クローン人間と丸くて良い石

クローン人間と丸くて良い石

 ……じゃあ、ツバキの話をしようか。今日のはもうずっと昔、まだここいらが開拓中で、戦争もまだ始まっていなかった頃の話。
 私はその頃、歌手をしていたの。そんなに稼げていたってわけじゃないけれど、たくさんの場所でたくさん歌ったから、結構有名だった。
 旅の途中では色んな人に出会ったわ。普通じゃちょっとお目にかかれない珍しい土地の人から、どこにでもいそうな、やっぱりどこにでもいる人まで。金持ちもいたし貧乏もいたし、男も女も、子供も老人も。星の数ってやつ。
 なんだけどね、同じ人って、ひとりもいなかった。どんなに似ていても必ずどこかが違っていて、同じだと思うところも、よく見れば、どこか違った雰囲気が漂っている。これって当たり前のことなんだけど、彼の話をしようとすると、どうしても意識しちゃうんだよね、そんなこと。
 何年経っても忘れられない。彼に会ったのは、凍えるほどクーラーの効いた、旧R国の真夏のバーだった。
 ……ん? あぁ、ここも寒いって?
 ……ごめんね。すぐ調整しますね。ミサキちゃーん!
 ……無理か。じゃあ、ちょっと待っててくださいね。
 ……はい、お待たせ。このところ音声認識が不調でね、手動じゃないと。
 ……さ、話の続きをしましょう。
 彼はずいぶん遠くから来た、旅の人だった。一方で私は、例によって旅費が尽きて、その雪山じみたバーで、住み込みで働いていた。夜になったら歌わせてもらう代わりに、昼間は、つってもあの国は日が落ちるのが恐ろしく遅いから、実際ほとんどの時間は、掃除をしたり料理の仕込みを手伝ったり、まぁ丁度、今のミサキちゃんのような感じで暮らしていた。
 お店がオープンするちょっと前、私は大体の仕事を済ませて、カウンターに座ってその日の楽譜をチェックしていたの。そんな時、彼はひょっこりと店に現れた。
 私は目を見張ったわ。だって、私はあの時初めて見たの。いわゆる『クローン人間』ってやつを!
 『クローン』ってわかるかしら? まぁ、私も詳しい説明はできないんだけど、例えば、ある生き物の細胞を取って来てね、それを使ってもう一個体、同じ生き物を作ってみる。うまくやれば不思議なことに、元のヤツとそっくりなヤツが育つの。こんな感じで生まれた生き物を『クローン』っていうらしいよ。なんだかこう説明すると、ちょっとした実験キットの説明みたいで私はワクワクするんだけどね。……まぁ、それはいいや。
 とにかく、私はその時初めて『クローン』の実物を見た。その少し前に『クローン』として生まれた子供がかなり大々的にニュースになっていたんだけれど、大人にまでなってる人がいるってのは、初めて知ったんだ。
 ……え? 何で『クローン』だってわかったかって?
 ……うーんと、それは。
 ……ちょっと待っててね。後で、話したいから。
 もしそのニュースでやってた子がやって来たってんだったら、私だってあんなに驚ろいたりはしなかった。子供がバーにやって来るのはそりゃ驚きだけど、笑って迎えられる自信はあった。自慢じゃないけど、旅芸人やってればもっと珍しいことはたくさん見てきたし、何より、あの子の場合は実質双子みたいなものだったって言うしね? 私には難しいことはわからないけれど、画面越しに見てる分には、ちょっと育ち方が特殊な、ごく普通の子って感じだったし。
 大人でも、兵隊だったなら一応はわかるんだ。風の噂で、どこかの物好きがそういうことを計画してるって聞いた。ほとんど都市伝説みたいなものだったけど、まぁ、都の人は変わっているし、そういうことも考えるかなって。特に偉い人には私には想像もできない、フクザツな考えがあるんだろうしね。
 ……あれ、センセイ? 
 ……どうしたの? 何だか顔色が悪いけれど、もしかして気分が悪いですか?
 ……そう。大丈夫なら、いいんですけれど。
 ……何か飲みます? お酒、もう大丈夫なんだよね? 
