死んだ妻に似ている
ゴールデンボンバーさんの新曲、「死 ん だ 妻 に 似 て い る」のPVを見て膨らんだ想像をつづった二次創作です。
(二次創作の適正さは保っていると判断しておりますが、万が一問題が発生した場合は、すぐに削除いたします。)
どんな人にも、多かれ少なかれ心に深く刻まれた過去がある。流れていく時の中で、過去の思いは風化して砂になり体中に散らばっていく。それまでは、心に居座る過去という重い石を、支え続けなければならない。無理に石を叩き割ろうとしたら、心まで一緒に壊れてしまうから。
彼の石を割ったのは、私。
電車が到着したのか、帰宅時間らしい人たちが改札口から吐き出されてきた。みな寒さに身を縮めて、足早に帰路につく。邪魔にならないよう改札前の柱のそばに寄ろうとしたら、その拍子に急ぎ足のサラリーマンとぶつかった。去り際に聞こえる舌打ちに、普段の私なら不快感をつのらせ、これから会う親友のエリカに怒りとともにぶちまけるところだが、今日は違う。そんな些細なことよりも、話したいことが山ほどあるのだ。待ち焦がれていた、二日前の出来事。思い起こすと顔がにやけてしまうのをどうにも止められず、マフラーに顔をうずめてごまかした。
「お待たせ、アミ。平日に誘うなんて珍しいね」
声に顔を上げると、いつのまにかエリカが立っていた。学生のころは派手な格好を好んでいたエリカも、このごろは会うたびに落ち着いた印象になっている。
「突然の誘いだったけど、旦那さんは大丈夫だった?新婚なのにごめんね」
「旦那の夕飯も準備してきたし大丈夫。メールの文面から、アミがすっごくしゃべりたそうなのを感じたし、いい報告なら私もすっごく聞きたいしね」
改札を出て行きつけの店へと歩く。エリカと二人で会うときは、おしゃれなダイニングバーの個室と決めているのだ。今日は火曜日だからか、予約もすんなり取れた。駅近の店なのだが、その短い距離ですら体が冷え切るくらいの風が吹いていて、二人とも無言で足を早めた。
エリカとは高校以来の親友で、それぞれの生活、主に恋愛について変化があったとき、必ず報告しあっている。ここ二年くらいは、エリカの結婚についての話題が大半を占めていて、私はほとんど聞き役に回っていた。家庭に入り安定したエリカは、「次はアミが幸せになる番だよ」としきりに言っていた。順風満帆な彼女がうらやましく、気遣いを素直に受け止められずに妬んだこともあったけれど、今となっては本当に心配してくれていたんだと思えた。
「それで、何があったの?まさか、彼氏ができた?」
注文を終え、店員が立ち去ったとたんに、エリカが身を乗り出して聞いてきた。いざ話すとなると、自分自身の恋バナが久々すぎて少し緊張する。
「その、まさか。一昨日付き合うことになったの」
告げたとたん、一気に顔が熱くなるのを感じた。エリカは息をのみ、そのあと涙目になりながら「おめでとう、おめでとう」と何度も言ってくれた。恋人がいて、恋人ができたことをこんなにも喜んでくれる友達がいて、私は最高に幸せだ。
「エリカの結婚式の二次会に来てた、旦那さんの同僚の方よ。キリュウショウさんってわかる?」
冷えたグラスを頬にあてるが、火照りはおさまらない。
「えー!私の式で出会ったの?たぶん挨拶はしたと思うけど、旦那の同僚はたくさん来てたからはっきり覚えてないんだよね」
「そっか。彼もあんまり前に出て騒ぐタイプでもないから。でも、話してみるとすごく優しくて真面目でかわいい人なんだ」
自分の恋人を褒めるのはとても恥ずかしいけれど、親友には彼のよさをわかってほしい。始終赤面しながら、私はショウさんとのこれまでを語った。
ショウさんから初めての食事の誘いがあったのは、エリカの結婚式の翌日だった。私も二次会で話したときに好感をもっていて、その後も何度か二人で食事をした。彼はメールのやりとりやデートの誘いは積極的なのに、なにより肝心な、二人の関係を進める言葉はなにひとつ言わなかった。そんな宙ぶらりんな関係にしびれを切らして、自分から思いを告げようと思っていた矢先、彼から告白されたのだ。その言葉はシンプルで、「僕の彼女になってください」と。それが、二日前の話。
