桃色ファンタズム
新堂ユリはもどかしさを感じていた。自分の力ではどうすることもできないその無力さに。
彼女はどこにでもいるただの中学三年生の少女だ。
ショートボブの黒髪に、まん丸とした大きな瞳と桃色の唇。同い年の女の子と比べたら少し身長は小さめで、それほど美人というわけではない。
他に特筆すべき点をあげるとしたら、アーチェリー部に所属しているくらいだろう。
ユリがもどかしさを感じている原因となっているのは、最近テレビで何度も報道されている、“東京ミュータント襲撃事件”のことだ。
ミュータント――突然変異体が突如として東京に出現し、人々を襲っているのである。
今のところ自衛部隊によって排除されているが、問題はどれだけ倒しても湧き出てくることだった。
自衛部隊が戦うために必要な資源は無限ではないため、むやみに戦い続けることもできない。消耗戦を続ければ戦う力さえ失ってしまうことから、国のトップも頭を抱えている状態だった。
また、ミュータントから採取したサンプルをもとに、あらゆる分野の科学者たちが研究を始めているが、良い成果や新たな発見は報告されていない。
ここまで国が動いても解決できない事件に、たった一人の女子中学生がどうこうできる話ではない。
そんなことはユリもわかっていた。
けれど、このまま黙って見ているわけにもいかなかった。
ユリが住んでいる区域はまだミュータントの被害にはあっていないが、隣の区では被害が出ているという。
このままだと、いつユリの大切な人が被害にあうかもわからないのだ。
自分に出来ることを見つけたい。
だけど何も思いつかない。
そんなどうしようもない思いを募らせて、もう数え切れないほど夜を迎えた。
今日もいつものように不安を抱えたまま夜を越えて、朝を迎えられることに感謝し、テレビを付ければ心が締め付けられるような辛いニュースを目にする、はずだった。
世界はそんな彼女のことを放っておかなかった。
突如として、まばゆい光が部屋の中を包み込み、ユリの前に何者かが現れたのだ。
あまりの突然の出来事に、ユリは身を強張らせたままベッドの上でその光景を見つめていた。
ユリは不思議なことに大声をあげたり、慌てたりすることはすることはなかった。
それは、彼女の前に現れたのは、金色の髪に青い瞳、漆黒のドレスを見に纏う、まるで西洋の人形のような女の子だったからだ。
「私の名前はアリス。新堂ユリ。貴女の想いは、私がカタチにしてあげる」
有無を言わさず、ユリは桃色の光に包まれる。
ユリは逃げ出すようなことも、声を上げることもしなかった。
それは、アリスと名乗る女の子の姿に、どこか懐かしさを感じていたからだった。
――こうして“想いをカタチにする魔法少女”が誕生した。
「ユリ。もう少しで目的のポイントまで辿り着けるわ」
「か、簡単に言ってくれるけど、ここのミュータントの数、ハンパないんですけどっ!」
ユリとアリスは、東京の地下深くにある廃棄物処理施設に向かっていた。
無尽蔵に出現するミュータントは、いくら倒してもキリがない。
それなら、ミュータントが出現する根源を対処するしか他に方法はなかった。
アリスはミュータントが出現するポイントを感じ取ることができるため、ユリはアリスの指示に従って、その場所へと向かっているのだった。
「貴女の力があれば、ミュータントの攻撃も恐れることは無いでしょう」
「いやいや、メチャクチャ怖いよ! こんなにたくさんいたらフツー泣き出しちゃうって」
ユリは泣き言を言いながらも、手にした弓矢を使ってミュータントを倒していた。
アーチェリー部員の腕が、まさかこんなところで役に立つとは彼女自身も思っていなかった。
もちろん、いくらアーチェリーの経験者とはいえ、女子中学生が放つ矢でミュータントを倒せるわけがない。
ユリが放つ矢は桃色の光を灯しており、その光がミュータントになんらかの影響を与えていることは間違いなかった。
二人は気が付けばお互いツッコミを入れあえるような、そんな関係になっていた。