 ……オーケィ。いつものをね。ロックで。
 で、ね。彼は、でも、そういうのとは違っていたの。何が違うかって言われたら難しいんだけど、ううん、何と言えばいいのかな。完全に個人的な、感覚の話だけになっちゃって悪いんだけど、あのね……彼はね、パッと見でもう『クローン』だったの。私の恋人だったんだよね、その人と、同じ人が。
 あっ、そうだ。そいつの話をしなくちゃ。その『クローン』と同じ顔をした、恋人だった男のこと。本当は『クローン』の彼のことを話したいんだから、そいつのことなんかどうでもいいんだけどさ。
 一応話しておくと、そいつはK国の出で、どえらい資産家の息子だった。武器の輸出かなんかの会社でね。よく知らないけど、その社長は何人も養子を抱えていて、彼も、その子供らのうち一人だったって聞いてる。彼が学生時代に常連だった店で私は働いていて、よく彼の相手をしていた。まぁ、プライベート面はともかく、真面目な、一途なヤツだったよ、仕事ではね。
 『クローン』の彼が訪れた頃、そいつの方は都の大学院に通うために、国を出ていた。兄弟がいたという話も、そうねぇ、その当時は、聞いたことがなかった。
 でも、そうだとしても、どうしてあの時自分が即座に彼を『クローン』だと思ったのか、未だに不思議なんだ。二人は何もかも同じで、見た目も、仕草も、そう。どっちも本人みたいに何一つ違わなくって……だからこそ、そうだなんて思ったのかもしれない。
 『クローン』君は小奇麗な旅装をしていた。長旅らしい荷物の多さと汚れにも関わらず、見る人に不快さを与えない、きちんとした雰囲気があった。内省的、なんて言葉は気取って聞こえるでしょうけれど、彼の眼差しは、まさにそんな風だった。ずっと外を見つめていて、でもその奥はすぅっと、自分の内側へと繋がっていく。そんな瞳。……センセイもおんなじ、良い目をしてるんだよ。
「こんにちは」
 戸口の彼はその瞳を一度だけ瞬かせて、そう言った。
 私はもうこの時点で、本人がやって来ているわけじゃないって確信しちゃってたから、普通に、初めての人に言うように、返したの。
「こんにちは。オープンは六時からですよ」って。
 それから私は彼を見つめた。彼も私を見ながら、答えた。
「いえ、お店に用はないんです。ツバキさんという方を探していて、ここにいると聞いて、やって来ました」
 そう。ツバキって私のことね。それでその時も私はこうやって、自分を指差した。
「あっ、あなたでしたか。初めまして」
 彼が愛想良く言った。あのボンボンと全く同じ笑顔、同じ声で。
だから、正直に言って私は「初めまして」という印象は全然受けなかったんだけど、私も、「初めまして」って返したわ。実際、『クローン』と言ったって、別人だからね。
 ……別人なんですよ?
 ……身体が違えばね。普通はね。
 ……あ、タバコ切れちゃいましたか? ああ、じゃあ、取ってきますね。それとも、ご自分のがいいでしょうか?
 ……それねぇ、いつも探してるんですけど、全然見つからないんですよ。
 ……一体どこで買っているんです?
 ……え?
 ……私にもそれ、くれるんですか?
 ……ありがとう、センセイ。
 ……。
 そして『クローン』は丁寧に、続けて挨拶をした。
「僕はカガ=ナグモと言います。ヤグモとそっくりで、驚かれると思ったのですが……」
 彼、ナグモ君はそこまで言って、困った顔をした。
「実は僕は、ヤグモからのプレゼントを預かって来たんです。ですがその……あなたは、コガ=ヤグモのことを、覚えていらっしゃるでしょうか?」
「覚えているわよ」
「えっ? そしたら、どうして……」
「君とヤグモ君とがどういう関係なのかわからないけれど、たまには、見分けのつくヤツもいるってこと。そんなに驚くことかしら?」
「はい。そんな……つくんですか?」
「ええ。まぁ、ちょっと俄かには信じられないぐらい、似ているけれど」
 ナグモ君はしばらく目を丸くして私を見つめていた。私は私で、どうしてそんなに驚くのかわからなかったから、黙っていた。
 でも放っておいたらいつまでもこのままな気がしたから、結局、私の方が先に喋ったわ。
「それで、何を持ってきてくれたの?」
 あの、コガ=ヤグモって人はね、真面目で一途で、だけど、いつもどこかズレていた。黙って置いていった女にプレゼントなんて、何を考えてるんだか。
でもね、もちろん、そいつへの気持ちを引きずってなんかさらさら無かったけど、貰えるものは貰っておこうって思ってね。まぁそのへん、旅の女の習性というか……。
 ……あっ、やだ。センセイ、誤解しないでくださいよ。
 ……今はそんなことはしません。私はもう、あの頃の彼女じゃないんです。
 ……え? 続き? はいはい。わかりましたよぅ。
 私は彼に近寄って、荷物を下ろして座るよう勧めた。ナグモ君は背中のリュックを下ろしながら遠慮がちに入り口近くのイスに座ると、リュックの内側の小さなポケットから、これまた小さな、上品な箱を取り出した。私はそれが指輪か何かだと思って、少したじろいだ。
「あー……えっと」
 私は箱を受け取りながら、無い知恵を絞って断りの文言を考えた。
実際のところ、その頃の私はもうコガ=ヤグモの自分勝手にはほとほと愛想が尽きていたし、それに、自分がどうやら生来の浮草だって、気付き始めていたからね。浮草は、あんまり重いものは持てないの。沈んでしまうから。
 私はいつまでも流れていたいって、そう考え始めていた頃だった。
「それは、チップです」
 私が何か言葉を見つけるより先に、ナグモ君が言った。私はそのチップというのがなんのことだかわからなくて、眉を顰めた。
「つまり、ヤグモ自身です」
 ナグモ君の言うことは意味不明だったわ。でもその時私は反射的に、
