雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。 【スピンオフ3】

雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。 【スピンオフ3】

~ スマイル・ジンジャーマンクッキー ~

 
 
 『甘えられないトコに行くんだから~・・・』
 
 
 
そうナツに言い放って、すぐには帰らないと宣言したあの日の自分の言葉を
アキはひとり、思い返していた。
 
 
その日アキはホームステイ先のいつまで経っても慣れない自室のベッドに突っ伏して
ひとり、声を殺して泣いていた。

枕に押し付けた顔。哀しくすすり泣くその声は、水鳥羽毛に吸収されくぐもって響く。
硬いベッド、ムダに大きいフカフカすぎる枕、脂っこい料理、早口なガイジン。

この国が、嫌いになりそうだった。
あんなに憧れたこの国のすべてが、大嫌いになりそうだった。
 
 
慣れない環境、聞き取れない言葉、伝わらない気持ち、たったの一人でさえもいない知人。

完全に打ちのめされていた。 帰りたくて帰りたくて、無意識に口から洩れる言葉は
『ナツぅ・・・。』 そればかりだった。
 
 
ステイ先には同じ日本人がひとり居ると、事前に聞かされていた。

それだけで、どこかホっとしていたアキ。
出発前からそれがどんな人か想像していた。
 
 
 
 
  (同年代の女の子だったら心強いけど、

   もし男の子でも、ダイちゃんみたいなタイプならいいなぁ・・・。)
 
 
 
 
しかし、その日本人は外国人よりも冷たくて、素っ気なくて、意地悪だった。
 
 
 
 『ぁ・・・ はじめまして。 お世話になります、オノデラ アキです。』
 
 
 
初日、緊張の面持ちで笑顔を作り自己紹介したアキに、
 
 
 
  ”留学してんだから、英語で言えば? ” 
 
 
 
流暢な早口の英語が返ってきた。 日本語で返事をされると思って疑わなかったので
耳に飛び込んできたそれに、所々しか聞き取れなかったアキ。

それは、シュウと言う名のアキより1才年下の男子だった。
痩せて不健康そうな青白い顔、鋭い目つき、決して笑わない真一文字の口角。
3年の予定で留学しているらしい彼は、1年遅れでやって来たアキに冷たい目を向ける。

もしかしたら日本語じゃないからキツイ感じに聴こえるのかもと、アキはその後も
なにかとシュウに話し掛けたが、彼はいつも決まって早口の英語で突き放す。
 
 
 
 『ナツぅ・・・。』 
 
 
 
アキはシュウに打ちのめされた夜はいつも、ベッドに突っ伏して泣いていた。
ステイしてからほぼ毎夜、泣いていた。
 
 
 
現地の新学期が始まるのは9月。

それまでの間アキはステイ先の家の手伝いをしたりして、少しでも環境に慣れるために
早目に現地入りしていた。
それを勧めてくれたのはホストファミリーの老夫婦で、その間もしっかりサポート
出来るからと言われ安心してやって来たのだが。

そんなアキの世話係は、冷たくて意地悪なシュウだった。
 
 
 
 ”日本語使うな! ”

 ”甘えるな! ”

 ”なにがなんでも、ジェスチャーででも伝える努力しろ! ”
 
 
 
連日シュウに早口英語で怒鳴られる。

怒鳴られて萎縮してしまって ”もっとゆっくり話して ”の一言さえ言えなかった。
アキはシュウのことが大嫌いだった。

今まで誰にも意地悪もされた事なければ、そんなキツイ口調でまくし立てられた事もない。
人間関係で嫌な思いをした事など、17年間生きていて一度も無かったのだから。
 
 
ステイ先の老夫婦がアキを心配して声を掛けるも、なんて言われているのか分からず
ただアキは首を横に振って愛想笑いを向けるだけだった。

英語が怖くなってしまって、単語ひとつもまともに返せなくなっていった。
 
 
 
 
9月になり、遂に交換留学がスタートした。

そこはシュウが通う学校とは別のところだった。 例え同じ学校だったとしても、
なにかあっても助けてくれるような人ではないし、いてもいなくても同じだった。
むしろシュウにいられるとビクビク怯えてしまいそうだから、別の学校という事に
ホッとしていた。少しでもシュウとは離れたかった。
 
