16歳のフィロス
いつからだっただろう。
この街でたった一人の友人の名前を呼ぶ声に熱が宿ったのは。
いつからだっただろう。
一番の友人がプロデューサーの名前を呼ぶ声に芯が通ったのは。
わからない。初めての安堵からそう長くはかからなかった気もする。
覚えてる。あの子の決意を、その時を、私の感情を、忘れられるわけがない。
「やっぱり早坂さんに認められたいよ!早坂さんに認められれば自信が付くって思うんだ。あっ、でも自信が無いと認めてもらえないような気もするなぁ…まゆしぃはどう思う?」
忘れもしない初夏のあの日、藍里を連れ戻しグリーンリーヴズの事務所でミーティングを終えた後、事務所の外で二人きりになると藍里は私にそう言った。
「でもさっき早坂さんはオーディエンスに認められなきゃいけないって言ってたよね?私もそれは大事だと思ったな」
「そっかー…そうだよね、お客さんに見てもらわないとだもんね」
納得したのかしていないのか藍里の表情はコロコロ変わって見ていて面白い。
「お客さん…ファンのみんなにパフォーマンスを見てもらって元気になってもらうから、そのためにはやっぱりパフォーマンスがしっかりしなきゃいけなくて…そこはこれからまた自信付けて頑張るって決めたんだし…」
泥沼にハマりそうな藍里に助け舟を出したつもりだった。
「たぶん難しく考えなくていいんじゃない?藍里がどうやったら輝けるかじゃないかな?」
「それまゆしぃに言われるとすっごいプレッシャーあるね」
おどけて藍里は言ったが慌ててしまった。
「ごっ、ごめん!」
「ううん、でもそれってアイドルやるには必要なことなんだよね。今までダンスも歌もみんなの足引っ張ってばっかりだったからもっともっと頑張ってやっていかなきゃなって思ってるし。でもどこまで頑張ればいいのかなって考えたらやっぱり自分で自信を持つってなかなか難しそうでさ…もちろんみんなに追いつけるように努力するのは当然だけど、やっぱり早坂さんに認めてもらえることが一番目標としてわかりやすいかなって」
ふわふわとしていた藍里の思考がまとまり始めたことに対する嫌な予感に気付かないふりをして返事をする。
「でも早坂さんってそういうの絶対認めてくれなさそうじゃない?」
舞っていた思考が地に足を付ける
「うっ…あるかも。でもでも!やるの!やるって決めたんだ!どれだけ険しい道でもみんなとさ、まゆしぃと一緒ならもう大丈夫だって気がする!なんてねっ」
鈴のように笑った藍里は私の胸が跳ねたことには気付いてはいないだろう。
「一緒に頑張ろう、藍里」
Wake Up,Girls!はこの日、またひとつ、まとまったんだと思ってた。
そう思っていた。
・・・・・
アイドルであるための自信、それはやっぱり自分の中には無かったんだって改めて気付かされた。今までWUG!の活動をしてる時だって、絶対にこれで大丈夫だなんて思ったことは一度も無かったし、これからだってそんな意識でパフォーマンスをしていけるなんて夢にも思っていなかった。
でもそれは甘えなんだってハッキリと気付かされてしまって、大きな何かに立ち向かうための一歩はメンバーのみんなが手を引いてくれたんだけど、やっぱり自分の足で、力で、進まなきゃならないんだって本当にそう思った。
「なんだこりゃ…」
ひとたび意識を切り替えてレッスンノートを開くと、そこには数日前までの夢見がちだった自分の練習風景が描かれていた。
ダンスや歌をレッスンするうえでやらなければいけないことは書いてある。振付の注意点、ダンスのフォーメーションや改善点、歌詞の解釈やマイクの使い方、その全てをこれまで”まあまあ”こなしてきたはずだった。しかしそこには自身の意識というものは入ってはいなかったのだと痛感する。
教えられたことに対して自分が何を思ったのかという中身はほとんど無い。その時々に指導を受ければその通りだと思って練習に励んでいたが、それはやはり自信がないことの裏返しでもあった。
そんなノートにもハッキリと苦悩の跡が見えるページがある。
・16歳のアガペー センター 私
二ヶ月くらい前に大先輩のTwinkleのお二人から書いてもらったWake Up,Girls!二曲目のオリジナル曲。
その恋する女の子を歌った曲のセンターを私がやることになった。経緯はなし崩しというか、半ば押し切られた形になったけど、16歳のアガペーを歌って踊るってことに関しては、他の曲よりも真剣に取り組んだ跡が見える。
「さすがTwinkle!仕事は上手いし早いし安いわ!みんなー、ちょっとこの神歌詞読んでごらんなさい」
そう言って丹下社長は事務所の椅子に座っているメンバーにコピーしたての歌詞を手渡した。
「16歳のアガペー…アガペーってどういう意味ですか?」
「ん?あぁ、アガペーはたしか…愛って意味じゃなかったか?ちょっと自信ないから今調べてみるな」
真っ先に質問する実波に松田さんが答えつつ携帯で検索し始める。
「アガペー、アガペー…っと。あった、ギリシャ語で無償の愛らしいぞ?」
「無償の愛?それって見返りを求めないってことですか?」
すぐさま菜々美から質問が飛んでくる。
「うーん、聖書とか宗教の話になるみたいだからあんまり難しく考えなくてもいいと思うぞ?」
「つまりよくわかんないんですね」
「松田さんテキトー」
はぐらかされた菜々美と夏夜は松田さんに手厳しい。
「おいおいとりあえず愛だってことはわかっただろ!?」
「松田さんありがとうございま~す!」
実波の一声でみんなはまた歌詞とラジカセから流れる曲に集中しだした。
16歳と、無償の愛。
最初に歌詞を見た時はいまいちピンときていなかったけど、歌詞を読んでみると普通の女の子が普通に恋をしている歌なんだってすぐにわかった。だけど無償の愛って一体何なのかは相変わらずわからないままだ。
「これって恋する乙女の曲じゃないですかぁ~!キュンキュンしちゃいますね!」
「ストレートな恋愛の歌だよね。サビの歌詞、タイトルが入ってるところが難しいけど聞かせどころだね」
未夕と佳乃が感想を言い合っている。
三、四回仮曲をリピートしてみんなが歌詞を口ずさむようになった頃、当然のようにその話題は始まった。
「じゃあこの曲のセンター、誰にするか決めよっか?」
この時の私は佳乃の提案を受けて、このかわいい曲にかわいい振り付けが加わって、誰がセンターになったら一番魅力的に映るだろうかなんてことを考えていた。
もちろんそのビジョンには自分はいない。
「タイトルも16歳のアガペーだし、今年16歳の人でいいんじゃない?」
未夕が手を上げながら言った「かわいい曲ならこの私っ!」なんて冗談とも本気とも取れるアピールを気に留めず夏夜は喋りだし、未夕は不満気に口を尖らす。
夏夜の提案を聞いてさえもまだ思い描くステージには自分はいなかった。
「じゃあ…」
視線が集まる。私に。
「えっ?」
「あいちゃんがいいと思う」
私も、私も、と声が上がる。
突然のことで頭が追いつかない。けれど否定の言葉はすぐに出てきた。
「いやいや私がこの曲のセンター!?無理無理!できないって!」
「そうかな…?」
真夢は真剣な眼差しを、気遣うようにまっすぐ私にむけて言った。
「私は藍里に似合ってるって思うけどな、この曲」
曲が、似合う…?