「いらない」って呟いていた。
 突如として思い浮かんだことなんだけど、考えてみれば、私にはごく自然な発言だった。とにかくヤツを拒絶したい、それもこちらから、って、何も言わずに置いて行かれて以来、ずっと考えていたことだったからね。
 ナグモ君はそれを聞いて、悲しそうに「そうですか」なんて言って俯いた。それがまたそっくりなことに叱られた子犬みたいで、私はどうにもあれに弱くて。
 だからつい、追って聞いてしまったわけ。
「あ、ごめんなさい。ひどい言い方をしたわ。私、そういうテクノロジーにすごく疎くて、つい過剰に拒否してしまって。……あの、よかったら、それが何か知っていたら教えてくれない? ものによっては、ちゃんと断りの返事もしたいし」
 やっぱり何事も何も知らずに拒否するのは、良くないことよね。礼儀的にもさ。
 ナグモ君は少し笑って――今思えば、これが最初に感じた違和感だったけれど――それから、穏やかな口調で説明してくれた。
「少し前提が長くなってしまうのですが、それでも構いませんか?」
「ええ、平気」
「わかりました。では、ツバキさんは『クローン』のことをご存知でしょうか?」
「まぁ、聞いたことぐらいはあるわ」
「ヤグモには僕を含め『クローン』が十一人います」
 十一人! 私は息を呑みつつ、おそるおそる続きを促した。
「『クローン』とは遺伝的に同一である個体、もしくは細胞の集合を示します。僕たちはみんな、クロバ=カグモという人の遺伝子を持った細胞から、育ちました」
「クロバ=カグモさんねぇ……。どこかで、聞いた覚えがあるような」
「僕たちのオリジナルです。僕は会ったことがありませんが、会いに行こうと思って、旅をしています」
「はぁ、大変なのね。君のお父さんみたいな感じかしら?」
「厳密には違いますが、僕から見れば、そんな感じです。僕らには母がいないんですよ。父だけから、生じた」
 ……ねぇ、わかる? センセイ。
 ……あ、わかるんだ。いいなぁ、頭が良いのって羨ましい。
 ……私は理解するのに、結構時間がかかりましたよ。
 ……遺伝子ってのが、どうしてそんなに大事にされるのか。
 ……今も、本当にわかってるんだか、怪しいところですけどね……。
 ナグモ君はその話をしている時、何となくだけど、寂しそうだった。たとえ何人似たヤツがいようがいまいが、まともな人の形をしてるだけ、旅人の中じゃどれだけマシかっていうのに。
 どうして彼はあんなに悲しそうにしていたんだろう。私も孤独だったけど、バカだったのが幸いしていたのかな。苦しくなるほどには、悩まなかった。父親だの母親だのがどこかにいるなんて気にしたこともないし、同じ境遇の人も、いっぱいいたから。
 でもね、彼にはそんなこんなとは違う、もっと根の深い……色味の濃い寂しさが、纏わりついていた。
「それで、その『クローン』とチップとは何の関係があるの? もしかして、そのチップっていうのが、君たちの名札だとか」
 私が軽い調子で問うと、ナグモ君はこくりと、それでも生真面目な厳粛さを失うことなく頷いた。
「先程『クローン』とは僕らのようなものの集団だとお話ししましたが、この頃では、僕らを作り出すある技術を指して、そう呼ぶことがあります。まだ技術は黎明期にありますが、いずれはもっと、一般的になっていくでしょう」
「一般的に? 君達みたいなのが? 想像しにくいなぁ」
「このあたりでは、依然倫理的な問題を重要視する気風が強いですからね。報道規制もかなり厳しくなっているし……。ああ、そうだ。ツバキさん、お仕事の時間は大丈夫ですか?」
「えっ、うん。それはまだ大丈夫。今日は準備も早く済んでるから、まだ十分にあるよ。ママだってまだ、ぐーすか寝てるし」
「そうですか。では、ちょっと話が逸れてしまいましたが、話を戻します。僕がお話ししたかったのは、その『クローン』という技術が、この地域でこれまで定義されてきたものとはまた違った技術だということです。元の個体、僕らの場合はクロバ=カグモのことですが、その細胞を使い、個体を生成するまでは一緒です。ですが、そこからが異なってくる」
 ナグモ君の目が一瞬、暗く沈んだ。私はそれを見て、昔ヤグモがひどく落ち込んでいた時の様子を思い出した。あれは、いつだったか、セントラルマーケットがひどく荒れた年だったように思う。煽りを受けた東の国で最初の戦争が始まって、彼はその時のナグモ君と同じように、唇をきつく固く閉じて、店の片隅でタブレットを睨んでいた。
 やがてナグモ君は、ふぅ、と肩を落としてから、話し始めた。その一挙一動はかつてのヤグモと寸分違わず、あたかもあの日の動画を、もう一度、再生して見せられているかのようだった。
「従来の技術では、そこから先は成育環境の違いにより、『クローン』個体間には種々の違いが生じていました。例えば、遺伝子が同じであるにもかかわらず、元の個体とは指紋が違う、毛皮の色が違う、食べ物の好みが違う、など」
「うん、うん」
 頷きながら私は、彼の目元、指先、話し方なんかをじっと観察していた。
 ……普通ね、こういうのって違ってくるものなんだよ。どんなに似た子でも、こんな仕事を長くしていると、嫌でも見分ける術が身に付いてくる。
 でもね、見れば見るほど、ナグモ君は不思議だった。デジャヴとも違う。けれども物凄く既視感のあるものが着々と、自分の中に降り積もってきているのがわかった。パズルゲームで、同じピースがひとつひとつ、同じ順で、見覚えのある形に噛み合って、次々と、知っている形が作られていくような。
 段々、今話しているのが誰なのか、今がいつなのか、私はわからなくなってきた。もしかして気付かないうちに、自分は何か、途方もない勘違いをしてるんじゃないかっていう……。
 ……あれ? センセイ?