ユリは不思議と、アリスのことを他人事のように思えないのだった。
「ユリ。ミュータントの気配が濃くなっている。根源に近づいているわよ」
アリスの言葉によって、ユリの身体に緊張が走る。
そして、遂にユリはミュータントが誕生する現場に辿り着いた。
「こ、これって……」
ユリが目にしたのは、大量に溢れ返っているゴミの山だった。
それも、よく見ればまだ使えるような、そんなモノばかりが山積みにされていた。
家電や家具に、洋服や玩具。別の区画には、家庭から排出されるゴミが溜め込んであった。
家庭からゴミが出るのは、そこに人が暮らしている以上は当然のことだが、それでも、これほどの数のゴミが出るものだろうか。
ユリは自分の事を振り返ってみる。それは引越しをした日のことだ。
新居に移り住むからといって、まだまだ使えるモノを捨て、わざわざ新しいものを買っていたことを思い出した。
その中には玩具もあったはずだ。幼い頃、あんなにも大切にしていたはずなのに、どうして手放してしまったのだろう。
ユリの心は、そんな後悔の念に支配されつつあった。
「ユリ。貴女はここに、思い悩むために来たわけではないでしょう? 現実から目を背けないで。ほら、よく見て御覧なさい」
アリスの透き通った声に、ユリは我を取り戻した。
そして、機械がゴミを処理している場所から、次から次へとミュータントが生まれている様を目にした。
「人は、ゴミの処理を全て機械に任せるようになっていた。そうすることで、自分たちが犯している罪から目を背けるようになったのよ。だから、ミュータントが生まれる場所も分からない。本当に救い様がないわ。自分達の行いが、ミュータントを生み出していることに気付いていないのだから」
「……」
ユリはずっと黙っていた。
自分達の行いが更なる悲劇を生み出している。
この事実を人々は知らないままで良いのだろうかと、頭の中で自問自答を繰り返していた。
「これは、言わば人に捨てられたモノの復讐ね。買ってもらったときは、とても大切にされるのに、ちょっと時間が経てば飽きて捨てられる。命が宿っていないというだけで、モノはこんなにも粗末な果てを迎えるのよ」
「モノの……復讐?」
ユリがその言葉を口にした瞬間、彼女の頭にフラッシュバックが走った。
まだ幼かった頃、お母さんに買ってもらった西洋人形。
そのときはとても嬉しくて、まるで自分に妹ができたみたいだった。
櫛で紙をとかし、肌を拭いて、夜は一緒に眠った。
そんな大切に接していた人形とも、ユリが歳を重ねるにつれて、しだいに距離が生まれるようになった。
そして、引越しが決まったある日、ユリはその西洋人形を置き去りにしたのだ。
「ほんと、人って薄情だわ。大切な想いさえ、簡単に忘れてしまう。ミュータントだって、何も人を襲おうとして生まれてきたんじゃない。本当に、何もわかってな――」
アリスが言葉を言い終えるその前に、ユリはアリスのことを強く抱きしめていた。
「な、ちょっとユリ? い、痛い」
「ごめん。私は貴女をずっと一人ぼっちにしてしまった。寂しかったよね? 怖かったよね? 暗いところにずっと閉じ込められて、心細かったよね? 私、本当に忘れてしまってた。こんな大切なこと、すっかり忘れてた」
ユリは泣きながらアリスに対して謝り続けた。
彼女は思い出したのだ。アリスという名の少女は、かつて自分が幼い頃に買ってもらった人形で、そして引越しの際に置き去りにしたのだと。
「……まったく。思い出すのが遅いのよ。ここまで来て、貴女が私の事に気が付かなかったらどうしようかと思ったわよ」
アリスは、その小さな手でユリの頭を撫でた。
「言っておくけど、私は謝って欲しくて貴女の前に現れたわけじゃないの。私を含め、多くのミュータント達の望みを、今の貴女なら分かってくれると信じているし、ミュータント達の願いを叶えてくれると思っている。私の事をあんなにも大切に扱ってくれた貴女なら」
アリスはその言葉から強がっているように見えるが、彼女の瞳もまた、涙で滲んでいた。
