黒笛のアリア

表紙絵は絵師の桜月 林科様に描いて頂いたものです。著作権は桜月 林科様にあります。無断転載等は固くお断りいたします。

序章

 この世は   生と死の繰り返し。
 
 同じような日常があって同じような朝が繰り返されるように。

 全ては決められている。定められている。

 神の名のもとに。

 その定めに逆らい、神の定めを欺くものは。

 例外なく。
 
 恐怖の裁定が訪れる。

 
 ―その裁定から、逃れる術はない―

一章

 春の日差しが暖かく降り注ぐ四月。
 光陵市で最も大きな高校である、光陵市立高槻高等学校では、桜が散り、新学期を迎えていた。  
 二年E組の教室はとりわけ笑い声が響く。そんな中、深刻な顔をした少女とそれを見つめる三人の男子がいた。
 「今日からのあなたはとてもついていません。災難やとんでもないことに巻き込まれるでしょう。」
 占い的中率百%の幼馴染、時乃 奈々はにこやかにそう告げる。俺はパクパクと口を開いたまま呆然となった。
「まあ、要約すると。
 好きな子には振られ、成績は落ち、厄介事にことごとく巻き込まれるって事よ!」
 奈々の言葉が矢のように俺の心に突き刺さる。机に沈む俺を見ながら、親友であるはずの男二人、安達 慶介と浮原 光は笑い出した。
「ぎゃはは!!!そんなやばい結果なのかよ!?悠は今年はついてねーな!」
「おみくじでいうなら大凶だよね。滅多に出ないよ。」
「光!それフォローになってねー!!!!!」
 「う・・・うるせーな!」
 俺は反論できずに怒鳴った。
 水無月 悠。十七歳。今学期の運は最悪らしい。
 そう、最悪。だからだ。
 今、目の前で起こっている出来事を見る羽目になったのは。


  弓道部の部活ですっかり遅くなり、学校を出たのは午後九時ごろだった。多分。
 家までは片道で一時間。そんな帰宅途中に。こんなものを見るなんて。
 大通りから細道へ入った家のブロック塀越しに隠れ、顔だけをそろりと暗い路地へ向ける。
 そこには、どこにでもいそうなサラリーマンの男と。見たこともないような銀色の髪の少女が立っていた。
 小柄な体格で、自分と同じくらいの歳ぐらいだろうと普通に考える。だが、彼女の醸し出す雰囲気は普通ではなかった。銀色の瞳が凍てつくように男を見据えている。月明かりに照らされた顔は美少女なのに冷血漢たっぷりのオーラが出ていた。
 「定めからはずれたわね?」
「な・・・なんのことだよ!?何なんだ!?」
少女の言葉に驚きを隠せない男。だが、少女は淡々と告げる。
「私が見えるのがその証拠よ。
 神の定めを欺く愚か者。その行動を悔いるといいわ。
 裁定実行。」
彼女はどこからか黒い笛を取り出し、笛に唇をあてる。吹いているのに音色は聞こえなかった。だが、サラリーマンの男には聞こえているらしい。
「う・・・うわぁああ!やめろ!やめてくれ!!!!!!!!!」
突如、苦しむかのように耳を押え、必死に懇願する。やがて、彼の体から何かが抜け出た。黒い影のような。
『xyh!!!!!!!!!!!!!』
奇声のように声をあげる黒い物体。彼女は驚きもせずに呟いた。
「やはりお前ね。死をもって償うのね。定めを歪めた事を。
 黒刃(バレイシア)鎮魂歌(レクイエス)
そう言って、笛を鳴らすと、笛から黒い刃が飛び出し、男の体を引き裂いた。黒い影と共に。
 男はやがて砂になる。彼女は傍に近寄ると小さく何かを唱える。聞いた事のない言葉を。
「Юкж。ёз。」
 その声に呼応するかのように光る物体が浮かび上がり、砂が人型に形作られる。そして、先程の男と同じ容姿になった。
 男は何をしていたんだろうといった感じできょろきょろとあたりを見渡し、少女の横を通り過ぎる。まるで。彼女が見えていないかのように。
 少女は彼が見えなくなるのを確認すると白い何かを取り出し、空に飛ばした。そして、一歩前に踏み出す。
 電灯の下を彼女が通過した時。彼女の顔が一瞬微笑んでいるかのように見えた。
 俺が彼女に惹かれてしまったのは。言うまでもない。

 家に帰って、玄関に座りこんだ。今のが何だったのかなんてわかるわけがなく、ただぼんやりとしていた。銀色の瞳の少女が頭の中に浮かんでは消える。
 そんなときでもやっぱり腹は減る。ぐぅと小さく音を立てた腹にため息をつき、キッチンへ向かう。
 キッチンのテーブルには一緒に住んでいるのにほとんど顔を合わせていない姉、美樹のいつものメモ書きが置かれていた。
 「練習お疲れ。夕食は冷蔵庫に入ってるよ。ラップかかってるから、レンジで温めて食べてね。私はいつものように2時にしか戻らないから、先に寝てていいよ。」
 姉は父親と母親が亡くなった時、大学を辞めて就職した。今は雑誌の編集をする仕事をしているらしい。詳しくは教えてくれないけど。
 朝の4時には家を出て、昼ごろ帰って来て夕食を作り、また会社へ。そして夜の2時、3時にようやく帰って来る。だから自分と顔を合わせることがほとんどない。
 悠は姉が作ってくれたぺペロンチーノを食べながら。やっぱり銀色の瞳の少女のことを考えていた。

二章

 翌日。悠の頭は銀髪の少女の事でいっぱいだった。机でぼんやりしている自分を慶介と光がみつめる。
「朝から、こんな調子だぜ?心ここにあらずみたいな。どう思うよ?光。」
「・・・・。恋じゃない?」
 悠は「そうかも。」と言う気もないぐらいぼーっとしていたが、話は聞こえている。
「ぎゃはは!お前さー、昨日奈々ちゃんから言われたじゃないの?
運勢最悪。好きな子には振られ、成績は落ち、厄介事にことごとく巻き込まれるって。なのに恋!?」
「やめといた方がいいよ、悠。どんな可愛い子に惚れたかしらないけど、実らない恋なんてするもんじゃないし。」
 だんだんむかついてきたが、あえて知らないフリをする。
「ってかさー、お前の本命って奈々ちゃんじゃねーの?」
慶介の爆弾発言に思わず立ち上がる。
「あー!もう!さっきからくだらねーことばっかり言いやがって!大体あんな可愛げのない占い大好き少女に興味はねーの!」
「へー。そうなの?」
光の問いに力強く頷く俺。その時だった。
 「水無月君?天理(あまり)さんが呼んでるよ?」
三人の動きが硬直した。特に俺の動きが。
「あ・・・天理さん・・・・?」
「うん。話があるって。」
「天理さんって・・・・。B組の・・・?」
「お前なんかしたのか?」
してない。してない。天理 銀華に何をするって言うんだ。
 天理 銀華。この学校で知らないものはいないほど有名なB組の生徒だ。家が豪邸だとか、お嬢様だとか、そういう類の噂が多い、清楚な顔して、実は高飛車な少女。
 会ったこともないのに、なぜ、俺が呼ばれるのか、それが最大の疑問だった。
(まさか・・・これも最悪の運勢のせいか・・・。)
 肩を落として、扉の前まで来た俺をじっと見つめる銀華。黒い髪を後ろで束ね、くりっとした黒い瞳を剣呑にして。
「水無月 悠君ってあなたよね?」
いかにもお嬢様らしい澄んだ声が響く。
「・・・え・・はい・・。」
自信なさ気に呟くと。彼女は突然、悠の腕を掴んだ。
「ちょっと来ていただける?」
そう言うなり、有無を言わさず歩き出す。クラスメイト達はぼんやりとそして、不思議な様子で自分を見送っていた。
 半ば、引きずられている状態の悠はどういうことなのかわからず困惑した。そして痛感する。
 やっぱり。俺の運勢は最悪だ。

 屋上に連れてこられ、ようやく腕を解放された悠は思い切って言ってみた。
「あ・・あの、天理さん?俺なんかしました?」
悠の質問に答える気もないのか、屋上の手すりに座ると彼女は慇懃に言い放つ。
「昨日。見ていたでしょう?」
「は?」
何のことやらという感じで間抜けな声を出してしまった悠を彼女の瞳が睨みつける。
「全く。これだから困るのよ。
 こうすれば、わかるのかしら?」
彼女はため息混じりに言うと、髪を束ねていた髪紐を取り外す。風に腰まである髪がなびく。その瞬間。悠は口を開けたまま呆然となった。
 「・・・・う・・嘘だろ・・・。」
思ったことが口に出た。
 銀華の髪が銀色に変わり銀の瞳が悠を見据えている。昨日。唐突に彼女の言っていた事を理解する。
「え!?じゃ・・じゃあ。あれは・・・天理さん!?」
「天理 銀華っていうのは偽の名よ。私がこの世に干渉できるのは限られた時間のみ。私はこの世に存在しないのだから。
 私は旋律の裁定者(ベレンティウス)、アリアよ。」

