等身大、反逆物語

初なので、つたないところは読み飛ばしちゃってください。
……え?それじゃ読むところが残らない?
……努力します。

序章・彼ら二人とその周り

     序章・二人


※   ※   ※

「――まだ、収まりませんか」
 中央広場とでも言おうか。
 真ん中に大きな噴水のある、市街地中心部の広場は、普段ならば本を読む淑女や無邪気な声を上げて遊びまわる子供たちで朗らかな雰囲気なのだが、この曇天の元で甲冑を着こみ武器をぶら下げた騎士がうろついているのでは朗らかでもなければ和やかでもない。
 そして、その厳めしい者たちの中、一人だけ法衣のような純白の制服に身を包んだ青年が声をだした。
 彼の腰には二本のサーベルがつるしてあり、この者もまた周りの騎士たちと同じく叩く人間であることが示されている。
 騎士の一人が、青年の前に進み出た。
「第一から第三部隊はほぼ任務完了と言っていいでしょう。号令一つで反乱分子の残りを片付けられるかと。しかし――」
 騎士は言葉を切った。
 青年の眼が細くなる――大方のことを察したのだろう。
「第四部隊の状況は?」
「不明です。一応、使いもやってはみたのですが――帰ってくる気配もありません」 
 しばらく、青年は腕組みをして考えた。
 三秒ほどではあったが、そのたった三秒の沈黙が報告をしている騎士だけでなく周りにいる騎士すべてに重圧であった。
「第一から第三隊は、今すぐ目前の敵完全鎮圧を。第四隊の方へは、私が行きます。第四隊はどちらへ?」
「北東方向です。おそらく、千年広場かと」
「わかりました」
 言うが早いか、青年はついてこようとする部下を振り払うように走り出した。
 邪魔、とでも言いたげだった。


 千年広場というのは、これもまた大きな広場だった。
 広場の名物である樹齢千年を超える巨木がちょうどいい日陰を作り、昼下がりの休憩場所としては最適なところである。
 しかし。
 これもまた、先ほどの中央広場と同じように、とても昼食をここでとろうかと考える状況ではなかった。
 ベンチには仕事の休憩をする一家の大黒柱ではなく無残にも肩から袈裟切りにされた兵士が座り、少年が泥だらけになって遊ぶ砂場には、誰のともわからぬ腕が転がっている。
 地獄と見まごう陰惨さであった。
「これは………」
 青年が息をのんだのと同時だろうか。
 バサリ、と大きな音がして、とっさに青年は両脇のサーベルに手を伸ばした。
「……ッ!」
 しかし、それは杞憂だった――というのも、それはそこにいた何かが襲ってくる音ではなく、そこにいた何かが去っていく音だった。
 広場の、大樹の陰から飛び出した黒い塊が、近くの商店の屋根、そしてその隣の屋根へと、飛び回るように逃げていく。背に、大きな剣を負っているとは思えないほど軽やかな動きで、様々なものを足場に逃げていく。
 いや、逃げて行ったのではない。ここでの用が済んだから、ただ帰っただけのように青年は感じた。実際、それは正しかった――が、青年が知れることではない。
 ただ青年は。
 その背にあったモノを見て、一言だけつぶやいた。
「――『棺剣』……!」
 それはそのまま、かの者が背負っていた切っ先のない両刃剣のことで。
 それはそのまま、平穏を崩す、最悪の反逆者の名前でもあった。


※   ※   ※

 山の斜面に作られた国の、頂上にあるのは当然ながら王宮であった。
 煌びやか、という言葉がよく似合う外観で、童話に出てくる城よりは背が低いが代わりに広さは持っていた。
 門には、広場にいた兵士よりもいっそう重厚な鎧に身を包んだ番人が立っており、怪しげな者は通すまいと、威圧するかのように立っている。
 国の中央たる王宮は、威圧感満載でまさに統治者のあるべき場所、であった。

 そして、王宮の中央にある部屋、玉座の部屋に、先ほどの青年は呼び出されていた。
 年老いた、と表現するにはまだ若い王の前に、恭しく頭を垂れる青年の姿は、従者としては申し分ないものである。
「――では、第四隊の壊滅原因はやはり……」
 実年齢、そして見た目よりもなお若々しい声で王は言った。
 不安がにじみ出てはいるが、それでも配下の者にそれを悟られぬよう必死に隠しているのがうかがえる。仁徳というのはそのあたりに現れるのかもしれない。
「はい。陛下にも提出いたしましたリストにある、『棺剣』と呼ばれる逆徒の仕業と思われます」
 ゆえに青年もまた、自分の持っている部下を殺され、怒りがでてもおかしくない場面ではあっても平静を、平静をと心掛ける。その二人のやり取りを、周りにいる側近たちは時には不安、時には同情を持って見守っている。
 王は、少し目を伏せると、玉座の肘掛にもたれかかった。
 ――『棺剣』。
 その名前が出るようになって、大体五年ぐらいだろうか。王国、という性質上国に反感を持つ者は少なくないので、国の中では小競り合いは絶えなかった。しかし、あれほどまでに強烈な力を持っているものが出てくるとは思っても見ず、さらにまずいことにその力が現れたことで、それまでくすぶっていた連中が活気づき始めている。
 奴が出てきた場所では、こちらの持つ騎士団の犠牲も大層なものになった。さすがに、青年が率いている本隊が崩れたことはないが、それ以外の場合では隊が丸々一個つぶれるなんてことはざらにあった。今回のように。
 敵の血を泥水か何かのようにまき散らして、立つ者すべてを死に至らしめるとまで言われている化け物だが、彼の目的を誰も知らないというのが一番不気味なところ、というのが目下王宮での考えである。
 …と、王は自分の持っている『棺剣』の情報を頭の中で反芻した。
 周りを見てみると、王が突然黙ったことで何事かと心配している側近もいる用だった。
 ふう、と一回溜息をつき、ついていた頬杖を直すと、王は言った。
「なあ、フレデリック」
 青年の名前だった。
 呼ばれた青年は――フレデリック=シュナイダーは、やはり恭しく顔を上げた。
 薄く笑みを浮かべ、視る人を安心させる表情を浮かべた王は、
「なんにせよ、ご苦労だったな」
 自分のことなどとりあえず脇に置き、仕事を終えた部下をねぎらった。

※   ※   ※

 フレデリックは王宮を出ると、頂上ともいえないが中腹というには高い位置にある屋敷へ戻っていた。
 彼の預かる、王国騎士団の総本部である。
 王国騎士団、と言っても人数は千人ぐらいしかおらず、全員集めて集会をやるにしてもそこまでひろい場所は必要ない。したがって、指揮施設、訓練施設、それに常駐の騎士が寝泊まりする宿泊施設そのすべてを合わせても、金持ちの商人が住んでいる程度の屋敷であった。
 そしてその総本部にある部屋で、もっとも高い位置にあり、もっとも見える景色のいい部屋にフレデリックはいた。
 総司令官室、と書かれたプレートが部屋の扉に下がっており、内装も他の部屋に比べて落ち着いてはいるがワンランク高い調度品がそろっている。
 本来であれば、そこには書類とにらめっこしたり必要かどうかいまいちわからない剣の手入れをするフレデリック一人しかいないはずだが、今日は珍しく――というほど珍しくないが――客人の姿があった。
「来るなら来ると、言ってくださればよかったのに……」
 もっとも、アポなしと言える範疇を大幅に超えた唐突なる来訪だったので、あまり歓迎はされていないが。
「そうはいっても、暇だから来ようって思いついだだけだもの。いちいち行くよって言ってたんじゃわずらわしくて仕方ないよ」
 気さくに話すのは、軽装ではあるが一目でいい素材とわかるドレスに身を包んだ少女だった。綺麗な金髪を短髪にしているので、ドレスがあまり似合わないほど快活な印象を受ける。
 王位継承権第十八位、クレア=ランチェスター。
 王族でありながらその奔放な立ち居振る舞いには定評があり、フレデリックもよく悩まされていた。この前は確か、勝手に寝室へあがりこんだ挙句蔵書の三冊ほどを持って行っていた。希少本だったというのに。
 それもこれも、生まれてからそれなりに長い期間を一緒に過ごした、いわば幼馴染だからというのもあるのだろう。騎士団長の家系とランチェスター家とはそれなりどころではない親交があり、生まれた年も近い彼らはともに遊んで育ってきた。
 確か十五を超えたあたりで、フレデリックの方が彼女の身分に気付き、少しばかり距離をおいたのだったか。
 それでも、暇だから彼のもとに行こう、と思いつくぐらいにクレアはフレデリックに親しみを覚えているし、フレデリックだってクレアにそうして一緒にいてもらえると、嫌な気はしない。もっとも、距離を置いた身としては若干のやりにくさを感じるけれども。
 とりあえず、クレアに一番いい椅子――フレデリックの執務椅子へ彼女を座らせると、アポなしとはいえ来客なので紅茶を入れようと部屋に備え付けられているティーサーバーへ向かった。
「ところで」
 クレアは言った。
 本当に脈絡もなく、何にも考えないで言っているのだろう。
「さっき大叔父様から聞いたんだけど――」
 大叔父様、というのは国王のことだろう。
 さっきフレデリックが国王と話していたときクレアはいなかったし、時間から考えてあの後話をしたとは考えられない。おそらく会話を盗み聞いたと思われる。王族が盗み聞きするのは感心しないが、咎めて聞くクレアではないので今では王宮の全員が諦めている。おかげで情報漏洩には他国と比べ物にならないほど気を使っていて、それすら自分の手柄のようにクレアは語っているが。
「『棺剣』って、そんなに強いの?」
 本当ならフレデリックはその名前を聞きたくなかった。
 が、何も考えてない人間は人のことを察するなんてできるはずもなく、ずけずけと質問してしまう。
 強いのか、という質問は騎士団を信頼していないと出てこない質問なのだろうから、そこまで嫌な気にはならないけれど。
「強いですよ」
 淹れた紅茶を、彼女が座っている執務机において言った。
 ほぼ、即答に近かった。忌々しそうな表情は、取りようによっては忌むに値すると認めているようにも見える。
「奴は強い。……騎士団を任されている私でも、正直奴とはかち合いたくない」
 だから、あの時『棺剣』が逃げてくれてほっとした――とは、たとえ幼馴染の前でも言えることではない。
 ……『棺剣』の方も、下手に追ってこなくてよかったと思っていることはフレデリックの知る由もない。
「そんなに?」
「聞いたのならわかるでしょうけど、第四隊はあいつ一人とやりあって壊滅。……一個小隊を壊滅させるなんて、他にできる奴がいるとすれば――私の知る限り、騎士団の中ではローデリッヒ第二隊長しかいないでしょう」
 クレアは紅茶を飲もうとして、熱さに顔をしかめた。それがきっかけで何も考えてない状態から意識が覚醒したようで、フレデリックの方をみてきちんと話を聞いている。
「ローデリッヒ、か……確かにあのおっさん強いからね。聞いていいのか悪いのかわからないけど、じゃあ逆徒の中で、同じことができるのはいるの?」
 少し、フレデリックは考える素振りをした。
 そして、本棚にあるファイルを一冊取り出すと、一人の男のページを開いてクレアに渡す。そこには、『no.29』という簡素な番号とデータが乗っていた。
「そいつなら、あるいは」
 フレデリックがそういう『no.29』の似顔絵を見て、クレアは驚いた声を上げた。
「女性じゃない、これ」
 間違いなく女性の顔立ちで、さらに言えばボディラインも女性のそれだ。しかも腕や足も綺麗に細く、大剣を振り回して軍隊相手に喧嘩する人には見えない。
 それなのに、フレデリックの顔は思ったより浮かない。
 ともすれば、『棺剣』以上に嫌な相手だという。
「単純な力比べだったら、クレア様でも勝てるかもしれませんね。……ようは、技術の問題ですよ」
「ふーん……」
 データを読み込むかのように見ていたクレアだが、彼女の性格で『真面目に読む』が成立するはずがなく、思っていることは。
(それにしてもかわいい帽子してるな、こいつ)
 ということだけである。
 そのことを、与太話の一つとして話そうとしたクレアであったが、
「失礼します!」
 大きな声に遮られた。
 入れ、というフレデリックの声の跡、一人の騎士が封筒を片手に現れ、一言二言フレデリックに耳打ちをした。
「――なるほど。ご苦労」
 クレアに見せていた、半分無表情ながら冷たいではなく涼しげという印象を与える顔ではなく、非常に冷徹と言える表情で彼は部下をねぎらった。
 慣れているようで、一度礼をすると、すぐに部下は去った。
 ガシャリ、ガシャリという甲冑の音が、大体十メートルぐらい離れてようやく、フレデリックは表情を戻す。
「……どうしたの?」
 クレアは、封筒を見るフレデリックの眼が若干険しいことに気が付いた。
「いえ……まあ、見て気分のいいものじゃないですよ。今回の反乱鎮圧の件について、元老院からの総評です。まったく、ゲームか何かと勘違いしているんじゃないですかね。酷評しようがべた褒めしようが何の意味もないって言うのに」
 嫌そうに言うと、その封筒を見もせずにタバコ用のライターで焼き捨てた。
 気分転換だろうか、部屋を出て行こうとするフレデリックの袖を、クレアはつかんで引き止めた。
「……どうしました?」
「お疲れ様」
 ……王のねぎらいとも、元老院の評価とも違う。
 それは、感謝であった。

