八月の濡れた砂
1 Beginning
Wet Sand Of August Written By Natsuki
An Inspired With Written By Brian.W.Aldiss
“The Long Afternoon Of Earth”
プロローグ
ヒトは数十人単位のコミュで暮らしていた。
北半球はすでに死の灰で覆われ、散発の閃光が稲妻のように酸性雨の中を走る。
時おり生き延びた少数のヒトが反撃しようと過去の遺物と化した武器を用いるのだ。
しかし、進化した甲殻類は死の灰をも凌駕し、適応し、ヒトを食い尽くす。
「僕らには絶望しか残っていない……」
「安芸はなぜ乗らなかったの、まだサイド・11には席が残ってたはず」
「僕は決めたんだ! 絵空と一緒にこの星の人類の終焉を見続けることを……」
セカンド・デストロイ及びサード・デストロイによって人類のあらかたは死滅した。結局ヒトはその自らの愚かさを克服することはできなかった。
地球温暖化による北極の氷の減少は海水面の上昇をもたらしはしたが、人類にとってそれは致命的な問題ではなかった。
北極の氷の三分の二が解け出した時それは起こった。
それは、人類にとって予期せぬ破滅をもたらしたのだ。その解け出した氷山にいったいナニがあったのか、営々と閉じ込められていたものはなんだったのか、ヒトはそれを畏敬をもって後に神の意思と名づけたのだが、今となっては知る由もない……。
それは、ある特定の植物、そして特定の甲殻類に変異をもたらした。
変異した植物も甲殻類すらが知性を持ち、強靭な意志を持ったかのようにヒトを無差別に殺戮しはじめたのだ。
北半球から始まった人類への侵略に対し、ヒトは軍縮によって激減した核を投入した。核以外に対抗手段を持たなかったのだ。
それでも数千発の核兵器が北半球を殲滅した。 それはファースト・デストロイと後に呼ばれた。
人類は北半球を失ったけれど、植物、甲殻類の侵略を阻止したかに思えた。
すさまじいまでの破壊の爪あと、殲滅されたかに見えた植物及び甲殻類は、すぐにその環境に順応し適応した。この一世紀で地球は劇的に様変わりする。ヒトの個体数は激減し、かろうじてヘルマの繁殖がそれを補っていた。
《聞こえる?》
《あなたは誰なの?直接私の脳内に語りかけるあなたは……?》
《お前はヒトか、それとも……》
《私は絵空(えぞら)、ヘルマ-Z(ズィー)ヒトが作り出した両性具有のバケモノ》
「絵空自分をそんなに卑下しないでよ、僕にも微かに聞こえるんだ。いったい誰なんだろう?」
南半球のあの真っ白な砂浜に辿り着いてから僕は絵空、君に夢中だ。
完璧な肉体を持ち、漆黒の肩まで垂れた髪、紺碧の瞳、その顔立ちはぞくぞくするほど魅力に溢れている。男なら誰だって絵空、君にひざまずくだろう、誰だってだ。
わずかに残った砂浜を絵空と手をつないで歩く。顔が赤らむ……絵空は敏感にそんな僕を見て微笑んだ。
「なに、安芸(あき)、また……入りたいの?」
「うん、絵空の中にね、いつだって入っていたいんだ」
絵空はなんのためらいもなく着ていたバトル・スーツを脱ぎ捨てる。
「絵空は、その、なんていうか、僕が入ったら感じるの?」
「当たり前じゃない、好きでもないヒトなんて絶対入れやしない。例えそういう目的で作られたとしてもね、私は特に最後発のヘルマ(Hermaphroditus)-Zだから、セックスだけが目的で作られた両性具有じゃないしね」
素敵な曲線が目の前に晒される。絵空がゆっくりと波打ち際に横たわった。つんと上を向いた乳房、くびれた腰、適度に弾力を保った太もも、そしてハートの形をしたお尻、僕はゆっくりと絵空に覆いかぶさり、絵空の中に埋没する。
「はあはあ、僕たちの子供が欲しいよ絵空……」
「黙って、絶対無理なんだから、それは……安芸とのこれって、すごくいいよ……」
波間に揺られながら絵空と交わった。何度も、何度も襲ってくる快感に酔いながら、僕は絵空と一つになることを夢見た。
波間に揺れる僕らの影を赤く染まった月の光が照らし出す。
ヒトがいなくなろうとも地球はありつづける……気が遠くなるような永遠の時を経て、ヒトの復活はあるのか……生まれ変わっても僕は絵空、君と出会い、君だけを愛したい……絶望の淵の一瞬の夢、快楽、僕には絵空がいる、それだけでいい、他には何もいらない。
箱舟は飛び去ったのだ。助かる道は閉ざされた。
絵空が箱舟の選抜に洩れた時に僕の運命は決まったのだ。
直径が数メートルもあるマングローブの数百の根はのたうちまわるように砂浜を侵食していた。
「わたしの身体を動かしているのは極小の原子炉よ、それも、廃棄物がゼロなんだから、人類の発明で最も偉大だと言われたパーモ(Perpetual motion)だから、わたしが着てるバトル・スーツにもあなたが使ってるブラック・ベリー(携帯電話)もパーモで動いてるのよ、ヒトの寿命の少なくとも百倍は持つらしいけれどね」
「ヘルマ・コントロールはもうとっくに機能していないから、私は十七歳のままよ、いつまでもね、三年ごとのA・P・S(age proper synthesize)を受けられないから、年齢同化できないし……」
