再会

昔書いてた話の再編集

いち。

「あぁやっと見つけた」

その言葉は、自身の通っている高校から帰路につき始めてすぐのことで、学校の敷地から出て数歩のところで、僕の耳に入ったものだった。
最初、その声は聞き覚えが無いように思え、僕に向かってかけられたものだとは思わなかった。が、もし自分であったなら、知り合いが声をかけてくれたなら、振り向かねば失礼であろうと、反射的に横を向いた。

彼女は、いた。
憎らしいほどに見覚えのある、白い肌も、漆黒の髪も、まるで消えてしまいそうな出で立ちも全て昔のまま、彼女はいた。


「久しぶりね。私のこと覚えているかしら」

忘れるわけがない、と唇は動く。しかし、声にはならずに空気の音だけが微かに、ひゅう、と鳴っただけで。
それでも伝わったのか、彼女はにっこり笑った。

「覚えてて、くれたのね。私のことも、妹のことも」

自分で鍵をかけ、二度と見つからないようにしていた記憶が、腹の奥からぬるりと上がってくるような、異常な吐き気。言ってはいけないことも、思い出してはいけない記憶も、全部全部全部。
いつの間にか握りしめていた両手に食い込んだ爪の痛さに、今更気がついた。赤く、鈍痛共に掌に残る痕が、また胃をひっくり返す。この色も、僕は知っている。

「どうして」

今更、と、声は続かなかった。ぐるぐるとした思考はだんだん考えるのを止めたように白濁とし、猛烈な吐き気と合わさって最早自分が地面に立てているかさえも分からないほどに、混乱していた。息が出来ないような錯覚に陥る。沢山の感情がミキサーにかけられたように混ぜられて、今にも口からでそうな。
それに、僕には今更だなんて言う権利は無かったのだ。


目の前に立つ、希薄で、美しい彼女の名は、泉 加代(いずみ かよ)
そしてその妹の泉 千代(いずみ ちよ)を殺したのは、他でもない僕自身なのだから。

に。

愛し方は人それぞれ。キスで表現する人もいれば、文章にしたり音楽にしたりと、創作する人もいる。
僕はただ、生死を決めることが僕なりの愛情表現だったんだ。

汗が不快だったから、夏だったのだと思う。どうだろうな、夏の終わりだったかもしれない。僕は千代を殺した。
やけにあっさりと、彼女は死んだ。人はもう少しもがき苦しむものなのだと勝手に思っていたせいか、死ぬその瞬間も、死んだあとも、ほぼ感情は動かなかったのだ。
ただひとつ浮かんだのは、安堵。あぁ、これで彼女は僕だけのものになったのだという、その安心感だけが、僕に広がった。


加代と千代は所謂僕の幼馴染というやつで、赤ん坊の頃からずっと一緒にいた。一卵性の双子な二人は見分けがつかないほど似ており、僕も初めは見分けがつかなかった。二人は性格もよく似ており、大人しくマイペースに生きていた。ただ、姉の加代は多少リーダー気質があり、妹の千代は人を思いやる受け身の姿勢と言うところ、加代は僕をゆうちゃんと呼び、千代はゆうくんと呼ぶところが違っていて、やがて僕は成長する過程で、優しく思いやりのある、すぐに髪を撫でる癖のある千代を好きになって。


「千代、好きだよ」

僕はあの日、千代に告白した。泉家にお邪魔した僕は冷房もない小さな和室で、千代と対峙した。

「私も好きだよ」

千代は言葉の重みを知っていた。以前話した事があったから、僕の愛し方を分かっていた。だからこそ、千代はこう続けたのだろう。

「でもね、私には殺せない。だから、ゆうくんが私を」

そしてひとつにしてね、と希薄な笑みを浮かべた。
焼きつくような夕焼けが、その笑みの影をほんの少しだけ濃くして。


頷いて、その柔肌に触れた。
細く生白い首は、ぐぅ、と音を立て少しだけ反った。力を込めるたび赤い痕が、どす黒く変わって、それで。
涎を垂らしながら、痙攣しながら、千代は最後まで脳裏に僕を焼きつかせて逝った。
これが僕の、僕達の愛し方だった。

