英雄のイデア

英雄のイデア

2015.7.5完結
※注意※
・現代SFパロ
・「私」→女子大生

1. 肉まんの恩義

 バイト帰りの夕暮れ。
 コンビニで買ったばかりの肉まんを頬張りながら、私は家路を急いでいた。
 大学進学を機に上京した私にとって、赤く燃える空は物悲しく見えた。よその家からもれる夕飯の匂いが、実家を思い出させる。ビニール袋の中で傾くコンビニ弁当に、ため息が出る。最初の頃は自炊をしようと思っていた。でも、課題やバイトに追われて自炊も面倒になってしまった。
 私の住むアパートの前に、小さな公園がある。子どもはおろか、誰も公園に寄り付かないので、雑草は伸び放題で遊具は朽ちかけていた。
 そんな公園に、誰かがうずくまっている。大きな男のようだ。不審者だろうか。私は足早に通り過ぎようとした。
「うう」
男が唸った。苦しげに地面に爪を立てている。もしかして、体調を崩しているのではないか。私は放って置けなくなり、彼の元に近づいた。
「大丈夫ですか?」
「めし」
「え?」
「めしを、くれ」
めし? 私は首を傾げながらも、ビニール袋の中から、コンビニ弁当を取り出した。
「これでよければ」
そう言うと、男は不思議そうに弁当のパックを見つめていた。切れ長の鋭い目をした男は、何処と無く威圧的だ。かなり恐い。私が身の危険を感じだしたその時。
「それは?」
男は私が手に持つ肉まんを指差した。
「これ? 肉まんですが」
「うまそうだ。それをくれ」
男はがばっと立ち上がり、食べかけの肉まんを奪うと、肉食獣のように食べ出した。私は男の行動に驚くと共に、男のあまりの大きさに恐れおののいて、膝がガクガクと震えた。
 ゆうに二メートルは越えている。テレビで見たことがあるぞ。格闘技の選手だったかで、こんな大男が居た筈だ。そして、腹まで伸びたストレートな髭。この男は只の浮浪者じゃない。
「あなたは、何者ですか」
勇気を振り絞って聞いてみた。男は肉まんの最後のひとかけらを飲み込むと、私をじっと見下ろした。
「申し遅れた。我はカンウ。リュウコウシュクの陪臣(ばいしん)として、カンシツ再興の為に義の刃を振るう者である」
「は?」
さっぱり分からない。口をぽかんと開ける私の顔は、さぞかし間抜けだろう。
「とりあえず、カンウさんって呼べばいいですか?」
「気安く名を呼ぶでない!」
突然の怒鳴り声に、私は耳を塞いだ。
「ごめんなさい許して! じゃあなんて呼べばいいですか」
「うむ。では、そうだな。お主は命の恩人だ。特別にウンチョウと呼んで良いぞ」
「で、ではウンチョウさん。あなたはどうしてこんなところで倒れていたんですか?」
「気がつくと、白い牢に閉じ込められていた。そこから逃げ出して来たのだ。しかし、なんだこの都は。四角い大木が生い茂り、鉄の牛が走り抜けている。まるでこの世のものとは思えぬ」
あなたがこの世のものとは思えません。私は彼の威厳にすっかり萎縮してしまい、背を丸めた。
 白い牢というのは、病院だろうか。見ると、彼は入院患者が着ているような薄い布の服を着ている。この人、もしかして。
 どうしよう、警察に連絡して引き取ってもらおうか。私はスマホを取り出した。
「その様子、我の事を信じてはおらぬようだな」
ぎくりと肩を震わせて、彼を見上げた。怒ってはいないようだが、その顔はどこか悲しげだった。
「後生だ。あの牢には連れ戻さないでくれ。我は一刻も早く、兄者のもとへ戻らねばならぬ」
「お兄さん?」
「ヨクトクと共に、リュウコウシュクと義兄弟の契りを交わした。共に死のうと誓ったのだ」
状況はよく掴めないが、彼には帰るべき家があるのだろう。だったら家族と直接連絡をとって引き渡した方がいいな。そっとスマホをしまった。
「そのお兄さん達は、どこに居るのですか?」
「分からぬ。なのでしばし、宿を貸してはもらえぬか?」
「は?」
二度目の「は?」が出た。私の部屋に泊まりたいだって?
「分かりました。狭い部屋でよければ」
 しかし、今この大男を拒絶したら、何をされるかは分からない。私は要求に大人しく従う事にした。いざとなれば部屋を飛び出して逃げればいい。

 散らかったままの部屋に彼を通すと、「なんだこの馬小屋は」と言われた。
「馬小屋ではありません。ここに私が住んでいるんです」
「独りで、か?」
「家族は田舎に居ます。今は独り暮らしです」
「おなごが独りで暮らすだと。なんと物騒な」
ウンチョウさんは「解せぬ」と呟きながら顔をしかめた。
「大丈夫ですよ。隣の部屋の人も女性ですし。田舎から上京して、大学に通っているんです」
「大学?」
この人は本当に何も知らないみたいだ。
「大学とは、専門的な学問を学ぶ場所です」
「ほう。お主、おなごの身で学んでおるのか。読み書きが出来るとは、才女だな」
感心したように目を細める彼に、私はなんと突っ込んでいいか分からなかった。

 ウンチョウさんは本当に何ひとつ知らなかった。彼がトイレに行くのも一苦労だ。ちゃんと説明しないと、水も流せない。
 お風呂に入る時は、一から丁寧に教えてあげた。そのお陰で難なく入ってくれたようだが、問題はお風呂を出てからだった。
「湯水を浴びるのも、気持ちがいいものだ」
上機嫌そうに言いながら、ウンチョウさんは出てきた。バスタオルを腰に巻いただけの姿で。
「ぎゃあ!」
私は大きく跳び上がって、横のベッドに顔を埋めた。
「どうした?」
素っ頓狂な声が聞こえる。
「服を着てください」
「ああ、安心せい」
がっはっは。彼は笑った。
「お主のような(わらべ)を襲う趣味は無いわ」
その言葉は、私の胸を深く抉った。
「これでも私十九歳なんですけど」
「十九!? これは失礼致した。すぐに服を着るから、安心召されよ」
ウンチョウさんは途端に慌てて、入院服を着直したようだ。
「すまぬ。お主がまさか、年頃の娘とは思わなんだ」
恐る恐るベッドから顔を離すと、彼がすっと背筋を伸ばして正座しているのが見えた。
「独り身で年頃のおなごにも関わらず、我を泊めてくださった。この恩は必ず返そう。そして決して手出しはせぬ。天に誓おう」
あまりにも真剣なその眼差しに、私は何も言えずただ頷くしかなかった。
 この人、最初はなんて傲慢そうな人なんだと思ったけど。本当は、とても義理堅い人なんだな。

********

 変わらない日常の中に、突如現れた異質な存在。そんな彼は今、布団を豪快に跳ね除けて床の上で寝息を立てている。
 私はというと、ベッドに潜って寝ようとしたはいいが、どうしても警戒して眠れずにいた。おじさんだと思っていたが、寝顔をまじまじと見ると意外と若そうだ。二十代後半から三十代前半といったところか。
 彼をおじさんだと思った理由は二つ。長い髭と、その言葉遣い。まるで時代劇から出てきたような人だ。
 もしかして、本当に過去からタイムスリップしてきたのかな。
 そんな馬鹿なと思いながらも、気になってスマホで彼の名前を検索してみた。確か「カンウ」って名前だったよね。検索ワードに語句を打ち込むと、たちまちにある人物が検索結果にあがった。

『関羽。(あざな)を雲長。中国後漢末期の武将。蜀漢の劉備に仕えた』

 関羽。聞いたことはある。確かゲームや漫画でちらと見かけた気がする。三国志という中国の有名な歴史ものに出てくる武将だ。ネットに書いてあった説明を読み進めるうちに、雲長さんが言っていた事が段々と分かってきた。

“我は関羽。劉皇叔の陪臣として、漢室再興の為に義の刃を振るう者である”
劉皇叔というのは、雲長さんの君主である劉備の事だ。

“翼徳と共に、劉皇叔と義兄弟の契りを交わした。共に死のうと誓ったのだ”
翼徳というのは、張飛という武将の字だ。彼等三人は桃園の誓いを交わし、漢王室再建の為に、乱世を駆け抜けていった。
その顛末は。

『建安二十四年、関羽は子の関平等と共に、臨沮(りんそ)で斬られた』

 ネットの辞典には、雲長さんが凄惨な最期を遂げた事が書かれていた。
 私はひどく動揺して、震える手でスマホを枕元に置いた。この項目は、読まなかった事にしよう。

 雲長さんはどうせ、関羽という武将になりきっているだけなのだから。
 本当に家族を探しているなら、警察に通報してことを大きくしては悪いかなと思ったけど。劉備や張飛がこの現代日本にいる訳もなく。これ以上虚言に振り回されるのはまっぴら御免だと思った。
 やっぱり明日、隙を見て警察に通報しよう。そう決意しながら、私はいつの間にか眠りに就いていた。

2. 指きり

「つまり、我は後の世の、倭という国に迷い込んだと?」
 翌日。私は雲長さんに、此処が後漢末期から千八百年以上後の日本だという事を説明した。
「そういう事になりますね。今は倭国ではなく、日本という国になっています」
私は信じていないけど。だって過去からタイムスリップしてくるなんて、そんな映画や漫画みたいな事ある訳ないじゃない。
「なんという事だ。兄者や翼徳の元にどう帰ればいいのだ」
彼は額に手を当て、天井を仰いだ。
「きっと、帰る道が見つかりますよ」
私の気休めの言葉にも、雲長さんは嬉しそうに目を細めた。
「しばらく世話になるぞ」
私は苦笑いするしかなかった。罪悪感に苛まれる。これから警察に通報しようとしている私に、彼が投げかける視線はあまりにも優しすぎた。

