稟性の玻璃

読み手の御眼鏡に叶うものを書くには、私ではまだまだのようです。
尚、本作の投稿は不定期となっております。
※今作は、「小説家になろう」へ重複投稿中です。

「稟性の玻璃」序章「情熱的な女」

序章「情熱的な女」 副題「火蜥蜴」


はじまりは火口であった。
最初に感じたのは、陽光よりも強い光だ。
それは私のすぐ側でぎらぎらと赫き、私の眼を射抜いた。
それにも慣れた頃。視界一杯に、紅く色づいた雲状の濃霧が漂う様子が知れた。所々より、膨れていたなにかが弾ける濁水が泡を吹いたような不快な音が、聞こえていた。私は左右に首と半身を回すことで、空間の全景を見渡すことができた。だけど、この場所で熱に溶けていないものを見れたのは、視界のほとんどを占めた白い霧が、僅か数箇所はれていた場所だけ。
白い煙の先が何か、想像もつかないことであったが、どうにもこの場所は、紅蓮の沼に覆われた地底のドームであるようだった。天井部は、なお一層と白い霧が濃く、雲のよう。その雲の下層部に至るまで、水蒸気が、灼熱との間で盛んに循環・拡散し、終わりが見えない。床はなく、私が浸るそこは溶岩と熱だけだった。また周囲は花崗岩の岨がぐると取り囲み聳える。さらにそれは天井を覆う雲に向かい、長い間隔をおいて巨大な岩場でできた段を形づくっていた。
 灼熱のなか、紅蓮の光によって眼を射抜かれるというのに、凍える。
 私の体は絶えず震えていた。
 そこへ輪をかけて、ゴーという不快な音が地の底から鳴り響いた。しかし、それは大した問題にはならなかった。なぜなら、このときの私は単純な肌寒さから震えていたのだから。
 今思えば、それこそ、呆れるほどに、恐ろしいほどに、我が身をかき抱いた。
 そのとき足下から何かがせり上がる。
 大量の土石と、全てを無に帰す熱現が、うずくまり、震える私を押し上げたのだ。
それと同時に私は、腹の底が煮え立つような感覚をおぼえた。
 私を置いて雲よりも、上方へと吹き飛ばされていくのは、真っ朱に溶け崩れていた岩や石だった。時時、私よりも大きな岩盤が両岸から崩れて、私の浸かる紅蓮の沼に呑まれていた。沼に沈まぬうち、それらが疎らにルージュを溶かしたように、紅いジェル状の粘膜をともなって、打ち揚がる。
 それもやがて治まると、お次はまるで床ができあがるように、渦をまく沼全体が地の殻へと沈下していった。下を見れば、オレンジ色の口が私を飲み込んでしまおうと、石榴のごとき口唇を大きく開けていた。
読んで字のごとく、その比類のなき朱い沼は、生物を食うように、溶岩を口のなかへ呑み下した。渦を巻いて沈下していく紅蓮の沼の容積は、弾み、踊り、撥ねる。跳ね上がった飛礫のどれもが、しゅー。と虚しい最後の悲鳴をあげていた。
私に残された時間も少ない。
星屑のように煌々とした紅の溜まり場は、気色の悪い赤い粒が幾重にも重なり、まるで砂漠にできた潮の流れのように蠢いていた。そのなかでも、殻の中心に位置した比較的安定した面は、ぶくぶくと不吉な音をたてている。泡のように消えては、またできるそれは、次第に嵩を増して、紅蓮の沼を飲み込んだ分だけ大きくなっていく。大量の湯気が、オレンジの殻から這い上がって、私を被った。何もかもが白で埋まる。
茫然自失だった私の意識も、このときには朦朧とした。
それでも、地の底からのとどろきが終わりを告げる。私は怖くなって眼を閉じた。そうしていると恐怖のあまり、寒さで起きていた震えは止み、竟に、私は限界を迎える。
視界の四隅が黒に浮き上がる。気を失うようだった。

大きな丸太で地面を叩いたような音。私が風によって気がつくと、そこは、青い空と白い雲がある。(正確を期すならば、それだけの世界だった。)
眼下には雲の海原が見据え、白い大洋の広がりがどこまでも。空の蒼とで水平をなし、視界を阻むものは、なにひとつとてありはしない。
 いよいよ死後の世界をみた。と思った私が感動したり、泣き叫んだり、それも通り越してなんとかしないとなんて躍起になって、馬鹿みたい。
そんな風に齷齪としていたら、その爾後、私は自分の体のなかに一つのおかしな点を見いだした。それは、自分の真っ赤な両の腕だった。それは紅く色づいた、というよりも、燃えさかった火によく似ていた。爪の先だけが火の衣から露出していたが、私の目測で、一寸もの長さがあった。爪が伸びきっていてだらしがない。混乱の限りを極めた頭ではそんな感想がすぐに浮かんだ。只、冷静に考えればそれはあり得ないことだった。いいや、確か。自分は生まれてこの方、爪を見たことがない筈だ。それどころか自分の躰のことも満足に知らない。とはいえ、そんなに早く伸びるものだろうか。あのオレンジの口が待ち受ける地獄のような場所で、どれほど生きたのかはしれない。生きた心地もしなかったが、それでも、あのとき、私という存在は生きていた。
しかしそれはどうにも、実際に死後の世界にきてみても、私には信じられない夢のようで……。

 自由落下を続けていく体は、大気の低温と落下による強い風の抵抗を受けたことで冷え切っていた。あれだけの熱をもって、煮物のように紅色の粘液に浸かっていたというのに、私の腕は、とくに指先にかけては、秋の空のように冷たかった。あれだけの熱を帯びていたからか、そばに誰もいないことが生まれて初めて悲しかった。私の頬を伝うのは滴ではない、どうにも、生前に体全体からずっと生じていた焔であったようだ。けれども眼下にあった雲海が近づくにつれ、私の意識も真に覚醒を迎えていた。
死ぬことがあった筈ないのだ。
雲の高さを越えた蒼穹はどこまでも続いている。眼の眩むほどの大輪が、落ち続ける私よりもさらに上から、光となって降り注いでいた。
 生きている。間違いない。それなら、どうして自分はこんな場所にいるのだろう。もし、あのとき、オレンジ口の底へ落ちていたとしたら、私はあの太陽からここまで落ちてきたのだろうか。それともあのあと、かつてみた溶けた岩の飛礫のように、あの白い靄がかった岸を遙かに登り、もうずっと知れぬ、上の層へと打ち上がったのだろうか。
……幾ら内に籠もってみても、考えを巡らせても、そのときを迎えるまでに答えが出そうにもないからと諦めた私は、己の意識を、再び外へと向ける。
 もう、すぐ其処に、雲が迫っていた。
 それは表面に細い糸くずをつけて縮れたように霧がかっていた。
海水面でさざ波が立つように、霧は収縮を繰り返し、書き消えては糸を継ぎ足されてでもいるかのようにしていたから、私の眼には、雲の綿は呼吸でもしていやしないか?
そのように写った。紅蓮の沼に浸かっていた時、最後にみたのはこの雲と同じ白い気体だった。つい先ほどまでは、それを恐れていたのだと、思い込んでいた。しかし、死の世界をみた今の私に、恐怖の文字はなかった。
 絹か、はたまた、羊の綿毛かのような雲海へと、衝突せん。と、私は自分の躰の緊張を解く。この空の下が何であろうが関係ない。一度でも二度でも何度でも背けた眼をひらいてみせる!
だが、衝突の間際になって、私を避けるように雲は掻き消えた。渦を巻くわけでもなく、唐突にだ。あみだに沈んだ雲の海は、さらに大きく、大穴を開いていく。私はさらに風を切り進んで行き、雲海のなかを、より深く抉るようにして突き進む。そうしていると、小さな小さな、雹が、体を痛めつけてきた。気づけば身につけた焔は、一回りも二周りも小さく萎んでいた。
 ぶぉおおお、と音をたてて、炎と風と雹とが反応仕合い、触れたものから先にはぜていく。するとそれを機に、私は勇気を無くしてしまう。虚脱感に襲われていった。それを振り払うように、雲にできた円筒形の隧道を横目にした。幾層もの綿織物の生地に包まれているようであった。やがて地層のような雲の視界から、さきほどの天蓋の蒼よりも黄とその鈍さをました青へ。瞬きをしたその一瞬間の内にとって変わる。それに驚き、私は、顔をすぐに引き戻した。
 遙かな地平とそれを優に越す海原をみたとき、なぜだか目元からこみ上げるものがあって、涙は止まらなかった。落涙を許されずに、涙の滴は私から離れると、次には上の空に残って、それでも私の後を追うように、引力に従い地上へ落下していた。
 暫くすると思い出したように、再び私は緋い焔に包まれていた。もう紅い視界に被われても震えることはなく、只唯咽び泣いた。しかし、今はもう涙が眦から溢れることはない、ただちに沸点を迎え蒸発してしまった為だ。それは、ほとんど涙が枯れてしまったようなものだった。それでも私は眼をこすり、もうすっかり近づいた地上をしっかりと見届けていた。
 着地の瞬間には、体から膨大な量の炎の放出が起きていた。
 落ちた場所は山間だったので、火は瞬く間に広がりをみせ、山には小刀で肌を裂いたように山火事が起きた。私はそれを止めようとしたが、燃えさかる木々を如何にすべきか、方法がまるでわからなかった。そこでやけくそに、一寸もある長い爪を手近に燃ゆる火に向けて、消えろと念じ、勢いよく振るった。すると、野山を被う火の手は、その瞬間にさっと鎮火してしまった。
最後にはあちこち焼けて炭化した木々を残し、山の広範囲で煤と黒雲とを乗せた風が、昼日の乾いた空へそれらを棚引かせたのだった。
着地と消化で力を使い果たしたらく、私は意識を失い倒れ込む。
 これが私のはじまりのすべてであった。

第1章 召喚士の玻璃

稟性の玻璃。
大霊を駆使する者は、決まって稟性の玻璃と呼ばれる六角水晶を持つのだという。大霊、四大精霊とも呼ばれる精霊たちを駆使する精霊使い、それは不思議とこの世界のどんな歴史にも登場してくる。だが、その名は、果ては建国神話から、どんな歴史書に至るまで、一切の方法で伝わることない、また未解で将来において識別されうる文字としても残ってもいない。古代の「壁画(ミューラル)」にその姿が描かれて残るものの、詳細な事は不明だ。
その存在はある地方では英雄の仲間であり、他の地域では、ときに悪の手先であったりする。
諸国によって、その地方によって、もっと細かいところだと個々の本によって、物語の中におけるその役割や、性格がまるで違う。まことに不確かな存在である。

祖国の王都から旅を始める前の調べでわかった稟性の玻璃についても、元を辿れば上記の言い伝えを端にしていると思われた。
そこで分かったことは二つ。

一つ、「玻璃」というのは水晶の別称であり、また、魔法的な意味だと、召喚士と精霊が契約した際の証である〈拠〉を意味している。これは人と人で言えば証明書のようなものだ。わざわざ「よりどころ」と呼称されるのは、契約した精霊の住処にもなる為だ。

二つ。魔法指南書にあったことを抜粋する。
「稟性」とは、
「生物の手が加わらないとした性質を持つ魔法的な性質」
――これ以上の説明は、魔法学校の摩導師にでも聞いてくれ。魔法的という説明だけでは、結局……生物の手が加わったのかどうかわからないじゃないか。指南書に書かれた文言だというのに、ゲシュタルト崩壊である。「魔法的な性質」の索引を見ろ? 
……あいよ。
「……」
……見ても俺じゃあわからないじゃあないか!