 
一人でも日本人がいてくれればというアキの願いは呆気なく打ち砕かれ、クラス内に
日本人はおろかアジア系すらアキひとりという事実に、絶望感すら憶える。

初日。 みなアキを気にして話し掛けてくれるが、早口なネイティブ英語に全く耳が
追い付かずただ情けない顔をして愛想笑いをするのが精いっぱいだった。
 
 
 
 
  (帰りたい・・・。)
 
 
 
 
そればかり毎日毎日考えていた。
交換留学が終わるまであと何日かを、先のカレンダーを何枚も何枚もめくって数えた。
 
 
 
数日経った頃のこと。

気が付くとクラスの子たちが、やたらとゆっくり発音して話し掛けてくれるようになった。
ジェスチャーを入れながら、まるで小さな子供を相手するように話してくれている。

それでも聞き返すことは多かったが、通常の速度でしゃべられるよりは格段に聞き取れる。
アキも下手くそな英語で、身振り手振りを交え懸命に伝えようと努力した。
そのお陰で少しずつ少しずつ友達が増え、まだ少しぎこちないけれど笑顔が戻りだしていた。
 
 
 
 
 
それは、ある雨の夜の事。

自室で和英辞書に目を落としていた時、突然、胃の痛みに体を屈めたアキ。
少しベッドに横になって様子を見て、ダメなら胃薬でも貰おうと思っていたのだが
弱かった痛みはどんどん我慢出来ない程強さを増していく。呼吸するのすらツラく苦しい。
 
 
 
 
  (ご夫婦に、言わなきゃ・・・。)
 
 
 
 
そう思いつつも、
 
 
 
 
  ( ”胃痛 ”ってなんて言うんだっけ・・・。)
 
 
 
 
腹部を押さえ、顔を苦痛に歪ませるアキは机に置いてある辞書まで手を伸ばすことが
出来ないほど痛みに苦しんでいた。
 
 
 
 
  (えーっと・・・  ”belly ”じゃなくて・・・ えーっと・・・。)
 
 
 
 
どんどん脂汗をかいていく体。自分でも気付かぬうちに小さく呻き声が漏れていた。

血の気が引いてゆくようにガタガタ震える体。 だんだん遠のいてゆく意識の中、
誰かに怒鳴られたような気がして、ふっと意識が戻る。 

痛む胃を押さえながら、薄目を開けるとシュウが真っ赤な顔を向けている。
アキの上半身を抱えるように起こし、肩をつかんで揺さぶっているその大嫌いな怖い顔。
 
 
 
 『いいから、日本語で言えって!!!』
 
 
 
 
 (あー・・・ また怒られてる、私・・・

  この人、なんでそんなに私のことキライなんだろ・・・

  私・・・ そんなに嫌われることしたかなぁ・・・。)
 
 
 
アキは薄れてゆく意識の中で、『 stomachache 』
やっと思い出した ”胃痛 ”という英語を絞り出すように呟いた。
 
 
次に意識が戻った時、アキは病院のベッドの上に横たわっていた。

ステイ先の自室にだってまだ慣れる事が出来ていないのに、知らない病院の病室で
腕からは点滴が伸び、付け放しのテレビからはコメディ番組が勿論英語で流れている。
眩しさにしばしばと目を細めたアキに、ホストファミリーの老夫婦の心配そうな顔が飛び込んだ。
 
 
 
 ”アキ・・・ 大丈夫? ”
 
 
 
困ったような泣きそうな顔を向けるその老夫婦は、アキの手を握ると
『 I'm all OK 』 と情けない笑顔で呟いたアキをぎゅっと抱きしめた。

その抱きしめられたあたたかさが、乾いた心と体に点滴よりも瞬時に浸透してゆく気がした。
 
 
まだぼんやりする頭で、倒れた時のことを考えていたアキ。
痛みに苦しむさなか、アキに気付いてくれたのはシュウだったような気がする。

しかし、軽く病室内を見渡すも、その姿は見当たらない。
老夫婦にシュウの所在を訊ねるも、『 He is at home , now 』 との返事が返って来た。
 
 
 
 
  (お見舞いなんか・・・ 来てくれるはずないか・・・。)
 
 
 
 
諦めたように少し嗤って、かぶりを振った。
夫婦がその後なにか言っていたが、アキは聞き取れず作り笑いをして誤魔化した。
 
 
 
  ”シュウがアキを慌てて病院に運んで、

   ついさっき迄、ずっと心配そうに付き添ってたのよ ”
 
