私はトマトになって三角さんに食べられたい

あなたに食べられたかった

 私はよく、身体を使い、男の人生に寄生する女だと思われる。女らしい、という部分が生まれながらに男の性欲とリンクしている、頭の軽い、そんな女。本当は男なんて苦手なのに。いつもこの豊満な乳房は、有らぬものばかりを引きつける。だからだろうか、私が彼女のやろうとしていることに気がついた時、文字通り、私が養分となれるのならそんな幸せはないと、そう思った。

「それでは、乾杯!」
 彼女との出会いは一ヶ月前の飲み会だった。
 男の快活そうな声を皮切りに始まった文芸の慰安会は、女友達のいない私ははじめから男にしか囲まれず、正直退屈で仕方が無かった。では何故わざわざ学校からもほど遠い、花小路で開かれたこの飲み会に参加したかと言うと、目的はただ一つだけだった。

「私、三角さんに火点けてもらいたいです」
 三角さん。さんかく、ではなくミスミ、さん。私たちと同じ学年の、私たちより二つ年上のお姉さん。黒く長い髪をストレートにして、大きな目が特徴的な人。留年したのか編入してきたのか、私たちよりも年が上だと言うことで、三角さんは常にさん付けをされていた。ゼミも違う、取っている授業も然程被らない私と彼女は接点こそなかったので、いきなり声をかけにいった私を、三角さんは訝しげな目で見つめてきた。
「火、ないの?」
 はい、と差し出されたライターを見るなり、そんなことを言っているのではないと私は苛立った。
「さっき、みさぽんにしていたみたいにして下さい」
 慌てず、騒がず、媚びた声でそう言った。しかし、男には馬鹿だと思われて気を許されるこの笑い方も、彼女の前では逆効果だったようだ。カチリ、と音がして私の煙草の先に火がつく。夜の女がするみたいに、三角さんが私のそれにわざわざ火を点けてくれた。
「ありがとうございます」
「いいえ、」
 三角さんは相変わらず此方と拳一つ分の距離を崩さなかった。彼女の目が、私の茶色い巻き髪、丈の短いスカート、そして、露出した胸元を順繰りに見つめて、そして嫌悪するように眉を潜めた。彼女は、私のことが苦手なのだろう。妙に潔癖そうな美しさが彼女にはあった。けれど、三大欲求というものは、男も女も平等に備わっていて、きっとこの人はこんな顔をしつつ、それが誰よりも強い人なのだということを私は気付いていた。
「三角さんって、名字ちょっと変わってますよね」
「そう、だね、漢字が当て字みたいって良く言われるかも」
「地元にはよくある名字なんですか?」
「うーん…地元にも、あんまりいなかったかなあ」
「へえー、三角さんの地元ってどこなんですか?」
 矢のような質問の嵐に、彼女がたじろくのが分かる。私は、はっとして、また笑顔を作った。
「私、三角さんに興味があったんです」
 目の前のその顔が、どんどん強張っていくのが分かる。警戒心が音を立てて壁を作っていくかのようだった。しかし、そんな壁如きに立ち止まってはいられない。
「三角さん、東京の大学にいらっしゃったんですっけ?」
「うん、東京の大学に居て、今年からこっちに編入して来た」
 私は、何となくタブー視され、触れられることのなかった、彼女の以前の大学生生活を根掘り葉掘り穿り返した。
「良いなあ、東京。何でもあるじゃないですか、バスが二時間に一本しかないなんてないでしょう」
「んー、それはないけど、やっぱりあっちは人が多すぎるから、こっちの方が私は性に合ってるかな」
「えー、けど三角さんがこんな田舎で畑仕事するのも想像出来ないです」
 それは、先日彼女がゼミの担当に記事を書く仕事と言われ受けたのだが、蓋を開けてみるとやたらときらびやかな、しかしどう考えてもトマトにしか見えない衣装で畑を耕す様を写真付きで記事にさせられたあの出来事を指して言っている、と思われたのかもしれない。私は別に悪意があった訳ではなかった。しかし、短時間で、効率よく私に興味を持ってもらうには、一度彼女を傷つけるくらいの方が都合が良かったのだ。そんな私の思惑を他所に、私たちの会話を聞き耳を立てている周囲の空気は氷のように冷えて行った。
「けど私、この街嫌いじゃないよ」
 三角さんが、搾り取るような声でそう言った。
「畑仕事が好きなんですか?」
「いや、それはない」
「じゃあ何でこんな山奥の大学に来たんですか?」
 彼女の精一杯の優しさを、私はどんどん切り捨てていった。私が無作法に、無遠慮に、言葉を重ねていく様が珍しいのか、信じられないという目つきで、男達がじろじろと此方を見遣る。私は男に対してこんな言葉遣いで話をしたことがなかった。ここまでの興味を寄せたことがなかったからだ。
 飲み会の雰囲気は最悪のまま、時間だけが過ぎて行った。


