警視庁特殊事件捜査班事件ファイル 

新人警察官の白羽は、初めての現場で奇妙な事件に出くわす。

捜査本部が立ち上げられ、彼等に同行するある班。

それは白羽の世界を変える出会いだった。

pixiv、小説になろうにも投稿。

第一の事件


「よう、シーロちゃん。初現場だって?」
そんな声とともに、俺の首に太い腕が回った。そのままワシワシと髪の毛をかきまわされて、ついでに頭までシェイクされる。
「ちょっ、やめてくださいよ~志波さん。それに俺は白羽です。シロなんて名前じゃありません」
ついでにその馬鹿力で脳内シェイクしている手を止めてほしい。とは、言えない。これでも先輩には、敬意を払っているつもりだ。
「いいじゃん。可愛いだろ?子犬ちゃん?」
俺は天音白羽(あまねしらは)。今年で28だ。なのに……未だ、未成年や、子犬に例えられたりするのは、持って生まれたこの童顔と、お世辞にも高いとはいえない身長のせいだということはわかっている。わかってはいるが……。
「おい、そこの筋肉男と犬!やる気ないんなら、さっさと出てけ!」
「へーい」
「ちょ、犬って俺のことですか!?冴草先輩っ」
「“待て”もできないのか?シロ」
こりゃあ躾のし直しだな、と冴草先輩が意地の悪い笑みを浮かべる。
ショートカットにパンツスタイルの冴草先輩は、黙っていれば仕事のできる美人秘書に見えるが、一度口を開いたら、その男まさりの言葉遣いや態度に、驚かないものはいないくらいだ。そのギャップがいいと、署内では人気なんだとか。……俺はゴメンだけど。
「……シロじゃないです。白羽です」
この人絶対Sだ……。泣きたくなるのをこらえて、一応名前の訂正だけはしておく。
これは俺のプライドの問題だ。たとえ、扇風機の前の綿埃的なものだったとしても。
「おや、シロ。お前、運がいいな」
すでに鑑識が入っている中、俺達は手袋をして、ガイシャへと近づく。初めての現場に、緊張していた俺は、なんだか気の抜ける言葉に、思わず志波さんを睨み上げた。
「何がです?殺人現場に、運がいいも何もあったもんじゃないでしょうに」
志波さんは、緊張感ってのが全くないのか、でかい体をおもいっきり伸ばして横を歩く俺を見下ろす。
ここはオフィスビルの立ち並ぶ、櫻川市の中心部、紀乃地区の公園。と言っても、ほんの少し木が植わっていて、ベンチがある程度のちょっとした休憩所みたいなところ。
今回の被害者はライトブラウンのスーツを着た、20代前半の女性。仰向けに倒れていて、目立った外傷は見られない。
「いや、こんなきれいな仏さんなのはラッキーだぞ。俺んときは、程よく傷んで、独特の匂いのする首吊死体だったからな……」
あれはきつかったぞ。と、心底嫌そうに顔をしかめた志波さんに、俺は何を言っていいのかわからずに、ただ一言。
「……ご愁傷さまです」
「……おう」
微妙な仲間意識が芽生えた瞬間である。


「殺害現場はここじゃないな」
冴草先輩が、遺体の傍に片膝を付いてつぶやく。慌てて遺体の傍に駆け寄って、状況を確認する。離れた所からではわからなかったが、ガイシャの左胸にほんの少しの血痕と、スーツの上から何かを刺したような、穴があった。
「心臓を一突き。なのに、ここにはほとんど出血の跡がない」
「じゃあ、ガイシャは別の場所で殺されて、ここに遺棄されたってことですね」
「ああ。そういうことだな。鑑識の結果待ちだが、衣服の乱れがないから、薬か何かで眠らされていた可能性が高い」
じゃあ、ガイシャは拉致監禁されて、殺されたのだろうか。素直に思っていることを言葉にしたら、冴草先輩に小突かれた。先入観を捨てろと。余計なことを考えている暇があったら、ガイシャの身元でも当たれと言われ、俺は、志波さんと一緒に鑑識の元へと向かった。

ガイシャの身元は、本人が持っていた社員証から判明した。水樹このみ、23歳。緑桜運輸という、貿易会社の事務をしていた。緑桜運輸のオフィスは、発見場所から、そう遠くはないオフィスビルの7階にあった。

「水樹くんは、勤務態度も真面目で、トラブルを起こすような人ではなかったです」
水樹このみの上司が、脂汗をハンカチで拭いながら証言する。……なにか後ろめたいことでもあるのだろうか。
「特に仲の良かった職員などはいらっしゃいませんでしたか?」
「――それなら」
事情聴取のために、応接室に呼び出されたのは、水樹このみと同じ年頃の女性で、名前を、葉月美奈と言った。彼女は、もともと気が弱い方なのか、オドオドと俺たちの質問に答えた。質問の内容は、水樹このみの交友関係と、トラブル等がなかったか。それと、最後に会った時の彼女の様子などだ。
「なんだか嬉しそうでした。いいことがあったの?って聞いたら、秘密って」
それ以外は知らないと、美奈は言った。嘘を付いているようにも見えないし、礼を言って、俺と志波さんはガイシャの勤務先を後にした。


