ダークネスメテオ《闇ノ物語》

ダークネスメテオ《闇ノ物語》

「俺は、誰かを助けてみたいと夢見る、ただそれだけの子供だったんだ」
──主人公・ルナンと謎多き少女の冒険譚。
ほぼ処女作でした。第3幕までで一旦お話はひと段落しています。
拙いところも多い作品ですが、みなさまのお暇つぶしになれば幸いです。

※現在、長期更新停止中。水面下でこちらの改稿版を準備中です。

探索『復讐を果たしに』

 うっそうと茂る木々の奥深く。
 今日、そこで一つの物陰が何やら音を立て茨の道を掻き分けていた。
「確か、この先なんだ……」
 薄暗い闇の中から現れたその男は、独り念じるように呟く。
 銀の髪に、淡い木漏れ日が差す。
 辺りから動物たちの活動の息吹が聴こえ始める、早朝の森。
 小動物が樹の上でどんぐりを頬張るその影で、肉食鳥が潜む獰猛な気配に脇目も振らず、男は進む。
 いまは、男のとなりに一つの慣れ親しんだ気配がある。よく見ればその足元に、これまた一風変わった小さな生き物がいた。
「ご主人様、ボクも知らないところにゃ? ボク、初めて連れられる場所ですにゃ」
「……そうだな。お前は知らぬだろう。お前と出会うよりも、前だから」
 男は淡々と返答し、足を止めない。
 どうやらヒト語を喋るらしいその生き物は、もこもことした体で獣耳をぴんと立てて周囲を見回している。
「ルナン様。この森、他のところとは少し違うにゃ。……不穏、ボクそんな気がしますにゃ」
 懸命に後を付いてくる三毛色の毛玉。金色の瞳と同じ色をした鈴が、首元でまるっこい胴体に当たって音を鳴らす。
 ルナンと呼ばれたその男は、不安げな警告を聞き入れるや否や眉間にしわを寄せた。
「やかましい! そんな事はとうの昔に知っておる」
 苦しげな怒号。それは叱りつけるような類いのものではなく、喉仏を絞めたような叫び方だった。
「にゃ……?」
「俺はもう、この地に負けるほど弱くはない……一刻も早く、決着を付けなくてはならないんだ」
 自分の声音が存外低く発されたことに、ルナン自身が驚いた。大きな感情の波に心が掻き乱されるのを感じる。
 俺は、とんでもないことをしようとしている……。
 それでも、最早戻れないのだ。
 忘れもしないあの日から、今日という日まで揺らぐことのない信念。それを今更覆すことはできまい。

「ルナン様……」
 物静かな主(あるじ)が、自分の目の前でこんな風に葛藤を垣間見せることは珍しい。
 なにか声を掛けなくては、と尻尾をそわそわさせている猫っぽいそいつを、ルナンは横目で見遣った。
 根を詰めた時など気紛れにはなるコイツのことは、案外嫌いではない。己を落ち着かせようと努めて冷静な表情で注意を返した。
「……それからアールズ。俺はお前に名前呼びを許可した覚えは無いぞ?」
「みゃああああっご主人様! すみませんですにゃあぁ!」
 涙目のもこもこは条件反射で謝った。要するに今のルナンの顔はめちゃくちゃ怒ってるように見えて、ものすごくおっかない。
 そうだった。ご主人様からはいつも名を伏せるように申し付けられているのに!
 詰まる所、この猫はどんくさい。
「外で呼んでは不都合だといつも言っておろうがぁあああ!」
 主が背中を曲げて大きく右足を振りかぶる動作を見る間も無く、猫──すなわちアールズは綺麗な弧を描いて吹っ飛んだ。
 樹の間をすり抜けていく。
「にゃああぁあぁああっんげふっ! いっ……いたいにゃ……!」
 背中を打って転がった地面が硬い。
 見れば、その頭上には有明の青空が広がっていた。
「へ? にゃんごと!?」
 森は唐突に途切れており、乾いた砂の気配を感じる石造りの床がそこにある。
 寂れた大きな石碑と、隣には地下へ続くであろう階段。
 ここだけが広い空き地のように開けた空間で、異質な空気を放っていた。
「すごいにゃ! 森に遺跡にゃー!」
「着いたか」
 一足遅れて木々を潜り抜けて来たルナンは、何者にも遮られない風を感じて目を細める。
 黒いマントが翻った。
「五年振りか、ここへ来るのは……」



「ふおおおぉぉ……! すごい遺跡ですにゃ! ボク、遺跡って初めてなんですにゃー!」
「変なものには触れるでないぞ」
 興奮するアールズに釘を刺しておくルナンは、厳重な警戒を決して怠らない。
 石碑横の狭い階段を降りていくと、内部はレンガ造りの薄暗い通路となっていた。
 そこは等間隔に並ぶライトに照らされ、肉眼でもぼんやりと景色がわかる。
「はいですにゃ! この絵もなんだか古めかしいですにゃー」
 通路のところどころに、月と宇宙が描かれた彫刻の壁画がある。
「……さて、まずは確かめるのが先決か」

 へんてこな形をした壁画はアールズには変わった絵にしか見えないが、ルナンは時折それをじっと見つめている。
「なにかあるんですにゃ?」
「そうだな。一つ一つ意味があるらしい。例えば……」
 ルナンは一つの横長の絵に手を伸ばし、指先で静かに辿った。
 すると突如、その絵がルナンの体温を待っていたかのように青白く輝き出し、ごごごごと四方の壁が揺れ始める。
「やったか? 言語通りならば……アールズ掴まれ!」
「にゃんですにゃ!? にゃあああああっ」
 アールズは慌ただしくルナンの左脚にしがみ付く。
 一方の壁が破壊され崩れ落ちてゆく。地鳴りは深刻さを増し、なんと今居る床が一直線に壁の失せた向こう側へと滑り突き出た。
「くそっ、これは古の罠か……ぬあっ!?」
 地下空間で音という音が反響し、鈍い轟音が轟いた。
 天井と壁全てが消えたかと思うほど、通路の閉塞感がない。
 動きが止まり、遺跡は再び静けさを取り戻した。
「これは……」
 罠ではない。
 ルナンたちは、だだっ広い大広間のような場所に出ていた。
 天井は突き抜けて高く、これまでの通路の狭さが嘘のようだ。
「デカ……ものすごくデカイ上にここめっちゃ高いにゃ」
 ぺたんとアールズが座り込んだ。
 下にも道は続いており、柵の向こうに下層の広間が見渡せる。どうやら、自分たちが居るところはまだ上層部だったらしい。
「ほう、古文書の通りか。平面でなく上下に奥があるのだな」
 初めて感嘆の声で唸ったルナンに、アールズは意外さを感じた。
「じゃあ、前に来たとき、ご主人様は奥まで行かなかったんですにゃ?」
 主の性格を考えると、最後まで見なくては気が済まなさそうな場所なのに。
 というアールズの心をまるで読んだかのように、ルナンは冷ややかに言い放つ。
「だから今、来ているんだろうが」
 一方、空気の流れが変わったことをルナンは気に掛けていた。大広間に出たからではない、異質な“なにか”が。
「な、成る程にゃ! こんなところボクでも気になっちゃいますにゃー!」
 説明をどこか省略するのは、主の悪いくせである。直してくれることは正直期待できない。
 しかしこんなところだからこそ、説明をしている暇がない。
 ルナンはなにかを察知した。
「……おいアールズ!」

 主に叫ばれアールズは動揺する。
「にゃっ!? にゃにゃにゃんですかご主人様! アールズは何も悪い事考えてませんですにゃ!」
「よく見ろ馬鹿猫!」
 シッ、とルナンが目配せした先は遥か見下ろす下層だった。今居るところから丁度見える角度である。
 闇に紛れて、そいつは居た。
「グオオオオオッ」
 獣の咆哮。
 暗色をした毛並みの、常人から見ればとんでもない大きさの黒い魔物である。
 その全長が人間の三倍はあるのを見てから、ルナンはまた“なにか”を奇妙に思った。
「ご主人様……! 魔物だけじゃにゃいにゃ!」
「なに?」
 落ち着いた、否、血の気の失せたアールズの嗅覚がそう告げる。先ほどからルナンが妙に感じていたのは、あの鈍足な魔物の気配では無かった。
「…………」
 全身を強張らせながら、鋭く感性を研ぎ澄ます。
「ヒトが居るにゃ!」
「──っ!」
 瞬間、ルナンは地を蹴った。
「ルナン様ー!?」
 眼前の柵を乗り越え、優に十メートルはあろうかという下層へと単身で飛び降りる。
「グォ……ッ」
 うっすらと見える人影に迫っていた目を光らせる異形の魔物も、気配を感知したのだろう。急速に降下するルナンに向かって竜のように首をもたげる。
 その間ルナンは、重力に逆らいつつ右脚を引き上げ目線を天井に向けると、無防備に首元をさらけ出した。
「来い……闇よ!」
 すると突如、ルナンの周囲に紫電の閃光が纏われたのだ。そこで初めて見下ろす形で真下の魔物を一瞥する。
 ルナンが右手を掲げるのと、魔物が凶暴な牙を剥いたのは同時だった。

「俺はッ」
「ギシャアアアアアッ!」
 時が止まったように体感する刹那。
 霞む速さで肉を抉ったのは、他でもない剣撃だった。
 血塗れで硬直した魔物の巨体が倒れ伏す。周囲にあった石碑が、音を立てて破壊された。
「復讐を、果たしに来たんだ」
 反動でゆっくりと降下するルナンの右手には、闇色の大剣が握られていた。
 魔物がその目で大剣を捉えることは出来たのかは、誰も知ることなど出来ないであろう。
 なびくマントに魔力を流し込む。ふわり、と屍の上を滑空し、まるで何事も無かったかのように下層へ着地した。
 捜すべき本懐は、こんな獣ではない。
 厳重な警戒と少しの期待感に逸る胸を鎮めつつ、霧の向こう側の空間を見遣る。
 特異かつ大きな力を抑えた者の気配が確かに感じ取れて、ルナンは喉奥から低音を発した。
「……姿を現せ」
 右手の大剣を緩く構える。
 最早判りきっているのだ──こんな人里離れた場所に居るのだから只者では無いことを──相手も、そして己も。
 しかし、その返答はルナンの意に反したものであった。
「げほ、はぁ、はぁ……」
「なっ」
 奥から聞こえたのは、怠さを滲ませた幼い咳き込みだった。
「…………」
 やはりおかしい。先ほどからルナンの本能に直接訴えかける危険な魔力の波動は、あんな風に衰弱した子供から発されるものではない。
「しんじゃうかと、思った……」
 高く綺麗なソプラノが響き渡り、徐々に浮かび上がる霧の奥の輪郭線。
 足を縺れさせながら床を踏みしめて歩いてくる小さな少女の姿を見て、ルナンは絶句した。
 鈍い輝きを放つぼさぼさの金髪。細い四肢に纏った、激戦の後のような掠れて焼き焦げた衣服。
 ……驚いたことに、ルナンはその少女に確実な見覚えがあった。霧を抜けかけた少女の元へと駆け寄ると凄まじい剣幕で叫んだ。
「おい! お前は何故ここに居る!?」
 ルナンの戦士たる余裕など、何処かへ飛んで行っていた。
 我を忘れて詰め寄り、左手で少女の腕を掴む。
「この場所で、何をしていた!」

 ルナンを眼前にした少女は、今はその声にも応える気力が無いと言うかのように呆然としていた。
 倒れ伏す巨大な魔物と遺跡内部の様子を一通り見渡したあと、やっと正面に向き直る。
 綺麗な桃色の瞳をまあるくすると、パッと花が開いたような満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう!」
「……は?」
 息を詰めていたルナンは思わず拍子抜けした。
「ねぇ、これはなに? あなたが私を助けてくれたの?」
 少女は、魔物から血が出ているのと、ルナンの右手に血塗られた大剣が握られているのをもう一度確認する。
 どうやら出現した魔物の標的は、この少女だったらしい。
「否(いな)、そういう訳ではないが」
 成る程。俺が来なければ、少女は何の造作もなく体を食い千切られ、死んでいたかも知れない。
 だが己もあの日、この遺跡で生を終えていたかも知れなかったのだ。
 ……この幼い少女に庇って貰わなければ。
 ふと本人を見ると、少女は背伸びして長い髪を揺らしながら、懸命に上層部へ注目している。するとその方向から、
「ご主人さま~! ご無事ですかにゃ~!」
 ……腑抜けた声が反響する。例の猫、アールズが長い階段を亀の歩みで降りてきていた。
「わあ! あの子、ぺっと? お友だち?」
「今は放っておけ。あれでも無能な使い魔なんだ」
 好奇心で輝いている少女の顔とは裏腹に、ルナンは微量の怒りが滲んだ様子で言った。そんな話をしている場合ではないのだ。
「それよりもお前。そんなになるまで、ここで何をしていたんだ」
 ルナンはもう一度、答えを促した。そして、自身最大の目的を問い掛ける。
「五年前、【奴】はどうなった……?」

 俺はある男を捜している。
 それは、己がここに来た理由そのものだ。当人は居ないようだが、こいつならば男の行方を答えられるだろう。
 手間が省けた──そう思っていた矢先に、少女は首を振った。
「わからないの」
「……何だと?」
 ……この少女は、【奴】あるいは何者かと戦ったのではないのか?
 ルナンは未だ混乱に沸いている頭をフル回転させ思案する。
 少女の、明らかに攻撃を受けて廃れたような服。鈍色の金髪も薄黒い肌も、砂埃で汚れているゆえの色なのだろう。
「だってわたし、なにもしてない……」
 だが本人は、戦いなど知らぬと言わんばかりの口ぶりである。ならば何故こんな格好をしてここに居るのか、さっぱり事情がわからない。
 そもそもこいつの言動はちぐはぐである。
「……どういう事だ? 俺は、当時お前が戦っているのをこの目で見たぞ。そのあとどうなったのかと訊いているんだ」
 そして少女は少し顔を曇らせる。その口から発せられた答えは、ルナンの想像の遥か上を行っていた。
「あなたは、だあれ?」
『……え?』
 幼い言葉は、ルナンの記憶と信念を真っ向から否定するものであった。
「わたしは、あなたに何をしたのかな」
 少女は手を組んで、静かに俯いた。自分が着ているボロボロのシルク生地の布には、金や蒼の刺繍が見える。
 大剣を投げ捨てたルナンが肩を揺さぶった。
『おい! 誰が忘れるものか……五年前【奴】から俺を庇って遺跡に残ったのは、お前だろうが……!』
 地に跳ねた大剣が主の意を汲んだかのように、刀身を曲げ虚空へと消える。
 再び顔を上げた少女の表情からは、すでに過去の意思が抜け落ちていた。
「わたしは、なんなの……?」

 少女は、全てを忘却していた──



 (2014/12/19・〆)

序幕『記憶の可能性』

 ────……
 ──……


 眩しい光を見た。
 昼下がり。青々とした一面の草原が輝く。
 そこで幼い少年が、友達と追いかけっこをしている。時々転んだり、負けたら膨れて不平不満を言いながら。
 夕陽が傾くまで、飽きもせずに少年たちは走り続けていた。
 臆することなど何一つない、底抜けに明るい笑顔を浮かべて。
 それが、少年にとってのフツー。
 あたりまえの光景だった。


 だが、悲劇はいつだって突然訪れる。
 西日が沈もうとしたその瞬間、前を走っていた友達がフッと消えた。
「……え?」
 辺りからは全ての光が無くなり、少年は暗闇に独りで取り残された。
 這い上がってくる不安感。
「待てよ! なんで俺を置いて行くんだよ……!」
 いつもの景色は、もうどこにもない。
 同時に、心のどこかでこれが“夢”だと確信する自分がいた。
 ここがあの古代遺跡ではなく、真っ暗で灯りもない場所だったから。
 これは、俺の心が創り出す悪夢だ。
 悪い夢だと知っていても、この後のことを忘れられずにいても、俺にはこの記憶こそが恐怖の対象だった。
 うろたえる少年の背後に、いつのまにか白い男が立っていた。
「銀の少年よ、可哀想に。きみは心に大きな孤独を宿しているね……」

 慈悲深い声の主のほうを見て、少年は息が詰まった。作りモノのような顔の右半分には、気分の悪くなるような色の痣が広がっていた。
 幽霊のようにも見えるその男は、背筋が凍る程冷たい微笑を浮かべて、こちらに語り掛けてくる。
「私がその心を癒してあげよう」
「……なに、を……」
 舌が喉奥へと張り付いてしまって、言葉すら上手く紡げない。
 男のどす黒く光る鎧が軋む音を立て、黒いマントが揺れた。低く、優しい声音が反響する。
「さあ、おいで。我が手の内に」
 男が差し向ける白い右手。
 そこには、ひどく禍々しい闇色の大剣が握られていた──


《やめ、ろ……! 頼む……やめてくれ……!》


「──俺は、幼かったな」
 銀髪の男は、晴れ渡る蒼空の下で独りごちた。
 そこには見渡す限りの緑が一面に広がっている。真上に昇りきった太陽は、温暖な気候をより一層心地良く染めていた。
 光はやはり眩しい。
 それは心から慣れ親しんだあの頃と何も変わらないが、それでも全てが決定的に違っていた。
 この地も、俺自身も……そして周囲も。
「久しぶりの町にゃ! 港町だにゃ~!」
 二足歩行の猫──すなわちアールズが短い足でぴょんぴょんハネている。跳ねる度に首元の大きな鈴が鳴り、ルナンとお揃いの黒いマントがなびいた。
「みなとまちっていうの!? わたし初めて!」
 そのうしろ、美しい少女の流れるような金髪を風が揺らしている。
 こちらも適当な鼻歌交じりにときどきスキップなどをしながら、猫を駆け足で追いかける。
「えへへへ、風も気持ちいいね! わ~い」
「元気なやつだ……」
 言い掛けて、野原の異変を察知する。ピタリと静止したのちに叱声を放った。
「待てッ!」

 少女が歩くちょうど横に異空間からの干渉を感じ取った俺は、素早く前進した。
「ニャッ」
 アールズが四つ足で少女に駆け寄る。あいつも気が付いたらしい、こういう時だけは使える奴だ。
 ルナンは前のめりになってつま先で土を散らせると、小さくなにか呟く。斜め下に向かい右腕を大きく真一文字に振った。
「──ギギィっ!」
 質量を伴った奇声が二つに割れるのを目で確認する。片脚を踏ん張り小さくスライディングした。
 あおむしの胴体に蜘蛛の足を持つ害虫らしき魔物が、足元で力無く倒れてゆく。この近辺によく居る。
 見れば、薄紫の穴開き長手袋をはめたルナンの腕の軌跡に合わせて、濃い赤紫色の残留物質が残っていた。
「ふぅ……」
 俺が両手をはたいて払うと、視界に少女の頭が飛び込んできた。
「ま、魔物!?」
「ぶじでよかったにゃあ」
 全然気が付いていなかった少女が、あぜんとしている。
「危ないからせいぜい気を付けろ」
 この魔物は出没率が高いうえに、皮フに火傷の症状を出させる毒液を吐く。念のため、注意を促しておいた。
「ご主人さま、また、説明足りてないにゃ」
 ぐちをこぼすアールズ。提言してやるだけ良いだろうが、という意思を込めて軽く睨むと猫は震えて黙った。
「ほわぁ……やっぱりここにも出るんだぁ」
 いまだに気分が高揚している少女を守らねばならないと思うと、面倒で気が重くなる。俺は今日の予定を立てることで頭が目一杯なのだ。
「お前の護衛は、次からアールズに任せることにするぞ」
「ボクが、護衛にゃ!?」
 思わぬ抜てきに使い魔は口をぱくぱくさせている。余程意外だったのか。
「しゃんとやれ。わかったな」
 励ましておくと、茶色いぶち猫の威勢のいい返事が返ってくる。ルナンも頷いた。
「なら安心だね~」
 俺たちは案外信頼されているらしく、心底ほっとした様子で少女が息を吐いた。
「先が、思いやられるな」
「そーでもないって」
 にこにこえがおの少女。ところで彼女のシルエットは、ちょっとヘンだった。
 黒いTシャツに少々大きさの合わない黒ズボン、素足に紺色のサンダルという幼い顔とは妙にアンバランスな身なりなのである。
 なおかつ、それはルナンにはずいぶんと見覚えのある格好だった。
 思わずぐらり、と眩暈に襲われる。
「ルナンどうしたの。だいじょうぶ?」
 因みに、こいつにとって俺は今日が初対面のはずらしい。
 なんなんだこいつは。
「……どうもこうも無い」
 脳裏に浮かぶ例の悪夢もさることながら、俺は若干疲れているようだ。
 少女は俺の気疲れなどすこしも気が付かない様子で、ひなたを映した桃色の瞳が話しかけてくる。
「そうなの? でも人がいっぱいいるんだよね、町って! お友だちとかできるかなぁ」
「できるにゃ! ボクらも、もうトモダチにゃ!」
 無論、と言わんばかりにアールズがでかい声で割って入った。金の鈴が鳴る。
「ほんとう!? やったぁ、はじめてのお友だちだ!」
 目の前でお友だちなるものが成立したが、その輝かしい笑顔にすら疲労を感じていた。
 あまりのお子ちゃま会話一連に対し、
(ぐぬ……)
 軽い頭痛に耐えている。
 ガキくさくて敵わない。
 それでも、俺の目的に関する何らかの鍵を握っている可能性が高いうちは、決してこいつを手放すわけにはいかない。

 俺が何故こんな子守をしているのか。
 事情は、ほんの数時間前にさかのぼる。



「きゃあぁー!」
 高いソプラノの悲鳴。
 それは暗緑の森の奥、ひっそりと佇む小屋から響いた。
「やめてっ、つめたい! ひゃ、くすぐったーい!」
「くっ! だまれ、こんな汚れた状態で部屋をうろつかれてたまるか!」
 俺は室内の小さな水浴び場で、ぼろい布切れを纏った少女の髪をがしがし洗っていた。
 びちょびちょになった着衣を体ごと抱きしめて、少女は足踏みしまくっていた。
「がまんするにゃ! ご主人さまの命令なんですにゃあ」
 アールズは諭してくれている。
 遺跡を探索したときに巡り合った、少女。まだ小さな子どもを、危険と知る場所に放っておくという選択肢はルナンの脳裏にはなかった。
 出会って──まだ数分の少女を連れて、とりあえず俺は住処へ戻ることにした。
 転移魔法(revenir)……あらかじめ方陣を仕掛けておいた場所まで空間移動をする呪文だ。
 そして俺は自宅、石造りの小屋に居る。ここは、居間の外れのシャワールーム。
 ただし降り注ぐ水を出すのは機械でなく、ルナンの手のひらである。この近辺には小川が流れているので、水魔法が使いやすい。
「体は自分で擦れ! 服は適当なものを置いておくから、着終わったら出て来い」
 くすんだ髪の汚れを洗い流したルナンは、洋服棚の奥からバスタオルと黒い塊を引っ張り出すと、
「分かったな」
 と捨て台詞を残して奥の部屋へと消えていった。
 その際、ぐふぉっとかいうマヌケな呻き声が聞こえた。気のせいである。
「ほえ、まってー! これ前と後ろどっち?」
 アールズの首根っこを引っ掴み、早足で出てきたルナンにとって、幼女の体は好き好んで興味を持ちたい対象ではなかった。
 アールズにしばらく外を見張るようヤケクソ気味に命令すると、猫は飛び上がって見張りに行ったようだ。
「自分で見んかー!」
 何にせよ、先に身なりと体の汚れをなんとかしないとな……、というルナンの考えは若干無理があったらしい。
「あ、お洋服に髪の毛の水ついちゃった!」
「先に水気を取れ……」
 ルナンは目を瞑って呆れた。
 俺はこんなことをしている場合ではないのに!
 薄い板間を挟んで、きゃん、やかましい、これなに、見るな早くしろ、えーまってー……と、なんとも聞くに堪えない感じの会話が交わされる。
 ほんの少し体の汚れを落として服を着せるだけの作業に、それはそれは大変なさわぎがあった。
「できたー!」
 そうして出てきた少女の痩身は、
 ──だぼだぼ過ぎて服に着られていた。



 それからまた秒針は進む。
 ルナンが少女に一度着せた黒服を合わせて縫っている。
 そのあいだ、当人は肌着を着てそわそわしていた。
「ね、それ、指ちくちくしないの?」
「……黙って待ってくれ」
 ルナンはただでさえ細かい作業がキライだが、横で賑やかにされるのはもっとキライだ。
「じゃあ、危なくないか見ててあげるね」
 そう言うと、俺の手元をお山座りで眺めはじめた。えらく真剣な眼差しを感じて、ますます集中しにくい。が、怒鳴ると本当に針で指を刺してしまいそうだった。
「ならば、勝手にするがいい」
 横目で改めて見てみる。
 そいつは細い腕で、ひざを黒い衣服ごと抱えている。潤って波打つ金髪と、まあるく純粋な瞳。
 目をみはるような美少女である。
(忘れるはずがない……俺は、確かにこいつを知っているはずだ)
 だが今のこいつは、俺の知っている者ではない。昔の少女は、意思を感じる強い瞳だった。……襲われ傷ついた齢十四の俺を庇いながら、おぞましい男と勇敢に戦っていた……眼前の、まばゆいチカラを秘めた瞳。
 あの少女の意思は、どこへ消えてしまったのだろう。
 俺が感傷に浸っていると、少女はぼんやり呟いた。
「ねえ、あなたは、ルナンっていうんだよね」
「なぜ知っている? 思い出したのか!?」
 少なからず驚いたルナンが跳ねるように訊き返すと、少女もぴくっと肩を跳ねさせてから首を振った。
「ううん。さっき、いせきで猫ちゃんにルナンって呼ばれてたから」
「なんだ……」
 期待して損した。
 あの猫、いつまで経っても言いつけを覚えないものだ。無能な使い魔は、主人の魔力を消耗するくせに知能がペット以下である。
 あとで念入りにしばくことを心に決めながら、ルナンはハタと気が付いた。そういえば、己も肝心のこいつの名前は知らぬのだ。
 まず最初に確認すべきこと。
「お前、本当に、なにも覚えていないのか?」
 こいつの出自と記憶だが、それは俺ばかりが気になっていることではない。
「……わからないの」
「名前や思い出のひとつすらも?」
 わからない、の一点張り。わからないと口にするたびに、こいつはその表情に暗い影を落とす。
 おそらく本人が最も気に病んでいることだ。
「思い出をたどっても、なんにもないの……わかるのは、すごく高いレンガの天井が見えたの。倒れたからだを起こしてみたら、いせきだったこと」
「俺と会ったのは、その直後か?」
「そう。こわい魔物がこっちに来てて、襲われちゃう、と思って縮こまってたら『ルナンさまー!』っていう声がした」