グルグルと回る否定の渦はその一言で凪いだけれど、かわりに頭の中は?で埋め尽くされていく。
「この曲、16歳のアガペーって、恋愛そのものは具体的には知らないけど好きな人はいるっていう、謂わば恋に恋する女の子の曲なんじゃないかな?だからサビの愛しかたとか愛すことって歌詞が出てくるんだと思う。」
「だから無償の愛なのかもね、17歳だと世間では大人と子供の間で揺れてるみたいな曲が多いし」
いっぱいいっぱいな頭でも真夢の声はスッと抜けるように耳に届いた。
恋に恋する普通の女の子、を描いた曲が私に似合う?やっぱりそこは自分とはつながらない。
「で、でもWUG!のセンターはまゆしぃだしやっぱりまゆしぃがやった方がいいんじゃないかな…」
苦し紛れだったかもしれないけど、私は本当にそう思っていた。
「あら、別にWake Up,Girls!では島田真夢が全部の曲のセンターをやるって決まってるわけじゃないのよ?せっかく持ち曲が増えるんだから別のメンバーがセンターになればファンも喜ぶと思うわよ」
丹下社長の言い分もわかる。もっともだ。でもそれは私なのかってそれだけが堂々巡りする。
「私はI-1でアイドルをやってたし、よっぴーもモデルとか芸能の仕事してたから、この恋する普通の女の子の曲をやるなら藍里がセンターかなって、さっきから考えてたんだ」
たしかに『普通』の女の子ってWUG!にはいないって思った。みんなが自分のなにかを持ってるって。
でも『普通』ってそういうことなのかな。
私が普通なのって、そういう強みみたいなものをなにも持ってないからなんじゃないか、ってどうしても考えてしまう。こんな考えでいる限り、パフォーマンスの場で輝いていられるわけがないな、とも。
Wake Up,Girls!のオーディションの時、こんな自分を変えたいって言ったのを思い出した。変わった先の自分を想像していたわけじゃないけど、たぶん活動していくうちに意識は変わっていくんだろうなって漠然と考えてた。レッスンしてお仕事してライブして過ごす時間は充実してたけど、私は私のまま頑張っていただけなように思う。
じゃあ変わりたいってなんだったんだろう。
センターをやれば変われるの?
よほど難しそうな顔をして黙りこくっていたのか、みんなは心配そうに私を見ていた。
「私は、藍里がセンターのこの曲を見たいって思うよ」
ハッキリと、目を見て、告げられた。
やっぱり真夢は不思議だ。すごく感情が、思っていることが、声に乗って伝わってくる。
その言葉が戸惑いも焦りも吹き飛ばしてしまったのか、落ち着いて話すことができた。
「正直…自信無いけど、やっていくうちになにか掴めたらって思うから頑張ってみようかなって…本当に私でいいの?」
「うんっ」「もちろんっ」「決まりね」
同意の声が口々に上がりみんなの拍手の音が事務所に響いた。
「Wake Up,Girls! 新曲 16歳のアガペーのセンターは林田藍里に決定だ!頑張れよ!藍里!」
「は、はいっ!あ、あの、みんな迷惑かけちゃうかもしれないけど頑張ってやってみるからよろしくお願いします!」
どこかかしこまった挨拶とお辞儀にみんなが笑った。
・・・・・
ノートを見ながら思い出す、16歳のアガペーのセンターを決めた時のこと。
私がたった一曲センターになって思い知ったセンター、島田真夢の重圧。まゆしぃはこんなところで戦っていたのかって身を持って知った。ましてやWake Up,Girls!以前はI-1 clubでセンターをしていたわけで、そんなプレッシャーは想像するだけで怖くなった。
16歳のアガペーのセンターが決まった後、センターのなんたるかを教わろうと覚悟を決めてI-1時代のことを聞いた私に、
「ただ、がむしゃら…だったかな…」
と、寂しそうに言った切なそうな顔はハッキリと覚えてる。
まゆしぃはI-1にいた頃のはじけるような眩しい笑顔と違って切なそうな顔も絵になるな、なんてことを考えてしまったのを慌てて思い直した。
「今はまだピンとこないかもしれないけど、藍里ならちゃんと出来るって信じてるから大丈夫だよっ」
その言葉は心の芯に落ち着いて私の力になっていた。
ぼんやり憧れていたI-1 clubの島田真夢と同じクラスになって、ふとしたきっかけで友達になって、同じWake Up,Girls!のメンバーになって、どんどん憧れは強くなっていった。本当に憧れすぎて同じグループで自分が歌って踊って見えてくる実力の差なんてのも、その時は私の目には入らなかった。
そんな憧れの相手からの激励はすごく、ものすごく私に効いて、元気をもらってたんだ。
でも最初の頃は一人だけ目立ってしまうソロパートは、歌の録音の時も振り付けの練習の時もフォーメーションを合わせる時だって、声が震えて全然うまくいかなかった。いつもなら焦って段々泥沼にハマっていきそうなものだったけど、まゆしぃの顔に『大丈夫』なんて書いてあるような微笑みを見たらなんとか落ち着いていられたんだよね。
ノートには歌詞の解釈とかを考えたり、歌い方のメモ、ダンスの振り付けの注意点がけっこう細かく書かれている。他の持ち曲よりも細かく。
我ながら現金なやつだとは思うけどセンターのプレッシャーっていうのはたぶんこういうことなんだよね。
アイドルとしての意識とかがきちんと確立してない私でもいつもよりも深いところまでステージのこととかを考えちゃうんだから、たぶん、まゆしぃはもっといろいろ考えて、もっといろいろ身に付けて、そうやって自信を持ってパフォーマンスしているんだなって、そう思った。
意識を変える。まずはそこから。
私がアイドルなんだと自覚する。
出来ないって笑われるだろうか。
でも挫けないってさっきも言った。
