あらまあ、聖子さん

あらまあ、聖子さん

なにかと話題の新元号が二つも出てきます。聖子はいくつの元号を渡り歩いたのでしょうか?

聖子、妻野と出会う

 少年は急いでいた。昼下がり、恋人と待ち合わせをしていたが、時間は一五分過ぎていた。道すがらの人に尋ねるとその答えは、「ああ。その人ならさっき通ったよ」だった。それが、最後の案内人は、「時計を見て、拳を下に突き出した途端、帰って行ったよ」と冷ややかな眼差しで少年に言った。
それを聞いた男子は走り出した。走って走って、ようやく、バス停の前で腕組みしている彼女と合流した。
「ゴメン。ゴメン」
 手を合わせ拝んでみる。
「もう知らない!」
 案の定、一七の乙女は拗(す)ねた。
こんなこともあろうかと、彼はズボンのポケットからコーヒーガムを取り出すと、彼女の前でちらつかせた。
「これで許してよ。ほんと」
「なによそれ。んもぉ~。しょうがないわね」
 ガムを彼氏の手からふんだくると小さな口に放り込み、ニッコリと微笑んだ。
 妻野泰史、一七歳。高校二年で陸上競技をしている。彼の得意種目は走り幅跳び。助走から踏み切った瞬間の僅かな滞空時間に着地点を想像するのがたまらなく好きだった。反らせた体を上半身の反動を使って目いっぱい前傾し、コンマ何秒かに己の鍛錬と努力すべてをぶつけるスポーツだと思った。本当は、そうであると言いたかったけれども、口下手な方だったので、周囲には、「すぐに終わるからそれが好いんだ」と漏らしていた。
 埼玉県F市立高校二年生だった頃、妻野は陸上部のマネージャー永山美恵と付き合っていた。
 そして、今し方、妻野少年はこのような失敗をしでかしたのだった。
 美恵は怒ると恐いからな。
 たじろいだ妻野は、バスを待っている間、顔から吹き出した汗を拭うため、鞄からスポーツタオルを取り出し、それを使った。おまえも要るか。そんな汗臭いの、嫌! 怒んなって。ガムをかみながら八月の青空と白い雲を眺めているうちに、バスが来た。いや、正しい状況を中継風にいえば、彼女の自宅方面行きのバスが既に一本先に来て、ここを出て行った。それを見ていた少年は、少女が乗らないことを何度も祈った。祈りは通じた。待ち合わせはミスしたが、結果的に、デートはゴーだ。そう思い、胸をなで下ろした少年だった。
 バスはけっこう混んでいたが、二つ先の停留所でたくさんの人たちが降り、若者らが座ってもいい状況となった。
 ドッコイショ。やれやれ。
 二人掛けの椅子に並んで座る時間が一息つかせてくれた。バス座席の窓際に座る永山さんをチラチラと見た。あまり見ていると、また機嫌の虫の居所が悪くなるだろうから、窓の外を眺めてカムフラージュしたり、後ろの座席を振り返るフリをしてみたりと変化をつけてみた。それを見抜いたとしても、美恵は前を向いて無言で通していた。
 駅前に着いた。終点でもあり、ぞろぞろと降りる乗客にまぎれ、ふたりも降車した。
「ここだったよね」
 店の名を確認するような口ぶりで肩を片手で優しく叩いてみると、小さな声で「うん」と返ってきた。駅の斜め向かいにある喫茶店。そこへ美恵を連れて入った泰史だった。
「喫茶 アクア」
 そう表紙に書かれたメニュー表を、泰史は気を利かせたつもりだったのだろう、店員から受け取り、すぐに美恵に渡した。
「わたしは、……アイスレモンティーにするわ。ハイ」
「ありがとう。ちょっと待ってね」
 飲み物ならアレと決めていたが、ケーキセットもいい。やっぱり小腹も満たそうかな。あれこれ考え出すと止まらない。結局すべての頁をめくった。頭の中では作戦会議だ。
「もう。決断、遅いんだから」
「ごめんよ」
「スポーツ選手なんでしょうが。早く決めなさい」
 せかされるとますます焦る。眉を寄せて心で閉口した。このままじゃ、踏ん切りが悪いと思われて……。ええい、
「すみません。レモンティーのアイスとナポリタンセット。僕はコーラで。一つずつ」
 と大きな声で叫んだ。他のテーブルで給仕中の店員は、少し驚いたが、向こうの用を済ませ、改めてこちらに近づいてきた。小声でオーダーを確認し、手元のメモに走り書きして注文票を卓に置き、お盆を小脇にカウンターへと帰って行った。
 その後は、運ばれてきたオーダー品を飲食し、雑談が始まった。部活動の話をし、勉強の理解しづらかった箇所を教えてもらい、期末テスト結果と成績評価を言い合った。さらには、お互いの進路はどうするか、就職した先輩の体験談、テレビのおかしかった場面や芸能人の噂話などを含めて四、五〇分ほど語っただろうか。高校生の付き合いは普段ならこの程度でよかった。泰史もそれで満足したはずだ。
 ただ、いまは夏休み真っ最中。しかも、猛暑にお盆が重なり、部活動は休みときている。これはあることを意味していたのかもしれない。そう。少年の冒険心を刺激する機会を与えているといってもよい。
 夏だもんな。さあ、どうする? オレ。
 たとえ怒っていたとしても、言われたとおりついてくる素直な彼女が彼の前に座っているのだ。男なら、男になれ。そんな声なき声が木霊するのは、気のせいか。心の叫びか。
 ここは、いっちょ、かましてみるか。
「なあ。美恵ちゃんよぉ。俺といいことしてみようか」
 なれなれしく相手の手をとって握ってみる。すると、女子は、
「えー。なによ、それぇ……。あのさ」と言って少しタメをつくり、「馬鹿じゃないの? 妻野君たら」と突き放すような冷め切った言葉をかぶせてきた。後半の言葉に迫力があってためらいはしたものの、一度くべた薪(まき)はおつむから吹き出て興奮の蒸気となり、機関車妻野号は出発進行の合図を待っていた。
「いいから。いいから。だいじょうぶ」
 少女の手を取って立ち上がり、テーブルに硬貨とお札を置いて店の外に彼女を連れ出した。いざ、出発だ。シュッシュ、シュッシュ。
「いやよ。ホントなんだから」
―――嫌がる女の本音は、「どうぞ。好きにして」。
 そんな台詞がどこかから聞こえたのか、少女を引っ張りながら歩かせる少年は、ひとり頷きながら駅の裏口へと向かった。
 駅裏の貨物倉庫に差し掛かった。夏の昼間はひと気がない。東京と言えども、この辺の駅は大きくない。暑い盛りに、こんな場所に用のある人間はいないし、来ないだろう。
 扉の大きく開いた倉庫内に入り、鉄屋根でむせ返る熱気の中、少女を壁際に追い詰めた少年は、女の背中をうす汚れた壁に付けさせた。それは男子がにじり寄ってきたからだ。女子の細い手は、こないでこないで、と抵抗したが、隆々たる筋肉をした腕が少女の両側につっかえ棒をした。それがカンヌキとなり、少女は動きを止めた。観念したのだろうか。黙ったまま俯(うつむ)いている。
 さあ、男の出番だ。そう思って焼けた唇を淡い色の唇に重ねようと顔と顔が近づいたその時、
「待って」
 甲高い声で制止された。ハッと我に返ったそのとき、男の鼻を刺すような匂いが狭い空間だけに立ち込めた。臭かった。どちらがしたのか、明らかに屁の仕業だった。緊張するあまり、尻から不謹慎な空気が漏れたのだろうか。
 思わず女は顔を赤らめ、男もビックリしたそのとき、カンヌキが下がり、女はここぞとばかりに壁から出口へ駆けだした。
 男は呆気にとられ、オレがかましてしまったのか、と尻周りの空気を掴み、何度も匂ってみたが真相は分からなかった。ナポリタンの食い過ぎなのか? 
 誰も見てないし、恥ずかしがらず、ひと思いに接吻すればよかった。あとで何度も後悔してみたが、その話は落ちが落ちだけに誰にも言わなかった。彼女がしたのなら彼女の名誉のために、逆に自分が放っていたとしても説明できない生理現象だから格好悪い。どちらにせよ、初キスがこんなことになって未遂に終わったのは恥ずかしかった。親にも話さなかった。こうして、気まずくなった夏の一日は過ぎた。気付くと、夏休みの最後まで、永山と妻野は一度も逢うことはなかった。
 蝉が鳴き、トンボが飛び始めた頃、高校二度目の夏は、秋風と共に終わりを告げ、そっと雲間に消え入った。
 新学期が始まり、恋人同士のはずのふたりがよそよそしいので、周囲からは、妻野と永山が別れた、との噂があちこちで囁かれた。体育館の白壁にピンク色のチョークで描かれた〈妻野=永山、相合い傘〉の絵も、いつしか絵のてっぺんにあったハートマークが二つに裂けたハートマークに変わっていた。なにも言えない妻野は、そうしたことを見聞きするたびに落ち込み、部活動にも身が入らず、進学も諦めることとなった。陸上競技も成績が振るわず、不振が続いて引退した。
 こうして妻野は永山と別れたかに見えた。周囲もそう証言した。しかし、裏では、永山の友人を介し、密かに交換日記を交わしてはいた。一本のロープは、辛うじてまだ繋がっていた。ただ、その内容は、恋愛と無関係の情報交換であり、何頁かは進んだものの、最後の頁には「元気でね。さようなら」の悲しい女文字が綴られ、終焉の時を迎えた。
 そして、高校三年の秋、泰史は美恵と正式に別れた。互いが、周囲の友人にその旨を告げたのだった。
「男女というのはな。ささいなことですれ違うときもある。就職や進学の準備もあるし、お互いに気持ちを整理する時間が取れぬまま、時間がふたりを分け隔てたのさ」
 そんな嘘の説明を、もっともらしい口調で妻野の口から聞かされた友人らは、涙こそ流さなかったものの、悲恋だなという顔をした。そして、真相を知らされぬまま、ふたりの新たな門出に期待し、二人をそっとしておいた。

 コスモスの花が、赤茶けた線路のそばにぽつんとあった小さな空き地に咲き乱れ、秋晴れの日々が続いた。
 埼玉県の高校から県内の食品会社に就職した男がいた。彼は、職場の上司の勧めで集団見合いをした。男女それぞれ三名ずつ。中でも、松永聖子という女性の清純さが痛く気に入り、幹事にお願いして住所を教えてもらった。
 数日後、その女性に手紙をだした。
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 前略 妻野泰史と申します。この前の集団見合いで、斜めの席に座った男です。覚えてますか? あの時はあまり話せなかったけれど、君のキラキラした瞳が忘れられず、もう一度お会いしたくてこうして筆をとりました。できれば、来月にもお会いしたいです。よければお答えをお聞かせ下さい。お待ちしております。
        昭和四九年 九月一六日   妻野拝
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 まあ。見合いの方から手紙が届いたわ。どうしましょう。
 聖子が少しためらいを見せたのは、集団お見合いの宴席では緊張しっぱなしであり、相手の話がてんで頭に入ってこなかったからだ。
 考えた末に、松永聖子は次のような返事を出した。
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 拝復 松永です。この前の方ですよね? あの時は、前の晩から眠れず、自分を紹介をするのと、出された質問に答えることだけで精一杯でした。そのため、皆様のお顔と名前が一致せず、記憶が錯綜しております。すみません。お名前は存じておりますが、正直、どなたが何を話されたのか詳しく頭にございません。わたくしのことが気に掛かるのならば、一度会って頂けませんか? できれば一〇月二日新宿伊勢丹百貨店でお願いします。新宿駅東口にある中村屋本店一階の喫茶店にて、一四時にお待ちしております。では、また会える日を楽しみにしています。ご健康にご自愛の程を。 不宣
       昭和四九年 九月二四日  
**********************
 この手紙を信じた両名は、新宿中村屋本店の喫茶店で無事に再会することが出来た。泰史はグレーの背広に身を着込み、同色の中折れ帽を被って現れた。見るからに平日のサラリーマンそのものである。洒落た私服など彼は持ち合わせていなかったのだ。一方の聖子はと言うと、白いカーディガンに薄黄色のワンピースを身にまとっていた。こちらはいかにも清楚な山の手風のお嬢様といった趣である。二人は中村屋の喫茶店で窓際に座り、紅茶やコーヒーを注文し、カップを傾けながら思い思いの話を繰り広げた。
「秋になりましたね」
 深く考えずに取り敢えず思いついたことを言ったつもりだった。
「ええ。もう一〇月」
 〈秋〉という言葉に反応し、なにかのイメージを重ね合わせるかのような憂いを帯びた遠い目だった。
 少しデートには不似合いな雰囲気になりそうだと判断した泰史は、そのムードから注意を逸らそうとしてみた。
「ま、松永さん。秋と言えば、なんですか。いろいろあるけど、オレは食欲の秋です」
 おどけた口調で明るく返してみる。
 すると、感傷から解き放たれたのだろう。こちらも明るく笑い声が上がった。
「食欲ですか。いやだ。恥ずかしい」
 少し顔は赤くなり、赤い口紅を塗った唇はプルプルと小刻みに震えている。
「ははは。なにも恥ずかしがらなくても。松永さん。涼しくなれば秋の味覚がおいしくなる。誰しも、おいしいものを食べたくなりますよ」
「そ、そうですね。わたし、栗が好きなもので」
「ほう。マロンですか。ロマンですな。ケーキだと、モンブラン」
「うふ。よくご存知で。甘党の方ですか」
「いえ。そういうわけではないですが。会社で先週、頂きまして」
「もしかして、食品会社にお勤めでいらっしゃいました?」
「はい。見合いのときにも言いましたが、豊成食品というメーカーにおりまして」
「ああ。そういう話が出ていたような。すみません。わたし、話された方のお顔と名前が一致してなくて」
「いえいえ。いいのです。気になさらず。それでも、こうして僕ら二人が特別に会えているわけですから、あのお見合い企画も、あれで成功したんですよ」
「まあ。いい方に解釈できる方ですね。素敵ですわ。その食品メーカーというのは、どういったものを?」
「はい。栗の加工はしておりませんが、冷凍魚や魚肉を中心に海産物の加工品を扱ってます。これから著しい経済成長が見込まれ、家庭での消費量も増加しているので、東京一円の扱い量も格段に数を増やさねばなりません。そうした消費や流通面で革命が起き、活況を呈する寸前の現在です。自分は、加工品販売から営業や流通・物販企画などを担当しております」
「まあ。専門家みたいですこと。頼もしいわ」
「はは。まあね。仕事ですから当然ですが。もっとも、主任の口癖の受け売りなんですが」
「ふふ。どこまでも正直な方ですね。いい人だこと」
「会社は右肩上がりですし、仕事も業績も堅実に運んでおります。松永さん。オレは、真剣にあなたとの将来を考えてます。東京に住み、子どもらと共に豊かな街の中で、豊かな人生を送りたいと思っております」
「はい。私も同じ考えです。こちらこそ、どうぞよろしく」
「はい。確(しか)と承りました」
「まあ。ふふふ。お客さんから注文を受けたみたいな言い方ですこと」
「は。ははは。真面目なことを言うと、言葉が固くなりますね」
「まあ、そう緊張なさらずに。私も、喋る相手がはっきりしていると、落ち着いて過ごせますわ。それと、相手があなたで良かったです」
「ホントですか。それは良かった。的が一つで。いや、狙いやすいですかね」
「え……。それを言うなら、カメラの焦点を合わせやすいとでも言うか」
「まあ、そっちの表現の方がふさわしいですね。それはさておき、松永さんのご家族は? 確か、お父上が詩人をなさっていらっしゃる方だと伺ってますが」
「はい。松永哲太郎という詩人でして。いろいろと雑誌や詩集などに書いております。出版も」
「ほう。やはり、そうでしたか。いえね。あの集団お見合いの日、帰宅してから家の者に聞いたんです。松永なんとかという詩人はいるかと。そしたら、父曰く、『松永テツタロウ』という詩人がおるよ、と申しておりました」
「お恥ずかしい限りです。最新作『星沙抄』を一一月中旬に上梓することが決定してまして。ご参考までに」
「はい。是非購入し、一家で回し読みしたいと思います。僕の方はご存知で?」
「い、いえ。失念しておりまして」
「そうですか。手前どもは、至って普通の家庭でして。親父は、元々は川崎の方で製鉄関連の仕事をしてました。今はそこの会社役員をしております」
「はあ。そうですか。ご健在なんですね」
「はい。まだ若く、働き盛りで。あと三〇年間は現役でも構わんのに、と豪語しております」
「ところで妻野さん。貯金はありますか」
「貯金ですか。まあ、家賃半年分ぐらいはありますが」
「結構ですね。やはり先立つものも要りますし、蓄えがあるに越したことはないと申しますから」
「いや、まったくその通り。オレは煙草を吸うけど、酒もあまり飲みませんし、賭け事に関しては一切やらない性分でして。その点は保証します。ですから、マイホームのためにせっせと働いて貯めていきますよ」
「よろしい。よくぞ言いました」
「ははは。お恥ずかしいですが」
「ねえ。妻野さん。そろそろ百貨店に移動しましょうよ」
 話が弾んで、時計の針が一巡半ぐらいしていた。
「ああ。いい時間ですね。うっかりしてました」
 促された妻野は腰を上げ、ふたりで中村屋を出た。ゆっくりと新宿東口をそぞろ歩くと、やがて伊勢丹百貨店の高いビルディングが大きな陰を作り、行き交う買い物客に日陰を提供していた。
 店内に入った妻野と松永は、きらびやかな宝飾品や海外ブランドの靴などを眺め、休日でごった返す百貨店の人混みをかき分けるようにして進み、時折立ち止まっては靴やハンドバッグなどを品定めしたりしながら、楽しくあちらこちらを見て回った。聖子がしんどそうにしている様子を見かけた男は、屋上遊園地へ行きましょうか、と誘った。ええ、いいわよ。聖子も同意してふたりは屋上へと上がった。気持ちのいい青空の下、遊具施設で大はしゃぎする子どもたちの歓声を聞きながら、ふたりはフェンス手前のベンチに腰を下ろした。泰史は足を組み、屋上に広がる一〇月の青空と白い雲を見つめるふりをして、さりげなく自分の尻を彼女の近くにすり寄せてみた。女子は恥じらいながら、手で押し返していたが、一〇秒足らずで白旗を上げた。
「もう、妻野さんったら」まだ力関係は男の方が勝っていた時分ではある。いずれ、あっけなく逆転するものの、まだ相手も強くは出ない。
「子どもが見てるでしょ……」
 小さく彼の耳元で囁いた。その声が聞こえぬかのように無視し、男はなおも尻をグイグイと押しつけ、密着してくる。互いの空気がいやらしいムードになりかけたそのとき、
 パーーン。
 小さな白黒の球が泰史の足にぶつかった。広場から蹴り出されたサッカーボールだった。彼の足に当たり、ころころと地面を転がっている。
 やれやれ。もう少しだったのに。
 苦笑いした泰史は、ボールをくれ、と催促する子どもら目がけ、屈んで手に取ったボールを力一杯ほうり、投げ返してやった。
「あはは。悪いことしちゃいけませんて。悪は続かないのよ」
 その軽妙な皮肉に場が和み、尻攻撃は中止された。
「さっきはどうもすみません」手を頭の後ろにやって、ベンチに戻ってきた泰史はそう言い、「若い力がつい暴走して」とも弁解した。
「ふふふ。青空の下では慎み遊ばせ」
 ひとときのスキンシップが嵐のように過ぎ去り、心なしか少し寂しさも感じた聖子は、言葉で彼を慰めようとした。
「ねえ。妻野さん。いえ、泰史さん。今度会うとしたらどこがいいですか? わたし、山登りしてみたいわ。あまり、ピクニックとかに縁がなくて、憧れているんです。私がお弁当を作りますから、日帰りで野(の)蒜(びる)山(さん)にでも行きませんか」
「はい。ぜひ。喜んで」
 こうして次の逢瀬の約束も取り付け、安心して屋上を後にした二人は、紳士服売り場の階に立ち寄り、背広やネクタイを物色し、なにも買わずにさらに下へ降りた。地下で木村屋のあんパンを買い求めた泰史は、「お父様にどうぞ」と言ってその包みを紙袋ごと聖子に手渡した。
「まあ。ありがとうございます。父も喜びます」
 丁寧に礼を言い、頭を下げた。そして笑顔で手を振り、
「きょうはこれで」
 と挨拶した。それで終わりかと思いかけたその時だった。とつぜん泰史の近くまで急接近した彼女は、つられて手を振る泰史の手に自分の手を合わせ、パンパンパンと三度叩いてタッチしたかと思うと、あっという間に離れ、群衆の雑踏の中に紛れ込んで姿を消した。
 あああ。
 突然あられが降り出したと思ったら、瞬く間に雲海へ消え……。あまりの突飛な早業にビックリし、呻(うめ)き声しか口を突いて出ない。女の計算され尽くした「掌パンパンパン」に?然としつつも、口から涎(よだれ)が垂れそうなほど、トロ~ンとする妻野だった。
 か、かわいいヒトだ……。
 心は天使の悪戯にタジタジとなり、弓矢に射抜かれてぴくぴくと悶え脈打つだけだった。

 その後しばらくは山にいく予定が立たず、喫茶店で落ち合っては、好きなテレビ番組の話をしたり、映画館でロードショーを見るようなありきたりのデートを繰り返した二人だった。それは周囲の友人たちや街中でも普通に見かける光景であり、ある意味、順調に交際が進んでいる証であった。だが、聖子は、自分の気持ちや相手への思いを吐露したくなっていた。当たり障りのない話をするのなら、友人にするのと変わらないじゃないか。一歩踏み込むには、自分の姿を晒(さら)すこと、さらけ出すことこそ、恋が発展するきっかけになるだろう。そう彼女は思った。
 あるとき、それを実践する場ができた。いろんな話をした後で、彼女は思いきってこう言った。
「妻野さんは女性を楽しませるのがお上手なんですね。とっても。私、舞い上がってます。今まで男性と付き合ったことがないから、自分の異性に対する気持ちをうまく表現できなくて。とってももどかしいわ。わたし、本当にあなたのことを愛しているんでしょうか」
「そんなこと、気にしなくていいんだよ。好きならずっといたいし、そうじゃなきゃ自然と離れて行くもんだ」
「なるほど。そうですよね。わぁ。妻野さんて大人なんだわ。男性経験がないなんて言ったりして、わたし、恥ずかしい……」
「いいんだよ。照れるなって」
 聖子の腕を取り、軽く触れてみた。
「わたし、同世代の男の人と、今まで気が合わなかったんです。小さい頃から、ずっと父が、優しく面倒を見てくれて、いつの間にかお父さんっ子になってて。大人の世界というか、なにもかもよく考え抜かれ、洗練されたものだけに囲まれて暮らしてました。書棚には名だたる文豪の作品がずらりと並び、音楽もジャズかクラシックしか家では流れてませんでした。母の作る手料理は極上で、お店で食べるよりもずっと美味しいの。娯楽に関しても、映画や海、山へ遊びに行くことは稀で、親戚の別荘に何日も泊まりがけで行くとか、車で遠出して温泉宿で過ごすとか。それって、今になって分かるんですけど、大人の楽しみ方ですよね? 私の家では、子どもを一人前の人間として扱う傾向があって、子どもじみたことは一切やらない。誕生会もピクニックもやらせない主義だったんです。だから、学校の男子なんかは単純で安っぽく見えるし、価値観が合わない。下に見てました。もちろん女子とも合わなく、友達は少ないです。そして、早く大人になりたい、大人になってその世界にどっぷりと浸かりたいと」
「うん。そういう家庭もあるらしいよ。オレは気にしない」
「ありがとう。妻野さんにも、子どもっぽい部分が見えます。でも、同時に大人としての優しさも感じるんです」
「そうかい。たとえばどこに?」
「う~ん。例えば、……。相手を悪く言わないとか、楽しい方へ導いてくれる点もです。初めて二人っきりでデートをした新宿の喫茶店でも、食欲の秋から仕事の話へとつなげたじゃないですか。あのとき、それを発見しました」
「ああ。あれね。そりゃあ、楽しい方が心地よいし、会話も弾むから」
 妻野という男は、若い割に気の利くタイプで、紳士的な面も垣間見える。聖子はかねてからそう感じていた。この時代に生きた若い女性にとっては、こうした男性は生涯のパートナーとして申し分のない好青年の部類に入ることであろう。

 あるとき、若い娘はこう話した。
「一生物の恋愛は虹みたいですね」目がきらきら輝いている。
「え? どうして?」
「それはね。空にパッと現れて、楽しませてはサッと消えるからです。恋も同じ」両手を組み、視線は虚空を見つめている。「なるほど」と男は言い、乙女の言葉に右手を顎に当て、小さく頷き、身を乗り出して聞き入った。
「しかもね。意外な場面もある。東京タワーにかかる時もあれば、富士山にかかる虹もある。太陽の塔にもハワイの海に沈む夕日にも。素敵よ。写真でしか見たことないけど」
 得意げに続ける興奮気味の虹評論家女史は、饒舌になっていた。確かに、聖子の言うように、名画や写真にでも出来そうなくらいハッとする派手な見せ方を自然界は演出する。その取り合わせの妙は、実に素晴らしい。世紀の大恋愛と同レベルのようであり、永遠に心に残り、それなのに?もうとしてもなくなってしまう。儚(はかな)いわけだ。
 虹のような恋愛とは、いつの話を指すのだろう。泰史は思った。まあ、自分たちはそうでないな。昔話か、友だちの恋愛か。一方の聖子も、そういう憧(しよう)憬(けい)に描く理想と、現実の恋とは違うということを承知していた。なんであんなこと彼に訴えたのだろう。G・G・ジュークのロマンス小説にあった虹は作り物なのね。でも本当にそういう恋をする子もいるのよね。文学好きの娘は、しかし、偽らざる自分の気持ちを言葉にしたかった。それを相手に伝えたかった。あなたと私の間には、恋の虹が架かっている。澄んだ青空を渡る希望のアーチが。訴えても目に見えない光景に酔いしれる自分という存在を、あなたはただ受け止めてくれるだけでいい。聖子は、己の投じた会話を、しっかりと泰史が聞いてくれたことだけで満足していた。彼に感謝したかった。
 ああ。いま、わたしは幸せなんだわ。そう。若さの特権。乙女のいちばん望むものを手にしているのよ。
 輝く未来に足を踏み入れ、聖子の胸は大きく膨らんだ。

 やがて、若者たちの恋は、愛の気配が深まるにつれ、会話の中にも自然と結婚の二文字が出てくるようになった。
「ねえ。泰史さん。こんなに光がまぶしいわ」
「そうだな。久々の秋晴れだから」
「ほら。あの山の中腹、見て。まだ紅葉がきれいなの」
「そうかい。ちょっと待って。ああ、そうだね。とっても」
 車を運転する男は、カーブの対向車に注意を払いながら、助手席の窓越しに映る絢(けん)爛(らん)たる錦秋の山々に目を奪われそうになった。
 やっと今日という日を迎え、念願だった山登りが実現することになったのだ。秋と言うべきか、暦では一二月に入っていた。
「京友禅のような」さらに付け足しをした。
「まあ。いい例えだこと。本当に、赤や黄色が織物のようよね」
 感心して顔が綻(ほころ)ぶ。繊細な美意識には、敏感に反応するらしい。
 車は山道を曲がりながら頂上を目指し、走ること数分で頂に着いた。目的地の駐車場に車を停め、先に降りた男は、車の前を通って回り込み、助手席のドアをゆっくりと開けてやった。秋の出で立ちに身を包んだ恋人が手を伸ばし、「ありがとう」と礼を述べる。手をとった男は「うん」と優しく答えると、腕を三角形にした。その太い二等辺の間に華奢(きやしや)な腕を通した聖子は、「いきましょ」と声を掛けた。
 駐車場をつがいのオシドリのように仲むつまじく歩くと、ふたりは板張りのデッキに差し掛かった。聖子は腕を抜き、掌を結んで腕を左右に広げ、思い切り伸びをした。
「ああ。空気がおいしい。すがすがしい。山はこんなに違うのね」 
 感嘆の声が上がる。周囲の老夫婦が、微笑んでこちらを見ている。
「そうだな。日本の自然てやつは、都会人を温かく迎え入れてくれる感じがする」
「そんな台詞が、あなたの口から出るなんて。笑っちゃう。あ! あっちの景色もいい眺めよ」
「どれどれ。うん。とても美しいね」
「きょうは来てよかった」
 二人はそばにいた夫婦を捕まえ、持参したカメラを渡すと、山の絶景をバックにお決まりのポーズをとった。
「ハイ。チーズ」
「ありがとうございました」
 峠の休憩所で一服し、腹ごしらえを終えてお腹を膨らませた泰史は、鼓を叩いて三波伸介の真似をしてみせた。
「まあ。狸みたい。信楽焼?」
「ちぇっ。そっちかよ」
 ハハハと笑い合う二人を照らす柔らかな陽射しが、黒髪をじりりと撫で付ける。聖子の髪の匂いが甘く香り、秋風に吹かれて男の鼻腔をくすぐった。
 フーン。のんびりしたらイイことあるな。無邪気にはしゃぐ若い乙女を見ていると、このまま彼女が風に溶けてしまいそうだ。
 男は白昼夢と戯(たわむ)れた。出会いから三ヶ月と数日が過ぎた今日、レンタカーでドライブしたふたりは、傍(はた)目(め)には恋人の関係から大人の関係へ発展している風に見えただろう。ふたりは山を下り、都会に戻った。
「きょうのドライブ、楽しかったな」
「ええ。とっても」
 レンタカーを返し、駅ビルの中にあるレストランに入ったふたりは、夕食をともにした。
「本当に心配りの行き届いた名店ってのはさ。ご飯で分かるな」
「どういうこと?」
「出された皿に付いてくるご飯がさ。もうパサパサしたり、冷めてたりするのは最低なんだよ。まるっきり客を馬鹿にしてる」
「ああ。分かるわ」
「だろう? 客が食べ始めて五分後に、程よくふっくらした状態になるメシ。それしかないって」
「さすがに食品会社の営業マンね。その知識はどこから?」
「いや。オレの胸三寸だけどさ。まあ、食ってりゃ、気付くよ。当たらずとも遠からずっていうか。通(つう)ならそこを見てる」
「食べることに関しては、右に出るものなしね」
「いやあ。それほどでもないけどさ。やっぱり、家庭料理がいいに決まってる。頑張れよ。未来の名コック!」
 注文した料理が運ばれてきた。それを食べながら、話は未来の妻野家のことになった。もちろん、親と別居、二人だけの新婚生活になる予定で、周囲や家族にそれは話してある。
「わたし、もうそろそろ嫁に行く準備をしないと」
「ああ。大いにやりたまえ」
「そうよね。まずは料理から。自信はあるけど、いちおう基礎のおさらいをするために、料理教室に通おうかと思ってるの」
「いいんじゃないの」
「そうでしょう? あと何かしら」
「あとは……。洗濯とかアイロンがけ、裁縫、お茶の出し方とかかなあ」
「着付け講座、日舞、茶道、華道、書道、……」
「おいおい。ぜんぶ習う気か」
「ふふふ。冗談よ。着物と日本髪ぐらいは結えるようにしたいけど。まあ、洋装が多いでしょうし、心配ないわ」
 すっかり主婦の顔つきに近づいた聖子は、家庭での暮らしぶりを想像しては、それを会話に挟(はさ)むことが増えていった。二人は結婚の道へまっしぐらに突き進むべく、結婚後の生活を何度も話し合い、同じ屋根の下で暮らす日が来るのを今か今かと待ちわびて過ごした。