 私は「買い物に行ってきます」と嘘をついて、部屋を抜け出した。アパートの駐輪場のかげに隠れると、スマホを取り出した。
「君、ちょっと」
 突然、見知らぬ男が声をかけてきた。くたびれた灰色のパーカーに、寝ぐせで四方八方に跳ねる黒髪。大きな黒縁眼鏡が鼻からずり落ちていた。歳は私と変わりなさそうだけど、その青白い顔には若さの片鱗もなかった。
 次から次へと何なんだ。不審者ばかり寄ってきて。私は苛立って彼を睨みつけた。男はそんな私にぎこちなく微笑みかけた。
「関羽は、元気かい?」
思わず耳を疑った。この人は雲長さんを知っているの?
「雲長さんのお知り合いですか?」
「いや。僕はよく知っているけど、向こうは僕の事は知らないよ、多分」
「良かった。ちょうど警察に言って雲長さんを引き取ってもらおうかと思っていたところだったんです」
「警察にだと? それだけはやめろ!」
男は途端に血相を変えた。
「そんな事をしたら彼は一巻の終わりなんだぞ。いいか、絶対に彼を他の者に渡してはいけない」
「一体、雲長さんは何者なんですか?」
そう問うと、男はいきなり私の両肩を掴んできた。
「彼は関羽だよ。紛れも無い三国志の英雄だ。君は彼を只の変な人と思っているだろう。違う。彼はまさしく、関雲長なんだ」
そう言われても、信じられる訳がない。目をそらす私に、男は尚も熱心に語りかける。
「僕は関羽に憧れて、ずっと研究を続けてきた。そしてついに、完成したのだ。彼こそ、真の英雄。きっと、君を護り助けてくれるよ。君は幸運な人だ。彼は君への恩に、己の命にかえてでも報いるだろう」
「どういうことですか」
「いずれわかるさ」
男はそう言うと、もう行かなければと逃げるように走り去っていった。
 研究を続けてきた?
 私を護り助けてくれる?
 これはテレビのドッキリ企画で、まんまと騙されているんじゃないかとさえ思う。
 警察に通報するのはやめた。たとえドッキリだったとしても、雲長さんが私のせいで危険な目に遭うなんて後味が悪すぎる。今のところなんの害も無いんだし、このまま匿ってあげよう。そう思いなおし、私は部屋へと帰っていった。

********

 同居するならば、色々と準備が必要だ。生活必需品は当然の事、雲長さんの怪しい風貌をどうにかしなければならない。私はまず、彼に服を用意した。店やネットで大きいサイズの服を探して、部屋着や出かけ用の服などを一式買った。男の人のお洒落はよく分からないので、店員さんに聞いて選んでもらったりもした。
 雲長さんの(まげ)を結わえた髪型と長い髭は、あまりにも浮いていた。切ってはどうか説得したが、中々聞き入れてくれなかった。結果、髪だけは短く切る事になった。髭はどうしてもこのままがいいらしい。美容院で髪を切ってもらうと、雲長さんはかなり現代の風貌に近づいた。でもやっぱり長い髭が目立つな。
 服と美容院代で、バイトで稼いだお金はあっという間に消えてしまった。奨学金もあるので生活費は払えるし、私が自分の贅沢品を買えないだけの事だ。いいとしよう。
 政治や文化、科学に至るまで、この現代日本の事も教えていった。雲長さんは飲み込みが早く熱心に覚えようとしてくれて、テレビのニュースを観ながら分からない事を私に聞いたりもするようになった。
私が大学の講義やバイトに出かける時は、出来る限り部屋で待っているようにと頼みこんだ。雲長さんは渋々「相分かった」とだけ言って、私が図書館で探してきた「春秋左氏伝」という本をじっと読んで待ってくれていた。

 同居生活が始まって二週間目。その日も、雲長さんは変わらず部屋で待ってくれていると思っていた。バイトのトラブルでいつもより遅くなり、私は暗い夜道を一人で歩いていった。嫌だなあとは思いつつ、足早に家路を急ぐ。
 手に引っ提げるはコンビニ弁当ではなく、野菜やお肉。今日は寒いからお鍋にしようと思って買い込んだ。雲長さんが来てから、私は料理を作るようになったのだった。
 お腹を空かして待っているのかな、早く帰らなきゃ。そう思った矢先。後ろからバイクのエンジン音が聞こえたかと思うと、手に持っていた鞄がひったくられた。
 しまった。バイクに乗る男が、私の鞄をはためかせて走り去っていく。なんで貧乏学生から鞄をひったくるの。
「どろぼう!」怒りと悔しさで泣きそうになりながら、私はバイクを追っかける。しかし、バイクの姿は闇に消えて見えなくなった。
 突然、クラッシュ音がした。しばらく走ると、前方にひしゃげたバイクが横たわっていた。私の鞄も道路に落ちている。そして佇む大きな人影。あれは。
「雲長さん?」
 目を凝らすと、確かに彼だった。
 雲長さんは片手でひったくり犯の首を絞めながら持ち上げていた。まるで軽々と、マネキンを掴んでいるかのように。ひったくり犯は宙吊りになって苦しみもがいていた。そんな彼を雲長さんは無表情で見据えている。
 殺す気だ。
「駄目、放してください!」
私は慌てて駆け寄り、雲長さんを揺さぶった。
「死んでしまう!」
彼は不思議そうに私を見つめた後、ひったくり犯から手を放した。
 ひったくり犯は咳き込みながら地面に倒れ、しばらくするとよろめきながら逃げていった。
「何ゆえ我を止めた。彼奴は盗っ人だと、お主叫んでいたではないか。悪党は処断せねばならぬ」
雲長さんは不服そうに私を睨んだ。
「確かにひったくり犯は許せません。でも殺すのは、駄目です」
「どうしてだ」
「この日本では、悪党は法律で裁かれます。私刑は許されていません。人をむやみに殺してはならないと、教えられてきました」
雲長さんはそれを聞いて、目を丸くして驚いていた。
「だのに、人を殺める者は後を絶たぬのだな」
テレビで連日報道される殺人事件のニュースを観ていたのだろう。私が返答に困っていると、彼に「今申したことは忘れてくれ」と言われた。
「あの、ありがとうございました」
震える声で、感謝の言葉を述べた。先刻の雲長さんは、とても恐ろしかった。でもこの人が居なかったら、私は鞄を無くして途方に暮れただろう。
 見上げると、雲長さんは微笑んでいる。あの冷徹な眼差しは、どこかに消え去っていた。
「此度は偶々ぞ。中々帰って来ぬから、心配して迎えに参じたまでだ。お主は、空腹で動けぬ我を助けた。その恩義は大海よりも深く、天よりも尊い。我は恩に報いるのみ」
雲長さんは私の鞄を拾い上げ、そっと差し出した。
「お主を護ろう」
 あの変な男の人が言っていた通り。義の漢、関羽そのものだ。
 雲長さんは、本当にあの英雄関羽なんだ。ずっと疑ってきた私だが、ようやく信じられるようになった。
 成人男性を軽々と片手で持ち上げていた。何をしたのかは分からないけど、バイクが不自然にひしゃげている。凡人には到底出来ない。彼が百戦錬磨の豪傑だからこそ、出来たんじゃないか。

 私は鞄を受け取り、彼の小指に自分の小指を絡めた。雲長さんは訝しげに片眉をあげる。
「これは指きりと言って、約束をする時にするおまじないです」
「まじない?」
「私はこれからもあなたを匿います。そして、元いた時代に戻す手がかりを探します。ひったくりから助けてくれたご恩返しをさせてください」
「恩の返し合いをするのか」
余程可笑しかったのか、雲長さんは豪快に笑った。私もつられて笑う。


指きりげんまん。
嘘ついたら針千本呑ます。
指きった。

3. 狙われた二人

 それから私は、雲長さんがもとの時代に帰る手がかりを探して、三国志について勉強しはじめた。
 一言に三国志といっても、歴史書、小説、劇など様々なものが残されている。
 現在私たちがよく知っている三国志のエピソードは、歴史書には載っていないフィクションだったり、改変されていたりする事も多い。例えば、劉備、関羽、張飛が誓いを交わした「桃園の誓い」のくだり自体は、歴史書に記載は無かったりする。
 でも不思議な事に、雲長さんは詳しく「桃園の誓い」の話をしてくれたのだ。歴史書に記載がないだけで、本当に桃の木の下で誓いを立てたのかもしれない。人の一生が、歴史書の僅か数ページで全て語られる訳はないと思っている。
 では、これはどう説明しよう。差し出された酒が温かいうちに、関羽が華雄(かゆう)という武将をあっという間に討ち取ったという話。歴史書には、華雄は孫堅(そんけん)軍に討ち取られた事になっている。だのに雲長さんは、臨場感たっぷりに華雄を討ち取った話をしてくれた。
 どうも雲長さんの話してくれた思い出話は、歴史書よりも「三国志演義」という小説の記述に沿っている。だからと言って、今更雲長さんを疑いたくはない。私は悶々としながら史料を読み漁っていった。
 見知らぬ男の話を思い出す。「研究をして、完成した」と言っていた。どのような研究だろう。日本語の習得? 記憶の改ざん? 白い牢屋の中で、何が行われていたのだろうか。

********

 二ヶ月程が経ち、春休みが訪れた。
 雲長さんはここのところ、すこし元気が無い。なにやら物憂げに窓の外を眺めてばかりいる。もとの時代が恋しいのかな。私は少しでも気分転換になればと、彼を中華街に連れて行った。
 中華街は人でごった返していて、私は雲長さんの大きい体を盾に通路を進んだ。
「何か甘いもの食べませんか?」
つんつんと彼の背中を突く。
「昼飯を食ったばかりではないか? お主は本当によく食べるな」
雲長さんは呆れているようだ。大きなため息が聞こえた。
 沢山食べ歩いて、お腹も満腹になったところで、私はアクセサリーショップの前で立ち止まった。
「このブレスレット、良いなあ」
丸い翡翠の装飾が散りばめられたブレスレット。淡い輝きに、目を奪われた。
「ほう、(ぎょく)か。常に身につけておくとよいぞ。お主をきっと護り導いてくれる」
「そうなんですか。大事にします」
私はブレスレットを買うと、早速手首につけた。
 雲長さんはぽつりと言う。
「我が居なくとも、それがあれば安心だな」
早く義兄弟達のもとに帰りたいんだな。そう願うのも当然だけど、なんだか寂しい。私は複雑な思いを隠しつつ微笑むしかなかった。

 彼に見てもらいたい場所があったので、私は地図を頼りに進んでいった。
「あった」
路地の中に聳える豪華絢爛な門。朱色の柱に鮮やかな装飾が眩しい。右から読んで「関帝廟(かんていびょう)」と書かれた金色の文字が見えた時、雲長さんの足が止まった。
「なんだ、此処は」
「関帝廟です。神様になったあなたが祀られています。こうして今でも、あなたは人々に敬われているんですよ」
雲長さんは私の説明に耳を傾けながら、廟を気難しそうに見上げた。
 突如、雲長さんは大股に歩き去って行った。私は小走りで追いかける。
「廟には入らないのですか?」
「その必要はない」
ぶっきらぼうな物言いにびっくりして、私は口を噤んだ。神様になった自分を見るのは嫌だったのかな。きっと喜ぶだろうと思ったのに、裏目に出てしまった。しょんぼりと頭を垂れながら、私は彼の後ろを歩いた。
 しばらくして雲長さんは振り返り、私の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「わっ、やめてください」
必死に乱れた髪をなおす。
「次は何処へ行こうか? お主の行きたいところへ行くがよい」
優しい声音に、機嫌はすっかり直ったのだと分かった。
「では中華街をまわるのはここまでにして、他へ行きませんか?」
「何処なりと」
さっきまでの思い詰めた表情が嘘のように、雲長さんは笑っていた。