「ガイシャは水樹このみ、23歳。大手貿易会社の事務として勤務。死因は、先の尖った細い棒のようなもので心臓を貫かれたことによる失血死。死亡推定時刻は9日の午前0時から2時頃と推測される。ガイシャは別の場所で殺された後、遺体の発見場所へ移動された形跡があり、遺体の傍に黒い羽根が落ちていた」
水樹このみの事件は、殺害方法などから、捜査本部が立ち上げられた。会議室には見慣れない刑事の姿。初めての事件でこんなことになるなんて、正直驚きだ。
「シロ、気後れするなよ」
「……わかってます。冴草先輩。うちの所長の右隣にいらっしゃる方が警視庁の方ですか?」
冴草先輩は、腕を組んで不機嫌そうな顔をしながら頷く。俺達は所轄だから、席は後ろのほう。だから、冴草先輩のように腕を組んでいようが、志波さんのようにふんぞり返っていようが目立たない。居心地が悪いのは、この中では俺だけのようだ。
「本庁のお偉方で、都筑凜(つづきりん)。階級は警視正。このヤマ、大きくなるかもしれねぇな」
返事をしてくれたのは、志波さん。志波さんは、都筑警視正を知っているみたいだ。質問しようとして志波さんを見るが、椅子に座っていても俺のほうが見上げなくちゃならないのは、不公平だと思う。
「どうしてそう思うんですか?」
志波さんは苦虫を噛み潰した様な顔をしながら、都筑警視正を見る。明らかに嫌がっているのがわかる。都筑警視正とは、いったいどんな人なのだろうか。
「ハイエナの都筑。あいつの通名だ。大きなヤマにしか出てこない。つまり、あいつが出てきたら、ヤマはでかくなるってわけだ」
「ハイエナって……。都筑警視正は大きなヤマを嗅ぎつけるっていうんですか?」
「大きなヤマって言うよりも、特殊なヤマに興味を示す。今回は先の尖った棒で心臓を一突きなんて、特殊な死に方のガイシャだったから来たんだろう」
それで、冴草先輩の機嫌が悪いのか。俺は色々聞きたいことがあったが、ちらりと冴草先輩を見ただけで、なにも言わずに全て飲み込んだ。今、なにか言ったら、志波さんはともかく、冴草先輩の不機嫌オーラを目一杯浴びなくてはならなくなることが目に見えていたからだ。
顔を正面に向けると、ちょうどプロジェクターで、ガイシャの傍に落ちていた黒い羽根がスクリーンに投影されているところだった。カラスの羽根のような真っ黒な羽根。長さは30cmくらいだろうか。
「科捜研でDNA鑑定をしたが、既存のDNAサンプルと一致しないものだった。……端的に言うと、ありえない遺伝子配列をしている。このことを踏まえて、今回は特殊事件捜査班を捜査に参加させることにした」
都筑警視正の言葉に、ざわつく会議室。特殊事件捜査班?そんなものがあるのか?聞いてみようと視線を冴草先輩に向けると、先輩は正面を向いたまま瞠目していた。
「嘘だろ……?あの、噂の特殊事件捜査班が出張るのかよ……」
志波さんの呟きが聞こえて、俺は冴草先輩から志波さんの方へと顔を向けた。志波さんもかなり驚いているようだ。机に置いた手の指先が、白くなるほど力を入れているのがわかった。
「特殊事件捜査班ってなんなんですか?」
俺だって場の空気が読めないわけじゃない。でも、わからないことを有耶無耶にするのは嫌だった。
「――特殊事件捜査班。本庁にあるとされている部署だ」
「あると“されている”?」
冴草先輩が口を開く。一応俺の質問に答えてくれてはいるが、どちらかと言うと独り言に近い。
「科学や常識では割り切れない。そういった“特殊”な事件を担当するらしい」
「らしい?」
「つまり、あるのかないのかわからない部署なんだよ。どんな人間が所属しているのか。何人いるのか。全くわからねぇ部署。まぁ、あたりまえだな。地道な努力と、科学の力で犯人を逮捕する俺達の、真逆を行く存在だからな」
ふぅ、と大きく息を吐いて、体の力を抜きながら、志波さんは答えてくれた。たしかにそんな部署があるのなら、俺達とは対極を行く存在だ。けれど俺は、いてもおかしくないと思った。努力と科学で解決できる事件が全てではないことを、俺は、『知っている』からだ。
「紹介しよう。入ってきたまえ」
都筑警視正の声で我に返った俺は、会議室中が注目する中、ドアを開けた人影に目を奪われた。
ドアを開けたのは黒のスーツのかなり背の高い男だった。年は26、7だろうか。黒くて少し長めの髪。肩幅は広いけれど、筋肉質って感じじゃない。けれど、見る者が見れば、かなり鍛えているのがわかる。そして、まるでエスコートされるかのように部屋に入ってきた人物を見て、その場にいた全員が息をのんだのがわかった。
神崎泪(かみさきるい)警視と、神代月姫警視だ」
“彼女”は、背丈ほどある、長い銀糸のような髪を、膝のあたりでリボンで束ねていた。ネイビーブルーのワイシャツに、白いリボンタイ。白のスラックス。透けるような白い肌。そして――アメジストの瞳。人形のような左右対称の美貌。
「櫻川署。彼女たちのたっての希望で、所轄の君たちに彼女たちが同行することになった。失礼のないように」
他の刑事に役割が割り当てられ、ざわざわと周りが動き出す。そんな中、俺達3人は、動くことを忘れたかのように、椅子に座ったままだった。

「神崎泪です。彼女は神代月姫。階級は無視して構いません。私達が警視の階級にいるのは、ある程度の自由が保証されているからにすぎませんので」
神崎警視は、近くで見ると、とんでもなく背の高い人だった。多分190を超えているだろう。落ち着いた雰囲気の人だと思った。神代警視も不思議な瞳の人だけれど、神崎警視の瞳も他の人間にはない瞳の色だった。深紅。まさにこの言葉が似合っている。深い、深い紅。けれど、血のような毒々しいものではなく、何故か、少し悲しみが混ざった色だと思った。
「そういうわけには行きません。階級は警察組織を作る上での大切なもの。簡単に無視できるものではありません」
冴草先輩が緊張感を露わにしながら神崎警視を見上げる。俺は、先輩と、神崎警視のことを黙って見守る。俺にはどうこういう資格なんてないし。下っ端だから。二人の間には少しの沈黙。それを破ったのは神代警視だった。
「泪は泪。月姫は月姫。それ以外の何でもない。階級が邪魔なら、ただの刑事として扱って。それで文句をいう人間がいたのなら、月姫が責任を取る。これは一回きりの上司命令。この事件が終わるまで、月姫たちを警視としてではなく、普通の刑事として扱うこと。いいね?」
「……ですが……」
なおも食い下がろうとする冴草先輩と、神崎警視との間に、志波さんが割って入る。志波さんは、冴草先輩を振り返って、ちょっとだけ笑うと、神崎警視へと顔を向けた。
「分かりました。お二人のことはなんとお呼びすればよろしいですか?」
「好きな様に呼んでください。階級で呼ばれなければ、どんなふうに呼ばれても構いません」
ちょっとぶっきらぼうな返事が返ってくる。神崎警視の横にいて、今まで口を開かなかった神代警視がニコッと笑う。……めっちゃ可愛い。
「敬語もおかしいよね?どう見ても志波さんよりも月姫たちのほうが年下だし。冴草さんも。もちろん天音くんも普通の言葉遣いしてよ。月姫たちが普通に話ししてるのに、そっちだけが敬語だとおかしいでしょ?」
俺は、神代さん(こう呼ばせてもらおう)の言葉よりも、彼女が俺達の名前を知っていたことに驚いた。警視庁の警視が、所轄の刑事、俺に至っては新人の、巡査にすぎない人間の名前を知っているなんて思わなかったんだ。神代さんは、俺の心を読んだかのように、今とは違う笑みを浮かべた。なんだろう……神代さんもなんだか瞳が寂しそうに見える。
「月姫たちの班は、情報収集を最重要としてる。本来、ありえないものを扱う部署だから、情報という誰にでも見える形で物事を証明しないと、証拠にならないんだ。泪は機械関係のプロだし、月姫も一般の人よりかは情報収集と処理能力に長けてる」
神代さんはそう言うと、神崎さんを見上げて、アイコンタクトを取り、くるりと方向転換をして、ドアの方へと歩いて行く。
「現場まで案内していただけますか。一般人にはわからないものが残っているかもしれません」
神崎さんも神代さんの後をついていく。彼が促してくれなかったら、俺達はずっとそのままだったろう。
「は、はいっ」
俺達は慌てて二人の後を追い、人数の関係から、冴草先輩を署に残して、現場へと向かった。