「ほら、いつまでも泣いてないで。貴女はこんなところで立ち止まるような女の子じゃないでしょ? どこにでもいるような平凡な少女じゃない。今の貴女は“想いをカタチにする魔法少女”なんだからね!」
「……そうね、そうだよね。わかったよアリス。行こう。この想いを、私は皆に伝えないといけないッ」
そうして、ユリは走り出した。
瞳から伝い落ちていた涙は、彼女が駆ける向きとは逆のほうへ放たれていく。
涙は置いていく。
進むべき道は、悲しみの向こう側にある。
彼女はそう信じて、アリスと共に駆け抜けていた。
辿り着いた場所は、東京で最も高い場所。そこはありとあらゆる情報が人々に届けられる場所だった。
「ユリ? こんな場所に来て、いったいどうするつもりなの?」
アリスでさえ、ユリの行動はまったく不可解だった。
まさか、ここから全ての人々に声を届けるとでもいうのだろうか。
それはあまりにも無謀のように思えた。
だが、そんな無謀とも思えることでさえ簡単にやってみせるのが、新堂ユリという少女なのだった。
「……テレビってさ、みんな当たり前のように観てるでしょ? 別に観てないのに付いてることだってあるから、無意識のうちにテレビから報道される情報って人々の中に刷り込まれていると思うんだ。それは楽しいことや哀しいこと、怒りを覚えること、どれも例外なく伝えられてる。だったら、私の想いだって同じ方法で伝えられるはず」
「そ、そんなこと、出来るとでも言うの?」
アリスの不安そうな言葉に対しても、ユリは全く動じる事なく、胸を張ってこう告げた。
「アリスが言ったんだよ? 私は“想いをカタチにする魔法少女”なんでしょ?」
ユリの想いが、東京にある最も高い場所から、ありとあらゆる場所へと届けられる。
東京に張り巡らされているネットワークに、桃色の光が走っていく。
それは、目に見えない電波に乗り、電線を駆け抜け、インターネットの波に乗って伝えられる。
モノを大切にしよう!
無駄遣いはしないようにしよう!
そんな綺麗ごとのような言葉では伝わらなかったとしても、ユリが放つ桃色の幻想は、あらゆる媒体を介して人々の心へと届けられた。
そして、東京に出現した全てのミュータントが、桃色の光に包まれて次から次へと消えていった。
その現象は、アリスに対しても例外ではなかった。
「――ありがとうユリ。貴女に出会えて、本当によかった」
アリスは最期までユリに微笑みかけながら、静かにその姿を消した。
ユリはそれを見ていたはずだったが、それでも彼女は自分の想いを皆に伝えることを止めなかった。
思い描く未来は悲しみの向こう側にある。
ユリはそれを強く信じていた。
こうして、三年の月日が流れた。
季節は春を迎えていた。新堂ユリは大学へと進学し、アーチェリーの選手として活躍することが決まっていた。
東京ミュータント襲撃事件について、覚えている者は誰一人としていない。
記録もどこにも残ってはおらず、今となってはどうやっても知る術はない。
ただ、あの時と変わったのは、全世界的に環境問題に対する取り組みが強化され、東京はどの国よりも早くリサイクル事業に着手していた。
家電や自動車がリサイクルされ、ゴミも処理しやすいように分別されるようになった。人々は、何が切欠でこのような行動をするようになったのか、誰もわかってはいない。
「ユリおはよう! 今年は桜が満開だね」
「そうだね! なんか、桜って癒されるよね。不思議な力があるよきっと」
「不思議な力? それって魔法みたいな?」
「魔法……そうだね。全ての人々の心を揺るがすような、そんな魔法がきっとあるよ」
たとえあの時の事を誰一人として覚えていなくても、桜の花びらを染める桃色から感じ取ることができるかもしれない。
世界を救った、たった一人の魔法少女が居たということを。
―――――――A magic girl vary the wish. closed.
桃色ファンタズム
この作品は、「ミュータント」 「魔法少女」 「復讐」という3つのお題に基づいて書き下ろしたオリジナル小説です。