 少女は少しずつ言葉を繋げていく。彼女のなかには、その部分の経験しかない。
「誰だかわからなくて、こわくてぎゅっと目を瞑ってたら、大きな音がして魔物が倒れてたの……代わりに、黒い人がそこに立ってた」
「……それがアールズの声と、俺か」
 その後は俺にもわかる。
 少女がぼろぼろの服を着ていて、肌も髪も砂ぼこりで薄汚れていたこと。その幼い顔や細い腕には、いくつもの赤黒いかすり傷が付いていたこと。
 ……そしてかすり傷は、古代遺跡を出たあと、綺麗に治っていたこと。
「うん」
「そうか……」
 これ以上得られる情報は無いと悟る。
 縫う手で糸先を丸く留めると、強引に歯で根元から糸を切った。黒い服を少女に放り投げ、ルナンは無言で周囲を片付け始める。
「わ、なにか終わったの?」
「その上から着ろ」
 一言で促されたが、渡された服はあんまり変わったようには見えなかった。言われるがままに、うんしょ、と肌着の上から着てみる。
 姿見を見て、少女はびっくりした。
「ルナンすごーいっ! 黒いお洋服、ぴったり!」
「……ただの即興だ」
 手で持つ縫い針に通した黒い糸を口元で咥えながら、くぐもった声でルナンはそう言った。
「俺が十代半ばほどの頃に着ていたものだ。十分に着られるだろう」
 やはり裾はずいぶん長い。袖をこいつに合わせただけだが、元のボロ布切れよりはましだ。
 自分のタンスの肥やしがこんな形で役に立とうとは、夢にも思うまい。
「うん! さっきはぶかぶかだったのに、お洋服がなおったの……わあ~!」
 少女はその場で、気持ち良さげにくるくると回ったりもしている。
 あまりはしゃぐなよ、と注意を促してからこれから先のことを考えた。
 俺の頭の中では、やはり少女の過去のことが討議されていた。
「思い出せない、か」
 詰まる所、この少女はいわゆる“記憶喪失”だ。
 こいつはたったあれだけの事しか、思い出せないという。あれが、今のこの少女の全てなのだ。
 しかしもっとも不可思議なのは、言語や行動の仕方は覚えているということだ。
 見た目よりもたどたどしくは感じるが、しっかりと会話をすることが出来るではないか。
(つまり、経験の記憶部分だけが抜けているのか……?)
「……案外、過去に関連するものを見れば記憶が蘇るかもしれぬな」
「え! わたしの記憶、もどるの!?」
 少女が、ぱっと顔を上げる。
 希望に満ちた目を見ながら、ルナンは再び己の思考に身を沈めた。
「行くぞ、アールズ!」
「呼ばれましたにゃ!? どこか、お出掛けにゃん?」
 小窓から勢い良く顔をだす茶色の三毛猫、アールズ。
 ちなみに先ほどまでシバかれるかも知れなかったことをアールズは知らず、ルナンもすっかり忘れている。触らぬ神に祟りなし。
「こいつの記憶の可能性……とにかく、賭けてみる価値はある」
 すべては俺の“目的”のために。



「みてみて、けむりがもくもくしてるよ!」
「あれか。海沿いの船や工場だな」
 そして刻は昼下がり。天空は晴れ。
 ルナンたちは、思わず走り出したくなるような見晴らしの良い野原を歩いているところだ。
 思案した結果、少女にはまず、あらゆるものを見て貰うことにした。
 二度も俺とあの古代遺跡で出会ったのだから、港の近辺を一度は訪れている可能性が最も高かった。
 記憶が戻ることを期待して、港町を目指す最中。
「懐かしいにゃ~」
 アールズが懐かしむ。俺たちが以前訪れたときと、町の遠景が変わらないせいである。
「せいぜい、やむを得ぬ買い出しくらいしか用が無いからなぁ」
 久々だ、と呟いて、雲に紛れ流れてゆく煙をながめるルナン。
 こんなにも天気が良いと、少し穏やかな心持ちになってしまうものだ。
 一方少女は、自分の斜め後ろでじわりじわりと迫ってくるカベを見つけてしまった。
(……なにあれ?)
 いちばんヘンなのは、アールズもルナンもまだ気がついていないところ。
 それを見比べてから、そのでっかいカベが大きな土台に乗って動いているのをじっと観察した。
 やっぱり魔物じゃなさそう。
「ねぇ……ここ、たてもの?」
「にゃ? まだ町じゃないにゃんよ」
 なにをおかしなことを、と思ったルナンがそちらを見れば、信じられないくらい近距離に迫るでかい家が視界いっぱいに飛び込んできた。
「なんだこの!?」


 丸いテントのような風貌をしたそれは、濃いピンクや赤、青、黄色で非常に目立っていた。
「悪趣味な……移動家屋だな」
 ルナンは長い間この辺りで暮らしているが、野原にこんな奇妙な家があるのは見たことがなかった。
 しかも、俺が気付かない程的確に気配を消して近づいていたのだ。不審なことこの上ない。
 何故気付けなかったのだろう。
「俺は疲れているな……」
 ふと、横で鈍く金具が接触する音。
「こんにちは~」
 少女が勝手に虹色のドアを開けていた。
 家の中は色とりどりの模様に満ち、多くの棚に布らしきものが並ぶのを目にする。
「おいっ! 少しは警戒を──」
 やわらかそうな毛や、キラキラのアクセサリーを見て少女はいよいよ心惹かれた。
「わ、かわいい! お店?」
 立て看板に“商人ギルド認可店”の証明文書があったから、ルナンはほんの少し警戒を緩めた。
「例の“ギルド”の店か」
 商人ギルド……商売をすることに特化した者が属する民間団体職業だ。他国の認印が押されているものを見るのは、ルナンにとって珍しい。
「ご主人さま、ここは一体なんの……?」
「シッ……来た。ちょっと引っ込んでろ」
 ルナンはアールズを店の外に摘まみ出して、急いでドアを閉ざした。

 そこへ店の者と思わしき気配がひとつ、奥からやってきた。
「いらっしゃあい!」
 最初に印象づいたのは、頭よりも数倍大きな純白のキャスケットだ。煌めく金の髪はクルミよりも少し薄めに照明を反射し、長い三つ編みが後ろに垂れて青いリボンを揺らしている。
 美しい深緑の瞳がこちらを見据えていた。
「俺のブティックへようこそぉ!」
「…………俺?」
 ルナンの予想よりもだいぶ雄々しい声。
 主に俺の微妙な視線などものともせず、酔いしれた口調でそいつは続けた。
「ああっ……今日は黒いボーイとお揃いの女の子か! クールアンドキュートだね。はじめまして」
「はじめまして、ぼうしのひと!」
 少女がのんきに挨拶する。
 ルナンは初めて出会うオカマのテンションに、戸惑いを隠せなかった。
「……えーっと、お前がこの店の店主で間違いないのか」


「そう、店主。当店にはこのブロウア・アートしか居ないわ」
 頭と帽子を上下に揺らして、店主が笑った。
 俺は入り口で気になったものについて訊ねてみる。
「で……この店が“商人ギルド”認可取得をしたんだと?」
「そうじゃないと、商人ギルドはまともに営業できないわん。珠算さえできれば案外簡単なのよ」
「ほう……」
 ぎるど。にんか。しゅざん。
 難しいことばに頭がちんぷんかんぷんの少女も、がんばって会話に加わろうとした。
「ぎるど? ギルドって、お店のこと?」
「少し、違うな……この際だ。教えてやる」
 そうこぼして指南する青年は結構、常識人っぽい。
 この世の中に存在するありとあらゆるサービスは、もちろん、仕事をする民間人たちの働きによって支えられるものだ。

 魚を釣る者、家畜を育てる者、野菜を栽培する者。
 加工をする者、流通して運ぶ者、商売をする者。
 狩りをする者、病を癒す者、寝床を提供する者……。

 魚を釣っているだけでは売ることができず、商売をしようにも、商品を調達までするには時間がかかり過ぎるだろう。
 あらゆる職業者たちは、それ単独では生きてゆけない。人は互いに協力し、金銭通貨“リル”を取引して、豊かな生活を送るものだ。
「まあ、当たり前よねぇ……」ルナンのかいつまんだ説明で、店主は欠伸した。
 一人では到底できないことを、同じ目的やスキルを持つ者が集って、団体で一緒に仕事をすること。
 その職業団体のことを、

「ぜんぶ、ギルドって呼ぶの?」

 少女は口をあんぐり開けて聞き入った。
「そうだ。民間の職業はすべてギルド。なにも、店だけではない」
 この世界では誰もが知っていることだ。
「ほぇ~……そうなんだぁ」
「ギルドくらいはしっかり覚えておけ」
 念を押してから、少女の背をやんわり叩いておいた。
「そんな事も知らないなんて、深ぁいワケありみたいね? お兄さんとその可愛い女の子は」
 店主がいろいろ察した顔でうなずく。ルナンは若干居心地が悪くなった。
「ところで店主。何故、俺たちに近付いた?」
「……もしかして、アナタはこれを知らないの? 防護壁(protect)のせいよ。どうせ目視でしか気付けなかった、とか言うんでしょ」

防護壁(protect)……?」
「魔物と人に探知させない、結界的な魔法よ。いつも魔法士に掛けてもらうわ……この国にはないのかしらン」
 魔法書や古文書を読むのは好きなルナンだが、“魔物”と共に“人間”を遠ざけるための魔法など、聞いたこともなかった。
「待てよ。そんな魔法を掛けたら安全だが、店の客足まで遠のいてしまうのではないのか」
 俺の真っ当なはずの問いに、店主は呆れたような口ぶりで返してきた。
「やーね、このハデハデな外装が見えなかったのぉ? 生き物の気配はしないから危険なものには嗅ぎつけられないし、目で見つけた物好きな客は来てくれるのよ」
「なるほど……」
 ……もしかすると、俺の住む国〈エスタール〉では、そういった強力な魔法の存在が民間人には伏せられているのかもしれない。
「それは良いことを知った。情報、感謝する……ではな」
「ストップ!」
 去り際を力強く呼び止められ、長居する意味は無いからさっさと退出しようとしたルナンは面食らった。
「……なんだ」
「当然……信じられないの。そんなスウィートレディーに、こんなダサい格好をさせてるなんてね!」
「ほえ? わたし?」
 少女が目をぱちくりさせる。本人はダサいとは思っていないようだ。
 オカマ店主はこの事を由々しき事態だと言わんばかりに、真剣な顔つきで言う。
「この子と服屋に来たのもなにかの縁だわ……服、買っていきな」
「断る」
 ルナンは迷わず即答していた。
 そもそも俺は働いていない。実は、盗んで貯めたようなはした金しか持っていないのだ。所持金、約五千リルあまり。
「いーや! この小さなエンジェルが可哀想よ、可哀想すぎるの! 一人前に見繕ってあげるって」
「お洋服をくれるの!?」
「断れ!」
 少女が期待しはじめたので、ルナンはますます困ってしまう。
「とにかく、今日は町まで急ぎなんだ。俺たちはもうこれで、行」
 かせてもらう、という適当な弁解は、
「これで町に!? だめだ! 幼く可愛らしいレディーに、そんな彼シャツを着せて町を闊歩しようだなんて……」
 このオカマに全力で奪われた。
「町のボーイたちが、あらぬ方向に目覚めてしまうわっ!」
「なにをばかな……」
 こいつ、正気か?
 変な方向へ興奮するオカマに、頑固なルナンもさすがに押され気味になる。
「ほら、じゃあ今の、綺麗に仕立ててあるっぽい上の服はそのままで可愛くするから! せっかくのエンジェルをなんとか見繕わせてぇ!」
 ……女の事情は分からないが、上下黒いスウェットで町にくり出してはそんなにいけないのだろうか。
 後生の頼みレベルの金切り声を聞かされて、ルナンはだんだん居た堪れない気持ちになり、
「……なるべく低予算でたのむ」
 ついに微量の諦めを伴って折れるのだった。



 次いで待つこと数十分。
 女の着替えは長いと風の噂に聞くが、噂に違わず長かった。
「できたー!」
「おいでー、エンジェル」
 ようやく、少女が更衣室から顔を出す。
 次いでカーテンが開いた。

「ほう……」
 出てきた少女は、金髪を高く結い上げて活動的な髪型になっていた。噴水のように横に広がる髪からは華やかさも感じる。
 ひらめくピンクのワンピースは、少女の桃色の瞳とお揃いだ。白のハイソックスを辿ると、焼いたパンに蜂蜜を垂らしたような色をした丸い靴がこちらに歩み寄る。
「えへへ……どう?」
 決して派手ではないが、少女の素朴な可愛らしさを引き立てている。ルナンも好印象を持った。
「よく、似合っているんじゃないか?」
 かといって、太ももがかなり露出していたので、そこだけ真っ先に目に付いた。俺が袖を塗った服を着ているままで微妙に風紀を乱されると、なんとも言えぬ気持ちになる。
 複雑な心境で顔をあげれば、ニヤつくオカマ店主の姿があった。
「さて、おにーさん。鼻の下を伸ばして、この子がそんなに可愛かったかなぁ?」
「やかましいわ」
 小さく歯を食いしばった。この空気を変えなくては。
「……ところで、俺のズボンとサンダルはどうしたんだ」
「ああ! あれならマイショップで回収させて貰うよ」
「おまえ、人のものを勝手にな……」
「大丈夫! 今回の購入価格から買取金をしょっぴいておくからさ!」
「そうか」
 とても強引すぎるが、安くなるなら許す。
「肝心の値段はどうなんだ」
 聞いて驚け! と前置いて店主は言った。
「なななんとお値段、三千九百八十リルぽっきり! オドロキのサンキュッパよ!」
 差し引かれた上で、地味に高かった。



「まいど! ありでしたー!」
「ありがとうー、ぼうしのひと」
 満面のえがおでお礼を言う少女とは対照的に、ルナンは思いっきりドアを叩き閉めた。

「二度と来るか!」
 まんまと店主の口車に乗せられ購入してしまったが、今更悔やんでも後の祭りだ。
 どうせ、衣類は後々必要になったものだから「仕方がない」と己に言い聞かせる。
 再び野原に一歩踏み出して、
「時間を取られた。さっさと行く、ぞ」
「わっ!?」
 二人は思わず立ち止まった。
 見れば、そこには開かれた大きなゲート。さらに奥、石だたみの先には賑やかな店と陽気な人々が群れを成していた。
「わ、わあああ! みなとまちだー!」
「どういう事だ……確か、まだかなり遠くに見えたと」
 さっきの店が移動家屋であったことをすっかり失念していたルナンが、ようやく勘付いた。詳細には、「サービスよ!」と意味ありげにウィンクする店主の姿が目に浮かんでいる。
「あのオカマ、余計な世話を」
 小さく笑って頭痛と共に息を吐くと、背後から迫る音がする。今度こそは気付かざるを得ない、小さなものがまぬけに走ってきた。
「ご主人さまぁ! 置いてくなんてヒドイですにゃぁ!」
 例の猫っぽいやつが泣きっ面を晒している。
「アールズ……あれだけの時間、お前はなにをして待っていたんだ?」
「ね、ねねね寝てなんかいませんにゃ……! ぜぜぜ全然!」
 ルナンの頭痛は酷くなった。
「……お前はそれでも魔物か? 地獄に帰って昼寝でもしてろ」
「みゃああああっ怒らないでくださいですにゃ!」
「まもの?」
 少女の記憶で辿る“魔物”には、大きな竜の頭を持ち突然現れた怪物や、いもむしみたいなクモの姿がある。
「猫ちゃん、動物じゃなくて魔物なの……?」


 アールズは喋ったり二足歩行だったりするけど、なんとなく普通の猫だと思っていた。
「まだ気付いてなかったのか? そら、触ってみろ」
「……つめたっ!」
 魔物の冷たい体温は、この世の動物の温度とはあまりにもかけ離れている。
「ボクにとっては、これがフツウにゃん」
「さて。街に入るゆえ、魔物は本当に地獄へ帰って貰わねば」
「どうして……?」
 帰る、という単語に悲しい目をした少女に対して、当然という態度でルナンは言った。
「正真正銘、地獄に住まうとされる魔物だからな。人間の集まる場所へは近づけられん」
 そういえば、さっきお店の中でも猫ちゃんは居なかった。魔物だから、入れなかったんだ。
「こんなに、イイコなのに」
「ご一緒したいんにゃけど、ボクは魔物だから……うっ、ハナが曲がるウニャ……」
「魔物は一般的に、人間を襲う。街や店には大概結界が張られているから、魔物は街に近づくと拒絶反応を起こすんだ」
「そっかぁ……ざんねん」
 魔物は危ないから、人間の街に入ってはだめ。当たり前のことなのに、少女はこころがさみしくなった。
「用があれば、契約に殉じてまた召喚する。コイツはその為の“使い魔”だ……」
 ルナンは誰に語るでもなく言葉を吐き、静かにしゃがみ込んだ。
 獣の耳元へ囁くように呪文を唱える。薄い青紫に輝く光が対象を包んで、弾けた。
「猫ちゃん! むり、しないでね!」
 淡い光を残して異界へ消えゆくアールズを、少女が見送った。
「気は済んだな? 行くぞ。お前の記憶、その手掛かりの為にわざわざここまで来たのだから」
「うん。行こっ!」
 大空の手前で弧を描くまるいアーチの下を、ふたりは駆けていった。

 (2015/01/31・〆)

一幕『わたしたちで』

 初めて遭遇する、人の群れ。路頭には小さな照明がいくつも照り、屋台からはほのかな熱気が立ち上る。
 多くの人々でバザールは大賑わい。
「ほぇえ……お店がい~っぱい!」
 露店が立ち並び、道なりに進んだ先は丸い円となった場でより大規模な商店が開かれている。大衆の一人になって、少女は大興奮の様子だ。
「着いたな。まず、どこからまわるものか」
「ここがみなとまちっていうんだぁ!」
 考え事をしているルナンが、首もとをひねって訂正した。
「正しく言えば、貿易街なんだがな……」
「ぼうえき? みなとじゃなくて?」
「ああ。周りが店ばかりだろう?」
 少女は、まるでお祭りのような雰囲気に胸を踊らせる。二人は街中の雑踏に紛れてゆく。
「うん! たくさん物があるね」
「ここでは誰もが平等に買い物をしている。しかし、この先の港地区には、手に職を持った者しか入ることが出来ぬのだ……つまり俺も入れない」
 なんだか難しい話だけれど、“みなとまちにはルナンも入れない”ことだけは分かった。
「入れない? ってどういうこと?」
「……それは」
 仕方がないな、というふうに肩筋を揉んでから、ルナンは横目で少女を見る。
「いわゆる、お国事情だ」

 この〈エスタール王国〉には、すべての子どもと、大人でも無職の者は、有職者の同伴なしに王都や港、学術都市を自由に出入りできない……、そういう法律がある。簡素なものだが、いちいち検問が行われている。
「国民の安全確保かつ、正規の労働者を労わるための法なのだろう、な」
 ルナンは小柄な少女が見える角度でうつむき、軽い身振り手振りをしながら説明した。
「ゆうしょく……せいきの、ろう、ど、い……」
 少女は目をぱちくりさせている。
「要するに、真面目に働いてる人間はトクするんだ」
「そっか、わかった! ルナンは物知りだねぇ」
「……それについてなんだが、あのな」
 ルナンはここが街のど真ん中であることを思い出して、どうしてもひとつ注意しなければいけないことがあった。
「街中で俺の名前を呼ばないでくれ。他人に聞かれると困るんだ」
「なんで? 名前、あって困るものじゃないよー」
「そういう問題ではなくてな……!」
 ひそめた声で道角の露店まで来ていた二人の客に対して、気持ち良く売り込みをする商人がいる。
「へいらっしゃい! そこの兄ちゃん、見てかんかー!」
「…………あぁ?」
 商人にいきなり話し掛けられた俺は、思わず物凄い形相で振り向きギロッと凄んでしまった。
「ヒェッ!?」
 なんの罪もない哀れな商人の奇声を尻目に、ルナンは「……いいか、ここでは絶対に俺の名を呼ぶな。呼ぶなよ」と念には念を押した。
「わ、わかった」少女もうなずいておく。

「なんや、あのー、今は具合悪かったかいな?」
 青ざめてこちらを気遣う商人。ルナンもさすがに悪いことをした気分に苛まれた。
「あ、ああ……取り込んでいた。すまんかった」
 商人はようやくその男の素の表情を見た。もっと言及するなら、謝罪が意外と紳士的で驚いた。

「え~……ええけどさ……」
 初対面で凄まれた、例の眉間の寄った顔面によく似合う老けた印象を受ける銀の髪。ところどころに瞳の紫と似た色が散らばる全身。
 首元から背中を覆う真っ黒なマントと、黒の下衣とベルトの付いたブーツが、この男の存在の重みを主張している。今にも黒に覆われそうな、灰色の鎧のような上衣だけが白く際立っていた。
「兄ちゃん……そんなイカツイ格好、もしかして狩人なん? 狩猟ギルド員?」
「狩猟? この黒衣は訳ありだが、別にそういうものでは……お前は見たまま、商人か?」
 対してルナンは話題を逸らそうとした。謝罪の直後に妙な間を空けられて気が気でないのだ。
「そらーな! ワイも商人ギルド入ってるかんなぁ」
 いつまでも辛気臭いカオをする男は商人にあらず! 関西弁の彼はずぶとい。日に照らずも明るい茶髪は、茶色がかったつり目ぎみの黒目とよく似合っている。
「お兄さんも、ギルドのひと?」
「せや。近い・安い・美味いがモットーの商人ギルド員、ヒロっちゅうんや! お嬢ちゃんも宣伝よろしく!」
 本人の人柄も相まって、ヒロはとても気前のいいお兄さんに見えた。
「ヒロお兄さんだね! よろしくー」
 すっかり馴染んだ少女は、いつもの笑顔だ。
「兼業として、情報屋もやっとる。世界各地をウロウロしとるで、自然とな」
「……商人ギルドで、情報屋?」
 ルナンは曖昧な知識で疑問符を浮かべた。
「個人で各地をまわっているというのは、旅ギルドとかいう職種ではなかったか?」
 旅ギルド……個人で世界をまわり、各地で便利屋のごとく依頼を受ける“流浪の民”的職業だ。
「しょーみ、旅ギルドか商人ギルドに入るかで迷ったんやけど……商人のほうが確実な収入源ありそうやし! 計算得意なワイの性に合ってる気がしたんやわ」
「そういう事もできるのか、なかなか手堅いな」
「やろ?」
 いつの間にやら、手堅い男二人は変に意気投合した。
「ほわ、たべものたくさん売ってる。すごーい」
 ルナンとヒロが世間話をしている間にも、少女は素材のあちこちに目移りしている。
「うちの店は料理も出すで。なんでも言うてーや!」
「これ、なんだろ……」
 少女はどうも品物に興味津々らしく、途中から話も聞かずそわそわしている。
「……気になるものでも、あるか?」
「う、うん。いろいろ、教えてほしいの」

 些細なことでも、記憶に結び付く可能性はある。そう考えたルナンは、申し訳なくも商人に理解を求めた。
「悪いが商人、深い訳ありでな。冷やかしはせぬから、少し見ていっていいか」
「大歓迎や、ゆっくり見ていきぃ!」
「ありがとう! ヒロお兄さん」


 ふたたび、少女は品定めをするみたいに商品とにらめっこしはじめた。まるで、初めて店に連れられてお店の商品を手から離さないような、こどもそのものの表情をしている。
 彼女には、いつでも疑問がいっぱいの様子だ。
「このお肉は、なんていう種類だっけ?」
「鶏もも肉」
 どうやら少女は、ところどころで字が読めていない。
「この葉っぱは?」
「レタス、しろ菜、ほうれん草」
 ひとつひとつの単語を、少女は噛みしめるように頷きながら聞く。やはり、知らない言葉ではないようだ。
「じゃあこの硬いのも、たべもの?」
 少女が言うのは、素材そのままで積まれている小さな実のことで、思い切り硬そうな殻を被ったもの。
「胡桃。この字は、くるみと読むんだ」
 値札の場所を指差して、ルナンは説明した、その三音を聞くや否や、少女の目が驚がくに見開かれた。
「あー! それ!」
 手でパンっと音を鳴らす。
「む?」
 咄嗟に、ルナンにはその反応の意味が分からなかった。
 ひときわ目を輝かせる少女。
「わたしのなまえ、クルミ!」
「……本当か?」
 かなり怪訝にルナンは聞き直した。
 そんな思い出し方があるか? いや、ないだろう。
「だとおもうの!」
 少女は、こぶしを握って自信まんまんに言い放った。
「くるみ、クルミ、胡桃……うーん! しっくりくる響き!」
「そうか……」
 もしもこれが本当の名前だとすると、この街には少女の記憶が何かしら眠っているのかも知れない。
 ルナンが考察にふけっていると、クルミのほうから不満の声が耳に届いた。
「ねぇー、おなかへったよー」
「あぁ……そうだな」
 そういえばルナンは、朝一番から古代遺跡の探索に出かけたっきり、まともなものを口にしていないことに気がついた。