現場に着いた神代さんは、まず初めに、ガイシャの倒れていた場所を中心に、公園内をくるりと一周回った。何かを探しているわけではない。ただ、散歩するみたいに無造作に一周。俺と志波さんは、その行動がよくわからずに、ただただそれを見ている。神崎さんには、それが当たり前なのだろう、何も言わずに神代さんの行動を見守っている。続いて、屈みこんでガイシャの倒れていた場所にそっと手を伸ばす。指先が地面に触れた瞬間、ぴくっと一瞬眉を寄せた神代さんは、じっとそのアメジストの瞳で、地面を凝視していた。
「月姫、跡は追えましたか?」
時間にして数分。神崎さんが神代さんに近寄って話しかける。神代さんは、屈んだまま神崎さんを見上げて口を開いた。
「一人じゃないよ。犯人は複数。気配は人間なんだけど……なんであの羽根があったんだろうね」
「貴女にも視えませんか?」
神崎さんが神代さんに手を差し伸べる。その手をとって、立ち上がった神代さんは、立った位置からでも少し見上げる形になる(神代さんも俺より背が高い。多分175はあるだろう)神崎さんに向かって首を振った。
「夜に紛れて、気配しかわからない。ここがオフィスビル群だからだろうね。ここに被害者が遺棄された時刻、人も動物もこの場所にはいなかった。だから、視えない。多少目眩ましの力が働いているようだけれど、月姫には効かないから、多分、これ以上はここで見つかるものはないと思う」
「“目”がなかったのですね」
「うん」
目?
二人の会話についていけない俺と志波さん。今度は神崎さんが、周りを見回す。
「微妙な位置ですね。かろうじて映っていそうな物は……3つほどですか。志波さん、天音さん」
「はいっ」
いきなり呼ばれた志波さんは、緊張して少し声が上擦っていた。いつもの志波さんを知っている俺は、らしくないその様子に、笑ってしまいそうになった。もちろんこらえたけれど。志波さんはそんな俺に気がついたらしい。横目で俺を軽く睨む。……後で謝っとこう。
「今から言うビルに、監視カメラの映像の任意提出を求めてください。まず……」
先に言っておくけれど、公園にあった防犯カメラは、すでに解析済みで、何も映っていないことがわかっている。今回、神崎さんが示したビルは、一見この公園が映っているようには見えなかった。けれど、もしかしたら?
俺と志波さんは頷きあって、言われたビルの管理者に事件当夜の監視カメラの映像を任意提出するように手配した。


「月姫、手伝ってください」
「OK。何すればいいの?泪」
「そちらのPCの画像のトリミングを。できたらこちらに転送してください」
「ん、分かった」
二人は本庁から持ち込まれたパソコンを使って、映像を解析している。ここは櫻川署の小会議室。今回、ここは特別事件捜査班の拠点として使われている。ここはネット環境が整っている。だから、提出してもらった監視カメラの映像を解析するにはいい場所だと、二人は判断したらしい。
二人が情報処理を得意としているという話は本当のようで、ものすごいスピードで画像の解析をしていく二人の姿を、俺達はただただ見ているしかなかった。正直言って、人間ってこんなに動けるんだって思った。キーボードの上を滑らかに滑る二人の手は、まるで別の生き物のようだ。
「泪、トリミングできた。そっちに送るね」
「お願いします」
ものの数分で画像を処理したらしい神代さんは、神崎さんに一声かけると、画像を神崎さんのPCへと転送した。神崎さんの正面のディスプレイに、さっきまで神代さんの方に映っていたカメラの映像が表示される。なんとなくその画像を見ていた俺は、ある一瞬に思わず声を上げた。
「あっ」
神崎さんと、神代さんが揃って俺を振り返る。
「どうしましたか?」
「あ、……えっと……」
ミスった。突然の事だったから、声を抑えられなかった。ごまかしたい。でも……。
「視えたね?」
神代さんのアメジストの瞳が、有無を言わせない強さで、俺をその場に縫い止める。志波さんと冴草先輩の視線が痛かった。
知られたくない。俺に、こんな力があるなんて。きっと知られたら……普通ではいられない。黙り込んだ俺に、神代さんは更に畳み掛ける。
「視えたよね?」
疑問形だけど、それは断定。神崎さんは、俺が反応した映像を巻き戻す。コマ送りで再生される画像。それはある一瞬で止められた。
「これですね。私は、天音さんが反応を示すことがなかったら、見落としていました。月姫はどうですか?」
「視えた。でも、一瞬だから、泪が見落としてもおかしくないと思う。視る力は月姫のほうが上だから。でも、天音くんが“視える”とは、正直思ってなかった。“違う”とは思ってたけど」
神代さんは椅子から立ち上がって、俺のところへ歩いてくると、その細くて白い手で、俺の前髪を避けて、俺の目を覗きこんだ。至近距離のアメジストの瞳。普通の人間なら、その整った顔が近づいているこの状態では、慌てたり、赤くなったりしているところだろう。けれど、今の俺にはそんな反応はできなかった。ただ、俺の秘密をバラさないで欲しかった。普通でいたい。お願いだから――俺を暴かないで。
「いい目、持ってるね」
神代さんの視線が柔らかくなる。顔を離した神代さんは、ふ、と、微笑んで、俺の頭をポンポンと叩いた。
「大丈夫。君はまだ、“こちら側”の人間。月姫たちみたいに“越えて”はいない」
神代さんは俺の気持ちを察してくれたらしい。先輩たちに聞こえないくらいの小声でそう言ってくれた。
「神代さん……」
「覚えておいで。自分を偽るためには、現実をねじ曲げる強い意志が必要だ。見えているものに、引きずられてはいけないよ。“普通”で居たいのなら、常に平常心でいられるように訓練することだね。今の君では、見る人が見ればすぐにバレてしまうから」
神代さんは、いつの間にか傍に来ていた神崎さんを見上げて微笑んだ。神崎さんは神代さんの肩を、そっと抱き寄せる。抵抗することもなく、神代さんは神崎さんに寄りかかって、その目を閉じた。神代さんを見る神崎さんの瞳は、切なそうで、この二人が俺たちとは違う場所にいることがわかった。
「月姫、少し休憩しましょう。疲れたでしょう?」
「月姫はそんなに疲れてないよ。泪のほうが疲れてるでしょ?」
くすりと笑う神代さん。神崎さんは神代さんの髪を撫でながら苦笑する。
「ええ。だから、月姫も一緒に休みましょう」
「お茶、淹れようか?」
「いえ。月姫のお茶はとても魅力的ですが、今は体を休める方が先です。今日の仕事が終わったら、月姫のとっておきのお茶を入れてもらえますか?」
「うん。とっておきのを淹れてあげるね」
神崎さんに背中を押されて、神代さんは休憩用に用意された、ソファーに腰を下ろした。