 昭和五〇年当時、JRは国鉄と呼ばれており、とくに近距離路線は国電の名で親しまれた。泰史の会社は埼玉にあり、電車で通勤するには赤羽線(現在の京浜東北線)を使う。その前年は田中角栄の金脈問題が発覚し、四九~五一年にかけて、世間はロッキード問題で大揺れだった。三億円事件の時効が成立し、新幹線が博多まで開業した昭和五〇年は、女性のエベレスト登頂から宇宙船ドッキングまで輝かしい足跡を残した年だったが、国内に目を移せば、ゲリラにスト、不況に荒れる年となった。
 埼玉県川口市にある豊成食品を退社時間の三時間後に出た泰史は、聖子と池袋で待ち合わせをした。新居の物件選びと住む町の雰囲気などの下調べも兼ね、ふたりは夜の池袋を腕を組んで散策した。季節は二月を過ぎ、寒風が吹きすさぶ中、組んでいた腕を男の腕に絡(から)みつかせると、ねだるような甘い声が出た。
「ねえ。泰史さん。お腹がすいたわ。いい加減、適当な店に入りましょう。鍋でも突つき合いたいな」
 背を丸め、男の腕をたぐり寄せて肩にもたれかかる。寒さを凌(しの)げるし、愛情も伝えたいのだろう。
 二人は赤暖(の)簾(れん)をくぐった。店に入ると、適当に注文し、遅めの夕食を摂った。
「赤羽線、すごい混んでたよ」
「あら。やっぱり?」
「うん。八時を回っているのにな。国電の混雑なんてちっとも解消されないな」
「お疲れ様です。あのさ。結婚したら、車通勤にする? それとも電車通勤?」
「まあ、まだ住む所が決まってないからさ。その場所とお金しだいだけど。もし池袋に住むのなら、車で通う方が会社へは早いかな。でも、道が未整備の区間もあるし、渋滞に巻き込まれることもあるだろうし。現実的には、やっぱり国電を使うのかな」
「そうよねえ。ところで、泰史さん。お婆さまの病気の具合はどうなってるの」
「ああ。それね。祖母は高齢で、骨折して入院した。そのさなかに肺炎にかかったんだ。それは前に言ったよね? それで、病状は一進一退。たぶんしばらくは存命しているさ。いまの時代にしちゃあ、長生きの方だよ」
「そう。よかった」
 聖子は一息つこうと、水のお代わりを店員に頼んだ。テーブルに置かれたカニすきの鍋は食べ尽くされ、ふたりの胃袋に収まっている。聖子の体が汗をかき、水分を欲するのも不思議ではない。泰史は瓶ビールを空にして、赤ら顔だった。
「それより、嫁入り修行の方はどうなんだ」
「ええ。大丈夫よ。バッチリ」
 明るい笑顔が泰史の救いとなった。
「そうか。オレさ。いま仕事が忙しくてさ。付き合いが悪くなってゴメンな」
「そうなの。わたしは平気よ」
「すごく外回りが活発になってね」
「いいじゃないの。営業なんだし。会社に貢献している証拠よ」
「ああ。来週、仕事で海馬営業所と日野営業所、それに湘南営業所の三カ所を回るんだ。社用だからもちろん会社の車で。一日中移動ばかりで疲れそうだよ」
「まあ。それは大変ね。じゃあ、私が実家にお邪魔して、お母様と一緒に美味しい晩御飯を作りましょうか。腕によりをかけて、とびっきり栄養のあるものを」
「うわ! やった! それ、いいじゃん。ぜひお願いするよ」
「はいはい。じゃあ何か考えとくわね。うふ。(うーーん)」
 聖子は満面の笑顔で唇をつんとさせ、合図を送った。泰史は周囲の様子をうかがうと、隙を見て彼女の赤い唇の上に自分のを重ね、軽くチューしてやった。
「ところでさ。住む所だけどさ。賃貸でいいよな? それは仕方のないことだ。先立つものがない。賃貸は適当に安いのを見つけるとして、少し先の話をすると、マイホームを建てるんなら、どこの土地がいいかな? どこか希望はある?」
「うん。すみれが丘か青葉台がいいわ。新聞広告にも大きく取り上げてあったし」
「多摩丘陵か。多摩田園都市のことだな」
「そうよ。ニュータウンに住んでニューライフを家族で送るの」
「それもいいな」
「憧れるわ。そうなれるように、頑張って稼いでね」
 聖子は軽いウインクを泰史に投げかけた。泰史もおどけ、投げられたボールを受け取る仕草をしてみせる。
「家具とかは徐々に揃えるけど、とりあえず、なにが要る?」
「冷蔵庫、洗濯機、扇風機、こたつ。親が言うには、カーテンと枕や布団は初日から要るぞってさ」
「なるほど。家族に打診してみてさ。持ち込める物は持ち込むか。他には?」
「テレビはどうするの?」
「そうか。肝心のを忘れていた。小さなのを買ってさ。こどもができたり、壊れたりしたら、大きいのにして」
「そうよ。田園都市に引っ越したら、テレビも二〇万円ぐらいのパナカラーにして」
「まあな。でも、家事が忙しいと、そんなに見る時間なんてないだろう?」
「えー。そんなあ。『欽ちゃんのドンとやってみよう!』は見たいし、『兼高かおる世界の旅』も見たいわ。面白いわよ、テレビ」
「それは否定しないな。まあ娯楽の一番手か。映画もたまには見に出ようや」
「ええ。オードリー・ヘップバーンが出ている名画や恋愛物でも、ロードショウでもいいわ」

 仕事終わりにちょくちょくデートを重ねていた妻野も、付き合いだして二年目の七月になると、ときどき営業車を回して、昼間から聖子との逢瀬を決行した。大胆な行動に出たのだ。むろん、仕事の空き時間や待ち時間を利用して狙いをつけ、綿密に計画を立てて時計を睨んで計算をしたから、大きくばれるようなことはなかったらしい。
「大丈夫。課長には、ばれていないから」
 そうした言葉をなんど聞いても、最初のうちは聖子も気が引けた。
「三〇分だけね」「きょうは四五分か。もっといたいわ」「一時間もあるの?」
 不安そうだった松永も、泰史の落ち着き払った態度と余裕に気が大きくなっていき、次第に大胆になっていった。大きく背中の開いたワンピース、ノースリーブのドレスなど、逢い引き目当ての服装をするようになり、待ち合わせ場所も人目につく新宿や渋谷を指定した。豊成食品のロゴが印刷された車にも慣れ、そうした場所で拾ってもらい、ドライブやデートを楽しんだ。
 泰史の方はと言うと、だんだん大胆になる聖子の挑発を食らって、調子に乗りそうな自分を必死に抑えていた。しかし、助手席に座る聖子のスカート丈はだんだん短くなる一方であり、最近はミニスカートで乗り込んでくる。座ると、ミニの丈が尻の方に引っ張られてますます短くなり、泰史もうろたえたり気遣ったりしながら、喜びを隠せはしなかった。そのむっちりとした太股を目にするうちに、白い柔肌に触れてみるようになった。聖子は何も言わなかった。特に咎(とが)めず、されるがままであった。露(あら)わになった柔肌に、目が、手が吸い寄せられた。その素肌は眩(まぶ)しく感じられ、滑(なめ)らかな肌触りは男を興奮させた。その目の保養と手の戯れが楽しくて、何回も外廻りを希望した男は、時間の許す限り、昼間の聖子を狭い空間で独り占めにした。車に誘うのが快感になっていた。
 聖子も聖子で、チューはしたけど、正式なキスはまだしてないわよね、そろそろイイ頃かしら、などと思っていた。
 車の窓に濃い色のフィルムを貼り、外から覗かれないようにしてエッチな行為に及ぶ若者たちもいる中で、このカップルはさすがに節度を守り、一線は越えなかった。勤務時間中にネクタイを外すような行為はさすがに憚(はばか)られると思う紳士、それが妻野だった。いや。ほとんど紳士も骨抜きだったが。
 本来なら、デートを二〇回も重ね、まだキスをしていないカップルも珍しかったが、このふたりに関しては、どうみても仲良し若夫婦といった揺るぎない甘さが漂っていた。それを感じ取ったのだろう。お互い、そうした行為を特に意識することのないまま二人の距離は接近し、いつでもどこでも出来る準備は整っていた。少なくとも、松永の方はそう思っていた。それが証拠に、聖子は、清潔な服装の妻野に負けじと綺麗な洋服を着込み、唇には赤い口紅を引いていたし、ハンドバッグのポケットには万一の避妊具も入れていた。
 そして、きょうも、いつも通りの装備をした聖子は、妻野の誘いを受け、夜に映画館でレイトショーを鑑賞した。その洋画の中身は、おとな向きで鮮烈だった。聖子は、あまりに濃厚なキスシーンに酔いしれ、それが頭から離れなかったのか、映画館を出てすぐレストランに入り、食事をしていた際にも、たびたび映画の場面を振り返った。そして、彼女は最後にこう言った。
「ねえ。泰史さん。アレはふたりの新居で済ませるとしてさ。キス。フレンチキス。してないよね」
「ああ。そうだね。どうしようか」
 男は考える素振りを見せた。しかし冷や冷やしていた。
 食事のあとはマズイ。特にナポリタンの後はいちばん危険だ。過去が物語っている。
 そう内心では思っていた。それゆえ、女の決断を踏みとどまらせるような言い訳を二、三かさね、早々にその場を逃げるように振る舞い、話題を変えてお茶を濁し、その日は別れた。
 そうこうするうちに、昭和五〇年も年末を迎えた。
 泰史は冬のボーナスが支給されると、その給料袋を大切に鞄に仕舞い込んだ。退社してもいいですかの目線を課長に送り、仕方ないなの表情を読み取ると、泰史はタイムカードを押して課の扉を開け、退社した。そして、喜び勇んで銀座へと向かった。即金で予約していた指輪を買いに行くのだ。この日ばかりは、重い袋と銀座のネオンが自分の足取りを軽やかに持ち上げてくれている。そんな気がする泰史だった。宝石店に行き、注文品を受け取り、袋から聖徳太子を何十枚も出して数えてもらう間、他の客の視線が気になった。俺はどう見られているんだろう。羽振りのいい若造が買い物しているよ、なんて言われてたりして。ふふふ。
 宝石店を夜七時半に出て、男は婚約者と待ち合わせをした。夜の銀座を歩くカップルたちの中に混じるひと組の人影は、幸福行きの電車に相乗りした。そんな気分に浮かれていた。家族という名のパラダイスとも言えるか。泰史は思った。時計塔が八時の鐘を鳴らし始めると、泰史は鞄からさきほど買い求めた青色の小箱を開け、銀色に光る小さなリングを取り出した。聖子にプロポーズの言葉と永遠の愛を誓い、薬指にはめてあげた。
 結婚式は二月の予定だ。その数ヶ月前から新婚生活を始める。賃貸アパートの手付金は既に支払ってある。来週日曜に池袋の新居に引っ越しをし、ふたりで住む段取りになっている。つまり、式を挙げる前にお試しで共同生活が始まることになる。まあそれは世間体であり、式の後でも前でも、夫婦がなすべき共同作業は同じことだ。式の後で新婚旅行をするけれど、旅先からそれぞれの実家に戻り、また落ち合う新婚カップルというのはおかしかろう。そういう配慮から、式やハネムーンの前に住む場所を確保するのが常識だった。やっぱり、しばらくは、水入らずで過ごしたいもんだ。妻野もそうした風潮を踏襲した。ハネムーンの甘さを残したままで二人きりになりたいのは、今も昔も変わりはない。
 子どもが生まれ、大きく育ったときに、写真館で家族写真を撮影しよう。そういう約束も交わした。年明けに市役所に婚姻届を提出する。そうなったら、誰がどう言おうと夫婦であることに間違いはない。それまでの年末年始は、仲睦(むつ)まじく二人でアパートを借りて住み、だれの干渉もなく、甘い年の瀬と正月を満喫しよう。そう約束した二人だった。

聖子、命をはぐくむ

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 昭和五一年一月、わたしは泰史さんと結婚をする。長かった交際期間もここまでくるとあっという間に感じられ、長い長い夫婦生活が本日からスタートしたのだ。
 わたしは晴れて妻野家の嫁となり、妻野聖子を名乗れるのだった。式は二月一四日、大安吉日だ。
 そして、結婚式は無事に済んだ。それが終わると、薔薇色一色だった新婚生活にも次第にさまざまな影があるのを知るようになり、旦那以外の様々な要素が起きて絡み合い混ざり合い、思わぬ色にも染まりだし、洗っても洗っても取れない汚れのような日々が過ぎていった。
 家事労働の負担も予想した以上に重く、あっという間に私は年をとった。
 かくして、わたしは妻野泰史と暮らし始め、その一年後に長男が生まれる。ここからが〈妻野聖子を巡る半生記〉の幕開けである。
 いま振り返ると思い出は尽きないけれど、中でも、子どもらとワイのワイのと料理を作ったときが一番楽しかった。やはりわたしも母親であるからして、小さな子どもらが女親に対して尊敬と感謝の気持ちを忘れずに持つのは、いまで言う「食育」がとても大きな割合を占めることになると思う。
 真理が六つ、孝道が八つのときに巻き寿司を作らせた。
 この年の雛祭りは特別だった。子どもらに料理をさせる約束の日でもあった。朝から柔らかな春の陽射しが降り注ぐ中、エプロンに三角巾をしたミニ板前ふたりが、ちょこんと椅子に座っている。わたしが手順を説明している間のことである。
 巻き寿司は、巻きすを用意し、寿司桶の代わりに銀ボウル2つ、ウチワ2枚を特別に準備した。ウチワで酢飯を扇ぐのだ。そのコツも覚えさせたかった。「させた」と言っても強制した覚えはない。ちゃんと子どもらの意思を確認した上で、指導したのだ。わたしが見本を見せると、真理はすぐに喜びの声を上げ、「私もやりたい」とせがんでくる。こうした自主的な意志、自由意志に任せる所も大きいのだ。
 興味を持つこと、なんだろうな知りたいなと心に思うこと、なにはともあれ試すことや挑戦すること。こうしたことを身につけてもらいたくて、機会を設けることで学び取っていって欲しい。私はそう願っていた。
 世の中、簡単には事が進まないの。自分で何でも手に取り、匂いをかぎ、体験してみよう!
 わたしは子どもらに普段から、そう提案していた。
 さて、巻き寿司作りに話を戻そう。
 手巻き寿司のような旦那でもできることはさておき、具材を揃えること、酢飯を作ること、海苔で巻き込むことの三つが大まかな工程である。かんぴょうや高野豆腐をぬるま湯で戻したり、春菊をゆがくのは私が自ら実行した。玉子焼き(錦糸玉子)作りと、戻した材料に椎茸を加えたものを甘辛く煮込むことを、わたしが付き添いながら子どもらにやらせた。
 孝道ときたら、几帳面なの。フライパンで玉子の火の通り具合を観察し、「ねえ。玉子、まだ?」と訊ねてくるし、まな板の上でそれを包丁で切って錦糸にするときも、「長いのと短いのができるよ」とか「同じ太さにならないよ。ママどうしたらいい?」とか愚痴り出す。
 そんなに難しく考えなくていいのよ。
 一方の真理は、棚から出した調味料を同じ場所に集め、段取りよくスイスイと椎茸やらを煮付けていく。この子は料理の才能ありだわ。私の目に狂いはない。そう感じた。孝道は学者肌かしら。形とか時間にこだわるあたりは。よく見て、レシピと照らし合わせてもいる。慎重派だ。旦那の血の方が濃いのね。しかし、速さを要求される料理では、慎重さは大胆さに勝らないのよね。わたしなんて、ちゃらんぽらんとは言わないけれど、だいたいが目分量で、こんな感じだったかしら、これで良さそうね、でどんどん先へ進んじゃうんだけど。料理の手際だけに焦点を当てるのなら、私のやり方の方が腕が上がるタイプね。なにごとも、コツって難しいのよ。いろんなバランスを取るのが。
 具材の方は、レシピを読み上げ、そこそこには出来た。炊けたご飯に、酢、砂糖、塩を入れる。いわゆる合わせ酢をかけて酢飯作りを行うのだ。この二段目が、けっこう手間取った。ボウルにご飯を入れるとき、こぼしたりもする。酢飯をしゃもじで切り、手早くウチワで冷ますのだが、この「切る」も意味が伝わらない。切るとは筋目をつけること。ハサミで切る時のように、二つに分割すると思っているのだ。それとは違うのよ。
「こうこう。いい? 同じ所ばかり切っちゃダメでしょ?」
「えー。じゃあさ。やって見せてよ」
「仕方ないなあ」予定外のことに、口調も下降気味で、期待を裏切られたような雰囲気が流れる。「いいこと。こんな風にね。……。よっ。よっと」左手が酢飯を軽快に切る。「こうやってさ。たて、横、斜め、逆の斜めっていう風に、バラバラに切っていくのよ」
 私は右手で素早くしゃもじを動かし、奥から手前に切りながら、桶代わりの銀色ボウルをたくましいお腹でがっしりと受け止め、左手でウチワを扇いだ。
「ウチワもね。素早く仰ぐ」
「す、すんげぇじゃん。やるじゃん。母ちゃん」
 孝道の目が丸くなる。見たか、これぞ主婦の成せる技じゃ。
「当たり前だよ。空いた手はなにに使うの? もったいないよ。時間がさ。できること探して同時にしなきゃ。さっさとやること。それが料理」
 真理を見ると、彼女はコクリコクリといちいち頷き、感心している様子だった。
「さ。お二人さん。やってみて。ふたりがわたし一人分をやるんだよ」
「じゃあ、僕が扇ぐ」
「おまえは、まず酢飯を切るの!」
 わたしは怒鳴りつけた。
「じゃあさ。わたしが扇ぐよ。そんで、お兄ちゃんがあとで扇いでるときに、私が切るの。私も切ってみたいもん」
 真理は偉い。交代でやるのが公平だ。ちゃんと分かってるじゃないか。こうして、二段目は終わった。
 さて、三段目。海苔と巻きすの登場である。巻きすの使い方はけっこう慣れないと難しい。要領があるのだ。だから、わたしは口しか挟まない。この工程は大人でも失敗しやすい。あれこれ教えても経験がものをいう。
「まず、巻きすを広げて」
 絞った布巾で拭いたお盆の上に、巻きすを広げさせる。
「じゃあさ。酢飯を全体にひきます。……。そうそう。あ、それじゃさ。多すぎなんだって。減らして」わたしは指をさし、注意をした。多すぎると海苔からはみ出すか、海苔がパンクして巻けないのだ。「じゃあ、具材をその上にのせてって。そう。真ん中にのせましょう。そう。よし。ポイントはね。海苔巻きを切ったときに、輪っかの中に玉子や青物が綺麗に見えるように並べること。それを考えて置きなさい」
「はーーい」
「そう。そう。よろしい。では、巻きましょう」
 私は、息子の手首を掴んでお盆の上に持って行き、小さな手を包み込むようにしながら酢飯と具材を海苔に巻き込んでいった。
「ぎゅっ、ぎゅってね。はい、終わり」
 真理の方に体を半分よじる。
「真理。やってみる?」
「うん。わたし、一人でやりたい」
「ええ。どうぞ」
 真理はお兄ちゃんのをしっかりと見ていたのか、自信があるようだ。そして、実際にまあまあ上手かった。器用にこなしていた。どこに指を添えて巻いたらいいか、ちゃんとツボを押さえている。巻きすを丸めながら手前に引くポイントも、出来ている。この子は上手。良い子だ。
「上手だね」
「ううん。真理、幼稚園で習ったもん」
「まあ。よく覚えていたこと」
 私は、真理の頭にこそ触れなかったものの、手でさする仕草を真似てみて、彼女を褒めてやった。
 仕上げに太巻きを切るのは、私がやった。力加減もいるし、ぬれ布巾で汚れた包丁を拭くことも必要だから。
 子どもらはそれを見て、「ふきんにごはん粒が。もったいなーい。食べたいな」などと勝手な感想を漏らしている。料理なんて、手指についた以外の材料は、こぼれた半端もの。汚いもの、要らないものと見なし、捨てるんですよ。そう言ってやりたかった。
 その間に、用意して鍋にかけて置いたハマグリの吸い物が完成していた。これは、鍋にはった水にハサミで切った昆布を入れ、一〇分以上漬け込んで置いたのだ。このレシピ通りのことをした理由は、だし汁の取り方を教えたかったからだ。孝道には必要ないことかもしれない。たとえ、一人暮らしで自炊するにせよ、ここまで丁寧にするような子でもなく、たぶんタカ君は粉末顆粒だしで済ませるのだろう。しかし、真理がお嫁に行くと、時にはお客様がいらしていて、そんな手抜きが出来ないこともある。だからレシピ通りの本格派を見せたのだ。今日の所はこれでおしまい。
 三月三日の春は、無事に予定を終了した。あとは、子どもら本来のお楽しみ時間である。料理から解放された男の子は、ひな壇の前でチャンバラごっこをしたり、ラジコンカーを走らせたりとドタバタしている。気が付くと、ひなあられを口にほうばって指を折っている。いくつまで口の中に入るかを数えているのだという。これこれ。ふざけて。
 この子は、いつも数を気にするのね。将来、ギネス記録にでも挑戦するつもりかしら。
 そう思うとおかしくなって、つい噴き出してしまった。つられて夫も笑っていた。
 半年後、今度は本格的に火を使う料理を教えた。残暑が厳しい頃、リクエストされたカレーライスを作らせてみた。もちろん、買い物から始まり、野菜を切る、鍋で煮込む、までだ。スーパーマーケットでの買い物は楽しそうだった、それが、野菜の皮をむく段になると、無口になった。真剣なのかというとそうでもない。皮むきのピーラーが面白いようにむいてくれるのはいいとして、ジャガイモの芽をとったり、窪んだところを包丁でこそぎ取るのが面倒らしい。見ているとそこの箇所で手の動きが止まり、なかなか進まない。それで無口になったのだった。しかも大人含めて四人分である。相当量の野菜の皮をむき、切らねばならない。夫も加えて三人でやらせ、やっと野菜の皮むきと切るのが終わった。こんなことになろうと予想し、日曜日の夕方に夫を確保しておいてよかった。
 動員された旦那さん。あなたも家で留守番のときは、自分でカレーぐらい作るんですよ。きょうの手伝いは、そのためでもあるのよ。分かってるのかしら?
 旦那には買い物袋を持ち運ぶ係、芋の皮むき、タマネギを切る役などを担当させた。孝道の方は、芋の皮むきと適当大に切る役、ニンジンの皮むきとそれを切る役にした。真理は、芋の皮むきとニンジンの皮むき、ニンジンとタマネギを切る役にした。
 さて、本番モードだ。いざ鍋で材料を投入し、鍋の中で肉と野菜を油で炒めるのだが、まだ九月。熱かったのだろう。孝道も旦那もフウフウ言いながら、ターナーで材料を炒めていた。大粒の汗が男たちの額からほとばしり、まさに暑苦しい男料理とはこのことだ。わたしと真理は汗をふきふきの男性陣から離れ、食卓でお茶菓子をつまみながら、ベチャクチャと学校のことやお友だちの恋愛談義などに話の花を咲かせていた。
 当然、疲れた男性陣から苦情の一つも出てくる。
「もう暑いし、疲れたよ。水いれたら代わってよぉ」
「ハイハイ。じゃあ、アク取りは真理にやってもらおうかしら」
「はーい。わたしがやるよ。兄ちゃんたちは休んでて」
 しかし、妹は忍耐強くアクを掬(すく)った。この作業しだいで、カレーの味が平凡か旨いかが決まると私は思っているが、たくさん出てくるアクは、取るものの気力を奪うくらいにしつこく出続ける。それは、旦那に言わせると、我々にんげんをあざ笑う鍋大王からの挑戦状なのらしい。ぐつぐつと煮立ち、取るものの顔に熱を浴びせながら、地獄にある釜のように泡がブツブツと出ては野菜や肉にまとわっている。それを一〇分ほど続けた孝行娘は、
「お母さん。だいたい終わったよ」
 と言い、杓子を持つ右手を挙げて合図したので、わたしも男性陣に宣言した。
「もう火を止めてよし。ルーを入れて再点火したら完成だよ」
 すると、へなへなとソファーにもたれてテレビを見ていた二頭の雄犬らは、
「ワンワン。ワワン(やったあ。もうすぐ飯にありつける!)」
 と吠(ほ)えた。ルーを入れてかき混ぜると大団円となり、料理は終了した。さあ、待ちに待った実食タイムである。
 少し高い辛口ルー、安い中辛ルーのミックスは、食べた四人を唸(うな)らせる出来栄えだった。
「おいしいね」
「ああ。父さんがむいたジャガイモのお陰だ」
「いえいえ。みんなのお陰よ。アク取りした真理も頑張ったよね」
「うん。頑張った」
 カレー大会を通して料理のコツを学んだ子どもらは、大いに自信を深めたことだろう。のちに学校のキャンプなどでたびたび行う野外カレー作りにおいて、孝道は必ずカレー番長に立候補し、野菜の切り方から味見までを事細かに同級生に指示していたらしいから。
 料理の基礎は、この二回をもって教え終えた。あとは、それを生かすも伸ばすも、本人たちの気持ち次第だ。

 結婚して五年目、二四歳のときに、私は夫からプレゼントをもらった。もっとも、そんな気遣いがあったのも子どもが小さいうちだけだったが。夫はわざわざ私の誕生日の二週間ぐらい前からその贈り物の準備をしていたのだとあとで告白した。その当日は、誕生日というのに朝からバタバタしており、旦那用の弁当作り、ゴミ出し、家の前の掃き掃除、庭に生えた草花の水遣りなどに、わたしは追われていた。そんな多忙な朝の時間も超特急で過ぎ去り、やっと一段落してテレビをつけ、今日の天気をチェックして買い物にでも行こうかと鏡に向かい、薄化粧を整えていると、玄関のチャイムが私を呼んだ。ピンポーーーン。鳴ったな。鳴ったよね。テレビじゃないよね。誰だろう。なにか郵便局の配達か書留かしらと思い、ブツブツ呟きながらドアを開けると、帽子を被った見慣れない青年が、制服姿で立っていた。なにやら大きなケースを抱えている。
「妻野さんですね。サインをお願いします」
 と青年は言ってくる。わたしは下駄箱の上に置いてあるボールペンをむんずと掴み取り、さらさらと署名した。しかし、もう顔がほころんでいる。もしや! いや、誰も、そっから先は言わないで。
「ハイ。ありがとうございました。またどうぞ」
 青年は駆け足で配送車に戻ると、エンジンを掛け、ブロロンと音を立てて去って行った。こんなことはね。ドラマでしかあり得ませんよ。ドラマでしか見たことない。それがここ妻野家において、聖子ちゃんが味わってます。
 夫からの贈り物か。差出人の蘭には、確かに夫の汚い文字で、妻野泰史という字が並んでいる。間違いない。あのダメ亭主だ。夫からの誕生日プレゼントだ。いいとこあるじゃん! 胸がはずんだ。付けていたエプロンで顔を隠したくなるくらい赤面した。開けるまでもなく、ケースの形から、それは一〇〇%花束だと主張していた。と思った。
 実際、思った通りのものはあった。それは胡蝶蘭のような大きなものでなく、数本の薔薇の花束が入っていた。ケースの大部分は、もう一つが占めていた。特大サイズのうさぎのぬいぐるみがそれだった。えー。カワイイ。結婚五年目のお祝いも兼ねているのかな。ちょっと照れくさくなる私だった。今晩のご飯のメニューを見直したくなった。旦那の好物の唐揚げに、ポテトチップスもつけてあげよっかなぁーー?。
 夫も奮発したのね。そう思うと、少し彼のことが愛おしく思えた。巨大うさちゃんも気に入った。大切に扱おう。
 私もこの日だけは有頂天で、妻野家の屋敷が薔薇色に彩られた少女漫画風のベルサイユ宮殿に思えた。笑わないでね。それぐらい、女って気分が高揚するもんよ。
 それから数日後、ピアノのおもちゃを真理に買ってやった。真理の誕生日プレゼントとしてである。彼女は喜んだ。毎日、リビングのカーペットにそのピンク色のピアノを置き、ポンポンパラパラと鍵盤をめちゃくちゃに叩いては、色んな音が出るのを楽しんでいた。私もときどき簡単な曲を弾いてやり、娘の音感育成に貢献してやった。今でこそ、町中至る所に電子音がちりばめられ、録音されたメッセージと共にピコピコの電子音が流れてくる。それは、なにかを待てとか、始めて下さい、の合図だったりするわけだが、そうした音が定着した今と異なり、まだ当時は、日常に音が溢れるようなことはなく、動物の鳴き声や物音、テレビ・ラジオの音、飛行機などの騒音、救急車やパトカーのサイレンなどがたまに聞こえる程度だったかしら。だから、テレビの音楽番組も貴重な音源だったし、娘には音楽を採り入れたゆとりのある生活を送れる大人になって欲しかった。そういう暮らしは心にも余裕が生まれ、生活が安定する。わたしも若い頃、ずい分とクラシックや歌謡曲のお陰で、退屈や焦燥といった不安感、やるせない傷心を慰めてもらったから。
 娘は、レパートリーがないうちは、おもちゃのピアノにもすぐに飽き、見向きもしなかったが、幼稚園に通い出してからその存在価値に気づいたようだ。幼稚園のクラスで先生から色々な「お歌」を教わった日は、家に帰ってくると決まって、真っ先におもちゃのピアノを引っ張りだし、覚えたメロディーを弾きまねした。何度も間違えながら、少しでもメロディーが再現されるようになると有頂天で歌い出し、時にはわたしも動員して歌わされた。先生ごっこね。
 やがて、手指も大きくなっておもちゃが不自由になり出した頃、有巣(ありす)さんの家に持てあました中古のキーボードがあるというのを聞き、安く譲ってもらった。当時、フリーマーケットもオークションもない時代、ご近所さんには何かと助けて頂いた。真理は、大喜びで童謡を弾いたり、「猫踏んじゃった」を演奏したりしていた。       
 さらに、音楽とセットの楽しみも与えた。
 盆踊りというのが、この町でも、毎年八月に行われる。それは今でもあるが、子どもらが小さい頃は、彼らが楽しみにしていたことのひとつだった。それが証拠に、お盆が近づくと、
「ねえ。お母さん。盆踊りぃー、まーだー? 早く踊りたい。かき氷も食べたいよぉ」
 こんな風に待ちきれないし、催促もしてくる。
 この頃の私は、有巣さんや斜め向かいの海(かい)児(じ)峯(みね)さんと一緒に公民館で盆踊りの稽古に汗を流していた。地域に慣れてきたこともあり、顔を出せる催しはなるべく参加することで、顔見知りを増やそうとしていた。そして、あるとき、その稽古に娘を連れて行き、近所のおばさま方と一緒になって盆踊りを体験させた。町内会で当番制になっており、今年は担当が回ってきたので、今回から娘にも参加させた。音楽に合わせて踊ること、人前に出てなにかを恥ずかしがらずにやり切る積極性、それらを身につけさせようという意図があった。最初は嫌がっていた真理も会場の音楽にリラックスし、自分より小さな子どもが楽しそうに踊るのを見て、お姉さん魂に火が点いたのだろう。夢中になって、半分むきになって、見よう見まねで踊り出した。
 彼女は、分からない所はいい加減に手を振るので、横にいた私は、
「ちがう。ここは、こう手を上げて足を出す」
 などと口を出し、娘を補助した。
 いったん踊りを覚えると、細かい所や他人の踊りなどにも目が届き、自分の欠点や長所が見えてくる。
 そして、祭りの本番当日を迎え、会場で、赤い提灯の下、みんなと輪になって踊る快感を娘は覚えた様子だった。興奮と熱狂でその晩は寝付けなかったという。真理の絵日記には、踊りを踊る人の絵と、縁日屋台のデザートが描かれていた。お小遣いを出して友だちとわいわい言いながら食べるかき氷やリンゴ飴などは、さぞかし美味しかったことだろう。祭りの興奮と年一度の喧噪を味わい、それが病みつきになった真理を、決して責める言葉などない。親としては大満足だ。
 ピアノなどの鍵盤楽器は音楽を学ばせる教育の一環であり、踊りはダンスを通して自身の積極性や自己アピール、ひととの繋がりや交流、協力、お金の使い方などを経験する材料になる。寝る前に何度か夫婦で話していたことだ。

