月盃

月盃

 夜の帳の下で、関羽はくいと酒を呑む。目尻に皺をつくりながら、穏やかに微笑んでいた。
 月明かりが照らす庭園に座して、彼と共に酒を呑み交わすは徐晃と張遼。曹操のもとに降った関羽は、同じ境遇の彼等と意気投合し、友誼を結んだ。
「関将軍、此処には慣れましたかな?」
張遼がおもむろに尋ねる。関羽は寂しげに視線を落とした。
「曹公は我によくしてくださる。それは有り難いのだが、我は此処に長く留まる訳にはいきませぬ」
「何が不満ですかな?」
徐晃は苛立たしげに彼を睨む。
「厚く礼遇され、こうして友にも恵まれた。これ以上何を求めるのですか」
「我が主には深い恩誼があり、共に死のうとも誓った仲。従って、我が義は此処には無い」
その物言いに徐晃は怒って立ち上がったが、関羽の表情を見て、罵声をごくりと飲み込んだ。
「厠に行ってくる」
徐晃はぶっきらぼうに告げると、のそのそと歩いていってしまった。その姿に、張遼は苦笑を洩らした。
「彼は友として、あなたを心配しているのです。分かってやってください」
「もし先の主人が生きていたとするならば、どちらのもとに帰られますか?」
関羽は背を丸めて張遼に尋ねた。盃に注がれた酒越しに、月が嘲笑った。

 そうだろう。滑稽であろう。生死も分からぬ主人を、思いながら泣く姿は。

「難しい質問ですな」
張遼はしばし悩んだ。
「私には分かりません。しかし、これも天意だと、変化を受け入れるべき時もあるのでは無いでしょうか」
言うだけなら簡単だ。それが出来たら、どんなに楽だろう。
「我が、天意を甘んじて受け入れるように見えますかな?」
「いいえ」
張遼は首を横に振った。

 張遼の見上げる月は、泣いているように見えた。


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 寒い日であった。どんよりと厚い雲が、空を覆う。
 徐晃は城壁の上に、じっと佇んでいた。
「こんな処に居ましたか」
背後から、張遼が声を掛けた。
「早く行かねば」
「しばらく、独りにさせてください」
徐晃は真っ直ぐ前を見据え、微動だにしなかった。
「弔いは、無用と?」
「ああ」
彼は静かに頷いた。
「彼奴は、我等の脅威だった。仲間の仇だった」
「確かに」
「さんざんに打ち負かしてやった。せいせいしました」
「そうですな。では、その涙は何かな?」
張遼が尋ねると、徐晃は頰に垂れる涙をぬぐった。
「風に混じった砂で、目を傷めてしまいましてな」
「お気をつけ下され」
張遼は彼の横に立ち、地平を見つめた。
「主の御命令です。本日だけは、関将軍の為に悲しみ、哭し、厚く弔ってやれと」
「命令とあらば、背く訳にはいきませんな」
徐晃は渋々歩き出した。その後を、張遼は静かについていく。

「彼は憎き敵でした」
「ええ」
「しかし、友でもありました」
「そうですな」
相槌を打ちながら、張遼は徐晃の震えるこぶしを見つめた。
「今宵は三人で、昔のように呑み交わしますか」
張遼の提案に、徐晃は頷いてこう言った。
「月は、見えますかな」

 気高く生きた漢を、敬愛すべき友を。
 今宵だけは、偲んでいよう。
 二人はそう誓った。

月盃

※歴史を考察する目的で作られた話ではありません。
 史実の人物とは一切関係ありません。

月盃

関羽と張遼と徐晃の話。 彼等の友情について、勝手に妄想してみました。

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-20

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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