「こんなに荒廃しても、上空の人口衛星は半永久的に動き続けるし、私も同じ、安芸が寿命を真っ当しても、私は遥かに存在する。不慮の事故にでも合わない限りここで生き続けるんだわ、十七歳の体躯のままね……」
Hermaphroditus、通称ヘルマは人口減少の切り札として開発された。マザー(優性両性具有遺伝子)と呼ばれるヒトの細胞を増殖して、ほとんど百%に近づいたヒトのレプリカ。生殖機能を有し、妊娠し、母性はヒトの何百倍も強い。ヘルマ同士で妊娠し、一対の子供を産む(一対以上だと劣勢の遺伝子が飛躍的に増殖するため)。初めから両性具有として開発され、肉体的にも、外見的にも九十%女性の特徴を持ち、機能するペニスも同時に備える。あまりのできのよさに、後にある時期は男女両性のヒトのセックスのパートナーとして量産された。 古い因習の産物なのか、ヘルマ法本則の規定によって最初からヒトとの妊娠はできないように設計された。妊娠はヘルマ同士でしか可能ではない。ヘルマの染色体の特徴をコントロールし、ヒトと同化しないように造られたのだ。
安定期に入るとヘルマは、介護や、肉体労働(主に局地的に起こる紛争に戦闘員としての役割で)
にその多くが使われた。この時期、すでに多くのヒトが繁殖という人類の最も根源的な本能を忘れ去っていた。セックスは一瞬の快楽でしかなくなっていたのだ。女性性の減少がそれに拍車をかける。
《ああ、聞こえる……どこにいるの?》
《何処でもないどこか……》
泣き続ける体長数十メートルの変異した蜩、滴る汗にもかまわず絵空、僕は君を追い続けた。
蜩の立てる羽音で辺りは腹を空かした数百の甲殻類で満たされる。
「安芸!逃げて、ついてきちゃ駄目だったら!」
「待ってよ絵空、置いていかないでよ!」
絵空の絶叫に反応したのか僕と絵空の間に体長十メートルほどのムカデが立ちはだかった。
「ここは私が!安芸そこのマングローブを登るのよ、彼は私たちの敵ではないわ、早く!食われちゃうよ!」
辿り着いたのは世界の涯てで、乾いた砂粒が足元に纏わりつく……。
絵空に放り投げられ、落ちまいと僕は必死でマングローブの幹にしがみついた。
「ごめんね、手荒なことして、私だけならなんとかこいつらと闘えるけど、安芸は戦闘には不向きだもの」
何本もの土柱が一斉に立ち上った。よほど腹を空かせてるみたいだ。這い出したムカデの大群がマングローブを昇ってくる。
絵空が目の覚めるような素早さで、ムカデの頭上に飛び乗りその長い触覚を強靭な腕力で引き千切る。ドロっとした緑の液体が飛沫となってあたりに飛び散った。断末魔の悲鳴を上げて触覚を失ったムカデが落下する。それを、狙ってさらに無数のムカデどもが群がる。
「ほら安芸、掴って、もう大丈夫、あいつら共食いに夢中だもん」
絵空の全身がムカデの発した緑色の液体に包まれていた、まるで返り血を浴びたみたいに……。
「ちよっと、ヌルヌルしてる、滑るかも、あいつらほんとに気色悪いったら……」
油断した僕は絵空の腕を掴み損ねた。
「え、絵空ああああ……」
まさにあの無数のムカデたちが貪る地上へ落下してゆきながら僕は、絵空の漆黒の髪が逆立つのを見た。絵空がダイブした。加速度を増す美しいダイブ……フル・モードに移行した絵空のバトル・スーツが銀色に輝く。
ムカデの触手からほんの数メートルのところで僕は絵空の腕に収まった。
「ごめんね、安芸。怖かったでしょ」
言い終らないうちに僕は絵空の唇を塞ぐ。安堵と憐憫が入り混じった口づけ、中身は胸いっぱいの愛。
僕らはマングローブの幹に抱かれ、夢中でお互いの唇をまさぐる。
「絵空、絵空、怖かったよ、絵空がいなくなったら、僕はもうどうしていいか……」
「安芸、安芸、大好きな安芸……守るからね、絶対に守ってあげるからね」
ムカデが這い回る阿鼻叫喚の地上には見向きもせずに、僕たちは時の立つのも忘れてその行為に没頭する。
月は大きくさらに赤く見えた。
夜だけが平穏、羽根を持った甲殻類もさすがに闇の中では活動しない。
「こんな状況だっていうのにね、安芸は元気だね、ここ」
とろけるような優しさで僕のペニスを愛撫しながら絵空が言った。
「入っていい?」
僕は我慢できずに絵空に勃起したペニスを擦り付けた。
「絵空の唇が好き」
「安芸のペニスが好き」
「愛してる……絵空、僕も絵空のペニスが好き」
「私も、安芸……ヒトとはちよっと違うかも知れないけれど、安芸とのセックスは大好きよ」
「形のいい乳房が好き、ハート型のお尻も大好きだよ」
「何も言わないで……入ってきて、安芸」
何度も、何度も交わり、何度も、何度も果てた。
闇はことのほか僕たちを優しく包んだ。まるでここが地獄であることを忘れてしまいそうなほど、満たされた至福の時が過ぎていった。
「人類の終焉……」
絵空が上空を見つめながら囁く。 丸く切り取られたような空。空さえもが核によって引き起こされた破壊によって大量に巻き上げられた粉塵に多い尽くされようとしていた。
「サイド・7はとっくに軌道を離れたよ絵空……」
「あのうちの何機が無事に成層圏を超えられるかしら、蜩たちが待ち構えてるわ……」
