お医者さん 第4章 「運も実力のおうちっていウヨ?」

これまで「語られる」だけだった事の「実際」が披露されます。

安藤くんの実力とか、あの科学者の本気とか。

そして規格外の規格外っぷり。

すごい人たちがすごい事をやりすぎてえらく弾けた第4章です。

お医者さん 第4章 「運も実力のおうちっていウヨ?」

 人生、何がどうなるかわからないものなんだなぁと、私は塞翁が馬という言葉をぼんやりと思い浮かべる。
 私が先生と出会ったのは……私が助けを求めた《お医者さん》が先生だったのはちょっとした運命だったのだと思う。
 まぁ……ただの、類は友を呼ぶなのかもしれないけれど。
 そしてもう一人。今までの当たり前をひっくり返す人、そんな人に出会うという出来事に遭遇した人がいた。

「うーン……」

 甜瓜診療所の和室。真ん中に置かれたちゃぶ台に突っ伏して唸っている人がいた。
 ライマンさんだ。
「うーン……どうすればいいンダ?」
 ライマンさんはここ最近ずっとこんな感じだ。
「ん? まだ迷ってるの、ライマンくん。」
 ライマンさんを悩ませている張本人、先生がひょっこりと和室に顔を出す。
「だッテ……」
 ライマンさんがこんな状態になったのはあの時から。
 そう……先生の昔話を聞いたあの日に遡る。


 《パンデミッカー》の襲撃があった次の日、私たちは甜瓜診療所に集合した。ここで言う「私たち」というのはあの場にいたメンバーに数名を加えた面々のことを指す。
 先生の下で勉強している私、溝川ことねとスクールの卒業試験……というか研修でやってきたライマンさん。
 先生の《ヤブ医者》友達のファムさんとアルバートさん。加えて、あのビルの監視カメラを使って事の一部始終をちゃっかり見ていたスッテンさん。
 そして性欲使いのフリュードさん。ファムさんが惚れた先生という人物の過去には興味があるとかなんとか言っていた。
 最後に藤木さんと小町坂さん。二人は……先生の昔話を既に知っているから、ちょっとした補足を入れる役割で先生に呼び出された。
 先生が和室で話をすると言ったから全員そこに入ろうとしたけど、甜瓜診療所の和室はそんなに広くない。特にアルバートさんは一人で二人分のスペースをとってしまう。だから何人かは和室の入口や診察室で話を聞いていた。

 先生の話は、初めから波乱を呼んだ。なにせ突然、先生の背中から不思議な生き物が出てきたのだから。
 高さ三十センチくらいの真っ白なぬいぐるみ……いやクッション? 見た感じは人の形をしたマシュマロ。そんな生き物かどうかも怪しい感じの生き物を、先生は私たちにこう紹介した。
「Sランクヴァンドロームの一角、《イクシード》だ。」
 《イクシード》……さんが登場した瞬間、藤木さんと小町坂さんを除く全員が気持ち的に一歩後ずさった。だけど先生が《イクシード》さんを抱え上げて、あぐらをかいている脚の上にちょこんと乗っけると、全員が大きなため息と共に元の姿勢に戻った。
 本来なら、《ヤブ医者》であるアルバートさんとかが《イクシード》さんについてすぐに問うところだったと思うけど、先生と《イクシード》さんがあまりに自然に接するからか、その光景にそれほど大きな疑問を抱かずに話を聞く態勢になることができた。

 話の前半は、キャメロン・グラントという人物の話だった。いきなり知らない人の半生を、しかも《イクシード》さんが語りだしたので私たちは面食らった。だけど誰も何も言わずに、静かに聞いていた。何故なら《イクシード》さんが話を始める前にこう言ったからだ。

『かかっ。まずはキョーマの先生にして、我らの家族の……我の親友の話をしよう。』

 死の運命から《イクシード》さんに救われ、この世の全てを謳歌して、《パンデミッカー》に身を置いて恩返しに努めた女性の物語。
 そして話の後半、その女性が先生と出会ってからの物語を先生が語る。
 自らが生み出した技術を先生に教え込み、先生を先生に育て上げ、そして亡くなった女性の物語。
 先生の昔話というのはその実、キャメロンさんの物語だった。

 私も含めて、話を聞いているみんなは色々と聞きたいことがあったと思う。だけど先生の話が終わるまで、途中で質問をする人はいなかった。
 懐かしそうに、なんだかほっとする表情で話す先生を見ていたら……話を遮りたくないと思ったからだ。
 それでも、話が終わって……先生がふぅと長いため息をついてこう言ってからは質問攻めだった。

「聞いてくれてありがとう……なんか質問あるか?」

 真っ先に手を挙げたのはアルバートさん。まぁ、背が高いから手を挙げるというよりは天井にパンチを打ち込んだと言う方が適切かもしれない。
「今の話だと、安藤はお主の師匠が亡くなった時……つまり今から五年前の時点でその技術をモノにしていたということになるが……安藤が《ヤブ医者》になったのは今から三年前だ。二年も何をしていたのだ?」
「何って……《お医者さん》さ。確かに技術はあったけど経験はゼロだ。この診療所や小町坂のとこで経験を積んでた。そもそも、オレは《ヤブ医者》になろうとは考えてなかったよ。《お医者さん》をやってたら《デアウルス》から連絡が来たんだ。」
「ふむ。《デアウルス》のことだからな……お主を《ヤブ医者》にすることは決めていたのであろう。十分な経験を積んだところでようやく勧誘したというところか……」
 アルバートさんがあごに手を当てて納得した感じに頷いていると、ファムさんがアルバートさんに尋ねた。
「キョーマとアルバートの出会いは……『半円卓会議』の前なのよね?」
「うむ。急に《デアウルス》に呼び出されて現場に行き……その場にいる《お医者さん》と協力して事態の収拾をしろと言われたのだ。その《お医者さん》が安藤だった。」
 アルバートさんはニカッと笑いながらその時を語る。
「突然背中から真っ黒な翼がはえてな……安藤は空を飛び、騒ぎを起こしていた者を捉えた。その姿は……そう、悪魔としか表現できないモノだった。だがな、そんな凶悪な見た目をしている男が揺るがぬ態度と確固たる意志でこう言った。『これは人を救える力だ。』とな! まるで平均的な筋肉しか持たず、異形の力を使うそやつの心は、しかしワシが目指す漢のそれだったのだ!」
『ソシテソノトシノ『ハンエンタクカイギ』デキョーマハ《ヤブイシャ》トナッタノダナ。』
 和室の入口で甲冑の置物と化していたスッテンさんがそう言うと、先生が私を見てこう言った。
「もう気づいてるかもしれないけど、《お医者さん》に免許を送る謎の技術はスッテンのモノだよ。」
「え、それじゃスッテンさんはかなり前から《ヤブ医者》ってことですか……?」
『ソウデハナイ。』
 相変わらずの独特な口調でスッテンさんが説明する。
『ゥワァタシガ《ヤブイシャ》ニナッタノハソコソコサイキンノデキゴトダ。タダ、《デアウルス》トデアッタノハカナリマエナノダ。カルイギジュツテイキョウヲシテイタノダヨ。《デアウルス》ノタカイチセイトソノチシキトコウカンニナ。』
 スッテンさんはカションという音と共に顔を先生に向ける。
『ゥワァタシモシツモンスルゾ。アマリオモイダシタイコトデハナイダロウガ……キャメロンヲシニオイヤッタ『カミ』トヤラノウイルスニハキョウミガアル。ドコカニノコッテイタリシナイノカ?』
『かかっ。残念だが残っていない。』
 答えたのは《イクシード》さん。
『かかっ。ウイルスをまき散らした男も……キャメロンも、その身体は完全に消滅した。まるで日の光に消える吸血鬼のように……それこそ、死んだヴァンドロームのようにな。』
『ホウ。ソウナルト……ソノウイルス、ゲンミツニハウイルストヨベナイシロモノナノカモシレナイナ……』
「……《イクシード》……だったわね。」
 ファムさんが《イクシード》さんを少し笑いながら見た。
「今の言い方だと……襲ってきた男もウイルスで死んだことになるけれど……そうではないんじゃないかしら? 激昂したあなたが、目の前の男がウイルスで死ぬのを待つとは思えないのだけれど?」
『かかっ。想像にまかせよう。』
 なんだか一瞬、寒気のする空気になった。
「わたくしも質問するわ。三つほど。」
「随分あるな。別にいいけど……」
「一つ目はその『神』とやらのことね。《デアウルス》はずっと、『いるかいないかもわからない』とわたくし達に言ってきたのだけれど……今の話だと、その存在は確実よね?」
「ああ、そのことか。オレは《デアウルス》に口止めされてたんだ。どういう意図で隠してるのかはわからないが……」
「あら享守。今しゃべってしまったじゃない。」
「一応、事前に訊いておいたよ……しゃべっていいかどうかをな。そしたら二つ返事でオーケーされたんだ。」
「ふぅん?」
 ファムさんは何やら難しい顔になった。
「で、二つ目はなんだ? ファム。」
「あなたの……症状についてね。」
 先生の症状……つまり、『異常五感』。私は先生の話を思い出す。

 人間には五感というものがある。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚……私たちが……と言うよりは私たちの頭が外から情報を集めるために用意した器官。
 よく聞くのはそれらの機能が下がる、もしくは無くなるという症状。失明とか失聴と呼ばれるのがそれになる。
 だけど先生の場合はその逆。それらの機能が上がるという症状。ただし、その上がり方が異常。それが先生の症状であり、《イクシード》さんが発症させる症状、『異常五感』。

「《イクシード》がとりついて引き起こす『異常五感』の程度は……きっと際限ないのでしょうね。だけど享守のそれは? 実際、どれくらいの五感になっているのかしら。」
『かかっ。健康診断でやるような測定をやると馬鹿馬鹿しい数値が出る程度だな。』
「それがわからないって話だろ? でもどんくらいって言われてもなぁ……」
 先生はポリポリと頭をかく。
「視力……は難しい…じゃあ聴力ね。例えば今わたくしが出している声量ならどれくらいの距離から聞こえるのかしら?」
「……色々条件にもよるけどな……ここから歩いて二十分のとこにあるスーパーにいても聞こえるかな。」
「えェッ! それじゃあ安藤先生がいないからって先生の悪口言えないな、こトネ!」
「……先生がいない時に悪口言ってるみたいに言わないでください。」
 チラッと先生を見ると、少し落ち込んでいた。
「デタラメな聴覚ね……でも、制御はできているのでしょう?」
「ああ……聞こうと思わなければ聞こえない。意識しないって意味じゃなく、五感にふたをしている感覚だな。」
『ホウ。ソレナラ、キョーマハヤロウトオモエバゴカンヲフサグコトガデキルノカ? イチジテキナシツメイ、ムツウトイウフウニ。』
「まぁ……」
「ふむ。これでようやく、安藤の特技が判明したな。」
「オレの特技?」
「ふふ、《ヤブ医者》にはそれぞれ、己が極めた分野がある。ワシで言えばこの筋肉、スッテンは科学、ファムは美しさ。そしてお主は五感ということだ。つまり、その分野に関して言えばその者の右にでる者は……少なくとも《お医者さん》にはいないということだ。」
「……そうかもな。」
 先生はファムさんの方を見る。
「んで、三つめはなんだ?」
「三つ目は……これはとても大切な確認なのだけれど……」
「うん?」

「享守は年上が好みなのね?」

 ファムさんの思わずドキッとしてしまうとても幸せそうな笑顔を受けて、先生は動きを止めた。
「あー……えっと……」
「いいのよ享守。何も言わなくても、わたくしはわかっているのだから……」
 ほんのりと顔を赤らめてうっとりするファムさん。
「オオ! 今夜は赤飯ダナ!」
「ライマンくん、そんな文化をどこで覚えたんだい……」
 ファムさんの三つの質問が終わり、これで《ヤブ医者》のみなさんの質問が終わったようなので、ライマンさんがシュバッと手を挙げた。
「僕も質問あルゾ!」
「ああ、うん。」
「結局、ウラベって人はどうなっちゃったンダ?」
 その質問を受けて、先生は小町坂さんを見る。小町坂さんは軽くため息をもらして答えた。
「いんちょ……卜部先生は亡くなった。」
 その答えを聞き、その場の空気が少し重くなった。だけど小町坂さんは慌てて手を振る。
「あー違う違う。襲われたせいで亡くなったわけじゃない。そりゃまぁ……あの時のケガが何の影響も及ぼさなかったっつーのはあり得ないが、卜部先生の死因を述べるなら老衰だ。」
 老衰……つまり寿命ということだ。
「卜部さんはオレが《ヤブ医者》になった頃に亡くなったんだよ。」
『かかっ。言い方は悪いかもしれんが、ぽっくり逝くというのはああいう死に方を言うのだろう。』
 《イクシード》さんは小町坂さんを見上げる。
『かかっ。卜部の狙い通り、そこの小町坂は日本系の術式における達人と成った。登録はされていないが、卜部は《デアウルス》が《ヤブ医者》として認めた男……その高い技術はしっかりと受け継がれているわけだ。』
「じゃあSMって人はどうなったンダ?」
「SMさんはまだいるぞ。治療はもうしねーけど、若手の教育に力を入れてくれてる。」
「あら。引退ということかしら?」
「そうなるが……今でも本気だせばAランクを同時に十体は身動きできなくさせられるぜ? 一週間くらいは軽くな。」
『ナルホド。ソコニモタシカニ、ウラベトイウオトコノギジュツハアルノダナ。』
 スッテンさんがカションカション言いながらうんうんと頷く中、一人が唸る。
「うーん……本気出すってどういうこトダ? 難しい呪文とかあるノカ?」
 ライマンさんが首を傾げる。今の小町坂さんの話を聞いて私は何も思わなかったけど……言われてみれば、術式を使う時に本気も何もない気がする。陣を描いて呪文を唱える……やり方の決まっている計算式のようなモノではないのだろうか。
「あー……本気っつーよりは覚悟だな。卜部先生みたいに指を切り落としたりする覚悟。それと術式を制御する技術が合わされば、すげーことができるって話だ。」
「ああ……そーいえば習っタゾ。今でこそ、どの術式も正しい手順を踏めば誰でも発動できるけど、昔の荒削りの術式だとそーはいかないッテ。」
「基本的に、今の術式には《お医者さん》に負荷がかからないような設計がされるからな。だがそれはそれで術式そのものの威力を制限することにつながんだ。術式を使う《お医者さん》で上級者って呼ばれる連中は、つまり《お医者さん》自身を守る仕組みが無いけど威力の高い術式を、自分の技術で制御できる奴らってことだ。」
「ちなみに……ウラベが使った術式ってなんだったンダ?」
 さすがライマンさん。術式使いの《お医者さん》としては興味深いんだろう。
 まぁ……私も気になるんだけど。
「西洋東洋……どんな派閥にもあるだろう? 禁術ってのがさ。卜部先生が使ったのはそれだ。」
「禁術?」
 私が呟くとライマンさんがエッヘンという顔で説明してくれた。
「禁術っていうのは、ものすっごいパワーの代わりに下手すれば《お医者さん》の命を代償にしちゃう術のこトダ。」
「卜部先生はそんな恐ろしい術を……たかだか指の二本で発動させたんだ。術式を制御して、効率の良い形に組み替えてな。日本系術式において、卜部先生は今も昔も頂点だと俺は思うよ。」
 偉大な人をしみじみと思い返す小町坂さんに、藤木さんがぼそりと言った。
「そんなすごい人に学んでおいて……なんで小町ちゃんは《ヤブ医者》じゃないのかしらね。」
「うるせっ! つーか小町ちゃん言うな!」
 藤木さんの疑問に、現役(ヤブ医者)のみなさんがじーっと小町坂さんを見つめた。
「ふむ。筋肉不足であろうな。髪を伸ばす前に筋肉をつけるのだ。」
「あら、やっぱり美しさじゃないかしら。伸ばすなら伸ばすできちんと手入れしなさい。」
『ハッハッハ。ヤハリ《ヤブイシャ》ニフサワシイコセイデハナイカ? キモノヲキテイルダケデハタリナイノダロウ。』
「え、《ヤブ医者》の選定基準に個性なんかあったのか!? オレはどの辺を《デアウルス》に買われたんだ!?」
「お前ら!」
 なんとなく場が笑いの空気になったところで、スーッと手を挙げた人がいた。
 フリュードさんだ。
「……ちょっといいか?」
「あら、どうしたの、フリュード。」
 フリュードさんは少し言いにくそうに続ける。
「あー……おれとしては……ヘロディア嬢が惚れた男の一片を知れたってことで話自体は満足だ。《パンデミッカー》っつー連中の恐ろしさってのも認識できた。それとは別にだな……」
 フリュードさんはこの場の面々を眺めてこう言った。

「誰が誰なのか教えてくれないか?」

 ……言われてみればそうだ。ここに集まった人はつまり、先生の知り合いだ。私は全員の事を知っているけど……例えば小町坂さんはアルバートさんたちとは初対面になるはずだ。
「そういえばそうだな。順番に紹介するよ。」
 先生は首を動かし、小町坂さんを見る。
「とりあえず、今の話にも登場した人から改めて。この和服で長い黒髪の男が小町坂篤人。卜部先生が建てた病院、晴明病院の現院長。日本系術式の使い手だ。」
「よろしくな。安藤とは……《お医者さん》修行に付き合ったりしてたからな……んま、同期みたいなもんだ。」
 続いて藤木さん。
「んで、そこの黒髪の女が藤木るる。近くにある白樺病院の《医者》だ。提携してるわけじゃないんだが、白樺病院に来たヴァンドローム絡みの患者さんをオレのとこに紹介してくれてる。次期院長と噂されるくらい、腕の確かな《医者》だ。」
「……!! 褒めても何も出ないわよ!」
「……何も期待してないよ……」
『かかっ。話を聞いたからわかると思うが、キョーマの幼馴染という奴だな。昔のキョーマのことならルルに聞くといい。』
「でも、アタシがキョーマの詳しい症状とか《イクシード》のことを聞いたのはキャメロンが亡くなってからだから……幼馴染と言うほど、キョーマのことを良く知ってるわけでもないわよ。本当に、小さい時のことだけね。」
 心なしか、ほっぺを膨らませる藤木さん。

「んじゃ、次はこっちの連中。」
 先生は身体をアルバートさんの方に向けた。
「そのムキムキマッチョはアルバート・ユルゲン。《ヤブ医者》の一人で……まぁ見てわかると思うけど、ヴァンドロームを力でねじ伏せる《お医者さん》だ。」
「うむ! 気楽にアルバートと呼んでくれ。筋肉について知りたければワシを訪ねるがよい。」
 慣れた動作でポージングを決めるアルバートさん。相変わらず今にも破れそうな服がミシミシと音をたてる。
「で、そこの……甲冑がスッテン・コロリン。」
「あ? なんだって?」
 やっぱりというか何と言うか、小町坂さんが聞き返した。
「スッテン・コロリンだ。」
「すってんころりん?」
『ノーノー、スッテン・コロリン。』
 スッテンさんが指をチッチッとさせながら訂正する。
「《ヤブ医者》の一人でSFみたいな科学力を持ってる。その甲冑も、中には最新技術がつまってる。」
『ドウモ、スッテン・コロリンダ。ミナハスッテントヨブ。』
「スッテンって……すごい呼び方ね。」
 藤木さんが目を丸くする。
『スゴイモナニモ、ゥワァタシノナマエダ。』
「そしてそこの……美人さんがファム・ヘロディア。《ヤブ医者》の一人で美しさってモノを極めようとしている。」
「あん? ヘロディアって聞いたことあんな……」
「? ホントか?」
「なんかのテレビで紹介されてたような……うちの女連中が騒いでたから覚えてる。確か美容の専門家じゃなかったか?」
 先生がファムさんを見ると、ファムさんは軽く肩をあげる。
「……色々な所のテレビ局が取材に来るから覚えてないわね。日本のそれも来たことあったかしら?」
「……その世界じゃ名の知れた有名人ってことか。やっぱすげーんだな、《ヤブ医者》。」
 小町坂さんが改めて《ヤブ医者》のみなさんを眺める。
「ふふふ。だからと言ってかたくなることはないわ。たぶん、ここにいる面々は招待することになるでしょうから、その時はよろしくお願いするわね。」
「招待?」
 先生が首を傾げるとファムさんはニッコリと笑ってこう言った。
「わたくしたちの結婚式よ。」
「んなっ!?」
「ほー?」
 先生のびっくりに重なるのは小町坂さんのニンマリ顔。
「まさか外国人美女をモノにしてるとはな。若くて美人で有名人な《ヤブ医者》か!」
「あら、わたくし別に若くはないのだけれど。」
「? いや、どう見たって二十代……行っても三十半ば……いや、それは行き過ぎか。どちらにせよ、まだまだ若いだろうに。」
「ふふふ、そう思ってくれるのは嬉しいのだけれど、これでもわたくし今年で七十八なのよ。」
 ファムさんの発言に、小町坂さんと藤木さんは固まった。
「……安藤?」
 小町坂さんが先生の方を見る。先生は一拍おいてこくんと頷いた。
「マジか! マジなのか!」
「……医学的にどうなのよ……」
「ふふふ。わたくしがここまで美しさを保つことができているのは、享守のおかげなのだけれど。」
「! そ、そうか! 『身体支配』とかそんなんでか!」
「……オレがやったのは主に身体の中身……内臓とかの老化の巻き戻しだ。んまぁ、それ自体もファムの努力がなければ不可能なことだったんだが……とりあえず、ファムの外見はオレと会う前からこんな感じだ。」
「……人間ってすごいのね……」
「女ってこえーなぁ……」
 先生は二人の驚きを見て少し笑いながら、フリュードさんを見る。
「そんでもって……そこのちょい悪オヤジみたいなのがサイグマンド・フリュード。《ヤブ医者》ってわけじゃないんだが、性欲使いってことで今回の一件に同行してもらった。ファムの知り合いだ。」
「おう。よろしく頼む。つっても、おれとあんたらが絡むことは無さそうだがな。」
「ハイ!」
 何故かライマンくんが手を挙げる。
「あんだ?」
「ちなみにそこのコマッチとフジキの性欲もわかるノカ?」
「そりゃまぁな。」
 フリュードさんんがだるそうに二人を眺める。二人とも、性欲使いがどういう技術を持っている《お医者さん》なのかを知っているらしく、小町坂さんは目をそらし、藤木さんは自分の肩を抱いた。
「あぁん? つまんねーな、こりゃ。」
「どうしたンダ?」
「そこのロンゲは普通だ。一般的に男が好むと言われるそれが好き。んま、ちょっとSっ気があんのは術式のせいか?」
「オオ! ここにもSえムガ!」
「や、やかましい!」
 小町坂さんが顔を赤くして怒る。
「で、そっちの女は……あれだ……性欲使いからすると一番楽だが一番つまらないパターンだ。」
「ど、どういうことよ……」
「好きなモノ、性欲を引き立てるモノが特定の人物ってことだ。浮気もせず、ただただ一途な人間ってのは純粋すぎてつまらん……」
 フリュードさんは興味を無くした顔になる反面、藤木さんは小町坂さん以上に顔を赤くした。

「最後に……」
 そう言って先生がライマンさんの方を見る。
「全員には紹介してないからな。この子はライマン・フランク。スクールから来た《お医者さん》の卵だ。スクールの最終試験……みたいなのでここにいる。」
『フム。《デアウルス》ノイッテイタヤツトイウコトダナ?』
「まぁ……そんなとこだ。」
『シカシミョウダナ……』
 スッテンさんがカションと腰を折り、畳に座っているライマンさんと目線を合わせる。そして思いもよらないことを言った。

『コノコノナマエハ、『ローラ・ヴァンクロフト』ジャナイノカ?』

 呪文のようなしゃべり方のスッテンさんがまさに謎の名前を口にした。この場にいる大半が頭の上に?を浮かべている。だけど先生は妙に納得した顔をし、当のライマンさんは両目を見開いている。
「……スッテン、どうしてそう思ったんだ?」
『ン? イマノジダイ、ベツニエライヒトデナクテモ、イキテイレバソノジンブツノコンセキトイウノハドコカニデータデノコルモノダ。ゥワァタシノヘルムヲトオシテミレバ、シモンヤモウマクナドヲヨミトッテメノマエノジンブツガダレナノカヲトクテイデキルノダ。』
 スッテンさんはスッテンさんで不思議そうに先生を見る。そして先生は困った感じに笑ってライマンさんにこう言った。
「ふふ、ばれちゃったね、ライマンくん。」



 お父さんとお母さんの部屋のクローゼットからサンタクロースの服が出てきた時が、思えば始まりだったのだロウ。それまで思い描いていた夢の世界がガラガラと崩れていったあの感覚は、今でも思い返す度にゾッとスル。
 いつか、どこかで、そんな世界は存在しないって知るモノだけど……小さい頃は、誰だって夢の世界を思いえガク。僕も、その一人だッタ。
 だけど僕は普通とはちがッタ。みんなは夢の世界を憧れの対象として考えていたと思うけど、僕は当然の経験だと思ってイタ。自分もいつかあんな世界に行きたいなぁじゃなくて、僕はどんな世界に行くのだろうかというかんガエ。
 この世界には普通の世界と夢の世界があって、みんなは数ある夢の世界のどれかを経験するのだろうと……いつその世界に行くのかはわからないけど、どこかの段階でそっちに行く時が来るんだろうと……僕はそう思っていたンダ。

 夢の世界にいるはずの白髭のおじさんの服が普通の世界の僕の家の中から出てきた日を境に、僕は落ち込む日々を過ごシタ。
 エレメンタリーで出された「将来の夢」というテーマの作文も、僕は一文字も書けなかッタ。

 なぜなら僕は、魔法使いになりたかったカラ。


 生きる希望を失うとか、そんな深刻な事じゃなかったけど……世界がそれなりに色あせて見えていた中、ある日、お母さんが熱を出シタ。僕もお父さんもお母さんを心配したけど、お母さんはもちろん、お父さんも僕も、一度は経験のあるその症状……僕たちはそれをただの風邪だと思ってイタ。
 その熱が二週間も続くまデハ。
 さすがにおかしいと感じたお父さんは、僕とお母さんを連れて大きな病院に行ッタ。僕が一緒だったのは、何かのウイルスとかだったら僕にもうつっているかもしれないかラダ。
 目や口を診て、聴診器を当てて、熱を測って、最後にお医者さんがとった行動は「首を傾げる」だッタ。熱が高いのは確かだけど、それと一緒に起きるはずの他の症状が見当たらナイ。熱を除けば……健康体というノダ。
 困った顔をするお医者さんに、お父さんは文句を言って罵ッタ。見るからに苦しそうなお母さんに異常がないと言われたのだから、いくら素人でもそのお医者さんが間違っているとおモウ。
 このヤブ医者め! ……お父さんがそう言った時、僕たちがいた診察室のドアが開いて別のお医者さんが入ってキタ。
それは金髪で背の高い、カッコイイお医者さんだッタ。
 お母さんを診察したお医者さんは、そのカッコイイお医者さんを見るとハッとした顔になッタ。そして僕たちに謝って、その人が専門の人だと言ッタ。

 いきなりの事で戸惑いながら、僕たちはカッコイイお医者さんに別の部屋に連れて行かレタ。
 僕たちは目を丸くシタ。カッコイイお医者さんが自分の診察室だと言ったその部屋は、とてもそうは見えなかったノダ。
 壁にかかっているのは変な形をした木の棒や、モノを切るために作られていない妙な形の刃モノ。棚にはよくわからないモノが浮いている小瓶に色とりどりのフラスコ。部屋の奥にはベッドがあるけど、ベッドの下には大きな魔法ジン。
 極めつけは……コートかけにかかっている、身体をすっぽり覆える黒いローブに三角ぼウシ。
 魔法使い……そう呟いた僕に、カッコイイお医者さんは笑いかケタ。

 僕はワクワクしていたけど、お父さんとお母さんは不審げにカッコイイお医者さんを見てイタ。だけどお医者さんがお母さんを魔法陣の上のベッドに寝かせてじっと眺めるやいなや、まだ話していないお母さんの症状を次々に言い当てたからビックリシタ。
 今日が発症してから何日目にあたるノカ。どれくらいの勢いで熱が上がっていったノカ。火照った身体で、特に熱いと感じる場所はどコカ。朝昼晩を通して、一番苦しそうな時間帯はいツカ。
 その話を聞いたお父さんは、カッコイイお医者さんを確かな専門家だと信じたみたいで、色々と話をシタ。
 僕たちが知っていることを全部話した後、ビックリなことにカッコイイお医者さんは「今日、すぐに治せる」と言ッタ。今から数十分後にはいつもの元気なお母さんダト。
 さすがに動揺するお父さんに、カッコイイお医者さんは改まって話を始メタ。

 この世界にはヴァンドロームという生き物がイル。そいつらは人間にとりついて病気にしてしマウ。だけどそのとりついているヴァンドロームを切り離せば、その病気はすぐになオル。

 今思うと随分大雑把な説明だッタ。困惑するお父さんと僕をよそに、カッコイイお医者さんは立ち上がッタ。ローブを羽織り、三角帽子をかぶったカッコイイお医者さんはまさに魔法使いだッタ。
僕が目をキラキラさせる横で少し心配そうな顔のお父サン。カッコイイお医者さんは、言ッタ。長々と説明するよりは、実際に見た方が早イト。
 まずカッコイイお医者さんはカメラのようなモノを手に取って、ベッドで不安気にこっちを見ているお母さんを撮影シタ。その画像はカッコイイお医者さんの机の上にあるモニターに表示さレタ。赤や黒のモヤモヤした変な画像だったけど、今ならあれがサーモグラフィーのそれだったのだとわカル。
 次にカッコイイお医者さんは棚に並んでいた小瓶の内の一つを手に取ッタ。中身は何かの粉で、お母さんの服をめくってお腹を出すとそこにパラパラと振りかケタ。
 お母さんに振りかけた粉は『エイメル』という、ヴァンドロームが苦いと感じるモノダ。お腹にかけたのは、お母さんにとりついたヴァンドロームがそこにくっついているカラ。大抵は背中だから、かなり珍しいパターンだったのだと、スクールでこの分野を学んだ時に知ッタ
 カッコイイお医者さんはお母さんの横で何かをぶつぶつ言い始メタ。今まで聞いたことのない言葉で、僕は呪文を唱えているのだと思ッタ。実際、そのカッコイイお医者さんは術式を発動させるための呪文を唱えていたのだケド。
 カッコイイお医者さんが呪文を唱え始めてから数秒後、それは現レタ。お母さんのお腹の上の空中、丁度カッコイイお医者さんの真正面に今まで見たことのない生き物が姿を見セタ。

『―――ッ!』

 表現しにくい鳴き声をあげて、その生き物はカッコイイお医者さんに飛びかカル。だけど、カッコイイお医者さんはその生き物が飛びかかる頃には呪文の詠唱を終えてイタ。どこからともなく現れた光のリングにその生き物は縛られて、カッコイイお医者さんの合図と共に爆発、消滅シタ。

 いきなりの事がすごい速さで起きたから、僕もお父さんも唖然としてイタ。だけど、爆発の後すぐにお母さんが起き上がって「治った」と呟くのを聞くと、お父さんはお母さんに駆け寄り、僕は大きな拍手をしてイタ。
 その後、カッコイイお医者さんとお父さんとお母さんが色々な話をしてイタ。だけどその内容はあんまり覚えてナイ。本物の魔法使いに出会った嬉しさで頭がいっぱいだったノダ。
 帰り際、僕はカッコイイお医者さんの、魔法使いの名前を聞いた。

 魔法使いは、ライマン・フランクと名乗った。


 家に帰ってすぐ、僕はお父さんのパソコンを借りて魔法使いのことを調ベタ。もちろん、最初はライマン・フランクという名前を調べたけど、同姓同名の別人ばっかり出てきたから諦メタ。だから僕は、ライマン・フランクの口から出た聞き慣れない言葉……つまり、ヴァンドロームのことを調ベタ。
 妙に《医者》のことを丁寧に言っていたような気もしたけど、その時の僕はそれに違和感を覚えていなかッタ。
 ヴァンドロームの事はすぐにわかッタ。検索したら拍子抜けするくらいに情報がたくさん出てキタ。そして知ッタ。《お医者さん》と呼ばれる人たちのこトヲ。

なんとなく、世界の秘密なんだと思っていたから、少しがっかりしたのを憶えているけど……ヴァンドロームも《お医者さん》も、別に秘密の事ではナイ。ただ単に、知らないだけなノダ。

 こうして、僕ことローラ・ヴァンクロフトは「将来の夢」を《お医者さん》と定めたのだッタ。


 どうやったら《お医者さん》になれるノカ。方法は二つあッタ。
一つは弟子イリ。実際に《お医者さん》として活躍している人の所に行って、その人の下で《お医者さん》の勉強をスル。
 初め、僕はライマン・フランクの所で勉強したいと思ッタ。それでライマン・フランクに会いに行ったのだけど、当の本人もある《お医者さん》のもとで修行している身だッタ。
 と言っても、僕のような《お医者さん》の卵というわけじゃナイ。

 弟子入りをした人はいつ、「弟子」でなくなるノカ。《お医者さん》の世界で言えば、それは大抵「師匠」の引退と同じ意味にナル。理由はふタツ。
 一つは現実的な……いや、経済的というべきかもしれないりユウ。
 弟子入りした人が師匠の下である程度技術を学んで、一人でも治療できるようになったら、その人は独立するかと言うと……なかなかそうはならナイ。正確には、なれナイ。
 《お医者さん》はその知名度の低さから、患者さんを得ることがとても難シイ。ある日突然独立して、ある日突然開業しても、患者さんは一人も来ないだロウ。《お医者さん》にとっては、地域からの信頼や大きな病院とのつながりというのが《医者》以上に求めらレル。
 だから大抵、「弟子」は「師匠」の医院を継ぐことになるノダ。つまり、「弟子」は基本的に「師匠」がいる限りは「弟子」の立ち位置にナル。
 二つ目は、単純に免許皆伝まで至らないというりユウ。「師匠」だって日々研究を重ねて技術を進化させているわけだから、「弟子」の修行の終わりというのは来ないモノなノダ。

 そんなこんなで、まだ「弟子」の身であるライマン・フランクへの弟子入りはできなかッタ。だから僕はもう一つの方法を選択シタ。
それがスクール。数は少ないけど、《お医者さん》を目指す人が通う専門学校があるから、そこで勉強をスル。だけどこれは、《お医者さん》を目指す者にとってはとても大変な道と言われている方法だッタ。
 さっきも言ったように、技術を持っていてもいきなり開業はできナイ。スクールの卒業生はまさにそういう状態になるノダ。どこかの現役の《お医者さん》の下か大きな病院に入らないと、治療うんぬんの前に自分が生活していけナイ。
 スクールを卒業した後、路頭に迷う《お医者さん》というのは冗談ではなくているノダ。それでも僕は、《お医者さん》になりたいと思ッタ。夢だからということもあるけど、もう一つ……僕の中には決意のような使命のようなモノが生まれてイタ。
 これはあとで知ったことだけど、お母さんにとりついていたヴァンドロームはEランクで、その中でも治療が簡単な方だッタ。ショックなことに、僕が感動した魔法は、少し学んだ者なら誰でもできることだったノダ。
 だけどそれを聞いて僕は思ッタ。《お医者さん》にとっては初歩の初歩……そんな程度のことだったのに、僕たちは何もできなかッタ。ランクに関わらず、ヴァンドロームにとりつかれた人が行き着く先は死……あのままだったらお母さんは死んでイタ。
《お医者さん》は、必要な魔法使いなノダ。


 ミドルスクールを終えた僕は、全体で見ると一割程度しかしない「中退」をして、スクールに入ッタ。
 ……と簡単に言ったけど、入学までの苦労と、ある大きな変化は大変だッタ。
 ミドルの後、ハイに進まないで中退することに対して、もちろんお母さんとお父さんの反対があッタ。でも僕はお母さんが一歩間違えれば死んでいたというあの経験と、僕の夢を話して、少しずるい気もしたけどなんとか説得することがでキタ。
 問題はその後だッタ。

 僕はローラ・ヴァンクロフト……僕は女の子だッタ。

 女の人は《お医者さん》に向かナイ。別に差別ってわけじゃなくて、ヴァンドロームの性質上、女の人は治療の際に男の人以上のリスクを負うことになるかラダ。
 ヴァンドロームは生き物の『元気』を食ベル。そして『元気』は女の人……いや、別に人間にしかとりつかないわけじゃないから……メス? になるノカ。とにかく女の人から出る『元気』はヴァンドロームにとっておいしいらシイ。
 普通、とりついていたヴァンドロームが切り離しを受けると怒って《お医者さん》に襲い掛カル。だけどその《お医者さん》が女の人だった場合、怒るよりも「おいしい食べ物」という認識が勝ってしまうことがアル。そうなると、襲い掛かられるというよりは、とりつかれてしまうノダ。
 ことわざだと、ミイラ取りが未来になるというらシイ。とにかく、そういう理由で女の人の《お医者さん》というのは何かと嫌な思いをスル。男の人の《お医者さん》に見下されたり、女の人という理由で提携を断られタリ。
 うん……やっぱりちょっとした差べツダ。
そしてそんな風潮はスクールの中にも存在シタ。スクールにおける女の子の割合は一割以下……まぁ人数が少ないのはいいとして、その扱いには差があるノダ。
 全員がそうというわけじゃないけど、女の子を見ると講師の人が嫌な顔をしたり、妙に厳しくしたりスル。そしてその雰囲気が生徒にも伝わって、男の子の女の子に対する態度は……簡単に言えば偉そうにナル。卒業後も、自分を迎えてくれる医院というのはほぼ見つからなかったり……女の子には色々なデメリットがアル。
 それでも頑張るのが、スクールにおける一割以下の女の子なんだけど……僕には彼女たちにはない選択肢があッタ。
 僕は小さい頃から、来ている服によっては男の子に間違えらレタ。中性的な顔というのだロウ。そしてミドルスクールを終えた時点での僕の体格は……自分で言うのもなんだけど、胸もペッタンコで……なんというか、出るとこが出てない……「なよっとした男の子」で通るそれだッタ。
 女の子だからって理由で夢に壁が出て来るのは嫌だった僕は、一人前の……誰にも文句を言わせないくらいに立派な《お医者さん》になるまで、男の子として生活することにシタ。

 スクールに提出する書類には全て「男」と書き、男の子の服を着て、僕は男の子としてスクールに入学シタ。
 そんな簡単にと思うかもしれないけど、実のところそんなモノなノダ。僕たちが目の前の人の性別を見分ける方法はなニカ。会う人会う人全員の服を脱がす人はいないし、DNA鑑定する人もいナイ。判断基準は顔や体格、服装なノダ。
 とりあえず……あの頃はそう考えてイタ。

 入学してみると、やっぱり女の子の数は少なくて……そしてなんとなく男の子とは差があッタ。そういうのを我慢して頑張る女の子を見ると、なんだか罪悪感を憶えたけど……僕は僕の為に頑張ると決メタ。
 専門学校だから、普通の学校みたいに体育の授業とかは数が少ないし、プールなんてなかッタ。難関は健康診断だったけど、色々な理由でその日は休んで、後日一般の病院で女の子として診察してもらって、その結果を男の子の僕の診察結果としてスクールに提出シタ。普通の学校なら、生徒が診察結果を「持っていく」なんてことは出来ないんだろうけど、そこはさすがに《お医者さん》のスクール。ある程度の信頼があるからなのか、それがでキタ。
 他にも色々と工夫を重ねて、僕は見事に男の子として生活シタ。

 ちなみに、僕の名前はさすがに女の子の名前だったから、スクールに提出する書類には男の子の名前を書いた。
 そう、僕にとっては憧れの《お医者さん》、ライマン・フランクの名まエヲ。


 スクールに入って一年が経った頃、男の子としての生活にも慣れて特に困ったこともなく勉強していた僕は、ある日一人の講師に呼び出された。
講師の名前は眼球マニア。もちろんあだ名だけど、誰も本名を知らないからそう呼ぶしかナイ。色んな生物の眼球をコレクションしている変人なんだけど、スクールじゃ講師も含めてみんなが一目置いテル。
 なぜなら、眼球マニアは《ヤブ医者》の一人なノダ。

 《ヤブ医者》の存在を知ったのは授業の中でだッタ。誰もが思いつくけど誰もやろうとしない、もしくは誰も思いつかない……そういう治療法を使い、その上で確かな実力のある《お医者さん》に与えられる称号……それが《ヤブ医いしャ》ダ。
 誰もやらない変な事をしている人たちと言われることが多いけど、スクールのとある講師はこう言ッタ。

「誰もやらないことをやってみた人がいたからこそ、人間はここまで来たのです。ある分野を極めてすごい発見をした科学者にはノーベル賞とかが与えられるけど、あれだって言い方を変えれば変人の称号ですよね。要するに、《ヤブ医者》は《お医者さん》界のノーベル賞受賞者なのですよ。」

 そんなすごい《ヤブ医者》、現在二十八人いる内の一人から呼び出された時、僕はすごく緊張したのだけど……眼球マニアの要件は、違う意味で僕の身体をこわばらセタ。

「急に呼びつけてしまってすみませんでしたね、ライマン。そして初めまして、ローラ。」

 眼球マニアは、そのへんてこなあだ名に反してすごく紳士的な男のひトダ。オールバックにモノクルをつけて執事さんのような格好をしてイル。唯一(お医者さん)……いや、《ヤブ医者》らしいところは、そのモノクルダ。パッと見、普通の片眼鏡なんだけど、そのレンズには特殊な加工がしてあって、見る角度によってはレンズにむき出しの眼球が見えるようになってイル。
 つまり、できる執事さんのような姿が、一変して片目の飛び出た人になるノダ。
 いつもなら、相変わらず面白いモノクルだなぁと思うのだけど……突然僕の本名が出たとあってはそうも言ってられナイ。
「そんなに驚かなくても良いと思うのですが……ま、一先ず私の話を聞いて下さい。」
 眼球マニアは僕にソファをすすめ、僕の向かい側に座ッタ。
「あなたが紳士ではなくて淑女であるということは、あなたが入学した時からわかっていたことです。……いえ……正確にはわかっていたことだそうです。」
「……どういうことでスカ……」
「私が、あなたが淑女であると知ったのはつい一昨日のことです。我が校の校長に呼び出され、聞かされました。」
「校ちョウ……」
「話さなければならないことは多いのですが……そうですね。まずはここからでしょうか。なぜ、校長は知っていたのか。答えは簡単なのですがね。」
 眼球マニアは嘘をついていた僕を責めるでもなく、ただ淡々と事実をしゃべッタ。

 普通の学校ならともかく、ここはスクール……《お医者さん》を育てる場しョダ。極端な話だけど、軍人以外で戦闘を職業とする人タチ。とても大切な仕事なんだけど誰も知らなくて数がすくナイ。だからこそ、スクールでは生徒一人一人を大切に育てようとするらシイ。例え持病を持っていようとも、意思があるのなら歓迎する……そういうスタンスの組織なのだトカ。
 そう……持病もそうなんだけど、スクールは当然のように生徒の健康状態もしっかりと把握スル。生まれた時から今までのありとあらゆる医療的記録を調べつくし、その生徒がどういう身体の人間なのかをシル。色んな治療法が存在する《お医者さん》の世界で、生徒が自分に合った治療法を選べるよウニ。
 僕が性別を偽ったのは入学する時の書類だケダ。さすがに、僕が生まれた時に《医者》がチェックマークを入れた性別の項目までは偽装できナイ。だから……僕が入学の意思を示した時点で、僕が女の子であることはわかっていたというこトダ。

「別に、性別を偽ることは罪ではありません。責める気もありませんし、どうぞそのまま学校生活を続けて頂きたいと思っています。ですがあなたは気にするでしょうね?」
「……どうして今、知っているということを話したんでスカ……」
「ええ、そうでしょうね。そう言うだろうということで、我が校の校長からその件についての伝言をあずかっています。」
 そう言いながら、眼球マニアは一枚の紙を胸ポケットから取り出した。
「読み上げますね。」

『《お医者さん》の世界は多種多様な技術のせめぎ合う混沌の壺。整備された王道は途切れ獣道だけが続き、正解不正解の是非も無し。思想、意思、決意、空想、如何なる欠片が輝ける宝玉となり、続く者を導くか予測不可能な世界。記憶を遡ってみたが、己の性別を偽って我が校の門を叩いた卵は見当たらず、そなたはそれの先導者。実に愉快であり、心が躍る可能性。己の性別を偽って生活する技術というのはどこに至り、何になるのか、実に興味深い。もしもそなたが一年間、誰にもばれずに男として生活出来たのなら、その偽る技術は本物と認識し、それを《お医者さん》の世界につなぐ手助けをする。これが今から一年前の決定。今日より眼の士を師とし、更なる精進をせよ。』

「以上です。相も変わらず小難しい言葉を並べますね。要するに、あなたが一年間男性として生活出来たなら、あなたを新しい技術の可能性として認めて……それに見合った指導をしようということだったそうです。そして、今後あなたのアドバイザーとして任命されたのが私ということです。」
 僕はビックリしてイタ。この一年で、《お医者さん》の世界がどれだけ何でもありな世界かは理解した気になってたけど……こんなこともあるノカ。
「で、でも性別を偽る技術なんて……なんの役に立つのか全然わかりませンヨ……」
「そうですか? 本来そうでないモノをそうであるようにし、正反対の世界に溶け込む技術……例えばですけど、まったく正反対の技術の融合などどうですか?」
「融ゴウ?」
「ぱっと思いつくのは……西洋術式と東洋術式とかですかね。目的は同じですけど、あれらが孕む思想は全く異なりますから。」
 考えてもみなかッタ。普通、習うならどちらか一方というのが常識なノニ。
「さすがですね……でも……変な技術を身につけてる人は他にもいると思いマス。その……どうして僕のアドバイザーは……《ヤブ医者》の一人の眼球マニアなんでスカ?」
「恐れ多いと? そんなにかしこまらなくとも良いのですよ。これは我が校の校長の……私に対するご褒美なのですよ。先生としてここで教えることへのね。」
「眼球マニアへのご褒美が……ボク?」
「そうです。」
 にっこりと……いや、少しゾッとする笑みを浮かべて、眼球マニアは僕に近づいてキタ。そして僕の顔を覗き込んで呟イタ。
「美しい眼球です。」

 眼球マニアは僕よりずっと年上で、下手すればおじさんと呼ばれるような年れイダ。だけどその外見は二十代後半のそれに見えるし、結構……かっこイイ。眼球にはコラーゲンが豊富ですからねと、いつか言っていたような気がするけど……とにかく、僕も女の子だから、そんな眼球マニアに顔を覗かれるとドキドキしてしマウ。
 だけどこの時は違ッタ。眼球マニアの目は、可愛いモノを愛でる目でも、女の子を紳士的に見つめる目でもなかッタ。