 透き通った声が。昨日の出来事を鮮明に思い出させた。

 「旋律の裁定者・・・・ベレンティウス・・・?」
悠は、聞いた事のない言葉に首を傾げる。銀華、いや、銀髪の少女アリアは、悠を見据えて、話し始める。
 「この世は定められているの。何もかも。神によって。その定めを変えることは許されない。どんな者も。
 定めを歪めてしまった者には。裁きが必要。私はその裁きを下す神に定められた裁定人。」
そして、悠に近づき、顔を近づける。
「あなたの運勢は最悪。これも決められているの。」
「ぇ・・・。じゃ・・・じゃあ!いろんな人の人生は最初から決まってるのか!?」
悠の声にアリアは眉を寄せた。
「誰が、人生は決まってるなんて言った?定めって言うのは世の中全てに関することに限定されているのよ。ちっぽけな人間達全員の定めをいくら神でも決めてあげれるわけないでしょ?
 あなたのが決まってるだけよ。」
最後の一言に悠は引っかかる。自分だけ決まっている?なぜ?
「あなたはこの世で二つしかないと言われる、純白の(エメリシオン)を持っているのよ。」
「純白の魂・・・・って・・・?」
「まったく汚れのない清浄な魂。それを持っているから。狙われるの。」
アリアの物騒な言葉に悠は昨日の事を思い出す。人の中から出てきた黒い影。
「定めを歪めようとする人間はほとんどいないわ。定められていることを知らないから。でも。その人間を媒体に定めを歪めようとする者がいるのよ。
死王(ワリエルス)の手下がね。」
 悠は話をふむふむと聞きながらふと思う。なんでアリアはこんな事を自分に話しているのだろう?と。しかし、アリアはそんな気持ちを知ってか知らずか喋り続ける。
「私は裁定人であると同時に、人間達を定めへと導く義務があるの。
 ・・・・。それにしても、こんな何も知らない者を神の(ドリエス)にするなんて。」
「神の僕って・・・俺が!?」
「そう。あなたは神の(ドリエス)になる定めなのよ。神の僕って言っても。要約すると私の僕ってことだけど。」
アリアの僕・・・・。考えただけでぞっとする。こんな不思議な女の僕に?俺が?
 悠が頭を抱え込んでいると、アリアが美しい銀の瞳を剣呑にした。
「二人揃って何の用?監視はどうしたの?今、私とても忙しいのよ!」
誰もいない空間に怒鳴りつけると、傍に二人の少女が現れる。
 黒い髪に銀色の瞳。首の辺りまである髪が耳の近くだけ肩まである。二人の顔は瓜二つ。髪につけた黒と白のリボンが唯一違っていた。黒い不思議な衣装を身にまとった二人は。無表情な顔で言った。
「こちらも忙しいのです。いろいろと。」
「我らにあたるのはやめてください。」
「忙しいあんた達が何の用なのよ?」
不機嫌そうに告げるアリアに一人の少女が答えた。
「神の使者(ファティラス)からの緊急伝言です。死王の右腕(ガルバスタ)が動き出したと。」
「・・・・知っているわ。だからあれを準備しようと思ってあの人間をここに連れてきてるんじゃないの。」
「あれですか?神の(ドリエス)は?」
「そうよ。何も知らない人間。でも。純白の(エメリシオン)を持ってる。」
「頼りになるかわからないような人間ですね。」
無表情で言いたい放題言っている二人を見て悠は言った。
「えっと・・・。この二人は?」
「空間の監視人(シャティーリス)よ。黒いリボンの方がメリス。白いリボンの方が、セリス。」
「「はじめまして。神の(ドリエス)
 我らはとても忙しいのでこれで失礼します。」」
メリスとセリスは無表情のままそう告げるとその場から消えた。
 アリアは小さくため息をつくと悠の方へ向き直った。
 「さて。儀式を始めましょうか。」
「ぎ・・儀式って・・・・?」
「神の(ドリエス)になるための儀式。」
アリアはそう言うと、黒い笛を手のひらに出現させ。悠に向けた。
「へ!?」
驚く悠を無視し、彼女は呪文らしきものを唱える。
 「我は神に定められし裁定人。
 神の定めはすべて。神に定められし子羊の前に汝の答えを記せ。
 神の(ドリエス)の印を。
 刻印(ギリール)。」
笛から金色の風が出てきて、悠を絡め取る。そして。腕に何かが刻まれた気がした。
 金色の風が消えると、アリアが口を開いた。
 「必要な時だけ、神の(ドリエス)の紋章が腕に浮き出るわ。それとこれ。」
そう言って、悠の手のひらに差し出したのは。小さな弓のついたネックレス。
「どうやって使うかは自分しか知らないから。早く使い方をマスターして頂戴ね。
 他の人に見られないように注意しないと定めを歪めることになるわよ。」
「はあ・・・・。」
悠の気のない返事にアリアはため息をついた。
「こんなので大丈夫なのかしら・・・・。まあ、いいわ。用は済んだから。
 さっさとここから消えて。」
「は!?」
悠はアリアの暴挙に思わず口を開く。
「これから私は大事な用があるし。あなたも用があるでしょ。」
そう言われてはっと気づく。時計を見ると。午後六時。もうすぐ部活が始まる。
「やば!先輩に怒られる!え・・えと・・アリア・・?あの・・・。」
「部活が終わったら校門の前に来て。」
アリアは悠の言葉を遮ってそう告げた。
「あ・・・はい。」
悠は足早に去っていく。
 悠の後ろ姿を見つめ。完全に見えなくなるとアリアはため息をついた。
「・・・。なんでいつもこうなの・・・・。」
いつだって自分は。定めに縛られている。裁定者としての仕事も。そして―。
 「アリア様。」
後ろで声が聞こえ、ふと用事を思い出す。
「神の(ドリエス)なんかに見られるわけにはいかないものね、あなた達は。
 で、どうかしたの?」
そう言って、アリアは後ろを振り向く。
 夕焼けの空に浮かぶ二人の少女。
 一人は、銀色の腰まである長い髪だが、耳元近くの髪が青色がかった、華奢で背の高い緑色の瞳の少女。もう一人は、腰まである金色の髪を束ね、青い瞳をした背の低い少女。夕焼け色に染まる白いレース付きの半袖ワンピースのような服を身に纏い、腕には金色の円が渦巻いているような不思議な模様が浮かぶ。
 「報告。今から二分三十九秒前、境界に歪みを感知しました。」
背の高い少女がそう告げるとアリアの銀の瞳が苛烈さを増す。
「カリス。報告ご苦労。ウェレン、門の様子は?」
アリアにウェレンと呼ばれた背の低い少女が質問に答える。
「門に異常は見られず。また、歪みが発生した際に門を通過した者はいません。おそらくは。」
「空間の撹乱者(ベレル)の仕業ね。」
ウェレンの言葉に付け足すようにアリアは言った。
「二人ともご苦労様。境界の門番<セティーラ>がいつまでもここにいるのは得策じゃないわ。戻って監視を続けて。」
「了解。」
そう言って二人は姿を消す。
 「本気で。歪ませる気なのね。」
アリアは人知れず呟いた。
「私を怒らせたことを。後悔するのね。」
彼女は銀色の瞳を夕焼けに向けて。静かに言った。