 夫泰史は高校卒業後、埼玉県内にある食品加工流通会社に勤めた。その会社の営業畑を歩むこと十数年、仕入れのノウハウから加工販売の隅々までを体に叩き込まれ、同業他社との激しい競争に明け暮れ、ようやくそこの営業主任に就いた。
 同じ課には、男性社員の他に、営業事務の女性社員も何人かいた。
「江畑さんは老けたね。枯れてきたような。男いないのかい? 潤いがない」
 と旦那に言われ、江畑は憤慨した。
「心の機微が分からないのよ」
「鈍いのね」
 江畑千鶴とその後輩OLは、陰でそう評していたことだろう。
 会社の忘年会では、随分と評判を落としたらしい。
 宴たけなわの無礼講ながら、後輩の一人が、「妻野さん。やっぱり、可愛い子がいいっすよねぇ。オレ、そういう子ばっかり追っかけます」と言うのに対し、酔った旦那も、「男は誰しもそうだ。みんな、年下、可愛い子。それが基本で、それしか目が行かないよ。それに限る」と大声で同調したそうだ。おまけに、その宴席で、Aに対して暴言を吐いた事実を暴露された。あるとき、コピーを取っていたAを上から下まで舐めるように見て、「Aちゃん、足が細いなあ。男を知ってるな」と囁いたというのだ。相次ぐ問題発言の数々に、飲んでいた女子連も怒り出し、火が付いた彼女らは、旦那の目を盗んでグラスにお醤油を垂らしたり、酔ってしな垂れかかる振りをし、口紅を旦那のシャツにつけたり、お酒をズボンにこぼしたりしたらしい。旦那の失言が怒りを買い、OLらの総スカンを食った形だ。
 その頃、夫は家庭よりも仕事のことばかりが頭を占め、多忙を究めていた。課の上司、金城厚には頭が上がらなかったらしい。よく我が家でも、彼のことを話題にすることがあった。
―――やり手の課長でね。遠方僻(へき)地(ち)の漁港で獲れた鮮魚を新技術CASを用いて凍結し、都会の消費地まで輸送してスーパーでパッケージにして販売することで成功を収めた人なんだ。パッケージ化された冷凍魚をさ。市場に持ち込もうと懸命に努力なさってね。それがうまく当たって、冷凍魚は徐々に浸透した。キャラクターやタレントなどを使ったブランド戦略も波に乗り、売れ行きも好調。金城さんの名は業界に知れ渡り、怖いもの知らず。鬼の金城の名を欲しいままにしたんだからな。すごいよ、全く。
 夫は熱弁を奮った。
 徹底した冷凍技術の普及と販売促進が功を奏し、豊成食品は食品流通の業界で急成長を遂げたそうだ。夫の給料は、当初から堅調に推移し、あるときを境に、ボーナスも含めて急に跳ね上がったというのも頷ける。
 売れ筋商品のヒットで、スーパーの惣菜部門において業界でもその名を知られるようになった食品流通会社にあって、夫は、鬼課長の下で賢明に身を粉にして働き、営業成績では常に上位を占め、新人を指導する中堅になっていた。営業の取引先とも懇親を重ね、よく接待をこなしていた。例えば、取引会社部長の娘が大学に合格したときなどは入学祝いを贈ったし、某会社専務の場合には、専務の甥の結婚式に電報を打った。他にも言い尽くせないほどに、数々の根回しや手配、業界内の親睦会出席などをこなした。自社の売り上げを落とさないためとは言え、献身的な気遣いを他人にしている旦那だった。
 しかし、課内では、風雲急を告げようとする黒雲が動いていた。ベテラン社員、江畑千鶴は舌禍犠牲者らを結集し、妻野仇討ちのときを伺っていた。そして、機が熟したと見るや、策謀を実行に移した。すなわち、江畑の新人操縦により、課内の女性新人との不倫騒動に巻き込まれる一幕となった。
―――そう。冬、師走の頃だった。豊成食品も参加した大手スーパー主催の合同試食会があった。それは新製品や売り上げが伸び悩む既製品の販売促進も兼ねており、中堅食品会社としては、業界の評判に響く重要なセールスイベントだった。江畑さんは試食会の準備を手伝い、イベント会場の設営スタッフとして駆り出されていてさ。冷凍魚のパッケージを並べたり、実食ブースに調理した魚を皿に盛りつけたり、アンケート用紙を配置したりと、下っ端どう然に扱われりゃ、やることなんて幾らでもある。忙しくてキリキリしていたのかもな。現場を抜け出したオレが、新人Cちゃんと一服しててさ。少しサボり気味に見えたのか、あとで、「仲良くジュースを飲んだりして」ってすごい剣幕で怒ってきて。オレ、ビックリしたよ。普段は冷静な江畑があんな風に目をつり上げて怒るから。サボってたように見えたのと、若い女子社員と談笑していたのがシャクに触ったのかもな。
 働き盛りの女にありがちな、同年代異性への嫉妬、生理不順からくる他人への苛立ち。わたしは、そう捉えた。それがその事件を引き起こした原因の半分であるのか。もう半分は、旦那の性格が招いた自業自得な一面だろう。口の悪い夫のことだ。恨まれてもおかしくはない。
―――それからだな。それ以来、目に見えて江畑のオレへの風当たりが強くなったっつぅーかさ。そんな感じよ。そんで、あの事件だろう? 参っちゃったよ。
 事件とは、江畑が新人Cを呼び出し、女派閥の重圧をかけた結果、Cが妻野の陰口を社内で言いふらし、旦那を困惑させたというのだ。すべては江畑の差し金であり、仇討ちのためであった。その根も葉もない陰口のひとつに、旦那がCにちょっかいを出して付きまとい、帰宅途中のCをラブホテルに誘い込んでセックスしようとしたというのがあった。また、それを知っている他の女子社員を口封じするために体を触ってきたという話もあったらしい。いまでいう不倫やセクハラ事件である。その不倫騒動以来、旦那は元気をなくし、残業し続けてフラフラになって帰宅し、家でもいっさいも口を聞かず、壊れたロボットのようになってしまった。
 のど元過ぎて周囲の誤解は解け、江畑さん、Cさん、旦那は和解し、普段通りに仕事ができるようになった。とは言え、女を甘く見ていた旦那はたいへんな目をしたことだろう。
 この話は、しばらくたって、旦那の母から聞いたことだ。夫の愚痴を義母経由で聞かされた。それは少し、女房としてはショックなことだった。中堅社員としての日頃の行いから人事管理も含めて脇が甘かったこと、不倫騒動を妻に相談してくれなかったこと、言い出せなくて母親に泣きを入れた女々しさ。そうした幾重にもまたがる意味で、だ。
 Cはのちのちになって、旦那からいじめられたことを白状したらしい。
「君は計画性がないのかい? 勢いだけで仕事しちゃ、ダメだよ。感心しないなあ」
 きつい言葉で、仕事上のミスを叱責された。
 また、別の機会でも同様の事件があった。部長の別荘で開かれたサマーパーティーにおいて、女性陣らと共に料理を作ったCは、
「君は料理が下手だね。これじゃあ、男性の胃袋はつかめない。これから困るよ」
 と小言を言われた。Cは洗い物の時間に裏で泣いていた、という。
 これを見た反妻野派の人間が、江畑らを担ぎ上げ、Cを実行犯として復讐させるよう仕向け、陰謀を形にしたのは間違いない。目には目を、悪口には悪口を、であった。
 やがて、Cは結婚を機に会社を去った。一方、渦中のお局、江畑にも資産家との縁談が舞い込み、四〇を過ぎて寿退社となったらしい。

 わたしは有巣さんや海児峯さん以外にも、近所に友人が出来た、そのひとりが壬(み)乃(の)坊(ぼう)紗(さ)千(ち)であり、もうひとりが前田唯であった。前田さんの旦那、前田大作は区内の少年バスケットボールチームの顧問をしていた。
 旦那にうさぎのぬいぐるみをもらって以来、余った布で刺繍をしたり、バッグやぬいぐるみ作りといった手芸を専業主婦の楽しみにしていた私は、ご近所の有巣さんや前田さんを誘い、彼女らを手芸仲間に加えることで、みんなして趣味の世界を広げていった。育児は大変で、それどころではなかったときもあったけれど、自分の領域を少しずつ作り、学び、それを核というか心の拠(よ)り所にして、人生に潤いを与え続けたかった。
 私たちは、公民館の一室を借りて手芸サロンを開き、そこを根城にして創作活動を続けていた。あるときなどは、そのサロンに手芸交流協会所属の指導員をお招きし、ふだん気になっている所や難しい点、縫うコツなどを実地に伝授してもらったこともあった。そのご縁で、所沢市の手芸展示会に参加したり、海馬市手芸フェアに出品させてもらったりもした。
 刺繍といっても色々な種類があり、主なものに、フランス刺繍、イギリス刺繍、スペイン刺繍、北欧刺繍、クンストレース、ボビンレース、ハーダンガー、タペストリ、クロスステッチ、絽(ろ)刺し、津軽こぎん刺しなどがある。
 手製のぬいぐるみは、フェルト生地などを使用して縫い合わせるもので、小さなアクセサリーからテディベアなどの大きいぬいぐるみまである。乙女のファンタジー世界である。掌サイズのイルカぬいぐるみを例にとって大まかに作り方を説明すると、裁断する、手縫いする、綿を詰めて縫い閉じる、細かい部分を接着剤で貼る、といった4つの工程に分かれる。まず、布フェルトをイルカの形(背2枚、腹1枚、あご1枚)に切る。次に、背中2枚を合わせて手縫いし、頭の部分にあごを縫い付ける。そして、お腹を背中に縫い付け、綿をちぎって中に詰め、縫い閉じる。最後に、黒色のビーズなどで目をボンドで貼り付ける。こうして、小さめのイルカのぬいぐるみは完成する。これを展示フェアなどで店先に並べておくと、若い主婦や子どもらが手にとり、気に入れば買ってくれるのだ。儲けを考えておらず、値段も安いので、ちょっとしたアクセサリーを小遣い程度のお金で買う楽しみであろう。
 前田さんはパッチワーク作品を多く作り、有巣さんはマフラーや手袋など小物刺繍に長けており、小さなお子さんがいらしたので、子供向けに冬用ソックスを作っていた。鉤(かぎ)針編みを応用し、甲、底、かかとを編み込み、カラフルな毛糸の靴下を仕上げていらした。
 わたしは、着なくなったTシャツを活用し、ハンドバッグを作ってみた。型を作り、生地に沿って裁断し、縫い合わせると出来上がりだ。手芸雑誌を参考にして寸法をとり、ミシンで脇を縫う。マチを作り、三角につぶして辺を縫う。表地と裏地を合わせてとじ目を縫う。アイロンを縫い目にかける。表裏をひっくり返す。この返すときが一番、やったー、と思う私であった。縫い残しを手縫いでまつり縫いし、最後に持ち手をミシンで縫い付けると完成である。私は、それ以外にも、ポシェットやポーチ、巾着バッグなども作った。
 こんな風に手芸の世界を楽しんでいた。それがいつしか、交流協会の役員として全国を飛び回るようになろうとは。

 昭和五八年五月、孝道六歳のときに、夫は自転車を買ってやった。いや、正確に言うと、近所のふれ合い広場でやっていたサイクルコース(通称、自転車公園)で練習してから買い与えた。何回か補助輪なしでの自転車乗りをやらせ、その時の様子を見てから。わたしらは、そういう筋書きを描いていた。それはそうだろう。もう嫌だ、二度と自転車なんて乗りたくない、と言い出してからでは遅いのだ。この辺に、わたしら夫婦の慎重さが見え隠れしていて、若くして身についた知恵なのかもしれなかった。実際、それでうまくいった。広場でやらせたら、ふらつきながらもぶつからずに前へ進めたのだから、あれでよかった。そりゃあ、わたしも、買い与えたくてうずうずする旦那を宥め、子どもの成長のためよとか、百獣の王ライオンは仔ライオンを千尋の谷に突き落とし、這い上がってくるライオンだけを我が子として育てるとか、いろいろ言い含めましたよ。夫婦って、どっちかが飴を舐めさせる係、ムチを振るう係って分かれるでしょ。わたし? ムチ係かしら……。逆の時もあったけど、夫は甘いから。わたしも旦那も、運動は好きな方であり、得意な分野であったのは確かです。だから、子どもらもたぶんすぐに自転車ぐらいは乗れるに違いないと思っていた。旦那が浮気して産ませたのならともかく、わたしの子ですから。でもね。なにぶん、子どもらが小さい頃、周りに歳の近いお友だちがおらず、仲間で乗っている子も少ないし、仲間内で遊ぶ機会じたいも少なかったのよね。かわいそうだったわ。その当時のここら辺ではしょうがなかったのだけれど。だから、わたしは旦那と話し合って、あれやこれやと考えました。家事の忙しい合間を縫ってね。それと、子どもらに聞かれないようにも注意しましたね。男の子の場合は特に、自信を植え付けることのできる事柄、可能性の扉を開けると向こう側が大きく広がるイベントには気を遣ったのです。たくさんやらせ、たくさん褒めよう。そういう結論になった。それであとは、どう導くかよ。自転車が先か、練習が先か。どんな自転車を欲しがるのか。親はいくらまでをよしとするか。最後以外は旦那にバトンを渡しました。男同士でとことん話し合えよって感じですかね。旦那曰く、オレがガキの頃は、まだそういうもんはなくてよ。今じゃチャリンコなんて当たり前でいっぱい溢れているけど、逆に練習できる場所がなくなっちまっただろうが、とさ。そうだよね。で、結局、ふれ合い広場まで通い続けてさ。先に楽しみを与えちゃうと飽きるのも早いからね。夫は、「楽しみを教えることが先だ」って、はりきって連れてってたわ。成果? それは、上手く行ったようよ。最近じゃ、補助輪もあまり見かけないというか、つけないらしいわね。要するに、子どもでも最初から大人と同じことをさせる風潮なのね。なんでも、一輪車からいきなり始めちゃってバランス感覚を養うっていうじゃない。それが今時らしいのね。すごいわー。今の子って。ビックリよ! サーカスでもなんでもやれそう。すごくバランス感覚がいいのよね、最近の子たちは。とにかく、広場でやった練習の甲斐あって、孝道はあの当時、あるレベルまで上達し、まあまあ値段のする子ども用の自転車を買ってもらいましたよ。今風に言うと買ってもらったんじゃなく、孝道がゲットしたのね。しばらくして、金持ちの子がアメリカ製のMTBとかいうタイヤのごつごつしたスポーツ系のやつを乗り回すのを見たらしいけど、買い換えてくれとか言わなかったわ。そういうのには興味を示さなかったみたい。旦那がアウトドアを自認するタイプじゃなかったし、しかも仕事が忙しかったからね。子どもも親父の背中を見て、小さくても悟ったのかな。うちの家にはそういうのが似合わないじゃんって。とにかく、旦那が言うには、
「ハンドルで左右に曲がるのよし。ブレーキをかけて止まるのよし。スピードのつけ方、落とし方はどうか。よし。危ないときはどうするんだ? まず、早めにベルを鳴らす。よし。次は? そう。ブレーキをかける。よし。パンクって分かるか。タイヤがシューッてやらかくなるんだ。そうなったらどうする? 家まで押してきて、パパに知らせるんだよな」
 徹底したコーチぶりに旦那も得意げだったわ。どうだ、完璧だぞ! って。まあ、妥当な所かしらね。
 汗まみれになって、タイヤのゴム汚れで腕や顔を真っ黒にして帰ってきた。二人とも。もちろん服もね。二名の帰還者は、即ふろば直行、勇者のシャツとズボンは洗濯カゴ行きになりました。
 あとで孝道に聞いたの。
「楽しかった? なにが難しかったの?」
 って。そしたら、あの子、
「うん。楽しい。風がひゅーーって。こけたどさ。からだでわかってきた」
「すごいわねーー。たかくん。選手になれるんじゃないの?」
 って、手を叩いて大げさに囃し立ててあげました。子どもが喜ぶように導くこと。それが妻野家の子育て術のひとつ。それが如実に出た瞬間でしょう。やっぱり、子どもの機嫌がいいと、家族もまとまりますね。

 川口市内から女子社員が戻ってきた。お遣いに出ていたOLは用度係の照合を受け、自分の席に戻る。金城課長が部下の営業成績を叱り、説教を始める。それを煙たがった中堅社員らは、連れだって廊下に出て行く。煙草を吸いつつ雑談するのだ。事務機器がカタカタと音を立て、電話の呼び出し音が、眠そうに書類の数字を眺めていた社員の頭を現実に呼び戻す。
【車を運転するのが上手な男性は、仕事や女性の扱いも丁寧なの】
 どこかで聞いたような台詞が書かれたメモが、女子社員の間で回ってくるらしい。余白に、「○○さんラブ」などと落書きまでしてある。メモを回すなんて、学生気分だな。旦那は思ったそうだ。
 やがて日も暮れ、オフィスの窓を隠すブラインドカーテンの外には、小さな街灯りがチラホラと灯り出す。営業課の部屋からもポツリポツリと人が消えて行き、静かになった部屋では、真面目な男性社員が真剣な眼差しで資料に目を通している。
 帰り際の更衣室で一緒になったOLらは、地味な制服からカラフルな私服に着替えている間も、口を動かしては男の品定めなどをしていた。
「やっぱり、E君がいいわ。男前だし」
「あら。あなたもそうなの? わたしもよ」
「あたし、D係長がステキだと思うわ。優しいもん」
「そうよね。Dさんもいい。それに引き替え、妻野主任は最低ね」
「ああ、妻野さんね。悪気なく言い放つのよ。あの人。その言葉の数々が、どれだけ乙女心にグサッとくるか」
「そうそう。女子らが気にする禁句を、平気で包み隠さずに言うからさ。とっても傷つくんだよね」
 みんなは旦那の口の悪さを責め立てた。

 あの騒動が鎮静化してもなお、辛口発言をかましていた旦那は、周囲に距離を置かれながら、豊成食品で三七歳にして係長となった。妻である私は三五歳を過ぎ、あの一七年前の集団見合いからそれだけの期間が経っていた。
 その三年前に練馬区春日町に土地を買い、一軒家を建てた。家から近い所に光が丘というマンモス団地の地域があり、そこの公園で子どもらをよく遊ばせた。桜や銀杏並木も楽しめ、バーベキューを楽しむ家族連れも多く、憩いの場であった。駅近くに行けば西友、国道近くにはマルエツがあり、主婦にとって、歩いて行ける近距離にスーパーが複数あるのはありがたかった。バブル崩壊前であり、町は東京の繁栄を裏付けるような雰囲気もあった。自宅の庭には小さな花壇と芝生があり、四季を通して花や緑の息吹を感じられる住環境だった。しばらくの間、夫は練馬から川口まで電車で通ったが、五年で車通勤に切り替えた。環八通りを使うのだと言っていた。
 家が建って翌年には大喪の礼を迎え、新しい年号、平成の幕開けとなったが、家の新築からしばらくして、妻野家にも不思議な彗星がやって来る。なにかは分からなかったが、旦那には虫の知らせがあったという。長く続いた昭和も終わり、新時代の訪れにあたって、遙か彼方からなにかが飛来する。この練馬に。渡り鳥? 
 会社宛に届いた手紙に、その答えがあった。
 消印は今月四日。
【埼玉県川口市××× 豊成食品営業課 妻野泰史 様 
              島根県隠岐郡隠岐の島鹿里町×の×  巽(たつみ)弘】
 ああ、あの見合いの隣の奴。そうなのか。察しはつくな。
 旦那はやれやれという顔をして見せ、手紙を鞄にしまうと何食わぬ顔で仕事に取りかかったそうだ。仕事の合間も相手のことを気にしたのだろう。
―――あのあと、飲み屋で一緒に女性の品定めをして名刺交換をした。そのとき、彼は手品を披露した。『名刺なんて大層なもんじゃないけど。マジシャンです。挨拶代わりにどうぞ』と言って、ズボンのポケットから取り出したハンカチを白から赤に変えてみせたあの男か。訛りがあったが。島根だったっけ。それが今になって上京するということは、そういうことか。
 家に帰り、私が洗い物をしている隙に、こっそり手紙を開封した夫は、事の子細が書かれてある文面をひと文字ひと文字と辿っていった。3枚の手紙だった。
【……(中略)。妻野さん。そういう訳で、また東京で働きます。つきましては、近くにいいアパートがあれば教えて下さい。 巽 弘・安江】
 読み終えた旦那は、面倒くさそうに、こう言った。
「おい。聖子。知り合いからだ。アパートを世話してくれってさ。あいつ、あっちで結婚してたのか。ふたりで東京に住むんだと。やれやれ。安江さんとかいう女性も一途な人だよ。巽を追って島根まで押しかけるなんて」
 梅津安江という巽の奥さんは横浜の高校を出たが、巣鴨の喫茶店でアルバイトしていた当時、デートの道すがらに訪ねて行ったことがある。私の中学時代の同級生だからだ。わたしが会いたいと旦那を引っ張っていき、店で仕事中の安江ちゃんに自分たちを紹介した。そういう関係なので、デートでも何度かその職場を使わせてもらった。手紙から目を離した旦那は、初対面の状況を思い出し、こう振り返った。
―――お前さ。いきなりその同級生をオレに紹介して。まいったよ。私の恋人ですっていうから。汗が出たよ。まあ、正式に結婚する気で付き合ってたんだから、どういう風に言われてもいいけどな。あのときに居た聖子の同級生が、まさか巽君にひっついたとはね。
 手紙の2枚目から3枚目にかけては、結婚に至ったいきさつが綴られていた。喫茶店で集団お見合いのときの話を耳にした安江は、旦那の隣に座っていた男性(巽)のことをわたしから聞き出し、こっそり連絡先をメモったらしい。よっぽど巽さんが気になったのだろう。それから先は、ふたりが出会うべくして出会い、関係が発展して恋仲になり、……。発展中に、何度かけんかをしては仲直りをし、お互いの秘密を共有するうちに、彼を傷つけたことを謝ろうとして、わざわざ彼の故郷の島まで訪ねていった。島根県隠岐郡隠岐の島。そこまでの道中を一人で旅をし、海を渡って島に行き、島を探検して巽家を訪ね、無事に巽家に辿り着いた。そして、巽の母と対面を果たした。しばらくは、そこに泊めてもらいながら、家事を手伝ったり、島を観光したりして過ごした。巽の高校時代の友人にも会ったそうだ。巽家の家族とも当然ながら親密な関係になる。巽弘が幼少だった頃の秘密を確かめはしたが、そのうち、秘密はどうでもよくなるわ、長居を重ねるにつれ、客人扱いから家族のように接してもらうわで、半ば巽家の養子同然になってしまう。母親から東京の息子に連絡が行き、事情を聞いて慌てた巽が帰省し、故郷で恋人が親と一つ屋根の下となり、いつしか夫婦として祝言を挙げた。そんな話だった。
 まるで、芝居じみたような展開だわね。
 わたしは思った。そして、夢を捨てきれない男が再度上京するのだという。夢とは、マジシャンとして大きな舞台に立つこと。中堅サラリーマンの夫にとっては、無縁な世界の話だろう。
 六日後、夜行バスで新宿に着いた巽夫婦を、とりあえず一晩泊めてやった。
「金曜だからだぞ。こっちも家庭がある。明日の土曜は不動産屋に行くから、アパートが決まって鍵をもらったらそこで暮らせよ」
 旦那は酒を巽のコップに注ぎながら、そう言った。そうは言っても、まだ少し、彼の心中には不安が渦を巻いていたのだろう。落ち着かなくそわそわした様子で、何本も煙草を吸っては灰皿に吸い殻を積み上げていた。
 手紙を読めば、協力せざるを得ないのは分かっていた。わたしも旦那も、決して義理人情に薄い人間ではない。しかし、一五年以上も会ってない。旦那もそれを不安がっていた。その間になにが巽に起きたのか、まるきし知らずに受け入れるには、それ相応の覚悟が要った。
「お前なあ。あの晩、焼き鳥屋で飲んでさ。そのあと二、三回会ったきりで、あとはまるっきり連絡がなかったのに、よくオレのこと覚えてたもんだよな」
 旦那は呆れた口ぶりで、当時の思い出を語った。
 一晩中、泊まり掛けの巽が話してくれた事柄は、手紙の内容と大差はなかった。敢えて言うなら、梅津安江の話の方が面白かった。安江曰く、
「私は彼の頭の良さが気に入った。だけど、巽君のことを体目当てだと思い込んでしまった。素直には彼の言葉と気持ちを受け入れられなかった。それがしばらく気に掛かっていて、自分のそうした棘(とげ)を引っ込めようとしてはいろんなヒトと付き合ってみたけど、けっきょく上手くいかなかった。悩みに悩んだ挙げ句、ある日思い切って、島に行っちゃった。自分が抱いていた誤解の心を謝りに。そしたら彼の実家まで辿り着いてさ。当たり前だけどお母さんが中にいてね。わたし、お母さんに聞いたの。彼の消息はって。これこれの所までは存じておりますが、その先、巽さんはどうなったんですかって。そしたらさ。息子はいま都内の○○で働いていて元気だ、貴方のようないいヒトがそばにいてくれると息子も安心するって。つまり、お母様に気に入られちゃったわけ。息子のことをそんなに気に掛けるような娘さんは、心が透き通った善良な方だ、そんなお嬢さんは貴方が初めてだ、今すぐ息子に知らせて引き合わせたいって」
 という内容を身振り手振りで面白そうに話し、私がこしらえた水割りを啜(すす)っては、自身の昔話に酔いしれ、巽の顔をうっとりと見つめていた。酔っていたのを差し引いても、二人はいい感じの夫婦に見えた。
 その後の話もさらに付け足すと、息子の過去を朴訥(ぼくとつ)に話す巽の母きぬは、押しかけの恋人を嫁と認めた。息子が止めても嫁がせよう。そう決心したらしい。すぐには電話せず、泊めてやりながら相手の事情を汲み取ったきぬは、しばらく経ってから安江の来たことを息子に知らせたそうだ。
「そうだよ。ビックリしたさ。おれも」
 まるでそれを聞いた時のように白目を剥いた巽は、拳に力がみなぎっている。そして、
「どうもこうも、実家に恋人が居るんだもんな。照れるというか」
 と繋げた。かく言う男の手は頭を掻いていた。
 しかし、そこから延々と、巽弘の独壇場となった。恋の暴露話である。この優男ったら。さすがのわたしも呆れ果てつつ、台所で水割りを作りに行ったり、安江の様子を気にしながら、男の話に頷き頷き、ひっつきそうな瞼を少し広げては聞いていた。東京の巣鴨で知り合った安江の魅力と惚れた男の歩むべき道をずっーーと彼は話し続けた。低音の静かな機関銃は、ときどき小さなマジックを挟みつつも、独演ショーを進行させた。
―――知り合ってよお。好きになったら、絶対ものにするしかないよって。ただそのためだけに男は生きてるのさ。男が一生をかけて女をわがものにするのはよ。人間として当たり前のことさ。好きになった女は全力で愛し、自らの側に置くべし。そして、共に死ぬ日まで苦楽を分かち合う。暗くなっちゃあいけないよ。ヒック。ああ。面白くないか。じゃあ、ここでマジック。三つ数えてこのポケットを叩くと、百円玉が千円札になるのよねぇ。ワン・ツー・スリー。……? お客さん、目を開けなさいよ。じゃじゃ、話を戻すよ。それでさ。男ってのは、ただ愛する女のためだけに一生懸命に仕事をするわけだ。おれの場合は、この手品をさ。やるわけよ。そうして食えるようになるまで、女は内助の功で旦那を支えてだな。そういうのが一本の道筋ってやつでさ。輝く一筋の道は、頭のてっぺんから足の爪先までおれを貫いてやがるんよ。奥さんわかりまっか? 旦那さんもきっとそうだったんだから。幸せ者ですよ、奥さんもおれの女房も。そんでね。その貫く物はね。そいつが故郷隠岐の島の宝だっちゅうのよ。おいらの故郷は、みんなそうですよ。それが島のアイデンティティだわな。それだけ。いいや、それしかないのよ。あとは、海と空とお魚さんたち。ああ、生まれてきて、いがったぁ。
 長い演説は脱線も含めて一時間半で終演となった。
 島に住み、巽親子に安江を加えての共同生活は半年続いたらしい。安江にとっては慣れぬ島暮らしも、きぬや弘の優しさに触れながら逞しく過ごすうちに、彼らの姿に愛情がわき、当然弘のことも惚れ直して、田舎の自然が育んだ巽の男らしさに惹かれていったそうだ。やがて、島で祝言を挙げ、夫婦となった。蜜月時代から実家での家族生活を経た暮らしぶりは楽しかったけれども、男の方は、抱いた思いを誤魔化せはしなかった。東京で仕事がしたい、マジックで花を咲かせる夢を諦めたくない。それを安江に正直に伝えた。やがて、安江の父が大怪我で仕事を休み、留守宅の祖母を介護する人間がいなくなったのをきっかけにして、こうして東京に戻ってきたという。巽自身は、それをブーメランに例えるようだが、要するに、都会で見る夢と喧噪が忘れられなかったのかもしれない。私たち一家が見捨てたら、彼らはどうするつもりだったのだろう。
 とにかくその後は、巽のマジシャンとしての苦労話や下積み生活を、長々と聞かされた。
 こうして、一同は、寝不足のまま朝を迎えた。朝食を簡単に済ませ、洋服の皺を伸ばし、靴の汚れを取ると、私を家に残して、三人は街に繰り出した
 巽夫婦は駅前の不動産屋から照会を受けた物件、池袋近くの二Kアパートを借りた。旦那は保証人として付き添い、契約書を見届けると、不動産屋を出て駅近くのレストランへ入った。三人で遅い昼食を摂ったのだが、巽は嬉しかったのか、料理を食べ終わると、またビールを飲み始めたらしい。
「ちょっとあんた! 大丈夫なの?」
 横で、安江が彼の脇腹を小突く。
「なんだよぉ。安江。ダイジョブったら大丈夫なんだよ!」
 呂(ろ)律(れつ)の怪しい男は、口先だけの自信を覗かせ、不動産屋にもらった地図のコピーをヒラヒラと宙に舞わせた。安江は夫の腕を掴み、揺すっていたが、目元に笑みがこぼれていた。
 不動産が決定し、一件落着となった。今回の訪問の目的を遂げた巽は都内で居を構え、奥さんと仲良く暮らし始めたという。

ある寒い冬の夜―――。
 布団にくるまった私は、湯たんぽ代わりに孝道を抱いて寝たあの当時を懐かしく思い出した。
 その息子も既に中学生となり、自分の部屋に籠っては、深夜までラジオに耳を傾けて夜更かしをしていた。
「勉強があるから」
 彼はそう言って毎晩机に教科書を立て、小さなラジオのダイヤルを特定の周波数に回した。
 長女の真理は言うと、隣の部屋でクリスマスに彼氏にあげるマフラーを編んでいる。
「誰のって? 友だち同士で交換するのよ。たぶん圭子ちゃんにあげるわ」
 ふふふ。そういう真理も年頃ね。たぶん彼氏。うまくやんなさいよ……。母にはすべてお見通しなんだから。
 自分も、新婚の頃に旦那にあげたもの。親子で似ている。変わらないのね、今も昔も。松永家の女系遺伝子であり、日本人女性のいじらしさという遺伝子でもある。
 息子や娘も、しだいに自分たちの目標を見つけ、歩み出している。
 わたしは、彼らの後ろ姿をただ黙って見守るだけ、見送るだけなのかしら。
 そう思うと、独り寝の布団は、ますます寒く感じられた。夫にしがみついて寝ていた頃は、まだずっと若かった。二十代で純情可憐なわたしを大黒柱の旦那が支え、大黒柱がすべてを牛耳り、一家を守り抜いてくれる。そう信じていた私。
 時は過ぎ、幻想は幻想でしかなくなった。夫婦間ですら知らない秘密や事実もあり、些細なことでも、ビックリさせられる場面があった。
 例えば、旦那に言われたことがある。
「この料理は好きじゃない。オレ、しめじが嫌いなんだ」
「エッ!」 
 私は、旦那がしめじ嫌いだなんて聞いてなかった。いま初めて知った。今さらそんなこと言われてもさ。困っちゃうわよ。渋々しめじを皿からつまみ出す旦那を恨めしげに見ながら、私は自分の皿を差し出し、摘ままれたしめじを受け取ってやったもんだ。