※   ※   ※

 山のふもと。
 中央の王宮から離れ、煉瓦造りの町を過ぎ、住む人も減り、田舎と言えるところまで来て、さらにさらにふもとへ。
 山と言えなくなるところまで来ると、そこにあるのは湖だった。
 あまり大きな湖ではなく、対岸までしっかり見渡せる。それでも、泉というには大きく、わたるためには船が必要だった。
 ふもととはいえ、山の名残というべき森は広がっていて、木で囲まれた湖は大層幻想的だった。
 木漏れ日が水面に反射し、ほとりの草木を怪しく、美しく照らし出す。
 寝転ぶ男と、その男の傍らにある黒く、幅の広い剣も同じように。
 ここは男のお気に入りの場所だった。
 もともと、男にはねぐらというべき場所はなく、様々なところを転々とまわっている。けれども大体二週間に一回ぐらい、ここに戻ってきたくなるのだ。
 昼間、この場所に寝転ぶと、ちょうどよく光りも当たるし、夏場であれば水のおかげで熱くもない。冬場だって、草は天然の布団になるし、頭の上を覆う木々は風を避ける壁になってくれる。
 人が来ないのが不思議なくらいよくできた場所だと男は思う。
 そう、人は来ない。
 人は。
「――あ!兄貴!帰ってきてたんだ!」
 来ないはずの人の声がした。
 しかし男は驚く様子はなく、目線だけ上にあげて、誰が来たのかを確認した。
 ボロを着た背の低い少女だった。
 しっかり手入れすれば綺麗なのだろうが、手入れしようにも方法がないからぼさぼさになっている長髪が特徴的で、口を開くとはっきり見える八重歯がかわいらしい。
 少女は、寝転んでいる男のところまでやってくると、隣に腰を下ろした。
 顔を覗き込んで、うれしそうに話し出す。
「なーなー、なんかお土産的なものないのー?こっちはもうモノがなくなってきちゃって……食べ物には困ってないんだけどさ、服とか買ってきてくれた?」
「おう。ま、今回は騎士団長と鉢合わせしちまったからあんまり買えてないけどな」
「えー?でもこないだ団長ぐらいぶっ飛ばせるとか言ってなかった?」
「目立つことしちゃまずいんだよ」
 はったりのつもりではない。
 一対一なら、確かにあの騎士団長を叩きのめすことは可能だろう。が、あの場所ではもう少しでも遅れていれば本隊が駆けつけていた。第四隊のような、ほぼほぼ予備隊の軍とは違い常日頃から訓練しているエリートたち。騎士団長と一緒に相手をするには、少しばかり荷が重い。
 男は立ち上がって、剣を背に、正確には背の腰の辺りに吊り下げた。
「――村、行ってもいいか?」
「もちろん。……姉ちゃんも待ってるだろうし」
「そうか」
 少女もぴょんと立ち上がり、男の前を歩き出した。
 湖のほとりを離れ、森の奥へと向かって行く。

※   ※   ※

 村――と呼べるのかも怪しいほどに小さい集落だった。
 家は五つほどしかなく、それも城下町や中腹あたりの煉瓦造りとは違い、藁などで作られて最低限雨風をしのぐぐらいの機能しかなかった。かろうじて煙突らしきものは見えるが、可燃物だけで作られた家で火を使おうものならあっという間に引火するだろう。
 それ以外の物をその集落に探すのなら、ところどころ家庭菜園ほどの大きさの畑があったり、物干しざおにボロボロになった服がかかっているだけだ。村とそのほかを分けるための竹矢来はあるが、それだって風化していて線引き以外の意味はない。
 少女と男は、その村に足を踏み入れた。
 森の中にひっそりとある集落は、非常に落ち着いた雰囲気を持っていて、ともすれば湖のほとりよりものどかな場所かもしれない。
 元気よく、少女は一番大きな家に入って行った。その家だけは、申し訳程度に金具が使われている。鎹ぐらいのものだが。
「ねーちゃーん!兄貴帰ってきたよー?」
 大きな声で家の中の人を呼ぶ。
 村全体に届くほどの大声だが、少女にとってはこんなもの大声にも入らない。
「――はいはい。ジェイミー、そんなに大きな声出さなくても聞こえるよ?」
 家の中から出てきたのは、少女――ジェイミーよりももう少しましな服に身を包んだ女性だった。
 同じように手入れをしていないはずなのに、それでもふんわりとした長い髪、物腰と組み合わせて人を和ませるためにあるような垂れ気味の眼。おそらく、城下町にいても目立つほどの美人だった。
 何か手作業をしていたのだろう、手に着いた粉を服の裾で払いながら、彼女は家の玄関までやってきた。
 男の姿を認めると、驚いたような顔をして、二秒ほどで安心したような顔に変わる。
「無事でしたか。ウィルバーさん」
 優しく微笑む女性の呼んだ名前は、言うまでもなく男の――『棺剣』の名前だった。
 ウィルバー=オーエン。
 一度は捨てた名前だ。
「そっちこそ。無事で何よりだ、フラヴィ。……もっとも、最近は随分締め付けも甘くなったけどね」
「ええ。私も一応、守護としての役目は果たせています。それもこれも、ウィルバーさんのおかげかと」
 フラヴィはウィルバーを家に招き入れた。
 彼女はこの村全体の世話役と言った感じで、ジェイミーのような幼い子供から、一番この家から離れている家に暮らしている老人だって彼女が面倒を見ている。
 そして、この村を危険にさらそうとする輩を相手にするのも、彼女の仕事だった。
「………それもこれも、獣人に生まれたから、なのかな」
 ウィルバーはつぶやいた。
 フラヴィ、そしてジェイミーの頭についている、髪の毛に見えなくもない獣の耳を見ながら。
 獣人。
 人間と獣の混血、というのがファンタジーではお約束である。しかし彼女らは若干異なり、単純な突然変異で、耳の形が獣のように見えるというだけだ。ツノのように見える角質の話とそう変わらない。
 けれどもお約束はもう一つある――迫害である。
 当然のことながら、人の悪しき習性として自分たちと違うものを蚊帳の外へ追いやろうとする。いや、蚊帳の外へ追いやるべき蚊は、叩き潰そうとする。
 彼女たちもそうだった――大体一世紀ほど前、彼女らの一族は町を追われた。
 逃げに逃げ、ようやくたどり着いた場所で、今はひっそりと暮らしている。まれに、いまだ彼女たちを葬り去らんとするものが襲撃を仕掛けてくることがあるが、まだ、そのせいで村の者が死んだことはない。
 ウィルバーは三年ほど前まで傭兵だった。のだが、とある失態で隊を追われ、町を追われ。湖のほとりまでさまよってきた。そこを、フラヴィに受け入れてもらったのがこの村へ顔を出すようになった始まりである。だから、彼女たちに受ける感情は、爪はじきものを受け入れてくれた感謝しかなく、耳だってアイデンティティに一つだとしか思っていない。転じて、彼女たちの個性なのだからそれは卑下するべきものではなく愛でるべきものであるとさえ思っている。
 家の中に入り、足にひびが入っているちゃぶ台を、ジェイミーと一緒に囲む。
 フラヴィが水出ししたお茶を出してくれ、一息つくことができた。
「――そうだ、服を買ってきたんだった」
 言ってウィルバーは、湖のほとりからここまで持ってきていた麻袋を取り出した。
 興味深げに見るジェイミーに、その中の服を取り出して渡す。
「ほら、欲しがってたろ、新しい服」
「おお!マジで!?」
 あまり高くない、庶民の普段着のようなワンピースだが、それでも今のボロよりはよっぽどいい。
 ジェイミーは非常に喜んだ。
 それを、ちょっとだけ羨ましそうに見て、しかしそれを悟られまいとすまし顔をしているフラヴィを見てウィルバーはほほえましくなる。
「フラヴィ、これはお前の」
 そういって出したのは、ゆったりとした上着とロングスカートだった。
 赤色のロングスカートと、白い上着。
「まあ……」
 ちょっと驚いたのか、いつもは寝ているときと変わらないほどに細めている眼を開き、その服を手に取った。
 興味深そうに触ったりして、
「いいのですか?ウィルバーさん、あなたも余裕はないはずですけれど……」
「生活費ぐらいなんとかなるさ。いつもの礼と思ってくれよ」
「生活費ぐらい……?でも、この前ポケットにツケの証明書が五、六枚入ってましたよ?」
「………」
 かっこつけようとして失敗するのはいつものことだ。
 ふふふ、とフレヴィは笑った。強がりが彼の癖であることぐらい、彼女にはお見通しだ。
「なんにせよ、ありがとうございます」
「う……フォローされちゃうと、言えることなくなっちまうぞ……」
 優しい笑顔だが、力強い。
 ウィルバーは思う。
 彼女は自分なんかよりよっぽど強い、と。