故郷の図書館に蔵書されていた稟性の玻璃が登場する書籍を頼りに思い描く。そうすれば頭の中で浮かぶのは、角柱の結晶群。
坑道の奥深くに眠るような「天成の水晶」だ。
果たしてそれは、文献の挿し絵に描かれていた通り、実在しているだろうか?
 俺の読んだ本のなかでは、稟性の玻璃について未確認な情報が多かったのだが、一応、この世界に「稟性の玻璃」とされるものは、実在するとされている。
現在、水、風の精霊の稟性の玻璃が発見され、精霊使いこそ現れていないものの、4大精霊のうち水の大霊ウィンディーネ、風の大霊シルフィードが世に顕現していることは広く世界中に知れ渡っている。しかし、大霊たちは使役されることを嫌い、稟性の玻璃を人々の前に晒すようなことはしないそうだ。ちなみに、風の精霊は貴族や豪商のゴシップ好きで、専らほら吹きとの評判があり、あと水の精霊は、人の姿で世界中を旅してまわっており、その御身を見た者は依然としていないらしい。顕現がささやかれたのも風の精霊が言触らしたことに因むとか。
地の大霊ノ―ミド、火の大霊サラマンダー。
このふたつの大霊の顕現の真偽も諸説あるが定かでない。
俺は、もう方々を旅して二年になる。そして今、糸のような手がかりが見つかる。またいつ切れても俺自身もまったく驚かない細い細い繋がりだ。
今更ながら思ってしまう。
……本当にあるのだろうか。


暦では輪期――1290年の冬季も残すところあと22日。腕輪にした文字盤の陰陽の位置から、おそらく時間は午三つどき。
 そのころ俺は、使役する火の精霊を連れ立って、北大陸北部・ルーロ王国の南東地区――「ルーメル伯領地」にいた。


此処までに偶然居合わせていた吟遊詩人から聴いたところ。
この道は、この先行き止まりらしい。
なんでも俺が賽高原を下っているうちに、このルーロ王国土を中央で二分している賽山系の渓谷にあって関所でもあるその一帯が、昨日未明に起きた暴風雨によって落石を起こして物の見事に塞がれてしまったとか。このことでルーロ王国と国境を接する隣国ユウモ都市部までの道と、この国の首都までを繋いでいた「旧ユウモ街道」、「旧ルーロ街道」二つの街道は、要らね二次災害や罪人の国外逃亡を警戒した両政府間の合意の上、昨年に急造された新街道への道案内としての道標と、国境警備の衛兵の詰め所を旧街道の二つの分岐点に新たに設けることで両旧街道を国力を持って実行支配。本日未明、封鎖するに至った。
一般者が通れる正規の陸路が途絶えたことで、仕方なしに良好な関係にある両国間の交流も一時は混乱し途絶えたそうだ。
話の最後に、人の良い吟遊詩人の彼は、「遠回りにはなるが、安全を優先するなら新街道を使え、国が手に負えないような罪人と出くわすくらいなら獣道の方がまだましだ。旧街道の裏道を知って旅立った知り合いの商人のなかには死んだのもいるそうだ。その時の商隊のなかには重症を負った冒険者の奴が多くてな。ユウモやルーロの街では今有名な話になってる。とはいえ、罪人どもの件を除いてみれば、旧街道のそれとは新街道からの手蔓はどこを通ったところでとびっきり危険度が高いのも事実だ。新街道の経路は人通りがこれまで無かったから魔物の質が違うんだ。こいつはおまえも知ってるだろうが、危険度が高い魔物ほどずる賢いのものだ。また使われ出してきたんだ、自ずから奴らも新街道からは離れるさ。精々、気をつけるんだぞ。崖崩れの影響で賽山脈から降りてきている手強い魔物の発見情報もちらほらある。そんなのにおまえも襲われたくはないだろう」
そう言った彼の顔は、はるか頭上を差し掛かった雲により一瞬で帽子の鍔元から伸びた影により隠れた。その後も吟遊詩人は念を押してマーベに言って聞かせた。加えて賽山系に生息するという例の魔物の対処法のこと、かつて野盗の出没すしたという場所の辺りとその日時。街で噂される指名手配された罪人や野盗の目撃情報などなど、懇切丁寧にいろいろ彼が持ち得たであろう情報をマーべにおしえてくれた。野盗の話をしているときの彼からは怒りと後悔の念が伺えた。

それは日の光に褪せたものと見比べれば、ピカピカとしていた。それらは地平の先々にあって埋め立ての跡が等間隔に幾つも見える。
なるほど、確かに。彼に教わった通りだ。
旧街道を詰め所近い新街道へと続く分岐点の所まで来ると、方形のそれは見つかった。
地理に明るくない旅の者でも、目印のひとつになる石材質の道標は世界各地にあり見慣れた者だ。色は違えどすぐに目についた。膨張色の白色に塗りたてのそれは他の鼠色の旧街道のそれと比べても一目瞭然だ。
俺は名残惜しさ抱えつつも、土瀝青で継ぎ接ぎ舗装され、隅々まで平らな旧街道を横目した。
そうしてから暫くは、溜まりの泥水で歩きにくい道を、そこを二つ三つと続く白い道標を頼りに進んで行く。完成したとはいえ昨年できたという新街道までは数キロの距離があった。俺の足が新街道へ乗り出すと、彼の詩人曰く、丘陵に至るまでは確かな足元があるそうだ。と思うと、張り詰めていた神経も楽になるきがした。
手に負えない魔物や盗賊と遭遇することは運が良かったのか幸にしてなかった。
そこからさらにカイムの関所を越えた先には、この王国最南東に位置する雅な大都市だ。
自国の領土に王政を敷く、そう、ルーロの首都がある。
手ずから得たある筋からの言伝だ。
「研究機関があるその大都市には大霊についてなにかしら情報がある」
この吉報を受けたことで、俺ことマーベと、その相棒の〈拠〉契約した火の精は、一路、北大陸を隔つ山脈以南、南部・中央区――ルーロ王国は首都カイムへの上京を目指している。旧街道封鎖の件を受け賽高原を登り降りして丘陵地を経て大陸の東の方に遠回りし、平地からまた再び伸びる新街道へ合流、目的地の北側から南へ向かうこと順路へ変更となる。未開の地ほどではないが、街道から離れていけば多くの魔物が跋扈しているだろう。
しかしながら、2年もの歳月を稟性の玻璃探しと冒険に費やした今の俺に、行く先々へ逸る気持ち、過剰な期待は最早なかった。
思い出せば旅は失敗ばかり。ご大層に「遍歴(へんれき)」をしてきたなどとはそれこそ口を極めて初めて、俺には似つかわしい言葉だった。
往古に諸国遍歴をした偉人たちの冒険にしてみたら、俺が得た知見なんぞ浅はかなものだった。

 正直、どうせ今回もがせだと思っている。もう故郷の地は、誰が発動したかも知れない呪で、太陽の光すら届かない地の底へと幽閉されてしまった。
……稟性の玻璃でも大霊の力でもなんでもいい。
外から見れば身元の不確かな者となっても祖国の内に留まる限り、俺の属した地方領地の民、もとい一族は安全が国により保障された。だが、国の保護から脱して冒険者として生き延びることの出来る誰かが、この状況下では不可欠だった。避難民をなんとかしないとならないのは、王侯貴族の勢いのある派閥の人員らが時の法となるこの世間だ。各国の情勢からもそれは明らかなのだ。祖国でまたいつ内乱が起こるとも分らない。群雄割拠、戦乱の世まででないにせよ、決っして平定の世でもない。現状の保護扱いの身分にせよこのまま傍観するのは拙い。何らかの策を講じていく必要もある。

今回は前回までの反省を生かし、旅程については少しの無理もしない。と既にそう心に決めている。
逸り死んてしまっては元も子もないのだ。
少し具体的なことを言えば、今までは二の次三の次であった物資の補給や休憩も間間に入れていく。その分寄り道になる剣の国への渡航日も無期限の延期にする。予約取り消しの手続きはルーメルで行う。そうした事情から長めの滞在にしようと考えた。彼の地では今後、余裕を持たせるため、詰め込み過ぎていた旅程も大幅に見直そう。  
これだと返ってやることは増えてしまっている気がするのだが、兎角、首都へ。確実に稟性の玻璃に纏わる情報の真偽を確かめないとならない。六根を労うのだ。
これだけ離れれば追っ手も撒いたと思いたいものだが、追うとなれば相手方も新街道の道に進路は絞られるので心配は残る。丁度よい中継地点であるから、交通の要所・ルーメルの街へ急行する。そこへだが、少なくとも5日は泊まるつもりだ。
之までの道中にもルーメルは警邏の行き届く街と聞き及んでいる。吟遊詩人たちは街々でルーメルは「旅鳥の巣」であると歌うくらいだ。噂に違えない良い所だろう。