アイドルは「前を向いて走れ」って誰もがそう言う。
もしかしてけっこうつらいんじゃ、息も切れて、足を擦りむいて、でも走る。
たぶん、覚悟だけが燃料で、燃え尽きるなんてことはない。
私の後ろには道はあったかな?走りだしてないんだからないのかも。
もし今度振り返る時は、ここを通ったんだって感じたい。
もうまゆしぃには心配かけさせたりしない。
置き去りにしていくのは今のこの私だけ。
自分を、変えてみたい。
・・・・・
藍里のことを大事だと思う気持ちは出会った…言葉を交わした一回目の席替えの頃からずっとあった。
仙台に来て隠れるように過ごした中学の三学期と変わらない生活を送るのだ、と憂鬱と焦燥に塗れた気分を晴らしてくれた初めての友達。
藍里が昼食のおやつに食べていたゆべしがきっかけで私は藍里と話すことができて、仲良くなっていくうちに、ここが私の安息の場所なんだって、大袈裟でもなんでもなく本当にそう思えるようになった。
藍里も私がI-1をやめたことについて気を遣ってくれていたし、この安息の時間があれば高校の三年間も悪いものにはならないんじゃないかって考えていたほどだ。
そんな日々は意外な形で変わっていくこととなった。
藍里がアイドルのオーディションを受ける。
オーディションのため、そしてその後も藍里の練習を見ていくうちに、自分がアイドルをやっていた頃の歌やダンスが好きだという想いが沸き上がってくるのと同時に、真剣に物事に打ち込む藍里の姿勢をすごく眩しいものだと思った。
今まで付き合ってきた、付き合わせてきた、優しいだけの藍里じゃない。まっすぐでひたむきな優しい藍里の笑顔を見ていたい。そのためなら協力だって惜しまないなんて、そんな考えでけっこう頭がいっぱいになっていた。
「頼んでおいてなんだけどさ、真夢ってけっこう面倒見いいよね」
「そうかな?」
自分が藍里を半ばプロデュースしているようなものだと思っていると案の定そんな質問をされた。
「絶対そうだって。だって私教えてもらったことは真面目にやってるつもりだけど、物覚えとかそんなにいい方じゃないし…それでも真夢は同じことだって何回でも注意してくれるしすごいなあって」
予想していなかった感想に思わず笑ってしまう。
「すごいってなにそれ、そんなんじゃないよ。だって藍里は頑張ってるから。それなら私だって協力したくなるよ。これって自然じゃないかな?」
「実際練習見てもらってありがたいし理由もわかるけど…それがこうやって出来ちゃうってのがやっぱりすごいなぁ~」
藍里に笑っていてほしいから、なんて恥ずかしくて言えなかった。
藍里がアイドルをやるのなら、まっすぐに前を向いて笑っていてほしい。それが私の望み。
もうこの時には『大事』だなんて気持ちは追い越してしまっていたのかもしれない。
だからWake Up,Girls!のデビューライブが理不尽な理由でできなくなったって、藍里から泣きながらそのことを伝えられた時に私は、
藍里の笑顔を守りたい。
そう、つよく、強く、思ったんだ。
なら私にできることは何だろう。
近くで励ますこと、違う。
隣で支えること、違う。
一緒にいること、違う。
私の『好き』は何が出来るのだろう。
それはたぶん私がアイドルでいるだけでよかったんだけど、そんな考えに辿り着く前に雨の中を走っていた。藍里がいるグリーンリーヴズを目指して。
そして私はWake Up,Girls!のセンターになった。
・・・・・
林田藍里が変わった。
それは誰の目に見ても明らかな変化だった。
脱退騒動以降、アイドルの活動に対する姿勢がガラリと変わったのだ。もちろん良い方向に。
私はあの時藍里が言っていた言葉を反芻する。
「あの!あ…私、絶対早坂さんに認めてもらえるようになってみせますから」
藍里は只々その言葉を素直に実行しているのだろう。
それは藍里の目に意志が宿ったからだとすぐに気づいた。見るもの、聞くもの、動かすこと、それぞれひとつひとつに対して考えて噛み砕き吸収する。貪欲とも見える姿勢が見て取れた。
レッスンにおいて妥協しなくなった藍里は驚くべき早さで歌とダンスが上達していった。
それは私さえも追い越してしまうような勢いで。
「最近早坂さんってぇ、あいちゃんに厳しすぎませんかぁ~?」
喫茶ビジュゥでテーブルを囲むとおもむろに未夕がそう言い放った。
「たしかに藍里にだけはどれだけ仕上がっててもオッケー出ない気がするね」
「最近のあいちゃんってダンスとか特に上手くなったし私よりキチンと踊れてると思ってもダメ出しされてたりする。そういうのあいちゃんはつらくないの?」
キョトンとした顔で聞いていた藍里は軽く首を振る。
「全然そんなことないよ。私は才能無いって直々に言われちゃったしそれくらい厳しく見てもらわないとみんなに追いつけないもん」
「もう追い越しちゃってるからおかしくないかって話なんだけど」
「そうかなぁ?まだ全然自信とかないんだけど…」
夏夜の軽口に藍里は応える。
「でもみんながくれたチャンスなんだし絶対諦めないで頑張るって決めたから。だから認めてもらえるようにならなくちゃって必死で…」
「たしかにあいちゃんは最近眼力っていうか、レッスン中は目から不屈の闘志みたいなのを感じるよね」
佳乃の率直な言葉を静かに聞く。
「あの時からアイドルに関することへの取り組み方っていうの?それは以前よりちゃんと考えてるつもりだけど、まだまだ認めてもらうには遠そうだよね」
「認めてもらうって、早坂さんに?」
タワーになったパンケーキを食べながらの実波の質問に未夕が乗る。
「そういえばあいちゃん早坂さんに認めてもらえるようになってみせるって言ってましたよね?あんまり熱い視線だと恋する乙女みたいですよー」
私の胸がドクンと跳ねた。
「未夕、それはちょっと大げさじゃない?」
またあの時の嫌な予感に襲われる。さっきの未夕への言い方は不自然じゃなかっただろうかなどと狼狽えてしまう。
藍里の方へ視線を向けると呆気に取られたように数瞬固まった藍里がすぐに笑い出し、
「早坂さんに恋はないでしょ!」
皆が相槌を打って笑い出す。
言い知れぬ不安は作り笑いで隠せていただろうか。
今の藍里はまっすぐで、私が望んだ藍里のあり方なんだと自分に言い聞かせる。
私は藍里が『大事』なんだ。
雑談の声は耳には入ってこなかった。
・・・・・
憧れと尊敬はずっと自分の中にあったはずで、それが形作られていったのは、やっぱりWake Up,Girls!の活動をしていくうえで、その人たちと接して、影響を受け続けてこられたからなんだって、今にしてみればそう思う。
憧れたのは真夢。
漠然とした憧れは接していくうちに燦々と照らされて浮き彫りになっていく。
アイドルとしての目標、追い付きたいって思うのはおこがましいのかもしれないけど、たぶん目指さずにはいられない、みたいなそういうオーラがある。
まゆしぃが特別私を応援してくれてることはわかっているつもりだし、ちゃんとそのことに応えていきたい。
最近私のパフォーマンスがまゆしぃに負けず劣らずだという評価をメンバーから聞くこともあるけれど、まだまだ追いつけるだなんて思っていない。
嬉しくないと言えば嘘になるけど、実際のところ早坂さんからは認めてもらえていないわけで、そんな状況だからやっぱり私は頑張らないとって、そう思う。
尊敬してるのは早坂さん。
Wake Up,Girls!のことを『おイモちゃん』なんて呼んでいるけれど、たぶんWUG!のことが大好きなんだなって思わずにはいられない。
最初こそスパルタ指導でどうなっちゃうんだろうって思っていたけど、Wake Up,Girls!のマイナスになるようなことは何一つしてないんだってようやく気付けた。
私がクビにされかけた時はキツいことも言われて、本当に心が折れかけたんだけど、才能が無いなら無いなりの努力をすること、それだけのことだって痛感するにはあれで十分だったんだよね。
あの件から少し経って、かやたんとまゆしぃが話してるのを偶然聞いてしまった。
「まゆしぃはさ、藍里を切るかどうか結論を出せって言われた時、最後まで特に何も言わなかったけど、あれってもしかして早坂さんの狙いみたいなのわかってた?」
「私はWake Up,Girls!には藍里が必要って最初から思ってたから。でもあそこでみんなで話してぶつかってるのを見たら、こういうことをやらせて、それでダメなら見込み無しって考えてるのかな、とはちょっと思ったよ」
「つまり本気でぶつかって、本気でまとまって、本気でアイドルやれってことだったんだよね。遠回しでホント憎たらしいけど」
認めてもらいたい、あの時そう言ったけれど具体的にどう頑張るかなんて何一つ思いつかず、モヤモヤとしていた空気はその瞬間に澄み切って、地に足がついたんだ。
今までも妙に力強い独特の話術に信じ込まされているなんて思っていた早坂さんへの見方が変わったことがありありと自覚できた。
早坂さんのプロデュースを信じてやっていく。
そうして私は自分を変えると決意した。
憧れと尊敬、今の自分があるのは特にこの二人のおかげ。だから、もっともっと頑張って早坂さんにもまゆしぃにも認めてもらって自信いっぱいのパフォーマンスができるようになりたいって、これは本質的にずっと変わらない私の想い。
自分はちゃんと変わっていけているだろうか。
・・・・・
たぶん私だけが気付いてる藍里の変化。
脱退騒動以降、人が変わったように練習に打ち込むようになった藍里から、また少し変化があった。
おそらく藍里自身すら気付いていないその変化。
ひたむきだったその目に、色が宿った。
今まで感じてきた私の嫌な予感が、今か今かと集束していく。
藍里の目線の先には、早坂さんがいる。
認めてもらいたいという感情が些細なきっかけで転がりついた場所がそこだった。
たぶん、あの時のビジュゥの会話からだ。
「恋する乙女みたい」
冗談めいたその言葉は毒のように私の胸に残る。
藍里がもともと持っていた早坂さんへの信頼からわずかに好意が見え隠れしているなんて、そんな変化は私以外は感じ取れるはずがない。
予感も、毒も、『大事』も、いろいろなものが混ざりあって胸につかえた。
自分の感情くらい、わかってる。
これは嫉妬だ。
だけど、藍里が『大事』だってだけでこんな感情を抱いてしまうんだろうか。
藍里の笑顔を守りたい。まっすぐで優しい藍里と並んでいられたら。
藍里の変化が行き着いた先に笑顔なんて無いってわかるから許せない? 違う。
藍里と並んでいることならこのままだって出来るはず。
たぶんそんなこととはもう両立しないんだってわかってた。
私は藍里が好き。
一度『大事』を『好き』だと自覚してしまうと、自分の中で折り合いがつかなくなってきた。
つい最近まで私は藍里を支えていた。支えになってあげられているって自覚もあった。
でも藍里は前を向いて自分の足で立って走ってる。
それはとても強い意志で。
前を向いた分だけ私の方を見てくれなくなった、なんていうのは自分勝手でわがままなんだって、当然わかってる。レッスンでも仕事でも、何かミスをしてしまう度に私に向けてきた不安げな顔を見て、大丈夫だよなんて微笑み返す。
そんなルーチンをこのところしていないことに今になって気づく。
藍里を応援したいなんて、嘘だ。
一緒にいて、私を見てほしいんだって思ったら、今まで過ごしてきた日々が音を立てて崩れていくような錯覚に陥った。
失いたくない。 何を?