※   ※   ※

 ここまでは、前日譚である。
 一回の中規模な反乱を元に、彼らがいかような人間なのかを記してみた。
 まだ始まりすら始まっていない。

一章・騎士団長と『棺剣』――1


 半年後。
 半年前と同じように、フレデリック=シュナイダーは王国騎士団総本部で職務に当たっていた。
 といっても、物騒なことは何一つなく、いつも通り部下から上がってくる要望を記した意見書だとか、上から降りてくる文句だとかに対応しているだけだ。どいつもこいつも、フレデリックが若く、話しやすい相手だからといって遠慮なくなんでも言ってくる。それらすべてにはいはいと対応してしまうのがよくないことだと知りながらも、フレデリックは断ることもできず今日も書類の山を増やしていく。
 もっとも、滞りなく対応すれば、フレデリックのキャパシティから見ると大した量ではない。にもかかわらずたまっていくのは――
「ねえ、なんかしゃべってよ、じゃないと、暇でしょうがないじゃない」
 高圧的な態度で、かつ、自己中心的なものの考えで仕事を邪魔しに来るクレア=ランチェスターのせいに他ならない。
 クレアはいつも通り、突拍子もなく現れては、こうしてフレデリックの仕事を邪魔していく。予測もできないし、帰れと言っても帰らないおかげで、彼の仕事も、疲れもたまるばかりである。
 フレデリックはクレアの言葉に返答した。
「帰ってどうぞ」
 丁寧に、左手で出口を示しながら。
 ついでとばかりに、溜息も漏らしながら。
 しかしそんなもので大人しく引くような小娘ならば、王国騎士団長フレデリック=シュナイダーを悩ませることもないであろう。クレアは情に訴えようが、高圧的に抑えようが、結局帰りはしないのだ。さすがに、仕事中にフレデリックの執務椅子を奪うようなまねはしないが、来客用においてある椅子に座って動こうとしない。その上、フレデリックが相手をしなければふてくされるのだから、困ったものである。
 だから、フレデリックが帰れと言っているのも、本気で帰らせようとしているわけではない。無論、言葉で本当に帰ってくれるならそれに越したことはないけれども。とりあえず何か言葉を投げておかなければ、クレアはそこらへんの物に手を出しそうだからで、そして、そのそこらへんの物には触れてほしくないものが山ほどある。
「随分冷たいなあ……でも家に帰ったってだーれも相手してくれないんだもの。話相手もいやしないわ」
「使用人の方に話しかけてみては?無碍にはしないでしょう」
「たとえ相手が何かを返してくれたとして、話にはならない。……大叔父様の言葉よ」
「意味が通っていないと会話と呼べませんからね」
 といっても、クレアとフレデリックの掛け合いがはたして会話かと言われれば怪しくはある。
 フレデリックは話の最中一切書類から目を上げていない。話しながらも、時には判子を押し、時には斜線で片づけながら片手間にクレアの相手をしているのだ。クレアとしては、そんな状態であろうとまとまった答えを返してくれるから不満はないけれど。使用人と話したところで、是以外の言葉は帰ってこないのだ。
「何か大きなことがあれば、退屈しないんだけどなあ……」
「物騒ですね。騎士団の詰所で言うことですか?」
 大体クレアが満足するような大きなことは騒ぎになることで、それはつまり逆徒たちの反乱であるとか、国王の崩御だとか、そんな国の一大事に他ならない。どこそこのだれだれが結婚した、とかいった平和な話題ではクレアの少年さながらの心は満足しないだろう。
 フレデリックは書類の束をあらかた片付け、ようやく一息ついた。
 クレアの与太話に乗ってやる余裕も出てきて、執務椅子を彼女に譲る。当然のようにクレアは座り、偉そうに足を組んだ。
 警戒する。
 だいたいクレアがこうして足を組むときは、何やら小難しいことを考えているときだ。国立の大学を次席で卒業しただけあって、彼女の能力は大したものである。剣腕だけが頼りのフレデリックでは軽々論破されるだろう。
 もっとも、そういった優秀な部分をよからぬことにしか使わないのが一番困るところではあるけれど。
「ねえ、フレデリック」
「はい?」
「あなた最近――」
 言いかけた時、
「失礼します!」
 部下の呼び声で助かった。
 普段、部下にはかなり冷たく当たるフレデリックであるが、この時ばかりは天佑である。表情を明るくし、「入れ!」といつもに比べ高めのトーンで入室を促した。
「フレデリック団長。上からですが……」
 様子が違うことに、部下も若干戸惑っている。
 が、やる事は一切変わらないので、部下は手に持っている茶封筒をフレデリックに渡した。少し重く、ただの書類だけとは限らなそうだ。外から見ても、一か所膨らんでいる。
「ご苦労さま。下がっていいですよ」
「失礼します」
 いつも通り、最低限のやり取りで部下を下げさせた。
 仕事は仕事、と割り切るからこそ、部下もついてくる。個人的な時間を部下と過ごすときは、今のように冷たく当たることはほとんどない。クレアに見せる態度と、ほぼ変わらない態度である。口調は丁寧語ではなく砕けているが。
「ねーねー、何それ」
「仕事の物ですよ。あんまり王族がかかわると冗談抜きで命が危ないですから、知らない方がいいです」
 言いつつ、クレアには一切気を使わず封筒を開ける。
 並みの暗殺者ではランチェスター家には手を出せないだろうし、クレアも見ちゃいけないと言われた物は見ない、程度の常識はわきまえている。それ以上に高度な常識は一切合切欠落している。
 執務椅子を立って、フレデリックにそれを返すと、彼女は部屋を出た。
 もっとも、これから屋敷に帰ったところで待っているのは煌びやかでくどい装飾に囲まれた部屋と、ふかふかで現実感がないベッドと、忠実で面白みのない使用人だけなので、てきとうに騎士団本部の中を回るつもりだ。第三隊の女性隊長、マーガレットのところにでも行こうか、と思った。
 部屋を出て左に曲がり、階段を下に下がればもう総隊長室の中のことなんか一切わからない。