 ……わ! どうしちゃったの、センセイ! いつの間にこんなに飲んで!
 ……えっ、あれ?
 ……また、あれが欲しいんですか? 大丈夫ですか。すごく強いんですよ?
 ……もう、仕方ないなぁ。
 ……特別ですからね、センセイは……。
 要は、普通は『クローン』に限らず、みんなナグモ君の言う通りなの。おんなじ場所おんなじ時代おんなじ生き物に生まれついても、生き方によって、全然別の何かになる。パズルのブロックだって、一つ一つの形は同じでも、組み方が違えば、別の形になってしまう。まだ若い私だったけど、そんなことはちゃんとわかっていた。……だったからむしろ、私は彼が怖かった。
 そう。怖かった。最初に感じた笑顔の違和感が、その時はっきりと、恐怖心に変わっていたのが私にはわかった。彼が淡々と語る言葉の続きを、このまま聞いていていいものか、判断がつかなくなっていた。このゲームはもう中止すべきだっていうアラームの音が、頭にガンガン鳴り響いていた。
「『クローン』は、それとは違います」
 警報に被さるように、ナグモ君の声が聞こえた。
「僕たちは本当に、同じなんです」
 私はあの瞬間、確かにヤグモの声を聞いていた。
いや?
 本当は、姿かたちも見たことのない、クロバ=カグモの声だったかもしれない。
 とにかく私の目にはすでに眼前の青年が、得体のしれない、形を無くした化け物のように映っていた。
「……怯えていますか?」
 問いかけるナグモ君の顔。目をやや細めて、本当に私を心配していた。かつてヤグモがそうしていたように、優しく、芯から労わっている顔。
 どうしてそんな顔ができるの? 君とヤグモと、全然、別の経験をしてきたでしょうに。ずっと手を繋いで歩いて来たってわけでもない大人が、そんな風になったりはしない。
 私は混乱の中で、笑っているのと泣いているのの中間の、引き攣った表情で返した。
「まあね」って。小さく。
「あなた、ヤグモなの?」って。
 そう問いかけようとして、私は止めた。言葉にしてしまうと本当に、彼がヤグモになってしまいそうで、怖かった。
「僕はどうすればよいでしょう?」
 ナグモ君はそう呟いた。私は黙って俯いて、必死に、彼からヤグモのイメージを払おうとしていた。
 ヤグモは、あの人は優しくて頭の良い、不器用な人だった。真面目で一途で、それ故に、大切なものが二つある時、残酷なほどに、自分の痛みさえも顧みずに、選んでしまう人だった。選んで取り返しのつかないところに行くまで、立ち止まれない、愚かな人で。
 そんな人が今、ここにやって来られるはずはないけれど。
 私は、また会いたいとか思っていて。
 引きずりまくりだったんだよね、白状すると。格好悪いけれど。あるいは、期待し過ぎていたからこそ、ナグモ君がヤグモじゃないって、わかってしまったのかも。自分勝手はお互い様だったんだよね。私もヤグモも、頭の中の理想だけを見がちだった。そしてその形を絶対に変えない、変えられない。
「大丈夫よ。続けて」
 私はぎこちない笑顔を繕って、ナグモ君にそう言った。
 それからナグモ君は、やっとチップのことに触れた。何も知らない相手に説明するって、考えてみれば大変だったと思う。いきなりじゃ理解不能だったし、あの時の私は少なくとも、あと十分もしたら店がオープンすることなんて、すっかり意識の彼方に吹き飛ばすぐらいには冷静じゃなかった。だけど彼は面倒な素振りなど少しも見せずに、落ち着いた、とても聞きやすい話し方で、語ってくれた。
「僕らがどうして「同じ」なのか。そもそも「同じ」とはどのような状態を言うのか。それはとても難しいのですが」
 ナグモ君の声には抑揚がなかった。凪の海のように、平静だった。