頭の中を回るのは整理しきれない感情だけで、溢れてしまわないように収めることでいっぱいになる。
ゴチャゴチャ考える自分とどこか冷静な自分がいるみたいで、今整理できないものは無理にどこかへ割り振っていかない方がいいんじゃないかと思うと、嘘みたいに体が軽くなった。
だけど、この苦悩が終わりを迎えることは無いだろうっていう諦めだけが胸に深く沈んでいった。
それからはただ行き場のない感情を押し殺すことだけを考えていた。
レッスンも仕事もきちんとこなしていたつもりでも、その意識が既にアイドルとしておよそ正しくないものだということまでは思い至らなかった。
「まゆしぃ、何か悩みでもあるの?」
その問いが、また私の胸を締め付けた。
・・・・・
「ほら、こっちの方が断然良いでしょ?」
アイドルの祭典 東北予選を勝ち抜いた私たちの前に、極上スマイルに換わる新曲の楽譜が置かれた。
「7 Girls War」、本気で書いたという早坂さんの宣言に次いで、トップアイドルの心得が語られる。
「あ、それから、この曲センターは七瀬佳乃、君に任せるからね」
私!?と驚くよっぴーにメンバーから祝福と激励の声がかかる。そんなみんなを尻目に早坂さんは、
「じゃ、頑張って仕上げてね~」
なんて言って、嵐のように去っていった。
「せっかく覚えたのにまた一からかぁ、私出来るかなあ」
いくらパフォーマンスが良くなったと言われたって、私は私で、不安なことは変わらない。
毎週末のレッスンで早坂さんにダメ出しされないことなんて無かったから、改善点がある限りそこを修正していくんだってそう思っていた。
やれることをやれるだけやろうと、ずっとそうやって考えていられることは、たぶん以前より成長してるところ。
7 Girls Warの歌詞割りを見るとAメロとBメロで7人がフレーズ毎に歌ってサビで合わせる形だった。
歌詞を読んでいくとみんなが顔を上げて目を見合わせる。
「この歌詞って…」「うん…」「これさ…」
「早坂さんって絶対Wake Up,Girls!のこと大好きだよねっ!」
どっ、と笑いの渦が巻き起こる。
「レッスン厳しいし」「イヤミだし」「横暴だし」
「でも大好き…いやー傑作だねこりゃ」
夏夜がバッサリ袈裟斬りにしたところに丹下社長がツッコミを入れる。
「いやねぇ、あんたたち考えてもみなさいよ。嫌いなグループわざわざプロデュースさせろなんて言うわけないでしょうが」
「それはもちろんわかってますけど、こうやって、その、ストレートに表現されたことは今まで無かったので…」
完全にアテ書きされた歌詞を書いてくれたことに関してはメンバーのみんなは概ね好意的だったけど、アテ書きされたということは一人一人違う感想が出てくるわけで、
「私、世間知らずで、いつもツンツンしてるように見られてるってことよね」
菜々美の目の前にいた未夕と夏夜はわざとらしく目を逸らす。
「ちょっとぉー!なんなのよその反応は!」
曲も歌詞も良さを認めてるからこそ、菜々美も冗談っぽく不満を漏らす。
歌い出しはセンターのよっぴー、一番のサビの直前はまゆしぃ、そして、二番のサビの前が私だった。
魔法の旋律を For You
自分が目立つ1フレーズ、この歌詞の意味だってきちんと考えて、受け入れて、歌うべきなんだ。
魔法の旋律っていうのはたぶん、この曲であって、私たちの歌であって、ステージの上でのパフォーマンスも含まれてて、そういうWake Up,Girls!の魅力をファンへ届けるっていう、単純で、最大の課題。
それを私にアテ書きされたのなら、少しは認めてもらえたなんて考えてもいいのかな。
この曲はたぶん、私たちWake Up,Girls!への早坂さんからの応援歌なんだって思う。そんなことは口が裂けても言わないんだろうけれど。
なんとしてもこの曲をマスターして、自信を持ってアイドルの祭典で歌いたいと、そう思った。
・・・・・
早坂さんが書いてきてくれた新曲7 Girls War 。
みんなはアテ書きされた部分や曲の出来の良さで盛り上がっている。
たしかに曲も歌詞も良くて私たちらしい曲になってると思う。
私にアテ書きされたのは、
幸せつかむため Take Off !
そしてセンターのよっぴーと最後のサビの前のソロの掛け合い。
涙流す時もある。
アテ書き色が弱いメンバーもいたけれど、この歌詞を私に向けて書いたのだとしたらと思うと平常心ではいられなかった。
この曲はWake Up,Girls!を歌った曲だから、メンバーとグループの魅力を十二分に発揮しないとパフォーマンスをする意味が無い、と言っても過言じゃないはずだ。たぶんそこまで考えて書かれてる。
早坂さんは私の『幸せ』を、どんなふうに解釈してこの歌詞を書いたのか、ただその底知れなさが怖かった。
もしかして私の想いは見透かされてるのかも、なんて考えてしまうくらいには疑心暗鬼に陥っている。
だって君がそばにいるから勇気出して一歩踏み出す。
私の一歩はどこへ踏み出せばいい?
