白の境界

ぞろりと連なった箱が芋虫のように線の上を這って、ずるずると近づいていた。
かんかんと鼓膜を叩く鋭い音は網膜の奥でも赤く明滅して、だから彼女の白さがとても鮮やかだった。
足首まであるような長いワンピース。夜に浮かぶ白。
彼女は黄色と黒の境界線の内側にいても、とても幸せそうに笑うのだ。
長い髪が風に煽られて宙を舞った。
美しい、桃色の唇がそっと開いて何かの形を作る。
地響きとともにぞろぞろ這い寄って来る気配が、露出している全ての肌をせっついていた。
時折甲高く何かを喚くから、彼女の声を聞き取れない。
彼女が少しだけ、声を張った。
「……で、……ぃ、――ね」
分からなかった。首を振ると、彼女がもう一度、口を開いた。
――これで、忘れられないよね。
轟音とともにやってきた突風が全てをさらって、最期の言葉すら粉々に砕くのに瞬きも要らなかった。
固い芋虫は彼女の身体を突き破って、引き千切って踏み潰してもまだ足りず、どろどろとその重たい身体を彼女だったものの上に横たえていく。
酷く耳障りな鳴き声を上げて、ようやく動きを止めたそれを見届けて、僕はその場からそっと立ち去った。
何故だろう。彼女の顔も、その声も、既に記憶におぼろげで。
ただ、白いワンピースの色だけが脳裏にこびり付いていた。

蒸し暑い夏の日だった。
太陽の光を吸収して蕩けた鉄が汚らしくこびりついた線路は、もうすっかり過去の事など忘れ去って、あの時飛び散った彼女の肉片も血の雫も今頃は何かの栄養になって消えた頃。
白い服の女がじっと踏切を見つめていた。いつまで経っても渡ろうとしないその姿に、周りの人間は奇異の視線を向けたけれど僕には理由が分かっていた。
その女がふと顔を上げた。
迷った黒い瞳が僕を映す。
見えるんですか。
血の気の薄い唇をゆっくりと動かして、女は言った。
僕は頷いた。
「わすれられないんです」
女が目を伏せた。
道端では倒れた花束が小さく風に揺れていた。
確かに彼女の痕跡は消えたけれど相変わらず、踏切では悲劇が絶えない。
白い服の女ばかりが死んでいると言う。
仕方ない、白が好きなんだ。
彼女は。
「あなたがさせているんですか」
尋ねる女の声は少し震えていた。
僕は少し考えて、首を振った。
「違うよ、止めさせられないんだ」
僕が忘れちゃうから。
都合の悪い言葉は、果たして彼女に伝わったのだろうか。
険しくなった女の視線を浴びながら、僕はそっと溜め息を吐いた。
「あなたが、そんなだから」
刺のある声は交互に喚き始めた赤い警告音にかき消された。
うん、知っているよと答えた声もきっと、届かなかっただろう。
ゆっくりと垂れ下がって来る境界線を見上げていた僕は、生ぬるい風の中に鉄錆の匂いを感じてウンザリと線路の中に視線を戻した。

「分かっているよ、まだ忘れないから」

白い女が笑っていた。
ぞろりぞろりと、あいつが這って来る。

白の境界

白の境界

踏切の中の白い女が何度も蘇る

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-07-18

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND