スラムダンク二次創作 短編「桜木と電車」
桜木と電車
「ドアが閉まります」
列の最後尾に並んでいた私は、もう少しでドアに挟まれそうになりながらなんとか電車に体を滑り込ませた。朝の通勤ラッシュは本当に辛い。すし詰め状態の電車の中で私は小さくため息をついた。幸いほんの10分程度乗っていれば学校の最寄の駅につくので、小さい体を更に小さくしながらいつも下を向いてじっとしている。
「次はー○○駅ー……」
目の前にあるドアの窓から見える景色をぼーっと眺めていると、太ももの裏辺りに何か生暖かいものを感じた。特に深く考えずに振り払おうと手を伸ばしそれに触れたとき、さーっと血の気が引いた。誰かの手だ――私が触れたことに動じもせず、その手は大胆にも私のスカートをめくり上げると下着の上からお尻を触り始めた。気持ち悪い。どうしよう。
私は助けを求めたくても恐くて声を出すことが出来なかった。いつもは「痴漢なんて撃退してやる」と強気でいても、いざ自分が被害にあってみると何も出来ないものだ。私は唇を噛みながら下を向くことしか出来なかった。悔しい気持ちでみるみるうちに目に涙が貯まっていくのが分かる。そのとき。
「おい、おっさん!何やってんだよ」
大きな声が車両に響いた。私は思わず声のした方を振り向いた。長身赤髪の学ラン姿が、私の後ろにぴったりとくっついていた中年サラリーマンの腕をねじ上げていた。「言いがかりだ!」と言いながらじたばたするサラリーマンをがっちりと掴んで離さない。
「俺は見てたぞ。次の駅で突き出してやる。容赦しねえかんな」
そう言いながら鋭い目で睨むと、サラリーマンはついにしゅんと大人しくなった。
次の駅に着きドアが開くと、赤髪の彼は周りに「どけ」と言いながら痴漢を外に引っ張り出した。
「あ、あの!」
私も急いでホームへ降り、彼の後について行った。
「助けてくれてありがとうございます。私も一緒に駅員さんに話しに行きます」
赤髪の彼は私の方を振り向くと、急に顔を真っ赤にした。
「い、いえ!これくらい!さあ行きましょう!」
その瞬間、私は体の力がふっと抜けるのを感じ思わず地面に座り込んだ。極度の恐怖感が解かれたことで、腰が抜けてしまったのだ。
「だ、大丈夫ですか!」
赤髪の彼は慌てて私の元に駆け寄ってきた。その隙を見て、痴漢は彼の腕を解いて逃げてしまったようだ。
「あっテメー!待ちやがれっ。ちくしょー」
彼はそう叫びながらも、追いかけずに私の元に近寄った。
「ごめんなさい……せっかく捕まえてくれたのに」
赤髪の彼は私の腕を肩にまわし、体を支えながら近くのベンチに座らせてくれた。
「そ、そんなこといいっすよ。それより、何か冷たいものでも買ってきましょうか?」
彼は私にとても気を使ってくれているようだ。先ほど痴漢を捕らえたときと随分と物腰が違う。
「ありがとう。でも大丈夫です。時間が経ったから少し落ち着いてきたみたい」
私は無理にでも笑顔を作ってみた。まだ緊張で顔が引きつっているような気がしたが、この礼儀正しい彼に早くお礼を言いたかった。
「私、秋風高校の1年で立花岬といいます。改めて、さっきは本当にありがとうございました」
すると、彼は両手を顔の前で振りながら、いえいえ!と言った後、頭を勢い良く下げた。
「お、俺は湘北高校1年の桜木花道といいマス!」
桜木くん。体格が良いのでてっきり年上かと思っていたが同い年とは……
「この電車、毎日乗るんですか?」
「いや!いつもは朝練があるから、も、もっと早い電車なんですが、今日は寝坊して遅れちゃって……なははは」
桜木君は愛想笑いをしながら頭をぼりぼりとかじった。
「もし痴漢に会ったのが今日じゃなかったら、私は泣き寝入りしてました……桜木君が今日同じ電車に、それも同じ車両に乗っててくれてよかった」
