セレンディップな日々

セレンディップな日々

褐色の召使い ジナダーサと、二十一歳になった角川奈々の、危険な物語。褐色の召し使い ジナダーサと、二十一歳になった角川奈々の、危険な物語。褐色の召しつかい ジナダーサと、二十一歳になった角川奈々の、危険な物語。

行くべきか行かざるべきか





セイロン島は美人の島だ。コロンボ、ダンブラ、ポルンナルワ、アヌラーダプラ、と、北進するにつれて増える。

目鼻の整った島女。格好が良い。頭が小さく、体つきは、出るところは出、へこむ所はへこみ、手足が細く、長い。

歩き方が面白い。胸を張り、体重を尻で受ける。風変わりなモンローウォークをする。下半身にシマリがあり、垂れがない。

ジーパンが似合う。島ギャルの中に、東洋種のような、異質な者が混ざると、吹き出したくなる。

毛深いから驚く。腕、すね、ふくらはぎと、柔らかい毛でボーボーなのが珍しくない。口髭を生やした別嬪さんがいる。それをマイナス要素とせず、恥ずかしがるでもない。したがって、見るほうも恥ずかしくない。

と、男にとってセイロン島ぐらい興味を誘う島はない。(女にしてもそうだ。長い足のイケメンが揃っている。)さて、物見遊山の客は、不愉快をする予定で出かけることだ。

「光り輝くスリランカ」と呼ぶそうな。街にゴミが散乱し、悪臭がよどむ。最貧国ではない。日ごとのカリーに困る、飢えた島民は少ない。

汚い臭いを厭わないのだ。片付けるのが面倒な、怠け者が多いせいだろう。

「シンハラ人はぐうたらさ」と、タミル人は言う。人口の八割がシンハラ人で、タミルは少数民族だ。

粗野で礼儀を知らない。お巡りや役人など、ちょいと公務みたいな仕事をやっている中に甚だしいのを見る。仏教国のわりに、譲る精神が希薄。「我先に」と争う。列に並んで待てない点はインドなみだ。

リゾート目的だったら、やめてはいかが。一般に思うリゾート、バリだハワイだ沖縄だと比べ . . . てんで比べられない。史跡があるばかりで、遊園地は絶無に等しい。

気の利いたティールーム、評判の食べ物屋、なんてのもない。薄汚い屋台、路傍のコーラ売り、アイスクリームスタンド程度。

レストランのくせに、テーブルと椅子が食べこぼしでベトベトだ。潔癖症に罹ったわれわれは安心できない。(海に面したゴールあたりは別。有名なアマン・リゾートがある。)

同じ歴史探訪でもカンボジアとは似ても似つかない。今やシエムレアプは歓楽街だし、アンコールの遺跡々々には休憩処がたち、観光地然としている。

セイロンじゃそうは行かぬ。

つまらないスポットだらけ。これは「贅沢旅行がしたい」場合の話だ。汗をかいて廃墟巡りを好む向きは、魅力を感じよう。

結論:レジャーするならモルジブ、古代ロマンならスリランカ。あとを選べば、毛ぶか美人ウォッチングという楽しみがつく。






ところはキャンディー





ジナダーサは素性の賤しい男だ。郊外にひと小屋構えるものの、電気・ガスがなく、米をかしぐのに焚木をもってし、妻は夜なべをするのに蝋燭のともしびをもってする。

妻と、長男と、末娘と ─ 四人で暮らす。次男坊は口減らしに寺へやった。

おのれは、月 ~ 土、日本人家族のもとに住み込み奉公。すると月に3万ルピーもらう。土曜の夕方、女房子の待つ小屋へ帰るときは

「これ交通費。あまったら子供に何か買ってあげて」

と奈々さんが2千ルピー札をくれる。ゆえに3万と8千ルピーの稼ぎがあることになる。ないしょだけれども、8千ルピー中、4千5百ルピーで生活する。交通費ったって、バスだから十四ルピーだ。

妻にもわずかながら収入がある。で、3万3千5百ルピーが貯蓄にまわる。箪笥預金だ。銀行口座は持てない。

それが心配で仕様がない。一計を案じ、ちょっとずつ隠すようにした。小屋のあちこち、あとは、妻の里方へ置く。

里では「さすがジャパンだ」と呆れている。3万8千ルピーもくれるうちなんかありやしない。

ふたつき前までいた屋敷、そこは1万5千ルピーだった。あるじはスリランカ人。けちん坊ではない。他より良かった。

例えば奈々さんも知るクマーリなる四十見当の女、これはかつてマレーシアへ出稼ぎに行っていたのが一昨年帰国して親のために家を建ててやった孝行娘だ。現在は共に暮らし、向かいの印刷工場で働く。週五日、八時半開始の五時終了で、4千ルピーという。

奈々さんがやってきた当座、道で会うたびに雇ってくれろとうるさかった。月に4千ルピーじゃ父ははが養えないし、子供だって金がかかるようになった。私は英語ができる、中華料理もジャパニーズフードも作れる、ジナダーサのレシピはカリーひとつ、おまけに英語が分からないんじゃ役に立たないでしょう?と。なるほど英語で自己PRした。