さん。

そこからの僕は、冷静だったと思う。
千代の体液が溢れていれば、それを拭き取り、用意してあった大きなビニールに千代を包んで、その部屋の押し入れに突っ込んだ。
そして、夜まで待って、加代と千代の両親に挨拶して、昔となんら変わらず僕は泉家に泊まった。千代を殺した小さな和室に布団をひいて。
まるで、普通だった。千代が帰ってこないという加代に、千代は友達のところに遊びに行ったのだと宥めることも、二人の両親に笑顔で泊まらせてもらうお礼をいうのも、なにも引っかかりがないように振る舞い、寝静まったころに動く。

千代を抱えて、学校まで歩いた。その近くの裏山に千代を置いて、僕は。


あれは、何とも官能的な行為だったと思う。全てを僕のものにするその行為は、美しいものであると共に酷くおぞましい行為で。
えも言われぬような怖気と痺れが背中を駆け巡り、叫び出したい衝動を抑えるのが精一杯で、手の震えを隠せないまま、僕は、千代を。



僕は千代を食べた。頭も手も足も爪も眼球も胃も、皮一つ髪の毛ひとつ残さず僕は自分の胃に千代を入れたのだ。
あぁ! 千代が僕とひとつになることを望み、僕はそれを叶えられた!
これほど嬉しいことはない。これほど楽しいことはない。
吐き気と胃の限界を超えても尚、僕は口に千代を含み続けた。神経を噛み切るぷちぷちとした感触も、骨を無理に砕く時の発狂しそうな快感も、全部僕だけの千代!
ビニールに溜まった血も全て啜った。それだって千代を構成したひとつなのだから当然のことだ。愛しい千代を食べる行為が、その行為をしている自分が、この空間が全て愛おしくて、この衝動に突き動かされたまま死んでいけたらと、幾度考えたか!


だけど、駄目なのだ。
僕は愛しい君に殺されたかった。それ以外の人に殺されるなんて、絶望以外の何物でもない。千代にだけだったのだから。
だから僕は、誰にも殺されぬまま、自分を殺すこともなく、おめおめと生きつづけている。


そして僕はこの出来事に鍵をかけた。
僕だけの千代にするために。僕が生きていく理由にするために。
僕だけが覚えている。僕だけの。


千代は行方不明として警察に処理された。
彼女のその後は、誰も知らない。

よん。

目の前の大人になった加代。だが、出で立ちは昔と変わらず、何もかも似ている。
僕は抑えきれない吐き気と、寒気と、眩暈に、ひ。と声を漏らす。
それを見て加代が微笑む。

「久しぶりね」

僕は笑っていた。口角が上がっているのは分かっていたが、声にまでなるなんて。
だってこの感覚は、気分は僕の愛そのもので。この吐き気は千代を食べた時の。この寒気は千代の首を絞めた時の。全部まだ、いやこれからもずっと愛おしい。加代の顔を見て湧き上がるのは狂おしいほどの愛情。あぁ千代、君は此処に、僕の中に。

白いワンピースを着た加代は、僕に微笑んだまま言う。

「あのね、私、貴方を殺しに来たの」

「久しぶりに会ったっていうのに散々な言い草だな」

「今度こそ願いを叶えに来たの」


一瞬頭に浮かぶ疑問。加代に何か頼んだ事があったっけ。そもそも加代と会うのはもう3年ぶり程で、最後に別れた時になにか話したか記憶も曖昧なほどなのに。
しかし、次の一言で吐き気や、いや全ての感情という類のものが全て消し飛んだ。


「忘れたわけじゃないよね、ゆうくん?(・・・・・)


喉がぐぅ、と締まる。手汗が滲む。
どういうことか、一切の理解が。
ゆうくんと呼ぶのは千代だけで、加代は、かよは。千代は!