まだ見ぬ地へ向かうのだから、冒険者として、旅をする身としては。わくわくする。
 いいや、わくわくはもうしない。たっぷりと時間をかけて目的地を目指すことが楽しみでないわけがないが、すっかりこのごろはそうした事事を一歩引いた所からみてしまう。思いがけずドキドキとすることもある。しかしそれは他者の視点で難詰にしてみたならばそれだけ危険を起こすことになる。
もし結果が、もしも最悪な最後であれば、無事に避難した都で出立を見送ってくれ、今も待つ故郷の人々からも忘れ去られて、世を憂い、異境(ことさかい)へと隠居するつもりがある。だが、はっきり言ってしまえば、今回の旅に、いやもっと突き詰めてしまおう。今後、冒険らしい展開など全く想定していない。……当たり前だが。まあ。どんな旅にも危険は付き物ではある。よくいわれることだが……。

 ここからは一つ前の出発地、賽山系の渓谷に挟まれた麓の塊村からここまでは、もうかなり離れた。
賽高原の深い谷間に点在するその集落は、人呼んで「渓谷の村々(マグナズビレッジ)」と言われていて、俺が最後に立ち寄った村はガートル村だった。
渓谷の村々は、ギルド館常設の初の村落としても、ルーロ国内外で有名なところだ。そこでの冒険者は、中堅どころの実力さえ在れば、各国の都よりもそこで稼ぐほうがいいとすら同業者間でのみ言われている。この噂もよくある「ここだけの秘密」が広まりまくって行った成れの果てという図であつて……実際のところは土着民の縄張り争いに余所者が巻き込まれ逃げ出す。なんてよく起こること。きりがないことにも例に漏れないのだった。例によって俺たちは一悶着あったわけだ。
そこでの出来事が原因で、俺はさっぱりすっかり一夜を宿で越せず、また、一大決起して先日のガートル村から出立の門出を先延ばすことはできなかった。腕利きのハンターを擁する「渓谷の村々」からの旅にもなると、道なりは中級(ミドルランク)のハンター、行商人を狙う野盗らのせいで、夜通しで行くよりか野営を挟む方がかえって危険ですらあった。
そういえば、あのとき世話を焼いてくれた吟遊詩人の男はひとりだった。こんな魔物が跋扈する大陸で。
でも、ああ見えて腕っぷしには自信があるのかもしれない。冒険者らしい格好もしていた。剣も腰から提げていたし、けれど人がいいほど騙されやすいものだ。
何はともあれ、心配なことだ。
――それはさておき、この地方では霧に、怪物、亡霊、怪鳥。と何でも御座れ。
躰に極力無理をしないことを優先するにも、用のない町村等々への寄り道、小休憩と野宿を挟むような牛歩で行く分けにも行かない。先の高度の高い高原では雨に見舞われたことこそなかったが、日々の天気がどうであれ、無理な下山により体に堪えている。召還士としては体力が有る方だと自負している俺だが、その間からルーメルに至るまで、絶えずなるたけ戦闘を避けてきている。
若干十四の年の少年である俺には、体力的に厳しい上に刺激のない空虚な時間だった。戦闘はほとんどない、あってはならない。
今もこうして物音を聞きつければ後ろに怯えることこそ覚え……嗚呼、正直、つまらないよ。
でも平気さ。
非常食の乾燥麺麭をモグモグ。この地域特産の湧き水ごくごく、空腹はない。逃げ出す際お世話になった村人の言うように、この大陸の多雨湿潤な環境が端々まで広がるなら、ここでは飢えとは無縁であるのかもしれない。そうしたところを、数十km進んでみたって、食い物に何一つ不自由はなかった。栄養価の高い特産の木の実がそこらにある。木登りして頂戴すればいい。順路を変更したが、旅は概ね順調だ。