 
 
そう英語で言われた事など、アキは知る由も無かった。
 
 
 
急性胃炎で一日だけ入院しあとは自宅療養という指示が出て、翌日退院したアキは
まずはシュウにお礼を言うため、どこかバツが悪そうに部屋の前に立っていた。

そのドアを叩こうとする拳は恐怖で少し震え、躊躇う。
 
 
 
 
  (ガマンなんかするなって、また怒鳴られるかもしれない・・・。)
 
 
 
 
中々ノック出来ずドア前で立ち尽くしていると、突然ドアが開いた。

シュウが気配を感じ、開けたようだった。
その顔は、咄嗟に俯いて泣きそうに顔を隠したアキを見つめ、小さく溜息まじりで。
 
 
 
 『ほんと・・・ 迷惑かけてごめんなさい・・・。』
 
 
 
消え入るようなか細い声で言って、

(ぁ・・・ 日本語だからまた怒鳴られる・・・。) 条件反射のように肩に力を入れたアキ。
 
 
すると、
 
 
 
 『・・・大丈夫なの?』
 
 
 
シュウから日本語が返って来た。
その懐かしい響きに思わず泣きそうになるアキ。

しかし、泣いたらまたシュウに怒鳴られる。 唇を噛み締め、ぐっと堪えた。
 
 
そして、
 
 
 
 『 Thank you very much 』
 
 
 
深々と丁寧に頭を下げて、シュウの顔は一度も見られずにアキは部屋を後にした。
アキの小さな背中を見送るシュウが、どこか寂しげな顔で笑っていた。
 
 
 
数日ぶりに登校すると、友人が大慌てで駆け寄りアキの肩に手を置いて心配そうに
顔を覗き込む。

慌てているから口調も早口になってしまっていて、所々の単語しか聞き取れない。
でも、”大丈夫? ” ”心配してたよ ”という意味だという事は分かった。
 
 
”ホストファミリーとシュウという日本人同居人に助けてもらった ”と片言で説明したアキ。

すると、他の友人がやって来て話しはじめた。
彼女は一番最初にアキを気遣ってゆっくり話し掛けてきてくれた子だった。
その会話の中に ”シュウ ”という名前が入っていた気がしたアキ。
 
 
 
 『 Please ・・・ say it once more 』
 
 
 
全部は理解出来なかったが、大体こんなような事を言われた気がした。
 
 
 
 ”私の友達がシュウと仲良くて。

  アキっていう日本人が来るから、頼むって。

  多分、全然ヒヤリング出来ないから、

  ゆっくり喋ってやってくれ、声掛けてやってくれ。

  愛想笑いして泣きそうなのガマンするはずだからって。”
 
 
 
アキが目を見張って立ち尽くす。
 
 
聞き間違いかもしれない。
全然ヒヤリングが出来ないだけの、解釈違いかもしれない。

もし仮に大体間違っていなかったとしても、きっともっとニュアンスは違うはずだ。
あのシュウが、冷たくて意地悪ですぐ怒鳴るシュウが・・・そんな訳はない。
まともに目も合わせてくれない、あのシュウが。

第三者を介すうちに、だんだん物腰がやわらかく変化しただけのことだ、きっと。
 
 
 
胸に引っ掛かるものを感じながら、その日の授業を終えステイ先に帰宅したアキ。
ホストマザーのメアリーが、広い庭の花に水やりをしているのが目に入った。
 
 
『I'll help 』 たどたどしく言って手伝おうとしたアキへ、メアリーは嬉しそうに
そのシワが刻まれた目尻を更に下げ、アキへ噴射式のガーデンホースを渡した。

アキが水を撒く隣で、メアリーが枯れて萎れた花びらを摘んでいる。
噴射した水が太陽の光を受けて七色を作り出す。マーガレットの白い花びらに細かな
水滴が愉しげに揺れる。メアリーが目を細めやさしく微笑んでいる。
 
 
なんだか穏やかな時間で、1秒1秒がやさしく過ぎてゆく気がして、気が付くとアキの
目から涙がこぼれていた。
 
 
『 What's wrong? 』 心配そうにアキの背中に手を置き、やさしくさするメアリー。
しわがれたその手の平の熱が、アキのシャツを通しじんわり肌に伝わる。

そして、”やっぱりアキは、泣きたいのガマンしてたのね ”と呟いた。
 
 
メアリーは言った。
 
 
 