「僕や彼らが細胞の頃から集めた、ありとあらゆる記憶、記録、つまりデータが、同じということ。そしてこれから先も、常にシンクロし続けるということ。それが、僕らの「同じ」です」
 彼は哀しみと諦めの入り混じった大人びた表情で、続けた。
「つまり僕らは『クローン』全員で、記憶を共有し続けている。僕らは限りなく個々に似ているけれど、その実、たったひとつのデータバンクに寄っている」
 そうです、とさらに、ナグモ君は自身に言い聞かせるように、言った。
「そのチップは、そのデータと繋がるための素子。僕らを同期し続ける、透明な鎖。……あなたは本当に勘のいい人です。確かにこれは、名札だ。僕らを識別する、唯一のしるし」
「指輪のがマシね」
 そう笑って口走った私は、本当に嫌な女ね。
 ……でもね、センセイ。言い訳をさせて。
 それを聞いた時私にはそれがとても生々しくて、グロテスクなものに感じたの。チップって、ちっちゃな金属片に加工されていたんだけど、まるでまだ鼓動の止まらない心臓を、そのまま突き出されたって感じがした。
あまりにデリケートで、扱いに困るのよ。そんなものを不躾に渡されて、私の中の彼はもっと、もっと……優しい形に包まれたものだったのに。
 ……生ものはプレゼントには向かないわ。何事も、嘘でもいいから、オブラートに包んでやるぐらいの心遣いが欲しかったのよ。それは、誠実なこととは、矛盾しないのに。
 私はでも、目を伏せて、チップを握り締めた。
 ナグモ君の深く長い溜息が、冷たい部屋によく馴染んだ。
 それからしばらく経ってから、ナグモ君の悼むような声が聞こえた。
「……悪趣味だとは、僕も思います」
 私は何も言わずに彼を見上げた。彼はやや眉間に皺を寄せて、話を継いだ。
「こんなこと、誤解を招くだけなのに」
「誤解?」
「ほら、やっぱり」
ナグモ君が心の底から目一杯呆れているというのは、表情からまざまざと見て取れた。
「えっと……どういうこと?」
「ヤグモは生きていますよ。元気に、出世街道を驀進中です」
「は?」
「チップは、コピーできるんですよ」
 なんてことだ。私は急激に体温が上がるのを感じて、すぐさまチップをかなぐり捨てたくなったが、かろうじて我慢した。目の前にある憎らしい同じ顔が、その様子を無表情に見ながら肩をすくめた。
「もし、僕や他の九人のプライバシーに疑問があるのであれば、その点は問題ありません。その中には、ヤグモが渡したい情報しか入っていませんから」
「渡したい情報? 何があるっていうのよ」
「アルバムです。彼の、輝かしい来歴の」
 私はめまいがした。「いらない」「いらない」「いらない」と、頭の中で数限りなく繰り返して、やがて言語にならないほどにリフレインが重なってくるようになって、私は頭を抱え込んだ。
 ズレてるのよ! 変な男ってのは、いつまで経っても変な男なの。いつもちょっと期待外れで、わかり難いことばっかりする。私は、私の気持ちはそれでついていけなくなって、本当に愛想を尽かした!
 そうこうするうちに、私の心には健全な労働者の精神が戻りつつあった。腕時計を見て思いのほか時間が経ったことを知り、そわそわして、身体が落ち着かなくなってきた。
「あのね、わかったわ。これはもういい。届けてくれて、一応、ありがとう。けれど最後に聞きたいことがあるんだけど」
 二階の部屋でママの起き出す音が聞こえ出すと、私のあせりはさらに差し迫ってきた。あのママのことは、今思い出してもそわそわしてくる。彼女にギャアと一声怒鳴られるごとに、追われる野生動物の、抜き差しならない生命のスピード感を体感せずにはいられなかった。
「最初に会った時さ、あなたの言う通りなら、あなたは私のことを知っていたんだよね?