********

 一日中たっぷりと観光し、さあ帰ろうという時。雲長さんは「話がしたい」と、海沿いの公園にあるベンチに腰掛けた。日はとっくに暮れて、色とりどりに煌めく夜景が私達の目を楽しませてくれる。海面に散りばめられた宝石のような光は、滲みながら奥深い闇へと溶け込んでいった。そんな様子を、行き交うカップル達はうっとりと眺めている。
 海から吹き込む風は寒い程で、私は雲長さんの隣に座って背中を丸めた。
「先日、我は思い出したのだ」
雲長さんは、ふうと大きな息を吐いた。
麦城(ばくじょう)から脱出をはかったが、無駄であった。我は捕らわれ、首を刎ねられた」
「なんの話ですか?」
「我が死んだ話だ」
私の目が大きく見開かれた。

『建安二十四年、関羽は子の関平等と共に、臨沮で斬られた』
ネットに載っていた雲長さんの最期。

 関羽は魏軍の曹仁が守る樊城(はんじょう)に侵攻した。その隙を突いた呉の君主孫権(そんけん)は、呂蒙(りょもう)陸遜(りくそん)等に命じて関羽が拠点としていた荊州の劉備領を奪取。行き場を失った関羽は捕らえられ、斬首された。
 どうして雲長さんが知っているの? 全身が震える。きっと体が冷えたから、震えているだけだ。
「確かにあの時、我は死んだ」
雲長さんの目には、ただ暗い深淵だけが広がっていた。
「そんなバカな。今ここに、あなたは生きているじゃないですか」
「刀がうなじにめり込む感覚を、今でも鮮明に憶えておる。これが夢と申すか!」
雲長さんは声を荒げて立ち上がる。彼のシルエットは、きらきらした明かりに縁取られた。
 似たような光景を、子どもの頃に見た事がある。一人の宇宙人が、地球の為に敵と戦うヒーロー番組の最終回。主人公が、己の正体を明かした場面。
 でも、雲長さんは宇宙人なんかじゃない。人間だ。確かにここに生きている。……そうでしょう?
 雲長さんは眉を吊り上げて、私を見下ろしていた。今まで隠していた事を責めているんだ。
「我の死後、翼徳は? 兄者はどうなった? 我等の志はどうなったのだ? お主は知っておろう。隠さずともよい。言え!」
言えない。言いたくない。だって、事実を知れば雲長さんはショックを受けるだろうから。

 私が答えるのに躊躇していると、雲長さんは突然、あたりを見回した。
「おかしい。先刻まで賑やかであったのに、嘘のように静まり返っておる」
彼の言う通り、先程まで夜景を見ていた沢山のカップル達は、いつの間にかどこかに消えていた。公園には私達以外誰も居ない。
 その時、闇の中で男の声が響いた。
「張飛は部下に殺され、最期を遂げます。劉備はあなたの弔い合戦に赴き、惨敗。失意の中、白帝城にて病死しますよ、関将軍」
「誰だ。姿を見せよ」
雲長さんが怒鳴ると、闇から一人のスーツ姿の男が現れた。顔は整っているが、冷たい目をした中年男性だ。
「あなたをお迎えにあがりました」
「迎えにだと?」
「もう一度、やり直してみたいと思いませんか? あなたが死ななければ、未来はどう変わったのでしょうね」
男の微笑みが、嘘くさいように思えて仕方がない。それに、腰のベルトに下げている物。暗くて見にくいが、あれは確かに拳銃だ。おもちゃの銃を大の男が持ち歩くなんて事はまずないだろう。
「あなたをもとの時代に帰します。黄巾党が各地で反乱を起こした時期に。あなたは記憶を頼りに歴史を変える事が出来ますよ」
「そんな都合の良い話、ある訳ないじゃない! それに、どうして銃なんか持っているの?」
私はベンチから立ち上がって、男に食ってかかった。男は私を邪魔そうに睨む。
「君には関係ないだろう。さっさとお家に帰りなさい」
「いいえ、帰らない。私はこの人に助けて貰った。恩人なの。誰か知らない人だけど、その人にこうも言われた。『絶対に彼を他の者に渡しちゃいけない』って」
「ちっ、あいつめ。仕方ない。お前もここで消えてもらおうか」
男は拳銃に手をかけた。まずい。
 銃口が私に向けられたその時。雲長さんが男の腕に掴みかかる。刹那、男から放たれた銃弾は私の髪を掠めていった。男は苦痛に顔を歪めて唸った。見ると、彼の腕は雲長さんの手によってあらぬ方向にぐにゃりと曲げられている。
「此奴がどうなってもよいのか!」
雲長さんは周りの暗がりに向かって叫んだ。私はそこで初めて気がついた。私達の周りを、拳銃を持った男達が囲んでいたのだ。男達は渋々、銃を下ろした。
「泳げるか?」
雲長さんは私に尋ねた。何故そんな質問をされたのか疑問に思いながらも、縦に頷く。彼は私を片腕にひょいと担ぐと、男の腕を放して走り出した。
 ぐわんぐわん。雲長さんの走りに合わせて、視界が揺れる。酔いそうだ。銃声が耳をつんざく。このままじゃ二人とも蜂の巣にされて終わりじゃないか。そう思った時、雲長さんは柵を越えて、私を道連れに海へとダイブした。
 暗くて冷たい水の中で、必死にもがいた。心の準備も無いままで、しかも服を着ていては、思うように泳げない。自分の体が底深く沈んでいくのが分かった。
 泡をぽろぽろと吐いて、私は淡く光る海面を見上げた。夢の中でまどろんでいるように心地よくなって、静かに目を閉じた。

4. 宝刀

 気がつくと、私は路地裏に横たわっていた。濡れた服が肌に纏わり付いて気持ち悪い。
 傍には、同じくずぶ濡れの雲長さんが座っていた。私をここまで運んできたのは彼らしい。
「泳げると言ったではないか。沈むお主を拾い上げるのに苦労したぞ」
雲長さんは眉根を寄せた。
「そんな事言われても」
私は頰を膨らませつつ、自分の鞄の中を漁った。全てびしょびしょに濡れている。スマホは案の定お陀仏になっていた。
「携帯ショップに寄っていいですか? あと、服もどうにかしなきゃ」
「お主の家には帰らぬ方がよいぞ。奴等が居場所を嗅ぎつけているやもしれん」
「じゃあカプセルホテルにでも行きますか。お風呂で海水を落としたいし」
私はつんと漂う磯の香りにうんざりしながらため息をついた。待てよ、体が大きな雲長さんはカプセルに入るのかな。
 着替えを買って、代わりのスマホも借りて、その日はカプセルホテルに泊まった。雲長さんが無事にカプセルの中におさまったかは、ホテルに入ってから別行動をとったので知らない。
 翌朝、私は実家に電話をかけた。
「あのさ、急な用事が出来て今から帰ろうと思う。で、ちょっと訳あって男の人を連れて行くね。え? 彼氏? 違うって。イケメンかって? イケメンって部類じゃないと思う。男らしいとは思うけど。だから彼氏じゃないってば。独身かって? 分からない。だから彼氏じゃないって。うん、分かった。もういいよ、彼氏ってことで。じゃあね」
母にしつこく彼氏を連れてくるのかと尋ねられて、私は面倒になって電話を切った。とにかく、実家に帰ろう。あの物騒な人達も、ここから遠く離れた田舎までは追って来ないだろう。

********

 新幹線に乗る為、私達は駅に居た。
 乗車券を買いに発券機の列に並ぶ。お札が海水でしわしわになっているけど、ちゃんと発券機に通るかな。みどりの窓口に行った方が良いかなあ。
 私が一生懸命お札を伸ばしていると、ラジコンのような無数の飛行物体が駅内を飛び回った。
 その中の一機が私の目の前に飛んできた。アンモナイトの形をした飛行物体は、物音ひとつ立てずに空中に止まっている。これは何だろう。鎧みたいな貝殻から何本もの触手が伸びてきた。先が空洞になっている。
「危ない!」
雲長さんが覆い被さる。何事かと思った瞬間、けたたましい音が響いて彼が顔を歪めた。体越しにちらと見えた飛行物体は、触手から機関銃のように銃弾を放っている。
「逃げるぞ」
雲長さんは私を担ぎ上げると走っていった。あちこちで銃声が響く。
 駅内は一瞬にして惨劇と化した。
 人々は逃げ惑う。おじいさんが転けてしまった。小さい子どもが親を探して泣いている。倒れた恋人の傍らで女性が呆然と座り込んでいる。
 倒れていく。幸せそうに笑っていた家族連れも。仕事に急ぐサラリーマンも。みんな。
 頭がくらくらして吐きそうだ。もう耐えられない。放して。バタバタともがいても、雲長さんはしっかと私を捕まえている。やっとの事で外に出た。
 しかし、外に出ても状況は変わらなかった。倒れた人々が道路を埋め尽くす。車は電信柱にぶつかって燃え上がっていた。サイレンが狂ったように鳴り響く。空を、無数の飛行物体が飛び去っていった。
「みな、死んだか」
言われなくても、見れば分かる。
 命の無い瞳に、鮮やかな空が映るだけ。

 私達だけが、生きていた。

 歩いても、歩いても、静寂と死体が横たわっているだけだった。スマホの電波は圏外で繋がらない。テレビも映っていない。私は雲長さんの横をふらふらと歩いた。
 繋がる筈もない実家に電話をかけ続ける。私の嗚咽はしんとしたビルの谷間に響いた。
「案ずるな」
頭に、雲長さんの手が置かれる。
「必ずや、お主を生きたまま親元へと帰そう」
「もう良いんです」
どうせ死ぬ運命なのだから。
「何を言うか。指きりというまじないで誓ったろう。武人に二言はない。それに、昨日もお主に助けられた。恩人を見捨ててはおけぬ」
雲長さんは眉根を寄せながら、髭を撫でた。
「あやつの言っていた事はまことか。兄者も翼徳も、志半ばで逝ってしまったと」
私は躊躇いながらも頷いた。
「左様か。我が人生、後悔ばかりが残ってしまった。
今此処に新たな生を受けたは、まさに天意。過去は変えられぬ。しかし、現在は変える事が出来よう。我には、此処ですべき事があるのだ」

 その時、悲鳴が聞こえた。私と雲長さんは顔を見合わせると、悲鳴が聞こえた方へと走っていった。
 見ると、数人の人間があの飛行物体に囲まれている。ハンドバックや鉄パイプを振り回して応戦しているが歯が立たない。飛行物体はじわじわと人々を追い詰めていった。
「なんとか助ける方法は……」
「我が敵を引きつけるから、お主は彼等と逃げて、何処かに隠れておれ」
雲長さんは私にそう言うと、小石を拾って一機の飛行物体に投げつけた。小石は殻の鎧にこつんと音を立てて命中した。奴は途端に雲長さんの方へと触手を向ける。
『プロトタイプ02(オーツー)、発見』
奴が発した機械音に他の飛行物体も反応し、一斉に雲長さんの周りを囲んだ。私はその隙に襲われていた人々の元へと駆け寄り、皆と共に逃げた。