ヌアンは奈々さんたちの運転手だ。1万3千ルピーもらってまあ満足している。そのヌアンが語るには、スーパーの女店員など、五六千ルピーが相場で、若い子はお化粧・ファッション等で費えがかさみ何も残らない。

島の者はおしゃべりだ。御多分にもれず、ヌアンとジナダーサ、暇があればべちゃべちゃ情報交換する。互いの台所事情を知る。

ヌアンは三倍近い経済格差を付けられてなお、ジナダーサは貧しい男だ劣等な男だと切り捨てる。自分は銀行口座もクレジットカードも携帯もある。生まれた階級が違う。

「ダーサ」とは労働者あるいは下僕の意味で、そうした業につくべくついた奴なのだ。3万ルピー稼ごうが5万ルピー稼ごうが、真面目に話をする相手でない。


附記
後日、知人のスリランカ女性に聞いたおり、どんな人間もがどんな銀行ででも口座を開くことを許されるという。どっちが本当か。ジナダーサは、私めは身分が軽く、銀行が使えないのですと、これが口癖だ。






誇大空中都市もいいところ





シギリヤ。キャンディー市の北東に位すること自動車で三時間、セイロンで最も知られた観光地だ。世界遺産番組等が取り上げる。

入場料はべらぼうだ。25ドル、もしくは(レートによるけれども2009年8月23日現在1ドル=115ルピーで)2875ルピー。島女のクマーリなら三週間分の稼ぎ。ドル、ルピー、いずれで払っても良い。日本円だと2300円。悔しいけれども日本の金は受け取らない。探訪してみたい古代ロマンチストは、ドルか現地通貨を携帯されるように。

UNESCO認定の観光サイトは、退屈だ。

あるのが廃墟のみなのは書いた通り。大きな岩のてっぺんに1500年前の王宮跡。建物は残らない。セイロンの原風景たるココナツ林を見下ろす景色はまあ最高で、せめてもの慰みだ。

ところで、廃墟へ至るまでにはスズメバチが出る。何十人と病院へ運ばれて騒ぎになる。そういう時は道を封鎖する。

巣を取りはらったら良かろうと思う。自然にできたものは放っておくのだという。

スズメバチの日は、途中、洞穴にかいたシギリヤ・レディーを見て引き返す。絵は一見の価値がある。あるといって、月給の75%となると、どうだろう。(地元の人間は60分の1でいい。龍安寺の拝観が五百円として、ではスリランカより観光の皆さまに限って三万円ですと言ったら嬉しいか。)

加えて、職員が不良だ。道を封鎖しようと券だけは売る。角川君が「私はツーリストではない。キャンディーで働く者だ。今日は上に登って遺跡を見る為に来た。これは払い戻してくれ」と抗議したところ、「払い戻さない!うせろ!」と怒鳴りかえす。

これだったら行くにも及ぶまい。

どっちにしても、奈々さんとジナダーサが妙な話になっちゃったのは、思えばこの日、角川君がシギリヤ見物なんかに出かけたのがまずかった。



脚注
先月、(2009年)七月下旬のこと、福田康夫前首相が麻生総理大臣の命を受けてスリランカに入国した。もはやただの代議士に過ぎず、政府専用機ではなく、フツーの旅客機でフツーの人が使うビジネスクラスでのスリランカ入りとなった。空港ではお出迎えの花束もない。総理大臣時代とは違った待遇だ。
何しに来たかといえば、博物館の開館式に出るためで。ほかにも用事があったのか分からないが。キャンディーではペラヘラ祭りが始まっていたし、見たのかしらん。
博物館とは、日本国民が贈る物との触れ込みで三億数千万円使って建ててやったシギリヤ博物館だ。岩の近くにできた。
スリランカ側は、ラージャパクサ大統領以下、要人が列なり、賑々しく式が執り行われたので、ニュースだった模様。
近代的かつ立派な建物は、中に喫茶室が作られる予定だ。そうしたら、「史跡があるばかりで、遊園地は絶無に等しい。気の利いたティールーム、評判の食べ物屋もない。」の二文は、シギリヤには当てはまらなくなるだろう。






☆ セレンディップな日々は、2009年に『島の住人』氏が書いたのを、この文庫におさめるものです

黄金寺院はまた今度





角川伸一は頭に血がのぼるたちで。どう帰ったか、覚えていない。

シギリヤ → キャンディーのルートはこうだ。

世界遺産区域を出てしばらく歩くと乗り場らしきところがある。「らしき」とは、停留所がないため。あるのかもしれない。旅行者には分かりかねる。人が道端に立って何かを待つようだったら、それと思っていい。

黒煙をふきながら来るのは、 MADE IN インド の乗り合いバス。汗だくの客で満杯、体感温度三十九点八度、がたがた揺らして半時間、ダンブラの町に着く。

ダンブラにはこれまた世界遺産に指定された『黄金寺院』がある。今は素通りしよう。

ダンブラ・バスターミナルでおりる。キャンディー行きに乗り換える。さて二つのチョイスがある。ひとつは大型バス。安いのが取り柄の、鈍行だ。

ひとつは、マイクロバス。「Intercity」と呼ぶ急行で、(建前は)決まった停留所にしか止まらない。(ほんとうは)手を上げればタクシーみたいに止める。そうやって稼ぐ。