「私の好みを、我が校の校長は理解しておられます。ふふふ。」
 眼球マニアの顔がさらに近づき、僕は背中に悪寒を感ジタ。
「ローラ、あなたも《お医者さん》の卵なら知っているでしょう。人間は、外の情報のほとんどを眼から得ています。外からの情報とは即ちその眼の持ち主の経験……その者をその者たらしめた数え切れない程の過程を、その眼は見つめているのです。ならば眼とは、眼球とは、その者の一生を記録し、刻み込んだモノと言えるでしょう。眼は外からの情報を最も取り入れる器官であると同時に、その者を最も顕著に表現する器官なのです。」
 眼球マニアの手が僕のほっぺたに触れ、指が目の下をなゾル。
「目を見ればわかる、目は口ほどに物を言う……ふふふ、当然です。眼球にはその者の一生が詰まっているのですから。そして……その一生によって、眼球の輝きも変わる……ローラ、あなたの眼球は美しい。《お医者さん》になるという意思がこの輝きを生んだのか、女性にとっては厳しい世界に飛び込んだことで磨かれたのか……いずれにせよ……ああ、美しいですね……」
 ふと前を見ると、そこにはモノクルに映るむき出しの眼きュウ。
「ローラ。私はあなたへの助力を惜しみません。その代わり……もしも、あなたが私よりも先に死を迎えたなら――」
 眼球マニアは、今までにない怖い笑顔でこう言った。

「あなたの眼球を私にくれませんか?」

 やっとわかッタ。
 今の眼球マニアの目は……たぶん、僕を見ていナイ。僕の眼球という宝を見てイル。欲しくてたまらないモノを、ショーウィンドウに張り付いて眺めるような……そんなメダ。

「か……考えておきマス……」
「良い返事を待っていますよ。」

 眼球マニアの部屋を、来た時とは違う理由で緊張した感じに身体をこわばらせながら後にスル。そして僕は思い出してイタ。眼球マニアが前に、授業で言っていたこトヲ。

『あなたたちはスクールの学生です。機会があれば、私以外の《ヤブ医者》と出会うこともあるでしょう。ですからそうなった時のための忠告をしておきますね。《ヤブ医者》は分野問わず、何かしらの専門家です。それを極めに極めてしまった人たちです。ですから……彼らの専門に関する何かを彼らの前で見せたりして……彼らの興味を引いてしまったなら、そこそこの覚悟をして下さいね。』


 スクールでの三年間は大雑把に分けると、一年生は基礎で二年生は応用、三年生で習得とナル。習得するのはもちろん、自分の治療ほウダ。二年生になると応用の授業と同時に他の《お医者さん》の治療法を紹介してくれる授業が始マル。つまり、だいたいの生徒が二年生の頃から自分の治療法を探し始メル。
 僕は眼球マニアに言われた技術の融合……西洋と東洋の合体を、一応真剣に考えてミタ。だけどさっぱりだッタ。術式の授業はもちろんあるけど、ここはアメリカだから東洋の術式はかるく紹介するくライ。そもそも東洋の術式をそんなに知らないノダ。
 まぁ、眼球マニアもパッと思いついたことを言っただけみたいだったし、他の融合を考えてみようかなって……そう思って迎えた二年生の最初の日、僕はある人物に出会ッタ。

 一応クラス替えっていうのがあるんだけど、そもそも人数が少ないから二クラスしかナイ。だから新しいクラスでも半分は知ったかオダ。だけどそれは、半分は知らない人ってことで……その中にその人物はイタ。

 二年生初日、一年生の頃に同じクラスだった男の子たちの輪の中に違和感なく溶け込んでおしゃべりをしていた僕の肩を誰かが叩イタ。

「アナタ、お姉さんと似ているわ。」

 変な一言だッタ。僕にお姉ちゃんはいナイ。

「そう見えるからそれを利用してしまおうという考え……発想の転換というのかしら? お姉さんとアナタはそっくり。」

 第一印象はお化けだッタ。とは言っても、僕ら……つまりアメリカ人が怖いと感じるお化けじゃなくて……そう、ジャパニーズホラーのお化ケダ。
 真っ黒でまっすぐな髪の毛は膝くらいまであって、前髪もなガイ。ぎりぎり目が見えるところで切りそろえられてイル。両目はじっとこっちを観察するみたいな、品定めをするような感じで、半分くらいしか開いてナイ。その瞳からはねっとりとした視線が送られてクル。
 たぶん常にこうなんだろうと思う笑った口元は、ニッコリと言うよりはニタリというかンジ。
 上には手がすっぽり隠れてしまうくらいに長いシャツを着て、これまた裾の長い……なんて言うんだっけか、日本の……ハッピ? みたいのを羽織ってイル。下は長いスカートで……足が隠れるくらいなガイ。歩くときに引きずっているんだろう、スカートの先っぽは汚れてイタ。
 上下とも白が下地の服で、一応ガラがあるんだけど遠くから見たら真っ白な人に見えるとおモウ。
 ジャパニーズホラーに出て来るお化け……幽霊みたいな格好と容姿、そして常に悪巧みしてそうな怖い表じョウ。僕としゃべっていた男の子たちが一歩後ずサル。

「アナタ、お名前は?」
「ラ、ライマン・フランク……」
 びくびくしながら答えると、その人物は既に笑っている口元をさらに歪めてニッコリ……ニタリと笑ってこう言ッタ。

「お姉さんは宇田川妙々。よろしく。」

 その時初めて、「お姉さん」というのが自分自身を指しているのだということに気づイタ。
 これが僕と僕の友達、ウダガワミョウミョウ……あとでミョンと呼ぶことになる女の子との出会いだッタ。

 ところで、スクールには自宅生と寮生の二種類の生徒がイル。遠くから来ている人は寮に入って、通える人は家からかヨウ。僕はそこそこ家が近かったから自宅生だッタ。あの二年生初日の日も放課後にはいそいそと帰り支度をしてイタ。
「ライマンくん。」
 カバンを肩にかけたところで呼び止めらレタ。呼び止めたのはミョン。
「このあと、少し時間をもらえないかしら? お姉さんとお話しない?」
 その日出会ったばかりのミョンにそう誘われた僕は、正直断りたかッタ。まぁ……断りたかった理由は出会ったばかりだからというよりは、単純にミョンが怖かったからだケド。
 だけどその時の僕は勇気を出して頷イタ。それを見てニタリと笑ったミョンはついてくるように促して歩きダス。わざとやってるのか何なのか、全然足音のしないミョンの背中を見て、あの世に連れてかれるんじゃないかとビクビクしてイタ。

 怖がりな人じゃなくても「怖っ!」と思うミョンについて行ったのは、ミョンに興味があったかラダ。
ミョンに最初に話しかけられてからすぐ、僕はミョンと一年生の時に一緒のクラスだったという男の子に「すごい」と言わレタ。
 その男の子から、僕はミョンについての話を聞いた。

 宇田川妙々は日本からこのスクールに留学して来た日本ジン。スクール自体がそんなに無いから留学生は珍しくないんだけど、日本人というのはかなりレアダ。
 スクールでは治療法の基礎として術式を学ぶことになるんだけど、それはもちろん西洋の術しキダ。初めて習うんだからどっちでも関係ないような気もするけど、術式っていうのは結構文化との結びつきがふカイ。こっちで生まれ育ったならまだしも、日本で生まれ育った人が西洋の術式を学ぶっていうのはそれなりに大変なことなノダ。
 加えて、ミョンは日本のオテラの娘なんだトカ。妙々なんていう日本人にしたって変な名前はそのせいらシイ。日本で生まれ育って、さらに日本の宗教観も人一倍理解している……そんなミョンが西洋の術式の授業を聞いたところでどうにもならナイ。
 まー、別に術式だけしか教えてくれないわけじゃないし、切り離しの技術とかも学べるから全部がムダってわけじゃないけど……と、話を聞いた僕は思ッタ。
 だけどそんなことはなかッタ。ここからが、ミョンに話しかけられた僕が「すごい」と言われた理ゆウダ。

 ミョンはクラスの中で孤立してイタ。仲の良い友達はいないし、いつも一人で過ごしてイル。もちろん、あの怖い外見と雰囲気じゃ誰も話しかけようとは思わないだろうけど、それがメインの理由じゃナイ。
 クラスのみんながミョンに近づかないんじゃなくて、近づけないというのが正カイ。何故ならミョンは、クラスの中で「天才」と呼ばれていたかラダ。

 一年生のある日、術式の実技の授業があッタ。その日は、前回の授業で学んだとある魔法陣を使ってなんでもいいから一つ、自分の術式を作ってみるという宿題を発表する日だッタ。
 難易度で言えば初歩の初歩なんだけど、指導をしている先生は、ミョンだけはできなくても良いと考えてイタ。

 スクールの生徒には珍しいことじゃないんだけど、入学する前にある程度の知識と技術を身に着けている場合がアル。ミョンの場合もそれで、入学する前から切り離し以外ならそこそこできるくらいの腕前だったそウダ。
 だけどそれはつまり、日本系の術式を身に着けた状態でスクールに来たと言うこトダ。ここで教えてくれる術式は西洋のそれだから、ミョンの術式に組み込んで使うなんてことはできナイ。だから「前回の授業で教えた魔法陣を使って術式を作る」なんてことは不可能だと……そう先生は思ってイタ。

 だけどミョンはやってのけてしまッタ。前回の授業で習った魔法陣を日本系のそれに改造して術式を作り上げたノダ。それは例えば、アメリカ育ちのアメリカ人に、家にあがるときに靴を脱ぐという習慣を一晩でしみこませるようなこトダ。
 ミョンはその日から、先生も生徒も誰もが認める「天才」と呼ばれるようになったそウダ。
 この話を聞いた時、僕はミョンのやったことが西洋と東洋の術式の融合じゃないかと驚いたもノダ。だけど僕がそう言うとミョンのクラスメートだった男の子はそうじゃないと言ッタ。
 ミョンがやったのは融合じゃなくて塗りカエ。互いの良いとこを引き出すんじゃなくって、片っぽを片っぽに強制的に組み込み、その色に染メル。大元は日本系術式のまま、西洋術式の持っていた効果とか仕組みだけをいたダク。
 要するに、同盟じゃなくて侵略なわケダ。

 ミョン……宇田川妙々という生徒を説明すると、「異物も染め上げる形で純潔を保ち続ける生粋の日本系術式の使い手」とナル。しかも周囲から「天才」と呼ばれるような実力シャ。
 そんなすごい人に声をかけられたということが……普段他のクラスメートとしゃべったりしないミョンが話しかけたということがつまり、「すごい」と言われたワケだったノダ。

話を聞いて、僕も「すごい」と思った。東洋からの留学生は他にもいるけど完全完璧な東洋術式を使える人物はここのスクールには、たぶんミョンしかいナイ。
 とりあえずではあったけど、西洋と東洋の融合を考えていた僕にとっては運命か何かかと思える出会いだったノダ。だから僕はミョンの「お話しよう」という誘いを受けたノダ。

 そんなこんなでミョンについて行くと、スクールの寮についた。日本からの留学生であるミョンは寮生だッタ。
「えっと……ウダガワ……」
「できれば名前で呼んでくれないかしら。お姉さん、その苗字あまり好きじゃないのよ。濁点ばかりで無骨でしょう?」
「じゃ、じゃあミョ……ミョンミョン。」
「みょうみょうよ。」
「ミョン……ミョー……ミョウン……」
「舌をつりそうな顔をしているわね。ミョンでいいわよ。」
 あとで慰謝料でも要求してきそうな悪い顔のミョン。
「あの……ここは女子寮だロウ? 僕、男の子なんだケド。」
 と、困ったふりをする僕に対して、ミョンは今日一番のニタリ顔でこう言ッタ。

「お姉さん、アナタが何を言っているのかわからないわ……ライマンさん。」

 僕は目を見開いてミョンをミタ。ミョンはニタリと笑って寮の中に入ってイク。
 ばれてイタ。ミョンは僕が女の子だとわかっていたノダ。
 そうわかった瞬間、ミョンの言葉を思い出シタ。
『そう見えるからそれを利用してしまおうという考え』
 男の子に見えるから男の子として生活してしまう……それを……たぶん一目で見破ったノダ。

 ミョンの部屋は予想外に普通だッタ。変な所が一つもない女の子のヘヤ。
「ライマンさん……きっと本名があるんでしょうね?」
 ばれてしまっているのだから隠す事もないかと、僕は正直に答エタ。
「……ローラダヨ。ローラ・ヴァンクロフト。」
「ではローラ。緑茶……グリーンティーはお好きかしら?」
「飲んだことなイヨ。」
「あら。それじゃあ飲んでみましょうね。」
 お茶を渡しながら僕を部屋に置いてあるベットの上に座らせて、ミョンは椅子に腰かケタ。
「お姉さんの昔話を聞いてくれるかしら。」
 何をされるのかと思いきやミョンがそんなことを言ったから、僕はちょっと面食らいながら頷イタ。
「……ウン。」
「もう聞いているのでしょうけど、お姉さんはお寺の娘……こっちで言うと何なのかしら? 教会の娘?」
「神父さまはみんな独身ダヨ……」
「そう。まあ兎に角、お姉さんはお寺の娘……そしてご覧のとおりの容姿で生まれた。ここではどうかわからないけれど……日本では気味の悪い感じになるの。小さい頃は色々と苦労したわ。」
「いじめられたノカ?」
「有体に言えばそうね。だけどお姉さんのお母さんが気の強い人でね。お姉さんもそう育てられたから……ある日仕返しをしたの。」
「仕かエシ?」
「真っ白な服を着て、数珠とお札を持っていじめっ子を追いかけまわしたの。呪いをかけてやるって、適当なお経を唱えながらね。」
 想像してみたけど、アメリカ人の僕でも泣いて逃げそウダ。
「そうしたらね、そのいじめっ子の後ろに変な生き物が現れて……灰になって消えたのよ。」
「エェ?」
 怖い想像の中に突然慣れ親しんだモノが入りこんできたせいで、僕は変な声を出シタ。
「それって……ヴァンドロームを切り離して……治療したってこトカ?」
「そう。そのいじめっ子にはたまたまヴァンドロームがとりついていて、お姉さんが唱えたお経がたまたま呪文で、逃げ回ってたいじめっ子の足元にたまたま陣としての条件が揃っていて、そこにはたまたま代償となるものが転がっていたということね。」
「そんな偶然の重なリガ……」
「偶然でも、あれだけ重なれば運命よ。」
 ニタリと笑うミョン。
「あの時、お姉さんは好きじゃなかった家のことや容姿を利用して行動し……結果この世界を知ったのよ。そう見えるんだからそうしてみる。これは新しい何かを開くキッカケの一つだと思うのよね。だからお姉さん……アナタに興味を持ったの。」
 ミョンは自分の分のお茶をずずずとノム。僕ももらった分を飲んでミル。紅茶と違って……えっと、何が違うかはわからないけどなんか違う味だッタ。
「スクールは……いいえ、《お医者さん》の世界は女に厳しい世界よ。だから、クラスの女子はみんなでかたまっていたわ。お姉さん、一人でいいってわけじゃないんだけど、あの中には入らなかったわ。弱い立場だけどみんなでいれば大丈夫……それは何か違うと、そう思ったのよ。」
「……ミョンのクラスメートだった男の子に聞いたけど……「天才」だから近寄りがたいって言ってタゾ。」
「天才……そうね。お姉さんには才能がある……そう思うわ。でもね、お姉さんから近づかなかったのもあるけど、あっちからも初めから近づいてこなかったわ。天才と呼ばれる前からね。」
「そりゃあ怖いかラナ。」
 僕がそう言うと、ミョンはそのニタリ顔をビックリ顔に変エタ。
「ローラ……アナタ、結構ずけずけ言うのね。でも、その通りだわ。」
 ニタリと嬉しそうに笑うミョン。こワイ。
「と、というか……そんなに外見が気になるなら……例えばその髪の毛をちょんまげにしてみるとかしたらいいんじゃなイカ?」
「日本人イコールちょんまげにしないで欲しいわね。それに、日本人のちょんまげを切り落としたのはそっちよ?」
「エェ?」
「『散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする』という言葉が日本には残っているわ。散切りっていうのは散髪……あの頃で言えばちょんまげを切り落とすってことね。昔日本に来た西洋人がちょんまげを見て「変な髪型!」って言いながらはさみで道行く人のちょんまげを切る事件があったのよ。それで切った後に「これでいい」って言いながら日本人の頭をポンポン叩いたそうよ。以来、ポンポンって音が文明開化の音になってしまったの。」
「へぇー、そんなことがあったノカ。」
 何故かミョンは、僕が日本の豆知識に驚いているのを意地の悪い顔で笑って見てイタ。
「ま、ちょんまげはどうでもいいわ。お姉さんは確かに、自分の容姿がそんなに好きじゃ……なかったわ。でも今は違うの。お姉さんが憧れる《お医者さん》がいてね。その人は見るからに変な格好で平安時代の貴族みたいに髪をのばしているの。理由は、術式の代価に困らないように。」
「ヘーアン?」
「髪の毛を意味するヘアーが変な感じで伝わってそう呼ばれている日本の時代の一つよ。その時代は髪が長いほど偉かったのよ。」
「ヘアー……ヘーアン……オオ!」
「お姉さんも術式使いだからね。先人にならおうと思うの。それに、このみんなが怖いっていう容姿、時々ヴァンドロームもそう思うみたいなのよ。」
「ヴァンドロームガ!?」
「言葉が話せるBランク以上だけど……ある程度の知能があるとお姉さんの雰囲気を感じ取ってしまうらしいわ。代価に困らない上にヴァンドロームも震え上がらせる……なら、この容姿を保った方がいいわ。そう見えて、そう思われるのなら、それを利用するのよ。」
「……だからずっと怖いまんまなノカ。」
「それでもね……さっきも言ったけど、お姉さんは一人でいいわけじゃないの。お姉さんも欲しいのよ……その……と、友達……みたいなそんな感じの……」
 ミョンは、怖い顔なんだけど僕に何かを求めるような表情になッタ。
「アナタを見た時すぐにわかった。好きか嫌いかは別にして、この人も自分の持っているモノを最大限利用して……いいえ、利用してでも、この世界に入ってきたんだって。この人なら……そう思ったのよ……」
 僕はビックリしてイタ。つまりミョンは、色々と意味ありげな顔をしながら……ホントのところは僕と友達になりたいと、ただそれだけだったノダ。
 驚く僕を見て、ミョンは恥ずかしくなったのか、顔を俯かセタ。
「ま、まあ? アナタが何を言ってもどうにもならないのだけどね。」
「ンン? なニガ?」
「アナタはお姉さんが出したお茶を飲んだわ。」
「?」
「グリーンティーは漢字で書くと「緑」の「茶」になるのだけど、「緑」という字は漢字の「縁」によく似ているの。」
「エン?」
「運命的な……つながりというところかしら。だから日本ではね、こちらが出したグリーンティーをそちらが飲んだ瞬間に「縁」がつながると言われているの。つまり友達に……なるのよ?」
 そっぽを向きながらニタリ顔をツンツンした顔にしているミョンはなんだか面白くて、僕は目をパチクリさセタ。そしてエンのお茶を飲みながら言ッタ。
「……別にそうでなくても、僕は友達になること、嫌じゃなイヨ。」
「そ……そう。」

 最初はもちろん怖かったけど、結局(お医者さん)の世界で頑張る女の子の一人なんだとわかった瞬間、ミョンが怖くなくなッタ。
 こうして僕とミョンは友達になッタ。なんだかんだ、学校で僕の秘密を知っていて、それに協力してくれる人っていうのはすごく助かるし、それに知っている……わかってくれている人がいるというだけで、なんだかすごくホッとスル。
 さらに、僕はミョンから日本系の術式を色々教えてもらッタ。一口に日本系術式って言ってもいくつか種類……派閥みたいのがあるみたいで、ミョンのは「ほーじょーは」というらシイ。
そして、さすが眼球マニアの見立てというかなんというか、ミョンだと完全に日本色に染めちゃう二つの術式を、僕は両立させたままで融合させることがでキタ。

 《お医者さん》には二種類いて、何となく術式使いが普通でそうでない人たちが特殊って気分になるけど、だからって術式が簡単なわけでもないノダ。ながーい歴史がそこにはあって、なのに一つの形にまとまっていかないのは、使う人によって大きく差が出来るカラ。
 僕が融合に成功したからって、それをミョンがマネしても同じようには術が発動しナイ。文化とか習慣とか宗教とか、そんな感じのモノとつながりが深いからマネをしてもどこかで何かがずれてしまうノダ。

 そんなこんなで、二年生の夏休みが始まる頃には、僕とミョンは二つの術式を混ぜることのできる術式使いということで、「天才コンビ」とか呼ばれるようになッタ。エッヘン。

 夏休みの間はミョンとあちこち出かけて楽しかったんだけど、まぁそれはまた今度の機会に話そうとおモウ。
 夏休みが終わると、授業に新しいモノが入ってキタ。その名も「《お医者さん》ガク」。現役で頑張っている《お医者さん》たちを紹介して、その人たちがどんな治療方法を使っているのかを知るという授ぎょウダ。
 凄腕の術式使いからオリジナルの治療法の使い手まで、ドキュメンタリー番組みたいにたくさんの《お医者さん》を紹介してくれるその授業は一番人気だッタ。
 この授業、決まった先生はいなくて、色んな先生が変わりばんこに映像を見せてくレル。中でも眼球マニアの番の時は教室中がざわざわしテタ。
 何故なら、そこで紹介されるのは《ヤブ医者》だかラダ。しかも、眼球マニアが映像には出てこない他の《ヤブ医者》の話もしてくレル。眼球マニアはあの『半円卓会議』には全然出席しないらしいんだけど、どんな人がいるかってことは把握しているらシイ。
 どの《ヤブ医者》の話も面白かったんだけど、すごく印象に残っている話がアル。眼球マニア自身も興味深そうにしゃべっていた《ヤブ医者》……その名は、安藤きょウマ。そう、今僕がお世話になっている安藤先生その人なノダ。

 ミョンと同じ日本人で、《ヤブ医者》になったのが二十三歳のトキ。別に史上最年少ってわけじゃないみたいなんだけど、それでも若いその《ヤブ医者》に対して眼球マニアが興味を持っているわけ……それは、自分の治療法について何も喋らなかったということらシイ。
 まぁ、眼球マニアは会議に出席しないから代理の人から聞いたことではあるらしいんだけど、安藤先生は先生にとって最初の『半円卓会議』の中の自己紹介で、「よろしくお願いします。」としか言わなかったそウダ。
 それのどこが変なノカ。そう尋ねると眼球マニアは《ヤブ医者》について語りだシタ。

 何度も言うようだけど、《ヤブ医者》というのは何かを極めに極めた人間のコト。元々そのつもりだったのか偶然なのかはわからないけど、その極めたモノがヴァンドロームの治療に使える技術だったから《お医者さん》の世界にやってきて《ヤブ医者》という称号を与えられた人タチ。
 だから、《ヤブ医者》はみんな自分の技術に誇りと自信を持っているのだトカ。《ヤブ医者》に選ばれて『半円卓会議』にやってきた者は、最初の自己紹介の場で自分の技術を語るのが普通なノダ。
 例えば腕力だけでヴァンドロームを倒す《ヤブ医者》の時は、小一時間ほど筋肉について語ったトカ。
 すごい技術を持っていて、それを得るだけの何かをしてきたはずの人間が何も語らない……その人間は一体どんな経験をして、何をその眼球に刻んできたノカ。眼球マニアはそこに興味を持ったよウダ。

 《ヤブ医者》の中にも色んな人がいて、ただの変な人たちというわけではないんだなーと、その時はそう思ったくらいだッタ。

 二年生の残りの日々も三年生の毎日もまたまた今度にして、ところでスクールは普通の学校と違って卒業するための試験っていうのがアル。まぁ、そこそこの実力がないと《お医者さん》の世界には入ってきちゃダメだよっていう意味があるらシイ。
 ただ、その試験を受けるまでもなく確かな実力を持っている人には別の卒業試験が用意さレル。試験と言うよりは試練……ご褒美と呼ぶ人もイル。
 人数は年によって違うんだけど、成績優秀者を現役の《お医者さん》の所に送り込み、そこで経験を積まセル。研修みたいなもノダ。
 今年は上位七名が選ばれて、その中には僕もミョンも入ってイタ。誰が誰の所に行くかは……一応先生全員の相談で決めているってことになってイル。
 一応っていうのは……眼球マニアがこっそり教えてくれたんだけど、全てのスクールで成績優秀者をどこへやるかを決めているのは『とあるスライム』だトカ。
 そして何故か、僕は噂の《ヤブ医者》、安藤先生の所に行くことになったノダ。

 最初、僕は色々不安だッタ。眼球マニアからの話でイメージした安藤先生は「頑固者」だったかラダ。自分の治療法喋らないってことは「私の研究は自慢げに話すようなものではないわ、馬鹿者め」という感じなんだろうと思ッタ。若いのに頑固じいさんみたいな感じだろウカ。弟子をとらないってとこも「頑固者」のイメージにつながっタシ。
 そして一番気になったのは僕の性別のこトダ。「頑固者」ってことは頑固ってことで、もしも僕が女の子だって向こうでバレちゃったら、「女が《お医者さん》なんぞ目指すな、馬鹿者め」とか言われそウダ。しかも安藤先生はおうちを兼ねてる診療所ってことだから住み込みになると聞いて余計に不安になッタ。バレる確率が高いノダ。

 だけど、結構ビクビクして日本に来たのにふたを開けてみたら不安に思うことなんて一つもなかッタ。
 安藤先生は別に「頑固者」じゃない……むしろなんでも受け入れてしまいそうな感じだッタ。もしゃもしゃっとしてる髪の毛に白衣を軽く羽織ってサンダル。ダラダラとしてそうだけど、教えて欲しいことはちゃんと教えてくれるし、例え僕が女の子だと知っても今までと態度をまったく変えないだろうと思える……そんなヒト。
 いないと聞いてたのに実際はいた弟子は溝川ことねという女の子で……安藤先生の先生はキャメロン・グラントという女の人……女の子が《お医者さん》に向かないとかなんとか、そういう考えを持っちゃう環境に、安藤先生はいなかったノダ。

 安藤先生のとこに来て、僕はミョンが憧れているという《お医者さん》や、眼球マニアの話でしか聞いてない、もしくは聞いたことのない《ヤブ医者》に出会うことがでキタ。それにおとぎ話みたいにしか聞いてなかった《パンデミッカー》との遭遇……普通の《お医者さん》の所じゃ経験できないことをたくさんシタ。

 そして……スッテン・コロリンという《ヤブ医者》に出会い、僕が女の子だとバレてしまった。

 安藤先生の昔話のあとに判明してしまった僕の性別……だけど思っていたようなことは一つも起きなかッタ。

「ふむ。ワシは、筋肉の付き方……というか身体のバランスを考えてそうだろうとは思っていたがな。」
「わたくしは一目見てわかったけれどね。」
「ウウン? モシカシテヒミツダッタノカ。コレハワルイコトヲシタナ。リユウハヨクワカラナイガ……ミテノトオリ、ファムノヨウナ《ヤブイシャ》ガイルノダカラ、セイベツハキニシナクテモヨイトオモウゾ?」

 その場にいた《ヤブ医者》はそもそも僕が女の子だとわかっていたし、別に気にもしていなかッタ。

「ああ! そうかそうか、おれが初めてお前を見た時に性欲が読み取れなかったのは性別を偽ってたからか! ……というかおれが見抜けないってこたぁ、相当なもんだぞ? 大した男装能力だな……それだけで食っていけるぜ。」
「んだよ、やっぱお嬢ちゃんだったんじゃねーか。」
「性別を偽るなんて……《お医者さん》の世界も大変ね。まぁ、どこの世界でも未だに女に対する風当たりってあるけどね。」

 フリュードもコマ……コマッチも驚く程度で嫌な顔をしなかったし、フジキはなんだか同じ境遇の人を見るような、応援するような表情になッタ。

「私はあんまりそういう経験ないですけど……女性ってやぱり差別があるん……ですか?」

 ことねは……まぁ、安藤先生のもとで学んでるだけあって、知っているけどそういう考えを持っていなかッタ。
 そして――

「ばれちゃったって……安藤先生は知ってたノカ?」
「ライマンくんの本名がローラ……なんだっけ?」
「ヴァンクロフトダ。」
「そう、そのローラ・ヴァンクロフトだっていうのは今知ったけど、ライマンくんが女の子だってことはライマンくんがここに来てから何日かあとくらいに気づいたよ。」
「何日かあと? 見ただけでわかったんじゃないんですか?」
 ことねが質問スル。
「いや、ことねさんも一緒に聞いたでしょ。オレが性別をたずねたとき、ライマンくんは男って答えた。だからその時は男なんだって思ったよ。見ただけじゃわかんないからね。だけどそのあとにライマンくんに触れる機会があったから……」
「触れる? ちょっと享守、なんだかいやらしいのだけど。」
「ええ!? 単に手に触れただけだぞ!」
 安藤先生がファムにわたわたと弁解スル。修羅バダ。
「だけど享守、あなた常にその力を発動させているわけではないのでしょう? 何か下心があってこの子の身体を……」
「いやいや! ライマンくんが俺の技術を見たいって言うから身体の状態を言い当てただけだよ!」
 実際その通りだから、僕は安藤先生を助けにイク。
「そうダゾ。そしたら和室で寝てて壁に足をぶつけたことを当てられタヨ。」
「あらそう。」
「……というか何でオレはこんなに焦ってるんだ?」
 そウカ。安藤先生の技術をあんまり理解しないで見せて欲しいって言ったから気づかなかったけど……そりゃあバレルカ。僕の身体を調べられタラ――
「……やっぱり安藤先生はエロイゾ!」
「まさかの裏切り!? まったくもう……キャメロンみたいに考えないで欲しいなぁ……」
 安藤先生はどよーんとして、それから僕のことを結構真面目な顔で見つめた。
「ライマンくん。」
「ンン?」
「オレは別に気にしないし……というか少なくともこの場の面々は誰も気にしてない。これが最後の試験って言うなら今更スクールも何も言わないだろうし……いや、スクールはもう知ってるのかな?」
「なんのはなシダ?」
「いや、もう男の子のふりをしなくてもいいんじゃないかなってことだよ。」
 僕はビックリシタ。
「え……でもやっぱり卒業した後とかも女の子は大変だって聞クゾ? それなりに実力をつけないとダメかなーって思ってるんだケド……」
「……そう……なの? オレはほら、あんまり《お医者さん》《お医者さん》した環境にいなかったというか、結構イレギュラーな感じだからそういうの詳しくないんだけど……」
 安藤先生がコマッチをミル。
「俺を見るな。んま確かに、色んなとこで大なり小なり、そういう傾向はあるな。将来的に入りたい病院があってそこが結構頑固な感じなら男でいた方がいいだろうし、特に予定がないってんなら女としてバリバリやんのもいいだろう。正直、お嬢ちゃんの自由にすればいいと思うがな。」

 どっちでもいいんじゃナイ? これは今までの僕には無かった選択肢かもしれナイ。風習っていうのか、文化っていうのか、そんな感じの何かがアメリカとここでは根っこから違うような気がシタ。

「それにな……」
 コマッチがぷはーっともくもくの煙をはいてニッコリと笑顔になッタ。
「融合させてるとは言え、お嬢ちゃんも日本系術式を使ってんだろ? なら、女であることを引け目に感じちゃいけねーと思うぞ? 寧ろ誇るべきだろうな。」
「?」
 コマッチが妙なこと言いだシタ。
「そのお嬢ちゃんの友達の宇田川は……ああそうか、北条派だったか。んじゃ知らないかもしれないな……」
「??」
「日本系術式な、あれ実は女向けなんだよ。」
「え、そうなんですか?」
 ことねがおどロク。
「ホウ! ソレハオモシロイナ。ドウイウコトダ?」
 他のみんなの顔からすると、誰も知らなかったことらシイ。
「今でこそいくつかの派閥にわかれるけどな、元は一つ。日本系術式の起源は占いにある。んで今ある日本系術式の大元を作ったのも大昔のとある占い師だ。予言者とも呼ばれたりするが……」
 コマッチはもったいぶりながら、一人の名前を自慢げに言ッタ。

「その人の名前は卑弥呼。日本の大昔の女王様だ。」

 女王……サマ?
「クイーン!?」
 僕は思わずそう叫ンダ。
「日本系術式を作ったのは女の人なノカ!」
「ああ。記録を辿るとこの説が有力だ。今ある術式は長い年月をかけて男でも使えるように改良されてるから違和感はない。だけど術式について相当な知識のある人間が術式を細かく解体してくと最後に出て来るらしいんだ。使用者が女であることを前提に置いた術式がな。」
 突然の大昔のすごい女の人の《お医者さん》の登場に目をまんまるにする僕に、安藤先生が優しく笑ってこう言った。
「さて、どうする? ライマンくん。」



 プルルル。
 プルルル。
 プル、ガチャ。
「はい。」
『吾だ。』
「おやおや。相も変わらず恐ろしい声ですね。どうしたんですか?」
『近いうちに、例の三年生……ライマン・フランクをそっちに戻す。』
「戻す? 彼女が何かしましたか? 試験の終了はまだ先ですが。」
『隠しておけば良いモノを、そっちの校長が律儀にライマン・フランクの両親に報告してしまったからな。』
「何をです?」
『日本で《パンデミッカー》と一戦交えた事をだ。スクールはこれでも学校、親の意見は無視できんだろう? 無事であることを本人の口から聞かなければ納得しないようだ。』
「彼女の両親がそう言ったんですか?」
『いや。言ってはいないがそう見える。』
「なるほど。貴方の第六感という奴ですか? 《デアウルス》。」
『そんな所だ。戻すと言っても一時的なモノ……場合によっては安藤も来るだろうな。』
「それはそれは……いいことですね。」
『……思うに、安藤はお前が思うほど素晴らしい眼球ではないと思うぞ? ……今はな。』
「何やら含みのある言い方ですね。」
『まぁ、吾に眼球マニアの矜持はよくわからないがな。あまり期待するなということだ。』



 そんなワケで、ライマンさんがうんうん唸る中、甜瓜診療所にあんまり鳴らない電話の音が響いた。ちょうど電話の前、つまり診察室の椅子に座っていた先生がものすごくびっくりしたあと、その電話をとった。
「はい、こちら甜瓜診療所。」
 電話の相手が誰かはわからないけど、先生は少し真面目な顔で話をしていた。
 いや……まぁいつも不真面目な顔ってわけじゃないけど……

「ライマンくん。」
 電話が終わると、先生はライマンさんを呼んだ。
「なンダ。」
「今スクールから電話があってね、一度帰っておいでって。」
「? どういうこトダ? 試験期間はまだあるはずダゾ。」
「そうなんだけどね。この前の《パンデミッカー》との一件をライマンくんのご両親に報告したところ、ライマンくんが元気かどうか、一度顔が見たいとか。」
「お父さんとお母さンガ?」
「んまぁ、あれはあれで、実は結構危ないことをしたわけだし……スクールとしてもあとで黙ってたとか騒がれると困る立場だからね。報告は義務なわけで……そんな話を聞いたら心配になるのは当然だね。」
「別に僕、大丈夫なんだケド。」
「それでも一応……ってことだね。なんだかんだ、スクールはやっぱり学校だからね。しかし困ったな……」
「安藤先生が困るノカ?」
「いやほら、ライマンくんをあずかっている身としてはライマンくんのご両親に挨拶なりなんなりをしておかないといけないでしょう? ライマンくんが一度帰るのと同じ理由でさ。」
「! 安藤先生がスクールに来るってこトカ!?」
「目的はライマンくんのご両親だけど……んまぁ、そっちにも行くことになるかな……」
「オオ! きっとみんな喜ブゾ!」
「そうかな……んまぁいいや。とにかく、行くとなると色々と問題が……」
 そう言いながら先生がこっちを見る。
「え、私も行くん……ですか。」
「うん……スクールがどんなとこか興味ない? んまぁ、オレも知らないわけだけど。」
 行くんですかと聞きはしたけど、私は私も行くことになるということは理解できていた。私が先生の所で暮らしているのは、万が(オートマティスム)が暴れた時に対処できるようにという理由がある。それに、ここに一人で残っても私はまだ治療ができないし……
「またここを空けることになるなぁ。『半円卓会議』とかなら《デアウルス》が手をまわしてくれるんだけど――」

 プルルル

「! また電話……」
「僕が出ルヨ。」
 そそそっと診察室の方に行くライマンさん。
「やっぱりここを空っぽにはしたくないよね。」
「……でも最近はよく空っぽにしている気がしますよ。」
「……そうだね……あ、でもほら、ファムのとこの《お医者さん》に来てもらったり――」

「安藤先セイ!」

 ライマンさんがものすごい顔で戻ってきた。

「おバケ! お化けから電話がきタゾ! ぼ、僕の名前を知ってて安藤先生にかわれって言ッタ! 僕は呪われちゃったノカ!?」
「ああ……」
 先生は何が起きたのかを理解して電話の所に行った。
「こトネ! ミョンにオハライしてもらわないと、僕はブリッジしたままダカダカ走ったりしちゃうウゾ!」
 ブリッジしてダカダカ……そう言えばそんな映画があったなぁ。
「ミョンさんはお寺の人なんですよね……それだとエクソシストが必要ですよ……あと、そのお化けはたぶん《デアウルス》さんですよ。」
「《デアウルス》……安藤先生の話に出てきた《ヤブ医者》のトップカ?」
「あと『半円卓会議』の司会の人ですね。」
 ライマンさんに色々と説明していると、先生が戻ってきた。
「さすがというか何と言うか……《デアウルス》が対処してくれるからさっさとスクールに行けってさ……」
「対処?」
「診療所のこととか交通手段とか。でもなんか、《デアウルス》的にはライマンくんのご両親に会いに行くなんてしなくていいのにって感じだったな。んまぁ、あいつは親の心配とかを理解できなさそうだしなぁ。」


 翌日、私がいつものように診療所の前の掃除をしようと外に出ると西洋甲冑が立っていた。
『オハヨウ、コトネ。』
「……スッテンさん。」
 我ながら落ち着いた反応ができた。私はこの神出鬼没な甲冑に慣れてきたらしい。
『キョーマヲヨンデクレルカ? 《デアウルス》ニタノマレテ、キョーマヲアメリカノスクールニツレテイクコトニナッテイルノダ。』
「! それじゃあスッテンさんが交通手段ってことですか……代わりの《お医者さん》とかも連れてきたんですか?」
『インヤ。ソンナフウナコトモタノマレタガ、メンドウダカラココニチカヅイタモノヲキトーノトコロニトバスヨウニワープソウチヲセッチスル。』
「キトー……鬼頭先生ですか。」
『ソウダ。』
 そう答えながらスッテンさんが左腕をあげると、腕の甲冑がカションと開いて中から二つの円盤が発射された。それらは診療所の扉付近、左右の壁に張り付いてカラータイマーみたいにピコピコと点滅を始めた。
『サアサア、デカケヨウデハナイカ。』

 ことねさんに起こされて、オレはことねさんみたいな半目の状態で西洋甲冑に挨拶をした。
「なんか最近よく会うな。《ヤブ医者》同士が会うのは年に一回ってのが普通だったよなぁ。」
『アッハッハ。ソレモコレモ、《パンデミッカー》ガアバレテイルカラダナ。シカシゥワァタシハウレシイゾ。ユウジンニアウノハタノシイモノダ。』
 オレはスッテンが《ヤブ医者》になった理由を思い出し、まぁいいかとため息をつく。
「それで……どうやってアメリカまで行くんだ? スッテンのことだから超音速飛行機とかワープとかか?」
『ソンナニハヤクイッテモジサガアルカラナ。ココハアサダガ、アッチハキノウノユウガタ……イヤ、ユウガタナライイカ。ヨシ、スグニシュッパツスルトシヨウ。』
「夕方ならいいのか?」
『チョウドスクールモオワッテ、ガンキュウマニアニアイヤスイダロウ。マァイレバダガナ。』
「眼球マニアか……んまぁ、行くとなったらそいつに会うのが自然だけど……初めて会うな。」
『ゥワァタシモダ。ドンナオトコナノカ……イヤ、オンナカ?』
「さてな。とりあえずちょっと待っててくれ。準備してくる。」
『アア。』
 オレは診療所に戻り、荷物をまとめ……ようとしたが、特に持っていく物はないことに気づいた。
「先生。」
「? なんだいことねさん。」
「よく考えたら、この前もそうでしたけど……私、アメリカに不法入国してますよね。」
「そうだね。でもまぁ不法出国してプラスマイナスゼロなんじゃないかな。」
「なんですかそれ。」
 正直なところ、不法入国だなんだと言われたとして、それが《お医者さん》の世界に少しでも影響を与えるようなら、《デアウルス》がなんとかしてしまうだろう。権力や財力があるわけではないけど、あいつの全人類を超えた知能があれば不可能じゃない。
 ……というか、そうまでしてあいつが《お医者さん》の世界を守ろうとする理由がわからないな。昔あの人……キャメロンから聞いた話によると、誰かと約束をしているみたいだったそうだが。
「今回も日帰りですかね。」
「そのつもりだけど。」
「ならあんまり持っていく物ありませんね。」
「そうだね……戸締りとガスとかだけ確認しておこうか。」
 結局、オレとことねさんは最低限の荷物だけで診療所から出てきた。対してライマンくんは来た時に持っていた大きなカバンを持っていた。
「? ライマンくん、大荷物だね。」
「大した物は入ってなイゾ。せっかく家に戻るんだから、お洋服とかを持って帰ったり、あっちから持ってきたりしようかと思ッテ。こっちに来る時は日本の気候っていうのがよくわからなかったから、今思うといらないモノがちょっとあるンダ。」
「……洋服……ライマンさんも女物の服は持ってるんですよね?」
「一応持ってはいルゾ。だけど今は男の子の服の方がなんだが楽ちンダ。男の子に見えるようにとかそういう理由を抜きにして、着心地がいイゾ。」
『ソウカ? スカートトカハスゴクラクソウニミエルガ。』
 スッテンが右腕の甲冑がパカッと開いて露わになったいくつものボタンをポチポチしながら話に入ってきた。
『マァシカシ、ドウシテモオンナハウツクシクトカカワイクトカ、ソウイウオシャレテキナモクテキガオトコノフクヨリモオオイカラナ。メンドウナデザインガオオイノカモシレナイナ。』
「そうか? 今の時代、あんまり差がないような気もするけどな。」
『カイゼンハサレテモカイカクハサレテイナイトイウハナシダ。』
「どういうことだ?」
『フクトイウモノノタイケイガツクラレタトキ、オンナハオトコヨリモヒクイタチバダッタ。ダカラ、オンナノフクトイウノハオトコノコノミニアワセラレタ。ソウイウキゲンガオンナモノノフクニハアルカラ……オシャレニジュウテンガオカレルノハヒツゼンダロウ。キノウセイヨリモナ。』
「そ、そう――のわ!?」
 スッテンが妙な知識を披露したところで、突然診療所の前に巨大な何かが出現した。
「オオ!! なんだコレ! すごイゾ!」
『アッハッハ。コノマエファムノトコロノヒコウキニノッタトキイタガ、アレノコウケイキダ。ヨンセダイクライナ。』
「どれくらい進化したンダ!?」
『モクセイクライマデイケルゾ。』
「オオ! 早く乗りたイゾ!」
 テンションが上がったライマンくんに引っ張られる形でスッテンの飛行機に乗り込む。そして飛行機は無音で上昇し、無音で発進した。
 アメリカのスクールに向けて。


 驚いたことに……いやまぁ、これくらいはやりかねないと思うが……日本を出発してからざっと二十分ほどでアメリカに着いた。と言うかスクールに着いた。
 オレも見るのは初めてなわけだけど、スクールは本当にスクールだった。洋画に出てくるような普通の学校で、《お医者さん》的なびっくりどっきりデザインを想像してたオレは拍子抜けした。
 スクールの上空に停止した飛行機から、何故か宙に浮いているゴンドラに乗り込んで下に降りる。突如現れた謎の飛行機から予想外の方法でスクールの校舎の真ん前に降りてきたオレたちは、丁度下校時間なのか、道行くたくさんの学生を唖然とさせた。
「先生、みんなこっちを見てますよ……」
「うん……宇宙人か何かと思われてるかもね。」
 オレとことねさんが居心地悪く立っているのをヨソに、ライマンくんがゴンドラから元気に降りて校舎を眺めた。
「うーん、久しぶリダ!」
「! Lyman !」
 嬉しそうに周囲を眺めているライマンくんに……うん、たぶんライマンと呼んだと思うが……一人の学生が近づいて来た。
「○×▽◇!」
 ライマンくんが英語をしゃべり始めた。
「わぁ……ライマンさんが英語しゃべってますよ。」
「まぁ母国語だからね……」
『ンン? アアソウカ。』
 スッテンがカションと手を叩いてオレたちに指輪を渡してきた。
「なんだこれは?」
『アッハッハ。《デアウルス》ノチカラヲカイセキシテサイゲンシタモノダ。ハンイハカギラレルガ、フツウノカイワナラモンダイナイダロウ。』
「《デアウルス》の力?」
『『ハンエンタクカイギ』デアラユルコトバヲリカイシ、ツウジサセルチカラダ。』
「ああ……あの英語が日本語に聞こえたり、こっちが言った日本語があっちには英語に聞こえたりするアレか。」
「つまりスッテンさんが作った翻訳機なんですね。」
『ホンヤクトイウヨリハイッシュノテレパシーナノダガナ。』
 スッテンのとんでも科学で作られた指輪をはめる。するとライマンくんの英語がいつもの不思議な日本語に聞こえてきた。
「えぇ!? ライマン、お(ヤブ医者)のところにいるのか!?」
「そウダ! しかも今ならもう一人いルゾ!」
「マジか! サインもらわなきゃ! みんなに教えてくるぜ!」
 その学生がダッシュで校舎に戻る。そしてその子と入れ替わるように一人の人物……雰囲気的に明らかに学生じゃない人物が出てきた。
「研究所からいきなり呼びだされて何事から思ったら……なるほど、こういう事ですか。」
 物腰の柔らかい男だった。加えてオールバックに……あれは燕尾服と呼ぶんだったか。そんな服を着て極め付けに右目にモノクル。さる令嬢お坊ちゃまの執事を名乗ってもおかしくない……そんな男がニッコリと笑いながら近づいてくる。
「ア! 安藤先生、あれが眼球マニアダゾ!」
「え?」
 オレは少し驚いた。想像していたより……普通だからだ。眼球マニアというくらいだから、もっと奇抜な格好をしていると思っていた。
「久しぶりですね、ライマン。元気そうで何よりです。」
 眼球マニアはライマンくんにそう言うと、目線をオレたちに向けた。その時、一瞬眼球マニアの右目が飛び出たように見えた。
『ユカイナカタメガネヲシテイルノダナ。』
「甲冑……なるほど、あなたがコロリンですね。《デアウルス》から何度か話を聞いたことがあります。」
 コロリン……いやまぁ、初対面の相手を名前で呼ぶのはあれだとは思うが……コロリンか……
『ホウ。ソノイイカタカラサッスルニ、『ハンエンタクカイギ』ニハシュッセキシナイガ《デアウルス》ニハヨクアッテイルノカ?』
「会ってはいませんが、よく話しますよ。これでも『医療技術研究所』の所長をやっていますから、そちらの絡みで。」
『ナルホド。ツイデニモウヒトツナルホドダ。』
「?」
『タシカニ、ソノホンミョウハアカセナイナ。』
「ああ……そういえば《デアウルス》に言われましたね。コロリンの前で正体を隠し続けることは不可能だと。」
『アンシンスルトイイ。ゥワァタシハクチガカタイノダ。』
「それは何より。私の正体を知ったついでに、あなたの正体も知りたいところですね。その眼球はどのような輝きをしているのか……これでは見えません。」
 眼球マニアは目を細めてスッテンの甲冑の目にあたる部分を覗き込む。
「この位置に眼球があるのか、そもそもこの中にあなたはいるのか……あなたも余程謎ですね。」
 ニッコリと笑いながら、眼球マニアは次にことねさんに目を向けた。
「随分若いですね。ライマンと同じくらいでしょうか。あなたも《ヤブ医者》で?」
「僕とおんなじ《お医者さん》の卵ダゾ!」
 ライマンくんがひょっこりと話に入って来る。
「え、えっと……溝川ことねです。」
「初めまして。眼球マニアです。」
 そう言いながら眼球マニアはことねさんの顔をまじまじと見つめる。
「これは……左目に別の光が混じっていますね。しかしあなた自身よりも圧倒的な存在感……」
「ことねの左手にはヴァンドロームがとりついてるンダ。」
「おお! ではあなたが『エイリアンハンド』の!」
「は、はい……」
「となると、そちらの方が謎に満ちた《ヤブ医者》、安藤――」
 オレの名前を言いかけて、眼球マニアの動きが止まった。両目を丸くして、驚愕の表情でオレを見ている。
「あー……オレが安藤享守だ。よろしくな。」
「……そんなバカな事が……」
 眼球マニアはゆっくりとオレに近づき、オレの顔……正確には眼をじーっと見つめ、ぼそりと呟いた。

「あなたは誰になろうとしているのですか?」

 その言葉を聞いた瞬間、オレはフリュードとの会話を思い出した。


 ニック・フラスコの一件が片付き、キャメロンとの昔話をした後、フリュードは帰国する日にオレをこっそりと呼び出した。
 診療所の裏手で、オレとフリュードは相対する。
「なんだ? いきなり呼び出して……それも二人きりって……もしかしてファムの事か?」
「ヘロディア嬢の事……でもあるにはあるが、メインはお前だ。」
 ガラにもなくというと失礼かもしれないが、フリュードはいつもよりも真剣な表情で話を始めた。
「お前の昔話を聞いて……やっとお前に初めて会った時に覚えた衝撃、その理由がわかった。お前は……不運にも最悪のパターンなんだな。」
「? 何の話だ?」
 オレが首を傾げると、フリュードは診療所の壁に寄りかかり、タバコに火をつけた。
「……人の生き方の中に……誰かを目標として生きるってやり方がある。」
「唐突だな。」
「とりあえず聞け。」
 フリュードはふーっと煙を吐き、診療所の裏手の森を眺めながら呟くように話始める。
「誰かを目標にする……その誰かってのは空想の人物かもしれないし実在の人物かもしれない。実在の人物であっても、それが遥か昔の誰かだったり、極々身近な誰かだったり……人によって様々だ。どこかの誰かがどこかの誰かを目指し、それに向かって生きる生き方……別にその生き方を否定はしないけどな……一つだけ、その生き方をしている奴が絶対にやっちゃいけない事ってのが存在する。」
「やっちゃいけない事?」
「その目標に、到達してしまう事だ。」
「?」
「あーわりぃ。そういう生き方をしている奴全員がそうってわけじゃねーんだ。例えばの話、そこら辺のガキンチョがサッカー選手になりたいっつって一人のサッカー選手を目標にするって場合は大丈夫だ。そのガキンチョの目標ってのはつまり、そのサッカー選手が持っているサッカーの技術と同等のモノを手に入れるって事だからな。目標に到達したとして、その時ガキンチョが手に入れるのは技術だけだ。」
「んまぁ……そうだな。」
「だがな、どこぞの誰かの……性格とか、信念とか、そういう、その人物そのものを目標とするような場合はダメだ。目標に到達しちゃいけない。」
「なんでだ?」
「……これも例えばだが、『Aさんみたいななんでも許せる広い心を持ちたい』的な目標を持ったとするぞ? そんな『広い心』を手にするには、『Aさん』がそれを手にするに至った経緯を自分も追う必要がある。なんせただの広い心じゃないんだ。『Aさんみたいな』なんだからな。そうして同じ経験をして、『広い心』を手にした時、そいつはどうなってるか……そいつはな、そいつという皮を被った……『Aさん』になってるんだよ。」
「……」
「ま、つってもそうなるパターンはほとんどない。人物そのものに憧れるってのは、普通自分ってモノがそこそこ確立されてから起こる感情だ。自分に無いモノを持ってるから憧れるんだ。だが、ある程度自己が確立された状態から他人の人生を辿った所で、他人になることは決してない。それまで生きてきた経験は不動の芯としてそいつの中にあり続けるからな。だがお前は……」
「……言ってることがよくわかんないんだが……」
「そんじゃ……本題に入るか……そっちの方が理解しやすいだろ……」
 フリュードがサングラス越しにオレを見る。

「安藤享守という人物は、キャメロン・グラントという人物を目標としている。違うか?」

 オレは目を見開いた。図星だったからとかそういう理由じゃない。
 オレがキャメロンに対して抱いている気持ち……感情は色々ある。その中でも一際大きい感情……それがなんであるかを言葉にしたことはないし、言葉にされたこともない。だが今のフリュードの言葉でオレの感情に確かな名前が与えられた。
 ああ……確かにそうだ……

「……オレは……暖炉の傍で灰を被っていたオレを舞踏会に連れ出してくれた魔法使いに……キャメロンに感謝してる。何をしても返せない恩だ。そして同時に……キャメロンみたいに……どこかでうずくまる主人公の物語を進める手助けができるような魔法使いになりたいと、オレは思っている。」
 一拍おき、深く息を吸ってオレは言う。
「オレはキャメロンに憧れている。そう……オレはキャメロンを目標としているよ。」
 チリチリと、タバコの煙を吸い込むフリュードは目線を再び森に戻す。
「……それ自体に、おれはケチを付けない。目標を持って生きる、大変結構。だがお前は……幸か不幸か、その目標に到達しつつある。」
「オレが? キャメロンに?」
「お前の言う目標の種類は、さっきオレが言ったガキンチョと広い心を欲しがる誰かの融合パターンだ。つまり、キャメロン・グラントの技術とキャメロン・グラントという人物そのもの、それがお前の目指すモノになってる。」
「そう……なるか……」
「まず技術……お前の言葉を借りると、魔法使いの魔法の力。それは既に会得した。むしろ憧れの魔法使いよりも上手に魔法を使いこなせてる。まぁ、こっちの方は……別にいいんだ。問題はもう片方。」
「キャメロンそのもの……か?」
「そうだ。さっきも言ったが、誰かが誰かに憧れてそうあろうとしても、そいつが元々持っているモノを完全に捨てることが出来ないから、目標に到達することは無い。だがな、お前がキャメロンに憧れを覚え始めたのは……おそらく出会ってすぐだ。自分を救ってくれたキャメロンに憧れ、こんな大人になりたいと思った。当時のお前は子供にしては厳しい状況にあり、そして当時のキャメロンは子供に対しては圧倒的すぎる救いの手……そんなイレギュラーがお前の中にキャメロン・グラントへの憧れを生み出した。まぁ、実際は知らないけどな。そんな所だろう。」

 たぶん、フリュードの予想通りだろう。小さい頃の記憶なんてハッキリ覚えてないが、キャメロンの言う事は常に正解なんだと、子供が親を手本とするように、オレはキャメロンをそう見ていたと思う。

「確固たる自己ってもんがまだまだ未熟な時から、お前はキャメロン・グラントのようになろうとした。だからお前は……普通は出来ないことが出来てしまった。お前はキャメロン・グラントという他人にかなり近づけてしまった。」
「……」
「その後……気を悪くしないで欲しいんだが、キャメロン・グラントが死んだ事で、キャメロン・グラントという人物を構成していたある大きな要素を手に入れた。《イクシード》という相棒をな……」

 ……確かに、キャメロンがどんな人かを説明するには、《イクシード》の説明が必須になるだろう。実際、キャメロンと《イクシード》の関係……絆はかなり強かったと思う。

「そして診療所を手に入れ、《お医者さん》という肩書を手に入れ……白衣を羽織り、サンダルをはき、お前はだんだんと憧れの魔法使いに近づいていった。」
「……」
「そして一年前、決定的な事が起きた。」
「決定的な事?」
「お前の憧れる魔法使いは主人公を助けるんだったな? そう……救うべき相手が現れた。溝川ことねというな。」
「! ことねさんはこの事に関係ないだろ!」
「ある。言ったろ、これこそが決定的なんだよ。正義のヒーローが正義であるには対立する悪が必要だろ? それと同じ……誰かを助ける人になるってことは、助けを求める人を求めるって事だ。」
「そんな……屁理屈じゃないか……」
「真理だ。お前は出会ったんだ。お前が救える……お前の魔法でしか救えないシンデレラにな。キャメロン・グラントという魔法使いにとってのお前は、お前という魔法使いにとっての溝川ことねだ。かつてのお前のように、他人には理解しがたい深刻な症状……元から発症しているって事ととりつかれて発症って事で差はあるが、結局のところ同じだ。お前やキャメロン・グラントの魔法でないとどうしようもない。」
「……!」
 フリュードはタバコを捨て、靴でぐりぐりさせた後、オレを正面に捉えて言った。
「お前はキャメロン・グラントを目標として生きている。そしてキャメロン・グラントという人物を構成する要素と、お前が憧れる行動……普通なら絶対に得られないそれらを幸か不幸か手に入れつつある。あと残っているのは魔法使いの過去くらいだ。」
「過去? キャメロンのか?」
「この世の絶頂を謳歌し、そして恩人の為に多くの人間を殺すことだ。」
「!」
「そしてそのどちらも……今この瞬間にやろうと思えばできてしまう事だ。お前はな、安藤……あともう少しでキャメロン・グラントっつー目標に到達しちまうんだ。」
「……オレが……」
「今まで無意識だったろうがな、これからは自覚しろ。オレがお前の性欲を読み取れないのはな……お前が半分以上、他人だからだ。他人になることを欲するってのは、お前の望みであると同時にお前自身の消去を意味する。今現在、お前がお前である所以……安藤享守の自己、個性ってのは普通の人間と比べると相当希薄だ。」
「……」
「目標を変えろとは言わない。だが頑張って差別化しろ。それこそ、キャメロン・グラントにはなかった要素……ヘロディア嬢のような伴侶を得るとかな。」
「……」
差別化しろか……だけどもし、オレという人間がほとんどキャメロンだと言うのなら、そのオレと親しい人間はつまりキャメロンと親しい人間って事になる。なら、オレが完全にキャメロンになったとしても、悲しむ人はいないはずだ。オレも目標に到達した事になる。困る奴がいない……
「おい、安藤。」
 まるでオレの考えを見透かしたかのように、フリュードが厳しい表情でオレを睨む。
「お前という自己が無くなったら、悲しむ奴がそれなりにいるんだぞ。」
「え……」
「パッとあがるだけでも二人。ガキの頃からお前を知る《イクシード》と藤木だ。昔を知ってるって事はお前という自己を知ってるって事だ。《イクシード》はともかく……藤木を泣かせるなよ。」
 オレは面食らった。突然るるの名前が出てきたからだ。
「なんだいきなり……なんでお前がるるの事を……」
「藤木だからじゃない。女だからだ。女を泣かせるな。」
「! 毎日……その、色々やってる性欲使いの言葉とは思えないな。」
 オレが少し笑いながらそう言うと、フリュードはあきれ顔で答えた。
「性欲の使い手をただの色欲魔人と思うなよ。男にとっては女が、女にとっては男が、世界で唯一性欲を叩き起こすトリガーなんだ。両方いるからガキが生まれ、世界が廻る。なら片方は片方を大事にするべきだ。男であれば、女をな。理由あってのケンカで涙を流す事はよくあることだろうが、理由もない一方的な事で泣かせるな。」
 フェミニスト……とはまた根本的に違うような気がするが、フリュードはフリュードなりの考え……いや、信念を持って性欲使いをやっているらしい。
「そうか。性欲使いの認識を改めないとな。」
「……食欲は片方が片方を一方的に搾取し、睡眠欲は自己完結。他人を巻き込んで双方ハッピーなのが性欲だ。リンゴを食べたいと思ったのは食欲だが、おれらが生まれたのはアダムとイブが欲情したからだ。性欲をいやらしいの一言で下に見るなよ? 男女の合体はこの世で最も美しい歓喜の光景だ。」

 なぜだか最後は性欲についての話になったが、オレはオレの現状というのを理解した。
 キャメロンはやっぱりオレの目標だが……キャメロンになりたいワケじゃないはずだ。オレはキャメロンのようになりたいんだ。

「……柄にもなく忠告なんかしたが……勘違いするなよ。これはヘロディア嬢を思っての事だ。」
「……わかったよ。ところでフリュード。」
「あん?」
「タバコ、ちゃんと拾っていけよ。」


「あなたは誰になろうとしているのですか?」

 眼球マニアのその言葉を聞き、スッテンとことねさんとライマンくんは眉をひそめたが、オレは笑いながら、だけど至って真面目に答えた。

「ある人に……な。だけど今は『オレ』になろうと思っているよ。」
 オレがそう言うと、眼球マニアは驚愕の顔を喜びの顔に変えた。
「美しいですね。」
 眼球マニアはオレたちをもう一度見つめ、校舎の方を向いた。
「立ち話も疲れますからね。中へどうぞ。私の部屋に案内しますよ。」


 眼球マニアの部屋だと言うその場所はいたって普通の部屋だった。名前の通り、ホルマリン漬けにされた眼球が並んでいるのかと思っていたのだが……
『ウウン? ガンキュウハナイノカ?』
 オレのこころを読むかのようにスッテンがそう言った。
「たまに持ってきますが……ここには置いていません。眼球は研究室の方にありますよ。」
『『イリョウギジュツケンキュウジョ』カ。』
「そうです。ささ、こちらへ。今お茶をいれますので。」
『オカマイナクダ。』
 オレたちは部屋の真ん中に置いてあるソファに座り、眼球マニアは棚に置いてあるカップや茶葉をカチャカチャといじり始める。
「本来なら――」
 お茶を淹れながら、眼球マニアが申し訳なさそうにしゃべる。
「様々な理由があるとは言え、《ヤブ医者》が二人、遠路はるばるスクールに来たのですから、出迎えるのは我が校の校長であるべきなのですが……急な用事ができましてね。緊急の会議だそうです。」
「会議?」
 会議と聞くと『半円卓会議』しか思いつかないオレだったが、スッテンは納得した感じで頷いた。
『スクールトイッテモ……イヤ、スクールトイウノダカラトウゼントモイエルカ。チイキノヒトヤウエノニンゲントノカイギノヒトツヤフタツ、アルダロウ。』
「そういう雰囲気ではありませんでしたね……」
 眼球マニアがオレたちそれぞれの前にお茶を置く。
「私の所感ではありますが……事によっては私たちが動くことになるような……そんな事のような気がしますね……」
 私たち……つまり《ヤブ医者》という事か。
『アッハッハ。ソレハソレデナットクデキルトイウモノダ。ナニセ、コノバニハ《ヤブイシャ》ガサンニンイルノダカラナ。コレガ《デアウルス》ノケイサンドオリトイウコトハジュウブンニアリエルハナシダ。』
「《パンデミッカー》が活動を再開したそうですからね。聞きましたよ、ニック・フラスコの件。」
「《デアウルス》からか?」
「ええ……《パンデミッカー》の名前が《お医者さん》界を震撼させていた頃、私はまだまだ勉強中の身でしたが……あの恐ろしさは覚えていますよ。」
『ホウ。ソノイイカタダト、アッタコトガアルノカ? メンバーノダレカニ。』
「偶然ですがね。たまたまいたとある講演会で……その場にいた一人の腕のいい《お医者さん》を狙った、当時ランカーと呼ばれていた《パンデミッカー》の中でも手練れの一人に遭遇しましたよ。」
「……」
 オレは、前に《イクシード》に聞いた話を思い出す。
 キャメロンが二番目でアウシュヴィッツという人物が一番。三番目にモロー、四番目に……現トップのアリベルト。他に六人で計十人で構成されるランカーと呼ばれていたメンバー。
 キャメロンと《イクシード》のコンビが実質最強だったから二人とも苦戦はしなかったらしいが、実際、普通の《お医者さん》が相対したら……ランカーは化け物にしか見えないそうだ。
「今や《ヤブ医者》の一人に数えられている私ですが……あの頃と変わらず、彼らと戦うとなったら私は無力でしょうね。」
『アッハッハ。ムキフムキハアル。キニスルナ。』
「ん? そう言えば眼球マニア、あんたの治療法ってのは……」
「ああ。術式ですよ。別段特別でもない、オーソドックスなね。私が《ヤブ医者》に選ばれた理由は単純な技術力だと思いますよ。これでも研究者なので。」
 本人はこう言うが……たぶん、オーソドックスはオーソドックスでも、普通はできないような、それこそ禁術と呼ばれるような術を軽く使ったりするんだろう。《ヤブ医者》というのは大体そんな連中だ。
 自分で言うのもあれだが。

「あの……」

 ぼそりと、オレの横で呟く声。見るとことねさんがライマンくんと一緒に困った顔でこっちを見ていた。
『オットット。コチラノハナシデモリアガッテシマッタナ。』
「これはこれは。私としたことが……他の《ヤブ医者》に出会うのは久しぶりなもので。本題を話しましょうか。」
 眼球マニアは申し訳なさそうに笑い、腕を組む。
「話としては単純です。我が校の生徒の一人が、勉強の為に留学した先で危ない目に遭いました。スクールには責任がありますから、我が校の校長は事の一部始終をその生徒のご両親に報告し……それを聞いたご両親は子供の事が心配になりました。そこで一度その生徒に戻ってきてもらい、元気な所を見せて安心していただこうと……そういうわけです。その生徒は優秀故に留学をしましたから……スクールとしては是非立派な《お医者さん》になって欲しい……妙な遺恨を作らぬよう、その辺りをきっかりとして置きたい。それが我が校の校長の意思です。」
「……そんで頼まれてもないけど、オレはオレとして監督責任ってのがあるから……ここに来た。」
「頼まれていないなどと、卑下しないで下さい。こちらとしては有難い事なのです。」
『ゥワァタシハソンナタノマレテモナイジンブツヲココマデハコンデキタ。ソシテソノデシモヒョッコリトツイテキテ、ケッカ、コンナメンツガソロッテイルノダナ。』
 何やらスッテンは楽しそうに笑っている。もちろん、顔は見えないが雰囲気がそんな感じだ。これでも顔の無い家族との付き合いが長いからか、そういう感情を読むのはそこそこ得意らしい。
「では、早速行きましょうか。」
「ん? もう行くのか? ていうか今行くのか? オレたちは結構いきなり来たんだが……ライマンくんのご両親の都合とかは……」
「ご心配なく。予め《デアウルス》からあなた方がこちらに来る時間は聞いていましたで、ご両親には連絡済みです。我が子の帰りを今か今かと待っている頃でしょうね。」
「さすが《デアウルス》……」

 眼球マニアが淹れてくれたお茶を飲み終え、オレたちは車に乗ってライマンくんの実家に向かう。その車というのがまたしてもリムジンだったから、オレはもう一度「さすが《デアウルス》」と言ったのだが、眼球マニアが「これは私のです。」と言ったもんだからビックリした。
 無論、私のですと言っても眼球マニアが運転するわけではなく、オレたちは眼球マニアの運転手が運転するリムジンの無駄に広い空間に座った。
 ……どうでもいいが、スッテンがリムジンに乗っているという光景はドッキリカメラか何かにしか見えなかった。
「僕の親、腰をぬかさないカナ……」
 ライマンくんがスッテンを見てそう呟いた。


 眼球マニア……さんのリムジンで十五分。私たちは住宅街の中、一件の家の前にとまった。家と言っても、私が……日本人がイメージするような家とはちょっと違くて、なんというか……平たい。それにお庭が広い。サッカーができるくらいはある気がする。
「ライマンさんてお金持ちなんですか?」
「ンン? 別にそうでもないと思ウゾ? これくらいの庭、ここら辺の家ならみんな持ってルシ。」
 ……国の面積が大きいと一件あたりの面積も大きいのかな……
「あ、そウダ。ことね、靴は脱がないんダゾ?」
 ライマンさんが妙に自慢げにそう言った。私もそれくらいは知っているけど……実際靴を脱がないで家に入るというのは変な気分だ。

「ローラ!」

 ライマンさんがただいまと言う前にライマンさんのご両親が出てきた。当たり前かもしれないけど、二人とも金髪で青い目だ。
「ちょっとだけ帰ってきタゾ。」
「元気そうで良かった……」
 ご両親に抱き付かれてかなり恥ずかしそうにワタワタするライマンさん。そんな家族のスキンシップが一段落したとこで、眼球マニアさんが一歩前に出る。
「初めまして。私はスクールで講師を務めているジョン・スミスです。」
 かなりさらりと、なんだがよくありそうなアメリカ人の名前を名乗った眼球マニアさん。それに続いて先生が自己紹介する。私もした方がいいかなと思っているとスッテンさんに肩を叩かれた。
『コノサキハメンドウナカイワガツヅクダロウ。ゥワァタシタチハソトデマッテイルトシヨウカ。』
「え……いいんですか?」
『ツイテキハシタガ、ゥワァタシノジコショウカイヲハジメルトマトマルハナシモマトマラナイダロウ?』
 ふと前を見ると、眼球マニアさんと先生の自己紹介を聞いているライマンさんのご両親は、目をパチクリさせてスッテンさんを見ていた。不謹慎だとか無礼だとかを通り越して意味がわからないという顔だ。
 それに……この訪問はどっちかというと謝りに来た感じだし……私が何かを言うのも変かもしれない。

 こうして、私とスッテンさんは車の横に立っていることにした。
『ソウイエバ、コノマエワタシタジショハツカッテイルノカ?』
 この前の辞書……『半円卓会議』の後、ファムさんの家に行って先生がファムさんに……アレをしている時にスッテンさんがくれた万能辞書。
「はい。すごく便利で……」
『ソレハナニヨリ。モトモトレイノノート……キョーマノセンセイガノコシタトイウシリョウノカイドクノタメニワタシタモノダッタガ……コノマエノムカシバナシデワカッテシマッタ。トハイエ、アレハガイヨウデアッテショウサイデハナイ。ゥワァタシハソコガシリタイカラナ……デキレバ、ヒキツヅキカイドクヲオネガイシタイノダガ……』
 ノートの解読。ちょっとずつ読み進めてはいるけど……やっぱり内容が難しいから、色々な事を調べながら読む形になっている。
「……スッテンさんが自分で解読した方が早いかもしれませんよ?」
『アッハッハ。ソレハソウダロウガ、キガノラナイノダヨ。ショウライソノギジュツヲツグカモシレナイコトネヲ……キョーマカラノートヲモラッタコトネヲサシオイテサキニナカミヲシルトイウノハイササカテイコウガアル。』
 スッテンさんが腕を組みながら少し上を……たぶん空を見る。
『ミチナルコトヘノキョウミハタシカダガ、ウシロメタサヲモッテトリクミタクハナイ。イマハイイジダイナノダカラ。』
「時代ですか。」
『……シッテイルカ、コトネ。イマデハダレモガツカッテイルインターネット、アレハセンソウチュウノジョウホウセンノタマモノナノダ。センソウニヨッテカガクハオオイニススンダガ、トウノホンニンタチハフクザツナキブンダッタロウ。シカシソウイウカタチデシカカガクシャヲナノレナカッタ。カレラガツクッタイマノジダイ、カレラガデキナカッタノビノビトシタケンキュウヲ、ゥワァタシタチハヤルベキナノダヨ。』

 その後、科学の進歩の歴史について長い話を聞いている内に先生たちが出てきた。だけどライマンさんはいない。
「ライマンくんは今日、家に泊まるって。」
「せっかくですから……と言うよりは、ご両親が泊まっていきなさいとライマンに迫ったのですがね。」
『ソレデ、ドウダッタンダ。ガッコウトセイトトソノオヤノメンドウソウナカイワハ。』
「予想通りというか、オレと眼球マニアは結構怒られたよ。スクールをやめさせるとかいう話にもなりかけたけど……ライマンくんが色々と説得してくれた……そんな感じかな。」
『アッハッハ。』
 スッテンさんは何がおかしいのか、笑いながらリムジンのドアを開ける。
『ソレデ、ゥワァタシタチハ?』 
「ライマンは明日にならないと帰ってきませんから、スクールの方に泊まっていかれては? 部屋ならありますし、何より寮の生徒が喜びますよ。」
「喜ぶ?」
 先生が首を傾げながらリムジンに乗り込む。すると眼球マニアさんがため息をつきながら後に続いた。
「安藤、あなたは《ヤブ医者》なのですよ。スクールにおいて《ヤブ医者》とは、スポーツ選手を目指す者にとってのオリンピック選手です。自分で言うのもなんですがね。」
「……そんなにか。」
「私が何人か紹介していますし、生徒たちの関心は大きいですよ。」
『ガンキュウマニアモソンナフウニミラレルノカ? アコガレノタイショウトシテ。』
「ええ……まぁ。しかし私はここで長い事講師をやっていますからね。珍しさはもう無いでしょう。そこへお二人のような目立つ《ヤブ医者》です。皆、興味津々でしょう。」
「え……スッテンはともかくオレも?」
「先生、年がら年中便所サンダルの人は目立ちますよ。」
「そうかな……」
 思うに、先生はキャメロンさんをずっと見ていたから自分の格好がどれくらい変なのかということにイマイチ関心がない。
「服装の話ではありませんよ。未だその技術が謎の《ヤブ医者》。世界で唯一、切り離しを行わずに治療を行える《お医者さん》。人が集まるには充分な事実をお持ちですよ? 安藤は。」
『タダデサエ、《ヤブイシャ》ノチュウモクヲアツメタンダシナ。カクゴスルトイイ。』
 リムジンがスクールに向けて出発する。先生はスクールに近づくにつれて鬱々とした顔になっていく。
「注目されてもなぁ……オレが教えられることは何もない。治療法のアドバイスもできないし……なんかガッカリさせてしまいそうで嫌だよ……」
 不安……というか、心底嫌だという顔をしている先生。
「……なんだか先生のそういう顔、初めて見ましたよ。大抵、なんだかんだ何とかなるだろうっていう感じの顔ですから。」
「オレがことねさんの大爆笑を見たことないのと同じ感じだよ……きっとこれはオレのレア顔なんだよ……」
『アッハッハ。キョーマニモニガテナコトガアルトイウコトダロウ。』
「注目される事が苦手ですか? 安藤。」
「……昔の経験からかな……人と違うって感じに注目されるのは苦手だ。」
 人と違う……『異常五感』を制御できていなかった頃の先生ということだろうか。
「二人にはないのか? 苦手な事。」
 先生が暗い顔でスッテンさんと眼球マニアさんを見た。
『ゥワァタシハコドモガニガテダ。』
「え、そうなんですか?」
 思わずそう言った私を見て、スッテンさんが首を傾げる。
『ウン? ソンナニオドロクコトダッタカ?』
「いえ……スッテンさんは科学者ですから……なんかこう、科学者にとっては子供の無邪気な発想がいいとか、そんな事を聞いたことあるので……なんとなく。」
『ムジャキナハッソウカ。ソレハマァミトメナクモナイガ……ゥワァタシガニガテナノハコドモトイウイキモノソノモノダヨ。チナミニ、ゥワァタシノイウコドモトハショウガッコウノテイガクネンヤヨウチエンノネンダイノコトダ。』
「ああ……頭の良い方がたまに言いますね。理論的でないとか、理解できない生き物だとか。やはりコロリンもそうなのですか。」
『ソンナトコロダ。ヒトガ「ドウブツ」カラ「ニンゲン」ニナルチョウドサカイメ……ホンノウニマカセテウゴクノデハナク、アルテイドノチセイヲモッタウエデヨクボウニシタガッテウゴクイキモノ。アレホドイミノワカラナイイキモノハホカニナイ。』
 淡々と、それこそ理論を話す学者のようにそこまでしゃべると、スッテンさんは突然笑い出す。
『アッハッハ。トイウノハタテマエトシテ、ジッサイ、カンジョウヲコントロールデキズニショッチュウバクハツサセルアノフアンテイサニイラダツノダガナ。』
「ぶっちゃけたな、スッテン。」
『アッハッハ。キライナモノハキライナノダカラシカタガナイ。』
「眼球マニアはどうだ? 何かあるか?」
「私は……コロリンと少し似ているところがあるかもしれません。」
「と言うと?」
「理解できないから苦手。私のそれは深海生物です。」
「何でまた……」
「目が無いからですよ。」
 眼球マニアさんはふふふと笑う。
「目を見れば、私はそのモノの大抵の事がわかります。そんな技術が身についていますから、目が無い生き物は私にとって理解できない生き物に映るのですよ。未知故に恐怖するのです。」
「なまじ変な技術が身についてるからこそ……か。」
 面白そうに話を聞いていた先生は、当然の流れとして私を見た。
「ことねさんは何かある?」
「……球技ですかね。」
「? ことねさんスポーツ苦手だっけ?」
「いえ。身体を動かすことは好きですけど、ルールのあるモノはちょっと。」
『ナルホド。タンナルカケッコナラヨイガ、ソコニルールヲモウケテキソウトナルトイヤナタイプカ。』

 そんなどうでもいい話をしている内にスクールに到着する。
「先生。泊まるって言っても、日帰りのつもりでしたから着替えとかありませんよ。」
「そうだけど……ほら、こっちは夕方だけどさ、実際オレたちが起きたのはついさっきだよ? 着替えるほど服も汚れていないというか……」
「そう言えばそうでしたね。」
『アッハッハ。ライマンモソウダロウガ、ソモソモネムレナイダロウ。』
 スッテンさんがそう言うと、待ってましたと言いそうなニッコリ笑顔で眼球マニアさんが私たちを見た。
「そうですよね? ですから、少々イベントを。」
眼球マニアさんに連れられて、私と先生とスッテンさんは、何故か体育館のような建物の前に来た。
「眼球マニア。ここは?」
「私も講師……教師の端くれですから、生徒には良い学び場を提供したいのです。」
『ナンノハナシダ?』
「先ほど言いましたが……生徒はあなた方に興味津々です。自宅生の為に、明日も時間を設けたいと思っていますが、とりあえずは寮生に対してですね。」
「?」
「あと五分もすれば生徒がここにやってきますので。」
「んな!?」
「偉大なる《ヤブ医者》のお二人から、皆が何か得られると幸いです。」
 眼球マニアさんは、今までで一番楽しそうな……意地悪な笑顔でそう言った。ずっと紳士なイメージだったけど……こういう顔もする人なのか。

 数分後。ノートとかカメラとか、色々なモノを持って結構な数の生徒が建物にやってきた。眼球マニアさんの誘導に従い、生徒たちは学校でよく見る朝礼みたいに、きれいに整列して体育座りした。
 先生とスッテンさんは用意されたパイプ椅子に座り、生徒たちと向かい合っている。眼球マニアさんが二人の紹介をした後、生徒たちの質問攻めが始まった。
 スッテンさんは顔が見えないから何とも言えないけど、先生はものすごく緊張した困り顔で質問に答えていた。あれをテンパるというのだろう。あんな先生は初めて見る。
 私は入口近くに座り込み、そんな先生を眺めていた。私は本当にすごい人に《お医者さん》を教えてもらっているんだなぁと、日頃の先生を思い出しながらそのギャップに一人笑っていた。

「あら。何の騒ぎなのかしら。」

 正直かなり驚いた。入口の横に座っていた私の横に、突然人が現れてそう呟いたのだ。別に瞬間移動をしたわけじゃないけど、生徒は全員あそこに体育座りしていると思っていたから誰かが私の横に立つとは思っていなかったのだ。
「? 見ない顔ね。」
 その人物は自分の足元に誰かが座っている事に気づき、私を見た。

 怖い。それが第一印象だった。
 井戸から出て来る幽霊のような真っ黒で長い髪。ギリギリ見える目は半分しか開かれていない。だけどその半目は気だるげと言うよりは何かを吟味しているかのようだった。何故かニタリと笑っている口元と合わさって、何か悪巧みしているように見える。
 サイズが合っていないのか、袖が長くて手が見えず、裾が長くて足が見えない。そんな上下を身に着け、しかもその色が白。
 幽霊のコスプレと言うには真に迫りすぎている。そんな格好の女性が、これまた真っ白なスーツケースを片手に私の横に立っていた。

「入学式はまだ先だから……編入生? あの状況を知っているのなら、お姉さんに教えてくれないかしら?」
 怖い外見だけど、《デアウルス》さんみたいではない、綺麗な声だった。
「えっと……《ヤブ医者》が来たという事で……皆さん色々と質問を……」
「《ヤブ医者》? あそこの……白衣の方と鎧の方が?」
「そ、そうです。」
「へぇ……お姉さん、眼球マニア以外は初めて見たわ。面倒な用事でこっちに戻されたけど、良い事もあるものね。」
「あの……もしかして日本人ですか?」
 こんな外見でアメリカ人という事は無いだろうと、私は思わず聞いてしまった。
「そうよ? そういうアナタは……あの質問会に混ざってないという事は、スクール側ではなく、あちらの《ヤブ医者》関係の人? 白衣の方は日本人っぽいからアナタも?」
「は、はい。日本人です。溝川ことねと言います。」
「あら、綺麗な名前ね。」
 女性は本当にそう思っているのかどうなのか、意地の悪い感じにニタリと笑ってこう言った。
「お姉さんは宇田川妙々よ。」
 うだがわ……みょうみょう!?
「! それじゃ――」
 私がその後を言う前に、女性はスーツケースを引きずって、先生と生徒たちの中に入って行った。


 《ヤブ医者》質問会が終わったのは夜中の二時だった。と言っても、私たちは全然眠くないので、スクールの寮の談話室みたいな所で飲み物を飲みながら一息ついていた。
 私とスッテンさんは至って普通だけど、先生はげっそりしていた。
『アッハッハ。ナンダカオモシロカッタナ。』
 スッテンさんは自動販売機で買ってきた缶ジュースにストローを挿して兜の……覗き穴? からズズズと飲んでいる。
「どんな質問をされたんですか? やっぱり治療法についてですか?」
「……いんや……例えば……子供の頃から《お医者さん》を目指したのかとか、彼女はいるんですかとか、好きな食べ物は何ですかとか……」
「教育実習に来た人にする質問ですね……」
「どうもスクールにはルールがあるみたいでね。」
「ルール?」
「今日のオレらみたいに、ふとやってきた現役の《お医者さん》には治療法についての質問をしないっていうね。」
「? どうしてでしょうか。」
 《ヤブ医者》の治療法なんてスクールの人にとっては真っ先に聞きたい事なんだろうと思っていたのだけど……
『《デアウルス》ガキメタノダロウナ……』
 スッテンさんがストローを兜の隙間に挿したままこっちを見る。
『《ヤブイシャ》トイウセイドカラモワカルトオリ、《オイシャサン》ノセカイハツネニアタラシイチリョウホウヲモトメテイル。ヴァンドロームガセンサバンベツナノダカラ、チリョウスルガワモセンサバンベツノホウホウヲモッテイナクテハナラナイ。』
「現役で活躍している人の治療法っていうのは確かに参考になるけど、自分の治療法を確立できてない生徒からしたら……それは参考以上に、一つの正解になってしまうって話だろうね。誰だって、確実に成功する方法を選びたいじゃない。」
「……つまり、よりヘンテコな……もしかしたら万能の治療法が生まれるかもしれない可能性を無くさないように……余計な知識を与えないってことですか?」
『オソラクナ。ダガカワリニ、ヤッテキタ《オイシャサン》ジシンニツイテノシツモンハスイショウシテイルヨウダ。』
「それはまたどうして……」
「それはたぶん、《お医者さん》に向いている人ってのが無いからじゃないかな。」
「?」
「ほら、例えばスポーツ選手ならさ、運動できることはそこそこの条件でしょ? 《医者》とか弁護士さんとかは試験があるから、そこそこの学力が要る。でも《お医者さん》は……言い方はひどくなるけど、馬鹿でも天才でも、スポーツ万能でも運動音痴でもなれるんだよ。」
『ヨウスルニ、コノショクギョウノヒトトイウノハダイタイコウイウヒト……トイウガイネンガホカノショクギョウヨリモキハクナンダ。』
「だからこそ、こんな人でもあんな人でも《お医者さん》になれる……きっとそういう事に気づいて欲しくて、さらに言えばだからこそどんな治療法でも良いんだよって伝えたい……のかな。」
「《デアウルス》さんって教育熱心ですね……」
『アッハッハ。ソレトハチガウキガスルガナ。』
 笑うスッテンさんを見て、先生が思い出したように話題を変えた。
「そういえばスッテン。面白い質問されてたな。」
『ウン?』
「『スッテンさんは男ですか、女ですか』って。」
「? 男の人じゃないんですか? しゃべり方からして……」
『アッハッハ。ツイサイキン、オトコノフリヲシテイタオンナヲシッタバカリダロウニ。』
「そ、そうですけど……」
『マァ、ソウゾウニマカセルカナ。アッハッハ!』
「スッテンが実は女でしたってか……あり得そうなのがなんだかなぁ……」
『モシカシタラ、アルバートハオンナカモシレナイシ、ファムハオトコカモシレナイゾ?』
「あの二人の性別が逆だったらもう何も信じられないな……んまぁ、それはないだろ。」
『ホウ?』
「アルバートは男だからより男らしく、ファムは女だからより女らしく……そうあろうとして今、ああなったんだぞ?」
『タシカニ。ダンジョビョウドウノゴジセイニ、オトコハドウアルベキデ、オンナハドウアルベキカヲカタルフタリダカラナ。』

 こっちの時間的には深夜真っ只中。だけど私たち……いや、正確にはスッテンさんのおしゃべりは尽きる事はなかった。まるで、久しぶりにあった親友に積もり積もった話をするように、本当に楽しそうに話すのだ。
 こんな時を待ち望んでいたみたいに。


 気がつくと日が昇っていた。経過した時間を考えると、夕方に来て今次の日の朝なのだから、丸十二時間。私たちが起きた時間で考えると、日本は夜。身体的にはそろそろ寝る状態なのだけど、太陽が出ている状態で寝る気は起きない。まぁ、どうせライマンさんと合流して……眼球マニアさんが昨日言ってた「自宅生の為の質問会」を終えたら帰ることになるし、そうしたらきっと日本は真夜中だから、そこでぐっすり眠れるはずだ。

 こっちの時計で八時頃、自宅生の生徒が登校してきた。スクールは言わば専門学校だから、もちろん制服なんてものはないし……そもそも海外の学生の制服というのは想像できないけど、ともかく、私からしたら私服で登校する学生というのは新鮮な光景だった。
「おはヨウ。」
 ライマンさんが来るだろうと、校門で待っていると少し疲れた顔のライマンさんがやって来た。
「一晩中質問攻めにあっタヨ。」
 ぐったりしたライマンさんが昨日の先生と被る。
「そうだろうね。ご両親、正直(お医者さん)の事をあんまり知らない感じだったしね。スクールに入る時に説明しなかったの?」
「前にお母さんを治してくれた人が使ってた技術を学ぶって事しか言ってなかったンダ。」
「それじゃあかなり心配してたはずだよ。仕方ないね。」
「これがジゴクトクトクというやつなんダナ……」
「うん、たぶん自業自得だね。」
「でも大丈ブダ! ちゃんと説明したしわかってくれたタゾ! 僕は《お医者さん》になるンダ!」
 グッとグーにした手を挙げるライマンさん。
『イッケンラクチャクダナ。メインイベントハオワッタガ……キョーマ、ゥワァタシタチニハモウヒトツミッションガアルゾ。』
「質問会だろ……」
「質問カイ? なんだソレ?」
「実はね――」

「あら? ライマンじゃない。」

 先生が事の成り行きを説明しようとした時、視界の隅に真っ白な人が映った。
「! ミョン!」
 その人を見ると、ライマンさんはすごく嬉しいけどビックリしているという器用な顔になった。
「みょん? もしかしてライマンくんが言ってた……」
 先生がそう言うと、ライマンさんは白い人を引っ張って自分の横に立たせた。
「紹介すルゾ! 宇田川ミョンダ!」
「お姉さん、そんな名前じゃないわよ。」
『ンン? キノウノシツモンカイニイタナ。トチュウカラハイッテキタ……』
「そうだけど……一応自己紹介するわ。お姉さんは宇田川妙々。ライマンの……お友達よ。」
 普通に自己紹介しているだけなのだけど、悪巧みしているような顔だから偽名なんじゃないかと思ってしまう。
「そうか。君が宇田川さんか。オレは安藤享守。今、ライマンくんの最終試験の……担当というか相手というか、そんな感じの事をやってる。」
「へぇ、ライマン、アナタ《ヤブ医者》の所に行っていたのね。」
「そウダ! 羨ましいだロウ!」
 エッヘンというポーズをとるライマンさん。
「えっと……昨日も言いましたけど、私は溝川ことねです。先生……安藤先生の所で《お医者さん》の勉強をしてます。」
「なるほど、そういう関係だったのね。」
『ソシテゥワァタシガスッテン・コロリンダ。《ヤブイシャ》デキョーマノトモダチダ。』
「すってんころりん……面白い名前ね。」
『ニホンジンニハタイテイソウイワレルナ。』
「あ、ちなみにこの人たちは僕の本名を知っていルゾ。性べツモ。」
「そうなの? それじゃあローラって呼んだ方がいい?」
「えーっと……ライマンがいいカナ。」
「そう。それで……アナタはどうしてここにいるの?」
「ミョンコソ。」
「お姉さんは……家の用事よ。」



 突然だが、名門と呼ばれるくくりが色々な世界にある。今でこそ、頭のいい学校とかの呼び方の一つくらいにしか使われない言葉だが、人が馬に乗って人と戦っていた時代にはそう呼ばれるくくりがたくさんあった。
 騎士の名門、武士の名門……何かの分野における技術やノウハウを代々受け継いできた家に対して使われる言葉であり、実際そこで学んだ者はその世界において優秀な者として活躍する。
名門と呼ばれるにはそれなりの歴史を積む必要があるわけで、それはつまり、古い歴史を持っている世界では名門と呼ばれるくくりが結構な確率である……という事につながる。
 《お医者さん》の歴史はかなり古い。わかりやすく言うなら、《お医者さん》の歴史というのはオカルトの歴史だ。占い師、予言者、妖術使い、魔法使い、錬金術師……呼び方は様々だが、そういう非科学的な事を行うとされていた人々は、その九割が今で言う《お医者さん》だ。
 当時錬金術師として名をはせ、今は《お医者さん》と呼ばれている……そんな家系が確かにあり、それは名門と呼んで差支えない。
 要するに、昔っから《お医者さん》をやってきた名門と呼ばれる人たちが《お医者さん》の世界にもいるということだ。
 そしてそれは、独特の進化をしてきた日本の《お医者さん》界にも存在している。

 その昔、具体的にいつかは知らないが……陰陽師とかがあちこちにいて権威をふるっていた時代、日本の《お医者さん》界は四つの家……いや、流派がトップに立っていた。
 この縦長の国をどう分断したのかは知らないが、その四つの流派は東西南北にわかれてそれぞれの場所で《お医者さん》たちを指揮していた。
 そしてその四つの流派は、より権威を明確にしたかったのか、どこかのお茶目さんがそう呼んだのか、いつの頃からか自分たちを『四条』と呼んだ。
 それぞれの流派には本家と呼ばれる元締め的な家があったのだが、それらの家は本来の家名を捨てて『条』の字と自分たちが治める方角を合わせた名前を名乗るようになった。
 それが日本における《お医者さん》の名門、東条家、西条家、南条家、北条家だ。



「『四条』は不定期に集まって会合みたいのをするのよ。お姉さんの家、宇田川は北条家の分家みたいなモノだから……それに参加することになってるのよ。」
 自宅生の為の質問会を乗り越えたオレたちは、お昼の時間に宇田川さんがスクールに戻って来た理由を聞いていた。
「会合って、『半円卓会議』みたいなもノカ?」
「そうよ。まぁ、お姉さん、呼ばれてその場所に行きはするけど、実際に話し合いをするのは各家の家長だからどんな事を話しているのかは知らないわ。」
「呼ばれ損ダナ! でもどうしてここにいるのかまだわかんなイゾ? 寮に忘れ物でもしたノカ?」
「……『四条』の会合だから当然日本でやると思ってるんでしょうけど、違うわよ?」
「え、そうなノカ?」
「基本的には日本よ。でも今回の会合を仕切るのは順番から言って東条家なのよ。」
「トージョーだと変になるノカ?」
「『四条』は日本の名門だから、結構保守的よ。でも東条家は海外とのつながりをもっと持って外の技術も取り入れるべきって考えなのよ。だから弟子に日本人以外をとったりするわ。」
「そウカ! だからトージョーが仕切る時は日本から出るノカ!」
「他の『四条』からは文句たらたららしいけど……仕切りは順番っていうのが決まり事だから東条家がやるときはしぶしぶ海外っていうのが多いみたいよ。それで今年はアメリカ……たぶん東条家がスクールを見てみたいからなんだろうけど、この近くで今年はやるのよ。」
「だからここにいるノカ。」
「それで? ライマンはどうしてここにいるのよ。」
「安藤先生といっしょに《パンデミッカー》と戦ったらお母さんたちが心配しちゃったから元気だよーって言いに来たンダ。」
「《パンデミッカー》? ってあの? どういうことよ。」
「僕も頑張ったんダゾ。実は――」
 ライマンくんが宇田川さんに説明を始める。それをぼんやり眺めていると、ことねさんがオレの白衣の袖を引っ張った。
「どうしたの?」
「あの……『四条』のことなんですけど……」
「うん。」
「もしかして……詩織ちゃんって……」
「南条詩織ちゃんか。うん、たぶん南条家の人だと思うよ。」
「やっぱりですか。すごい家の人だったんですね……まだ見た事ないですけど、すごい技術を持ってたりするんですかね? あ、もしかして南条家は代々ヴァンドロームを自分にとりつかせる……とか……」
「それはないかな。詩織ちゃんやことねさんみたいなケースはかなりレアだからね。それに……逆にそのせいで微妙な立ち位置のような気がするよ。」
「? どういうことですか?」
「これは《デアウルス》から聞いた話なんだけどね。日本に限らず、歴史上、名門と呼ばれる所で学んだ《お医者さん》が《ヤブ医者》になったことはないんだ。言い換えれば、《デアウルス》が名門出の人を《ヤブ医者》に選んだことがない。」
「名門の人たちは……すごい技術を持ってるんですよね……?」
「《デアウルス》に言わせるとね、名門出の《お医者さん》はただの秀才。技術を立派に受け継ぎ、時々それに改良を加えるだけ。ゼロから生み出した天才ではないってね。その家に生まれてある程度の才能があれば持てる技術は評価の対象にならない……《デアウルス》が欲しいのは、その人だからたどり着けた、極めることのできた技術なんだってさ。『ブロックをたくさん使ってすごいモノを作る者よりも、今までに無かった形のブロックを作る者の方が、可能性の量は桁違いだ。』ってね。」
「……それが詩織ちゃんの立ち位置に関係するんですか?」
「名門の人たちはね、昔は何とかして《ヤブ医者》の中に入ろうとしてたみたいなんだけど……結局誰もなれなかった。だから段々と……嫉妬っていうのかな。古い歴史を持つ自分たちが《お医者さん》の世界を動かしていくメンバーになれないって事に怒るようになって……結果、名門の人たちは《ヤブ医者》を毛嫌いするようになったんだ。面白い事に、世界中のどの名門もね。」
「行き着く考えは同じってことですか。あ、それじゃ詩織ちゃんは……」
「そう。日本の名門、『四条』の一つである南条家が、その家の人間を《ヤブ医者》の下で学ばせようなんてことは普通あり得ない。だけど詩織ちゃんの場合はそうせざるを得なかった。とりつかれたんじゃなくて、住処にされてしまった場合の対処の仕方を知っているのは鬼頭だけだったってことだね。」
「それじゃあ……なんかドラマみたいですけど、詩織ちゃんは家では厄介者みたいなってたりしないですかね……心配です。」
『かかっ。それはないだろう。』
 いきなり《イクシード》がオレの白衣の下から顔をのぞかせた。
「《イクシード》さん……なんかそうやって出てくると先生がお人形を抱えてるみたいですね。」
『かかっ。キョーマは絵本好きだが人形は趣味ではないようだぞ。』
「何の話だよ……」
「それで……どうして『それはない』んですか?」
『かかっ。ことねよ、それを一番理解できるのはお主だろうに。』
「?」
『かかっ。《オートマティスム》はことねに危機が及ぶと何をする?』
「えっと……念力とかを起こして――まさか詩織ちゃんも……?」
『かかっ。せっかく見つけた安住の身体、ヴァンドロームはそれを守ろうとする。その南条詩織とやらにとりついているのはどんなヴァンドロームなんだ?』
「《ノーバディ》っていうBランクのヴァンドロームです。」
『かかっ。ならば尚の事安心だろうな。』
「どうしてですか?」
『かかっ。恐らくこれは……経験した者しか知らない事実であろうがな……例えば我の場合、パーフェクトマッチの安藤の身体に住んでいる。水を得た魚とでも言うのか……我の力は二~三倍に跳ね上がっているように感じる。『強制五感』も『身体支配』も、キャメロンの中にいた頃とは比べモノにならない精度と威力になっている。理屈はよくわからないが、ヴァンドロームは相性の良い身体にとりついた時、その力が上がるようなのだ。』
「それじゃ《ノーバディ》も力が? あ、でもこれはパーフェクトマッチの話ですよね……」
『かかっ。言ったであろう、相性の良い身体にとりついた時と。確かにベストはパーフェクトマッチなのだろうが、それとは別に相性があるはずだ。そうでなければ《ノーバディ》も《オートマティスム》もずっととりつきはしない。恐らく、両者とも自身の力の増大を感じているだろう。二~三倍とはいかずとも、一・五倍くらいはな。』
「《ノーバディ》はBランク……元々A、Bランクって結構強いし、そいつの能力が一・五倍となって詩織ちゃんを害から守るとすると……相当恐ろしいな。」
『かかっ。嫌がらせも、厄介者だと罵ることも……物理的だろうと心理的だろうと、その南条詩織が不快や悲しみを感じれば《ノーバディ》は動くだろう。名門から出て《ヤブ医者》の所にいる事で安心、安全になっているのは南条詩織ではなく、南条家の人間だ。』

「南条?」

 ライマンくんから事情を聞き終えた宇田川さんがオレたちの会話に入って来る。んまぁ、《イクシード》は一瞬でいなくなったが。
「はい。私の友達に南条の人がいるんです。」
「へぇ。ならその子もこっちに来るのね。」
 宇田川さんはニタリと笑い、オレの方を見た。
「ライマンから聞いたのだけど、安藤先生は……その、小町坂先生と親しいとか?」
「そうだけど……」
 突然出てきた小町坂の名前に少し驚く。だけど、ふとライマンくんが診療所にやってきた頃の事を思い出し、合点がいった。
「ああ! そういうことか。」
「先生、何に納得したんですか?」
「いや、ライマンくんがこっちに来た時さ、どうして小町坂の事を知ってるのかと思ってたんだけど……宇田川さん経由だったんだね。」
 確かに小町坂は日本系術式においては頂点に近いと思う。だけどそれは世界レベルでそう思われているってわけじゃない。日本の《お医者さん》と言えば小町坂ということにもなってない……そんな小町坂の名前がアメリカから来たライマンくんの口から出てきた理由。それは『四条』の関係者で、日本系術式の使い手に関する話なら普通よりも耳に入って来るだろう宇田川さんがいたからなわけだ。
「ええ……『四条』で有名だったから。あの卜部先生の弟子の一人で、実際に彼の技術の全てを受け継いだ人間だと。」
「ウラベ? あの占いの人ってそんなに有名だったノカ?」
 ライマンくんがひょっこり話に入って来る。
「アナタ卜部先生にも……いえ、確かもう亡くなってるはずだわ。どこかで聞いたのね。」
「安藤先生に聞イタ。」
「……日本系術式の頂点は『四条』……それが当たり前だったんだけど……ある日、それを覆す人物が現れたのよ。それが卜部相命。」
「占いデカ。」
「そう……そこがすごいのよ。日本系術式は威力が無いっていうのが通説だけど、まるで威力の無い……呪いとか清めとかじゃないただの占い。確かにあらゆる日本系術式の原点はそこって言われてるけどそれで《お医者さん》をやろうって人はいなかったわ。だけどそれをやってのけて……仕舞いには日本系術式の禁術まで会得した……すごい人なのよ。」
「ふーン。なんだか《ヤブ医者》みたいダナ。」
「みたいというか、ほとんど《ヤブ医者》だったしね。」
 特に考えもなく、ぼそりとオレがそう言うと宇田川さんが……まだ会ってそんなに経ってないが……珍しくニタリ顔でない、驚き顔になった。
「あー……実は卜部先生は《ヤブ医者》の候補……というか、《ヤブ医者》決定だったんだよ。だけどそう決まった時、卜部先生が自分は引退だって言ったからならなかったんだ。《ヤブ医者》の名簿に名前は無いけど、確かにそうだと認められたんだよ。」
「そう……なの……やっぱりすごい人だわ。」
 尊敬する人物がやっぱりすごい人だったとわかり、嬉しそうにニッコリと笑ったのだろうけど、「計画通りだわ」という顔にしか見えない宇田川さんだった。

『サテト、ドウスルキョーマ。』
 宇田川さんの話を聞き終え、アメリカっぽい濃い味のお昼ご飯を食べたオレたちは炭酸ばかりの自販機から奇跡的にあった水を買ってぐびぐび飲んでいた。
「どうするって?」
『ココニキタモクテキデアルライマンノケンモ、トッパツテキニオキタ《ヤブイシャ》インタビューモオワッタ。アトハ『シジョー』トヤラノカイゴウデモノゾキニイクカ?』
「『四条』は《ヤブ医者》嫌いだろう……」
 オレは目線をことねさんに移した。
「たぶん詩織ちゃんも来ると思うけど……会っていく?」
「いえ……別に日本でも会えますし……」
「僕は日本の《お医者さん》の会合、気になルゾ!」
 ライマンくんが目をキラキラさせる。
「ライマンは西洋と東洋をくっつけた術式だものね。日本系術式の使い手が集まる機会なんてそうあるものじゃないし……お姉さんじゃ教えられない術式も見られるかもしれないわ。確かに、ライマンにとっては楽しい場所ね。」
「そういえばそうだね。その場所はここから近いんだよね、宇田川さん。」
「ええ。」
「ちょっと覗くくらい良いかな……」
『《ヤブイシャ》トナノラナケレバイイ。』
「……名乗らなくてもそうだとわかりそうだけどな。スッテンは……」
「でも普通、誰が《ヤブ医者》のメンバーなのかなんて知らないものよ?」
『ホレ。ウダガワモコウイッテイル。』
「じゃあ、ちょっと覗きに行くか。その会合っていつなんだい?」
「明後日よ。」
「それじゃあ……それまではスクールの授業とかを覗いてるか。」
「あ、いいですね。興味あります。」

 ということで。オレたちは今日も普通に授業をしているスクールを散策することにした。ライマンくんや宇田川さんと同学年、つまり三年生は全員が全員どこかの《お医者さん》の所に行っているわけじゃないから、惜しくも選ばれなかった三年生は普段通り勉学に励んでいる。
 卒業試験に向けて教科書片手にぶつぶつ言う同級生をライマンくんと宇田川さんが冷やかしながら、いくつかのクラスをまわったところで、オレは眼球マニアに呼び止められた。
「安藤、それにコロリン。少し良いですか?」
 そこでオレとスッテンはことねさんたちと別れ、スクールのとある部屋に案内された。見た感じ……視聴覚室みたいだ。
「……かなり深刻な事態が起きています。」
 眼球マニアに促され、オレとスッテンは一番前の席に座った。眼球マニアは教壇に立ち、機械を操作してプロジェクターを起動させる。
「先ほど我が校の校長に呼ばれましてね。昨日の会議についての話を聞きました。我が校の校長はまた違う会議に向かいましたが……それも当然でしょう。このような事が起きていては。」
 リモコンをピッと押す眼球マニア。プロジェクターが光を照射し、スクリーンに映像が映った。
「……これは……なんだ?」
『ドコカノハイキョカ?』
 オレとスッテンが見せられたのは一枚の写真。映画で見るような、瓦礫に覆われた建物。ひびが入り、崩れ、文字通り廃墟と化した光景。
「ここは……ドイツのスクールです。」
 ドイツ? 確かスクールってこことロシアか中国だかと……アフリカ……ん? あれ、ヨーロッパだったっけか?
「――って、スクール!? これがか!?」
 オレは思わず大きな声を出す。
「五日前に撮られた写真です。六日前までは通常通りにスクールでした。」
『イチニチデコウナッタトイウコトカ。ダイジシンデモキタカノヨウダガ……コノコワレカタ、ガイブカラノシュウチュウテキナチカラニヨルモノ……シュウゲキカ。』
「ええ。私も驚きました。軍隊でも派遣されたのかとね。ですが、これをやったのは一人の青年だったそうです。」
『セイネン?』
「幸い、多くの負傷者は出たものの死者はゼロだったのですが……その青年は去り際に言い残したそうです。「あと二つ」と。」
「! 他のスクールも狙ってるのか!」
『スクールヲネラウモノ……《パンデミッカー》カ?』
「可能性は高いかと。」
『フム……シカシミョウダナ。コレホドノサンジヲ、アノ《デアウルス》ガユルシタノカ?』
「いえ……《デアウルス》は対策をとっていました。実はここには、一週間前から一人の《ヤブ医者》が駐在していたのです。しかし彼は重傷を負い、現在は入院中です。」
『ダレダッタンダ? ソノ《ヤブイシャ》ハ。』
「ヴェーダです。」
『ナニ!?』

 スッテンはかなり驚いたようだった。
ヴェーダというのはもちろん、《ヤブ医者》の一人の名前だ。
一年に一回しか会わない二十七人の《ヤブ医者》たち、その全員の顔と名前がまだ一致していないオレでも、その名前の人物が誰かはわかった。
 『半円卓会議』の会議場の構造的に、真ん中のテーブルに近い人ほどよく目に入る。ヴェーダはファムのななめ後ろ辺りに座っている《ヤブ医者》だ。つまり、そこそこの古株。
 スッテンが驚いたのは、ヴェーダが《パンデミッカー》と思われる青年に「負けた」ということだ。
 ヴェーダの治療法は爆弾。ヴァンドロームを爆弾で倒すわけだが……無論、《ヤブ医者》の爆弾使いが普通なわけがない。閃光弾や音響爆弾は当然として、普通は作れないような特殊な効果を生み出す爆弾を使い、あらゆる種類のヴァンドロームに対応する。
 何かの間違いでヴェーダがどこぞのテロリストの一員になってしまったなら、CIAだろうがFBIだろうが……世界中の対テロ組織が全力をあげても、そのテロ活動を止められなくなると言われている。なぜなら、起動させたら誰にも止められず、その威力から身を守ることも不可能な完全完璧な爆弾を作れるからだ。
 んまぁ、とにかく。そんな治療法だから、攻撃力という点で見ると、ヴェーダは《ヤブ医者》の中で一、二を争う。ちなみに争っているのはアルバート。爆弾と一、二を争う筋肉というのは一体なんなのやら。

『……コノタテモノノホウカイノシカタハバクダンデハナイ。ツマリコノハカイヲウンダノハヴェーダデハナク、セイネン。アノバクダンマヲシノグイリョクヲモッタナニカダト? オソロシイテキダナ。』
「ええ。あの《デアウルス》もまさかこれ程とは考えていなかったのでしょう。故に、今回は……残った二校にはそれなりの数の《ヤブ医者》が派遣されています。もちろん、いつものように偶然を装ってではありますがね。」
「オレがライマンくんについて行くのも、スッテンが同行するのも、眼球マニアが『医療技術研究所』ではなくてスクールにいることも、全部(デアウルス)の計算通りってことか……相変わらずすごいな。」

「俺がここにいることもな。」

 そう言いながら、誰かが視聴覚室の扉を開いた。
「んー……目立つ奴がいると、どこに行ったか人に聞けば一発でわかるな。」
『キトージャナイカ。』
 部屋に入ってきたのは妙に襟がとんがった白衣を着て板チョコをくわえている男……鬼頭新一郎だった。
「鬼頭? ああ、あのヴァンドロームとの共存を目指しているという……」
「んー……あんたは誰だ?」
 鬼頭は、過去一度しか『半円卓会議』に出席していない眼球マニアと面識がない……というかほとんどの《ヤブ医者》が眼球マニアとは初対面なんじゃないか?
「私は眼球マニアです。」
「んー? そういやそんなあだ名の奴がいるとかなんとか聞いたな。俺は鬼頭新一郎だ。」
「鬼頭……どうしてここにいるんだ?」
 オレがそう尋ねると、鬼頭は機嫌の悪そうな顔でオレを睨んだ。
「んー? たぶん安藤のせいなんだが……いや、元凶はスッテンか。」
『ン?』
「んー……お前、安藤のとこに来た患者を俺の所にワープさせるようにしただろ。」
「えっ!?」
 オレは初耳の事に驚く。
「詩織への授業中、いきなり目の前に人が現れた。詩織は気絶するし、現れた本人もあたふたしてるし……カオスな事になったんだぞ。んで、聞いてみたら、そいつは白樺病院からの紹介で甜瓜診療所に来たっつーんだ。んで扉を開けた瞬間、ここにいたってな。」
「スッテン、一体何したんだ……?」
『《デアウルス》ニキョーマガイナイアイダノ《オイシャサン》モテハイシトケトイワレタンダガ……メンドウダカラキトーノトコロニワープスルヨウニシタンダ。キタカンジャヲナ。』
「ったく……俺にことわりもなく勝手にやんなよ。」
『シカシナンダ? モンクヲイウタメダケニワザワザヒコーキニノッテココマデキタノカ?』
「んー……ここには一瞬でこれたぞ。お前のワープ装置のおかげでな。」
『ンン?』
「ワープして来た患者をとりあえず治療した後、甜瓜診療所に行ったんだよ。そしたら入口に変な機械がくっついてた。それで何となく事情が見えたから、行き先をスッテンのいる所にしてワープしてきたんだ。」
『ヨクツカエタナ。ソコソコフクザツナソウチナンダガ。』
「丁寧に音声ガイドつけといてよく言うぜ。」
『ハテ? ソンナキノウツケタ……カモシレナイナ。ソウイエバイチジキツカイヤスサトイウノニコダワッタコロガアッタナ……』
 ……つまりなんだ? 甜瓜診療所に来た患者さんを鬼頭に任せるために、来た患者を強制的に鬼頭の診察室にワープさせる装置を設置して……んで、それに気づいた鬼頭がその装置を使ってここまで文句を言いに来たと……
「あー……なんか迷惑かけたな。」
「んー……気にするな。おかげでタダでここまで来れた。」
「? その言い方だとこっちに用があったみたいに聞こえるが……」
「俺じゃなくて詩織がな。あれでも『四条』の一員……今年はこっちで会合をやるんだとよ。」
「それじゃ……こっちに詩織ちゃんが来てるのか?」
「さっき、俺と一緒にな。」
『シカシキトー。《ヤブイシャ》ハ『シジョー』ニキラワレテルンジャナイノカ?』
「んー……そうは言っても、一応俺は詩織の師匠だからな。ちっせー島国のちっせー会合だが、何人かの実力者が集まって話をする会……それに出席するとあっちゃ、師匠が出向かないわけにはいかねーだろ。それに、俺に教わってるって事で嫌味な事を言われる可能性もある。」
『アッハッハ。イイホゴシャダナ。』
「んー? 勘違いすんなよ。その時俺が助けるのは悪口を言った方だ。」
 《イクシード》が言ったことは事実だったようだ。
……暴れる《ノーバディ》を止める役割……オレの立ち位置とかなり似ているな。
「んー……しっかし、タダでの移動の代償が《パンデミッカー》との戦闘とはな。」
『サッキノハナシ、キイテイタノカ。』
「ドア越しにな。俺が聞いちゃいけない話って事もあるからな。とりあえずこっそり聞いてた。」
『ケッキョクキクンダナ。』
「ばれるかどうかの話だからな。」
 鬼頭がキシシと笑うのを見て、眼球マニアはため息をつく。
「……理由はどうあれ、なんとこの場には(ヤブ医者)の七分の一が揃っているわけですか。それに、鬼頭とコロリンの治療法は戦闘向け……《デアウルス》は組み合わせも考えて揃えたのでしょうか。」
『アッハッハ。ガンキュウマニアヨ、オソラクコノメンツデモットモセントウムケナノハキョーマダゾ?』
「? 安藤の治療法は謎とされてますが……そうなのですか?」
「まぁ……そこそこ。」
「んー……こりゃ思いがけずに安藤の力が見れるのか。来たかいがあったな。」
 悪そうな顔でチョコをかじる鬼頭。

 現在、このアメリカのスクールに色んな理由で集まった《ヤブ医者》は四人。
 『医療技術研究所』、《お医者さん》側の所長にしてスクールの講師。眼球マニア。
 人間とヴァンドロームの共存を目指し、《トリプルC・LX》というヴァンドロームの力を借りて驚異的な剣技を魅せる男。鬼頭新一郎。
 数百年先の科学力と言われる技術でSFの世界を現実に持ってくる鎧。スッテン・コロリン。
 そしてオレ……安藤享守。
 この前のニック・フラスコの件の時は、オレとファムとアルバートがいた。単純に人数で言えば前回は三人で今回は四人。
 《パンデミッカー》が何人も現れ、現リーダーまで登場したあの事件よりも、一人の青年がやって来るという今回の方が警戒が厳重。
 《デアウルス》の頭の中は誰にも理解できないが……もしかしたら、その一人の青年の脅威というのは、スクールを廃墟にした程度じゃ測れない、強大なモノなのかもしれない。



 ライマンさんから前に聞いたことはあったけど、スクールは本当に普通の学校だった。
 なんだか変な人が多い《お医者さん》の育成機関ともなれば……具体的にどうとは言えないけど、色々すごいのだろうと思っていた。
 だけどそうじゃなかった。教室があって机があって……ノートと教科書を使って、先生の話と黒板に書かれた事をメモし、理解する。
 私が通ってきた小、中、高と何も変わらない風景だった。
 違うのは、やっている中身だけ。
「あの教科書はどこが作ってるんですか?」
 授業中の教室をドアの窓からこっそり覗きながら、私は生徒がめくっている見慣れない表紙の教科書を指さす。
「眼球マニアの話だと、確か『医療技術研究所』よ。『エイメル』も作ってるみたいだし……《お医者さん》関係の小物類は全部そこなんじゃないかしら?」
「教科書と言えば、あれってむかーしからあったみたいダゾ。」
「昔?」
「美術館とか歴史館とか、そういうところで飾られてる……えーっと……錬金術の本とか魔導書とかってほとんどが昔の教科書だったり、誰かの研究ノートなんだっテサ。」
「そうなんですか。」
「ファンタジーな小説とか映画とかに出て来るいかにも伝説っぽい魔導書とかが、その実ただの患者の容体記録だったりするわけよ。間の抜けた話だわ。」
 先生たちと別れた後も、私とライマンさんとミョンさんは色んな教室を覗きながら校内の散策を続けていた。
「……ところで、安藤先生はどう? ライマン。」
 散策すると言っても普通の学校ほど生徒の数もいないから覗く教室も少なく、あとは理科室とか美術室みたいな特別教室だけとなった時、ふとミョンさんがそんな事を言った。
「どうッテ?」
「ほら……前に眼球マニアが言っていたじゃない。基本的に《ヤブ医者》は変な人ばかりだって。安藤先生はその辺りどうなのよ。」
 ライマンさんが先生に対して思っている事。何故か私は、まるで自分が話題の中心であるかのようにドキドキしながらライマンさんを見る。
「うーん……安藤先生は……うん、いっつも白衣でサンダルダ。あ、でもこれには深ーいわけがあるんダゾ。あとは……絵本が好キダ。たまに僕に英語の絵本の文の意味とかを聞いてくルゾ。」
 そういえば前に英語の絵本を買ってたような。確かにライマンさんに聞くのはかなり手っ取り早い。
「それと安藤先生は《医者》としてもすごイゾ。公園のチビッ子の擦りむいた膝とかを治してタゾ。それで公園の奥様からリンゴもらったりしテタ。」
「……なんだか……そんなに変でもない趣味の、優しい《お医者さん》って感じね。」
「ウン。優しい……けど、いざ《パンデミッカー》と戦ったりすると強いンダ。なんかすごい速さで走ってバーンってやっつけちゃうンダ!」
 色々とジェスチャーを交えて話すライマンさんは、ふと声のトーンを下げる。
「すごくて……うん、すごいんだけど……本人はそうでもない感じなんだヨネ。」
「? どういう事よ。」
「授業で色んな《お医者さん》を眼球マニアに教えてもらって、安藤先生の所で《ヤブ医者》にも会ったけど……みーんな元気なンダ。」
「そりゃ元気よ。会う度に病気じゃ困るわ。」
「そうじゃないンダ。なんて言えばいいのかナァ。」
 ライマンさんは首を傾げ、うんうん唸りながら言葉を探すように続ける。
「《お医者さん》はみんな……「僕はこの治療法だぞー」って言うのに、安藤先生は「オレはこの治療法を学んだ」って言ってる……みたイナ。」
「自分の治療法に自信がないってこと?」
「自信はあるとおモウ。自分の治療法がすごいってことも知ってるんだけど……自分はそれをできるだけで作ってない……うん、そんなかンジ。」
「しっくりこないわね……」
 ミョンさんはこう言ったけど、私にはライマンさんの言いたい事がわかった。
 ……というか、一緒に生活を初めてまだそんなに経ってないライマンさんでもそういう印象を受けるってことなのか……

「あ、おーい。ライマン! ウダガワ!」

 三人並んでノロノロと歩いていると、後ろから誰かが二人を呼んだ。
「なンダ?」
「呪いの人形が歩いてたんだ! なぁウダガワ、オハライしてくれよ。」
「お姉さん、別に霊媒師じゃないんだけど。だいたい呪いの人形って……それは日本のホラーよ。ここはアメリカ。」
「だから、ジャパニーズホラーのお化けが出たんだ! 何とかしてくれよ。」
 ライマンさんとミョンさんの知り合いらしいその人につれられて、私たちはスクールの入口に来た。そこには人だかりが出来ていて、みんな遠くの何かを見つめている。
「! ウダガワが来たぞ!」
「良かった!」
 ミョンさんを見るや否や、全員が遠くの何かを指さした。
 入口から少し離れた所。軽い斜面になっている芝生の上にちょこんと座っている人がいた。
真っ黒な髪の毛を肩辺りまで伸ばしたおかっぱ頭。寝ぐせなのか、頭のてっぺん付近の髪だけぴょんと立っている。前髪が長すぎて鼻と口しか見えていな――
「詩織ちゃん?」
 私はそう言いながら、遠めだと確かに夜に髪が伸びる人形に見える詩織ちゃんに近づいた。
「! こ、こと、ね、ちゃん!?」
 詩織ちゃんは、それこそお化けでも見た人のように驚く。いつもはだぼだぼの服を着ている詩織ちゃんが、今は茶道を嗜むようなピシッとした和服姿。余計に呪いの人形に見えるなぁ……
「ど、ど、どうし、て、ここに、いるん、で、すか!?」
「私は……」
 説明しようと思ったのだけど、さらっとは説明できないことに気づく。
「えぇっと……安藤先生の用事……ですかね。」
 本当はライマンさんだけど、詩織ちゃんはライマンさんを知らない。
「こトネ。そのこけしみたいな人はだレダ?」
 さらっと酷い事を言うライマンさん。
「彼女が……さっきちらっと話した南条家の人……南条詩織ちゃんです。」
「南条?」
 反応したのはやはりミョンさん。
「しかも……南条詩織!? え……この子が?」
 何故かミョンさんは驚いた。
「知ってるのか、ミョン。」
「ええ……お姉さんは会議場には行くけど出席はしないからマジマジと見るのは初めてだけど……色々と噂を聞いてるのよ。」
「わ、わたし、の、うわ、さ……?」
 普通にしゃべっているだけだけど、不敵な笑みを浮かべているミョンさんにかなりビクビクしている詩織ちゃん。
「良家揃いの『四条』に……突如現れた不良少女。他の三家の出席者に睨みをきかせて、その子息らからは恐れられてるって……こっちで言うところの姉御肌だって話だったんだけど……」
 ミョンさんは一体誰の話をしているのか。ライマンさんと私は今の話を念頭にもう一度目の前の女の子を見る。
「人違いじゃなイカ?」
「お姉さんもそう思うわ……」
「で、でも詩織ちゃんは確かにこの人ですよ……?」
「……まぁ、噂だし……いいわ。とりあえず初めまして。お姉さんは宇田川妙々よ。」
「うだ、がわ……じゃ、じゃあ会合に、来る、んですね。わ、わたしは南条、詩織です。よろし、く、お願い、し、ます。」
 ぺこりと頭を下げる詩織ちゃん。相変わらずたどたどしいしゃべり方だ。

「んー、ここにいたか。」

 詩織ちゃんが顔を上げるのと同時に、気だるそうな声が聞こえた。見ると先生、スッテンさん、眼球マニアさんの横に鬼頭先生が並んで歩いていた。
「せ、先生。」
「ん。」
 引っ込み思案の子供みたいに、誰かの後ろに隠れる……わけではないけど、何となく鬼頭先生の傍による詩織ちゃん。
「ウワ! 安藤先生が不良を連れてきタゾ! バイクに乗ってパラパラ踊るノカ?」
「随分斬新な不良だね……パラパラ……あ、もしかしてパラリラかな。」
「そレダ。パラリラパラリラ!」
 ライマンさんがバイクをふかすジェスチャーをする。
「パラリラは音だよ……クラクションみたいなものかな。」
「面白いクラクションダナ。」
 診療所では結構日常茶飯事のこのやりとりに、ミョンさんだけ大笑いしていた。怖い。
「んー? 誰だか知らねーが……俺は鬼頭新一郎。《ヤブ医者》だ。つか、さっきから自己紹介してばっかだな、俺。」
「エッ!? また《ヤブ医者》! なんかすごイナ!」
「鬼頭……『四条』でよく聞く名前ね。悪い噂ばかりだけど。」
「やっぱリカ! 不良だもンナ! ヤクザ!」
 ヤクザと言いながら歌舞伎っぽいポーズをとるライマンさん。
「不良とヤクザは違うわよ、ライマン。」
「どう違うンダ?」
「不良はあだ名でヤクザは役職よ。」
「?」
 ミョンさんの解説に?を浮かべるライマンさん。
「んー? なんだ、『四条』の関係者か?」
 不良とかヤクザとか言われた事に対しては何も感じていないのか、鬼頭先生は変わらぬ様子でミョンさんに話しかけた。
「ええ。北条派の宇田川よ。宇田川妙々。」
「んー……わりぃ、流石に『四条』の分家までは把握してねーわ。」
「でしょうね。北条だけでも五つあるもの。」
「しかし……悪い噂か。『四条』には嫌われてっからなー。」
「お菓子で子供をさらって行くとか言われてるわ。」
『アッハッハ!』
 鬼頭先生があきれ顔になり、スッテンさんが大笑いする。
『オカシデ、トイウトコロガキトーラシイナ。ケッサクダ!』
 お腹を抱えて笑うスッテンさんは、笑い声よりも鎧の音がガショガショと響いて妙にうるさい感じになっていた。
『アッハッハ……マーソレハサテオキ、キガツケバソコソコニオオジョタイダナ。ゼンイン、『シジョー』ノカイゴウニイクワケナノダロウ?』
「いえ、私は行きませんよ……」
 眼球マニアさんが少し驚いてそう言った。
『ン? ソウナノカ?』
「それにさっきの話的に、オレたちは残るべきだろ。鬼頭は……微妙な立場だが……」
 さっきの話? 眼球マニアさんの話……一体なんだったんだろう。
『シンパイスルナ。タトエゲツメンニイタトシテモレーテンナナビョーデココニイドウデキル。イザトイウトキニモモンダイナイ。レーダーモセンサーモトリツケタ。シロクジチュウキヲハッテルワケニモイカナイカラナ。』
「取り付けた? もう?」
『ワケハナイ。』
「相変わらずすごいな、スッテンは……」
『トイウワケダ。ドウダ、ガンキュウマニアモコナイカ?』
「……それでも私は行きませんよ。ここの講師でもありますから。授業をしながら、例の青年を待ちますよ。」
『ソウカ。デハゥワァタシタチデイクトシヨウ。マ、アサッテノハナシダガナ。』
「一体何の話なンダ?」
 ライマンさんが先生を見る。先生はやれやれという顔でこう言った。
「昨日、ライマンくんを危ない目にあわせたって事で謝りに行ったのになぁ。またこんな事に……」



 『四条』の会合は明後日。着替えとか、お泊りセットを持ってきてないオレたちだが、スッテンのとんでも科学のおかげで診療所の近くのスーパーに行くよりも早く日本とアメリカを往復できるから、一度戻って着替えとかを取って来ようかと思った。だけど……そもそもぞんなに早く移動できるなら泊まる必要もない。
「ライマンくんの件も、《ヤブ医者》インタビューも終わって特に用事もないし……オレたちは一度戻るよ。」
『ンン? スクールノケンガクハモウイイノカ?』
「お姉さんとライマンでざっと紹介したわ。仮に残りをじっくり紹介するってしても、半日もあれば終わるわよ。どこぞの美術館じゃないんだから。」
『ナルホド。タシカニ、アサッテマデココニイルリユウモナイカ。』
「スッテンはどうするんだ?」
『ゥワァタシカ? セッカク『イリョウギジュツケンキュウジョ』ノ《オイシャサン》ガワショチョウニアッタカラナ。ココニノコッテイロイロトハナシヲキキタイ。』
「私にですか? コロリンが喜ぶようなものがあるかどうか……」
 一瞬で移動できるとは言え、例の《パンデミッカー》らしき青年がいつ来るかもわからない状態で現地に対応できる人がいないっていうのは少し心配だった。だがスッテンが残るなら安心だ。
 眼球マニアの言うように、スッテンの治療法は……攻撃力が高い。オレも実際に見たことは無いが、前にファムに聞いた時はこう言っていた。

『スターウォーズって映画、享守は知っているかしら?』
『知ってるけど……じっくり観た事はないな。』
『それでいいわ。とにかく、あんな感じのSF映画をイメージするのよ。』
『ああ。』
『その映画に出て来る宇宙戦艦とか、光る剣とか……そういうモノを全て実現できるのがスッテンという《ヤブ医者》よ。』
『……惑星を破壊するようなビームとかもか……』
『スッテンに無限の材料と労働力を与えたなら、作れないモノなんてこの世に無いわ。』

「鬼頭はどうする?」
 オレはスッテンのせいで巻き込んだ感じの鬼頭にたずねる。
「んー? 俺たちは残るぞ。確かに会合自体は明後日だが、『四条』の本家の連中はその前に親睦会みたいな顔合わせをすんだ。それに合わせて、俺と詩織は今日、日本を発つ予定だったんだが……スッテンのせいというかおかげというか、一瞬で来れちまった。だからこのまま会場に向かう。」
 なるほど。それで詩織ちゃんは和服でビシッと決めているのか。
「……しかし詩織のやつ、時差の影響とかもろに受けるタチだからなぁ……こんな予想外の方法で来ちまって……前みたいになんなきゃいいが……」
 何やらぶつぶつ言う鬼頭。
「ミョンはどうするンダ? やっぱり顔合わせに行くノカ?」
 鬼頭と詩織ちゃんと同じ目的でここに来た宇田川さんは意外にも首をふった。
「その顔合わせに出るのは会合の出席者だけよ。言ったでしょ? お姉さん、その場に呼ばれはするけど会合そのものには出ないのよ。まぁ、当日にちょっとあると言えばあるんだけど……」
「じゃあ僕たちと戻らなイカ? 僕が日本を案内すルゾ!」
「お姉さん、日本人なんだけど。」
「じゃあ……診療所を案内すルゾ!」
「案内するほど広くないよ……だけど……」
 オレは宇田川さんに提案する。
「一日あるし……宇田川さんが良ければ、小町坂を紹介できるよ?」
「! 本当!?」
 心底嬉しそうな……まるで血の雨の中で笑う殺人鬼か何かのような表情になる宇田川さん。

 結局、オレとことねさんとライマンくんと宇田川さんは日本に戻り、スッテンと鬼頭と詩織ちゃんと眼球マニアは残ることになった。
『ジャアアサッテニナ。モシクハ、セイネンガアラワレタトキニ。』
「……ああ。」
 スッテンからワープ装置の使い方の説明を受け、オレたちは一瞬で甜瓜診療所の前に移動した。辺りは真っ暗で、もう夜だった。
「ここが安藤先生の診療所?」
 宇田川さんが妙に納得した顔で呟いた。
「眼球マニアから聞いたわ。何か他の研究をしていて結果的に《ヤブ医者》になった場合はともかく、《お医者さん》をやっていて、技術が認められて《ヤブ医者》になった者は……大抵貧乏だって。」
「そうなノカ?」
「《ヤブ医者》っていう呼ばれ方が色々と面倒を起こすそうよ。」
「……? そういえば先生。色々ありすぎて気にしてませんでしたけど、ライマンさんが来たのに診療所は火の車ってことにはなってませんね。何でですか?」
 オレは一瞬ビクッとしたが……オレの昔話をして《イクシード》を紹介したのだから、別に隠すことでもないか。
「えーっと……オレの治療法、《医者》の世界でも通用するからさ。そっちの関係の手伝いをしてるんだよ。アルバイトみたいなモノかな。」
「え? でも安藤先生、いっつもここにいルゾ?」
「あはは……オレだってふと出かけることがあるさ……」
 本当は夜、二人が寝た後に《イクシード》の力で瞬間移動しているんだが。
 これまでもちょいちょいやってきたが、ライマンくんが来たからその時間……というか頻度を増やした。
 この協力……仮にこっちの手伝いの方を本業にするとかなりのお金になるんだが……何度も『身体支配』をやる羽目になるから疲れるんだよなぁ……
 まったく、ガン研究の手伝いも楽じゃない。
「へぇ……安藤先生の治療法は《医者》方面にも利用できるのね。」
 詳しい話をしていないが、スクールでの教えのせいか宇田川さんはそれ以上聞いてこなかった。別に聞かれれば答えるし、《イクシード》の事は絶対秘密ってわけでもないけど……それでもオレの治療法は悪い方面の利用価値が高すぎる。だからできるだけ話さない……というのが、キャメロンと《イクシード》から言われてきたことだ。
「とりあえず中に入ろうか。」
 オレが玄関のカギを取り出して扉を開けると、ライマンくんが嬉しそうに中に入り、こう言った。
「もう夜だし、ミョンは泊まっていくんダロ? まくら投げしヨウ!」
「……いいのかしら? 泊まっても。」
 宇田川さんがオレを見る。首を傾げながら「いいの?」という顔をしているんだが……かなり怖い。真っ白な服と相まって本当に幽霊のようだ。
「……んまぁ、今からホテル探すとか大変だし……ここに泊まるのが自然だね……」
 そうか……小町坂に会いたいみたいだったから宇田川さんを誘ったけど……こうなることを忘れてた。
「ミョンはどこで寝るンダ? 僕と一緒にたタミ? それとも最近発覚した地下室とカカ!」
 と、言いながらライマンくんがオレを見る。
「いやあそこは寝るような場所じゃないよ……そもそもそういう風に使えるならライマンくんの部屋にしてるよ……」
「あら、ライマンは部屋がないの?」
「ウン。いつも和室で寝テル。」
「……着替える時とかは?」
「ショージを閉メル。」
「…………それでも……ライマン、アナタは女の子で安藤先生はそれを知ってるのよね……」
「ウン。」
「……」
 宇田川さんがオレを半目で睨む。正直、シャレにならないくらい怖い顔になっている。
「あ、言っとくけど安藤先生は覗いたりとか、そーゆーエロいことはしなイゾ! だって美人のガールフレンドがいるカラ!」
「ライマンくん!?」
 その後、友達想いの宇田川さんにライマンくんには何もしてないってことを説明する……というか理解してもらうのにちょっと時間がかかった。
 確かに、オレはまだ二十代の男でことねさんとライマンくんは十代……学校で言えば女子高生の年齢。そんな組み合わせが住宅街から離れた所にポツンと建っている診療所に住んでいるわけだから……見たら誰だって女の子二人を心配するか。


「よし、ミョン。一緒にお風呂に入ロウ。日本のお風呂は、まずオケにお湯を入れてそれをかぶるンダ。あ、オケをかぶるんじゃなイゾ。お湯をかぶるンダ。」
「だから、お姉さんは日本人よ……」
 そんな事を話しながら、ライマンさんとミョンさんはお風呂に入る。さっきまでお昼頃だったのにここはもう夜。お風呂に入るのも変なはずなのに、外が暗いと別に疑問も感じない。アメリカにいた時は暗くても眠くならなかったのに、何故かこっちではその明るさに身体が従ってしまう。
 私の身体は、完全に日本基準の体内時計を持っているようだ。
「なんだかんだ、疲れたね。」
 畳に座り込む先生。
 眼球マニアさんの話はどういったモノだったのか。先生は後で説明すると言って、とりあえず一休みしようと、ライマンさんたちにお風呂をすすめた。
 まぁ、先生はちゃんと教えてくれる人だから……気にはなるけど今は聞かなくてもいいか。
 ……お風呂場の方からライマンさんの声が聞こえるけど、居間には私と先生だけ。二人っきりというのは、なんだか久しぶりのような気がする。別に、ライマンさんがお風呂に入っていればこういう状況にはなるし、そう珍しくもないんだけど……ふとそんな気分になった。
 だから私は、気になっていることを聞くことにした。
「先生。」
「ん? なんだい、ことねさん。」
「あの……その、《イクシード》さんとお話してもいいですか?」
「? いいけど。」
『かかっ。我に用か。』
 先生の背中からひょっこりと《イクシード》さんが顔を出す。というか、いつも背中から出て来る気がするけど……服を着ているのにどうやって出てきているんだろうか……
「えっと……《デアウルス》さんに会った時から気になってて……それで《イクシード》さんも知ってるかなぁと……」
 私は左手を前に出して《イクシード》さんにたずねた。
「《オートマティスム》って……どんなヴァンドロームなんですか?」
 ずっと気になっていた。《デアウルス》さんが親しげに声をかけた、私の左手の中にいるヴァンドローム。『半円卓会議』では色々あって《デアウルス》さんには聞けなかった。だけど先生の昔話から、その昔、私たちがSランクと呼ぶヴァンドロームが集まった事があると知った。なら《イクシード》さんも会っているはず。
『かかっ。答えはわかっているが一応確認する。その質問の意味は、『どんな能力を持ち、どんな技を使い、何が弱点か』という事ではなく、『どんな性格の奴か』という意味でいいのか?』
「え? は、はい……」
 私は《イクシード》さんの質問の意味がよくわからなかった。だけどよくわからないという顔をしていると《イクシード》さんが笑った。
『かかっ。まぁ、ことねに《お医者さん》を教えているのはキョーマだし、我という存在にも出会ってしまった……それ以前に《デアウルス》もか。仕方のない事だ。悪いとは言わないし、改善しろとも思わないがな。』
「あの……?」
『かかっ。ことねよ。本来(お医者さん)にとってヴァンドロームとは敵なのだぞ? 倒す相手の戦闘力を知るならともかく、どんな奴かを知る必要は基本的に無いのだ。』
「!」
『かかっ。しかしことねは我や《デアウルス》のように、人間の言葉を話し、感情を持つヴァンドロームと敵対という形ではない、一つの出会いとして遭遇した。故にヴァンドロームに対して友好的な感情を持った。《お医者さん》としてあるべき姿……人間に害なす、倒すべき……いや、殺すべき対象としての認識ではなくな。』
「それは……」
『かかっ。別に構わん。鬼頭のような奴もいるのだから。だが……《お医者さん》を始めた頃のキョーマもそうだったように……一度そういう認識をした生き物を殺すというのは……非常に心に来るモノがあるぞ? しゃべるニワトリを殺してから揚げに出来るかという類の話だ。相応の覚悟をしておくといい。まぁ、先人がいるからな。指導してもらえるだろうが。』
 《イクシード》さんはそう言いながら、先生の膝の上に座った。
 私は《お医者さん》を目指す者としての矛盾を指摘されて……いや、気づかされて動揺する。だけどふと視界に入った先生がいつものように笑った。
 そうだ……《イクシード》さんとこんなに親しい先生も、今こうして《お医者さん》をやっている。その時が来たら、先生に色々聞いてみれば……きっと解決するだろう。
 今は……とりあえず。
『かかっ。心の切り替えの早さ……これはことねの長所だな。では、本題に戻るか。《オートマティスム》について……だったな。』
「はい。何度か声を聞いたことがあるだけで……どんな姿だとか、どういう性格なのかとか……何も知らないんです。」
 私は少し目線を下げて独り言のように呟く。
「……Sランクだから切り離せない……だから共存するしかない……そう言われた時は……最初は出来るわけないと思いました。だけど……鬼頭先生と詩織ちゃんに出会って……無理じゃないかもって思えて……そ、それで……せ、先生も同じだったんだなぁって……だから、その……」
『かかっ。出会いは成長を生む。我も体験済み……どれ、質問に答えようか。』
《イクシード》さんが腕組をする。
『かかっ。まずは容姿だな。体長は二メートルほどだ。』
「二メートル……」
『かかっ。ついでに横幅も奥行きも二メートル。』
「え? それじゃあサイコロじゃないですか。」
『かかっ。惜しいな。《オートマティスム》はな、我よりもシンプルな姿……球体なのだ。表面には何もなく、ただただ浮いているだけの黒い球体。』
「顔とかないんですか……」
『かかっ。無い。だが……その姿は我が見た事ある姿だ。なんとなくだが、《オートマティスム》はあの球体が真の姿とは思えないのだ。ゲームではないが、第一形態というか、力を温存している形態というか……』
「つまり……よくわからないってことですか。」
『かかっ。その通りだ。だが性格はわかるぞ。《オートマティスム》は無口で真面目な奴だ。』
「無口で真面目な黒い球体……ですか……」
『かかっ。言い方を変えると、感情表現の下手な……そう、シャイなのだ。』
「どんどんイメージできなくなるんですけど……」
『かかっ。それならばやはり、直接聞くのが良いだろうな。あれは自分が家とした者の語りかけを無視するような奴ではない。反応が無いのは恥ずかしがっているだけだろう。根気よく話しかけてみることだ。』
 そのあとも色々と話を聞いたけど、《イクシード》さんも会ったのは一回だけだから、その時の印象しか知っていることはなく、それ以上の何かを得ることはできなかった。
 それでも、「あいつはあんな奴」と語れるような相手……感情があって性格がある相手なのだから、いつかきっと話す事ができると思う。


 翌日、朝ごはんを作るから二人を起こしてきてと言われ、和室の障子を開けた私は、髪の毛を畳いっぱいに広げてうつ伏せになっているミョンさんを見て朝から心臓が止まるかと思うくらいに驚いた。まるで海に浮かぶ水死体のようだった……
 ちなみにライマンさんはミョンさんの髪の毛の中に埋まっていた。
 ライマンさんとミョンさんは本当に仲が良い。ライマンさんはすごく楽しそうだし、ミョンさんもニタリ顔がすこし和らぐ気がする。
 そして判明した。ライマンさんに変な日本の知識を教えたのはミョンさんだった。
「いただきます。」
 丸いテーブルを四人で囲み、私たちは朝ごはんを食べる。
「そういえば、なんでいただきますって言うンダ?」
 ライマンさんがフォークでしゃけを食べながらそう言うと、ミョンさんがさも当然のように答えた。
「いただきますっていうのは『頂きを目指します』の略語なのよ。」
「イタダキ?」
 ライマンさんが首を傾げると、ミョンさんは意地の悪い顔で話を続ける。
「頂上……てっぺんのことよ。この場合は、どこかのてっぺんってわけじゃなくて、今の段階よりも高みってことを指すわ。あなたの命を食べる代わりに、必ずや、わたしは更なる高みに辿り着いてみせる。あなたの命を無駄にはしない。日々精進を生き様としていた武士から広く伝わった言葉よ。命を食べる時の、自分への宣言なの。」
「オオ! サムライの言葉なノカ! かっこいイゾ! いただきマス!」
 ライマンさんが嬉しそうにごはんを食べるのを横目に、唖然としている私と先生に、ミョンさんはニタリと笑いかけた。
「それで……先生、今日は小町坂さんの所に行くんですか?」
「そのつもりだよ。」
「そうなると、また診療所が空っぽになりますけど……」
「それがね、ちょっといいものをスッテンにもらったんだよ。」
 そう言って、先生は和室の茶箪笥の中から銀色の箱を取り出した。
「その名も……ワープ風鈴。」
 箱から出てきたのは風鈴だった。何の変哲もない……診療所の入口に置いてある呼び出しベルの代わりの風鈴と何も変わらない。
「どこらへんがワープなのよ。」
 ミョンさんも興味深そうに風鈴を見る。
「これを誰かが鳴らすとね、オレたちが今持ってるワープ装置が起動して、どこにいようとも風鈴の傍まで一瞬で移動させるんだとさ。これを入口に置いておくよ。」
「……いつ発動するかわからないって怖いですね……ご飯中とかにワープしたら大変です。」
「うん。だから、これが発動するのはオレだけにしてるから安心して。みんなは気にしなくていいよ。」
「安藤先生はモチモチ、おトイレにも行けなイナ!」
「うん……たぶんオチオチだね。」


 朝ごはんの後、先生は小町坂さんに連絡を入れた。
「午前中ならいいってさ。宇田川さんの術式にも興味あるって。」
「! お姉さんの術式に……あの小町坂先生が……」
 ミョンさんはあんまりキャラに合わないと言うか何と言うか、すごく緊張しているようだった。
「午前中……そこそこ距離もありますし、早めに行きますか。」
「いや……迎えが来るんだよ。」
「え? 小町坂さんが来るんですか?」
「……高木さんが来るって……」


 電話から少し経った頃、峠の走り屋かと思うブレーキング音と共に高木さんがやってきた。
「見てください、安藤先生! 免許取ったんです。」
 高木さんは……車には詳しくないけどたぶん、軽自動車に乗っていた。ど真ん中に初心者マークの貼ってある……車に。
「病院まで送りますよ。運転したくたしょうがないんです!」
 高木さんはいつも以上にウキウキしている。私たちは道路に残された物凄いブレーキ跡を見てゾッとしていた。


「よく生きてたな。」
 晴明病院に着いた私たちに小町坂さんが最初に言ったのがそれだった。
「なんかすごい運転だったぞ……高木さんって実はレーサー?」
「走り屋だろ。たぶん、ありゃ才能だな。天才的なドライビングテクニックってやつだ。いや、センスか。教習所でドリフトかましたらしい。」
「そうか……」
「んで、俺に会いたいってのは?」
「は、初めまして……」
 ニタリ顔が少し真面目になっているミョンさんが一歩前に出た。
「お姉さんは――」
「ちょい待ち。ここは病院の入口だからな。院長室に行こう。」
 小町坂さんの院長室は相変わらず面白かった。刀とかろうそくが並んでいるその部屋の中央に置いてあるソファに私たちはこしかけた。
「さて……俺が小町坂篤人。晴明病院の院長をやってる《お医者さん》だ。そしてあんたが?」
「う、宇田川妙々。北条派の者で……スクールの三年生よ。」
「つまり、そこのお嬢ちゃんの友達……ってことでいいんだな?」
 小町坂さんがライマンくんをちらりと見る。
「そうよ。」
「ふぅん……」
 小町坂さんは少しきりっとした顔でミョンさんを見つめる。ミョンさんはかなりドギマギしている。
「とりあえず……わざとなのか生まれつきなのかわかんねーから場合によっちゃ失礼な事を言うが……いい容姿をしているな。」
「うワッ!? コマッチがいきなりミョンに告白しタゾ!」
「ちげーよ! 日本系術式の《お医者さん》としてって意味だ!」
 小町坂さんはキセルを上下させながら続ける。
「たぶん、その外見なら……一部のヴァンドロームがビビるだろ。」
「! ええ……時々……だからこの……格好でいるんだけど……」
「あんたの格好……つーか雰囲気か。まるで幽霊みたいだ。普通の人だって、あんたが暗闇に立ってたら間違いなくビビる。それくらいの完成度だ。」
「コマッチ、褒めてるのか悪口言ってるのかわからなイゾ。」
「褒めてるんだ。わざとなら努力の賜物、生まれるつきなら才能だ。こういうな、俺たちにとって幽霊みたいに……言い換えれば、人の形をしてはいるけど何か違う霊的な、魂的な何かに感じる雰囲気ってのはな、日本系術式の使い手が良く使う式神の気配と似てるんだ。」
「式神……ああ、たまに小町坂も出すあの天狗みたいのか。」
「別に天狗だけじゃねーけどな。式神に似た雰囲気を出す宇田川をヴァンドロームが見た時、中には宇田川を式神と勘違いする奴もいるはずだ。」
「それっていいことなノカ?」
「ヴァンドロームの性格によりけりだが……大抵はいい方に働く。つまり、ヴァンドロームがビビる。ヴァンドロームっていう種族の天敵である《お医者さん》が使役する何かにそっくりな奴……カエルがヘビを目の前にした時と同じような状況さ。ヴァンドロームは、宇田川を見ると命の危険を感じるわけだ。」
「そんなことがあるのか。」
「全てのヴァンドロームに対して有効ってわけじゃないがな。日本に生息してるヴァンドロームにはかなりの確率で効くだろう。」
 小町坂さんはぷはーっと煙を吐く。
「んま、容姿は二の次。肝心は術式だ。ちょっと見せてくれるか? 何かしらアドバイスもできるだろう。」
「え、ええ! お願いするわ!」
 嬉しそう……なんだろう、たぶん。ミョンさんは立ち上がって部屋の隅っこに術式を作りだした。
「アドバイスって……随分と大物な感じだな、小町坂。」
 先生がニヤニヤしながらそう言うと、小町坂さんは少し恥ずかしそうに答える。
「う、うっさいな。スクールの宇田川と比べれば、俺はかなり先輩だ……それに、俺はあの卜部先生に学んだんだ……こういう事の一つもできないとな……」
 私は術式の準備……魔法陣を作っているミョンさんを見る。小町坂さんはチョークとか血とか縄とかを使っていたけど、ミョンさんが使っているのは……あれはたぶん、碁石だ。それも黒いのだけ。それを綺麗に並べている。
「なるほど。碁石とは面白い思い付きだな。」
 小町坂さんがぼそりと呟いた。
「何が面白いんですか?」
「並べるのは面倒だが、書き換えるのが簡単だ。北条派っつったら、大抵は墨で……つまり習字で魔法陣を作るからな。」
「それって……他の『四条』は違うって事ですか?」
「そうだ。『四条』は方角を冠してるだけあって、そっち系の術式をよく使う。んま、自分自身を術式の一部に組み込めるんだし、使わない手はないわな。そんなこんなで、大抵は五行思想を根底に置くから、東条は葉っぱとか、西条は骨とか、南条は血とかを使う。」
「……」
「おい小町坂。さも当然のように話すけど、ことねさんはチンプンカンプンだぞ。」
 目をぱちくりさせる私を見て先生がそう言った。実際、チンプンカンプンだ。
「ん? ああ、そうか……まー要するに派閥ごとに道具にはこだわりがあるって話さ。」
 ミョンさんが術式を作り終えると、小町坂さんがそれを眺めて色々とアドバイスを始めた。正直、ここから先は日本系術式の専門的な会話になったから私と先生にはやっぱりチンプンカンプンで、多少日本系術式を知っているライマンさんも首を傾げていた。
 だから私たちは、難しい言葉を話す小町坂さんとミョンさんを遠目で眺めながら別の話をした。
「安藤先生は術式全然使えないノカ?」
「うん。キャメロンが使えなかったし、《イクシード》もよく知らなかったし。」
「ある程度知っておいた方がいいんですかね。」
「うーん……一人でやる分にはいいけど、誰かの手伝いとかで術式使いと協力する時なんかの為に、基本的なとこは抑えておきたいね。今ならライマンくんもいるし……いい機会かもね。」
「え、僕が教えるノカ?」
 ライマンさんが目を丸くする。
「本来なら、ライマンくんがオレから何かを学んで帰るってのがスクールの卒業試験的な感じなんだろうけど……オレは何も教えてあげられないからなぁ。」
「別に気にしなくていイゾ。充分面白いカラ。」
「そう?」
「ヨシ! なら僕が一肌で温めルゾ!」
「……一肌脱ぐ?」
「そう、ソレ。」
「物凄い間違いですね……」



 小町坂に会えて満足そうな宇田川さんと、変な時間に起こしたせいで目が開いてるのかどうかわからないことねさんと、いつも通り元気なライマンくんを引き連れて、オレたちは再びアメリカへと移動した。目的はもちろん、『四条』の会合だ。
 結局、オレたちが日本にいる間……んまぁ、と言っても二日も無いんだが、その間は例の青年は現れなかったようだ。
 一応、小町坂の所から戻った後、みんなには眼球マニアから聞いた話をそのまま話した。《パンデミッカー》がまた来るかもしれないという話を。
 というか……《デアウルス》が《ヤブ医者》を集めたのなら、襲撃はほぼ確実だ。オレとしてはことねさんたちには日本にいて欲しいわけなんだけど……同時に、確かな戦力を置いていくというのも不安に感じる所だった。
 これはキャメロンから教わった事だが……《パンデミッカー》と戦う事になった時、誰々がいるから安心みたいなことは考えない方がいい。つまり、集められる戦力は集めておけという事だ。
 《パンデミッカー》が使う力というのはつまりヴァンドロームの『症状』だ。それらは千差万別で、得意不得意というのが生まれる。今の所、全てのヴァンドロームに対して有効な治療法が無いのと同じで、例え相手がEランクのヴァンドロームの『症状』を使っていても、《ヤブ医者》が誰一人対処できないという場合もあり得る。
 その一例が、この前のアリベルトだろう。あの場で動くことが出来たのは、治療法は一切関係なく、Sランクをその身に宿すオレとことねさんだけだった。
 既にヴェーダという《ヤブ医者》を倒している《パンデミッカー》……スッテンや眼球マニアの超技術、鬼頭の剣術があっても安心はできない。
 ……んまぁ……《お医者さん》の卵である三人を戦力として連れて行きたいと感じるオレも随分情けないんだが……
 最終的には本人たちの意思を優先し、結局全員行くことになった。ま、宇田川さんはどちらにしても『四条』の会合に行くわけだけど。

 アメリカの時間に合わせて夜中に日本を出発したオレたちは、丁度朝を迎えたスクールの校門に立っていた。
『オ、キタナ。』
 校門にはスッテンがいた。
『キトートナンジョーハモウカイジョウニイル。カイゴウガハジマルノハゴゴラシインダガ……シュッセキシャヲナガメルナラ、ハヤメニイッタホウガイイダロウ。カイゴウガハジマッタラサスガニナカニハハイレナイダロウシ。』
 オレたちが何かを言う前に、スッテンの指が鳴ってオレたちはどこかの建物の中にいた。
「いきなり移動させるなよ……ここは?」
『カイジョウノホテルダ。』
 ホテルの……ロビーだろうか。もっと和風な感じになっているのかと思っていたが、内装はいじっていないようで、何の変哲もないロビーだった。たぶん、これが東条家が主催の場合の方針……みたいなモノなんだろう。
 ただし、そのロビーにいる面々の服装は和風そのものだった。
「キモノ! サムライ! オダイカンサマ!」
 ライマンくんが嬉しそうに騒いでいるが、実際そんな感じの服装の人物だらけなのだ。洋服を着ている人はちらほらとしかいない。
「それじゃ、お姉さんは宇田川の所に行くわね。」
 そう言って宇田川さんは相変わらずの幽霊スタイルでどこかへ行ってしまった。
『ンン。ドウスルカ。ノゾキニキタトハイッテモ、ムカンケイナニンゲンガポツントタッテイタラフシンガラレルナ。』
 鎧姿のスッテンが不審がられる事を気にし出した時、オレたちの前に誰かが立った。

「ようこそおいでくださいました。」

 そう言って丁寧に頭を下げたのは、オレと同い年くらいの青年だった。
「鬼頭新一郎先生からお話は伺っています。安藤享守先生、スッテン・コロリン先生、溝川ことねさん、ライマン・フランクさんですね?」
 和服だらけの会場において、随分とラフな格好の青年だった。いや、ラフというわけでもないか。水色の襟付きポロシャツに……スーツのズボンとジーパンを足して二で割った感じの……カジュアルなビジネススタイル? とでも言えばいいのか。そんな感じのズボンをはいている。
 普通に日本人だから黒髪なんだが、伸ばした後ろ髪を首の両側から前に出していて、なんだか女性っぽい髪型をしている。
 笑顔の似合う……というかずっとニコニコしている、人当たりの良さそうな印象で、どこぞの喫茶店でバイトしている爽やか大学生……みたいな感じだ。
 ただ一つ、《お医者さん》っぽい変な部分は、腰に『東』と書かれたひょうたんをぶら下げている点だ。
「おや、やはり気になりますか?」
 なんとなくひょうたんに視線が行っていたオレに気づいたその青年は、やれやれという表情で……しかしニコニコと呟く。
「まったく、時代に合いませんよね。いつまでも古めかしい限りですよ。重要なのは会合の中身だと言うのに、皆が皆そろって和服ですし……まるで装備だけは立派な初心者山ガール、山ボーイのようですよ。」
「そ、そうか……ところであんたは……?」
 オレがそう尋ねると、青年は一瞬きょとんとし、そしてニコニコ顔でくすりと笑った。
「おやおや、これは失礼しました。ふふ。いえ、この会合でわたしは名乗った事が無いモノで。いやいや、狭い中で偉くなった気になってはいけませんね。」
 青年は姿勢を正し、キリッとした……ニコニコ顔でこう名乗った。
「わたしは東条蒼葉。現東条家の長であり、本会合を取り仕切っている者です。何かご不便等ありましたら、なんなりと。」
『トージョーアオバ……ン? トージョーケノオサ? オマエガカ?』
「ええ。ちなみにこのひょうたんは、東条家の長の証です。」
 と言いつつも、随分と軽めに摘み上げてぶらぶらとひょうたんを見せて来る青年……東条だった。
「ヘー。日本のトップって聞いたからもっとおじいちゃんかと思ってタゾ。」
「よく言われます。東条家の仕来りでしてね。長になる人間は二十から三十歳の間と決まっているのです。東条家は常に新しい考えを求めている家風ですから。ライマン・フランクさんが想像したおじいちゃんのトップとなると、『四条』では北条家になりますね。」
 東条はそう言いながら、「こちらへどうぞ」とオレたちを促す。ロビーを突っ切り、部屋の並ぶ廊下に入り、そして一つの部屋の前で止まる。
「鬼頭新一郎先生。《ヤブ医者》先生方がお見えに。」
 扉が開き、顔を出したのはもちろん鬼頭。
「んー、来たか。悪いな蒼葉。手間かけた。」
「いえいえ。東条としては大歓迎ですよ。それでは。」
 東条はそう言ってニコニコとその場から去って行った。オレたちは鬼頭の部屋に入る。
「わ、わわわ……み、みなさん、来た、んですね……」
 建物が建物なだけに部屋は洋室なんだが、ベッドの上に人形のように座っている和服姿の詩織ちゃんはなんだが面白かった。
「詩織ちゃんも会合に出席するんですか?」
 ことねさんがそう聞くと、申し訳なさそうに頷く。
「わ、わたしも一、応、南条家の、人、だから……」
「んー……つーか、現南条家の長は詩織の母親だ。」
『ナルホド。ソレハシュッセキシナクチャイケナイナ。オサハセシュウセイナノカ?』
「んー、大概な。ただ、詩織の場合はレアケースっつーこともあるし……どうなるかな。南条家の弟子の誰かがなるって噂だが。」
「わ、わたしはそれ、で、いいんです、けど……」
 詩織ちゃんがぼそぼそとそんな事を呟く。
『シカシ……ハナシハカワルガ、アマリキタイシテイタヨウナバショデハナイナ。』
「んー? 何を期待してたんだよ、『四条』の会合に。」
『ゥワァタシハ、『ハンエンタクカイギ』ノヨウナイメージデココニキタカラナ。ドンナオモシロイニンゲンニアエルノカトワクワクシテイタノダガ……フルメカシイダケノシュウダンニシカミエナクテナ。』
「んー……さっきの蒼葉が充分面白いんだがな。」
『トージョーガカ?』
「んー……どーでもいいが、この場には東条って苗字の奴は結構いるからな。蒼葉って読んどけ。」
『ン、ソウカ。』
「んー、あいつはあんな普通の雰囲気出してるが……あいつは水を使って術式を組み立てる。」
「……それくらい普通なんじゃないのか? 小町坂も時々血とかで術式を作るぞ?」
 オレがそう言うと、鬼頭はチッチッチと指を振る。
「んー、血は粘り気があんだろ? 乾けば固まるし。だから魔法陣とか文字をかくのに使えるんだ。だが水はそうはいかない。あんなさらっさらの物体で魔法陣をかくんだぞ? しかも無色透明で何かいたかもよくわかんねー。どこにでもあるし、血と違ってほぼ無制限に使えるが、術式をかくのには向かないモノ……だったはずなのに、あいつは水でオッケーなんだ。どういうテクニックなのかわかんねーがな。」
『ホウ。オソラクシャボンダマノヨウニカイテンヲクワエテヒョウメンノ――』
「んー、科学の講義はわかんねーよ。とにかく、そんな変人って事だ。《ヤブ医者》みてーだろう?」
『ホカノ『シジョー』モソンナカンジナノカ?』
「んー……会ってみるか? 歓迎はされねーだろうが。」
『フム、オモシロソウダ。』
「んー、会合までは時間あるしな。ちょうどいい暇つぶしだ。おい詩織……詩織?」
 鬼頭が詩織ちゃんを呼ぶが、詩織ちゃんはベッドの上で俯いている。
「んあ! おい、詩織! 起きろ!」
「! ふあ……」
 どうやら寝ていたらしい。
「ったく、やっぱりこうなったか。会合終わるまでは頑張れ。」
「は、はい……」
 そう言いながらも詩織ちゃんは船をこぎ出す。そう言えば時差ボケがどうとか前に言っていたな。そうか、詩織ちゃんは時差の影響をもろに受けてしまうタイプなんだな。
「んー……詩織が眠るとまずいからな。わりぃ、『四条』の紹介はできねーわ。」
『マズイノカ?』
「んー、まぁな。あ、確かお前ら北条派の知り合いがいたよな? そいつはどうした。」
「宇田川さんなら自分の家の所に行くって言って……」
「んー、よし。北条派の連中がどの辺りにいるか教えてやる。あとはそいつに頼め。」
 ついさっき別れたばかりなんだが……とあんまり気乗りしない気分でいると、部屋のドアが開いて何故か当の本人が現れた。
「いたいた。ちょっと来てほしいんだけど。」
「……だレダ?」
「お姉さんよ。」
「エエ!?」
 ライマンくんが驚くのも無理はない。宇田川さんは幽霊スタイルから綺麗な和服姿になっているのだ。相変わらずニヤリ顔ではあるんだが、服が変わるだけでこんなに印象が変わるとは。
「ミョン! なんだかすごく美人ダゾ! 馬鹿にも胃腸ダナ!」
「意味がわからないわ。馬子にも衣裳でしょ……って失礼ね。」
「お化け服も好きだけどこっちもいイゾ。そっかー、ミョンは美人だったんダナ……」
 なんだか久しぶりに会った親戚のおばちゃんみたいにしみじみと嬉しそうなライマンさんに対し、少し顔を赤くしつつも意地の悪い顔をしている宇田川さんが反撃する。
「ライマンだって、それなりの格好すればそれなりになると思うわよ? 髪伸ばしてスカートとかはいて……」
「髪伸ばすのはいヤダ。」
「何でよ。」
「小っちゃい時に女の子らしくしましょうねってお母さんに言われて伸ばしてた髪がブランコで遊んでる時に鎖に絡まって痛い思いしたンダ。あの時、僕は髪を伸ばさないって決めたンダ。」
「……ライマンにしちゃ真面目な理由ね。」
「失礼ダナ! 下敷きの中にも冷気ありダゾ!」
「何よ、その夏に嬉しい下敷き。」
 親しき中にも礼儀ありだろうな、とオレが思っているとスッテンがガショガショ音を出しながら両手を振る。
『ホイホイ、ガールズトークハソノヘンニシナイカ。ウダガワハナニカヨウガアッテキタンダロウ?』
「あ、そうよ。安藤先生たちの事を話したら。お姉さんのお父さんが会いたいって。」
『ンン? 『シジョー』ハ《ヤブイシャ》キライナンジャナカッタノカ?』
「確かに全体的にそんな空気だけど、それは『四条』の本家の話よ。分家になると色々な人がいるわ。少なくとも、お姉さんのお父さんは鬼頭先生以外の《ヤブ医者》が来てるって言ったら嬉しそうにしたわよ。」
 という事で、東条がせっかく案内してくれた鬼頭の部屋を五分と経たずに後にして、宇田川さんに連れられて北条派が集まっているという部屋に来た。いや、部屋というかホールだな。どうやらこの建物、こういう会議とかチャリティーとか用に大きな部屋がいくつもある建物らしい。
「ホージョーは習字で術式を描くってコマッチが言ってタゾ。みんな習字の先生なノカ?」
 ライマンくんがそう言ったのは、小町坂の話だけのせいではない。そのホールにいる和服姿の人々の大半が、何故か腰から筆をぶら下げているのだ。
「墨と筆が絶対ってわけじゃないわ。北条の術式は黒いモノで描くのが基本なのよ。」
「そッカ。ミョンはオセロで術式描くもンナ。」
「碁石よ。」
「小石? サンズノカワダナ!」

「はっはっは。そこはおそらく、賽の河原だね。」

 指してる場所は結局同じだが、微妙な違いにツッコミを入れつつ和服姿の四十くらいの男性が近づいて来た。
「あ、お父さん。」
 男性に対して、宇田川さんはそう言った。
「ん、ミョンのお父さンカ?」
「そうよ。」
「どうも。」
 柔和な笑顔で軽くお辞儀をする宇田川さんのお父さん。
「お父さん、この二人が《ヤブ医者》の安藤先生と……コロリン? 先生よ。」
「これはこれは。私は妙々の父、宇田川蓮です。」
「安藤享守です。」
『スッテン・コロリンダ。』
「鬼頭先生以外の《ヤブ医者》には初めてお会いしました。どうぞよろしく。」
 軽く握手をするオレたち。そして何故か宇田川さんのお父さんはオレとスッテンを交互に見た後、オレの方を不思議そうな顔で見つめてきた。
「……なんですか……?」
「……いえ……失礼な事を言いますが……《ヤブ医者》の方と言うのは独特の雰囲気があるようで……鬼頭先生とコロリン先生からは同じような印象を憶えます。」
「印象……ですか。」
「ええ。この人が《ヤブ医者》だと紹介された時、証明書を見なくとも、ああ、確かにそうだなと確信の持てる雰囲気……ですかね。そういうモノが安藤先生からは感じられないので……」
『アッハッハ。キョーマニハ《ヤブイシャ》ノカンロクガナイトサ。』
「何だよ、《ヤブ医者》の貫録って……」
『ダガ……コノキョーマハタシカニ《ヤブイシャ》ダ。ソレモ、ゼンニジュウハチニンノウチ、イチバントンデモナイギジュツノツカイテダロウナ。』
「そう……なのですか。」
 宇田川さんのお父さんが意外そうな顔でオレを見る。そしてオレがどんな技術を持っているのかという事を説明したのは、スッテンではなく、何故かことねさんだった。
「先生は《お医者さん》の中で唯一、切り離しをせずに治療が行える人なんです。」
「! 切り離しをせずに!? 『食眠』状態のヴァンドロームに攻撃を加えることが出来るのですか!?」
「はぁ……まぁ。」
『アッハッハ。トンデモナイダロウ?』
 何故かスッテンが自慢げにしゃべるのを見ながら、オレはことねさんをチラ見する。ことねさんはいつも通りの半目顔だったが、何故か左手を腰に当てていた。基本的にことねさんはだらんと腕を垂らしている事が多く、腕組みしている所も滅多に見ない。要するに、少し珍しいポーズをしていた。
 いや……あれは《オートマティスム》なのか?

「《ヤブ医者》じゃと?」

 突如、ホール全体に響き渡る声。見ると、ホールの奥の方からつかつかと誰かが歩いて来た。
「奇天烈な事しかできぬ文字通りのやぶ医者が、北条になんのようじゃ!」
 カンッと杖で床を叩いたその人物はかなりのおじいさん……いや、じいさんだった。あの柔らかく、紳士的だった卜部先生とは真逆で、絵に描いたように腰の曲がった身体に将軍様みたいな威厳たっぷりの和服を着ている。
 まるで仙人のような髭をゆらし、こちらを見上げているはずなのに見下ろしているかのような高圧的な態度。伝統、家柄、そして年齢。そういういかにもなモノこそが全てだと豪語しそうな……そう、一言で言えば偉そうなじいさん。
 我ながら妙に悪口だらけの印象になったが……一目で直感した。
 オレはこのじいさんが嫌いだ。

『オオ。ナンダカソレッポイノガキタゾ。』
 スッテンがあごに手をあてて興味深そうにじいさんを見る。
「なんじゃお前は! ふざけておるのか! これはどういうことじゃ、宇田川!」
 明らかに不機嫌なじいさんに対し、宇田川さんのお父さんは静かに答える。
「私の娘が通っているスクールの縁でこちらに来られた《ヤブ医者》の方々です。鬼頭先生とも親しいようです。」
「スクールじゃと? だから言ったのじゃ! 仮にも北条の分家だというのに、あんなくだらん場所で学ばせるから、こんな奴らがこの大事な日に紛れ込むのじゃ!! これだから宇田川は分家の底辺なのだぞ!」
「承知しております。故に、藁をも掴む思いで外に手を伸ばした次第です。」
「ふん! 選択を誤ったな、宇田川。まったく、伝統は大事じゃが、こういう実力の無い家が名前だけで居座ることができてしまうのは悪い点じゃな! その辺り、もっと考えるべきのようじゃ。」
「お言葉もありません。」
「いつまでも席があると思わぬことだ。北条に名を残したくばそれに恥じぬ行いをせい! こんなネズミを入れるなど言語道断じゃ!!」
「申し訳ありません。」
 散々喚いたじいさんはつかつかとホールの奥へ行き、そこで待っていた腰の低い人々に恭しく扱われていた。
 正直かなりイラッときたのだが、それよりも宇田川さんのお父さんの対応に感心した。これがカッコイイ大人というやつか。
「お見苦しい所を。」
『カマワナイ。アアイウノハ《イシャ》ガワニモタマニイルカラナ。シカシアノタイドカラスルト……アノジーサンガ?』
「ええ。現北条家の長、北条黒陵様です。」
「クロタカ? ミョンの家のその上の一番偉い人なんだロウ? 結構普通の名前ダナ。ホージョーナムアミダブツとかだと思ってタヨ。」
「お姉さんの名前は宇田川だからああなってるだけ……ってすごい名前ね。」
「なんだか、ただの偉そうなおじいさんって感じでしたね。」
「ことねさん、ぼそりと怖い事を……」
『イヤ。タダノジーサンデハナイゾ。』
「? どの辺が……あ、その兜でなんか見たのか、スッテン。」
『ニホンケイ……イヤ、ソレイゼンニジュツシキニツイテハソンナニクワシクナイガ、アノジーサン、カラダジュウニジュツシキガカカレテイタゾ。タブン、イレズミダナ。』
「身体じュウ? 耳鳴りホーイチダナ!」
「それは辛そうだけど、たぶん、耳無しだよ、ライマンくん。」
「そう、ソレ。」
『カラダニジュツシキヲカクトイウコトハ……ヘタヲスルト、アノカラダデニクタイキョウカヲスルノカモシレナイナ。』
「見ただけでそこまでわかるのですか?」
 宇田川さんのお父さんがびっくりしている。
『ナニ、タダノスキャンダ。クウコウデモツカワレテルフツウノギジュツダ……』
「でもそれって……」
 宇田川さんがニンマリしながらスッテンを見る。
「あのじいさんの裸を眺めたってこと? あ、もしかしてお姉さんたちも見られているのかしら?」
『アッハッハ。カガクシャニヒツヨウナノハジセイシンダ。ゥワァタシモ、ソレハネントウニオイテヒビイキテイル。オンナノハダカヲミヨウト、コノキノウヲツカッタコトハナイ。マ、シンヨウシテモラウシカナイガナ。』
「じゃあなんであのじいさんはスキャンしたんだ?」
 オレがそう聞くと、スッテンは本当に興味深そうにこう答えた。
『アンナニコシガマガッテイテジュウシントカハドウナッテイルノカキニナッタノダ……』
 ほんの数秒、少し上を見ながら黙り込んだ後、スッテンはふと顔を戻した。
『ヨシ、ホージョーニハアエタナ。アトフタリダ。』
「? と言いますと?」
 宇田川さんのお父さんが首を傾げる。
『ゥワァタシタチガココニキタノハ、ニホンノトップニタツ『シジョー』ガドンナ《オイシャサン》ナノカヲミルタメダ。トージョーニハサッキアエタカラナ。アトフタリダ。』
「なるほど。それでしたら……妙々、案内してあげなさい。」
「いいわよ。」
「というか……ミョンは会合には出ないんだロウ? 本当にここにいるだけなノカ? ひまダナ。」
「会合には出ないけど……その前に各家ごとの顔合わせみたいのがあるのよ。北条なら北条派の本家と分家のね。お姉さんがここに来た……というか分家がここに来る理由はそれよ。でもそれもあと一時間くらい待たないと始まらないの。だから案内するわ。」
 ということで、オレたちは宇田川さんに連れられて建物の中を移動する。
「まぁ、お姉さんはただの分家の人だから……各家の長と話をするってことはできないわよ?」
『カマワナイ。トオメデドンナヤツカダケワカレバ、ゥワァタシハマンゾクダ。』
「わかったわ。じゃ、まずは近くの西条からね。」

 近くというか……階を一階移動しただけだった。オレたちはドアが開かれているホールの入口付近に立ち、そこから中をのぞき込む。
 北条の《お医者さん》が筆をぶら下げている感じに、西条派の面々も腰や腕、首なんかに何か……白いモノを身に着けていた。よくは見えないが。
『ホウ。ニホンナノニ、マルデクロマジュツノシュウダンダナ。』
「何でだ?」
『レンチュウガミニツケテイルシロイモノ、アレハホネダ。』
「骨!? なんの……」
『ンー……アレハドウブツノモノダナ。ツマリ、ニンゲンデハナ――イヤ、ニンゲンノホネヲツケテイルヤツモイルナ。』
「心配ないわ。」
 宇田川さんは意地の悪い……ものすごく意地の悪い顔でニヤリと笑う。
「人骨を身に着けている人のそれって、基本的に先祖の骨だから。」
「お墓から掘り返したノカ?」
「掘らないわよ。お墓の中に納骨されてるんだから。そっちは土葬が基本だろうけど、日本は火葬よ。」
「へー、お墓の周りでパレードするノカ。」
「仮装じゃないわよ……」
「あの、宇田川さん。」
 スクールの二人の面白い会話にことねさんが入る。
「なに?」
「骨を使ったり……墨だったり。その、発動する術式の効果もそれぞれの家で特徴があったりするんですか?」
「もちろんよ。術式において対価は別になんでもいいけど、術式を組み立てる物……つまり魔法陣を構成する材料っていうのは術に影響を与えるわ。」
「何を使って作ってるかで、なんとなく術の効果とか種類がわかるんダゾ。」
 ライマンくんがエッヘンというポーズになる。しかしそんなライマンくんに宇田川さんが半目でつっこむ。怖い。
「アナタの術式はどんな達人が見ても効果がわからないじゃない……独特の感性で組み立てられてるから。」
『ドクトクカ。《ヤブイシャ》ノソシツアリダナ。アッハッハ。』
「ほ、ほんトカ!」
 ライマンくんが笑う鎧を嬉しそうに見つめる横で、宇田川さんの解説が始まる。
「西条の術式は……ま、材料からもわかるかもしれないけど、「死」とか「衰退」って感じの効果が多いわね。要するに、呪いよ。」
「ヴァンドロームに呪いをかけるんですか。」
「そうよ。あ、でも呪いって聞いてイメージするような……こう、不幸が続くみたいな効果じゃないわよ? ヴァンドロームの視力を奪ったり、方向感覚を狂わせたりして、一時的に弱体化させるような術式よ。ま、話によると禁術に分類されはするけど、西条にはヴァンドロームを即死させる術もあるとか言うわね。」
「なるほど……じゃあ、さっきの偉そうなおじいさんの所……と言いますか、ミョンさんたち北条派はどんな術式を?」
「アナタまでミョンって呼ばなくても……」
「きっと日本人にも言いにくい名前なンダ。」
 いつの間にかライマンくんが宇田川さんの隣にいた。そしていつの間にかスッテンがオレの後ろに立っていた。
『『シジョー』ノジュツシキコウザカ。キイテオコウ。』
「大げさね。えっと、北条の術式は水と冷気……つまりは氷ね。」
「西条が呪いで北条は氷ですか。なんだかジャンルが違いますね。」
「どっちかって言うと西条が特殊なのよ。」
『コオリカ。ヴァンドロームヲコオラセタリ、コオリノトゲトカデコウゲキスルノカ?』
「そんな所よ。でも北条の真骨頂はやっぱり水と冷気なのよね。」
「? どういうこトダ? 氷じゃなイカ。」
「簡単に言うと水と氷かしら。色んな形に変化する水と、その形を固定化する冷気。変幻自在の攻守ってのが北条のうたい文句ね。」
『ソウイウコトカ。タシカニ、カタチヲカエルコウゲキトイウノハヤッカイナモノダ。』
 呪い使いに水使い。いよいよもってRPGの魔法使いみたくなってきたところで、オレはふと思い出す。
「あれ? でも水を使うのは東条じゃなかった? 鬼頭の話じゃ東条蒼葉の特技はそれだって……」
「使うモノと術式の効果は必ずしも一致しないのよ。特に術式においてはね。」
「そーだぞ、安藤先セイ。魔法陣に組み込むモノは、何かの意味を持たせたモノなンダ。僕の術式ならまず、けん玉が――」
「ライマンのは参考にならないわよ。アナタにしかわかんないんだから……」
 ライマンくんがぶーたれるのを横目に、宇田川さんが説明を続ける。
「東条は術式に水とか葉っぱを使うわ。意味するところは「生命」、「活力」ってところね。効果は回復とか強化……主に自分を強くして戦うの。」
『ホウ、アルバートタイプカ。アノホソイオトコガニクダンセンヲスルノカ……』

「ここで何しちょる?」

 突然、そんな言葉が聞こえた。オレたちは宇田川さんの説明を受けていたから、なんとなく輪になって話をしていたのだが……その輪を影が覆った。
「……!」
 オレは声の主であり影の主を見て息を飲んだ。
「人の出入りがある思うて扉を開けておいたら、なんやチラチラと覗き見て……そのふざけた格好からして……紛れ込んどるっちゅー《ヤブ医者》やな?」
 デカい。アルバート並の大男だった。ただし、アルバートが筋肉のせいで実際よりも大きく見えるのに対し、この男は素でデカい。体重とかで言えばアルバートを超えるかもしれない。だがだからと言ってお相撲さんみたいではなく、がっちりした体形だ。
 和服揃いの中で一人、柔道着を着ているその男は頭を角刈りにし、かなり不愛想な顔をしている。
『フザケタカッコウナラ、オタガイサマジャナイノカ?』
「なんやと?」
 大男がスッテンに睨みを利かす。対するスッテンは……少なくともオレの印象ではいつも通りのヒョウヒョウとした態度。
「《ヤブ医者》がこん会合になんの用や。おいたちの技術、盗みに来たんか?」
『ウーン。ベツニゥワァタシガヌスミタイトオモウホドノモノハマダミテナイナ。』
「ほう?」
 スッテンとしてはいつも通りなんだが、どうもケンカを売っているようにしか見えない。これはちょっとまずい気がするな……

「秋虎ぁっ!」

 険悪な雰囲気の中に威勢のいいよくとおる声が響く。

「そろそろ五十にもなろうって男が、何をちっさい事で客人を威圧してんのさ! でっかい身体のくせに、あんたのタマぁBB弾なのかい?」
 外で会えば確実に道をゆずる大男に対してとんでもない事を言ってのけた人物は、これまたとんでもなかった。
 その人物は女性だった。しかもかなり小さい。ことねさんと同じくらいの身長の女性……いや、この若さだとまだ女の子って言った方がしっくりくる。
 髪をオールバックにしつつも一束だけアンテナのようにひょっこりと前に出し、着物を着ているのだが両肩をはだけさせ、サラシを巻いた胸を恥ずかしげもなく見せている。
 体格と年齢に対して性格がマッチしていない……そんな違和感を覚える小さな女の子は、堂々たる態度で大男の前に立ち、下から睨みつける。
「おぬしは……」
 大男は反応しづらそうな、どう対応すればいいのか迷っている風な顔になる。
「まったく、西条家の長、西条秋虎ともあろう男が情けない。少しは大人になりな! いつまでもおしめのとれないガキじゃないんだから。」
「……」
「どうにもあんたじゃ客人の世話も満足にできないみたいだから、あたいが連れてくよ? 文句はないね?」
 そう言うと、女の子はスッテンの手を引っ張り、スタスタと歩き出した。
「さ、お前さん方。こっちだよ。」
オレたちは何が何やらという感じに一緒にその場を退散した。


 女の子に引っ張られてついたところは、南条という札がかかっているホールだった。
「すまなかったね。どーにも《ヤブ医者》ってモンに過剰なんだよ、連中。」
 何の躊躇もなくホールの中をズンズン進んでいく女の子。南条の関係者だとは思うんだが、周囲の目は少し嫌なモノを見るそれだった。
「ほら、一応申し訳程度には食べ物も用意してあんだ。この辺り、適当につまんでおくれ。」
「あー……えっと……」
「遠慮しなくていいんだよ? お前さん方は南条で世話を見るのが筋だから――痛っ!」
 突如女の子の頭上に空手チョップが落ちる。
「お前、どこにいた!」
 チョップをしたのは鬼頭だった。珍しく口に何もくわえていない。というか、珍しく怒ってる。
「痛いじゃないか! なんだい、そもそもあんたがきちんとしないからこうなるんだよ! あんたの客人でもあるんだろう?」
「お前が出て来なきゃ俺がやったわ! この馬鹿が! つか、服をちゃんと着ろ!」
「いいじゃないか。粋だろう?」
「後で詩織が大変な事になんだよ! 前もそうだったろーが!」
「そうだったねぇ。何でだろうね。見られても恥ずかしくない、いいもん持ってるのにねぇ?」
 そう言って女の子は自分の胸をクイッと持ち上げた。
「! まさか!」
 いきなりことねさんが驚く。それに対してオレたちも驚く。そしてことねさんはおそるおそるという感じで女の子を指さし、こう言った。

「詩織ちゃんですか?」

 ? 詩織ちゃん?
「あっはっは! 正確に言えば、この身体が詩織だね。」
 高らかに笑う女の子の着物を直しながら、鬼頭がため息をつく。
「……んー……紹介すると、こいつが詩織の中に住んでいるBランクヴァンドローム、《ノーバディ》だ……」



 私が詩織ちゃんに会った時、詩織ちゃんが言っていたのはこういう話だった。
 詩織ちゃんの頭の中には《ノーバディ》というヴァンドロームが住んでいる。私の左手に住んでいる《オートマティスム》のように。
 通常は十数センチある《ノーバディ》だけど、詩織ちゃんの頭の中にいる《ノーバディ》は数ミリ単位。住んでいるからと言って害はないんだけど、そんな所にいるから治療もできない。だから詩織ちゃんは鬼頭先生の下で《ノーバディ》との共存というのを目指している。
 《ノーバディ》が発症させる症状は『夢遊病』。だからなのか、詩織ちゃんが寝ている間は身体の支配権が《ノーバディ》に移るらしい。


「んー……詩織の奴、やっぱり時差ボケで寝ちまったんだ。んで、こいつが出てきた。」
「よろしく頼むよ!」
 普段顔の見えない詩織ちゃんだから、髪をあげると本当に別人に見える。あのオドオドした詩織ちゃんから想像しにくい、パッチリとした目で……何と言うか、元気の良さそうな人の顔だ。
「ああ……噂に聞いてた姉御肌南条詩織っていうのはアナタだったのね……」
 ミョンさんが納得した顔でそう言うと、《ノーバディ》……さんはひらひらと手を振る。
「いやだよ、姉御肌なんて。まだ七十年くらいしか生きてないさ。」
『オバアチャンジャナイカ。』
「失礼だね!」
「というか、ヴァンドロームってそんなに長生きなんですか?」
 私はそう言いながら先生を見る。
「《ノーバディ》は特殊かな。ほら、『夢遊病』ってさ、一緒に住んでる人がいないと気づく人がいなかったり、そもそもいたとしても結局その時間はみんな寝てるから……つまり、気づかれにくいヴァンドロームなんだよ。だからなんだかんだその生き物の『元気』を全て食べて次に行くんだ。食事を邪魔されずに十分な『元気』を捕食できるのなら……ヴァンドロームって結構長く生きるんだよ。」
「そうなんですか……」
 今の先生の言葉を聞いて思い出す。ヴァンドロームは『元気』を食べ、それを食べつくされると生き物は死んでしまう。この気の良さそうな《ノーバディ》さんも……きっと何人もの人を……殺してきたんだ……
「んー……お前は仕方のない事を面倒に考えるんだな、溝川。」
 何となく下を向いていた顔を上げると、鬼頭先生がポケットから出したポッキーをかじりながら笑った。
「んー、お前の考えてることはわかるぞ。お前は、この《ノーバディ》だって何人かの人間を死に追いやっていると思い、こいつとの距離感を掴みづらいと考えている。実際その通りで、こいつのせいで死を向かえた人間はそこそこいると思うぜ? なぁ?」
「ん? そりゃまぁね。人間がメインってわけじゃないけど、それでもいくらかは食べたさ。」
 あっさりと言う《ノーバディ》さん。
「んー、別に思い悩む事は否定しねーし、そういう問題にぶつかるってのは自分の左手との共存を目指すお前には必要な事だろうな。《オートマティスム》だって、記録によれば何人かの人間を死に追いやってる。それも『元気』を食べつくしてではなく、勝手に動く自分の手に我慢できなくなって狂い死んだ。んま、記録によればってだけで……《お医者さん》側が把握してない狂い死にが何件あったかなんてわかんねーがな。」
「……」
「だがな、溝川。お前とそいつはそうなってないじゃないか。」
「……?」
 私がどういう意味かわからないという顔をすると、鬼頭先生はポッキーをくわえながらも真面目な顔になった。
「お前の命が危ういってんならともかく、そうなってないなら気にするな。顔も知らないどこかの誰かの死について考えるのはやめておけ。死に思いをはせるのは身内の時だけにしておくことだ。でないと、頭がパンクする。特に……こういう生死の狭間を見る職業ではな。」
 少しその場の空気が真剣な感じになったのだけど……
『オオ? キトーガナニヤラセンセイッポイコトヲイッテイルナ。』
 スッテンさんのとぼけた声でいつもの雰囲気に戻った。

「鬼頭っ!」

 ――と思いきや、すぐさま緊張の走る声がした。
「この大まぬけ! うちに恥をかかせるな!」
 声の方を見ると、ホールにいた人たちがわきによってその人の為に道をあけているのが見えた。
「西条のデカ物から嫌味を言われちまったじゃないか! 腹の立つ事だよ!」
 なんて言えばいいのだろうか。ツカツカ……セカセカ……とにかく足早に歩いているのは確かだけど、妙に品がある。和服を一切乱れさせることなく、その人……その女性は歩いてきて鬼頭先生の目の前で止まった。
「何のためにうちの大切な娘を《ヤブ医者》なんぞにあずけてると思ってるんだ? あぁっ?」
 お宿の女将さんがするような、髪をくるくるっと巻いた髪型。黒地に赤で炎のような模様が描かれた着物。女性にしてはかなりの長身。そしてキリッとした、睨みの効いたカッコイイ顔立ち。
 色々と表現できるけど……たぶん、この一言に尽きる。
 極道の人だ。
「まー姐さん、そんな怒らなくてもいいじゃないか。客人の手前、恥ずかしいもんだろ?」
 日本刀と鮮血が似合いそうなその女性に対し、《ノーバディ》さんが気さくにそう言った。
「あん? ああ、あんたか。あんたも、共存するならするで分をわきまえな!」
 なんだかすごかった。姉御肌と言われている《ノーバディ》さんと見るからに極道なその女性の会話は妙に迫力がある。
 鬼頭先生と《ノーバディ》さんが一通り怒られた所で、棒付キャンディーを舐めつつも申し訳なさそうな鬼頭先生が女性を紹介する。
「んー……この人は南条朱夏。詩織の母親で、南条家の長だ。朱夏さん、こいつらは――」
 私たちの事を紹介しようとした鬼頭先生を片手で制し、極道の女性……南条朱夏さんは私たちをその鋭い目で眺める。
「そっちの白衣が安藤、そこの小さい子が溝川だろ。詩織から何度か聞いてる。そんでそっちの髪の長いのが、北条のとこの宇田川。そっちのベレー帽は知らないな。それと……その鎧は中に誰か入ってるのか? それとも誰かの手荷物か?」
『ハイッテルゾ。《ヤブイシャ》ノスッテン・コロリンダ。』
「ふざけた格好と思いきや、名前も釣り合うそれとはな。ま、ここまでいくと潔いけど。」
 ここに来て何故かよい評価をもらったスッテンさん。
「ぼ、僕はライマン・フランクダ。スクールで勉強してて、今は安藤先生のとこにイル。」
「スクール? 東条が喜びそうな客人だな。」
 そこまで言うと、南条朱夏さんはピッと姿勢を正し……いや、元からすごく姿勢よく立ってるんだけど、とにかくキリッとする。
「鬼頭から紹介されたけど……うちは南条朱夏。現南条家の長を務めている。そして南条詩織の母だ。きっと、あんたらに対しては『四条』の一角という肩書よりも詩織の母って方で接するべきなんだろうな。安藤、溝川。いつも娘が世話になっている。」
 そう言いながら深々と頭を下げる南条朱夏さん。私と先生はそろって「いえいえそんな」と言いながらあたふたする。なんだかこっちが悪い事をしているような気分にさせされる。頭を下げてはいけない人が私たちの目の前で下げている……みたいな感じだ。
『ンン? ホージョートサイジョーノトキトマタチガウナ。アノフタリハテキイムキダシダッタガ。』
 頭を上げた南条朱夏さんにスッテンさんがそう言った。
「《ヤブ医者》に対する態度の話か? 心配するな。南条家も《ヤブ医者》は嫌いだ。よくわからない奇天烈集団が《お医者さん》の大事な決め事をしているなんて、冗談じゃない。」
『……イッテルコトトタイドガトモナワナイゾ。』
「そうか? そうだな……わかりやすく言うと、例えばうちは……《ヤブ医者》は嫌いだが鬼頭はそこそこ信頼している。実際、詩織を色々と助けてくれている。そして《ヤブ医者》は嫌いだが、安藤の事はきっといい奴なのだろうと思っている。詩織の話の中にたまに出て来るが、溝川と一緒に、詩織に良くしてくれているようだ。」
『ナニガイイタインダ?』
「あはは。よーするにさ。」
 詩織ちゃん……じゃなくて《ノーバディ》さんがニシシと笑う。
「《ヤブ医者》みたいな変な奴らが色々決めるって事は嫌だけど、別にだからって《ヤブ医者》の鬼頭や安藤を全否定はしないってことさ。」
 肩書や所属だけでその人を判断しないという事だろうか。なんだか……色々とカッコイイ人だ。
「それで……詩織はいつ起きるんだ?」
 南条朱夏さんが《ノーバディ》さんの方を見る。
「そうだねぇ……熟睡とまではいかないけどお昼寝って程軽い眠りでもないね。四~五時間はこのままかね。」
「まったく……またあんたが『四条』に出るのか。北条と西条がうるさく言うな……」
「んー、悪いな朱夏さん。時差ボケ考えてあっちで寝かしときゃ良かった。」
「そういうのも含めてあんたに任せてるんだよ? しっかりして欲しいところだな……さっきは大声で怒鳴って悪かったな……みっともない事だよ。」
「んー……普通に俺の落ち度だ。」
「あたいも気を付けるべきだった。気にしないでおくれよ、姐さん。」
 なんだか……鬼頭先生と《ノーバディ》さんと南条朱夏さんは不思議な関係だ。立場的に上下関係があるようで、本人たちもそれを意識してるんだけど……そこまで縛られてもないフランクな関係。
 私に……私と先生にも結構色々あって、先生とキャメロンさん、《イクシード》さんにも色々あって……色々な色々が色々と絡まって色々な関係を、絆とか信頼とかを生んでいる。なんだかすごいなぁ……
 と、柄にもなく人生みたいなことを考えた私は少し恥ずかしくなって下を向く。すると変な光景が見えた。
 いつの間にか、私の左手が食べ物の置かれているテーブルから食器を一つ持ち上げているのだ。その食器は、きっとテーブルの真ん中に置いてあるお肉を切り分けるのに使うんだと思う……ちょっと長めのナイフだった。
 最近は勝手に動く事が少なくなっていた私の左手は、器用にナイフを回転させて……まるでダーツをするかのようにナイフを持ち――
「! っとと、うわっ!」
 私の身体を振り回しながら、それを投げた。

