灰色の関係
0.
私は先生を先生と呼ばない。だからといって皮肉っぽく教師とも呼びやしない。
そう、私は先生というものの類の存在をそう呼ばないのだ。一部の話だが。その一部しか先生と呼ばないことはないだろう。
まどろっこしいことを言った。簡潔に言うと、その人のことを私は先生と呼ばない。先生という肩書きを持った職業なのにもかかわらず。
呼びたくないのではない。別にそういうことではないのだ。
むしろ先生の中の先生。先生と呼ぶに相応しい人だ。
名ばかりだけの反面教師ではないのだ。
その話方は魔術師のごとく巧みで、そして美しく汚れのない。その面差しは秀麗で麗しく、笑みにはうそ偽りなく。
彼をたとえるなら黒。
一見純白のほうが正しく見えるがそうではない。
純白は白いからこそ汚れる、汚れが目立つ。汚れてしまえば汚くなる。
そう、あれは人生を渡り歩いてきてすべてを熟知した黒。
黒は汚れてしまっているから穢れはしない。だから汚くもならない。
漆黒の黒。
対比するならば私は白だろう。
純白の白々しいほどの白。これから汚れてしまう、そんな未熟な人生。
先生。
私はこの呼び名を呼ぶときが来るのだろうか。
いいや、来るんだ。来てしまうのだ。
でも、きっとそのときは・・・・・
私は最高の笑顔で笑うのだろう。
それが私がしなくてはならないことなのだから。
そう呼ぶのが正しいのだから。
白は白。
黒は黒。
私たちは決して灰色にはなれない。
1.
「今日もいい天気だなぁー・・・外でサッカーでもするか?」
彼はそういって私に笑みを向けた。
「それ、私の答えを知っていって聞いてるんですよね?」
私は俯いたまま冷めた態度で返す。俯いていたのは本を読んでいたからだ。故意ではない。
昼間、校庭で遊ぶ男子生徒たちの騒ぎ声。廊下から聞こえてくる女子生徒の笑い声。
すべてが嫌いだった。
けど、今の私にとっては少しくすぐったくて羨ましい声達。彼はそれも見越した上でそんな言葉を投げかけてきたのだろう。
暖かい日差し。カーテンをなびかせるほど良い風はたまに読んでいるページを早めてしまう。
隣から香るのは落ち着いた大人の香り。
私はこの空間が大好きだ。
「今日は何の本、読んでるんだ?」
隣に座る彼は自分自身で腕枕をしながら窓の方を向いている。男性の割には長い髪の毛が開けた窓から吹く風に揺れていた。
「そうですね・・・何でしょう?」
「何だそれ。」
そういった私に彼は風のように笑った。
「何でしょう?ふふっ・・」
ページをめくる。彼の髪がまた揺れる。
「そうですね・・・主人公が幸せになるお話しです。」
私は俯きながら笑みをこぼす。
「そっか、そりゃいい話だ・・・。」
彼が窓に向けていた顔をこちらに移した。
「なんですか?」
「なんでしょう?」
横目で見た彼が子供みたいな無邪気な笑顔でこちらをのぞきこんでいた。
やわらかくて、優しく、温かな。
「そうだな・・・こんにちは。」
「・・・はい、こんにちは。」
私もそれにつられて笑顔になる。
他愛もない、しかしどうしてか私の心を幸せにしてしまうこの会話。
鼓動の音はいつもよりも音を立てて早い。くすぐったくて恥ずかしい感覚。
私はこの空間がいとおしく、離れがたい。
頬はやんわりと桜色。数秒の見つめあい。
私は彼が好きだ。そのことを彼はもう気がついているだろう。
彼は黒だから。漆黒の黒に染まった大人だから。
私は白だから。純白の白は今のうち。今から穢れてしまうのだから。
彼は先生だ。この学校の保健医だ。
私は先生、もとい、染渡 黒(そめわたり くろ)さんが好きだ。
好意としてではなく恋愛対象として。
だから決して私たちは灰色にはならない。灰色にはならせない。私たちは混ざり合うことはないのだから。
私、世染 白(よぞめ はく)は染渡黒を愛した。
生徒は先生を愛してしまった。
2.