※   ※   ※

 部屋に一人、残されたフレデリックであるが、当然やることは渡された封筒の中身のチェックである。上がこうして送り付けてきたのだ、よからぬことが書いてあるのは明白であるが故、彼の表情は浮かない。
「………」
 大体十五枚の書類。
 一個一個、丁寧に上から下まで文章にして書いてある。おそらくしたためたのは側近のうちでクレアが王宮にいるときよくちょっかいを出しているペイル=レッドフィールド宮廷学部長だろう。彼も若くして要職に就いた身なので、野獣お嬢様からすればいい獲物だ。同じ肉どうし、フレデリックは若干親近感を抱いている。
 が、先ほどの通りフレデリック=シュナイダーはそう言った私情と仕事のことをきっちりと分ける。誰が書いたものであろうと、自分の仕事が増えることは嬉しくない。
 いやいやそうに、一枚一枚精査していくと、三枚目あたりでどういったことが書いてあるかわかってくる。言語学者であるペイルの文章らしく飾り立てられた文体であるが、それでも変に誇張したり変に隠匿しようとしておらず、単純に回りくどいだけだ。
(……事務仕事の文章を、こんなに飾り立てなくてもいいというのに……)
 思わず、口から溜息が漏れる。心から愚痴が漏れる。
 書いてあることはとてものどかなことだ。近日行われる王も参列される王子主催のパーティーについて。その警護についてああせよ、こうせよと書いてあるだけだ。もっとも、ここに書いてあることの大半は無視することになるだろう。警備だとか警護だとかで、王宮の中ぬくぬくと暮らしている貴族にとやかく言われるほど、騎士団は甘ちゃんぞろいではない。
 パーティー自体、大したものでもない。要は、他国の人々を招いてご機嫌をとっておこうということだ。山岳地帯にあるこの王国は、いざ災害が起こったときに他国の力を借りないとどうしようもない。反面、他国としても、山の上にあるという地理的有利を持つ王国の機嫌をあまり損ねたくない。利害の一致から、パーティーが開かれたということだろうか。
 王子もだんだん汚くなってきたなあ、とフレデリックは時の流れを実感する。
 昔――それこそ五、六歳のころは、歳も近いからかよくクレアも交え三人であそんだものだ。クレアと王子に振り回されてばかりだったが、うれしいことがあれば笑い、嫌なことがあれば渋面する純真な子供であり、その性格は最後に見た、ほんの四年前まで変わっていなかった。いったい誰がこんな小狡いことを教えたのだろう。この書類をしたためたであろうカークにそんな知恵はない――王子の教育係ではあるが、彼の専門は物理学だ。大方、次代の王である王子の機嫌を取っておいて、優遇されようとする俗物どもだろうとフレデリックは予想した。
 はあ、ともう一回溜息をついて、捺印の場所へ判子を押す。
 第四隊が壊滅し、甚大と言ってもいい被害を負った騎士団をこうもこき使ってくれるとは、彼らもなかなか気が利くではないか。皮肉は彼の趣味ではないが、こうも忙しくなってくると漏れてしまうものだ。
 ふと、壁に懸けてある時計を見ると、短針は四時を、長身は四十二分を指していた。
 ――もう、夕方か。……クレアとの夕食の約束へ間に合えばいいが……。
 またあのお嬢様はわがままを言って、今日はどうしても、西の歓楽街アーネストの町酒場へ行くと言ってはばからなかった。そんな場所へ行かずとも、屋敷へ戻れば優秀なメイドであるイライザが、言われた料理をきっちり作ってくれるというのに。もっとも、彼女はそういう味を楽しもうとしているのではなく、雑多な雰囲気というやつを楽しみたいのだろう。気持ちはわからなくもない。アーネストの人々というのはいるだけで和やかな雰囲気を作るものだ。
 それについていくと行ってしまった自分も自分だ、とフレデリックは一人思った。
 警護であれば、懐刀ともいえる部下、ルキアノス=アンドロニカスをやればよかったのだ。あいつであれば、自分と同じか、状況によってはそれ以上の活躍を期待できる。敬語という任務であるならば、なおのこと。彼は誰とも打ち解けられる、と自分でも行っている通り、人懐っこく、また人からも好かれる稀有な性格の持ち主だ。クレアだって嫌っていなかった。
 それでも、自分が行くと行ってしまうのは――自分から距離を放そうと思ったとはいえ、やはり幼馴染というものは切ろうにも切りづらいものなのかもしれない。
 悪い気はしない。
 そういう関係を持っていることが、人生を豊かにすることぐらい若い彼でも理解できるし、なによりクレア=ランチェスターという少女(なのか?)に救われたことだって一度や二度じゃない。本人はそうは思っていないのかもしれないが、ああやって自由奔放な性格というのは悩んでるこっちが馬鹿らしくなる、という方法で悩みを消してくれるのだ。騎士団、なんてかっこいい名前だからなんとかやっているが、要するに人殺し稼業に身を置く彼は、そういう性格に何度も何度も助けられているのだ。
 ――恩返しと思えば、いいのだろうか。
 よく言えば几帳面、悪く言えば融通の利かない彼はそう思ってしまう。クレアだって与えっぱなしじゃなくてフレデリックから受けたものは少なくなく、今更恩返しをするまでもなく関係はどっこいなことに気づいていない。
「はあ……」
 今日何度目だろう。
 溜息をつくと、執務椅子に深く座り込んだ。
 というか、もたれかかった。なんだかひどく脱力する――あんな、悩みがなさそうどころではなく、こっちまで悩みがない気になる性格の奴のことで悩まなければいけないのが、ある種滑稽で、またある種喜劇的なのが嫌になる。悲劇的、というやつがいないだけよしとするか。
 ぼんやりと、考え事ともいえない考え事に吹けるうち、カチリという時計の音で意識を叩き起こされた。
 時刻は午後六時。
 いい加減クレアも、おなかがすいただのフレデリックが遅いだので騒いでいるだろう。第三隊長マーガレットの部屋に行くと言っていたし、彼女に迷惑が掛かっていないか心配である。
 豪快、かつ粗暴、しかしながら保母のような包容力をもった彼女であれば間違ってもキレるということはないだろうが、それでも迷惑には違いない。おそらく聞けば、「どうってことないさ」と答えるだろうが、伊達に五年上司をやっているわけじゃない。
 まあ、同じく豪快に見えて実は胃が弱いローデリッヒのところへカチコミに行かなかっただけ良しとしよう。
 フレデリックは椅子から立ち上がった。
 愛剣二本を手に持って部屋から出る。燭台の蝋燭を消すのを忘れているが、おそらく巡回が消すだろう。注意されるのは何回目かわからないし、どうせ巡回だって諦めている。
 コツコツ、とブーツがフローリングを叩く音がする。
 廊下の明かりも、ぼちぼちつき始めている――もう、外は夜だ。

一章・騎士団長と『棺剣』――2

 フレデリック=シュナイダーが、クソ忙しい最中送られてきたのどかな封筒に飽き飽きしている頃まで戻す。時間にして約四時間戻す。そんなに書類が多かったかと言われれば無論そんなことはなく、フレデリックがぼーっとしていた時間も含まれる。
 ともかく四時間前。
 クレア=ランチェスターはフレデリックに部屋を追い出された――実際は彼女の方から気を利かせて出てきたのだが、残念ながら彼女に気を使ったという気はない。そんな価値観もない。彼女にとってみれば、望まぬ退出はイコールで追い出されたに変わるのだ。
「それであたしのところに来たのかい?相変わらず物好きだねえ、クレア嬢ちゃんは」
 向かった先は、第三隊長マーガレット=イスカの部屋。
 騎士団全体でも、数えるほどしかいない女性の内彼女ほど出世した者も、彼女ほど戦闘能力を持っているものもおらず、貴族連中の間で変な人気がある。
 またその性格も、将器というにふさわしく、大きな戦場において兵士を鼓舞したり指示を飛ばしたりというのは彼女の役割であることが多い。当然、役職的にはフレデリックがやるべきなのだが、どうにも彼の場合性格上小物っぽくなってしまう。いちいち理屈っぽく、その理屈っぽさが生み出す隙のない作戦は見事なものなのだが、下の兵士たちにとってみれば理屈なんかいらなく、どこに行って誰をハッ倒せばいいのか、それだけが重要だ。まだ、フレデリックには理解できていないようだが。
 とはいえ彼女も女性。
 フレデリックの部屋に比べて、部屋の中に装飾品が見られ、執務室は堅い、という印象を覆すほどくつろげる場所だった。
 総隊長の部屋になく彼女の部屋にあるものを上げれば、ソファ、ティーサーバーに付属して作ったコーヒーメーカー、本棚に隣接しておいてあるハンガーラック、またそれに伴う帽子掛け。さらには、部屋の扉には手作りと思しき不格好なリースがあり、それもまたクレアにとっても、他の女性職員にとっても好印象であった。ゴリラとあだ名されるローデリッヒ第二隊長の部屋にかかっているものは、確かパワーストーンだった。相変わらず変なところで乙女である。
「物好きだなんて。マーガレットさん、自分の魅力ってのを理解してないんじゃないの?」
「残念だったね、兵はついてきても男はついてこないのさ、これが。ま、そりゃ戦場駆け回って狼牙棒振り回してる女に惚れるかっていわれればあたしが男なら嫌だって言ったろうさ。ビンタの一発が致命傷だよ」
 狼牙棒――平たく言えばトゲ付きの金棒。
 童話に出てくる鬼そっくりで、おかげで彼女の戦場での異名は『鬼が島』である。女性に着ける名前じゃないどころか、男でも怒る名前だろう。つけられたのが変人奇人でまかり通るマーガレットだから「なんだそりゃ、かっこいいじゃん」で済んでいるけれども。
「……自分で言ってて悲しくならないの?」
 自虐は彼女の悪い癖だ。
 幼いころからそうだったらしい。
「ならないなあ。あたしはこれでもそろそろ三十路だし。諦めってのが付いてくるよ。若き総隊長とか、まだ十九の嬢ちゃんにはちと早い話だけどね」
「フレデリックはあれでも二十だよ?」
「若い若い。……つっても、ローデリッヒにいわせりゃ私も小娘だろうけど」
 彼は三十六だ。
 歴戦、というにふさわしい経歴と、その経験も相まって貫録というものが出始める年齢。相変わらず、将器として一番なっていないのは総隊長だなんて、皮肉にもなりはしない。
 戦闘能力から言っても、フレデリックが言っていた通り、『棺剣』と同じマネができるのは彼だけで、したがって騎士団の切り札、隠し玉と言えば彼であった。ガントレットをお供に戦場を殴りつぶして歩く姿はすさまじく、あだ名を思い浮かべると『ボス猿』『一人大砲』『狂牛病』だのひどい者ばかりである。中でもひどいのが『怒ったちんどん屋』というやつで、楽団が通っているかのような爆音で、そして人が宙に浮くほどのにぎやかさで戦場を練り歩くさまからついたらしい。
「……フレデリック、忙しいの?最近収まったばっかりなのに」
「あー、それね……」
 一応、あのパーティーにはランチェスター家も招かれているので言ったところで罰せられることはないだろうが、自分も出席するパーティーのことで、彼に迷惑をかけているんじゃないかとクレアが考えてしまうかもしれない。フレデリックに怒られるとすれば、言ったことよりそっちのほうだ。
 んー、と言葉を濁らせたマーガレットに、らしくないなと感じつつもクレアは黙っている。結局言ってしまうのはわかっているからだ。前にも何度かあった。もはや迷うなんてことは彼女にとって飾りで、結果は最初から出ている。
「クレア嬢ちゃんも出る王子主催のパーティーの件さ。反乱があったばかりだから、警備も厳重になるんじゃないのかな。……最近じゃ、『棺剣』だって活動が活発だ」
 ふう、と息をつくマーガレット。
 最近よく話題に上がる――『棺剣』。半年前の騒動で第四隊を壊滅させたことが記憶に新しいが、そのほかにもちょこちょこ出てきてはこちらの動きを妨害するとのことだ。もっとも、そんな言い方は婉曲表現で、妨害なんてなまっちょろいものじゃなく単騎の待ち伏せに近いと聞いたことがある。
「ああ、それで……」
 幸い、思ったようなことにはならなかったようで、すんなりクレアは納得した。
 まあ、クレアがフレデリックの事情を気遣う理由なんて、彼が忙しくて暇になる自分が嫌なだけだ。自分のことで悩んでいようと知ったことじゃない。むしろ、それで自分が楽しめるならば御の字なのだ。オヤジとオバサンばっかりでちっとも楽しくないパーティーでも、いじる対象がいるなら暇にはならずに済みそうだ。
「よくもまあ、あそこまで多忙で相手してくれない奴と付き合う気になるよねえ、クレアちゃん。……なんでそこまでアレにこだわれるものかな。何度イライザに怒られた?」
「二十一回回かな」
「通算で?」
「一週間で」
「飯のたびに怒られるのかいお前。で――もう一個の質問の方は?」
 んー、とクレアは考える素振りを見せた。
 にっこり笑って言う。
「退屈しないもの♪」