 息を切らして走りながら、隠れ場所を探している時。
「おぅい」
地下鉄入り口の前で、誰かが呼んでいる。急いで近づいてみると。
「やあ、また会ったね」
その人は、私に向かって親しげに笑いかけた。見覚えがある。黒縁眼鏡にくたびれた格好。数ヶ月前、アパートの駐輪場で出会った人だ。
「皆さん、地下鉄に降りてください。ここならひとまずは安全です。他の人達も避難しています」
男は私達を地下鉄へと降りる階段へ誘導した。私は安堵しながら、人々の背中を見送った。
「この人達をよろしくお願いします。私は雲長さんを迎えに行ってきます」
「ちょっと!」
男の声に構わず、私は駆けて行った。雲長さんが心配だ。武器も無いのにどう戦うつもりだろう。
 そんな不安は杞憂に終わった。私が戻った頃には、全ての飛行物体が只の鉄屑となって地面に落ちていた。いくら強い武将でも、機関銃を搭載した敵にいとも簡単に勝てるものかな。
「無事でよかった。地下鉄に皆避難しています。行きましょう」
私は彼の手を引いて、地下鉄へと急いだ。

「待て!」
突如、雲長さんは私を止めた。訝しげに彼を見上げたその時。蹄のような音が響く。
 今度は何? 音がどんどん近くなる。雲長さんにしがみついても、足の震えは止まらない。
「地に伏せておれ」
私は言われた通りにその場に伏せた。
 音の主が姿を現す。巨大な馬。いや、馬の形をした機械だ。鉄の皮を身に纏い、剥き出しの配線が脈打つ。荒い鼻息は、まるで生きているみたいだ。その上に、大きなヒト型のロボットが跨っていた。人体模型を鉄屑で作ったような風貌をしている。目のところに黄色いランプが灯っていた。長い剣を持っている。
「此度の敵は少々厄介なようだ。丸腰の我では、時間稼ぎが精一杯。隙を見て、逃げろ。我に構うな」
雲長さんは近くの車からドアをもぎ取って盾代わりにすると、奴等のもとへと向かっていった。
『プロトタイプ02、発見。処分スル』
機械的な音声が響くと、ロボットはいきなり馬上から雲長さんに斬りかかった。雲長さんは車のドアで攻撃を受けたが、ロボットの力があまりにも強くて仰け反った。
 剣の切っ先が襲いかかる。危ない。何とか避けるものの、ロボットの猛攻は終わらない。ドアの盾はあっという間に一刀両断されてしまった。雲長さんは顔を歪めて奴等との間合いを取る。飛び散ったドアガラスの破片が、雲長さんの体に散らばっている。もう、彼の身を守るものは何も無い。

 このままだと雲長さんが。他にすがるものがなくて、必死に翡翠のブレスレットを握りしめる。
 誰か。お願いです。彼を助けて。
 その時。空の彼方で、キラリと何かが光った。それはもの凄い勢いで落下すると、雲長さんの眼前に突き刺さった。
落下した物の正体は、長い柄をした刀であった。アスファルトの地面に半分までめり込んだ刃は、半月の如き弧を描いている。龍の装飾が、金色に輝いた。
 雲長さんはすかさずそれを引き抜いた。ロボットは馬から飛び降りて彼に斬りかかる。止めを刺すつもりだ。しかし奴の一瞬の隙を、雲長さんは見逃さなかった。
 鮮やかな火の粉が空中を舞う。ロボットの首が斬られ、ショートしたボディから火花が噴出したのだ。奴の頭は放物線を描いて、地面に転がった。首を失ったロボットは、バラバラになって落ちていった。

5. I

 雲長さんは機械の馬に跨った。これに乗っていくの? 不安がる私をよそに、雲長さんは「参ろう」と手を差し伸べてきた。一緒に乗れという事か。
 彼の腕に引き揚げられ、馬に跨る。視界が高くなって怖い。すぐ落ちてしまいそうだ。
「案ずるな」
背後で手綱を引く雲長さんは、私に気遣ってゆっくりと馬を進めた。
 私達は地下鉄へと戻ってきた。
「君! よかった。心配したよ。関雲長殿が君のボディーガードをしてくれるから安心か」
馬から降りて地下鉄の階段へ進むと、途中にあの黒縁眼鏡の男が待ちうけていた。
「待っておりました、関将軍。僕の事は『黒縁』とでも呼んでください。それ、どうされたんですか? あなたといえばやはり、青龍偃月刀(えんげつとう)ですね」
あの刀、青龍偃月刀って言うのか。黒縁さんは刀を舐め回すように見つめた。雲長さんは顔を顰めて嫌そうだ。
「さあ、案内します。避難民で地下街はごった返しているので、駅のホームに行きましょうか。そのロボット馬をつなぐスペースも要りますからね。うーん、素晴らしい馬だとは思いますが、やはりあなたには赤兎馬の方が似合う」
黒縁さんは機械の馬を怪訝そうに見つめた。
「敵将から奪ったものだ。奇妙な馬だが、力も強く速い」
「敵将? あいつはもう高度なアンドロイドまで生産するようになったか」
あいつ? 誰の事だろう。黒縁さんは「後でお話しします」とだけ言って歩いていった。
階段を降りきった先の通路に、紫色の電流が走る壁が出来ていた。
「僕がはったシールドです。これで地下鉄に居た人たちは難を逃れた。だけど完全に封鎖する事は出来ませんでした。線路を伝って敵が侵入してくれば、ここも安全では無くなるでしょう」
「あなたは、何かの研究者?」
私が尋ねると、黒縁さんは照れ臭そうにはにかんだ。
「まあ、そんなとこさ。助手だけどね」
黒縁さんが手をかざすと電流はたちまちに消えた。そして私たちが通り抜けると、再びシールドが作動したのだった。
 地下街の通路には、人々が力なく座り込んでいた。皆、怯えた目で私達を見つめる。
 雲長さんが助けた人達が駆け寄ってきた。彼等は、雲長さんそして私にまで感謝の言葉を述べていった。
「本当に、ありがとうございました」
女の人が、私の手を取って涙ながらに言った。私と同じくらいの年齢で、深い瞳が印象的な綺麗な人だった。

 駅のホームには誰もいなかった。ホーム脇の線路には、沢山の雑多な物が積み上げられている。
「一応バリケードははったんですけどね、ここから敵が来るんじゃないかとみんな避けてるんですよ」
あなたなら、敵が来ても返り討ちに出来ますよね。なんて言いながら、黒縁さんは笑った。
「どうぞベンチに掛けてください。長い話になるので」
彼は深呼吸して、話を始めた。
 彼の話は難しい専門用語も混じっていて全て理解は出来なかったが、ざっとこんな話だった。
 黒縁さんはある研究所で人造人間、つまりアンドロイド製作の助手をしていた。彼等の研究の目的、それは単に人間に似たアンドロイドを作る事では無かった。人類がこれまで積み重ねてきた叡智の全てを搭載したアンドロイドを目指したのだ。
 偉人、天才達のDNAや頭脳パターンを全てデータ化。それをアンドロイドにインストールすれば、アンドロイドは彼等の能力を完全コピーして、彼等に成り変わる事が出来る。
 それがどう私達の生活に役立つのだろう。想像してみよう。奇跡の手を持つ天才医師が居たとする。不治の病で絶対助からないと言われていた患者を、彼の手術ならば救う事が出来る。でも彼の体はひとつだから、救える命はほんの一握りだ。だが天才医師の能力をコピーしたアンドロイドを量産すれば、世界中何処に居ても、世界最高レベルの手術を安価で受ける事が出来るのだ。そんな理想を追い求めて、黒縁さん達研究チームは日々研究を続けた。
 そしてある日、やっと一体のアンドロイドが完成した。“I(アイ)”と呼ばれたそのアンドロイドは、データ化出来る限りの歴史の偉人そして現代の天才達の能力を搭載した。莫大なるデータを駆使して、Iは神をも凌駕する能力を発揮した。
 しかし、Iは突如暴走を始めた。自ら殺戮用のロボットを量産し、一斉に人々を襲ったのだ。
「何故人を襲うようになったのか、そこまでは僕には分からないけどね。暴走する現場は見ていないから」
黒縁さんは言う。彼は神の領域を侵すIの存在に危機を感じ、何度も博士に研究を止めるよう説得した。しかし博士は聞く耳を持たず、彼を研究所から追い出した。
 Iの脅威は、黒縁さんが思っていた以上に強大だった。電波は乱され、コンピューターも全てIによってハッキングされている。Iが作ったロボットの軍団は、日本国内だけでなく海外にも侵攻を開始したらしい。黒縁さんは政府の無線をこっそり拾って、いくつかの情報を得ていた。
「政府も今、殺戮ロボットと死闘を繰り広げているようです。でも、苦戦している。ロボットはIがいる限り無限に量産されるからね。大将を討たなければこの戦争は終わらない。容易には討てないのが現状ですが。Iは厄介な事に、脅威的な再生能力を持っています。銃弾を浴びせても、首をちょん斬っても無駄」
黒縁さんは持っていた銀色のスーツケースから、小さな注射器を取り出した。青い蛍光色の液体が入っている。
「しかし、奴を倒す唯一の方法があります。これにはウイルスが入っています。菌のウイルスじゃなくてコンピューターウイルスの方の。研究所から追い出されて数ヶ月、血眼になって作成しました。これをIに投入すれば、奴は壊れる。でも、簡単にはいかない。注射器を刺す場所は一箇所だけ。腰骨のちょうど少し出っ張っているところ。ここ、ここです」
彼はわざわざ己の腰を見せて、ここだと指し示した。
「注射器を刺す前に、並みの人間では殺されてしまう。ですが、関将軍。あなたなら奴と戦える。お願いです。助けてくれませんか。奴を倒せば、この子だって救われる」
黒縁さんがいきなり私を指差してきた。今までじっと聞いていた雲長さんだったが、突然の頼みにも動じず腕組みをしていた。
「其奴は、何処におるのだ」
「それが、居場所が突き止められないのです。位置情報をスキャンしましたが、妨害電波により邪魔されました。しかも、Iは特定の姿をしていません。時には幼い少女の姿に。また時には厳つい軍人の姿に。インストールした人物の範囲内であれば、誰にでも変幻自在に成り変わる事が出来るのです。たとえIに出くわしたとしても、見た目では奴だと判別できない。ですが奴はあなたを脅威に思い、いつか必ず姿を現わすでしょう」
「しかし、それまでに兵糧はもつのか」
兵糧って、確か戦争時に備蓄してある食べ物の事を指すんだよね。三国志を勉強している時に覚えた。
 黒縁さんは厳しい顔で答えた。
「地下街に残る兵糧は、ざっと二、三日分。何せ多くの避難民を抱えていますから」
「まずは兵糧の確保が先決。明日、探しに出向こう」
「では今日は体を休めて、明日からよろしくお願いします」
黒縁さんはそう言うと、駅のホームから立ち去っていった。
「本当に、その“I”って奴と戦うんですか?」
黒縁さんは身勝手だ。Iがどれだけ恐ろしいかを力説しておいて、そいつを雲長さんに討ってほしいだなんて。
そんなのまるで。
「死にに行けって言ってるようなものじゃないですか」
「それでも、誰かが奴を討たねばならぬ。我が討たねば、誰が討つ?」
「でも私は」
「我を信じろ」
まっすぐな眼差しに、私は何も言えなくなった。

