」で書き換え、それは定期試験の点数や順位の書き換えにまで及んだ。誰も咎めない。むしろすごいと褒めてくれる。最高だ。
そうこうしているうちに、「修正液」は底を付いてきた。そこで、僕はあることを思い出した。
(そういえばあと3週間で祖母は膵臓癌で亡くなってしまう。まだまだ話したいことはたくさんある。これだけは修正しておかなければ...)
僕は急いでメモ帳やカレンダーに葬儀と書いて白く塗りつぶした。
残りのインクを調べるべく、「修正液」のインクボトルを振った。すると、ボトルが弾けて、黒いドロドロとした液体が出てきてあたりを真っ黒に染め、すっかり暗黒の世界になった。
嫌な予感がした。そして、初めての時と同じように強烈な光が入ってきた。
またして、自室の布団の上で目が覚めた。手元の携帯電話の日付表示を見ると、3週間が経っていることに気がついた。しかもこの日は祖母の告別式の日だった。
やはり塗りつぶしても自分以外の人の運命を変えることはできず、逝ってしまった。
僕は急いで制服に着替えて家族と斎場へ向かう準備をした。
周りで起きていることは変わらない。
参列者は僕が自殺前に見た芳名カードのリストのままである。
住職も同じだし、焼香の順番も何もかも変わらない。
恐ろしいことに火葬されて残った骨も同じようなばらけ具合で、精進落としの席順も料理も全く同じ。
やり直しでもなんでもない。
いったい、どうなってるんだぁぁぁ。
しばらく僕は変な感覚に苛まれた。
ここで「修正液」を使い果たしてしまった僕はもう何もしようがなくて、自殺前同様に受験勉強に明け暮れる日々を過ごした。
そしてまた、8月31日という日が来てしまった。
途中までやり直せたはずの人生がまたして憂鬱まみれのものと思えるようになった。
僕は望んでいなかったけれど、また学校の屋上に行かざるを得ないほど精神的に追い詰められていた。
そうして、フェンスを飛び越えて地面に向かってダイブするのだった。
またあの時と同じようにループしたのだった。


後悔したことを今更直そうと思ってもしてしまったことは元には戻せないのだ。
過去を受け入れて生きるしかないのだ。
過去を愚痴るよりも未来を無限大に膨らませるしかないんだ。

自己修正液

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  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-28

Copyrighted
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  1. 【1】スーサイド
  2. 【2】最初の修正
  3. 【3】黒歴史を白く塗り返す
  4. 【4】自分以外の運命は変えられぬ