 ”シュウを嫌いにならないで・・・
 
 
  早目にコッチに来るよう勧めたのは、シュウが・・・

  学校がはじまる前に、少しでも環境に慣らした方がいいって

  私達夫婦に言ってきたからなのよ。

  アノ子、1年前にココに来た時、だいぶ苦労してたから・・・
 
 
  当時、同じ日本人の子が一人いたんだけど、

  その子にばかり頼ってしまって、結局学校でも孤立して・・・  

  自分が最初大変だったから、きっと、アキには同じようにならないよう

  アノ子なりに考えたんだと思うわ・・・。”
 
 
 
メアリーは頬にやわらかい笑みをたたえて、目を細める。
 
 
 
  ”でもね・・・

   シュウがあんな厳しい口調で話すの、はじめてなのよ。

   ほんとはアキにやさしくしたいのに、アノ子、不器用だから・・・

   少しでもやさしくすると、その後厳しく出来なくなるとでも思ってるのかしらね? ”
 
 
 
アキの瞳から次から次へと涙が溢れる。
震える両手で顔を覆って泣きじゃくった。

”泣きたい時はガマンしなくていいのよ ”とメアリーが肩を抱く。
 
 
 
 ”アキが私達に笑顔を見せるときは、一番アキは寂しそうだわ ”
 
 
 
子供のように声を上げて泣いた。
この数か月必死に堪えていたものが溢れだしたかのように、アキが泣く。

メアリーのやわらかい胸にしがみついた。まるでお母さんのような、そのあたたかさ。
 
 
 
泣いて泣いて、アキはその夜ひとつ決心をし、廊下に立っていた。
その片手には辞書を持って。

アキは、シュウの部屋のドアの前に立ちひとつ深呼吸をすると、意を決して2回
そのドアをノックした。
 
 
 
 『 Can I go ・・・ into your room? 』
 
 
 
緊張しながらシュウの部屋に入ってもいいか訊くと、シュウは少し驚きつつも頷いた。
 
 
 
 『えーぇっと・・・ Do you ・・・ have any brothers or sisters? 』
 
 
 
訝しげに眉根をひそめていたシュウだが、アキが懸命に英語で会話をしようと
頑張っていることに気付く。

気怠げにベッドに腰掛けていた体勢からイスに移ると、アキと向き合うようにして
姿勢を正し座りなおした。
 
 
アキの中学英語のようなぎこちない会話は、その後も続いた。
しかしシュウは文句も言わずそれに付き合った。
まずは通常のスピードで返事をし、アキが聞き取れないと少しゆっくりと同じことを言う。

それを、飽きもせず延々繰り返してくれた。
気が付けば何時間も何時間も・・・
 
 
アキが思わずクスっと笑った。
 
 
 
 
  (メアリーが言った通り、ほんとはやさしいんだ・・・。)
 
 
 
 
そっと目を伏せて口許を細い指先で押さえ、大きな笑い声が出ないよう堪えたアキへ
シュウがぽつり言った。
無意識に出たその言葉は、完璧な日本語だった。
 
 
 
 『はじめてちゃんと笑ったな・・・。』
 
 
 
『え?』 アキが小首を傾げると、
 
 
 
 『愛想笑いばっかしてんじゃん、アキって・・・。』
 
 
 
愛想笑いを見抜かれていたこともさる事ながら、”アキ ”とはじめて名前を呼ばれた
事に心臓がきゅっと掴まれた思いで、やけに瞬きが落ち着きない。

シュウが学校の友人にアキのことを頼んでくれたのも、胃痛で苦しむアキをいち早く
助けてくれたのも、この、シュウだったのだと確信した。
 
 
その夜は、辞書片手に色々な話をした。
この数か月同じ屋根の下にいながら、殆ど交わすことのなかった互いの事を英語と日本語を
織り交ぜながら夢中になって話し合った。
 
 
アキが愉しそうにクスクス笑う。

頬は赤く染まって、やわらかい空気をまとって、まるでその背中には羽根でも生えて
いるのではないかと思うほど眩しい。
 
 
 
 
  (そんな顔で笑ってたら・・・ 学校で目立つじゃんか・・・。)
 
 
 
 
突然、胸に生まれたモヤモヤした言葉で表せないものに、なんだか居ても立っても
いられなくなったシュウ。
 
 
 