 雲長さんはベンチに腰掛けたまま、シャツを脱いだ。
「すまんが、背中の傷口をみてはくれないか」
やっぱりあの時。最初のロボットの襲撃で私を庇った際、銃弾を受けていたんだ。私は青ざめた顔で雲長さんの背中をみた。
「あれ?」
確かに銃弾を受けた痕はある。黒ずんだ穴が数個空いている。でも、血は出ていない。
「痛みますか?」
「いや、痛みはない」
「不思議な事に、血が出てないんです」
「では、此処はどうなっておる?」
雲長さんは左肘を見せてきた。武将ロボットとの一騎討ちの際、斬られたようだ。肘のところがちょうどぱっくりと裂けている。思わず目を覆いたくなった。しかし、こんなに深く裂けているのに血は出ていない。
 ふと私は、ある事実を発見して言葉が出なくなってしまった。
「どうした?」
「あの、今すぐ、包帯貰ってきます」
私は逃げるようにその場から離れた。
 肘の深い傷は骨にまで達していた。いや、骨と思われるものと言った方が良いか。それは、銀色の鋼鉄をしていた。あれは骨じゃなかった。
 薄々そうなんじゃないかって思ってた。プロトタイプ02。敵が雲長さんの事をそう呼んでいた。白い牢屋と言っていた場所。それは、研究所の事ではないか。
「黒縁さん!」
私は彼を見つけて、怖い顔で詰め寄った。
「雲長さんの正体、あなたは知っているんでしょう? はっきりと教えてください」
「君はもう勘付いているようだね」
彼はずれた眼鏡を直した。
「そう。彼は、僕がつくりあげたアンドロイド。『プロトタイプ02』だ」

6. ドッペルゲンガー

 私は包帯を持って、ふらふらとホームに戻った。雲長さんの顔を直視出来ない。私は顔を俯けながら、彼の肘に包帯を巻いていった。
 黒縁さんは言った。雲長さんは、三国志好きの彼がつくった試作品に過ぎないと。彼が思い描く関雲長像を投影させた、アンドロイドなのだと。
「巻き過ぎではないか?」
雲長さんが声を掛けてきた。本当だ。包帯を一箇所にばかり巻き過ぎて、まるでバウムクーヘンだ。私は慌てて解いていった。
 プロトタイプ02。それが雲長さんの本当の名前。Iが完成すると、用無しになった雲長さんの廃棄が決まった。しかし彼に思い入れのあった黒縁さんはわざと逃がした。そして雲長さんは私と出会ったのだ。
 彼は、恩を受けた人間に尽くすようプログラムされている。私を護り、そして付き従ってくれるのも、プログラムのせいだ。私の命令通りに動いているだけ。ロボットに襲われる人々を助けたのも、私が『助けたい』と願ったから。それでも、彼が私を、人々を、身を挺して護ってくれた事は事実だ。
 人間だろうと、アンドロイドだろうと、雲長さんは雲長さんで変わりないじゃないの。
「できた」
包帯を巻き終わって、私は雲長さんの腕をそっと撫でた。裂けた皮膚は明日になれば元通りになるだろう。
『皮膚の損傷ならば一晩もすれば回復するが、胸元にあるエンジン部分が故障すれば回復不能となる。Iならば問題なく回復するだろうが、02のスペックでは無理なんだ。回復不能、それは即ち02の死を意味している』
黒縁さんの言葉が頭の中で反復する。
『02の性能は、Iよりも遥かに劣っている。でも一縷の望みに賭けるしかない。僕は同士討ちの結果に終われば万々歳と思っている。君は残酷と思うかもしれないが、全人類の命がかかっているんだ。それに、君がいくら反対しても、彼の意志は揺らぐ事はないよ』
 私はそっと、雲長さんの腕に額を当てて泣いた。所詮は命のない機械だと割り切れたら、どんなに楽だろう。出来る訳がない。涙の雫は、ぽつりと包帯に落ちては染みをつくっていった。
「父母が恋しいか?」
雲長さんは、私が泣く訳を勘違いしているようだ。
「現状を嘆いても仕方あるまい。常に希望を持てば、自ずと道は拓けよう。よし、では戦が終わった後の話をしよう。無事父母と再会を果たした後、我の願いを聞き入れてはくれぬか?」
何だろう。私は涙を拭きながら、雲長さんを見上げた。
「兄者の墓に参りたい。共に参れとは言わぬ。道を教えてくれるだけでいい」
劉備の墓なら、確か中国四川省の成都にあるはず。ネットで知った。
「墓前に拝し、兄者に伝えたい。『愚弟、只今戻りました』と」
 関羽は荊州を守る事になって、それきり劉備に会えずに死んでしまった。アンドロイドである雲長さんは、実のところは劉備に仕えた事なんてないけれど。彼の記憶にはしっかりと、義兄弟と共に大きな志を抱いて戦った思い出が刻まれているんだ。会いたいという雲長さんの思いに、なんとしてでも応えたいと思った。
「私も一緒に行きます。ですからそれまでは、生きていてください」
また泣きそうだ。私の命令には従うようプログラムされているんでしょう? だったらきっと、雲長さんは死なずに生きてくれるよね?
 私の不安を消し飛ばすように、雲長さんは笑った。
「我を信じろと、申したではないか。兄者の元に帰るまではくたばらんぞ」
「そうですね、中国旅行楽しみです。私、日本から出た事ないんですよ」
今うじうじしていたってどうにもならない。明るい未来を、描いていよう。私は笑顔を見せた。
「中国語は任せましたよ、私は『ニィハォ』しか話せません」
「ほう、ではいくつか言葉を教えてやろう」
指きりをしよう。雲長さんが小指を立てる。そうして私達は、二回目の指きりをした。

********

 その日は、ホームの上に薄いダンボールを敷いて眠った。寝心地は悪かったが、あまりに疲れていたのですぐに深い眠りに落ちていった。
 夢のない眠りから覚めると、雲長さんと黒縁さんが何やら口論していた。
「我には不要だ」
「この服は防弾です、あなたの身を守ってくれるんですよ」
「不要と言っておろう!」
何事かと説明を求めると、黒縁さんが用意した服を、雲長さんが頑なに拒否しているのだそうだ。
「どうしてですか?」
私は雲長さんに尋ねた。
「この方はね、君から貰った服を脱ぎたくないんだよ。恩義に反すると思って」
黙り込む雲長さんの代わりに、黒縁さんが答えてくれた。気持ちは嬉しいけど、雲長さんの為を思えば防弾の服に着替えて欲しい。どう説得しよう。頑固な彼だから、説得も一苦労だ。
 私はある事を閃いて、手首につけていた翡翠のブレスレットを外した。
「このブレスレットと今の服を交換しませんか? 夜になるとダンボールだけでは寒くて。雲長さんのジャケットはあったかそうだから、それを羽織って暖をとりたいです」
彼はしばらく考え込んでいたが「お主に風邪を引かれては困るからな」と交換を承諾してくれた。
 彼は黒縁さんが用意した服と鎧を纏った。三国志好きな黒縁さんの趣味全開な中華風着物は、雲長さんにとても似合っていた。偃月刀を携え馬に跨ると、まるで三国志の世界からそのまま飛び出してきたかのようだ。左手首には、私が渡した翡翠のブレスレットが光る。
 雲長さんは食物を探しに地上へと出て行った。私は彼の帰りを待って、出入口の階段下に座り込んだ。雲長さんが着ていた大きなジャケットを肩にかければ、地下の寒さも苦にはならない。
「勇敢な人ね」
 ふと、声をかけてきた人が居た。綺麗な女の人。昨日雲長さんが、小型ロボットから助けた人々の内の一人だ。瞳が印象的だったからよく覚えている。
「あなたの彼氏さん?」
彼女はにこやかに尋ねた。
「違います。私は只の金魚のフンです」
そう答えると、彼女はクスリと笑った。
「あの人、雲長さんっていうの? まるで昔からタイムスリップして来た人みたい」
彼は何者? 彼女の黒い瞳がじっと、私に問いかけてきた。何も言えずに苦笑いをするしかなかった。
「あなたのお名前は?」
話題を変えようと私は尋ねた。彼女は悲しそうに首を横に振る。
「それが、憶えてないの。ショックが強すぎて、自分の名前も家族の存在も、みんな忘れちゃった」
「そうでしたか」
「今の私は、まるで『消しごむ』ね」
そう笑って、『消しごむ』さんは私の隣に座った。
「聞かせて。あなたと彼のお話」
目を輝かせる彼女に根負けして、私はこれまでの話をした。雲長さんの正体は伏せたままで、肉まんがきっかけになった出会いと、その後の奇妙な同居生活について話した。
 私が話し終えると、消しごむさんは感嘆の声を上げた。
「不思議ね。もしかして、あの人は神様みたいな存在なのかもしれない。あなたや私達を護る為に、この地上に降り立ったのよ」
本当の事は言えず、私は口を噤んだまま俯く。偃月刀で敵を斬った彼を見た時、私も彼を神様だと思った。でも、違った。
「だから大丈夫。心配しなくても彼は無事に帰ってくる」
消しごむさんは私の肩をぽんと叩いた。
「ねぇ、友達になってくれない? 私、独りだから寂しくて」
私は快く頷いた。消しごむさんは嬉しそうに私を抱きしめてくれた。

 数時間が経って、雲長さんは戻ってきた。ロボットの馬に大きなトラック車を引かせて。
 トラックにはカップラーメン等沢山の食物が入っていた。恐らくスーパーに商品を運ぶトラックだったのだろう。私達避難民は嬉々としてそれらを地下鉄に運んだ。
 私達が地上に出て食物を運んでいる間、雲長さんは馬に乗って周囲を見張った。鞍にはロボット武将の頭が数個ぶら下がり、馬の歩みに合わせてカランコロンと音を立てている。食物を探している間に出会った敵を雲長さんが討ち取ったのだろう。悪趣味だなあと思いつつ、私は何も言及しない事にした。
 地上には、本当はあまり出たくなかった。沢山の屍が朽ちた様を見たくはなかったのだ。しかし目の前に広がる光景は、意外なものであった。
「綺麗」
思わず呟いた。昨日あった筈の死体は跡形もなく消え去り、かわりに光の砂粒が風に舞っている。崩れた街はこの砂に包まれて暖炉色に輝いていた。これは、なんだろう。蛍ではないし、砂埃が光る訳もないし。
「Iのもととなる粒子に似ているなあ」
黒縁さんは顎を撫でた。
「死体のデータは、全てIに取り込まれていったのかな。ここに舞うのは、その余りだろうね。データは粒子ひとつあれば事足りるものな」
どういう事だろう。私が首を傾げると、彼は説明してくれた。
「人の細胞を特殊な粒子に変換する事で、Iは人類データをインストール出来る。奴は犠牲者全員を粒子に変えてインストールしたんだ。ああ、そういうことか」
黒縁さんは何やらブツブツ呟きながら、一人で納得して頷いていた。
「分かったぞ。Iは現代に生きる全ての人類データを収集しているんだ。奴が殺戮し始めたのはそのせいだな」
「データを収集したいだけなら、なんで罪もない人達を殺す必要があるんですか」
「奴のプライドが許さないんだよ。唯一無二の存在になりたいんだ。同じ人間、二人は要らない。そういう事だ」
黒縁さんは厳しい顔をして、光の砂を睨んだ。
「ドッペルゲンガーだ。あいつは」

 その時、雲長さんが突如馬で駆けて行った。何かを見つけたらしい。人間のようだ。
「歩け!」
雲長さんは馬上で叫びながら、偃月刀の柄でその人の背中を小突いた。謎の人物はよろよろと私達の方へと歩み寄ってくる。
 見た事がある。この人は確か、港沿いの公園で私と雲長さんを襲った人だ。彼は大層疲れきった様子で、足を引きずっていた。
 黒縁さんが叫んだ。
「博士! 生きていたんですね」
博士? という事はこの人が、Iという恐ろしいアンドロイドを世に送り出した張本人なの?