こんなに饒舌なのはアルコールのせい。そう言い訳しながら、のろけの言葉はとめどなく溢れ出た。私がこんなに好きだということを、彼は知っているのかな。
「素敵な人みたいだし、なによりアミが今までで一番幸せそうで本当に良かった」
「うん。エリカにも会ってもらいたいし、そのうち彼を紹介するね」
ひとしきり恋の話をした後は、結婚式で再開した同級生の話題に花咲いた。
店をあとにして、寒さの増した道を二人ではしゃぎながら駅まで戻った。
「じゃあ、またね。次もキュンキュンするエピソード期待してるから」
「エリカも新婚生活の幸せ話聞かせてね」
二人とも、幸福が顔にはりついているみたいだ。笑顔で、ホームに向かうエリカを見送った。
楽しい気分を引きずりながら、ケータイを見るとショウさんからメールが届いていた。『今週末は、イタリアンと僕の家、どっちがいい?』すぐに返事を打つ。『どっちも!!』
送信してから、返事を待つのも楽しい。週末が、待ち遠しくてしかたない。未来に、明るく楽しい想像しかできない。そんな風に思うと、いつもと同じ帰り道までも宝石みたいにきらめいて見えた。
週末はいつも彼の家に行くようになった。初めて手料理を作ったとき、オムライスの卵がうまく巻けなくて失敗したけれど、割れた部分が「ハートマークだね」といっておいしそうに食べてくれた。好物のから揚げを作ったときには、喜んで何度もおかわりをしてくれた。DVDを見たり、なつかしいおもちゃで遊んだりもした。合鍵をリボンで飾ってプレゼントしてくれた。おそろいのキーホルダーもつけた。彼と過ごす時間のすべてが幸せだった。この気持ちは疑いようがない確かなものだった。
『ショウさんとドライブに行くの。楽しみ!』
『ショウさんと水族館に行くの。楽しみ!』
『ショウと映画を見に行くの。楽しみ!』
エリカに打つメールにも、浮かれた気分がにじみ出てしまう。
彼の家は一人暮らしにしては広かった。リビングのほかに部屋が三つもあった。一つを私の部屋にしてくれた。泊まるときはそこに布団を敷いて二人で寝た。最初のころは特に気に留めなかった。ショウは彼の寝室にだけは私を入れてくれなかった。
彼は仕事で疲れたときや、お酒を飲んで酔ったとき、よくうたた寝をした。そんな時間に私は家事をしたり、一緒に横でくつろいだりしていた。ときたま彼はうなされていて、私はよく揺り起こした。彼はいつも「なんでもない」と言った。うなされながら、誰かの名前を呼んでいた。私の知らない、名前を。
『ショウは何か隠しているのかな』
『ショウのことが心配』
『ショウがわからない』
些細な不安は少しずつ積もっていった。
電話が鳴った。わだかまりを一人で抱えきれず、エリカに泣き言のメールを送ったからだ。
「彼にほかに女がいるかもしれないってこと?仲良くやっているんじゃなかったの」
「ショウは誠実だし、浮気なんてしないと思うんだけど、でも……」
私は疑わしい出来事をすべてエリカに打ち明けた。あんなにも私のことを大事にしてくれる彼を、信じきれていない自分に腹が立ち、話している途中で涙が流れた。支離滅裂な思いを、エリカは最後まで辛抱強く聞いてくれた。
「本人に聞いてみるしかないよね。もしかしたらアミの思い過ごしかもしれないし」
それは、頭では理解しているのだ。
「怖くて聞けない」
正論は、恋愛では正解とは限らない。私はショウとの関係を、壊したくない。
「それと……最近ショウは、私を見ているようで見ていない感じがする」
「どういうこと?」
「なんだか焦点が合っていないっていうか、私の向こうの誰かを見ているみたいな」
彼は、私の何気ない表情や仕草にときおり見入ることがある。最初のころは、私に見惚れているのだと思って有頂天になっていた。しかし次第に、違和感を持った。時を止め、周囲のすべてを遮断して、彼自身の記憶に引き込まれているようにみえた。
うーん、とエリカはしばらく考えてから言った。
「人には言えないことの一つや二つあるものでしょう。彼から話してくれるのを待ってみたら?」