「ぎゃあっ!」

 離れた所……ホールの壁際でそんな声がした。
「なンダ?」
 ライマンさんが声の方を背伸びして見ると、スッテンさんが何事もなかったかのような口調でこう言った。
『コトネガトウテキシタナイフガダレカノミギテヲカベニヌイツケタ。』
 みんなが一斉に私の方を見た。一瞬ビクッとしたけど、先生だけは他のみんなと視線が違っていた。私はそれにホッとする。
「スッテン、周囲に警戒してくれ。敵だ。ことねさん、こっちにおいで。」
『ケイカイ?』
「なんでもいい。怪しい人物はいないか調べてくれ。オレは壁に縫い付けられた誰かを見て来る。」
 先生は私の左手を掴もうとしたけど、一瞬考えて右手を握り、声のした壁際の方に向かった。

「ちっくしょう! いてぇ! があああっ!」

 壁際に行くと、刃の根本まで深々と壁に突き刺さっているナイフ……そのナイフと壁の間に自分の右の手の平を貫かれて動けずにいる人物が大声で喚いていた。その人は和服を着た……結構な年齢のおじいさんで、こんな人から乱暴な口調の喚き声が出てる事に違和感を――
「って、あれ……?」
 私はそのおじいさんの顔を良く見る。そして思い出す。
「せ、先生! このおじいさん、小町坂さんの病院に来た人です!」
「それって……《ミスユー》が奪われた時の?」
「そうです!」
 ニック・フラスコの事件の前、小町坂さんが倒そうとしていた《ミスユー》が奪われる事件があった。あの時、小町坂さんが突き飛ばし、私が病院の出口まで送って行ったおじいさん……あとで先生に話したらそのおじいさんが犯人だったかもしれないと言われた。
 そのおじいさんが、何故かここ、アメリカで開かれている『四条』の会合の会場にいる。
『オイキョーマ。』
 後ろからガショガショと歩いて来たスッテンさんがそのおじいさんを指さす。
『コノカイジョウ……トイウカ、『シジョー』ノカンケイシャハゼンイン、ジブンガショゾクスルイエノアカシミタイナナニカヲミニツケテル。ホージョーハフデ、サイジョウハホネトイッタカンジニナ。ダガソノジイサンハソウイウシュウイトトウイツセイノアルモノヲヒトツモミニツケテイナイ。ゥワァタシタチヲノゾケバ、ソノジイサンダケガナ。』
「部外者だな?」
 スッテンさんの後ろから南条朱夏さんが……かなり怖い顔でやって来た。
「こうやって直接見ればわかる。《お医者さん》も《ヤブ医者》も、共に他人を助けるって事をし、また目指してる人間だ。だがあんたは……その逆に見えるな。」
 南条朱夏さんがスッと右手を横に出す。すると誰かがさっと南条朱夏さんの横に立ち、その右手に何かを持たせた。
「溝川、お手柄だ。こんな敵意だけの奴を見逃していたうちの落ち度、大事に繋がる前に防いでくれたな。まったく、恥ずかしい事だよ。」
 南条朱夏さんが手にしたのは日本刀だった。鬼頭先生が使っていたような五メートルもあるモノではなく、常識的な、普通の長さの日本刀。だけど……それを抜いて刃をおじいさんに突き付けた南条朱夏さんは尋常じゃない迫力だった。
「どこのもんだ。」
 対しておじいさんは、そのおじいさん的な容姿からは想像できない……追い詰められた悪者みたな、これまた迫力のある表情だった。そしておじいさんはこう叫んだ。

「カール! いるんだろう! 助けろ!」

 誰かの名前を呼んだおじいさ――カール? 聞いたことが……

「いきなり名前を呼ばないでくださいよ……きっとあなたは拷問されたらすぐに口を割るタイプですね……」
 声がした。だけどどこから声がするかはわからない。ホール全体に響くような……そんな声だった。
「先生、カールって……」
 私がそう言うと、先生は険しい顔になった。
「うん……カール・ゲープハルトだね。スッテン、そのじいさんが今呼んだのは《パンデミッカー》の名前だ。『症状』はわかんないが、そいつは姿を透明にできる。」
『ホウ。ソレハヤッカイダナ。オンドセンサーデミテミヨウ。』
 そう言った後、五秒くらい黙ったスッテンさんは首を傾げた。
『……アヤシイヤツハイナイナ……マサカカンゼンニヒカリヲシャダンシテイルノカ?』
「? 何で温度センサーなのに光なんだ?」
『セキガイセンヲツカマエルカラナ。』
 先生も私もイマイチわからずに?を浮かべていると、あっはっはと《ノーバディ》さんが笑い出した。
「機械に頼っちゃだめさ! ここぞって時にモノを言うのは、やっぱ自分の感覚だよ。」
 そう言いながらテーブルの上のフォークを手にした《ノーバディ》さんは目を閉じて数秒黙りこみ、そして勢いよくフォークをどこかへ投げた。
 不思議な事が起きた。飛んでったフォークは、何かにぶつかったわけでもないのに、空中で飛び跳ねた。まるで、何かに弾かれたみたいに。
「そこだね? 姿を現しな!」
 会場内の人たちが、落ちたフォークからある程度の距離をとった。それなりに人だらけだったホール内にぽっかりと空いた人のいない空間。その真ん中が、まるで蜃気楼のように一瞬歪む。
「こうも簡単に見つかるとは……そこの《ヤブ医者》の目はかいくぐれたというのに。」
 歪んだ空間に人が現れた。上も下も、髪の毛も含めて真っ白な服装の男……前に高瀬船一と共に甜瓜診療所にやってきた《パンデミッカー》、カール・ゲープハルトがそこにいた。
「一体どんな手品で自分の居場所を?」
「手品じゃないさ。元から備わってる人間の能力をそのまま使っただけさ。」
「ほう?」
 所謂敵陣のど真ん中……という状況にも関わらず、カールが教えて欲しそうな感じに腕を組んだ。実際、私も気になったから《ノーバディ》さんの方を見る。
「あんた、映画を観た事あるかい?」
「? ええまぁ。」
「映画を観てる時ってのはさ、映画に集中したいけど……例えば隣でペチャクチャとしゃべる奴がいたらイライラするだろう?」
「そうですね。」
「そこがさ、人間のムダなんだよ。」
 《ノーバディ》さんは耳に手を当てて目を閉じる。
「聞きたい音だけ聞けばいいものを、その時はどうでもいい音まで聞いちゃってさ。終いにはしっかりと解析しちゃって会話の内容まで理解しようとする。そんな事に脳の演算能力を使うんなら、本当にしたいことにだけ全ての演算能力を使った方がいいに決まってる。そう思わないかい?」
「……まさか……それがあなたの能力ですか。」
「違うさね。あたいと詩織の能力さ。あたいが普通とはちょっと違う感じに生まれた事と、そんなあたいとマッチした身体を持つ詩織。二人が組み合わさって初めて出来た事さ。この、脳の完全統合はね。」

 脳の統合。普通、脳は記憶を担当する場所、計算を担当する場所、感情を担当する場所と色々な担当に分かれて機能している。それを《ノーバディ》は完全に統合してしまったと詩織ちゃんは言っていた。
 脳が持っているびっくりするくらいにすごい情報の処理能力……それを百パーセント一つの事に使える……それが《ノーバディ》さんが起きている間の詩織ちゃんなのだとか。

「この場にいるけど見えない誰かを探す……まず、視覚は遮断するだろう? 見えないのに動かしていても意味がないからね。味覚も遮断して残るは音と匂いと空気の感覚。南条の面々のしゃべり声なんて無視して、料理の匂いも省く。正体がわかってる情報を除いて行けば、正体がわからない情報が見えて来る。それが何かってところまではわからないけど、それがどこからの情報なのかはわかるってことさ。」
「……つまり、人間の能力……いえ、人間の身体の限界値を引き出す力という事ですか。普通はどんなにあがいても辿り着けない限界値に、脳の統合という道で辿り着く。これはまた厄介な事ですね。」
 カールは、まるで「いやーためになる話を聞いた」という風な感心顔をする。
「まいりましたね。見ての通り、自分もそこの彼も戦闘向けではなく、偵察向けの症状を使います。元々皆さんに何かをするつもりなど無く、ただ単に日本系術式の頂点が現在どんな感じなのかを見に来ただけなのですがね……きっと皆さんは自分たちをすんなり帰しはしないのでしょう?」
 カールがやれやれという顔でそう言うと、南条朱夏さんが壁に縫い付けられたおじいさんに刀を向けたまま、横目でカールを睨みつける。
「部外者がこそこそ嗅ぎまわってる時点でその通り。《パンデミッカー》とわかった今はそれ以上に。その辺りは当然だろう? それとついでに……あんたは今、見ての通りと言って自分とこの年寄りを偵察向けと言ったが……うちらはこの年寄りの症状を知らないんだが?」
「え?」
 少し驚いたカールは壁のおじいさんを見た。
「あれ、まだその姿なんですか? 何してるんですか。この危機的状況をご老体で切り抜けようとしてるんですか?」
「馬鹿言うな! このナイフが抜けない限り、戻った所で動けねーだろーが! とっとと助けろ!」
「……正直、自分はあなたが嫌いですがね。この状況、あなたの協力無しには切り抜けられない気がします。」
 そう言った後、カールはまるで野球選手か何かのように慣れた動きで滑らかに、何かをおじいさんに向けて投げた。
「うっし!」
 それを左手で受け取ったおじいさんは、受け取ったそれで何かをした。すると深々とナイフが刺さっている壁が砕け、ナイフが抜ける。そして素早く床を転がって南条朱夏さんから距離をとった。
「礼を言うぜ、カール!」
 おじいさんがその容姿に似合わない事を言った瞬間、その容姿が……セリフに似合うそれになった。
「え?」
 私が思わずそう言うと、先生が隣で呟いた。
「若返ったね。」
「若……!? ど、どういうことですか?」
「厳密には、あれがあの男の本来の容姿。さっきまでは歳を取っていたんだよ。」
『ナルホド。オソラクアヤツッテイルヴァンドロームハ《ロケットクロック》ダナ。ショウジョウハ『ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリアショーコーグン』ダ。』
 相変わらず、スッテンさんが知らない言葉を言うと呪文にしか聞こえない。私が先生を見ると、先生は苦笑いをしながら解説してくれた。
「『ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群』。もしくは『ウェルナー症候群』。わかりやすくいうと『早老病』だね。文字通り、急激に歳をとるんだ。」
『ヴァンドロームヲトリツカセルトリツカセナイデホンライノネンレイトジーサンノネンレイ、フタツノヨウシヲキリカエラレルワケダ。タシカニ、テイサツヨウダナ。』
 一瞬で老人の姿に慣れる症状と、身体を透明にできる症状……この前の事件で出会った《パンデミッカー》と比べると、確かに攻撃向きじゃない。
 そしてこの場には日本系術式の使い手が百人近くいて、《ヤブ医者》もいる。私は、この前ほど危ない状況じゃないなと、ホッとする。
 だけど――
「何が偵察向きだ。」
 そう言ったのは南条朱夏さん。
「今、そこの年寄りもどきが使ったのは術式だな。それも略式……それが出来るって事はそこそこの術式使いという事だ。」
 略式……ライマンさんがこの前の事件で使った、省略術式の事だ。術式を発動させるのに本来必要な過程をいくつかとばして発動させる方法。ただし、発動時間とか威力が落ちるっていうモノだ。
「ヴァンドロームがいないと発動しない術式だが……あんたらのように常にヴァンドロームを連れている変人連中なら、いつでも使える魔法になる。隠れる方法と攻撃する方法を持っている奴を、ただの偵察要員とは普通思言わないがな。」
「本職ではありませんよ……」
 そう言いながらカールがポケットから取り出したのは何本かのマジック。ちなみにおじいさん……だった人もマジックを持っていた。たぶん、さっきカールが投げたのだろう。
「おい、カール! 赤色は無いのか!」
「……その立場で文句を言いますか。持ち歩いて下さいよ。」
「おれはお前みたいに見えなくなるわけじゃねーんだ! 怪しいモノなんか持てるか!」
「そこまで考えておきながら、なぜ『四条』に溶け込む努力を一歩怠ったのやら……」
 見るからに仲の悪い二人。敵なんだけどなんだか笑えるその光景は唐突に断たれた。

「!! があああああっ!?!?」

 おじいさんだった人が叫び声をあげる。何故なら、おじいさんだった人の右手が突然燃え出したのだ。
「な、なんだぁっ! なんな――ぎゃあああああ!」
 右手の火はそのままに、次は右肘辺りから火がでる。次に右肩、首の右側面……まるで火が右手から段々と腕の中を通って上に登って行くように燃えていく。

 パチン。

 誰かが指を鳴らす。するとおじいさんだった人の右腕を包んでいた火が消えた。
「致命傷ではないから安心しな。あんたみたいなクズを殺して人殺しにはなりたくない。」
 床の上を痛そうに転がっているおじいさんだった人の焼けた右腕を片足で踏みつけ、さらにあがる絶叫を毛ほども気にせずに、南条朱夏さんは呟いた。
「もっとも、この右腕は二度と動かず、一生呼吸に難儀するがな。」
「……一体何を……」
 ここで初めて、カールの顔から余裕が薄れた。
「まさかあんた、こいつがあんたからマジックを受け取った時にうちがぼけっと傍に立ってただけだったと思ってるのか? どんな事を、どんな武器を持ってるのか見ておこうと思ってわざと何もしなかったんだ。そしたらナイフが刺さった壁に略式を描き始めたからな。術式使いと判断し、その略式が発動する前にうちの略式をかけておいた。」
「!? 彼がマジックを受け取って略式を発動させるのに二秒も無かったはず……それを……彼が術式を描いた後に動いて彼よりも早く術式をかけたと!?」
 カールが驚愕する。イマイチピンとこない私は先生を見る。先生は私の視線に気づき、今のこう例えた。
「例えると……AからZまでのアルファベットを順番に書くとして、あの男がHくらいまで書いたところで南条朱夏さんはAから書き始めて、結果先に書き始めていたあの男よりも早く書き終えた……みたいな?」
 ……要するに、術を組み立てるのが物凄く早いという事か。
「何も驚く事じゃない。あんたらがうちの術の為に色々用意しててくれたからな。」
「どういうことですか……」
「術式発動の最低条件であるヴァンドロームはあんたらが持ってきた。そして、南条の術式を組み立てるのに最も適したモノ、即ち血を、その年寄りもどきは親切に右手から出していてくれたからな。」
 血……そう言えば小町坂さんが南条家は血を使うって言っていたような……
「んー……北条が氷と水なら、南条は炎なんだ。」
 ぬっと隣に鬼頭先生が立つ。
「組み立てるのに使うのは基本的に赤いモノ。花びらとかでもいいんだが……元々代償が髪の毛だったり腕の一本だったりしてっから、血は最も相性がいい。命と直結するってんで術式の材料としてはかなりの力を発揮するしな。」
「じゃ、じゃあ今の術は……」
 私がおそるおそる言うと、鬼頭先生はニヤリと笑う。
「右の手の平から出た血を元に術式を組み立て、そこから……腕の中を通る血を伝って首まで火を登らせた。つまりあれは、腕の中から火を出してんだ。」
 身体の中から焼く炎。単純に考えれば……南条朱夏さんがあの刀を振るい、それによって少しでも傷を受け、血を流したのなら、そこを入口に体内を焼かれてしまうのか……
「さ、残るはあんただけだ。往生際は、良くしなよ?」
 元からそうだったのだけど、本人が余裕な顔だったからそう感じられなかった。だけど今、カールは真に追い詰められた顔をしていた。
「……これは厳しいですが……確率が無いわけではありませんね。」
『ホウ。』
 スッテンさんが興味深そうにカールを見つめる。……たぶん、見つめてる。
『《ヤブイシャ》ガサンニンニジュツシキツカイガヒャクメイイジョウ。コノジョウキョウヲヌケラレルトイウノカ。』
「……自分は、《パンデミッカー》内では数の少ない、術式使いです。」
 カールは手にしたマジックで先生を指す。
「この場において……いえ、相対したのなら確実に厄介なのは安藤さん、あなただ。あの人の技術を受け継いだあなたに勝てる《パンデミッカー》はいるのやらという状況……しかし、勝とうとせずに逃げるだけなら自分に分があります。」
「……透明になる症状の事を言ってるのか?」
 先生がそう尋ねる。だけど透明になっても《ノーバディ》さんなら見つけられるから、その症状では逃げられないはずだ。
「違います。安藤さん……あなたやそこの『エイリアンハンド』は圧倒的な力を持っています。ですがあなた方には弱点がある……そう、術式の知識が皆無なのです。」
 突然先生と同列にされた私はびっくりする。だけどその後の、術式の知識が無いっていうのは本当の事だ。
 先生に《お医者さん》を教えたのはキャメロンさんで、キャメロンさんは元々(お医者さん)じゃない。使う技術は『異常五感』を使った特殊な治療法。だから先生は術式の事を、かじった程度しか知らない。そんな先生に習っている私も同じだ。だいたいの概要は知っていても、詳しい中身は知らないし、術の一つも発動できない。
 術式には色々な効果がある。西条の呪いみたいに、ちょっと動けなくしたり、動きをにぶらせたりってこともできる。そういう術に対して、私も先生も何もできないのだ。
 例え、身体の中にSランクのヴァンドロームがいたとしても、効果が全くないって事はきっとない。
「そしてスッテン・コロリンと鬼頭新一郎……この二人の《ヤブ医者》も術式使いではありません。一般的なモノには対処できるかもしれませんが、少し複雑なそれになれば、対応できないでしょう。」
 カールの推測に、スッテンさんは堂々と頷いた。
『タシカニナ。キトーガドウカハシラナイガ、ゥワァタシハジュツシキニツイテ、チシキハアルガケイケンハナイ。ショウジキ、タイショトイワレテモナンノコトヤラトイウカンジダナ。マッタク、コンナコトナラジュツシキニツイテノケンキュウヲモットヤッテオケバヨカッタカ。シカシアノトキハアレノケンキュウニボットウシタカッタシナァ……』
 なにやら一人でぶつぶつと言うスッテンさん。
「んー……俺も実際の所はちんぷんかんぷんだな。やれと言われたらできねー。」
 何故か正直に答える《ヤブ医者》の二人の呟きが終わると、カールは視線を南条朱夏さんに移した。
「という事は、ここにいる術式使い全員に勝てれば、自分はそこそこの確率で逃げられるというわけですね。」
 カールの表情に余裕が戻って来た。だけど――

「それは『四条』に勝つということか、若造。」

 ついさっき聞いた声がホールに響く。
「……あんたら……何しに来たんだ、あぁ?」
 南条朱夏さんが不機嫌に睨みつけた先、ホールの入口に立つ三つの人影。
「ヴァンドロームのいないはずのこの場所で誰かが術式を発動させた気配を感じたのじゃ。そして来てみれば……ふん、《パンデミッカー》とはの。」
「こうして見るのは初めてだが……生意気にも術式を使うんか。」
「……」
 何故か楽しそうな顔の北条さん。さっきとまるで表情が変わっていない西条さん。そして明らかに不機嫌そうな顔をしている東条さん。
 『四条』のトップが勢揃いした。
「おい、ここは南条の部屋だ。部外者が首つっこむな。」
「は! 何が部外者じゃ。お主所有の部屋でもない所で何を言う。」
「老頭児が曲がった腰引っさげてわざわざ階を移動してまで突っ込む話じゃないって言ってんだ。」
「阿婆擦れが。お主だけで処理できるのかも怪しいもんじゃ。儂にやらせい。ここしばらく骨のあるのとやっておらんのじゃ。」
「あんたの戦闘欲なんざ知るか。」
 カールが蚊帳の外に放り出されるくらいに睨みあう二人の横、西条さんが一歩前に出る。
「おぬしら、喧嘩しちょるなら……ここはおいが行く、観戦しちょれ。」
「西条! あんたの出る幕でもないんだよ!」

「黙りなさい。」

 遂に三人の口喧嘩になったなぁと思っていたら、三人の誰よりも迫力のある声色で東条さんが呟いた。
「分を弁えて欲しい所です。北条と西条は論外なので口も挟まないで下さい。南条!」
「あん?」
「この部屋が南条のだという主張、その理屈で言うならば、そもそもこの会合の取り仕切りは東条です。会合に紛れ込んだ者への対処はこちらの領分。わたしがこの場に駆けつけた以上、おとなしくしていてもらいます。」
 さっき会った時とは全然違う迫力のある……凄味のある表情。あのニコニコ顔はどこに行ったのか。なんというか、伊達に一つの流派の長をやっていないんだなと思える。
「……ああ。そうだな。悪かった。」
 東条さんの冷たい視線に対して意外と素直に、南条朱夏さんはため息をついて刀をしまった。だけど残りの二人はそうならなかった。
「なんじゃ! 儂らが論外とは!」
 北条さんが怒りを露わに、杖を振り回す。そして西条さんは腕を組み、やっぱり表情を変えずに東条さんに提案する。
「東条、別に誰がやろうと侵入者を排除できるのならいいんじゃろ? おいは最近運動不足なんや。ちょっと出張らせてもらえんかって――」
「口を挟まないでと言ったはずですが?」
 ゾッとした。東条さんのこの迫力はよく言うところの、「普段怒らない人が怒ると怖い」というやつだと思う。東条さんに会ったのはさっきが初めてで、そんなに会話もしてないけど……きっといつもあのニコニコ顔の人なんだろうと思える雰囲気があった。だから、今の東条さんをすごく怖いと感じる。
「会合に侵入者など、取り仕切っている東条の不始末です。故にその筋を通させて欲しいと、そう言っているのです。あなた方はそんなに東条の名に泥を塗りたいのですか?」
「……東条の言う通りだ。あんたらも、他人の馬鹿な理由で名を汚されたくないだろ。戦ってみたいとか、運動不足とかな。」
 ……なんとなく。今の『四条』の在り方……みたいのが見えた気がする。本当になんとなくだけど、東条と南条。北条と西条。この二つに分かれているみたいだ。
 ……単純に、本人たちの歳が近いからかもしれないけど……
「……別に誰からでも、自分は構いませんがね。一人ずつ来てくれるというのは嬉しい話ですし。」
「余裕じゃの?」
「まぁ……ここにいる術式使いに勝つと言ったのは、虚勢でもなんでもない、ただのできそうな事ですからね。」
 カールがそう言った次の瞬間、『四条』の四人の足元が光った。
「なんじゃ!?」
 光った床から出てきたのは光の鎖。それが『四条』の四人にグルグルと巻き付いた。
「気づかんかった……おぬし、いつの間に術を?」
 西条さんが感心した顔でそう言った。言いながら、西条さんは鎖に抵抗しているけどビクともしない。あんな大きな身体の人を完全に身動きできなくするということは、かなり強い力なんだろう。
『オオ。アノオトコノアシモト、イツノマニカマホウジンガカカレテイルゾ。』
 スッテンさんがそう言ったので私はカールの足元を見た。カーペットの床に……マジックで描いたような魔法陣が光っていた。
「んー……カーペットの上なんて、描きにくい床にあそこまではっきりとした術式が描けるのか?」
『フム。タダノマジックヤペンキナドデハナイナ、アレハ。ナニカトクシュナモノダ。』

「なるほど、マジックはフェイクですね。本命は靴の裏でしょうか。」
 縛られたままで、東条さんが冷静にそう言った。
「想像もつかなかったのでは? 人間相手に術式をぶつける機会のないあなた方では、術式にフェイクを混ぜるなんて……ヴァンドロームには意味の無さそうな事ですから。」
「確かに、多くの《お医者さん》や《ヤブ医者》を相手にしているそちらとでは……こういう戦いにおいてこちらが不利ですか。まぁそれはそれとして……随分妙な術式ですね……」
 妙と言えば二人ともすごく丁寧なしゃべり方なのに臨戦態勢というのが妙だけど……東条さんの言う通りだ。カールの術式は少し妙だった。
 出てきたのは鎖。それはいいんだけど、その鎖には何故か……えぇっと、名前はわからないけど、神社のしめ縄とかにくっついてる白くてギザギザした紙がぶらさがっているのだ。わかりやすく言えば、しめ縄の縄が鎖。
「……ライマン、あれって……」
 ふと呟いた宇田川さんの横、いつもとは違う真剣な表情のライマンさんがいた。
「ウン。日本の神道と西洋魔術……北欧神話のグレイプニールの具現ダナ。元々鎖には縛る意味が強いけど、そこに日本系術式の結界とか領域、聖域みたいな概念がくっついてすごく強い鎖になってるンダ。組み合わせとしては簡単で、たぶん僕でもできるけど……あれをたったあれだけの魔法陣で発動できるなんて……あの人、相当すごい人ダヨ。」
 私は……私はぼそりと呟いた。
「あれってライマンさんですよね、先生……」
「ひどいこと言うね、ことねさん。だってほら……ライマンくんは優秀だからうちに来たわけだし……ね?」
 普段が普段だからあれだけど、ライマンさんはすごい人だった。
 ……先生といい、ライマンさんといい、普段とのギャップがひどいなぁ……
「ふふふ。自分があなた方に勝てると思っているのはですね。自分に術式の深遠を教えてくれた方が……あなた方があなた方以上だと認識している人物だからですよ。」
「? わたし達以上……?」
「聞いたことはあるはずですよ……」
 カールはどんどんと余裕のある顔になっていく。そして次の言葉で完全に余裕のある状態になった。

「彼の名は、卜部相命です。」

「んなっ!?」
 そう叫んだのは『四条』ではなくて先生だった。
「卜部さんが……《パンデミッカー》のお前に……? そんなわけあるか!」
 先生がそう言うと、カールはきょとんとし、そして笑った。
「ふふ、誤解させましたね。別に手とり足とり教えてもらったわけではありませんよ。ただ、彼の術式を見た事があるのです。もっとわかりやすく言えば……自分はあの時あの場所にいたのですよ。」
「……何の話だ。」
「あの人、もしくはあなたの中の住人から話を聞いていませんか? 卜部相命がその指を代償にして勝利したあの戦いを。」
「!!」
 先生は目を見開いた。私も、つい最近その話を聞いたばかりだから驚いた。
 カールが言っているのは……先生の先生、キャメロンさんが亡くなったあの日……《パンデミッカー》の襲撃を受けた卜部さんが日本系術式の禁術を使ってそれを返り討ちにした戦いだ。
「あの時は……正直、いくらあの人の仲間と言っても所詮は日本系術式。大した攻撃力はないと認識していました。しかしまぁそれでも、万が一という事がありますからね。当時最強の攻撃力を持つと言われていた《パンデミッカー》が卜部相命を始末しに行きました。そして自分は、万が一の万が一、保険の保険として、姿を隠して最強の彼の後ろにいました。最強の彼が負けそうなら、透明を活かして卜部相命を攻撃するために。」
 姿を隠してあの戦いを見ていた……私はもちろん、先生も聞いただけの話だけど……車がひっくり返って地面が陥没するような戦いを……卜部さんの全力を、カールは見たのだ。
「自分は透明になるしかできませんから、専ら攻撃手段は術式でした。ですから……衝撃を受けましたよ。卜部相命の戦いには。普通の使い手なら発動させるのに一分はかかる術式をコンマ数秒で発動させてしまう、あの術式の効率化、制御する技術。芸術でしたね。そんな感じで……そう、勉強になる戦いだと思っていた自分は、卜部相命の最後の術を見た時、恐怖で腰が抜けました。姿が見えていないのに、自分は這いつくばりながら必死に物陰に隠れましたよ……」
「……卜部相命の……禁術ですか。」
 東条さんは、その冷たい眼に少しの驚きを見せた。それは他の『四条』も同じで、特に北条さんは欲しくてたまらなかったモノをついに見つけたというような驚きと喜びの混じった顔をしていた。
「お、おい若造! 教えろ、教えるのじゃ! その術式の属性は! 方角は! 名は! 呪文はなんじゃ!」
 北条さんの反応に、南条朱夏さんを縛っている鎖を何とかしようと引っ張ったり叩いたりしている《ノーバディ》さんがうへーという顔になる。
「なんだいなんだい、いきなりさ。欲しがりの子供みたいだよ。ねぇ、姐さん。」
 そう言われた南条朱夏さんだったけど、その顔は冷静ながらも興奮を隠せないという表情だった。
「! ……姐さんもそこまで興味あるのかい……」
 南条朱夏さんは深く息を吐く。
「……当たり前だろ……日本系術式の頂点と言われた男の奥義だ。小町坂が受け継いだとか言われているけど本人は話をそらすばかりでまともに答えない……それ程のモノなのかと、珍しく『四条』の全員一致で調査していた事だ……まさかそれを……それの発動を見た事のある奴に会えるとはな……」
 『四条』のカールを見る目が変わったところで、カール本人はやれやれという反応。
「ふふ。そう色々聞かれましてもね。自分の専門は西洋術式ですよ? ましてや禁術……その術の詳しい事がわかるわけないじゃないですか。呪文も長すぎて、どこからが術の名前だったのかもわかりませんでしたよ。ただ……」
 カールは身動きの取れない『四条』を一瞥して自信たっぷりにこう言った。
「あれを見た事で自分はステップアップしました。術の可能性の大きさを知りました。技術の存在を理解しました。一目見るだけで……畑違いの自分が成長できる程の術式だった……それは確かです。」
「……確かに、この鎖は容量の少ない魔法陣にしては強力ですね……この効率が、あなたの学んだことの一部ですか。」
「その通りです。まぁ、もしも自分が負けるようなら……そうですね。卜部相命の禁術で何が起きたかくらいは、教えてもいいですよ。」
「……そうですか。」
 他の『四条』よりは興味なさげにそう言った東条さんは、腕は上がらないけど動かすことのできる手で腰にぶらさげているひょうたんを器用に取った。そして栓を抜き、それを空いているもう一方の手に傾ける。中から出てきたのは透明な液体……たぶん、水だ。
 水でぬれた片手を自分を縛る光る鎖にあてる。すると金属がひずむような音とともに鎖が壊れた。
「おお……やりますね。」
「西洋術式に関しては無知なのですがね……なまじ日本系術式が混じっているおかげで壊せました。」
 首を鳴らし、肩をまわす東条さんはひょうたんを持っている手を思いっきり上に振る。するとひょうたんの中の水が吹き出し、放物線を描いて東条さんに落ちた。バシャッと水をかぶった東条さんはびしょ濡れになる。
 ……たぶん、普通はそういう風にしか……水をかぶっただけにしか見えない。だけど私には、左手のせいか、もっとすごい瞬間が見えていた。
 空中から落ちて来る水の塊が東条さんに触れる直前、東条さんのひょうたんを持つ手が小刻みに動いた。それはまるでバーテンダーがシャカシャカとシェイクをするような……慣れない人には絶対に出せない速さで動く手首。
 高速のスナップを受けたひょうたん……いや、ひょうたんから出ている水は手首の動きに合わせて、まるで生き物のようにうねり……空中にある模様を浮かび上がらせた。そう……魔法陣だ。
 ほんの一瞬だけど、魔法陣の形になった水をかぶった東条さんは、気が付くとその身体が青白く光っていた。
「……! 今の水で術を……?」
 カールもかなり驚いている。
「……」
 びしょ濡れになった東条さんは、黙ったままで何かの構えをとった。詳しい事はわからないけど、あれはきっと何かの武術の構えだ。
 宇田川さんが言っていた。「生命」や「活力」を意味する水を使う事で、自分自身を強くするのが東条だと。
「見かけによらず、武闘派でしたか。術式使いの対決かと思いきや、そちらは近接格闘とは。」
「……一つ言っておきますが……」
 東条さんの構えを見て軽く笑ったカールに対して、さっきから一度もニコニコ顔を見せない東条さんが淡々と言った。
「わたしの武術は古流のそれです。スポーツの部類に片脚を突っ込んでしまっている柔道や空手……映画のエッセンス程度のカンフーなどと同じと考えないで下さい。わたしの技は、あなたの命を奪う事が出来ます。」
「……そうですか。そちらも忘れないようにお願いしますね。自分は、多くの人間を殺してきているという事を。」
 ピリッとした緊張が両者に、そしてホール内に走った。
「……雨傘流無刀近接ノ構……」
 何の前触れもなく、予備動作もなく、まさに水のような滑らかさで、かつ物凄い速さで東条さんがカールに迫った。
「一の型、攻の七、《白波》!」
 かなり人間離れした速さで放たれた東条さんの回し蹴り。だけどカールはそれを後ろにさがる形でかわした。
 だけど今回もまた、私にはもっと違う光景が見えていた。
 東条さんの脚がカールの脇腹付近、十数センチというところまで迫った時、東条さんの脚は一瞬止まった。
 というのも……たぶん術式なんだろう、カールを覆うように透明な膜のようなモノが出現したのだ。バリアーと言えばわかりやすいかもしれない。
 バリアーにぶつかって止められた東条さんの脚だけど、それもほんの一瞬の出来事で、何事もないかのようにバリアーを砕いて東条さんの脚は再びカールに迫った。
 だけどその一瞬の停止を逃さず、カールは後ろに飛び退き、蹴りを避けたのだ。
「いい蹴りですね。」
 ピョンと後ろに飛び退いたカールは、トントンと後ろにさがりながら同時に物凄い動きをした。
 まるでタップダンスが何かのように、カールの脚が床に術式を描いていくのだ。そしてダンッとカールが両脚で地面に着地すると、その術式が……映画でたまに出て来る閃光弾みたいな光を発した。
「……!」
 離れた所で見ている私でさえ目がチカチカする閃光、目の前で見てしまった東条さんはしばらく何も見えないだろう。一、二歩後ずさる東条さんは苦い顔で両目をつぶっていた。
 そしてそのスキを逃すまいと、カールが再び脚で術式を描き始めた。「描き始めた」と言っても、私がそう思った頃には既に描き終わっていて、今度は光の玉がいくつか出現し、東条さんの方へ飛んでいった。
 思わず危ないと叫びそうになったけど、何も見えていないはずの東条さんがすぐさま構えたのでびっくりして出かかった声がのどの辺りで止まった。
 目をつぶったまま、東条さんは飛来する数発の光の玉を拳や脚で瞬く間に打ち落としてしまった。
「なっ!?」
 さすがにカールも驚く。だけどその「驚く」という一瞬のスキで東条さんがカールに肉薄した。
「九の型、攻の八、《渦潮》!」
 平手打ち……ああいや、こういうのはたぶん掌打と言うんだろう。ねじりを加えて放たれた東条さんの右腕が、貫いてしまったんじゃないかと思うくらいに深々とカールのお腹に突き刺さった。
「がはっ!」
 身体をくの字に折り曲げ、そしてそのまま数メートル吹き飛んだカールは若干回転しながら床に転がった。
「内臓にそこそこ深刻なダメージを与えました。わたしの勝ちです。」
 色々な攻防があったけど、時間にすれば一分もない勝負だった。たくさんの《お医者さん》、時には《ヤブ医者》とさえ戦ってきている《パンデミッカー》の一人があっさり負けた。この前の事件で見たアルバートさんとブランドーの戦いの方がよっぽどそれらしいすごい戦いだった気がする。
「ぐふ……こうも……簡単に自分が……」
 息苦しそうにカールがそう言ったのが聞こえた。対して東条さんは自分の手を見つめてこう言った。
「あなたの先ほどの攻撃……数種類の呪いが組み込まれていましたね。普通なら、あれに触れた段階であなたの勝利なのでしょうが……わたしの術は人体の活性化です。呪いとは逆方向の術式……相性が悪かったですね。」
 相性……そうか、そういうモノもあるのか。

「さて……この人はどうすればいいんですかね。」
 そう言いながら東条さんは先生の方を見た。
「あー……そういやいつもいつの間にか誰かが連れてってるな……」
『《デアウルス》ノコトダ。ホットケバムカエヲヨコスノダロウ。』
「そんな事よりも。」
 そう言ってツカツカとカールに近づくのは南条朱夏さん。カールがああなったことで鎖も解けたようだ。
「こいつはこの場所に侵入してたんだ。どんな情報を得て、何を誰に伝えようとしてたのか、吐いてもらおうか。あっちの年寄りもどきと一緒にな。」
「……自分、そういう事には口が堅いですよ……」
 顔色一つ変えずにおじいさんだった人の腕を燃やした南条朱夏さんがそれを聞いて目を細める。私はなんだかゾッとした。
「んー? そういやぁ……」
 凄惨な拷問でも始まるのかと私がドキドキしている横で鬼頭先生が間抜けな声で何かを思い出す。
「もしかして、これでスクールの件も解決か?」
 スクールの件……眼球マニアさんが先生たちに話したスクールを襲撃した青年の話だ。
『ウーン。コノオトコノジュツシキデアノハカイガオキルトハオモエナイナ。ベツドウタイガイルノダロウ……』
 スッテンさんはカションカションとカールに近づき、しゃがみこんで顔を覗く。
『オイ。スクールヲシュウゲキシタノハイッタイドンナヤツナンダ? ツギハコノアメリカノスクールナノカ? ショウジキニコタエレバイタクシナイゾ。』
 そう言うと、スッテンさんの右手がガチョンと変形し、五本の指それぞれの先にペンチやらハンマーやらが装着された。
 南条朱夏さんに対しては何も言わないという態度をとったカールだったけど、何故かスッテンさんに対してはそうはならず――

「……何の話ですか?」

 と言った。如何にも何か知っているのにそう言ったのなら別にいい……いや、良くはないんだけど、とにかく、その時のカールの顔は本当に何を言っているのかわからないという顔だった。
『ンン? シラナイノカ。ベツドウタイノコウドウハキイテイナイノカ……メンバーノダレカノドクダンナノカ……』
 スッテンさんは首を傾げながら、私たちの方に戻って来た。
「んー? まさかあいつの言葉を信じるのか? 知らなそうにするのは当然だろうに。」
『イヤ、アノヒョウジョウ……セイカクニエイバ、ガンメンノキンニクノウゴキヤシンパクスウ、コキュウヤコタエルマデノマ……カガクテキニミルトアノオトコハホントウニナニモシラナイ。マァ、キョーマガミレバヨリカクジツニワカルダロウガ。』
 スッテンさんが急に呼ばれてびっくりしている先生を見る。先生は少しの間の後、頭をポリポリとかきながらカールのもとへと移動した。
「……! まさか自分にあれを……!」
 何をされるか……というか、たぶん先生の技術を知っているカールは……殺されるとでも思ったのか、ぎゅっと目をつぶって黙った。
「……ちょっと覗くだけだ……」
 先生がカールの手と握手する。
「接続……開門……」
 まわりの人が何をしているのかわからずに不思議そうな目で先生を眺める事二分程。先生はとぼとぼと戻って来た。
「スッテンの言う通りだ。カールは何も知らない。それとついでに、カールにとりついてたヴァンドロームがわかった。《ナイトウォーカー》だ。」
『《ナイトウォーカー》……ナルホド、ソウイウコトデアアナッタノカ。』
「んー? なんで《ナイトウォーカー》で透明人間になんだよ。」
 《ヤブ医者》三人が集まってカールの『症状』の話を始めたので、もちろん気になっている私やライマンさん、宇田川さんがそそそっと先生たちに近づいた。
 ちなみに詩織ちゃん……の姿の《ノーバディ》さんは南条朱夏さんの隣でとりあえず縄で縛られるカールを眺めている。
『ナンデッテ……《ナイトウォーカー》ノ『ショージョー』ハシッテルダロウ? ソレガ《パンデミッカー》ノイウトコロノリミッターカイジョサレタケッカ、トウメイニンゲンガデキアガッタノダ。』
「ン? 《ナイトウォーカー》の『症状』ってなんだッケ。」
「ライマン……アナタ一応成績優秀者でしょう?」
「ヴァンドローム学は苦手なンダ……覚える事ばっかリデ。」
 そんなライマンさんを見ながら、私は先生にもらったヴァンドローム図鑑を思い出す。
「《ナイトウォーカー》……Dランクのヴァンドロームで、確か『症状』は『紫外線アレルギー』です。」
「さすがことねさん。」
 先生がにっこり笑うので私はなんだか恥ずかしくなって下を向いた。

 紫外線アレルギー。文字通り紫外線が原因となるアレルギーだ。日光アレルギーとも呼ばれ、発症してしまうと外を出歩く時に日傘や帽子が必要になってくる。
 症状はかゆみや腫れ。ひどくなると吐き気や頭痛を引き起こす。
 花粉症と同じである日突然、誰でも発症する可能性のあるアレルギーで一度発症すると完治は難しい。予防策としては、徹底した紫外線対策をして日頃紫外線を浴びないようにするという事がある。ただ、これも花粉症と同じで個人差が大きく、何もせずに過ごして発症せずに一生を終える人もいる。
 ……カールが初めて私たちの前に現れた時、妙にかゆそうにしていたのはこういう理由だったのだ。だけど、なぜこの『症状』で透明人間に……?

