それぞれが旅立つ話

1.
ぼくは今日も飛ぶ練習をする。

最寄りの駅の、といってもとっくに廃駅の、そこから徒歩約5分。 近道で2分。 病院からは20分。
建設途中で放置されたビルの2階。 屋上はこわい。 でも2階もこわい。

飛ぼうか飛ぶまいか、頭ひとつぶんで押し問答を始めてから随分経った。 そうだ、ぼくは今まで飛ばなかったことはないじゃないか。 迷う必要なんかどこにもありはしないな。
と、必ずこの結論に至っては、助走をつけて、跳ぶのだが、眼下のゴミ山にぼふんと落ちる。 今日もぼくは飛べませんでした。 羽があればいいのに。

「羽があるだけじゃあ人は飛べないよ、前にも言ったろう」
ヒカワがつまらな気に呟く。 どうやら言葉が漏れていたようだ。 ゆるい口だ。
「忘れちゃった。 他になにがいるの」
「確か、一般男性だと胸筋が2m...いや、1.5だったかな」
「なにそれ。信じられない」
言葉通りの疑いの目を向けると彼は顔をしかめて言う。
「小耳に挟んだ話。あってるかどうかなんて知らないよ」
前にも言ったのではなかったのか。 口を聞いてもらえなくなりそうなので言わない。

「ねえ、お腹空かない?」
なんて様子を伺うと、
「そうだね、そろそろ暗くなるし霧の時間だ。帰ろう」
ぼくは歩きだすことで肯定を返す。
車椅子を押しながら、身体の調子をたずねる。
「このところ調子いいよ。先生のおかげだ」
「義足、はやく使えるようになるといいね」
「...僕のことを押すのがそんなに嫌なのか?」
フキゲンだ。
「君と手を繋いで歩きたいんだよ」
ゴキゲンだろう。
「ばか」
違った。

2.
「ただいま」
ヒカワが通る声で言う
ぼくも続いて「ただいま」と放った後、急いで靴を脱いでヒカワの前に立ち
「おかえりなさい」
まじまじと見つめる。
「...おかえり」
言った後に小さな声で、よくもまあいつもいつもこんなこと とか、恥ずかしげもなく言えるんだ とか。
毎日しているわけではないので彼は間違えてる。 恥ずかしいのは、恥ずかしいが。

「先生ー、ただいまってばー」
わざと大きな声を出して誤魔化してみる。
「またなにか研究してるんじゃないの」
「ちゃんとご飯食べてるのかな、もう」
ボロボロになった廊下でヒカワを押しながら進む。くすんだ窓ガラスの向こうには青白い霧がたちこめている。
瓦礫をよけて重い扉を開ける。もう車椅子を押しながらでももたつくことはない。
先生、とヒカワが呟く。
「ん、ああ、ああ帰ってきてたのか」
ナガシノさんはいつもこんな感じだ。

「遠くまで行ってないだろうなあ、ちゃんとご飯は食べたのか」
慌ただしくなにかを片づけながら問いかける。
「先生こそちゃんとたべたの」なんて聞くと
「先生じゃなくて博士だ、いいかげん覚えろ」
怒られた矢先に、
「おい、アカイ!義手を見せろ!」
とさらに怒られそうなことになる。
しぶしぶ腕をさしだす。
「アカイ、また飛ぼうとしたな。両腕以外も失いたいのかお前は。」
「でも――」
「でもじゃない。これ以上心配させないでくれ。その腕だってまだ完全じゃないんだ。ヒカワの脚だってなんとかしてやらなきゃいけない」
「だけど――」
「だめだアカイ、だめなんだ。当分外に出るな」

なんてことだ、こんなガラクタ以外何もない部屋で毎日を過ごせというのか。
「外は霧だよ、どのみち出られるわけじゃないさ」
ヒカワがぼそぼそと耳打ちする。
たまには本でも読んでみるか。

3.
我慢ならなかった。
結末を知っている本を読むのは苦痛ではない。違った視点で読むことで気づくこともある。そういう楽しさもある。
ただ、飛びたくなった。人間、欲求がたまり続けるといいことはない。はずだ。
我慢ならなかった。