 息子が中学に入学した頃、あの巽さんの話が出た。
「どうしているんでしょうかね」
 箸を止めたわたしを見て、旦那が聞き知った話をしてくれた。
「巽君は、都内でアルバイトがてらに、ステージに立っているらしいよ。テレビ局からも声がかかるようになって、最近はたまに出演するらしい。土日には関東エリアのイベント営業をこなし、腕を磨いたらしいぞ」
 都内で配送などのアルバイトをして家計を助けていた売れないマジシャン、巽弘もしだいに業界内で顔がきくようになり、本業だけで食べていけるようになったとか。この辺の近所の催しでも、たまにマジックショーが開かれ、出演者に「巽弘」の文字を目にすることがあった。
 あるとき、晴れてプロの奇術師としてマジックを披露するようになった巽を、私たちは町内会のイベントで呼んだ。彼は快く引き受けてくれた。
 その当時、息子は学校内でいじめを受け、心を塞(ふさ)いでいた。
「では、次のマジックを。だれか舞台に上がって下さいませんか? えーと、じゃ。そこの背の高い君。どうぞ」 
「お。オレですか」
 孝道はマジシャンに指名を受け、壇上に上がった。
「では。少年、こちらへ。ここになんの変哲もない紙があります。これをよいしょ、と折り畳みます。そこへ。はい、これを持って。この牛乳の入ったグラスを少年が紙の中に注ぎまーす」
「エーー」
 観客の子どもらは、牛乳が紙から漏れてこぼれ出すと思ったのだろう。しかし、……。
「はーい。牛乳はこぼれませんね。しかもー」と奇術師は大げさに声を張り上げ、手を持ち替え、ゆっくりと紙を逆さにし、「逆さまにしても、牛乳は出てきません。さて、牛乳はどこへいったのでしょう?」と自慢気に観客を見回した。誰も答えられない。はっと息を飲む空気が流れた。
「オーー。すげぇぞ。どこに消えたんだ、あの牛乳!」
 茶目っ気のある子どもが騒ぎ出し、感嘆の声も上がる中、巽は紙を元の位置に戻し、
「では。ワン・ツー・スリー」かけ声を出した次の瞬間、「はーい。元通り、牛乳がグラスの中へ戻りました! 拍手ーー!!」
 種が分からなくて、小さな子どもから大人までが仰天したその演目は、本当に素晴らしいものだった。舞台に上がって手伝った孝道すら首をひねった。コップの牛乳を空にし、また元に戻された牛乳入りのコップを手にした孝道は、ぽかんと口を開けたままで舞台を降りてきた。
「なんだ? すげぇなあ」
 巽の披露したマジックに、彼は感動の言葉を出した。
 確かに、大きな折り紙の中に仕掛けられたトリックを、見えないよう上手に隠した手品師も芸達者とはいえ、自分の目の前で起こった不思議に大いに興味を示した長男は、観客席のパイプ椅子に座ってからも、しきりに、「すげぇすげぇ」と言って目を丸くしていた。
 何に対しても無気力、無感動だった地獄の日々を脱した瞬間であり、私もしかと見届けた。やっと好奇心と詮索の気持ちが復活し、人のすることに理解を示すようになった少年は、階段を一歩一歩上がり始めるだろう。そんな孝道の姿に思いを馳せ、私も安堵した。
―――ああ、良かった。人生って、助け船が現れるようにできてるのね。
 娘の真理も、お兄ちゃんに釣られ、「わたしも、マジックやってみたい」と言い出した。兄貴は笑っていた。
 巽の十八番を孝道の前で披露してもらう作戦は、こうして大成功に終わった。塞ぎがちだった息子の心が解き放たれた。
 その後、旦那の知り合いであり、近所に住む前田大作に息子を会わせた。前田に励まされた孝道は、バスケットボール部に途中入部し、中学から大学までやり通した。青春をバスケットに捧げたわけだ。
 毎日遅くまで学校の体育館で練習し、暗くなってからも、近所にある公園でバスケゴールにフリースローの練習をしていた。
―――レギュラーを絶対にとるんだ。巽のオジサンでも、一度決めたことは諦めなかった。そして夢が叶った。僕も一条(ひとすじ)の光を信じ、このバスケの道を究める。選手になってプロを目指す。巽さんに出来て、僕に出来ないわけがない。
 あの子ったら、そんなことを言ってた。青春だったよね。
 実際、レギュラーになったし、中学時代には、県大会で二位に躍進した。準優勝の栄誉と勝利をチームで勝ち取った。彼はチーム内でも明るいムードメーカーとして活躍し、いじめられていたなんてどこ吹く風、躍進の原動力となり、評判を呼んだ。クラスの人気者にもなった。大学までバスケットをやり、都内の会社に就職してからも、休日になると、社会人のアマチュアチームで汗を流すスポーツマンに成長した。たくましくなったわ。

 小学校高学年になった真理には、女としての心得を説いたときがあった。
「真理。おんなの体のこと分かってる?」
「ううん。男の子とついてるのが違うのは知ってる」
「それだけじゃないのよ。大きくなるにつれて、生理が起きるの」
「生理?」
「そう。体から要らないものが出てくるのよ。毎月一回」
「なんで?」
「詳しいことは学校で教えてくれるわ。それよりね。子どもを作る上で、知っておくべき事がある。それはね」私が大事なことをこれから言うのが分かったのか、真理の表情も真剣そのものになる。「男女が裸になったら愛し合うのだけど、男性のとがったものを女のへこんだ所に入れてもらうの。それをセックスっていうのよ」
「いやらしい本で見たことある」
 長女は生唾をゴクリと飲んだ。
「ええ! まあいいわ。そのセックスで、そのままでとんがりから白い液を出されちゃうと妊娠するのよ」
「ふーーん。そんで?」
「それでね。若いときは、赤ちゃんを育てられないからゴムのキャップを男のとんがりにかぶせるの。白い液をそこにためて中に入れないようにするタメね。これを避妊と言う。他にも、特殊な薬を飲めば、ゴムをかぶせずセックスしても大丈夫なのよ」
「不思議だね」
「そうよ。好きな人とセックスしたくなったら、薬を飲むか、ゴムを必ずかぶせなさい。そうしないと遊びたい盛りに、赤ちゃんのおしめやご飯を作ることになるのよ」
「あ。それ、テレビで見たことある」
「いい? 分かった?」
「うん。だいたい、分かった。生理は?」
「生理は、赤ちゃんを産むための準備よ。赤ちゃんを作らないとき、準備したものがいらなくなって、不要物を体の外に出しちゃうの」
「へぇー。女ってすごいね」
「そう。おんなは偉いの。神秘なの」わたしは台所から茄子を持ってきた。そして、ポーチの中に残っていたコンドームの袋をだし、袋を破って一枚取り出した。「これがゴムのキャップ。コンドームっていうの。さあ、母さんが持ってる茄子にかぶせてごらん」
 差し出されたゴムを小さな手でしごいて伸ばし、「面白い面白い」とはしゃいだ娘は、苦戦しながらもなんとか茄子にかぶせた。
「パンストみたいね」
 小さな輪っかが予想した以上に長く伸び、真理も少し驚いていた。
「男のついてるものが大きくなったら、かぶせるのよ」
 わたしは最後に念押しし、娘の肩にそっと手を触れた。

 祖父の墓参りには、家族でよく行った。妻野家の墓は埼玉県海馬市にある。とある週末、ゴルフの予定がないことを旦那に打診していた私は、長男長女を車に乗せ、旦那を運転手にして、旦那の実家があるF市へと、一路車を向かわせた。
「昔に比べると、この道も広くなったし、快適になったもんだ」
 運転手は、片手をハンドルに、空いた右手を窓にのせ、高速道路をスイスイと飛ばした。
「ねぇ。お父さん。ゴミ、どこに捨てるの?」
 一一歳の娘は、後部座席に座り、お菓子の袋をたくさん抱え、困惑気味だった。
「どこって。ちょっと待ちなさい」
「分かったわ。いま大きなポリ袋を出すから。まとめてそこに押し込んで」
 威厳だけで頼りない旦那を尻目に、わたしは的確な指示を出した。娘は、わたしの手渡した大きな袋をバサバサと音を立てて広げ、菓子袋やら何やらを詰め込んで、座席の下に蹴飛ばした。どうにか、苦情はおさまった。しかし、車内は娘たちのご乱行のせいで匂っている。立ち込めている匂いは、クッキーやポテトチップスの欠片が出していると思われた。どうにかなんないの。
「おい。孝道。真理。ちょっと臭いぞ。後ろの窓も全開にしてごらん。気持ちいいから」
「ハーイ」
 取っ手をグルグルと回し、窓を開放すると、早春の新鮮な冷風が流れ込む。
「わっ。涼しい」「きもちいー」
 自分たちが車内の空気を汚したことは棚に上げ、素直に喜ぶ二人だった。お父さんに叱られたのよ。反省なさい。悪態をつく私は、呑気な娘たちが、もっと周囲を見て、人に対して気配りが出来る若者になってくれることを心の中で祈った。
「さあ。ここで休もうか」
 ドライブインに入り、昼食を摂るぐらいの時間に差し掛かっていた。休憩所の食堂は、少し混んでいたけれど、券売機で食券を買い求める行列も長くはなく、無駄話をするうちに順番がきた。券を買い、空いたテーブルを探した。
「あ。あそこ!」
「ハイハイ」
 わたしは、目ざとく四人席を見つけた孝道に感謝の意を表し、軽く肩を叩いてやった。
 席に着くと、旦那を残し、三人衆はめいめいの食事が出されるカウンターへと分かれた。白い割烹着を着たおばちゃんに食券を渡し、広々とした厨房の前で料理が出来るのを待った。
 やがて、三三五五、料理を運んできた三名は一カ所に集まり、留守番をしていた旦那と交代した。旦那は、テーブルに置かれた我々の料理を横目でチラッと見て、己の料理を取りに向かった。
 しばらくして、旦那が料理をお盆に載せて帰ってくると、既に三人は食べ始めていた。
「カルボナーラスパゲッティ、おいしい。久しぶりに食べるわ」
「へぇ。オレなんて、米食わないと腹が満たされんよ。大盛りカツ丼だね。男は」
 わたしは、子どもらの旺盛な食欲に気圧(けお)されながら、静かに月見うどんをすすっていた。
「なんだ、お前たち。若いのにそれだけか」
 声の主は、大盛りチャーハンのラーメンセットをトレイに載せている。
「お父さんは食べ過ぎだよ。太るよ」
「ハハハ。もう遅いぞ、真理。中年太りは止まらない。止められない」
 豪快に笑った旦那はズシンと椅子に座ると、すごい勢いでチャーハンを食い始めた。
「ところでさ。お爺ちゃんて、なんて名前」
「オレは知ってる。妻野久太郎。いくつで死んだんだっけ?」
「久太郎爺ちゃんはな。老衰で死んだよ。八九歳」
「そうよ。覚えておきなさい。長生きしたんだから。生涯現役で畑仕事していたらしいわ」
「へぇ。すっごーい。スーパーお爺ちゃんだ」
 真理はおどけてみせる。
「現役ってさ。会社員じゃあるまいし、定年も引退もないんじゃないの」
 細かい所を突くようになった孝道は、腕組みをして旦那に答えを求めてくる。反抗期に入ったかしら。わたしは、この勝負を黙って見届けようと思った。
「いや、孝道。そうじゃない。久太郎爺ちゃんは、元鉄鋼マンさ。サラリーマンだったんだよ。定年後に農業を始めてな。第二の人生。電撃引退からの職場復帰よ」
 負けてない父親は、事のいきさつを手短に話してやった。
「するてぇと、父さんの好きなキャンディーズと同じじゃん」
「違う、違う。キャンディーズは解散して普通の女の子に戻ったんだ。女優復帰した蘭ちゃんもブランクがあった。それを言うなら、『巨人の星』の星飛雄馬だよ」
 だんだん次元が俗っぽくなってきた。わたしは両手を広げ、セーフのポーズを取り、
「ストップ、ストップ。芸能の話は、もうその辺にしなさいよ。それはいいから、あと、どのくらい? お父さん」
「ああ。そっちかい。えーと、いまここを出ると……。そうだな。四〇分ぐらい。それぐらいかな。渋滞や事故がなければ」
 やがて、子どもたちは土産コーナーへと散って行った。
 しばらくして、父の号令がかかり、車に集まった四名はドライブインを出発した。
 途中、ほとんど赤信号に捕まることなく、土曜日の埼玉県内を疾走した妻野号は、目的地である旦那の実家に定刻どおり到着した。
「さあ。着いたぞ。挨拶してきなさい」
「うん。婆ちゃん、元気かな」「私、眠くなってきた。トイレも行きたい」
 子どもらは、疲れを見せぬ者、バッテリーが落ちた者も含め、ドヤドヤと家の中にお邪魔した。挨拶もそこそこになだれ込んだ、と言ってよかろう。
「こんにちは~」「婆ちゃん、きたよ~」
「あら。いらっしゃい」
 出迎えた祖母はゆっくり腰を曲げて挨拶し、たおやかに片方の指を揺らして手招きした。我々ご一行は、太い黒塗りの柱や梁に囲まれた和室に通された。
「田舎の香りがする」
「さ。お爺ちゃんの仏壇に手を合わせなさい」
 わたしは孝道の二の腕と背中を押し、先祖への挨拶を促した。
「うん。そうするよ」
 畳の上を中腰で移動した男子は、隅に積み上げられた座布団の山からひとつを失敬し、それを仏壇前に敷いた。目を閉じ、両手を合わせる息子は、大人の見よう見まねでも、きちんと姿勢を正し、何事かブツブツと呟いて一礼をした。それを見た妹も、自発的に仏壇に近づき、兄と同じ動作を繰り返した。
「さあ。畑にでも出るか」
 誰にいうでもなく、言葉を発した旦那は、いつの間にか着替え、田舎のオジサンかと見まがう出で立ちに変身していた。それがここでは落ち着くからだろう。都会色を消すカメレオンなのかな。
「あれに乗りたい」 
 旦那の台詞に弾かれ、土間へ飛び出した真理は、庭の方に何かを見つけたようだ。前回の訪問時にしたことを覚えていたらしい。いや、味をしめていたというべきか。壁にもたせ掛けてあった手押し一輪車(ネコ)を指さし、父親に押すことをせがんでいる。まだまだ子どもだわ。わたしはその素朴さに安心した。
 農作業の手入れや収穫に、毎日必ず使うネコこと一輪車は、農家の必需品である。それをゴーカートよろしく、自分だけの「おもちゃ」にしてしまおう。娘の魂胆である。孝道も幼い頃には、ネコ遊びをして貰い、喜んでいたが、体重も増えた今は違和感を覚えたのか、飽きてしまったのか、見向きもしなくなっていた。
 畑の畦道をネコに乗って、ゴロンゴロンと何回も往復電車に揺られた真理は、こちらに戻ってくると、畳に座り込んでいた私の腰に手を回し、抱きついてきた。そして、安心したのか、目を閉じて眠ってしまった。やれやれ。腕白なコアラの子どもみたいだこと。疲れたのね。
 晩御飯をご馳走になり、旦那は祖母と、明日の打ち合わせやら、自身の子ども時代の思い出やらを話し出し、夜遅くまで親子水入らずで語らっていた。わたしは、子ども二人を風呂に入れ、三人揃って早めに就寝した。
 翌朝、目が覚めると、旦那は下着にパッチ姿で、庭に咲く花の水遣りをしていた。朝の空気は澄んでおり、すがすがしく張りつめていた。朝食を済ませ、わたしが和室に置かれた鏡台の前で薄化粧を施している間、子どもらは近くの小川に遊びに行った。水遊びをしようぜ、と兄が妹を誘ったのだ。笹の葉で小舟を作り、川に浮かべてマッチレースをやったらしい。
 三勝六敗。
 見事なまでに、兄は真理に惨敗したとか。それで、ここまで走りっこをして、体力にものを言わせ、笹舟F市杯のリベンジしたのか。そう説明してくれた孝道の息は荒く、ハアハアと激しく呼吸が乱れていた。
 朝の雑事を済ませ、九時を回った。
「そろそろ行くか」
 鶴の一声を合図に、各自はすぐに身支度を調え、車に乗り込んだ。
 祖母も含めた五人は、旦那の車に揺られ、海馬市内の丘陵へと向かった。
 祖父久太郎の墓は、町を見下ろすことのできる丘にあった。そこに作られた霊園に到着した一行は、持参した雑巾とバケツを持って水場へ行き、蛇口をひねった。水をバケツに八分目まで注いで、旦那は足下に目をやった。そこには〈ご自由にお使い下さい〉と貼り紙のしてある棚があり、棚の上に古びたヒシャクが一〇本ほど置かれていた。ヒシャクを一本拝借し、旦那はバケツの水をここまで運んできた。春の小鳥が、ペチャペチャとお喋りを交わすように啼(な)いている。
「お父さん。見守ってくれてありがとう。子どもらも、元気にやってますよ」
 鈍く光る墓石を撫でながら、ヒシャクで一杯、また一杯と水を掛けていく旦那の横で、わたしは膝を折って屈み、お祈りをした。孝道もその仕草につられ、まねをする。祖母と真理の二人は、持参した小さな箒(ほうき)とちり取りで墓の周りを掃き清め、ゴミを集めて透明なビニール袋に入れ、口をくくった。
 そして、祖母は、手提げ鞄からロウソクとライター、線香の入った箱を取り出し、ライターのスイッチをひねった。火が点き、それをロウソクに移す。春風に揺らめく炎を見て、
「大丈夫? 消えそうだよ」
 と心配顔でのぞき込む真理に対し、祖母は、
「お爺ちゃんの霊がいま、降りてきた証拠だよ。大丈夫。そっとしておきな」
 と諭した。左右に激しく揺れる炎は、ロウソクの芯にしがみつき、しっかりと炎を出している。祖母は、手に持ったロウソクを反対の手に持ち替え、
「線香を出しておくれ」
 と真理にせがんだ。真理も気が利くほうで、箱から一度に一〇本以上の線香を取り出し、先を揃えてロウソクに近づけた。
「おや。気が利くこと。ありがとう」
 祖母は真理に礼を述べた。線香に火が点いたのを確認し、ロウソクの尻を墓石につけられた釘の先端にブスリと突き刺した。鞄からコーヒーの空き瓶を取り出した祖母は、それを逆さにし、天に向かって燃えるロウソクの上からかぶせた。
「すごーい。婆ちゃんて、頭いい」
 娘が感心して口を手で隠すのを見て、
「ハハハ。年寄りの知恵ですよ」
 と小さく笑う祖母は、すかさず瓶の下を持ち上げ、蒲鉾板二枚を重ねて滑り込ませ、隙間を作った。
「これはなあに?」
「孝道くん、分かるかい」
 祖母は喋る娘でなく、息子の方に向き直った。
「ああ。瓶をかぶせたのは、風がロウソクの炎を消さないようにするため。隙間を作ったのは、中の酸素がなくなるとロウソクが燃えないから、空気の通り道を作ってやったのさ」
「ご明察。さすがに賢いね。孝道くんは」
 皺(しわ)だらけの祖母の顔が、ますますクシャクシャになった。エヘンと咳払いをし、目をつぶる孝道は、ポカンと口を開けた妹の顔をチラリと見やり、頭の横を指でコツコツと叩いた。
 真理には、まだ学習していない理科分野の説明だったようだ。
「難しいよ。真理、分かんないもん」
 口を尖(とが)らす少女は、兄の説明などお構いなしに、左手に持った線香の束から二、三本の線香を摘まみ、墓石の小鉢に差し込んだ。
「まあまあ。頭がいい。手が早い。どっちも、世のため人のためになるんだぞ」
 満足そうに子どもらを見守る旦那は、大きく手招きして一同を中心に呼び寄せた。そして、改めて全員で祈りを捧げた。
 祖母は瓶を開け、手を大きく払って炎を消すと、後片付けを始めた。
 ものの五〇分ほどして、全員は霊園を後にした。
 途中、祖母が予約してくれた店に入り、少し早い昼食を摂った。
 昼食を食べ終えた大人たちは、家族や農作業、親戚の話などをした。その間、子どもらは表に出て遊び始めた。ちょうど店内には広い庭が併設されており、黄色く枯れた芝の上は、ふかふかとしていたようだ。孝道と真理は、相撲をとったりしてじゃれ合っている。その光景が、食事テーブルに面した大きなガラス窓越しに見えており、孝道はこちらを意識したのか、手を振ったり、おどけた顔を見せてきたりした。
 やがて、おとなしくなった子どもらは、それぞれに別れ、地面に這いつくばった。
 われわれ大人の話も落ち着いた頃、子ども組が帰ってきた。掌になにかを握っている。もしや、それは……。あれかも。私の想像が膨らむ。
「なんだい。孝道の方は」
「当ててみて」
 軽く握った拳には、秘密のなにかが入っている。わたしは、意表を突いて、同じ仕草をする娘の方を向き、
「真理のはね。お花か葉っぱ。もしかして、占いになるアレ?」
 と声高に言った。
「あああ。当たっちゃった。お母さん、ズルイよ。見てたんでしょ」
 つまらなそうな失望の声とともに手を開くと、案の定、彼女の手から萎(しお)れた緑の葉が顔をのぞかせた。
「よく見つけたね。エライ、エライ。幸せになるよ。四つ葉のクローバーは」
「ホント!?」
 それを知っていても、やはり大人から言われると気分がいいのか、声が上ずった。正直なもんだ。喜んでいる。
「ふん。まあ、女の子なんて、そんなもんさ。オレは違うもんね」
 顎(あご)を反らし、挑発する孝道は、何を持っているのやら、ポーカーフェイスを貫いている。わたしは、今度は旦那の番だとばかりに、脇腹を小突いた。オレかよ、と困り顔になる亭主は、少し考え込んだ。
「……。そうだな。孝道の興味からすると」ジャリジャリした髭剃りあとを残す顎をしゃくりながら、夫が言った言葉がこれだった。
「少し前なら、ミミズとか春の虫だっただろうよ。今は、たぶんアレだ。※キン消し(※キン肉マン消しゴムの略称)だろう」
「ちがーう。ミミズでもキン消しでもない」
 やっぱりな、と見下した顔の息子は、正解を口に出さず、そっと掌を広げた。そこにあったのは……。
―――ん? 二つある。小さくて青い人形と、ただの白い石。いや。もしかして。古代恐竜の化石? 細く長い線が、無数に石に刻まれていて……。
「なんだ。その青いのはピコタンじゃないか。しかし、石の方は、もしかすると化石かも。お前、よくそんなものを、この田舎で見つけたもんだな」
 旦那は、へぇーという感心の言葉を呑み込み、そう評した。
「どんなもんだい!」
 得意げに勝利の気分を味わった若き考古学博士は、化石かもしれない石を摘まんで高々と掲げ、ポーズを決めた。
 孝道の功績を讃(たた)える拍手が起こり、しばらくしてそれも静かになると、一同は席を立ち、店を出た。道を走りながら話題に上ったのは昨日から今日にかけて起きた事であり、めいめいが振り返っては面白おかしく語るので、楽しくのどかな空気が車内を包んだ。そして祖母を家に送り届けると、玄関先で昨日から世話になったお礼を述べた。
 墓参りは意外な発見とともに終わり、一家四名は練馬の我が家へと向かった。

 孝道や真理が中学高校と進み、自分だけの部屋を持つようになった。私ら夫婦は同じ部屋で寝起きしていた。そんな状況下で、旦那に酷いことを言われたこともある。
「お前、新婚の頃はムチムチしていたのにな。今じゃ、体もブヨブヨ。たるんで締まりないぞ」
 夜のベッドで、腰の肉や尻を撫でられながら、そう呟かれた日には、甘い気分も一気に興ざめした。
 また別の時には、こうも言われた。
「おまえ、強くなったな。芯が強いっていうか。悩みなんてないだろ。体型以外」
 な、なにを! これが暴言でなくて何なのか。女心というのは繊細なんです。本心であっても、心に思ったことを口に出すな! 馬鹿たれ! 恥知らず!
 悪態をついた私だった。次の晩、旦那に出すおかずは、玉子焼きのみにしてやった。残業で遅くに帰宅し、腹も空かしていたのだろうが、料理長を怒らせたツケは大きいのよ。「ウチの会社で出している〈お魚パック〉を買えよ」と愚痴る旦那を見るにつけ、この男との間に、いつ雪融けの春はやって来るのか。彼の汗臭い下着をつまんで洗濯カゴに放り込むたびに、ため息がこぼれた。

 母親としての私は、子どもらに対して、ご飯の用意、制服や部活ユニフォームの洗濯ぐらいしかしてあげられなく、彼らの内面に関して立ち入ることは出来なかった。それが精神面での自立に繋がると思うと。例外もあったが、概して彼らの自主性に任せた。
 彼らは大きくなり、お金以外のことはなんでも自分でしてくれるので、子育ては楽になった。その分、手芸などの趣味に没頭する時間も増え、自身の生き甲斐さがしで多忙になる私だった。
 ある時、駅前で偶然に海児峯さんと会い、喫茶店に入って談笑していた。
「髪を切ると心もすっきりするわね」
 肩まであった髪を数センチ切った。
「そうでしょ。なんたって、美容室。あそこで雰囲気が変わるのよ」
 海児峯さんも調子を合わせる。
「落ち込んだ気分がふっと抜けきるというか。髪と一緒にしがらみが断ち切れるのかしら。音楽もゆったりしたBGMが流れててさ。週刊誌を見るのが楽しみ」
「あら。あなたも? わたしが行くとね。必ず有名女優さんが離婚するの」
「ほほほ。それはまた。駅前の?」
 髪を切ったわたしは、右手でそれを触りながら首を少しよじった。
「駅前よ。あそこの美容師は腕がいいわ」
「そうみたいね。ところでさ。お宅は、子育てってどう?」
 私は手で口を隠し、声をひそめた。
「子育てね。ええ。やっと一段落したわ」
「そうなの。うちも。落ち着いたわぁ。子どもってさ。甘やかすとつけ上がるし、厳しく叱るとそっぽを向くでしょ? なだめたり空かしたり。手がかかったわ。本当に」
「そりゃそうよ。どこでも同じよ。育児の悩みなんて一緒なんだから。若い夫婦なんてさ。育児のしつけができず、困り果てているひと、いっぱいいるらしいわよ」
 海児峯さんと駅前で別れ、家に帰ってこたつでお茶を飲んでいるとき、しみじみ思った。
―――家事や育児に忙殺された時代が確かにあった。でも、それがあったからこそ、次の新しい局面で、より多くの発見や収穫が、向こうからわたしの元へ訪ねてくる。そうなのか。何かを長く続けることの意義というのは、その次にいかせる、糧になるということなのね。
 なにかがコトリと音を立てた。それはまるで、私に同意する天の声のように感じられた。

 息子たちが大学に通うようになり、子育ては一服した。自分の放つ矢は、自然と旦那の方へ向かうようになった。
 すると不思議なことに、新婚前後の甘い気分が蘇った。それを話すと、旦那は、
「二十年以上前のことか。会社での待遇、お金、……。みんな乏しかったな」
 と感慨深げに目を細めた。
「でもさ。夢ならいっぱいあったわ。それをたらふく食べて、生きてたようなもんよ。若い頃なんて」
「ハハハ。それもそうだな」
「うまいこと、言うでしょ? わたし」
 私はいい気になり、旦那の腕をとってブランコのようにスイングした。
「体を流してきます」
 わたしは気分よく脱衣した。お風呂に入ると鼻唄を口ずさむのが私の機嫌のバロメーターである。私の機嫌がいい時は、我が家の風呂場からは、幾つもの歌が聞こえてくる。長年連れ添う夫はそれを耳にして、独りほくそ笑むのだった。
―――ああ、妻はご機嫌だ。やれやれ。あれも朗らかならば、家の中は平和だな。
 そう。ひとりでくつろぐ時間は貴重で楽しいの。そしてまた、近所の主婦仲間と行く温泉道中も格別である。中年女性のみで、男いらずになると、禁断の噺が展開し、それは目くるめく賑やかな楽しみを伴って、延々と続けられる。宿に着き、お目当ての露天風呂の中でも、ついついそうした噺の延長で長風呂になってしまう。
 様々な風呂場に思いを馳せるうちに、自分と医者以外はめったに触れることのない衰えの目立つ肌や無駄に付いたぜい肉を見るにつけ、思った。
―――ああ。自分は、誰がどう見ても、ただのおばさん。おばさんになっちゃったよ。
 そう思わざるを得なかった。ピチピチしていた若い頃なんて、遠い昔ね。賞味期限はとっくに切れちゃってるわ。ああ。できることなら、若い人たちに囲まれて暮らしてみたいな。
 そんな勝手な願いを、風呂場の天井に灯るオレンジ色のランプに託す私だった。
 入浴が楽しみの一つになる季節は冬である。
 話は飛ぶが、真理もやがて結婚し、子宝に恵まれた。
 冬のとある晩、雪が降った。夜の間じゅう降り続いた雪は都内で積もり、珍しい光景を作り上げた。
 早朝の道や家、ビル、マンションの屋根には雪が積もって、辺りは一面雪景色になった。その真っ白な雪原に女神の小さな足跡が、キタキツネの歩いた後のようにかわいらしく残っている。小さな足跡。小動物? 雪女? いえ、いえ。好美のでした。まだズックが小さくて、可愛い楕円形が雪道にスタンプされている。まあまあ。今日も小さな女神さまが家にいらしたわ。家の前にある道路から、女神の足跡は妻野家の門へ点々と続く。大股の足跡も仲良くひっついている。
 ピンポーーン。
―――案の定、女神様がお供とやって来たわ。
 わたしはからかいながら戸を開けた。
「いらっしゃい」
「ばあば。こんにちは」
 小さな女神が赤い長靴で挨拶した。
「お母さん。また来たわ」真理は大きなお腹を気遣いながら、ゆっくり尻餅をついた。自分の黒ブーツを脱ぎ始めている。妊婦でもお洒落には気を遣うようだ。
「きょうは冷えるでしょう。温かいお汁粉でも作ってあげようかね」
真理は、向(こう)原(げん)開発という不動産会社に勤める中森義夫と結婚して、まず好美を産んだ。そして三年後のいま、次の赤子を妊娠中であった。
「だるまさん、作るの」小姫さまは宣言する。
「はい、はい。上手に作るのよ」
 わたしは膝を折り、子どもの目線で語りかける。
 孫娘、好美は溶けて汚れた雪と真白な雪を混ぜ、黒白のまだらになった雪だるまを完成させた。できは普通だった。彼女は私に〈丸くて黒いもの〉をねだる。旦那の部屋から碁石を拝借して好美に渡したら、いい按配で雪だるまの目に収まっていた。この辺のセンスは買ってやりたい。
「よく出来ました。外は寒いし、こちらへ上がっておいで」
 リトル・プリンセスに声をかけ、三人で汁粉を啜り、胃袋をぬくめた。
 わたしは好美姫に童謡をいくつか歌ってあげた。「雪」、「おおさむこさむ」、「ジングルベル」を。姫はうろ覚えで歌いながらも、ところどころ間違えた以外は音程がとれていた。
 器用な子だよ。
 真理の膝にもたれた孫も寝入り、わたしは毛布をかけてやった。真理は、家事の愚痴や生まれてくる子どものことなどを早口でたくさん喋った。
 ときおり屋根から融雪がボトン、ボトッと音を立てて落ち、自然の営みすらも、長女の話に相槌を打つかのようであった。
 やがて、娘に孫が生まれた。義隆と名付けられた。好美にとっては弟の誕生である。同居する孝道の孫も合わせると、孫軍団は総勢四名となった。小さな四銃士がバアバを護衛してくれるのね。そう思うと、おかしな映像が頭に浮かんだ。実際は、お菓子や小遣いをねだりにくるのだろうけれど。さて、桃太郎でも気取りますか。