「なんや兄ちゃんら、まだ昼飯食ってないんか! もうそろオヤツの時間やでぇ? ちゃんと食わなぁ」
「ごはん、何食べたらいいー?」
 青年ひとりなら一日くらい飯を抜いても構わないのだが、成長期であろう少女はそうもいかないだろう。
「ううむ、仕方ないな……五百リル台で一食、頼む」
「ほいよ!」
 クルミは、少し遅いお昼ごはんを食べさせて貰えることとなった。



「いっちょあがりィ! スタンダードに、オムライスとオレンジジュースなぁ」
 数分してすぐに出てきた料理は、どうやら魔法が使用されている。オレンジジュースは生絞りのようだ。
 黄色くふっくら焼けたオムライスの表面には、ケチャップで波のイラストが描かれていてセンスを感じる。港沿いの所以だろうか。
 ほかほかと湯気が立ち上る。
 クルミが待ちきれないといった様子でスプーンを入れた。
「んむー! おいふぃい!」
 ずいぶんとお気に召した様子の少女はジュースを飲み干し、一皿をぺろりと平らげ、ルナンは備蓄の携帯食糧を買い足しておいた。
「ワイんとこは保存食の種類あんま置いてなくて悪いんやけどな、ほな、これな」
 へらっと笑ったヒロは、乾パンとチューブ状の保存食を多めにくれた。ルナンは数百リルと交換する。
「……否。とても助かる」
 きっちりズボンの右ポケットから金を支払う青年。
「ほいほい、まいど!」
 今日は何かと出費がかさみ、ルナンの懐は極寒の候になった。
「はぁ……」
 金がほぼ尽きたのをどう補充しようかと頭を巡らせる。
 脳裏には「盗む」の次辺りに「働く」という選択肢が出て来たが、俺が新規に入れるギルドなど果たしてあるものか。
 ため息をつくルナンをじっと見つめていた少女は、本人に尋ねずにはいられなかった。
「ルナン? どうしたの」
「む……」
「んあれっ?」
 クルミの問い掛けになぜか商人が反応して、すっとんきょうな音を上げた。
「ルナンって、なんやどっかで……兄ちゃんの名前が、ルナンっちゅうんか?」
 能天気で無駄にでかい声でそう呼ばれたそのとき、バザールに異変が起こる。

「ルナン・シェルミクーッ! とうとう見つけたぞ!」
「げっ」
 俺の喉奥が軋んだ。
 凛とした声の主のほうを見れば、ひとつにまとめた癖のある黒髪を揺らして、赤い制服に白の甲冑を纏った女性が、びしっと槍を構えて立っている。
 そう、街中なのに槍を構えている。
「ふ。目立つ黒装備で、のんきに町まで繰り出してくるとは。悪運の尽きだな!」
 お前に言われたくない。心の底でルナンはそう叫んだ。
 背後で「騎士の偉いさんと知り合いなん? うそやろ?」だの何だの言っている商人の声を聞いている余裕はなくなった。
 あまりの唐突な出来事に、
「え……? あなた、だあれ?」
 クルミがぼうぜんとしている。それが普通だ。
 それを見て、女騎士はハッとした。
「そ、そのような幼い女子(おなご)をたぶらかすとは! きさま、ついにそこまで落ちぶれたか!?」
 ルナンはカッとなった。
「誰がだ馬鹿者! この様子が人攫いに見えるのか!」
 周囲の人々がざわめきこちらを見やる。耳ざわりなささやき声。
「見えるなぁ! きさまは女子の弱みにつけこんで従順にさせているに違いない! そして隙あらば自宅に連れ込んであんなことやこんなことを……ッ」
「お前の目は節穴か!」
 実際に自宅の水浴び場に連れ込んで、あんなこと、と呼べそうな行為をしたのを、ルナンは都合よく棚に上げている。
広場のど真ん中で不毛な言い争いをしている二人を交互に見比べて、クルミはおずおずと気になったことを訊いた。
「ねえ、あの女のひと、ルナンのお友だち?」
『誰がだ!』
「ぴゃんっ」
 男女の声が綺麗にハモった。クルミは涙目で怖さを訴えた。
「今日という今日はゆるさん! 悪どい盗っ人の成敗……は許可されていないから拘束してやる!」
「誰も捕まらん。勝手に話を進めるな」
 中途半端な騎士の勝手に、青年はうんざりした。
「逃すものか。きさまの働いた数々の悪行は、隠し切れるものではないからな!」
「……それで?」
 ルナンを罪人扱いする赤い制服の女は、律儀にも報告書を暗記していた。ギロリ、と青年を睨み付けての宣言。

「罪状に、御者を狙った窃盗、暴行、果てには殺人容疑が報告されている!」
「殺人……」賑わっていた周囲の空気が、一瞬で凍りつく。視線が罪人を刺す。
「は、えぇ!? 兄ちゃんホンマに悪人か!」
「ちがうもん! ルナンはそんなわるいひとじゃないもん!」
 クルミは噛み付くように反論したが、その前に立つルナンの返答は至ってシンプルなものだった。
「……その罪が何だというのだ」
 ルナンが悪びれる様子も無く肯定するのを確認した女騎士は、懐から銀の笛を取り出すと、ピピーっと高く吹き鳴らした。いよいよ町の人々がどよめく。
「騎士団七番隊隊員、カイナ・ヨラスト! 悪しき罪人を発見、ただちに捕縛する。応援求む!」
 カイナ自身の地声とは思えぬ、町中に響く大音響。あの笛には、拡声魔法と思わしきものが掛けられていたらしい。
 ひとり、ふたり次々と赤い制服の騎士が広場に集ってくる。
「な、なに? なになにっ」
 いつもなら、このまま適当に撒いて逃げるのだが……今回ばかりは事情が違う。
 ルナン側には少女が居るので、上手い身動きが取れそうにないのだ。ジリジリと広い通路の中心に追い詰められてゆく。
「やばいな」
 あれ一人ならまだしも、雑魚が増えるのは民間人に騒ぎが広がって都合がわるい──厄介なことになった……──ルナンは対処法を考えあぐねていた。
 俯く耳に、少女の声が聴こえる。
「ルナン、こわいひとがいっぱい……」
 全方位を完全に囲まれたルナンたち。人々の目にはきっと、罪人と小さな人質に映っていることだろう。
「さあ! おとなしく投降しろ」
「ふん……」
 一歩も動く気配のない罪人。
「やっと観念したか?」
「……昨日までに追い詰められたなら、捕まってやったかもな」
 やはり駄目なのか。そう悟ったカイナは、さまざまな感情を押し込めて号令を発する。
「騎士隊員、突撃・拘束せよ!」
「おぉおおー!」
 銀の青年はその言葉に、鋭い眼光を煌めかせた。
 やむを得まい。
「黙れ。邪魔立てするなら容赦はせぬ……闇よ……!」
 顎を上げ不遜に見下ろす。すると、普段は黒衣で隠れている左首筋、血色にも似た──気味の悪い色だ──赤紫色のアザが露呈した。
 漆黒のマントがはためき、周囲が黒と紫で混ざった奇妙な無機物に満ちる。
「えっ、それ、って」
 クルミが瞳をまん丸くする。なぜか背筋が凍って、いやな気持ちになる……その行為は少女の記憶の深い部分を、確かに揺さぶった。

「ただの盗人が、なにをするつもりで……構うな隊員、号令! 剣を抜け!」
「来い──力を寄越せ!」
 二人の異なる大喝。
 ルナンは大きく右手を掲げた。瞬時に無機物が右腕に集結し、手のひらを中心に細長く形を成す。
 見紛うはずのない、闇色をした大剣が青年の手に握られた。
「悪いが、決めたんだ。俺はお前らに構っている暇はなくなったので──なっ!」
「ぴゃ!?」
 唖然と固まっていた少女を小脇に抱え込んだ罪人は、向かい来る騎士団員に向かって一直線に突っ込んだ。一閃。
「道を開けろ!」
 騎士たちがどよめく。目の前の、いくらか聡明そうに見える銀髪の人物が。まさか──街中で追い込まれて尚、逃げ出そうとする無謀な罪人だとは思わなかったからだ。
「いやああああぁぁぁーっ」
 動揺した少女の絶叫がみるみる遠く小さくなる。ルナンは両の手に少女と大剣の重量を抱え、それでも全速力で駆け始めている。
「追えっ、必ず拘束するんだ!」
 女騎士は一喝した。
「えぇ、ごっつい悪人からお金貰うてもた……」
 ヒロは棒立ちで見送った。
 露店の立ち並ぶ中心部を、黒い罪人が疾走してゆく。民衆は隅に誘導されており、そこはもとより広く感じた。次々と騎士が現れ、行く手を阻む。
「絶対に逃がすなあああ!」
「おおおおお!」
 全方位、十人以上から剣を振り回されるのはたまったものではない。
「弱い! どけ!」
 ルナンは兵士に致命傷を与えぬよう攻撃威力を加減しつつ、内心冷や汗をかいた。
 このまま逃げているなら、いつかは捕まる……又は、路頭で殺し合う。どちらか白黒つけるほか打開策がないのだ。俺は息苦しくなる。
「ほぇええええ……やだ、みんなやめてってばぁ!」
 正反対に、クルミは争う人間に向けて叫んだ。
 詰まる息を叱咤し、それから、空気を無理やり吸い込んでルナンは決意を固めた。
「いいかお前、街の外まで振り切るぞ!」
「そと……?」
 青年の左腕に抱えられたクルミが後ろを見る。

「状況は明らかにこちらが優勢だ! 皆、そのまま攻撃を続けろー!」
 紅白銀の服を着た、大勢の人が追い掛けてくる様子が視界に入った。
「むりむり、ムリだよ!」
「弱音を吐くな!」
 わたしは何もできないのに、あんなの二人だけでなんとかできっこない。
(そしたら、ルナンが捕まっちゃう……)
 絶望的な気持ちになったクルミは、ただ喚くことしかできなかった。
「だれかぁああっ! たすけてよーー!」
「誰か……」

 ──そう、だ!

 青年の脳裏に一筋の稲妻が迸った。
「頼むぞ……クルミ。今から一分間は黙っていろよ……」
「……?」眼差しで問いかけた少女に、
「ただの、賭けだ」
 青年はわずかに口角を上げてみせた。
 足元の道は入り組むように狭まってゆき、気が付けば、周囲には店や明かりのひとつも見当たらない。
 青年は貿易街の北口から入り、右往左往して走り続けるうちに正反対側の南口が見える位置まで街を縦断してきていた。
 ルナンが右腕を一振りする。弧を描く軌道にそって消えた大剣の代わりに、右手は眉間の間で印を結んだ。
「我! 契約を重んずる者なり。其こそは我に使役されし意を示せ! 器を形成せし主命を与うる……汝の名は……」
(……なにかが来る!?)
 聞き覚えの無いうたい文句を奏でるルナンに、カイナは危機感を覚えた。
「呪文だ、気を付けろ!」
 機を見計らったように呪文は結びの句を唱えた。
「出でよ! ──……!」
 街路樹のある角を右に折れると、青年の声はせまい路地の壁に吸い込まれていった。


「……先導! 見失うなよ!」
 黒いマントの男の背を追い角を曲がった先には、薄暗い路地が広がっていた。
(行き止まりじゃないか……)
「…………」
 そこには、道を塞ぐようにして突っ立っている青年の姿がある。
 先ほど消えた大剣も、男の右手に握り直されてはいなかった。
「きさま……どういう心境の変化だ。捕まる気も、勝負する気も無いのか!」
 こちらに向き直ってはいるのだが、深く俯いていて表情は確認できない。どこか不気味な様子だ。
 何か企んでいるのだろうか。騎士たちが、思わず慎重に反応をうかがう。
 ここでカイナは、重大な事象に気がついた。
「待て。あの少女はどこへやったんだ?」
 例のちいさな少女の姿がどこにもない。カイナの問いに、騎士たちは押し黙ってルナンを警視した。
「…………」
 おれは、この状況下に置かれてなお、ただ静かに黙っていた。今は騎士が煽られている様を、耳で捉えるだけでいい。
「ルナン! 答えろ!」
「くっ……」青年は微かに呻いてみせるだけだ。
 しかしよく観察すると、黒衣の青年は肩で上下に息をしている。
 苦しそうに、息が荒くなっていた……あれだけのハンデを背負って十分近くも疾走したのだから、当然とも言える。
 が、少し覗いたその顔色は、只事ではない蒼白さだった。
「……まさか、人質の身にもしもの事があれば、きさまただでは」
 済まさないぞ、の台詞に被さるように、満を持して青年が動く。肩を落とした罪人の口から、問いに対して初めて言葉が発せられた。
「もう息がもたな……! ぐえぇぇぇ」
「…………は?」
 向かって右分けの短い前髪が額に張り付き、大粒の汗が伝う。頬には薄い銀色のヒゲらしき模様が目視できる。
 瞳孔を細めた金色の瞳が、口元の挑発的な笑みを飾った。
「うっ、うぇっ、へへん……ぬしら、引っかかったにゃん!」
 ようやくその面をあげた黒衣の青年は、顔色が悪いながらも、ルナンによく似た──まるで双子のような──別人であることが確認された。カイナは咄嗟に実況した。
「ルナン・シェルミクじゃ無い!?」
 煙の出る呑気な音を立てて、
「おさらばにゃーっ!」
 完璧に猫になったそれ──すなわちアールズは、よろめきつつも俊敏な動きで屋根の上へとのぼって行ってしまった。
「あっコラ! まて!」
 今回の逃走劇の終結は、いわゆる“おとり作戦”。相手は身軽な魔物の猫。

「どうやら……今回も、逃げられましたね」
 気付いた時には、すでに遅し。
「くっそお!」苦い顔をするカイナ。
 ルナンが盗みに手を染め、果てには人命を左右させる犯罪を行っているという報告を、カイナ自身は未だに信じられないでいる。
(あいつの有無を言わさぬ抵抗ぶりは……殺しにまつわる犯罪報告も、事実、と捉えるほかなくなるではないか。)
「ルナン……あんな奴では、なかったのに……!」
 女騎士の嘆きを聞くのは、部下たちのみであった。



 夕刻の暗がりに響いた足音。
『我! 契約を重んずる者なり。其こそは我に使役されし意を示せ! 器を形成せし主命を与うる……汝の名は、我の言霊──出でよ! アールズ=シェルミク……!』
 声は夕闇の中に、溶け込んだ。



「うまくやってるといいが……」
 屋根から塀へと飛び降りて野に着地したルナンは、離れた岩陰に腰を下ろす。無理な姿勢で頭に血の上った少女も、やっと地面に足をつけることができた。
 あの場面で囮にアールズを召喚した判断は、恐らく正解だった。
 街中なので長くは持たないだろうが……街の中心部から外れたあの路地からならば、少し走れば魔物避けの結界からも出られるはずだ。
「ねぇ、ルナン。こわいひと、もう追ってこない?」
「ひとまず、大丈夫だ」
「よかったぁ~」
 ほっと息を吐くクルミ。
 気持ちが落ち着くと、押し込めていた感情が少しずつ思い返される。どうしても気になることがあって、乱れた長髪と紅潮した頬も鎮まらないうちに、ルナンにたずねなければいけなかった。
「ねぇ……ルナン」
 先ほど目の前で見せられた戦闘風景のひとつを、少女は忘れられずにいた。
「どうした、クルミ」
 黒くて紫でもやもやして、人が吹き飛ぶ、いやな気持ちになる、あのちから……。
「さっきの、こわい力は……なんなの?」
「あれは……」
 ルナンは口ごもった。
「わたし、あれをしってるみたい」
「……覚えて、いるのか?」
 クルミは考え込んでから、ルナンに向き直った。

「ルナンのことは、やっぱり知らない。でも、あの黒くて怖いチカラを、わたし、ずっと前に見たことがある気がするの」
「俺の、あの闇の力か」
「ヤミっていうの? 初めて見るはずなのに、へんなの」
 やはり覚えていないか……そう思いながらも、ルナンは己の能力と過去に思いを馳せた。
「あれこそが、俺が許せんモノの一つなんだ」
 少女は、わからない、といった顔でこちらを覗き込んだ。
「……俺は、元々、救うチカラが欲しかった。民を護る、騎士となるチカラが」
 青年はどこか遠くの山々を凝視して、語り紡いだ。
「だが、今はそうではない」
「?」
「俺は盗っ人で、法を犯す罪人だからだ」
 あまりの話の変わり様に、クルミはびっくりする。
「なんで……? 人を、助けたかったんでしょ?」
 ──この力のせいで──。
 黒い服の男はそう言って、右手で自らの首筋をきつく握り締めた。蹲る。
「そうしなければ……生きていけなかった……」
 言葉の意味を飲み込んでから、クルミは口をつぐんだ。俯き、歯を食いしばるルナンの表情は、すでに暗がりではっきりとは見えていない。
「齢十四の子どもが、突然、謎の呪いを理由に……野に、放り出されて……真っ当に生きていけるわけがないだろう」
「…………」
 “窃盗、暴行、殺人容疑”。
 先ほど赤い制服の女性が言っていた台詞が、現実味を帯びた。
「全ての始まりは、お前と出会った……あの古代遺跡だったんだ」
 山の麓の農村から、さほど遠くない地下遺跡──少なくとも俺とお前は、五年前も、あの場所で出会った。
「今でも、ときどき夢に見る……この、闇を操る力を手に入れた、当時のことを」
 脳裏に浮かんでくることだってある。気の滅入るような、例の白昼夢。
「すべて、【あの男】のせいだ。五年前、あの古代遺跡で、気味の悪い顔をした、白い男が、俺にこの呪いを……」
 語り続けるうちに、青年の声は嗚咽が漏れそうな程に思い詰めた質へと変わり切っていた。
「あいつさえ、あいつさえ居なければ俺は、昨日のような思いをすることも……!」
「きのう……?」
 少女には、ルナンの悲しみがわからなくて、ただただ呆然と訊き返す。ここまで聞いても、ルナンが悪人には到底思えなかった。

 ようやく息を整え直した青年が、面も上げないまま平静を装う。
「……すまない。余計なことを喋りすぎた」
(ここまで一生懸命悩んでる人が、ほんとうに悪い人なわけないよ。)
「ううん……」
 とにかく、俺は【奴】に復讐をせねばならない。
 ルナンは決意を新たにしながらも、このことは少女には言えないと思った。こいつには、他人を傷付けるという目的自体、きっと理解できないであろう。
 そんなことを考えていると、先ほどの疲れにどっと四肢を襲われた。全身が怠惰感に包まれる。
 男が岩陰にぐったりと身体を預けたのを最後に、二人は暫し沈黙した。



 どれほどの時間が経ったのだろうか。
 おおよそ十数分経ったとも思えるし、ほんの数十秒だったやもしれない。どこか上の空なルナンにはまるで時間感覚がなかった。
 茜色の彩りを失くしてゆく空を眺めながら、今日一日のことを思った。
「結局、五年前のことは何一つ分からず終いかぁ……」
 やはり一筋縄では行かない。
 無意味な一日だったな、とルナンは愚痴をもらしたが、隣の人影は真逆のことを言った。
「いみ、あるよ! わたし、今日が人生でイチバンたのしかったもん!」
「ふん、お前は過去の記憶が無いから、そう言」
 クルミは冷え切った意見を遮って、今はピンク色で覆われた胸に手を当てて柔らかに微笑んだ。
「新しいものをいっぱい見れて、嬉しかった。ルナン、ありがとう」
「……俺は何もしていない」
 ルナンは謙そんすると同時に、さり気なく目を逸らした。
 少女はなんの屈託もない声音で続ける。
「それからね、わたし、もっと、色んなこと思い出したいの!」
「……不安はないのか?」
 おどろいて、思わず再びクルミの顔を覗き込む。
 何の迷いも存在し得ぬ、真っ直ぐな瞳が青年を射抜いた。
「ないよ!」
「お前……」相も変わらず無垢な表情で笑っている少女を前にして、ルナンは毒気を抜かれたような気分になった。
 緩んだ口元で一息をつく。ひとときの暇の直後に、ルナンは突然ハッとした表情になり後ろを振り向いた。
「ほえ、……なに!?」
 岩肌に手をついて立ち上がる。
「何かが来……否、これは……」

 遠く、貿易街の屋根から白いものがドタドタ転がってくる。瓦のカーブで勢いよく塀を飛び越したそれは、なにやら大きな声を発した。
「……しゅじ……さま、ご主人さまぁー!」
「アールズ!」
「んげふっ」
 緑の地面に向かって無様に落下したのを目撃する。主はおもむろに駆け寄ると、魔物の身体の状態を確かめる。
 擦り傷や疲労は認められたが、輪郭の感触はしっかりしていた。
「良かった……無事に帰れたか」
 使い魔は魔力を完全に消耗すると、姿を保てず強制的に召喚が切れて、地獄送りになる。長いこと呼べない状態になってしまうことを、ルナンは心配していた。
 安心したように呟くと、アールズは普段のようにえばった。
「赤い服の人たち、上手く撒きましたにゃ! 足止め、がんばったにゃあ!」
 何かを成し遂げるたびに息急き切って報告してくるのは、この魔物の昔からのクセだ。おそらく変わることはないだろう。
「そうか、でかしたぞ!」
 よし、といわんばかりに猫をぐっと抱き寄せてわしゃわしゃと頭の毛をかき混ぜる。
 てっきりバテた体たらくに呆れられると思っていたアールズは意表を突かれた。
「今日のご主人、いつもよりお優しいにゃん?」
「…………話は彼方で続けるぞ」
 眉根を寄せて移動する青年に抱き抱えられたアールズを、クルミが出迎える。
「猫ちゃーん! おかえりー!」
「ただいまにゃー!」
 両手を広げた少女に勢いよく飛び込む猫。
「赤い服のひと、こわかった?」
「もーグッタリにゃ……キシって、しつこいにゃ」
 その腕に抱かれた丸っこい体の生傷が、少女の素肌に触れた部分から淡い緋色と共に癒えていく現象を、誰も目にすることはなかった。


「そっかぁ。キシかぁ……」
 一通り滑らかな毛並みを撫で終えた少女は、再び浮かぶ疑問に好奇心を捕らわれる。
「あいつらも、持ち場の仕事に熱心なことだな」
 一見これほど平和な街の“治安維持”などとうつつを抜かして、率先してやるべき事が他にあるだろう。どれほど腑抜けた集団なのかと、ルナンは内心腹を立てた。
「ギルドとキシは、違うんだよね?」
「ああ。民間職と専門職だな」
「……働く人にはふたつがあるってこと?」
「…………」まさかそこからわからないとは思ってもみずに、俺は思わず言葉に詰まる。
「うーん、キシは偉い側のひとたち?」
「そう、理解してくれていい」
 また難解なことを考えるしぐさをしたクルミは、突然、合点がいったように言い放った。
「それならわたし、ギルドがいいな!」
 今度は、ルナンがよくわからない顔をする羽目になった。青年が言葉でたずねる前に少女は続ける。
「あのひとたちじゃないほうがいい。わたし、ギルドがやりたい!」
「なに?」
 唐突なことを言う奴だ。
 いぶかしげに見てくるルナンに、クルミは大仰に話した。
「わたしたちでギルドをするの! 旅して、困ってるひとを助けて、わたしの記憶もさがすの」
「ほう……」
 つまり、俺が“旅ギルド”を結成し、こいつの記憶をさがして、気侭に好きな場所へ……。
「それは……」
 ──この五年間、俺がしようと思っても、人との繋がりの無さ、そして年齢によって、出来なかったことだ。
 この少女にしては上出来で、かなり魅力的な提案ではないか。
「ふむ……検討しておいてやろう」
 もしかすると……少女は今日の小さな冒険で、ずっとこの事を考えていたのだろうか。
「ほんとっ!? できるの!?」
「お前、聞いておいてな……」意図せぬ苦笑い。
 世間的にはかなり一般的なことでも、少女と魔物には縁遠い話だろう。
「ギルドって、どうやって作るんですにゃ?」
「簡単だ」
 幼い頃に一通りの常識は学んでいるルナンにはわかる。

「手続きは、十八歳以上の大人と付き添いが二人居れば、街外れのギルド支部で登録できる」
「へ? とうろ……」
 クルミとアールズがポカンとした顔で見てきたのを受け流すかのように、ルナンは窮屈にしていた背筋と両肩でぐんと伸びをした。
「それは明日だ……今日はもう、日が落ちた」
 後はギルドの名前さえあればすぐだな、と独りごちる青年。
 すると案の定、クルミとアールズは待ちきれないというように、翌朝つくるギルドの名前を考案し始める。

 辺りはすっかり真っ暗だった。
 空は色を失い、遠くの山並みの輪郭線は薄れ、暗闇の大空で無数の繊細な光が輝きを放つ。
 普段よりも星が一層と輝いて見える。自分が夜の大気に包まれたような、不思議な感慨に包まれた、そのとき。
 黒の上空にひとつの光線が迸った。
 喉で息を呑むような──いっときの間を感じるのも束の間、目の眩むような幾つの光の雨が天の壁に降り注いだ。
 強く、弱く、あらゆる輝きを放つ小さな光が、深い夜を照らしてゆく。壮観。
「うわぁ……綺麗!」
 青年の暗い瞳に映り込む光の筋は、己が自然の光景に惹かれ込んでいる事実を全身に染み渡らせた。
「すっごーい! すごいの見ちゃった……」
「まるで夜空の虹みたいだったみゃー!」
「ど、どうしよう猫ちゃん……わたし、考えてたの全部忘れちゃった!」
「ボクもにゃっ!」
 現実の夢が醒めて、時が動き出す。
 反動でわーにゃーと余計にうるさくなった横のやつらを差し置いて、ルナンは見慣れていたはずの暗い夜空に感動を覚えていた。
 俺にとってこんな夜にも浮かぶ言葉。
「……闇、を入れたいな」
 ぽつり、と発せられたその声に、二人は顔を見合わせる。
「闇というなら、ご主人! 今日は月の出ない日……闇夜の日ですにゃ! ゴロ、良くないですにゃん?」

