*星空文庫

ストライク

海砂 南夏 作

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1

 彼がそう言い終わらないうちに、私は彼の眼球めがけて二本の指を突き出していた。それに反応して閉じようとした彼のまぶたはあまりに無力で、容易に私の指の侵入を許す。

 ぬるっとした固いもの(想像していたよりは、だ)に指先が当たって、一瞬押し返される、彼が後ずさりしたことも手伝って。

 でも、壁際だ。

 思い切り力を込めると、「ぶつん」とにぶい音がして、抵抗がなくなった。体当たりしていたドアが突然のれんに変わってしまったような、そんな拍子抜けな感じがして、私は思わず前のめりに転びそうになる。

 「ぎゃ」

 と呻いて、彼がうずくまろうとした、のか、顔を背けようとした、のか。指先(というか、今は根元まで入っているけれども。まるでボウリングみたいだ、と私は思った)に伝わる力でそれが分かった。

 私は指を思いきり曲げて(そのときに指先が、周りに何もない空間に突き出た感覚があって、「目の上には意外と大きな空洞があるんだな」と驚いた、余談だけど)、そのぶるぶる動く奇妙なボウリング玉、が抜け落ちないよう注意を払った。

2

 暖炉のそばに置かれたろう人形が熱で溶けて、ろうの涙を流す、なんて怪談よろしく、彼の目からはケチャップまみれの半熟卵の白身みたいな液体が、ぼとぼとと流れ落ちていた。運悪く彼が、私の指をさらに食い込ませる方向に動いてしまった時には、特にたくさん。それこそ、出血大サービスという勢いで。

 「あ、あ」

 何かいいアイデアを思いついて、そういう声を発するときみたいな。そんな形の口のまま、かくかくと顎だけを動かして、彼は天井を見つめている。

 でも、きっと彼の目には何も映っていないし、もし素敵なアイデアを思いついたとしても、それを発信することはできないだろう。そう思うと初めて、私は彼のことを少しかわいそうに思った。

 ただ、それは機能の面でというか。風の吹かないところに建てられた風車とか、誰も乗客がいないのに走っているバスとか、そういうものに向けられる感情に、近い気がした。

3

 彼の目をつくっていたものや、その周りや奥、の組織が一通り流れ出てしまったようだと分かると、私はまるでポテトチップスの最後の一枚を、そうではないつもりで食べて、次に袋をのぞいた時にはカラだった、というような、とても期待はずれな気持ちになって、「ずるり」と指を引き抜いて、彼の上着でぬぐった。

 それからバッグの中に手を突っ込んで、飴玉の袋を探す(ビー玉みたいに大きくて、周りにざらめがついているやつ)。よかった、まだ残っていた。

 一つ、二つ、と封を切って、それを彼の目のあったところに押しあてて、「ずぶ」と埋め込んだ。その時に、細かいざらめのつぶつぶが、穴の中にある何かよく分からない柔らかいものを削ったような感触があって、えらい科学者が新しくて画期的な発見をしたような、そんな気分になる。でも、

 「ぎゅ」

 と、彼の反応はあまり嬉しそうではなかった。同じ色が二つあるのがなくて、ピンクと緑、両目が全然違う色になってしまったせいかもしれない。旅先のお土産屋さんで、こういう宇宙人のキーホルダー、売っていなかったっけ。

4

 明日の夜ごろにはきっと、彼は飴玉目当てに寄ってきたアリに洗脳されて、アリ星人に生まれ変わっている。そしたら彼には10人に分裂してもらって(アリ星人は分裂して増えることが得意、たぶん)、レーンの上に立ってもらって、私とボウリングを楽しむ。それはきっととても優雅で、かなしくて、短い時間だろう。

 ストライクを出したらきっと、ピンクと緑、二つのきれいな目が、「おめでとう」というふうに、ぴかぴか光ってくれる。彼はそのとき初めて、本心から私のことを、祝福してくれているはずだった。

 そう思うと、私がここにいることも、ずっと前の今日の出来事も、さっきの今日の出来事も。彼がアリ星人になってしまうことも、彼の頭にあいた二つの空洞が、やわらかな温かさに満ちていたことも、それが今や少しずつ失われつつあるということも、これからずっと失われているということも。

 どれもすごくストライクすぎて、彼よりずっと何もない目から、涙があふれてきそうだった。

『ストライク』

『ストライク』 海砂 南夏 作

  • 小説
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  • アクション
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2015-02-06
Copyrighted

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