 家で手芸をしていると、人が訪ねてきた。
 ピンポーーン。
「ハーイ」
「奥さん、こんにちは」
「あら。海児峯さん。どうぞ。散らかってますけど、お上がりくださいな」
 わたしは手を広げて、居間へ誘導した。
「まあ。机に可愛い手芸の数々が。奥様、器用ですわね」
「いえいえ。そんな」わたしは謙遜した。居間のテレビ前に置かれたローテーブルには、編み物やら作りかけの縫いぐるみやらが所狭しと散らかっている。「あの話ですか」 
「ええ。みんなの前では言いづらいのかなと思って。思い切ってお邪魔させてもらったわ。その後、いかが?」 
「それがね。海児峯さん。同居している息子の嫁のことだけど、あのとき話したのと変わんない。性懲りもなく、クラブだのイベントだのって言って、うちを飛び出すわけ。踊りに行ったりするの。まったく、不良嫁よ。孫を息子に押しつけて。わたしや息子が厳しく叱っても、反省するどころか平然として。親としての自覚すらない。恥ずかしい限りです」「弘美さんだっけ? 気にすることなんてないわよ。どうせ、ストレス発散なんでしょ。それより、寒い日が続くわよねぇ。ああ。雪中花が咲いてる」
 窓の外を見た海児峯さんはポツリと言った。私は小首をかしげ、海児峯さんの視線の先を辿る。視線は窓の外に向けられ、そこの花壇には白い花が咲いていた。
「あの白い花ですか? わたし、花の名に疎(うと)くて」
「スイセンの別名ですよ。聖子さん」
 海児峯さんは穏やかな表情を浮かべ、寒風に揺れる白い花を指差し、そう言った。ああ、なるほど。スイセンを雪中花と呼ぶのね。寒い季節に咲く白い花弁が、まるで真っ白な雪のようだからかしら。そう言えば、そういう言葉の入った俳句を見かけたわ。確か蕪村だったか。もうスイセンが咲く季節になったのね。二月か。孫が雪だるまを作ったのが、ほんの昨日のように思われる私だった。
 三年ほど前からか。息子の嫁、弘美さんが一夫と瑞穂を家に残し、旦那に彼らの世話を任せて、オールナイトで遊ぶようになったのは。当時から、派手な服装や化粧を急に始め、それが鼻につくなあ、とは思っていた。若くして結婚した反動からなのか。それとも育児に追われ、疲れ切っており、そのストレス発散なのか。はたまた、仲間の主婦に誘われて断り切れなかったのか。元々、少し優柔不断な所は見受けられた。しかし、嫁が家庭を放り出したり、家事育児をさぼっているのは良いこととは言えない。この悪い癖を直してもらおうと立ち上がった姑のわたしは、孝道にいろいろ聞いてみたものの、確証は得られなかった。何が原因でああなったのか、オレにも分からん、と繰り返すばかりだった。何とも頼りない息子を持ったものだ。嫁のことぐらい、ちゃんと把握し、操縦しておくれよ。わたしが弘美さんに話をつけようと自分の部屋に呼び出したけれど、弘美さんの態度や様子、説明におかしな点は少しも無かった。色々と他のことを会話していても、話が逸れたり噛み合わなかったりすることもなかった。不良タレントのように、なにかを家の中に隠し持ったり、意味不明の言動や振る舞いをして困らせるようなこともない。私の前でもそうだし、孝道らの前でもそうだった。普段はおとなしく家事をこなす嫁である。ただ遊びたくなったときに遊んでます。弘美さんはそう説明した。まるで、十代の少年少女が浮かれて町に繰り出すときのような台詞だった。そんな雰囲気であり、ただそれだけである。しかし、七つになる一夫や五歳の瑞穂は、お母ちゃんがいない夜をどう思ってるのか。さぞかし寂しかろう。熱を出したらどうなる? 今後が心配だった。
 しかし、海児峯さんにあとでアドバイスをもらい、嫁にそのままを話したら、なぜか嫁は吹っ切れたような顔を見せた。そして弘美さんに関しては、その日以来もう悩まなくなった。彼女の悪癖は収まったのだ。ご近所の嫁に対する悪い噂話や白眼視も消え、彼女が話題に上ること自体が絶えてしまった。血の繋がらぬ同士、女同士の機微と言ってしまえばそれまでだが、女というのは複雑な生き物である。

 わたしは孫娘の世話をするうちに、近所の主婦らを集めて新式呼吸法の同好会を主宰するようになった。若い人らに新式呼吸法(プラナヤマ法)を教えて活動を広め、現代のストレスを回避するヨガの瞑想法を伝授するのだ。息を吸っては腹を膨らませ、腹筋を使ってそれをへこませ、空気を押し出して息を吐く。この動作を四五分おこない、体の奥まで酸素を行き渡らせる。健康に良いし、体内の毒素を吐き出すことに繋がる。意識を集中し、雑念を取り払う「呼吸浄化」は、奥深い生命哲学そのもので、自己探求へと続く出発点となる。海外旅行で友だちとインドへ行き、その道を究めたヨガマスター、スダカー・ディーナンさんとお会いし、話を聞くうちに彼のヨガ瞑想に賭ける熱い思いに私はほだされてしまった。プラナヤマやヨガのDVDを購入し、のめり込んだ。それだけでは飽き足らず、こんな素晴らしいことを自分だけが知っていてもしょうがない、自分で広めてやろうと思い立った。そしてそれが新式呼吸法普及協会の会長にまでなってしまった。全国手芸交流協会の理事をしていた頃から付き合いのあった方に、是非引き受けて頂きたい、頼みます、妻野さんしかおらん、と口説かれ、別組織の会長職を引き受けることになった。新式呼吸法は私の新しい趣味となり、いつしか趣味を越え、先生と呼ばれるような立場になった。スダカー・ディーナンに比べたら私なんてまだ駆け出しでと言いたかったが、自分が動けるうちにどんなものでも引き受けて橋渡しになろうとの意気込みは強かった。そういう性格なのだ。新しい局面を迎え、育児や手芸で培った気力がパワーの源となり、己の魂が更なる活躍を熱望しているように思われた。

 ある日、わたしはご近所さんにならった作法を真似した。訪ねてきた壬乃坊さんにお茶を淹(い)れてみると、
「あら。おいしい。奥さん、高いの? これ」
 壬乃坊さんは直球でグイグイ攻めてくる。
「ええ。少し。鹿児島のお茶よ。近所の前田さんが鹿児島の方でね。お茶に詳しいの。その方に教わって」
 わたしも少し鼻が高い。前田唯さんのことだ。
「へぇ。渋くなく、ほんのり甘くて。いいお茶ですわよ」
 壬乃坊さんは目を細め、香りを味わっている。
「あら良かったわ。温度が味の決め手になるんです。お湯を冷ます時間、冷ましたお湯を茶葉に漬け込む時間。そのふたつの兼ね合いが上手く行けば、美味しいです。鹿児島のは」
 受け売りではあるが、唯さんから聞いた知識で応対してみた。お茶は長年親しまれるだけあって、作法や淹れ方にもさまざまな流儀があると聞く。
「まあ。そうですか。丁寧な加減ですこと」
 そこから話は、女の社会的自立へと展開する。
「鹿児島ですか。わたしの旦那もよ。薩摩隼人」
「あら。そうですの。薩摩の人は働きもんでしょ」
「いえ。それほどでも」
「うちの亭主なんか、脂がのってる頃だけ。それを過ぎたら横柄で、家ではぐうたら。困りますわ」
「まあまあ。どこも一緒ですから」
「ですよね。テキパキと皿を片付け、洗い物も済ませ、最後に女房の肩のひとつでも揉みなさいってのよ」
 わたしは腹立ち紛(まぎ)れに机をピシャリと叩いた。
「女は仕事が多いのよ。家事労働に見合うものなんてない。お金や愛情ではとても釣り合わない」
「そう。すごく重労働なのに、それが当然、て顔されて。旦那も子どもも。いまじゃ嫁がしてくれるから助かるけど。あれを死ぬまで一人でやると、ぶっ倒れる。絶対に」
「お嫁さんに感謝ね。うちの主人に言わせると、『主婦の家事労働はプロ野球の変遷と同じ道を辿り、〈先発完投型〉から〈中継ぎ抑えを加えた分業体制〉になった』らしいわよ」
「それは面白い言い方ね」
「とにかく、主婦業に縛られる時代は終わりね。女も男と同様に働き、給料とボーナスを得る。育児の喜び、仕事の喜び、女性の喜びをバランス良く追求し、女が社会的に自立する時代よ」
「確かにそうね。シングルマザーとかいうし。なんだか頼もしいわ、壬乃坊さんて。宝塚の男役みたい」
 その後は、女性の喜びとはなんぞやについて、ショッピングだの知的教養だの子どもの成長、温泉巡り、趣味の充実だのと諸諸(もろもろ)の議論を交わし合ううちに、適当な時間となった。

 あるとき、娘婿は、会社の説明がてら、こんな話をしてくれた。
―――あのときは驚きましたよ。社長が僕を社長室に呼び出して、長々と思い出を語ったんです。
「中森君。君は入社以来、面倒見が良い方だったな。仲間や部下の」
「はい」
「では、聞こう。原田専務はどうだ? 彼は君によくしてくれたか」
「専務は仕事に厳しく、人には優しいと評判です。特に個人的な繋がりはありませんが。ただ、彼は、私に対して何かを試そうとしたり、暗い道あらば先を行かせて探らせようとなさる嫌いがあるかと思いますが」
 向井社長は窓の外に広がる海辺の風景を眺め、僕にこう言った。
「ここの風景はな。昔とさして変わってない。俺は海のそばで生まれた男だ。海辺で仕事がしたい。そう思ったのは少年時代だけれど、親父の後を継ぎ、この町に会社を移して正解だった」
 青い海原を白い外航船がゆっくりと横切る。白い波頭が筋を作り出す。
 僕はいった。
「社長が会社を、思い入れの深いこの町に」
「そうだ。潮の香りが俺は好きだ。生まれた町はかぐわしい。子どもの時の記憶が野性を呼び起こす。海釣り、夕陽にビキニ、いそしぎ。昨日が打ち寄せ、今日した努力の足跡を汀(みぎわ)に残す。そして波は大海に返され、明日が来る」
「社長。私は、社長の会社に入って本当に良かったと思いながら、毎日働いております」
 社長の口元から細かな笑みがこぼれる気がした。そして相手は、仕事の話に戻した。
「この先の浜辺にマリンパークを建てる計画があったな。原田専務が業者と打ち合わせを行い、そのプランを作らせた。宮崎の海岸みたいに椰子の木をいっぱい並べ、道路を引き、カジノ、競艇場、ゴルフコースなどを作る。ゴーサインは出た。けれど、それも少し考え直す。地元の理解が得られてない。あの雄大な浜辺、白い渚、打ち寄せる波しぶき。どれをとっても思い出深い。それらを活かした施設にしたい。計画の練り直しだ。関係機関に出す書類を作り直してくれ」
 すがすがしい顔つきだった。悩んでいたのだろう。彼は窓を開け、外のすがすがしい空気を中に入れると、眩しそうに海の方を見た。その遠くを見つめる姿には、渚を走って青春を過ごした面影が漂っていた。僕はそう感じた。
「分かりました。で、次のアクションは」
「うむ。マリンパークの開発は中断して、先にマンション建設を進めよう」
「はい。では、専務にもそのように」
「うん。連絡を頼む」
 そこで僕は、外出先の専務に電話を入れたんです。
―――原田専務。中森です。ハイ。それで、順番の変更が生じました。マンションの方を先にやることに。あっちは凍結で。ハイ。ではまた。
 僕は電話を切ると、社長に一礼して事務所へ戻り、計画変更の書類を部下に命じた。そして、関係機関をリストアップさせ、計画変更の旨をファクスした。ゴリ押しがいい方法とは言えないし、久々にいい話を聞けたと思った。社長の感受性と仕事の選択。発見だった。そして、新しい希望の輪が連なる気がした。
 こんな感じだったかな。
 娘婿はわたしにそう語ってくれた。
 中森義夫が勤める向原開発は海辺の町、浜(はま)州(す)市に拠点を置き、そこを中心に事業所を展開していた。向井と原田は会社の二枚看板で、一文字ずつとって、向原の社名が出来た。
―――そう。うちの会社は、海辺の旧居留地や遊休地・遊休施設を買い取り、リゾートホテル、マンション、レジャーランドなどを建設し、土地を有効に再生する事業を手掛け、マリンリゾート開発の看板を掲げる不動産会社として名を馳せたのさ。
―――そうだったのかい。
 わたしは女相手に熱心に説明をしてくれる娘婿に相槌を打った。一般的な話だからわかりますよ。それぐらいは。私にもね。ただ、土地や建物なんて、私たちの興味とは一八〇度違う分野ですからね。妻野家は不動産とは無関係よ。わたしは直接義夫さんにそう言ってやりたかった。これまで、義父母のわたしらに土地開発を力説してきた彼、中森営業部長。その類いの話には興味なしという釘を差したかった。中森家がうちを訪問して食卓を囲むとき、テーブルの下で、いつも指を曲げて警戒していた。それは釘でなく鉤の方だね。
 しかし、今日の話は、いつもと違った。私は、社長さんも含めて彼を見直した。義夫さんも一回り成長したようだ。人を動かすには感動も必要よ。心が動く、それ即ち、次の行動を生む。私もその話を聞き、気分が爽やかになった。

 話は前後するが、わたしの娘、真理は初デートのときに白色のワンピースを着て行った。あれは確か、夏の頃のことだった。わたし、言ったのよ。真理に。
「中の下着とか、汗で濡れて透けて見えちゃうわよ。それじゃ。やめにしたら?」
 ってね。おまけに真理ったら、赤いネイルを素足に塗っててさ。扇情的っていうのかしら。アピールし過ぎなの。
「大丈夫だって」
 あの子は意地を張った。そして、涼しげな顔して出掛けてった。けどさ。結果はやっぱりよ。案の定、白い服に興奮したのよ。彼氏が。落ち着きをなくした感じがしたって真理は言うの。娘はホテルに連れ込まれ、貞操の花が散っちゃったのよね。だから言ったのに。経験上そうなるんだから。わたしが言うんだから間違いないの。え? わたしもそうだって? いえいえ。私はそういうんじゃないの。友だちの貴水(たかみ)ちゃんがさ。そういう目に遭って。白いワンピースでデートして、そうなったからね。あとで詳しく聞いたら、そういう展開になったって言うじゃない。その話を知り合いの奥様にしたのよ。卜(うら)部(べ)さんて眼鏡の似合う方に。そしたら、
「白い服は、長く一緒に居るひとには見辛いものですよ。光を反射するでしょう。落ち着かなくなるし、心理学的にはこうこうこうでしてね。色彩上もこれこれだから」
 っておっしゃるの。大学で、服飾も含めた社会心理を研究をなさる方らしいの。博識ね。言うことが違う。話の方は、全くその通りよ。わたし、処女を卒業した娘に言ってやった。
「それごらん。そういうのはね。遊ばれる女の典型的なミステークですっ。そんな服と身だしなみでは、どうぞ狼になって下さいませ、って言ってるようなもんよ。ああいう格好でデートに行くからそうなるんです。気合いが入り過ぎなの。相手と長くお付き合いをしたいなら、相手が安心する服か、大人の女として見られるような落ち着きのある服にしなさい」
 ってタラタラと説教してやりましたとも。娘もしゅんとして下を向くから、も一つおまけに、
「それとね。相手が引いてしまうような汚い鞄も避けること。分かった?」
「うん……」
「それじゃあ、手を洗って夕飯食べなさい。みんな終わってるし、片付けがあるからね」
 わたしは言うと背を向けて洗い物を始めた。娘の身だしなみには、親として、また女としての経験が物を言わせるの。その意味では、わたしが勝っているし、わたしに軍配が上がったのも頷ける。まあでもさ。若い人って、よそでもみんなそうだけど、失敗しながら成長するものよね。先回りして結論言ったってどうにもならない。逆に、そうした失敗が糧になり、教訓になり、いい思い出にもなって、友だちに語ることができたりするんだけどね。優等生になったって、つまらないだけだから。失敗の数だけ、人生の勲章が増えるの。わたし、いいこと言うわね。われながら。

聖子、還暦を過ぎて

 私たちが毎日続く暑さに辟(へき)易(えき)していた八月、老齢と公務の疲れからか天皇が崩御され、平成も三五年で幕を閉じる。時代は平成から回楽へと受け継がれた。新しい回楽という元号に変わり、なにか違う時代が始まる予感をみなは期待した。
 回楽元年、わたしは家で洗い物をしていた。嫁はパソコンに向かい、なにかを検索している。ふと点けっぱなしのラジオから流れるフレーズが耳にとまった。『隠岐の島。いいですよ~』。ああ。巽さんの故郷ね。どんなところだろう。
 その晩、弘美さんが作った料理が食卓に並んだ。瑞穂が学校で起きたことをワイワイと喋りまくる。高校二年生の一夫が、黙ってご飯を食べているのと対照的だ。大黒柱の孝道は残業で遅くなるらしい。茶碗片手に生姜焼きをつつく旦那は、息子家族も含めた一家団欒(だんらん)を懐かしそうに目を細め、機嫌も良さそうだ。
 食事後、ソファーで寛ぐ旦那に聞いてみた。すると、隠岐への興味を告げられた旦那は、
「隠岐の島ね。沖合にあるからオキか。ミステリアスなジャングルでもあるのかな。面白そうだ」
 と言った。巨大な樹が隠岐にある、と巽は言っていたような。
 以来、わたしは旅行会社や友人にいろいろ訊ね、図書館で調べ物もし、隠岐の島旅行の計画を練り上げ、旦那に報告し、夫婦で訪れる約束を取り付けた。
 十月。わたしは旦那と現地に行ってみた。現地のガイドマップによると、巨大樹は〈乳(ち)房(ち)杉〉というらしい。霧のかかる山を進むこと三〇分、そこにそびえていた大木は、幾つにも幹が分かれて曲がっていた。その圧巻たる光景に、〈異形(いぎよう)のど根性ぶり〉を感じた。〈なんとか大根〉て、昔あったわよね。その生命力の強さは奇形から生じるのか、両者に共通点を感じた。誇らしげに佇む姿を見せている老木は、見学者に対し、どんな風に生きても誇らしく生きようと呼びかけているようだ。そのように思った。
 巽さんの故郷鹿里町には、変わった自然やら祭りがあるらしい。だからか。巽がときどきおかしな声を発し、踊りを舞うのは。変な呪文を唱えながら。聞けば、その踊りには、荒ぶる平家落人の御霊(みたま)を浄めて鎮める効き目があるらしいのだ。平成時代に起こったスピリチュアルブーム、パワースポット礼賛、見えない力と世界への興味や憧れ、城や神社仏閣への参詣などを私は連想した。科学万能では進まないこの世の中、土俗的な慣習を守ることで、道祖神への信仰と村の秩序維持を図る人々がいても不思議でない。そう思った。
 うっそうとした森に入り、道なりに少し歩くと、村人が木陰から忍び寄ってきた。背後に回られたとき、思わず叫んだ。
「誰?」
 粗末な服を着た、背の低い婆さんが(私より年長か)、そこに立ってこちらを見ている。
「おぬし、よそ者じゃな。ここ鹿里にはな。平家の落人伝説があるんじゃ。よそ者が関わったらあかんでな」
 村人にはただならぬ雰囲気があった。二一世紀の回楽になっても、いまだに中世日本の伝説が人々の心を支配していることに、わたしは畏れを抱いた。
 私たちは、島内の民宿に泊まった。夕食を終え、煙草を買いに行ってくると言う旦那は、外へ出て行った。
 夜の空は雲で覆われ、星も見えなかった。
 窓の外から、ぽっぽっぽっと音が聞こえてきた。雨のようだ。やがて、それは強さを増したようで、雨はざんざらと地面を叩きだした。裏手にある田んぼでは、畦のカエルが嬉しそうに鳴きはじめる。
 こんな晩に、煙草なんてどうでもいいのに。
 わたしは夫を心配し、宿に帰るのを待ち侘(わ)びた。遠くへ来て、初日の晩である。不安にもなる。しかし、この束の間の宙ぶらりんが、反(かえ)って自分の好奇心に火をつけた。
 やがて雨もやんだ。
 晩飯の席で宿の女将が話したことが、頭から離れなかった。そんな自分を解放する時が、もうすぐ訪れようとしていた。なんでも、今晩、大樹の周りで村祭りが行われるらしい。非島民禁制だよと釘を刺されたにもかかわらず、押さえきれない気持ちは固まっていた。
 旦那が戻ってきたのと入れ替わりに、適当な理由をつけ、私はこっそり宿を抜け出した。冒険してみたかった。女だてらに勇敢だと思われようと、おんなも還暦を回れば、恐いものなどなにもない。むしろ、テレビのサスペンスのような場面に出くわすのを期待し、心が躍った。
 昼間に見学した乳房杉の遊(ゆ)山(さん)で養った勘を頼りに、懐中電灯で下を照らしながら注意深く夜道を進む。しばらく行くと、声がするので、そちらに足を向けた。
 やがて、大樹に縄をかけ、村人が踊っている姿が見えてきた。しかし、よくみると、普通のひとたちではない。背の低い、小人ではないか。それも数名が、小さな布きれを頭からかぶって。平家落人の祟りで背が縮んだのか? 背筋に汗が流れてきた。やがて年配の小人が近寄り、挨拶してきた。わたしも頭を下げ、ここに来た理由を簡単に述べた。心が通じたのか、長に紹介され、簡単なおつまみと素朴な味の酒を振る舞われた。そして、ある小人のお婆さんから貴重な話を聞くことができた。少々言葉が難しく、若い小人が通訳を買って出てくれたのには助かった。その長い長い話を要約すると、乳房杉からしたたる水は太古の樹液を含んだ天然水であり、聖水と言われている。それを村の妊婦が飲むと、たちどころに母乳の出が良くなり、赤児が健やかに育つことから、地元では乳房杉のことを女性の神、安産の神様と崇め祭っていたそうだ。ところが、ある年、不心得者が森を乱した。不良少年グループの連中が森に分け入り、都会からきた家出少女を伴って乳房杉一帯を荒らしてしまった。彼らは、あろうことか、乳房杉の先端をサバイバルナイフで切り落としたという。すると、後日、少年たちに次々と不幸や祟りが襲いかかった。まず、切り落とした仲間三人は、同じ車でドライブ中にガードレールにぶつかり、崖下に転落して全員が死亡する。ちょうどその頃、激しい雨が急に降り出した、と現場近くの農家のひとは証言した。切り落とした犯人は、それを聞いて怖くなり、バイクで市道を逃げていたら、台風のさなかで強風に煽られて木が倒れてきた。もうおわかりだろう。実行犯は、倒木の下敷きとなり圧死したのだ。そして、現場には、乳房杉を守るとされるハシブトガラスの群れが大挙して舞い降り、不届き死人の両目を鋭いくちばしでえぐり出したそうだ。目をくり抜かれ、見るに堪えない死に様を降りしきる雨の中で晒した少年であった。その遺体を見た両親は気が狂い、ショックで白髪になった兄弟を家に閉じ込め、三日三晩意味不明の言葉をわめき散らした後、ガソリンを家中に撒いて一家心中を図った。家族は全員が死亡し、その焼け焦げて真っ黒になった遺体の数々を見て、焼き場の職員も気味悪がり、灰の多くを海に捨ててしまったという。そして、家出少女は村を彷徨ううちに精神病になり、県立の大学病院に入院した。しかし、入院中になにものかが病院食に混入させた農薬で中毒症状を引き起こし、これも死亡したらしい。
 わたしは、乳房杉の霊験あらたかな伝説より、それを踏みにじった少年少女の惨い末路に言葉を失った。それを感じ取った小人たちは、わたしの肩をトントンと叩き、明るい叫び声を出して、再び陽気なダンスの続きを踊って見せてくれた。
 次の朝、夫に、昨晩聞かされた民話や小人たちのダンスを報告すると、夫は笑って相手にしなかった。
「聖子。そんな馬鹿な話やダンスなんて、あるわけないだろう。夢でもみたんだろ」
 軽くため息をつき、旦那は朝刊に目を落とす。ひと気の少ないロビーとはいえ、大声で話せない秘密の吐露に内心穏やかでなかった私は、味方が増えないことに憤慨した。
「もういいわよ。これは真実よ」
 顔をそむけて、窓の外をみた。映画の世界なら、ここで小人が窓から覗いて手招きしたり、見つかって逃げたりするのだが、そんなことはなく、平凡な田舎の風景だけが視界を満たしているだけだった。
 東京に戻り、有巣さんや前田さんにその話をしたら、私の話を信じてくれた。
「そうなの。不思議ねえ」
 有巣さんは興味深そうに瞳を輝かせた。一方の前田さんは、信じることは信じたが、なにかを思い出そうとして思い出せないような苦悶の表情を作っていた。

 巽には千加という子どもがいた。巽夫婦が池袋に暮らして二年後、安江は長女、千加を産んだ。二人とも、それはそれは喜んだようだった。それらのことは、安江からの手紙で知った。その経緯を書いてあった。
 わたしも、出産祝として五千円を贈ったのを覚えている。現金か実用品かと迷った。お金なら相場はいくらかなども考え、いろいろな方に相談して、その金額に落ち着いた。
 学生時代には、特に親しくしていたわけでもなかったけれど、アパートを世話したときのことを思い出し、わたしら夫婦を頼る人には親切にしようと思った。旦那とも話し合った末、礼儀を重んじる人、丁寧に接してくれる人たちには、それ相応の援助をして差し上げようという結論になった。
 出産祝のお返しに、相手から石鹸を頂いた。スナップ写真も同封してあり、円(つぶ)らな瞳であどけなく笑う赤ん坊が、お母さんの腕に抱かれていた。安江さんと千加ちゃん親子だ。
 巽親子のことをすっかり忘れ去った頃、「千加ちゃんをテレビで見た」と真理がある日言い出した。マジシャンの娘もかれこれ二四であり、成人式をとうに済ませ、自身のことは自分で責任を持つことができる大人である。親の威光でテレビに出演したとしてもおかしくはない。そうなのかなと思ったら、真理が言うには、
「歌番組で優勝した」
 のだそうだ。
 へぇ。すごいわね。あの円らな瞳の赤ちゃんが大きくなって、歌を歌っているのか。
 少し驚いた。才能は親子で違っても、ステージに上がり、人前で芸を見せる天賦の才はあるのかな。いや、人前に出たがりなのかしら。
 わたしはクスッと笑うも、巽がマジシャンとして名が売れるようになるまでに重ねた苦労話を思い起こし、唇をキュッと締め直した。
 千加ちゃんがたとえすぐに売れても、芸能界は茨の道。多難で辛い下積み生活が待ってるのよ。大丈夫かしら。
 まるで、彼女のことを、我が娘であるかのように心配し、ヤキモキした気分になってきた。とは言うものの、まだ半ば素人の身分なのだろうから、これからいくらでもやり直しがきく。それだけの時間はある。また、若さとは、何かを吸収する優れたスポンジだ。なんとかなるわよ。楽天的に捉えてみると、大したことでもない気がした。
 真理からの報告もすっかり忘れた数年後、こんどは私が目にすることになった。駅前の美容室で順番待ちをしていて、手に取った女性週刊誌に、その人の名があった。
―――【巽千加、イケメン俳優Tと結婚秒読みか?】
 まあ。あの巽さんとこのお嬢ちゃんたら。やっぱり芸能界に入ったのね。それにしても、俳優さんと結婚するなんてさ。すごいよねぇ。
 〈週刊女子心得〉には、サングラスを掛けて車から降りる芸能人風の男と、買い物袋を提げた、物静かで綺麗な女性の写真入りで、記事が数ページにわたって掲載されていた。パラパラとめくってみたが、巽弘のことは紹介程度にしか書かれていなかった。
 巽さんは、挨拶や礼儀を重んじる世界に長くいる人だ。親としての貫禄を見せ、俳優Tが礼儀知らずだったなら、挨拶に来ても追い返すべきよ!
 なぜか、私は巽弘の気持ちになって、娘はやらん、と言わんばかりに気色ばんだ。
 カットを済ませて家に戻り、真理のいる中森家に電話すると、娘はその記事のことを何日も前から知っていたらしい。彼女の言い分はこうだった。
「お母さん。いま頃そんなこと言って。もう遅いよ。それに、いまの時代に、許すも許さないもないわ。見せつけてんの。そうやって、結婚を反対された場合に備えて、伏線を張ってるの。既成事実を作るのよ。みんな。なんだったら、カメラマンと打ち合わせて、わざとそういう場面をカメラに撮らせる人もいるぐらいなんだから」
 なんと! きょうびの若い人らは実に計算高い。本末転倒、あべこべのことを平気でするもんだわ。
 そう感じた。