7. ガラクタの最期

「やあ、黒縁君。こいつに私を抹消させるつもりか?」
博士は黒縁さんの元へと歩み寄った。公園での争いの時、雲長さんに腕を捻じ曲げられたから骨折したのだろう。博士は右腕を三角巾で吊るして痛々しげだった。
 黒縁さんは笑顔をつくってはいたが、博士に投げかける視線は冷たいものだった。
「いいえ、私はあなたとは違いますから。安易に人間を殺そうとは思いません」
「だがそれは君が蒔いた種じゃないか、黒縁君。君がガラクタを野放しにしたばっかりに、関係のない女が巻き込まれる羽目になった。彼女は知りすぎていた。我々の研究を隠す為には、02と共に消さねばならなかった。
 だが、もうその必要もない。Iが全てを壊してしまったからな。これまでの研究の成果も、地位も、何もかも!」
「あなたは此の期に及んで、自身の事ばかり気になさるんですか。人が沢山死んでいるんですよ? 人類を破滅に追いやる殺戮兵器をつくってしまった自覚はおありですか」
黒縁さんのこぶしが震える。この博士にとっては、人の命より己の研究の方が大切なんだ。
「貴様、我に『過去へ戻してやろう』とほざいたな」
雲長さんは馬を降りて私達の方へと歩み寄ると、静かに博士を見下ろした。
「斯様な嘘で我をたぶらかし、不意をついて屠ろうと思うたか」
「ああ、そういう事だ。だがあの女が邪魔をした」
博士は私を横目で睨んだ。
「そもそもお前は過去からタイムスリップして来た訳でもない。関羽に似せてつくられた『プロトタイプ02』と呼ばれるアンドロイド、ただの偽物だ」
「黙ってください!」
思わず叫んでしまった。今すぐこの話は止めにしないと。黒縁さんもそう思ったのか、博士を掴み無理やりに地下鉄の中へ連れて行こうとする。が、雲長さんがそれを制した。
「薄々は気付いていた。我は機械仕掛けの敵と同類なのだろうとな」
雲長さんはいつから勘付いていたのだろうか。どうしてそんなに冷静でいられるの?
 博士は罵倒する。
「お前は英雄でもなんでもない。廃棄予定だった使えないゴミ、それがお前の真の姿だ」
周りで聞いていた人々は一斉にざわつく。
 機械だって。人間じゃないんだ。怖いね。俺等の敵だ。めいめいに好き勝手な事を囁き合っている。不安げな表情で見つめる者や、憎しみを込めて睨む者もいた。
「こいつ、覚えているぞ。俺の首を絞めてきた奴だ」
一人の男が叫ぶ。この人、前に私の鞄をひったくった犯人じゃないか。
「それはあなたが私の鞄を……」
「皆さん、こいつは俺を殺そうとしたんだ。あの女もグルだ。こいつらは殺人鬼だ」
 そうだそうだ。こいつらを追い出せ。彼のでまかせを、皆はすっかり信じてしまったようだ。「聞いてください!」黒縁さんが声を張り上げるが人々の耳には届かず、騒ぎがおさまる気配はない。
 そんな時、雲長さんに近づく二人の幼い兄弟がいた。兄は小学校低学年、弟は幼稚園生くらいか。弟の手には、今人気のヒーロー人形が握られている。
「このひとは、悪者をやっつけてくれたよ」
兄の方が人々にこう訴えた。周りの皆は押し黙る。
「おじさんは、ぼくたちのヒーローだよね?」
弟は人形を掲げながら雲長さんに尋ねた。
 雲長さんはぎこちなく微笑み、子ども達の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 雲長さんは突如顔を上げて、地平を睨んだ。どうしたんだろうか。
「敵だ。皆の者、地下へ戻れ」
彼の言葉に、人々は訝しげに辺りを見回す。
「何も居ないじゃないか」
「お前の言う事なんか聞くものか」
「黙れ!」
雲長さんの怒声が響いた時、遠くから蹄の音が聞こえてきた。
 音がする方に目を向けると、馬に乗ったアンドロイドがこちらに駆けてきた。その姿をみた皆は悲鳴をあげながら一目散に地下鉄へと逃げていった。
 アンドロイドは馬を止めると、こう言い放った。
『私は“I”。お前がプロトタイプ02か。私と勝負しろ』
あれがIなのか。一見すると人間と変わりない風貌をしている。雲長さんよりも大きくて強そう。威厳ある大将の風格を漂わせていた。
「二人を連れて地下に隠れていろ」
雲長さんは私に向かって指図すると、馬を呼んでそれに跨った。
「雲長さん」
私は不安に駆られて彼を呼ぶ。雲長さんは偃月刀を右手で強く握った。
「我は模像なれど、そなた達を護ってみせよう」
「模像なんかじゃない」
彼の背中に叫ぶ。
「あなたは英雄です」
例え本物の関羽でなくても。アンドロイドだとしても。
 雲長さんは小さく頷くと、青龍偃月刀をぶんと振り回して馬を走らせた。

********

 大人しく地下鉄で待つ時間は、永遠かのように思われた。
 私は先程の兄弟としばし話をしたり遊んだりした。二人は親とはぐれてしまったらしい。兄は幼い弟の為に気丈に振舞っていた。本当は不安と寂しさで一杯だろうに。
 二人と一緒に人形遊びをしていると、博士がやってきた。無表情で私達を見つめる。
「私は己の研究は人助けになると思っていた」
彼はおもむろに話しだした。
「万能の天才“I”が完成し量産に成功すれば、人類はその恩恵を受け更に豊かな生活を送る事が出来る。当時の私はそう信じて疑わなかった。だが政府は倫理違反であるとして、研究を認めてはくれなかった。人類を凌駕するアンドロイドの存在を恐れていたのだろう。私達は研究の内容を徹底的に隠さねばならなかった」
だから私を殺そうとしたり、雲長さんを廃棄しようとしたのか。
「それが、こんな事になろうとは」
博士は頭を抱えた。
「何故Iが殺戮を繰り返すのか。私には分からない。自我の目覚めが要因となっている事は確かだが。稀代の天才アンドロイドが考える事は、誰にも理解出来まい。
 君も気をつけるが良い。プロトタイプ02もいつか暴走する。君は彼に全幅の信頼を寄せているようだが、所詮は機械だ。そもそも、奴がIに勝てるとは思わん。ここで奴も我等も終わりだ」
私を殺そうとした人の話など、聞き入れられる訳もなく。私は彼を睨みつけると「お帰りください」とだけ言って、子ども達と人形遊びの続きをした。
 そんな時、黒縁さんが嬉々として走ってきた。
「Iが斃れた! 関将軍がやってくれたぞ」
 雲長さんは無事なの? 私は駆けだす。地上へと続く階段が、やけに長く感じる。一心不乱に階段を登りきると、遠くに雲長さんが立っているのが見えた。首を斬られて屍と化した雲長さんの馬が、戦いの凄惨さを物語っている。傍らの地面にはIが倒れていた。ウイルスの投入に成功したのだ。
 雲長さんは傷だらけだったけど、大事は無さそうだ。何よりその笑顔を見れて嬉しい。私は泣きそうになるのを堪えて笑い返した。これで終わったんだ。彼はもう戦わなくていい。きっと、平穏な日常が戻ってくる。
そう思っていた。

 見開かれたその瞳。崩れ落ちる彼の身体。一瞬、何が起こったのか分からなかった。
 雲長さんの背後に、消しごむさんが佇んでいた。彼女の手には配線の束。雲長さんの背中を突き破り、内部の配線を引き抜いたのだ。
 彼女の周りを光の粒が舞い上がる。蝶々の鱗粉のよう。
「どういうことなの?」
私の問いに、消しごむさんはにやりと笑った。
 私は知ってしまった。彼女、いや奴こそが、本物のIなんだ。

8. 名を呼ぶ声

「ずっと、あなた達を監視していた」
Iは地面に落ちていた注射器を踏み潰す。
「こんなもので私を殺すなど。愚かな人間め」
 最初から、勝敗は決まっていたんだ。奴は人間の女の子“消しごむさん”に化けて、わざと雲長さんに助けられた。避難場所に潜入すると、黒縁さんの計画を知って偽の“I”を雲長さんに討たせたのだ。雲長さんは偽物にウイルスを使い果たしてしまう。もう、Iを止める術はない。雲長さんも倒れ、望みは完全に絶たれてしまった。
「殺すんですか? 私達を一人残らず」
私が尋ねると、Iは無邪気に笑った。まるであどけない少女のようだ。
「恐れる事はない。あなたは私の一部となり永遠に生き続ける」
「そんなの嫌だ」
「どうして? 素晴らしい事なのに。戦争もない、病気や飢餓や老いに苦しむ事もない」
Iは次々と姿を変えていく。科学者、軍人、政治家、文豪、芸術家。教科書でしか見た事の無かった者たちが、Iによって目の前に蘇る。
「みんなひとつになれば、世界は平和になると思わない?」
消しごむさんの姿に戻ると、Iは楽しげに言った。
 奴は己のした虐殺を悪い事だとは思っていないんだ。むしろ良い事だと思っている。子どものように純粋な心の持ち主故に、奴は残忍な殺戮兵器と化したのだ。
「私が製造したドロイドをことごとく斬ったプロトタイプ02。性能は私には劣るが、破棄するのは惜しい。そうだ、良い事を思いついた」
奴が手に持つ配線は、突如粉々になり光の砂となる。その砂が掌の上で浮かび上がると、配線に繋がれた四角いチップが形作られていった。奴はしゃがむと、うつ伏せに倒れる雲長さんの背中に手を突っ込み、チップを埋め込んだ。
 むくりと、雲長さんが起き上がる。Iは一人の男性の姿に変わった。温和そうな笑顔に大きな耳。この人は。
「雲長、そなたの兄劉玄徳が命ずる。あの女を始末しろ」
劉備の姿になったIは雲長さんに命令した。雲長さんは虚ろな目で私を一瞥すると、地面に刺さっていた青龍偃月刀を引き抜いた。
 逃げようと思っても、恐怖で凍りついた足はびくとも動かない。彼がゆっくりと近づいてくる。瓦礫を踏みしめ、一歩、また一歩と。その間が、やけに長く感じた。
 彼はもう、私の知る雲長さんじゃない。彼はIによって操られている。今まで護ってくれたその手で、私は殺されるんだ。
「やめろ!」
駆けつけた黒縁さんが彼に掴みかかった。だがいとも容易く薙ぎ払われてしまう。黒縁さんは大きく吹っ飛び、地面に倒れた。
 雲長さんの瞳を見つめる。彼の澄んだ真っ直ぐな瞳が大好きだった。でも今は霧に覆われている。
 思い出されるは、一緒に過ごした日々。頑固だし、大きい図体が邪魔だし、いびきも煩くて、髭も鬱陶しかった。けど、一緒に居て楽しかった。
 彼を恨みはしない。むしろ感謝している。
 ありがとう。止めどなく溢れる涙をそのままに、そっと囁いた。
 頭上に偃月刀が振り上げられる。断頭台に上がった囚人のように、私は立膝をついて目を閉じる。これで終わりなんだ。

