Die Wut auf die Heilkunde(志乃山こう)
スタッフステーションでおばあちゃんの名前を告げると、看護師は短く病室の番号を言った。地図を確認すると、ちょうどステーションと大廊下を挟んで棟の反対面にある部屋のようだ。
私が会釈をすると、看護師はまた手元のパソコンに集中し始め、無言になった。モニターの青白い画面が反射して、看護師の無表情はますます不気味だった。
大学病院は、人の話し声が聞こえるのに、ひっそりとしていた。白やクリーム色を基調とした建物の内観のせいだろうか。それとも用途も分からないチューブだらけの精密機械があちこちに置かれているからだろうか。どちらにしろ、人間臭い感じを一切なくした、完全に清潔な空間であることに違いない。
私は、七十歳を過ぎてから心臓の病気で急に入院したおばあちゃんを見舞いに来た。父親からおばあちゃんが倒れて入院した、と聞いたときには、ある程度の覚悟をしなければいけないと思ったが、命に別状はないということだ。
おばあちゃんが入院した大学病院はちょうど私が通っている大学であったので、こうして入院二日目に訪ねることができた。県内大学に進学したにも関わらず一人暮らしをしているのは、ひとえに両親が離婚して何となく家が気まずかったからだ。おばあちゃんは父方の祖母であり、我が家に隣接する形で建っていた家に住んでいた。働かない父に嫌気がさした母が切り出した離婚に一番泣いていたのは、誰でもなく、おばあちゃんであったと憶えている。
――いつでも来られや
私はうんと頷いたが、一人暮らしを始めてからこれまで一度も顔を合わせに行ったことはなかった。電話ならば何度か向こうからかかってきたが、直接会うのは離婚以来これが初めてになる。
身勝手な私は負い目を感じていた。大学での快活な生活に浸ることで、昔の思い出に蓋をして過ごしていたからだ。生まれ変わった自分を演じ続けることで、いつか本当に私の周辺の全てが変わることをただ願った。生家での過去の出来事は影のように付き纏う悪夢に感じられた。清算されない罪悪感が私を家から遠のかせ、大学の近くの下宿の一室に落ち着かせた。
しかし今から病人に会うのに、こちらが落ち込んでいたのではいけない。私は極力明るく振る舞うことに決めた。病室までの廊下を歩く間は、優しかったおばあちゃんの思い出だけを思い出すことにした。
子どものころは隣の祖父祖母の家によく遊びに行って、薄暗い部屋の中を走り回っていた。祖父が日中は仕事で家を留守にしているので、必然的におばあちゃんが面倒を見てくれた。直接遊んでもらうことはなかったが、皮を剥いたリンゴや麦茶を差し入れてくれた。祖父祖母は薬屋が家業だから、レンセンソウという植物の薬草茶もよく飲ませてくれた。怪我をしたら、いつもオトギリソウの油を塗られた。
段々と心の整理がついてきた。「野中末子」の名前が書かれた病室の入口まであと数メートル――というところで、私の足は止まった。心理的な問題からではなく、病室から苛立った男の声が聞こえてきたからだ。
「……何度も説明したように、野中さんの病状は心臓の血管が狭くなって栄養が行かないことから起こるので、ステロイドによる治療を――」
大学病院の医師のようであった。年齢は若い。三十には至ってないだろうと思われた。「野中さん」という名前は――私の名字でもあり、おばあちゃんの名字でもある。おそらくおばあちゃんの主治医だ。
若い医師の説明に、はい、はい、と小さな声で返事をする声が聞こえる。弱弱しく、か細い声が震えていた。
「あの、それで」
「はい?」医師が一気に息を吐き出しながら脅すように聞き返す。
「わたしは、大丈夫なんですか……?」
医師が「あーもう」と呻いた。
「確実に大丈夫とか大丈夫じゃないとか言えないんだって言ってんですよ! もう言いませんからね。よく聞いていて下さいよ!――あなたの心臓の大きな血管が詰まって」
私は病室の手前で呆然と立ち尽くしていた。まるで自分がおばあちゃんになって、医師から説明を受けているように感じた。「大動脈円症候群」という病名が聞き取れ、それが血管の炎症によって生じており、ステロイドによる治療が必要ということが、医師の説明から理解できた。
そして今、医師は患者から最悪の場合手術を受けることを了解するサインを欲しがっており、おばあちゃんがそれになかなか了解をしないから声を荒げている。
インフォームド・コンセントというやつだ。高校のときに倫理政経の授業で習ったから知っている。単語を聞いたときは当然のことだと思ったが、今の状況はどうだろう。医師が無知な老人をいじめているようにしか思えない。
おばあちゃんが欲しいのは現在の病状の情報ではない。ただ、「大丈夫です」というお医者様からの言葉だ。北陸の漁村で大工の家に育ち、彼女は初等教育も満足に受けていない。しかし黙々と祖父の妻を勤め上げてきた数十年間がある。だが今病室の中にいるのは、物わかりの悪いただの老いた病人として扱われる人間だ。
怒鳴りこんでやろうと思った。医師に張り手を食らわしてやりたかった――しかし、それでどうなる? この場限りのおばあちゃんの尊厳を守る代わりに、騒ぎを起こしておばあちゃんに間接的に迷惑をかけるのか。きっと性格を考えると、そういったことが一番嫌いなはずだ。しかも苛立った医師も好き好んでこのような態度をとっているわけではないだろう。医師の激務は想像を絶する。一人の患者の長話につきあっている時間があれば、別の救える命が救えなくなることすらある。また病院としても安易に大丈夫とは言えないだろう。最悪の場合、遺族が言質を巧みにとって訴えを起こすからだ。