「神崎さん」
二人が休憩を終えて、パソコンの前に戻るのを確認して、冴草先輩が話しかける。やっと吹っ切れたらしい。もう、神崎さんのことを警視とは呼ばない。
「何ですか?」
「先程、その画面になにか映っているとの話でしたが、何が映っているのでしょう?それに、公園のカメラにはなにも映っていない。それがどうして公園外のビルの防犯カメラに映っていたのでしょうか」
確かに、公園内のカメラならともかく、どうして遠く離れたビルのカメラに犯行現場が映っていたのだろう。志波さんも同じ意見なようで、神崎さんの返事を待っている。
「月姫、貴女はこの画面になにを視ましたか?」
「一瞬だけど、青白く発光した。電気のスパークみたいに」
そうだ。俺もそれが見えたから、思わず声を出してしまったんだ。神崎さんも静止した画面を見て頷く。
「私にも青白い発光物が確認できます。けれど、場所が悪い。それが何なのかは確認できません。公園のカメラに映っていなかったのは、何者かがジャミングを仕掛けたのではないかと」
「ジャミング?」
「ええ。私達は捜査本部が立ち上がる前に、この件の資料を全て見てきました。その中に、公園内の防犯カメラの映像もあったのですが」
神崎さんの手が、キーボードを滑る。画面が切り替わって、公園内のカメラの映像であろうものが映し出される。画面の右下に表示された時間は、午前2時ちょうど。
「ここからコマ送りにしていくと――」
あまり代わり映えしない画像だったが、時間は少しずつ動いていく。そして、30秒経過したところで、いきなりガイシャの水樹このみが何もない画面に現れた。
息を呑む俺達。すでに事切れているらしい彼女は、発見された当時のままの姿で画面に映り続けた。
「被害者が現れた瞬間を、更に細かく解析すると、0コンマ数秒ですが、ノイズが走っていることがわかります。このことより、公園内のカメラには外部からのジャミング、つまり妨害電波のようなものが仕掛けられていたのではないかと推測されました」
だから、公園の外のカメラを調べたのか。俺は、神崎さんがどうしてあんな遠くの防犯カメラを確認するように言ったのか理解した。
「もちろん、ジャミングが公園内に限らない可能性はありましたが、映っているかわからない防犯カメラにまでジャミングをかけるほど、犯人は注意深くなかったようですね」
カタカタとキーボードの音が部屋に響く。音の発信元は、神代さんだ。
「泪、光源を拡大して、サーモグラフィーにかけてみた」
「どうなりましたか?」
神崎さんの前にある、3台のディスプレイの中で、一番大きなものの画像が切り替わる。初めて生で見る、サーモグラフィーの画面だ。確か、温度が高いところが赤くて、低いところが青だったっけ。
画像は、丸くて、真ん中は橙色で、少しづつ淡く、白くなっていって、唐突に黒く塗りつぶされた。さっきから映しだされている、一瞬映った光とその丸い部分は、ピッタリと重なるだろうことは、誰が見ても明白だった。
「……熱反応を確認。過去のデータを参照するなら、ポルターガイストが一番近いかな」
ポルターガイスト?あの、有名な、お化け屋敷なんかで起こるやつ?
「もちろん、別の発熱現象の可能性もあるけど、何者かが、不可思議な力を使って、被害者を遺棄した瞬間と見て間違いないだろうね。こんなピンポイントで、それも犯行時間帯に起こった発熱現象を、無視はできない」
「でしょうね。とりあえず、このことを都筑さんに報告した方がいいでしょう」
そう言った、神崎さんは、なんとなく嫌そうな顔をしている。神代さんはそんな神崎さんを横目で見ると、クスクスと笑った。
「泪、凜のこと苦手だもんね。月姫が連絡しようか?」
「いえ。月姫にそんなことをさせるわけには行きません」
「大げさ」
「どうとでも。あの人と月姫の接点を、なるべく少なくしたいだけです。あの人の月姫に対する行動は、目に余るものがありますから」
神崎さんは、携帯を取り出すと、どこかに電話をかけた。そして、3時間後には、小会議室に都筑警視正が、署長と、本庁の刑事と一緒にやってきたのだった。