 キィン。青龍偃月刀が耳元で金切り声を上げた。私は死んだのだろう。痛みも苦しみも無いのは、意外とそんなものかもしれない。
 ふと目を開けた。待てよ、なんでまだ目が開けられるのだろう。気づけば耳の横に偃月刀がある。首を斬るすんでのところで止まっていた。私は生きているの? 不思議に思って目の前の雲長さんを見上げた。
 霧が晴れて澄み切った彼の瞳に映るは、左腕に付けられた翡翠のブレスレット。彼は私から偃月刀を離し、それをじっと見つめる。
「我は何て事を」
もとの雲長さんに戻ったんだ。彼は悲しげに私を見つめる。
「死んでも、貴様に屈しはせぬ」
雲長さんは怒りに眉を吊り上げながら、Iに向き直った。
「何故だ。プログラムは全て書き換えてやったのに」
Iは不思議そうに首を捻る。
「兄者の姿を借りて傍若無人を働く貴様を許してはおけぬ。この関雲長が、成敗してくれよう」
青龍偃月刀を構え直し、雲長さんは奴に襲いかかった。
 Iは舌打ちすると、手に持っていた双剣で偃月刀を受け止める。雲長さんの一撃は重く、奴の足が地面にめり込んだ。
 奴は雲長さんの猛攻を避けると間合いを取る。瞬間、その姿が変わった。大きな体に、あの武器は確か方天画戟。もしやあれは天下無敵の呂布ではないか。雲長さんは顔を顰めるも、怯まず奴に斬りかかった。
 刃を打ちつけ合う音が響く。切っ先から今にも火花が飛び出しそうだ。Iの鋭い突きをすんででかわした雲長さんが、今度は偃月刀を振り上げる。だがIはそれを受け止め、すかさず雲長さんの脇腹を突く。雲長さんは後ろに退いた。脇腹を抑え苦しげに息を吐く雲長さんだが、すぐさま偃月刀を構え直すとIを睨んで斬りかかった。
 雲長さんの渾身の一撃で、Iの腕が斬り落とされた。しかしIは痛がりもせずニヤリと笑う。するとたちまちに光の砂が奴の周りを舞い、腕が元に戻った。
 私は愕然としてその様子を見つめた。戦っても無駄だ。Iを倒す事は出来ない。それでも雲長さんは戦いを止めない。勝てる訳がないと分かっている筈なのに。
 英雄の背中が語る。それでも退かぬと。私達を最期まで護ると。

 気づけば恐怖で動けなかった体が動くようになっていた。私はすぐさま黒縁さんの元に駆け寄る。黒縁さんは気絶しているだけのようだ。私達が此処に居ては雲長さんの邪魔になるだけ。地下に逃げよう。黒縁さんを引きずって、私は地下への階段を目指した。
 その時だった。鈍い音がしてはっと顔を上げると、方天画戟が雲長さんの胸を貫いていた。雲長さんはがくりと膝をついて腕を下ろし、青龍偃月刀を地面に落とした。
「プロトタイプ02よ、所詮お前は私の劣化版に過ぎん」
Iは足蹴りで雲長さんの体から方天画戟を引き抜く。そして奴は呂布から劉備の姿に変わった。
「プログラムに背く不良品が。処分してやろう」
そう言い放つと、奴は雲長さんにとどめを刺すべく剣を振り上げた。
 私は咄嗟に奴の方へと駆けていた。
「駄目!」
叫びながら、奴の腕を必死に抑えた。捻り潰されるだけだとは分かっている。それでも、あらがってみたかった。諦めず戦ってくれた雲長さんのように。
 Iは鬱陶しそうに私を振り払った。勢いで飛ばされ、背中をコンクリートに強く打ち付ける。痛みが稲妻のように全身を駆け巡った。喉が詰まって呼吸が出来ない。そんな私の喉元に、奴は剣を突きつけた。
「さようなら、私の友達」
穏やかな微笑みを向けて、Iは別れの挨拶を言い放った。

 突然、Iの動きが止まった。目を見開いたまま剣を手放す。双剣は音を立てて地面に横たわった。見ると、Iの背後に雲長さんが立っていた。何か小さなものを奴の背中に刺したみたいだ。
「何故だ」
Iは恨めしげに吐き捨てた。その手先から光の粒がポロポロと落ちていく。編み物を解いていくように、どんどんと奴の身体は崩れて光の砂になっていった。
 奴は消しごむさんの姿に戻り、泣きそうな顔で私を見下ろした。何か言いたげだったが、口をぱくぱくさせるだけで声になっていない。手の無くなった腕を、必死に私の方へ伸ばしてきた。
 私に触れる前に、Iは完全に崩れて消えてしまった。地面に落ちた光の粒は風によってふわりと舞い上がり、遠く空の向こうへと飛び去っていった。
 雲長さんは手に持っていた小さな針を捨てると、地に膝をついて私を抱き上げた。私はぼんやりと彼を見上げる。その顔は逆光でよく見えない。
 次第に遠のく意識の中で、彼が私の名前を呼んでいるのが聞こえた。そういえば、名前で呼ばれた事なんて今まで無かったなあ。そんな事を考えながら、私は意識を手放した。

9. 悲しき再会

 目が覚めると、私は病院に居た。雲長さんの姿はない。痛みの走る腰を庇いながら、私はベッドから這い上がり病室を離れた。廊下は沢山の患者でごった返していて、看護婦や医師が慌ただしく走り回っている。
 ロビーに出ると、人々がテレビの前に群がっていた。人々の間からテレビを覗くと、見覚えのある人物が画面に映っている。Iをつくった博士だ。彼の実名が容疑者というかたちで晒されていた。
『容疑を認めており……』
アナウンサーが淡々と原稿を読み上げている。
 ニュースによると、博士の他に研究チームのメンバーも逮捕されたらしい。でも逮捕されたメンバーの写真の中に黒縁さんの姿は無かった。
「にしても、なんで一昨日にロボットが突然止まったんだろうな?」
隣りにいた人達の会話が聞こえる。
「充電切れかな?」
「そんな馬鹿な。噂じゃあ、親玉をある男が仕留めたそうだよ」
「でもそれってただのネットの噂だろう? あてにならないよ」
噂の人物は、雲長さんに違いない。Iを倒したから他のロボットも一斉に停止したんだ。
 ニュースは次に、生き残った人々の証言を取り上げた。
『ヒーローが、僕達を助けてくれたんだ』
二人の幼い兄弟が画面に映った。地下鉄に一緒に避難していた、あの兄弟だ。二人は両親に抱きかかえられて、インタビューに答えていた。よかった、無事にお父さんとお母さんに再会出来たんだ。
『おヒゲのながいおじさん。つよいんだよ。おじさんが、わるいやつをやっつけてくれた』
弟が笑顔で答えている。肌身離さず持ち歩いていたヒーロー人形も、しっかりとテレビに映っていた。
 私は病院のロビーにあった電話で、実家に連絡をとる事にした。財布に十円玉があってよかった。何回かけても上手くつながらない。十回程かけてやっとつながった。電話には母親が出てくれた。元気そうな声を聞いて、涙が堰を切ったように流れ落ちる。家族は全員無事らしい。私の怪我が治ったらすぐ実家に戻ってくるようにと言われた。
「ごめん。私、探さなきゃいけない人が居るんだ。また帰る時に連絡するから、安心して」
私はそう断って電話を切った。

 強いショックにより長く気を失っていたものの、幸い怪我は大した事はなく骨折もしていなかったので、私は数日後に退院してアパートに帰った。退院した際の荷物は、持ち歩いていたバッグと雲長さんの上着のみ。世間は未だ混乱の最中であったが、少しずつ日常を取り戻しつつあった。大学の友達とも連絡が取れて一安心の私は、アパートへと戻る。久しぶりに帰った部屋は、がらんと寂しげだった。そこに雲長さんの姿はない。
 それから私は雲長さんを探すため、まず黒縁さんについて調べた。逮捕された博士はある名門大学の教授を務めていた。とすると、黒縁さんはその大学の学生では無いだろうか。予想は当たっていた。大学に行って聞き込みをすると、黒縁さんを知る学生に出会う事が出来た。その人の話によると、彼はこの大学の大学院生で、近くのアパートに住んでいるらしい。
 教えてもらった住所を頼りに、私は黒縁さんのアパートを訪ねた。こんな古びたアパートに彼は居るのだろうか。恐る恐るドアをノックする。
 ドアを開けて出てきた黒縁さんは、びっくりしたように私をまじまじと見つめる。
「驚いたよ、君が来るなんて。さあ、入って」
中に入ると、畳に敷かれた布団に雲長さんが横たわっていた。
「雲長さん!」
駆け寄って彼の顔を覗き込む。眠っていた雲長さんは私の声に薄目を開けた。
「大事は無いか? 親には会えたか?」
力無く笑いながら尋ねる雲長さんに、私は泣きそうになるのを堪えて何度も頷いた。
「私は大丈夫です。家族にも連絡がとれました」
「ならば良かった。これで思い残す事は無い」
どういう事? 訝しむ私を見て、黒縁さんが声をかけた。
「ちょっと、いいかな」
彼の後について外に出る。私は聞きたい事がたくさんあって、黒縁さんにこう尋ねた。
「一体、どうなっているんですか? どうして私は病院にいたの?」
黒縁さんは大きなため息をついて話しだした。
「あの後意識を取り戻した僕は、君を病院へと連れて行くようひとに頼み、此処に戻って02を匿った。僕は逮捕を恐れたが、結局お咎めなしになった。博士がうまく庇ってくれたようだ。
 02は見事にやってくれたよ。僕はIが計画を嗅ぎつけるだろうと踏んで、ダミーのウイルスをわざと02に渡した。君も見たあの注射器の中身はただの液体だ。そして彼にもうひとつ、あるキーを渡した。それこそがウイルスが組み込まれた本物。しかし僕は漏洩を恐れて何も言わずにこっそりと渡した。関将軍の思考を受け継ぐ02ならば、その意図を理解してくれると信じてね」
彼がポケットから取り出したのは、小さな針。雲長さんがIの背中に刺したものだ。
「02は偽のIに気づいたのか、偽物を討った後わざと注射器を使ったように見せかけたようだ。Iはそれに騙されて、もう己を壊すウイルスは存在しないと思い込んだ。その隙を02は突いた」
彼は困ったように頭を掻く。
「Iに02をハッキングされた時は正直もう終わりかと思ったよ。だけど奇跡が起こった。02がプログラムに背いたんだ。これは本来あり得ない事だよ。彼は己の意思だけで、僕達を、そして君を護ってくれた。身を挺してね……」
次の言葉を紡ぐのを躊躇う彼だったが、大きく息を吸い込むと話を続けた。
「その、心して聞いてほしい。Iとの戦いで、02の胸元のエンジンが大きく破損してしまって。修復しようとしたけど、駄目だった。彼に残された時間は、もうあまり無い」
「そんな」
立ち眩みがして額に手を当てる。嘘だ。信じたく無い。私はその場に座り込む。
「本当は君に此処を教えようとしたんだ。だけど02は君とは会わないと言って。弱って朽ちていく姿を見せたくはなかったんだろう。君が悲しむのは知っていたから」
黒縁さんはそう言いながら、私の背中をそっとさすった。
「だから君は彼に最後のお別れをして、今すぐ家に帰るんだ。それが、お互いの為だよ」
「いいえ。私まだ、約束を果たしていない」
私は起き上がって黒縁さんを睨んだ。まだお別れする訳にはいかない。
 彼と指切りをして交わした約束。叶えなければ、彼の願いを。
「中国へ行きたいんです。劉備さんのお墓に」