一章・騎士団長と『棺剣』――3

 そして三度、時間を戻す。
 その日の朝へ。
 ――朝、別の場所へ視点を移す。言うまでもなく、ウィルバー=オーエンの視点へ、である。
 彼はその日の朝から、ジェイミーを連れて村を出ていた。ジェイミーにはフラヴィが愛用している帽子をかぶせて耳を隠し、また自身の剣には布きれをかぶせて目立たないように隠した。それだけやっておけば、変わり者から地味なものまで誰だって集まる歓楽街アーネストで目立つということはまずないだろう。
 西の歓楽街、そして『獣村』――あの村は彼女らを差別するものからそう呼ばれている――から最も近い村であるアーネスト。しかしそこに行くまでに、朝八時に村を出ても昼の二時になってしまう。
 一部で魔女の森と呼ばれるほどに茂り、光を遮る森の中を進み、進んで上ってまた進んで、ようやくそのレンガ造りの町へつけるのだが、ウィルバーとジェイミーはその道中でイノシシに三回襲われた。そして蛇に五回噛まれかけ、とどめにクマが行く手を遮った。日頃村と外を行き来するウィルバーや、また同じように物資調達などをおこなうフラヴィなんかからすれば慣れたものだが、まだ村の外へ出た回数が非常に少なく、出たといっても湖のほとりまでしか行かないジェイミーにとって、それらは天変地異にも等しい大事件であった。だからそのたびに足が止まってしまう。毎回毎回、ウィルバーが手に持つ剣でもって追っ払うが、それでもタイムロスに変わりはない。
「なー兄貴―、疲れたよ……」
 おかげで町に着くころにはこの有様だ。
 先ほどからジェイミーはそれしか言っていない。森の中にいるときはそんなこと口にしなかったのだが、喫茶店やレストランからいい匂いが漂ってきてそう思い始めたのかもしれない。
 が、疲れた疲れたといっていながら、ジェイミーの足が止まることはなかった。
 あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、ジグザグに通りを進んでいく。店、というものそのものが彼女にとっては珍しいのだ。なにしろウィルバーやフラヴィの、話の中でしか知らないものが目の前にあるのだから。
 それに付き合いつつ、たまに財布の口を開きながらついていくウィルバーも、疲れていないと言えばうそになる。
 日常茶飯事とはいえ、量が多ければ疲れる道理で、彼も多分に疲弊していた。
「へばるなよー?まだ買い物は終わってないからな」
 さて、彼らが険しい道のりを超えて、アーネストまでやってきたわけは、村ではzz手に入らないものを買うためだった。
 大体、そういうものはウィルバーが村へ行く時についでに買っていくのだが、残念ながら今回はそうもいかなかった――本人も言っていたが、半年前の時は騎士団長、フレデリック=シュナイダーと鉢合わせして逃げ帰ってきたようなものだ。いちいち買い物なんかしてる余裕はない。
 それから半年、元々自給自足がしっかりしている村は生活する分には一切困らないのだが、それでもあれがない、これがないと物資不足が目立つようになった。ウィルバーのいないときはフラヴィが買い出しに行くらしいが、あいにくと村には金がほとんどない。そもそも、金を手に入れる方法が、襲いに来た差別主義者を返り討ちにして金品を奪うという山賊さながらの手口なので、差別主義者が来ないことにはしょうがないのだ。悲しいシステムについて、フラヴィは「罵倒で飯が食えるのなら御の字」と言っている。……図太さで彼女の右に出る者はいないだろう。
「少しぐらい休憩してもいいじゃん!まだ昼なんだし、ちょっとぐらい!」
「あのなあ。朝村を出て昼に着く場所だぞ?夕方には帰らなきゃならないってのに、まだ買い物の三分の一だって終わってないんだ。全部終わって時間が余ったら休憩ぐらい考えてやるけどな」
 見込みは薄いけどな。
「……いっそのこと今日この町に泊まっちゃえばいいじゃん。それぐらいのお金はあるんじゃないの?」
「ないことはない……かな。とはいえフラヴィ達に悪いだろ。俺たちが帰らないんじゃいろいろないままなんだし」
「戸棚の奥に塩はまだ残ってる。それから砂糖も。胡椒はないけど、代わりに唐辛子はある。……一日二日持つんじゃないかな」
 さすがに、ずっとあの家で生活しているジェイミーの方が、そういったことには詳しかった。
 ウィルバーだって今のところ半年滞在しているが、戸棚の奥まで気を配るようになれるにはまだ時間がかかるかもしれない。
「……どうなんだろうな。大丈夫……なのか?」
 揺らぎ始めてくる。
 先も書いたが、ウィルバーとて疲れていないわけではないのだ。そこらの喫茶店で一度腰を落ち着かせ、一個だけ角砂糖を入れたコーヒーを飲みながら蜜柑の砂糖漬けが食べたいのだ。
 うーん、と考え出したウィルバーをほったらかしにして、ジェイミーはタカタカと先に行ってしまう。
 ぶーぶー言いながらも、好奇心には勝てないあたりがまだ子供、と言ったところだろうか。ほほえましくもあるが、危なっかしくて困る。
「おい!あんま遠く行くなよー?」
「わかってるって―!」
 あの返事は知っている。子供の時、親の話を聞き流す返事にそっくりだ。
 ああいう返事をする子は、大体親、この場合は保護者の位置をなんだかんだで把握している。視界から消えない範囲でついていけば問題ないだろう。
 買い物を済ませようと、近くの八百屋に顔を出した。
「……あれ、意外と高いんだな……」
 アーネストから大分離れた町、グレイスに行ったことがあるウィルバーはそう感じた。グレイスの町は、煉瓦造りのアーネストと違い、道路は石、家は木で作られていた。そこの青果店に比べて、多少高い気がする。
 青果店の若い女店主は、客商売で培われた地獄耳で、耳ざとくその言葉を拾った。
「まあ、この町はこういう作りだからね」
「あれ、聞こえてました?……ま、そりゃ仕方ないか……この辺だったら、ワーブの辺りから持ってこないといけませんからねえ」
「詳しいねえ、お兄さん」
 ワーブ、というのはアーネストから一番近い農耕地帯の名前だ。
 段々畑で様々な野菜、果物を作っていて、それで生計を立てる――典型的な農村と言えるだろう。村、というには規模が大きく、その分回るの町も助かっているとか。アーネストもその一つなのかもしれない。
「見ての通り旅の者ですから。いろいろそういう知識はあるんですよ。この山のことぐらいはね。今日だって、ふもとに近い湖の辺りから来たんですよ」
「どう見ても賞金稼ぎか傭兵だもんね。つっても、この国に賞金首ってシステムはないから傭兵か自警団だろうけどさ」
「似たようなもんですね。実際はちょっと違いますけど……」
 間違っても反逆者ですとは言えない。
 見つかったら今度は騎士団全体で殺しに来るだろう。さすがに、騎士団長と『狂牛病』、それに『鬼が島』をいっぺんに相手取って勝つ自信はない。
 ここに、フラヴィと村の最年長である離れの親父がいるなら話は別なのだが。さすがに、体を壊して最近家から出てこない老人と、村のクソガキや老人たちの面倒を見ているフラヴィを連れてくるのは気が引ける。
「でっかい剣背負っといて違うはないだろうしねえ。ま、いいや。……ところで、なんか欲しいもんがあって寄ったんだろう?」
「ああ、そうでした。とりあえず――」
 いくつかの野菜を購入する。
 本来であれば、野菜や果物は村で作ることだってできる。が、あの村はあまり土壌がよろしくなく、繊細な植物は芽が出たら万歳、というほどである。当然、できる野菜も貧相なものが多く、こうして買い物をした方が質の良いものが手に入る。一種の贅沢だ。
 気前のいい店主は、言われた個数より二、三個多く袋に詰めてくれた。アーネストの人々の特徴でもある。リピーターが増えないか、と狙ってやっていたことが、おそらく性格的なところにまで根付いてきたのだろう。他の店でも、そうやってサービスしてくれるところが多い。
「さて。……いかん、ジェイミーの奴どこ行った…?」
 店を出れば、ちょっと店主と話し込んでいたこともあってジェイミーの姿はどこにもなかった。さっきまでそこの魚屋でおっさんと話していたはずだが……。
「居た!兄貴!」
 後ろにいた。
 どうやらジェイミーの方もウィルバーを探していたらしく、一旦こちらへ戻ってきていた。しかし、ウィルバーは八百屋の店先で若干見えづらかったため、通り過ぎてしまったというわけだ。
「おわっ!……後ろにいたのかよ。で、どうした?」
「ん!」
 手を差し伸べるジェイミー。
 このタイミングで頂戴のポーズは、何が欲しいか一発でわかる。
「ダメだ。渡して碌なことになる未来が見えない」
「なんで!?いいじゃん、ちょっとそこの――」
 指差す場所は賭博場。
「ふざけんな!あんなとこ行ってみろ、今日の宿代消えるどころじゃ済まねえぞ!?」
「あ、泊まるってのは許してくれるんだ」
「まあそのぐらいならな。でも絶対だめだぞ、ああいうところはもうちょっと世間をしって、金に余裕ができてからにしろ」
「むー……簡単そうだったんだけどな……」
 そりゃあルーレットだってブラックジャックだってやってることは単純だ。なにしろ運しか使っていないんだから。細かいことをすっとばして神様にしか頼れないゲーム。だからのめりこむ奴はのめりこむ。
「はあ……他のなら多少のお願いは聞いてやるから。もうちょっとマシなところに興味持ってくれよ……」
「じゃあアレ!」
 指を指すのは、妙に入り口を隠した建物だった。
 かろうじて見える扉にはハートマークと、『一回三万円』の文字。ちなみに、金の単位は本来違うが、日本円にして、である。
「ジェイミー、なんでお前はそうなんだよ……」
「どうした兄貴?なんでさめざめと泣いてるんだ?」
「どうしてだろうね。自分で考えようね…」
 これ以上この、知識に乏しい危険物をここにおいておくのは危険だ。
 ウィルバーは彼女の手をとって歩き出した。
 どこか適当な宿屋でもあればいいが……。