そうだ。あのときは俺の相棒と揉めてしまったのだった。

ガートル村の一件から俺は恢復したのか、体にはもう大した怪我なんかもなかったが、そのときの俺は、精神的なストレスと、殊更、眠気だけにはついぞかなわなかったのを覚えている。

 カイムであとから自称大精霊様に聞いた話だと、旅程の中程まで進んだ移動中。俺は、長時間意識を緊張させているが故、ときたま、うとうと眠りかかっていた。

そんなこともあったそうな。

ルーメルへの旅路

「サラマンダー」
契約の元、使役する精霊の名を主が呼べば、使役霊は必ず姿を現す。 
「なーにマーベ。あたしを呼んだ?」
サラマンダー。それすなわち、火の大精霊。
――そう呼ばれた声の主は至っていつもどおり、マーベの目の前の虚空へと、枇杷の果実大をした灯し火となって現れては浮遊する。
世間では俗に鬼火ともよばれるその火の玉は、「吊り燈(ランプ)」で確保されたマーベの視界の先に佇むと、針葉樹と落葉樹の混合林でなす深い、深い森、加えてそこへ霧までもが差す森の暗がりに向け、気まぐれにではあったが時々明明(あかあか)照らしてくれた。多少霧が晴れてくると、この森には希に灌木も所々に混ざっているのが見て取れた。やはり北大陸を南下するにつれ、森の装いは、一層濃い。此処はまだまだ盆地へと至るのが不自然極まりない急峻すぎる山道ないし獣道。


マーベは、常緑の高木に威圧されたり、裸の落葉樹の梢に蕾を見ていたりした。わずかだが、冬の刺すような寒気が和らいでいるようにも感じていた。彼の吐き出した白い息はそれもあまり見えず、周囲の霧と共に霧散していく。
燐火に次いだ灯籠の淡い燈火(あかり)で、彼の頬はうっすら暖色に色づいていた。
照り輝いては霧を照らす。
――それにも飽きたころの彼女はというと、ふらふらと右往左往、自由奔放、齷齪(あくせく)しながらも、折に触れては、つい数時間前であった昨日の出来事や、今後の旅の予定の細々したこと、ともに旅の道連れマーベと話しあった。
それもこれも、稟性の玻璃を探し初めて日に日に煮詰まっていく節があった――「マーベの気晴らしになれば」――。という彼女なりの長旅を経た親しみみたいな思いがそこにはあったからだ。それでも悪い意味では、マーベが寝落ちしないために、また、自身の暇つぶし程度に、そういう本音も見え隠れして色々と無駄口を開いたのだった。

鳥の「ケケッリ」という、おどろおどろしいまでの囀りが、どこからか聞こえる。鳴き声は程近い峠からこだまして、また森へと響き渡る。小国や里を含めれば10ヶ国近くを渡ってきたマーべも初めて聞く珍しい鳴き声だった。マーべが鳥を探そうとして立ち止まる。名も知らぬ鳥、鳧(けり)を見つけると、マーべは幼子のように本能のままに追いかけたそうにしていた。目敏く羽をみつけると、一人でうんうん頷く。その場ではしゃいでいた。

一方。
彼女は暇を持て余していた。
火の玉のときは幾ら素早く移動しても、精霊としての能力なのか、灯体は疲れを知らず。もうマーベなど十時間近くも歩き通しで、足痛に悩まされてきたというのに。火精は、不思議な感知の術をもつらしい。音も、幽(かそ)けき気配すらない珍しい草花や昆虫を見つければ、彼女も物珍しそうに一頻り感心してみせて、その周囲を勝手気儘見て周った。
序で、彼女は宙を漂うので別に歩かないが、歩哨役をかってでたたりした。
少年マーベは、あるときは険しい岨を、そこへ杖をグリグリ突き立てて、岩や礫、泥土の割れ目、溝へやっては崖下を滑り下る。
一粒の大粒の汗が、崖底へと重力をうけて滴る。
(ピト――――――――――――――――――ピットォォォウヲヲヲォォォ―――――――――――――――――― )

ブゥォ――ッ!