私と彼の話をすると今から二年前まで遡る事になる。
私、世染白は少し固めの制服を着て、桜咲く大きな校門を潜り抜け、この学校に入学をした。誰もがあこがれる高校生という名の青春の幕開けに私一人は異常に浮いていた。
あの頃の私は会話ができなかった。
耳が聞こえないわけでもなければ、目も見えないわけでもない。
ただ、話せない。
息をしている限り人間は会話ができるという医者の言葉。つまり、生きてる私は息をしているわけで会話ができるのだ。
そう、私は話せないのではない。話をしないのだ。
声が言葉がのどと唇からつむがれない。
しかも私は基本的に無表情だ。
表情というものが欠落した蝋人形のような人間。否、蝋人形の方が観賞するものなのだから笑みを浮かべて造られている。私よりも数段笑っているように思われる。
話もしなければ、喜怒哀楽もない。誰とも関わる事はなかった。
だからといって学校に行かなかったわけではない。授業にはきちんと休まず参加していた。自分で思うのもなんだが成績だってよかった。なかったのは人脈だけ。それでいいと思ってた。ここに入学し、通い、卒業する。それが私のすべてだった。
友人なんて要らない、恋人なんてもってのほか。誰一人として関わりを持ちたくはなかった。
誰にも触れたくなかった。
人間という名をもって存在するものすべて。私を含めたすべての人間が大嫌いだった。消えてしまえと思うほどに。
地球なんてなくなってしまえと、本気でそう思っていた。
あの人に出会う前までは。
彼が変えた私の世界観。それが今の私を呼び覚ましてくれたのだった。
入学してから二ヶ月ほどたった頃。
私もこの新しい学校生活に慣れつつあった。慣れるとはいっても学校内の教室の位置、先生の名前、登校から下校までの道のりなどを覚えることで当たり前のようにクラスの慣れる事、溶け込むことは一切なかった。担任もそのことに最近気づき、毎日のように何かしら声をかけてくる始末。話せない事を知っているから余計に面倒くさい。話が一方通行だからだ。しかし、担任として善人先生づらをしてるのも長く見積もって一ヶ月。だんだんと私という存在の諦めがつき、特に何もしなくなる。
それが私の持っているの先生という存在の概念。
面倒で偽善者で、大嫌いな人間。
そんな先生を毎日、私は無で返していた。
今日も廊下を歩いていたところを捕まってしまい、長い話につき合わされていた。
心底面倒くさい。
私は図書館に本を返しに行きたいだけだったのに。早くこの本を返して新しい本を読みたい。
「世染さん、あなたならきっと・・・・」
聞き飽きた言葉。もうそれは耳にとどまることはない。
もう、本を返せなくてもいい。何だっていいから早く早く、ここから解放して。
俯く私の無表情の顔。でも心の中ではものすごい形相をしている。
それは誰も知りはしない。
「わ、すごい顔。」
ふと聞こえた別の声。その声は私の背後から空気を揺らして。
「・・・染渡先生。」
担任が私の向こう側を見てそう呟いた。
私も釣られてそちらに振り返るとそこには白衣を着た男性が笑いながらたっていた。
「君、新入生だよね?すごい形相、面白かった。」
おそらく先生であろうその染渡と呼ばれたその男は私と目が合うなり、ひどく面白そうに笑った。
・・・指で私を指しながら。
「染渡先生、人に指を指すものではありません。」
「あ、すみません。つい、うっかり。」
先生が先生に怒られている。
その瞬間、私の中でのこの人の第一印象がつけられた。
・・・だめな大人だ、この人。
「あ、染渡先生丁度よかったわ。以前話をした生徒、彼女が世染さん。」
私は小さくお辞儀をした。
「あ、その子が。ふーん・・・・」
その人は私をつま先から頭のつむじまでじっくりと品定めをするように見た。
灰色の関係