「月姫、泪。首尾はどうだい?」
「わかったことがあるからお呼びしたのですが?都筑警視正」
ぶっきらぼうに都筑警視正に言葉を返す、神崎さん。さり気なく、神代さんを警視正から遠ざけているようにみえる。そんな神崎さんの態度を楽しむかのように、警視正は笑みを浮かべる。……この人、かなり性格に難があるのかも。
「相変わらずだね、泪。大丈夫、月姫を取って食ったりはしないから。可愛がるだけだよ」
「それだけでも十分変態ですね。月姫は渡しませんよ。それに、仕事をしてください。あなたの頭は飾り物なのですか?」
クックックッ
楽しそうに笑う警視正。きっと、神崎さんの反応を楽しんでるんだ。……嫌な奴。神崎さんが苦手にしているのもよく分かる。
「ああ、そうだね。仕事は大切だ。月姫を口説くのは、この件が終わってからでも十分だからね」
都筑警視正は、ひと通り笑うと、真剣な顔になった。公私の切り替え。確かに変態が入ってはいるけど、この人は“できる”人だ。キャリアであることを差し引いても、組織のトップ足りえる力量を持っているということか。
「――以上のことから、私達、特事班は、この事件を、複数犯による組織的犯行と考えます。また、犯人の中に、ハッキング、または、クラッキングの腕を持つ人間が、少なくとも一人はいるであろうことを認めます」
警視正は、神崎さんを見据えて口を開く。神崎さんも、さっきみたいに刺々しい態度ではなく、まっすぐに警視正の視線を受け止める。神崎さんも、神代さんも、そして都筑警視正も、ホントのプロなんだ。俺ぐらいの下っ端が敵う相手じゃない。
「泪、お前には、このハッカーが誰であるかわかっているんじゃないか?」
「どうしてそう思います?」
「サイバーテロ対策課は、こういった件のプロフェッショナルなんだろう?」
え?
なんで、ここでサイバーテロ対策課が出てくるんだ?会議室内の視線が、神崎さんと、都筑警視正へ集まる。静まり返る部屋。少しして、大きく息を吐いたのは、神崎さんの方だった。
「……現在、指名手配されている、ハッカー『ケルベロス』の手口によく似ています」
「『ケルベロス』?」
「『ケルベロス』。大手銀行、テレビ局など、数百社をハッキングしたハッカー。時に大げさとも思われるギミックを使い、時には誰にも気づかれない程の高度な技術を惜しげも無く使って恐れられた、天才ハッカーのこと。表立っての活動期間は5年前から3年前までの2年間。3年前からは表舞台に出ることもなく、足を洗ったかのように見えたけれど、今年の1月までに起こった、犯人を特定できないハッキングの一部が、『ケルベロス』のものではないかと、サイバーテロ対策課では調査をしてる」
そう言ったのは、神代さんだった。都筑警視正が、視線を神崎さんから、神代さんへと移した。
「その『ケルベロス』が関与していると?」
その質問は、果たしてどちらに向けられたのか。返事を返したのは、今度は神崎さんだった。
「あくまでも、似ているというだけですが。……それよりも、そちらの状況はどうなっていますか」
神崎さんはちらりと神代さんを見て、その後、警視正へと向き直った。何故か、神代さんは背を向けたままだ。さっきは神崎さんのほうが、警視正を嫌がってたのに、今はどちらかと言えば神代さんが嫌がってるように見える。でも、それを聞くような雰囲気ではないし、俺はどうこう言える立場じゃない。はっきり言って、俺達は部外者だ。警視正と、神崎さんと神代さんの関係は、本庁の警視正と警視という立場だけじゃないように見える。元に三人共、名前で呼び合ってるし。
「周辺の聞き込みは全て空振ってる。不審者や不審車両の方もあたっているが、今のところ引っかかっていない。もちろんNシステムもすべて見ているが、未だに収穫はゼロだ。強いて言うなら、今、お前たちがよこした情報が、確認されている中で一番確実なものだな」
その後、簡単な打ち合わせをして、都筑警視正たちは、部屋を後にした。
俺にとって最初の事件は、一日目にして、ジェットコースターのようなめまぐるしい展開を見せることになった。その日、俺達は、夜の10時を過ぎたころに神崎さんから、帰宅していいとの指示を受けた。冴草先輩と、志波さんは、本部の方に行くという。俺も一緒に行くといったが、志波さんに、「お前は休め」と言われてしまった。やっぱり俺はひ弱に思えるのだろうか。落ち込みそうになった俺に、志波さんは、「初めから飛ばし過ぎると、痛い目見るぞ、シロちゃん」と、またまた力任せの脳内シャッフルをかましてくれた。手を離されても、ぐらんぐらん揺れる視界。思わずうめいた俺に、今度は冴草先輩が言う。「先は長い。休める内に休んでおけ。犯人逮捕の前に倒れたら、元も子もない」と。神崎さんも、パソコンの電源を落として、神代さんを促して、二人で帰り支度を始めた。お言葉に甘えよう。俺はそう思い、自分の荷物のあるロッカーへと向かった。

第二の事件

「あ、神崎さん」
2日後の昼過ぎ。捜査本部の方から戻ってきた俺は、休憩所で、缶コーヒーを片手に、窓の外を見ている神崎さんに会った。捜査の進展はなく、本部も煮詰まってきているところだ。神崎さんも一息つきに来たのだろう。
「天音さん。捜査本部の方はどうでしたか?」
振り返ってちょっと疲れた顔で微笑む神崎さん。そういえば、神代さんも朝、会った時に、少し顔色が悪かった気がする。
「相変わらず進展なしだそうです。皆さん頑張ってくださってるんですが」
俺も自販機でカフェオレを買って、長椅子に腰を下ろした神崎さんの横に座る。神崎さんは、ため息を付いた。
「そうでしょうね。この件は、一般的な事件とは、少し毛色が違っていますから」
「そういえば、神代さんは?いつも一緒にいらっしゃるのに」
休憩所には神崎さんの一人だけ。神代さんがいた形跡すらない。神崎さんは俺に向かって苦笑いをした。
「常に一緒にいるわけではありませんから。私も月姫も人間です。一人になりたい時もありますよ」
そう言って神崎さんは、視線を窓の外へ向けた。ここは3階。見えるのはよく晴れた空だけだ。
「さっき月姫が、この署の前に、小さな池と林を見つけたんです。署の方に伺ったら、近隣の方々の憩いの場だそうですね。月姫はもともと、自然の中で力をチャージするタイプの能力者なので、嬉しそうに散歩に行くと出かけて行きました。今頃は林の中でひなたぼっこでもしているでしょう」
彼女も疲れていますから。
神崎さんはそう言って、缶コーヒーを飲み干した。丁度いい。俺は今まで聞きたかったことを聞こうと、口を開いた。神崎さんは俺が声を出す前に、人差し指を口に当てて、静かにするように俺にジェスチャーすると、ぱちんと指を鳴らした。休憩所を囲うように薄い青白い膜のようなものが現れるのがわかった。
「少し人払いの結界を。あまり聞かれたくはないでしょう?」
「結界って、この青白い膜みたいのですか?」
俺がそう言うと、神崎さんが瞠目する。ん?俺、なにか悪いこと言ったかな。
「――確かに、よく見えている。月姫の言うとおりですね。天音さん、結界を物質としてみることは本来できません。月姫は視ることに特化しているので見えますが、結界を張っている私自身にも、結界は見えないものなんです」
「え?そうなんですか?」
じゃあ、どうやって結界が張れているのかわかるんだろう。って言うより、結界ってそもそも何なんだろう。神崎さんは俺の心を読んだかのように、笑った。
「結界というのは、いわゆる超能力と言われる力で、限定した場所に起こって欲しい事象を書き込むことだと、私達は認識しています。もちろん、他の宗教団体や、霊能力者と言われる方々は、どう定義しているのかはわかりませんが」
目を伏せて、神崎さんは続ける。
「人払いの結界は、人が近づきたくないと思うような場所を作るということです。幽靈や妖怪、化け物。科学で証明されていないものを寄せ付けないようにする結界というのも、『それらが近づけない場所』というものを、能力者が普通の人間にはない力を持って、その場に定義づけることで起こる現象に名前をつけたに過ぎないと、私は考えています」
んー難しい……。
俺はそんなに頭がいいわけじゃない。だから、神崎さんの言っていることが、イマイチよく分からない。
「えっと、それって、特別な力で『近づくな』って壁を作っちゃうってことでしょうか」
クスクスと神崎さんは笑う。う~っしょうがないじゃん。俺、馬鹿だもん。
「とてもわかり易い表現です。そうですね。普通ではない力で、壁を作っているということで合っていますよ」
「じゃあ、能力者って何なんですか?」
俺は、一番聞きたかったことを聞いた。俺は多分、神崎さんが言う能力者の一人なんだろうってことはわかってたから、能力者がどんなものなのかが知りたかったんだ。
「能力者とは、ですか。難しい質問ですね」
神崎さんの深紅の瞳が、俺を映す。
「私や月姫のように、見えないものを見て、聞こえないものを聞く。一般人に知覚できないものを探知し、一般人が使うことのできない力を行使する、イレギュラーな存在。とでもいいましょうか」
「イレギュラー……」
つまりそれって……
「多分、あなたが今思っている通りの存在ですよ。特に私と月姫は、外見にも影響がありますから、とても苦労しました。あなたは月姫の言った通り、私達側には来ていません。力のことなど忘れて、普通の生活をすることを心がけることです。強い力は、人を不幸にしますから」
神崎さんは、腕時計を見て、立ち上がった。
「月姫が出て行って2時間ほど経ちます。そろそろ迎えに行ってあげないと」
缶をゴミに放り込んで、神崎さんは休憩所を後にする。いつの間にかあの、青白い膜はなくなっていて、休憩所に一人取り残された俺は、神崎さんが一瞬だけ見せた、悲しそうな表情を、忘れることができなかった。