 全国手芸交流協会の指導員を務めていた若い頃、北海道の札幌を訪れることがあった。札幌市の手芸フェアに出品する手芸サークルに招かれてのことだ。会員の作品を見て回ったが、どの出来栄えも素晴らしく、私はたくさんの力作を褒めちぎった。実務的な中身は会場での三時間ほどで終了し、名刺交換した会員ら有志を募って夜の札幌を飲み歩いた。
 あれから二六年。あの街の雰囲気が心にとまり、かねがね再訪を希望していた。協会の仕事で行くことはもうなかったけれど、個人旅行で今回訪れる機会ができた。幸運だった。息子夫婦にお願いして家を空け、旅路へと向かった。連れは、風邪引きが長引いていたので置いてきた。いや、留守番である。
 白髪交じりになったオバサンとはいえ、気力は当時よりも充実している。そう思って家を出た。あの頃は四〇手前で、忙しい家事に加えて趣味も同時進行中であり、少し疲れ気味だったのかしら。趣味以外にたいしてすることもなくなった今となっては、全精力を手芸に注ぐことが出来る。そして、今回札幌を訪れた目的は、新たな楽しみといってもよい「旅」そのものである。若い頃は、家族での旅行か、指導員としての研修業務も兼ねた派遣出張としての旅行のいずれかであった。決して個人の楽しみは優先されることはなかったように思う。気がかりなことが一つでもあれば、予定は変更できないし、常にそれをフォロー、サポートすることが求められる。また、そういう立場に立たされていた。それに比べ、何もかもから解放されると、旅そのものをいろんな角度から眺め直し、あれをしよう、これもしたいな、などと旅先で思ってしまう。
 だって、こうして飛行機で空を飛び、あっという間に北海道に到着してしまうと、泊まるホテルと行きしの飛行機以外なにも決めず、予約などしていない私にとって、空港で土産物屋のホワイトチョコレートを試食するのも、牧場で搾った牛乳入りの特製ソフトクリームを舐め回すのも、思いつくまま気の向くままに実行できるのだ。修学旅行の自由時間みたいだな。ふふふ、と私は笑いがこみ上げた。市内のホテルに今夜は宿泊する。それまで、ゆっくり近場を観光してみるか。コインロッカーを探して荷物を預け、わたしは街を散策した。JRタワー、テレビ塔と大通り公園、時計台、サンピアザ水族館などなど。そして、最近有名らしい札幌コンサートホールKitaraにも足を伸ばしてみた。これは、地元の若い人に道を尋ねたさい、ついでに教えてもらった穴場スポットだ。おばさんは実に図々しくできている。ホテルに一七時過ぎにチェックインし、部屋のテレビをつけてみた。ちょうど夕方の情報番組らしきものが流れている。地元を紹介するコーナーに差し掛かり、わたしは運良くそれをメモできた。いま市内で流行のレストランを特集していた。ラッキー。たしょう若者向けの要素、宣伝要素があるとはいえ、主婦でも気軽に入れそうな店もあり、二、三メモしておいた。冷蔵庫を開け、サイダーの缶をグビグビと飲み干し、窓から外を眺めてみた。夕闇から夜へと変化する町並みにネオンランプが灯っている。天気も持ちそうだ。よしよし。曇り空のようで内心ホッとした。汗をかいていたので、バスルームで軽くシャワーを浴び、身ぎれいにした、裸のままで部屋へ行き、オレンジ色のキャリア付きスーツケースからスカートとブラウスを取り出す。洗面所の鏡の前に立ち、見慣れた裸を隠すようにして服を合わせてみた。分かってるくせに。うん、まあまあかな。よく似合ってますよ、お嬢さん。あらいやだ。お嬢さんなんて、何十年ぶりの台詞?。ひとり漫談をして、はしゃぎまくった洗面所で下着を履き、洋服に着替え、バスルームを出た。クーラー要らずの北海道は、秋でも肌寒いかしら。そうだろな。そう思い、ブラウスの上から着る厚手のジャケットを羽織り、クローゼットのミラーの前に立ってみた。こんどは口をつむり、漫談なしだ。そうこうしている内にいい時間帯となったので、部屋のカーテンを引き、ルームランプを最小に絞り、キーロックを掛けてエレベータで一階に降りた。
「お客様。お出掛けですか。キーをお預かり致します」
 黒服の細身青年が眼鏡をキラリと光らせる。清潔感があってよろしい。
「ハイ。あ。六〇八号室ですよね? では、お願いします」
 部屋番号を確認すると、青年は顔に微笑みを浮かべた。
―――あら。恥ずかしいことを言ったかしら? ま、旅の恥はなんとやら、ね。
 カウンターを離れ、ガラス扉の入り口を左右に開けると、澄んで冷たい夜の空気がわたしを出迎えた。
―――外の空気は冷たい。しばれるわねぇ。ちゃっぷいわぁ。
 両手にお手製の毛糸手袋をはめ、その両手を揉んで擦り合わせながら、夜の札幌界隈へと繰り出した。
 メモの文字を見ながら、携帯端末に店名を入力する。手袋で掴めるミニペンが活躍した。場所が分かり、そこを探して彷徨っていると、ようやく店のネオンに出くわした。
―――なんだ。ここだったのか。昼間行ったときに、どうして近辺を見て回らなかったのだろう。
 後悔したが、恥は書き捨てた。新名所の近くには、美味しいレストランも建つだろうな。当たり前の事じゃないか、聖子。旦那のとぼけた苦言が聞こえてきそうだった。改めて旅行慣れしてない自分を思い知り、世間の仕組みを噛みしめる私だった。
 店に入ると、店内の装飾がとても綺麗だった。入り口から壁、テーブルにかけて、デザインや明るい色調が統一されてある。洋服といい、身のこなしといい、若干落ち着いた、よく言えば品のある雰囲気の主婦が、ここにいてもいいものかと一瞬思ったが、客が大勢でもなかったし、そこは百戦錬磨のオバちゃんだ。すぐに常連気取りの顔を作り、適当な椅子に座ってゆっくりとメニュー表を見回してから、隣のテーブルを見て、同じくパスタセットを注文した。ドリンクは自家製コーヒーのホットにしてもらった。平日の夜だからか、お洒落な場所柄のわりに店内には空席も目立ち、一人客にはむしろ好都合だった。他のメニューはどうだろうと、置かれてあるメニュー表をこねくり回し、ハンバーグステーキのセットや、ドリア&グラタンハーフセットなどにも目をつけた。これはいいかも、と人に紹介する際のネタとして仕込んだ。
 外が賑やかになってきた。なんだろな。イベントでも始まるのかしら。
すると、がやがやと人の声がしてライトが店内を眩しく照らし出し、テレビの撮影らしき一団が入り込んだ。レポーターらしき男性が、マイク片手に店長にインタビューを始めたので、これは騒々しくなるかなと思った。しかし、どうやらインタビューのみを収録し、クルーは帰って行った。後日また改めて来店し、営業前の夕方などの時間帯を狙ってリポーターに自慢料理を食べさせるんだわ。そうよ。客がたくさん来る時間に長々とカメラを向けられたら、一般客は迷惑だもの。そう納得した。
 いろいろな客が来ていた。会社終わりのOLグループ、会社の上司と部下、地元の主婦仲間、などと勝手な想像をしていると、オーダーした料理が運ばれてきた。北海道の海産物を味わいたくて、シーフードパスタにしてみたのだ。大きなムール貝が三枚並べられ、その周囲には、ハマグリ、ホタテ、エビ、イカの輪切りにゲソ、真っ赤なミニトマト、黄色いパプリカが隙間を埋め、サニーレタスの細切りが鮮やかな緑を添えて皿を飾っていた。スープも美味しそうなだしがでていそうだ。うーーん、聖子、大満足! いや、それは食べてから言おう。しかし、もう既に、筋書きは用意されていた。鼻に吸い込まれた匂いが、これは★三つだぜ奥さん、と主張しているのだから。そりゃ、そうだ。こんだけ新鮮な北海道産の海の幸を料理にふんだんに使っていて、もしも不味ければ、客は来なくなるよ。食べてみた。やっぱり、旨いよ、お父さん! 東京で即席麺を食ってる旦那が可哀相に思えた。付いてきたポテトサラダも新ジャガで旨い。安易にハンバーグにせずにこちらを選択して良かったわ。そんな気になった。
 大満足でレストランを出て、コンビニでペットボトルのお茶とスイーツを買い求め、ホテルの部屋に戻った。男性客なら、ここでいやらしいビデオを鑑賞し、ビールでも呷(あお)るのだろうが、わたしは主婦である。ニュースを見ると、スーツケースから手芸用品を引っ張り出し、編みかけのストールを少しだけ編んだ。編むうちに、だんだん眠気が勝ってきたので、お茶を少し飲んでパジャマに着替えた。やっぱり眠い。そこまでにして、セレクトした低反発枕の上に頭を置いて、朝まで快眠の境地に浸った。
 翌日は、日の出より早く目が覚めた。夕べの続きを、と編みかけのストールをやり始め、朝のニュースが始まる頃には完成の一歩手前まできた。そこで作業を中断し、ニュースを見るうちに気が変わった。ここで止めにしよう。いま、完成しても、この場に喜んでくれる者がいない。嫁や長女にすぐ見せびらかしたかったが、彼女らは東京だ。そうだよ。東京に帰ってから完成させよう。竜の目を入れるのは、みんながいる前で。きっと、こんな風になる。
―――どうだ。出来たよ! 婆ちゃんすごいね。すごいでしょ、何でもできちゃうよ。お母様、さすがだわ。
 そういうギャラリーがいてこそ、作り甲斐があるというもんでしょう。毎回がそうでもないけれど。寸止め手芸作家のベテラン理事よ。私は。
 朝食は少し遅めになった。パンケーキを選択した。白い皿に載っている、こんがりと焼き上がったパンケーキ二枚にナイフで突き刺したバターを塗り、甘い蜂蜜を贅沢に回しかけて使い切り、その二枚をそれぞれナイフで8等分し、口に運んだ。横に添えられたスクランブルエッグを丁寧にフォークの上に載せ、甘いパンケーキと交互に味わった。オレンジジュースのお代わりを飲み干した頃には、腕時計は九時を回っていた。それでもこのホテルではモーニングサービスの営業時間内であったので、安心してゆっくり過ごした。部屋に戻って荷物を整理し、化粧をした。一〇時半にホテルをチェックアウトし、街に出た。街を歩くと、朝だからだろう、パンの焼ける匂い、自家焙煎した珈琲の匂いにそそられる。胃袋は鳴らないけれど、のど元がゴロゴロしてくるようだ。生唾を飲んで我慢した。
 二日目の観光は、ハンドバッグに軽装で、円山動物園と北海道庁旧本舎、北海道大学植物園、旭山記念公園を訪れた。
 道庁、北大植物園ともに市内中心部であり、立地がよく、見つけやすかった。タクシーで北海道庁旧本舎の前に行き、中を見学した。北海道開拓時代から現在に至る歴史や外交のパネル展示をざっと眺めた。「赤レンガ」として有名な建物は、修学旅行生や外国人観光客も多く、正面から記念写真を撮影してもらった。また、花壇を始め、庭も綺麗だった。 北海道大学植物園は、道庁から歩いてすぐの所にあった。北海道庁の銀杏も綺麗だったが、植物園内の紅葉も艶やかだった。園内は落ち着いた雰囲気が漂い、気持ちよく散策できた。
 植物園からバスで地下鉄の駅へと移動した。次は円山動物園。動物園へは地下鉄とバスを乗り継いで行った。円山動物園に着き、園内に入ると、広い敷地のマップを見つつ、一番に売店を目指した。コロッケとジュースを買い求め、開放的なテラス席に腰掛ける。朝、コンビニで買ったサンドイッチとともにそれらをパクついた。お腹がこなれてから、動物をゆっくり見て回った。ヒグマやワニが餌を食べる所を見たし、レッサーパンダがかわいくて愛くるしかった。カバが大きく口を開けていたのには、まるで旦那の欠伸(あくび)みたいだと思った。羊は昨日の昼、若いのをジンギスカンで食べたから、ちょっとグロテスクに映った。
 円山からタクシーで旭山記念公園に移動した。市内を一望できる展望台からの見晴らしは確かに評判通りで、すこぶる良い眺めだった。少し寒気を感じてきたので、レストハウスで休憩した。ココアを飲んで体を温めた。ちびっこ広場なる芝生では、斜面を利用した段ボールのそりごっこを楽しむ子どもらの歓声が、わあわあと木霊していた。公園内の遊歩道や森の中を少し散策し、最近になって気になりだした嫁の様子が、ふと頭をかすめた。
 旭山記念公園から札幌駅に戻り、朝ホテルで聞いた情報を信じて、最後に豊平峡温泉を訪れた。札幌駅からJRで一時間少し行くと、鄙(ひな)びた温泉地に入る。紅葉を楽しみながら束の間の露天風呂に浸かり、「山奥気分」を味わった。帰りの時刻を気にし、日帰り温泉を終了したわたしは、タクシーで空港へと向かった。飛行機に乗ると、疲れていたのか、嫁のことは忘れ、短いフライトながらもぐっすりと眠った。
 わたしに芽生えた旅情は六〇を過ぎてから花開いた。わたしの趣味の一つとなった旅行。子どものためにと家族旅行で名所を巡った頃から、旅情に憧れを抱いていた私だが、やはり家族と切り離した気楽な旅から感ずるものというのは、家族旅行時代とは異なった。心にゆとりがないと旅に行きたくはならない。つまり、ゆとりのあるときに旅をし、あくせくせずに好きな物を見て回ることを本心で楽しめる年頃になったのかもしれない。
 例えば、北陸地方とかだと、漁港や朝市、のどかな風景に田舎の風情、地酒に旬の野菜などが味わえる。そういったものが楽しみの中で上位を占めるようになっていた。そして、東京に帰ると、旅の土産話を語らずにはおれない。ウズウズするのよ。旦那に話し掛けても、彼はおとなしく聞いてくれず、必ず茶々を入れてかき乱す。だから、知り合いの奥様に話すのが一番いいの。
「水族館に行くと、青い宝石が見られるわ。見たことある?」
「ないわ」
「そう。あのね。暗い水中で青く光る宝石みたいなのよ。千個の青い宝石が電飾みたいに輝いて、それはそれは綺麗なんだから。え? なにかって? ああ、ホタルイカよ」
「ああ。聞いたことあるわ。それ」
「まさに自然が見せる光の連珠ね。海中のアクエリウム・ショー。〈ルミナス・スクイッド〉(光のイカ)は、生姜醤油で食すか、内臓を丁寧に取って刺身にする。美味しいわよ」
「奥さま。詳しいですわね」
「ええ。わたし、富山によく食べに行きましたもん」
「なるほどね」
 旅好きになったのは、家族旅行が原点であるけれども、そういう環境が整ったせいの方が大きい。それは、手芸交流協会専務理事を務めるようになり、地方へ行くことが増えたという事情があった。「所沢市手芸展示会」や「海馬市手芸フェア」などの名を冠した展覧会や作家の個展が、全国各地で毎年それぞれに行われる。もう百回ぐらい足を運んだだろうか。とにかく、地方の作家から生徒さんに至るまでの方々が、わたしを始めとした協会員のアドバイスや感想も含めた交流の機会を、首を長くして待っておられるのだ。行かないわけにはいくまい。生徒らが丹精込めてこしらえた刺繍やぬいぐるみ、ビーズ細工などの手芸品をこの目で確かめ、適切な評価をし、知り合いの作家や業者を紹介するために地方行脚をするのは、まったく苦にならない。喜んで地方へ足を伸ばした。あ、ついでに言うと羽も伸ばした。趣味で始めた刺繍やぬいぐるみ作りが、いつしかそれを越える階級に達し、今では後進を育てる幹部として協会を盛り立てる側に立っている。そうした出張やらで旅する機会がいっぱい増えた結果、先ほどの話のような流れに繋がっていった。その旅行という楽しみがわたしの趣味の中にひとつ加わり、歳を重ねるにつれ、ある趣味が別の趣味を呼び寄せてくるような気がした。そうなのよ。まさか、自分が年老いてから夢中になるものに出逢い、若い人たちに混じって文化や価値を享受するなんてね。思っても見やしなかったわ。

 いろいろな面々が一堂に会したこともあった。栃木県弁別市内に「弁別カントリークラブ」なるゴルフ場がある。父も昔はよくそこへ足繁く出掛けていたのだが、なんとかというゴルフコンペがあったらしい。ああ、思い出した。〈銀米会ゴルフコンペ〉というらしい。父と旦那は、シニアメンバーとしてそのコンペティションに参加したのだが、旦那の上司、金城さんや近所の前田大作さんも第9回銀米会ゴルフコンペに招待されていた。銀米会というのは、メンバー幹部が米にうるさく、銀シャリにこだわるからだそうだ。父らを筆頭にした、町内会から発展した親睦ゴルフコンペであり、名刺交換が必ず行われるらしい。
 その当日の朝早く、わたしがまどろんでウトウトしていた時間に、白のポロシャツに緑色したチェック柄のパンツルックで台所を賑わせている御仁がいた。朝食を済ませたその人は、玄関でゴルフ道具を並べ、シルクの布で一本一本のクラブヘッドを丁寧に磨く後姿を見せていた。
「ふぁー。早いわね。まだこんな時間に。ゴルフ?」
「ああ。久しぶりに腕が鳴るよ。きょうのコンペは華やかだ」
「若いお姉ちゃんでも来るの?」
「そういうことじゃない。顔ぶれが豪華なのさ。ま、あとでゆっくり」
「帰りはどうなさるんですか」
「うん。適当に済ませてくる、と弘美さんに言ってくれ。オレは数にいれなくていい」
「はいはい。そう伝えますから」
「頼むよ」
「じゃあ、無理せず楽しんでらっしゃいな」
「ああ。行ってくる」
 少し前から、妻野邸の前に停まっていた金城さんの車がエンジンを吹かし出した。運転手はサングラスを掛けていた。ドアの隙間越しに見えるその人は、旦那を手招きしている。
 まもなく車に乗り込み、ゴルフプレーヤーらは、朝の練馬を疾走していった。途中で、××駅改札口で待っていた松永哲太郎も拾い、一行は練馬から埼玉方面へと車を走らせた。弁別市内のカントリークラブに着いたのが朝の七時過ぎだったらしい。ラウンドは八時半からという規定だった。
 わたしは、ゴルフなんて門外漢であり、六〇過ぎの男性がするにはちょうど手頃なスポーツだと思っていたけれど、まさか八〇をゆうに越した老人、うちの実父がクラブを振り回せるほどに元気だったことを知り、たいへん驚いた。ゴルフが趣味なのは知っていたが、半日の間、コースを回れるほど健康だとは思いもよらず、ただただ驚くばかりだった。コースを歩くのが大変ではないか、皆さんのお荷物になったのではないかと危惧したが、後で聞くと、クラブを積んだゴルフカートに乗り、キャディーさんと世間話をしながら移動したよ、と言うではないか。なんとも優雅である。お父さんたら、ちゃっかりしてるわ。
 以下、実家に遊びに行ったときに聞かされた話、ゴルフコンペのあらましををまとめてみたら、こうなった。
―――ああ。とても楽しいコンペだったよ。平均スコアで振り分けた五チームに分かれてプレーしてね。泰史君は、元上司を同伴したBチームで回ったこともあり、チーム内では四六時中、みんなを盛り上げるムードメーカーに徹していたようだったね。僕は長谷部さんと同じでAチームだったが、ときどき後ろのチームで大きいのを飛ばす豪快な選手がいてね。Bチームの前田さんだよ。あの見るからにごつい体の前田大作さんは、バスケットで鍛えた大柄な体に似合わず、フォームもスイングも綺麗でね。飛ばすセンスもいいし、パッティングも上手いときたもんだから、彼がグリーンに来ると、まるで花が咲いたように明るい雰囲気になるというか、ね。目立ってたよ。ナイスショットの声がしょっちゅう聞こえてきたし、老いてなお盛ん、万年青年というか。いや、まだ六四なんて若いよ。八三の僕こそ、現役バリバリさ。
 え? スコアかい? 八八の長谷部さんが優勝。前田さんが八九の二位。僕は九三で、九四の金城さん、九六の猪飼(いかい)さんと泰史君、一〇〇の石嶺さん、……ときて、どん尻が、一二一を叩いた山田君かな。彼は、まだプレー経験が少なくてね。仕方ないよ。
 そりゃあ結果だけをみれば、シニアに一日の長ありだよ。ショットでは差がつなかいからね。勝負はグリーンになる。ああいう場面では、微妙な調整というのかな。芝の起伏、パッティングの微妙な力加減、メンタル面でのタフさ、それ以外にも、先にパットしたプレーヤーの球筋をよく見極めておくとか、無理して一打で入れる所を安全策で二打に刻むとか、寄せて相手にプレッシャーをかけるとか。心理戦も含めて、プレイ経験と落ち着きがものを言うからな。
 僕は、自分が追い詰められているとき、周囲にジョークを飛ばして場を和ませたり、頭の中で、秀作に入る部類の自作散文詩の一節を一字一句辿ったりするんだ。すると、いい気分転換ができて呼吸も整い、自然といいパッティングになる。ショットの方向も安定する。若い人にはなかなか真似できないのかもしれないがな。ハハハハ。
 ああ。若い人と言えば、桂谷君という若手がいたな。Eチームだったか。前田さんと同業者になるのかな。年こそ三回りぐらい違うけど、彼も前田さんと同じ道に進むと言ってたよ。頑張って資格を取れるといいね。一級建築士だろう? すごいよな。その話は、クラブハウスで昼食後の珈琲を飲んでいるときに聞いたんだ。なかなかの好青年でね。もてるんだろうな。僕の若い頃みたいに。ハッハッハッ。なんでも、仕事にプライベートにと、今がいちばん充実しているっていうじゃないか。彼は。頑張って欲しいよ。ああ、思い出した。桂谷君は、前田さんの後輩に当たるんだ。同じ建築学科卒でね。K大生だったんだな、どちらも。どうりで、二人ともお洒落でスマート。いかにもK大ボーイ風だよ。
 まあとにかく、銀米ゴルフコンペも、成功裏に終わって良かったよ。本当に。無事に終了でき、けが人も出ず、天候にも恵まれ、なによりだった。
 え? 泰史君がどうしたって? ああ。お前の旦那は、ちょっと帰りがけに用事があるとか言って、我々とは別の車に乗り込んどったぞ。たしか、東北道の浦和インターで降りたんじゃなかったかな。あとは知らん。なにかあったのか? いつもと様子が変わらんかったが。
 へ? むむむ……。これは、匂う。
 長年連れ添ったパートナーの嗅覚、おんなの勘、その両方のセンサーが同時に鳴り出した。詳細な内容は後で問い詰めるとして、わたしは夫の行動に不審感を募らせた。帰りに適当なところで途中下車し、知り合いを巻いて気配を消してから、携帯で連絡を取り合っている女と浮気を働いたのではなかろうか。
 怪しいな。いつもと違うときこそ、よりいっそう用心深くなる人だ。
 越谷とか浦和とか、その辺のスナックに出入りしているらしいのは、以前から承知していた。練馬や池袋、会社のある川口方面と無関係な町のティッシュを、わたしは旦那のズボンのポケットから何枚も発見していたのだ。
 ここはひとまず、様子見をして証拠を固め、一気に畳み掛けるとしよう。父から話を聞いた日は、火山の爆発をいったん踏みとどまらせた。
 後日、堪忍袋の緒が切れた。すべてが土俵、紙の土俵の上で紙相撲をやらされていたみたいだわ。そう思っていた。周囲の観客がただ面白がってわあきゃあ言って、それを見ては楽しんでいるだけ。もう、今日言わなくて、いつ言うか!
 食事が出来るのを待つ間、離れでは、わたしと旦那の口喧嘩が始まっていた。
「あなたはね。冷徹なのよ。冷徹でしかもどぎつい。おまけに無神経だから、他人の弱さや苦労に目を背けて来れたんだわ。わたしの苦労にも」
「ちがう。オレは冷徹だが、どぎつくないし、無神経なんかじゃない! ただ辛かっただけさ。我慢して耐えてきただけなんだよ、聖子。分かってくれ。お前の苦労は充分すぎるぐらいに理解している。大いに感謝もしている。全国手芸交流協会の活動は、羽を伸ばせるように自分の都合を合わせてやったじゃないか。地方への出張や旅行も自由に行かせたし、手芸の展示会や作家との打ち合わせにもいい服を買って着飾って行けた。お前のワガママをを許してやったのは、オレじゃないか。なあ。分かるだろう?」
 星がいつになく綺麗に輝き、満月が出ている。私は月を見て、決心した。そして、深呼吸をし、姿勢を正した。
―――調べはついている。あのゴルフコンペの日、夫が履いていたパンツは黒だったが、その翌日に、夫はそれを何食わぬ顔で脱衣カゴから拾い上げ、どこかに持ち去った。処分したのだろう。タンスの中に収まる黒のパンツの数が一枚足りない。計算が合わないのだ。旦那なら、汚した下着を、新しく自分で買い足すこともできただろうに、それをしなかった。妻が新しい黒色の下着に気づき、問いただされるのを嫌ったのだろうか。彼は「捨てる選択」を実行した、と思われる。家中のどこにもないのだから。あの黒色パンツに不倫の匂いが染みついているとしたら。まだある。ポロシャツの件だ。今度はそれをクリーニング屋に出した形跡があった。これは誤魔化しようもない事実である。私は、われわれ夫婦の買い物のたびにたまっていくレシートの山から、そのレシートを発見した。そっちの方が、もっと怪しい。そのポロシャツにあのひ逢い引きした女のつけていた香水の香りが移っているのならば。帰宅するまでに、その一大事に気づいた小心男が、それを隠し、脱衣所で袋にでも入れ、クリーニング屋に出したのだろう。ならば、その日付が記されたクリーニング屋のレシート、「ポロシャツ一枚 ¥250」なる不審な伝票の理由が腑に落ちる。どうよ。わたしの名探偵ぶりは。これとこの間の件とを合わせ技にして、一本勝ちをとってやるわ!
 嫁が食事を知らせに来た。
 よし。それが終わってからだ。
 私は、弘美さんらには愛想よく接し、旦那とともにゆっくりと食事を済ませた。そして離れに戻ると、夫に近寄り、耳を手で思い切り引っ張って、畳の上に正座させた。パチパチと瞬きを繰り返し、上下左右を泳いでオロオロする夫の目は、焦点が合わない。あてなく彷徨う視線を無視し、わたしは鏡台の前に置かれた丸椅子に座って上から夫を見下ろし、大岡越前ばりの裁きを開始した。
 夫は、哀願するような目、捨てられていた子犬のような哀しい目を私に向けてきたが、既に何が起きるかは、感じ取っていたようだった。
「蝶よ花よとおだてられ、調子に任せて前に出りゃ、梯子を降ろされ、馬鹿にされ、でしょ。これが妻野聖子の怨(うらみ)節なのよ」わたしは唸った。そして更に、尖った心の短刀を旦那の首筋にあてがっているつもりで、こう言った。
「あなた。ゴルフコンペの日、なにしてた? 帰りに、仲間と別れて別行動をしたらしいじゃない。そこからどこへ行ったの? んん? 答えてごらんなさいよ。……。スナックの女にでも手を出してたんでしょ。あの日着ていったポロシャツに匂いのきつい香水がついていた。クリーニング屋のおかみさんが証人よ。それとレシートも。隠しようがないわね。裏付け捜査も完了しております。それから、も一つ。梅雨時に残業した日が幾日もあったわよね。五、六日だったかしら。私の日記には正確に載ってます。遅くまでご苦労様でした。だけど、本当に遅くまで会社で仕事をしていたんでしょうか。私はね。金城さんの奥さんに会ったとき、挨拶したの。夏に。『主人が連日残業しておりまして、会社にご迷惑をお掛けしております』って。そう言ったの。そしたらね。『金城は妻野さんに、それほど残業させてはおりません。せいぜい、月に二、三日ぐらいですよ』って。奥様はそう言うじゃない。これはどういうことですか。じゃあ、残りの日はどうなってるの? 私にウソをついたわけですか。ふーん。偉くなったもんね。仕事だ残業だってウソついてさ。どこのスナックだかに飲みに行ってさ。ふしだらなことをして。部下を運転手に仕立てちゃって。ちゃんと、若手のBさんから事情聴取を済ませておきましたよ! あのね。いつもと違うことをしでかしたって、世間の妻はみんな気づくものなんです! 私もそう。私の目は誤魔化せません。主婦の、厳しく真実を見抜く目を、正義を裁く腕を、甘く見ないで頂けますかしら? いったい、あなたって人は、どれだけ女房を騙(だま)くらかしたら気が済むわけ? どれほど水商売の女たちにつぎ込むつもりなの? しかも、その醜女(しこめ)に熱を上げて、ホテルで一夜を過ごすなんて。馬鹿やってんじゃないわよ!」
 わたしは激高した。
「ちがう。ちがうって。なにかの罠だ」
 旦那は小さな声で抵抗してきた。
 私は思った。歌も歌った。踊りも踊った。図に乗って友だちのお節介まで焼いて上げた。それなのにね。それなのによ。女房を裏切り、秘密を隠し通すわ、証拠を突きつけても、まだしらを切るわで。全くもう。やんなっちゃう。
「女というものはね。愛する男の女性関係にはことさら敏感になるものなんです! お気を付け遊ばせ!」
 わたしは夫にそう言い放つと、プイとあっちを向いて包丁を握った。夫の浮気の追及はこれくらいにしておいた。同居している他人のことより、肉親のことが気になった。
 後日、用事と称し、息子の家へ出掛けた。実際、甥の結婚式のことで小言を言うつもりだった。それが終わり、私はソファーに腰掛けた。
「孝道。ちょっと」
 わたしは息子の反応を見定めようとし、ソファーへ手招きした。
「なんだい。母さん」
「お前さあ。三日月目をした中国顔の女はどうしたんだい?」
「ああ。あの女か。あれは会社の秘書兼受付嬢だよ。なんでもないさ」
 わたしは愚息の口調だけで察しが付いた。特に慌てた様子はないので深入りしてはいないだろう。だが、的の端には当たっている。これ以上彼を傷つけるなんて野暮だ。そう思って、口をもごもごさせるだけにとどめた。わたしは知っているのよ。二年前、秋の夕暮れ時、妻野孝道と書かれた表札の前で、車から降りた女をわたしは目撃した。三日月目は、孝道に寄り添うようにそばにいて、ピンク色をしたゴルフバッグを孝道の車のリアシートから降ろしてもらうとにっこり微笑み、手を振って歩き去って行ったのだ。ああ。お嫁さんには接待ゴルフと言って、こういう付き合いもしているんだわ。咎(とが)めはしないものの、妻野家を揺るがすような女はさっさと追っ払いたかった。旦那の悪い所ばっかり似てきて、困っちゃうわ。厄払いさせなきゃ。そんな気になった。
 とりあえず、昨年からやり出した例のものを机の引き出しから取り出し、参考書を首っ引きにして、聖子号のこれから取るべき針路を念入りに見定めた。こういう時にこそ、これを役立てないとね、と思った。
 なるほど。そういう線が出るか。やはりな。
 方針は決まった。ただ、今回は息子のことでもあり、彼の人間としての成長を促す意味合いもこめて、弘美さんと孝道の関係性を重んじ、この息子家族の成り行きを見守ることにした。詳しいことを私が直接探るわけにも行かないだろう。
 半分は旦那のなまくらな血が流れ、もう半分はわたしの清純な血が流れているのだ。私の息子には。若い世代、我々を支えてくれる世代の立ち直りに、私は期待したかった。

 孝道が四〇を過ぎた頃、息子一家の中でさざ波が起きた。
 孝道は仕事が終わり、最寄り駅を降りたあと、寄り道をする。駅近くの書店に立ち寄り、本を眺めるのが習慣になっている。もちろん、何かを買う目的で、どんな本が出たかの情報を仕入れるのだ。新聞の広告欄だけでは分からぬ世界が、本の中にはびっしり入っている。それが自身の興味を増幅させる、と彼は言う。
 その書店で、必ず毎月買う本があった。最近気に入っている人気作家、松尾裕太のミステリ小説である。人気が出る理由の一つに、毎月単行本か文庫本が書店の目立つ所に並び、買いたくなるような宣伝文句と表紙にそそられるという事情もあった。
 孝道の息子、一夫は、父が少ない小遣いの中から松尾の本を買い、寝る前に書斎で読むのを何度も見かけた。あれが父の楽しみなのか。最初はそう思ったそうだ。
 多感な少年は、そこから興味の導火線がちりちりと火花を散らし始める。家にいるときに父の書斎に出入りし、いろいろな本を拝借してめくったりするうちに、なにかを思い付いたのだろう。
 それが本の栞(しおり)であった。本そのものではなく。当時、出版社が宣伝目的で付けていた栞の書名やキャッチコピーなどを眺めていると、少年のイタズラな目がキラッと光った。栞の表面に書かれた標語に着目したのだ。さすがは文系の男の子だね。
 一夫は少し古めの栞を盗みだし、そこに書かれた標語と似たような文章を考えた。できたものをパソコンで編集し、印刷した。いまどきの子は、なんでも器用に使いこなす。そして、何食わぬ顔をして、父親が買ったばかりの新刊本の栞を抜き取り、一夫作製のとすり替えた。
 そうとは知らない孝道は、夜になり、昨日の続きを読もうとその本を手に取った。栞などには目もくれず、一心不乱で本の筋を追うことに夢中になっていたそうだ。
 まさか、ニセの栞がミステリへの興味を半減させるとは。すぐには気付かなかった孝道も、読書という行為に少し飽きてきた五日目の晩、何気なく手に取った栞を眺めていると気が付いた。
 ふとその一文に目が留まった。
 そこに書かれていた標語が、孝道の顔を歪めさせた瞬間だった。
 こう書いてあった。もちろん、ワープロ文字であり、プリンタは精巧な出来栄えで、ニセ栞を本物らしく飾っていた。
【モテるオトコはミステリを読んでいる。さあ君も、この夏、松尾裕太のミステリを読み解こう。ラストに暴かれるのはヒロインの隠された過去。父の仇討ちを果たした後は……】
 なにかの宣伝風だな。孝道も匠の芸を感じはしたが、後半部分に怒りを覚えた。本の謎解きを漏らすなんて! あとで一部始終をわたしに話してくれた孝道は、息子の狡猾さに激怒したそうだ。
 年頃の少年がしたイタズラとは言え、それを聞かされた私は、孫の文才は天晴(あつぱれ)と思った。コピーライターの才能もある。四二にもなる中年の親父を見事に騙した才能は認める。しかし、孝道と同様のことを思った。本を買って読むことを楽しみにしている読者の気持ちを台無しにする行為、楽しみを奪うような行為。それは、やってはいけないことだ。 青春真っ盛りの少年時代には、今の時間にしかできないことがある。それをやりなさい。それを一生懸命やって、結果が思わしくなくとも、誰も叱らないよ、妻野家では。つまらぬ事に持て余したエネルギーを費やすな、無駄に使いなさんな、と。孫の一夫に孝道と同じ事を言いました。わたしも。
 でもね。その気持ち、私には理解できる。私は女だけど、青春ていうのは、あてのない旅だもの。だから孫には、「頑張ってやるべきことをやって欲しいし、男らしく正面からぶつかる人間であって欲しい。お婆ちゃん、そう思うよ」って言いました。
 あとで孝道が一夫に問い詰めたところ、あっさりその〈仕掛け〉を認め、白状したそうです。父親に謝った少年は、
「ごめんよ。父さん。所詮、オレなんてガラクタなのさ。オレの人生なんて、屈折の連続。割れたガラス細工みたいでさ。なにかを掴みかけては失敗し、夢を追いかけては挫折する毎日で、その連続ループ。どうしていいか、分からない。やっとこの前、好きなアーティストのノルチに会えたのに、礼儀知らずで付き人に怒られちゃう始末でさ。気持ちだけが空回りして、まいってんだ」
 と自虐の言葉を吐き、ふて腐れた。
「一夫。そんな風に考えるのは良くない。やめなさい」孝道は父親らしく、強く叱ったそうだ。さらに、「お前もいい年頃だ。そろそろ自分の好きなことを見つけて、それにじっくり取り組んでみろ。すぐに結果なんか出なくていい。それが普通だ」
 と孝道は息子に諭した。そして、抱きしめて許してやったという。男の誓いだね。

