スラムダンク二次創作 短編「仙道と彼女」
仙道と彼女
私がここに着いてから、どれくらいの時間が経っただろう。目の前の白いドアを睨んだまま、金縛りにでもあったかのようにその場に突っ立っていた。彼氏である仙道彰のアパートのドアノブに手を掛けつつも、開ける勇気がどうしても出ないのだ。断りなしにここを訪れるときはいつもそう。もしも中で女と抱き合ってたりなんかしたらどうしよう――そんな不安に襲われるからだ。
――トントンとリズミカルに階段を上がってくる靴音が聞こえる。これはきっと。いや絶対……
「あれ?詩織ちゃん?」
両手にスーパーの袋を持ったツンツン頭の長身が、こちらを見てにっこり笑った。私は出来るだけ自然に見えるように、唇の両端を持ち上げた。
「入っててよかったのに。鍵は渡してあったでしょ?」
右手の中にある小さな鍵をギュッと握った。
「い、今来たとこだから…」
「そっか。なら良かった」
彰は人当たりの良さそうな笑顔を私に向けると、自分の鍵を取り出してドアを開けた。
「あ、忘れてた」
長身の彼はドアを押さえたまま、上体を少し傾けて私の唇に軽くキスをした。
「はい、どうぞ」
私は軽く会釈をして、嬉しそうにニコニコしている彰の横をすり抜けて玄関に入った。何度となく訪れている、綺麗に片付いた小さな部屋を見回す。女の形跡はなさそうだ。私はほっと胸を撫で下ろした。
「今日はどうしたの?突然」
彰はビニール袋の中身を冷蔵庫に移しながら、明るい声で聞いてきた。私はその後ろでモジモジしながら、何か良い言い訳がないか必死で頭を回転させた。浮気してないか確認しに来た、とは言えない。
「先に連絡くれると助かるんだけどな、って前に言ったよね?」
冷蔵庫をそっと閉めて、くるりと後ろを振り返った彰は、口をすぼめて眉間に皺を寄せた私を見て、慌てて付け足した。
「あ、いや、詩織ちゃんに会えるのは嬉しいから、もっと頻繁に来てくれていいんだけどね」
両手を胸の前で広げて満面の笑みを浮かべている。
「ほら、もし俺の帰りが遅かったりしたら待たせちゃうでしょ?」
そう言って私を正面から優しく抱き寄せる。
「それで、今日はどうしたの?」
彰はずるい。来る前に連絡しろなんて、後ろめたいことがあるからに決まっている。なのに、そうやって優しい声で甘い言葉を囁いたり、深い瞳で見つめられると、私は胸がキューッと締め付けられて何も言えなくなってしまう。
「……もしかして、俺に抱かれに来たのかな?」
私はかぁっと顔が熱くなるのを感じた。
彰はいつもそういう冗談を口にする。それなのに、付き合って半年も経つ彼女の私には、まだ一向にキス以上のことをしてこない。学校でも女好きと噂だった彼だけに、きっと他の女で欲望を満たしてるんだろうと私は確信していた。モヤモヤする気持ちを抑えられずに私はせきを切ったようにまくし立てた。
「私って彰にとって何なの!」
「へ?」
「そうやって冗談ばっかり言うくせに、全然手出してこないじゃない!」
私は彰の腕の中で頬を膨らませた。
「あれ、もしかして、図星?」
「なっ、なにが!」
「抱かれに来たんだってこと」
私はムッとして彰の胸を押し返した。
「違う!」
「えー、そうかな」
彰は相変わらずヘラヘラと笑っている。
「私って本当に彰の彼女なの?それとも、沢山いる女のうちの一人?」
私は右手に持った部屋の鍵を投げつけた。
「この鍵だって、どうせ色んな娘に渡してるんでしょ!」
鍵は彰の胸元に当たったあと、軽い金属音をたてて床に落ちた。
「色んな娘って……」
彰は額の横を人差し指で掻いた。
「俺ってそんなにたらしっぽいイメージかい?」
私は力強く頷いた。
「ひどいな、詩織ちゃん」
「だって。私の前でもファンの子たちに優しくしてるんだから、見てないところでは何してるか分からないもん」
「うーん、まいったな」
彰は首の後ろに手を置いて顔を斜めに傾けた。参っている表情ではない。
「別に優しくしてるつもりはないんだけどね」
「してるもん!」