 アールズの出した助け船に、ルナンは先刻の流れ星を思い出した。
 夜空を煌々と流れてゆく、あの光を。
「闇夜の、流星……」
 クルミがわっと喘ぐ。
「なんか、ルナンっぽい! それカッコいいよ!」
 漆黒の闇夜に煌めく、一筋の流星──これ程にも人の心を惹きつけてやまない。
「……あんなふうな存在なら、幸せだろうな」
 そんな理想を思い浮かべて、俺は、己がとても空想上のことを言っていると思った。
「じゃあ、なろうよ!」
「……何に?」
「なろ、いっしょに!」
 その言葉の意味くらい、理解できる。
 今こいつは俺に、人助けのためのギルドを、自分と一緒にやれと言っているのだ。
「俺、が?」
「ゆっくりで、いいの! “さがしもの”、さがしに行こ!」
 ……思えば、昨夜から俺は急いていた。
 白昼堂々見た悪夢は、これまでも何度も夢に見ていた。悪魔のような男になぶられ、人生の転落した“あの日”の場面──。
「……それは」
 朝になっても、昼になっても、そしてこの先もきっと、繰り返し鮮明にまぶたに浮かぶだろう。思い返すうちは、報復以外の道など到底見出せない。
「ね、ねぇ、やっぱり、イヤかな?」
 クルミ──あの日、現実で、俺を救った幼い少女によく似ている……──こいつを連れ出した理由は、ただそれだけのこと。
 冷静に考えれば、縁もゆかりもないはずのこの少女を助ける義理など、ないとも断言できる。
「お前は、俺が断ったところで、この先行くあてがあるのか?」
「あ……」
 少女は不安げな顔になって、縮こまった。
「…………」
 だが、俺が言う“復讐”という目的は、言ってしまえば、もともと雲を掴むような話なのだ。
 【あの男】はどこに居るかすらわからない。ましてや勝てるのかなどと、見当もつかない。
 どうせ夢物語ならば、この少女のアテのない記憶と一緒に探してやったって、それも無駄な時間ではないだろう。
 これからは盗人として生きるのではなく、職を持ち、国を出て仕事を探せる。そんな生活は、
「……悪くない」
 願ってもない、突然の好機だった。

「俺は……奴を捜しに」
 旅をしたい──。
 本心を伝えると、少女は出会ったときと同じ、満面の笑みを咲かせた。
「わたしは昔の私をさがしに……旅をしたい!」
「ご主人さま! ここは、気合いを入れておく場面ですにゃあっ!」
 闇色の大剣は、復讐の道を歩む筈だった。
「〈闇夜の流星〉・行くぞ!」
「おーっ!」
 後になって振り返れば、始まりはこの日だっただろう。
 幼い俺が望んだ、「民を護る、他人を助ける」剣への理想。
 一ギルドとして形を変え、ここに実現していくやも知れない“一筋の光明”が生まれた瞬間だ。



「しかし、随分戻りが早かったが……なぁアールズ、聞いてもいいか」
「にゃん?」
「お前、もしや、俺の後をそのままつけてきたのか?」
「屋根の上を、まっすぐ付けてきましたにゃー!」
 えっへんと威張るアールズ。
「それじゃ、すぐキシさんに追いつかれちゃうんじゃ……?」
 ぐっと喉を詰まらせて、ルナンは息を吐いた。
「仕方がない、このまま最寄りの洞窟まで突っ走るぞ!」
「え、ええーっ」
 泣きそうなかおをしたクルミ。
 一日じゅう歩き通して疲れきった少女を、青年がその背におぶるはめになるのは、もう少しあとの話だ。
 月の無い闇夜。
 今はまだ真っ暗な草原を、二人と一匹は駆け出した。


 (2015/04/03・〆)

二幕『引き受けてください』

「はい、ルナンさま、で宜しいでしょうか? 付き添いは、クルミさまとアールズさまですね」
 最終確認の言葉に、個々の意気揚々とした返事が聞こえる。その様子を見て、受付嬢はふわりと微笑んだ。
「では、No.14670116、旅ギルド〈闇夜の流星〉で登録させていただきます。設立おめでとうございます!」
「ふっ」
「やったぁー!」
 ここはギルド支部受付所。昨夜を明かした一行は、早速ギルドの登録に来ている。
 目立つ銀髪と金髪に、くすんだ白髪が並ぶ。
「…………」ただし最後の一人はすごく顔色が悪くて無口だった。
「これで名実共にみなさん、ギルドの人間ですよ。“これ”と共に自覚をしっかり持ってくださいね」
 手渡されたのは、黒い箱に入った小さなピンバッジ。
 箱ごとそれを受け取ると、ルナンはバッジを良く見もせずに蓋を閉めた。
「俺がギルド設立、か」
 それは、ルナンとクルミの“さがしもの”の記念すべき第一歩だ。
「他にもわたしたちみたいな人がいたら、いっしょに旅してみたいなぁ」
「……それもそうだな」
 人数は多いほうがいい。
 と、いうよりも、青年ひとりで少女と使い魔の面倒を見ると思うと若干気がおもかった。
「ギルド員を加える前に、設立したみなさんで『ギルド三カ条』を考えておいてくだされば」
「ギルドの掟というやつだな」

「なるべくお早めに。基本的には、活動内容やメンバーの志に関することです」
「それってみんなの約束ごとだよね! わたし考えるね!」
「だから後で構わないと……」
 それからというもの、ギルド員を加えるなら各地に展開するギルド支部へ報告を、だとか、政府とギルドは対局関係にあるので振る舞いに気を配ること、だとかいう説明を程々に聞き流してから、ルナンは最も気になることを尋ねた。
「では、旅ギルドの依頼はどこで受注するものなんだ?」
 依頼とはつまり仕事のことだ。これがないとギルドは成り立たない。当然である。
 受付嬢は若干困惑した顔になって、やんわりとした口調で内容を告げた。
「それがですね……」



 時は日中、青々とした見渡す限りのフィールド。
 今日も気持ちのいい晴天の陽射しが眩しい。
「えへへへ、嬉しいなぁ! ほんとに旅に出れちゃった!」
「変化(へんげ)で人数なんとかなっちゃうんだにゃ、ボクもお役に立てて嬉しいにゃあ!」
 少女の高く結わえた金髪が揺れて、ピンクのワンピースがひらめく。その胸に抱かれたヘンテコな猫──魔物・アールズは、お日様を浴びて夢見心地、穏やかな光景だった。
 そんな景色を、一歩前を歩く禍々しい漆黒の後ろ姿が乱す。
「あの受付嬢め……適当なことを吹きおって」

 昨日買った保存食をかじる青年。
 乾いたパンの感触が舌でざらついて、かろうじて空腹の慰めにはなっている。
「そうそう! 依頼、わたしたちで探さなきゃいけないんだってね~」
「ああ、自分の足で人の多い場所へ行く必要があるが……」
 ちなみに昨晩は洞窟で一夜を過ごしたが、洞窟内はかなり冷え込むため、黒マントを毛布代わりとしてクルミに譲った。
 結局ルナンはろくに眠っておらず、さらに先日からまともなものを食べていない。
「ご主人さま、足元ふらふらにゃ? お体ダイジョウブですにゃ?」
「問題ない。それよりも早く王都へ行かなくてはな」
 貿易街から南へと下ってきているので、このままエスタール王国の首都へ向かおうというところ。ルナンは疲れていた。
「このバッジ、付けるなら、わたしが付けてもいいかなぁ!」
「勝手にしろ」
 少女が相変わらずピクニック気分で楽しそうに騒いでいると、
「きゃっ!」
 ルナン一行の眼前に突如、液体のようなものが降り注いだ。
「っ!? 上か!」
 乾パンの残りが片手からこぼれ落ちた。突然の襲来に危機感を覚える。
 地に落ちた無色の液体は、赤く青く色を変え、形を変え、最後に濁った黒になり膨れ上がった。空を覆い、辺りは真っ黒に染まる。
「なっ……」
 夜よりも暗い空。ぐるりと視界を回せば、背後にいたはずのクルミとアールズの姿は無かった。一面黒の空間には、誰もいない。
 そこで嫌でも解ってしまう。

 ──これは夢だ。あの白昼夢だ。

「……来るなら来い! 【スローグ】……!」
「カッ……」
 禍々しいまでの存在感。
 それは、茶色がかったザク切りの短髪。
 交差した前髪。
 妙に長いそれから覗く、濁り切った青の瞳がこちらを見据えている。
 現れたのは【あの男】では無かった。
 だが、一歩でも動けば殺すと言わんばかりの威圧を持った男だった。
「何者だ。答えろ」
 ルナンは鋭く問うた。
 こんな妙な空間に誘えるということは、知らぬ顔であれ何者であれ『危険人物』には違いがない。
「オマエのチカラを、知っていル……だから、オマエに興味があル」
 片言口調で語り掛けて来るそいつは、白を基調とした衣服を身に纏っている。黒の空間によく映える白だった。
「なんだと?」

「ルナン・シェルミク……。今はもう、闇に堕ちた、闇を振るう存在」
「こんな闇(もの)要らん。【奴】に必ず返す」
「ケケ……カカカカッ、不可能ダ」
 ケタケタと大口で笑う男の顔に、否応なしに腹が立つ。
「黙れ! 無理かどうかは俺が決める!」
 吠えるも、目の前の奴はさも愉快そうに笑うだけだった。
「救われたケれば、殺せ。人間を殺せ。憎いモノを、悪を……思うままに殺せばいい」
「俺の望みは“復讐”のみだ……不必要に民間人を巻き込む気はない」
 迷い無く『復讐』と口にしたルナンの表情を見て、奴は嬉しそうにニヤついた。
「ルナン。その名は既に、闇と共に在る」
 男の顔がぐにゃりと湾曲して、白い頬に──薄気味の悪い──赤黒いアザが現れた。髪は、いつのまにか透き通るような白の長髪に変わっていた。
 漆黒のマントが翻る。
「私には分かるよ……」
「……【スローグ】」
 ひどく優しい声音が、冷えた耳元に吹き込まれた。
「フフ……殺戮の生を歩め。ルナン……」

 ルナン・シェルミク。
 ……ルナン。
 ルナン!

「ねえ、ルナン! ルナンってば!」
 耳元で落ち着きのないソプラノが響く。
 次いで肩が揺さぶられる感覚で、体がぐらついた。
 目蓋を上げれば、目の前に白と茶色のぶち模様がある。
「……は」
「ご主人さまー!」
 猫特有な金の瞳は、目覚めの視界に眩しい。
「あ、ルナン気づいたっ! よかったぁ~」
 金縛りにでも遭ったかのように、全身が軋む。
 片ひざをついたまま、ルナンは隣で屈んでこちらの肩を持つ少女の姿を見た。俺を絶望の淵から救った少女の存在。
「俺は何を……?」
「あのね、ルナンが立ち止まったと思ったら……」
 妙な液体が降ってきたことを青年は思い起こしたが、少女の答えは違った。
「息が荒くなって、急にひざをついて、すごく苦しそうにするんだもん。びっくりしちゃったよ」
 ──夢、まぼろし。
 あの体験はやはり形の無い夢幻であって、現実ではないのだ。
 そうとは分かっても、男の姿が、声が、脳髄の中で繰り返し現れるような感覚に見舞われ、ルナンの心が晴れることはなかった。
 快晴の青空が俺を嘲笑っている。
「ご主人さま、大丈夫ですにゃ?」
「……問題、ない。先を急ごう」
 
 



 時刻は昼前。
「ギルド〈闇夜の流星〉だ」
 エスタール王国の王都・アベルツの周囲は、百メートル以上もあろうかという楕円型の外壁で覆われている。
 一行は王都前の検問所へ来ていた。

「おねがいしまーす」
 王都の外壁には出入り口としておよそ数十の門が設置されており、そのすべてに腕利きの門兵騎士がいる。昼夜交代で、二十四時間監視している。
「ほぉ、旅ギルドな。このご時世に珍しい」
 少女が手に持つギルドバッジを観察し、門兵は唸る。
 例のごとく地獄に送り返した魔物・アールズはいない。
 二人きりのギルド名乗りというのが非常に怪しまれそうな気がして、ルナンは適当な言い訳に舌を包む。
「メンバーがあと一人居るんだが、体調不良で不在だ」
 門兵は至って普通に頷いた。
「よし。通っていいぞ」
「わっ、ほんと?」
「もちろんだとも。こんなキラキラなバッジ、俺は初めて見たさ。新人さん、これから頑張れよ!」
「あ、ああ……」
(なんか、とってもカンタンだったね)
(人間化アールズでもバッジがあれば入れたんじゃないか?)
 門戸が開かれるのを眺めながら、青年と少女はそんな風に思った。
 片手で魔法の起動をする門兵。
「だけど今、王都の街中ではぶしつけな者がいるとの報告もあるからな。きみらも、気をつけるんだぞ」
「ありがとう、騎士さん」
 扉が開く。
 二人は揃って息を呑んだ。
 最初に目に飛び込むのは、視界いっぱいに広がる赤、茶で統一された由緒正しい街並み。
「わあっ、きれーい!」少女は小躍りになった。
 何かの記念日かと疑うほどの、大勢の人々で溢れかえっている。
「うお……っ」
 何より人々が見上げるものは、外壁による赤茶色の背景に存在を主張する純白。
「きゃーっ! なにあれ、おっきいお城!」
一層と高くそびえ立つ、白の豪華な王城とベージュ色の教会と思しき建物だった。
 目を凝らしていけば、人々の中には明らかに王国民ではないと分かる衣装の“外国人”も多く居た。入って直ぐは稼ぎどきと言わんばかりに軒並みに露店が立ち並ぶ。
「ここが王都か……すごいな」
 素直な感想が青年の口をついた。
「ね、ね、どこから回ろう! わたし、近くであのお城が見たいなぁ!」
「待て、俺らは観光に来たのではないぞ……」
「ほわぁ、お店がたくさん、人がいっぱい! ルナン、どうしよ、どこから行く!?」
「だから……」観光ではない。依頼主を探すんだぞ。
 しかも地味にお尋ね者である俺を、街中で名指し呼びする悪癖がまったく直っていない。俺の連れはどいつも、どうにも、ほんのちょっぴり頭が足りていないらしい。
「えへへ、美味しい匂いがするなぁ~。お肉かなぁ?」
「おい! 無用心に動き回るなとっ」
 クルミがるんるんと歩を進めるので、ルナンは仕方無しに後を追う。
 街中の雑音の中、異質なやり取りを耳に挟んだ。
「例の……一昨日の件は結局どうなった?」

「ああ、ラスク町だろ。やっぱ酷い惨状だぜ」
「虐殺犯……銀髪の男だって? コエェ」
 周囲はこんな祭り騒ぎだというのに、明らかに声のトーンが低い集団へとルナンの意識が留まった。
 露店などには目もくれず道の隅を闊歩する、ガラの悪い若者たち。
「銀髪の男って方はデマだと思うけどな。それより面白いニュースがある」
「また賭け事か。なら早速、C地点だ」
「おいおい、金になるんだろうなぁ……」
(ラスク町、銀髪の男。ニュース……賭け)
 ルナンは男たちの会話にひとつの確信を抱き、クルミに声を掛ける。
「ここらの店を見ていろ。遠くへ行くなよ、必ずすぐに戻る」
「ほぇえ……うん、じゃあお店見てるね!」
 少女の返答を待たずに、青年は道を逸れた。
 光に溢れる商店街の明かりが、一切届かぬ細い路地裏へと入っていった集団を青年は尾ける。
 日陰、冷たい壁に背をつけ、行き止まりと思わしき奥の空気を肌で感じた。
「ああ聞いたぜ、例の…………だってよ。もう、一面血の海だそうだ」
「そっちのがデマだろ、あの教会本部が帝国軍と…………んて」
(教会が?)
 仲間内で囁き合う声音。距離的に細部が聞き取れなかったが、ルナンは路地の死角ギリギリで目立たぬように耳を澄ました。
 貴重な情報源を逃すわけにはいかない。
「あそこに王国直属の騎士団が出向かわなかったのが証拠さ……王国教会と帝国軍は繋がってる。どうだ、これ。面白い賭けだろ? 付き合えよ」
「お前、教会本部の白黒を賭けに使うのかよ!」
「あの様子なら絶対黒さ。そこを利用して、あいつらを裏からゆする」
「広まれば聖職者の権威とかドン底じゃん。一体何百人……何千人が釣れるか……」
 一人の含み笑いに釣られ、場の全員がせせら笑い始めるまでを耳にするや否や、黒衣の青年は霧のように踵を返す。視界に光がちらつき始める。
 ルナンは内心、やはり、という思いを強めた。
「……キナ臭い」
 どうやら、一見平和なこの王国は、間違いなく内側から腐ってきているらしい。それでも、なるべく怒り任せに騒ぎを起こしてはならない。
 出来れば昨日──貿易町でも、静かに偵察をしたかったのだが……せめてこの王都では詳しく知りたいことがある。
 そうして元居た商店街へ戻ってきた。真っ先に人で溢れかえる辺りを小さな金髪がうろちょろしていないか、目で追う。
 街中はあらゆる喧騒で満ちている。
 それらしい影を目視して、青年は人の波を掻き分けて一つの露店へ向かった。

「いえ、そこをなんとか」
「アチキは詳しくないんや。かんにんな」
「はは、参りましたね」
 露店では、ふたつの異なるハスキーボイスが論議をかましていた。ルナンと同世代ほどの女性商人と、こちらは一世代近く歳の離れていそうな横顔の男だ。
「はぁー、この辺の地形を知りたいとか、おもろいやっちゃなアンサン」
「あ、ところでこれいくらです?」
「ワッペンは八百リルやえ」
「……へえ、そうですか」
 そのすぐ隣でクルミが商品を見ている。
(揉めとる横でよくやるな、あいつ)
 意外と図太いのかもしれんな、とか思いつつ、ルナンは面倒にならないうちにクルミの元へ歩み寄る。
「おい、クルミ!」
「んぇ?」
「依頼を探すんじゃなかっ、た、のか……」
 何かがおかしい。
 クルミは話しかけると大抵明るく返事をするはずだが、今回の声は変にくぐもっている。不審に思い横から覗き込むと、少女の前にはオレンジ色がたくさん転がっている。
 何故か皮だけ転がっていたりした。
「……まさか」嫌な予感は外れない。
「ん、んむむ」
 振り向いた少女の口にはみかんが詰まっていた。
 つまみ食い。
 本日二度目の悪夢である。ただひとつ違うのはこちらが現実である。
(妙にもそもそしていると思った……!)
 俺が軽く頭を悩ませているあいだも剥いた五つめを食っている。
 やばい。
 やめてくれ。
「こんにちは。いい買い物日和ですね」
 長身の客は、こちらに向けてにこりと笑顔を貼り付けた。
「んー!」
 ルナンはクルミの肩を掴み、みかんから遠ざけながら、相手を見極めるように眉をひそめる。
 この辺りではまず目にすることのない、薄い黄色の瞳を覆うやや大きめの眼鏡。好き放題に跳ね回った茶髪と、長身に纏った紺色のスーツ姿。
「悪いが……怪しげな輩は御免だ」
 ピシ、とした印象を受けるはずのその身なりは、ヨレやシワが目視できることから、相当着込まれているようだ。
「怪しげだなんて心外ですね」
 眼鏡の男はほとほと困り顔になった。
 すると横からどうにもおめでたい紅白頭の店主が、
「ちょお客さん困るでぇ!」
 ようやく異変を感知したようで、あっと少女の眼前に人差し指を突きつける。
「勝手に食べてもうたらアカンがなぁ~」
「ん、だって美味しそうで……きっと買えるかなっておもったから……」
 当の少女はというと、ほんとうに申し訳なさそうに縮こまっている。
 いいかお前ら。今一番困惑しているのは俺だぞ。
 ルナンの混乱はかなり深刻だった。
「ところで、千五百リルな!」
「……なに?」
 いたって何気なく、結構な数字を聞いた気がした。

 顎に手をついて、もう片方の手をひらひら振っている店主。
「ニイちゃん保護者やろ? みかん五個代、払うたってや~」
(みかんが五つ、千五百リル……?)
「ぼったくりかァ!」青年が全力で突っ込む。
「んなことあらへん! これ貴族栽培のミカンやさかいね」
「ふむ。なるほど」
 ……貴族栽培は高級品だ。
 少しばかり目を離しただけで、厄介なものを食ってくれたな。
「ふ、ふえぇ、ごめんなさい……」それはたぶん顔に出ていた。
 ルナンの脳内でカチカチと計算が為される。
 元の所持金、五千リル弱。こいつの身繕い金に約四千リル。次いで食料費に約千リルの使用は、どちらも止むを得ず必要な消費だったと思う。
 そして今回のつまみ食い費が、千五百リル。
 現在の有り金、数百リル。
「これは……」
 足りない。どう考えても不足している。
 主にクルミの存在のお陰で持ち合わせがない。
 しかし、無知すぎる子どもに罪を背負わせるのは、あまりにも酷というものだ。
 つまり俺としては、手慣れたあの手段を取るしかない。
「ここは……殺るしか……」
 殺るのはやりすぎか。
 恐喝か。
 そもそも、街中での強行策はさすがにまずいか?
 金銭が天秤に掛かったルナンの思考回路は、あらゆる意味で尋常ではなかった。
「否……旅ギルド存続を掛けて……!」
「えっ? なになに?」
 ──いくぞ、と強行策を取ろうとしたそのとき、
「どうかなさいましたか?」
 隣の男が口を挟んだ。
「聞いてやアンサン、この客めっちゃトロいで。ほんの千五百リル出すのにー」

「ところであなた、それ、ウソですよね」

 男の断定的な発言への理解が間に合わず、青年の脳は硬直した。
「……はっ!?」
「ほら。この認可マークは、隣国で採れる野素材のもの。複雑な国境をまたぐとはいえ、値段はせいぜい百リル台でしょう」
 青年に突き付けられたのは偽りの売値だと、男が指摘した。
 言われてみれば、一部の売り物素材にはそんなマークがついていた気がする。
 確かにルナンの淡い記憶に蘇った。
「……騙すつもりだったのか?」
「はぁん、ウソとちゃうわ。流暢な商売トークやいわんかいな! あーあ……ネタばらしされてしもた~」
 ──それは立派な詐欺だろう! 己の浅知恵にも呆れ返ったルナンは顔を覆った。
「ついでにお尋ねするんですけど……このワッペン、どのお店でも定価・五百リルでしたよ」
「あ! せやった!」
 いかにも、今の今思い出した言い草でそろばんを弾き始める商人。

 敬語の男はさらに滑らかに言葉を紡ぐ。
「正規のお値段を偽るのは如何なものか……あなたの商業ギルドに、利用者としての声明を出すべきですかねぇ」
「あ~もうほんまメンドっちい客やなぁ」
 赤と白毛の女商人は悪びれる様子もなく、分かりやすい舌打ちが聞こえそうな態度で高らかに手を鳴らした。
「しゃあない、特別にまけたるわ! ワッペン四百五十リル、ミカン五個で四百五十リル! 持ってけコソ泥っ!」
「はぁい、ありがとうございまーす」
 満足げな笑みになって財布を開く男。
「お……」
 本来ならコソ泥呼ばわりに文句をつけたい場面だが、ルナンも手持ちでギリギリ払える値段に交渉されたのを見て、内心かなり感心した。
リル通貨を交換して、交渉を終えた客たちは去っていく。
「ほん~ま、大赤字やわぁ」
 女商人はしつこくぼやいていた。



「さっきは助かった。感謝する」
 正直に礼を述べるルナン。
 人出の多い街角を適当にぶらつきはじめた三人の影が伸びる。青年が危うく商品を強奪するところだったなんて、今は誰も知るよしはない。
「いえいえ。悪行人を叩いてお買い得、まさに一挙両得ですよ」
「あなたは、なにしてるひと?」
 クルミは素朴な疑問をぶつけた。ルナンがさりげなく制止をかける。
「お前、初対面の大人にいきなり……」
「ははは、構いません」
 ハネた茶髪の男は、袋をがさごそしてからルナンたちに向き直った。
「私はただの、旅人ですよ。さっきも観光土産を買ってたトコです」
 袋から出てきたのは王都のワッペン。
「わぁ! ハトさんがかわいい~」
「モノ好きだな」
 和平を表す純白のハトと、それを護る騎士団の赤い剣。緑の葉の縁取り……この国〈エスタール〉の紋章に俺がしばし見入っていると、男は突然それをピッと上に挙げた。
「ところで先ほどの縁もなんとやらですし。少しお話でもどうですか?」
 自身のなかなか整った顔のほんの横に持ち直すと、ニッコリ笑ってワッペンで空を叩く仕草をする。
「見たところ、あなたはエスタールの国民。地元の方ですよねぇ」
「一体、なんだ」
 ……助けられたばかりなので、急いでいるからと辞退もできまい。
 男はそれを聞くと、ふっと安堵した表情になった。
「あぁ……この街のこと、いろいろ教えてくださいよ。私、どうもこの辺に詳しくなくって」

 低めの声質が街の雑踏に紛れかける。
 クルミがヒマそうにきょろきょろしているそぶりに気の及んだ男は、左手をひらり表返して方向を示した。
「なに、立ち話もなんです。そこのカフェでゆっくりと」
「えっ、カフェ? いいの!?」
「ま、まて俺の方は……」
 今のルナンは金が尽きている。
 銀髪の青年の焦り様を見て、男はおかしそうに気遣ってくれた。
「ご心配なく、私からの奢りですよ!」
「ならば恩にきる。それと」
「ほえ?」
 ルナンが、忘れはしないという風にクルミの頬に手をやる。
「露店の商品を勝手に食うな!」
「ごめんなふぁい」
 少女は弾力のありそうな頬を派手につねられた。