日本でお払い箱にした送迎車が Intercity になる。「○○温泉ホテル」「××スイミングスクール」と名前を入れたまま走る。余談だが、キャンディーで京都市消防署の救急車が行くのを見た。事実上の首都たるコロンボでは、どんな救急車だか知らない。けれども Intercity は全部日本のバスだ。

(もひとつ余談。自家用車も多くが日本の中古。プジョーとベンツが少々。ヨーロッパ車は物持ちであるしるし。)

ぽんこつばかりとはいえ、Intercity のメリットは、クーラーが効いている。鈍行はクーラーどころでない。ダンブラが始発でもない。スシヅメの汗みどろ。できることなら乗車したくない。Intercity にしたってダンブラ発ではない。座れない場合がある。まあ、大概大丈夫。座れなくても一時間半の旅だ。スシヅメにもされない。

Intercity は140ルピーほど。シギリヤ → ダンブラが25ルピーほど。したがって、シギリヤ → キャンディー、165ルピー内外。来たバスによってちょっとずつ料金が違う。

鈍行だと50ルピーの節約だ。だからローカルの人間は鈍行に乗る。それに Intercity は本数がなく、一時間も待ったりする。

角川君はいずれに乗ったか忘れたと話す。ウィジェシンガ、ヘーマパーラとかいう券売りに腹がたって仕様がない。あの二人、どうしてくれようてんで、考える余裕がなかった。もっとも、奈々さんが洗濯するさい、シャツのポケットに89ルピーの切符が押し込んであった。やっぱり鈍行だったろう。




シギリヤ → キャンディーは、(角川君のドライバー)ヌアンの運転で、三時間かかる。バスは二時間。飛ばす上、抜きつ抜かれつ、競争のしどおしだ。鈍行だって Intercity を抜けば、別の車がそれをと、二重追い抜きさえやってのける。「我先に」と。






ことの起こり





角川くんがバスに揺られてゆだっていた時分、キャンディーではけしからない状況が生まれつつあった。

奉公人ジナダーサについて説明したおり、日本人家族に使われていると書いた。これは角川君のところなので。構成員は二名。

角川伸一50歳が父親。角川奈々21歳が娘だ。(本当は「奈奈」。僕はいいと思う。気障っぽくて好かないと言うんで、本人は「奈々」とする。)

六年前に恋女房の貴子さんに死なれた角川君は、ダンディーな男やもめになった。

周囲の者が心配して、縁談を持っていったのも一再ではない。みな断っている憎い男だ。まだ時でないと。

スリランカへは今年(2009年)六月に着任した。キャンディー市でエンジニアをやっている。

奈々さんは難しい年頃に片親を亡くしたもので、原因こそ知らね引きこもりの兆しが現れたのが大学に入って間もなくだった。授業をさぼるばかりかアルバイトも休みがち、外出を避ける風が見えた。

父親も見かねて、転地療養ではないが赴任先へ連れてゆくことを考え、勉強を休ませ同伴したのはベトナムのハノイが最初だったが、アオザイを着る日々が生来の快活さを取り戻させたので、以後、数次の帰国を挟んでタイのチェンマイ、インドのバンガロール、と、任地へおもむくたびに連れ歩いた。そうして、今度やってきたのがスリランカの古都キャンディーだったわけだ。

角川君は単身海外で仕事をした。日本よりも外国の方が長い。そのぶん、奈々さんは母親に育てられたのだと言っていい。

父と娘がキャンディーにいる理由は、ここはこのぐらいにして、それでは土曜日、シギリヤ見物のために家をあけたあの午後のハプニングに移ろう。

二人が暮らすアーナンダー屋敷には、二匹の犬が飼われている。オスとメスのシェパードは、奈々さんの友達だ。暇さえあれば散歩させる。キャンディーは海抜五百メートルと涼しく、赤道が近いながら夜は一枚羽織りたい。さすがに日中の太陽光は烈しい。犬と散歩なんかしたら、水を浴びないではいられぬ。




日本に帰ってキャンディーのことを言うと、女の子は「かわいい!」てんで喜ぶ。けれども、Kandy あるいは Candi だ。通常、Candy とは書かない。ちなみに、しゃれ男をさすダンディーは、Dandy でよい。






シギリヤの淑女でござい





じらすわけじゃないんだが見てもらわないと話が展開させにくい。ほかでもない、シギリヤ・レディーズのことでして。

角川君は会わないで帰りました。今日はスズメバチが危ないですよとガイドが言うので、世界遺産サイトへは入らずに、券の払い戻しを求めたらウィジェシンガとヘーマパーラに怒鳴られました。

『UNESCO世界遺産シギリヤ』の目玉はふたつ。両方千五百年の歴史があります。

ひとつが洞穴に描かれた裸婦像。もと五百体あったそうですが、現在は二十あまり。

ひとつが岩の上なる王宮跡。誰が言ったか古代空中都市ともプチマチュピチュとも喧伝されています。建物は土台を残すのみです。

スポットライトを当てようとするのは洞穴の中。さしずめプチアジャンターといったところでしょうか?

