ゆびきり……

 校舎の中庭を抜けるとプールのフェンスが見えた。
フェンス越しに真夏の太陽に反射して飛沫が美しい光を投げた。
どこかのクラスが体育の授業中らしい。
 歓声の渦が、教師の罵声が、真っ青な空に吸い込まれていった。

 所在投げに体育館の灰色の壁に持たれかかった由美がこちらを見上げた。
「川田あ、遅いぞー」
「お前が早すぎるんだよ」
日陰に座りいつものように由美は、ハンカチを広げ、プラスチックの弁当箱を開けた。
「なんだ川田また一時間目に食べちゃったんでしょ。一緒に食べようっていつも言ってるのに、ったくう……」
校内で買ったアンパンと牛乳を、まるで敵でも見つめるように由美は、睨んでいた。
 お構いなしに僕はそれを平らげ、胸ポケットから潰れたマルボロを取り出し、抜けるような青空に向かって大きく煙を吐いた。
「川田さ、きっと、いつか、見つかるよ、それ……食べる?」
箸の先の厚焼き玉子を僕は軽く口に含んだ。
「美味しい?」
「くだらない……」
二本目のマルボロに火を着け、わざと由美の顔に吹きかける。
由美は本気で咽て、苦しそうな表情で僕を睨んだ。
「見つかるようなとこで吸うヤツはバカ、俺は絶対大丈夫、教師の前では良い子だから……」


 その年の大晦日、由美と二人で、もちろん大勢で行くと親には言って、初詣に行くという口実で僕らは夜中の街を徘徊した。
 大粒の湿った雪が降り続く大通りのホワイト・イルミネーションを肩を寄せて歩いた。
「ホントは川田と来たくなかったんだよね、ここに……」
「これ見たカップルは別れるっていうんだろ、そんなもの迷信、くだらない都市伝説の一つさ」

「すごく寒い……」
由美のダッフルコートに積った雪を払い、抱きしめた。
フード越しに由美が僕を見つめていた。
「川田って、ほんと、時々だけれど優しいよね」
由美がゆっくりと眼をつぶり、つま先立ちになった。
リップクリームの味のするキス……しがみつく由美がいとおしかった。
耳元で囁く由美の吐息が擽ったかった。
「好きだよ、川田……大好きだよ……」
「このまま、ホテルでも行こうか……」

「バカ、絶対いや、絶対駄目、川田が私ほど私のこと好きになったらね、考えてもいいけどね……」

 降りしきる雪は今歩いてきた二人の足跡さえも消す勢いで、真っ赤に縁取られたテレビ塔さえ霞んで見えた。
「センター終わったら、どこかに行こうか二人で……」
「うん、温泉とか行きたい……親にも卒業旅行で聡美たちととか色々口実作れるし……」
さすがにこの時間になると観光客の姿さえもまばらだ。
ダッフルのポケットから手を出し、僕の眼の前にそのフリースの手袋を由美が差し出した。
「川田から誘ったんだからね、ゆびきりしよ……絶対だからね……」
 ゆびきりしながら降りしきる雪の中で僕らは震えながら、それでも、今こうして二人でいることを、
サヨナラを切り出すことのできない焦燥感の中で、この時間が永遠に続いてくれることを願った。

 結局、初詣をすっぽかし、24時間営業のファースト・フードで朝方まで由美と僕はいた。

 その約束は果たせずに終わり、僕は東京の大学に通い、由美は地元の女子大に行き、僕たちの関係は終わった。
 ほんとに些細な行き違いで僕らはセンター試験の後に別れた。

 卒業した後、由美から一度だけ携帯にTELがあった。

『大崎君から貴方の番号聞いたの、どうしてる……』
『うん、まあ慣れたよ、もう……なんとかやってる……そっちは……』
『うん、通学にってね親が車買ってくれたのよ、何しろ遠いからね、あの大学……』
『通うの大変だよな、市内じゃないもんな……』
『そうそう、なんたって石狩だもの……ドイナカだよ……』
受話器から漏れる彼女の屈託のない笑い声を聞くのはなんだかとても昔のことのように思えた。

『夏休みとか帰ってきたら連絡くれたりする?』
『……うん、由美さえよけりゃね、お茶でもしようか……』

 ほんの少しの沈黙……。

『私たちなんで別れたんだろう……』
『ああ、たった3ヶ月しか経ってないってのにねえ、なんで別れたんだろう……』

 小さく啜り泣きが聞こえた。

『ああ、やだ……こんなつもりじゃ……川田、ねえ川田……聞いてる?』
『ちゃんと聞いてるさ、由美、大丈夫?』
『……あのね、あのね、あの頃よりもっとね、川田のこと好きなのよ、今も大好きなの、学校で会ってもね苦しくて、苦しくてね、
 でも入試控えてたからね、お互いにね。迷惑になると思ってね、川田にね……』

 由美が泣き止むまでの間、僕は携帯を握り締めていた。

 その年の夏、僕は夏休みの間、札幌に帰っていたけれど、とうとう由美には一度も連絡しなかった。
 なぜあの時由美と別れたのか、その理由すら思い出せない。
 ゆびきりで約束したことは、この先もきっと果たされることはないのだろう。
 確かなことは、ほんの些細な誤解が、別々の時間を二人に与えてしまったということだけだ。

 もうすでにそれは取り返しのつかない過去に成り果てていた、多分そういうことなのだろう。

ゆびきり……

ゆびきり……

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-03

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