『アレルギートハスナワチ、カラダノカジョウナメンエキハンノウ……キョヒハンノウダ。ソレガカラダニフレルコト、ナイブニハイルコトヲキョゼツスルウゴキダ。』
「つまり……カールの場合、リミッター解除したことで《ナイトウォーカー》が紫外線を完全に拒絶したって事か?」
『シガイセンニカギラズ、オソラクヒカリソノモノヲダ。』
「んー? 光を拒絶してなんで透明になんだよ。拒絶って反射するって事だろ?」
『タシカニソウダガ……オソラク、カールノバアイハソノウエマデトウタツシタノダロウ。』
「んー……拒絶の上?」
『ムシダ。』
「無視? 拒絶の上が無視?」
『ソウダナ……タンジュンニヒトノスキキライデカンガエルトワカリヤスイ。スキノシタハフツウ、フツウノシタハキライ、キライノシタハダイキライ、サラニシタニイケバムシダロウ?』
「んー……んな学生みたいな考えかよ……」
『キョヒハンノウハ、スクナクトモソレガソコニアルコトハミトメテオリ、イッシュンデハアルガウケイレテイル。ソノケッカダメダッタカラキョヒスルノダ。ダメダトワカッテイルモノナラフレナイヨウニスル。ツマリヨケルワケダ。』
「えっと……こういう事ですか? 『紫外線アレルギー』がより極端になって、そもそもアレルギーを起こすモノに触れないように身体がなって……結果、光を避ける……つまり透明になった?」
 私たちに物が見えるのは、その物が光を反射しているからだ。だから反射しない物……ガラスとかは透明に、そこに何もないように見える。カールはリミッターを解除した《ナイトウォーカー》を取りつかせる事で自分の身体を光が素通りする状態、つまり透明にした……ということらしい。
「アハハ、それ、もうアレルギーじゃなイナ。」
『モノスゴイカクダイカイシャクダガ、オソラクリミッターヲカイジョスルトソウイウコトモオコルノダロウナ……』
「ちょっと飛び過ぎな気がするけど……Sランクとかを考えるとなぁ。」
 神や悪魔と言われるSランクの存在を理由になんとなく納得しようとしていた私たちに、鬼頭先生がふとこんな事を言った。
「んー……前提が違うのかもな……」
『ン? ナニガダ?』
 スッテンさんの問いに対して、この中で唯一ヴァンドロームそのものに対する研究を行っている鬼頭先生が静かに答える。
「んー……俺らは……ヴァンドロームが、とりついた生き物を『症状』で殺さないように力を抑えてるって考えてるが……本当にそうなのか? 連中には『症状』を引き起こそうって気はさらさら無くて、自分の持つ能力を使って『元気』を取り出そうと試行錯誤した結果自分の能力を弱めに使うって方法に辿り着いて……んでその弱めの力を俺らが見た時、たまたま病気における『症状』と似て見えるだけなんじゃないか?」
『アッハッハ。イチリアルガ、ソウダトシタラドンデンガエシモイイトコロダナ。ヨビカタモカエナイトナ。』
「? ヴァンドロームって呼び方ですか?」
「あれ、ことねさん知らないっけ。ヴァンドロームが何でヴァンドロームって言うのか。」
「え、由来とかあるんですか。」
「ヴァンドロームは英語の『ヴァンガード』と『シンドローム』の合体なんだよ。『ヴァンガード』は「前衛、先鋒」って意味で『シンドローム』は「症候群」。「前衛、先鋒」っていうのは戦争とかで初めに相手に突撃する感じの人たちを指す言葉。「症候群」は、何か一つの原因から生じる色んな症状の事を指す言葉。つまりヴァンドロームっていうのはね、本来なら原因が先にあってその後に症状が来るはずなのに、その症状が原因を置いてけぼりにして真っ先に出て来るところ……原因無しに症状だけを引き起こすところから名づけられたんだ。「先行する症状」、「ヴァンガードなシンドローム」、略してヴァンドローム。」
 もっと最初の方で聞くはずだったように思える雑学を聞き、私は気が抜けた。

 その後、何事も無かったかのようにニコニコ顔に戻った東条さんがカールとおじいさんだった人をどこかに連れてった。たぶん、どこかの部屋に閉じ込めて置くのだと思う。そしてきっと気づいたらその二人はどこかへ行ってしまっているのだろう……と、先生が言った。つまり、《デアウルス》さんが回収するのだとか。
 一応、《ヤブ医者》側で処理するという事が書かれたメモが残るらしいのだけど……今更ながら《デアウルス》さんは謎が多い。この件に関しては、いつの間にかお財布の中に《お医者さん》の免許証を入れる技術を提供したスッテンさんも知らないみたいだ。

 そうして一時間くらい経つと『四条』の各流派ごとの集まりが開かれ、その後には『四条』の会合が予定通り行われた。さすがに会合とかには出席できないから、私たちは家ごとの集まりが始まった辺りでスクールの方に戻った。



 朝早くから『四条』の会合を覗きに行った私たちは、まだ誰もいない学食みたいな場所で早めのお昼ご飯を食べていた。どれもこれもサイズが大きくて大味そうだったから、一番見慣れていて食べなれているハンバーガーを頼んだ私は、やっぱりサイズが大きくて大味のハンバーガーをナイフとフォークで解体していた。
 先生も私と同じようなハンバーガーを頼んで食べているのだけど、先生は大きく口を開けてモグモグと食べている。男の人はすごいなぁと珍しく先生を見て感心していたのだけど、日本のそれよりは大きなハンバーガーは先生がかじるたびに形が崩れていく。
「先生、食べるの下手ダナ!」
 ライマンさんはケチャップとマスタードがたっぷりの随分大きなホットドッグにかじりついている。あんなのを食べたら口のまわりとかすごい事になりそうなのだけど、ライマンさんは手馴れた感じに、口を汚さず食べていく。
『アッハッハ。ニホンジンハハシノタツジンダカラナ。ハシハキル、サス、ハサムトイロイロデキテシマウバンノウショッキダ。ソレニナレテシマッテイルト、コウイウタベモノニハクセンスルナ。』
 スッテンさんも大きなハンバーガーを食べている……たぶん、食べている。
 食べる時はさすがに兜は外すのかと思い、スッテンさんの素顔にドキドキしていたのだけど、スッテンさんはそのままだった。スッテンさんが片手を食べ物……ハンバーガーにかざすと、見えない何かにかじられたみたいにハンバーガーが削れるのだ。そしてスッテンさんは『モグモグ、ウム、カロリーノタカイリョウリダナ。』と、何かを食べながらしゃべっている感じの口調になる。
 一体どういう食べ方なのか、まったく謎だ。
「日本の《お医者さん》の会合を覗きに行ったら《パンデミッカー》に出くわした……いやはや、それは災難でしたね。」
 私たちの話を驚きながら聞いていた眼球マニアさんは、ナゲットのようなモノを食べながらそう言った。
「しかし……これは有益な情報の収穫なのか……余計にこんがらがりましたね。」
『ナニガダ?』
「そのカールという《パンデミッカー》が、スクールを襲撃している青年を知らないと言った事です。」
『フン? ヨケイニトイウコトハ……フニオチナイテンガアルンダナ?』
「ええ……その青年なのですがね……」
 眼球マニアさんは真剣な顔で少し下を向く。するとそのモノクルにむき出しの眼球が見え、私はビクッとした。
「ドイツのスクール襲撃……《ヤブ医者》のヴェーダが重傷を負って入院し、多くの生徒が負傷しましたが……死者がゼロ。ええ、このゼロというのが気がかりなのです。」
『ナンダ、ダレカシンダホウガヨカッタノカ?』
「……《パンデミッカー》が襲撃したのであれば……皆殺しでもおかしくありません。」
 私は突然の物騒な言葉にのどをつまらせそうになる。
「事実、彼らは過去に多くの《お医者さん》を襲撃し、殺害しています。何故なら、彼らにとって私たちは唯一の障害……敵ですからね。」

 この前の『半円卓会議』で《パンデミッカー》が襲ってきた時。
 ニック・フラスコの件で《パンデミッカー》が襲ってきた時。
 キャメロンさんや卜部相命さんが《パンデミッカー》と戦った時。
 そしてさっき、会場から逃げるために東条さんと戦ったカール。
 襲うとか戦うとか、言い方は色々だけどあれは全部……殺しに来たという事だ。
 映画じゃないんだから、そんなに頻繁に人殺しが起きて言い訳が無いと思う。だけどそれを当たり前の選択肢として選んでくる人たち……それが《パンデミッカー》……

「……改めて思うと……怖い人たちですよね……人を、殺すなんて。」
 私がそう言うと、スッテンさんがアッハッハと笑う。
『ソレハスコシカダイヒョウカダロウナ。タンジュンニ、イマノジダイ、アマリニヒトガシナナスギルダケダ。』
 スッテンさんがもっと怖い事を言ったけど、誰も何も言わず、眼球マニアさんが話を続けた。
「彼らにとって、スクールというのは自分たちの障害を生み出す場所です。そこを襲撃する理屈はわかりますが、ならばなぜ誰も殺さなかったのか……ヴェーダを退けたのなら問題なくそれができたはずなのです。それ以前に、ヴェーダを重症でとどめたのも不可解です。《ヤブ医者》は、それこそ最優先で始末したいでしょうに……」
『タシカニナ。ダガ、ソレナラバナゼイママデスクールガブジダッタカトイウテンモナゾダ。』
「それはスクールが厄介極まりないからですよ。」
『ホウ?』
「スクールでは、実績があり、確かな実力のある《お医者さん》が講師として選ばれますからね。中には引退して講師として専念している方もいますが……その方々とて、いざ相対したら強力な敵となりえます。スクールは、『半円卓会議』に次いで高い戦力が集う場所なのですよ。いくら《お医者さん》を始末したい彼らでも、敵の本陣真っ只中に突っ込んでは来ません。」
「え?」
 今の話を聞き、私は疑問に思う。
「でも……この前、『半円卓会議』に……」
「ええ……ですからあれは……ついでに言うとおそらく今回のも、彼らの焦りの表れでしょうね。」
「焦り……ですか?」
「そうです。あなたという存在の影響でね。」
 …………
 ……?
「え、私ですか?」
 私は面食らう。どうしてそこで私が出て来るのだろう。
「溝川ことねさん。あなたは御自分の価値を理解していますか?」
「え……」
「眼球マニア。」
 困惑する私の目に、少し怖い顔をした先生が映った。だけどそんな怖い先生に対して、眼球マニアさんは真剣な顔で答える。
「安藤、私は……《デアウルス》にあなたの事を尋ねました。」
「……何だ、いきなり。」
「すると意外とあっさり教えてくれましたよ。あなたの経歴……その身体の中にいる存在の事もね。」
「!」
 先生の事。それはきっと、《イクシード》さんの事だ。
「あなたの眼球を見た時から、ずっと気になっていたのですよ。これはどうも、普通の《ヤブ医者》とは違うとね。加えて、Sランクにとりつかれた少女に対して《お医者さん》を教えているという事実。何かが特別なのだと疑わない方が難しいというものです。そうして聞いてみて納得しましたよ。そして同時に見えてきました。ここ最近の《パンデミッカー》の動きの理由が。」
「だが……それは……」
「安藤。いつかは話さなければならない事柄です。であれば、第三者の立場として私が話をします。」
 眼球マニアさんが私を見る。今まで紳士的な、柔らかい笑みの人だったけど、その雰囲気が……温度が少し冷たくなったような気がした。
「《お医者さん》と《パンデミッカー》、これらを一つの軍隊としましょう。方法は異なりますが、両軍とも相手を攻撃できる術を持っています。そして、《お医者さん》側には大将としてSランクヴァンドローム、《デアウルス》。《パンデミッカー》側には彼らの信仰の対象として、最後の切り札として……Sランクヴァンドローム、通称『神』。この世界最強の存在が両軍に一体ずつ……両軍の戦力差は互角といったところでしょう。」
 眼球マニアさんは、口とか手をふく紙をテーブルに広げて、左右にナゲットを一つずつ置いた。
「そして《お医者さん》側は、三年前に新たな戦力を手に入れました。Sランクをその身に宿す《お医者さん》……軍で例えるのであれば、核兵器のようなモノでしょうか。安藤という戦力が加わりました。」
 右側にナゲットを一つ追加する眼球マニアさん。
「戦況は大きく変化しました。しかしこの核兵器、元を辿るとその技術は《パンデミッカー》側にあった力……そう、キャメロンという人物から来た戦力です。《パンデミッカー》側からすると、確かに圧倒的に不利になったものの……安藤という核兵器が持つ能力は知っていますし、(パンデミッカー)から受け継いだというのであれば、もしかしたら《パンデミッカー》側に戻るかもしれない。三年前に《お医者さん》側に加わったこの核兵器は、いざ起動しても対処できる可能性があり、場合によっては奪える……おそらくそんな思惑があり、しばらくは警戒する程度で対応していました。ところが……」
 眼球マニアさんが、右側にさらにもう一つナゲットを加える。
「あろうことか、第二の核兵器が登場したのです。しかも、第一の核兵器である安藤から指導を受けている……一年前の時点ではいつ爆発するかもよくわからない危険極まりなかったそれは、段々と制御できるようになってきた。《パンデミッカー》側からすれば、能力未知数の強力な戦力が《お医者さん》側に出来上がりつつあるという光景。これは焦ります。」
「……待ってください……それって……」
 眼球マニアさんの話から考えついてしまった結論に頭をグラグラさせながら声を出す私。だけど眼球マニアさんは話を続ける。
「《デアウルス》は第二の核兵器をどうするつもりなのか……それ以前に、ヴァンドロームである《デアウルス》の真意とはなんなのか。第一の核兵器はこちら側に引き込めるのか。今まで後回しにしてきた思考が一気に浮かび上がり……彼らは行動しました。まず、『半円卓会議』を襲撃して《デアウルス》の意思を確認しました。ついでに第二の核兵器の現状を見て置きました。次に第一の核兵器をおびき出し、その意思を確認しました。」
 そこで顔を上げる眼球マニアさん。

「少なくとも、この前の『半円卓会議』への襲撃とニック・フラスコの一件は……あなたがいるから起きた事なのです。」

 私は震えた。頭が白くなっていく。
「彼らが急にヴァンドロームの実験を行い始めたのは両軍のパワーバランスを戻すための戦力増強なのかもしれません。もしも今回のスクールの件が本当に《パンデミッカー》の仕業なら、危険とはわかっているけれど、これ以上危険な戦力を生み出さないために強行したのかもしれません。もしかしたら先ほどの日本の会合の調査も……」
「わ……私が……私が原因……」
 人を殺す事をなんとも思っていないような人たちがそれを実践するキッカケが……私……
「その可能性が非常に高いのです。理解出来ましたか? 御自分の……立ち位置を。」
 私は思わず先生を見た。
 こういう時、先生は笑って「そうじゃない。」と言ってくれる……意図してやった事ではないけれど、《パンデミッカー》の最近の行動の原因が私だという眼球マニアさんの意見を、何か……何かで否定してくれる。そう思ったのだけど……

「……眼球マニアの予想はたぶん正解だよ。ことねさんの存在が一つの引き金なんだ。」

「!」
 私は胸のあたりにモヤッとしたモノを感じた。一瞬で広がっていく黒い何かと、頭の中を埋めていく白い何か。私は、《オートマティスム》にとりつかれた当初の頃の、絶望に近い感情を覚えていた。
「でもねことねさん。」
 心に広がる嫌な感情と、そんな私を何とかしようと左手が再び動いてしまうのではないかという恐怖……久しぶりに感じる二つの感覚に包まれる中、ふっと、力の抜けた先生の声が聞こえた。
「そんなの、気にしなくていいんだよ。」
「……! 気にしないなんて! ……そんな事……」
「ん? あー、言い方を間違えたよ。気にはするけど、思い悩む方向を間違えないようにって意味だよ。」
 先生はふぅと少し長いため息をつき、ぽつぽつと呟いた。
「気づいてるかな。オレもさ……あの人が死ぬキッカケになってしまったんだよ。」
 表情はそのままに、少し下を向く先生。あの人……キャメロンさんの事だ……
「あの時やってきた《パンデミッカー》はこう言った。オレが、無敵だったあの人の弱点になったと。事実、あの人はオレを助けるために死んだ。」
 内容としてはすごく重たい話のはずなのに、先生の口調はいつものそれだった。
「気づかない内に深刻な、最悪な事態の原因に自分がなっていた……あとになって色々考えるんだよね。あの時、ああしていればこうはならなかったのにって。」
 先生はハンバーガーと一緒に買っていた炭酸のジュースを飲み、そしてスッテンさんを指さした。
「もしもスッテンがタイムマシンを作ってくれたなら、今でも……オレはあの時に戻ってあの人を助けたいと思う。だけどスッテンはそんな事できないと言った。それが、スッテンでもタイムマシンを作れないって意味なのか、過去は変えられないって意味なのかわからないけど……結局、そうなってしまった事はどうしようもないって事なんだ。」
「で、でも……私のせいで……《パンデミッカー》が動いて……色んな人が……」
「そうだけど、それをことねさんが自分のせいでああなったからどうしようって悩んでも何もならないからね。なら、少なくともそっちの方向には気にしない事だよ。そもそも……やってしまった後悔を何とかできるって言うなら、オレがやってる。」
「……!」
「だから大事なのはその事実をどう受け止めるか。悩むならこっちなんだよ。例えば、《パンデミッカー》を前にした時の逃げない理由にしてもいいし、ピンチの時の逃げる理由にしてもいい。周りの言葉は気にしなくていいから、とにかく自分の中での扱いを決める事だよ。自分が……ことねさんの物語がハッピーエンドに向かうようにね。」
「自分で……決める……」
 まだ困惑している私に、眼球マニアさんが口を開く。
「責めるような言い方になってしまったかもしれませんが……私も別に責任をとれなどと言うつもりはありません。あなたにはどうしようもなかった事なのですから。ただ、自覚をしておいて欲しかっただけです。」
 並べたナゲットにケチャップをつけて口の中に放り込む眼球マニアさん。
「あなたには良き先生がいます。あなたが置かれた状況を経験した人物がね。完全な正解というモノはないでしょうが、そうした結果どうなったかという一例を示す道標があなたにはあるのです。やんわりと悩んでせっせと生きてください。」
 立ち上がった眼球マニアさんはそう言うと、「混んできましたので、私はこれで」と言い残して一足早く学食を去って行った。気が付くと、ちらほらとスクールの生徒が集まってきている。たぶん、昼食の時間に入ったんだ。
『フム……ツモルコトハイエデカンガエルトイイ。チョッキンハレイノセイネンダガ……トリアエズハシンリョージョニカエッテヤスムノダナ。』
「…………はい。」

 私が、《オートマティスム》というSランクヴァンドロームにとりつかれた私という存在が《お医者さん》と《パンデミッカー》の世界に大きな影響を及ぼした。それによって、たくさんの《お医者さん》が……間接的に一般人も、《パンデミッカー》の被害を受けるようになった。
 私のせいで……そう考えてしまうのは当たり前だと思う。だけど先生の言葉を聞いてこうも思った。私だって突然Sランクという存在にとりつかれて困っているのだ。私が何かをした結果ならまだしも、私は何もしていないのに私が責任を感じる理由はないはずだ。
 ……と、色々と都合よく(どうしても今の私はそう考えてしまう)捉える事はできる。きっとそれが真実に近いのだろうけど……まだまだ納得はできない。だからと言って私に何かできるわけでもない。
 先生が悩むべき方向と言ったのは、つまりこういう悩み方なんだろう。私は、色々な事の先輩である先生を参考にして、悩もうと思う。
 とりあえず、私はそうすることにした。



 昼飯を食べ終え、例の青年が来るまでは特にやることが無いオレたちは(いや、来ないなら来ない方がいいんだが……)スッテンのワープ装置で帰ろうと思った。だがそれをスッテンが止めた。
『アーマテマテ。カエッテヤスメトイッタガ、スコシマテ。』
「なんだ?」
『ゥワァタシハキトータチヲマタナケレバナランノダガ……ソノカンヒマダカラナ。ヒマツブシニチョットキキタイコトガアル。』
「? なんで鬼頭たちを待つんだ?」
『キトートナンジョーシオリハゥワァタシノワープソウチデコッチニキタンダ。カエリモソレヲツカワナイトカエレナイダロウ? シュッコクモニュウコクモシテイナイノダカラナ。』
「ああ、そうか。それで、聞きたい事って?」
『キョーマトイウヨリハ、キョーマノナカノヤツニキキタインダガ。』
 スッテンがそう言うと、オレの白衣の下から《イクシード》が顔を出した。
『かかっ。我に聞きたい事とな?』
『ソウダ。ダガ……ソレデハハナシニクイナ。ドコカヒトメニツカナイバショハナイカ?』
 そう言いながらスッテンはライマンくんを見る。
「うーン……あ、予備教室なら滅多な事が無い限りは誰も入ってこなイゾ。」
 そんなわけで、オレとことねさんとライマンくん、そしてスッテンはその予備教室とやらに移動した。そして《イクシード》が教卓の上にちょこんと座り、オレたちは授業を受ける生徒のように席についた。
スクールの教室というのは日本のように机と椅子が個人にあるタイプではなく、長い机が何段と連なるタイプだった。オレは大学に行ってないからあれだが……きっと講義っていうのはこういう感じなんだろう。
『かかっ。それで?』
『ウム……ナンダカンダ、ゥワァタシハ《パンデミッカー》ヲコノメデミタノハサッキノデニカイメダ。ゼンカイモソウダッタガ、ヤハリコンカイモオドロイタ。』
「スッテンが驚いたのか。カールの術式とかか?」
『チガウ。ゥワァタシガオドロイタノハレンチュウガツカウギジュツダ。ヴァンドロームヲアヤツルナ。』
 《パンデミッカー》には《お医者さん》側には無い技術がある。その最たる例がヴァンドロームを操る技術だ。好きな時にとりつかせ、不要な時はとりつかせずに傍にいさせる。そして、ヴァンドロームがしていると言われている本能的能力制御、通称リミッターを解除できる。そのせいで、ただの『症状』がまるで超能力のようになっている。
「あれって、そんなにすごいノカ?」
 ライマンくんがそう言うと、スッテンが前を向いたまま少し上を向く。
『アレハ……ニンゲンデイウナラ、ホンニンノイシヲカンゼンニムシシ、ジブンノオモウガママニアヤツルトイウコトダ。シカモ、「カジバノバカヂカラ」トイウヤツヲツネニハツドウサセテナ。コレハマインドコントロールナドデハナク、ショウシンショウメイホカノセイブツヲジブンノカラダノイチブトシテシハイシテイルノダ。』
「……でもそれって、先生ならできるんじゃ……」
 ことねさんがジロリとオレを見る。オレは少し考えて答える。
「……火事場の馬鹿力を引き出すって事くらいならできるかな。だけど他人の身体を意のままに操る事はできないよ。できて一つの行動だけかな。しかもオレの場合は触れてないとできない。」
 一つの行動というのはつまり…………『心臓を停止させろ』とかだ。今回の話で言えば、例えば『とりつけ』『とりつくな』ってのはできるけど、常に傍にいさせるってのは難しい。状態を継続させるような命令はオレにはできない。
「そう言えば……前に《パンデミッカー》が『元気』を集めるためにとりつかせたヴァンドロームを倒した時、身体の中からブローチみたいのが出てきたぞ。一応『医療技術研究所』に送っといたんだが……」
『アア、アレハゥワァタシモミタ。ダガアレナ、ヴァンドロームノタイナイカラデテシマウトナイブガハカイサレルシクミニナッテイテナ。カイセキデキナカッタンダ。アレガレンチュウノギジュツソノモノナンダロウガ……ケッキョクナゾノママダ。ダカラ、ソレニツイテイチバンクワシイデアロウヤツニハナシヲキキタイノダ。』
『かかっ。そういうことか。』
 《パンデミッカー》以外で《パンデミッカー》について詳しい者。《パンデミッカー》で五年間過ごした《イクシード》以上の適任者はいない。
『かかっ。だがしかし……我は《デアウルス》のような天才肌ではないから具体的にどういう技術かは説明できないぞ。まぁ……そもそもあれを理解できるモノはこの世に存在しないか。あれを作ったのはアウシュヴィッツだからな。』
『サヴァンノパーフェクトマッチダッタカ。タシカニ、スベテノブンヤニオイテテンサイヲナノルオトコノズノウハハカリシレンナ。』
『かかっ。だがあれに……いや、《パンデミッカー》の技術にどういう特徴があるかは教えてやれるな。』
『フム……ゼヒタノム。』
 何というか、基本的に難しい事を説明する側のスッテンが説明を受ける側というのは新鮮な光景だ。んまぁ、人型マシュマロの話を真剣に聞いている西洋甲冑という事だけでかなり新鮮ではあるが……
『かかっ。まず、あれはどんなヴァンドロームでも意のままというわけではない。あれを使う人間とヴァンドロームの相性によって操れる操れないは左右される。』
『《オートマティスム》トコトネ、《ノーバディ》トナンジョーシオリノヨウナモノカ?』
『かかっ。その二人は特別相性が良いパターンだ。そこまで確率の低いモノではない。あのブローチを使ってヴァンドロームを操れる確率は二十五パーセントと言ったところだ。つまり、目の前に四体のヴァンドロームがいた時、自分が操れるのはその内の一体だけだ。』
『ニジュウゴ……ソレデモケッコウナカクリツダナ。ソノカクリツデアレバ、《パンデミッカー》ハモットオオキナソシキデアッテモオカシクナイ。』
『かかっ。確かに、この確率でさっきのカールみたいな使い手が生まれるのであれば脅威だが……これはあくまで操れるかどうかの確率だ。要するに、ただの大前提。『症状』を操れるようになるにはそれなりの訓練が要る。』
「訓練って……安藤先生がやったみたいな勉強とか修行とカカ?」
『かかっ。そうだ。』
「でも……安藤先生のはともかく、普通に『症状』を発症するだけなら訓練いらないんじゃなイカ?」
『かかっ、発症するだけならそれでいいが、操るとなると話は別だ。人間が自分で自分の腕を動かすのに訓練なぞ必要ないが、別に仕組みを理解しているわけではない。それでも操れるのはそれが生まれた時からそうだからだ。逆に言えば、これまでにない何かをするには訓練が必要なのだ。人間には『症状』を操る器官は無いからな。』
 《イクシード》が言っているのは、極端な話、腕がいきなり一本増えたとしてもいきなりは動かせないだろって話だ。よく、腕がもう一本あったらとか翼があったらとか言うが、それはそれでいきなり追加されても困るのだ。三本目の腕も翼も、動かし方がまったくわからないのだから。
『かかっ。自分と相性の良いヴァンドロームを見つけるのは簡単でも、その『症状』を操れるようになれるかは本人の才能や努力による。だから、そうそう簡単に戦力は増えないのだ。』
『フム。ツマリアノカールトイウオトコモ、アアナルマデニクンレンヲツンデアアナッタトイウコトカ。』
『かかっ。そうだ。そして、今我が言った『才能』や『努力』を人並み以上に備えた精鋭十人を……《パンデミッカー》ではランカーと呼ぶわけだ。』
「あ、それ覚えてルゾ! そのランカーで一番の人がリーダーなんダロ?」
『かかっ。そういうことだ。かつてはアウシュヴィッツ、今はアリベルトだ。』
『ニック・フラスコノケンデデテキタオトコダナ。ゥワァタシモカンシカメラゴシニミタ。ゼンインノウゴキガカンゼンニテイシサセラレタトコロモナ。アレトドウレツニカゾエラレルニンゲンガアトキュウニンモイルノカ。』
 スッテンがやれやれという感じに肩をあげる。オレはそのランカーの話を聞いて思った事を口にする。
「もしかすると、その青年ってのはランカーかもな。」
『アリエルナ。アノヴェーダヲタオシタトアレバ……』
「あのう……」
 そこでことねさんがおそるおそる手を挙げる。
「その青年の事、ヴェーダさんに聞けば……その、『症状』とかもわかるんじゃ……」
『ウム。キケレバソウシタノダガナ……』
「入院中って眼球マニアは言ってたな。そんなにひどいのか?」
『アア。ニュウインチュウヲセイカクニイウト、イマアイツハアイシーユーノナカダ。』
「あいしーゆー……ICU!? 集中治療室か!」

 集中治療室というのは、身体の呼吸系や循環系に重篤な機能不全が起きている患者さんを二十四時間体制で管理、治療する部屋の事だ。簡単に言えば非常にまずい状態。患者さんの中にはICUに入ると聞き、「自分は死ぬんだ」と考えてしまって幻覚なんかを見る人もいたりする。つまり、それだけ深刻な時に入る部屋という事だ。

『クワエテ、ソノバニイタスクールノセイトタチハ、ヴェーダトセイネンノセントウノアイダニヒナンシタカラナ……セイネンノチカラヲマヂカデミテイルノハヴェーダダケナノダ。』
「来るまでわからないって事か……そうだ、《デアウルス》なら何か――」

 バンッ!

 オレが《デアウルス》なら何か知ってるかもしれないから聞いてみるのはどうかと提案する前に、ことねさんが物凄い勢いで机を叩いた。
「……? ことねさん?」
「ち、違います。今のは私の左手です……」
「《オートマティスム》が?」
 害のある虫でも叩いたのかと、オレがことねさんの方に行こうとすると、今度は《イクシード》がそれを止めた。
『かかっ。キョーマ、これは予想外だぞ。』
「? 何の話だ?」

 ドゴォッ!!

 《イクシード》の答えを聞く前に物凄い音がした。窓ガラス……というか校舎が全体的に震えている。
『かかっ。校門の方だ。』
 教卓に立っていた《イクシード》を抱え込み、オレは校門の方へ走り出した。正確に言えば、左手に引っ張られるように教室を飛び出したことねさんを追いかけた。

「今の一撃は警告である!」

 校門に近づくと、そう叫ぶ声が耳に入った。

「しばし待つ故、この建物から退去せよ! 残る者の安全は保障せぬ!」

 見ると、叫んでいる人物の数メートル前の地面に大きな穴が空いている。変な言い方だが……まるでSF映画のビームが落ちたような、綺麗な穴だった。
 おそらくあの穴が空く瞬間を見たのだろう、たくさんの生徒が大慌てで右往左往している。そこにスクールの講師らしき人物が十数人やってきて、生徒たちを誘導し始めた。
「緊急時の避難マニュアルに従い、公園へ避難の誘導を! 慌てず、確実にお願いします!」
 講師陣を指揮しているのは眼球マニア。そうやって指示を出しながら、眼球マニアは穴を挟んで叫ぶ人物と対峙した。その人物は……そう、外見の年齢で言えば、『青年』だった。


 左手に引っ張られてやってきた校門で、私は避難していくスクールの生徒たちと、穴の前に立つ眼球マニアさんと、穴の向こう側に立つ人物を見た。
 穴の向こう側に立つその人は、すごく変な格好をした男の人だった。髪型は、真っ白な髪が音楽室に飾られている有名な作曲家の皆さんみたいに左右に二つずつ筒状に巻かれているそれで、首を覆う形の襟をしたシャツを着て豪華なスカーフを巻いている。肩とか袖口に金色のひらひらがついている上着を羽織り、裾がひざ上のすぼまったズボン……というか色鮮やかなかぼちゃパンツに白いタイツで厚底のヒールみたいなブーツをはき、腰に長くて細い剣と短いナイフみたいなモノをさげている。
 まとめると……ヨーロッパの昔の貴族みたいな格好の青年だった。
『ズイブントユカイナカッコウダナ。』
「スッテンが言うか?」
 そう言いながらスッテンさんと先生が眼球マニアさんの横に並んだ。
 青年……きっと他のスクールを襲ったっていうその人が来たのだ。さっきランカーかもしれないと先生が言っていた《パンデミッカー》が……!
「《パンデミッカー》(ヤブ医者)三人……すごい光景ダナ……」
 肩書を知っていればそうだけど……パッと見は貴族対白衣と鎧と執事さんだ。
「おお! なんということか!」
 目の間に立つ三人の《ヤブ医者》を見て、貴族の青年は舞台で演劇をする人のように大げさなふりをつけながら嬉しそうに言った。
「この時代に、最も興味深いあの風習を再現できる日が来ようとは! そなた、騎士であろう?」
 貴族の青年が優雅に指さしたのはスッテンさん。
『ン? ゥワァタシハ――』
「待て! そこから先をやりたいのだ!」
『?』
 貴族の青年は腰にさげた細長い剣を抜き、まるで決闘をする人みたいにそれを顔の前に構えた。そしてもう一本の短いナイフみたいなモノに片手をそえる。

「このエペ・ラピエルの名は『フードラ』! マンゴーシュの名は『クーホン』! そして名乗ろう! 剣の主の名は《トゥネール・ブルシエル》! さぁ、そなたの名を聞こう!」

 知らないカタカナがたくさん出てきて私はよくわからなかった。それに気づいたからというわけではないと思うけど、スッテンさんがぶつぶつと呟く。
『……エペ・ラピエル……レイピアノフランスゴダナ。マンゴーシュハレイピアトツイデツカウタンケン……『フードラ』モ『クーホン』モフランスゴ。ナルホド、ソノカッコウハフランスキゾクナワケカ……シカシ……』
 スッテンさんは、まるであまり良くない事をそうであって欲しくないと思いながら確かめるように聞いた。
『オマエ、イマ《トゥネール・ブルシエル》トイッタカ?』
「いかにも! このトゥネールの名は《トゥネール・ブルシエル》である! さぁ、そなたの名は!」
『……スッテン・コロリンダ。』
「スッテン! それがこのトゥネールの前に立つ騎士の名か!」
 貴族の青年……トゥネールは満足気な顔になり、エペ・ラピエル……『フードラ』という名前のレイピアをおろす。そして妙にキラキラした目で三人を見つめた。
「わかる、わかるぞ! そなたはあの爆撃使いと同じ空気をまとっている! そちらの紳士もそうであろう? そしてそこの白衣に至ってはこのトゥネールと同族! なるほど、このトゥネールに対して相応の戦士をそろえたという事か! しかしそこに騎士を混ぜるとは……粋な計らいではないか、《デアウルス》よ!」
「爆撃使い……ヴェーダの事ですね。ではやはりあなたがドイツのスクールを壊滅させた……」
 眼球マニアさんがそう尋ねると、トゥネールは何故か誇らしげに笑う。
「いかにも! ちなみに――いや、ついでという形では失礼か! このトゥネールの名は《トゥネール・ブルシエル》! 紳士よ、そなたの名は!」
「…………眼球マニアです。」
「そうか! そこの白衣は!」
「安藤享守だ。」
「うむ!」
 三人の名前を聞いてますます満足気なトゥネール。なんだか動作の一つ一つが妙に芝居がかった人だなぁ……
「なるほど……つまり、ありそうでなかった事が今回起きたというわけですか。」
『ヴェーダガマケルワケダ。』
「おい、これってかなりまずくないか?」
 何故か《ヤブ医者》の三人の顔色が悪くなっていく。そう言えばスッテンさんがトゥネールの名前を確認していた……という事は有名な《パンデミッカー》なのかな……
「ライマンさん、トゥネールって聞いたことありますか?」
 スクールで勉強しているライマンさんならそういうのを知っているかもと思って聞いてみる。するとライマンさんは目を丸くした。いや、正確には元々見開かれていた目で私を見た。
「……そうか、ことねは知らないかもしれなイナ。図鑑にも載ってなイシ……」
「図鑑?」
 予想外の言葉に私が困惑していると、ライマンさんは静かに言った。

「ことね、《トゥネール・ブルシエル》っていうのは、Sランクヴァンドロームの名前なンダ。」

 Sランクヴァンドローム? 《パンデミッカー》じゃなくてヴァンドロー……
「! Sランク!?」
 そこで私はやっと状況を把握できた。
 つまり、スクールを襲ったのは《パンデミッカー》じゃなかったのだ。私の左手の中にいる《オートマティスム》や先生の中にいる《イクシード》さん、『半円卓会議』の司会を務める《デアウルス》さんと同じ……ヴァンドロームが突然変異を起こして人知を超えた力を得た存在、どんな《お医者さん》でも治療できず、それどころか人間では勝ち目がないとさえ言われる……Sランクヴァンドローム、その内の一体が犯人だった……という事だ。
 そしてその一体が、今ここにやってきた……名前は、《トゥネール・ブルシエル》……!

「スッテン! 決闘に入る前に互いの意思を確認しようではないか! 場合によってはこの決闘、握手という和解を迎えられるかもしれぬぞ!」
『ホウ? ナラマズ、オマエノイシ……モクテキヲキコウカ。』
「よかろう! このトゥネールの目的は、スクールと呼ばれる施設の破壊だ!」
『シセツノハカイ……ソウイエバドイツデハシシャガデナカッタソウダナ。アレハオマエガコイニソウシタノカ?』
「いかにも! このトゥネールが危惧しているのは、このトゥネールのような存在、つまりSランクと呼ばれる存在に届きうる《お医者さん》が生まれる事だ! できれば人間を殺めたくはないのでな、育てる施設だけを壊す事にした! 抵抗しなければ、そなたらや生徒たちに危害は加えないと約束しよう!」
「人を殺めたくない……その理由が気になるところですが、一つ確認を。何故今なのですか? スクールの歴史はそこそこ古いモノです。何故今になって危険視するのです?」
「今になって力のバランスが傾き始めたからだ! そちら側につくSランクの影響によってな!」
 スッテンさんと眼球マニアさんが先生を見た。
だけどたぶん……さっきの眼球マニアさんの話からすれば……ここ最近(お医者さん)側についたSランクと言えば……それは……
「……私……」
 私が左手を震わせると、ライマンさんがそれを握ってくれた。
「これまで、ヴァンドロームを攻撃する術を持つ《お医者さん》も、操る術を持つ《パンデミッカー》も、互いにSランクを頭に置いてはいるが、個々の実力はSランクに届かなかった! しかし今、Sランクの能力を技術で持って制御し、強力な力を操る者が現れ、その技術が受け継がれようとしている! そうであろう、《イクシード》、《オートマティスム》!」
 誰に向かって叫んでいるのやら、両手を天に掲げて何かの舞台のように仰々しいトゥネール。それを見て眼球マニアさんがため息をつく。
「……つまり、彼が行動を始めた理由は、《パンデミッカー》が行動を始めた理由と同じ、安藤と溝川の存在なのですね……」
「……悪いな。」
「誰のせいでもありません。気にしないで下さい。」
 先生と眼球マニアさんが困ったように笑い合う。
『フム、ソッチノイシハリカイシタ。デハコチラノイシヲシメソウ。』
「伺おう!」
『コチラガユウセンスルノハムロン、ヒトノイノチダ。シセツノハカイダケトイウナラソチラノジョウケンヲノミタイトコロダガ……シセツヲツクルタビニハカイサレルノデハケッキョク、《オイシャサン》ガイナクナッテシマウ。ミライ、ゥワァタシノココロヲオドラセルギジュツヲウムカモシレナイジンザイヲソダテルタメニモ、シセツノハカイハキョカデキナイ。』
「……それ、スッテンの意思だな。」
「ふふふ。コロリンらしいですがね。」
 スッテンさんの言葉を聞き、トゥネールは和解が成立しない事を……むしろ嬉しそうに頷く。
「騎士が二人、互いの意思が相反した! ならば決闘しかあるまい! 手袋を投げよう! 互いの全てを賭け、意思を貫く! いざ!」
『ケットウハベツニイイガ……オマエハエスランク。サンタイイチデイイカ?』
「む、それはいかんな!」

 瞬間、真っ白な光がスッテンさんの横を走った。

「これで一対一である!」
 何が起きたのかよくわからなかった。状況を把握するのに、私もライマンさんも……スッテンさんも何秒か費やした。
 スッテンさんの隣に立っていた先生と眼球マニアさんがいなくなったのだ。一瞬見えた白い光のせいなのか……突然消えてしまった二人を探す私たち。

「がはっ!」

 苦しそうな、痛そうな声が聞こえた。声がしたのはスッテンさんの後ろ、少し離れたところにある校舎の壁。そこに眼球マニアさんがいた。
術式を発動させる時に描く魔法陣のような形をした光に包まれた眼球マニアさんは、その光が消えると同時にめり込んでいた壁から倒れた。

「ほう! さすが《ヤブ医者》、とっさに術式を展開させたか! しかし、ざっと見る限り眼球マニアの身体は常人のそれ! 壁に叩きつけられた衝撃でしばらく動けぬだろう! そして安藤享守は直撃! うむ、やはり無事に一対一になったようだな!」

 先生はどこか。必然的に眼球マニアさんがいた校舎の壁に沿って視線を動かす。そして見つけた。

 真っ黒に焼け焦げた先生を。

「先生っ!!」
 私は走った。いつも白衣を着ているから白いイメージの強い先生だけど、そんな先生が煙をあげて……真っ黒で倒れている。異常。明らかな緊急事態。
 近づくにつれて鼻をつく嫌な臭い。胸に渦巻く感じたことのない不安。
「先生! 先生!」
 先生の横に座り込む私。かろうじて仰向けだということはわかるけど、目とか鼻とかが区別できない。
 胸に手を置き、先生をゆする。あり得ない程の高温と、少し硬い感触が手に伝わる。
「先生!」
『動かすな!』
 先生に置いていた手が、先生の胸のあたりから伸びてきた白いモノに弾かれる。《イクシード》さんの手だ。
『今大急ぎで細胞の修復をしている! キョーマは生きている、心配するな! 我が死なせるか!』
 《イクシード》さんにそう言われ、その場にへたりこむ私。両手を見ると黒い墨のようなものがついている。
 不安で心が震え、恐怖で頭が塗りつぶされ、涙で視界がぼやけ――
「こトネ!」
 両肩に置かれるライマンさんの手。
「だ、大丈ブダ! 《イクシード》が治しテル! す、すぐにいつもの先せイニ……」
 横目に見えるライマンさんは、見た事のない、ライマンさんには似合わない表情だった。

「二人ともしっかりするのです。」

 何もできずに先生の横に座り込む私とライマンさんを、口から血を流し、おなかを痛そうに抑えながら見下ろすのは眼球マニアさん。
「にん……人間がこうなった場合、今の医術では回復不可能です。故に……あなたたち二人には、もちろん私にもできることはありません。人知を超えたSランクである《イクシード》に任せましょう。」
 言葉だけ見れば冷静で冷たいけれど、先生を見るその表情は歯がゆそうなそれだった。
「わ、私は……何をすれ、ば……何か、できることは……」
「ごほっ……あるとすれば、これから始まるスッテンとトゥネールの戦いを良く見る事です。安藤が回復するまでにどれほどの時間が必要かわかりませんが……もしスッテンが負けた場合、次に戦えるとしたら、それは回復した安藤のみ……私はこの様ですからね。ですから伝えるのです……安藤に、トゥネールというヴァンドロームがどういう敵なのかを……回復した時に。」
 そう言ってその場に座り込む眼球マニアさん。私は……
「先生……」
 先生をじっと見つめた後、スッテンさんに目を向けた。

「む? そういえばそなた、剣はどこにあるのだ? 騎士の魂たる剣は一体……」
 《ヤブ医者》を二人、一瞬で戦闘不能にしたトゥネールは先ほどと全く変わらない口調と雰囲気でスッテンさんにそう聞いた。
『……オマエ……』
 スッテンさんは私たちの方を……ううん、たぶん先生を見ていた。先生の方を見ながら、トゥネールに話しかけている。
『ヨクモ……ゥワァタシノユウジンヲ……』
 スッテンさんが右の手の平をバッと開く。すると何もない空間に、まるでブロックが組みあがるように何かが形作られていく。
『ゥワァタシノトモダチヲキズツケタナ。』
 最終的に組みあがったのは一本の剣だった。スッテンさんの甲冑姿に良く似合う、西洋の大きな剣がスッテンさんの右手に握られる。
「おお! それがそなたの剣か! 本来であればエペ・ラピエル同士で決闘を行いたい所であるが……そなたは騎士だものな! そこまでのわがままは言わ――」

『オマエハココデオワレ。』

 次の瞬間、スッテンさんの姿が消え、トゥネールが立っていた場所で粉塵があがった。舞い上がった砂埃を剣の一振りで払うのはスッテンさん。どうやら、目にも止まらない速さでトゥネールに斬りかかったようだ。
「今の一撃、素晴らしい速さだった!」
 バチッという、電気回路か何かがショートした時の音と共に、スッテンさんから離れた場所にトゥネールが現れた。
「これは出し惜しみできぬな!」
 レイピアを構えるトゥネール。すると、そのレイピアにバチバチっと電流が走った。
「電気……?」
 私は、先生を襲ったさっきの光を思い出す。あれは……もしかして電気……いや、雷?
「《トゥネール・ブルシエル》……その名の通りと言いますか、記録通りと言いますか……やはり電気使いでしたか。」
 私の呟きを聞いたのか、眼球マニアさんがそう言った。
「名前……《トゥネール・ブルシエル》って何か意味があるんですか?」
「ええ。この名前はフランス語でしてね。日本語では……『晴れた日の雷鳴』……いえ、確かもっと相応しい言葉がありましたね。《トゥネール・ブルシエル》とは、日本語に訳すと『青天の霹靂』です。」
「雷……ですか……」
 眼球マニアさんは、ポケットから注射器のようなモノを取り出し、それを自分にうちながら《トゥネール・ブルシエル》というSランクについて語った。

 私たち《ヤブ医者》からすれば、Sランクと聞いて始めに思い浮かぶのは《デアウルス》でしょう。ですが《デアウルス》は会議の出席者しかその存在を知りません。では一般の《お医者さん》はどのSランクを思い浮かべるのか。おそらく、真っ先にあがる名前は《トゥネール・ブルシエル》です。
 何故彼がそれ程に有名なのか。それは、彼が《お医者さん》に対して友好的という記録があるからです。
 彼が現れたという記録は今よりざっと三百年前が最初です。彼はある晴れた日、一人の《お医者さん》の前に雷鳴と共に現れました。今の姿と同じかはわかりませんが、その時も人間の姿をしていたそうです。
 彼はその《お医者さん》に、「自分に名前を付けて欲しい」と言いました。その《お医者さん》は、当時ヴァンドロームの図鑑を編集していました。つまり、当時最も多くのヴァンドロームの名前を知っている《お医者さん》だったわけです。彼はきちんと選んでその《お医者さん》を訪ねたのです。
その《お医者さん》によると、初めて見た時、彼は上級のAランクと対峙した時に感じる感覚を覚えたそうです。目の前にいる生き物が、自分よりも上の存在だと言う実感を。そうして色々調査した結果、その《お医者さん》は彼をSランクに分類すべきヴァンドロームだと判断しました。
 《お医者さん》に確認され、その実力がSランクだと判断されたヴァンドローム……頼まれなくとも名前はつけます。ヴァンドロームの名前は星と一緒で、初めに見つけた者が名前をつける決まりです。その《お医者さん》は、彼が現れた時の情景を彼の名前にしました。故に、《トゥネール・ブルシエル》……その《お医者さん》はフランス人だったわけですね。
 以降、これと言った周期もなく、ある日突然(お医者さん)の前に現れてちょっとしたお願いをしてくるSランクヴァンドロームとして《お医者さん》の間では認知されました。

「これが《トゥネール・ブルシエル》というヴァンドロームの概略です。」
 さっきの注射のおかげなのか、痛そうにしていた顔が和らぎ、いつもの表情になった眼球マニアさんに、私は月並みな質問をする。
「それで……『症状』はなんなんですか? 電気ってことは……手足の痺れとかですか?」
「いえいえ。手足の痺れは電流によるモノではありませんからね。彼の『症状』は……特にありません。」
「え?」
「彼に名前をつけた《お医者さん》が、調査の一環として彼を自分にとりつかせたそうなのですが……これと言った『症状』は発症しませんでした。」
「じゃあ、とりつかれても何も起きない……ヴァンドロームなんですか?」
「いえ、何も起きないわけではありません。名前をつけた《お医者さん》は、とりつかれた状態で数日過ごしてみたそうなのですが、そこでようやく身体の異変に気づいたのです。」
「異変?」
「首や肩が妙にこる、膝や腰が痛い……そんな状態になっていたそうです。」
「……? 肩こりが『症状』なんですか……?」
「いえ。それらが生じた原因を調べたところ……その《お医者さん》の身体のある数値が平常時とは異なる値だったそうです。」
「数値?」
「《トゥネール・ブルシエル》がとりついたことでおかしくなったモノ……その《お医者さん》の身体は、生体電流が乱れていたそうです。」
「生体電流? ……って……脳からの電気信号とかの事ですか?」
「それもありますが、生体電流というのはもっと重要な部位に関わっていますよ。」
 ということで、次へ生体電流について眼球マニアさんは教えてくれた。

 腕や脚を動かすのには脳からの電気信号が必要ですし、常時動いている肺や心臓も電気信号で動いています。確かに生体電流は身体を「動かす」為に必要ですし、そのイメージが強いでしょう。ですが、生体電流は「生きる」為にも必要なのです。
 人間の細胞一つ一つには決まった量のプラスイオン、マイナスイオンがありますし、身体を動かすエネルギーを作る物質の生成やたんぱく質の合成、細胞分裂にも生体電流は必要なモノです。
 それを主動力としているわけではありませんが、文字通り、人間は電気で動いているのです。そんな大切な生体電流が乱れてしまうと、身体の各部位に異常が生じる事になるのです。

「つまり、《トゥネール・ブルシエル》は何かしらの『症状』を引き起こすのではなく、何かの『症状』を引き起こしやすい身体にするのです。強いて言えば、彼の『症状』は『生体電流の乱れ』となりますかね。」

 そんな電気を操るSランクヴァンドロームと《ヤブ医者》の戦いは、何故か剣を使った戦いになっていた。
 目にも止まらない速さで繰り出されるトゥネールの突きを、まるで重さを感じさせない速さで振るわれる大剣で弾き、そのまま振り下ろすスッテンさん。それをもう一本の短いナイフような剣……確かマンゴーシュと言っていたか、それで受け流し、スッテンさんの態勢を崩したトゥネールは電流を帯びたレイピアをさっき以上の速さで突く。だけどスッテンさんの身体は、まるで何かに引っ張られるようにスゥッと後ろにさがり、それを避けた。
「なんと不可思議な! そなた、このトゥネールの知らぬ技術を持っておるな!」
『タダノカガクダ。シカシ……ゥワァタシモオドロイタ。ソノケン、カザリデハナイノダナ。』
「無論だ! マンゴーシュで敵の剣を受け流し、エペ・ラピエルで攻撃する! 近世までヨーロッパにおける白兵戦の基本戦術であった! 当時の達人を師事し、学んだのだ!」
 人間の剣術を学んだというのはすごいけど……スッテンさんもすごい。達人に学んだというトゥネールの言葉を信じるなら、それと対等に戦っているスッテンさんもかなりの達人だ。
「スッテンさん、意外と見かけ通りに剣が使えるんですね。」
 私がそう言うと、眼球マニアさんが笑った。
「いえいえ。コロリンはあらゆる面で見かけ通りではありません。あの剣術も……別に学んだわけではありませんよ。」
「え?」
「まだ知り合ってから日が浅いですが……コロリンがどういう人物なのかは理解出来ました。コロリンは確かに未知を解明するという探求心の塊ですが、それが向くのは「世界の仕組み」だけです。人間が人間を殺すために作った技術なんてモノに興味を示すとは思えません。」
「で、でもスッテン、すごい剣の使い手に見えルゾ?」
 さっきの似合わない表情から段々と戻って来たライマンさんが会話に入って来る。
「これは私の推測ですが……あの兜を通して見た光景を分析、相手の動きを先読みし、最適な攻撃というのを計算しているのでしょう。おそらく、あの鎧で身体能力も向上させてね。コロリンの中身は、どこにでもいる運動とはかけ離れた引きこもりの科学者だと私は思っています。」
 鎧の力なのか、もっと別の技術……科学なのか。スッテンさんはその大剣をまるで手足のように巧みに振るっている。加えて、よく見ると足が地面から数センチ浮いていたりする。
 映画に出て来るカンフーの達人のように、その鎧姿からは想像できないアクロバティックな動きでトゥネールの剣に対応するスッテンさん。
 超人的な動きは無いけれど、とにかく動きが速いトゥネール。
 二人の戦いは、映画のワンシーンよりはアニメのワンシーンに近かった。
『……ソノケンジュツハタシカニスゴイガ……ソノケンモソウトウスゴイナ。ドチラカトイウトソッチガゥワァタシゴノミノオドロキダ。』
「このトゥネールのエペ・ラピエル、『フードラ』の事か? もしくはこのトゥネールのマンゴーシュ、『クーホン』か?」
『リョウホウダ。ゥワァタシノケントブツカッテムキズトイウテンガオドロキダ。』
「ほう?」
『コノケンハナ、コノヨロイドウヨウニゥワァタシノギジュツガツメコンデアルノダ。ユエニ、アカンボウデモコウテツヲセツダンデキルクライニハナッテイル。ダトイウノニソノケンハキズヒトツツカナイ。オソラク、オマエノデンキノチカラナノダロウ?』
「いかにも! しかしそうか、そなたはそういう騎士であったか! ではこうして剣の決闘ができる事は奇跡のような偶然というわけか!」
『? ドウイウイミカヨクワカラナイナ。』
 トゥネールの剣が頑丈という話はそこで終わってしまい、また剣劇が始まった。二人は納得したようだけど私やライマンさんはさっぱりわからず、自然と眼球マニアさんの方を向いていた。私たちの視線を感じ、スッテンさんとは専門が少し違うであろう研究者である眼球マニアさんは、それでも説明してくれた。
 講師としての性か何かだろうか。
「これは科学……いえ化学ですね。物というのは、全て原子やら分子やらでできているのは知っていますか?」
「はい……」
「ではそれらが互いにくっつくのにどういう力を使っているかはご存知ですか?」
 私は久しく見ていない高校の頃の教科書を思い出す。
「えっと……何とか結合とか……電子とか……」
「それです。そう、電子です。大雑把な事を言うと、物を形作る原子や分子という部品は電気の力でくっついています。」
「電気……そウカ! 電気の力であの剣を強くしてるノカ!」
「そんなところです。電気の力をコントロールして金属の結合を強めているのです。スッテンの口ぶりからして……おそらく普通では考えられないレベルの強度になっているのでしょうね。」
 きっと、トゥネールの剣がそんな風にすごいからわからないんだろうけど、スッテンさんの剣も何かすごいんだろう。さっきさらりとすごい事言ってたし。
「ふふ! そろそろ頃合いか!」
 そう言ってスッテンさんから大きく離れるトゥネール。そしてレイピアを大きく後ろに引き、その根元にマンゴーシュを重ねた。
「得意技や必殺技は戦いの後半で出すモノと聞き及んでいる! いくぞ、スッテン!」
『ソンナコトダレカラキイタノカシラナイガ……ヒッサツワザ?』
「素晴らしい文化である! 叫ぶモノが名前なのだから!」
 そう言うと、トゥネールはマンゴーシュをレイピアの刃に沿って走らせ、振りぬいた。