百聞は一見にしかず。どうぞ↓

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Sigiri_Frescos.jpg
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Sigiri_Frescos_1.JPG
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Sigiriya_ladies.jpg

便利な世の中になりました。この手を使えば説明だとか描写だとかごっそり省ける。そのかわり小説屋さんには厳しい世の中なわけで。


ついでに興味がおありなら:
シギリヤの巨大岩です↓
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Sigiriya.jpg
王宮の様子です↓
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Sigiriya_summit_ruins2.jpg






電話のぬしは僕だった





不意のことで立ちつくした。

ダーサの行動も考えがたいものだったため、ぽかんとした。女若主人にかたどったシギリヤ・レディーをかいて見せた . . . なかなかやる奉公人ではないか。(奈々さんは「ジナ」をとって「ダーサ」と呼ぶ、本人の自称にならって。)

土曜日の昼さがり、ロッキーとルーシーと散歩後、奈々さんは汗を流した。(ロッキー/ルーシーは犬の名。)

二階バスルームに隣接する部屋は、たびたび僕は世話になるんだが客室用だ。エアコンを嫌う奈々さんは、頭を乾かすあいだ鏡の前に立って扇風機にあたった。普段は下の食堂に置く扇風機が、その日、ダーサが掃除やなにかに動かしたか、ここに来ていた。

奈々さんの部屋だって扇風機はある。部屋は同じ階の反対側。シャワーを出たとき、さきに隣部屋のが目にとまったのだろう。

一階で電話が鳴った。気にかけないでドライヤーを使った。

ドアがあいた、と思うと、ダーサがい、視線を交わした。失礼しました、と、礼儀をわきまえた男なら他をむいてドアを閉める場合だ。

ダーサは違った。驚くには驚くふうをしたけれど、ほんの瞬き。中へ入りシンハラ語でしゃべった。おしまいに

「サー。テレフォン。カミン、カミン」とカタコト英語を話し、手招きした。

ダーサは、角川君をサー と奉る。「ご主人様よりお電話でございます」と言うらしい。

そうしてドアを半開きのまま下りていった。






奈奈とダーサ





僕にとっちゃ痛手。

電話したのは、角川君をゴルフに誘うつもりだった。話の通じないダーサだ、ただ「ミスター・カドカワ、ミスター・カドカワ」と告げた。

やつが仲介した「サー。テレフォン。カミン、カミン」を、アルファベットで書くと、

Sir. Telephone. Coming, coming.

サー あてです。来てください、来てください。

come でいいものを ing を付けて coming という。

つまらないテレフォンをした。以前、ふさぎの虫に悩む奈々ちゃんを海外へ連れだしてはと助言したのも我輩なので、口惜しいことはひとしおだ。

僕は這い這いの頃を知っている。「さん」と呼ぶなかでなく、“ちゃん”だ。美しかった貴子さんに似て(そりゃあもう)可愛かった。ダーサ風情に先を越されたか。

従来僕は少々惚れているため、そうした姿なら一遍見ておくのだった。「馬鹿。」とぶたれるに決まっているが。奈々ちゃんにすればアクシデントだ。

アクシデントでこそあれ、部屋に闖入されながら冷静でいられた奈々ちゃんは、奈々ちゃん流に状況把握した。「冷静」より、「平気」に近かったろう。

闖入者は「男」でなく、見られたとて恥ずかしくない。ロッキーに向かうのと同じだ。オス犬を前に羞恥心をおぼえるか。

セイロン島は背の低い人間が多い。160センチでも「チビ」とされない。ダーサは150センチに届くか届かないかだ。頭は禿げあがり、腹は出、三十三才とは驚く。奈々ちゃんは169センチと高く、用を授けるのに小児に対するような格好をとる。

「目があっちゃった。おじちゃんのせい!」

電話で笑っていた。

「平気」にも掛け値があって、見せたのがダーサでは見せたうちに入らない、としたい、本当は悔しいあらわれか。泣いたり怒ったりしたらあっちの思う壺、却って癪だ。ちょっぴり驕慢なところを奈々ちゃんは持つ。

反面、事件を冗談めかすアッケラカンさ。もともとよく笑うほうだし、人を笑わすのだって得意な子だ。おととしだったっけ、こもりがちになった。しかし、ネクラだから引きこもる、と、それが間違っている。すべて環境次第なわけで。






召しつかいジナダーサ





どのぐらい学校へ通ったろう。中学校は卒業したか。

いつだったか、角川君が問題を出した。簡単な掛け算ならどうにかなる。割り算はお手上げだ。

それじゃあ英語にしたってカミンカミン程度が当たり前。

大変器用ではある。レストランへ行くより、ダーサに作らせたほうが旨い。

島の南に位置する、ゴールといって、海へ突き出る要塞都市 ─ 城郭の中に残る近世ヨーロッパ風の町並みが評価されて、世界遺産だ。景色になじんで白亜が美しいのは、リゾートホテル = アマンガラ。レストランは評判がいい。僕もたくさん食べた。けれど、いかなアマン・リゾートでも、ダーサには及ばない。

だんだん聞いてみると、奉公する前、キャンディー市民に一番人気のレストラン『デヴォン』のコックを十年間つとめた。で、角川君のところへはしばしば日本のエンジニアがチキンカリーに呼ばれに行く。