〈――より入電。谷沢署管内にて、殺人死体遺棄事件発生。――はすみやかに――〉

櫻川署の南に位置する、谷沢署で、第二の事件が起こったのは、その日の夕方だった。死体遺棄現場は、緑地公園内で、発見したのは犬の散歩中の男性だった。
俺と冴草先輩と神崎さん、神代さんが、現場に駆けつけた時、すでに鑑識と、一課の刑事は捜査を始めていた。立入禁止のテープが貼られた公園は、普段は子どもや、たくさんの市民にとっての憩いの場所であるだろうことが、初めて来た俺にも分かった。
神崎さんは、鑑識と話している。
神代さんは一緒に神崎さんの話を聞いた後、前の時と同じように、公園を、遺体の遺棄されていた場所を中心にぐるっとひと回りして、遺体へとそっと手を伸ばす。細い指が遺体の服に触れる。その瞬間、神代さんの体がぐらりと傾いだ。
「月姫!」
神崎さんが神代さんを抱きとめる。神代さんは息を切らして、苦しそうに頭を抱えた。
「月姫!」
切羽詰まった神崎さんの声。
神代さんはかすれた弱々しい声を出す。
「金の・・・目が・・・月姫・・・見て・・・」
神崎さんは小さく舌打ちをすると、力づくで神代さんの腕を払いのけて、草の上に押し倒した。これには俺たちも驚く。何が起こってるんだ?!
「月姫!私の目を見なさい!」
暴れる神代さんを地面に縫い付けて、神崎さんは叫ぶ。それでも正気に戻る様子の無い神代さんに、神崎さんは顔を近づけて・・・ディープキスをした。それはそれは長いもので、現場にいた人間は残らず赤くなる。
酸欠からだろうか。呻いて、暴れていた神代さんが、少しずつおとなしくなっていく。そして、パタンと最後まで力を残していた左手が、地面へと落ちた。
「月姫、後でどんなことでも聞いてあげますからね」
唇を離した神崎さんは、そっと神代さんの唇をぬぐって、ぐったりした神代さんの前髪を掻き揚げた。ぼんやりしたアメジストの瞳が、神崎さんを見上げている。神崎さんは、神代さんの頬を両手で包み、また顔を近づけた。
「月姫、私の目を見てください」
しんとした公園に、神崎さんの声だけが響く。落ち着いた、静かな声。抑揚の無い、無機質な声。
「そう、私の目だけを見て。私の目以外、今の貴女の瞳には映らない。・・・もっと集中して。月姫には私の声しか聞こえない」
刑事たちも固唾を呑んで見守る。
「月姫、今から貴女が見たものを封じます。それを思い起こすための鍵は、私しか持っていません。貴女の意思でも封じられた記憶を呼び起こすことはできません。貴女の記憶は、私が引き受けます」
ゆっくりと神代さんは目を閉じていく。神崎さんは神代さんが目を閉じるのを確認すると、目尻に浮かんだ涙をそっと指で拭って、彼女をそっと抱き上げた。
「公園の入口に防犯カメラが設置されているようです。画像をすぐに回収してください。それとすみませんが、月姫を休ませたいので、どなたか署まで送っていただけますか」
「あ、はいっ」
俺が手を挙げる。車を回してきてドアを開けると、神崎さんは神代さんを抱えたまま後部座席に座った。
署に着くまでの間も大事そうに抱きしめたままで、神崎さんにとって神代さんは本当に大切な人なんだとわかった。