ぼくはヒカワを連れて廃ビルへ来ていた。博士は寝ているはずだ。起きてもまた研究に取り掛かるだろう。
「止めないぼくも悪いけどさ、ばれたらどうするつもりだよ」
知らない。そんなのどうでもいい。ぼくは飛ばなきゃいけないんだ。
そのまま崩れた階段を登ろうとしたとき、不意に音が聞こえて。
「ぼくも連れて行けよ」
彼は無理やりに立っていた。
「...そうだな、わかった」
何か言える立場ではないことは重々承知しているし、なにより長い間立たせるわけにはいかない。
ヒカワを背負う形になっても軽々と上へすすむことができるのは博士の義手のおかげだ。
たしかに、博士はすごい。だがどうしても思慮が足りないのだ。自分にも周りにも。彼の信念は彼の今にしかないのだろう。
歩みを止めることなく屋上へと向かう。すでに霧なのだ。どこまで高くにいこうとも結果は変わらない。
ヒカワは無言だ。

鉄筋がむき出しの壁には32階の文字が見える。
これ以上登れる階段もないし、上に広がるのは無機質な空なのでここが屋上になる。
最早下は見えない。霧のせいかそれとも高さのせいなのかは分からない。
ここに来たこと自体今回が初めてだ。景色はほとんど変わらないが。
「飛ぶためには助走だって必要だ。そのための道が空中なんだよ、ぼくの場合」
「鳥が飛ぶときは助走なんてしないそうだけど」
「じゃあヒカワは鳥なんてのを見たことがあるのか。その頭で。その目で」
「ない。ならどうやって君を止めればいいんだ。ぼくがここに来た意味はなんだ。君はなんでついてきたと思ってるんだ」
全く考えていなかった。
「全く考えていなかった」
飛ぶことしか頭になかった。
「飛ぶことしか、頭になかった」
思いついたままの言葉を言う。
会話らしい会話でもなかったが、それは沈黙にかわる。
そうだな、思えば彼は今までなぜついてきたのだろうか。
ぼくが連れてきたような気もする。彼が歩いてきたような気もする。ない足で。

どれくらい時間がたっただろうか。
霧は予定よりかなり早く晴れた。地面が見えることで明らかだ。
「ぼくが先に飛ぶ、いいな」
急にヒカワが口を開く。目を移したのがいけなかったか、よりにもよってヒカワが、飛べるはずなんてないのに。
唖然としていると、彼は無理やり立ち上がり、縁から、飛んだ。
なんか、もう、どうでもよくなった。

4.
あれから博士はおかしくなった。
もしかしたらこれが普通で、ヒカワがいるときがおかしかったのかもしれない。
もう先生なんて呼べない。

「腕を代える、準備が終わり次第呼ぶからこい」
たしかそんな感じのことを言われた。この腕も もういらないものになってしまうのだろうか。
博士はまだ呼ばない。
本もつまらないし、寝てしまおうか。

気づいたら、目の前に博士がいた。そうか、そういえば腕を代えるんだったな。
「ごめん博士、ちょっと寝ちゃって――」
「いや、もう終わった」
思わず は、と声が出る。
「お前が寝るまで待っていたんだ。どうせ話せば嫌がるだろうからな」
「前の義手も相当へたっていたからな、なに、ついでだ」
「もともと義足として開発していたが問題ない。そもそも四肢のつくりはとても似ているんだ」
「今のお前の義手は前物と比べて格段に良い。なんせ技術も素材も理論も進歩に進歩を重ねていたからな」
あとは、なんだったかな、覚えてない。

結局、ぼくは博士にとってのヒカワの代わりでしかないのだ。
そんなつもりはなかった。代わる覚悟もなかった。
ぼくはぼくでありたい。博士はそうさせない。
させてくれない。
それまでよりも、ぼくは部屋にこもるようになった。
やはりこの腕はヒカワの足だ。どうしてもそこにヒカワを感じてしまう。
彼に、呑み込まれそうになってしまう。
本もつまらないし、寝てしまおうか。

5.
懐かしい夢をみた。
まだヒカワに足があって、ぼくにも腕があったころだ。
まだ霧なんてものはなくて、掃き溜めみたいなところだったけど、青空が見れる場所だったころだ。
まだ博士でも、先生でもなく、ナガシノさんだったころだ。
ふわりふわりとした 楽しいような 嬉しいような 不思議な感覚だった。
そうやってふわふわしたまま、次第に二人は遠ざかっていって あとはずっと太陽を見ていた。
大きな太陽だった。
決して熱くなくて、とても心地が良くて、いつまでもそこにいた。
大きな太陽だった。