 『あのさ・・・ コッチって、やっぱ色々キケンだから・・・

  あんまりニコニコしない方が、いいよ・・・ 家の外では・・・

  日本人ってだけで充分、目立つ、からさ・・・。』
 
 
 
すると、『えー・・・ 今のぜんぜん英語使ってないじゃな~い。』

アキがまたクスクスと笑う。
 
 
そして、『・・・ぁ、私もだ。』 やさしく目を細めて、顔を綻ばす。
 
 
 
 
  (まじで・・・ やめろって・・・。)
 
 
 
 
 『 No laughtingっ!! No smilingだっ!! 』
 
 
 
不機嫌そうにそう怒鳴るシュウを、アキは意味がわからずぽかんと見つめていた。
 
 
 
 
 
それ以来、ホストファミリーと囲む毎日の食事中も、メアリーの手伝いをする時も
シュウと交わす英会話の練習中も、アキはよく笑うようになった。
アキが笑うようになった途端、シュウもつられてよく笑うようになった。

家の中が花が咲いたように、なんだか華やかでパッと明るくなっていった。
 
 
 
とある休日、メアリーからクッキーを焼くのを手伝ってみないかとアキに声が掛かった。
目を輝かせ、喜んで頷いたアキ。

メアリーから少し大きめのエプロンを借りて、ふたり愉しげにキッチンで生地を
こねたり型抜きをしたりしている。
2階の自室からキッチンへやって来たシュウが、仲良さそうなふたりの背中を見付けた。
 
 
『 What are you making? 』 アキに目を向けると、『ナイショでーす。』 嬉しそうに
肩をすくめて笑う。
 
 
『・・・クッキーかぁ。』 ぼそり呟くと、『なんだ、分かってるんじゃなーい。』

そう愉しそうに笑うアキをまっすぐ見ていられなくて、シュウは咄嗟に目線をはずすと
『出来上がったら食べさしてくれんの・・・?』 とチラリ横目でアキを確認する。
 
 
すると、
 
 
 
 『 Please talk in English!! 』
 
 
 
シュウは緩くポニーテールにしているアキの白い首筋ばかりに目がいってしまって
すっかり日本語になっている事に気が付かなかった。
食べさせてくれるのかどうかの返事は、結局保留のままで。
 
 
その夜、シュウの部屋をノックして入って来たアキの手には大きな皿があった。

そしてその皿には、アイシングでにこやかな表情を描かれたジンジャーマンクッキー。
どの顔もどの顔も眩しいほどの満面の笑みが描かれていて、それはどことなくアキに似ている。
 
 
『 I am very grateful to you ですから~』 と微笑み、

『 ”お世話になる ”ってナンてゆうんだろ・・・』 辞書をひこうとするアキ。
 
 
 
 『コレ・・・ 全部?』
 
 
 
結構な量のクッキーにシュウが少し笑いを堪えると、可笑しそうにアキは笑った。
 
 
 
 『全部はムリでしょ~? 食べれるだけ取って。

  余ったら明日、学校に持って行くから~・・・。』
 
 
 
すると、一瞬の間があり、シュウがアキの手から皿を受け取った。
そして、『食べれるから。』 ぼそり呟く。
 
 
 
 『全部、食べる・・・から。』
 
 
 
『えええ! だってこんな量あるんだよ、ムリしなくていいから・・・。』 眉根をひそめ
逆に気を遣わせてしまったかと申し訳なさそうな顔を向けるアキに、シュウは言った。
 
 
 
 『ムリじゃない、から・・・。』

 『でもー・・・。』
 
 
 
 『俺に、作ってくれたんでしょ・・・?

  ・・・なら、全部・・・ 俺んでしょ。』
 
 
 
頑ななシュウの態度に、アキが困った顔で笑った。
 
 
 
 『いっぱい作りすぎちゃったよねぇ・・・

  ・・・逆に、迷惑になっちゃったかな・・・。』
 
 
 
 
  (ったく、なんでそーなるんだよ・・・。)
 
 
 
 
 『嬉しい、から・・・

  だから、ひとりで食べたいだけだから・・・
 
 
  だから、

  だーからー・・・ 変に気ぃまわして謝ったりとか、しないで。』
 
 
 
シュウの途中詰まりながら呟いたその言葉に、アキが赤くなって目を落とした。

互い、途端に感じたどうしようもなく照れくさい空気に、なにか話題を探すも
二の句を継げず、胸の奥でドクン ドクン鳴り響く音だけが耳にやたらとうるさかった。
 
 
 