※   ※   ※

 あった。
 そう高くもなく、食事はないが設備はそれなりに整っている宿を寝床に選んだ。
「へー、こんな家にみんな住んでるのかー……」
 部屋に着くなり、「暑い!」と帽子をとったジェイミーが言う。
 あんまり帽子は取ってほしくないが、フラヴィとジェイミーでは性格も趣味も離れているので仕方ないかもしれない。知識量も世渡りの技術も段違いだし。
「みんながみんな、こういう場所とは限らないけどな。少なくとも土間に藁しいて寝てるわけじゃない。……そろそろあの村にも布団を買ってやらないとな……」
「布団……ああ、爺さんが使ってるやつか」
 爺さん、というほど爺さんではない。齢は五十後半と言ったところだろうか。十歳の少女からすれば確かに老齢だが、ウィルバーからすれば人生の先達、というぐらいである。まだ保護対象にはならない。
「藁じゃいい加減体も痛いだろう?」
「そうだね……私は何にも感じないけど、さすがにお姉ちゃんキツそうだもん」
「フラヴィ、どうかしたのか?」
「髪が絡まって痛いんだって。お姉ちゃん、私と違って髪質すんごいやわらかいもん」
 確かにふわふわとしているな、と、道中買った物を吊り棚に乗せながらウィルバーは思った。
 彼女は確かに、何かにつけてもやわらかい。態度も、口調も、髪質もそうなのだろう。他にもやわらかいところはあるが、ウィルバーは考えたこともない。
「でもこんなに早く宿に着いちまってよかったのか……?」
 外はまだ、赤の色が抜けきっていない。
 時計に目をやれば、午後六時を指していた。本来の予定であれば、もう少し――大体七時半から八時まで買い物をして帰れば、夜中には村に戻れるだろう、と思っていた。宿をとるにしても、それぐらいまでは買い物をしていてもよかったはず。
 確かにウィルバーもつかれているから、別に今宿をとって休もうというジェイミーの提案には賛成するが、その時に予定を天秤にかけられるかが彼とジェイミーの違いだろう。
「ねえねえ、飯にしようよ!」
 ジェイミーに至っては、頭をすっからかんにして欲望だけを詰め込んでいる。
 昼を食べていないから腹がすくのはわかるが、宿についてまだウィルバーは椅子に座ってすらいない。さて行くか、というにはいささか早すぎる。
 と、ウィルバーは苦言を言おうとしたが――
「―――♪」
 すさまじく上機嫌な目で見られると、過去のこともありあまり強くは言えなくなってしまう。もっとも、過去の何かがなかったとしても、ウィルバーのように腹に一物抱えた人間はああいう純粋な目に弱い。
「……わかった。何が食べたい?」
「何か!」
 本当に頭は空っぽだった。
 欲望をしこたま叩きこむのは結構だが、せめてその欲望をもう少しだけ具体的にしてほしい、とウィルバーは思う。
 そこを考えないほど、ざっくりとただ「食べたい!」としか考えないというのは羨ましくもある。小難しい理屈をすっ飛ばして、ハナから結論が出ているのだから。
 は、まあ言われた方は困る。
 何を食いたいか、というのがわからなければどの店に連れて行けばいいのかもわからない。ウィルバーはここ、アーネストはよく立ち寄る町なので、それなりにどんな店がどこにあるのかは知っているが、とりあえずなんか、というものが出てくる店は――
「あ、あるな」
 一個、思いついた。
 あの店はメニューの量が売りだから、ジェイミーの食べたいものも見つかるだろう。
「――あいつの店で、いいか」

一章・騎士団長と『棺剣』――4

 その居酒屋の店主はウィルバーの知り合いであった。居酒屋に入った瞬間も、「おや?」という顔をして受け入れてくれた。一言二言、昔馴染みのような挨拶を交わしたきりであるが、その時のウィルバーの顔は、何も知らないジェイミーから見ても楽しそうであった。
 店自体はあまり混み合っておらず、ウィルバーがデカい剣を抱えて入店しても、立てかけておけるだけのゆとりはあった。
 窓際の席で、ショートカットの金髪の女性が、作法も何もお構いなしにパンにかぶりついている。
(――もうちょっとうまく隠せよ。装飾品が豪華すぎるぞ)
 女性は、服装を見ればどこか商人の娘かもしれない。男装に近い、さっぱりとした服装だ。しかし、耳につけているイヤリングは、軽く見積もっても十数万、と言ったところだろうか。
 貴族のお忍びかもしれないが、もう少し従者は気を使ってやるべきだろう――とウィルバーは向かいに座っている、女性が貴族だとしたらお仕えの者へ目をやった。
 二本のサーベルを横に置き、こちらはウィルバーと同じように動きやすい服装だ。しかしこちらも、サーベルの柄が豪奢すぎる。
 どこかで見たことがある柄の模様だな、と思いつつも、隣の席にジェイミーと座った。
「ま、好きなの選べよ。せっかく来たんだしな」
 メニューを差だし、遠慮すんなよ、と言おうとしてやめた。言わなくても遠慮なんかしやしないだろう。
「ん~……」
 メニューをにらみ、じーっと考え出した。
 しばらく動かないだろうし、と、ウィルバーは店員にビールを頼む。当然ジェイミーが私もほしいと言ったが、デコピンで黙らせた。
 五分ほど、ジェイミーは迷っていた。
 そして。
「ねえ、兄貴――……兄貴?」
 五分後、ウィルバーは向かいの席にいるジェイミーではなく、その後ろの人物に焦点を当てていた。
 何事か、とジェイミーが振り返ると、一般的な両手剣を持ったそれなりに屈強な男だった。ガタイがいいだけで、顔立ちはそこまでむさくない。
「……?」
 大したことでもないだろう、ともう一度ウィルバーの顔を見ると。
「…ッ!?」
 あの目を見たのは、一度きりだ。
 あの時は確か、ひどく怒っていた。なら、これは?とりあえず怒っているわけではない。間違いなく。彼は怒ったのであればすぐに行動に出すタイプで、テーブルをぶん殴るなど何かアクションを起こしているだろう。何より、人を見たから怒る、なんて理不尽な性格ではない。
 何か聞かなければ、とジェイミーは子供心に考えた。単純に理由が知りたい、というのももちろんあるけれど。
「ねえ、兄貴――」
「すまん、ジェイミー」
 言葉は遮られた。
 すうっと、彼の眼からそれまでの威圧感や圧迫感が消えた。
 消えすぎて、冷ややかになっているほどだ。
「少し、席を外す」
 ウィルバーはその男のもとへ歩いて行った。――本来必要ないはずの、『棺剣』を持って。

※   ※   ※

「ひっどいなあー!」
 クレアは叫んだ。
 わざわざ書かずともわかるだろうが、クレア=ランチェスターが行きたいと言い、そしてなぜだか、彼自身なぜだか分らぬうちに許可してしまったフレデリック=シュナイダーが来ていたのもこの店だった。
 夕方、ドレスで居酒屋にいったら雰囲気を壊す、とクレアが主張したから庶民的な服にしたのだが、どうもそれが気に入っているらしく、「もう普段からこれでいいんじゃない?」などと言いだしたあたりから、フレデリックは許可したのは本当に失敗だったと思っている。
 ウィルバーが居なくなったのを見てから、クレアは猛然と立ち上がった。やはり、あそこまで馬鹿でかい剣を持っている奴に喧嘩吹っかける勇気はないようだ。フレデリックの威を借りたところで、気配が尋常でなかったあの青年とフレデリックがぶつかり合ったら店がつぶれてしまう。ぶつからずとも、あの剣を五、六回振り回せば壊れてしまいそうな店なんだし。
 大声を上げて、隣に座っているちょっと髪がパサついてはいるがかわいらしい少女を抱きしめる。遠慮なんかしない。
「まったくもー!なんで人の話を聞かないかね、君の保護者さんは!」
「ちょっとクレア……」
 フレデリックが止める間はなく、彼女は話し続ける。
 こうなってしまうとフレデリックにできることは、やれやれと肩をすくめることと、店員に酔い覚まし用の水を頼むことだけだ。
 溜息をついて席に着く――本当に、なんで行ってもいい、自分も行くなんて言ってしまったんだろう。昼間考えたことを今になって考え直しても遅いのだが、そう思わずにはいられない。もう少し、クレアがこういう性格だということを意識しておくんだった。
 そんなフレデリックの後悔をよそに、ドレスでなく動きやすいクレアはさらに動き回り、少女を撫でまわしながらやかましく話し続ける。
「なんかでっかい剣持ってたけど、彼何やってる人なの?ああ、言わなくても大体わかるよ、傭兵かなんかでしょ?大変だよねー、いつ帰ってくるかもう帰ってこないかもわからない仕事ってのは!保護者さんなのか、お兄さんなのか知らないけど、他の家族も心配するでしょう?……あ、やっぱり、そういう危険な仕事やってるのには理由があったりするのかな?だとしたらどんな理由?私、これでもいろんな方向に口出せるから――」
「止まれ俗物」
 無理やり襟首をつかんで貴族を黙らせた。あれ以上べらべらしゃべっていると、自分が貴族だ、とかこいつは騎士団長だ、とか言い出しかねない。なぜこいつはこうも自分の中のフィルターがザルなんだ。いや、もしくはフィルターと思っている者は金魚すくいのポイなのかもしれない。 
「何すんのさ!話してたのに!」
「どこが話してたんだどこが。一方的にクレアが言葉ぶつけてただけじゃないか。――ごめんね、この人こんなので」
「えーっと……」
 村から出たことがないジェイミーはこういう時なんと返せばいいのかなど知らない。
 困ったことになっている原因は、むしろフレデリックの方だ。もっとも、それで常識知らずが不問になるかと言えばそんなことはない。
 おろおろしているうちに、ウィルバーが頼んだビールが運ばれてきた。
「……おかしい。立ち話にしては長いな……」
 フレデリックのつぶやき通り、ウィルバーが席を外してから五分が経っていた。
 すでに頼んだビールからは泡が完全になくなり、小さかった水滴も垂れてくるにつれて机の上へ水たまりを作っている。
 やあやあどうもの立ち話では、ここまで待たせたりしない。おしゃべり好きならあるいは、かもしれないが、ウィルバーはそういう性格ではないし、何より一回店の外へ行く意味が分からない。ここは居酒屋、話すなら中でいいのではとフレデリックは思う。
「そんなに遠くに入ってないだろうな。……ちょっと見てくるか?」
「えー?いいんじゃない?強盗に襲われるような人でもなさそうだし」
「……そりゃあそうだろうな」
 たかが強盗に、あんな目はできないからな。
 心配させるようなことを心に仕舞い。フレデリックはクレアに水を差しだした。
「とりあえずお前は酔いを一回覚ませ。ちょっと度が過ぎる。それからそこの――済まない、名は?」
「ジェイミー、です」
「ジェイミー、あと五分戻らなかったら少し見に行ってみよう」
「あ…はい」
 と、言ってはいるが。
 ――久しぶりだ。あんな顔ができる奴は。
 注意しているのは、あの男が何かトラブルに会うことじゃない。あの男が、トラブルを起こすことだ。