きっとなれる強い自分に
強くなったのは藍里であって私じゃない。
少女はただ奏でる 魔法の旋律を For You
魔法の旋律を奏でる自分が想像出来ない。
私はもう溺れていたんだ。
・・・・・
「島田真夢、おまえは残れ」
アイドルの祭典決勝まであと二週間に迫った頃、早坂さんはレッスンを終えるとそう言い放った。
途端にざわめきだすメンバーたち。それは無理もない。だってこれは藍里を切ろうという宣告をした時と同じパターンだったから。
「はい」
乾いた返事をしてみんなの方を見る。
「私は大丈夫だから先に帰ってて」
何が大丈夫なのかはわからなかったけれど、口をついて出た。
不安そうだったり怪訝な顔をしてこっちを見てるみんなに藍里が言った。
「ほら!まゆしぃも大丈夫って言ってるからさ、みんな今日は帰ろうよっ」
藍里の助け舟でレッスン室に残される私と早坂さん。
出ていく間際に笑いかけてくれた藍里に、また胸が痛むのを感じた。
早坂さんは椅子を二つ置いて座るように促した。
「そんなに敵意を剥き出しにしなくたっていいんじゃないかな」
「藍里を切るって言った時と同じ状況なんで、少し警戒してるだけです」
意外と本音はするりと出てきた。私も椅子に座る。
「あっ、そう。じゃあ早速本題に入りたいんだけど」
そう前置きすると早坂さんは意外な言葉を口にした。
「島田真夢、キミは自身の感情を相手に伝えることに於いて天才的とも言える才能がある、まるで常人離れしているね。I-1時代もこの才能を評価されてセンターを任されてたんじゃないか、まあ僕は知らないけど」
アイドル力
そんな単語が頭をよぎる。
I-1時代に白木さんから評価されていた項目だった。
私はそれが抜群に高かったらしく、メンバーのランキングではいつも1位になっていた。
アイドル力とは何ですかと白木さんに質問しても返ってくるのはいつも同じ返事で、
「アイドル力とは、言葉通りアイドル力です」
と言われてしまうのでメンバー同士で議論したりもした。結局その時はアイドルとして輝けそうだとか、そういった漠然とした答えしか浮かばなかったんだ。
私自身がそのランキングにも評価方法にも納得していたわけじゃなかったけれど、1位になってセンターになったからにはちゃんとやらなきゃって気持ちが強くて、とにかくがむしゃらに頑張った。
頑張れば頑張るだけ応援してもらえた。
今思えばそれがアイドル力だったのかもしれなくて、たった今言われている感情を伝えられる才能なのかもしれない。
「それで、キミはこの才能をどう使うんだい?」
「ど、どう使うって言われても、今まで自覚したことがなかったのでわかりません」
「自覚無し、か。当然そんなことだろうと思ったけどね」
心臓が跳ねる。睨まれてはいないのに、鋭い視線で体を刺されているような感覚だ。
「いいかい?キミのその才能はね、頑張っている、楽しんでほしい、嬉しい、楽しいなんてプラスの感情だけを都合よく伝えられるものじゃないんだ。」
見透かされている。
「だからキミが周囲に知られたくない、隠していたいと思っている時点でね、抑え込んでいるってことだけは察することが出来ちゃうわけなんだ。これはチームにも、ファンにも、オーディエンスにだって影響が出ないとは言い切れない、なにせ才能があるからね」
自覚していなかった才能を分析され語り聞かされるなんて思ってもみなかった。
外堀を埋められていよいよ逃げられない、なんて考えて、どこへ逃げるの?と自分に問い返す。
「島田真夢、キミが抑え込んでいる、それ。僕がプロデュースするアイドルにはそういうの、いらないんだ」
嫉妬の対象、恋敵からそんなことを言われて一瞬目の前が真っ白になった。
「まあ、そういうのを売りにするグループもあるみたいだけど、僕がプロデュースするグループではないね」
思わず立ち上がって声をあげる。
「それじゃあ藍里の気持ちにも気付いてて、応えてはあげないんですか!?」
自分でも何を言っているのかわからない。
「キミはバカなのか?」
半ばため息のような吐息を出しつつ早坂さんは言う。
「アイドルに必要以上に人間性を認めたり求めたりするということは、必ずどこかしらのバランスが取れなくなるんだ」
「じゃあ必要ってどこまでなんですか」
「少なくとも僕がプロデュースする理想のアイドルには、自身の欲望においての恋愛はいらないね。なにも人間をやめろと言っているわけじゃない、アイドルをアイドルたらしめているものを、僕の見える範囲では失わせないようにしようってだけだからね」
白木さんとは違う理屈だ。
「とにかく、だ。Wake Up,Girls!のセンターのキミがそんな鬱屈した感情を押し殺している限り、それはメンバーのパフォーマンスにも、ひいてはオーディエンスの反応にも影響するということを忘れるな。本番までに結論を出しておけ」
早坂さんが椅子から立って扉へ向かう。
「じゃ、おつかれ」