「どっちにしても地獄だね、僕は残った、後悔なんかしない、絵空と一緒ならね」
その言葉が合図みたいに絵空が僕を抱きしめた。バトル・スーツの胸元のジッパーを下ろし僕は絵空の乳房を愛撫する。くすぐったそうな絵空。
「またしたくなったの安芸?」
「ううん、わかんないよ……絵空といると普通じゃいられないんだもの」
地平の彼方まで覆うマングローブの侵食はすでに大海をも飲み込もうとしていた。いったいどこまで侵食されているのか、僕にはそれさえ確かめる術がない。
ヒトはすでにこの星の名主ではないのだ。
巨大な甲殻類に怯え、千メートルに達しようかというマングローブの頂で、そのか細い生を繋いでいた。
氷山の溶解に伴って氷の中に半永久的に閉じ込められていた何か?流れ出した何か?と地軸の変動は、特定の甲殻類や植物に大いなる変異をもたらしたばかりではなく、地球の重力場に多大なる影響をもたらした。
重力場の減少は植物を地上に留めておくことはもはやできない。マングローブはその勢力を地球はおろか、赤く染まった月にまで伸ばしそうな勢いで繁殖しつづけている。そして、翼を持った甲殻類までもが大気圏近くを悠々と飛び回っていた。いずれは、適応し、彼らはこの地球から飛び出してゆくのかもしれない。
僕たちがいるマングローブは敵意を見せない。僕らはしばらく惰眠を貪った。
物憂げで憂鬱な朝がまたやってきた。今日も生き延びるために闘わなければならない。絵空は僕のために危険を犯し、水と食べ物を運んでくれる。今も、目覚めると粗末だけれど充分な食べ物が置いてあった。
「食べたら出発よ安芸、ムシのヤツらに囲まれたらひとたまりもないもの、甲斐のコミュが近くにあるから、そこに加えてもらいましょう」
「亀爺に会えるかな、僕たち」
「うん、なんとしても会わなきゃね。多分この地球を救えるのは亀爺だけだもの」
「絵空には救えない?」
「わたしはただのヘルマよ安芸。マングローブたちのお情けで生きてるの、生かされてるだけ」
「ここのマングローブたちは友好的でしょ、ヒトやヘルマを襲ったなんて聞いたことないし……」
「分からない、分からないことだらけなの安芸。襲わないってだけで、助けてくれるわけでもないでしょ」
言いながら絵空は優しくマングローブの幹に頬をあてた。僕も真似をしてみたけれど、ひんやりとしたそれは何も語ってはくれなかった。
「安芸にとっては地上を行くほうが安全ね、ヘブンズ・ロードから落っこちたら絶対に助からないもの」
「でも、音を立てたらまたあのムカデたちが這い出してくるんでしょ、絵空のお荷物にはなりたくないし……」
絵空は決心したように僕に魅力的な笑みを返した。
「よし、やっぱり、空柱を行こう。大丈夫よ、このマングローブは、敵意がないから、てっ辺まで登って行けるわ、そうしたら、ヘブンズ・ロードを伝っていけば、地上を歩かなくて済むもの、危ないのは鈍重な蜩くらいだし」
亀爺は今や実質的な地球の名主であるマングローブと唯一会話ができるヒトだ。しかし、その寿命は今にも尽きようとしていた。
亀爺のコミュは平和を保っているという。今となってはそれは伝説の域だ。マングローブたちが強固な砦を作り、羽根ムシやムカデからそこを塒にしているヒトやヘルマを守ってくれるのだという。
旅を続ける亀爺と護衛のヘルマ甲斐と一度だけ会ったことがある。
僕と絵空は北半球を旅し、唯一生き延びた亀爺の話に寝食も忘れて聞き入った。
「……北の荒廃はすさまじいものじゃ、繁殖するマングローブと甲殻類が縄張りを争い、そこここで死に物狂いで闘っている。ヒトはもうその中で餌食となって逃げ惑うばかり……、ヒトも強靭なヘルマでさえ彼らの獲物にしか過ぎんからのう」
しかし、その荒地でさえ知能を持った植物が変異を繰り返し、知能の低い甲殻類を殲滅しようとしておる。北はもはや緑のバケモノたちの住処になっておるやもなあ」
「知能を持った植物群の目的はナニ? 地球の名主になることなの」
絵空がいつになく興奮した声を上げた。
「ここはもう彼らのもんじゃよ……いや、恐らく彼らは独自の方法でここを去るだろうよ。ヒトを食い尽くし占領したらのう。わしが見た光景で最もすさまじかったのは、その植物の胞子たちが天空を目指す瞬間じゃ。何千、何万の胞子が、吹き荒れるトルネードによって上空に舞い上がる光景には畏敬の念すら憶えたもんじゃ。現に意思を持った巨大な胞子たちは、北半球の汚染にも適応し、生き延び、その繁殖の場をあの赤い月に向けようとしているんじゃ」
僕は震えながら絵空にしがみついた。こんなに簡単にこの地球を明け渡してしまうのか、滅亡する人類、人類の英知は? こんな暗黒の歴史がこんなに近くに潜んでいたなんて……。
「大気圏に突入し、死んでいった何千、何万の胞子たちが粉々になって地球に降り注ぐ。まるで雪のようにそれは大地に降り積もる。それを、ものともせず彼らは延々とそれを繰り返しておるんじゃ」
僕はそんな胞子たちが外宇宙に出てゆく様を想像して背筋が凍った。いつかはまたサイドシップで脱出した人類と遭遇するんだろうか、それよりもサイド・シップで宇宙を目指した人類の大半は生き延びることができるんだろうか……?
