いつか来るその日まで(津田葵)
朧月の光では進むべき道は照らせない
夜に溶け込む朧月はきっと満ち足りた気持ちだろう。頬に伝うものが何かを知り過ぎていて、拭うこともなく夜の闇に包まれて歩く。
ねえ、今日は朧月夜だよ。空を見上げて、月を見て。私の声を聞いて。ねえ、わたしを想ってよ。
届かない声が心の中で這いずり回る。片隅で充分だ。
あなたの心の中に私の居場所を作ってください。特別何かをしてほしいわけではないのです。ただ、会いたいなと思ったり、何かをきっかけにわたしといた時間を思い出したり、それでも望みすぎかもしれないけれど、そういうことがたまにでもあなたに起きてほしいのです。
そんなようなことと、彼の幸せを祈りながら帰路に着く。エレベーターの三角の矢印を押して、待つ。わたしを待っていてくれるひとのいない部屋に帰るときも、わたしは待つ。いつもわたしは待っている。いつも待たされている。たまにはわたしを待っていてよ。
エレベーターが開く。どこの部屋の住人かはわからないが、男女がべたべたと手をお互いの体に這わせながら降りる。女は自慢げにわたしを一度見て、甘えた声で話しながら去った。別に羨ましくはない。ただ、みっともないと思っていたのに、女の目と唇の端の歪みが心を刺した。今だけだもん。わたしだっていつもひとりなわけじゃないんだから。女に刺された心の傷を埋めるように空虚を詰め込んだ。だって、それしか今のわたしを支えてくれるものはないのだから、それを拠り所にしていくしかない。
9階のボタンを押す。はじめて不動産屋さんにこの部屋を紹介された時、9階と聞き、なにかの終わりがやってくるのではないかという気が何故だかわからないけれどなんとなくした。あとから飛び下り自殺は少なくとも9階以上じゃないとだいたい助かってしまうと知った。つまり9階は生きるか死ぬかの境界線として一般的な高さのようだ。もちろん9階以上から飛び降りても生きていることはあるし、9階未満でも死んでしまうことはあるが。
わたしはなにかの終わりの合図(のように感じた何か)に怯えながら暮らすことを選択した。終わりは怖い。しかも、終わりがくるその瞬間よりも、終わりがくることに気づいた時の方が怖い。ただ抗うこともできずに、その時を待っているのが何よりも怖かった。
彼と出会う前、わたしは自らの愚かさと幼さとありとあらゆる欠点で、大切な友達がわたしから離れていくのをただただ黙って見ていた。寂しかった。叫んで、その腕を掴んで、振り向かせたかった。なんでもするから嫌いにならないで、と思った。でも言わなかった。言えなかったのではない。人の心が離れるとき、止められないのを知っていたからだ。知り合って間もなかった。多分、顔を合わせて話すようになってから3、4ヶ月で終わりは来た。
わたしには人とまともな関係を築く能力が備わっていないのかもしれない。だから、誰よりも特別なあなたとの終わりが今のわたしには何よりも怖いのだ。あなたと一緒に過ごした季節をまた二人で迎えたい。季節が何度巡ってもわたしの隣にいてほしい。重い病に侵された人が朝を迎える度に喜ぶように、あなたと過ごす日を迎える度に心から幸せを感じている。
部屋の前まで行き、身を乗り出すように廊下から夜空をもう一度見る。
こんなに大切な人なのに、その彼にとってわたしはどうでもいい存在なのだ。悲しいけれどそれでもいい。わたしが見ている今日の朧月を彼が見ていなかったとしても、朧月がふたりの上にある。愛されてはいない。でも嫌われてもいない。それで充分だと感じる。いつか来るその日がまだ遠い。それがとても幸せなのだから。
いつか来るその日まで(津田葵)
わたしを愛さない、でも嫌わない。そんなあなたがだいすきです。