吹雪祝い
かちゃぼちゃです。今回は「吹雪」をテーマに掌編を書いてみました。吹雪の所為で交通機関が止まって苛立ったのがもともとのきっかけですが、別段吹雪への怒りは込められていません。
大して面白い話でもありませんが、読みやすい内容になっていると思うので気が向いたら読んでみて下さい。
かちゃぼちゃ
吹雪祝い
殴りつけるような吹雪は、視界の色を白く塗りつぶしていた。
近年稀に見る大吹雪。お天道様は人類を蔑んでいるに違いない。だからこんなにも寒いのだ。ここまで自宅に籠っていたいと思う日もそうは無いだろう。
彼は玄関前の雪かきを黙々とこなしながら、その作業から船底に穴の開いた船を連想した。映画で偶に見かける光景だ。海上で船底に穴が開き、船を食らいつくすかのように浸水する。手元にあるのはバケツのような、矮小な道具のみ。入り込んでくる海水を掃き出しても掃き出しても浸水は止まらず、船は海面に呑まれていく。船乗りの努力は報われない。どれだけ頑張ろうとも、それは蟻地獄に捕まった蟻のもがきに等しいのだ。
「それに比べたら、まだマシなのか」
雪かきは手を休めても死なない。そう、死なない。大切なことだ。彼は「我ながら単純だな」と鼻で笑いながらも、どこか身体が軽くなるのを感じていた。
「こんにちは」とどこかで聞き覚えのある声が、まるで壁越しであるかのようにぼんやりと耳に入り込んでくる。彼は条件反射的に挨拶を返した。
ゴキンジョサマだ。姿を確認すると、近所に住む初老の男性が立っていた。「ゴキンジョサマとは仲良くするんだよ」と、幼いころに母親に聞かされた言葉がにわかに記憶の底から浮かび上がってくる。
「いやはや、今日は凄い吹雪ですな」と、男性は立ち止って言うのだった。どうやら、これから世間話が始まるらしい。
「ええ、本当に。雪かきも大変ですよ」
「はは。そうでしょうな」
「今日は、お仕事の方はお休みですか?」
「ええ。休みです。そちらは? 確か、今は大学生でしたかな?」
「あ、いえ。まだ高校生です。今日は休みになりまして……ほら、この天気ですから」
「なるほど」と男性が相槌を打った。ふと手元のスコップを見遣ると、スコップにも雪が積もっている。
「ところで、今日は御近所様に挨拶をしに回っているのですよ」と男性が晴れやかな笑顔で言った。
「挨拶」
「ええ、挨拶を。今日は吹雪ですから」
彼は「はあ、そうですか」と、自身の表情を気にしながら適当な相槌を打った。正直、全く意味が分からなかった。全く意味が分からなかったけれども、興味もなかった。彼はその内容よりも、不理解が表情に出ていないかということの方が余程に気になった。
「吹雪のお祝いということで、こちらをお配りしているのです。つまらないものですが、よろしければ受け取ってもらえませんか?」
男性は彼の不理解を知ってか知らずか、特に細かな説明をするでもなく、鞄から一つの包みを取り出した。彼はその姿から、名刺を差し出すサラリーマンを連想した。
「あ、はい。ご丁寧に。有り難く頂戴します」と彼もまた、名刺を受取るサラリーマンのように形式ばって受け取る。男性は包みが彼の手元に渡ると、満足そうに頷いた。
「それでは。まだ伺っていない家がありますから。これで失礼致します」
男性は最後に「この女神のような吹雪を祝して」と言って一礼する。
「この吹雪を祝して」
彼は、まるで何かの合言葉のようだと思った。男性は彼からの合言葉を聞くと、吹雪の中へと姿を消してしまうのだった。
雪かきを中断して家に戻ると、連絡網で明日も学校が休みになるという連絡を受けた。「成程、確かに吹雪もそう悪いものじゃないのかもしれない」とつぶやく声に、少し弾みがあるのを彼自身で感じている。
「この吹雪を祝して」
彼は噛みしめるようにつぶやきながら、男性が吹雪を女神と比喩していたのを思い出した。女神――神、強大なもの、救い、永遠――言葉から、一人で連想を始める。きっと男性は、吹雪に対して女神と喩えたくなるような何かを経験したのだろう。それが何なのかはわからない。
「このデーモンのような――いや、この英雄のような吹雪を祝して」と、彼は男性の成した女神という喩えを塗りつぶすようにつぶやく。
吹雪という存在に対してこのような好意的な気持ちを向けた体験は、今までにはなかった。それが、存外に悪いものでもないらしい。彼はどこか、苦手を克服した達成感のようなものさえ感じているのだった。
「さて、と」と彼は思考を区切るようにつぶやくと、再び雪かきのために家を出る。不思議と嫌には感じなかった。お天道様は人類を慈しんでいるに違いない。だからこんなにも寒いのだ。
彼は明日まで続くであろう吹雪に「お疲れ様」と声をかける。彼は、今度から少し違った気持ちで雪かきに臨めそうだと、どこか晴れやかな気持ちに満たされるのだった。
吹雪祝い