私はそう言いながら、心臓が高鳴っているのに気付いた。さっきの恐怖心や緊張からではなく、この赤髪の彼に急速に惹かれているのだ。桜木君は急にぱっと立ち上がると、フルフルと頭を振りながら「い、いかん!俺には晴子さんという人が!」と騒ぎ出した。
「ど、どうしたの!」
「い、いや、こっちの話です!なははは」
見た目は不良ぽいのに、とても人懐こい笑い方をする。私は今日、高校に入って初めて好きな人が出来たみたいだ。
「あ、寝坊したってことは急がないとまずいよね?そろそろ行こうか」
私はスカートの裾を払いながら立ち上がった。
「岬さん、もう電車に乗っても大丈夫なんですか?」
「うん、もう大丈夫だと思います。私も早くしないと遅れちゃうし」
そう言い終わると、ちょうど次の電車がホームに滑り込んできた。こちらも大分混んでいるようだ。
プシューという音と共にドアが開くと、桜木君は先に電車に乗り込み、ドアとの間に私一人分が入れるスペースを確保してくれた。私は小さく会釈をして、彼と向き合う形でひょいと乗り込んだ。ドアが閉まり電車が動き出した瞬間、車内の人ごみがぐらりと揺れ桜木君の背中をドンっと押した。
……近い。私はどんどん鼓動が高まっていくのを感じた。桜木君は両手をドアについて体を支えている。私の顔は彼の胸元に今にもくっつきそうだ。微かに彼の汗のにおいがする。男の人ってこういう匂いがするんだ。
私がゆっくり顔を挙げると、思ったより近くに桜木君の顔があった。彼の顔も真っ赤になっている。
電車は次の駅のホームに差し掛かっていた。――揺れる、そう思った瞬間、がたんと車両が大きく揺れて人の波が桜木君の背中をまた押した。反対側で開いたドアから更に乗客が乗り込み、私の顔は桜木君の胸元に埋まった。思わず両腕を自分の体の前にたたみ、桜木君の胸元を少し押さえた。
「す、スミマセン」
桜木君の声が頭の上から聞こえる。私は顔を挙げて彼の顔を覗きこんだ。
「う、ううん。私の方こそ……」
次は私が降りる駅だ。 電車が動き出し、次の駅へと向かう。あと3分程度で着いてしまう。桜木君はいつもはこの電車に乗らないと言っていたし、これを逃したら私はもう彼に会えないのかもしれない。連絡先くらい聞いておけばよかった。 もっと一緒にいたい――私は体の前にたたんだ両腕をどかし、自分の頬を桜木君の胸に押し付けた。同時に両腕を彼の背中に回した。
「……!」
桜木君が体をびくっとさせた。私はなんて大胆なことをしているんだろう。でも、あと少しだけ――耳を押し付けているせいで、彼の心臓の音が微かに聞こえた。だんだん早くなっているってことは、桜木君も私と同じくらいドキドキしているってこと?
あっという間に時間が過ぎ、私が降りる駅が近づいてきた。今度はこちら側のドアが開く番だ。私は両腕を解き、桜木君の体から少し離れて背中のドアが開くのを待った。その瞬間、桜木君の大きな手が私の頭を彼の胸元に引き寄せた。ドアが開き、数人が降りていく。
「……桜木君?」
彼は相変わらず真っ赤な顔で、目を逸らしたまま何も言わない。ホームから乗ってくる人の波に背中を押され、私と桜木君は車両の真ん中に移動した。プシューとドアが閉まる音がする。
「あの……私の降りる駅、過ぎちゃったんだけど」
小声でそう言うと、桜木君は「え!」っと言って私を抱きしめていた両腕をぱっと離した。そう言えば、どこで降りるか伝えていなかった。
私は思わずくすくすと笑った。電車がまたがたんと大きく揺れ背中を押された私は、桜木君の胸にしがみついた。彼は私の背中にゆっくりと両腕を回して言った。
「岬さん……今日、学校サボりませんか?」
私は満面の笑顔で言った。
「はい!喜んで」
スラムダンク二次創作 短編「桜木と電車」