「お待たせしました。こちらです」
 窓際の四人席に、橙色のジュースがひとつと、コーヒーカップがふたつ運ばれて来る。
 スーツの男と向かい合わせに席に着いて、ルナンとクルミは、いかにも都会といった店内の雰囲気に浮き足立っていた。
「ルナン、これはたべていいの?」
 ヒリヒリしている頬をさする少女。
「ああ、こいつもこう言っているし大丈夫だ。もし何か問題が起きれば、俺がなんとかする」
「そっか! よかったぁ」
 ちなみに、ルナンの言う“なんとか”とは闇討ちまたは逃走のことである。
 少女はやはりおいしそうに、ちまちまとジュースを飲み始めた。
「いいひとだね、おじさん!」
「おじさんではありませんよ。おっと、申し遅れましたね」
 ミルクと砂糖を追加したカップの中身をゆったりと混ぜていた男は、慌ててスーツの内ポケットから四角い束を出す。
 手のひらサイズの紙をテーブルの上に提示してみせた。
「私は……ディオル・カラーン。どうぞ、ディオルとお呼びください」
 襟元を合わせてから、落ち着いた振る舞いでそう名乗る。
「わかった! ディオル、あのね、わたしはクルミ!」
「フフ、そうですかぁ。可愛らしいお名前ですね」
 ディオルは懐から小袋を手に取ると、白い塊を鷲掴み、カップの中へぼとぼとと投入してゆく。それらがマシュマロであると認識すると、ルナンは異様な光景に顔をゆがめた。
 この男のやることなすこと、あまり親しみが湧かない。
「他国の人間……のように見えるが、砂漠の出ではなさそうだな。お前は隣国〈テスフェニア〉辺りの出身か?」
「ええ、まあ。どんな旅人も、敵国に赴く程の物好きはそう居ません」
 旅人は目をつむって、ため息を吐いた。
「で、貴方はルナンという名のギルド主……ですよね?」
「そのくらいは察すれば判るだろうな。お前は元々、何をしていた人間だ?」
 これでは腹の探り合いだ。
 率直に会話できないのは、お互いについて未知数過ぎるせいだろう。
「元・しがない輸送ギルドの一員、というところです」
「……そして、今は抜けて旅人を?」
 男は笑ってうなずいてみせる。
「ようやく本題に入れます。実は、探し事があるのですよ」

 右手でつい、と眼鏡のブリッジを押し上げた。
「私、訳あって調査したい遺跡があるのです。つまり、歴史ハンター! とでも思って貰えれば!」
「ほう……」
 ルナンも古代遺跡とは深く関わりがある。
 案外熱心に語る男の様子に、ルナンは真面目に話を聞いてやろうという気になった。何も入れないままのブラックコーヒーに口を付ける。
「この国には各地に遺跡が多いと伺いました。ですがあいにく、場所がさっぱり分からないのです。ここから東方角の街近くに、遺跡が存在するとも聞いたのですが……」
「……俺は、この国の遺跡の一つを、深く探索したことがあるぞ。北東のな」
「おや! もしかして知ってたり?」
 食い付くディオルに、ルナンは己の知識を辿って話をした。
「アレは、あまりお勧めできんがな。ただ、俺が本の知識で知る限り、南東の山岳部には機械じみた遺跡があるはずだ」
「南東に、機械? それはかなり……私の求めてた土地情報ですっ!」
 ルナンは驚いた。
 やや細めの瞳を見開き、それからはにかむように笑顔を見せるディオルは、この男の当初の第一印象を大きく裏切るものだった。
「ありがとうございます。おかげさまで、いい探索が出来そうですよ」
「それは良かったな。では……」
 会話も締めどきだ。と言わんばかりにルナンは、さっさと飲み物の残りを煽ろうとする。
 男が、今までよりも一段ほど低い声音で切り出した。
「折り入って、お二人に提案があります」
 青年は、まだ何か──と問いたげな眼差しを向ける。滑らかな低音がそれに答えた。
「私の旅路に付き合う、というのはどうでしょうか」
 つかの間の沈黙。
「……何故、俺らがお前について行かねばならんのだ?」
 周囲の雑談と少女がジュースをすする音だけが、共通して聞こえている。
 男がカサ増しした飲み物──最早カフェオレを、美しく飲み干した。
「あなた、さっき露店で旅ギルドの存続がどうとか言ってたじゃないですか。お金、お困りなんですよねぇ?」
(すべて、聞かれていたか……)
 声に出していたのだから無理はないとしても、この男、相当目ざとい。
「それは……俺個人の問題だ。遺跡には興味があるが、さすがにお前のペースに合わせるほどヒマじゃない」
「では、私の遺跡探検にでも付き合ってくだされば、内部の情報も手に入る。そして報酬も支払いますよ。どうです?」
「報酬? それは、つまり」

「ええ。私のお財布事情的には、二十万ほどで手を打ちますよ」
「にじゅっ……」
 とんでもない金額を聞いてしまった気がしたルナンが軽くむせた。
 確かに遺跡の探索には危険が伴うが、そこまでして得体の知れない相手に護衛を頼む感覚は、ルナンには分かりそうにもなかった。
 ディオルは居住まいを正して指を組む。
「私の依頼、引き受けてくださいませんか」
「…………」
 口当たりの良い珈琲を一口含んでから、青年は考えた。
 少女の記憶と【あの男】にまつわる手掛かりを得るため訪れるべき、各地の遺跡。
 いずれ、この国の遺跡だけでも、手当たり次第に調べねばならないと思っていた。ディオルはそれを“仕事”として依頼してやろうと言う。
「ふむ……」
 奇遇な縁だ。こんな巡り合わせは二度も廻ってくるものではあるまい。
「よかろう。俺で良ければ引き受けたい」
「本当ですか!?」
「ただし、条件がある」
 ルナンは視線を外し、窓辺に向かって呟く。
「俺はこの王都アベルツで、確かめなければならないことがある。ひとまずソレに付き合って貰おう」
「王都で? 何かあるんですか?」
 ディオルが不可思議そうに苦笑いしたところで、ずっと静かにしていた少女が窓の外へと声を荒げた。
「ルナン、ルナン、お外の様子がおかしいよ」
「ああ。気が付いている」
 見れば、遠目に見える大広場でなにやら騒ぎが起こっているように見えた。クルミはずっとそちらに気を取られて話を聞いていなかったらしい。
 よく確認できないが、騒ぎの渦の中心には何者かが居る。
「おや。あれは王国の……」
 瞬間、広場からの轟音に耳をつんざかれた。
「きゃああー!?」
「えっ……!?」
 店内が一気に騒然とする。
 気付かぬ者はいない。真っ青な濁流の吹き上げる広場の景色が、ガラス越しの視界に映った。
「ふん……一悶着ありそうだな」
 カップの残りをひと息に煽って席を立つ。
「馳走になった。先に行っているぞ」
「わ、わたしもいく!」
「おおい、せめてお代払うまで待ってくださいよー!」
 焦った男の低い声も、乱暴にこじ開けた扉の鈴の音も、青年には聞こえない。
 既に、どす黒い怒りの渦がルナンの心を蝕み始めていた。


 (2015/05/12・〆)

三幕『あいつの仇を討つ』

「待てー! そっちには行くな!」
「洪水だと!? 馬鹿な、街中だぞっ」
「お客さんは下がってぇ!」
 整備された広大な敷地に映える、美しい弧を描く噴水周り。
 本来なら憩いの場であるはずの広場は、今や動乱かと見まがうほどの様相だった。
 ルナンは重装備の黒衣を翻し、ただちに場を見渡した。
「……おかしい」
 周囲は老若男女の悲鳴で満ちている。にも関わらず、その中には騎士の号令らしき声がない。
「ここは王都だぞ……」
 〈エスタール王国〉では、街の騒ぎとあらば、呼ぶ間もなしに騎士が駆けつける。
 王都アベルツは王の膝元。
 王国騎士団は、法と平和の象徴武力。
 先日の女騎士のように、街の治安を維持する命を下された者が必ずいるはずだった。
 鈍色の髪の下、紫色の瞳がにわかに焦りを滲ませる。
 俺は煩雑な人混みの中を泳ぐようにして、目線をやや高く保ち、向こう側を見ようとした。
 すると、遠目にも王国騎士らしい、赤と白の甲冑服が騒ぎの中心部に集まっている。
 間違いない、騎士団だ。
 ようやく捉えた奴らは、どうやら、広場の中心に注目する市民に声をかけている。野次馬をしきりになだめているのだと、俺には分かった。誰も、“騒ぎの元凶の沈静化”のために動こうとはしない。まるで、そのことは自分たちに関係が無いとでも言うように。

 ──騒ぎが起きても決して邪魔はせぬようにと、命令されているんだ。

 不穏な結に辿り着いた俺に、向かい来る足音があった。
「ルナーン!」
「あぁ、居ましたねぇ」
 ソプラノの幼声が俺を呼び、次いで、重低音だが張りのある男の声がした。首元を捻れば、金髪の少女が人並みに揉まれながらも駆け寄ってくる。
 半歩後ろには、くたびれた濃紺のスーツ男がついてきていた。
「……随分と早かったな」
「その服装、浮いてるので探さずに済みましたよ~」
(お前が言えた台詞なのか?)
 聞き捨てがたい軽口へ反論するまでの、一拍のラグで硬直する俺を尻目に、男は言葉を重ねた。
「どうです。これが、あなたの気にかかる事件なのですか?」
 周囲の声に掻き消されぬよう、やや大きく発された声に、ルナンが返答する。
「直接には関連がないが……確信は得た。見ろ」
 俺は顎をしゃくり、人混みの向こう側を示した。

 広場中央の噴水まわりが、水浸しとなっている。噴水が暴発したようにも見えたが、それは違った。
「魔物が……!?」
 そこに、くすんだ橙の毛並みをした虎型魔物の姿がある。
「はれ? 魔物は、まちに入れないんだよね……? どうして、いても大丈夫なんだろ」
「……信じたくないが、あの魔物はなにかで意識を操られている」
「どういう理屈ですか?」
「中央のやつから、妙なものを感じる。あいつが犯人と見て間違いない」
 ルナンの言う広場中央、噴水横で騎士に囲まれている人物は、赤線の入った白い制服──騎士の紅白甲冑と似た色合いをしている──この国の聖職者の正装だ。豪奢な飾りのついた、長い銀の杖を持っている。
 周囲の人集りよりも目線ひとつぶん背の高いディオルからは、それらが難なく確認できた。
「ほぉ、あのお方ですねぇ」
「あのひと、しってるの?」
 眼鏡の男は首を振った。
「詳しくは存じません。ですが、彼のあの身なり……確か、王国の教皇のものなんですよ」
「きょうこう?」
「簡単に言うと、国の偉いやつだ」
 幼いクルミに向けた、言葉の変換に小慣れてきたルナンは、適当に教えておいた。
「偉いひと? ね、どうして偉いひとが、みんなを困らせてるの?」
 クルミが再びルナンに質問すると、
「そういう奴だからじゃないのか」
 青年はディオルに視線を送った。
「彼は元々、かなり誠実な聖職者として知られていた、と思うのですが……」
 後ろの男は本人を見やる。

 教皇とおぼしき人物は、なにやら長杖を振っている。魔法を発動しているようだ。次いで騎士に命令を下していた。
「私が折角、軍用魔物を強化しているのだぞ? 早く済ませ」
 操られた魔物は、軍用魔物と呼ぶらしい。
「《ガルルルウゥ……》」
 魔物の口から謎の魔法が放たれ、噴水の水を吸い上げては何かを施しているように見える。一人の騎士がすがるような声音で教皇へ言った。
「こ……これ以上は、できませんっ。噴水の魔法耐久も保たない上、都民の迷惑に……! どうか、お考え直しを……」

「これでは王の鼻を明かせぬであろう! 指導者は私なのだぞ、さっさと言われたことをやれ!!」

 怒号を放っている教皇を目に映す限り、ルナンはそれを誠実という単語と照らし合わせる間でもなかった。
「そうは見えんな」
 周囲の人々が騎士に説明を求めるも、まあまあで済まされる一方のようだ。命令されてのことなのだろう、騎士はみな、どこかつかれている。
「キシさんと魔物、なんだか可哀そう……」
 クルミはいよいよ悲しくなったのか、しょんぼりとしてしまった。
「……あの噴水は、この王都全域に流れる水の交差点ではありませんでしたか?」
 各々がなんとも言えない表情で押し黙ると、ルナンが顔を背け、人混みの足元へ声を落とした。
「……あれほどまでに腐ったか。笑わせる」
 滲んだ侮蔑を吐き捨てた青年は、苦しそうに呻いた。

「あいつらのせいで、ミザリは……!」

「……へぇ~?」
 わざとらしい声が出るディオル。
 青年の口から初めて好意的に発せられた人間の名を、二人は聞き逃せなかった。いかにも、誰? と言わんばかりの熱視線を浴びたルナンは、騒ぎの中で似つかない咳き込みをした。
「来るなら早く来い。置いて行くぞ」
「えっ、待ってよルナン! どこ行くの!」
 青年は振り返りもせずに、広場の南西方向の道へと人混みを縫いはじめた。
「どこ行くのってば~!」
 小走りで追い掛けていく少女をさりげなく待っていることは、ときどき歩幅を緩めていることから判る。当人には黙っておいてあげよう、と、茶髪の男はひそかに笑った。



 冷たい路地。
 足早に歩く青年について行くと、辺りはシックな造りのバーや宿屋の立ち並ぶ裏通りになっていった。
 先刻の、明るい店や客引きの声が飛びかう商店街を抜けたようだ。
「うわぁ、くらいね」少女がきょろきょろする。
「ここなら人目につかなさそうだな……」
 ルナンは足を止めて再確認した。まだ昼間ゆえに、人通りもほとんどない。

「あの、何をなさるのです?」
 ディオルが疑問を口にすると、ルナンは男を二度見してから、見てとれる程度にあごを引いた。
「……あ、お前が居たか……」
「なんですかその反応」
 眼鏡の男が不満をもらす。青年は、横目でしばし睨んだあと「仕方がないな」というふうに、男から顔を背けた。
 鼻筋の前に二本指を添え、すっと息を吸い込む。
「──我──契約を重んずる者なり……」
 詠唱とまったく同時に、左首筋の呪詛が妖しい色を放つ。ルナンの周囲に温風が吹き抜け、マントを持ち上げた。
「其こそは、我に使役されし意を示せ! 器を形成せし主命を与うる……」
 漆黒の足元がほのかに光を発する。

「汝、今時空を超え、我に従え──出番だ! アールズ=シェルミク!」

 右手を振り払った青年が低く叫ぶと、前方へと黒いモヤが集まり、さいごに三十センチくらいの塊になって弾けた。
 そこには、へんてこな猫が現れていた。
 三毛色の毛並みにぎざぎざのヒゲをした猫が、まるっこい胴体で鈴を鳴らした。
「ルナンさま~! お久しぶりですにゃああ~!」
「その名を呼ぶな馬鹿者が!!」
 飛びついてきたデカい毛玉を、ルナンは半歩下がるとブーツの底で蹴飛ばした。
 いてて、なんて呻くアールズに、クルミがその手を取って立たせてあげた。
「猫ちゃん。さっき街の前でお別れしたばっかりだよ?」
「そうにゃん? なんでか、久々なかんじがするにゃ」
 ほのぼのと会話するクルミとアールズを眺めて、ルナンは独り零した。
「……やはり。王都の中心部は、魔物避けの結界が張られていない……」
 高い城壁があるから十分ということか、外側だけに似たような仕掛けがあるのか、何にせよアールズを召喚できたことで得た情報は多い。
「どういうことですか? その三毛猫は一体……」
 疑問符まみれのディオルに、クルミがすかさず知識を披露した。
「あのね。猫ちゃんは魔物で、使い魔さんなんだよー」
「……は~、そういうことでしたか」
 ディオルは興味深げに頷いている。魔物、の単語で獣耳をぴくりとさせたアールズが、長い尻尾の毛を逆立てて仰天した。
「ニャ? 町中なのになんでボク平気なんにゃ!?」
 同じ質問に二度答えるのが、ルナンは面倒になった。
「……今は気にするな。それよりアールズ」
「ル……にゃ、ご主人さま、なにかご命令ですにゃ?」

 どもる使い魔に、用件を伝える。
「うむ。今回は教会本部の周辺を調査して貰いたい」
「教会ホンブ……あの、高くてベルのついてる建物ですにゃ?」
「そうだ。あの場所に、正面入り口以外から入りたいんだ。その経路を、出来れば探って欲しい。やれるか?」
「お安い御用にゃ! 早速行ってきますにゃあ」
「頼んだぞ!」
 ニャッ、と一つ鳴いて、振り返らずに走り去っていった。
「いってらっしゃーい」
 一部始終を見守っていた二人のうち、例の若干老けた印象の男は、とくに青年を注視していたようだった。

「しかしあなた、いまどき《使い魔召喚》なんて使ってらっしゃるんですねぇ」

 男が可笑しなものを見る目でそんなことを抜かすので、ルナンは強い口調で言葉を返す。
「見ての通りだが? どうかしたのか」
 ディオルはなにやら思案するのをやめると、感服の声を発した。
「驚きましたよ。通常、野で人間を襲う魔物が、あれほど従順に命令を聞くなんて」
「使い魔自体、世間では珍しいそうだな」
「ええ……あの召喚も、古代魔法の一種のようですし。一体、どんな方法で“従わせれば”、あんなふうになるんです?」
 心底驚嘆しているらしい男の考え方こそが、いわゆる“一般的”なのだろう。
「さて。俺の知ったことではない」
 やや下を向いた俺の心境をどこまで理解したか、ディオルは浅く息をついた。
「猫ちゃん、もうずっと向こうに行っちゃった」
「うむ。あいつが調べをつけるまで、時間が出来たが……」
 どうしたものか、とルナンは顎をさする。
「ねぇねぇルナン」
「む? なんだ」
 少女は、ぶんっと両手をバンザイしてこう言った。
「おなかへったー!」
「おま……」
 呆れたルナンが見返した。
 しかし少女は手を下ろすと、途端に悲しそうになり、その表情に青年は言いようもない違和感を覚えた。空腹を訴えるわりに、いつもの天然じみた顔とは違っていたからだ。

「……ねえルナン、だいじょうぶ?」

 俺は言葉の真意をはかりかねて、こぶしを握り締めた。きっと今の俺のほうが酷い顔をしていた。
「何のことだ」
「ルナン、ずっと悩んでる。出会ったあのときから、ずーっと……だから、大丈夫かなって」
 こいつは、出会う以前の俺を知らないというのに「ずっと悩んでいる」のだと、何を根拠に言っているのか。
 クルミは幼い両手を胸に当てた。
「ルナンの調べてる事件って、さっき言ってた名前のひとが関係してるの?」
「なにを、言って」
「ぜんぶ……繋がってるんだよね。わたしと会う、一日まえに」

「……それは」
 青年のだんまりは、図星だ。
「ほお?」
 少女の意見らしい意見を初めて聞いたディオルが、声を上げて感心した。
「わたし、ルナンしか知らない辛いことなら、一緒に知っていたいの」
「…………」
 ルナンは絶句した。
 まさか、少女にすらここまで把握されているとは。
「なるほど? 私も、クルミさんに同感ですよ。最低限の説明は欲しいですねえ」
「なっ……お前までか!」
 ディオルすら少女に同調してきたことは、ルナンにとってかなり意外であった。

「お願い……教えて。わたし、なんでも聞くから」

 いよいよ真正面から切り出され、俺は、心の奥底で揺れる感情の波が、不思議と鎮まっていくのを感じていた。
「……もう、いい。早く来い」
「ほえ……?」
 硬く握られていた己のこぶしは、いつのまにか緩んでいた。
「一通りを話そう。近場を探す。だから、来いと言っているんだ」
 俺は、おそらくあの日以来“聞かれたがって”いた。
 一人で過去を背負うことに疲れ、限界近くまで精神を蝕まれていることに、ようやっと己は気が付いたのだ。これ以上迷うことはなかった。
 ルナンは先頭を切って歩き出した。
「……本当に、構わないのですか?」
「ああ。ただし、飲み食いはお前の奢りだ」
 青年はぴしりと言い放ったが、対して「勿論です、これも依頼料の一環ですので」などと嬉しそうに言う男と、「ありがとう! やっぱり二人ともいい人だね!」だとか喜ぶ少女の声は、凍えた青年の心をどことなく暖めた。



「……殺人事件?」
「シッ、声がでかい」
 すみません、と適度に謝るディオルからは、あの印象的な笑みが消えていた。
 ルナン一行は、再び最寄りの飲食店に来ている。
 幼児向けのハンバーグランチ、薄味のパンとクラムチャウダーが運ばれる中、青年は食べ物をパスしていた(ディオルに気がひけるからだそうだ)。飲み物については、クルミは懲りずにオレンジジュース。ルナンは紅茶、ディオルは甘いカフェオレである。
「事件と言っても、地域の戦いのことだ」
 今度の店はアンティークな雰囲気で、心持ちも落ち着けそうだった。
 こんな内容でさえなければ。
「おととい、目立った紛争があった。ここから幾らか北にある、小さな工芸の町だ」

 ひとくち、もぐもぐし終えたクルミが小首を傾げる。
「ふんそう……、大きなたたかい?」
「いいえ。今回は町規模の争いのことですから、決して大きくはありませんね。比較的、小規模な……」
 そこで唐突に黙ったのは、氷のような視線を察知したからだった。沈黙の出元が分かり切っているディオルは、瞳を閉じて肺付近を手の平で抑えた。
「……失礼。続けてください」
 ルナンはもう一度視線でディオルを刺してから、追って語りはじめた。
「話を戻そう。あの町の名は、ラスク。ごく普通の……どこにでもありそうな、小さな町だ」
 明るい店が町中に立ち並び、職人の街道が賑わい、女神を奉る教会の鐘が鳴る。夜は酒場に灯りがともり、角には薄暗いスラムがある……そんな、人がのびのびと暮らす町だった。

 ──そう、ほんの一昨日までは。

 異変は先日のこと。
 ラスク町の何事もなかった日常に、突如、恐ろしい兵士の波が押し寄せた。
 迫り来る黒と赤の軍隊。
 敵国・〈ガルニア〉軍の象徴だった。
 町の住人は若い男を中心に立ち向かったが……まるで歯が立たず、避難する間も無く殺された弱い女子供も多かったという。それは、『凄惨な殺し合い』というよりは、軍隊による一方的な民間人殺戮だったそうだ。
「……なかなか……惨い。胸焼けのする内容で」
 聞くなり、ディオルはそんな感想を述べた。きっと、誰もがそう思うだろう。
「この話には、まだ続きがある」
「……本題ですか」
 ルナンはわずかに頭を上下させてから、背筋を曲げ、ため息を吐いた。

「〈エスタール王国〉の騎士団は、ラスク町の救援に来なかった」

「はい? 自分の国が、他国に襲われてるにも関わらず?」
「そうだ。だから、町の騎士見習い……候補生と呼ばれる多くの学生が、前線で帝国の軍隊と戦ったのだ」
 騎士候補生。
 実戦など体験した事もない若い集団では、やはり、その場を繋ぎ止めるのがやっとだったらしい。
「軍と戦い抵抗する者ほど、着実に死んでいったと聞く」
 青年の声が語る内容は、聞く者の背筋をひやりとさせた。味気のないパンをのみ込む。
「ひどい……」
「イカレてますね」
 しかし、いよいよ一日戦争となったそのとき、戦闘状況に転機が訪れたという。

「局地の戦場に一人の男が現れ、帝国兵と戦い出したのだ──」

 たった一人の加勢で、戦況は変わった。
 その男はおぞましい勢いで帝国兵をなぎ殺し──何十人、もしかすると、百人近くもの兵士を虐殺した。
 男は、数人の騎士候補生たちと共に生き残った後、ひとり姿を消した……。
 のちに、かの戦争に加担した極悪人として、その男には“殺人罪”が下された。
「して現在、男は政府に追われている、と……以上だ。わからないことはあるか」
「いえ……待ってください」
 青年がしゃべっている間にもディオルは黙々と食事を進め、今やスープもカラになっていた。

 物事の奥深くを探るふうに目を細めて、ディオルは呟いた。
「その話は、奇妙です」
「きみょう、なの? でも、ひどい話だったね」
 クルミがいまいち分からなさそうにしていたが、ルナンはそれが健全だと思った。
 紺色スーツの人物が、眼鏡を上げ直して独白した。

「帝国軍の一方的な奇襲攻撃に……立ち向かう、しがない町の民間人。悪いのは明らか、軍です。通常、そこまで人の死んだ戦闘地帯では、仁徳の法など無効のはず……、では」

 ディオルは言葉を選び、ゆっくりとルナンに問いかけた。
「軍隊を斬り……民を守り、紛争を止めた人物の功績が、どうして“殺人罪”に問われるのでしょうか」
 伏せて喋っていたところをそのまま埋められたルナンは、
「……鋭いな。お前の洞察力にはお手上げだ」
 自嘲気味に笑った。
「そこが肝なんだ。そう……本来ならば、違法扱いであるはずはない」
「そ、そっか。おそわれた町の人を助けようとしたんだもんね。その人って……わるい人には思えないよ」
 クルミも、うんうんと頷いた。