署に着いてからも、神崎さんは神代さんを離すことはなかった。それが当たり前みたいに、彼女を姫抱きにして、署員が驚いてみているのもお構いなしに小会議室に向かい、そっとソファーに横にして、自分はその横に膝をつく。
「月姫」
そっと手を握り、神代さんの名前を呼ぶ神崎さん。
メルヘン思考は持ち合わせていない俺にも、その光景はおとぎ話の一部分みたいに見えて、後から到着した冴草先輩達は、そんな二人を見て固まってしまった。
ああ、俺と同じこと考えてるんだな……。なんとなくわかってしまう。
「月姫」
神崎さんが何度か名前を呼ぶと、神代さんは小さく身じろいだ。
ほっと胸を撫で下ろす俺達。
「月姫」
アメジストの瞳が姿を現す。
「どこか具合の悪いところはありませんか?月姫」
そっと手を差し伸べて神代さんを起こす神崎さん。神代さんは神崎さんを見て、不思議そうに小首を傾げた。
「泪……?月姫、どうして寝てるの?」
え?
俺達は神代さんの様子に戸惑ってしまった。彼女は公園で倒れる前のことを覚えていないのだろうか。
そんな俺達を無視したまま、神崎さんは微笑んで神代さんの髪を撫でる。
「覚えていないのならいいんですよ、月姫」
一瞬、神代さんの瞳が揺れた気がしたのは、俺だけだろうか。
「もしかして、神代さんは……」
「月姫に余計なことを言わないでください」
冴草先輩の言葉を遮るように言い放ち、いつもとは違う冷たい目で俺たちを見る神崎さん。
「泪……?」
神崎さんは神代さんに視線を戻すと、優しく微笑んで、彼女をそっと抱きしめた。
「気にしないでいいんですよ。月姫は何も心配しなくていいんです」
神代さんは抵抗すること無く神崎さんに抱きしめられる。
「泪?」
不思議そうに神崎さんを見つめる神代さん。
「いいんです」
まるで自分に言い聞かせるみたいな言葉。神代さんは腕を伸ばして神崎さんを抱きしめ返すと、ふっと微笑んで瞳を伏せ、ひとりごとのようにポツリと呟いた。
「ウソツキ」


その後、仕事を再開した神崎さんと神代さんは、公園の入口にあった防犯カメラから、前回と同じような発光現象を見つけ出す。
その後の捜査会議で、また同じ黒い羽が現場に残されていたということや、凶器が先の尖った棒のようなものであること、死因が失血死だったことから、この事件は連続殺人事件と断定された。
死んだのは25の佐々木祥太という会社員。
ここまでわかったのに。
それ以上の進展がないまま、また時間が経っていく。


第二の事件が起きてから2日目の夜。俺は煮詰まった頭を冷やすために、署の屋上に上がった。
「うー、ちょっと寒い」
やっぱり夜はまだ冷える。
非常ドアを閉めたところで、俺は先客がいることに気がついた。
夜空に浮かぶ月を見上げる白い人影。一瞬幽靈かと身構えたけれど、それはすぐに間違っていることに気がついた。
「おや、天音くん。どうしたの?」
振り返った彼女は俺を見てふわりと笑った。
「神代さん」
俺は胸を撫で下ろす。
「煮詰まっちゃったんで……頭冷やしに来ました。神代さんは?」
神代さんは笑ったまま。
「神代さん?」
「君の目には何が映っているかい?」
え?
我ながら、間の抜けた顔をしたと思う。
「君の目には何が映っているかい?」
……
神代さんが何を言いたいのか、俺はなんとなくわかってしまった。
溜め息をついて、俺は口を開く。
「時々不安になるんです。俺が見ているものは本当にそこにあるものなのかって。一般人とは違うものを見てるんじゃないかって考えて、答え合わせする時が一番怖い」
そう。それが俺は一番怖い。普通じゃなくなるのが……怖い。
「どうすれば楽になれますか」
クスリ
「言ったはずだよ。自分さえも騙せる嘘つきになればいい。視えるものを見えないと、聞こえるものを聞こえないと、耳をふさぎ、目を閉じて、沈黙を守れば君は普通でいられるだろう」
笑ってる。笑ってるのに……すごく悲しそうなのは何故?
「貴女は、どうだったんですか?」
「そんな選択肢はなかったよ」
アメジストの瞳がゆっくりと閉じられる。風になびく長い銀の髪。白く浮き上がるような神代さんの姿。
今にも――消えてしまいそうな気がした。
「神……」
「月姫」
振り返ると、いつの間にそこにいたんだろう、神崎さんの姿。
まるで俺のことが目に入っていないみたいに、俺の横を通って、神崎さんは神代さんを抱きしめた。
「月姫」
まるで壊れちゃったみたいに、何度も何度も神代さんの名前を呼ぶ神崎さん。
どうしていいかわからない俺。
時間だけが経っていく。
不意に、アメジストの瞳と目があった。
「血は流れる。天音白羽。君はすべてを見届けることになるだろう」
「それはどういう……」
ことですか。
そう続けたかった俺。けれど、その言葉は神代さんには届かなかった。
「神代さん!」
急にぐったりして、神崎さんに抱えられる神代さん。
「月姫は……今のあなたとの会話を覚えてはいないでしょう」
俺とは対照的に、抑揚のない感情を押し殺した声。
「え?」
「神託というのを知っていますか?」
神託……あの、RPGとかで聞いたりする?
戸惑う俺。
神崎さんは神代さんを見下ろしたまま口を開く。
「月姫は見えないものを見、聞こえないものを聞く……そういう女性ですから」
神崎さんはそう言うと、神代さんをそっと抱き上げて、俺の横を通り過ぎ、ドアの向こうへと消えた。

第三の事件


「クソっ」
椅子を蹴りあげる捜査官。
第二の事件が起きてから、既に3日。
捜査官の中には、本当に連続殺人なのかという声が聞こえ始めた。
俺達も何も情報を得られないまま、焦燥感だけが募る。
このままお蔵入りになってしまうことなんて無いよな……。
そんな不安を俺が感じ始めた頃、起こってしまったのだ。第三の事件が。


水の止まった噴水の中。被害者は横たわっていた。
運動公園の噴水の中に人が倒れている。
そう通報が入ったのは、昼過ぎのこと。
発見したのは清掃員だった。
「誰かが人形でも捨てたのかと思ったんです」
真っ青な顔をしながら、俺達の質問に答えてくれた年配の清掃員は、発見した当初のことを事細かに語ってくれた。
公園の管理をしている町役場から連絡があったのは、今日の10時過ぎ。
清掃会社には、噴水の中に異物があり、水があふれているという内容の連絡が入った。
清掃員が到着したのは11時半ごろ。
噴水の水を止めて、掃除をすることになり、水を止めたのはその20分後だった。
水が止まり、掃除用具を持って清掃員二人が噴水に近づくと、遺体があったという。
驚いて通報したのが12時05分。
町役場に連絡を取ると、噴水の異物の連絡は町民からのもので、朝の6時過ぎに散歩をしていたら水があふれていたというものだったらしい。
他の捜査官が、役場に連絡をした町民に話を聞きに行く。
俺達は、第二の事件と同じように神崎さんと神代さんの様子を少し離れたところから見学する。
神崎さんは、前と同じように噴水の周りをくるりと回る神代さんを、心配そうに見ていた。
その姿は、まるで何かに怯えているようだ。

