TOEICer

TOEICer

 朝、出社すると、机の上に黄色い封筒が置いてあった。早期退職者優遇制度のお知らせだ。
 ついに捕まったな。会社の業績も不振続きだし、俺の成果も芳しくない。おまけに丸投げ上司、何かと俺を目の敵にして暴言を吐いてくる部下、他人をいじめるのが趣味みたいな他部署の課長と毎日パワハラ同然の日々だ。でもなー、この年で転職は厳しいなー。なんとか今の会社にしがみつきたい。他部署に行きたい。
 しかしウチの会社、やけに英語に厳しい。とくに俺たち中間管理職にな。TOEICのスコア保持だって。しかも期間3年。3年に一回はTOEICを受けなきゃいけない。もうスコア切れてるよ。しかもスコアのない者、スコアの切れそうなものから肩たたきの対象らしい。俺も社内でやってるTOEICのテスト、受ければいいんだけど、全然英語勉強してないなー。今の部署、全然英語使わないし。
 などととりとめもないことを考えながら、俺はTOEICとのこれまでの関わりを思い返した。
 大学を出て、この会社へ入って数日目、研修の一環で初めてTOEICなるものを受検した。言っておくが、俺は技術者じゃない。大学は文系だ。英語の授業だってあった。いや、それをいうなら中学・高校・浪人時代に、「受験」英語を何年もやっていた。その俺が、アナウンスが何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。というか、恥ずかしいが、いつテストが始まったのか、しばらくわからなかった。全部英語でアナウンスがあり、スタートの合図も英語でされたからだ。
 「A・・・・B・・・・C・・・・」何を言っているのかさっぱりわからない。適当に記号をマークしていった。ふと隣の技術職で採用された奴を見ると、もうあきらめたのかすべて適当にマークして、頭を机に突っ伏して寝ていた。俺も似たようなものだ。
 やっと苦痛に満ちたリスニングの時間が終わり、受験でやっていたリーディングの時間になったが、知らない単語ばかりでまるでわからない。それでもなんとか読み進めながら適当にマークしていると、まだ大分問題があるのに時間が残り少ない。のこり数十問はすべてCにマークしてテストが終わった。
 結果は、想像どおりだ。
 まあ、みんなそんな感じで、3年に一度のことなので、そのときだけ苦しんでおけばいいと思い、特に何もしてこなかった。まさかこんな日が来るとは夢にも思わなかったのだ。
 俺は封筒を開け、中身を読んだ。予想通りの内容だ。退職金の上乗せ。転職支援会社の利用斡旋。説明会。ハローワークへの申請。

  数日が過ぎたある日、俺は突然上司に呼び出された。会議室で、ついに恐れていた退職の勧めを言い渡された。
 「死刑宣告が来たな...」
 無論そこで、笑顔で快諾などできるはずもなく、将来への不安など吐露しながら、時間稼ぎをすることにした。すると、上司からは毎週この件に関して打ち合わせをするよう言われた。なんとかして俺を会社から追い出したいようだ。
 まずい。何とかしないと。何とかしないと。何とか・・・
 そこで俺が思いついたのは、まずTOEICを受けて点数を上げ、「何とか会社に残らせてほしい。異動ならいいが、退職は勘弁してほしい」と交渉してみようということだった。まあ、次のTOEIC受検までにそれほど間があるわけではなく、この方法が成功する可能性は極めて低い。だが、情けない話だが、この時には会社を飛び出す勇気がなかったのだ。
 それから俺は、どうやったらTOEICの点数が手っ取り早く上げられるか、必死で考えた。英語の能力ではない、ただTOEICの点数が欲しかったのだ。
 まず、本屋へ行ってみた。TOEICコーナーへ行ってみると、膨大な数の書籍、問題集、参考書が並んでいた。だめだ、とても選べない。それにこんなもの闇雲にやっても、上手くいくはずない。
 次に俺が考えたのは、学校へ行くということだった。ネットで調べてみた。これもたくさんある。しかも、どれも目が飛び出るほど高い。どこか安い所、でもそれなりに内容のある所、会社帰りに通える所、と探していくと、一つ比較的安い所があった。よく見てみると、政府に関係ある所のようだ。補助金が出ているのだろう。俺はそこに通うことにして、これまでもらっていた商品券、図書券を金券ショップに売って金を作り、コースに申し込んだ。教材は、学校オリジナルのものではなく、先生の勧める市販のものを使うとのことだ。俺はそれらを買い揃えた。
 しばらくして授業がはじまった。先生は、話術が面白いというようなタイプではないが、真面目で、訥々と話す感じの人だった。TOEICを毎回受けていて、ほぼ毎回満点、あるいは満点に近い点数を取っているとのことだった。世の中にそんな人がいるとは思わなかった。
 そして肝心な授業の内容だが、これは驚くべき内容だった。もちろん英語の文法の話などもある。しかし、中心は、まさに俺が望んでいた、TOEICの点数を上げる方法だった。「Part3、4ではマークをせず、印をつけるだけにしておきましょう。そして、リーディングの時間になったら、はじめに印をつけた所をマークしていきましょう」「Part6までは残り50分までに終わらせましょう。いつも時間が足りなくなる人は、まずPart7から手をつけましょう」こんなテクニックのオンパレードだ。知らないことだらけだった。生徒たちもただ点数を上げられればいい、といった感じで和気あいあいとした雰囲気はなく、知り合いも一人もできなかった。だが、当時のすさんだ気持ちの俺には、そんなことはどうでもよかった。
  さらに俺はネットを使って、休日に受けられる1日型のTOEICセミナーはないかと探した。告知用のサイトに、一つ見つけた。主催者は、ニコ生でラジオ放送も行っているようだった。俺はそのセミナーに申し込み、そのラジオ放送を聴いてみた。
 「なんだこの人・・・」その人は、ただただTOEICと読書、勉強だけが生きがいという一種の変わり者だった。東京で挫折して故郷で低額の仕事につき、結婚もせず家庭ももたず、趣味に没頭していた。英語の能力などどうでもよく、TOEICを味わい楽しむことだけが人生のようだった。ただし、その知識、ノウハウは半端なかった。
 すごいと思った。俺もそうなりたいと思った。そうして、セミナー受講日となり俺は会場へ行った。本人を見たが、案外普通な感じだった。 ただ、その姿を見た後、俺はTOEICの勉強に熱中し始めた。学校の教材、その人が勧める問題集や模試を日々解き、復習を行っていった。
同時に毎週の上司との打ち合わせも佳境に入った。ついに会社に提出する優遇制度の申し込み用紙まで渡され、申し込み期限が迫って来ていた。上司の言葉は回を重ねるたびに厳しさを増していっていた。俺はTOEICを受検し、それなりの成果を手にした。だが俺は、決意していた。もうこんな会社には用はない。俺は制度に申し込み、後足で砂をかける思いで退職した。
 その後、転職活動をしながら、TOEICの勉強を続け、俺も毎回満点近くまで獲得できるようになった。そして、何か月かして、英語を生かした仕事を見つけ、再就職した。その後もTOEICは毎回受け続け、主にネットを中心に、TOEICのいわゆる「オタクや変態」達と交流を持っている。
 俺は、TOEICerとして生まれ変わったのだ。

TOEICer

初作品になります。ほぼ実体験です。

TOEICer

TOEICに挑戦する男の話。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-09

Copyrighted
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