何事も飲みこみが早い。二度教えたら飯のたきかた(むろん日本の米)、味噌汁の作りかたをマスターした。

仏教讃歌を歌わせても逸品だし、伝統舞踊『キャンディー・ダンス』だって上手だ。踊りに合わせて歌を歌い、空いたデーニッシュクッキーの缶を太鼓がわりに叩く。

こっちはシンハラ語がちんぷんかんぷんなのにお構いなく、身振り手振りを交えて面白おかしく話芸をやる。動物の真似が得意だ。カリーが好きなエンジニアの真似もなかなか。

主人の機嫌をうかがう姿勢をくずさない。愛嬌たっぷりの男だ。

仕事はきちんとこなす。掃除から庭の手入れ、犬の世話と、朝五時に起きて夜の九時にさがるまで ─ ヌアンとのおしゃべりを除けば ─ くるくると独楽ねずみのように働く。(奉公人部屋は母屋と壁を隔てる形で、直接つながっていない。六時半に奈々ちゃんが勝手口の錠をはずしてやらないと入れないので、その間に外回りをやってしまう。)

下男下女を置けばとかく手癖が悪いのがいて、物がなくなるのが常識なんだけれども、ダーサの場合、安心していい。ちょいと試すつもりで角川君が玄関に500ルピー札を落としておいたところ、あとで食卓に上がっていた。

気に入って、初め二万ルピーで雇い入れた男に一万ルピー余計に渡している。ダーサは言う、サー とお嬢さんが日本に帰る時は連れて行ってください、身を粉にして働きます。と。






推理





あとのお話にもつながるので、ひとつ丁寧に推しはかりたい。

召使いは室内へ踏み込んだおり、いかに思ったか。(踏み込まれたほうは、第8回記事を参照。)

おそらく、初めて目にする物と同程度に注意をはらったのではあるまいか。例えば、我々が東南アジアに旅行して、トゥクトゥクやらベチャやらが通ると、「あれは何かしら」 ─ 反射的に目を凝らす。ダーサも、現前したのが何であるか、という、いわば自然の作用だった。

それには、ダーサが外国人と接点のない暮らしをしてきた事実をあげれば十分だろう。角川君のために働くまで、ろくに口をきいたためしがない。生まれた階層が低く、教育も受けないのに、どうして交流があろう。(ついでに述べれば、セイロンにもカースト制度がある。昔に比べて厳しくない。けれども、身分違いの結婚は白眼視される。)

一般的に、シンハラ人は色が薄く、タミル人は濃い。ダーサはシンハラ人ながら、肌はチョコレートのそれに近い。奥さんを紹介してくれたことがあったが、やはり同じだった。そんな彼にしたら、奈々ちゃんは別世界の人間だ。(ダーサはテレビさえ見ない。電気がないのだし。外国人の肌色がどんなのか、知らないに違いない。)






もう少し推理





ゆえに珍しい「現象」あるいは「場面」に出くわす感じだった。「女」を見るのではなかった。初めの一刹那は。

が、なんぼダーサでも刹那の後にはまことの事態を了解しなかったはずがない。

そこで、お得意の「道化」を演じた。それは、照れ隠しであり、人に可愛がられる所の、この男一流の作法でもあった。

「ダーサめに気兼ねなさいますな。ロッキーかルーシーのごとくおぼしめしくださいまし」

暗黙のメッセージをこめて、敢えて退室しなかった。それのみか、中へ入り、しゃべった。顔を覗き込むふうをしてほかへは目もくれない。犬が飼いぬしを見上げるように、遥か長身の相手に訴えかけた。

「お電話でございます、カミン、カミン」

つとめて事務的に、それだけを訴えた。用件がすむなり、ドアは閉めないで行った。

閉めないわけは、この事件が「事件」でない、いちいち気にとめるに及ばない茶飯事なのだ、とそういう意味を持たせた。自分にしてもお嬢様にしても、闖入しもせず、されもしない。

急いでさがりなどした日には、どうだろう。

若い女を慌てさせ、恥ずかしがらせ、辱める結果となる。ダーサはダーサで下した瞬時の判断だった。

阿吽の呼吸、立ち尽くしていた側は、そのまま立ち尽くすのが、最善の策とさとった。微動だにすることなく、いと小さき者を見すえてひとつ

「O.K.」

といいすつるや、腰に届かぬばかりの黒髪にふたたびドライヤーを使いはじめたのである。






文化都市キャンディー





人口11万の、山あいに市街をなすキャンディーは、2000万人いるセイロンの文化的首都だ。キャンディーへ行かぬではセイロンへ行ったことにならぬが、キャンディーさえ知れば、セイロンの大体は知ったと思ってよい。地図上、ほぼ島の中心にあたる。

下町区域の全部が世界遺産だ。

綺麗な町ではない。

空気が汚い。どす黒いガスを吐きながら扉をガタピシさせて走るインド製のバス。通ったあとは呼吸しかねる。

至るところにゴミが落ちている。水路は、良くこれで目詰まりを起こさないで流れるなと感心する。食べかけのロティやら乗らなくなった自転車やら、さまざま放り込んである。

町並みは、植民地時代の古ぼけた建物と、外観を今日風にあらためた商店とが入り混じり、調和を欠く。調和を欠く点は、京都と変わらない。キャンディーの場合、建物は古びるのに任せっきりで、手が入らないのが普通だ。(クイーンズ・ホテルを右にとってキャンディー湖へ突き当たる通り、『D.S.Senanayake通り』は、目障りな電線がないぶん比較的面白い景観。)