「今回、『王国教会が帝国軍と水面下で繋がっている』という話を耳にした」

「……〈ガルニア帝国〉軍が……」
「うむ。ガセではないと思う。事実、政府が動かなさすぎているだろう……絶対に裏がある」
 聖なる権威である教会が、敵国の得体の知れぬ軍と手を組むなど、あってはならないことだ。
 ディオルは押し黙ってから青年に問い直した。
「つまり、その件であなたは王都を調べていたと?」
「そういうことだ」
 青年は即答した。店内に掛かる曲のジャンルが変わったことに、彼は気が付いていないだろう。
「無茶苦茶ですね……」
「黙れ。無茶でもなんでも、俺はやる」
「……決意は固いわけですか」
 店内奥で魔法料理の実演が始まったのを横目に見ながら、旅人は、どうしようもないなと指を組んだ。
「お前がなんと言おうと、行くからな」
 りきむルナンに、同じく実演を見ていたいクルミが水を差した。
「ねえ、まだ、猫ちゃん帰ってこないよ?」
「……まあな?」
 いまいち格好のつかない青年に場が和んだのを見て、ディオルは話題をついだ。
「では、ついでです。手短に、私の都合のお話もしておきましょうか」
 この男の都合とは、依頼についてということか。
「ふむ。それは助かる」
「まず、私の依頼は『南東の機械遺跡での護衛』です。主にルナンさんに守っていただければ、万が一も充分ですね」
「こちらは問題ない」
 俺たちも遺跡に用があるしな、とルナンは言った。
「もう一つ。遺跡の前にやらなくてはいけないことがあります。……協力者を探すことです」

「きょうりょくしゃ?」
「ええ。行く先は精密機械ばかりの古代遺跡……のはずですが、私には、そういう機械専門的なことはそれほど分かりません。ですので、次の大きな都市で機械に詳しい人に同行を願いたいのですよ」
「それは、次の街に行き機械関連の協力者を仰いでから、遺跡へ探索に行くという……む?」
 ルナンはそこで言葉を切ると、「来たか」と一声発した。
「……どうされたんです?」
 否、と眉間にしわを寄せる。テーブルの上に手をかざして、青年はこう呪文を唱えた。
「魔を通じ、汝、魂の扉開け──言霊の(fensters)
 聞きなれない形式の古代魔法を発動すると、紫の手袋を覆った手の平からヴァイオレット色の鏡が現れ、特徴的な猫声が響いた。
《ご主人さまー! 見つけましたにゃー!》
 言霊の(fensters)……特定の契約を交わした魔物、使い魔との脳内のやりとりを現実の声に再現する魔法だ。
「なに? 手掛かりでも見つかったのか」
「どうやら、タイムアップのようですね」

「依頼の内容もよく解った。王都を抜けた後、南東方向の街へ向かわせて貰おう」

「お願いします。ま、例の協力についての交渉は、私がなんとかしますね」
 店の魔法料理の実演が終わり、とろとろのクリームシチューが出来上がる頃には、双方、同意が得られた。
 店内には、心地よい香りが漂っている。すっかり満腹になったクルミが、楽しそうにわらった。
「えへへ、おしごとおしごと!」
「ああ……」
 青年は、仕事と聞いて思い出す。
「そういえば、まだ名乗っていなかったな」
「あっ、ほんとだあ!」
 クルミが、ぱっと笑顔になる。
「はい? お二方の名前なら、一応伺いましたが……」
 青年と少女はちらりと顔を見合わせ、ちょっぴり笑い合ってから向き直った。
「旅ギルド《闇夜の流星》。お前の依頼、しかと請け負った!!」



 依頼のためにも、俺は、あの事件の真相を知る必要がある。
 アールズから伝えられた教会本部横にて、一行は合流を果たした。
「首尾はどうだった?」
 顔を合わせるや、ルナンは物陰にしゃがみアールズに尋ねた。
「ご主人! ボクがマホウで隠れて調べてみたら、この一ヶ所だけヘンな感じだったんですにゃ。そこに、強い移動魔法が設置されていましたにゃ!」
 そのほかアールズが言うには、教会には関係者専用の入り口などは見当たらず、周囲には人目がおおい。そのため、不審な行動をしたらすぐにでも騎士の本隊がやって来るにちがいない、とのことだった。
「……なら、選ぶ手段は一つだな」
 青年は立ち上がる。

 主君と使い魔はアイコンタクトを取ると、残り二人を連れ、教会横の茂みで《強制発動魔法》を唱えた。
 リーダーの指導で手を繋いだ全員が、淡い発光色に包まれる。移動の際に表れた魔法陣は、ルナンが良く知る模様であった。

転移魔法(revenir)か……」
 
 高い天井、卵色の壁に細やかな細工飾り。
 ステンドグラスのバラ窓は、古典的ながらも慈愛の戦女神を彷彿とさせる。
「うわぁ~……ひろいね!」
 広やかなホールはどうやら、一階ではないようだ。
「よし。上手く侵入できたようだな」
 ルナンが満足に肯いた。しかし、傍らに立つ男の表情は晴れない。
「これ、一方通行の魔法陣じゃないですか。脱出するときは別な手段がいりますね」
「構うか。隅々まで見て回れば、どうせ帰れるだろう」
「適当ですねぇ……」
 青年の言葉は、好ましくないものとして聞こえた様である。二人の間に不穏な空気が流れる。
 それを裂くようにして、真ん中に立つ少女がしゅっと屈み込んだ。
「ルナンっ、猫ちゃんが……!」
 転移後のアールズを撫でるクルミ。
 見た所、男たちの会話の脇で猫の使い魔がプルプルしていた。青年は同情に似た眼差しを向けた。
「神聖な教会は、魔物にはキツいか……。帰っていろ、アールズ」
「ふぎゅ……ご主人、あとはがんばってくださいにゃあ……」
 へたったアールズに顔を寄せ、ルナンが小声で何か囁く。薄い青紫に輝く光が魔物を包み込み、弾けた。
 ──瞬間。
「きゃあっ!?」
 金髪の少女が足をもつれさせて転んだ、直ぐそば。皆が壁だと思っていた場所に、空間が出現していた。真四角な小部屋が。
「は!?」ルナンは我が目を疑った。
「……隠し扉!」
 不幸は連鎖する。立ち上がろうとするクルミの足元が、今度は深部へうごめき、妙な壁扉が自動で閉まっていこうとする。
「え? うそっ」
「ぐう、させるか!」
 闇を腕に点し、扉を鷲掴みにしたルナンを結構なスピードで床が運ぶ。青年までもが壁の奥へと仕舞われそうになって、ディオルが駆け寄る。
「待っ……お二人!」
 二人の重量に反応したか、硬そうなそれが無慈悲に閉ざされた。
 みるまにルナンとクルミの姿が隠され、スーツの人影ひとつ取り残された。



「なんだ、これは……」
 青年が不満がる。
 小部屋内に閉じ込められた、実質『絶体絶命』の青年と少女は、されど別段焦ることもなかった。
 なぜなら、小部屋には危険な刃物が仕込んであるわけでもない。ただただ不快な浮遊感だけが、気分的にせり上がっているのみだった。微々たる駆動音が止んだ。
「と、とまったの……? 動いてた?」
 少女の高い声。
 ウィーン。と言って、卵色の扉──壁とも呼べる──が開いた。
「…………」
 向こう側には、似たような教会の内部が見渡せる。ルナンは唖然としながらも、少女と共に重い足取りで小部屋から出る。
 二人が退出したあと、扉は再び閉まり美しい壁に戻っていくのを、ルナンは見ざるを得なかった。
 ……馬鹿らしい。こんなことがあっていいのか。
 ルナンの常識はまた一個、ぬり替えられた。
「はぁああ~……」
 青年に腕を掴まれている少女が、ぺたんと座り込む。

「無事か、お前!」
「うぅ……うん、へいき」
 あまりに驚いた反動か、うずくまり震えてはいるが、少女の身には何事もないようだ。ルナンは上のほうに向かって声を飛ばした。
「おいディオル、ディオル! 聞こえるか!?」
 かなり大声で繰り返すと、時を置かずにくぐもった声が返ってきた。
「えぇ! どうやら、無事のようですね」
 ディオルにも、とくに変わったことは無いらしかった。青年は続けた。

「ああ。だが、そちらには戻れなくなってしまったようだ。俺は予定通り証拠を探すぞ!」

「では……私は上層の奥を探って来ます。これほど大掛かりな施設なら、本来の魔法移動設備か何かがある筈ですから」

「……任せたぞ!」
 終いにディオルの声は聞こえなくなり、革靴の足音が遠ざかっていった。
 例の移動魔法──仕掛けられた罠、という可能性も視野に入れるべきだっただろうか──と青年は勘繰ったが、どちらにせよ正面以外から内部へ入る方法は、あれ以外なかっただろう。
 リスクのない侵入などあり得ない。徒労ではないと己を納得させてから、青年は一枚の巨大な扉をくぐった。
 少女を背中側に連れ、現在のフロアを観察する。
 通常よりも奇抜な、金銀の聖堂に見えた。
 すこし静粛な気持ちになる、聖なる空間。
 絵画の描かれた太めの支柱が、このフロア全体を支えている。まわりには、深いオレンジに輝くロウソクがあった。
「…………!」
 その燭台の十字架を見たとき、ルナンの過去の記憶が呼び覚まされた。



 ──……
 ────……
 あれは、太陽が真上から傾いた頃だった。
 オレンジ掛かった金髪を揺らし……ラスク町の外れにぽつんと立っていた、シスターの後ろ姿を。
 その女の前には、墓があった。
 女は墓参りの最中だった。木製の十字架が、寄せ集めの土の上に突き立っている。それはまるで、子どもの作ったような、不恰好な墓であった。
 それでも墓は墓だ。中には誰かが眠っている。通り際、俺は胸に手を当て、追悼していった。藍色の瞳はなぜか驚いていた。
 その夜、情報収集のため酒場に寄れば、昼間のシスターの姿があった。
『すごく嬉しかったんだ。あのお墓に追悼してくれたの、キミが初めてだったからさ……』
 ひとしきり隣で喋り倒してから、彼女はそう礼を言った。影を見せたのはそれきり、底抜けに明るく騒々しい奴で、俺の愚痴やささいな嫌味など、ものともしない女だった。
『ふーん、ルナンくんね。万事しっかり覚えた!』
 それから毎日のように、酒場で落ち合う日々が続いた。
『ほら! 美味しいもの食べて、元気になって。笑って強く生きてれば、幸せはやって来るんだから!』

 ……あの笑顔に、どれほど救われただろうか。
 すべてが走馬灯のように脳裏を駆け巡って、ルナンの喉を詰まらせた。
 ──ミザリ。お前は紛争の日、帝国兵に命を奪われてしまったのか。
 俺の剣は、間に合わなかったのか? ……あんなに大勢の、人間を斬ってまで。
 ここ数日、ずっとこの身に焼きつけている問いだった。何度も何度も、己に問い正すうちに、ルナンはだんだん気を急いてきた。
「くそ、この教会を管理している奴さえ見つかれば……」
 能力を使った直後で、ルナン自身、感性の疲弊に気がつけなかった。わずかな大気の振動を肌に受けたそのとき、青年は聖壇のほうへ振り向いた。
「根絶やし叩きのめせる、と。そう言うのかね?」

「だれ……!?」
 杖をつく音が聖堂内にこだまする。
 聖壇の隣の扉から来たのであろうその男は、広場で見たお偉い方だった。
 ルナンは少女の三歩ほど前にて言った。

「……かの、教皇様がお出ましか?」

 ふ、と鼻で息をつく。
 むやみに目立つ、裾の長くゆったりとした上衣。灰色の髪を、聖職者にありがちな帽子が覆っている。
 〈エスタール〉では見慣れた制服だが、それは、普段見るものよりも豪華な飾りが施されていた。
「ほお……良く知っていたな。褒めてあげよう」
「要らん」
 低く唸ってから、ゆらりと一歩を踏み出す。
「大胆だったな? 昼の広場騒動は」
「ふう。国政の覇権を争う、私たちによる戦いの高尚さは、たかが民間人にはわかるまい?」
 ……教皇の台詞は要すると、国を動かしたいがために姑息な手で王と民を困らせているのである、と、ルナンは解釈した。
「種明かしとは……お優しいことだ」
 一歩一歩、相手のほうへと踏み込んで行くルナンには、ただならぬ迫力が纏われている。教皇は、見るからに嫌な顔で追い払う仕草をとった。
「犯罪者は大人しく、引っ込んでいれば良いものを」
「お前とは初対面のはずだが……。人を犯罪者呼ばわりとは、何事だ」
「騎士団の隊員から耳にした。【黒銀の殺戮者】……随分と手こずらせているようじゃないか?」
「……殺戮だと? その情報、俺を見ただけで分かったと?」
 青年の怪訝な反応を見た教皇は、長杖をタイルに打ち付ける。二度、高らかな音が鳴った。

「これ以上の質疑は、無駄だ。もし今日、君がどうしても捕まりたいというのなら、また違う話ができるがね」

 一連を合図としたかのように、周囲の雰囲気が乱れた。ぞろぞろと騎士が近付いてくるのを五感に感じて、ルナンは業を煮やした。
「ほざけ……!」
「“教会の侵入者”を捕らえよ!」
 相手方が戦闘体制に入ったと見るや、青年が力強く右手を掲げた。
「闇を……思い知れ!!」
 赤も黒もない交ぜになった不気味な物資が右腕を渦巻く。手のひらに集結したものは紫に色濃く発光し、横長く離散した。
「る……ルナン……っ!」
「お前、下がっていろよ!」
 少女の物言いたげな呼び掛けに応える余裕はない。
 紫電の中に出現せし、闇色の大剣を手に取ったルナンは、バネのごとく大きく跳躍してみせた。
「悪あがきはよすんだな! やれぇ!」
 教皇の命令が飛ぶ。叫びを聞いたか、広大なフロアの扉という扉を開き、騎士たちが飛び出してきた。

「侵入者め、覚悟するがいい!」

 ──覚悟をするのは、お前らのほうだ。

 叱声を放った、騎士として手練れと見える者を三メートルほど上の目線から見下ろす。闇を纏い、愛刀を振り上げる。
「……邪魔だ」
 ルナンの低音が聖堂に響く。
 青年の体躯が捻られ、手元が数度に渡って閃いた。斬撃音。
「うぐぁあああっ!?」
 直後、数名の騎士が吹っとんだ。
「なにっ!?」
「小隊長ぉ~!」
 ある者は柱に背を打ち付けられ、ある者は肩を壊して呻いている。
 悲痛な悲鳴を轟かせた者の胸には、血色の傷が斜めにばっくりと刻まれていた。【古の大剣】お馴染みの剣戟だ。
「な……何だ、その魔法は!?」
「…………」青年は無言だった。
 何も知らぬ阿呆な敵に、一から教えてやる義理は無い。
 倒れた騎士の真横に着地したルナンは、ぐるり周囲を見渡した。ざっと見て、負傷三名、前方方向へ残り九名。
「チッ……」
 口が舌打ちをしていた。
 まともに斬ってはラチが明かない。ルナンは迫り来る騎士を見据え、瞳の前に素早く得物を構えた。
「掃き捨ててくれる……」
 重苦しい濁音と共に、赤紫の物質がルナンの首から肩を伝った。空間を泳いだ闇は、美しいサファイアブルーの光彩に変わってその刀身へと吸い込まれてゆく。
「また妙な技だ……来るぞ!」
「代理号令、皆、回避準備を取れ!」
 騎士の号令がこだまする。今までとは違う青年の様子に、後ろに下がっていた教皇が慌てて横へと逃げ慄いた。
「喰らえ」
 刃が煌めいたのを合図に、腕全体を一捻りし、右足元から剣を左上方向に振り切る。刃先が地面を抉った。

「……トゥ・レィスド=ダークシェイド!!《darksyeido》」

 たった一言の呪文。大剣の描いた軌跡から、巨大な青紫の衝撃波が出現した。それは前方をくまなく覆い、あっという間に広がる。
「ぐっ!?」
「うぎゃあぁあっ」
 若い騎士たちは、為すすべなく衝撃波にしてやられた。全員、魂を抜かれたかのように倒れ伏してゆく。
 古代魔法相手に、普通の防御などするからである。無知とは恐ろしいなと思いつつ、ルナンは噴き出す汗を抑えた。
 盛大に息を整えると、左へ首を捻る。文字通り『王国騎士から一太刀も浴びることのなかった』青年の、紫色の瞳と首筋の赤黒い呪詛に見つめられ、教皇は青くなって唾を呑んだ。
「ば、バケモノめ……!」
 バケモノ──及び青年は、再び大剣を構えると地を蹴った。ひと駆け足で相手の目の前に襲来し、
「…………」
 鋭利な大剣の先端を、そいつの眼前に突き付けた。目元から鼻筋へ、スルリと刃先を滑らせる。

「ヒッ! それだけはお許しを……!」
 教皇はぐったりと力無く、杖を床に置いた。
 命まで奪う必要はない。震える男を一瞥したルナンは、鼻先へ向けた刃を静かに下ろす。
「……お前も一応、人間だからな。殺すつもりは……」
 口を開いた青年の視界の端に、
「なっ!?」閃光がチラついた。
「などと、本気で言うとでも思ったか!!」
 咄嗟に真後ろへ飛び退いたルナンの鼻先を、光の球がすり抜けていった。かなり巨大だ。光球は右へ流れていき、壁に衝突すると大爆発を起こした。ルナンは今度こそ冷や汗をかいた。

 ……当たったら、ただでは済まない一撃だった。

 教皇は、あのわずかな間に時間差魔法を設置していたのだ。教皇は名ばかりでなく、かなりの魔法実力者と認識を改める必要があった。
「愚民風情が、私を愚弄する事の意味が……まだ、解っていないようだな」
「貴様……」
 ルナンの中にどす黒い感情が蘇りかけたとき、上のほうに明らかな気配が漂った。目線だけで見遣れば、例の紺色スーツの男が、息急き切って膝に手を置いているところだった。
「すみませーん! ……大変ですっ」
「どうした!」
 走ってきたのであろう、男は分かりやすく額を拭うと、こう叫んだ。
「この教会、機械仕掛けです!!」
 王国育ちのルナンにとって、それは非常に衝撃的だった。
「機械!? そんな馬鹿な!」
 ──機械は、俺たちの生活に全く不要である。
 というのが、全国の共通意識としてある。戦闘兵器・不慮の誤作動などのイメージから、危険なものだと一般的に認知されているからだ。
 ……戦女神を奉る〈エスタール王国〉教会本部が、機械仕掛け?
「……何かの間違いではあるまいな!」
「間違うわけないでしょう……魔法でのあらゆる制御は不可能です。私たちにはどうにも出来ません……」
「じゃ、じゃあ、わたしたち閉じこめられてるってこと!?」
 背後でクルミが叫ぶ。近くから教皇の低い声が聞こえた。
「その通り。まさかこの教会の建築構造に気がつくとは。素晴らしい仲間がいるらしいな」
「なに? 建築構造……?」
 専門知識に疎いルナンには、ディオルと教皇の言っている内容の半分も理解できなかった。閉じこめられた、という点のみが、青年の思考をのみ込んだ。
「待ってくださ──ルナンさん、後ろ! 背後です!」

「ところで、余所見をしていていいのか?」

 ディオルの警告を聞き届けたと同時に振り向いたが、遅かった。目に飛び込んできたのは、少女が背中から大の男の腕で覆われる姿だった。
「ひゃう……いやっ、なに?」
(しまった……!)
 男は首周りを固め、クルミを片腕で完全に拘束すると、その頭部に杖の先端を押し当てた。
「お前……何を、している」
 ……闇の能力において、唯一知るあの《大技》を放つと、人間は疲弊するらしい。ルナンは今、召喚した大剣をその手に維持することで限界だった。
 俺が相手を殴るのが先か、相手が杖から初級炎魔法(fire)でも発動するのが先かとなると、クルミの安全は保障できない。
「大層マヌケなのだな。【黒銀の殺戮者】は……」
「いたいっ! 離して!」
 少女が両手を使って、男の腕を精一杯叩いたりつねったりしているものの、非力なお陰でぜんぜん効き目なしだった。
「クルミさん……!」
 ディオルは上層からしばし迷い、元の奥側へと戻っていった。おそらく、突破口を見つけて戻って来る気だろう。

「ふう。こんな者どもにあの計画を狂わされたとあっては、とんだ誤算だ」
「“計画”とは、ラスク町襲撃の話だろうな?」
 知らないなぁ、というそぶりをされても、偽りだと分かっていた。
「おまえは、何故あの町にこだわる?」
 なぜ、という言葉にミザリの姿が目に浮かんだ。
 ルナンは歯を食いしばると、相手に凄んでみせた。

「俺は……一時期、あの町に住んでいたことがある。それが理由だ」

「ほほう、そこまで取り乱すようでは……その町に、君の友や恋人でも居たのかね?」
「……違う。これ以外の何でもない」
 教皇はいやに笑った。
「さてさて。嘘はいけないな、ルナンくん……君は顔に出すぎる。この子どもと同じくらいにね」
 そう言って少女の首を腕できつく締める。
「やだっ、くるしっ……」
 俺は強く、剣の柄を握り直した。一瞬の憂いを断ち切り、相手を睨みつける。
 ──嘘はどちらだ。
「お前らがラスクを潰した主犯だろう……そいつを離せ。これ以上、俺を失望させるな」
「なんだ、君こそは……“例の虐殺犯”なんだろう? 悪党は捕まるのが筋というところだよ」
 教皇がいよいよ腕に力を込め、少女が苦しそうに喘ぐ。ルナンが強行突破を考えた、刹那。

 どこからか、一迅の風が吹いた。
 暖かな、春を想起させる風だった。

「おやおや。一体、誰に向かって仰っているんです?」

 ディオルだ。教皇のほんのすぐ左側、片手に硬質な輝きを持ち、奴は襲い来ていた。
 ルナンは思わずフロアを確認した。
 来たとき閉まった扉も開いておらず、上へ通ずる扉もない。上層十五メートルほどに見える、ひと二人分は入りそうな柱の隙間から飛び降りるには、少々高さがありすぎる。
 スーツの男がどうやって現れたのか、青年には分かりそうになかった。

「はぁッ……!」
 迅速に姿勢を低め、右のこぶしを男の脇腹へ落としこむ。
 ゴキッ。
 と、不快音が鳴った。
 頭上の痛々しげな声音など知らん顔で、ディオルは奴の背後にまわる。無防備な首下へ、躊躇なく左ひじを叩き入れた。
「ぐっ、ハ」 
 そして背後の手が教皇の長杖をはたく。するとどういう訳か、豪華な杖が区切り目でポッキリ折れた。一方の脇を固めて、そのまま流れるように左手を太い首筋に添える。
「ぷはあっ」
 力が緩んだとしって、腕から抜け出しよろめくクルミを、急ぎ青年が保護。
 教皇の首筋に押し当てられたディオルの左手には、携帯式の果物ナイフが見えた。

「おっと動かないでください、栄えある教皇様」

 この間、約五秒。
 ……明らかに素人技ではない。ルナンは開いた口が塞がらなかった。
 教皇も同じである。
「あ、悪党めが……!」
「それはそれは。ですが、さっきの絵面……誰がどう見てもあなたが悪党でしたよ」
「ん……?」
 教皇はディオルを至近距離で横目に見るや、その顔をしげしげと凝視した。濁った色の碧眼と、眼鏡越しの視線がかち合う。
「……おまえ、どこかで……」
「さあ。喋る余裕が、まだおありなんですね」
「ひぃっ」
 老いた肌にナイフが食い込む。
 首の皮が一枚切れたらしい。つ、と血が流れた。
「この人、どうしますか? ……いえ、法的にどうにかできる方ではありませんけど」
 ディオルの問い掛け。
 息を整えている少女が、青年の後ろに下がる。俺は武器を一振りし、瞳だけで前を見た。
 答えは決まっているようなものだった。
「どけ、ディオル」
 また一歩、そいつに向かって足を運ぶ。
 ルナンの背後に鬼気迫るものを見たディオルは、
「……知りませんよ」
 とだけ言い残すと、拘束を解いた。男と青年はすれ違った。

 中央横、大きな柱へ追い詰められた相手に、青年が詰め寄っていく。
 教皇は手を泳がせたが、探した武器は使い物にならない形で地に転がっていた。
「や……やめろ! 私はこの王国の教皇だぞ!? 私をどうにかするなら、政府の重鎮が黙ってはいない……!」
 未だに喚いている哀れな権力者は、まともに見れた顔ではなかった。しかしルナンは、決して目を逸らすことなく片手のみを周囲に示した。
「お前ら、俺から離れていろ。特にディオル、クルミを頼む」
「……はい」
「ルナン……っ」
 ふたつの声は、青年の背へ届いた。
「こ、の……コノ、汚れた犯罪者めぇ!」
 狂った声も、聞こえた。
 足元手前で杖の上部を踏んづけ、ルナンはそれを斜めに蹴飛ばす。
 もとは長杖である派手な装飾には、日々の生活に見慣れた、十字架の刻印があった。

 ──あいつの仇を討つ。

 ミザリの育った町へ、大切な家族の墓へ、今度は美しい花を手向けられるように。
 汚れた俺に出来ることは、これくらいだから。

「……覚えておくといい」
 漆黒のマントが男の身を包み、暗色の甲冑は光を反射する。銀髪の隙間から、紫色の瞳が教皇を見た。

「俺はいずれ、復讐を果たす男だ……」
「う、うわああっ」
 おぞましい殺気を帯びた銀髪の男。得物を構えた青年に、渾身の魔力が集積する。
「おおおおおおおおお…………!!」
「ヒイッ……おい、止せおまえ! よせ! こんなことをしても無駄だ!!」
 わかっている、と青年はこぼす。
「お前ひとり居なくなろうが……どうせ、似たような配下がここを継ぐ。独り冥土は辛かろう? ならば」
 剣を振り上げる。

「この腐った本部もろとも……消え去るがいい!!」

 ルナンの刃が切り裂いたのは、奴の頭上、太めの石柱だった。豪快な破壊音。
 地響きが起こり、ベージュの壁が見事に崩落した。
 建物全体が軋んでいるのがわかる。
「くっ……」
 男が少女を横抱きにして、崩れた空間まで後ずさると、ギリギリで飛び降りていった。
「きゃあああぁー!!」
「ひいいっ、やめろ、やめろおおおおおっ──」
「おらァアアアアアッ!!」