三章

 闇より深い黒の世界。黒の神殿がそびえたつ以外は植物など一切ない無機質な場所。
 そこは死域と呼ばれる場所。


 「そろそろ・・・だな。」

暗い神殿のような場所で。黒い椅子に腰かけた男はそう告げた。金色の瞳が目の前の男に注がれ、床まである長い白の髪をさらりと地面からすくい上げ、呟く。

「あれはすでに感づいているだろう。」

「ご心配には及びません。我が王。すでに準備は出来ていますから。」

目の前に立つ青い瞳の青年はそう告げると、頭を下げて部屋を出て行く。

神殿の廊下を歩くたびに後ろで束ねられた青の髪が揺れる。やがて彼は廊下の中央で足を止めた。

 「始めるの?」

面白そうに告げる黒髪の少年少女を見つめ、にやりと彼は笑った。

「ああ。

 神の定めを。壊せ。」

その言葉に少年二人はクスクスと笑う。

「待ってたんだよ、ずっと。」

「ずっとな。」

少年の横でクスリと微笑む少女二人は静かに言う。

「壊すのは楽しいもんね。」

「楽しいよね。」

同じ赤い瞳の四人は青年を見て最後の一言を放つ。

「「「「ね?死王の右腕(ガルバスタ)、リール?」」」」

その言葉にリールと呼ばれた青年は微笑をたたえて口を開く。

「破壊の宣言者(グラシオ)、ハティとベイル。悪魔の破壊者(レミーア)、レイルとリル。

 思う存分遊んでおいで。」

ハティとベイルと呼ばれた少年二人と、レイルとリルと呼ばれた少女二人は笑い声と共に外へと出て行った。

四章

 部活が終わったのは午後八時三十分頃だった。悠は、急いで学生服に着替え、部員からの誘いも断って校門へ急ぐ。部活のない生徒なら午後六時には帰っているはずだ。だが、アリアは言った。『校門で待っている』と。
 校門の外に銀色になびく髪が見えた。
「随分と遅かったわね。」
氷のように冷えた声が聞こえる。
「ご・・ごめん・・。」
弱気になってしまった悠をアリアは振り返って見つめた。校門の影に隠れていた体が悠の目に飛び込む。
「その・・・服・・・・。」
アリアが着ていたのは制服ではなかった。
 黒と銀に彩られたドレスのような。いや、ワンピースか。とにかく、ドレスっぽいがそれほど仰々しいわけではない丈の短いワンピースのような服装だった。
「何かおかしい?」
銀色の瞳に睨みつけられ、ブンブンと首を振った。
「行くわよ。」
そう言われ、ただ横に並び無言で歩き始めた。
 「いろいろと説明して欲しいでしょうけど、そんな時間はないから、裁定しながら話すことにするわ。」
「・・・はあ・・・。」
コツコツと足音を響かせ、道を歩くアリアの後ろに悠は不安な気持ちでついていく。
 奥まった細道に入るとアリアはぴたりと足を止めた。
「昨日、あなたが見た黒い影のようなもの。あれはデマンダーと呼ばれる死人の魂が具現化したもの。それほど力を持たないから、人間の中に入るしか能がないの。
 でも。今日のは、デマンダーじゃない。ガリストよ。」
「ガリストって・・?」
「凶悪化した死人の魂。人間の生気を吸って、その人間に成り代わる。しかも凶暴だから手が焼けるのよね。」
淡々と説明したアリアは手から黒い笛を取り出す。
昨日はよく見えなかったが、アリアの黒笛はふつうの笛とはまったく違っていた。美しい装飾が施された豪華なもので、笛の表面に不思議な文字のようなものがびっしりと書かれ、更に笛であるはずなのに穴は息を吹き込むと思われる場所一つしかない。
 「ぼんやりしてる場合?来たわよ。」
アリアの声に悠ははっと前方を見た。そこには。黒い靄を纏った一人の女が立っていた。アリアを真っ直ぐに見つめて。

 「どうやら死域の連中はどうしても定めを壊したいようね。」
アリアの言葉に悠は思わず口を開く。
「死域・・・?」
「説明は後。」
そう言って、アリアは黒笛を口に近づけながら言葉を発する。
「定めを歪める愚かな魂。その行いを消えて詫びるのね。裁定実・・。」
 「レバンティ《蒼火》」
ふいに。低い声が響き、それと共に女が青い炎に包まれて砂になる。
「・・・・。あともう少しで規定違反になるところよ?一体何しに来たの?」
凍てつくような瞳を向けるアリアに背後の男は静かに口を開く。
「そう言うけど。事態はかなり深刻だよ。」
「わかってるわ!ガリストは自然発生するものじゃない。死域の人間が手を加えない限りね。
 死域側は本気で定めを歪めるつもりよ。なのに!そんな非常事態に裁定の邪魔しに来たの!?」
かなりご立腹なアリアの声に彼はため息をつく。
「我が神が君を呼んでるんだよ。じゃなきゃ来るわけないだろう。神域にいることが定めである僕が普通この世にくるか?」
「じゃあ最初からそう言えばいいでしょ!裁定の邪魔までして、言うことはそれだけなの!?ライト!」
「神の(ドリエス)の前で僕の名前を不用意に呼ぶのはやめてくれ。」
「あら・・。そうだったわね、神の使者(ファティラス)。じゃあメリスかセリスを送ればいいじゃないのよ!」
 二人の喧騒を見ながら、悠は呆然としていた。アリアの怒号とライトと呼ばれた男の罵倒が続いている中、恐る恐る声をかける。
「あの・・さぁ・・・。」
「何!?」
「神様に呼ばれてるんじゃないの?」
その一言に二人はやっと本来の目的を思い出したらしい。いつもの顔に戻ったアリアは黒笛をしまうと腕を空にかざして言葉を放つ。
「ラファスト・セティ《門扉解放》」
その声と共に重厚な黒い扉が目の前に現れる。扉には不思議な文字がびっしりと刻まれている。更に。扉の横には二人の少女が。
 「カリス、ウェレン、門の開錠許可を。」
アリアの言葉に少女達は即答する。
「「門扉開錠を許可いたします。」」
カリスとウェレンの言葉にアリアは門に一歩近づく。そして、扉の文字を一つずつ指でなぞり始めた。言葉を紡ぎながら。
(ガディー)系譜(ダリー)裁定者(ベレンティウス)(ドリエス)開門(バイラ)。」
指でなぞった文字は小さな光を放ち、アリアが言葉を唱え終わると、扉が静かにゆっくりと開いた。
「悠。」
「は・・・はい!」
「この先が神の住む場所、神域よ。少しでも粗相があったら許さないわよ。」
氷のような瞳で睨みつけられ、悠はただ頷くしかなく、アリアの後ろについて門を通っていった。


 そこは広大な白い宮殿だった。二階には居住空間があるのか、銀色の扉がいくつも並んでいる。どこからか光が差し込んで金色の細工がきらきらと輝く。
 アリアと悠がたどり着いた場所は宮殿の中心に当たるようだった。高い天井と美しいシャンデリア。その奥に金色の椅子が置かれていた。そこに一人の男が腰かけている。銀色の髪の。
 アリアは彼の近くまで来るとそっと口を開く。いつもより少し優しい声で。
「用件は何です?」
「死王の右腕<ガルバスタ>が動き出したようだな。」
「ええ。」
「目的は。」
「おそらく。定めを壊すつもりなのだと思います。」
アリアの言葉に男は口を閉じる。考え込むかのように。だが、アリアははっきりとした口調で言う。
「我が神が手を出すほどのことではありません。彼らは神域へは来られない。降り立つのは人間達の世界。その場所に長く干渉できるのは。神域の中では裁定者と干渉者(ネゴリス)のみ。」
その言葉にライトは口を挟んだ。
「お前一人で奴らをなんとかできると?」
「人間世界に長く干渉できない者が行ってどうなるっていうの?純白の(エメリシオン)も一つしか見つかってないのに。
 それに。今回の死域側の干渉は、定めの破壊を宣言する為のお遊びみたいなもの。私が倒せないような相手じゃないわ。」
「本当にそう思ってるのか?なぜ死王の右腕(ガルバスタ)が動いてると思う?一気に攻撃を仕掛ける為だろう!」
ライトの大きな声に男はそっと立ち上がる。
「ライト。少しアリアと二人だけにしてくれ。」
その言葉をライトは正確に理解した。
 悠の腕を掴みさっさと奥へ向かう。
 「え・・お・・・おい!」
「神の(ドリエス)の分際で僕に指図する気なのか?少し黙ってろ。
 兄と妹二人っきりの時間を邪魔するな。」
その言葉に悠は動きを止める。
「妹・・・・?」
「神の系譜だよ。
 神域にいる人間は全員神と血の繋がりを持つ。神の弟の子供が僕。神の唯一の妹がアリア。他の者もみんなそうだ。」
それを聞いて、悠はそっと二人に目を向ける。

 「死域と戦うのが裁定者の役割ではない。お前が行かずとも。」
「じゃあ誰が行くというの?」
「アリア・・・。」
「お兄様。私は神の系譜を受け継ぐ者よ。死域の者に遅れを取ったりしないわ。」
アリアの言葉を聞いてもなお、(ガディー)であり、アリアの兄であるメティーラは心配そうな顔をする。
「・・・。お前の望むとおりに私はしてやりたい。」
「私の望みはあなたの望みよ。
 私は旋律の裁定者(ベレンティウス)。神の望みを実行し、神の定めを守る者。
 言って。お兄様の望みを。」
 メティーラはその言葉にふうとため息を吐く。自分は心配性な性格なのに、アリアはこうと決めたら絶対にそれを実行しようとする。同じ血を引くものなのに。そんな事を考え、メティーラは厳かに言った。
 「守れ。神の定めを。」
その言葉に。アリアは静かに頷いた。

