*星空文庫

降っても晴れても

玉置こさめ 作

  1. 1
  2. 2

1

灰色のコンクリートに埋まっている。
何もかも、灰色か青だ。それだけだ。
河からその湾へ出る遊覧汽船。
今日も客は少なく晴れた空は遠い。
二階建ての船の望遠席の長椅子に寝転がっても、ガイドの琴音を責める客はいない、
耳に風の音。それから海の音。
果てしなく逃れようもないほどに青く見える空。
空も海も。
すべてが真っ青だ。
それでも、灰色の町よりは少しはましだと考えて就いた仕事だった。
船を操舵する嬢船員が一人。ガイドが一人。
客はいない。
目を閉ざす。
「ヒマねえ…」
呟きを聞き取る人もいない。
コースを四往復して18時には終業となる。
事務所に戻り、書類を提出したら着替えて外へ。
そのまま電車に揺られて家に戻ろうか。
それとも赤や橙の明るい街に出ようか。
選択肢はふたつ。
そうだとしても、どちらも自由とはかけ離れている。
青い空が夜に暮れても、また明ければ追いかけてくる退屈。
明るい街に出れば馴染みの顔が揃っている。
けれど、それすらも自由にしてくれるものではない。



事務所の応接室のソファの上で、船の操舵者が疲れて寝こけていることはたまにある。
そこに今日はタンクトップにジーンズの女が寝そべっているので、担ぎこまれた船酔いの客かと思った。けれど、事務員は素っ気無くそれを示して琴音に、新人だ、と告げた。
「新しい人、ですか…」
「そう、今日から入った」
「それで船酔いしたの?」
「緊張で貧血だそうだ」
「はあ…」
出入りが多い職場ではないが、この職には向き不向きがある。
続く者は続くが早い者は数ヶ月でやめていく。
羽村あみという名だと、書類を見ながら事務員は言った。
ちらりと顔をあげてこちらを見た。
利発な眼差しだった。けれど、だるそうな態度だ。
目があう。
覚えがあった。
彼女は。
明るい街で見たことがある。
「それでな、OJTを任せるから」
「はあ…」
「一週間でいい。よろしくな」
「え?」
彼女の簡単なプロフィールやマニュアルの小冊子を手渡された。
「わ、私が?」
「君ももう二年目だろ」
確かにそうだ。
けれどこんなにいきなり任されても困る。
貧血を起こすような手合いだから、もう見切られているのかもしれない。
「先輩すか…」
ゆらっと陽炎が立ち上るように腰を上げた。
「秋川琴音です」
背筋を伸ばしてそう告げる。
「羽村あみです。よろしくお願いします」
深々と頭を下げたけれど、すぐによろけた。
その肘のあたりを掴んだ。
「大丈夫? まだ休んでていいよ。でも10時になったら支度して」
「ありがとうございます…」
再び寝そべったので、琴音は吐息した。




「え、今日は出ないんですか?」
「午後は出るわよ。でも午前中は船の掃除」
事務所の奥のロッカーから掃除用具をどんどん出して、あみに持たせる。
「運がいいわね。そんなに緊張してたら仕事にならないでしょ」
「あい」
デッキブラシを突きつけるように差し出すと、へらへらしながら受け取る。
ここはごめんなさいとか、お気遣いありがとうと言ってくれなくては困る。
けれど、そんな気概は一切ないようだった。
バケツに水をためて船尾へ運ぶ。
床にブラシを当てて、無心にこする。
ちらりと背後を見ると、私服のままあみは掃除を始めようとする。
「羽村さん、服が汚れるから。着替えてらっしゃい」
「え、でも…制服がまだ」
「…まだ、ないの?」
「サイズが合うのがないらしくって。OJTの間は私服でいいって」
呆れた。けれど、この長身ならそういうこともあるだろう。
確かにそびえる山のような背丈なのだ。
「そう」
背を向けて再び床に向き合う。
何だか調子が狂う。余計なことは話さないのに、やけに愛想がいい。
互いに背を向けあったままだが、琴音はついに問いを発した。
「ねえ、羽村さん」
「はい」
「休みの日は何を?」
「……秘密です」
琴音はむっとした。
「なあぜ?」
思わず振り向くと、あみは手をとめてこちらを見ていた。笑っている。
「先輩は?」
「…いいわ。腹わって話しましょう。私はあなたを知ってる。あなたも私を知っている。けど! 互いに秘密にしたい。そうでしょう?」
「そうですね」
「このことは互いに干渉しない。互いの生活も…というのはどう?」
「けれどお互いについて何も知らないのも却って不便ですよ」
「まあ…確かにそうかもしれないけど」
秋川琴音は年上の恋人がいると明かした。
羽村あみはフリーだが満喫していると打ち明ける。
更に琴音は付け加えた。
「私ね、職場恋愛は絶対にしないと決めているの」
それを聞くとあみは苦く微笑する。そうですかとも、それは困るとも言わない。
「ちょっと…何が可笑しいの?」
「だって、そんなの。先輩。恋人がいると仰るなら、そんな言い草しなくたって…」
「わかってるならいい。笑うことないでしょ」
「じゃあ、私も言いますけど、私は恋愛するときは場所にこだわらない人間です」
やけに真剣な透徹した瞳に射抜かれる。
束の間、琴音はかえす言葉を失う。
「先輩には迷惑かけませんよ」
「あ…あたりまえでしょ」
くるりと背を向けて、掃除に戻る。背中にまだ視線が留め置かれているのを感じた。
けれど、その話題はもうそれきりになった。