「数千、数万の胞子たちが地上を離れる様は圧巻じゃな、彼らには高度な知性と、大いなる忍耐力がある。大気圏を突破し、月にたどり着くことさえできれば、環境を変えることもできるかもしれん。さて、我々はどうなるのか、このまま終焉を向かえるのか、ヒトの復活はあるのか、恐らく限りなくゼロに近いじゃろうが、はたまた、強靭なヘルマが生き残るのか……」
レッドの点滅、コンソールがヒトの生体反応が千人を切ったことを伝えた。
「……恐らくな、ヒトの生体反応は千人を切ってしまった。北半球はやみくもな核の使用によって汚染されてしまった。もはやヒトの住める環境ではない」
亀爺がつぶやく。
たっぷりと休憩を取った僕らはマングローブを登り始めた。僕のコミュはそれほど高くないところに集落を作っていたからてっ辺まで登るのは初めての経験だった。
時々蜩や蜻蛉の攻撃を受けたが、絵空が一閃した。絵空の着ているバトル・スーツには循環廃棄物を処理する機能の他、かつて劣化ウラン弾と呼ばれた兵器が装備されている。超小型原子炉から出る廃棄物でほとんど無尽蔵に製造されるそれは、化学的に安全に処理され、放射能汚染などは皆無であるがその破壊力はすさまじい。
二日がかりで地上千メートルのマングローブのてっ辺に登った。その間食べたものといえば、マングローブに共生した葡萄の類の木の実だけだ。
いずれはこの地も汚染され、亀爺も僕も残った僅かなヒトは全て死に絶える。
ヘルマたちは絵空はどうなるんだろう……放射能の汚染にさえ絵空は絶えられるんだろうか?
さすがに毎日多発する直径数百キロのトルネードによって死の灰はここには届かない。
このスポットだけは汚染もされずに残っている。
海は見えない、変異したマングローブが今も増殖を続けているから。
もうすでに海は彼らに覆い尽くされてしまったかも知れない。
それを、確かめるすべさえ僕にはない。
しかし、樹木の根元に垣間見える波間。
規則正しくよせては返す波だけがその営みをかろうじて保つ。
欲しいのは絶望、いらないものは希望、世界の涯てで出会ったなら、千回も愛してると素直に言えたのに、絵空には、届かない、もう永遠に届かないんだ。
笑いながら死を唄い、唄いながら深遠を覗き込む……。
「絵空、ここは地獄なの?」
絡み合った足先に雫が伝う。 心地よいエロス、濡れてゆく身体に会わせてCat's Cradle
「さあ、わからない……見たことないもの、その地獄ってやつ」
「僕を愛してくれる?」
「こんなに愛してる、安芸、ここと、ここと、ここでね」
笑いながら絵空は頭と胸元と性器を指差した。
「生まれ変わってもまた絵空と逢いたいな、そしてまた愛しあいたい……」
何も答えず絵空は空を見上げた。晴れることのない空、鉛色の重たい雲。北の空に閃光が数千キロに渡って轟くのが見えた。神が振り下ろすスレッジ・ハンマーのように……人類への最後の鉄槌。
恐怖は一瞬、永遠は昨日の夢の続き。
「サイド・11が飛び立ったわ、これでもう安芸もここに残るしかなくなったね」
それは最後の船、ノアが作った箱舟、最後の人類を乗せて、この星を離れる。
「地獄にも愛はあるのかな……絵空」
絵空の唇がゆっくりと近付く……ゆっくりと、ゆっくりと、まるで静止してるみたいに。
「これが答え。安芸、残ってくれてアリガト……」
絵空が僕の目の前で下着を取りゆっくりと脚を開いた。 薄い陰毛の果てに絵空の分身が息づいていた。
いつだって恥ずかしそうに身を捩りながら絵空は目を閉じる。漆黒の肩まで垂れた髪が密かに揺れた。舌を絡ませながら項のスイッチを押し、気密レベルを下げ、上半身を覆ったスーツを脱がすと、素敵に盛り上がった円錐形の乳房が震えた。堪らず乳首に舌を這わすと、絵空は深い、深い、嗚咽を漏らした。
絵空の固くなったペニスを愛撫しながら僕は、充分に潤ったヴァギナに自分のそれを埋める。
暖かく湿った絵空のそれはまるで別のイキモノのように僕を包み、翻弄する。
僕の動作に合わせて絵空の押し殺した嗚咽は長く、短く、あたりに残響を残した。
2 絵空と甲斐
地上千メートルの巨大化したマングローブが、密集し、のた打ち回るようにその枝を密生させた空のコリドー、ヘブンズ・ロードを行くのは僕にとってはそれこそ命がけだった。朝露で滑りやすく、幾ら密生してるとはいえ、それぞれが知能を備えているのだ。
その証拠に枝が触れる以外はお互いに同じスペースの空間を作り、決して、そのスペースを侵そうとはしない。
それはまるで良く訓練された軍隊の整列の様を思い出させた。