※   ※   ※

 さてこちらは件のウィルバー=オーエン。
 連れ出した男は、ウィルバーと同じように堂々としていた。少し歩き、ちょっと開けた場所に出ると、道端に転がっている蜜柑箱に腰かけた。
「……」
 ウィルバーの態度は非常に冷徹だった。
 普段、ジェイミーやフラヴィといるときは、笑ったり怒鳴ったりする彼だが、今の状態はウィルバー=オーエンというより逆徒『棺剣』の方が近い。
 背に負う、棺のような刀身を持つ両刃剣。
 柄に手を置いて、ようやくウィルバーは口を開いた。
「……お久しぶりです。団長」
「そうだな。会うのも三年ぶりか」
 団長――ウィルバーがかつて籍を置いていた傭兵団の団長であった。
 ウィルバーの首を切ったのは当然この男であり、今のウィルバー=オーエンを、そして最悪の反逆者『棺剣』を生んでしまった原因もこの男であった。
 が、ウィルバーはそれの裏に誰が居たかを知っている。
 団長は恨むべき存在ではない。そう思ってはいる。思ってはいるが、しかしながら面と向かって首にされた相手を見ると、さすがに気の高まりを感じずにはいられない。
「お前が『棺剣』になってからは、あうのも初めてだな、ウィルバー。……まだ、王子を恨み続けてるのか」
「もちろんですとも」
 ウィルバーは『棺剣』にもたれかかるようにして言う。
「忘れてない。というか、忘れてたまりますか。………北方防壁挟撃作戦のことはね」
 団長の顔が曇った。
 もともとがいかつい顔だけに、普通の人に比べ度合いがきつく見える。
「アレは……王子に非があることじゃない。作戦上の問題だろう?」
「そうですかねえ………」
 わざと、ウィルバーは語尾を伸ばした。
「調べましたよ。王宮の書庫から、ゴミ捨て場の紙屑まで漁って。あの時なら、そう……アーネストを通るルートもあったはずなんだ」
「……堅実性をとった、という見方はできないのか?」
「堅実性なんてことのために一個小隊丸々捨てるのが正常ってか!?」
 ウィルバーは立ち上がり、座っていた蜜柑箱を蹴飛ばした。彼ならぬ、一目で八つ当たりとわかる行為だった。
 周りが民家で、大きな声を出してしまうと人が集まる可能性があるというのに、一切意に介さず団長に詰め寄る。眉間にはしわがより、その表情は恨みだとかなんだとか言っておきながら、いまだ新鮮な怒りそのものだ。
「だとしたらなおさら許さねえ。なおさら忘れねえ!……オスカーもハンニバルもサラも、そんなちっぽけなもんをとるために殺されたとしたら……王子を――カーク=ハイルダーを真っ二つにするまで絶対に許さん!」
 まくしたてるように言うと、それ以上団長を見ることもなくウィルバーは戻って行った。団長は溜息をついた。こうなることはわかっていたのだが、まさかああまで変わっていないとは思わなかった。
「素直なのか、強情なのか……」
 団長はやれやれと、自身もの見直すために別の店へ向かって行った。
 いかに益荒男と言えど、かつての因縁を隣に飲むことはできない

一章・騎士団長と『棺剣』――5

「ああ、やっぱり近くにいたか」
 ウィルバーが酒場に戻る途中、二本のサーベルを携えた青年が声をかけてきた。細見ではあるが、立ち姿は凛としていて、漂わせている気質も並みではない。
 ……ウィルバーは彼を知っているし、彼もウィルバーのことを知らないというわけでもない。
「連れ――それも女の子に心配をかけさせるな。貴様に自覚がなくとも、あの子、かなり気を使っていたぞ」
「……あのこ?」
「わからないのか?帽子をかぶった――」
「とってねえだろうな?」
 かぶせ気味に聞いたウィルバーに、少し青年は戸惑った。
 が、ようやく会話らしくなってきたと頬をほころばせ、
「ああ、取ってない。……一目見りゃわかるさ。傷なのか何なのか知らないけど、何かしら隠してる帽子なんだろ。あんまりにも似合ってない」
「そりゃアレは彼女の姉の物だからな……それを言うなら、あんたの身なりこそ、あんまりと言っていいほどに似合ってねえな」
「ん?」
「誰に選ばせたか知らねえけど、どこの世界に麻の服着て香水つける馬鹿が居るんだよ。それからソレ。柄ぐらいスペアを用意しとけ。フレデリック=シュナイダー」
「……おおっと。案外さっぱりバレるものだ」
「隠す気を感じさせないぐらいずぼらな変装なもんだから、気が付かなくてもいいところに気が付くんだよ。……ま、俺も身分隠してる身だからある程度は察せるけどな」
「……身分を隠す人間は二種類。貴族か、はたまた……」
「それ以上はなし。実際当たってるんだろうけど、連れが居るところでドンパチやって楽しい奴なんかいやしねえよ」
「おや、お前の変装は実に見事だな、正体の見当すらつきやしない」
「そっちこそ」
 話すうち、酒場に着いた。
 まだ中の照明は落ちておらず、窓際では男装に近い服装をした金髪の女性が、帽子をしっかりと押さえて離さない少女をいじりまわしている。
 またその向かいの席では、一目で狩人とわかるいでたちの大男が木のジョッキを一息であけ、仲間の男たちが囃し立てていた。カウンターで一人で飲んでいる男はチーズをもくもくと平らげて、隣の男は多分に酔いが回ったのか無視されてるとも知らずその男にしつこく話しかけている。
「にぎやかなもんだ」
「全く」
 彼はこの風景を守るために戦っている。
 戦えぬ人々の盾となり、戦える人々を先導し、手が届くなら一人として見捨てず、重みに耐えられぬなら仲間に頼り、最後までこの風景を、一切変えずに保つため。
 反対に彼は、この風景を壊すために戦っているのだろうか?
 答えはいなだ。
 彼の目的はあくまで――自分に罪をなすりつけ、今もなおのうのうと優雅かつ不自由のない生活を送っている深窓のクソ野郎をぶちのめすことだけだ。
 酒場で飲み明かす陽気なおっさんや、近所の花売りの少女などを敵とみなしたことは一度としてない。それは守る存在であると、暴君、暗君より守るものであると考えている。その点でフレデリック=シュナイダーとは共通意思であると言えなくもない。
 しかし、彼らが交わることはないだろう。
 たとえ彼らの根幹が同じであったとして、たとえ彼らの思考という線が似通ったものだとして、不等号の形に広がった彼らの道筋は決して交わらない。
 いや……あるところでは、極端に近づくのかもしれない。
 ――共通の敵という楔が出てきてくれれば。

二章・緩やかに、平穏に。しかし確かに。――1

 とある日の夜。フレデリックの部屋に、もう一人だけ人が居た。普段から居ついているクレア=ランチェスターではない客人というのは、フレデリックにとって非常に珍しい。会いにに行くことはあれど、会いに来る人はいない。典型的なボッチである。
 が、残念なことにそこにいる人間だって、遠方より尋ね来る友人などではなく、単なる部下であった。もとより友人が遠方にいないフレデリックではあるが。
「それで、ルキアノス。パーティー会場の情報というのはもう入ってきてるんですよね?できれば今日もしくは明日に確認したいのですが」
「ええ。こちらに」
「さすがに用意がいいですねえ」
 部屋全体に染みわたるような声とともに、部下のルキアノス=アンドロニカスが差し出した羊皮紙には、きっちりと定規で引かれた線で見取り図がえがかれていた。
 ここに机を、ここに台を、といった簡単な図でしかないが、必要最低限のことは欠いてあった。王子主催のパーティーで、警護だけならばこの程度の情報で十分だろう。
 しかし、そんなことならわざわざ腹心といってもいいルキアノスに頼むほどのことではない。仮にも、ひとたび戦場に出れば『一人城塞』と異名をとるルキアノスにそんな事務仕事をさせるほど今は暇ではない。
 調べてもらったことは、もう一つあった。
「――五年前から三年前までの、大きな出来事で気になることは?」
 一昨日の夜。
 フレデリックにとっても重要な出来事があった。
 あの男の正体は、彼自身が言っていたことではないので定かではない。むしろ、あの男との会話はその後にクレアが幼女を誘拐しようとしやがったせいで大体頭から吹っ飛んでいる。しかし、彼があの場に居たということそれ自体が、フレデリックにとって重要なのだ。
 いればそこが戦場になるとさえ言われる反乱分子――『棺剣』がそこに居るということが重要なのだ。
 半年前から大人しかった『棺剣』が、今このタイミングで動き出している(実際はただの買い物だが)。この王子主催のパーティーは、今まで以上に警戒する必要があるだろう。できるならば、こちらの主戦力であるローデリッヒとマーガレット、それにここにいるルキアノス=アンドロニカスの全員を動かしたい。
 もっとも、ルキアノスの戦闘スタイルはこういった室内向きとは言えないけれど、それでも防戦において彼ほど役に立つ人間はいない。マーガレットもそうだし、ローデリッヒは特にであるが、基本的に騎士団の連中は攻めばかり考えて守りを考えた訓練をほとんど行っていない。そのせいで、五年前他国との軍事衝突が起こったときは傭兵団を招集する羽目になった。
 そんな意味で、護衛という任務はほとほと苦手な騎士団ではあるが、少人数なら防戦向きの連中を集められるだろう。
 ――防戦向き、の連中で役に立つのかどうかはわからない。
 一刻も早く、『棺剣』の正体を突き止めて対策を講じない限り、もし攻められたらあっという間に王子の心臓は止まるだろう。
 そのことを、ルキアノスは調べてほしいと言われたことから察していた。三年前と言えば『棺剣』の出現し始めたあたりだし、そこから少し遡って五年前というのなら、大方調べていることは『棺剣』の出自についてだろうと判断できる。
「……二つほど。気になる事案が」
「さすがです、ルキアノス。……二つ、ということは手当り次第かっさらったというわけでもなさそうですが……」
「王子の関連に絞りました。近しい催しから考えて。また……」
 ルキアノスは言葉を切った。
 非常に言いにくそうに、蝋燭の火を眺めている。眺めていたって変わるものでもないのだろうがバツが悪そうというか、できるなら隠しておきたいと言いたげであった。
 そんな部下に言うことを促すように、歳下の上司は言った。
「構いやしません。最悪、王子よりは私の方が権力を持っていますから」
「ですが……フレデリック、あなたと王子は――」
「構いません。仕事と私事は分けますから。それに、その幼馴染を守るために、今その情報が必要なのですよ。調べてくれた部下を叱り飛ばすほど、私は鬼畜ではありません」
 はは、と笑うフレデリック。
 普段、彼は仕事の話をこうしておどけて見せることは珍しく、その理由としては彼の性格を言い表すならば完璧主義者に当たり、こんな不確定に他者を貶める発言はしたくないのだ。
 しかし。フレデリックがこういうということは。
「……左様ですか。では……」
 ルキアノスは言った。
「まずはじめに、根本的なところから。……彼らが王子の関連者であることは、もはや疑いようがないかと」
「……彼ら?」
 複数形が気にかかった。
 調べてほしい、といったのはあくまで『棺剣』のことについてであり、他の連中を調べろと言った覚えはない。そりゃあ、本当の意味で優秀であるルキアノスであれば察して先回りということもあるのかもしれないが、何にも考えていなかったのだからそれもないだろう。
 うーん、と小首をかしげたフレデリックに、ルキアノスは二枚の紙を手に入れた。一枚は、調べてほしいと言った『棺剣』関連の資料。
 そしてもう一枚。
「―――なるほど……!」
 フレデリックは思わずうなった。
 正直最悪だ。
 もしこの二人が同時に仕掛けてきたのだとしたら――考えたくない。彼ら二人が好き勝手暴れるわけではなく、それを迎撃すべくフレデリックを筆頭にローデリッヒ、マーガレット、そしてルキアノスという実力者が狭い室内で大立ち回りを演じることになる。
 建物自体がつぶれたっておかしくない。
 一人一人が軍隊級の強さなのだから。
 ルキアノスは言った。
「猶予は、あまりなさそうです」
 ちらり、とフレデリックは黙ったまま目線を上げた。
 口元は悔しそうである。
「正直なところ、私は次代の為政者として王子を信頼したいのですが……いえ、ここまでくるとそうも言ってられなくなりますね」
「全くです」
 ぱさり、と机に書類を放り投げる。
 考え事をしている風の顔ではあるが、実のところ彼は諦めかけていた。色々なことが起こっているが、さてどうすると言われるとどうしたってしょうがないと思い始めた。
 相手側にも言えることだが、両者つかんでいる情報が少なすぎる。
 ――もう、ほとんどじゃんけんだ。
 溜息が出るのも、仕方なかった。

