ブラザーズ×××ワールド A7

戒人(かいと)―― 07

「あんた……」
「!」
 ぼう然となっていた戒人は、背後からの声に息をのんだ。
 ふり向いたその目に映ったのは、屋台の通りで声をかけてきたあの女だった。
「魔術師のやつは……」
 直後、女は目を見開いた。
 気づいたのだ。
 戒人のそばで血まみれになって倒れている男の姿に。
「あ……あんたが……」
 殺したのか――
 言外のその問いかけに、戒人は首をふる。
「トリス=トラム……」
「!」
「そう名乗った……。おそらく……獣人というやつだ……」
「まさか!」
 ありえないというように女が声を張った。
「獣人が昼間から出るわけないだろ! そんなの……」
 女が言葉を止めた。そしてつぶやく。
「……金狼……」
「何……?」
「そのトリスって〝金狼〟なんじゃないかい!?」
 戒人に答えられるはずもない。
 女もそれに気づいたのか、頭をふり、
「ああ、すまないね。噂には聞いたことがあったけど、まさか本当にそんな獣人がいるなんて……」
 詳しいことを聞こうとして、しかし戒人はそれを飲みこんだ。
「………………」
 細かい質問を重ねても、もはや大きな意味はないと思えた。
 戒人は一番聞きたかったことを口にした。
「ここは、どこなんだ?」
「は? 言っただろう、トリノヴァントゥスだって……」
「違う――」

「この世界は――何なんだ?」

「ああ……」
 女は、納得したようにうなずいた。
「そっか……あんた落ちてきたばかりなんだもんね」
「………………」
 戒人は余計なことを言わず、女に先をうながす。
 女は、息絶えている男を気にするようにちらりと見たあと、ひとまず簡単にという調子で語り出した。
「あたしはここ生まれだけどさ……もともと人間はみんな上から来たって聞いてる」
「上……?」
「ああ、そこから落ちてくるのさ」
 だから〝落人〟――
 一つ腑に落ちた戒人だが、最低限聞いておきたいことはまだある。
「落ちてきた者は……どうなるんだ?」
「え……?」
「みんな……俺のように……」
 戒人の中に、不安が痛みとなって走る。
 麗人と輝人。
 二人の弟たちまでこの世界に落ち、そして自分と同じように――
「神饌として……狙われるのか……」

「それはない」

「――!」
 戒人の目が見開かれた。
 女の口調が変わった。いや口調以前に女そのものが変貌していた。
 女――そう言っていいのかわからない。
 変貌したと言っていいのかもわからない。
 そこに、『女』は、いた。
 いる。かろうじてそう言える。しかし、本当にかと問われれば言葉につまる。そんな不安定な存在へと、彼女は突如として移行していた。
「なんだ……これは……」
 無意識につぶやいた戒人の目が再び見開かれた。
 覚えが――ある。
 目の前の『女』の……〝気配〟とでもいうものに戒人は記憶があった。遠い過去ではない。ごく最近、大きな衝撃と共に刻みこまれた――

(捧げてもらおう――其方の命)

「悪魔……」
 つぶやく。そして、直感する。
 自分をこの世界に落としたのは――この『女』なのだと。
「妾のことを覚えていたようだな」
「!」
 喋った。『女』の周りの空気がゆらめきを放ったという印象だった。
 人の目とは思えない――闇の澱む双眸が戒人に向けられ、
「承諾したのは其方じゃぞ。よもや忘れてはおるまい」
「っ……」
 戒人は唇をかみ、この世界に来たとき最初に感じた疑問を『女』にぶつける。
「俺は……死んだのか」
「死んではいない」
 あっさりと『女』は言った。
「しかし、其方の身体はこの世界に捧げられることになる」
「……!」
 どういうことだ……?
 そう問いかける寸前、戒人ははっと息をのんだ。
「神饌……ということか」
 にやりと笑った。それが答えだった。
「世界は揺れる――」
 歌うように『女』がつぶやく。
「其方は神饌としての役割を果たせ。それが其方の願いの代償じゃ」
「弟たちは生きているのか!」
 その質問に『女』は答えなかった。
 そして、
「!」
 消えた――
 現れたときと同様の唐突さで『女』は消えた。
 目の前に女はいる。
 しかし、そこに先ほどまでの捕えどころのない霞がかった感じはない。
 消えたのだ。
 女の身体――いや存在を借りて語った〝悪魔〟は、すでにこの場より消え去っていた。
「どうしたんだい、あんた?」
 女が心配したように戒人の顔をのぞきこんできた。
 戒人は気づく。自分の身体が冷たい汗で濡れきっていることに。
「落ちてきたって聞いて、そんなにショックだったのかい?」
「………………」
 彼女には自分が自分でなくなっていたことの記憶はないらしい。
 あるはずもない。あの瞬間、おそらく存在そのものが入れ替わっていたのだから。
(くっ……)
 顔をしかめる戒人。
 なんなのだ……あれは?
 人の存在を、世界そのものをも歪める力。
 あの『女』の力で、自分は神饌とされたのか? 少なくとも元の世界では、自分は特筆することなどない平凡な人間だった。
「まぁ、いきなりいろいろあって、驚いたとは思うけどさ……」
 戒人の心の葛藤に気づくことなく、彼女は息絶えている男のそばにしゃがみこんだ。
 その死を悼むように目を伏せ、
「どうしようかね。このままってわけにもいかないだろうし……」
「………………」
 戒人の胸にも苦いものが広がる。理不尽に命を奪われそうになった一方で、この世界に落ちたばかりの自分を救ってくれたのも間違いなくこの男なのだ。
「家族とかいてくれればいいんだけど……」
 女の言葉に、戒人は息をのんだ。
「少し……頼めるか?」
「え?」
「つれてくる……この男の家族を」

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  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-13

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