それに、おばあちゃんから逃げていた臆病者が、今更彼女の弁護のために医師を引っ叩く権利があるだろうか。おそらく今日以降また病院に来ることはないだろう。再び大学という若さの張りぼてで作られた世界に逃げ込んで、卑怯と言わずして何というか。医師に説教をする権利があるのは祖父だけだが、ここに祖父はいない。いたとしても、権利や尊厳といった近代的なものとは無縁な生活をしてきたから、何も言わないだろう。結局、私しか医師を叩けないが、私は医師を叩くには親不孝すぎた。
気付けば、医師の声が無くなっていた。無言でペンを走らせる音がする。「どうかよろしくお願いします」という声の後に、病室から急ぎ足で若い白衣の医師が出てきた。私と目が合うと、大学生らしい私服から私を面会に来た家族だと察し、丁寧に頭を下げてきた。
「こんにちは」
せめて無視してやることにして、私はその下がった頭の横を通り過ぎて病室に入った。
おばあちゃんは、一番手前のベッドに上半身だけ起こした状態で手元を見ていた。長らく会ってなかったから、目の下の皺が一層深くなっていて別人のように思えた。それでも私は平静を保った声を出した。
「おばあちゃん」
果たしておばあちゃんはこちらを向いた。私の姿をみとめると、その瞳がうるおいと光を取り戻したように光った気がした。
「来てくれたんね」
久しぶり、と私が言い終わらないうちに、お見舞いの品で私に出せそうなものを探し始めた。結局取り出したのは、水菓子と味噌パン、それにゼリー。
「ちょっと一服してけや」
おばあちゃんがベッドの端により、空いた部分に私も腰掛けた。おやつを広げてくれたベッド脇のテーブルに、大量の紙があった。手に取って見てみると、それぞれ箇条書きで施術や検査の注意点が書かれて、その下の部分に「野中末子」というサインが書かれていた。「野中末子」の字は、細くて震えていて、ようやく読める有様だった。
おばあちゃんが、私が手に取った書類に気付いて、ふと漏らした。
「……気付いたら病院にいて……よく分からんうちに検査されて……心臓があれだこれだと言われても……なんにも分からんやな」
私は反射的に「大丈夫だよ」と言っていた。先ほどの医師の言ったことは、投薬をすれば手術するまでに至らないということだった。それ以上に、ここで誰かが大丈夫だと言ってやらなければならない気がしたから、私は半ば演劇の役者のように笑顔を作りながら言っていた。
おばあちゃんは「ありがとう」と笑うと、私の最近の具合を聞いてきた。私は順調だということを伝えた。一番得意な科目は、と聞かれた。大学での専門知識に科目も何もないから、適当に高校時代一番得点が高かった英語を答えた。何か話してみてくれと言われた。私はカバンの中に専攻の英語図書が入っていることを思い出し、それを取り出して一部分を声に出して読み上げた。
「… As technological change progresses more rapidly, producing new forms of risk, we must constantly respond and adjust to the changes. Risks today involve a series of interrelated changes in contemporary social life: shifting employment patterns, heightened job insecurity, the declining influence of tradition and custom on self-identity…」
おばあちゃんはじっと黙って聞いている。ごく簡単な内容だが、おばあちゃんには一語たりとも分からないだろうことは予想がつく。私が話す言葉は呪文のように聞こえるだろう。知識を持たぬ者にとって、科学と学問の言葉はどのようなものでありうるのか。無知をあざ笑い、決断ができない者を市民失格だと糾弾するだけの罵詈雑言の類か。私には分からなかったが、せめて今私が読みあげている英語は、尊敬からの安堵と希望を持たせるものであって欲しかった。
*
私が帰るときには、紙袋いっぱいの食品やお菓子を持たされた。ガラス瓶も入っていたから、自転車の籠に乗せて段差だらけの道を行くのは危険だから押していった。道中、大声で友人と会話しながら歩く数人の大学生とすれ違った。私と同じ大学の学生であろう。会話の内容はあってないような気楽なものであった。しかしこれが一旦学術的な場に立つことになると、科学や教養といったものを立派に振りかざす学士見込みの一人となることを知っている。根本的に自分を疑うことなどないだろう。我々大学生にとっての悩みとは、満ち足りた生活の中でまだ足りぬまだ足りぬと餓鬼のように喚く程度のものでしかない。本当に切羽詰る状況に会うことなど、ありえない。
横暴な医師と医療に感じた怒りは、無論、私自身にも向けられるべきものだ。他人より少しだけ勉強ができるだけの連中が組織する偽りの暴力的な正義の世界。そこに甘んじる者は等しく反省しなければなるまい。私も反省すべき人間の一人だ。社会の一番難しい場所から逃げた遥か高みから「社会学」とはお笑いだ。
それにしても、おばあちゃんが大事に至らなくてよかった、と安堵した。だが、何のための安堵か。もし最悪の事態になっていた場合は悔恨の表情を浮かべるのか。もしその場合でも、何のための悔恨か。私はあまりにもいろいろなことから逃げすぎている。感傷的な誤魔化しをやめなければならない。向き合うのだ。
照りつける太陽と歪んだ車輪が、ますます紙袋を重くするのだった。
終
Die Wut auf die Heilkunde(志乃山こう)