「悩みがあるなら力になりたい。それに、好きだから全部知りたくなる」
親友にはなんでも打ち明けられるのに、どうして最愛の人には何も聞けないのだろう。
「それはアミのわがままよ。好きなら、彼の気持ちも尊重しないと。アミは、彼の悩みがどんなものでも、受け入れられる用意をしないといけないよ」
「そうね。話せる時が来たら全部話してくれるかもしれない。うん、信じて待ってみる」
最後は自分に言い聞かせていた。
「とりあえず、私も旦那に彼のこと聞いておくし、心配せずに仲良くしときなよ」
釈然としない瞬間はあっても、やっぱり彼との時間は楽しかった。このまま何も聞かずに仲良く過ごしていくことが一番の幸せに思えた。平日にも彼のマンションに行き、夕食を作るようになった。帰宅した彼は、「帰りを待ってくれている人がいるのは幸せだ」と言っていた。きっとドレスが似合う、と言ってくれた。子供は三人ほしいね、と話した。
もう、プロポーズされてもおかしくないと思った。
『ショウは結婚を考えてくれているのかな』
『ショウは私だけを見てくれるかな』
『ショウとずっと一緒にいたい』
彼が何を隠しているのか、聞くことができない。
彼に、暗めの髪色が似あうと言われた。気分転換もかねて、美容院に行った。その髪型を見せたとき、とても驚いた顔をしていた。それ以来、彼は少しずつ壊れていった。理由はわからなかった。変わらず私を大事にしてくれたけれど、いつも誰かの面影を見ているようだった。何かと葛藤していた。食べなくなり、眠らなくなった。顔色が悪く、うわごとを呟くようになった。
エリカからメールがきた。
『彼がアミに言えないこと、旦那から聞いた』
行きつけの店の個室は、いつもとは違う重たい空気になっていた。エリカと、彼女の夫のジュンジさんが同席していた。飲み物は運ばれてきたのに、誰も手を付けようとはしない。エリカが口を開いた。
「こんな話を私たちからするの、本当は反則だと思う」
ジュンジさんも話す。
「でも、最近のキリュウくんは、何かに取りつかれたみたいに見えるし、同僚たちも心配している。彼のためにも、一番身近なアミさんには話しておきたいんだ」
私はショウが打ち明けてくれるのを待っていた。本当は本人から聞くべきだともわかっていた。でも、近頃の彼の状態を考えると、すべてを知って、受け入れて、そして支えていかなければという思いのほうが強い。それほど、彼は追い詰められているように見えた。
「覚悟はできてる。ショウを助けたいの。話して」
エリカはジュンジさんに視線を投げかける。お酒で口を湿らせ、ジュンジさんが言いづらそうに語り始めた。
その内容は、私にとって辛いものだった。
ショウは、以前結婚していた。幼馴染だった恋人と、大学卒業と同時に結ばれたそうだ。彼は一途に奥さんを愛していた。しかし幸せな日々は長くは続かなかった。五年前、奥さんは交通事故に遭い、亡くなってしまった。
「奥さんを亡くしてしばらくは、彼まで死んでしまったみたいに、無気力に毎日を過ごしていたって。少しずつ、頑張って、立ち直っていったようよ」
彼も私も奥さんも、すべてが哀しくて、私は涙が溢れてしまうのを止められなかった。
「でも、アミさんと出会ったころから、キリュウくんは会社でも本当に明るくなっていた。毎日、楽しそうだった。それが、最近になってまた昔のように、幽霊みたいな顔つきになってきているんだ。何か、きっかけはあったのかい」
きっかけは、髪型。でも、たぶん、そうじゃない。
「きっと、私自身ね。こんなふうに彼を蝕むくらいなら、出会ってはいけなかったのかな」
弱音が口をつく。そんなはずない、そんなこと言わないでと、エリカまで涙声になってなだめてくれた。
私にとってショウとの出会いは未来への希望だった。彼も同じだと思っていた。でも、彼にとっては過去への道筋だったのかもしれない。
これからどうするのが正しいか、わからない。ただ一つ言えるのは、彼と一緒にいたいという、私の願望だけ。二人の未来のために、いったいどうすればいい?