快適な町でもない。コンビニがない。疲れたからちょっとお茶なんて粋な喫茶店がない。Devon といって、以前ダーサが働いていた人気レストランは、日本の最も下のファミレスより数段落ちる。テーブルは油じみと食べこぼしが多い。席は黒ずんでいる。トイレは見たくないし嗅ぎたくない。それでも、味と衛生の両面を考えたら、やはりオススメは Devon か。でなければ、ホテルの食堂、あるいは町外れのレストラン・リヨンで食べるほかない。

不潔なテーブルで目玉のぎょろりとした蝿にたかられるのさえ気にしないのであれば、お食事処はいくらもある。

どうしてそんなキャンディーが一国の文化を代表する観光地なのかというと、シンハラ王朝最後の都がおかれたことと、釈迦の糸きり歯があることから。






召しつかいジナダーサ【2】





無教養な奉公人ジナダーサだけれど、本物の仏教徒だ。

お葬式専門の在俗僧侶ぐらいでは太刀打ちできまいよ。経典に何が書いてあるか正確に知っている。日曜学校で熱心に勉強した甲斐があって、パーリ語原典が読めるのだ。これひとつでも頭の良さは明らか。

水曜日には、午後から奈々ちゃんに許しをもらって仏歯寺へお参り。ゴータマ・ブッダが糸きり歯をおさむる金の容器の前に額づく。(仏歯寺こと「ダラダー・ マーリガーワ ⇒ http://www.sridaladamaligawa.lk/ 」は、キャンディー市のまんなかにある。)それとは別に、一家ともども満月の日になると村のお寺で礼拝する。

セイロンでは十五夜を「ポーヤ」といい、休日とする。誕生、悟り、初説法、入滅と、ブッダの生涯で要の出来事が満月の日に起こったと信ぜられているによる。

人口の七割を占める仏教徒は、どんなぶしんじんな輩でもポーヤにはお寺へ行くのだけれども、ダーサにいたっては言わずもがな。はじめ知らない頃、庭掃きをしながら鼻歌を歌うので、角川君も奈々ちゃんも少し不真面目のように考えた。バンダーラという、家の管理人に話したところ、

「いいえ、お嬢様。鼻歌ではありません。ダーサのは仏陀に讃歌をささげるのです。御主人様とお嬢様の祝福を請うてするのですよ」

そう言われれば、土曜の夕刻、谷向こうの山寺から響いてくる歌なのだ。ダーサはいい男だと角川君は言うようになった。

(管理人バンダーラについては後述する。)






角川奈々を知る





ジナダーサが現世のものならず奈々ちゃんを見たのを、ひとえに恋ゆえの色盲と片付けるなら、早計のそしりを招こう。

オセロとデズデモーナといったら陳腐に聞こえるかしらんが、事実、皮膚の色には同様の違いがある。偽善的かつ独善的にしてハヤトチリな向きは前文をもってZIN-SYU-SA-BETUのなんのと騒ぎかねないのを承知で書いた。

キング牧師とケネディー大統領との間に肌色の差別を認めない者は色盲と断じてかまわない。ダーサと奈々ちゃんとにおいてもしかり。ケネディー大統領はアイルランド系アメリカ人であり、奈々ちゃんの母貴子さんもまたアイルランド系アメリカ人だった。伸一がマサチューセッツ州の某工科大学院に学んだとき、言語学部で日本語史を研究していたマリア・ハミルトンといい仲になった。

結婚して帰化後、マリアは本名を捨て戸籍上貴子とした。

奈々ちゃんはくるくる巻いた赤い毛のみどりめではなく、つやつやしく黒い髪のくろめだけれども、ほかは母親の形質を受け継いだのだろう。縄文ないし弥生人おんながどんなに美白につとめたといって、奈々ちゃんのようにはなれまいと考える。長い手足だって強ちセイロンの島女にひけをとるものではない。

白人のそれを仔細に観察すれば判ってくることがあるというのは、われわれ黄色人種と違って、皮膚層の下に薄く金箔めく何かが透いて見える、光を吸いとるにあらずして光をはねかえす白さ、太陽光をはねかえす肌なのだ。ダーサが見たのはそういう眩しいまでの何かだった。

我々はうらやましがろうか。一考を要するところだ。本人にとっては、小中高と絶えずコンプレックスの因をなした。いささか彫りが深い顔だちも自慢のたねでなかった。






レディーになった奈々ちゃん





週末を挟んで数日のあいだ、女主人と召使いは、例のハプニングに触れないで暮らした。事件なんぞ起こらなかったかのように。

水曜日の朝だった。オフィスへ向かう角川君を、奈々ちゃんは送り出す。運転手ヌアンは、しかるべき場所にボスを届ける。とんぼ返りして奈々ちゃんが提供し てくれる朝食を奉公人部屋で ─ すなわちダーサが寝起きする部屋で ─ 食べる。奈々ちゃんは外出の支度をする。こたびのキャンディーは貴子さんの代役が目的ゆえ、買い物をはじめ公共料金の支払いまで、それからオフィスをも覗 いたりと、日に何遍と用ができる。してみれば、ヌアンは奈々ちゃんのドライバーをも兼ねるのだと云ってよかろう。