「加代、千代の真似は」

「私、加代って言ったっけ?」

「千代……?」


そうだよ、と笑う目の前の女に、猛烈な恐怖が沸き起こってきた。
千代は確かに僕が殺した!
だがそれを知ってるのは、僕だけで、僕しか!

「い、今まで何処に行ってたんだよ……!」

もし目の前にいるのが加代で、僕を試しているという可能性が逡巡し、行方不明という風になっている体裁をぎりぎりのところで捻り出した。その結果出た言葉はありきたりなものだったが、それにさえ目の前の女は笑った。

「何言ってるの、ゆうくん。置いていったのはゆうくんじゃない」

「置いて……」

「そう、置いて。高校卒業する時には一緒になろうねって言ってたのに、ゆうくんだけ先走っちゃって。ずるいなぁもう」

そう囁くように言う女は、髪を、あの時と同じように撫でる。
どういうことだ。これは幽霊か何かか?だって千代は、もうこの世に。僕が、手を。

「私だってね、ゆうくんが好きだよ。だから同じ愛し方したかった。でもね、足りないと思ったの。死ぬ間際にね、目に焼き付けるぐらいじゃ足りない。もっと心の奥深くまで私を刻めたらいいなって。ゆうくんが刻まれればいいのにって、ずっと思ってたの」

「なにを、言って」

「だからね、教えてあげる」


最早、混乱の極みに達し、恐怖が喉元をせり上がり、身体が勝手に後ずさりを始めた僕に、ふわ、と近寄り女は、千代は、呟く。



「ゆうくんがあの日、殺したのは加代」

ご。

声にもならない空気音が、僕から漏れる。
加代……?まさか、あの時僕が全ての愛情を込めて殺して食べたのが加代?
ゆうくんと呼んで涙を滲ませて、涎を垂らしながら死んだのは、僕が殺したのは。

「加代もね」

そう切り出した女、いや、千代の言葉で意識が覚醒した。我に返り怖々と千代の目を見る。

「加代もね、好きだったんだって。ゆうくんのこと。でも、加代も気づいてた。ゆうくんは千代が好きなんだって。だから、あの日私は加代のわがままを聞いてあげたの」

「わが、まま」

「そう、私が加代のふりを。加代が私のふりを。ねぇ、知ってたよお父さんもお母さんも、ゆうくんでさえ、私達の見分けは癖でしかついてないってこと。私達の違いが分からないこと。だからね、殺したじゃない加代のこと」

くつくつ、と笑う。本当に心底楽しそうに。
まるで、あの日の僕みたいに。

「あの時、私押入れにいたんだよ?加代の死体を入れた反対側の。あぁ綺麗だったよゆうくん。私への愛情をあんな風に表現してくれてたんだよね。私のことあんなに好きでいてくれたから、食べてくれたんだよね」

どこまで、知っているのか。いやそんなことはいい。つまり僕の目の前にいるのは愛おしい千代で、お腹に入ったのは、加代。僕が殺したのは、食べたのは。



「う……!」

一気に胃の中のものが逆流して、喉を駆け上がり、耐え切れなかった唇が開き、吐瀉物を撒き散らした。ここが路上であるということなどどうでもいい。
僕が愛おしく感じてしまってきた記憶も、身体も、その全てが、ひいては僕自身でさえ今この瞬間に否定されたのだ!
僕は好きな人の前で愛情をあんな風に、人に、加代に!
今更吐き出したところでもう加代は吸収されているというのに、自分自身が酷く穢れたものにしか見えず、感じず、今すぐ死んでしまいたい、いいやそれさえも許されないような。身体中にありとあらゆる虫が這いつくばって蠢いているように錯覚さえ覚える嫌悪感だけが、ただ浮かぶ。


「そうなの。その顔が見たかったのゆうくん! ねえ、ゆうくん今最悪でしょう。だって君が愛したのは加代だったのだから! あぁ最高の気分よ……これで私がより刻みやすくなったでしょう?」

