枯れない花
さよなら。
そう言って笑った君の顔も、もう思い出せないのに。
咲いた、咲いた
シャワーの音と、懐かしく感じる歌声を聞きながら煙草に火を点ける。
古くて狭い安ホテルの固いソファに座って、ゆっくりと天井に上る煙をぼんやりと眺めた。
「何歳から吸ってるの?」
ふいに尋ねられて脱衣所の方に目を向けると、浴室のドアを少し開けて彼女がひょっこり顔を出していた。
「16、くらいからかな。」
「はは。不良だ。アメリカンスピリッツかー、珍しいね。」
特に咎めるわけでもなく、ただ気になっただけだった様子で浴室に顔を引っ込め、再びシャワーの音が響き始める。
煙草の灰を灰皿に落とし、目を閉じて、心地よい水音に耳を澄ませた。
彼女とはほんの数時間前にクラブで知り合った。
盆休みに入り、県外の実家に戻って墓参りに行くのも面倒に感じて、暇を持て余した友人2人と久しぶりにクラブに行くことになった。
深夜の時間帯は人が多く、音楽に合わせて踊る客も増えるのでかなり盛り上がっていた。
人混みをかき分けながら奥の方にあるテーブル席に向かい、アルコールを飲みながら見物している客の集まるスペースで一息つく。
友人は踊っている客の後ろで体を揺らしている、気の強そうなセクシー系の女性2人組に声をかけてくると言って楽しそうに人混みの中へ戻っていった。
友人が話しかけると、女性たちは驚いた様子ながらも笑顔を向けて、友人と体を揺らしながら談笑を始めた。
脈ありなようだ。
少し疎外感を感じながら辺りを見渡すと、一番隅の席に1人で座っている女性が目に入った。
眩い光の数々と、その度にできる影のコントラストで顔がよく見えないので、自分でも無意識のうちに、吸い寄せられるように、近づいていく。
彼女は踊っている客たちを楽しそうに見つめていた。
大きな瞳を穏やかに細め、薄い唇を微笑ませている。茶髪のセミロングの髪が、クラブの空気が動くたびに揺れていた。
「1人?」
気付けば声をかけていた。
彼女が、きょとんとした表情でこちらを見る。
大きな瞳に俺が映った。
驚きと警戒の眼差しだったが、一瞬で和らぎ、また穏やかに微笑みを浮かべた。
「そうだよ。お兄さんは?」
大人の女性になりつつある、凛とした、儚い雰囲気だが、声は少しハスキーで無邪気さを覗かせている。
「俺は友達と。お姉さん、隣いい?」
「どうぞ。」
にこっと笑った口元に八重歯が見えた。
それからは特に内容のない話でその場を繋いだが、彼女はどの話も楽しそうに聞き、相槌を打ってくれた。
少しずつ体を寄せて、彼女の細い足に手を乗せる。
彼女は少し驚いてこちらを見たが、知らん顔をすると困ったように笑った。
女性に触れて、こんなに緊張するのは初めてだった。
「お兄さん、何歳?年下だよね?」
「何歳だと思う?」
気になっていた年齢を彼女の方から尋ねてきた。
「んー、23、かな?」
「正解。先月23になったばっかり。」
「じゃあやっぱり私が年上だ。26だもん。」
若いっていいなー、と子どものように笑った。
「お姉さん、今日は帰るの?明日仕事?」
下心丸出しの言葉に、自分が焦っていることを自覚する。
そんなこちらの心を知ってか知らずか、彼女は愉快そうに声を漏らして笑った。
自分が、わがままを言う子どものような気分になった。
「仕事はお盆休みだから大丈夫だよ。あとは…」
よく笑う彼女だが、今までで一番魅力的な、意地悪な笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んできた。
「イケメンのお誘いしだいかな。」
俺は彼女の手を引いてクラブを出て、今に至る。途中すれ違った友人は事を察したのか親指を立てきた。
シャワーの音が止まり、目を開ける。
布を擦る音がして、彼女が浴室からバスローブを着て出てきた。
「これ、セレブみたいだね。」
鏡で自身の姿をみながら、ハリウッド女優のようにポーズを取り始めた。
「そこの女優さん。名前を教えてくださいよ。」
わざとらしく丁寧に聞くと、こちらを向いて腕を組み「まず自分が名乗るもんだろう!」と聞いたことのあるセリフを言った。
見た目とは裏腹に、少し面倒くさい人なのかもしれない。
「木村祐二。ゆうじでいいよ。」
「花田由。名前似てるね。ゆうじくん。」
くすくすと笑う彼女に歩み寄り、抱きしめる。細くて、柔らかくて、首筋から漂う花のような匂いに眩暈がした。
彼女の耳を口に含むと、彼女の体が強張る。
舌先で耳の溝や穴の周りをちろちろと舐めれば、彼女の口から甘い吐息が漏れた。
余裕な態度を崩さない彼女が、俺の腕のなかで体を震わせて、目を固く閉じて頬を赤らめている。
ベットに彼女を横たえ、その上に覆い被さる。
まるで、花に群がる虫のようだと自分を嘲笑いたくなった。
夜が更けていく。
朝が来る。
朝になったら、お別れなのだ。
この遊びも、戯れも、お終いなのだ。
「おはよう。」
目が覚めると、彼女は服を着て化粧を直していた。
「元がいいから、素顔でも綺麗なんだろうね。」
「そんなことないよ。化粧の恐ろしさを知らないな?」
夜とは違い、無邪気に八重歯を覗かせて笑う彼女も悪くないと思った。
部屋を出て、駅へと向かう。
始発は違う乗り場だった。
俺は彼女がどこに帰るのかも知らない。
連絡先も、聞かなかった。
もう、二度と会うことはないのだろう。
「さようなら。ありがとう。」
出てきたのは、そんなありきたりな言葉だった。
彼女は頷いて、俺にそっと体を寄せて、頬にキスをした。
「うん。さよなら。」
最後に見た彼女の大きな瞳は濡れているような気がしたが、すぐにこちらに背を向けて歩き始めて、駅のホームに消えていった。
彼女はまるで幻だったかのようだ。いや、実は夢だったのではないか。
そんな気さえしてくる、呆気ない別れだった。
呆然とする俺のズボンのポケットに振動が伝わる。
携帯の着信だ。友人からだった。
『よう、こうた!あの美人とはどうなった?』
どうやら夢ではないらしい。
「もう別れたよ。」
『もったいねー。あ、ちゃんと偽名使ったか?』
「おー。」
結局、俺は彼女の事を何も聞かなかった。
名前だって、嘘か本当か分からない。でも、これで良かったのだろう。
一夜の恋とは、そういうものだ。
彼女は今もどこかで、花開くように笑っているのだろう。
それならいい。そう思えた。
枯れない花
内容がなくてすみません・・・