今朝は、父親が好物にするカンクンと呼ぶ野菜だの、スープカリーのダシをとるモルジブ・フィッシュというセイロン風鰹節だの、スーパーでは手に入らないか 入っても二流品にしかありつかない食材を調達しに、キャンディー中央市場へ行こうと、二階の部屋で身なりをととのえているところへ、ダーサがノックした。 (事件以来どのドアでもきっとノックしないでは開けなくなった。)

シンハラ語でわからないことを口にしたと思ったら、つかつか歩みよった。手に提げた黒いポリ袋の中から一枚の厚紙。画用紙だ。ニタニタ笑いながら鼻先へ突きつけるのは、わが肖像画。シギリヤ・レディーに似せてある。中でもとびきり有名な一人だ。

「ユーライキ、ピクチャ。ダーサ、ピクチャ」

絵をかきましたから御覧に入れます、と申すらしい。






レディーになったとはいいながら . . .





今度という今度はいかなる料簡でダーサがああいった挙にいでたのか、僕にも分かりかねる。

さすがに奈々ちゃんもギョッとしたらしい。けれども奈々ちゃんだ。たちまち平静を取り戻すなり「サンキュー」とひとこと、色鉛筆とおぼしき絵をめしあげた。

ところで、是非ともと言えたスポットではないのだが、すでに訪れたかこれから訪れようとしている人は、シギリヤ・レディーのポーズする洞に入ったら警備員が立っていて、チップをはずむなら通常では見られない絵を見せてくれることを知っているか知ることになるに違いない。旅行本等に写真が載っているので有名な壁画は、入り口付近にあるから誰でもみな初めに目に入る。

しかし、本当に興味深い幾つかは、足場が悪くて危険を伴うために賄賂を渡さないと見られない。

最初の入り口に近い方だけからすれば、昔の島女をモデルに制作したものだろうと考えるかもしれない。

そうではない。

「シギリヤ・レディー」の名にしもおわず、シギリヤの女に相対している保証はない。これは、余計な数千ルピーを払い且つ数十メートル転落するリスクを冒してまで禁断の裸体を目のあたりにした好事家連の知るところだ。

何しろアフリカ人や東洋人 ─ つまり日本人と同種族の女をも題材にしているので。

「それ旦那、あっちの厚ぼったい唇の、真っ黒けなやつがアフリカ女で。それから手前の、小さな目をした平べったい顔つきはモンゴルの女でさ」

僕にはそういう説明だった。

だから、シギリヤ・レディーに似せたといって、必ずしも奈々ちゃんに島女の容貌体つき肌あいを与えた意味ではなかろう、もっとも僕自身ブツを見せてもらったわけではないから推量の域に留めるのだが。シギリヤ観光したおり、穴蔵で出会った被写体どもが等しく豊満な肉体を持て余すふうだったのに心をうばわれたことだったが、これを言うと二の腕あたりをピシャリと打たれる。

恐らく奈々ちゃんは大理石のように目映く神々しくなりつつ、あの格好のみ同様にさせられていた . . . のだろう。






どうした、ロッキー!





召しつかいダーサは絵を見せて退出し、奈々ちゃんが今朝はどうしたものか、このまま出かけるか、それよりはケーブルテレビでNHKワールドでも見てぼんやりしようかと思案していたら、ロッキーとルーシーのきょうだい犬がけたたましく吠えながら鉄製の門扉に体当たりするのを聞いた。

僕は以前、二匹について「シェパード」と書いた。ちょっと見にはそう見えないでもない。ダーサにせよバンダーラにせよシェパードと断言するものだから一応シェパード犬としておいたけれども、犬を知る者であれば愛犬家でなくとも似て非なる種だと分かるはずだ。

なるほどロッキーは黒と白の毛並みがシェパードめいている。(ルーシーは黒と薄茶。)しかし、生えた毛は頭頂から顎下にかけて長く、純粋のシェパードと比較して正面から見たときライオンを思わせるものがある。事実、バンダーラに聞けばこれを別名ライオン・シェパードと呼ぶのですと言う。彼によるなら、ジャーマン・シェパードとライオン・シェパードとは同じもので、頭の毛が長い犬だ。キャンディーあたりでは人気と見え、あちらこちらの家で飼われている。僕が考えるのに、恐らくシェパードと島の犬とを掛け合わせたのでないかしら。そしてまた、ロッキー・ルーシーの類が好評を博しつつある理由は、ほかでもない、そのライオン然とした風貌による。セイロン人、中でもシンハラ族は、とりわけ獅子を好むのである。(国旗を見たまえな。)

そろって騒いでいたうち、どうしたことだろう、ロッキーははたと鳴りやむ。ひとりルーシーだけ頑張っているようなので、奈々ちゃんが二階のベランダへ出て小手をかざす。

と、門の外に男がい、芝生に水をやるダーサを呼び寄せた。何ぞ立ち話が始まる。あいだあいだ、「ルーシー!ぶっ!ルーシー!kuuru!」と叱るダーサ。門に前足を掛けたロッキーは、鼻をくんくん、くんくん、おもてを探っているが、悲鳴に似た情けない声をあげるではないか。