「……お疲れ様でした」
私は何も言い返せなかった。
レッスン室を片付けて服を着替えて玄関に向かう。
押し殺している鬱屈した感情、それは藍里も感じ取れてしまっているのだろうか。
それは、いやだな。
思いの丈を全て汲んでいるなんてことはないだろうけれど、純粋な想いもそうじゃない想いも、ひた隠しにしてきたという一面だけを読み取られていると想像すると切なくなった。
玄関から出ると寒そうに肩を竦めた藍里がこちらに気づく。
「まゆしぃ!早坂さんの話、終わったんだね」
「うん、あんまり長くかからなかったよ」
ふと藍里は難しい顔をして俯きながら意を決したように私の目を見て、
「あのさ、まゆしぃ。どんな話だった?」
さっきの内容を問いかけてきた。
「私さ、あの時まゆしぃがせっかく待っててくれたのに、一人で抱え込んで帰っちゃったじゃない?」
藍里の目は真剣だ。
「あれさ、自分で相談しようとか言ってたくせに、本当にバカだったなーって思って、ずっとまゆしぃに謝りたかったんだ。ごめん、って」
「うん」
わかってる。
「だからもうあんな風にすれ違いたくないんだよね」
藍里の気遣いがあたたかく体に広がって心地いい。
「話せるようだったら私に話してくれる?」
ありがとう、藍里。
「うーんとね、Wake Up,Girls!のセンターとしての心構えみたいなものを改めて説明してもらった感じかな」
限りなく嘘をつかずに誤魔化した。
当然藍里だってそのことには気付く。
少しだけ切なそうな表情を見せた藍里はまた私の目を見て切り出した。
「私も16歳のアガペーはセンターだからさ、その話また今度詳しく聞かせてねっ?」
最後まで藍里に気を遣わせてしまった。
そうだ、今度、打ち明けてしまおう。
受け入れられることはないと、わかっているなら、私が悲しくて、苦しくて、つらいだけで全部つながっていくんだと思う。
諦めれば諦めるほど、澄み渡っていく気分に少し戸惑いつつ、その日、藍里を呼び出した。
場所は、青葉神社。
私が藍里といられることを願った場所。
・・・・・
早坂さんとまゆしぃが残って話をした件は、他のメンバーからもどんな話だったのかって聞かれたけど、まゆしぃが言ってた通りに伝えたら、安心したり、半信半疑だったりそれぞれの反応をくれた。
あの時言いたくなかったことを今度聞かせてなんて言ってしまったのは図々しかったかもしれない。
そんなことを考えているとまゆしぃからメールがあった。
「話したいことがあるから今日の仕事が終わったら青葉神社まで来てくれる?」
すぐにオッケーの返事を送り、仕事へ向かう。
青葉神社
私と真夢がWake Up,Girls!の始動を祈った場所。
日は暮れているけどまだ真っ暗というほどでもない、そんな時間、参道に佇む真夢を見つけた。
「まゆしぃ、お待たせ」
「ううん、来てくれてありがとう」
真夢は神妙な面持ちで、目線の遠く先を見つめてるように見えた。
「それで、話ってなに?」
つい軽く切り出してしまったことを少し後悔する。
落ち着くためか、細く長い息を吐いて喋りだす。
「うん、あのね」
心なしか声が震えているように聞こえた。こんな真夢は本当に珍しい。
「私、仙台に引っ越してきて、藍里と友達になれたことにすっごく感謝してる。言葉じゃ表せないくらい」
どこかで聞いたような別れの枕詞みたいだと思った。
「なにそれぇ、それは私だってそうだよ?まゆしぃがいてくれたからできたこと、いっぱいあるもん」
「うん…でも私はね、高校ではあんまり人と関わらなければ、自分が傷付くこともないかなって、最初は本気でそう思ってたんだ。だから三年間友達を作るなんてことも諦めてた」
出会った頃のことを思い出しながら耳を傾ける。
「そんな時、あのゆべしがきっかけで藍里と仲良くなれて、心から救われたって思ったの。たとえ学年が変わって別のクラスになったとしたって、藍里が心の支えになってくれれば高校の三年間も悪くないのかもなんて。それくらい私にとって藍里は『大事』になってたの」
意外な告白。私は友だちになった真夢から勇気をもらったり、勝手な憧れを押し付けたりしちゃうこともあったけど、そこまでの感情だったなんて露ほども気づかなかった。
「藍里がオーディション受けるって言って練習を見てあげてた時にはね、真剣に頑張る姿を見てて、藍里の笑顔を守りたい、なんて考えたりしてて。そんなことは恥ずかしくて言えなかったんだけど。」
話が核心に迫っていくのを感じて私の鼓動が早くなっていく。
「たぶん、その頃からもう藍里のことが好きなんだって、そういう気持ちがあったんだよ」
自省的に話す真夢の口から熱を帯びた言葉が吐き出される。
「藍里が大事、藍里の笑顔を守ってあげたい、藍里と一緒にいたい、ってこういうのは全部Wake Up,Girls!に入ったら叶ってたから、私もあんまり自覚していたわけじゃないんだけど。」
真夢が、私のことを、好き?
