(DOD)ドラゴンのお嬢さんの話
半分オリジナルです。
「あら、良い夜ですわね」
ドラゴンのお嬢さんは、暗い洞窟の奥の方で、硬い鉄のお洋服を身につけた旅人様へ、それは丁寧に、いっとう綺麗なごあいさつをなさいました。
皆さんの生きておられる時代には、このドラゴンという生き物はてんで存在しておらぬ、おそらくただのお話の中でしか耳にせぬ、おとぎの登場人物であるのでしょうか。
いいえ、ドラゴンは確かに皆さんが生きておられるその場所に、たいそう昔には必ずいらしたのです。
もちろんお名前は各々に違うものをお持ちになっておられたでしょう。
しかし、そのお名前は、ドラゴンそのものを指すものだけでありまして、ドラゴンにひとつひとつ下げられたもうたお名前ではありません。
皆さんの住んでいるお国では、あるいは竜と読んだり、漢字を変えて龍と呼ばれ、または、私の今呼ばせて頂いているような「ドラゴン」とだけ発音したりと、様々にありますね。
とにかくそのドラゴンであり、龍であり、竜である、そのお嬢さんは、彼女のお家へ訪れた客人をもてなすのに、神聖なこうべをお下げになったのでした。
ところがお客さんは非常識なことに、そのごあいさつをまるで見えていなかったとでも言うように目も合わせず、ただ口を空けて、ぽかりんと、ドラゴンのお嬢さんのお腹のあたりだけを見上げていたのです。
「良い夜ですわね、旅人様!今夜はお月さまも、まんまるに出ていたことでしょう!ああ、こんな夜にいらした方が、幸せをお持ちにならないはずはないわね!さあお上がりになって、その重そうな旅の服をお脱ぎになってしまいなさいな。洞窟の奥は人間の子でも、卵から……ああ、人間は浅ましくもお母様のお腹を食い破って出てくるのでしたっけ?そうそう、お腹から出てきたままの姿でいられるようにしてあるのですから」
ドラゴンのお嬢さんは、嬉しそうに牙を横見せにしてほほ笑むと、彼女のディナーにふさわしい体格を持った男であるということが待ち切れず、それは興奮なさって尻尾を振り上げました。
振り上げた尻尾の方から舞い上がった風はごうごうと音をたてて洞窟を揺らしましたが、尾の先にもかすらない程度には広く作ってある洞窟の頑丈さは、その程度では地震程度にしか感じられません。
旅の男は、その地揺れにもピンとこないのか、まだまだドラゴンのお嬢さんのお腹をじっと見たままで立ちつくしているのでした。
「……ええと、人間というのは弁えないことに、お名前をひとつひとつ、親とかいう勘違いどもから与えられているのでしたっけ?そうでもしないと自分を保っていられないのでしたっけ?でしたら、その名くらいは、あたくしのお口の中から吐きださせて差し上げてもいいのですけれど。……もしかして、あたくしの恰好が恐ろしいの?でも、それでしたらまたおかしな話になりますわ!だって、そのお洒落は、あたくしのお首をかきにいらしたのでしょう?……いいえ、おかしくはないかしら。人間というのは脳味噌がずいぶんお小さくていらっしゃるから、あたくしの姿を見かけるまでは強気で、現実にあたくしを受け入れてから恐がる妙な習性をお持ちでいらっしゃるから。……いいえ、いいえ、それにしたって呼吸が静かだわ。あなたという人は本当に変な人。恐がっている人間はもっと息が臭くて呼吸がゼイゼイしているわ。胸のあたりも古いお鍋のようにべこべことするものですし、怒っている人間もだいたい同じ。あなたは……あなたは、」
ここで読者の皆様に謝らなくてはならないことがございます。
このドラゴンという生き物は、何故だか全員が全員、とてつもなくおしゃべりなのです。
永い年月をまたぐ伝説とは、裏を返せばそれは何もない限り相当にお暇な時間をお過ごしにならなくてはいけないものです。
皆さんも不老不死という言葉は聞いたことがあるでしょうか。
あれは決していいものではございません。
誰が好きこのんで、昨日まで仲良しに遊んでいた人の老いて、あるいは病み苦しみ、死んで腐っていく様を見届けなくてはならないのでしょうか。
とにかく、こちらにいらっしゃるドラゴンのお嬢さんも、例外なくおしゃべりなので、彼女のおしゃべり全てを記録するには、私も万年の時を経て指を動かさなくてはならない訳です。
今回は、特に今の皆さんにお伝えしやすいよう、これでもずいぶんと短く短く、端折って書き込んでいる事情ですから、おしゃべりの長さに眉を寄せる男の顔もなんとなく思い起こしてくださるのではないでしょうか。
あんぐりというには狭い口をなお半開きにしながら、ようやっと男が次の言葉をせり出そうとしているのか、首をゆっくりと、静かに前に倒しました。
しかしそれはすぐに肯定の頷きであることが分かります。
男は、本当に何も、一言も、失礼なことに話さないまま、ドラゴンのお嬢さんの
「喜んでいるのか」
という問いに答えたのでした。
本当に、男は驚いたことに、天から唯一愛された子供らであるドラゴンの前に立ち、喜んでいると、無礼にも言葉一つ使わずに申したのです。
これにはドラゴンのお嬢さんも、炎を吐く可憐なお口を、横一文字に蓋してしまいました。
それから、「普通の大山」よりも強く作られている、この洞窟の岸壁が崩れ落ちてしまいそうなほどの唸り声を上げていきます。
おそらく通常の年月を生きている、そこらへんの村で畑を糧に地べたを這いずっている人間であれば、この威圧感のみで心臓を止めてしまうほどの迫力を打ち圧しておりました。
ところがこのマヌケな、いや、恐ろしく鈍感な、としか表現できない男は、無言で、腰にくくりつけてあったイチジクの実をほおばるではありませんか!