隙さえあれば人間を殺戮することをいとわない。人間がズタズタに引きちぎられ、土中の肥やしにされてしまうのを嫌というほど見てきたから。
絵空に、このあたりの植物群には敵意が感じられないから大丈夫だと何度言われても直径数メートルの折り重なった枝を渡るたびに足がすくむ。地上から千メートル、滑って落下してしまえば命はない。ヌルヌルした朝露でさえ、このマングローブの悪意に満ちた策略ではないのかと疑ってしまうのだ。
わずかに残った人類……ブラック・ベリー(万能携帯端末)で見る限りその生体反応は日増しに激減してゆく。人類はもうこの地球という惑星の名主ではないのだ。
今の名主は植物群と甲殻類、中でも知性を持ったマングローブの侵食が特に目立つ。
絵空といえばその危なっかしいマングローブの絡まる空路を楽しげに、まるでスキップするみたいに進んでいくのを見ると嫉妬さえ覚えた。地上はもはやマングローブが覆いつくしていた。いや、地上だけではない。海も見渡す限りマングローブが埋め尽くす。もはや陸地と大海原の境界さえはっきりとはしない。
空を飛べたらいいのにと思う。俯瞰できたら地表がどうなっているのか分かるはずだし、こんなヌルヌルした隙間だらけの空路を歩く危険からも開放されるのだ。
「やっぱり僕はお荷物なんだね、絵空……ここなら僕が襲われる心配がないから?だってとても楽しそうなんだもの」
そんな僕の意地の悪い問いに絵空は哀しげな表情で答える。
「どうしてそんなひどいこと言うの……わたしの生きる目的が分かる? 今となっては、貴方を守ること、それだけなのよ、今となってはね……安芸が私の全て……」
僕は何度も聞いたその言葉をゆりかごにして、満足の笑みを浮かべながら眠るのだ。
「触っていい?……絵空の乳房……」
困ったような顔を一瞬見せたけれど、絵空はすぐスーツの機密を解いた。
見事な乳房が僕の眼前を覆う。
「安芸、明日はもっともっと大変なのよ……だからね、だからほどほどにね」
絵空の言葉にかまわず僕はその乳房にむしゃぶりついた。
「絵空は僕のものだよね、僕だけを、僕だけを見ていてくれるんだよね。いつまでも僕を守ってくれるんだよね……」
「シーッ……大きな声出さないで、芋虫たちが穴から這い出してくるじゃない。あまり数が多いと私にも手に負えなくなる……うううん……くくっ……」
絵空の嗚咽が心地よかった。絵空は僕のもの、僕だけのものだ。
確かにマングローブの幹には無数の穴がぽっかりと開いていた。ここから無数の……考えないことにしよう。絵空の裸身の前では全てが霞む。
「安芸……そこは、そこは……ああ」
僕の指が勃起した絵空のペニスに触れると、押し殺したため息が漏れた。もちろん絵空は、そのつもりじゃなかったけれど、僕はもう我慢できなくなっていた。
「脱いで絵空、入れたいんだ」
「しょうがない安芸」
駄々っ子をあやす母親の目線で言いながら絵空はゆっくりとスーツを脱いだ。赤い月に照らされたビーナスのような裸身がそこにあった。
「僕のものだよ、絵空……全部僕のものだよ」
絵空はなんとも言えない笑みを浮かべ「そう、ここも、ここも全部安芸のものよ」と、言いながら僕の勃起したペニスを自分の花園に導く。
用のない絵空のペニスは陰毛に埋没し、今はその花びらだけが浮かんでいた。
「入ってきて安芸、安芸が望むだけ入ってきて」
完璧な肉体の中に僕は夢中でしがみついた。
「ああ安芸、安芸、可愛い……」
絵空の言葉に僕は我を失い、ここがどんなに危険な場所であることすら忘れた。夢中でしがみつき深く、深く絵空に入った。
絵空は手を口にあてがい必死に漏れそうな嗚咽をこらえていた。
それが僕にはいとおしくて更に、更に突いた。
地上から千メートルのヘブンズ・ロード……。
木々が揺れ、木立がざわめく……「安芸、安芸、止めて、危険よ、危険が……!」
絵空の囁きも夢中な僕には届きはしなかった。
うねるような熱情を止めるすべはなかった。
何かが頬を伝った。緑のネバネバしたそれは更に頭上から降り注いだ。
爛々と光る真っ赤に充血した無数の輝き……人間を見つけて興奮した毛虫たちだ。毛虫たちの体液が僕や裸の絵空に降り注いだ。
我に返った時には無数の体長数メートルはある毛虫や、百足に囲まれていた。
「安芸、動かないで……じっとして!」
絵空の言葉は虚しくあたりに響いた。
突然、僕らがいた無数の枝に割れ目ができた。マングローブが毛虫たちが這い出してきたのを察知して振り落とそうと組まれた枝をバラバラにしたのだ。