五章

 電灯の明かりの下に四つの影が映る。人には見えない四つの人影が。
 「すぐに壊しちゃうのってどうかな?」
「ちょっと物足りないわね。」
レイルとリルがぽつりと言う。
「物足りないかも。」
「じゃあ。ちょっと遊んでやろうよ。」
ハティとベイルがにやりと笑って言った。
 「じゃあ、私にやらせてよ。」
もう一つの影が傍に立ったのを見て、四人は目を輝かせる。
「セディア!」
「血染めの執行者(キルティ)がどうしたの?」
セディアと呼ばれた金色の髪に赤い瞳の女は楽しげに言う。
「リールにおねだりして来たのよ。四人だけに楽しい思いをさせるのはずるいって。」
「セディアも遊びたいんだ?」
「もちろん。」
ハティはセディアを見つめ。そっと口を開く。
「セディア、任せていい?」
「あら、ハディ。譲ってくれるの?」
「うん。セディアはいつも面白いことしてくれるから。」
そう言われてセディアは妖艶に微笑むと街を眺めながら言った。
 「存分に楽しませてもらわなくちゃ。あの裁定者に。」
彼女の言葉に四人はクスクスと笑った。

六章

 神域から人間の世界へと戻った悠は、アリアの背中を見つめながら歩いていた。
 神域から戻ってきてから、アリアは一言も言葉を発しない。悠はたくさん聞きたいことがあるのに、アリアのその姿を見て言うべきなのかどうか迷っていた。
 そんな悠の心を見透かしているかのように、アリアは近くの公園に入り、ブランコに腰かける。悠も隣のブランコに腰かけて、言葉を待った。しばらくの沈黙ののち、アリアが重い口を開く。
 「定めは太古の昔に神によって決められたの。大神と呼ばれる存在によって。その定めは本来なら歪むはずは無かった。でも、死域に住まう王が定めを拒否した。
 死域は死人の魂が集まる場所。彼らは死人の魂を天国か地獄がどちらかに降ろす義務があった。なのに定めができた時、その義務を放棄したの。そして、行き場の無くなった死人の魂を定めを歪めるために使い始めた。人間を媒介にして。
 裁定者が幾度となく裁定に赴いたわ。この地に。でも歪みを止めることはできなかった。少しずつ。ほんの少しずつ定めの歪みは進んでいった。
 前も話したけど。定めって言うのはこの世界全体を対象にしたものなの。神の系譜、つまり神の血を受け継いでいる神域や死域の者以外は基本的に定めに縛られない人生を送れる。
でも。定めが歪んでいくとそうは行かなくなった。定めの鎖は緩み始め、人間達は次々と大切なものを忘れていった。神の存在、神を敬う心、限りある生命の尊さ、他人への思いやり、素直な気持ち、怒りを抑制する方法さえ。
 そして。今、定めを歪めるだけでは飽き足らず、壊そうとしてる。
 定めが壊れたら、神域は人間の世界には干渉できなくなる。人間達は大切なものをすべて忘れる。愛しきもの、家族、友人。全て。自分だけが世界の中にいると錯覚する。そして、この世界を滅ぼすような争いを起こす。
 その意味がわかる?」
横にいる悠にアリアはそっと問いかけた。いつもより覇気のない声で。
「・・要するに・・。最終的にはこの世界が滅ぶって事・・・だろ?」
「完結に言えばね。」
「定めの歪みを・・・戻す方法はないの?」
「命がリセットできないように、定めも戻すことはできない。
神が定めたもので、神が歪めた物。単純じゃないのよ。」
「・・・そっか・・・。」
小さくため息混じりに呟いて、悠は一番聞きたいことを聞いた。
 「どうして、死域の・・人たちは、定めを嫌がるの?」
「定めに束縛されるからよ。」
意外にもすんなりと返って来た単純な答えに悠は「え?」と聞き返した。
「言ったでしょう?神の血を引く神域、死域の者は例外なく定めが決定される。それぞれの人生が決められているの。それに束縛されることが死域側にしてみれば納得いかなかったのよ。」
「それだけの理由で・・・定めを壊すっていうのか?」
悠の質問に、アリアはふと沈黙する。そして小さく呟いた。
 「あいつの考えてることは・・・・今の私にはわからないから。」
悲しげに言ったアリアのその言葉の意味は。悠にはわからなかった。


 ふと、アリアの瞳が険しくなる。ブランコから立ち上がり、黒笛を出現させる。
 「さすがは裁定者。」
その声と共に5人の人影が姿を現す。そのうちの二人の少年が前に出た。
「僕らは破壊の宣言者(グラシオ)。ガルバスタの命令で、宣言しに来たんだ。」
「定めの破壊をね。」
アリアは冷たい目で5人を見つめる。そして冷ややかに言った。
 「あんたたちみたいなのが、私に勝てると思ってるの?」
「やってみなきゃわからないよ。」
後ろの少女が口を開く。その後に少年達は続ける。
「僕らだけじゃ役不足でも。悪魔の破壊者(レミーア)と血染めの執行者(キルティ)がこっちにはついてる。
 そっちは裁定者と神の(ドリエス)。どっちが不利かわかるだろ?」
その言葉にアリアは黒笛を構える。
「不利?それは数の話でしょ。5人対1人でも。私には関係ない。
 黒刃(バレイシア)!」
 その声で黒い刃が一斉に5人を襲う。それを悪魔の破壊者(レミーア)と名乗る少女達は簡単に弾き返す。アリア目掛けて戻ってくる黒い刃を見据えたままアリアは更に攻撃を仕掛ける。
光刃(ハディア)神罰(グリテス)!」
黒い刃に光が絡み合い、もう一度5人の方に向かっていく。少女達は今度は弾き返せず、後方に倒れた。だが。それを楽しげに見ていた女が鋭い爪で攻撃を弾く。
 「少しは楽しめそうじゃない?でも。どこまでもつかしら!?」
手のひらから放たれた無数の黒い光弾がアリアを襲う。アリアは、舌打ちすると、手のひらからもう一つ黒笛を出した。
 「悠、下がってて。」
そう言われ、後ろへ後退する自分を情けなく思いながら言われたとおりにする。
 「二重奏(ダブレシア)幻蝶(ダミー)紐縛(タイトリー)。」
静かに放たれた言葉と共に二つの黒笛から背中に紐をつけた白い蝶が現れる。そして、小さく聞こえる妙な音。
「何?」
女は白い蝶を不機嫌そうに爪で裂く。そうやって何匹かが消えた頃、女はふと動きを止めた。足や腕を何かが縛っている。黒いうごめく物体が。
 「な・・!?」
「白い蝶はただの紐よ。蝶だと思わせただけ。でもその動いてる紐はただの紐じゃない。聞こえるでしょう。あんたの嫌いな音色が。」
それは悠の耳で聞けば、心が洗われるような音だが、すこし、耳が痛い。と言う程度のもの。だが、女はその音色を聞いて耳をふさいだ。
「くそ・・・!!!!ぐあ!」
「う・・!!!」
「何・・これ・・!!」
よく見ると少年や少女達も同じ紐に捕らえられている。
「覚えてなよ・・・!絶対に・・・・!ただじゃおかないから!!」
そう言って、彼らは動いている紐を無理やり引きちぎり、どこかへ消えた。

 「アリア・・あれ・・何?」
悠は地面に動く黒い紐を指差し恐る恐る聞いて見る。
「ただの黒い蛇よ。ただこの世界の蛇と違って、甲高い声で聖歌を歌うの。」
そう言って、アリアが黒笛を蛇にかざすと蛇は跡形も無く消える。
「ところで。」
そう言って、アリアは悠の胸ぐらを突然掴んだ。
「へ!?」
「まだ、ネックレスの使い方分からないの?使い方はあんたにしかわからないのよ?ただの飾りじゃないんだから、さっさと習得してくれる?」
「ご・・・ごめんなさい・・・。」
 この先、ずっとこんな風にいわれるのだろうか。そう思うだけ身震いしてしまう悠であった。

七章

 真っ暗な夜道をアリアは下を向いて歩いていた。
 他に聞きたいことがいっぱいありそうだった悠を強引に家に送った。
 「あまり詮索はしないで」と釘をさして。
それはアリアにしてみれば、悠を守る為なのだが。
  ため息をついた時、人の気配を感じて、後ろを振り向く。そこには見覚えのある背の低い少年が立っていた。
 「どうしたの?神言の伝令者(メサット)が人間の領域に来るなんて。」
アリアの質問に少年はアリアの顔を見て短い言葉を告げる。
「死域側が接触したんだろ?アリー。」
「ええ。」
アリアの事を唯一『アリー』と呼ぶ少年を見据え、ため息混じりにアリアは頷く。
「神に伝えなくていいのか?」
「あなたが知ってるなら神はもう知ってる。そうでしょう?」
「そうだけど。」
少年はしばらく黙り込み、やがてそっと口を開いた。
「・・・あれを使うつもり?」
「最悪の場合はね。」
アリアは小さくそう言うと、胸元に隠していた銀のネックレスを取り出す。笛の形をした装飾のついたネックレスは月の光を受けて鈍く光った。
「・・・・これを使うのが遅すぎたのよ。」
悲しげに呟いたアリアを少年も悲しげに見つめ、やがて姿を消した。