 ──王国教会本部は、崩壊した。

 豁然の出来事、それはまさしく王都中の人々を沸かせた。華美な王都がまるで地獄の一丁目である。
 崩壊とともに、頂にあったはずのベルが落ち、最後の鐘の音を鳴らした。
 風を纏ったディオルは、少女を石畳みへ下ろす。
 クルミだけが、一部始終をその目で見ていた。よたよたと、教会の端くれであった石塊に歩み寄り、口元に手を当て放心する。
「うそ……」
「あの人なりのケジメ……、そういうことです」
 眼鏡越しの壮絶な景色を仰ぎ、ディオルは呆然とした。
 ……私には、到底出来やしない。
 戦闘力や技術力の問題ではない。彼の揺るがぬ意志の強さが、ディオルには眩しかった。
「ルナン、大丈夫だよね……?」
「……来る!」
 クルミの心配げな声に混じって、確かな気配を感じた男が身構える。

 派手な音を立てて割れた窓から、黒い塊が飛び出してきた。
 窓を突き破り現れたのは、なんと、大型の機械に乗ったルナンであった。青年は空中から機械ごと着地すると、黒い塊がなかなか厳しい──たいへん壊れそうな──ノイズを立てた。
 右手に握られていた大剣が、虚空へ消える。

「ふぅー……」

「ええっ、ルナンなにそれ!」
「これは、瓦礫に紛れて落ちてきた……鉄の馬だ!」
 息を吐き、知る言葉を尽くす青年。
「バイクっていうんです、それは! 動かしたのですか!?」
「うむ。留め具は上げたが、発進が分からんので、剣で背面の壁に攻撃を与えた! 一応動いたぞ!」
 そんな、滅茶苦茶な。
 ディオルは辛うじて、口にせずとどまった。
「正しい使い方はご存知で……?」
「いっ……否……呪文か何かがあるのか!?」
「呪文? いえ、失礼します。まずレバーはここ、左右のレバー奥は軽く握る!」
「よし来た!」
「ひょわっ」
 年長男の的確な指示に、ルナンが従う。ディオルは少女を青年のすぐ後ろに乗せ、青年の両手足の位置を確認し、なにやらボタンを押すと頷いた。

「しっかり跨って。左足を銀の位置で踏む! 右手を手前に捻って起動、待機──」

 モーター音が鳴り始める。車体が揺れると同時に、男は後列に飛び乗った。
「右手奥は離して──ハイ、動きますよ!」
「お……おお! おおおおっ」
 それは呪文も足の動きもなしに、緩やかに走り出した。
「わ、わ、ほああぁすごい!!」
(いける……っ!)
 黒鉄の馬は徐々に速度を増し、野次馬のたかる街中を暴走してゆく。
「わああなんだあれ!」
「機械だー! 危ないぞー!!」
 思いのほか……否、やはりと言うべきか、機械は多くの人目を浴びた。
 コイツは馬車など目にもならぬ速さを発揮し、あっというまに街の南出口へと差し掛かった。
 ちょうど街を出る手続きをしている奴らがいたせいか、検問所がオープンだ。好機とみて速度を上げたところ、慣れてなかったせいで舵を取られる。立ち乗りしているディオルが勘付いた。
「轢きますよ~☆」
「どけ、どいてくれえええ!」
 ちっとも落ち着きのないハンドルカーブ。
「う、うぎゃああっ!?」
 危機一髪で人を避けきる。完全に怯えきって腰を抜かす民間人を見やり、俺は若干、心を痛めた。
「すまぬ、許せ!」
 呆気にとられた門番たちも、直ぐに遠ざかってしまう。
 ルナンは、暴れ馬の如く左右に揺れる“未知なる鉄の塊”にしがみつくのに精一杯だった。

「こ、こうか!」
 持ち手を握り直し、肘を張って重心を落とす青年。バイクはようやく軌道に乗ったか、弱めな機械音で草原の上を滑らかに疾走する。
「きゃー! 何これ、速い!」
「……ふふっ、くっ……」
 開放感に浸るクルミに続いて、ディオルは含み笑いをすると、
「あっはっはっは! とんでもないですねぇ、あなたたち!」
 急に破顔一笑された。
 ルナンは遺憾だった。
「なっ……」
「ますます、気に入りましたよ。これだから若い人は大好きです」
「えへへ。わたしも、ディオルすき~!」
 クルミの笑顔に例のスマイルを返してから、ディオルは前方へ声を掛けた。
「このまま学都まで行きましょう。ほら、四時の方向へ。はいアクセル!」
「分かった! 分かったから、揺らすな!」
 なんとかまともにハンドルを切れるようになった青年が、喧しい男を制する。
 俺たちは王都を後にし、広い草原に出た。



 夕暮れに響く走行音。
 日はすっかり傾き、空は真っ赤に染まっていた。橙に黄が重なった地平線が美しい。
「今度いくのは、どんなとこかなぁ」
 ソプラノの声を聴く。鮮やかな茜色の空の奥に、底抜けに明るい彼女の面影を見た気がした。

(これで、良かったのだろうか……ミザリ)

 一つの大きな決着を果たして、ルナンは肩の重荷が降りたような気持ちだった。いつまでも、温かな思い出に縋ってはいられない。
 俺は、進まねばなるまい。
 一つ一つの過去に決着をつけ、一歩ずつ前へと。
「次の街は……とっても珍しい場所だと、聞き及んでいますよ。なんたって〈王国一の研究都市〉ですから」
「ほんと!? ねぇルナン、楽しみだね!」
 青年は言葉を返すため、大きく息を吸った。
 遠い日に繋がる記憶を探す旅路へ。運命を共にした少女と共になら、たとえ幾つ失おうと、また進める……進んでみせると、ルナンは己の心に誓った。
 右手がアクセルを力強く捻る。

「ああ。行こう……」


 ──すべては、【奴】への復讐のために。


 (2015/09/08・〆)

四幕『旅ギルドなんて嫌だ』

 エスタール王国、科学街サイフェル。

 王都アベルツを抜け出した三人は、かの街へと黒鉄のバイクを走らせました。
 私ことディオルと、青年と、少女。
 茜色の空をバックに、どどんと三人乗りです。
「日が落ちる前に、一旦休息を取ろう」
 と、言い出した青年はルナンさん。突風を受け、紫の目を細めていました。
 こちらなんか向いて、よそ見すると危ないですよ。
「道中で休息というと……野宿になりますか?」
「えっ!?」
 その背中にしっかりと抱きついている小さな女の子。
 彼女の名前は、クルミです。
 高く結い上げた金髪が可愛らしいです。高い声が続けます。
「どうして? 今日は、このまま行かないの?」
 そう。日が落ちたとしても、我々が乗っているのは機械です。ライトでもつけて走行すれば、到達が困難な距離ではありません。
 乱される銀髪をそのままに、ルナンさんは言葉を切り返しました。
「深夜に辿り着いても、都会は高い宿代酒代を請求されるだけだろう……」
「私はなんでも構いませんが、お金の心配なら要りませんよ?」
 支払いますから。と、私は言外に言い含めましたが、彼は低い声を吐きます。
「ならば俺は、その辺りで野宿がいい。気楽だ」
 気楽。
 強気な発言のわりに、ハンドルを持つ手が震えていました。
 あれは、車体が左右に揺れていると関係アリと見えるのですが……。
「じゃあ、そうしよ! みんなでいっしょに休憩!」
 ほんの少し私が黙っているうちに、クルミさんの一言であっさり決定。
 一番後ろにずっと立ち乗りな私としても、その提案はありがたいもので。
「あす朝、街に入ることにする。予定はある程度練っておこう」
「了解です」


 夕刻。私たちは、崖下で野宿をしました。
 存外、悪くない夕食でしたね。狩りたての魔物ビーフなんて、そうそう食べられる代物ではありません。彼は炎魔法も使える上に、即興料理も振る舞える模様です。肉がパサついているのは、ご愛嬌。
 深夜も魔物が湧き襲ってきますので、男二人交代で見張りをしていました。
 それを差し引いても……ルナンさんの睡眠は、浅かったように思います。


 朝方に出立します。
 大型の黒いバイク。乗り心地は今日も好調です。
「気持ちの良い朝ですねぇ~」
 淡い陽の光を遠目に見やりながらの道中はよいもので、私も、表情筋が綻んでしまいます。
「今日は協力者を見つけ次第、万全で遺跡に潜るぞ」
「うんっ! ディオル、依頼がんばるね!」
「はいはい」
 さて。私による依頼の協力者は、うまく見つかるのでしょうか。
 ひとまず空でも見て、女神様にお祈りしておくことにしますかね。

     ◆     ◇

 涼しげな空気に包まれた朝。
 草原から、敷き詰められたタイルへと足を踏み出す。足裏に石の感触が伝わって来た。
「すぅー……」
 大きく深呼吸をする。そうするだけで気持ちが落ち着く。
 辛い記憶は、日差しの中では薄れてくれるように感じた。
 ミザリのためにも、俺は生きてゆかねばならない。
「行こっか、ルナン!」
「ああ。二つ目の都だな」

 鉄の馬……バイクというのだったか。あれは外の茂みに隠しておいた。
 あくまで盗み物だし、見つかると厄介だからな。
「では、気をつけて対応しましょう。とくに、クルミさん」
 ディオルは低く屈んでみせると、人差し指を一本、自身の口元に寄せた。
「もし、分からない会話があった場合は、私たちに同調……なるべく態度を合わせてください」
「わかった! ちゃんとお話きいて、みんなを困らせないようにするね」
 クルミも右手で、鏡合わせに真似っこをした。
「問題ない。俺たちで話を終わらせればいい」
 そう言って俺は、柱の角を曲がる。
 端からすれば、おかしな会話である。仕方のないことだ。
 なぜなら向かう先は、街の出入り口で行われる身分検問。つまり、追われている身として、越えなければならない関門でもあった。
 槍の柄が地を打った。二人の騎士が、仁王立ちで一行を出迎える。
「立ち止まれ!」

「旅ギルド《闇夜の流星》だ」
「よろしくお願いします」

 対面して間髪を入れず、俺たちは言葉を切り出した。
「ほお、旅ギルド? 珍しいではないか」
 門番の騎士が唸る。朝から労働、ご苦労なことである。
「しかも申請日がきのう!? おいおい、期待の新人だなぁ」
「えへへ、これからお仕事なの!」
 クルミがいつの間にやらギルドバッジを服につけていた。門兵に駆け寄って、明るい笑顔を振りまいている。
 ディオルは一歩前に出て、少女の真横に並んだ。
「そういうわけで、この街で揃えたいものも多いんですよ。旅もラクじゃないんですよねぇ」
 ところで、こいつは依頼主のくせに、なぜ身内ヅラをしているんだ?
 後ろで微妙な表情をしている俺へ、騎士が語りかけた。
「あんたもまだ若いのに、立派なもんだよ」
「う、うむ……」
 ルナンはなんとなく面映くなって、胸に拳を当てると、会釈をした。熱い視線を感じる。一方の騎士は、いい顔で笑ってみせた。
「良いぞ、通れ。ちょっと待ってな」
「ありがとう、キシさん!」
 昨日と相変わらぬ、緩い検問である。
 赤い制服から覗く白手袋が、レンガの壁に触れた。口元を覆って詠唱をすると、特殊なブロック状の扉が蠢いていく。王都のものとはまた違うな。これも、騎士団秘匿の結界魔法だろう。
 ……そういえば、旅ギルドを名乗るたび、妙に驚かれている気がする。世間では、旅ギルドというのは特別なんだろうか。
 なにか、俺の知らないようなことがあったのかもしれない。
「そうだ。諸君は、王都方面から来たのであるな?」
 俺がそうこう考えていると、門兵の片方に引き止められた。個々で同意の仕草を取った俺たちの顔を見、騎士はひと息置いて言った。
「すこし聞きたいことがある」
「はあ、どういった趣旨のことでしょうか」
 めんどくさい、という意思を隠さず向き直った男に、頭の硬そうな騎士は刺々しく言い放った。
「この近辺に、人殺しがうろついているとの情報が入っている」
「殺人鬼とは……。なにか特徴は?」
 本能的にいやな感じがする。騎士は堂々と問うた。
「特徴は『全身黒衣で、奇妙な魔法を使う大剣使い』だ。心当たりはないだろうか」
「えっ……?」

「ほほう」
 若干あぶない反応をした少女のとなりで、ディオルが俯いた。そのまま、ほんの少しだけ頭をこちらに向けた気がした。
 きっと目線は向けられていない。あいつなりのサインだ。
(アレは俺のことだろうな、間違いなく)
 どうしたものかと思ったが、しかし直後、騎士二人が勘付かない滑稽さの理由に思い当たった。
 そうか……、衣服だ。
 ルナンの装いは正面から見ると、銀髪も相まって上半身が白っぽく見えるのだった。
 それに、何もないときに古代魔法など使わないだろう。
 ましてや例の大剣など、いつでも持っているはずがない。
 これなら気付かれまい。

「知らんな。そんな噂なら、時折小耳に挟んだが」
「わかった。ご協力、感謝しよう」

 ルナンはうまいこと誤魔化した。
 目の前の男が、顔を上げて口を挟む。
「第一、黒衣の剣使いなんて世界中いくらでも居そうですけどね……」
「ふむ。違いないな」
「それが……違うんだ。聞いた話では、そいつはもっと目立つんだ」
 詠唱が済んだのであろう、隣の明るい騎士の言葉だった。奴は雰囲気に似合わず悩みこむと、迷いを吐露するような声音で語りかけた。

「聞くところによると。とにかく傲慢で、事あるごとに幼女をさらい、逃げ足だけは速い。しかも無職のブサイク男なんだとよ」

「…………」何だと?
 ルナンはしばしフリーズした。
 ひたすらに傲慢で、逃げ足だけが取り柄のロリコン?
 俺が、救いようのないとんでもないブサイク男?
 無職のほうは……、間違ってはいないな。二日前までの話だが。

「ふッ、……」
 ディオルが隣で含み笑いした声が聞こえた。
 眼鏡に触れる音。
「……ほ、ほぅ。そんなだと、やたらと目立ちますねえ!」
 ディオルめ、なんとわざとらしい演技なのか。
「んな怪しげな者が検問を通るなら、王都連中もすぐにわかるだろうになあ」
「まったくだ。スグ見つかっていそうなものだが」
「そ、そうなんだあ~! こわいねー!」
 がんばって会話に合わせたらしい少女の、裏返った同意をトドメに、ルナンはすっかりヒットポイントを削られた気分になった。本人を前にやめないか。

「……なあ、俺らは今日急ぎだ。もう良いだろうか」
 騎士たちが驚いて俺を見遣った。
 今のは俺が悪かった。己が思うよりもドスの効いた声が出たし、無理もあるまい。
「おお……曖昧な質問をして悪かった。さ、入ってくれ」
「ええ、気をつけますねー」
 そういったディオルが二人の肩を抱え、すたこらと扉の奥へと消えていった。

     ◆     ◇

「どういうことなんだ、アレは……」
 ルナンは遺憾であった。なにがとは、言わずとも。一連の会話すべてだ。
「へんだったよね。キシさんのお話」
 そして、クルミがちゃんとフォローを入れてくれたことだけが救いである。
 門をくぐると、そこは薄暗いトンネルとなっていた。
 こんな分厚い空洞を掘る必要があるとは、いったいどんな街なのだろうか。ルナンは思考を巡らせた。

「……あなた、顔は知られていないようですね? 特徴も大分おかしかったですし」
「あんなのルナンじゃないもん」
 少女が唇を尖らせてふくれている。
「そうだな……どこかで情報が食い違ったり、誇張されたりしているのだろう。まったく……」
 これだから、伝達なんぞあてにならん、誰が逃げ足だけは速いロリコンだ! とぶつくさ言っているルナンを適当に流して、ディオルは状況を考察しているようだった。
「そういえば、名前が伝わっているのかどうか、聞きそびれました。あの様子では全然でしょうが」
「そうだな……だが、街中では俺の名を呼ばない方向で頼む」
 いつか言ったのと似たような台詞を、俺は繰り返していた。
「なんで?」
「ただでさえ追われているんだ。あとで目撃情報と重ねられると、厄介だからな」
「そっか、キシさんに見つかっちゃうね」
「ですねえ~」
 そんな打ち合わせをしながら、薄暗い通路の終点を迎えた。
 早朝の冷たい風が吹き抜ける。
 一拍置いて、目がくらんだ。
 ホワイト掛かった透明な視界によって──強い光を浴びたのだ、と感じ得た。
 はじめに目にしたのは、電光案内板。
 黄緑色に輝きを放つそれは、宙に浮いている。
 隅々に導線が張り巡らされた道路、奥のチェーンと同期して動く床。
 鋼、ゴム、金属。
 鉄製の冷たい雰囲気が、街の建造物のすべてだった。
「機械がこの国で、ここまで馴染んでいるとは……!」
 何かが吹き上げる機関音がする。隣の男による感嘆の声は、鼓膜をすり抜けていった。
 エスタールの遠景に入り混じる、白いモヤ。
 空の青を覆い尽くさんばかりの白煙は、この街の異質さを際立たせていた。

「なんだ……この奇妙な街は」
「かっこいいところだねぇ!」

 二人の感想はシンプルなものだった。
 あまりの光景である。ルナンは続けざまに疑問が湧いてきた。
「こいつらに、魔法という概念はないのか……?」
「街もここまで来ると、逆に魔法が必要ないですかね」
 鈍い音が、間隔をあけて鳴り続けている。夜の街に響けばさぞ格好がつくだろうという、小気味の良い音だ。
 このような街が、王都〈アベルツ〉から馬車で丸1日ほどの距離にあるなどと……、とても信じがたい。
「あっ!」
 クルミのか細い指先が、上のほうを指し示す。
 金の髪が揺れ、淡い光を跳ね散らした。
「見て見て! 木のうえに、明かりがついてる!」
 少女の視線の先、立ち並ぶ街路樹の上にはフクロウ型の街灯り。ぼうっと金色に輝いている。
 電気、という感じではない。あれは、一般家庭で使われる炎魔法とよく似ている。

「あれは、炎魔法の応用か。否、光の古代魔法なる可能性も……」
「なるほど。魔法学も、利用されてはいるのですねえ」
 機械と自然が一体化して、共存している。それは、近未来すらも感じる景色であった。
 遠景の煙が、ひときわ派手に噴き出した。
「でもここ、ちょっとだけ……怖いかなぁ」
「えぇ……」
「危険なのは、間違いないな」
 少女の気持ちは、別段変わったものではない。
 解らないものを不審に思う。
 見慣れない景色には、普段と違う感情を抱くものだ。

「現状トップの研究者が作る、自然の理を超えた《機械》を……政府が制御し、取り扱っている。考えてみれば、末恐ろしいことです」

 ディオルは腰にある剣具の柄を指先で辿り、憂うつげに言った。
「うーん……」
 一方クルミは、よくわからない顔をしている。小難しい世間話だ。
「否。危険だからこそ政府が管理する、という考え方もあるだろう」
「国に任せれば、安全だという意味で?」
 感情のこもった男の口調を受けて、ルナンはまさか、と眉間にしわを寄せた。
「そうは言わん。だが……」
 大して考えずに出した正直な考えを、俺は示す。
「規律がないよりはマシだ。放っておこうが、研究に手を付ける輩は必ず存在するしな」
「……それも、そうでしょうか」
 不服そうに頷く男。笑みを貼り付けていないこいつというのは、やはり珍しいかもしれない。
 眼鏡の奥の瞳を、斜め後ろ側から──少女がじっと見つめていた。
「ねえねえ、ディオル」
 すっかり興味が移ったのだろう、クルミは不思議そうに小首を傾げた。
「あのね。きょうりょくしゃ? になる人は、どこに行ったら探せるのかな?」
「協力……あぁ、ナイスな質問ですね~。クルミさん!」
 ディオルは打って変わって、にっこり笑顔で対応した。ルナンは驚いた。
 機械よりも、お前の変わり身の速さのほうが怖いぞ。
「だって、ひと、全然いないよ」
 しかし言われてみれば、今までの街と比べ人通りが少ない。
 貿易街や王都の人間が多すぎたともいうのだが。
「人を探すとなると……やはり〈学びの樹〉ですかね」
「学びの……? 小学校か?」
「いいえ。まあ、入ればわかりますよ」
 そう言ってディオルが手にかけたのは──、
「えっ」
 取っ手だ。壁に埋まった木の幹だと思っていたそこが、開いた。
 あれは土魔法で出来たものか。それとも、ただの造形物か。いずれにしろ精巧なつくりだった。

 扉の中は、多くの人間でごった返していた。
 広大な空間であるにも関わらず、雑多な感じのする場所だ。所狭しと並んだ本棚に、ほぼ隙間なく本が揃えられている。ここはいわゆる〈図書館〉といった施設か。
 少女が桃色の瞳を輝かせた。

「わぁー! 本がいっぱーい!!」
「おい! あまり走り回るな、危ないぞ!」

 はしゃぐ子どもへ注意をかけておくに越したことはない。
 どうせ、言っても聞かぬだろう──。そのうちまた何かやらかすのでは、と心配になる。
 第一、少女が走ると、ワンピースのすそがめくれ上がって健康的な肌の露出が……、否。俺は何も見なかった。
 次に俺が確認したのは、壁際の本棚に触れながら走り回るクルミの背中。
「あっ」
 さらに前方には、別の出入り口から男が一人、入ってきたところである。
「きゃう!」
「……痛ッ」
 クルミは、その人物と派手にぶつかった。
 言わんこっちゃない……。
 少女はよろけてから、なんとかバランスを保った。男は痛々しげに横腹をさすっている。
「ふぇ、あ、ごめんなさ──」
 中肉中背の男にじろりと睨まれて、クルミは足を竦ませた。
 鋼をも射抜くに違いない。そう思わせる鋭い瞳だ。
「なんだい、きみ? 田舎臭いよ」
 生粋の都会の人間とわかる緑髪の男は、冷たい言い方で少女を突き放した。なんというべきか、機嫌の悪さが剥き出しだ。
 この場合、少しとはいえ目を離した俺も悪いな。
 ルナンは自然と少女に駆け寄って、その背に触れた。
「平気か?」
「う、うん」
 一応、何事もなさそうだ。男のほうへ俺は向き直る。
「おい、お前……」
 近くに立ってみると、意外と小柄だ。俺の表情に何を思ったか、相手はあからさまに嫌そうな顔をした。
「旅行なら、よそでやってくれないか。ん? ここがどこか解ってるのかな?」
 挑発的な口調に俺は一瞬カチンと来たが、思いとどまった。
 ひと騒動、起こしてもみろ。協力者など探せるわけがない。
 依頼が達成できないと、俺とこのガキの生活があやうい。
 ここは我慢だ。

「うむ……俺の注意散漫だった。すまなかった」

 ルナンは、なるべく丁寧に振る舞った。
 青年の穏便な声を聞いて、男の不機嫌度が下がったようだ。
「……せいぜい、次がないようにするんだね」
「は、はぁい」
「善処しよう」
 男は二人の言葉を聞き届けると、近くの本棚から本を手にとって調べ物を始めた。こちらに興味を無くしてしまったようである。
 すると何故か、後ろにいたスーツ姿の連れが進み出た。
(何をするつもりだ……?)
 ルナンがそう思ったのもつかの間、ディオルは小柄な男の肩を叩いた。
「すみません。少しだけ」
 ディオルが声を掛けなおしたところで、俺はようやく相手の全身に気が及んだ。
 赤い刺繍の入ったねずみ色の服を着て、薄型のゴーグルを頭につけている。よく見れば、中性的な顔立ちの若い青年だ。最初は中肉中背だと感じた体格は、どちらかというと痩せ気味にも見えた。
 しぶしぶ振り向いたその青年へ、長身の男は尋ねた。

「あなたは、この町の方ですか?」
「よそ者には見えないだろ」

 確かにそうだ。奴の痩身には、庶民的な赤布が留め具として巻かれ、作業用のぶ厚い黒手袋が両手を覆っている。余裕のある幅の長袖長ズボンを着ていることから、おそらく戦いのできるやつではないのだろうと想像した。
「もしかして、機械なんかにお詳しかったり?」
「…………それが、なんだい」
 随分と正直な間が空いた。ディオルが見逃すはずもない。

「じゃあ勿論、南東の機械遺跡のこともご存知ですよね」
「は? 今、なんて」青年が目を丸くした。
「ですから。南東にある、山岳部の機械いせ……」
 二度目にディオルの台詞を聞き入れると、みるまに険しい表情になった青年は言葉を被せた。
「なぜ、きみたちみたいな外部の人間が〈マーキナ遺跡〉のことを?」
「マーキナ遺跡。そう呼ぶのだな」
「……ちぃっ」
 相手は、苦虫を噛み潰したような顔をした。どうやらこの男、知っていることが多そうだ。
 ここぞと、一行が畳み掛けた。
「どうしても、あの遺跡に入りたいんです。詳しく教えていただけませんか」
 ディオルは、まれに見る真摯な視線で男を見据える。
 俺とクルミも注視していたが、そいつは、盛大な溜息と共に顔を背けた。
「残念だけどね。マーキナ遺跡は、政府の特別な許可が無いと入れないよ」
「おや……」
「えーっ!?」
 衝撃の事実。遺跡に入れないのでは、今回の依頼は破談ではないか。
「な……何故だ? 理由は?」
 折角ここまで来たのだから、簡単に諦めるわけにはいくまい。ルナンは食い下がった。
「あそこは十年も前から、王国議会の管理下にあるから。一部の人間にしか、探索が許可されていないんだ」
 ただ淡々と説明をする男の声に、ディオルは若干脱力しているようだった。
「それは、流石に初耳でした……。あの遺跡が機械仕掛けだからですか?」
「当たり前だろ」
「あたりまえなの?」
 延々と続きそうな問答に、若い男はこちらを一瞥した。眉が怪訝に低まり、土色の瞳が細められる。
 一気に息を吸い込むや、本の背表紙で片手を引っ叩き、言い放った。