2

「ヨーグルトハウスです。おはようございまーす」
「はーい」
青空に響く呼びかけに応じて琴音は乗船場に出て行く。
ストライプの柄の制服にキャップを被った三つ編みの少女だ。
キャップを持ち上げて爽やかな笑みを浮かべる。
「おはようございます! 失礼しますねー」
「段差気をつけてください」
「大丈夫です!」
大きな台車を押していて段ボールが積まれているが安定した運び方で彼女は船内に荷を運んだ。
バーカウンター脇には冷蔵ケース入りのヨーグルトが並んでおりその在庫をチェックして不足分を補充する。
この船の乗客たちのおやつになる乳製品の業者だった。
とはいえまだ若い。高校生くらいだろうと琴音は踏んでいる。
丁寧に点検をしている少女から離れて何気なく上を向いた琴音は顔をひきつらせた。
阿美がまるで野犬のような眼差しで屋上デッキから下を覗き込んでいたからだ。
大きく息を吐いて足音を鳴らしてそちらへ昇る。
悪びれずに阿美が聞いてきた。
「センパイ、あれは?」
「…あんたねえ。あれはヨーグルトのバイトちゃんよ」
「かわいくないですか?」
「職場ではよしなさいよ」
「互いに干渉しない! 約束でしょう?」
「あ、ちょっと…!」
言うが早いか阿美は階段を駆け下りていく。
今にも去ろうとしていた少女に話しかけ、ワゴンを運ぶのを上手に手伝う。
「あー、もう…」
琴音は身を乗り出して乗船場を歩いていく二人を見下ろした。
何をどう話したのか出会って五分かそこらの彼女らがお互いにスマートフォンを取り出すのを見た。
「……」
琴音は眉間に皺を寄せる。
連絡先を教えあう二人を眺める。
「…っていうか勤務中のスマホは禁止だっつってんのに、あの馬鹿」
少女が立ち去った後、こちらを見上げて誇らしげに笑う自覚の足りない後輩を琴音は睨みつけた。

「最近どう? 仕事」
「んん?」
レズビアンのための時間を設けているその店の片隅で、琴音は向かいの恋人に返事する。
恋人の名は橘伊吹という。眼鏡の似合う知的な美人だ。知り合ったのはこの店だった。
「順調よ」
「そう?」
軽く笑うので琴音はむっとした。
順調だとは実際言いがたいのだし、今の笑いは明らかに見抜かれていた気がする。
「ねえ、伊吹。もし同じ職場に同じ性癖の子があらわれたらどうする?」
「そんな人が入ったの?」
「まあね。驚いたけど」
「心配よ。あんたがかわいいから」
「……そういう話じゃなくってさあ…あたしたち同僚にバレるのが何より怖いはずなのにその子はまるで平気そうなの! 人の目を気にしないのよ!」
「気になるの?」
伊吹の眼差しがちかりと刺すように琴音を見た。
「違うわ」
嫉妬の光だ。
「……」
「違うわよ?」
「ふうーん…まあいいけど」
「ちょっと! 新人の迷惑かけられて困っているっていうのにどうして伊吹とまで雰囲気悪くならなきゃいけないの?」
頬を膨らませると伊吹は笑った。
「確かにそうかもね」
「絶対そういうんじゃないよ。今日だって出入りの業者の子に声かけてたんだからね」
「そう」
素っ気無い返事だが伊吹はそれで安堵した。



(つづく)

『降っても晴れても』

『降っても晴れても』 玉置こさめ 作

船乗りの百合です。四角関係。そんなに長い話じゃないです。 だらだら綴ります。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2015-06-30
Copyrighted

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。