 定めに縛り付けられることを嫌ったあの男は。定めを壊すことで何を得ようとしているのか。アリアには分からなかった。
 無意味な事だと知っているから。自分は。神の定めの為だけに存在するのだから。
 己の定めを変えることなど出来ないと言ったのに。
「・・・どうして。いつも私を苦しめるのよ・・・。」
小さな嘆きが暗闇の中で響いた。

八章

 「・・・最初の目的達成。後は。」
「破壊の宣言をするだけ。」
ハティとベイルはクスクスと笑った。
 裁定者は気づいていないだろう。自分達の目的を。
「それにしても。手の込んだ作戦だよね?」
「だな。それだけ用心しろってことかも。」
笑みを浮かべたまま二人はそう言うと、手のひらを空に向けた。
「「アルゲイレス・レキスタ・バルト。
 今ここに。定めの破壊を宣言する。」」
二人の言葉で黒い魔方陣が姿を現し、地面へと消えた。

 「さあ、どう出るかな?」
「どう出るか楽しみだな。」
そう言った時、一つの影が目の前に現れた。
真っ黒い影。それが誰からの伝言なのか、二人には分かっている。
 『順調に行った?』
楽しそうな女の声が聞こえ、ハティとベイルはこくりと頷く。
「宣言は済ませたよ。」
『そう。じゃあ、あとは・・・・楽しむだけね。』
その言葉を言うと、黒い影は静かに消えた。

 「あの人も怖いこと考えるよね?」
「楽しいけどな。」
二人はクスクスと笑いながら姿を消した。

九章

 次の日。悠は教室でため息をついた。
 アリアはほとんど自分に何も話してはくれない。自分の運命はなぜ決まっていたのか。純白の(エメリシオン)をなぜ自分が持っているのか。そして、アリアが伝えない神域と死域の関係や、定めの事。
 何より一番気になっているのは、定めをどうやって壊そうとしているのかと言う事なのだが。彼女は核心に触れようとすると、自分を睨みつけてくる。あの銀色の瞳で。冷たく、だが、少し悲しげに。
 「水無月君!」
クラスメートの相沢エリカに声をかけられて、反射的に振り向いた。あごの下辺りに少しくせのある巻き髪をゆらし、彼女はいたって普通に言った。
「B組の子から伝言。天理さんが今すぐ屋上に来てって。」
その言葉で悠は凍りつく。
「い・・今から!?」
「うん。大丈夫だよ、休み時間あと三十分もあるし。」
にこやかに告げるエリカの言葉にため息をつき、肩を落として教室を出る悠。
 そんな彼を友人である慶介と光はじっと見つめていた。
「なんか最近天理さんによく呼ばれてるよな~、アイツ。」
「そうだね・・・。」
 「恋人同士なのかな?」
呆けたような声でとんでもない台詞を言ったのは。悠の幼馴染、奈々である。
「奈々ちゃん、よく考えろよ?あんな平凡でぼんやりしすぎなあの悠が天理さんとくっつく訳ねーよ。」
「そう?」
「奈々ちゃん、僕は少なくともあの二人、恋人同士には見えないよ。強いて言うなら。
 下僕とお嬢様だろうね。」
 恋愛経験豊富な光の言葉に何も知らない奈々は確かにと頷いてしまった。

 その頃。屋上で悠を待っていたアリアは空間の監視人(シャティーリス)のメリスとセリスから衝撃の言葉を聞かされていた。
 「それ・・・本当なの・・・?」
「間違いありません。」
メリスの簡易的な答えにアリアは拳を握る。
「でも・・・そんな馬鹿な事・・。
 あいつらの気配を感知できなかったって言うの!?」
「おそらくは空間を一時的に領域から切り離し、感知できないようにされていたのだと思います。そうでない限り考えられないことですから。」
セリスは淡々と事実を告げる。だが、いつも無表情な彼女達と一緒に育ってきたアリアは二人が動揺しているのを理解していた。
 「空間の撹乱者(ベレル)の仕業・・・。確実に。もう動き始めているのね。
 こっちも出来るだけ早く見つけるわ。死域の奴らに渡す訳にはいかないもの。そっちも監視を強化して。」
「「わかりました。」」
 メリスとセリスが消えると、アリアはそばにあった石を力いっぱい蹴り飛ばした。怒気をはらんだ瞳がかすかに揺れる。もう。後には戻れない。
 そこへ悠がやってきた。
 「えっと・・・。何かあったの?」
明らかに怒っていると見えるアリアの表情に悠は冷や汗を書いた。そんな悠の事などお構い無しに、アリアは言葉を紡いだ。
 「破壊の宣言が行われたわ。」
 悠はアリアからの衝撃の一言に目を丸くした。そして恐怖を感じた。
「・・・今・・・なんて・・・?」
「何度も言わせないで。
 破壊の宣言が行われたのよ。」
 アリアは明らかに苛立っている。だが、悠にはよく状況が呑みこめない。
 確か。昨日会った少年が「破壊の宣言者」と呼ばれる存在ではなかったか。アリアが追い返したあの少年達が。
「追い返したんじゃ・・・。」
「油断させられたって事よ。これで奴らの最初の目的は達成されてしまったわ・・・。」
 アリアの言葉に悠は更に混乱した。最初の目的?
「あいつらの目的って・・・その・・定めを壊すことじゃ・・。」
「定めを壊すには準備が必要なのよ。その最初の準備が破壊の宣言。それによって定めは歪みを増す。壊れてもおかしくないぐらいにね。」
苦虫を噛み潰したような顔でアリアはそう吐き捨てた。
 「じゃあ・・。」
悠は最悪のシナリオを思い描いてしまう。だが。
 「神が創った定めよ。それぐらいで壊れるようじゃ困るわ。
 最終的に定めを壊すにはある物が必要なのよ。」
「ある物・・・?」
悠が尋ねるとアリアはしばらく沈黙した。悠を見据えたまま。
「アリア・・・?」
困惑気味な悠に突きつけられたのは。予想外の言葉だった。

 「純白の(エメリシオン)よ。」

十章

 悠は固まった。純白の(エメリシオン)。それが定めを壊すために必要なのだとアリアは言った。
 それはつまり。
 「それって・・あいつらが俺を狙ってるって事!?」
「はじめからそう言ったはずよ。狙われると。」
「で・・でもなんで・・エメリシオンがいるんだよ・・。」
 アリアは沈黙した。
 何も知らないまま巻き込まれるのなんてゴメンだ。悠は答えを待った。
 「神が定めを創った。
 定めは掟みたいなものだから目には見えないし、紙に書いてあるわけでもない。誰かが定めを歪めた時、それが明確にわからなければ意味がない。だから、神は定めを具現化した。」
「具現化・・・?」
「形のあるものにしたの。そして、それを守る扉を作り、信用できる者を番人として置くことにした。
 誰が信用できるかなんてわからない。だから、神は私たちのように人の形をした定めの番人を作った。神の体の一部からできた純白の(エメリシオン)をその番人に埋め込んで。」
「体の・・・一部!?」
「神はなんでも作れるんだから別に驚くことじゃないわ。
 二つのエメリシオンを持つ者に神は名を与えた。忠誠心を誓う神の(ドリエス)、定めの未来を見守る占星の夢見(ドリミア)。そして、その二人を更に守護する為に定めの守護者(ガディル)を置いた。」
 そこまで聞いて悠は疑問に思った。
「じゃあ・・・なんで俺は人間なの?」
神域にいたのなら、神域の人間として生活していたはずだ。なのに何故。自分はこの世界にいるのか。
 「定めを歪ませようとする死域の行動が活発化し、ドリエスとドリミアは危険にさらされるようになった。
 攻撃手段が制限されている上に、守ることが本職の二人じゃ死域に対抗できない。だからガディルが進言したの。二人を人間の世界に下ろすことを。
 最初は誰もが反対した。
 死域の人間は神域には入って来れないけど、人間界にはいつでも現れることができる。逆に危険だと。
 そこで神はドリエスとドリミアの力を封印し、ある時期がきたら裁定者が封印を解く事にしたの。
  エメリシオンは遺伝の過程で次の代へと受け継がれる。だから探すのが大変なの。
 兆候としては神域か死域の人間が見えはじめた時が封印を解く時。でもドリミアは全くその反応がない。死域も必死で探してる。
 早く見つけ出したいけど、エメリシオンの波動を感知することができるのはガディルだけだし。」
 「じゃあ、その守護者を連れてくればいいんじゃ・・・。」
悠の言葉にアリアはため息をつく。
「人の話聞いてたの?定めの守護者だからずっと定めを守ってないといけないのよ!
 ドリエスとドリミアがいなくなってからずっと守護者一人だけで守ってるのに、こっちに連れてこれる訳ないでしょ!?」
怒声を浴び、悠は謝るしかない。
 そこへ。一人の少年が姿を現した。
 突如現れた少年にアリアは冷たく言い放つ。
「何?」
「定めの守護者(ガディル)から伝言を預かってきたんだけど・・・。別に後ででもいいよ。」
「ガディルの伝言なら急ぎに決まってるでしょう?さっさと言って。」
 勝手に話を進めそうなアリアに悠は慌てて口を開く。
「あのさ!その子・・・誰?」
「神域の伝言係(テルス)よ。
 で?伝言は何?」
最後の言葉は少年に向けられたものだ。
 「『死域が本格的に動き始めているから、人間の領域にも影響が出る可能性がある。常に警戒を。
 早めに占星の夢見(ドリミア)を見つけてほしい』って。」
「要するに早くしろってことでしょう?わかってるって伝えて。」
冷たい瞳が少年を見つめると、少年は逃げるように消えた。
 少年が消えると、悠はそっと口を開く。
「あのさ・・・また死域の連中がおそってくるの?」
「でしょうね。」
「俺・・まだ何の役にも立ててないし・・その・・・正直どうしたらいいのか・・・。」
 悠は焦っていた。
 相変わらずネックレスの使い方はわからないし、アリアの話だと攻撃力が大してあるわけでもないらしい。そんな自分は。アリアと少しも対等になれない気がした。
 そんな気持ちを察するようにアリアの口調が和らぐ。
「・・・詳しくはわからないけど。
 エメリシオンが遺伝の過程で受け継がれるなら、力も同じように引き継いでいるはず。
 ドリエスの特化した能力を表す・・・何かが得意とか、特別なことができるとか・・・そういう能力が継承されていると思う。
 要するに。自分の家系が何が得意だったか考えれば攻撃手段がどういうものなのかも見えてくる。あとはそのネックレスの発動方法がわかれば簡単。
 発動方法まではちょっと面倒見れないけど。」
 そう言われても。という顔をする悠をアリアは「後は自分で考えて。」と突き放す。
アリアもすべてを知っているわけじゃない。それがわかるような気がするからそれ以上は何もいえない。
  不穏な気配が空を包んでいた。