「絵空! 絵空ー!」
地上に向かって落下してゆく。絵空は、毛虫たちに囲まれて防戦一方「安芸、安芸ー!」
落下しながら必死にしがみつこうと手を伸ばした。毛虫たちが雨あられのように僕を餌食にしようと降ってくる。
更に落下した僕は突き出した枝に引っかかり、二、三度、バウンドして葉を茂らせた枝に落っこちた。
毛虫や、百足がなおも執拗に追ってくる。僕はそいつらに囲まれてしまった。
絵空は闘っていた。毛虫たち断末魔のおぞましい悲鳴が幾重にも続いていたから……頭上を見上げた。辺りは緑の血しぶきに染まっていった。
見えるはずのない絵空の瞳と交差した気がした。
死を覚悟した。こいつらに喰われるくらいなら自ら死を選んだほうがましだった。
あまりにも多勢に無勢、いくら絵空でもこいつらを殲滅するのは無理だ。ましてや、この状況で、デュラム(Depleted uranium ammunition 劣化ウラン弾、絵空が携行する武器の一つ)使えない。毛虫と僕の距離が接近しすぎているから。
毛虫たちの牙が手の届くところまで迫っていた。死を選ぼう。こいつらに捕食され、何千、何万という卵の温床になるなんてまっぴらだ。
「絵空!愛してるよ絵空!」
叫びながらダイブした。落下しながら絵空を思い浮かべた。
何かが僕の眼前を掠めた。
地上に叩きつけられる寸前僕は逞しい腕に捕まれていた。
「甲斐(かい)!!安芸を! 安芸を……お願い!」
絵空はその全身で毛虫たちを殺戮してゆく。無駄のない見事な動きはアレス、憤怒に満ちた表情は阿修羅のごとく、マングローブの枝にはすでに数百の八つ裂きにされた残骸が累々と散乱していた。
僕は抱かれながら音もなく地面に降りた。
「安芸というのか、人間なのか!? ここでじっとしてろ! 地に振動が伝わると地獄からお迎えが来るぞ」
地面からまたぞろこいつらが無数に這い出してくるなんてまっぴらだ。
僕は頷くのが精一杯で腰が砕けたように地ベタに座り込んだ。
「絵空!」
低くその名を呼ぶと甲斐と呼ばれた逞しいヘルマが数歩走り、地面を一蹴りすると一気に上昇する。
「黒須!、大河! お前たちは絵空を守れ! 俺がこいつらを始末してやる!」
甲斐に劣らない屈強なヘルマ二人が滑空しながらレイルガンを放つ。
毛虫たちの断末魔の叫びがそこら中にこだます。
甲斐はすでに何匹もの毛虫や巨大な甲殻類を切り刻んでいた。返り血を浴び、全身が緑の発光に包まれる。
「甲斐! 甲斐!」
絵空の声がした。
「絵空! ここは任せろ。人を安全な場所へ、早く!」
「コミュで……また逢える、よね……」
「ああ、心配するな俺たち三人は最強だ。これを持っていけ」
甲斐は背中から筒状のコンテナを絵空に渡した。
「ありがとう甲斐」
「いいから早く行け!」
へたり込んだ僕の傍に絵空が屈みこんだ。
「大丈夫、安芸?」
バトル・スーツが緑色に染まっていた。
絵空の脇と腕には銀色に光る羽があった。
「怖かった、怖かったよ絵空……」
「泣いてなんかいられないのよ安芸! しっかりして!」
僕は泣きじゃくりながら絵空にしがみついていた。
上空では今も閃光がきらめき、辺りを真昼のように照らした。
毛虫たちの断末魔の悲鳴にさらに続々と仲間たちが集まってくるのだ。
「逃げなきゃ! しっかりしがみついてるの、分かった安芸?」
言いながら絵空は地面を走り出す。地べたがその振動で波打つ。地獄から数百の百足が這い出してくる。
絵空は僕を抱え、片手のレイルガンを何度も放った。
「見つけた! 上昇気流」
一蹴りするとその翼を拡げ絵空はその風を掴んだ。
僕の足元が空を切る。空を飛んでいた。
落っこちそうになるのを必死でしがみついた。絵空の腕が僕を抱きかかえる、強く、強く。
僕らはこんな状況だっていうのに唇をまさぐりあった。
「生きてね、安芸、死んじゃやだよ、やだよ!」
「うん、絵空!」
一気に千メートルの巨木を一蹴する。
「甲斐ーーーーー!」絵空が叫んだ。
闘う甲斐が視線を向けた。ニヤリと笑う、その不敵な笑みはすぐに暗闇に掻き消えた。
天空の雲間の灰色の満月が辺りに死の影を投げていた。
あのおぞましい殺戮から遠く離れた巨木の葉に抱かれ僕は眠り続けた。
「安芸、もう二度と死のうなんて思わないでね。貴方が逝ったらわたしの生きる意味がなくなるのよ、亀爺に会って、この星の行く末を聞かなきゃ、あの声の主のこともね」
夢うつつに絵空の声を聞いた。
《聞こえるか……お前たちの運命を全うするのだ……》
貴方は誰??