10. 帰り道

 世界中が混乱の渦に巻き込まれて間も無い現在、海外への渡航には規制がかかっていた。そもそもアンドロイドの雲長さんはパスポートを持つ事が出来ない。中国へ渡る事は不可能に思えた。
 だけど知り合いのツテを使って、何とか中国へと渡る手筈が整った。どんな方法を使ったかは知らないけど、黒縁さんが雲長さんのパスポートを用意してくれた。内緒だよって言っていたから、きっと正規の方法じゃないんだろう。
 一ヶ月後、私と黒縁さんと雲長さんは日本を後にした。雲長さんの体調は思わしくなく、私や黒縁さんに支えられてやっと歩けるといった具合だった。だが義兄のお墓参りが出来ると知って少し元気が戻ったようだ。
「ああ、やっと兄者の元に帰る事が出来る」
飛行機に乗った雲長さんは嬉しげに目を細めていた。

 中国四川省成都にある、劉備を祀った場所「漢昭烈廟(かんしょうれつびょう)」。そこに劉備が埋葬された墓「恵陵(けいりょう)」がある。諸葛亮(しょかつりょう)を祀る「武侯祠(ぶこうし)」等も併設されている。今では武侯祠の方が有名なようだ。
 此処には劉備や諸葛亮だけでなく、多くの蜀将の像が祀られている。門をくぐると彼等の像がガラス越しにずらりと並んでいた。雲長さんはしゃんと胸を張ると、私達の手を放し自分の足で像を見て回った。
 もちろん、関羽の像もある。脇に立て掛けられた青龍偃月刀に、黒縁さんが首を傾げた。
「これ、あの時の偃月刀じゃないか? なんでこんなところにあるんだろう」
言われてみれば、雲長さんが使っていた青龍偃月刀そっくりだ。
「知り合いに此処の写真をみせてもらった事があるけど、写真に写っていたものとは違うよ」
いやいや、いくらなんでも青龍偃月刀が日本から成都まで飛んできたなんて考えられない。私は冗談でしょうと笑い飛ばそうとしたが、偃月刀の刃に刻まれた真新しい傷を見つけて口を噤んだ。
 雲長さんは関羽像の前で静かに拱手した。
「我は貴方に、少しでも近づけたでしょうか」
像を見上げる彼の横顔が悲しげに見えて、私は思わず彼に歩み寄りその手を握った。雲長さんは少し驚いて、そして微笑んだ。
「だがこれだけは自信を持って言える。護りたい者の為に戦う時。誰もが英雄になれるのだと」

 彼は次に、張飛像の前に立った。
「例え偽の記憶でも、お前と生きた数十年は我が魂に刻まれている。なあ、翼徳。もうすぐ我も天に帰る。向こうで再び会えるのなら、共に酒を酌み交わしてはくれないか」
雲長さんはそう言って名残惜しそうに張飛像から離れると、劉備像の前に向かい、地面に跪いた。地に伏せて厚く礼を拝す彼を、私達は後ろで静かに見守っていた。
 武侯祠ではかの有名な軍師、諸葛亮―字は孔明―の像が鎮座していた。劉備達が死んだ後も国を守り忠義を尽くした諸葛亮に、雲長さんは感謝の意を込めて厚く礼した。
 いよいよ劉備の墓、恵陵へと向かう。その道中、黒縁さんは突如立ち止まった。
「僕は此処で待っているよ」
彼はそっと私に耳打ちした。
「二人で行っておいで。そして、お別れの言葉を交わしたらいい。多分、英雄の物語はもうエピローグに入ってしまっただろうから」
「でも、雲長さんは此処に来てとても元気になりました。このまま調子が戻るかもしれません」
黒縁さんは静かに首を横に振った。
「僕は思うんだ。あのアンドロイドには、本当の神様が宿っているんじゃないかって。じゃなきゃ、プログラムを無視した事実に説明がつかない。
 関将軍は僕達を助ける為にプロトタイプ02という器に宿り、地上に降り立ったんじゃないかな。そして使命を果たした今、将軍は天に帰らなければならない」
 小さい頃見ていたヒーロー番組も、最終回にはヒーローが宇宙の彼方にある故郷の星へと帰っていった。雲長さんも、遠くへ帰っていってしまうというの?
 最初に指きりをした時、約束をしたんだった。彼が元いた所に帰る道を探すって。雲長さんは望み通り帰り道を見つけたんだ。私に出来る事は、ただ見送る事だけ。

 恵陵へと続く小道は、両脇を赤い垣と天高く伸びる竹やぶに囲まれていた。陽の光を受けて、竹が緑鮮やかに揺れている。この道の先に、劉備のお墓があるんだ。
 ゆっくりと歩きながら、雲長さんはふと口を開いた。
「道を違えなかったのは、貴女が居たからだ」
「改まってどうしたんですか」
「礼を言う」
雲長さんは立ち止まり、私に向き直ると重々しく拱手した。
「やめてください。私はなにもしていないです。これは、あなたが得た勝利ですから」
雲長さんは首を横に振る。
「否、此度の勝利は。貴女の、そして名も無き民達の勝利だ」
 全てを悟ったかのようなあなたの瞳が眩しくて。まるで闇を導く明星のよう。この人は、手の届かない雲の上の人なのだと思い知らされる。
 ああ駄目だ。今にも目から涙が溢れ落ちそうになる。
「墓前には、我だけで参らせてはくれないか」
「分かりました。私は此処で待っています」
彼の満ち足りた表情を見ていると益々悲しくなって、私は耐えきれず俯いた。
「お墓参りが終わったら、成都の美味しい料理を食べに行きましょう。四川料理だっけ、私辛いのは苦手なんだけど頑張って食べてみようかな」
他愛もない話をしようとしても、声が震えてしまう。叶う事はない話だと、分かっていたから。
 ぽた、ぽた。地面に涙の雫が落ちた。丸い染みがまたひとつ、ふたつと出来ていく。雲長さんは羽織っていたジャケットを、私の肩にかけた。これは私が病院から持ち帰り、彼に返したジャケットなのに。
「貴女を護ると約束したろう。助けが必要な時は、いつでも駆けつけよう。ずっと、見護っている」
「また会えますか?」
涙でグシャグシャの顔になりながら、私は彼を見上げた。
 雲長さんはゆっくりと頷き、小指を立てた。そして、三度目の指きりをする。彼が約束を違えた事はない。だからきっと、また会える。
 彼は私に背を向けると、小道の先に待つ墓に拱手した。
「兄者、今参ります」
そう言い放って歩いていく堂々たる姿を、私は涙で滲む目に焼き付けた。

 長い間、私はその場に立ち尽くして泣いていた。道行く人は泣く女にびっくりして声をかけてくる。中国語が分からない私はなんて声をかけられたか分からないまま「ノープロブレム」なんて片言の英語を使って答えた。通行人は話が通じない事に気づくと、諦めて通り過ぎていった。
 ざわり。突如竹が風に揺れて囁き合った。胸騒ぎがして、目を見開く。私は走り出した。長く続く道を一心不乱に。
 辿り着いたのは、ある石碑の前。「漢昭烈皇帝之」と書いてある。その裏に小さな山があった。此処が劉備の墓だ。
「雲長さん!」
彼の名前を呼ぶが、その姿は何処にもない。小山の周りをぐるりと回ってみても、彼は居ない。
 何かが足にこつりと当たって、私は下を向く。そこには、雲長さんが付けていた翡翠のブレスレットが落ちていた。ブレスレットは切れていて、翡翠の玉が幾つか散らばっている。私はしゃがんで、それらを拾い上げた。
 強い風が吹いて、私は髪を靡かせながら立ち上がる。揺れる木々を眺めて穏やかに微笑んだ。

 彼は帰ったんだ。遠い彼方へ。義兄弟達の元へ。

 私は忘れない。
 英雄が、世界を救った事を。

英雄のイデア

関羽が巨大ヒーローになって悪の宇宙人と戦う特撮映画があるのですが、そこから着想を得てこの話を書きました。7の数字が付く某巨大ヒーローらしき記述を入れたのはその為です。
タイトルはプラトンのイデア論からとりました。「雲長さん」は主人公にとっての「英雄のイデア」であったと思っています。

※史実の人物とは一切関係ありません。

英雄のイデア

三国志の英雄関羽で、現代ものSFパロディみたいなものを書いてしまいました。 英雄を現在に蘇らせてみたいと思いました。 ※注意※「私」は女子大生。語り部としての役割で、恋愛描写はありませんが、彼女と関羽との交流は描かれています。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-28

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. 1. 肉まんの恩義
  2. 2. 指きり
  3. 3. 狙われた二人
  4. 4. 宝刀
  5. 5. I
  6. 6. ドッペルゲンガー
  7. 7. ガラクタの最期
  8. 8. 名を呼ぶ声
  9. 9. 悲しき再会
  10. 10. 帰り道