十一章

 暗い神殿の中で、死王の右腕(ガルバスタ)であるリールはある男と話していた。
 「死王はまだ我らの計画に首を縦に振らない。
 まったく。神と同じ力を持つものが何をためらっているんだか・・・。
 まあ。あの方は乗り気だが。
 死王もあの方に言われれば、断れまい。
 計画は今のところ順調だ。お前のおかげでな。」
灰色の服を身にまとった、白い髪の男は何も言わずにリールの次の言葉を待つ。
「空間の撹乱者(ベレル)である君の力で、当初の目的は達成したよ、ガル。」
「私はあなたの忠実な僕。何なりとお申し付けください。」
「そうだな。では。次の目的は何か分かっているだろう?」
「はい。
 仰せのままに。」

 ガルと呼ばれた男は一礼するとどこかへ行った。

十二章

 アリアは校門の前でいつものように悠を待っていた。だが、アリアの表情はいつもより暗い。銀色の髪が強い風で顔にかかっても、気にもせず、地面を見つめていた。
 死域に出し抜かれた。
 それがアリアの心を焦らせる。もし、ドリミアが彼らの手に渡ったら。神に作られた定めが壊れたら。それはつまり―。
 それを表す言葉をアリアは掻き消すように頭を振った。そんなことはさせない。
 定めの崩壊。
 それは。アリア自身にも及ぶ。定めを守らないものを裁定する裁定者は定めがなくなれば意味をなさない。自らの存在意義が奪われる。
 神域のために。神のために。そして自らのために。
 彼女は決意していた。


 一方、部活を終えた悠は誰もいなくなったロッカールームで、アリアにもらったネックレスを見つめていた。
 能力は受け継がれる。
 その言葉を頼りに考えると。悠の家系が得意だったものは弓道だ。それならネックレスの形が弓なのも頷ける。
 ただ。
「矢がないとな・・・。」
矢のついてない弓などただの飾りにしかならない。
 できることなら。自分も守りたい。この町を。この世界を。そして。アリアを。
 どんなに弱くたって、何か力になりたい。
 悠はそう心に誓うと、アリアのもとへ急いだ。

十三章

 いつものように校門で待っていたアリアに駆け寄った悠は、「遅くなってごめん。」と言おうとしたのだが。
 「・・・アリア?」
 険しい表情で周りを見つめる彼女を悠は不思議そうに見つめながら言葉を発した。
「どうかした?」
「・・・・。来た。」
たった一言そう告げると、アリアは黒笛を出現させる。訳がわからない悠は、周りを見渡す。いつもと何も変わらない風景だ。何も。
「・・・?」
ふと、悠は不自然なものを感じた。
 たった一瞬。違和感があった。
 もう一度あたりを見回し。
「風が・・。」
 強い風が木々を揺らしているのに。アリアの髪は揺れていない。自分も風を感じない。アリアと悠の周辺だけ風がないのだ。
 「空間の撹乱者(ベレル)の仕業ね。
 こんな手の込んだことをするなんて予想外。
 それとも。ただ、邪魔されたくないだけ?」
アリアは厳しい顔である家の屋根の上を見つめて言った。
「邪魔?邪魔なんか誰もしないわ。
 神域に伝わらないようにするのがアイツの役目。
 私は。裁定者を殺すのが仕事。」
金髪に赤の瞳の女はそう言って地面に降り立つ。
 「血染めの執行者(キルティ)が私を殺す?随分と馬鹿にされたものね。」
アリアの不服そうな声に血染めの執行者(キルティ)であるセディアはクスクスと笑いながら近づく。
「死王の右腕(ガルバスタ)から聞いたわよ。裁定者は裁定範囲外の者には裁定を行えないって。つまり、私と対等に戦えないって事よね?」
「だったらどうだと?神域はすでに死域を裁定範囲内に認定したのよ。」
「そうだとしても。神域の人間は死域に手を出さない。それも『定め』よね?」
それを聞いて悠はアリアを見た。アリアは黙ったままだ。
 「図星でしょ?だからあんたはここで私に・・・・。」
「ガルバスタは肝心なことを忘れているようね。」
アリアの低い声がセディアの声をさえぎった。
「知らないようだから教えてあげる。
 裁定者が認定したら認定範囲内の人間が例え神であろうと裁定は実行される。
 『死域に干渉できない』という定めより定めを歪めた者への裁定が優先事項になるのよ。
 それに。神域の者は人間の世界に下りるときは極端に力を制御する。他の定めに影響を与えないためにね。
 その力を完全解放するには。神の許可が必要だけど。裁定者は神の許可なしに力を解放できる。だから。例え、死域の人間とでも対等に戦えるわ。」
その言葉と共にアリアの足元に白い魔法陣のようなものが浮かぶ。
「知らないの?私の別の名を。
 旋律の裁定者は『戦慄の戦乙女(フェイレス)』と呼ばれることがあることを。」
アリアは絶句しているセディアを見つめながら、言葉を告げる。
 「解放(レリース)。」
 白い光が彼女を包む。
 銀色の髪がなびいた。セディアに風圧が叩きつけられる。悠は隣で銀の瞳をまっすぐセディアに向けているアリアを見つめた。
 それは初めて見た時と同じ。冴え冴えとして冷血漢たっぷりのオーラがかもし出されている。
 アリアは無言のまま黒笛を手に呟く。
 「黒刃(バレイシア)。」
黒い刃がセディアを襲った。長い爪がいとも簡単に切り落とされ、弾き飛ばされる。
 セディアはなんとか態勢を立て直した。そして自らの体につけられた傷をしげしげと見つめ。
 凄絶に微笑する。
 「よかったわ。張り合いがないのかと思ってちょっとがっかりしてたとこだったのよね。
 私の職務は命令を執行することだけだから。楽しみがないとやってられないでしょ?
 でも、これなら。存分に楽しめそう。」
セディアはそう言ってクスクスと微笑う。
 悠は彼女のその笑みを見て怖気を感じた。
 自分の背中に冷たいものが滑り落ちていく感覚。だが。アリアは涼しい顔でその微笑を受け流し。淡々と告げる。
 「その爪を切り捨ててあげたのを忘れたの?」
「忘れてなんかいないわ。大切な爪だもの。だから。
 存分にお返ししなきゃね!
 赤槍(フライス・ハジェル)!」
 セディアの怒号とともに赤い刃が無数に飛び散る。アリアは悠を背に笛を構えた。
「光の(シュベリア)。光縛の(ベティスト)。」
まばゆく光る盾がアリアの前に築かれ、光の檻がセディアを包んだ。その一瞬後に、ふいに腕に痛みを感じる。
 「・・っつ!」
自分より前にいるアリアのうめきに気づいてはっとした。
 前方に築かれた光る盾をすり抜けるように、小さな赤い槍がアリアの白い腕に傷の筋を作っていた。
 苦痛に顔を歪めながら、アリアは笛を握る。
 「風渦(セティーラ)!」
 アリアの声で風の渦が赤い槍を空高く舞いあげる。
 「粉砕(ダジェス)!」
 その言葉で赤い槍と。セディアを囲んでいた光の檻が粉々に消える。
 セディアは涼しげな顔で立っていた。腕にかすり傷があるぐらいだ。それを見てアリアは忌々しげにつぶやく。
相殺術(シュディアーノ)・・・。」
「知らなかった?死域の者は大抵できるのよ。
 神語の力を自分の力とぶつけて倍にする。神語の力は半分以下にさがって、相手がどれほどの防御力を持ってても倍になった攻撃を吸収できない。
 怖い顔しないでよ?もともとはあんたたちもやってた方法でしょ?」
 アリアはしばらく軽口を叩くセディアを睨みつけていた。そして。二本目の黒笛を出す。
二重奏(ダブレシア)神笛(クロノセリス)。」
二つの笛を合わせながら彼女は言葉を紡ぐ。
「無駄だって言ってるでしょ!?それとも私の言った意味、わからなかった!?」
セディアは切られた爪で地面を引っ掻きながら挑発する。
赤岩(グライサ)!」
切り裂かれた地面から槍のように鋭い赤の岩がアリアのほうへと大量に噴き出し、落ちていく。
「アリア!」
悠はとっさに叫んだ。だが。アリアは動かない。
 「黒笛(フェルテニア)
 球盾(シュザイシア)聖光(ファランドリス)。」
低い声とともに。球体の結界が創生され、岩を弾き飛ばした。驚くセディアに眩しいばかりの光が襲う。
「ぁあああああ!」
苦しみのたうちまわる彼女を見つめながら。アリアはとどめのようにつぶやいた。
神雷(ガルサンディス)!」
白い雷がセディアに直撃した。声にならない悲鳴が響き。沈黙と白い煙がたちこめる。
 「やった・・・?」
小さく呟いた悠はアリアに駆け寄ろうとした。だが、アリアがまだ笛を握ったままなのに気付く。
 ふいに。笑い声が聞こえた。
「ふふふ。さすがは裁定者・・・。なかなかやるじゃない・・。」
白い煙が消え始め、セディアが姿を現す。
 左肩の一部が刃物で切られたように深く切り裂かれている。両腕は火傷で赤黒くなっている。美しい金の髪がところどころ焦げていた。
「今ので倒れたと思ったけど。そこまで甘くない様ね。」
アリアは冷徹な瞳でそう言いながら、笛を構える。
「神語・・・じゃないわね・・・。」
その問いにアリアは無言になる。
「でも・・・どこまやれるかしら。」
傷ついた体でセディアは腕を伸ばした。
「私の爪が・・・・ただ切り裂くだけだなんて思ってないわよね・・・・?」
その言葉と共に。五本の爪が赤く長い紐に変わった。
「紐じゃないわよ・・・・。茨の鞭よ!」
彼女が腕を振ると茨の鞭が、軽々とアリアを跳ね飛ばした。