出会って、友達になって、親友なんて呼んだら迷惑じゃないかななんて考えていた真夢は、私のことが好きだと言う。だけど今の真夢のもの悲しげに告げる表情を見ると、たぶんそれは親愛の好きを超えてしまっているのは、さすがの私でも理解できた。
「藍里がだんだんとアイドルの活動ができるようになっていって、でもたまにミスをしちゃった時に私の方を向いてくれるのが幸せだったんだ」
恋愛については16歳のアガペーのセンターに決まった時にいろいろと考えた。人を好きになるということ、小学校の頃に好きだった男子へのあの気持ち、それは恋に恋してるってことであって、やっぱり愛とは違ったんだと今になって思った。
「早坂さんがWUGをプロデュースするようになって、藍里を切るって言われた時はね、私は絶対藍里を抜けさせたりしないって、ただただそう思ってた。あの時から藍里の意識が変わって、ずっと前を向いていられるようになったよね」
私は自分を変えたいって強く願ったんだ。
それはただひたすらに頑張った。
「私は、そうやって藍里の意識を変えた、前を向いた目線の先にいる早坂さんに嫉妬しちゃったんだ。それを自覚したらもう止まらなくて、頭の中がグチャグチャになって、それが最近の私の不調の原因だったの」
真夢がなにかを押し殺すようにして、それが原因かはわからないけど注意を受けることは最近はたまにあった。
私が自分を変えたくって、少しでもつよく在ろうって頑張っていたことが、早坂さんを尊敬して指導を受けることが、まさか真夢を苦しめることになっているとは思わなかった。
「レッスンの後に残れって言われた時はね、この不調のことについて言われてたの」
「でもそれって…」
「うん、キミは自身の感情を相手に伝えることにおいて天才的だって、そう言われたの。それってつまり頑張ってるとか、楽しいとか、そういうプラスの面だけじゃなくて逆に不満だとか、隠しごとをしてるっていうのも伝わっちゃうんだって」
今まで一緒にいた真夢も、アイドルだった島田真夢も、ひたむきで心をうつ素直さがいいと思っていたことと頭の中でつながった。
「それじゃあ、まゆしぃはどうするの?」
真夢の目には涙が浮かんでいた。
私は、聞こえてくるだろう言葉に手を握る。
「私は、藍里のことが好き。大事で、大切で、一緒にいたいって、そう思う。いままでよりも、ずっと」
真夢の告白。
頬に涙が伝っている。
私は目を見つめて、自分の手を握り締めることしか出来なかった。
真夢のその声は、綺麗に私の体に染み渡っていく感覚があったけれど、自分の想いをそう簡単には整理できるはずもなく、少しの間沈黙が続いた。
真夢から好きだと、もっと一緒にいたいと告白された。私も真夢のことが好きだ。それは親愛として。
この告白を受け入れたらどうなるのだろう。受け入れなかったらどうなるのだろう。そんな考えを巡らせる。
憧れの存在、島田真夢。
そして彼女からの好意。
私の好意の先。
なんとか返事が出来そうなくらいには考えがまとまった。
「真夢、私にとっても真夢は一番大事な存在だよ。いつだって勇気をくれて、心の支えになってくれて、隣にいてくれたもん。」
切なげに涙を流したまま、真夢は私の言葉を聞く。
「だからこそ、ここで真夢のことを私が受け入れたら、私が、私の中の全部が真夢に向いちゃうって思う。たぶん真夢と好き合えた自分が嬉しくって、何もかも、アイドルだって中途半端になっちゃうって思うんだ。」
真夢が驚いている。想像していた理由とは違ったのかもしれない。
「それってやっぱり怖いなって思う。だからさ、真夢の親友として隣に、一番近くにいさせてほしいな」
真夢はまた泣きだして私の名を呼んだ。
「藍里ぃ…」
そんな真夢を抱き締めると、
「ごめん…ごめんねっ」
なんて謝りながら、しばらく二人とも泣いていた。
「自分でも残酷なこと言ってるなって思うけど、今アイドルを疎かにしちゃったら、たぶん私、ダメになっちゃうってわかるんだ」
真夢は黙って頷いた。
「それとさ、真夢もさっき私が早坂さんを見てるって言ってたけど、こういう風に本気の告白をしてまでどうこうっていうのじゃないなって気がしたんだ。それこそ恋に恋するってやつだったのかもしれないって、さっき思ったんだ」
私は笑顔でお礼を言う。
「だから、私の目を覚ましてくれてありがとうねっ、まゆしぃ!」
寂しさと安堵とその他が複雑に混ざり合う真夢の微笑みはまっすぐで、
「どういたしまして、藍里」
その気持ちは私に伝わってきた。
どこか満たされた寂しさは冬の空みたいだった。
・・・・・
アイドルの祭典 決勝前の最後の練習で早坂さんはWake Up,Girls!にギリギリの合格を言い渡すと諭すように言った。
「ま、僕なりに点数つけてはみたものの、本当は点数じゃないから。あとは決勝のI-1アリーナで、一番前のお客さんから一番後ろのお客さんまで全員をどれだけ楽しませられるか、だ。そういう意味では合格点なんてないんだ、ホントはね。どれだけやっても百点なんて存在しない。まるで蜃気楼のような満点をずっと追い求めていくこと、それがアイドルなんだよ」
その話を聞いて、突然視界が開けたような感覚に襲われた。アリーナの端から端まで見渡せそうな気分だ。
「あとね、本当に認めてもらう相手は僕じゃない、お客さんなんだ」
私がしきりに言っていた早坂さんに認めてもらいたいというその言葉は真っ向から否定された。
たしかにアイドルはファンとお客さんがいなければ成り立たない。見るべき方向が間違っていれば伝わるものも伝わらない。
「はいっ!」
そう思うと私はきちんと前を見て返事をしていた。
だけどお客さんへとは別に、自分が自信を付けるために早坂さんに認めてほしいって思うことは悪いことじゃないよね。
普段はしない打算的な考えが楽しい。
だから私は早坂さんに認めてもらいたい。
レッスンの後、帰り際の早坂さんに追いついて言い放ってやるんだ。
「私、絶対早坂さんがあっと驚くようなアイドルになってみせますから!」
16歳のフィロス
あとがき
お読みいただきましてありがとうございます。
人生初同人誌をWUGちゃんに捧げる形となりましたが、少しでも楽しんでもらえたならよかったです。
冬コミで頒布されたすずさんの未夕本と砂糖蜜さんの真夢本に影響されて、頭の中にあるものがアウトプットできそうかなと思ったところに、ちょうどWUGオンリーがあったのでこれ幸いと申込んでしまいました。
タイトルのフィロスはギリシャ語で愛って意味です。エロスともアガペーとも違うやつですね(わかってない)
プロットでは最後までノンスマイルの予定でしたが最ハピ(最後はハッピーエンドです)に自然になっていたので勢いって怖いなって思いました。
林田藍里は「強い女」ですので、もっとそういうの増えてもいいと思います。待ってます。もしかしたらオンリーで出会えるかもしれないですね。WUGオンリー最高だ。
ハートが目覚めて花咲いてリスペクトしあいましょう。
WUG続劇場版楽しみですね。藍里が変わってても変わらなくても俺は得です。進化した永野さん期待してます。
あとがき書くの楽しすぎてヤバい。
じゃあこれから表紙描きますけど生暖かい目で見てください。小説が書けるわけじゃないけど絵も描けるようになりたいなあ。
はいっ!この話はやめっ!
じゃっくさんとカカワップさん秋の新刊超期待してます。
オンリーが終わったらアイカツ!第二シーズンと劇場版アイカツ!見るんだ・・・
多謝