その太陽にだんだんと目を焼きつぶされるように暗くなっていって。
仕方なく目を開けるとずいぶんと様変わりしていた。いや、昔に戻ったというべきか。
あの瓦礫どもはいったいどこへ消えた。まだ夢でも見ているのか。
そもそもここは本当に自分の――
「お目覚めかい」
ぱっと声のしたほうへと顔を向ける。
驚きはやまない。
声の主を見ると 夕焼けをくすませたような髪色がゆら と揺れ、青い青い目がどうかしたのかとでも言わんばかりの視線を投げる。
だがそいつは人らしい人の原型はあるが、ちょうど前頭のあたりから2本の触覚とでもいうべきものが生えている。
耳は短いながらも先端がとがっていて、まるでローエルフ族だ。
その体の後ろにはうっすらと見える4枚の羽。いつか図鑑で見た虫の羽根に似ている。
これじゃあ。
「...魔物じゃないか」
口から思わず心が出る。するとその珍妙な生き物は はぁ、とため息を吐き。
「おいおい、ぼくをそんじょそこらの魔物と一緒にしないでくれる。人語を介して喋れる時点でわかってよねー」
余計に、分からない。
「そもそもこの部屋を寸分違わず元通りにしたのは誰だと思ってるのさー。大変だったんだから」
「とーにーかーくー、アカイ。ぼくはちゃっちゃと仕事に移りたいんだけどー」
なんだ。なにがどうなってるんだ。
なぜ名前を知っている。
「あなたは、一体、誰」
精一杯刺激しないようにして、はっきりと、声に出したつもりが。
途端にそいつは頭を抱え、そこからかー...と落胆している。
なんなんだ。
「だから、あなたは――」
「ぼくはシナノ。この夏の世界の魔王」

6.
不満だ。
寝起きの頭にわけのわからないことを連続で叩き込まれて、ぼくの脳回路はショートしそうだ。
魔王だって。そもそもここは魔界だったのか。もっとおどろおどろしいところじゃないのか。
知らないことが多すぎる。まず規模が大きい。ぼくは提案しなければならなかった。
「頼むから、ぼく、わたしの身近なところから 何があったのか詳しく聞かせてほしい、です」
「慣れないならそんな口調やめてくれ。えーとまず、この部屋はぼくが時間をかけて元に戻した。君にとって一番落ち着くであろう場所だからだ」
「直した理由になっていないのはわかる。ここはあとで説明する。次にだな、君自身についてだが、君はもう魔物だ」

訳が分からないのは変わらなかったが、いまは聞き続けるほかになかった。
「どうか落ち着いてほしいけど。君の記憶ではここには霧があっただろうと思うのだけれども。まあ噛み砕いて言えば、その霧は瘴気だ」
「瘴気を体内にとどめすぎてしまうといずれ欲求にのまれ我を失い、魔界の一部、いや魔界とは限らないがここは魔界だからね、たとえば魔物になったりする」
「その被害を最小限にとどめるのが君のその義手でありヒカワ君の一部になるであろう義足だった」
「その義手義足は大気中の瘴気を取り込み分解、排出する機能がある。いわば第二の呼吸器みたいなものだ」

「君は先に義手と生活することになったから特に問題はなかったが、ヒカワ君のほうは重大だった」
そんなこと、ひとつも、知らなかったし知らされていない。
「ここ数年の技術進歩はすさまじいものがある。君の腕がプロトタイプだとすれば彼の足は遥か2世紀は先のものになる」
「これに関してはナガシノがいけなかった。研究者としての欲望が出てしまったんだろう」
「ヒカワ君はとても強い心を持っていた。だが体はそうではなかった。彼は瘴気に合いすぎていたんだ。魔物化の進行は異常な早さだった」
知っていれば、知っていれば。
「彼が立ち上がったり、もしくは歩いたりなんてした姿を見たことはないか。いや、なくてもいいんだが、結果的に彼の足は亡くなった時点で既に魔物のそれだった」
知っていれば。なにか、なんでも、できただろうに。

「よもや彼がそんな状況では生半可な浄化作用ではかえって進行を早めるだけだった。そこでナガシノは、浄化に瘴気を使ったんだ」
「呼吸器の分解する機構の前に、体との接地面を瘴気で包み皮膚を溶かし大気中の瘴気と一緒に分解する」
「足は完全になくなってしまうが、魔物化は止めるどころか完治までできただろう」
「だけどそれも魔物と化してしまった部分だけ、それ以上の人である部分には より密接に接するために大気の瘴気より早く魔物化してしまう」
「そう、アカイが魔物になったのはヒカワ君の義足を義手に流用したからだ」
そうだ、ぼくは代わりだった。
「浄化が必要だったのはナガシノも例外ではなかった。おそらく、彼は後先長くないと知ったから足を腕にしたのだろう。もしあいつがずっと生きられたなら 君とナガシノは永遠に生きたかもしれないね」
「だがナガシノは絶えた。だからぼくがここにいる。ぼくはナガシノに頼まれて君を助けたんだ」
「ナガシノ、さんが。」
「知らなかったの。君すごい大切にされてたんだよ。真っ先に義手を与えたのは君にだよ。義足を流用したのは自分でなく君にだよ」
「いや、ごめんね。知らされてなかったんだろうね。彼、そういうの嫌いだから。だからぼくアイツが嫌いになったんだよ」