十四章

 神域の一室で。神王(ガディー)のメティーラは金色の椅子に腰かけて瞳を閉じていた。
 脳裏に移るのは、妹であるアリアが傷ついていく姿だ。助けなければならない。だが、彼女はそれを望まないだろう。
 『どうして最後までさせてくれなかったの・・・・。』
 遠い昔、彼女が告げた悲しげな一言は今も胸に刺さっている。
 「神王(ガディー)。」
ふいに自分を呼ぶ声が聞こえ、振り返ると少女が立っていた。
 黒と白の配色が美しいコルセット型のワンピース。ワンピースの丈はまるでミニスカートのようにひざよりかなり上にある。それとは妙に不釣り合いな白銀の龍の鱗のようなブーツと右腕にはめられた太い白銀の腕輪。耳に飾られた太くて無骨な指輪型ピアス。それをまとう少女は色白で、ショートヘアの銀色の髪が耳元だけ少し長めに伸びている。青い瞳が気遣わしげに自分を見つめていた。
 「シェリス。」
「声をかけて入室したのですが、お返事がなくて。何度もお呼びしていたのです。」
「すまない。」
メティーラが目を閉じたまま謝ると、彼女はそっと言葉を付け足す。
「アリアのことを・・・案じていたのでしょう?謝る必要などありません。」
「あれは・・・。実に頑固に育ってしまったようだな。」
メティーラの苦笑まじりの呟きにシェリスと呼ばれた少女も苦笑する。
「彼女は強い方です。信じるしか・・ありません。」
その言葉にようやく彼は瞳を開く。
 「用件を聞こう。」
彼の言葉に少女の瞳が険しいものに変わる。片膝を地面に着き、深々と頭を下げる。
「先程、審判を実行いたしました。」
硬い声が部屋に響いた。
「そうか・・・。」
椅子に腰かけたまま。メティーラは静かに呟く。シェリスは頭を上げ、立ち上がる。
「これ以上神域に影響がなければよいのですが。」
表情を曇らせる彼女の言葉の意味を理解して彼はため息をつく。
「その時は。君の別の名を呼ぶことになるだろうな・・・。」
メティーラの言葉にシェリスは表情を硬くした。
 「我が神のご命令ならば。」
返した強い言葉とは裏腹に瞳は揺れていた。やがて、小さく言葉を付け足す。
「ですが。私の個人的な意見としては。その名を呼ばれるのは今は早すぎると感じます。」
メティーラも頷く。
「もちろん、今ではないさ。
私がこんな弱気ではいけないな。アリアに怒られそうだ。」
自嘲気味にメティーラが呟いた一言にシェリスはやっと笑顔を見せた。
「アリアならきっと大丈夫ですよ。黒笛(フェルテニア)があるのですから。」
シェリスはそう言って、神王を励まし、部屋を後にする。
 神々が力を封じた笛、神笛(クロノセリス)。その中で最も美しいといわれるアリアの黒笛(フェルテニア)。持ち主の思う通りの力を具現化させ、神笛(クロノセリス)の中で唯一、神語ではなく、神霊(バレスト)で動かす笛。それを持つことができるのは強い神力と強い心を持つ者だけ。
 「アリア・・・。」
神王は最愛の妹の姿を脳裏に浮かべながら、無事の帰還を祈るしかなかった。


 「ぁあ!」
体中を壁にぶつけられ、思わず悲鳴を上げた。どこかで切ったのか、足や腕から赤い血が滴り落ちる。
 それでも、負けるわけにはいかない。ただその思いだけで立ち上がった。
 何度もそれが繰り返されている。


 「もう終わり?反撃は無理かしら?仕方ないわよね、笛しかないんだものね!」
セディアは面白そうに笑いながら、鞭を振り回す。それをなんとかかわしながら、アリアは笛を構えた。
 「双笛(ダブリー)形状変形(アサルト)!」
光が鞭を弾き、二本だった笛が一つになり、長く太くなる。
神撃(セイレス)!」
その言葉に呼応して光の筋がセディアに直撃する。セディアは後方まで吹き飛ばされた。
「光刃の(クリサスト)・・・!」
「遅いのよ!」
アリアの詠唱で檻が出来上がる前にセディアの茨の鞭がアリアを襲う。アリアは壁に叩きつけられ、腕に新たな傷ができる。血だらけになりながらも。アリアはもう一度立ち上がった。

 そんな二人の激しい攻防戦を。アリアの後ろで、悠は見ているしかできなかった。
 悠に向かってセディアが鞭を放つと。アリアはわざと自分の体を向けて、術ではじき返した。自らの体にわざと鞭を受け、傷だらけになった。
 そうやって守られることしかできない。そんな自分に。腹が立っていた。
 「何してんだよ・・・・俺は・・・・。」
知らず知らずにアリアからもらったペンダントを握りしめた。
 悔しい。
 弓道の試合で負けるより、下級生に負かされるより、スタメンに入れなかった時より。悔しくてしょうがない。
 自分は好きな女の子も守れないのか。女の子に守られたまま、終わるのか。
 自分への怒りがふつふつと湧き上がる。
「何か出ろよ・・・・!」
ペンダントをぎりぎりと握り、強く思う。
 たった1回でもいい。セディアに傷をつけられるような力がほしい。
 アリアを。彼女を守りたい。守りたい。
 強く強く願ったとき。胸の奥深くで何かがはじけた。