 わたしが地方に出掛けるのが増え、食事も家で摂る回数が減った頃、息子夫婦の危機がいくどかあった。単なる喧嘩、浮気の後始末ではあった。息子夫婦は険悪な仲になり、口すら聞けない時間が、炎上から冷却期間も含め、二週間ぐらいはあった。離れに住むわたしらも、食事だけは息子夫婦の賄いに頼ったので、そのピリピリした雰囲気を私も時々見かけたし、留守番役の旦那が見た光景を後で聞いても、それは手に取るように分かった。
―――初めはね。しおれた花のように元気がなかったのよ、弘美さんも。
「お義母さま。聞いて下さいよ。亭主ったら、どうも怪しいのよ」
「ああそうかい」すぐにピンときたが、黙って聞くことにした。「どうしたんだい?」
「あのね。わたしが銀座まで遠出してお買い物したときとか、仲良しだった友だちの誘いでアイドルの追っかけに付き合って、泊まり掛けで名古屋へ行ったときとかがそうだったみたい。その隙に亭主はさ。女を家に上げ、部屋でちょめちょめしたらしいの」
「ああ。なるほどね」
「それでさ。どうしようか」
「証拠はあるのかい?」
「ええ。居間のラグに髪の毛が落ちてました。長い髪の毛は、わたしの髪の長さじゃないの。中途半端に短い長さよ。なんでなの? 居間のラグにに女を寝かせてイヤラシいことをしたからじゃない!」
「まあ生々しい」
「まったく腹立つぅ~」
「まあまあ。そう、興奮しなさんな」
「あら。お恥ずかしい。でもね。そうに決まってるのよ」
「そうね。それはまるで、テレビで見るメロドラマの再現ね。思わず重なって見える。その絵面が」
「あああ」
「それで、あなた。これからどうするのよ?」
 弘美さんにそう訊ねたわたしも、だんだんに食卓に椅子から身を乗り出していた。
 男に浮気の一つや二つ、付きものなのは、最初からわたしも弘美さんも承知している。問題となるのは、被害者の側、女房がどういう態度をとるか、だ。どう処理するのがいいのか。全面戦争になりそれが発展すると、別居か離婚。甘い叱り方をすると、例えば、注意のみで許して実刑がないと、敵はほとぼりが冷めた頃にまた同じ過ちをしでかす。痛手と怒りは倍増だ。要は、子どもを含めた家族関係であり、家族に迷惑がかからないように押さえ込むこと、それに家庭を崩壊させないこと、このふたつが大事だ。一夫や瑞穂にはまだまだ教育費がかかる。小遣いをせびることもあるし、旅行だのなんだのと額が大きくなる頃だ。学生を就職まで導くには、旦那抜きでは経済的に苦しい。その状況を考えると、弘美さんがパートに出て単独で生活費を稼いでたのでは、とても家計のやり繰りは追いつかない。そんなのは自明である。養育費を払う条件で離婚できたとしても、最初の一、二年だけだ。口座に毎月お金が振り込まれるのは。酷い場合は、最初の三月でお金が途絶え、音信も不通になるらしい。そういうケースの方がほとんどだ。有巣多恵子さんが井戸端会議で言っていた。うまく犯人を叱って手なずけ、収穫は定期的に納めさせる〈鵜飼いの鵜〉のような感じにすれば楽なのだが。
 嫁が弱っている素振りをしたので、わたしは「ちょっと待って」と言い残し、居間を離れた。離れの自室に戻り、道具を出して持ち出すと、嫁が待つ母屋へと急ぎ足で向かった。
「はあはあ。お待たせ。疲れるわ」
「大丈夫?」と気遣いながら、不思議そうに手元を見つめてくる弘美さんは、「お母さま。なにを始めるつもりですか」
 と怪訝(けげん)そうに訊いてくる。そりゃそうだ。黄色い数珠に赤い巾着を持ち、一体なにが始まるというのか。これはね。まだ誰にも見せたことないの。本邦初公開! 
「わたしはね。いま、これにはまってるの」
 赤い袋から取り出した絵入りカードの束を宙にヒラヒラと舞わせ、それを持つ手ごと揺すって見せた。
「タロットカード」
 と宣言してみせるわたし。
「ええ! お義母さま、そんなことしてらしたんですか」
 目を丸くする主婦は、時間を持て余す先輩を、尊敬と半信半疑な面持ちで見つめてくる。
「まあ、見ててごらん」
 言うと、わたしは食卓を布巾で軽く拭い、ぺたぺたと手早くカードを並べていった。タロット占いの始まりだ。
 五分後。
「案の定ね。孝道のカードはこれよ。ここに浮気相手のピエロが絡んでいるわ。悪い影響を意味してます。髑髏のカードが上にあるでしょ」
「す、すごーい。お義母さま。やるじゃないですか!」
「それと」わたしは得意げに言葉を切り、片手は腰、もう片方の手で人差し指を上に向けてみせると、「この浮気相手になるピエロのカードは危険よ。旦那の周囲のカードを排除している。家庭崩壊のピンチね」
 と声を低くして、警鐘の言葉を呟いた。
「えー! なんとかしてぇー。やばいですよ、それだけは」
 彼女の要求はごもっとも。懇願する嫁のためだ。そうとは言え、まったく、いくつになっても世話の焼けるお嫁さんだこと。心の中でそう毒づくわたしは、弘美さんが家の中で一番好きなものを思い浮かべさせ、そのいくつかをメモに書かせてみた。
――ビバリサーンのシャンプー(フローラルの香り)
――好きな場所は洗面台。
――好きなこと。買い物とシャンプー。
「なるほどね。あんたは長くて艶のある黒髪が自慢だもんね」
 私は、やや大げさに頷き、嫁の意思を確認するや、ウーンと唸り声を上げ、黄色い数珠をポケットから取り出し、それを持つ手を天井に向けて突き上げた。祈祷だ。祈祷に入った。弘美さんの誕生日○月○日、氏名妻野弘美、これらを正確に五回念じ、頭上の数珠を左右に数回振り払った。神様からの啓示があるまで、これを何度もやる。左右の振りを繰り返し、祈りを捧げ続けた。気持ちが高ぶり、エイッと奇声を上げるわたし。
 すると、どうだろう。
 立ち上がって激しく手を揺すっていた私は、力なく椅子の背にもたれ、ぺたんと腰を下ろし、目を閉じたままで動かなくなったらしい。あとで聞いた話だ。
 そして、意識は宙をさまよい、居間を抜けて洗面所へと向かった。その魂たるや、〈ビバリサーンのシャンプー(フローラルの香り)〉とパッケージにプリントされたシャンプーへと飛んでいくではないか。やっぱりそうか。いやはや、わたしとて、「ファラオの祈り」なる本で読んだこの祈祷法を実地で試したのは今までになく、今回が初めてだった。本当なんだわ。本に書いてあるのが。ファラオの祈りね。ビ、ビックリ! 魂はシャンプー容器のノズルの中へと吸い込まれる。チューーっといった感じで吸い込まれた魂は、完全に容器の中へと入り込み、〈フローラル〉臭のするピンク色をした液体と混じり合った。
―――粘つくわね。やっぱり。シャンプーの中って身動きがたいへん……。
 わたしは半透明のピンク色した層を上下に動き、もがき、泳ぎ回った。バタバタと上下に浮き沈みをした。もちろん、形などない。ただ、意識の澱(おり)のような固まりは、餅のようにとろけながら小さなアメーバ状の大きさを保って変形しつつも伸び縮みと上下動を繰り返した。シャンプーの海を浮遊した。漂流していた。その濁流に押し潰されそうになってもがき苦しんでいると、泡のはじける音が聞こえてくる。ごく近くだ。それが音でなく、無機物の会話であることに気が付いた。さらに驚くべきことに、泡の会話を魂が自動翻訳し始めたのだ。
「あのさ。ここだけの話だけどよ。最近おかしいでしょ?」
「ああ。そう。やっぱり?」
「そうよ。そうそう。そうなのよ。急に仲間の数が減りだして」
「知ってる? ご主人様と違う女が勝手に私たちを使い込んでるのを。慣れない手つきでむぎゅーっと押し出すのよ」
「ああそうなのね。やっぱりだわ。私もそれは感じてた」
「あら? あなたもなのね」
「そうよ。手の匂いがさ。違うの。弘美様と。なんかパサパサした手でさ。バツイチっぽいガサガサに荒れた手の匂いがするでしょ?」
「そうねえ。そう言えば。あれがそうなのね。前に泡姫から聞いたことあるわ」
「あれはね。泡守から聞いた話だと、ボサボサのパーマ頭につけられていくのよ。私たちの仲間が。茶髪よ。茶髪。年の頃は三〇半ばね。パーマ頭に思いっきり塗りたくってるんだってさ」
「いやあねえ」
 わたしの魂は思った。
―――形のないものでも理解している。すごいことだ。液体同士で弘美の知らない情報を交わし合っている。すごいディープな世界。
「あの女。ユキエって、孝道さんは呼んだわよ。風呂場から」
 そこまでの話を聞き出し、粘性の濁流でもみくちゃに身をよじりながらの魂は、エイっっと小さく叫んだ。いや、そう思ったのかも。とにかくエイの合図でノズルからスーッとぬかるみの世界を抜け出し、居間で気を失って動かない体めがけ、わたしの魂は飛んでいく。そして、逆回転再生のようにスルスルスルと鼻の穴から吸い込まれ、元の体に収まった。心配そうに私の手を握りしめ、体を腕ごと揺さぶっていた弘美さんは、その目の前で私の目がバチッと火花を散らして開いたのを見て、キャーッと叫んだ。なにもそんな声を出さなくても。まだ死ぬには早いですよ。
「ハハハ。もう大丈夫」わたしは嫁をねぎらい、「そんな顔で見ないでよ。心配しなさんなって」と言ってやった。「もう全部分かりました」
 鼻を鳴らした偵察隊長は、己の戦果を報告すべく、嫁に意気揚々と披露した。
「そう。相手は確かにいます。私の魂がシャンプー液の中に潜入して聞き出しました。ユキエって女。三〇半ばかな。それで、こうしてああしてさ。情事の後に洗面台に立って、汗臭くなった髪を弘美さん気に入りのシャンプーで洗い流し、……」
 話の途中から、みるみる弘美さんの白い顔が紅潮し、毛穴からみたことのない汁が噴き出してくるのが分かった。同類の女性ながら、わたしも興奮を禁じ得なかったわ。
「なぁぬう? そんなことまでしてたのか? あのダメ亭主は」
 鼻息も荒く、怒髪天を衝くほどに赤鬼と化したモンスター弘美さんは、両足を互い違いに下ろし、それで床を踏みつけ、打ち鳴らした。
―――ドッシン、ドッシン。
 もしここに、息子が帰ってきたら……。ハハハ。修羅場だわ。いや、もう地獄絵図だよね。半殺し油殺しで、ただでは済まないわ。わたしは思った。
 シャンプーの中に潜入した私の精魂は、タロット占いから始まり、古代エジプト流の祈祷法でピークに達するや、弘美さんのしもべたちを呼び寄せ、事情をすべて聞き出させた。そして離脱した魂は見事にスッーと鼻から入り込んで、本船に帰還した。結果、哀れな悩みの主に真相を語った後に残ったものは、怒りの閻魔大王と化した嫁の仁王立ちだった。お気に入りのシャンプーの減り方が早いことに気づき、最悪の事態までを見越していた弘美さんは、分かっていても真実を確認してもらいたかった。姑のわたしに。そして、まさかわたしがあんな術を使って真相を知らせるとは思わなかっただろう。いずれにせよ確証が得られた途端、長い黒髪を両手でつかみ、有名な歌舞伎の「連獅子」すなわち獅子の毛振り、般若の形相でぶんぶん髪を大きく回して円弧を描くは、生えないはずの筍がニョキニョキと伸びる如くに嫉妬の角が突き出すはで、弘美さんの怒りは爆発、炎上、噴火した。
 その晩。
「母さん。晩御飯は用意してないの?」
 訝(いぶか)る瑞穂と一夫は、空腹のままコンビニへと買い物に出された。追い出されたのだ。
「弁当でも買っておいで。三〇分は外にいなさい。中には絶対いれないよ」
 それより前に帰宅し、居間でくつろいでいた孝道は、雷神と赤鬼が合体した弘美さんに、雷を落とされ、何度も頭を床にこすりつけて命乞いをしたそうだ。哀れな息子、不貞を働いた男に、激しい罵声と絶え間ない往復びんたが乱れ飛んだのは言うまでもない。孝道の頬は真っ赤に腫れ上がり、帰宅した孫たちですらなにが起きたのか、その状況をすぐ呑み込めたそうだ。
 けっきょく、問い詰められ、なにもかもを白状した息子によれば、会社の女、幸恵に手を出したとのことだった。三日月目の女だという。やはり、そうであったか。ああ。だからダメなの。だらしない男って。
 手芸をやってる縁で知り合った、木工職人の親方というのがいる。彼が言うには、旦那の浮気防止は「こけし寺」に限る、と言われた。
 なんでも、熊本県にある寺の和尚さんは、檀家の奥さんから、しきりに旦那の浮気癖の相談を受けていたらしい。
 一計を案じた和尚、その旦那の煩悩を払うため、木彫りの職人を呼び寄せ、こけしならぬ男性自身のがらんどうを丸太から彫らせ、それを浮気する男のものに見立てて厄払いを行い、最後には、浮気封じの念を込めて、寺の普請でたくさん余っていた釘をこけしに打ち込んだ。釘の数は、その浮気者の年齢の数と同じだけである。
 他の男性ですら、こけしとはいえ、思わず自分の急所を押さえ、顔を歪めるような話で、鬼気迫る荒療治である。
 和尚が打ち込むと、途端に効き目が現れ、その旦那はぴたりと浮気をしなくなったらしい。それが評判を呼び、次から次へとシンボルを象(かたど)ったこけしが寺に奉納され、和尚は年柄年中、釘をこけしに打ち付けて厄払いをしたことから、その寺は通称「こけし寺」と呼ばれるようになった。ウソではない証拠に、その寺の鍵がかかった倉庫には、釘を刺されたこけしが、今でも山のように納められているという。
 それだ、と思った私だったが、忙しくてそこに行く機会には恵まれなかった。そこで、代わりに、こけしの縫いぐるみを作り、使わない針をブスブス刺しまくっている。仲間内でゲラゲラ笑いながら、刺してもらうのだ。ストレス解消と浮気防止に重宝している。

聖子、わが道を振り返る

 全国手芸交流協会の新宿本部で仕事をしていたある日、顔見知りの紳士から受付カウンター越しに声を掛けられた。
「これはこれは。妻野先生」
「行定(ゆきさだ)社長。久しぶりです」
 わたしは紳士の方を向き、椅子から立ち上がって近寄った。
「こちら、私の妻です。手芸を始めました」
「啓子です」
「はじめまして。妻野です。全国手芸交流協会専務理事をしております。どうぞお見知りおきを」
 わたしは、ぬいぐるみや刺繍などに使う材料を行定さんの会社から仕入れていた。その会社、天馬パイル織物株式会社は行定氏が経営している。きょうは、奥様にお会いできた。
 全国手芸交流協会の専務理事の傍ら、時間がもてるようになった頃より、埼玉県所沢市で手芸教室を主宰していた。そこには、月に何度か、有巣さんや前田さんの奥様たちも参加してくれた。そこの生徒、お弟子さんらが使う手芸材料を一括して天馬パイルから大量に仕入れており、社長もよく知っているし、その名は請求書で嫌というほど見ていた。ふだんは埼玉県内でよく会うが、こうして都内の事務局で顔を合わせるのは久々だった。
「いつもご注文を頂きましてありがとう存じます」
「いえ。生徒も増えてきておりますゆえ、今後とも、ますますご交誼のほど、よろしくお願いします」
「先生。妻の作品もぜひ一度、ご覧になって下さいな」
「ええ。時間が許せば、また。で、今日は?」
「はい。実は、再来年に開催される展示会が関東エリアであると聞き、先日ファクスを送付いたしました通り、天馬パイルを展示会場で宣伝させて頂けたらと考えておりまして。当社の毛糸などを使った作品がありましたら、紹介文に『天馬パイルから材料を購入した』などの一文をいれて頂けたら」
「はい。事務局もその方向で検討しておりますが」
「では、お願いします。専務。当社は、展示会の協賛企業に名を連ね、ご承知かと思いますが、多額の協力費を全国手芸交流協会に出資しておりますので」
「はい。それはよく存じ上げております。行定さん。どうかご心配なく。あ、それと」
「なんでございましょうか」
「実は、新しい指導員の方が、海馬市で手芸教室を開く予定なんです。もしよろしければ、天馬パイルのこと、その方に紹介して差し上げましょうか」
「はい。それは良い話を。ぜひお願いします」
「きょうは丁度、この近くで手芸展示会が開かれているはずです。協会員の作品も含まれておりますので、よかったら一度あしを運ばれるのもよろしいかと」
「ええ。では、ゆっくり拝見させて頂きます。今日はありがとうございました」
 行定は慇懃(いんぎん)に一礼し、夫の方が先にガラス扉を開け、夫婦そろってエレベータに乗り込み、姿を消した。
 事務員二人が、訪問者のことを話し始めた。
「あの社長さん。現役なのね。いくつぐらい?」
「そうね。七〇はいってるわ。そうですよね。専務」
「ええ。たしか七三になったとか」
 呼ばれた私は行定の顔を思い浮かべ、そう答えた。
「ほらね」
「まあ。すごい。死ぬまで天馬パイルの総帥ね」
「でもさ。奥さんも若々しいから。ずっと二人三脚で会社を盛り立てていらっしゃるのよ」
「へえ。素晴らしい奥様ですね」
 その晩、行定氏と会ったこと以上に、事務員の会話に後ろ髪を引かれる思いだった。いや。なんのことはない、ありふれた台詞ではあった。聞き流しても、なんら違和感はない。ただ、行定啓子を鏡にして自分の姿を映し出すと、夫泰史には女房として、自分はどう見えているのだろうか。決して夫の仕事を援護したり、盛り立てるようなことはなにもしてこなかった。弁当作りやワイシャツのクリーニングぐらいは当然した。それは妻として当たり前であり、あの啓子さんのように夫と取引先を訪ね、挨拶をするようなことはしなかったな。いや、それが普通か。たまたま彼女の趣味が夫の仕事に重なったから、ああして訪ねてきたのだ。それはそうに違いない。でも、夫の会社で扱う加工品を贔屓(ひいき)にして買い求めたり、近所に触れ回ったりすることは一度もなかった。別にどうでもいいとか、邪魔してやれ、などという反抗的な態度を見せたこともない。ただ、旦那が誇りにする仕事を、息子や娘にかみ砕いて説明してもよかったのではないか。
 そうして、少し、自分の至らなさを責めてみた。秋の木漏れ日が、隣人に優しくあれ、と説く牧師のように穏やかにキラキラと降り注ぐ午後、私はなにかをせねばと感慨にふけった。
 そして、次の休日、散歩をしに出掛けた夫を、五〇メートル後から追いかけ、公園のベンチに座った彼を確認し、他人を装って近づいた。さりげない澄まし顔で、こう問いかけてみた。
「すみません。隣、あいてますか」
「ああ、どうぞ。ん? その声は。なんだ、お前じゃないか。どうした? 改まって」
「ちょっと話したいことがあって、ついてきちゃった」
「家の中じゃ、駄目なのか」
「うん。あのね。今まで大きな不幸もなく歩んで来られた。わたしの人生、あなたに感謝しても、し尽くせないの。結婚五〇周年の金婚式を迎えられたのも、あなたと子どもたちのお陰です。本当にありがとう。これからもよろしくお願いしますよ。あなた!」
「え……。外でそんなこと言われても。ハ。なんというか。ハハ。ハハハ。お前、きょうは変だな」
「そんなことありません」
「そうかなあ」
「あの新婚前の、野蒜山を思い出すわ。この緑が褪せると、いずれ、あのときの紅葉の色に変わるのね。季節って節目正しいわ」
「おいおい。なんか、いつもと違うな。突然夜這いなんかしてくるなよ」
「ばーか。幻滅するわ」
 ふと、砂遊びする孫を見守る老夫婦が目にとまった。彼らから見れば、他人行儀で照れくさい会話を平気でする年甲斐もない老人に見えているのかな。そう思うと、気恥ずかしく、私は思わず笑いがこみ上げてきた。
 けれど、仲のいい老人同士に映るようでもあり、この日だけは、われわれ夫婦も老いて絆が深まったような気がした。

 金婚式のお祝いを息子夫婦にしてもらい、数日が経過したある日、近所で買い物中に娘と出会い、スーパーの店先でこんな立ち話をした。
「なんかさあ。母さん、おかしなことなかった? これまでに」
「ふーん。あったかねぇ」
「あったと思うけどな」
 ばさつく髪をかきむしり、枝毛を抜きながら、娘は私の顔をまじまじと見てくる。
「そういえば、いつのまにか物が移動したりすることがあった」
「ああ。やっぱり」
「あれだろ。それは、小人が動かしたんだろ」
「母さん。そんな風に思うの? あまり感心しないな」
「どうして?」
「だって。周りの人間が動かしたんだよ。気づかなかった?」
「全然。ホントの話なの?」
「そうよ。馬鹿な人ね。たまにいるけどさ。あのね。ほとんどの奇妙なことって、偶然起きるんじゃなくて、それなんだよ。知らぬ振りを装って、周囲の人間がひとの足を引っ張ってんの。意地悪さんたちって、みんな、そういう風に行動してるって知ってた?」
「えええ。ひどーい。今までの私は騙されていたのかい」
 二人は、なおも歩きながら、いろいろな例をあげていくうちに、足が妻野邸に向き、庭先まで来ていた。
 そして、それを旦那も立ち聞きしていたようだ。
「あれもそう。これもそう。だってさ。わたしが女子学生寮にいた頃、共同冷蔵庫のプリンが盗まれてもさ。だれ一人として名乗り出なかった。にんげんて、そんな程度のもんよ」 好き放題の娘に対して、旦那は一喝した。
「こら。真理。いい主婦が、子どもじみたことを言うんじゃない。たとえそれが真実でも、お互い日本人なんだから、仲良くしなきゃならんじゃないか」
「あら。父さん。そこにいたの。こんにちは。ついでだから言うけど、そういう父さんだって、ゴルフセットがなくなったり、汚れて古びた傘が紛失したでしょ。母さんが勝手に捨てたんだよ」
「私はしてません」
 嘘だ。わたしがやったのだ。しかし、認めると家庭に波風が立つから絶対に認めない。嘘も方便。これが処世術だ。嘘一〇〇%でも突き通す。しらを切ってウン十年よ。
 いっけん純情な世間知らずに見える私も、嘘や知らぬ振りをしてきた。普通の人がするように。ただ、不思議と、自分に災いがきても、おとぎの世界か外国童話のように思い、悪意のない悪戯などと解釈できるようになった。それも、歳がいき、人を厳しく問い詰めることなどしなくて平気だからかもしれない。そうしたいと思ったこともなかった。なんだ、自分の背中に落ちてたのか。赤いハンカチが、ぐらいの認識であり、子どもの頃の遊び感覚で日常を過ごしていた。そうでなければ、広い世間で人と袖振り合えはしない。
 そういや、それからしばらくして、こんなこともあった。
 先週、練馬に越してきたという奥様が訪ねてきた。
 ああ。あの人か。
 その主婦らしきご婦人は、決まって、月、木、金曜日の夕方六時過ぎに妻野邸の前を通り過ぎる。散歩コースにしては几帳面だな、と思っていた。必ず家の前で足を止め、門から家を覗くような仕草をしたり、庭や二階を眺めたりして立ち去っていくのだった。
 その主婦の方が、わたしが外にでて掃き掃除をしていると、向こうから声を掛けてきた。
「あのぉ。はじめまして。畑中美恵といいます。こんどこちらに越してきまして」
「あら。そうですか。わたしは妻野聖子と申します」
「知り合って間もないですけど、色々と近所のことを教えて頂きたいのです」
「ええ。いいですよ」
 それからしばらく、歳も近いと思われるわたしたちは、老婦人同士のたわいもない話を続けていた。
「そうですか。それでね、ニコタマはお洒落でしょ。あそこのブティックは外せないわ」
「あらやっぱり? 店主が綺麗な方でしょ。アメジストをブローチにして、濃い紫か紺のドレスを着てらして。シックなマダムって言うのか」
 私は気が合ったので饒舌になった。
「そうよ。いつも元タカラジェンヌみたいな気品を漂わせて」
 相手も合わせてくるのがうまい。
「そう」
「安心感があるというか、貫禄よね。やっぱり」
「ええ。いい言い方ね。そんな気がするわ」
「ところでね。奥さん。芸能はお詳しくて? 竹草鈴(りん)て、また男性俳優を手玉にとったっていうじゃない」
「どうかしらねぇ。あれよね。世の中には騙す人間と騙される人間とがいるわ。わたしも、同級生の仲間や近所の奥さんグループの輪から外れたくないときは、わざと嘘をついてだましたり、仲間外れの中傷に同調したときがあったもの。だけどね。それは生きていくためにした、仕方のないこと。周囲の圧力は大きい。どうしても、そうしなきゃその場を乗り切りないことがあるんだわ」
「そう。それは正しいことよ。道徳の時間なら先生は怒るだろうけど。現実はあべこべがまかり通るから。ああ。思い出したけど、旦那さんと隠岐へいったことあるでしょ。小人みた?」
「えっ! どうしてそれを」
「あはは。息子に教えてもらったの。あなたの息子さんはうちの子とは以前から同じ系統、クルマ仲間よ。どっちも、Rなんとか、GTなんとかに凝ってるわ。息子から聞かされたのは、『珍しい話があってさ。知り合いの親が隠岐へ行ったんだけど、小人に会ったっつってさ。そこ、八年前に映画の撮影やったロケ地だぜ。ファンには有名な山原監督が撮ったとかいう、当時新人女優だった竹草鈴主演の映画でさ。「神々の叫び」だったかな』って。まさか、あの小人さんたち、信じたんじゃあないでしょうね?」
 孝道と美恵さんとこの息子? 趣味が同じだった? 私ら夫婦のことも筒抜け? 疑問と初耳が頭で交錯した。
「え……。でも確かにこの目で見たし……。あの人たちは存在するとして、あの方々が地元の人でも森に住むわけでもなく、私に語った伝説というのも真っ赤な嘘で、まるっきり口からのデマカセってこと?」
「映画の俳優さん。脇役よ。映画では、ヒロインを正しい道へと導く案内人として出演していたわ。まあ背はかなり低い人を集めたみたいだけど。嫌だわ、このひと。素直なんだから。ぜんぶ出演者よ。たぶん演技の稽古にでも付き合わされたんだわ」
「あらいやだ。わたし、バカかしら」
「騙される人間て、あなた自身よ」
「騙した狸が騙されて、か。そうよね」
「本当に旦那さんとおんなじなんだから」
「え? それどういう意味かしら? あなたが主人のなにを知ってるというの?」
「え。いや……」
「わたし、承知してるのよ。若い頃、美恵さんが主人と交際していたことを」
「まあ! なにを証拠に」
「まだ未練があるとでも言いたいのかしら。畑中美恵さんは、旧姓が永山なんでしょうが」
「さすがに勘は鋭いわね。そうよ。わたしが学生時代に恋していたひとりは、お宅の旦那さんです。なにもなかったけどね。でも誤解しないで。近くに住むようになったのは偶然の巡り合わせ。偶然ついでに、どんな女性と結婚したのか見たくなっちゃって。ただ知りたかっただけよ」
「まあ。ずけずけと。いいわ。夫婦の絆は強いのよ。つまらぬ詮索なんて針で刺すよりへっちゃらです。わたしたち夫婦は、どれだけの苦難を経験したことか。ともにそれを乗り越えた戦友同士よ。いくども嵐の中を進んだ〈難破船・妻野号〉とでも言うべきか」
「勇ましいわね」
「まあ、いいわ。許してあげます。おかしな真似さえしなきゃね」
 わたしは腕組みをし、少し気色ばんだ。
「奥さん。人間の体にはね。清く尊いものを受け入れる心と、神聖なものを受け止めてパワーに変換する場所が備わってるものなの。特に女はそれに長けてる。聖子さんが、訪れた隠岐にもパワースポットがあるし、そこに行きたくなったのは、前から体がそれを求めていた。小人はまやかしだけどさ。今度、明治神宮の清(きよ)正(まさの)井(いど)にでも行きましょうよ」
「ああ。最近有名になったパワースポットね。のちのち、素晴らしい人に巡り会えるっていう」
「そう。いい所よ。静(せい)謐(ひつ)な。悪い気をもらわないようにしましょ」
 美恵は話題を切り替え、わたしの怒りをずらして同じ波長へと戻した。畑中美恵の処世術であり、わたしの方も、昔つきあっていた女を許してやった。同じ穴に入ったムジナかもしれない、と。
 二週間後、明治神宮へ出掛けた。私たちはパワースポットを巡り、ベチャクチャと喋くり合った。
 原宿で、財布に小銭がない、と嘘をついた私は、ソフトクリームを美恵におごらせた。

 秋の訪れを告げる風物詩の一つとして、澄んだ空気にかぐわしい匂い、金木犀の香りがあると思う。
 その金木犀が香り出すと、あれを思い出す。
 あれは、二二年前―――。
「お母さん。お父さんをよろしくね」
 嫁入り前の娘は、居間のソファーでほうじ茶を飲むわたしに承諾を促した。そして、体を捩って、旦那の方に向き直り、「それから、お父さん。お母さんをさみしくさせないでね」と釘を刺した。
 慌てて新聞で顔を隠し、読み終えると窓の外を見るふりをした連れは、照れたような淋しそうな笑顔を、顔半分こちらに向けて表現していた。
 その真理も巣立っていき、いま彼女は二児の母である。後に残された形の独身男、孝道も、やがて弘美さんという嫁をもらい、わたしらを世話する一家の大黒柱へと成長した。私たちは彼らのお目付役として、ただ居候し、困ったときだけ口を出すようにしている。息子夫婦が陣取る妻野家において、それは最低限のマナーだろうと、旦那と目と目のやりとりで了解していた。老人ふたりは、妻野邸の離れにひっそりと暮らす身なのだ。
 真理のことを言うと、彼女も妻野家に寄らなくなって久しい。あの孫たちも大きくなり、結婚して家庭を切り盛りしたり、独身社会人として人々の暮らしに貢献する身となった。彼らがお婆ちゃんらに会いに来る必要なんて、もはやないのだろう。自分から孫やひ孫たちの元へと出掛けて行かねば、幼き命、若き魂と触れ合うことは叶わない。
 これが老後の実際なんだわ。
 そう思う日々であった。気力も充実し、体力もあった五十代から、同じ思いで六十、七十代へと続いているのに、周囲の状況と時代のうねりは激変し、人生の達人たちを置き去りにしていくのだろうか。
 体力は衰えた。やることも減っていく。けれども、まだまだ人と関わりたい。面倒を見てあげたいし、お節介も焼きたい。健康な内に自分の元気を分けてあげたい。周りの半分は病気や悩みで苦しんでいる。そういう人たちをたくさん見てきた。自分もいつそうなるか分からないし、なったらきっと、自分の矢は内に向かってしまうだろう。外に向けられる矢は、弓矢で番(つが)えて目一杯外に放ちたかった。なにかを出来る機会が目の前にあるなら、激しい労働以外は手も口も出すことを惜しまず、若い命を鼓舞し、寄り添ってあげたい気持ちで一杯だった。いや、もう、社会の年下全員が我が子であり、我が孫のようにいとおしかった。