「さっきはすいませんでした」
 店を出た直ぐそこの駐車場で煙草を吸っている三角さんを追い掛けて、私は腰を下ろした。彼女は心底驚いたような顔をして、私を見遣った。
「えっと…」
 どのことを謝られたのか、皆目検討がつかない、というような顔をしているので、東京の、と付け足した。ああ、と相槌を打つと、彼女はそれを見届けたように肺から煙を吐き出した。
「ちょっとずるい手でしたよね」
「いや…」
 三角さんは、押し黙り、煙を肺から吐き出し続けた。
「水戸さん…は、家、ここらへんなの?」
 優しい振りを続ける彼女は、尚も言葉を続けた。私はそれに、笑顔で答えた。
「目と鼻の先です、あそこ」
 そう言って、私は寂れたスナックの二階を指差した。
「え…」
「私、お父さんいないんです、それで、お母さんが下の階で働いて、上が自宅なんですよ」
「そう、なんだ」
「まあお母さんも血が繋がってないので顔合わせることないですけど」
 三角さんの表情は、見る見る内に曇っていった。自分の家庭環境を憂いたことなどないが、けれど同情でも何でも、彼女が関心を寄せてくれたら、それは幸せなことだと思った。
「今度遊びに来て下さい」
「あ、うん…」
「ああ、けどうちのベランダは、狭いんですよ」
 え、と三角さんは今度は低い声でそう呟いた。私は、彼女の手をとって、ずっとずっと頭の中で復唱し続けた用意していた言葉を口にした。
「私、三角さんの小説で、凄く好きなやつがあるんです」
「…どれのことかな」
 彼女は意地悪をしている。直感的にそう感じた。ベランダ、という単語があれば私と彼女の中で浮かび上がるものは一つしか無い筈だ。しかし、彼女はもしかすると私を試しているのかもしれない。私の口から、あの物語がどのような表現をされるのかを彼女は確かめたいのかもしれない。
「恋人の死体を肥料にして、花や果物を育てる、あの話です」
「ああ…あれか」
 昔、学科の有志が出している同人誌を手に取ったことがあった。私は文芸の学生であるにも関わらず、小説なんて大して好きでもなくて、だから何故あの時それを手に取ったのかは分からない。ただ、その時掲載されていた、一人の女子大生が、別れた恋人の死体を肥料に花や果物を育てる話を書いたのは確かに三角さんで、彼女の過去はその小説を元に小さな噂が経っているのを知っていた。
「あんな暗い話、よく覚えてたね」
「三角さんの書いた小説の中で、一番好きです」
「…ありがとう」
「三角さんは私小説しか書けない人だと思ってたんですけど」
「…私小説っぽくなかった?」
「…」
 三角さんは、最初こそ私の表情を探ろうとしたが、すぐに諦め、そして口を開いた。
「その当時付き合っていた子がいきなり学校来なくなっちゃって、そしたら何となく私も行きたくなくなって、家で庭いじりばっかりしてたのね」
 折角彼女の口から、どうしても聞きたかった話が聞けると言うのに、私は興奮で体中の血液が逆流して、全身が蠢いて仕方なかった。
「私一人暮らしだったから、ベランダはそんなに広くなくてさ、けど色んな花植えて、毎日水とかあげちゃって」
「花、好きなんですか?」
「全然、けど何か止まらなくなっちゃって、ベランダ一杯になっちゃったから、どんどん家の中でもガーデニングするようになっちゃって、そんで部屋中お花畑にしたら、心配して来てくれた友達が頭おかしくなったって勘違いしちゃって」
「まあ頭はおかしいかもしれないですね」
 そう口を挟む私に、彼女は苦笑した。
「それで、そのタイミングで付き合ってた子が家出しちゃって、そしたら話に尾ひれがついて私がその子を殺して、家に死体を隠してるって噂が立ったの」
「…」
「それで居辛くなってこっちの大学に編入してきた」
「…」
「…とかだったら面白いのにね」
 彼女は、押し黙る私に対して、そう笑い飛ばした。
「引いた?私、妄想癖凄いの、こんな話ぽんぽん思い浮かぶんだ」
「引いたりなんか、してないです」
「そう?けど、妄想ばっかりしてるから、小説を書くなんて天職だと思ったんだよね」
 彼女はおどけてみせたが、先程の話に嘘はなかったに違いない。あれは、嘘を言うときの人間の表情ではなかった。しかし、彼女の話した内容が全ての本当という訳では決してないだろう。隠し持つ秘密の体積に、私に男根が生えていれば今此処で勃起しているだろうと思った。
「三角さんはその人のことまだ好きなんですか?」
「いやー、実はこっぴどく振られてしまって」
 その誰か、の顔を思い出しているのだろう。彼女の目はとても遠くを見ていた。強烈な羨望が、胸をくすぐる。
「どんな、人だったんですか?」
「んー…優しい人だった」
「優しいだけですか?」
「中々手厳しいことを言う子だよね、君は」
「だって、優しいだけなら私でも出来ますから」
 そういうと私はにこりと笑った。営業スマイルは数少ない特技だ。
「うん、けど優しいからね、私に小指の爪をくれた」
「爪?」
「別れる時にね、小指の爪をくれたの」
 ここまで言うつもりはなかった、そう顔に油性マジックで書きながら、はっとして彼女は此方を見てきた。
「それを、育ててたんですか?」
「…」
「答えてくださいよ、三角さん」
 一番聞かれたくないであろう言葉を、私は彼女に突き刺した。私は、彼女の弱い部分を知っている。そして逃がすこと無く、追い上げる術も。
「水戸ってさ、そうやって頭良いのに何で馬鹿のふりしてるの?」
 はぐらかすように、質問に答えない彼女に、に私は苛立ちを露にして眉間に皺を寄せた。
「馬鹿のふりしてた方が楽だから」
 吐き捨てるようにそう言うと、彼女の顔が、赤くなった。
「爪なんかで、満足できるんですか?」
 私が一歩近づく度、彼女の鼓動の音が聞こえてきそうだ。
「私だったらもっと凄いものあげられますよ」
 彼女の視線に、糖度が加わるのが分かる。今度、三角さんのお家に、遊びに行っても良いですか、私がそう言うと彼女は押し黙ったまま、此方を見ようとしなかった。私はあなたの肥料になりたい。あの美しい小説のように。その思いにきっと彼女は気がつき、思いを巡らせているのだろう。どういう風に調理するのか、考えてくれているのかもしれない。私は、間もなくお別れするであろう手足のつなぎ目が、甘く痺れた気がした。