 
 
毎日がキラキラと輝きだした途端、無情にも時間はあっという間に過ぎ去ってゆく。

夏が終わろうとしていた。
それはアキが帰国する事を意味していた。
 
 
その日が近付くにつれ、アキの心はざわめきだした。

日本に帰ってみんなに会えるのは本当に嬉しいけれど、ホストファミリーのご夫婦や
学校の友人たちや、この街や、この景色や、シュウや・・・
 
 
 
 シュウが

 シュウと離れるのが

 シュウともう会えないかもしれないのが

 どうしようもなく胸を締め付ける。 息苦しいほどに寂しさが込み上げる。
 
 
 
それを考えるとツラすぎて苦しすぎて、シュウと顔を合わせるのすら避けたくなる。
 
 
本当はもっともっと話したいことがあるのに。

本当はもっともっと笑い合っていたいのに。

本当はもっともっと一緒に・・・
 
 
 
 
『来月、帰国だな・・・。』 ぽつり。シュウが切り出した、とある夜。

この話題は極力避けていたアキ。 分かりやすく話題をかえようと試みるも、
言葉に詰まり二の句が継げないでいた。
 
 
 
 
  (ダメだ・・・ 泣いちゃう・・・。)
 
 
 
 
 『シュウ・・・ 私、あんまり・・・ その話したくないなぁ・・・。』
 
 
もう涙声で痞えしまった。慌てて下を向くアキ。
 
 
『日本語じゃん。』 低く呟いて、『ぁ、俺もか。』 不機嫌そうに続けたシュウ。

すると、シュウがイスから立ち上がり、ベッドにちょこんと腰掛けるアキの前に立った。

アキが首を反らせてシュウを見上げる。
その目には、いまにも零れ落ちそうな涙が揺れている。
 
 
シュウはアキをまっすぐ見つめていた。
その顔は、やさしくて、あたたかくて、でもどうしようもなく哀しい。
 
 
 
 『よく笑うようにもなったけど、泣くようにもなったな。』
 
 
 
アキが瞬きをひとつした瞬間に目尻から流れた涙を、シュウが指先で拭った。
 
 
 
 『私・・・ 帰るのやめちゃおっかな・・・。』
 
 
 
半分冗談、半分本気で言ってみた。

シュウのことなら、すぐ『なに言ってんだ。』 って叱るはずだ。
叱られるはずだった。
 
 
しかし、シュウは目を逸らしてなんの反応もしなかった。
それに対して、一言も言葉を発しなかった。
 
 
 
 
  (ぁ・・・ 私、困らせてるんだ・・・。)
 
 
 
 
距離が近付くにつれ溢れだした想いは、アキのそれとシュウのそれとでは別の物
だったのだとその時悟ったアキ。

慌てて笑顔を作って大袈裟に言った。
 
 
 
 『うそうそ!冗談だから・・・ It's a joke!!』
 
 
 
ケラケラ笑い続けるアキの目から涙がまた流れた。

苦しくて苦しくて、
もう会えないのも、
もう話せないのも、
想いは通じ合ってはいなかったのも、

全部、苦しくて苦しくて涙が出た。
 
 
その夜、アキは久々にベッドに突っ伏して声を殺して泣いた。
 
 
 
 
 
そして、帰国の朝を迎えた。

空港ロビーにはホストファミリーの老夫婦や友人の姿があった。
そして、シュウがどこか遠慮がちにみんなと離れて後方で佇んでいる。

見送りに来てくれた一人一人とハグをして別れの挨拶をするアキ。
みな涙で頬を濡らし、アキとの別れを惜しんでくれている。
たくさんの感謝の気持ちを、所々言葉に詰まりながら懸命に伝えた。
 
 
最後に、シュウに目を向けたアキ。

ゆっくり歩みを進め、その目の前に立った。
まっすぐ見つめると、シュウはどこか不機嫌そうに目線を足元に落とし口をつぐむ。
 
 
 
 『シュウ・・・ ありがとう。

  いっぱい、いーっぱい・・・ ありがとう。』
 
 
 『いや・・・ 俺は、別に。』
 
 
 
泣きそうで仕方がないけれど、シュウとは笑ってさよならをしたかった。
震える胸で大きく大きく深呼吸をする。
 
 
 