 歌手の千加さんはTと離婚した。海児峯さんが通う美容室に行き、それを知った。彼女はいま独身であり、指揮者、佐野政人と交際しているという。そちらの情報は、二四の孫、瑞穂から仕入れた。わたしも八〇を越えて、少しヨボヨボとしてきたけれど、頭はシャキッとしている。
 今回は、さすがの巽さんも、私と同じくらいの老人であるからして、大人同士の恋なら好きにすればいい、と思っていることだろう。
 その巽弘から、あるとき、全国手芸交流協会へ、手紙と共に寄付金が寄せられた。
【チャリティーイベントを仲間で企画しました。お金が一定額以上集まりましたので、この義援金を被災地の手芸協会に寄贈し、地域の交流に役立てて下さい。 巽弘】
 ああ。いい人だな。
 改めて巽さんの優しい人柄にふれ、心が温かくなり、なにかお礼をしたいと思った。
 そこでわたしは、携帯メールで【○月×日 あの巣鴨の喫茶店で会いませんか】と巽を誘ってみた。手紙に記されてあった、彼の仕事用アドレスを使用した。
 三日後、巽が昔馴染みの店に現れた。
 笑顔で椅子に腰掛け、挨拶してきた。
「やあ。奥さん。久々です。元気そうで」
「今日は。巽さんこそ、お元気ね」
 わたしは、彼の少しかすれた声で、八〇過ぎの老人だと認識はした。けれども、彼の風貌があの時代を彷彿とさせてくれた。
「いや。その節はお世話になりました。娘もすっかり大人のおんなになって。私、テレビとかはとうに引退しましたが、小さなイベントに今も呼ばれるんです」
 照れた顔をし、俯き加減で足を見つめる男は、運ばれてきたブレンド珈琲を口にした。それを飲み終えるのを待ってから、私は本題を切り出した。
「実はですね。巽さんのご厚意には、協会員として感謝しているのはもちろんなんですが、わたし個人としても、なにか志を差し上げたいと思いまして」
「いえ。そんな。どうぞお気遣いなく」
 巽氏は両手を前に突き出して振り、おおげさに遠慮のポーズをとった。わたしは鞄から小ぶりのぬいぐるいを取り出し、テーブルの上に置いた。
「これ、わたしが三〇年ほど前に作ったぬいぐるみですの。もし宜しければ、どうぞ」
 小さなパンダのぬいぐるみは、ピンク色したリボンをかけた透明なビニール袋に入っていた。小さな包みはしなやかな元マジシャンの手に取られ、彼の鞄に収まった。
「いや。ありがとうございます。娘や家内にも見せますよ。妻野さんから頂いたって。どこに飾ろうかな」
 子どものように喜ぶ巽さんに、わたしも満足げな面持ちで珈琲を啜った。

 ある時、桂谷さんの活躍ぶりを耳にした。
 孫は彼と友人関係にあり、孫から仕入れた情報だ。一級建築士になり、事務所を開いたのは前に聞いていたが、ある小学校校舎の設計コンペで、彼の設計事務所が優秀賞を受賞したというのだ。その当時、桂谷には付き合っている女性がいた。インドにかぶれた女性なのだとか。あのゴルフコンペの話で父が口にした「もてる」や「プライベートが充実」という、会話の端々に出たニュアンスは、この女性との交際のことを指していたのだろう。そのことは、しばらくは私の脳裏から消えていた。
 そして、花壇にゼラニウムの花が咲く頃、新式呼吸法普及協会の会員に若い女子がいることを知る。たしか、洞(ほら)淵(ぶち)蕗(ふき)子(こ)という名だった。その女性、最近になって彼との別れを決意したらしい。みんなの話だ。一方で、義隆は、ある女性とさいきん交際しているという。その孫の相手とは、その蕗子のことだった。今にしてやっと分かった。つまり、蕗子は、桂谷と別れる一方で、孫との不倫を始めたのだ。義隆には小さな子もいる。志乃さんに知られたら大目玉を食ってたいへんなことになるだろうに。わたしはそれを危惧した。桂谷は蕗子と別れると、三週間ぐらいで松下珠緖という二九になる女性と付き合いだしたらしい。わたしはそれも義隆から聞いていた。最近の若い人たちは、関係が複雑なのよね。話を聞くのはいいけれど、迂闊(うかつ)に他人に漏らせない。うっかり誰かに実名入りで喋ったら、もう別れてますよとか、あの人とこの人はつながりがあるからその話は禁句ですとか言われそうなのだ。真理や義夫さんも、息子夫婦のことに関しては貝になっている。波風が立たぬよう気をつけているのか、完全に干渉しない主義を貫いている。蕗子にしても、義隆の友人とは別れたけれども義隆とは別れないなんて、男友だちを天秤にかけて手玉にとるつもりでいるのか。ただ一人、義隆に小言を言える人物が居た。義隆の姉、好美だ。彼女はまだ独身だけど、竹を割ったような性格であり、けじめや白黒をはっきりさせたいヒトだ。あれなら弟の愚行を諭せるかもしれない。わたしは少し好美ちゃんに期待をしていた。
 孫は都内の電子部品メーカーに勤めるサラリーマンだが、桂谷の方は、前田と同じ道、建築関係である。わたしには、細かな数字や寸法、図面などが建物を造るときにどんな意味合いを持つのかなんて、まるっきり分かりません。ただ、前田さんを見てると、さすがに一級建築士であり、建築事務所の代表を務める方という感じの風格が漂っている。仕事の方も堅実だし、見積もりは良心的と評判で、見るからに雰囲気のいいおうちを何軒も建ててらっしゃる。有巣さんに唯さんのご主人が建築士であることを告げ、有巣さん宅のリフォーム工事を前田さんに紹介してあげた。素人のすることだから、別に仲介料なんてとらなかったけど。大作さんには、孝道のことでお世話になってるから。義理だよね。少しはこれでお役に立てたのかしら。多恵子さん、「満足してます」って喜んでいらしたし、双方ともに良かったのよね。あれで。
 桂谷さんは建築士として着実に歩み出しているようだ。これからもいい仕事ができるといいわね。好きで建築方面を志したんでしょうから、大きく道を踏み外すこともないでしょうけど、女性選びには慎重さが欠けたのね。今回の件を教訓にすればいいわ。早く珠緖さんと所帯を持ち、己の城を強くした方がいいって、みんなして言ってるのよ。それにしても、孫の不倫相手が彼の会社に勤めていたOLさんだったなんて。義隆ったら、あの子は。どうして志乃さんと知り合う前にその人と一緒にならなかったのかしら。ダメな孫だわ。要するにさ。付き合っていた社員に未練があって、そのヒトとは別れたのに、違う相手志乃さんと結婚してからも、志乃さんの目を盗んで時々逢ってるんでしょ。まあ、気持ちは分からないでもないけれど、ちょっといやらしい。テレビドラマみたいだこと。義隆の上司や社長さんは、社員のプライバシーをどれくらい把握しているんだろうか。あの子、相順電子でちゃんと人並みに出世できるのかしら。心配だわ。悪い子じゃないんだけど、まだまだ脇も考えも甘くてさ。人に利用されそう。
「会社というのは、社員も含めて、信頼第一だよ」
 私も孫に言ってやった。キョトンとした顔してたけど。ちゃんとその意味を理解して欲しいの。ちゃんと理解して襟元を正せるようになるまで、何年かかるのやら。真理も、孫の子守ばかりでなしに、たまには息子にがつんと説教の一つでもすりゃあいいのにね。
 背後にひと気を感じ、振り向くと、関係者がいた。
「お祖母さん。なにを一人でおっしゃってるんですか。ブツブツと」
「おや。志乃さんかい。義隆の悪口をね。いや、義隆の悪口を言う輩がいそうな気がして。まあ、独り言だけどね」
「何でもいいですけどね。九〇も過ぎて達者ですこと。次はいつ中森家に見えられるんですか」
「秋の彼岸にしようかね。お盆は法事もあるし」
「そうですか。では冬はどうなさるんですか」
「ああ。冬かい? そりゃあ、あれだよ。N響コンサート。あれが一年の締めくくりだよ。今年も、義夫さんと真理の三人で行くからね」
「はいはい。じゃあ、私からお義父さんにチケット予約を頼んどきますから」
「うん。ありがとう。助かりますよ」
 志乃さんは親切だ。全国手芸交流協会の事務員さんも、これぐらい手回しがいいと楽なんだけどな。先々を読んだ上で一度で済ましてくれると。昔は、地方出張のたびに、旅費精算、請求書や領収書で事務員とよく揉めたよ。つかみ合いの喧嘩をしてもいいぐらいに啖呵(たんか)を切ったこともあった。お金が協会から下りる、下りないって。あの頃はまだ、体力も気力も人一倍あったのに。今じゃもう、体の方は限界に来てますよ。
「婆ちゃん。今年のN響は、佐野政人が指揮をするよ。それでいいならチケット取るけど」
「話が早いね。もう調べたの。インターネットでやったのかい? いいよ。それで」
 娘婿、義夫は、老老介護だとか言いながら、大婆さんが元気でいるから、老いた自分らもそれに負けじと元気で頑張れるんだ、と吹聴していたのを私は知っている。我々世代は黄金世代だ。大波をいくつも越えてきた。地震、戦争、バブル、オリンピック。時代も昭和、平成、回楽と三つを跨いできた。怖いものなんてもうないよ。たくさんの人と出会い、たくさんの幸せを頂きましたとも。あのときの皆さんは、今も元気でやってるだろうか。助けられるなら助けてあげたい気持ちはあるけれど、それを届ける気力がもうないの。ゴメンなさいね。
―――今晩は。孝道です。
 玄関口で、間の抜けた声が響いた。
「迎えに来たよ、母さん。飯だよ。立てますか。我が家に辿り着くまでに、転ばないで下さいね」
 年老いた息子がわたしを引き取りに来てくれた。押しつけ合ってるわけではない。私が勝手に中森家にお邪魔をしていたのだ。
 動作も口もゆっくりになりおって。この息子も老人そのものだね。どっちが年上で親子かも、よそ様には分かんないよ。フフフ。

 あれは、わたしが八八歳の米寿を迎えた頃だった。
 娘方の孫、義隆に連れられて浜州の海辺を散歩した。
「婆ちゃん。気持ちいいね。五月の海辺って」
「ああ。きもちいいわね」
 孫と散歩するのも悪くない。潮干狩りをする親子連れが、遠方に小さく見えている。
 足になにかが当たった。
「おや? なにかしら」拾い上げると、赤く塗られた小さな人形だった。私は言った。「これは消しゴムじゃなかったかい」
「違う。キン消しじゃない。これは確か、ピコタンとかいう人形で、お菓子のおまけかな」
「そういや、あの子が化石を見つけたときに、も一つ持ってたね。あのつまらん人形かい。化石の方は?」
「ん? えっと、それは孝道伯父さんの事かな? 婆ちゃんたちが墓参りに行って、どこかで伯父さんが化石のような石を見つけたとかいって。あれは確か、後々にお宝として博物館に預かってもらったんじゃなかったか……」
「ああ。そうそう。古代遺産研究員のなんとかって言う人に預けたよ」
「その化石がどうかした?」
「いや。つい思い出しただけさ」
「ピコタンよりは価値がありそうだったけどね。どうしちゃったのか、オレも知らないよ」
「そうかい。別にかまわせんよ」
「なんで、こんな所にピコタンなんかが。これを砂に埋めたら、未来のひとが掘り起こすかな」
 義隆はまだ若さがあり、想像力もある。
「そんなわけないだろ」
「いや、分かんねえよ。回楽時代の子どもは、こういう遊びを海でしていたとかって、郷土玩具の資料になったりして。化石だって価値が認められるまでは「変な模様のおはじき」ぐらいにしか思われてなかったんでしょ? 古代人が遊んだおもちゃって感じで」
「孝道はたいそう喜んどったがな。あれもまだ学生の時分だったから」
 それからしばらくして、お盆の法要があった。顔を合わせた親族の中に、孝道と義隆の姿があった。お坊さんの読経も済み、親戚らがする四方山(よもやま)話の中で、先日の浜辺の一件を聞いた孝道は、ポンと手を打った。彼は義隆を部屋の外に呼び出し、なにやら良からぬことを耳打ちしたようだった。
 後日、大きなブリキ缶にたくさん入れられたピコタンを譲り受けた孝道は、それをどこかに持って行く、と私に話した。
 ちょうどその夏の終わりに、映画監督の山原は、仕事で浜州に来ていた。ノルチのPVを撮影する仕事だった。撮影は浜州市内の海沿いで行われた。当然、砂浜や渚も撮影の背景に採り入れられた。
 撮影の合間に、小さい青色をしたおもちゃが渚で発見された。紛れもなく、それは、先週末に孝道のコレクションを義隆が砂浜に〈埋葬した〉そのものである。
 五二年前、田舎で拾ったのをきっかけに、長年にわたって集め続けた六六歳になる男は、それらを砂浜に埋めるよう甥っ子に頼み込み、先週そこら辺に埋められたばかりの代物、ピコタンだった。
―――宝物として家に置いていたコレクションを、掃除中の妻、弘美さんに発見され、気持ち悪がられた上にこっぴどく叱られたので収集物を所有することを諦め、断腸の思いの末にどこかに埋めることを決断した。それを埋める場所を探していたら、たまたま、わたしらが砂浜でピコタンを見つけたというではないか。渡りに船じゃないけれど、同類が住む場所、浜辺に埋めよう。孝道はそう思ったらしい。それは、弘美さんに言わせれば、「捨てた」ことになるわけだし、ちょうど都合がいい。
 収集家が宝を手放し、浜辺に捨てた。浜州の渚が結ぶ縁、と言えなくもない。
 そのプラスチック製の人形が、子どものいたずらで缶から取り出され、放り捨てられたのだろうか。波にさらわれ、波打ち際を行ったり来たりプカプカと浮かんでいたのを、撮影の休憩時間に山原監督が偶然に拾った。
 その青色のピコタンは、ノルチのPVにカット編集で挿入された。また、音楽ディレクターが現場で拾ったもう一体の赤いピコタンを、山原は自己所有のキン消しと交換した。山原はピコタンのコレクターであった。白い渚に漂うピコタンは、山原の手によって無事に保護されることとなった。
 これが、のちのちに、様々な縁を取り持つ奇跡のアイテムになる。
 後日、山原監督はピコタンの汚れを綺麗に拭き取り、竹草に見せた。
「ほら。この人形かわいいだろ? こうして、穴に手や足をはめ込んで、ジグソーパズルみたいに繋げていくんだ」
「うわぁ。キモカワイいですね、監督」
 竹草鈴も喜んだ。
 やがて、拾ったときの状況を説明してもらうにつれ、鈴は八歳年下になるPV主演のアーティストに興味をそそられたようだ。ノルチの連絡先を山原から教えてもらい、三〇に満たない青年と仕事盛りのベテラン女優は、いい関係へと発展する。二ヶ月後に写真誌でスクープされたのだから、その交際が実っていたのも事実だったのだろう。
 一方、松尾裕太も、実はピコタンのコレクターであった。
 あるイベントのパーティーの席で山原と会い、自己紹介をしたミステリ作家は、話をするうちに二人の共通点を見いだした。すなわち、松尾と山原はピコタンで意気投合し、「ピコタン友の会」を結成することになった。
 こうして、小さなおまけの人形、ピコタンによって、それがはめ込まれて繋がるように、リアルな人間と人間とが結ばれていった。正に、奇跡の縁結び人形とでも言うべきか。
 息子が田舎で拾ったおまけ。それは彼の手で収集され、あるきっかけから、主によって捨てられた。そのゴミ同然のものが、ひょんなことから小道具として珍重され、話のきっかけを生む装置になっていた。わたしの手の届かない世界において。

 ある日、杖を突き突き、公園のそばを亀のように歩いていると、うかない顔をする人を見かけた。同居する孫だった。元気なら知らぬ振りして通り過ぎるが、朝からそうだったのが気になり、公園内に足を踏み入れた。
「おやまあ。どうした? 一夫君」
 努めて明るい声を出したつもりの私は、一夫の座っている隣り、ひんやりした石垣の上にゆっくりと腰を下ろした。
「婆ちゃんか。オレ、困ってる。仕事が上手くいかなくてさ。向原開発に勤めだして、もう一五年になる。それなのに、いまだに接客がスムーズに行かなくて」
「ああ。中森義夫さんが部長をしてる会社かい」
「そうだよ。それで、客を怒らせるたんびに、胃がキリキリと痛むようになった。胃薬が手放せない。なんか、毎日が憂鬱でさ。生きていることの意味も、だんだんぼやけてきた感じ。オレ、何のために女房子どもを養ってんだか」
 一夫は顔を曇らせ、左手指を開き、それを額に当て、俯いた。
「そうかい。仕事の内容は頭に入ってんだろう? 人とのことが上手くいかないだけならさ。そんなの、歳がいけば解決します。世の人がなにを求めて動いているのか、そのうち、よーく分かってくるさ」
 私は慰めた。そうなったのかは分からないが。孫は少し顔を上げ、
「ホントかい?」
 と神様にすがるような目を向け、尻尾を振ってくる。
「そりゃそうよ。私が心配なのは憂鬱の状態の方だね。大丈夫かい?」
「うん。なんか仕事がきっかけで、元気なくてね。今まで道草くって、無駄ばかりしたような」
「あのね。機械は結果を出して役に立つことが目的じゃね。でも、人も生き物も結果が出るかどうかは二の次。生きること自体が目的であって意味あることでしょうが。そして、毎日、生きるために、無駄なことを繰り返す。食べて出すのもムダ。遊んで疲れるのもムダ。音楽聴いて涙流すのもムダ。物思いにふけって寝られないのもムダ。でもね。それをするのが普通でしょ? それらが必要なのは、大切なのは、生きていくために必要だから。何かにエネルギーを注ぎ込むことが、生きていく活力になる。全部のムダをしないと生きていけない。目に見える結果ばかり求めてたら、すぐに生きていることが嫌になる。良い結果ってなかなか簡単には出ないもの。そうだろう? だけど諦めちゃダメなの。いろいろと道草くってるうちに、何かが形になりそうなのに気付く。それでいいの」
 わたしは、生きていく意味を達観しているかのような事を、真顔で一夫に言った。
「婆ちゃん……」
「一夫君も、まだ三七でしょ。今までした道草が、不思議と何かに結びつくときを迎えるわ。頭は五〇前後から急に賢くなる。判断の正確さ、スピードがついてくる。頭の良さは身体に反比例してますます磨かれます。本当に仕事が面白くなる世代がじきにやってくる。だから、健康だけには気をつけて。それで足を引っ張られないようにするんですよ」
 わたしは孫に諭した。一〇歳のひ孫、健がおもちゃの鉄砲を持ってわたしに狙いを定めている。不動産会社の営業マンであり、爽(さわ)やかな笑顔が代名詞の一夫も、今回ばかりは自己をよく見つめ直してくれ。世間が自分をどういう風に評価しているか、どれぐらい将来性を買われているかをよくわきまえてくれ。そう暗示したつもりだった。
 一夫は立ち上がり、手を振り上げて「ワー」と叫び、何度も手を曲げ伸ばしては、自身のやる気を確認しているような動作を繰り返すと、公園を大股で立ち去っていった。

 新式呼吸法普及協会の会長をやる私は、そのお陰で健康三昧かと思いきや、あるとき心筋梗塞の発作に襲われる。九二のときだった。
 前の晩、寝る前に胸騒ぎがした。ここまで元気にこれたけれど、それは、本当にあなただけのお陰ですか。耳の奥で誰かに尋問されているような気がした。え? どういうこと? 潜在意識が自問自答を始めたのかしら。布団をかぶっても、しばらく寝付けなかった。
 そして、その日の朝、とつぜん眩暈(めまい)が襲った。発作が起き、動悸が激しかった。脈拍は、徒競走をしたときみたいにずんずんと乱れ打った。若い頃から不整脈だった私は、心疾患を常ひごろから不安視していた。肺呼吸こそ、プラナヤマ法のおかげで乱れは生じなかったが、かんじんの心臓の方に爆弾を抱えていた。
 病気という内向きの矢。これも定めね。
 後日、医者にかかった。診断が下された。
「脳梗塞。軽度ですね」
 やはり血管系か。
 わたしに付き添った旦那は、診察室で医師の話を聞き、わたしの横顔を見つめた。旦那は言葉を呑み込み、喉を小さく揺らした。残された時間をいかに生きるべきか。それを覚悟した回楽二六年の夏。
 長生き家系―――。
 それが松永家自慢の一つだった。松永家は代々長寿。そう信じていた。
 九二で心筋梗塞の発作に見舞われ、健康に黄信号が灯りだしたわたしは、自分の病気と付き合いながらいろいろ考えた。
 口にこそしなかったものの、老いてゆく体、エネルギー、余生、相棒の寿命、家族のこと、そのた諸諸を考え、朽ちながらも何かを残そうとする橋の境地に達していた。
 あえて説明するなら、詩人の父が言った言葉を出さねばならない。
―――朽ちた橋の下にはな。無縁仏があり、そのそばに、赤い花が添えてあった。
 そう。わたしは、もしも選べるのなら、「腐る花」でなく、「朽ちる橋」を選びたい。
 武士の世に生まれたなら、主君が殺されることは、家来も首をはねられることを意味する。牡丹の大輪がポロリと落ちるように。それでこそ、潔い人生の最期というものだった。平和が訪れ、桜の散り際のように、桃色の絨毯(じゆうたん)を道や川に敷き詰める散り方をよしとする世になったいま、父の言葉を体現し、橋のように朽ちたい。橋の上は駄目になっても、その下に何かの種をまき、小さな花を咲かせてから、この世を去りたい。
 そんな気がした。

「ヤッター。お婆ちゃん。やりましたよ! 美春が先頭でゴールインしたわ!」
「ええ、ええ。本当かい。あたしゃ、早くて見えなかったよ」
 きょうは、運動会の日。孫の一夫は、お嫁さんと私を連れて、ここ四つが丘幼稚園のグラウンドに来ていた。活発でお転婆なひ孫は、三〇メートル走の駆けっこも早かった。
 ひ孫、美春が運動会で一等を獲った晴れやかな日、夫泰史は享年九五歳で、静かにあの世へと旅立った。回楽二七年、秋のことだ。ちょうど金木犀のいい香りが漂う頃だった。
 ひ孫は、命が失われた意味をよく理解できないまま、斎場でクマの縫いぐるみを抱いて爺ちゃんを見送っていた。わたしも、出棺のときは思わず涙が溢れた。ここまで大病もなく、家族を引っ張ってくれた相棒、その存在の重さに改めて合掌した。
 秋の長い夜が、余計に寂しくなり、わたしは離れを引き払い、居間の片隅に仕切りを立ててもらって、そこに布団を敷いて寝るようになった。あさ目が覚めたとき、冷たくなっているのに、何時間も気づかれないでいるような死に方だけは嫌だった。誰かにすぐ気づいてもらいたい。年寄りのワガママだろうか。
 わたしは九三歳で、まだまだ現役であった。全国手芸交流協会専務理事と、新式呼吸法協会の会長職を務めていた。喋ることも食べることも相変わらずであり、元気そのものだった。大勢の孫たちに囲まれ、賑やかに暮らすわたしを一人残し、先に逝くなんて。連れは馬鹿だ。馬鹿な夫だ。勝手だよ。わたしはそんな気になった。もう少し早かったら、急死の九四歳で語呂がよく、覚えやすかったのに。一歳サバを読まないとダメじゃないの。面倒くさいわ。
 私にしてみれば、まだまだ人生の宿題は山ほど残っている。あれもやらないとならん。これもやらないとならん。手芸の鉤針も握れているうちは、いずれ生まれてくるであろうやしゃごのよだれかけを作らねばならない。小さな足に穿かせる靴下も必要だ。こぼした離乳食を拭う布巾を作るのは、私をおいて他にいない。あの若い嫁ときたら、すぐに財布の紐を緩め、なんでも新品を買ってしまうからね。
 わたしの気力の輝きは、もはや不死鳥のレベルに達し、火の鳥のように周囲を明るく照らしていた。

 最近になり、デイサービスに通うようになった。
 家にいても婆ちゃんはボーッとしていて退屈そう。
 家族は言うのだ。
―――同年代のお年寄りと触れ合い、生きる気力、元気をもらいましょうね。
 パンフレットの内容をひととおり説明した福祉のマネージャーは、膝を折り、温かい言葉を優しい目で語りかけてくれた。
 だいたい、どういうもんかは噂で知っとるけどな。まあ、家族を安心させようかのう。
 わたしは覚悟を決めた。
 施設では、老人たちの聞き取れないしわがれ声と、元気のよい介護士のお兄さんお姉さん方の明るい声とが、掛け合い漫才のように進行する。ただ、老人は恥じらいを知らず、明け透けな会話が飛び交っていた。
 園で一時間も過ごすと、わたしはトイレが近くなった。
「トイレに行きたいのよ」 
「ハイハイ。あっちです、念のためついて行きますね」
 お姉さんが付き添う。
 時間がたち、陽射しの眩しいルームに戻った私は、ここにきて、まだ職員以外と会話をしてなかったので、誰かになにかを喋らずにはおれなかった。
「やれやれ。歳を取ると、ホントに入り口と出口が気になるもんですね」
 わたしは迂闊なことを口走った。周囲の爺さん連中が、大きな声を上げた。
「おまえさんもかい。わしゃ、歯が悪い。痔も持っとる」
「オレは、尿漏れがひどくてね。特殊なパンツを履かされとります」
 百歳に近いケンさんは、ダンスと下の話が好きだ。先のジロウさんもその口であり、若い職員のお姉さんと手を繋ぐときには、涎を垂らしている。
 そうこうするうちに食事やレクリエーションの時も過ぎ、一日が終わった。
―――日帰りの幼稚園みたいな所だった。楽しいよ。
 わたしは送迎バスで家に帰ると、孫、瑞穂に感想を漏らした。
 本当は退屈であった。できることなら、サングラスをかけ、部屋を暗くし、テーブルの上に乗って、昔のディスコさながらに派手な扇子をはためかせ、激しく踊り狂いたかった。もっとも、職員は青い顔して止めに入るだろうが。
「いいじゃないですか。みんな楽しくご陽気に。歳を取ると、昔の姿に帰るって言いますし」
 前半の昭和芸人のような口調には笑いがこみ上げるが、まあまあ、まともなことを言いよるわい。孫娘も頭はいいのね。
 心中でそう思った。

 ある日、わたしは心残りを昇華させるため、真理に真意を訊ねてみた。
「真理。いつか、初恋のことを訊いたことがあったね」
「そうだったっけ」
「ええ。それでね」わたしは遠い日を思い出すように宙をみつめ、こう言った。「あのとき、真理は、交際を反対されたことをどう思っていたんだい?」
「それを聞いてどうするつもり?」
「いえね。ただ、当時の娘の気持ちを知りたくなったのよ」
「あれは、もう五六年も昔の話よ。わたし、あのとき真剣にSさんを愛してた」
「そうかい。それで?」
「それだけだよ。他に言うことなんてない」
 わたしもそれきり口をつぐんだ。一〇〇歳と七六歳の婆さん同士が恋していた頃の話を今頃になってするのだから、若い人から見れば、さぞかし滑稽だろう。でもね。長く生きると、知らなくてもいいことまで、知りたい、聞きたいと思ってしまうのだ。どうせあの世への冥土の土産にするだけだ。もはや老婆には、なんの力も金もない。ただ聞いて、あの世で待ってる連れの所へ行ったとき、この世の不思議を聞かせてやるだけだ。
 教訓として後世に伝えるべきは、服装などをとやかく親が言うのではなく、乙女としての心構え、女としての潔さ、好きになった殿方への恋慕心などではなかろうか。
 よしなし事をこねくり回したようで、わたしが吐露した感想に、真理は吹き出し、二人で笑い合った。
 私や卜部先生を始めとして、難しいことを言ったって、若い感性は失敗も含めてすべてを思い出に変えられる。たとえスマートに生きてこれなくても、五〇年たったとき、後悔することなど微塵もなければ、それでいいじゃあないか。
 そう悟った。

 回楽の今上天皇が三月下旬に崩御され、三日後、官房長官の発表で、時代は回楽から入節へと変わった。わたしも一〇五歳。らしい。誰かに教えてもらった。もう頭も指先もおぼつかない。そして、入節元年。わたしの最後の願い。それは……。
 一日だけ、急に頭が冴え、べらべらとひ孫にその願いを喋ったときがあったという。
―――空飛ぶ車に乗ってみたいかって? ちがうね。あれは事故が多い。鮑のバター焼きを磯会席で食べる? それも違う。もう鮑は食い飽きちゃった。じゃあ、なにか。あれだよ、あれ。宇宙ステーションに上がって降りるやつ。そう、宇宙バンジージャンプ! 宇宙ステーションからバンジージャンプをしたら、どこまで落ちるんだろうね? アレをさ。死ぬまでにいっぺんやってから死にたいわけさ。元気なお婆でしょ? 私もそう思うよ。宇宙エレベータなんていうもんもあるけど、料金払って安全に上がったり降りたりするよりもさ。バンジーで飛んで、海すれすれまで落ちたいわさ。
 ひ孫の健と美春は、お互いの顔を見合わせ、目を丸くし、唾をとばさんばかりの大声で、
「聖子ばあちゃんが狂った!」
 と孫の一夫に言いつけに言ったらしい。健も大学生なんだし、それぐらい婆ちゃんが言いそうなことを把握しとれよ。わたしは思った。まあ、いいけどね。
 そして、わたしは自分の過去の苦闘を思い出した。辛かった季節や、苦しかった時間帯がわたしの体に刻まれている。胸の痛みに苛まれ、貴重な時間を蝕まれたことがたびたびあった。そして、それを思い出すのはもっと辛いことだ。忘れたい。忘れてしまいたい。そういうふうに心は動いている。襲ってくる心臓の発作に、科学も医学も為す術はない。回楽の世も入節になっても、それは同じだった。こんな私の異変を笑ってみている人もいる。苦しみの外にいる人たちね。私の流した涙は、苦しむ自分を解放する涙だ。その涙は頬を伝い、わたしの傷ついた体を洗い清めてくれました。すべては解き放たれること。そうよ。わたしの工夫は、普段の状態に戻れるために編み出されたもの。まずはソファーに横になり、空調をきかせ、氷水をすする。それからしばらくたち、体が起こせるぐらいになったら、ゆったりしたリズムのハワイアンをステレオでかけ、その音楽に身を委ね、歌をCDに合わせて口ずさみ、悠久の至福を思い浮かべて手足を動かす。するとね。なんだか安らぎが訪れ、苦痛を薄めてくれる気分になるの。発作が起きたら、いつもそうやっていた。わたしを苦しめる病魔を追い出し、歓喜の光に変えてみせた。それが、ここまで長生きできた印なのかしら。
 そして、新天皇が国技館で相撲を観覧なさった翌朝、わたしは寝床で冷たくなっていたらしい。五月場所のことだ。この話の終わりの方は、ひ孫が書き足してくれていることになっていますから。ある意味、安心なんです。
 葬儀の時、棺の中にはいろんな品々が入れられたそうだ。夫にもらったうさぎのぬいぐるみ、ひ孫が小さいときにあげた刺繍入りのハンカチ、ヨガのDVD、佐野政人指揮××交響楽団演奏のクラシックCD、松永哲太郎の詩集『星沙抄』、夫の位牌などがその中身だったらしい。
 みんな、灰になった。
 私の魂は、五月の青空に煙となって消えていった。すーーーって。
★―――■―――★―――■―――★―――■―――

「あっ。いけねぇ。これを書き漏らしかけた」
 舌打ちした健君、ちゃんと書き残した。
【本当はね。私の願いは、わたしが関わったすべての人たちが、みんなどこかに生きがいを感じて生を全うし、満足してこの世を去ること。ただ、それだけなの。この部分だけは、ひ孫にメモ書きして残したよ。 聖子より】
                    (  あらまあ、聖子さん 了  )

あらまあ、聖子さん

あらまあ、聖子さん

妻野聖子という名の女性が、結婚し、子育てをしながらあれこれ思ったことをつづる一代記。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 聖子、妻野と出会う
  2. 聖子、命をはぐくむ
  3. 聖子、還暦を過ぎて
  4. 聖子、わが道を振り返る