「三角さん、ただいま帰りましたー」
 それからの私は、三角さんのアパートに泊まる生活が当たり前のようになりつつあった。あの飲み会から、彼女の自宅の鍵を私は手にした。もう就職活動も始まる矢先の忙しい彼女の部屋に、頻繁に出入りするようになったことは、流石の私も申し訳なく思っている。それなので私はいつも彼女が帰ってくる前に、温かな食事と、整頓された部屋を提供している。少しでも彼女の役に立てればと思ってのことだった。最も、彼女は私がわざわざ掃除なんてしなくても、手入れの行き届いた状態を維持していた。三角さんはどうやら、前の「肥料」の痕跡すら見せないようだ。部屋の中には、整理された数種類のプランターを覗いては、特に目新しいものはなかった。
 私は、学校にはあまり行かなくなっていた。彼女の家には調理器具なんかは全くなくて、これでは私を肥料にしてもらうどころか日常生活でまともな食事だって提供出来ない。生まれてはじめて始めたアルバイトを朝から晩まで行い、台所周りの充実に役立てている。最近は、ほぼ毎日手料理を振る舞っているから、彼女の胃袋は私の愛情で満たされているだろう。
 私は、荷物を置いて、ローテーブルの隣に寝っ転がった。鞄を置く際、それが指先の絆創膏に引っ掛かり、塞がっていた傷口がまた血が吹き出した。勿体なく思い、しっかりと止血する。たった一滴さえも無駄には出来ない。これは彼女の大切な栄養源だ。
 直ぐ横でプランターの中でたわわに実ったトマトやきゅうりが、外からの日差しを防いでいた。ベランダには所狭しと美しい花々が咲き乱れて、まるで、この部屋だけが別世界のような、そんな錯覚に襲われる。
 目の前の、まだ青いトマトをもぎり、口にする。青くて固いはずなのに、とても甘く感じた。ああ、早く私もこうなりたい、三角さんなら、私を養分にしてくれる。彼女なら、私を意味のあるものにしてくれる。それまで私は彼女の存分な愛情をたっぷりと受け、すくすくと育ちたい。私のこの豊満な肉は、男に揉まれる為にではなく、彼女の養分になる為にあるのだ。
 視界の先で、刃物がきらりと光った。その包丁は、私がバイト代をはたいて買った、一段と切れ味の良いものだ。三角さんの家には、家中隈無く探しても、人一人を分解出来るような大仰な刃物は見当たらなかった。それどころか、プランターの土を掘り返しても、肉片どころか爪の皮一枚見当たらなかった。けれど、良いのだ。あれならきっと、どんなものでもきれいに切ってくれるだろう。早く私を土に還して、そしてその手で食べて欲しい。手の中のトマトを羨ましく思いながら、私はそれを握りつぶした。
「ただいま…あれ、鍵…」
 愛おしい人の声が、どんどん近づいてくる。

私はトマトになって三角さんに食べられたい

私はトマトになって三角さんに食べられたい

タバコの火をつけてもらった。それだけだった。それなのに恋をした。私の恋は、食欲に似ていた・

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-28

CC BY-NC-ND
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