「さて、ふつう魔物になってしまったら君のように自我は保てない。欲求にのみ従って動くようになる」
「だがアカイ、君の魔物化の進行は極めて遅かった。くわえて、とても安定した精神状況にあった」
「それは、つまり――」
「そうだよ、部屋をもとに直したのはこのため。あとは君が昔の本を読むばかりで外に出ないこともよかった。被害が最小限に抑えられたのは君自身のおかげだ」
「進行が遅かった理由は君の腕にもある。知ってはいるだろうが 古いほうの義手は君の腕と完全に一体化している。そうじゃないと浄化の効果が得られないからだ」
「そのせいかおかげか、義足の機能部を追加するには古い義手を基盤として繋げるしかなかったのだ。その結果、君の腕には浄化部が2つあることになる」
「瘴気によって体が溶かされることはなく、かといって浄化されることもなく、徐々に、徐々に魔物の体へと変わっていったんだ」

「うーん、君のことを話すことで周りの話も見えたかとおもうけどー。あーつかれたよーもう」
はっきりいってすべて理解できたわけではない。でも、信じるほかになかった。
「もういいかな、矢継ぎ早で悪いけど 約束というか取り決めというか、したいんだけど」
「うん、聞きたいことは大体知れたから...」
「じゃあさじゃあさじゃあさ」
青い目がキラキラと輝く。
「ぼくがいない間代わりに魔王やってくれない」
やはり訳が分からない。なんだ、夢か。

7.
「ちーがうよー、夢じゃないって」
「統治者がいないとこの世界はそのまま力を失ってしまうんだよ」
「かつてこの塔の下にも大地があり川も山も海もあった。けど今は君も知る通り霧、つまり瘴気でおおわれている」
「そんな話聞いたこともないけど、やっぱり嘘なんで――」
「違う違ーうちがーうー、これは知ってるほうがおかしいよ、もう3世紀は昔だ」

「最初の魔王がいなくなってから、後継者がなかなか決まらなかった。そのせいで下は瘴気にのまれた」
「みんなことが起きてから慌てるんだ、もはや下層は手遅れなのに。ともかく、それからのこの世界は世代ごとに踏襲してつないでいくようになったんだ」
「それならぼくが話に出る必要はないんじゃないの」
「待ってってばー早いよ、ぼくの前まではそうだったんだよ、ぼくの前までは」
「さっき3世紀も昔って言ったでしょ。ぼくが魔王になったのは2世紀とちょっと前」
「それまでの奴らはふさわしくなかったのさ。だから世界も仮初めでしかない」
「じゃあなんであなた、えっと、シナノは適してるって言えるの」
「瘴気の進行だよ。今までは徐々に瘴気が進行していたんだ。そりゃあちゃんとした魔王じゃないからね。でもぼくでピタリと止まった」

「そりゃ、すごいけど。でもそしたらぼくに代わって大丈夫なわけ。今こうして止まっているのにぼくに代わって進行が始まるかもしれないじゃないか」
「大丈夫だよ、君は魔力量が凄まじく多い。ぼくの知り合いには及ばないけど」
なにを。勘じゃないか。
「いいだろう別に。君にとっては一度死んだ世界だ。どうなったっていいじゃないか」
「な、今は生きてる」
「大丈夫だよ、君が魔王だと知ってるのはぼくだけだ。新しい人生を過ごせばいいさ」
「そろそろ時間だ、旅にいきたいからさ、いいかな」
「すごく、ナガシノに似てるよ、今のシナノ」
「1日笑顔でいるためには2日しかめっ面じゃないといけないんだよ」
「でも1日しかめっ面でいるには2日は笑顔じゃないと」
そういうと妖精かぶれはへへへとにやけて。
「さしずめ君は声の魔王ってところだね。ぼくのいない間、夏の世界は任せたよ」
声。そういえばこの声はだれのものだ。ぼくの声はどうだったかな。

8.
大きな太陽だった。
決して熱くなくて、とても心地が良くて、いつまでもそこにいた。
大きな太陽だった。

それぞれが旅立つ話

それぞれが旅立つ話

飛行衝動に駆られた心、その変化の観測、生じる役目について

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-29

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