彰は、明るい声ではははと笑った。自分が真剣に怒っていればいるほど、相手の余裕な態度にはイライラするものだ。私は悔しさで目に涙を浮かべた。それを見てようやく、彰は事の重大さに気付いたようだ。
「詩織ちゃん……悪かった。そこまで思いつめていたとは。ちゃんと答えるよ」
彰は真剣な眼差しで、声を低くして呟いた。
「俺は詩織ちゃんとしか付き合ってないし、他に女なんかいないよ」
すっとしゃがみ、大きな手で床に落ちた小さな鍵を握ると上目遣いに私を見た。
「これだって、たった一つの合鍵だからさ。大事にして」
そう言って、私の手を取って鍵を握らせた。私はコクリと頷いた。彰はもう一度私を優しく抱き寄せると、額に軽くキスをした。
「でも、ヤキモチ妬いてくれたのはちょっと嬉しいかも」
「ヤキモチじゃないもん」
「俺は詩織ちゃんが思ってるよりずっと、詩織ちゃんのことが好きだよ」
顔をあげると、彰の人懐っこいまなざしが私を優しく見おろしていた。
「じゃあ、なんで何もしてこないの?」
「えっ?」
「半年経つんだけど」
彰は目を見開いた。
「……して欲しいの?」
「そ、そういうわけじゃ」
「思春期の男の子を誘うなんて勇気あるなあ」
またいつものおちゃらけな彰に戻ってしまった――そう思った瞬間、彰は私をぎゅっと抱き寄せ自分の頬を私の頭のてっぺんに擦りつけた。
「詩織ちゃんは、俺が初めての彼氏でしょ?」
「うん」
「残念ながら、俺は今まで彼女何人かいたことあるんだけどね」
――そんなことは知っている。
「初めてなんだ。こんな気持ちになったの」
「え?」
「詩織ちゃんのことが、大切過ぎて触れられない。壊したくない」
彰の大きな手の平が、私の頭の後ろをゆっくり撫でる。頭のてっぺんに優しいキスを感じた。
「出来れば、詩織ちゃんの最初で最後の彼氏になりたいから。今はもう少しだけ、こうやって抱き締めたりキスしたりだけっていう時間を楽しみたいんだ……信じてくれるかな?」
私は頷く代わりに彰をぎゅっと抱きしめた。
「ごめん。ごめんね、彰」
私は自分の浅はかさに嫌気がさした。こんなに大切にしてくれているのに、他に女がいるんじゃないかなんて疑って…きっと、彰のことをすごく傷つけたに違いない。
「ごめん。ごめん」
私はポロポロ溢れる涙を抑えられなかった。彰のワイシャツの胸の部分が濡れて染みが広がっていく。
「私も彰が大好き。疑ってごめんなさい」
彰は私の両頬を大きな手のひらで包むと、涙の跡に口づけた。
「分かってくれればいいから。もう、泣くな?」
優しい口調でそう言うと、彰は私の手首を引いて隣の部屋に向かった。そして、私をベッドの上に座らせると、膝の上にティッシュの箱を置いた。私はぐしゃぐしゃになった顔にティッシュを何枚も押し付けた。彰は涙を拭く私に背を向けると、汚れたワイシャツを脱ぎはじめた。後ろからでも分かるほど締まった体に、私は思わず息を飲んだ。
「……そんなに見つめられたら穴あいちゃうよ」
ギクッ――瞬きをするのも忘れて見入ってしまっていた。
「欲しい?」
「な、なに!?」
「俺が……欲しい?」
彰は真剣な眼差しで、自分の顔を寄せてきた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待った!!」
そう叫びながら、私は近くにあった枕を彰の顔にぼふっと押し付けた。
「ははは、冗談だよ」
彰は私の頭をポンポンと軽く叩いたあと、ベッドの上にあったTシャツを掴んだ。
「でも、詩織ちゃんもまんざらでもないような顔してたけど」
「そ、そんなことない!てか、触れないとか言ってたくせに!」
Tシャツの襟から覗いた顔には、意地悪そうな笑みが浮かんでいる。
「泣いたり怒ったり、忙しいね」
そう言って、私のあごをくいっと持ち上げると唇を優しく重ねてきた。いつもより少しだけ激しいキスだった。
「うーん、参ったな」
「え?なにが」
「ああは言ったものの、結構限界かも」
今度は先程よりも少しだけ、本当に参ったような顔をして、彰は首の後ろを押さえていた。
スラムダンク二次創作 短編「仙道と彼女」