マーベはよろける。そこからはるかに下、中空に浮遊していた彼女がふらっと揺れ動いて、汗の雫をすげなく躱す。灯体には目も口も、顔らしいパーツはなに一つない、にも関わらず、まるでわざとギリギリまでセーブしていたかのように、居合の剣光さながらの速度で躱してのけた。
これらは火の精としての不可思議な能力のお蔭でもあった。

彼女はさらに、あーだ。こーだと脚色を混ぜては、タブー化しつつある「稟性の玻璃」の話しも会話に持ち出してみたりする。只、時々あった、幾分かの湿り気を帯びた山颪(やまおろし)にあたることがあるとき。
そんなときの彼女はまるで蛹になったかのよう。
その妙なのは、風向きが変わった後さえも、暫くは霧を含む湿った風が完全に止むまではあかり障子に蔽われた灯心へと隠れて、塑像のようにじっと待つのだった。用心深いにも程がある。
そうしたサラマンダーが珍しく押し黙った時分は、最低限、彼女の事情を知る相棒だったから、からかわれた腹いせに息を吹きかけ、火蜥蜴(サラマンダー)の燐火の心を揺さぶってやり返してみたりだとか、意味もなく話しかけたりするといったそういう普段している無神経なことは、この時ばかりはしないのだった。

そういうときの彼女の定位置は、マーベが掲げた灯籠の紗(さ)の中になる。

それは大きさにしてマーべの両拳がぴったり収まる小間物ほどあり、軽量で、和紙が貼られた木組みの灯籠であった。通常このような小型のものであれ装飾として館の軒から提げられるような高級品だ。因みに、この地方の灯籠本来の用途は、持ち運ぶものではない。裕福な家庭の庭先に石材を削りだして造る専用の燭台と揃いの品であり、その上に石材製の灯籠がどっしりと置かれている。
サラマンダーが行燈のように持ち運ばれているその灯籠に身を寄せるときは、彼にはその都度紗ごと木枠をずらしてもらい、空気の弁の広がった木組の隙間から出入りする。そうしたら彼女は、灯籠に近づく前必ず、灯の邪魔にならぬよう己の火加減をしてから、自然にその身を木枠へすっぽりと収まる形にまで縮小、
変化した。
そうかと思えば、(霧の滴に濡れる心配がない。)――膠着状態から開放されると、今度は持ち前の情熱的な調子を遺憾なく発揮しはじめるようで、やっぱり相棒にあれやこれやと絡んでいった。

それ以外のときは、先述のように真面目に夜道を照らす夜警の真似事をしてみたり、そうかと思えば急に知らん顔でさぼっただとか、或いは、彼女が気配を感じとったモンスターに気づかれないよう彼に消灯と、周囲への警戒とを同時に促したりして立派に歩硝役を果たして見せたりだとか。

且つ、乙甲(おっつかっつ)ではあったが、躁でもない顔もないその平静を、マーベが木枠越しに垣間見た感じだと、夜風へ気持ちの良さそうに身を任せていたようだった。

稟性の玻璃

稟性の玻璃

ファンタジー小説です。 村田拓也と申します。筆名は、櫛之汲です。よろしければご一読くださいませ。 本編では、召喚術士の少年が、「稟性の玻璃」を探して各地を旅するハイファンタジーとなります。 * 尚、この概要は本編投稿の度に差し替えることがあります。削除した章は改めて書きなおす予定です。本作は、小説家になろうへ重複投稿してあります。 星空文庫での本作制作期間は2015年中です。グラブルでの交流相手とも本作の内容その名称は関係ありません。蜥蜴などゲームで交流のある方の名前と同じ固有名詞なものがあったりしますが、作品本文との一致は全て無関係です。 グラブルの世界観に影響を受けた小説です。 小説家になろうでも2018年12月24日にhttps://ncode.syosetu.com/n0477ff/ から公開しました。なろうでの本作は諸事情あり作者名を村田拓也にいたしました

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-02

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  1. 「稟性の玻璃」序章「情熱的な女」
  2. 第1章 召喚士の玻璃