屈託なく笑う千代。その顔は自分にも、僕への愛情にも陶酔していて、この上なく綺麗だった。


「今度はね、私の番」

千代の持っていたハンドバッグから、ぬらりとその刃が現れる。普段それは凶器になどならない、二枚の鈍色の刃。
しょき、と夕焼けに揺れた。

「喜んで、ゆうくん。千代がゆうくん殺してあげるよ。ずっと、その顔が見たくて、加代よりもゆうくんに刻みつけたくて、待ってたの。ね、そのあと千代が死んで一緒になろう?今度こそ」

初めてそこで、千代の笑顔が泣きそうなものだと気付いた。鋏を持つその手が微かに震えていた。燃えるような夕焼けの中、血を吐くような、酷く重い叫びが響く。


「だからね、だから……千代を愛して…………っ!」


今度も、喉からひゅう、と音がなった。
だけどそれは呼吸音ではなく、喉に空いた風穴から。
猛烈な痛みと吐き気が身体を突き抜ける。千代が震える手を動かすたびに、喉が恐ろしいほど抉られていく。だけど、その痛みは。


「ち、よ」

声になってはいなかったかもしれない。だけど、それで千代は顔を上げた。

「あいし、て」

「加代よりも愛してくれる? 千代のこと、本当に愛してくれる?」


震える声で尋ねる千代に、僕は精一杯の体力を使って、笑う。
もう言葉は出ない。唇を動かしても、空気の通る音しかない。
それでも、僕は、千代を。
そんな僕に、本当に優しく千代は笑いかけた。
そして、さっきと同じように耳元に寄り、僕に言葉を伝える。


もう一度、顔を見た。
彼女のその笑顔が僕の最後の記憶だった。

ろく。

今更、周りの喧騒や、悲鳴が耳に入った。
あぁ、楽しかった。最後に伝えられて良かった。

耳障りなその雑音の中、私は女の子座りの体制から正座に変えて、何もなかったかのように、まるでそれが当たり前だとでも言うように、ゆうくんこと、萩坂 悠人(はぎさか ゆうと)の死体を鋏で出来る範囲で解体し始めた。そしてそれを、口に。



馬鹿な男。馬鹿だ。全てが嘘だと言うのに。
私は加代なのに。(・・・・・・・・)

それを思うたび、くつくつ、と笑いがまた漏れる。
最後に本当は加代だよと伝えた時のあの顔。
あぁ本当に愉快だったなぁ。
悠人が私達を見分けられていないのは本当だった。だからこうして千代の真似をしたのだ。

確かにあの時、千代を殺したのは悠人で、千代を食べたのも悠人。悠人は千代が好きだったし、千代は悠人が好きだった。


それが何より許せなかった。
私の千代を愛すことさえ許せないのに、あまつさえ殺して食べる? なんてこの男は馬鹿なんだろう。それは私の役目だと言うのに。
最初は殺してやろうと思った。そんなこと許せないと。でも、千代を困らせたりすることはしたくなかった。だからあの時、押入れで見ながら誓ったのだ。私がこいつを殺して食べたら、千代は私の物になる。千代を泣かせることもなく、私は愛することができると。

てらてらと血で滑る指で、胃を、腸を引きずり出して齧る。
これが千代を食べた男の、千代の味。狂気の怖気の食感。
そうね、こんな甘美な感触なのね。それは食べたくもなるわね。許さないけど。

黙々と口に運んでいたら、パトカーのサイレンが耳に入ってきた。このまま、私は警察に捕まって、死刑にはならずとも檻の中に入れられるだろう。
その時は、私自身で私を終わらせよう。
そしたら、ねぇ、千代。やっと君は私のものになる。
千代、愛してるわ。ずっとね。

再会

雑だけどおしまい
制作期間3日程度

再会

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • ホラー
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2015-04-04

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  1. いち。
  2. に。
  3. さん。
  4. よん。
  5. ご。
  6. ろく。