帰りはエリカと旦那さんが駅まで送ってくれた。家まで送ると言ってくれたのを、断った。私は一人になりたかった。しかしいざ一人で歩いていると、いろんなことが頭を駆け巡り、心を乱した。夜空に押しつぶされて、暗闇に飲み込まれてしまいそうだった。
ただ何も考えずにショウに会いたいと、思った。メールを打とうと鞄からケータイを出したとき、合鍵がこぼれて落ちた。その拍子に、おそろいのキーホルダーがちぎれた。
嫌な予感がした。
ショウに電話をかけたがつながらなかった。私はちぎれたキーホルダーと合鍵を手に握りしめて、彼の家まで走った。
鍵を開けるのが怖かった。私は自分に言い聞かせた。
きっと、何事もなくリビングでくつろいでいるはすだ。
きっと、驚きながらも、笑顔で迎えてくれるはずだ。
きっと、今日も言ってくれるはずだ。
愛してる、と。
ゆっくりと玄関を開けた。部屋の明かりはついていた。名前を呼びながらリビングへ向かった。ショウの気配はなかった。お風呂場にもトイレにもいなかった。あとは、私が開けてはいけない彼の寝室だけ。「入らないで」と言われたときは真剣で、だから私は今まで一度も開けられなかった扉。叩いても、名前を呼んでも返事がない。ドアノブを回すと、鍵はかかっていなかった。壊れるほどの力で扉を開けた。そして――
目に飛び込んできたのは、壁一面に貼り付けられた大量の写真。そして、その幸せそうなたくさんの顔に眺められている部屋の真ん中で。
血まみれのショウが倒れていた。
電車が到着したのか、帰宅時間らしい人たちが改札口から吐き出されてきた。みな寒さに身を縮めて、足早に帰路につく。邪魔にならないよう改札前の柱のそばに寄ろうとしたら、その拍子に急ぎ足のサラリーマンとぶつかった。去り際に聞こえる舌打ちに、とても悲しくなって、立っていられなくなった。一度気持ちが落ちると、いろいろな出来事が思い起こされて、涙がにじんでしまうのをどうにも止められず、マフラーに顔をうずめてごまかした。
「おまたせ、アミ。大丈夫?」
声に顔を上げると、エリカが心配そうに見下ろしていた。最近は、会うたびにどんどんお腹が膨らんできている。
「うん、大丈夫。エリカこそ、寒くない?」
「少し歩くと暖かくなるよ」
改札を出て行きつけの店へと歩く。その短い距離ですら体がうまく動かせず億劫だ。冷え切るくらいの風が吹いていたけれど、二人とも無言でのろのろと向かった。
「早く忘れたほうがいい、なんて言えないけど、アミには自分の幸せを考えてほしいよ。彼の死を受け入れて、前を向いて生きてよ」
注文を終え、店員が立ち去ると、エリカが手を握って言った。この手の温かさは、新たな命の温度なのかな、とぼんやりと考えた。恋人がいなくなっても、本気で心配してくれる友人がいて、彼女の人生に喜びがあって、きっと私は幸せだ。
私はショウの形見を眺める。彼は部屋中に張り巡らされた奥さんの写真のなかで、死んでいた。でもその手には、私とのツーショット写真が握りしめられていた。その事実が、今の私を支えている。彼の死以来、心に居座る重たい石は、彼の想いに支えられている。
「今はショウとの思い出に生かされているけど、必ずいつか、自分の力で生きられるようになる。時間はかかると思うけど、まだまだいっぱい泣くと思うけど、きっとショウも奥さんが亡くなったとき、同じように少しずつ立ち直っていったと思うんだ。ショウと一緒になら、がんばれる気がする」
彼が自殺して半年以上経った。このたった数ヶ月の間にも、自分でも少しずつ日常が戻ってきているのを感じる。今は考えられないけれど、いつか本当に、彼への想いを忘れてしまう日が来るのかもしれない。
「じゃあ、またね。気をつけて」
「うん。いつもありがとう」
二人とも、悲しさが顔にはりついているみたいだ。笑顔になるよう努力して、ホームに向かうエリカを見送った。
ケータイを見ても、ショウからの連絡なんてない。ショウに会いたい。いつもと同じ帰り道で思い出の洪水に襲われて、また涙がにじみ、あわててハンカチで拭う。歩き出そうとした。
「すみません、落としましたよ」
後ろから呼び止められた。男の人の声。振り向いて、差し出されたハンカチを受け取る。
「ありがとうござ――」
あ。
死 ん だ 彼 に 似 て い る。
死んだ妻に似ている