それが、この神の御使いであられるドラゴンのお嬢さんを、どんなにどんなにお怒りに至らせたのか、読者の皆様はようくお分かりでしょう。
とにかく数万年ぶりとも思える激情に震えたドラゴンのお嬢さんは、火炎を口に、オリハルコンの刃を尾に乗せて、男にその御身をかすらせたのでございます。
しかし、通常の人間であれば肉片すらも泥っぱし以下の塵にしてしまわれるような、この圧倒的な業に対して、男は全くの無傷でありました。
「あたくしの身体に障るなんて、こ、この変態!あなた、まさかとは思うけれど、いいえ、決してそんなことはあり得ないと思うけれども、このあたくしを受けて粉に墜ちないなんて、あなたってまさか、人間のふりをした」
「ドラゴンだ」
つぎの瞬間にすさまじい光を放ったのは、男の背後から。
そして、「人間のふりをした」の後に響き渡った声は、明らかに男のものではない神々しさで満ち満ちておりました。
次には男の横を割って入るように、先ほどのドラゴンのお嬢さんが放り投げたものとは比べ物にならない、ヨハネ様の梯子を足蹴に倒したような焔がのたうってきたのです。
可哀そうに、ドラゴンのお嬢さんは数千を超える月の巡りの中でお手入れを行ってきた美しい鱗にススをつけられ、洞窟にはお勝手口をくっつけられ、あまりの悲しみに火炎の涙を零しながら、どこぞへと飛び去って行ってしまいました。
(アンヘル!よかったな!友達ができたぞ!!)
男は嬉しそうに、背後のドラゴンの奥さんを見上げました。
先ほどよりも唇は柔らかく、何かしらの音を示す様に動きはしますが、
鼓膜にまで届くような振動となることはありませんでした。
それもそのはず、先ほどまで聞こえなかった声は、このドラゴンの奥さんと結婚なさるときに、棄ててしまわれたのです。
とはいっても、この奥さんが大変な賢明さで、声を救いあげては好いように返してくれるので、男は何も不満には思わなくなっていたのでありました。
「なにが友達だ、この愚か者が!我を汚らわしい人どもと同じに考えるなとあれほど言いつけてあったろうが!それとも何か、お前は一夫多妻の民の生まれであったのか!?それなら残念であったなぁカイム!契約は一人と一ドラゴン、これのみよ!この天と地の支配者を前にしてまあ友達だのよかっただのと、そのような軽口がよくもポンポンと出てきたものだわ!お主の頭には肉塊と少しの雑草しか生えておらなんだか!?しかもお主が喜び勇んで言い寄っておったあの愚図女は土くれを残し尻尾を丸めこんで逃げ去ってしまったではないか!我の神性に触れた故と思うと多少哀れにとは思うが、これでは友達もなにも始まっておらぬではないかカイムよ!」
ドラゴンの奥さんは、彼女たち共通の、もはや趣味に近い長話を続けておりました。
お顔はとてもお怒りになっているように見えますし、実際に他の人間が見れば瘴気にあたって二度と床からあがれなくなってしまうでしょう。
男はそんな奥さんのふてくされ顔を、ただにこやかに見つめています。
(すまん、お前がそんなに友達を楽しみにしているとは思わなかった)
「ああこちらこそ悪かったなカイムよ、お主は他人と話せぬがばかりに思考能力すら失ってしまったようだ。これは我の責任ともいえるな。しかしこの部屋は狭いがよく出来ておる。しばらくはここで寝泊りをしようぞ、カイム」
カイムと呼ばれた男は、そう言われてようやく背中の鉄塊というような代物の大つるぎを降ろしました。
ドラゴンの奥さんが決めたことなのですから、しばらくはここが二人の住居になるのです。
(そうしよう、アンヘル。当面の家も決まったし、今日は一緒に酒でもどうだ)
ドラゴンには固有のお名前が存しないというお話を、私は今日皆さんによくよくお伝えしたかと思います。
それではなぜこの「アンヘル」さんは、お名前を持っていらっしゃるのか、とても不思議に思われるでしょうか。
もしもあなたの近くにドラゴンが飛んでいたならば、ぜひこっそりと尋ねてごらんなさい。
ドラゴンたちはお喋りが大好きでいらっしゃいますから、それはゆっくりと、あなたがたが骨になりシロツメクサになるまで、丁寧にお話ししてくださることでしょう。
ところで、腰につけていたカイムのイチジクは、すっかり奥さんの火つけによって焦げてしまっていたのです。
お酒のおつまみをなくした彼が、傍らに寝転ぶドラゴンのうろこを物欲しそうな目で見つめていたというのは、また別のお話しにいたしましょう。
(DOD)ドラゴンのお嬢さんの話