捨て身の手段

某サイトで制限時間三十分で生まれた書きかけを、修正して完成させたもの。
お題:経験のない音楽  必須要素:右の上履き でした。

 人を惹き付けておいて、鈍感だから気づかない人物というのは始末に負えない。
 さんざん期待させて気持ちには答えないのだから、相手にしてみれば生殺しもいいところである。それでいて本人は真の意味でそうしたわけでもなく、天然でそうなったとあっては救いようがない。悪気はないので罪に問うこともできず、相手は泣き寝入りもいいところだ。
 そしていい人なので憎むこともできず、相手の気持ちは募るばかりだ。
 彼も人にそう思わせることが多い人物だったが、本人はまるで自覚がないため、自分自身は異性にモテない男だと思い込んでいた。部活動と勉強に打ち込んでいて忙しかったから、ということもある。
 なんとか意中の彼を振り向かせようと、人々は躍起になった。いずれ彼自身にも自分たちの募る感情を思い知らせてやろうと、ライバルたちはしのぎを削っている。
 しかしそれも水面下で起こっていることにすぎなかったため、まるで本人は気づかず、平和そのもので過ごしていたところである。
 そんな彼に思わぬことが起こったのは、夏のある日だった。
 高校の授業が終わり、彼は後は部活動に向かうだけという放課後のことだ。ひどく暑い日で憎らしいほど天気がよく、半そでのワイシャツに学ランのスラックス姿でいても、じっとりと汗が浮いてくる。
 下駄箱で上履きを脱ぎ、右足を抜きかけたところで不意に、軽快で透き通るような音楽が聞こえてきたので彼は顔を上げた。それは、彼の下駄箱の中からだった。
 上履きをしまうはずのスペースから点滅する物体を取り出すと、スマートフォンが入っていた。ただそれは、ガラパゴスケータイを使っている彼の所有物ではなく、まったく他人のものである。今の音楽は、ガラパゴスケータイよりも音響が発達したスマートフォンから聞こえたから、彼にはひどく綺麗な音に聞こえたらしい。
 アラームが仕掛けられていたようだが、音楽とともにメッセージが表示されている。
『放課後、体育館の裏まで来てください。お話したいことがあります。これは私のスマホです』
 これは新手の告白手段らしいが、自分自身のスマートフォンを差し出して誘いをかけるとは、人がいい相手なら心配して届けたくなるので無視できない方法である。
 そして彼は人がいい性格だったので、まんまと相手の思惑通りに動いてしまった。
 ただの手紙だったら忙しい身の上、いたずらだと思っていつもの彼だったら無視していただろう。


 到着した先にはすでに相手が待っていたが、彼は自分よりも年上の異性を見上げて、度肝を抜かれているようだった。
「これ置いてったのは先生ですか?」
 タイトスカートの灰色のスーツに身を包んだ女性教諭は、ノンフレームの眼鏡の向こうから笑顔を向けてきた。
「ええ、そうよ」
 こともなげに彼女はそう言ってのけたが、生徒と教師の間柄のことだ。
 ただのアプローチではライバルの生徒と張り合えないということで、彼女はこのような手段をとったようだ。だが彼は自分の影で巻き起こる競争の激しさを知らないので、困惑するばかりである。
 やっと上がることができた戦いのステージで、女性教諭は彼の人の好さと自身の運の良さを喜び、今はただ嬉しげに佇んでいる。
 これでやっと伝えられる初期段階に達したばかりだ。本番は、これからである。

捨て身の手段

捨て身の手段

鈍い人に気付いてもらうのって大変ですよね、って話。

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更新日
登録日
2015-08-18

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