 ヤグモ本人と同じように。そしてもちろん、その状況をヤグモも承知していた。だから、もしかして、つまり……」
「そうですよ」
 ナグモ君はどでかいリュックを軽々と背負いつつ、悪びれずに言った。
「頼まれたんです。自分になって渡してきてほしいって」
「あいつ、どこまで!」
私は腹が立って、続いて地元国の言葉で、いくつか悪態をついた。
「私のことを何だと思ってるの? 馬鹿にしてるわ。ちっとも、何にも見てくれてないじゃない!」
 私が苛立ち紛れにナグモ君を睨むと、彼は真っ直ぐに私の目を見ながら、言った。
「僕はヤグモではありません」
「でも」
 ナグモ君はその時、いくらか反抗的な勢いで私の言葉を遮った。
「僕はそういうことが嫌いなんです。だから最初から、別人として振る舞った。ヤグモと僕とは確かによく似ていますが、その点、一緒にされることは心外です。僕は、僕です」
「でもあなたはここへ来たわ。それはなぜ?」
「それは」
 やや言い淀んでから、ナグモ君は続けた。
「僕があなたに会いたかったからです。矛盾があることは承知しています。ヤグモではないと言いながら、僕はヤグモとして会ったあなたに、興味を持っているのだから」
 ナグモ君が少し視線をずらして、俯く。私は、さすがにちょっと面食らいつつも、さらに続けて話をした。
「あなたは……ヤグモと同じものを見て、彼と同じように感じるの?」
「さぁ……。自分がどのようにものを感じているのか、自分でもわからない」
 そう言うナグモ君の目つきには確かに、彼自身、と呼べそうなものが宿っていた。あるいはそれはヤグモについて、私が見たことのない目だった、ってだけの話なのかもしれないけれど。
 でもその時、私の中で何か温かいものが、積もったブロックをふと溶かしたの。
 目の前の「ナグモ君」に、私はその時初めて会ったのね。
 ……。
 ……ねぇねぇ、センセイ。
 わかります? 私にははっきり言って彼の説明が、さっぱりでした。彼もヤグモも、どっちも存在して、けど一緒で、データバンクがどうとか、ドウキするとか何とか。そもそも自分の中にそんなにたくさんの記憶があったりしたら、パンクしちゃうと思いませんか?
 嫌ですよ、私。本物はアルバムじゃないんですよ。嫌なことも苦しいことも、悲しいことも忘れたいことも、見たくないことだってたくさんです。毎日が十一倍の濃度で詰まっていくなんて、想像を絶している。
 ……でも、それって本当に、一人、というか、一つ、の中に納まっているんでしょうか? 私にはわからないんです。どこまでがナグモで、どこからがヤグモなのか。ヤグモもナグモも、いるんです。いるのに……。
 それで結局、私はいつもの考えない戦法に出たんです。彼、彼らはもうそういう生き物だって、シンプルに考えることにしたの。ほら、私たちと牛じゃ食べ物の消化の仕方が違うでしょう? それと同じで、記憶の処理の仕方が、彼と私とは違うんだって。そう理解したの。
 大体ね、目の前にある人が誰であれ、自分の都合だけで当り散らすのは良くないことだわ。だから私は反省して、ナグモ君に謝った。
「ごめんなさい。八つ当たりをして、嫌な思いをさせてしまったわ」
 それから考えて、こうも付け足した。
「ナグモ君とヤグモはどちらも生真面目で律儀だけど、同じではないわね。現れ方が真逆だもの。あなたはヤグモと違って、こう、素朴だわ」
「……そうでもないですけどね」
 ナグモ君はそうやんわりとした口調で言うと、頬を緩ませた。
 その時ちょうど時計が、六時の鐘を鳴らした。
「お土産持っていきなよ」
 私は餞別代わりに冷蔵庫の中からジュースを一本拝借して、彼に投げ渡した。ナグモ君は「ありがとうございます」って器用にそれを受け取って、リュックの外側にあるポケットにボトルを差し込んだ。
「あの、ツバキさん」
「何?」
「僕は色んな人に会いましたが、最初の時に別人だってわかってもらえたのは、初めてでした。話を聞いて、最後まで気味悪いと叩き出されなかったのも初めてです。……あなたは、すごい人だと思います」
 こんなこと真正面から言ったんだから、本当に参っちゃう。私はあえて黙って手を振った。自分では結構ひどい女だったはずなんだけど、彼は私をどう受け取ったんだろうね。結局食えないという点では、ヤツらは「同じ」だった。
「じゃあ、さようなら」
 日差しの向こうへ歩き出す彼に、私はふともう一度呼びかけた。自分でも考えていなかった言葉が飛び出してきて、意外だったのを覚えている。
「あのさ」
 振り向いた彼は逆光の中で、私は鮮烈な赤い陽光に目を眩ました。
「「同じ」ってさ、自分だけで決まることじゃないと思うの。別の人が別の人に見えるって、実は、見ている人も違うからじゃないかなって」
 ナグモ君は首を傾げる。私はそのまま、話し続けた。
「その、君たちがどんなに「同じ」でも、君たちに会う私は違うの。今の私と、ヤグモと会っていた私、違うのよ」
「違う、とは?」
「えっと、うまく言えないけれど、例えば、同じ石でもね、私が拾った石とあなたが拾った石は、違うでしょう? えーと、何が同じで、何で違うかって言うと……ああ、だめ、わからなくなっちゃった。何て言えばいいのかしら……」
 それからいくつか下手な例えを挙げた後、私は最終的に、どんな言葉も思い浮かばなくなった。あの時の私には、結局ヤグモよりかは少しマシってだけで、自分を伝えるだけの上手な方法がわかっていなかったのね、まだ。
 黙って途方に暮れる私に、ナグモ君は優しく話し掛けた。
「すみません。多分、僕には荷が勝つ話なのでしょう。話して下さった気持ちはありがたいのですが。……興味の持てそうな話でした」
 ほんのりと吹き始めた夕方の風が二人の髪を靡かせ、そして彼は、柔らかに微笑んだ。
「さようなら。いつか、また」
 店の奥でポツリと電気が点いた。私はそれを察して、思わず後ろへ振り返った。
「お元気で」
 すぐに向き直ったけれど、その時にはもう彼は歩き出していた。間髪入れず、店からママの怒声が響いた。私はカウンターに楽譜を置きっぱなしにしていたことを思い出して、急いで中へと戻って行った。
最後に一瞬だけ垣間見た彼の後ろ姿が、なぜかいつまでも私の目に焼きついて、もうどうしようもなく、どうしようもなく、
 ……忘れられなかった。
 ……と、さ。
 ……さ、センセイ。お話はおしまい。起きて。
 ……え? 起きてたって? まったく、嘘ばっかり。
 ……うん、うん。え? クロバ=カグモ?