 「それにしても・・・。よく立ち上がるわね。
 そんなに定めを守りたい?縛られるだけの生活がそんなに好きなわけ?」
セディアはフラフラになりながらも立ち上がるアリアを見て、不満気に言った。
「自分の存在のため?自由に生きるのが怖いの?わっかんないわね・・・。」
 「あんたにわかってほしくなんかない。」
アリアの冷たい低い声にセディアは動きを止める。アリアは息も切れ切れに続けた。
「定めのことも知らないうちから・・・・拒絶したくせに。
 定めは神の願い・・・・こうあってほしいと望む神からの啓示。
 定めに縛られるという固定観念に囚われて・・・あんたたちはそれを壊そうとしている。
 自由にぐらい生きられるわ。少なくとも私は・・・そのつもりよ。
 ・・・守りたいと思うものぐらい、自分で選べるわ・・・・。
 だから。私が守りたいものを、あんたが壊そうとするなら・・・私はそれを守り抜くだけよ・・・!」
 セディアはその言葉をふんと鼻で笑った。
「強がりだけはまだまだ言えるようね。
 でも。もう終わりにしない?負けを認めたら?」
「私に負けるという言葉はないわ・・・・負けは死と同じだから。」
「そう・・・・じゃあ死ねば!」
 怒号とともに鞭が大きく長く伸びてアリアに襲いかかる。
 その時。
 「弓盾(ルビテルス)千光矢(ラジェスト)!」
アリアの前に防御壁が築かれ、無数の光の矢がセディアに刺さった。
「ぐああああああ!!」
のたうちまわるセディアをアリアは茫然と見つめ。目の前にいる悠を見た。
光の弓を持った悠。手には彼の力で生み出された矢が光っている。
 「悠!」
「・・へ・・・?」
「間抜けな声出さないで!今のうちよ!
私と同じタイミングで・・・矢を放って!いい?」
荒い呼吸でアリアは悠にそう告げる。
「わ・・わかった!」
「言葉は考えないで。頭の中に浮かぶはずよ。」
アリアの言葉を背中越しに聞いた悠は弓を構える。
「いくわよ・・・・。
 光雷(フォルテンタ)!」
砕矢(ブレシエルス)!」
頭の中に浮かんだ言葉をそのまま音にする。
 悠とアリアの同時に放った光がセディアの体を突き抜ける。
 雷のような激しい光がセディアを焼き尽くし、跡形もなく砕けた。
 悠はしばらくぼんやりしていた。やがてはっと我に返る。
 弓は手から消え、背後で何かが倒れる音がした。
 「アリア!?」
 血だらけになったままアリアは静かに目を閉じていた。
 まさか。
「おい!アリア!」
声を大きくして叫ぶと。別の声がした。
 「急いで神域に運ばなくては。」
後ろを振り返ると。空間の監視人(シャティーリス)のメリスとセリスが立っていた。
「空間の撹乱者(ベレル)の術を解くのに時間がかかってしまって。遅くなりました。」
二人の妙に丁寧な物言いに若干違和感を覚えながら、アリアを抱き上げる。
 「「緊急開門(フィレス・セティス)。」」
黒い門が目の前に突如現れ、扉が開く。急いで中に入ると、そこは前に来た空間と全く別の場所だった。
 「こちらへ。」
メリスとセリスに促され、アリアを白い台の上に寝かせる。すると中から数人の女性たちが出てきて、アリアを取り囲み、何かを始めた。
 「神の(ドリエス)。」
 メリスに呼ばれ、顔を向けると、二人は自分をまっすぐに見つめていた。
「アリア様を助けてくれたこと。感謝します。」
「それと、発動の方法を見つけた様子。うれしい限りです。」
「・・・えっと・・・どうも・・・・。」
なんだかしっくりこなくて返した言葉はそれだけだった。
 「しかし。不安が残るのも事実です。」
「へ?」
「術の創生に時間がかかりすぎな気がします。」
「・・・?」
「やはりここは。礼も兼ねて。」
「「しっかり教え込まなくてはいけないでしょう。」」
手厳しい意見とともに二人の瞳が悠を射抜く。
「特訓するってこと・・・?」
「まあ、どのように解釈していただいても結構です。」
 心の中でため息をついた。
 やっぱり。俺の運勢って最悪。

十五章

 黒い神殿に足を向けた死王の右腕(ガルバスタ)、リールは神殿の中央に座る女に聞いた。
「どうしました?ずいぶんと楽しそうですが。」
長い黒髪の女は、きれいな声で。残酷に告げる。
「セディアが死んじゃった。」
その声は楽しそうだ。
「あの子と話すのは楽しかったのに。死んじゃった。
 ふふふ。ふふふふふふ。
 あははは。」
狂ったように笑い出した女を見つめて。リールもひそかに笑った。

十六章

 一週間後、天理 銀華は「交通事故から奇跡的に回復し」、登校してきた。
 もちろん。彼女が病院にいたという事実はない。
 あの後、彼女はしばらく神域側の本格的な治療を受けていた。神の秘術と呼ばれる方法らしく、自分みたいな「下っ端の者」には見せられないらしい。
 でも。無事でよかったと思えるからそれでいい事にした。
 アリアを傷だらけで神域に連れ帰った日。神王(ガディー)にまで礼を言われ、恐縮しながら、自分はアリアを少しだけ守れたのだという気持ちになった。
 アリアに言うと怒られそうだけど。
「水無月君?」
クラスメイトに呼ばれて、ふいに思考が中断した。
「何?」
「天理さんが・・・。」
困ったような顔で自分を見つめるクラスメイト。その横に予想しなかった顔が。
 「ごきげんよう、悠。」
「へ!?」
アリアにそう呼ばれ、一瞬椅子から転げ落ちそうになる。
「あ・・・えっと・・・天理さん・・・・どうしたの?」
「あら?いつも通り銀華でいいのに。」
 アリアの言葉に頭が一瞬混乱する。そして、アリアの悪ふざけだろうかと勝手に解釈した。だが、他の人たちはそう思わないだろう。
「天理さん・・・いま・・・悠って言った?」
奈々がすかさず聞いてくる。
「そうだけど?」
「二人って・・・どういう仲?」
アリアはその問いにしばらく考えて。
「まあ・・・・一般的にいうと。恋人になるんじゃなくて?」
その言葉に。教室からどよめきと黄色い悲鳴が上がった。

 詳しい話を聞きたがるクラスの男子達を銀華はやんわりと制し、悠をひきずって屋上へと向かった。
 屋上のドアを思い切り開け、がちゃりと閉める。
「それ、鍵ないけど・・・。」
悠が彼女がしたいことをとっさに理解したつもりで口を開く。だが。
「鍵は必要ないわ。今この空間を別の次元に飛ばしてるから。」
「は!?」
「だからもしクラスメイトがやって来ても。ここには誰もいないようにしか見えない。」
銀華はそう言うと、黒い髪を結んでいた髪紐をほどく。風に揺れて黒髪が銀色になり。「アリア」の銀の瞳が悠に向けられた。
 「あんな風に言っておかないと今後悠と行動するとき困るじゃない。」
 悠の疑問を察したのか、アリアは顔をそらして弁明する。
「いや、別にいいけど・・。」
「それより。戦いはまだ終わってないのよ。」
そう言われて。悠は気を引き締める。
 そうだ。まだ定めの崩壊を止めたわけじゃない。
「セリスから聞いたけど、今日から特訓するんでしょう?」
「その予定だけど・・・。」
「まあ、あの二人に認められただけ進展があったと思っていいんじゃない?」
 認められたのかな?なんかしっくりこないけど。
 そう言いかけた言葉は胸の奥にしまいこんだ。
 「天弓≪バルビセルス≫。悠の弓の名前よ。」
アリアに言われ、弓のペンダントを引っ張り出す。
「バルビセルス・・・。」
口に出してその名を言うと、何かが呼応したような気がした。
 「私からも言いたいことがあるんだけど。」
「・・・え・・・?」
妙にまじめな顔をしてアリアがそう告げたので、一瞬ドキッとした。
「助けてくれてありがとう。それと・・・。」
 アリアの唇の動きにドキドキする。ひょっとして・・・。頭の中に妄想が膨らむ。
 だが。
「もう少し早く発動させてよね。」
冷たい声が胸に強烈に刺さった。
「いくら発動方法を知らないとはいえ、遅すぎよ。あなたを守るだけで一苦労なんだから。
 メリスとセリスにきっちり特訓してもらって頂戴ね。」
心にズキズキと刺さる言葉の矢を受けて。悠は自分の運勢を呪った。
 安らかな一時に。ほんの少し笑みを浮かべながら。

黒笛のアリア

最後までお読み頂きありがとうございます。アリアと悠の運命の続きは現在第二弾を執筆中ですので、しばらくお待ちください。

黒笛のアリア

「私は旋律の裁定者《ベレンティウス》、アリアよ。」 平凡な高校生、水無月 悠は、突如銀髪の少女アリアと出会う。 「最悪の運勢」と言われた悠はアリアの言われるがままに神々の世界と戦いに巻き込まれていく・・・。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-21

CC BY-NC-ND
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  1. 序章
  2. 一章
  3. 二章
  4. 三章
  5. 四章
  6. 五章
  7. 六章
  8. 七章
  9. 八章
  10. 九章
  11. 十章
  12. 十一章
  13. 十二章
  14. 十三章
  15. 十四章
  16. 十五章
  17. 十六章