召しつかいは男と合意に達したらしく軽くうなづいて、いつになく暴れるルーシーを首縄でくくる。kuuruを設置した裏庭へと引いて行く。(kuuruは檻をいう現地言葉。)

閉じ込められて尚も吠える声。ロッキーはあたりをうろうろしだした。

足早にダーサが戻ってくる。手には門を開ける鍵。

男を請じ入れたとき、一頭のライオン・シェパードがロッキーを警戒してか爪先歩きで付いて入った。

「本当に愛くるしい顔。ロッキーが一目ぼれするのも無理ない。けどおじさん、犬も人間も同じね。驚いちゃった」






ロッキー、ルーシー、アーナンダーなど





「食べ物だけはありえないって思ったんだけど、ロッキーってやっぱり違う!」アクアが現れてロッキーもひとが変わった。

角川君のうちから二三分、曲がりくねった坂をだらだら登れば、日除けの下にでんと置かれた真っ白いベンツ。豪奢にたった邸宅にイスラム教徒の家族が住まう。当主は、キャンディー市のはずれにキャンパスをかまえる名門ぺーラデーニヤ大学医学部の教授職にある人物だ。ところで、この邸宅は奈々ちゃん達の散歩道に当たっている。逞しい体つきのロッキーが教授夫人の目に留まり、うちのアクアにどうかしらと、ひと晩相談した結果、使用人とともに愛犬を連れてよこした次第だった。

さあ、アクアも初めてなら、ロッキーも初めて、ドライバーと中央市場へ行くつもりで仕度中だった奈々ちゃんは、ダーサを買いにやらし、自分は犬と遊ぶことに決めた。ルーシーは余程癪なのだろう、アクアがkuuruに近づきでもしようなら飛び掛かるふりをする。ライバルと見るのだろうけれど、一面おにいちゃんをとられる悲しみであるのかもしれない。管理人バンダーラが言うのに、ロッキーとルーシー、実は種違いなのだ。かわいそうに、このやで飼われるようになった際、アーナンダー博士の命令でひとりルーシーのみ去勢処置をとらされた。

(博士と呼ぶのは家のオーナー。なんでも国連の職員にして一家を引き連れエチオピアに赴任中であり、ずっと向こうで暮らすだろうとのこと。僕は会ったことがない。角川君は博士に家を借りている。

バンダーラは博士の義兄といえようか。その姉を妻にしている。普段はそっちの実家で、つまり博士の実家で、妻と義母と三人暮らし。用事が出来ると角川君のほうへは顔を出す。

バンダーラも忙しい男で、管理人の仕事と農作業のかたわら、老義母まで世話しなければならない。これは重度の糖尿病という、ちょっと動かすのにも危険がともなうので、バンダーラ自ら医者へ連れて行く始末だ。大枚を投じてトゥクトゥクを購入した。そいつに乗せて行く。だからトゥクトゥクの運転手に間違えられる。街中を走っていれば客に止められようとする。角川君の門前へもトゥクトゥクで乗りつける。ドライバーのヌアンは顰蹙して、ここはジャパンから来たトップ・エンジニアのお屋敷ですぞ、世間体を考えてください、トゥクトゥクの車庫がわりに使われては困る、と怒ったことがあったが、あまり効き目はなかった。

笑止なのは、このごろ義母だけでなく、妻も、更にはバンダーラ自身さえも、糖尿の気が見えはじめた。バンダーラはまだ軽いようなものの、血は争えないのか、妻は母親同様に心配される。奈々ちゃんをつかまえては、

「アイオーお嬢様!わたしは疲れました、疲れました。わたしは疲労しています!母の面倒見が大変です。もう死にたいなどと口走ります。妻も泣いてばかり。アイオー!わたしはどうしたらよいでしょうか。ドクター・アーナンダーには始終電話で小言を言われます。もっとちゃんと介護しろと。お願いです。少し昼寝させてください。お嬢様のもとでしか気の休まる場がないのです」

と哀れっぽいことをいうものだから、今では奈々ちゃんもなるべく顔を合わせないようにしている。)






☆ 近々更新

セレンディップな日々

セレンディップな日々

褐色の召使い ジナダーサと、二十一歳になった角川奈々の、危険な物語。褐色の召し使い ジナダーサと、二十一歳になった角川奈々の、危険な物語。褐色の召しつかい ジナダーサと、二十一歳になった角川奈々の、危険な物語。

  • 小説
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-20

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  1. 行くべきか行かざるべきか
  2. ところはキャンディー
  3. 誇大空中都市もいいところ
  4. 黄金寺院はまた今度
  5. ことの起こり
  6. シギリヤの淑女でござい
  7. 電話のぬしは僕だった
  8. 奈奈とダーサ
  9. 召しつかいジナダーサ
  10. 推理
  11. もう少し推理
  12. 文化都市キャンディー
  13. 召しつかいジナダーサ【2】
  14. 角川奈々を知る
  15. レディーになった奈々ちゃん
  16. レディーになったとはいいながら . . .
  17. どうした、ロッキー!
  18. ロッキー、ルーシー、アーナンダーなど