 ……もう! やっぱり寝ぼけているんでしょう。いい加減目を覚ましてください。
 ……もう何十年前の話だと思ってるんですか。 
 ……私は、ハルキです。
 ……そう、ツバキじゃありません。
 ……ツバキ、ハルキ、ミサキ。
 ……私たちは、ツバキの『クローン』。ツバキはもういませんよ。
 ……水? わかりました。今、持ってきます。
 ……はい、どうぞ。
 ……ツバキの話をするのは構わないんですが、その度にこう酔われちゃ、堪らないですよ。
 ……それにしても。
 ……『クローン』ってのも今じゃありふれちゃってますけれど、ツバキの頃は珍しかったんですね。自分でノリノリで語っておいてなんですが、何だか感慨深いです。
 ……『クローン』も色んな理由で行われますけどね。
 ……医療、研究、軍事、人口計画……。
 ……なんたって私たちなんか作ったんでしょうね? ツバキは。理由らしい理由は、最後までわかりませんでした。少なくとも自分の記憶の中には、見当たりません。
 ……まさかこんな、昔話をさせるためじゃないでしょうにねぇ。
 ……センセイは、センセイだったら、どう思います?
 ……センセイ?
 ……。
 ……はぁ。
 ……うーん。実はそれは、難題なんです。
 ……『クローン』ってのは兄弟、私たちは姉妹って呼んでいますが、その間では、ほぼ完璧に記憶が同期しています(厳密には兄弟とも姉妹とも呼べませんが)。けれど、さすがにオリジナルとは、どんなに頑張っても同期しきれないことが多いんですよね。時間的なギャップがあるからなんですが。
 ……だから、一応プリセットされた記憶はあっても、実際は知らないことだらけで。
 ……。
 ……そう、ですね。
 ……時折はそんな気持ちにもなります。
 ……カガ=ナグモが父親を探したみたいに、私も自分の中のツバキを、探してる。
 ……知ってどうなるってことでもないんですけどね。
 ……時々ツバキがすごく、大切なものに思えて、それで。
 ……日々新たに記憶が蓄積する一方で、常に自分が更新されていく。
 ……更新されない彼女のことは古い情報として、どんどん深くへ埋もれて行く。
 ……だけど決してなくならない、唯一の、特別な存在。
 ……ただのチップ上のデータだとは思えないんです、私には。
 ……。
 ……私自身の、話?
 ……センセイ、酔いが相当回ってきてますね?
 ……私はツバキやミサキと違って、あんまり話は上手くないつもりなんですが。
 ……。
 ……弱ったなぁ。
 ……。
 ……じゃあ。
 ……ツバキがナグモに最後に語っていた、石の話。あれを私なりに解釈して、お話ししましょうか。ちょっとずるいけれど。
 ……センセイ、それでいい? 
 ……わかりました。頑張ってみますね。
 ……。
 ……私は思うんです。あくまでも私の感受したことを、私の言葉で話しますが。
 ……例えば私が会うセンセイと、ミサキが会うセンセイと。私たちの記憶では、センセイは同じセンセイで、同一人物として思い描かれます。『クローン』ですからね。嫌でも、同期してしまうんです。
 ……けれど。
 ……センセイ、それって、本当ですか?