二章・緩やかに、平穏に。しかし確かに。――2

 翌日。
 ルキアノスは騎士団の仕事を他に任せて町へ出ていた。サボっているわけではなく、フレデリックから依頼されたことを果たすにはまず城下町での聞き込みが必須であったためである。
 人と話すことはあまり得意ではないルキアノスであるが、だからといって「嫌です」とはいえなかった。
(どうしたものでしょうね……)
 王子の行ったこと。
 一つはそうでもないが、もう一つはかなり民衆側に根差したものだった。だったら、町の住民たちに話をきいてきた方がよいだろう。とフレデリックは判断した。
 本来であれば、民衆にある程度知られていて、さらには初対面とも話せるあけっぴろげな性格をしたマーガレットあたりが適役なのだろうが、彼女にはもう一つ別方面から調べている。その結果は一日二日で出るものではなく、できれば手元で雑用等も任せたルキアノスはこうして日帰りでできるものへ出てきていた。
 ルキアノスは、心の中だけで愚痴を垂れ流しながら、城下町――というより、一番話を聞く場としてふさわしい町、アーネストにやってきていた。
 飲む場所もできれば落ち着いたバーがいい、というルキアノスには雑多なこの町の雰囲気は合わないが、朝、商店がエンジンをかけ始めたあたりの静かな時間は、煉瓦造りの町と冬の澄んだ空気の組み合わせは非常に美しい。
 いつもこうならいいのに、と思いながら、ルキアノスはアーネスト商店街の出口近辺に向かっていた。商店街のを出てしまうと、それ以降は森が広がっているため、そのあたりで情報収集をしようかと考えていた。
 しかし、アーネストの人々は騎士団に対しあまりいい印象を持っていないと聞いていた。
(人当たりがよさそうな人、っていうとどんな人なんでしょうね)
 きょろきょろと見渡しながら進んでいく、この国を守る制服を着た青年はそれなりに威圧感を放っていたことだろう。
 出口にほど近い八百屋の女店主が、ルキアノスに声をかけた。
「――いつまでもうろつかれると、こっちも商売しづらいんですけどね」
「おおっと……これは申し訳ない。怪しい者じゃない……ってのはわかってもらえますよね?」
「変な言い方だけど、ま、その制服なら」
 あきれ顔の女店主は、「とりあえず、その辺うろちょろされても邪魔だから」と自分の店へ引っ張っていった。
 店先に椅子を一個持ってくると、そこへルキアノスを掛けさせる。
「おやおや?私が何したいのかわかってます?もしかして」
「そうでもなきゃこんな僻地に騎士団様がくる用事もないだろう?」
「まあ……そうなんですけど」
 僻地というほど僻地でもない気がする。
 ルキアノスの生まれ故郷なんか役所しかレンガ造りの建物はなかったし。
「聞き込みでしてね。とりあえず……」
 ごそごそ、とルキアノスは懐をあさった。
 若干しわの寄った羊皮紙を取り出すと、そこに書かれた文言がしっかりと女店主に見えるように掲げる。
「――これ、わかります?」
 女店主は、二秒ほど、呆けているのか、はたまた同じ字で呆れているのかわからない表情で羊皮紙を見ていた。
 しかし、三秒たてば、嫌そうな顔を作っていた。といっても、その嫌そうな顔というのはそれを突き出したルキアノスに対してではなく、その文言そのものに対してである。アーネストの人々にとってあまりいい思いのするものではなかった。
「……『差別対象隔離法案』。こんなもん、今更なんなのさ」
 女店主の声は、聞くからに不機嫌である。
 ルキアノスだってこの法案を見せつけるのにいい思いはしない。
 ――『差別対象隔離法案』。
 王子の行った政治と言える政治において、もっとも大きな改変であり、同時にもっとも巨大な汚点でもある。ある側面からは良法といわれるが、大多数からは悪法もしくは意味のない法として認知されていた。
 内容はこうだ。
『巷には差別と称する、集団による集団に対する虐待行為が頻発しているという報告がある。またその行為はとどまることをしらず、拡散の兆しすら見えているとのことである。
 現状は好ましい者とは言えない。
 よって、以下の条文を規定し、差別対象者の安全確保に努める所存である。
 ・差別対象者の、現住所よりの転移。
 ・差別対象者への干渉の禁止。
 以上の事柄を守り、今後の差別縮小を期待するものである』
 これだけで、本末転倒とわかる法であった。
 差別される人たちがいるらしく、それはあまりよくないことであるという最初の三行まではまだ、常識の元成り立った法と言えるが、その抑制手段があんまりである。
 虐待――暴力もしくは無視等の精神的暴力による苦痛を与える行為を指す言葉。それを受けている人が居るのであれば、その人たちをどこかへ移してしまおう。
 罰するのではなく、回避するという発想。
 それ自体は全く悪いことではないが、しかしここまで極端なものは、実質放り出しに近い。「あとのことは知らないけど、一応措置はしたからね」と言いたげなほど、いい加減で投げやりな法である。
 女性店主はそのあたりをよくわかっていたらしい。
 ルキアノスに言う時の声も、ハスキーというよりも低いと言い表したくなる声色で問い詰めるように話していた。
 そんな、ある種の威を感じさせる女店主に、ルキアノスは言った。
「……これ関連で、最近少々厄介な事案が出ましてね」
「厄介な事案?」
「これ以降は結構秘匿だなんだとうるさいんですよねえ……ま、ともかく、この法が出てからの、アーネストの変わったところっていうのを、今一度確認したくて参ったわけですよ」
 ルキアノスは、わざと冗談めかしたような口調で言った。
 あたかも、「自分は言われて来た」と聞こえるように言った。
 女店主は、さすがに客商売でそのあたりは看破しているようだが、それと同時にルキアノスの裏の腹まで看破したようで、その態度を咎めることはしなかった。
 ただ、おかげでまともに相手するつもりも多少ながら無くなったようで、店先の林檎を朝食に一個とりながら話を聞いていた。
 ぐしゃり、とレディには似つかわしくない丸かじりで林檎を食べながら女性は言う。
「変わったこと、ねえ……五年もたてばいろんなことが変わるるさ」
「そりゃそうでしょうねえ」
 ルキアノスは崩れた煉瓦のかけらを蹴飛ばした。
「当然ですけど、そんな答えじゃ帰れませんよ?」
「んー……そうだなあ……」
 女店主は、もはや聞き込みの応対ではなく世間話の対応として話に参加していた。
 もっとも、ルキアノスの態度もあまり真面目とは言えず、そういう意味ではどっこいなのかもしれない。
「……ああ、そう言えばあいつらが消えたな」
「あいつら?」
「要は差別主義者さ。昔はアーネストに結構いたんだよ――差別される側も多く居たからね。ところが、当然だけどその法案がでてからぱったりいなくなった。おおかた、彼らが言った先に喧嘩なりちょっかいなり、手出しするつもりなんだろうねえ」
「出て行った先?」
「詳しいことは知らないよ。少なくともアーネストの隣の森は超えるんじゃないかな。……そう言えば」
 女店主は林檎をかじるのを停止した。
 ルキアノスに向きなおり、若干真面目な表情で言う。
「――この前、そっちの方からきたっていう傭兵っぽい奴と幼女は見かけたな」
「傭兵と幼女?」
「ああ。ずーっと下の湖の辺りから来たって言ってたよ」
 下、というのは山の下、つまりふもとの辺りと見てまず間違いないだろう。
 ルキアノスは言った。
「……場所は、わかりますか?」
「んー、噂程度なら、湖のことはわかるかな」
「お願いします」
 話を聞いたが、結局のところ「下。ずーっと下」ということしかわからなかった。もっとも、噂程度だと女店主が言っていたのでルキアノス自身そう期待してはいなかったが。
「――ありがとうございました」
「いいってことですよ。ところで――」
 女店主は悪い笑みを作った。
「……八百屋に来て持って帰るものが情報だけってわけは……ないでしょうね?」

等身大、反逆物語

まだもうちょっとだけ続くんじゃ

等身大、反逆物語

昔々、あるところで。 その王国に、今一人の反逆者が出現した。 そして、同じくそれを止める者も。 正義は秩序か、はたまた憎悪か。 決して交わらない二人の青年が繰り広げる、国を巡った戦いの伝奇。 ※まだ終わってません。途中までです。随時更新します

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-02

CC BY
原著作者の表示の条件で、作品の改変や二次創作などの自由な利用を許可します。

CC BY
  1. 序章・彼ら二人とその周り
  2. 一章・騎士団長と『棺剣』――1
  3. 一章・騎士団長と『棺剣』――2
  4. 一章・騎士団長と『棺剣』――3
  5. 一章・騎士団長と『棺剣』――4
  6. 一章・騎士団長と『棺剣』――5
  7. 二章・緩やかに、平穏に。しかし確かに。――1
  8. 二章・緩やかに、平穏に。しかし確かに。――2