「あそこは、きみたちみたいにマヌケな一般人が入る場所じゃない!」

「ひょええっ」
 鷹を彷彿とする目力だった。この男、事あるごとに敵意をむき出しにしてくるゆえ、やり辛いことこの上ない。
 ふと、居心地の悪さを感じる。見渡せば、無闇に周囲の注目を浴びてしまっていた。シュラは慌てて咳き込みをする。
 大声なんぞ出すからだ。
 男は俺の視線に気がついたか、苛ついた面持ちで睨みを利かせてきた。

「だから。よそのド素人なら、軽率に首を突っ込まないでおくれ」
「お前は、随分と……色々詳しいのだな」
「この近くに住んでるんだから、普通だろ? きみたちの知識が無いのさ」
 騒ぎを起こしてはならぬ。
 頭ではそう理解していても、こいつの言い方はいちいち鼻についてならん。

「ね、お兄さんって、なんていうお名前?」

 ひょっこりと、クルミが突拍子もないことをたずねた。
 この少女は、言葉を交わした相手に興味を持つことが多い。今回もまた、その一環だろう。
「さぁ? 知らないのかい?」
「しらないよ。会ったの、はじめてだから……」
 少女は上目遣いで大変可愛らしいが、この相手には通じまい。
 案の定、緑髪の男は、肩をすくめてクルミを見下ろした。
「人に名前を尋ねるときは、まずは自分のほうから名乗るものだよ」
 イヤミだ。俺にはねちっこい嫌味にしか聞こえない。
 当の少女は、土色の瞳をまじまじと見つめた。
 そのままうなずいて浮かべた表情は、“大丈夫”。ぺこりとお辞儀をする。

「さっきは、ごめんなさい。わたし、クルミっていいます!」

「……!?」ルナンは急を突かれた。
 こいつはこんな、礼儀を考えた敬語など使えただろうか?
 そんなわけがあるまい。昨日、露店の商品すら勝手に食ったガキだぞ。
「ああ……そ。変わった名前だね」
 男もどこか、呆気に取られていた。
「は、はい。それと、こっちのひとが……えっと……」
 クルミが気まずそうにこちらを見た。
 この名前を街中で呼んではいけない、というのも、伝わったのだろうか?
(まさか、な)
 俺は思考とともに少し迷ったのち、話に乗っかることにした。
 名乗りを拒んで怪しまれては、困る。

「……ルナンだ。ルナン・シェルミク」
「ルナンね。で? そっちの男は?」

 近日の王国騒ぎはまだ知らぬらしい。お前の知識が無くて安心したぞ、とルナンは脳内でだけ切り返しておいた。
 涼しい顔をした年長の男が、一歩歩み出る。
 背筋を曲げる概念など持たぬと言わんばかりに、腰を折り深いお辞儀をした。

「初めまして。ディオル・カラーンと申します。旅人です」

 手は後ろで組まれている。何度見ても、丁寧な物腰だ。
 ……もしや、クルミはディオルの挙動から、あんな敬語を学んだのだろうか? あり得るな。
 茶髪の男は滑らかに動作し、半透明なボックスを片手に、左手で手のひらサイズの紙切れを差し出していた。
 見るのは二度目だが、やたらと分厚い紙束入れを持っている。
「名刺……? 大層な挨拶をするんだな。どこの人なんだい」
「あれっ。この国では、名刺交換とかしないんですか?」
「しないよ。敢えて聞くけど、民間で誰もがそんなことしてる場所って、あるかい?」
「はぁ、私は……存じませんが」
 困り顔で眼鏡を押し上げる男の後ろにて、少女がまだそわそわしていた。
「えと、お兄さん。お名前……」

 やっぱりか。
「だから無理に聞くな! 失礼だろうが」
「だ、だって! お兄さん、いっぱい教えてくれたから……お名前、きになるよ」
「お前な……」
 そんな二人のやりとりを見て、向かいの青年が呆れ返っていた。
「もう良いよ。本当に、知らないんだなぁ」
 視線こそ逸らされていたが、シュラは初めて、笑っていた。
 それは嫌味な嘲笑ではない。厚い雲間からほんの一筋、日が差したような……温かい笑顔だった。
「うん。知りたい!」
 クルミのソプラノを聴いて、男が冷酷な視線を向けることはもうなかった。
 小柄目な男は、左手を腰の後ろに回す。
 かかとをピタリと合わせ直立してから、胸に手のひらを当てた。

「僕は、シュラ。この街に住んでる理系の庶民、かな」

 怒りの矛を仕舞ったシュラは、大人びて見えた。
「そっかぁ……。お話ありがとう、シュラ!」
 クルミは一段と愛らしい笑顔を咲かせた。
「シュラか。改めて、先ほどは粗相をして悪かった。水に流して貰えると助かる」
 俺は真面目に謝ったが、これを聞いた男の目は点になっていた。
 ふっ、と鼻で笑われた。
「久しぶりだよ。きみたちみたいな……嫌えない馬鹿に会えたのは」
 体の横に、手のひらを表返す仕草。左手首に、妙ちきりんな腕輪が見えた。
 ……好意と受け取ってよいのだろうか。
 そう思っていたところ、深みのある声音を両耳が拾った。

「若き機械研究者……“若年の天才”、シュラ・カースト」

 振り返ると、紺色スーツ姿の男が、シュラを見据えていた。
 合点がいった、そんな様子だった。
「あなたの呼び名と、フルネームです……シュラさん。違いますか?」
「そうかい。きみは一人、知ってたか」
 シュラは、一気に冷めた声で肯定した。
 正直、何のことだか分からぬ俺は、本人へ聞き返す。
「若年の天才?」
 何をしているやつなのか。主語がないではないか。
 否、ディオルは機械研究者と前置いた。差し詰め、機械の専門家というやつか。
「身内の研究者が呼び始めた、ぼんやりした呼び名さ。勝手に広まって、僕は迷惑だよ」
 本人は曖昧に苦笑しているが、要するに、秀才なのでは。凄いなこいつ。
 座学を好かないルナンは尊敬した。
 スーツ男は、殊更にっこりと笑んで尋ねる。

「シュラ・カーストさんだということは、“持って”ますよね?」
「なんのことかな」
「当然、マーキナ遺跡の調査権です。機械研究の著名人なんですから」

 交渉再開、とルナンは見た。
 ふとクルミはどうしているのかと思うと、ちゃんと隣にいた。
 男二人の話で、頭上にはてなマークを浮かべている。相変わらずで良かった。
「……きみは、僕の名と腕が目的かい」
 ディオルが詰め寄るにつれて、シュラの顔つきが険しくなってきている。
 雲行きがまずい。そう感じた俺は迷わず援護に入った。
「こいつは只の旅人だ。遺跡に用があるのは、むしろ俺たちの方でもある」

「一般人の、きみたちが?」
 そんな、胡散臭そうな目はやめてほしい。
「事情を話すと長くなるのだが、どうしても奥地まで行かねばならない。盗賊まがいのことはせぬ。遺跡内に、入れてさえくれれば良いんだ」
 シュラの沈黙が否定ではないことを願う。
 俺は右の拳を胸に当て、頭を下げた。
「頼む。どうか、お前の力を貸してくれ」
 ディオルとクルミが続いて頭を下げる。
 男はむず痒いらしく、頭を掻いた。

「……それ、僕の知識をタダで売れって話じゃないよな?」

 頭を上げてみる。しょうがないなぁ、と小声で聞こえたのは、空耳だと思う。
「あ。報酬自体は、私が出します」
「数千リルでなびくとか思ってないだろうね」
 茶髪の男に対してだけ、やたらと風当たりの強いそいつはジト目になった。
 長身を活用したディオルが、ひそやかに耳打ちをする。五秒ほどの説明だった。シュラは口の端を歪めていたものの、見るからに顔色が変わった。
「えぇっ!? ……ほ、ほんとだろうな?」
 シュラが本気でビビっている。何を提示したのか知らないが、効果てきめんである。
 ディオルは一歩離れると、どんと胸を叩いた。
「はい。万が一、報酬に偽りがあった場合、奴隷にして売り捌いてくださっても構いませんよ!」
「……へぇ。そこまで言うのなら、手伝おっか」
「ふふ。ありがとうございます」
 二人は怪しい笑みで同調した。
「えっ! シュラ、依頼、手伝ってくれるの!?」
 少女のソプラノが跳ね上がる。
「いいよ。実は、大至急〈マーキナ遺跡〉の深部を見に行かなきゃいけなくなっててね。外出調査は面倒だと思ってたとこだし……」
「そうなのか? 間がいいな」
「わー! やったー!!」
 クルミはぴょんっ、と飛んで喜んだ。
「で、僕はどういう形式で仕事になるんだい」
 シュラはこちらへ、聞き直してきた。
 俺は真っ直ぐに相手を見る。

「依頼という形だ。旅ギルド《闇夜の流星》に協力して貰いたい」
「──ハァ? 旅ギルドだって!?」

 力強い声だ。また嫌な顔をされたかと錯覚したが、俺はすぐに思い直した。
「……信じられない。前言撤回」
「な……」
 尋常ではない、恐怖の色。

 シュラの表情は、得体の知れぬ畏怖を宿していた。
「……ふむ」
「ふ、ふええ?」
 やはり何か思うところがあったのだろう。他の二人を見ると、考えの追い付かない顔をしている。
 不遜な言葉に返事をしたのは、俺たちの中の誰でもなかった。
 機械音、だった。
 ──リリリリ、リリリリ。
 シュラの腕からだ。機械音は、妙ちきりんな腕輪から聞こえていた。同じ音が繰り返し響き続ける。
 茶色いベルトに青い円盤のようなものがついたそれは、バイクの前部分にある金具と、似たような雰囲気だった。男は円盤の左側にあるボタンを、忌々しげに押した。音が止む。

「とにかく、旅ギルドなんて嫌だ。絶対お断り」

 ハッキリと言い捨てると、男は振り返らずに出口に向かって歩いた。
 ──リリリリ……。
 男を煽るタイミングで、止まったはずの電子音が鳴り始める。
 出口付近の本棚の前で、シュラは諦めたように立ち止まった。息を整え、また別なボタンを押す。
「──はい」
 俯いて発言した。
『おいゴラァ! さっき切っただろテメェ!』
「なーんだ、きみかよ……」
 腕輪のブルー部分から聞こえる電子声に、シュラはうなだれた。

「通信、ですね……」ディオルの呟きだ。
「つうしん?」
「昨日、ルナンさんが使い魔と遠距離会話していたでしょう。それと同じです」
 少女とディオルの会話を、俺は、半ば上の空で聞いていた。
 何故だろう。いつからか分からないが、肩が重いし、足腰も痛く感じる。
 視界がぼんやりと霞むのだけは、気力で抑え込んだ。

『なんだとは何だ、このクソガキが! 人が折角、伝言を伝えてやろうってのによぉ』
 こちらまで微かに届く音声は、短気な乱暴者の印象を受ける。シュラが嫌いそうなタイプだな。
「ふーん。手短に頼むよ。それから、絶対に“呼ばないで”」
『……オウ。例の人から伝言だ──《正午までに、マーキナ遺跡へ来い》』
「は……?」
『どうだ。最短で済ませたぜぇ?』
「ハァアアッ!? ふざけんな! 街の馬車使っても、三時間は掛かるだろ!? もう昼前なのにっ」
 シュラは大声で不服を訴えていた。周囲の一般人が、そんな男を見て怯えている。
『出来るじゃん、あんたなら』
「……クソッ!」
『てーか、オイ──……』
 男が腕輪に触れると、音声はブツ切れた。

「どいつもこいつも、どこまで僕を利用するんだ……!!」

 煮えくり返るはらわたを隠そうともせず、シュラは毒吐いた。
 賢明な人物だろうに、まるで、衆目を忘れたようだった。
 男は力任せに木製の扉をこじ開けて、外の街へと繰り出した。


「シュラ……怒ってた、ね」
 ぽつり、クルミは感想を零した。
 図書館〈学びの樹〉は、シュラがいなくなっても比較的にぎやかだ。
 なおも多くの人々が本棚の書籍を探し、いくつかのテーブルを囲み、そして談義に花を咲かせている。

「あいつは、何かあったのだな」
「うん……すごく、つらそうだった」
 落ち込んでいる少女が視界に写る。
 少女の頭上に右手を置いて、艶やかな金髪を雑にかき混ぜてやった。
「追うぞ。俺たちも遺跡に向かおう」
 俺はいよいよ、腹を据えた。
「彼なしでは、門前払いですよ?」
「どうでもいい。無理ならば、見張りを人質にしてでも入るまでだ」
「いいえ。一旦頭を冷やすべきです」
 ルナンのとんでもない発言に、ディオルはきっぱり反論した。
「……別の協力者を探す、という意味か?」
 頷いた男を見上げて、少女が声を荒げた。

「だめだよ!! シュラのこと、助けてあげなくちゃ!!」

 当然、それ以外の選択肢なんてない、真剣な瞳だった。
 ……少女のなかでは、シュラはとうに『お友だち』なのだ。例え、俺やディオルからは、赤の他人でも。
 俺は今さら何をしようが、どうせ重罪人だ。目的もある。クルミのお人好しに、付き合ってやろうと思っている。
 あとは、ディオルがどんな意思を持っているのか。それだけだった。
「そりゃ、シュラさんのことは心配ですが……しかし……」
 依頼主の目を、俺は見た。
「では問おう。お前自身は、どうしたい?」
 眼鏡の奥の瞳を見開く、その男。
 ディオルは、言の葉を噛みしめるようにして、こう言った。
「……追いかけましょう」
 青年と少女は、二人して頷いた。

     ◆     ◇

 先頭の黒い男に言われるがまま、私たちは遠くからシュラさんを追っていきます。
 街の外に向かったと思われた彼の背は、反して街の奥へと向かっていました。
 たどり着いたのは、薄汚れた小屋。
 いかにも爆発のひとつやふたつは乗り越えていそうな、小さな家屋です。
 彼はなんの躊躇もなく、そこへ入って行ったのでした。
「あれ……? いせき、いかないのかな?」
「尾行がバレているってことは、無いのでしょうが」
 私は正直に、そう呟きました。
 青年はもちろん、少女もそれなりに隠れてくれている。
 あの軟弱そうな研究者に限って、尾行に対策する能力が高いはずありません。
「おかしいな……、むっ」
 ルナンさんの低音に被さり、小屋の重そうな扉が開きます。
「ふう。疲れた」
 明らかにシュラさんです。
 身を乗り出していた私たちは、慌てて物陰に隠れます。
「なるべく利用したくなかったのにね……」
 建物の影に忍んでいれば、なにか、特徴的な音が耳に届いてきました。

 連続した、地面を転がる硬い音。
 断続する、繊細な金具の擦れた音。

「はぁ~……昨日と今朝は、散々だ。きみなら、分かってくれるかな?」
 彼が、誰かに語りかけています。
 ……人が増えたのでしょうか。

 気配を探り、恐る恐る顔を覗かせてみると、一人で居るシュラさんの姿。
 通信をしているわけでもなさそうです。
 ただし、彼の隣にあったのは──純白のバイクでした。
 小振りな彼に良く似合う、上品さを感じさせる機械。

 もしかすると、機械と電波的な会話を……? 
 まっさか。そんなヘンテコな話はありませんよ。

 私の一人芝居をあざ笑うかのごとく、彼はそのハンドルを愛おしそうに撫でておりまして。
 えらく素直な声音で。
「そうだね。今こそ、頑張らないと……」
 会話のような独り言を、良しとしてました。
 ふむ。これは、見てはいけないシーンだったかもしれません。私は忘れてあげませんがね。
 ゴーグルを首元へ落として、白いヘルメットを着用したシュラさんが、機械の背に跨ります。
 彼は手慣れた操作を行い、最後にハンドルをひねりました。

「はやく終わらせよう。僕が〈サイフェル〉に居られるうちに」

 機械が発進。直後、ルナンさんが少女と共にしゃがみ込みます。
 彼は、こちらの物陰のほうへ来ているのです。
 とくに急いで壁に張り付いてはみましたが、所詮は建物の影。三人で居ると目立ちます。向かって真横の道すじを颯爽と通りにくる、白いバイク。
 今度こそ、バレた。
 そう思ったのですが、彼はこちらに目もくれず通過。
 南の方角へと、路地を折れて行きました。……杞憂だったでしょうか。
 あっけらかんとした小屋前の路地で、機械の吐いた煙たさだけが私たちを包みます。
 真っ先に口を開いたのは、黒い男でした。
「おい、まずいぞ……探そう! 北入り口前だ!」
 いつになく切迫した声音です。
 ルナンさんはそのまま、少女を横抱きに。クルミさんはびっくりです。
「ひょわぁ!? さ、さがす? なんのこと?」
「例の黒いバイクだ、俺たちも機械で追いかける!! ただでさえ馬鹿広いんだ、あいつに距離を離されては、遺跡周辺できっと迷ってしまう!」
 ぼやっとするな、急げ!!
 ルナンさんの叱咤で、一足先に駆け始めます。
 北入口・検問所先の茂みまで──。

(さて、私も……腹を括りましょうかね)

 踏みしめた地は石。足を沈めさせず、頼もしい造りのこの街。
 時刻は昼前。
 私は少し、今日、という日が楽しみになってしまいました。
 ──ちょっとした、嵐の予感です。

第五幕

 視界に入り込む、草木の切れ端。
 一面の豊かな草原の中で、ただひたすらに過ぎ行く風景を眺めている。
 金属が日の光を照り散らす。静かな駆動音と、土けむりの匂い。
 僕はこの感覚が好きだ。
 愛用の白いバイク──正式名称『MAF08』。乗る機会はあまり多くないけど、僕のお気に入りの陣器のひとつ。
 それが今、出せる限りの全速力で走ってくれている。
 〈マーキナ遺跡〉に待ち合わされている僕を乗せ、昼の大地を走行していく。
 発掘調査の進む〈最先端の陣器遺跡〉に足を運ぶのは僕にとって喜びだ。でも、今日ばっかりは気が進まない。
 構ってやらないとうるさい連中に目を付けられて以来、研究の一つも集中出来ない。だから今日は、呼ばれたついでに文句をつけに行く。

「一人にして欲しいんだけどな……」

 ここ最近よく絡まれる。そういえば、ついさっきも僕に構ったやつらがいた。
 若干年上っぽい男と、妙に気の抜けた女の子。それから、眼鏡のスーツ男。
 素人のくせに「遺跡に入らせて欲しい」だとかって、おかしな三人組だった。
 わざわざ断ったってのに、彼らが後を追ってきていたことには、もっと驚いた。二人は購買店の影にしゃがみ込んで。もう一人はその壁なんかに張り付いて。隠れてるつもりかは知らないけど、こっちのバックミラーからは丸見えだった。
 まだ、追ってくるつもりかな。
 彼らは、どこか切羽詰まった雰囲気だった。
 懲りずに後をつけてきたとして、どんな手段で遺跡に入るつもりなんだろう。
 わざわざ、関係者でないと無理だって伝えてやったのに。ろくでもない手を使うのかもしれない。
「はあ……ついてこようが、別にいっか」
 僕ははっきり断ったんだから、無関係だ。
 そう結論付けて、黒手袋越しのアクセルを捻り直した。
 

     ◆     ◇


「ルナンさん、もう少しスピード出ないんですか?」
 タイヤ痕を追いかけて走る鉄の馬。
 三人乗りという無茶な乗り方をされた大型のバイクは、かなりの速度を出して草原を爆走していた。
 先頭の銀髪男が悪態をつく。
「バカ言うな。前が見えんのかお前は」
「ふぇっ……ふぐっ……」
 先刻からずっと半泣きの呻き声が聞こえている。
 後ろにしがみついている金髪少女の体が震えていた。怖いか酔っているかのどちらかだろう。
 これ以上スピードを出すことは出来ない、そう判断していた。
「まあ可哀想ですが、長引くともっと可哀想ですよ」
 後方に立ち乗りをした茶髪の男が、呆れたように言う。
 ルナンと呼ばれた青年は降り向かず答えた。
「そう言うな。恐らくだが、そろそろだ」
 山々の手前、人工物らしき遠景が見えていた。
「ああ……」
 木々を抜ければすぐそこに、遺跡がある。
 ここまで走ってきた距離に比べればすぐだ。
 もうすぐ着きますよクルミさん、とディオルが言うと、ほんとう⁉︎ と喜ぶ少女の明るい声が響いた。
 
 しばらくして、生い茂る木々に隠すようにしてバイクを停める。
 埃くさい石造りの地面、懐かしい土の匂い。
 遺跡到着だ。
「わああ〜! すっごく古いねえ!」
 遅れて降りれば、クルミのいつものソプラノ声が聞こえる。
 酔っていたんじゃないのか、あいつ。
「おい。あまり大声を出すな! そう声を出すと……」
「止まれ!」
 石柱の奥から、男の声がした。
 遠目にも気覚えのある、赤い制服の兵士だ。
「わあ。正義の味方のお出ましですよ。皆さん」
「……厄介になった」
 ルナンは頭を抱えた。
 こうも早速王国騎士に見つかっては、潜入もへったくれもあったものではない。
「止まれと言っている!」
「ふえ⁉︎」
「何用だ。ここは一般人立ち入り禁止であるぞ!」
「あう」
 まずい。クルミが半泣きになっている。
 ひとまず青年が割って入った。
「騎士団だな? 俺たちは旅人だ。悪意はない。この通りだ」
 適当なホラを吹いて見る。
「あまりふざけたことを言うな! こんな人里離れた土地を旅する阿呆がいるはずなかろう!」
「道に迷ってだな」
「ほお。こんな、見晴らしのいい王国でどう迷うのだ? 貴様、言ってみろ」
 騎士に詰め寄られる。俺だからいいが、こんな調子では本当に迷った奴に抜刀されそうだな。
 他人事のように青年はそう思い、対処法を考えあぐねていた。
 連れがいると計画通りに動けたものではない。
「あのー、すみません」
 ディオルが謝る。確かに謝りたくもなるような勢いだ。 
「……あ……」
 しかし、青年の焦りと裏腹に、兵士達の勢いが止まった。
 ピタリと止まって、目を見開き、絶句していた。
「どうしたの、キシさん?」
 少女がキョトンとした様子で尋ねる。
 青年も一瞬、その間の意味に頭を巡らせた。
 彼らはルナンの後ろを見ている。青年は全煌力を皮膚に集中させた。
 
 背後。ゴソ、と何かが動く音。
 殺気はほんの僅か。
 左腕の、挙動。金属の音。
 
 理解したのはそこまでだった。途端に騎士が態度を変える。
「大変失礼しました! どうぞこちらへ」
 ディオルが安堵の声を漏らす。
「はー、良かったです。さて、行きましょう」
 見れば、兵士が穏やかな様子で道を案内しようとしているではないか。
 足取り軽く、クルミがぴょんと跳ねた。
「遺跡のキシさん、ちょっと良いひとなんだね!」
 歓迎されただと? まさか。
 明らかにおかしい、とルナンの第六感がビシビシ訴えていたが、入れないより良いのは間違いない。
 今、文句をつけてシュラみたいに意見がひっくり返ったら困る。
 考えてから黙って兵士の後をついていく。
 若干一名を後ほど問い詰めるとして、ひとまず黙っておこう。
「ところで、皆様はどういったご関係で……?」
 奴らは背後の背高な男に対して問いかけた。
「そうですね。依頼主と依頼者といえばわかるでしょうか?」
 ともに歩きながら、にっこりとした笑顔でディオルが答えた。胡散臭いことこの上ない。
「それでは、こちらをお持ちください」
「これは……」
 差し出された小物を受け取ると、それは己の穴あき手袋とよく馴染む紫色をしていた。
 半円のような、奇妙な形の笛だ。掠れているが、赤い模様が入っている。
「内部でも自分の様な警備に声をかけられる可能性があります。その際はこちらをお見せください」
 成程。許可証みたいなものか。
 ルナンは静かに黒ズボンのポケットに突っ込んだ。
「わかった。助かる」
 遺跡の入り口らしき門にたどり着くと、兵士が手をかざして道を開けてくれた。
「この先、仕掛けも多少ですがございますのでお気をつけて」
「ありがとうー、ちょっといいキシさん!」


 
「おい。あれはどう言うことだ」
 遺跡を進む一行。
 騎士の姿が見えなくなった頃、ルナンはディオルを問いただした。
「どう、とは? 私、さっぱりわかりませんね」
「しらばっくれるな!」
 当然先ほどの兵士の態度についてだ。
 シュラから聞いた話と違いすぎる。
「はは。バレちゃってましたか」
 あれで不審がらない大人がいるか。
 ルナンは不満げに眉間に皺を寄せた。
 背高な男は気に介さないように笑っている。
「実はですね。彼からこれを頂きました☆」
 男の手にはキラリと光るバッジが煌めいていた。赤い鳥のマーク。なんらかの組織証だろうか? 
「デイオル、いつの間にもらったの?」
 否、もらっていないに違いない。
 俺から見てもそんな暇は無かったのだ。
 大方、近づいたときにでも盗んだのだろう。
「シュラさんが特別にくれたんですよ。これが友情の証だと……!」
「ほえー! ディオルもシュラと仲良しなんだね〜」
 少女が嬉しげにうんうんと頷いた。
 こいつ、奴の小芝居がかった演技にすっかり騙されている。
「……どうなっても知らんぞ」
 にごして返事をする。
 クルミには本当のことは黙っておこう。教育にだいぶ悪そうだ。
 ルナンは自分のことを棚の上に放り投げて、そう心に決めた。

(つづく)

ダークネスメテオ《闇ノ物語》

ダークネスメテオ《闇ノ物語》

復讐心を根差した青年と記憶喪失である少女は、追憶の足跡を辿る。軽度の流血・残酷表現注意

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 探索『復讐を果たしに』
  2. 序幕『記憶の可能性』
  3. 一幕『わたしたちで』
  4. 二幕『引き受けてください』
  5. 三幕『あいつの仇を討つ』
  6. 四幕『旅ギルドなんて嫌だ』
  7. 第五幕