ぴちゃん

噴水の縁に座って、神代さんはそっと水の中に手を入れた。
神崎さんは、きっといつでも神代さんを引き剥がすことが出来るようにだろう、すぐ近くへと移動している。

びくんっ

神代さんが震える。
思わず身構える俺達。
またこの前のようなことが起こるのだろうか。
そう考えたが、その後に神代さんが落ち着いた口調で喋り始めたことで、それが杞憂だということがわかった。
「黒い髪……笑ってる……。人の気配……4…5…6人。何か……光を反射してる……」
神代さんが空を見上げる。
そして――
「羽根が……降ってくる」
ぐらりと神代さんの体が傾く。抱きとめたのはもちろん神崎さん。
心配そうに神代さんの顔を覗き込む。
俺達も慌てて駆け寄ると、神代さんは息を切らして、少しうつろな目をしていた。
「大丈夫ですか!?」
声をかけると、様子を見ていた神崎さんがほっと息をついた。
「大丈夫。少し力を使いすぎただけです。休めば良くなります」
神崎さんは神代さんを支えたまま、あたりを見回す。
彼が何を探してるかなんて、わかってる。
俺も同じようにあたりを見回す。
そして、ここから200mは離れたところにある街灯に目をつけた。
多分、あの街灯にはカメラがついてるんじゃないかな。
あそこの街灯にも、公園の入口の街灯に付いていたカメラと同じ位置に、何かが取り付けられているように見えるからだ。
神崎さんに視線を向けると、神崎さんは赤い瞳で俺を見返して頷いた。
「俺、カメラの映像、手配してきます」
「お願いします」
俺は公園の管理事務所へと向かった。


「とうとう3人目か」
志波さんがガリガリと頭を掻きながら呟く。
冴草先輩は落ち着かないのか、そこら辺を歩きまわっている。
さっきから神崎さんと神代さんは、公園の防犯カメラの解析をしていて、一言も喋らない。
俺は、ホワイトボードに貼り付けられた地図に、事件のあった場所の印をつける。
白い地図に赤いマーカーがひどく目立つ。
まるで……血の跡みたいだ。
そう思いながら椅子に座ろうとした俺は、一度目を離した地図を振り返った。
なんだか、引っかかった気がして。
「……?」
ホワイトボードに向き直って、俺は腕を組む。
「どうした?シロ」
カツンと靴音を立てて冴草先輩が立ち止まる。
俺は首を傾げる。この印……なんだか……。
「三角……?いや……なにか記号かな……」
「記号?」
俺が振り返ると、神崎さんが俺を――いや、地図を見ていた。
「えーと、そう見えません?第一の事件が北で起きて、次が南。今回のは……」
今回は東だ。
神代さんが席を立つ。
「待って。確か第一の事件は6月4日だったよね」
「ええ」
志波さんが資料を確認する。
「第一の事件が6月4日。第二の事件が6月6日。今日は、6月9日ですね」
神代さんは俺とは違う色のペンを取り出して、地図に線を引いた。
第一の事件の現場と、第二の事件の現場をつなぐ一本の線を。
そして、今日起きた事件現場と、線をまたいで対称の位置に印をつける。
瞠目する神崎さん。そして、少しかすれた声でつぶやいた。
「まさか……逆十字?」
「だとしたら、あの羽根の意味……分かるよね」
「逆十字って?」
俺の問に答えてくれたのは、冴草先輩だった。
「逆十字って言えば、一番最初に思いつくのは――悪魔崇拝」
「「あっ、悪魔崇拝ぃ?!」」
俺と志波さんの声が重なる。
「天音くん、悪魔ってどんな姿してると思う?」
カタカタとキーボードを叩きながら神代さんが口を開く。
えーと……悪魔って言うと。
「黒くて、コウモリみたいな羽根と、尻尾があって……」
「じゃあ、悪魔の長であるサタンは、元は天使だったって話知ってる?」
「え?」
初めて聞いた。
瞠目する俺達に、神代さんが続ける。
「サタンは別名ルシファー。元はルシフェルっていう大天使長だった。でもある時、神に反旗を翻し、結果、大天使ミカエル率いる神の軍に負けて堕天したと言われてる。その容姿は、黒や赤い肌、尖った耳、鋭い牙、裂けた口。山羊の角、羽と尻尾、そしてかかとがない」
ん?かかと?
ちょっと首を傾げると、神代さんはくすりと笑った。
「ま、簡単に言っちゃえば、黒い羽と、尻尾に角って感じかな。で、さっきの逆十字のことだけど、聖ペトロ十字って本当は言うんだけどね。神の恩寵への反駁とか、主の恩寵からの離脱なんてことを言われるんだ。転じて、悪魔崇拝の象徴なんて言われる」
「盲点でした。黒い羽が現場にあった時点で、真っ先に疑わなくてはいけないはずだったのに」
神崎さんの手がキーボードを滑る。
話をしながらなのに、二人の手は止まることはない。
それどころか、もっと早くなってる気がする。
「犯人が悪魔崇拝者だったとしたら、犯行の日にちがどうして決まったのかはだいたい分かる」
「突発的ではないと?」
冴草先輩の言葉に頷く神代さん。
「悪魔崇拝者にとって、特別な数字といえば、何だと思う?」
俺と志波さんは既にお手上げ。冴草先輩と、神代さんの会話を傍観する。
「666」
「正解。映画であったね。オーメンだっけ。犯人が悪魔崇拝をしているとして、こんな事件を起こすとしたら、少しでも『それらしく』見える日を選ぶと思わない?」
「だから、6月ですか」
「月姫だったら、そうすると思う。4は死。9は苦。これは日本の考えだけど、それらしくは見えるでしょ?6日はもちろん666になぞらえてるんだろうと思う」
タタンとキーボードと叩く音。神代さんはディスプレイを見ながら笑った。
「でも、もう4も9もつく日はないんじゃ……」
「もう一つオカルト的な意味で使われる数字があるじゃないか」
そんな数字が……あった。
俺はカレンダーを見る。
「13日……それも金曜日」
「それだけじゃない。その日は新月なんだよ。世界が闇に包まれる日だ」
その日はおあつらえ向きというか、まるでその為にあるかのような日だった。

警視庁特殊事件捜査班事件ファイル 

警視庁特殊事件捜査班事件ファイル 

主人公の警察官が出会う、不可思議な殺人事件。 警視庁は、事件解決のために「特殊事件捜査班」という不可思議な事件を専門に扱う、二人の男女を呼び寄せる。 他人とは違う能力を持った、能力者と、普通でいたいと願う主人公が、事件を追う。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-02-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第一の事件
  2. 第二の事件
  3. 第三の事件