 
 (泣かない 泣かない 泣かない・・・)
 
 
 
 
 『ほんとに、一番お世話になったのがシュウだから・・・

  シュウがいてくれて、ほんと、良かった・・・

  シュウがいてくれなかったら、きっと、すぐ諦めてた・・・。』
 
 
 
シュウは尚も目を落としたまま、なにも言わない。

その不機嫌そうな様子に、同じ日本人が帰国することが一応寂しいと思っていて
くれている事は伝わった。
 
 
 
 『ねぇ、シュウ・・・ 私、ね・・・。』
 
 
 
伝えたい想いが喉元まで込み上げる。
言ってしまおうか、もう会えないのなら伝えてしまおうか・・・
 
 
 
 
 (でも言ったって、困らせちゃうだけだよね・・・)
 
 
 
 
言葉を継げずに口ごもったアキを、シュウがまっすぐ見つめた。
その顔はやはり、やさしくて、あたたかくて、でもどうしようもなく哀しい。
 
 
すると、アキの手を取ってシュウがなにかを手渡した。

シュウの手の平の熱が吸収されたそれが、やさしく伝わる。
そしてそのままぎゅっと握りしめた手は、はじめてアキの華奢な手に触れ小さく震えている。
 
 
 
 『手紙・・・書いたんだ。
 
 
  アキが ”帰るのやめようかな ”って言ったあの夜から。

  ここに、全部、書いた・・・

  気持ち、全部・・・ 隠さずに、全部・・・
 
 
  だから・・・ 読んで・・・。』
 
 
 
いつまでもいつまでも離すことが出来ずに、ふたりは手を握り合ったまま歯がゆい距離を
保ってただ空港の片隅で立ち竦んでいた。

抱きしめたいという想いを必死に堪えれば堪えるほど、その反動で互いの手は小さく震えた。
俯くふたりの頬に、透明な雫がつたっては落ちていた。
 
 
 
 
 
成田空港の到着ゲートが開き、大きなスーツケースを細い腕で引くアキを誰よりも
早く見付けて駆け寄ったのはナツだった。
 
 
 
 『アキィィィイイイイイイ!!』
 
 
 
アキの姿を見付けた途端、ナツの目からは涙が溢れアキに抱き付くその力は小さい体の
どこから湧いて出るのかと思うほど強い。
 
 
 
 『ただいまぁ・・・ ナツぅ・・・。』
 
 
 『おかえりぃー!! アキぃー!!!』
 
 
 
1年ぶりのアキは、ほんの少し日焼けして痩せて、そしてどこか大人びて見えた。

話したいことが山ほどあって、でも何から話したらいいか分からなくて互いに
もどかしそうな顔を向け合うアキとナツ。
 
 
ナツが嬉しくて仕方がない顔で、アキに言う。
 
 
 
 『なんかイイコトあった・・・? なんかアキ、キラキラしてない?』
 
 
 
すると、そっと目を細めて微笑んだ。
遠く海の向こうの、不器用で照れ屋でぶっきら棒なあの顔を想う。
 
 
 
 『ナツにねー・・・ 会わせたい人がいるの。

  来年の秋にコッチに戻って来るから、その時に・・・。』
 
 
 
 
 
  ”来年の秋に帰国するから、その時に絶対会いたい。”
 
 
渡された手紙には、シュウのPCアドレスと実家住所が記載されていた。

そして、シュウの溢れる ”アキへの想い ”が、そこには在った。
何度も何度も書き直した跡が残るそれは、最後の方が丸くいびつに付いたシミでよれている。

その手紙に目を落とすアキの目から落ちた雫も、同じように紙面にいびつなシミを付けていた。
 
 
 
 
手紙を胸に抱きしめるアキの頬が、薔薇色に染まってあまりにキレイで、
ナツは息を呑んで目を見張った。
 
 
                         【おわり】
 
 

雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。 【スピンオフ3】

雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。 【スピンオフ3】

『雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。』スピンオフ3です。 ひとり海外留学したアキ。 ホームシックで泣き暮れるアキに、唯一の日本人シュウは誰より冷たくて。 しかし急病で倒れたアキを助けてくれたのはシュウだった。 急激に近付くアキとシュウの想いの行方は・・・。 本編【雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。】 【番外編1、2】 【スピンオフ1、2】も、どうぞご一読あれ。

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更新日
登録日
2015-08-28

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