《お前たちがその運命を全うするまでわたしは見つめていよう》
どこにいるの?
《どこでもないどこか……お前たちの傍にいつも……》
同じ言葉が頭の中を駆け巡った。絵空もこの声を聞いているに違いないと思った。
暗闇の中で絵空の乳房をまさぐった。
絵空はなにも言わずされるがままに身を預けた。
一週間と1日で僕らは甲斐のコミューンに合流した。絵空の耳に埋め込まれた極小のブラックベリーが正確に甲斐のコミューンを示していたからだ。もちろん、亀爺のコミュの位置も絵空には分かってるから、いずれ僕らは亀爺にも会えるはずだ。
「どう、安芸これが生き残った最強のコミューンの一つよ。甲斐たち完璧なヘルマ-Zがここを守ってるの。人間百人が暮らすコミューンは少ないのよ、もう……。あの箱舟が完成したら甲斐たちは地球を離れるわ」
そこは、箱舟に選ばれず、地球に残ることを余儀なくされた科学者や物理学者やその家族が身を粉にして忙しく働いていた。
ただ一つの目的のために、この地獄を離れて次の地獄へ向かうために。
この地で生き残った数百の人類の末裔には、この死んでゆく星を離れることしか選択の余地は残されていなかったのだ。いずれこの星はマングローブを筆頭とする植物群と巨大化した節足類、甲殻類、果てはその子たる毛虫たちに占領されてしまうのだ。
火星まで生き延びれば、わずかだが生存の可能性はあった。
今は放棄された鉱物採掘場があり、わずかだが人の住める街が残っているはずなのだ。
そこで、うまく物資が補給できれば太陽系以外の外宇宙への旅が始められるかもしれないのだ。
火星の軌道上には、アステロイド・ベルトの鉱物を採掘する居住区型のステーションも多数点在しているはずだし、海王星にはさらに鉱物採掘基地もまだ健在なはずなのだ。
しかし、そこまでたどり着けるのか? 時間の猶予はない。
ヘルマなら鉱物採掘場での過酷な環境にも耐えられるが、人間に宇宙の環境はあまりにも苛酷すぎるし、脆弱なのだ。ヘルマだけなら運が良ければ今のこの星の環境にだって順応できるかもしれないと思った。
ヘルマは人類が作り出した最高のスペースマンかもしれない。ヘルマなら外宇宙でさえ順応するかもしれない。
「甲斐! 甲斐ーーーーー」
絵空は大きく叫ぶと、待っていた甲斐の懐に飛び込んだ。
こんなうれしそうな絵空の顔を見るのは初めてのことだった。
甲斐の逞しい腕が絵空を抱きしめた。
絵空の身体が二、三度宙を舞う。熱い抱擁、身を焦がすほどの愛撫……絵空! 絵空!僕のこと忘れてしまったのかい……絵空!