 ……ふふ。まぁ、そうやって濁すのもセンセイらしいと、私もミサキも、センセイの思惑とは別に、「同じ」人に対して、そう思うんです。
 ……センセイ以外のお客さんはみんな、私とミサキとを区別しません。というより、できません。私たちは全く同じで、自分たちで「違う」と言い張る以外、違いを伝える術が無いから。センセイにはなぜか、わかるみたいだけれど。
 ……「同じ」ってことはね、そうやって、外側から決まるんです。
 ……内側だけで決まっているわけじゃない。
 ……そう。
 ……だからこそ、「違う」もまた同様だと思うんです。
 ……「同じ」石でも、「別の」誰かに拾われれば、「別の」石になりうる。
 ……石の見た目は変わらなくとも、それらは別の石。拾った人はそれぞれ石の内側に、別の誰かを見ているかもしれないのだから。
 ……。
 ……自分で言って、詭弁みたい。鼻で笑われそうな話ですけどね。
 ……大切なことなんですよ。本人たちにとっては。
 ……。
 ……何でかな。
 ……そう考えるとね、少し、救われるんです。
 ……本当に「違う」ならいいです。でも、紛れもなく「同じ」データで生きる私たちにとって、そう言い張り続けるのは易しくないんです。
 ……日々を生きれば生きるほど、自分で一番わかってくる。
 ……私って所詮、データなんだって。
 ……統合された、『クローン』の端末に過ぎないって。
 ……私は、私。
 ……そう思いたいのに、自分独りじゃ、支えきれなくなって。
 ……だから。
 ……私にはたとえわからなくとも、少なくとも誰かの中には「私」がいるって。
 ……ナツキでもミサキでも、名前はもう構わないから。
 ……あなたの、「私」がいるなら、って。
 ……。
 ……。
 ……あ。
 ……ああ、ごめんなさい。ハハ。やっぱり、私は語るタイプじゃないですね。唐突に話が途切れちゃった。何だか湿っぽくなっちゃったし。やっぱり、わけがわからなかったですか?
 ……難しいです、自分のことを話すのは。
 ……何だか、もっと上手に、シンプルに伝えられる気がするのに。
 ……ツバキも似たようなこと言っていたけれど、よっぽど遺伝子に染み付いた性格なんでしょうね。困ったものです。
 ……ただ黙々とお酒作ったり料理してたりで気持ちが伝われば、どんなにいいことか。
 ……センセイもそう思わない?
 ……。
 ……センセイ?
 ……センセイ。
 ……寝ちゃったんですか?
 ……。
 ……。
 ……ハァ。もう、しょうがないんだから。
 ……ミサキちゃん! さぁ、センセイを運ぶよ!


 ――――キラキラと光る夢を見た。それは満天の星空にも似ていたし、遠くから眺めた、都の明かりのようにも見えた。
 自分はその下の、真っ暗闇の中空を漂っていて、光る星々をじっと見つめていた。
 数人の人影が傍らを駆け抜けて上へ昇って行った。どれも同じ大きさで、同じ走り方をしていた。だが、どれも闇とは少し違う、独特の黒い色味を持っていた。
 自分もまた、影のようだった。手を伸ばしてもがいてみるが、どんなに暴れてみても、身体は空を切るばかりだった。動けば動くほどに、ひどく不安な気分が募ってくる。
 暗闇に張り巡らされた細い糸がたまに、星の微かな光を反射する。糸は自分の身体のどこかに繋がっているらしく、もがくと、つつと引かれる。
 おそらくこのまま、延々と瞬き続けるのだろう、青白い星の数々が愛おしかった。あのどれかひとつにだけでもいいから、この糸が続いていて欲しい。続いているのだと、いつしか狂おしく信じようとしていた。
 気が付けば手に石が握られていた。掌の中にさりげなく収まってしまうような、丸くて、形の良い小石。糸はどうやら、これに括りつけられていたようだ。
 ふと小さな糸の結び目を撫でてみると、指先に電流が走るのを感じた。そうか、自分の指はこんな感触だったか、と思うと同時に、石の冷たさと重さとが、じんわりと肌に滲んできた。
 そしてゆっくりと、記憶が走り出す。
 自分は、ずっと、これを探してきたのだと全細胞が騒いでいる。
 旧世代のチップは劣化する。それでなくとも戦争で傷んだ回路がシンクロを拒むから、こんな大切なことまで、忘れてしまっていたのだ。
 ああ、もう安心していいか? 自らに問う。
この糸は、あの星に続いているのか? と。
 ふいに細く冷たい手が頬に触れる。聞き覚えのある澄んだ声が、何かを囁いている。答えなくては、と思うけれど、どこからこの声が伝わって来るのか、わからない。
 そう言えば、いつの間にかもう、あの同じ影は走って来なくなっていた。
 みんないなくなってしまったのだろうか。とにかく今は、自分だけが、ここにいる。孤独とは案外空しいものだ。
 星のちらつきが美しい。そして、遠い。
 目を覚ましたら、再びこの糸の先を探しに行こうと思った。そうしていつか見つけたら、あの日……いつだったかの、夏……に話せなかったことを、話したい。
 今ならもっと、上手に話せるだろう。
 

クローン人間と丸くて良い石

クローン人間と丸くて良い石

物語の舞台は、地球と類似した環境を持つどこか別の惑星である。 主人公のツバキはその惑星にある地方都市のバーで働いていたのだが、ある日、そこに不思議な客がやってきた。 どこか遙かな土地の夏にぼんやりと浮かび上がる、陽炎のような青春の物語。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-04-02

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