僕は嫉妬していた。甲斐の全てに嫉妬を覚えた。
「生きていてくれたのね、分かってはいたけど、姿を見るまで安心できなくて……」
「俺たちは大丈夫、屈強などんな虫けらよりも俺たちは強靭だよ、絵空」
ひとしきり抱き合い、長い、長い、口付けを交わし、絵空はやっとこちらを振り向いた。
「安芸、ほらちゃんと挨拶して、命の恩人に……なに黙ってるの」
僕はゆっくりと甲斐の前に進み言った。
「安芸です。あの時はほんとにありがとう……」
僕は、マングローブの枝が縦横に伸びる天辺に光る人工物を見上げていた。陽光に輝くその人工物は久々に見る人間の叡智のように思えた。
「ここは使われなくなったブラック・ベリーの小型原子炉数万個の動力源が確保されているから、無尽蔵に近い。
取りあえず虫けらに襲われる心配はない。シールドやバリアも完璧だ。それにこの辺りのマングローブは人類に対してそれほどの敵意を見せないからね、油断はできないけれど、私たちはいつか箱舟を完成させることができると思ってる」
甲斐はどこから見ても完璧だった。堂々として自信に満ち溢れていた。絵空が見つめる甲斐への視線に軽く嫉妬さえ覚えた。
マングローブの天辺に銀色の外装を纏った箱舟の建設基地があった。マングローブの枝とそこに掛けられたハニカム状の足場。圧倒的な自然の前に風前の灯火のようにそれは見えた。かつて栄華を誇った文明の名残。
この星の生物の連鎖から解き放たれた時、その運命はすでに決まっていたのかもしれない。文明という破壊が究極の形を得た時、この星は人類の絶滅を決断したのだ。
容赦なく、一人として残すことのない殺戮への意思。
恐らく、この地球上で最も堅牢で最も軽量な素材、グラビナ(半重力素材)でできているんだろう。絵空や甲斐が纏っているバトル・スーツも、ブラック・ベリーも破壊される前の都市を埋め尽くす摩天楼の外壁も全てこのグラビナが使われていた。
廃棄物ゼロの極小原子炉と箱舟の外装にも使われているグラビナが人類の三大発明と言われていた人類の栄華、その日々も今は遠い。
もちろん、革進的発明の最後がヘルマなのだけれど。
辺りを眺めていた僕に甲斐が声をかけてきた。
「隣、いいかい? 絵空は?」
「はい。絵空は久しぶりに僕を守ることから開放されて、なんだかほっとしてるみたい。その辺を散策してくるって……」
何か考え事でもしてるのか甲斐は何も言わなかった。
「ここにいたいな、ずっとずっとここにいられたらいいのに……」
「サイドシップが完成すれば我々は人と一緒にここを去る。いいかい安芸、君は絵空を守らなければならない。いつまでも、絵空にしがみついているだけではだめだ!」
「でも甲斐……人はそういう風にはできていないんだよ。なにもかもヘルマがやってくれたから、だから、ヘルマにまかせっきりだったから、僕は、僕だって絵空の足手まといにはなりたくないんだ! でも、こんな世界では僕は弱い、絵空がいなきゃ一秒だって生きていけないんだ! 何もかもが弱すぎるんだ!僕たちもこれに乗せてよ!」
「一緒に連れていくことはできないんだ安芸。絵空と安芸は亀爺に会わなければならない。
私にも分からないがそれがどうやら運命らしいからな、絵空と安芸の……」
「分からないよ、なぜ僕たちは置き去りにされるんだ!? 運命ってなんだよ!一緒に行きたいよ!」
甲斐は僕の問いには答えてくれず、ただ僕を抱きしめてくれた。
「闘うしか、安芸……闘うしか生き残るすべはない……」
重い沈黙がまるで分厚いカーテンのように辺りを覆った。
甲斐のような強靭な身体と鉄の意志、僕だって欲しいさ、僕だって絵空を守りたい。愛する絵空を守りたい……。
その日から僕は甲斐の手ほどきを受け、レイルガンとハンティング・レーザーとグライドの使い方をみっちり仕込まれた。
絵空の足手まといにならないように、それと、絵空を守れる男になるためにだ。
甲斐は容赦がなかった。それでも僕は段々甲斐に惹かれていった。
手荒い甲斐の教えが僕たちを守るんだと分かっていたからだし、いつもでも絵空の庇護ばかり受けていては絵空を愛する資格がないと思ったから。
ゆっくりだけれど、そう亀みたいな歩みだけれど僕は、闘いに慣れていった。毛虫や甲殻類や八枚羽の蜻蛉(体長は十メートルほどもある)とも互角に闘えるようになっていった。
もちろん実戦の時はいつも甲斐が万全のフォローをしてくれた。
甲斐は上昇気流を見つけグライドを的確に操り、縦横無尽に飛び回っていった。他のヘルマにはできない芸当だった。そう絵空にだってできないんだ。
木々のざわめきで目が覚めた。マングローブたちがひそひそ話をしているように僕には聞こえた。風の歌かも知れない。
隣に絵空の姿はなかった。ほのかな温もりがほんの少し前までそこに絵空がいたことを示していた。
暗闇に目を凝らした。
灯火が消えた集落の通路にだけ細々と灯りがともっていた。
「絵空…… 絵空」心細さに絵空の名を呼んだ。
まるで彫刻のような二つの影が寄り添い、探りあい、その唇が重なる。
絵空と甲斐だ。間違いない……。
僕はそれを息を殺して見守る。
赤い月に照らされた影が一つになった。
刹那、絵空の押し殺した喘ぎが聞こえた。
「……はあああ、甲斐、甲斐」
月光に浮かんだ絵空の横顔は僕が今まで一度だって見たこともない幸福感に満たされていた。
嫉妬に喘ぎながらも、そのジグソーのピースのように交わった完璧な美しさに声もなく二人を凝視していた。
ヘルマ同士のセックスを見るのは初めてだった。
絵空の腰が上下するたびに嫉妬が心にこびり付いた。でもそのこの世のものとは思えない美しさに目が離せないでいたのも事実だ。声すら出せない。
息を呑んで僕は暫くその光景に引き込まれた。
甲斐の背中に腕を回す絵空……安心しきったように全てを甲斐に預ける絵空。
灰色の月明りに照らされてそれは、何もかもを圧倒するほどの美しさで僕の五感に染み込んでいった。
八月の濡れた砂