「《プフプァ・フラッシェ》!!」

 マンゴーシュが空中に描いたその軌跡が、そのままかまいたちのように飛来した。ただし、形はかまいたちと表現できる三日月形だけど、それは電気でできていた。
 つまり……電気で出来た斬撃が飛んできた。
『ホホウ。』
 と、かなり余裕な一言を言いながら、スッテンさんはその斬撃を剣の……えっと腹って言えばいいのだろうか。横の平べったい側でバチバチというよりはゴロゴロと唸る雷鳴を響かせながら受け止め、そのまま斜めに受け流す。流された斬撃はスッテンさんの後方、スクールの校舎の一部を切り取った。
「さすがだ! ならばっ!」
 大きく引いたままだったレイピアが、雷が落ちた時みたいに一瞬ピカッと光る。

「《シュープヒ・ヴァーグ・イフォーツ》!!」

 トゥネールがレイピアを突きだすと同時にその剣先から真っ白な光が走り、スッテンさんを包んだ。これはたぶん、さっき眼球マニアさんと……先生を一撃で倒した攻撃だ。それをまともに受けたスッテンさんだったけど、一瞬の閃光の後に残ったのはどこも焦げてないし、煙もあげていないいつものスッテンさんの鎧姿。

『……アイニクトイウカ……』
 スッテンさんは何事も無いかのようにこう言った。
『カガクシャニデンキデイドモウトイウコトガソモソモマチガッテイル。』
「確かに! 電気は科学の伴侶と言える程の深い関わりがある! だがしかし、そなたが科学者という騎士を貫いているのと同様に、このトゥネールもこの力と共に意思を貫いて来た! 一度や二度防がれたと言って他の戦法を模索する程、このトゥネールの技術は底が浅くないのでな!」
『サッキモソンナコトヲイッテイタナ。ベツニゥワァタシハキシデハナイゾ。コノカッコウデソウオモッテケットウナドトイッタノナラワルカッタナ。』
「間違えてはいない! 確かにそなたの姿で騎士と思ったが、科学者とわかった今でもやはりそなたは騎士だ! 騎士とは役柄ではなく生き方であると、このトゥネールはその昔とある騎士から教わった!」
『イキカタ?』
「知性が! 理性が! 考える知能を持つにも関わらず言葉では説明できない感情に押されて動く愚かさ……しかし故に魅かれる生き方よ! 胸に渦巻くそれにそなたらは名前を付けたな! そう、信念と! そなたからは科学者の信念が感じられる! 人類をより良く導こうと、他者に奉仕しようという志が! そういうモノを貫く者を騎士と、そう呼ぶのだろう!」
 トゥネールが嬉しそうにそう言うと、スッテンさんは剣を構えたまま固まった。
『…………ジンルイヲミチビク? ホウシ? トンダソクテイミスダナ。オマエハ、カガクシャトイウジンシュヲミアヤマッテイル……』
「誤る? このトゥネールがか? しかし事実、世の為人の為とうたい、科学に邁進する科学者がいるではないか!」
 レイピアを突き出しながらの突進。スッテンさんがそれを防いだと思ったら、流れるように連続で突きが放たれる。そんな高速の連撃をこれまた高速の剣捌きでことごとく防ぐスッテンさん。
『ソレハ、リユウガナケレバカガクシャヲヤレナイショウシンモノガカガゲルリソウダ。マァ、タイハンノカガクシャガソウナノダガナ。』
「理想か! だがそう言うということは現実が! 真実があるという事だな?」
『ソウダ。スベテノカガクシャハヒトシク、アルヒトツノモノニツキウゴカサレテケンキュウヲオコナウ。』
「ならば問おう! それはなんだ、スッテンよ!」
 セリフの勢いもあってか、少し大振りになった連撃の中の一手。それを狙いすましたかのように防がず受け流し、トゥネールの懐に入り込んだスッテンさんは、ぼそりと質問に答えた。

『タンキュウシンダ。』

 トゥネールの腕の下、広さで言えば狭いそのわずかな空間の中でスッテンさんがぐるりと一回転する。「ぐるり」と言ったけど、その速さは一瞬のそれで、気づいた時にはスッテンさんがトゥネールの斜め後ろに立っていた。
 両腕を切断された、トゥネールの後ろに。
「よもや! このトゥネールの腕が!」
 腕を切断されるなんて、信じられないくらい痛いと思うけど……そういう素振りは一切なく、トゥネールは自分の腕が切られた事にただただ驚いているようだった。
『ソノケンドウヨウニ、オマエガジブンノカラダノキョウドヲアゲテイルダロウトイウヨソクハツイタカラナ。ゲンショウヲヘンコウシタ。』
「現象の変更? む、その剣、いつの間にそんなに輝きを増したのか!」
 見ると、スッテンさんの剣が光っていた。厳密に言えばその輪郭というか……剣の切れる部分が光っている。ちょうど、クリスマスに電球を飾り付けられて、家の輪郭が夜に露わになる感じに。
『エネルギーヲアタエレバブッシツノジョウタイハヘンカスル。キレナイノナラカタクナイジョウタイニヘンカサセルダケノコト。』
 スッテンさんの、別に自慢する風でもない学校の先生のような呟きに少し首を傾げていると、眼球マニアさんが少しわかりやすくしてくれた。
「つまり、切るのではなく溶かしたのですよ。」
「オオ! ライトセーバーダナ!」
 ライマンさんのその一言で私はわかった。スッテンさんの剣が光っているのは、刃先にレーザーのようなモノが走っているからだ。
 ライマンさんの言う通り、ライトセーバーみたいに。
「驚いたぞ! このトゥネール、剣を握ってからこれまで、剣を地面に落としたことなどなかったぞ!」
 トゥネールはレイピアを握った状態で地面に落ちている……血も出ていない腕に途中で切れている自分の腕を向ける。するとその断面からウネウネっとしたモノが何本か飛び出して落ちている腕の断面に張り付いた。そしてそのまま釣りでもするかのようにズルズルと引き戻し、ロケットパンチで飛ばした腕を再装着するような自然な流れで切断された腕をつけなおした。
 同様にもう片方の腕も装着しなおしたトゥネールは、腕をぐるぐる回しながら話を続ける。
「しかしそうか、探求心か!」
『ソウダ。』
 スッテンさんはトゥネールが行った再生に驚いたのかあきれたのか、肩を落として続きを語る。
『アレヲミツケタイ、コレヲツクリタイ、ソレヲコワシタイ、ミタイ、キキタイ、ソシテシリタイ。カガクシャノココロヲシメルモノハジブンノナカニハナイミチヲモトメルイシ。ソノツイデニ、フクサンブツトシテ、モシクハマワリノニンゲンガカッテニリヨウシタセイデ、ジンルイノコウケンナドトイウアリガタイカタチニナッテイルダケダ。カガクシャノホンシツデイウナラバ、タンキュウシテイタモノ……「サガシ」「モトメタ」モノニデアッタジテンデソノケンキュウハオワリダ。ソシテカガクシャハ、ツギナルミチヲモトメル。』
「なるほど! つまりそなたに感じるこの信念は純粋な探求心か! しかしまぁ、科学者の本質がどうであれ、研究する者というのにはこのトゥネール、格別の感謝を抱いている! 何であれ、そんなそなたと決闘を経験できるのだ、これはとても嬉しい出来事であろうよ!」
『カンシャ?』
「そうだ! そなたらが新しいモノを作るから、見つけるからこの世界には溢れているのだ! このトゥネールが最も気に入っているそなたら人間の文化の一つが!」
『ホウ? ツイデダ、ゥワァタシハカガクシャニツイテカタッタ。ナラバコンドハオマエガカタレ。ナゼ、オマエハニンゲンヲエサトシテミナイ? コロシタクナイトモイッテイタシ、オマエハレキシジョウ、イロイロナ《オイシャサン》ニイロイロナコトヲオソワッテイル。ソノケンジュツモソノカッコウモソウイウタグイダロウ。オマエニトッテニンゲントハナンナノダ?』
 スッテンさんの問いかけに、トゥネールは「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりの笑みを浮かべた。
「ふふふ! 昔はその質問には決して答えまいと誓っていたモノだ! 昔は圧倒的な存在を、人間は神と崇めていたからな! 下手に理由を言うとこのトゥネールに気に入られようと、本来のそれとは異なる趣向のモノが出来上がりかねない! しかし今なら良いだろうな! 信仰が廃れた今であれば!」
 短剣……マンゴーシュを鞘におさめ、レイピアをさげ、トゥネールは空いた左手を胸にそえる。
「人間の、文化に大いに関心を抱き、大いに感心しているからだ!」
『ブンカ?』
「そうだ! 四足歩行が二足歩行になっただけで急激に生まれ出した人間の風習だ! 習慣だ! 特にこのトゥネールが気に入っているのは――ふふ、何かわかるか、スッテン!」
『サァナ。』
「それはな、《名前》という文化だ!」
『ナマエ? ソンナモノヲキニイッテイルノカ?』
「わかっていないようだな、スッテン!」
 トゥネールはこれまた誰に向かってしゃべっているのか、舞台俳優のように空に向かって説明する。
「種族が同じならば見た目も同じ! しかし人間には他の生き物には無い高い知能がある! 故に、見た目は同じでも中身が全く異なる……そう、圧倒的な個性が存在している! だからこそ、個々をしっかりと区別する方法が必要だった! そうして生まれたのが《名前》という文化だ!」
『タシカニソウダロウガ……ソレガドウシタ。』
「そう急くな! このトゥネールも、《名前》というモノがそこで留まっていたなら興味は抱かなかっただろう! だがそうではないのだ! 個々の区別、つまりは差別化! あなたとわたしは違うという意味合いを強める《名前》が、だがしかし時に《名前》を持たない他の生き物以上の絆を生むのだ! 友人がいたとして、その者の事を思い出そうと思った時、その者に《名前》があるのとないのとでは思い出せる記憶の量に差が生じる!」
『……ジュケンセイナンカガタマニツカウモノノオボエカタミタイナモノダ。ナニカニカンレンヅケルコトデ、キオクノヒキダシヲアケヤスクスル。』
「理論はそうだがそれ以上であろうよ! 《名前》を呼び合う、それだけで個々の繋がりは強くなるのだ! 加えて、これは生き物以外にも効力を持つ! 世の中に多く出回っている大量生産の物だとしても、それに所有者が《名前》をつけただけで世界唯一の代物となり、その者とその物を強く結びつける!」
 トゥネールは空からスッテンさんの方に視線を戻した。
「個々の存在を強めると同時に同種族の関係性も強め、無機物にすら意味を与える! これが《名前》だ! 素晴らしい!」
『……ソンナスバラシイブンカヲウミダシタカラ、ニンゲンハコロシタクナイト?』
「それだけではないぞ! 例えば人間が生み出した技術からは多くを学ばせてもらった! このトゥネールの持つ電気の力、その特性や使い道、このトゥネール一人では思いも及ばなかった事を、人間のおかげで可能としたのだ! こちらに関しては純粋に感謝している! こういった数々の関心と恩恵を与えてくれたからこそ、このトゥネールは人間を殺めたくないのだ!」
『ソウカ。シカシソレトハンシテ、サッキハケットウヲタノシンデイルヨウニミエタガナ。』
「その通りだ! 互いの《名前》を誇りと掲げ、逆の道を行く者と対峙する……素敵な事だ! しかしそれも経験出来た故、正直今のこのトゥネールは満足しているのだ! 退いてくれるというのであれば、先も言ったが誰一人手出しはしないと誓おう!」
 トゥネールは……今の話からすると、本当に人間を攻撃したくないと思っているんだ。文化という、トゥネールでは生み出せなかったモノを生み出してくれた人間を……これからも新しい何かを生み出していくであろう人間を。
 だけど今、その大好きな人間の中に自分の命を脅かす力が育ちつつある。だから……とても嫌なのだけど仕方なく攻撃をしかけてきた……
「このトゥネール、ただ未来の最悪を防ぎたいだけなのだ! 勝手ながらも、このトゥネールも命は惜しい! そこに届きうる可能性の芽……さらなる「先」を見たいが為、これだけは摘まなければならないのだ!」
『オマエノイイブンハワカッタ。』
 スッテンさんは、だけど剣をスッと構える。
『ソレデモ、オマエトオナジリユウデ……ミライノカノウセイヲサカセルタメニ、ゥワァタシハタタカウ。ソレニ、モウヒトツリユウガデキタ。』
「む?」
『キホンテキニユウコウテキデモ、ナニカノカタチデテキニマワルカノウセイノアルオマエトイウソンザイ。マサニイマミタイニナ。オマエノチカラハイマノニンゲンシャカイニタイシテ、キョウイテキスギル。ソウ……ミライノサイアクヲフセグタメニ、ゥワァタシハイマ、ケンヲトッテイル。』
「……そうか! 未だに説得という手段に訴えたこのトゥネールが愚かだったか! 戦いの中で既に答えは出ていたということだな!」
『ソレハチガウナ。ハジメニイッタダロウ、オマエハココデオワレトナ。』
「遥か昔に言葉は要らず、か!」
 瞬間、トゥネールが物凄い速さでスッテンさんに近づいた。そして流れるように繰り出されるレイピアの連続突き。
『……ッ!』
 さっきまでとは全然違う速さの攻撃にスッテンさんの反応が遅れた。十数回防いだところで反応が遅れた分のツケがまわり、スッテンさんの剣は大きく弾かれた。両腕をあげて無防備になるスッテンさんの胸にレイピアの先端がこつんと当てられた。

「《テヒーブル・ルーァ》!」

 トゥネールが技名を叫ぶと、スッテンさんは身体に響く重たい雷鳴と共に後ろに弾き飛ばされ、スクールの校舎の壁に大きな穴をあけた。
「意思が変わらないのであればやむを得まい! 全力でそなたを倒す!」
 トゥネールのレイピアに電撃が走る。

「《シュープヒ・ヴァーグ・イフォーツ》!!」

 レイピアの先から放たれた雷はまっすぐにスッテンさんが開けた穴に向かう。校舎が黒く焦げる一瞬前、スッテンさんは穴から飛び出してそのままトゥネールに斬りかかる。スッテンさんの体重の乗ったその一撃は、だけどトゥネールのマンゴーシュでするりと受け流された。そしてそのまま、互いの剣の応酬が始まる。
 さっきまでは準備運動だったと言わんばかりに速さの増したトゥネールの攻撃に、スッテンさんは懸命に対応する。トゥネールの動きは本人が言ったように、マンゴーシュという短剣で相手の攻撃を受けてレイピアで刺すというモノで……別に剣術に詳しくない私でもトゥネールがそれしかしていない事がわかるくらいにそれを忠実に行っている。だけど、スッテンさんのびっくりするようなアクロバティックな攻撃にも動じずに受け流し、反撃している。
 攻撃は速くて防御も完璧。全くスキがないのだ。
『――ッ!』
 トゥネールの猛攻を受け、ついにスッテンさんの剣が手から離れて宙に舞った。これまで以上に無防備になったスッテンさんに、重たい一撃を放とうとトゥネールが構える。

「《テヒーブル・ルーァ》!」

 閃くレイピアがスッテンさんに届く刹那、レイピアとスッテンさんの間に割り込むモノがあった。
「ぬっ!?」
 それはさっき宙に舞ったスッテンさんの剣だった。スッテンさんを守るようにレイピアを止めたその剣は、スッテンさんが握っていないのに勝手に動き、そのままトゥネールを攻撃する。
「おおっ!?」
 驚いた顔で後退するトゥネール。その眼前では、ふよふよと宙に浮く剣を掴み、再び構えるスッテンさん。
「なるほどな! その剣、遠隔操作が可能であったか!」
『……マァナ。』
「そういう事が可能であるなら……そなた、何刀流にもなれるのだな!」
『……イチドニデキルノハサンジュウガゲンカイダガナ。』

「三十!」
 思わず私は声に出す。ロボットのアニメに出てくるような、本体とは別に動いて相手を攻撃する小さなビーム砲のように、スッテンさんはあの剣を三十本も同時に周囲に浮かせて操れると言うのだ。
 だけど、そう言ったスッテンさんはそのまま一本の剣を構えてトゥネールに向かって行った。
「あれ……スッテンさん、どうしてその……三十本の剣を使わないんでしょうか。」
「恐らく、それをやっても勝てないのでしょうね。」
 私の質問に答えてくれた眼球マニアさんは、私が思ってもいなかった事をさらりと言った。
「え、勝てない……んですか!? た、確かに攻撃は受けてますけど、スッテンさん無傷ですよ?」
 スッテンさんは剣劇に押されてトゥネールの攻撃を受ける事はあるけど、すぐに立ち上がって攻撃を再開している。
 きっと、博物館に置いてあるような甲冑をまとって挑んだとしてもすぐに壊されるか穴を空けられてしまうのだろう。だけどスッテンさんのそれはとても頑丈で、トゥネールの攻撃を受けても傷一つつかない。
「そう見えるだけですよ……気づいていますか? トゥネールが、さっきからコロリンの鎧の同じ場所を攻撃している事に。」
「え……?」
「それも寸分たがわずにね。サッカー選手がボールを同じ的に蹴り続けるのとはワケが違います。レイピアの先端の面積は……いえ、面積と呼べる程もないただの点です。それを同じ場所……コロリンの心臓のあたりに突き続けているのですよ。そうとわかって見ていると、そこが段々と窪んでいくのがわかります。いずれ……貫かれるでしょう。」
「そんな……」
「仮に三十本の剣を使ったとしても、三十の剣劇をするりと抜けて同じ突きを繰り出されてしまう……コロリンはそう考えているから……いえ、コロリンの事ですから計算して、それでも勝率が上がらないと判断したのかもしれませんね。しかし……」
 そこで眼球マニアさんは苦い顔をした。
「この状況を故意に作ったのだとすると、トゥネールは相当な切れ者ですね……」
「? どういう意味ですか?」
「考えてもみて下さい。あの現代科学を遥かに超えた技術を持つスッテンが生み出せる武力が、兵器が、あの剣だけだと思いますか? それこそSF映画のように、宇宙戦艦が装備しているような巨大なビーム砲の一つも作っていると思いませんか?」
 言われてみればそうだ。ものすごい技術を持っていて、しかもスッテンさんは《お医者さん》。普通の人は滅多に遭遇しない『戦い』というのを日常的に経験している。Sランクでなくても、Aランクにも厄介なヴァンドロームはいるし、単純に大きいのもいる。なら、その超技術でもっととんでもない武器を作っていてもおかしくない。
 そう……あのスッテンさんが剣一本でSランクのヴァンドロームと戦っているというのが変なのだ。
「しかしコロリンはああいう戦いをしている……これはあのトゥネールに飲み込まれているのです。」
「飲み込まれて……?」
「人間の姿で、人間の言葉を話し、人間の剣術で戦う……加えて決闘などという人間の風習で挑んできた。無意識でしょうが、今スッテンの目には『Sランクのヴァンドローム』ではなく、『超人的な剣術を使うフランス貴族』が写っているのですよ。そして決闘という言葉……だからついつい、コロリンは剣を抜いてしまったのです。」
 つまり……よく映画のラストシーンにある、男同士、拳でケリをつけようと言って敵が銃を捨て、主人公もそうする……みたいな感じだろうか。今のスッテンさんに合わせるなら、銃の勝負なら確実にスッテンさんの方が強いのに、トゥネールが拳を握ってファイティングポーズをとったから、別に得意でもない肉弾戦で戦う破目になった。
「コロリンは戦いにロマンを求める方には見えませんから、あえて合わせたわけではないでしょう。ただ単純に……何とは無しに……でしょうね。」
「じゃ、じゃあそれを教えてあげれば……」
「いえ、コロリンも自分のミスには気づいているはずです。しかし切り替えられない……トゥネールの攻撃が速く、そっちの対応に追われてしまう……別の兵器を用意する時間が無いのですよ。」
「それじゃあ……どうすれば……」

「オレが何とかしよう……」

 ふと聞こえたそんな言葉。ライマンさんの声でなければもちろん眼球マニアさんのそれでもない……と言うか、考えなくてもわかる一番聞き慣れている声。
「先生!」
 私の横で、先生がゆっくりと起き上がった。いつものニッコリ顔が視界に入ると同時に、私は思わず先生に抱き付こうとした。だけど、先生の身体が見えた瞬間にそれをやめた。
 先生の周りには墨がたくさん落ちている。それは焦げた服であり……先生の……皮膚やその下の細胞とかだ。死んでしまった細胞を《イクシード》さんが作りなおしたのだろう、先生の身体は真っ黒ではなかった。だけど……完全でもなかった。
 例えるなら人体模型。身体の所々の皮膚が……薄いのか無いのか、その下の筋肉などが見えている。
 そんな先生に私は何と言えばいいのかわからなかったけど、眼球マニアさんは素直に驚いていた。
「この短時間でそこまでの回復を……? 信じられませんね……」
「ああ、かなり無理してる。おかげで数日は寝込む事になりそうだけどな……しかもまだ完全じゃない……」
 先生は血管や筋繊維の見える自分の手を見てそう呟いた。
「だけど、そうも言ってられないみたいだ。このままじゃスッテンが危ないんだろ? 無理に無理を重ねるが……援護に入る。」
「先生!」
 私がそう言うと、先生は私の頭をポンと叩いた。
「死にそうな患者さんがいたとしも、家族が危ないならそっちに行くべきで……無理をする事になるけど死にはしないなら、友達を助けるべき……オレはそう思うんだ。」
 ライマンさんの頭もポンと叩き、先生はゆっくりと立ち上がる。
「……電撃を受けたのが上半身で良かったな……一応ズボンはある。」
 少し焦げているズボンをパンパンと叩く先生は、つまり上半身裸だ。
「《イクシード》、無理を重ねる。悪いな。」
『かかっ。構いはするが構わない。救えるモノがあるなら救うべきだ。』
 《イクシード》さんの声がしたけど……どこからしゃべっているのかはわからない。
「それで安藤、どうするつもりなのですか?」
 眼球マニアさんがスッテンさんとトゥネールの戦いを見ながら先生にそう聞いた。
「……人間の、人間サイズの戦いに飲み込まれているのはスッテンだけじゃない。トゥネールもそれに固執している。それをやめさせれば……あの《トゥネール・ブルシエル》の本来の姿を引きずり出せれば、きっと戦いは……こういう言い方はあれだけど、人対人から人対怪物との戦いになるはずだ。オレが入ることでスッテンにも時間を作れるし、人間の姿で無くなればスッテンもとんでも兵器を使えるだろう……」
「……具体的に、あなたの戦法は?」
「そんなもの無いさ。」
「はい?」
 眼球マニアさんは再び驚く。
「……オレはな、今からする事をできるようになる為に色々勉強したんだが……それでわかった事がある。人間ってな、全ての生き物が同サイズだとしたら、きっと最弱の生き物なんだよ。爪も牙もないし、何より弱点の腹を相手に見せつけてるんだ。腕が使えるからなんなんだ? 武器が持てるからなんだ? 武術が使えるからどうした? そんなモノ――」
 突然、先生の腕が膨れた。ゴキュゴキュという嫌な音をさせながら先生の腕が……変形していく。そして段々と……人間の腕からはかけ離れた、怪物の腕のようになっていく。
 そうだ、先生の話で聞いていたはずだ。先生の先生であるキャメロンさんは、腕を熊のようにして尻尾まで生やした。アルバートさんの話によれば先生も翼を生やしたことがあるという。
 つまり……聞いてはいたけど実際には見た事のない先生の、キャメロンさんと《イクシード》さんが生み出したという技術、二つの内の一つ……『身体支配』だ。
 故意に細胞を暴走させてガン細胞とし、その無限に細胞分裂を行う細胞をさらに加速させて大量の細胞を作り出し、それを自分の思う通りの形に組み上げる。
 先生は今、その力で自分の腕を――
「!! 先……生……」
 腕だけじゃなかった。膨らみ……つまりアルバートさんのような、ううん、きっとそれ以上の筋肉が胸や背中にもついていく。そして顔は分厚いプロテクターのようなモノに覆われ、気づいたら先生は……
『かかっ。さすがに骨を作る細胞を暴走させるのはきついな。一応急所は骨で作った外殻で覆ったが……あくまで生物的な硬度は超えない。無理はするな。』
「わかってる……オレの役目はすぐに終わるさ……」
 どこからか聞こえる《イクシード》さんの声といつもより三段階くらい低い先生の声。
 先生は先生でなく……筋骨隆々としたファンタジーにしか登場しないような怪物が先生のズボンをはいているというだけの生き物になった。
 真っ黒なその身体は二メートル強。腕は太くて長く、地面に指先が触れている。その指には恐竜のような爪があり、同じような爪が足にも生えている。尻尾も翼もないけれど、人型をしているだけの……怪物だった。
「……!! なんという……これが安藤、あなたが《ヤブ医者》たる所以ですか……恐ろしい技術です……生物を……いえ、自分の身体をここまで変えてしまうとは……」
 驚きと共に……恐怖しているのか、眼球マニアさんは一歩後ろにさがる。そんな眼球マニアさんの方を向く……先生。顔はごつごつしたモノに覆われていているから目も見えない。スッテンさんの鎧のように覗き穴のようにあいた場所から視線を感じるのみ。
 私もライマンさんも、日頃の先生からは想像できない姿に……少なくとも私は恐怖して先生から少し離れる。だけど先生は、その低い声でこう言った。

「これは人を救える力だ。」

 瞬間、先生の姿が消える。そして爆弾か何かが爆発したような音が響いた。
「な!? なんだそなた!」
 スッテンさんとトゥネールの方に視線を移すと、スッテンさんの横で……怪物……先生がトゥネールに襲い掛かっていた。
 トゥネールはレイピアを横にして、上からのしかかる先生の両腕を抑えているのだけど、トゥネールの足元はクレーターのように陥没していて、しかもその陥没はまだ続いている。
「!? もしやそなた、安藤享守か! ぬぅ、何という怪力! おのれ!」
 トゥネールの身体に電流が走ると同時に、先生の身体が光に包まれる。電撃を直に受けた先生は、だけど何事もなかったかのようにトゥネールを押し続ける。
「!! なるほど、これが《お医者さん》側で育ちつつある技術! このトゥネールをも脅かす力の正――」
 トゥネールの言葉が終わる前に、レイピアを抑えた状態で放たれた先生の蹴りがトゥネールの側面にめり込む。
「がぁっ!」
 ボキボキという不快な音がしたかと思うと、トゥネールは今日一番の速度でスクールの校舎に突っ込んだ。
『……キョ――』
 スッテンさんが声をかけようとしたけど、その前に先生の姿は消え、その一瞬後に瓦礫となったスクールの校舎から何かが打ち上がる。
 電気を操って異常な硬度になっていたレイピアは折れ、フランス貴族の服もボロボロになったトゥネールが宙を舞っている。そこに黒い塊が近づいたかと思うと、そこから地面まで真っ逆さまに落下……いや、叩きつけられた。
「ご、がぁっ! げほ、ま、まさかこれほど――」
 腕があらぬ方向を向いているトゥネールが立ち上がったかと思うと、間髪入れずに先生がその暴力的な腕を真上から叩き込む。

 そう……暴力だ。さっきまで速いと思っていたトゥネールの速さなんて軽く超えて、硬いと思っていた剣も軽く砕いて……人間の生んだ決闘という土俵で、人間の生み出した剣術と科学がしのぎを削っていたあの場所に、圧倒的な暴力が入り込んだ。
 Sランクのヴァンドロームが、生物的に圧倒的な存在だと何度も聞かされたけど……それがどういうことかを、私は今理解した。
 凄い武器も、凄い技術も……『それがどうした』と言わんばかりに粉砕していく存在。何をやった所で意味がない……今の先生は、そういう存在なんだ。
 同じくそういう存在のはずのトゥネールは……きっと、人間の姿だから……刃が立たない。人間の技術をいくら超人的に扱おうと、それが人間の技術である時点で……無駄なんだ。

「おおおおっ!」
 起き上がりざま、折れたレイピアを振り上げるトゥネールだったけど、その腕は先生の鋭い爪で引き裂かれた。そして先生のもう一方の腕から放たれた巨大ながらも超速のパンチを受け、トゥネールは地面にわだちを作りながらふっ飛ばされ、身体が半分ほど埋まった状態で停止した。
「……どうだ? 人間って弱いだろ。」
 低い声で、先生が動かないトゥネールに言った。
「速く走る脚もない、獲物を切り裂く爪もない、骨を砕く牙も無い、身を守る甲羅も外殻もない。あるのは自由に動く腕と知能……それじゃあ……オレには勝てない。」
「……そのようだな……」
 口から血を流しながら、曲がった左腕で無くなった右腕をかばい、ちぎれかかった両脚を広げるトゥネール。
「まさにこれである……このトゥネールが恐れているのは。今はまだそなたしかいないが……《オートマティスム》がそれに続くだろう……もしかしたらまだ見ぬ可能性も……故に、その芽は……摘まなければ……ならん。そしてやはり――」
 その時、トゥネールは今までの雰囲気とは少し違う感じで呟いた。

「そちらには間に割り込む者がいるが……このトゥネールには名を呼ぶ者が……いない!!」

 雷が落ちた。正確には、雷が打ちあがった。
 トゥネールが雷鳴を轟かせる光の柱につつまれ、咆哮する。人間の姿がぐにゃりと粘土のように潰れたかと思うと、別の形になっていく。
 二本足でなく四本足。腕はなくなり、首は長くなる。二メートルにも届かなかった身体は今や三メートルはあるか。
『そなたを、殺す!!』
 光の柱が弾け、トゥネールがいなないた。
 すらりとした四本足に風を受けるしなやかな体。前面に突き出た太い首に、細長い頭。
そう、シルエットとしては馬だ。だけど、私の知る馬にはないモノがトゥネールにはあった。頭から足の付け根にかけて、全身を覆う青色の……鱗のような物。頭から尻尾の先まで続く金色の、電流を帯びた毛。そして……目の少し上あたり、頭の中央に生える一本の角。
 馬は馬でも……ユニコーンだろうか。
「ユニコーンダ!」
 私が思うのと同時にライマンさんが叫んだ。
「白くないけど……ユニコーンの正体はヴァンドロームだったノカ!」
「いいえ……あれはユニコーンというよりは……中国の霊獣、チーリンに近いかと。」
「おお、チーリン!」
「……なんですか、チーリンって。」
 私がそう言うと、眼球マニアさんは一瞬黙り、そして思いついたように一指し指をピンと立てる。
「日本ではビールの名前で有名なはずですよ。チーリンは別名、麒麟です。」
「麒麟……」
 そういう名前でトゥネールを見ると、確かに鱗が龍みたいだし、電気を帯びていたりと妙に神々しい所がある。もしもトゥネールに出会った《お医者さん》が中国人や日本人で、トゥネールがこの姿で登場していたら、その名前はチーリンか麒麟だっただろう。

「スッテン……」
 トゥネールに気を取られていて気づかなかったけど、見ると先生がいつもの先生に戻っていて、スッテンさんの隣に座っていた。
「オレはもう動けない。あとは頼んだ。」
 そして先生はそのまま大の字に倒れた。
『……アア、マカセテオケ。』
 スッテンさんは……兜のせいでわからないけど、先生を見て少し笑ったような気がした。そしてスッテンさんは雷獣と化したトゥネールの方を向く。
『……エスランクニハナニヲシテモカテナイトイウノガツウセツダ。タトエカクバクダンヲトウカシヨウトモ、トナ。』
『む? 安藤享守はどうした?』
『ダガ、ツウセツヤジョウシキトイウノハヘイキンカラハジキダサレルアタイニスギナイ。ソコニトクイテンヤレイガイハフクマレテイナイ。』
『なるほど、あの力……そう長くは持たないわけか。しかし、それは先ほどこのトゥネールの攻撃を受けた故だろう……完全な状態であれになられた時、このトゥネールは……』
『トゥネール。』
『? なんだ、スッテン。』
『セッカクカイセツシテイルンダ、キケ。カガクシャノタンキュウシンニハシラシメルヨロコビモフクマレルノダゾ。』
『?』
『オマエハキョーマノギジュツバカリキニシテイルガ……ソレイガイニモメヲムケルベキダトイッテイルノダ。』
『……そなたの科学技術の事を言っているのか? 確かに驚くべきものだが……今の所、脅威は感じないぞ。』
 本来の姿……なのだろう。電気を帯びた麒麟の姿になったトゥネールの……何と言うか、存在感はさっきまでのフランス貴族とは比べ物にならない。私は経験が無かったけど、上級のヴァンドロームに会うと、自分が目の前の生き物よりも格下だと感じる事があるらしい。たぶん私が今感じているこの恐怖はそれだ。
『ダロウナ。コンナゥワァタシラシクナイタタカイノナカデシカヒロウシテイナイギジュツナド、ジユウケンキュウレベルダ。』
『ほう? ならばまだまだ上があると?』
『ソウダ。オマエノマエニイルノハカガクシャダ。アマリカガクヲナメルナヨ。』
『ならばその力でこの決闘の再開とゆくか? 最早形式も何もなくなってしまったが……そなたが全力を見せるというのであれば、このトゥネールも相応の力で答えよう!』
 ついさっき、先生によってボロボロにされたトゥネールだったけど……それは別人か、あるいは幻だったのではないかと思うほどに、今のトゥネールは凄まじかった。
『ミセル? ソレハムリナソウダンダナ。ゲンショウカラソウゾウシロ……アア、ダガ、ゥワァタシハオマエニコンナセリフヲオクロウトオモウカラナ、ツジツマノアワナイカイワニナルガ……マァイイダロウ。』
 だけどスッテンさんもスッテンさんで、さっきまで苦戦していたのは演技だったのかと思うほどにすごく落ち着いている。先生の言うとんでも兵器の準備ができた……のだろうけど、今のトゥネールを前にしてその態度でいられるというのは……正直どんな兵器なのか想像がつかない。
『コレゾドコマデモイクカガクノシンズイダトゥワァタシハオモッテイル。ザンネンナガラ、コレヲイッタノハキジュツシダガ。』
『ふむ、伺おう!』
 姿は変わっても口調が変わらないから変な感じのするトゥネールに対し、スッテンさんは持っていた剣を天に掲げてこう言った。

『ニンゲンハソウゾウヲコエルコトガデキル。』


 この戦いにおいて、最大の光が放たれた。周囲の物から色が消え失せ、全てが白く染まる。
 何が起きたかよくわからない。ただ一つ言えるのは、その中心にはトゥネールがいたということ。


 たっぷり五秒くらい続いた光の爆発。チカチカする目をこすり、現状の把握を試みる。とりあえず、スッテンさんが立っているのが見えた。となりに寝っ転がっている先生も見えた。肝心のトゥネールは――
「え……?」
 トゥネールはいた。光の爆発の前と同じ姿勢で、四本足で立っている。
 ただし、その色は真っ黒だった。
『か……あ……』
 絞り出したかのような声が聞こえたかと思うと、青かった鱗がボロボロと灰になり、はがれていく。そして最後に、トゥネールはそのまま横に倒れた。


『オドロイタナ。シジョウハツ、エスランクヲタオシタモノニナルトオモッタンダガナ。マダイキテイルカ。』
 『身体支配』による肉体改造をあんな完治していない身体でやったせいか、オレは少しも動けずに寝転がっていた。本来なら激痛に襲われ、のたうち回るか気絶しているのだろうが、そこは《イクシード》が痛覚を遮断してくれている。
 そんなオレのすぐ近くで、さっきのオレみたいに黒焦げになったトゥネールとスッテンがしゃべっていた。
『ふ……だが今のこのトゥネールであれば、命を絶つのも容易であろうよ……しかし……一体何をしたのだ……』
 あれだけ強大な存在として真の姿を見せたトゥネールがたった一撃で黒焦げになった。起きたのはなんだか眩しい光だけ。んまぁ、こういう状況になって欲しかったからオレは身体をはったわけだが……実際に起きてみると何が何だかさっぱりだ。スッテンのとんでも科学はとんでもなさすぎて理解を超える。
『タイシタコトデハナイ。ホントウナラモットスゴイノヲミセタカッタンダガナ……バショトジカンガワルカッタ。』
 空を見上げるスッテンは、首だけ動かしてトゥネールを見下ろす。
『タシカニ、イマノオマエナラヨウイニタオセルダロウガ……ソノマエニカクニンシテオキタインダ。オマエ、サッキキニナルコトヲイッテイタカラナ。』
『ふむ?』
『ナマエヲヨブモノガイナイ。オマエハソウイッタナ。』
『……! つい口に出てしまったか……恥ずかしいな。』
『ホカノダレカデアレバ、オマエヲココマデオイツメタダンカイデソンナコトキニモシナイダロウガ……ゥワァタシハ……ムカシノジブンヲミタヨウナキガシテナ。』
『昔の……?』
『ナマエヲスバラシイブンカトイッタガ……ソレハオモテムキナノダロウ? オマエガナマエニソコマデノカンシンヲヨセルホントウノリユウハ……ナンダ?』
 たぶん、興味本位ではない。顔は見えない……というかどっから見ても顔は見えないが、今のスッテンはかなり真剣な表情だろう。そんな口調だ。
『……今は……平和な時代のようで、戦争というモノはをめっきり見なくなった。』
 スッテンという敵を前にしてだが、その口調は敗れた者の諦め……隠す理由もないといった感じにトゥネールは語りだす。
『しかし昔は、四方のいずれかを眺めれば戦乱が目に入ったモノだ。戦いそのものには何ら興味はない。だがな……戦場という普段と異なる極限環境においては、このトゥネールの心を突き刺す光景が幾度となく繰り広げられるのだ。』
『コウケイ?』
『……ある一人の兵士がいた。その者は負傷し、もう戦えないし動けない。死を待つだけのその者を見ていると……聞こえてくるのだ。その者を呼ぶ声が。名前を叫ぶ声が。そうして現れたもう一人の兵士は、傷ついたその者を担ぎ……治療を行う部隊へと運ぶ。そして数日後、ベッドに横たわる兵士は、自分を助けた兵士の名を呼び……感謝するのだ。』
『……キズツイタナカマヲタスケル……メズラシクナイコウケイダナ。』
『そうか? このトゥネールにとっては……嫉妬すら覚える光景だ。』
『?』
『生まれた時から同胞に囲まれているそなたにはわかるまい……このトゥネールの、いや……Sランクと呼ばれるヴァンドロームの孤独を。』
 トゥネールの言葉に若干の熱がこもった。
 Sランクというのはヴァンドロームの突然変異体だ。人間には突然変異なんてそう起こるモノではないから縁遠い話に思えるが、例えば四つ葉のクローバーは三つ葉の突然変異体だ。そういう現象が起きやすい種族もいるという事で、ヴァンドロームもそうなのだろう。
 幸運の象徴となっている四つ葉のクローバーだが……果たして、四つ葉のクローバー自身は幸せなのか。周りを見たら自分と同じ姿のモノがいない状況……
 ああ、そうか……強大な力を持っているからなんだというのか。Sランクというのは……昔のオレと同じく、灰被りだったわけか……
『名前を呼ぶ……いや呼び合うというのは即ち、互いが仲間であると言う証。便宜上仕方なくという薄い関係も確かにあるが、その関係は時に片方の、もしくは双方の命を救うモノにまで昇華する。そういう関係を生む《名前》というモノを――』
 そこまで言ってトゥネールはふふっと笑った。
『いや、取り繕うのはよそう。そうだ、このトゥネールはな……仲間に憧れているのだ。そういう存在が欲しいのだ。』
『……』
『先ほどの決闘……あのままであればこのトゥネールが勝ちを得ていただろう。そうはならなかったのは、そなたの仲間が……まだボロボロの身体をおして駆けつけたからだ。しかしこのトゥネールが追い詰められても、こうして地面に横たわっても……このトゥネールの名を叫びながら駆けつける者はいないのだ……』
『……』
『自らへの被害を考えず、時に命を捨ててまで駆けつける仲間が欲しいのだ。時に自らの全てを賭けてまで助けたいと思える仲間が欲しいのだ。そうして……そうして……あの時は……危なかったと……互いを褒め…………《名前》を……呼び合いたい……なぜ、なぜなのだ? なぜこのトゥネールには……同胞がいないのだ……』
 馬の姿……いや、この場合中国の麒麟というのがしっくりくるか。そんな姿のトゥネールの表情を読み取るなんてことはオレにはできない。だが……その瞳から漏れる涙は間違いなく本物だ。
『……クワエテ、アットウテキナチカラヲモツオマエノマエニ……オマエヲダトウシウルチカラガアラワレタ。ナカマノイナイオマエノマエニ、オオクノナカマヲモツニンゲンガオマエヲコロシウルチカラトトモタチフサガロウトシテイル。』
『…………仲間は……単純な足し算ではない。たった二人の人間が奇跡のような結果を残す光景を、このトゥネールは何度も見てきた……Sランクの力を使った技術、そのものに恐怖はない。このトゥネールもSランク……よい勝負になるだろう。だが……その力を持つのが人間なのだ。仲間と共に多くの奇跡を起こしてきた……力の上が未知数なそなたらに対し、このトゥネールの天井は今以上にあがることはない……このトゥネールが焦がれた存在は、ついにこのトゥネールの命に届きうるところまで来てしまったのだ……』
 人間と同じように、悲しみながら震える声でそこまで語ったトゥネールは、乾いた笑いを漏らす。
『《名前》を呼び合う仲間のいるそなたらがこのトゥネールと同等の力を……手にした。そなたらは《お医者さん》でこのトゥネールはヴァンドローム。今は双方に意思が無くとも、いずれは剣を交える運命。そうなった時、このトゥネールは……ふふ…………勝てるわけが、ないではないか…………だから、このトゥネールは……』
『ソウカ……』
 スッテンは、今まで立って話を聞いていたのだが、突然しゃがみこんだ。その顔を、トゥネールの顔に近づける。
『グンヲヌイタソンザイ、イギョウ、キョクタンナレットウ。シュウイトコトナルトイウノハタシカニ、コドクニツナガル。ゥワァタシモソウダッタ。ダガナ、ソレデモデアエルモノナノダ。ドウホウトカナカマトカソンナタイソウナモノデハナイガタシカニソウイウカンケイニ。』
『何を……?』
『ダイタイイマミタダロウ。キョーマト《イクシード》ヲ。アレハドチラカガドチラカヲシハイシテイルワケデハナイ。オマエノイウ、ナカマダ。ケンヲマジエルウンメイニアルラシイフタリガアアナッテイルノダ。』
『……ああ、羨ましい限りだ。きっと奇跡のような何かが――』
『オキテイナイ。キセキナドデハナイ。』
『な……』
『タシカニフタリノデアイハキセキヤウンメイトイウチュウショウテキナモノデセツメイセザルヲエナイガ……ソノカンケイガアアナッタノハキセキデモナンデモナイ。タダノヒツゼンダ。』
 スッテンはチラリとオレの方を見た。その顔は、んまぁ見えないんだが、真剣ながらも微笑んでいるように感じた。
『アトニナッタラドウシテソウナッタノカモオモイダセナイヨウナチイサナキッカケ。ソレガダイイッポナノダ。オマエノミテキタナカマタチモハジメハソノマエノダンカイダッタハズダ。』
『前の段階……』
『シュミガオナジダトカハナシガアウトカ……イロンナリユウハアレド、ソノスベテハタガイガタガイニキョウミヲモツトイウコトニシュウヤクスル。マズハソコカラナノダ。オマエハイクツカダンカイヲトバシタモノヲモトメテキタヨウダナ。』
『……! だが今更だな……それがわかったところで……』
『ソウカ? ナァ、トゥネール。ゥワァタシハオマエノチカラニオオイニキョウミガアル。ソノデンキヲアヤツルチカラ、カガクシャトシテハノドカラテガデルシロモノダ。』
 そこでようやく、オレはスッテンが何をしているのかわかった。わかったオレは……スッテンが《ヤブ医者》になった理由を思い出す。
『スッテン……そなた……』
『オマエハドウダ? ゥワァタシニキョウミハアルカ。』
 スッテンは淡々としゃべるし、理論的にそれを説明している。だけど他人事のように言っているわけではない。かつての自分のようなモノを見つけ……今の自分ならできることがあると感じたのだ。そう、スッテンは――
『ふ……ふふふ……』
 それを察したのか、トゥネールはその涙をさらに流しスッテンの方に顔を向けた。
『こ、このトゥネールは……そなたの……ふ、その顔を……素顔を見てみたいぞ、科学者よ。』
『ソウカ。』
 そう言いながら、スッテンは黒くなったトゥネールの前足を掴み、上下に振る。

『ナラバゥワァタシタチハイマカラ……トモダチダ。』


「あら享守。そろそろ汗をかいたんじゃないかしら? ああでもそんなんではシャワーも浴びられないわね。仕方がないわ、わたくしが身体を拭いてあげましょう。スッテン、タオルはどこかしら?」
「ちょちょちょ! 別に汗はかいてない!」
『ソウダゾ。ヘヤノオンドカンリハカンペキダ。ココニクルマエニウンドウデモシテキタノナラハナシハベツダガ、イマノキョーマニソンナコトハデキナイ。』
「スッテン、余計な事は言わなくていいわ。そうだわ、アルバートがいるのだから室温が上がっているに違いないのだけれど。」
「む? そうか? だがしかしそうであるなら、安藤の身体はワシが拭こう。ひょろっとしてはいるが大の男一人を拭くにはファムよ、お主の筋肉は足りん。」
「アルバートも余計な事は言わなくていいのよ。」
 さっきまで私が押していた車いすを、私が手を洗っている内にゲットしてちゃっかりと先生の後ろに陣取ったファムさんがとても嬉しそうに先生を見下ろし、そして身体を拭こうとしている。
 対して先生は車いすに座っている。別に罰ゲームでもなんでもなく、単純に今の先生は身体がほとんど動かないのだ。
「え、安藤先生なら昨日拭いたから大丈夫ダゾ?」
 ホケッとそう言ったライマンさんだったけど、ファムさんからとってつけたような笑顔を向けられてビクッとなった。

 ここはスッテンさんの家。いるのはスッテンさん、アルバートさん、ファムさん、先生、ライマンさん、私。診療所の面々と先生の友達がそろった感じだ。
 スッテンさんの家といっても海外というわけではない。ここは日本だ。
 そう……スッテンさんが日本に引っ越してきたのだ。何故そうなったかというと――
「客人よ! 紅茶をいれた故、飲むと良い!」
 何だか見慣れない電子機器が並んでいるからそうは見えないんだけど、たぶんキッチン的な場所からティーカップをおぼんに乗せてフランス貴族が現れた。
「む、新しい顔があるな! ならば名乗ろう、このトゥネールの名は《トゥネール・ブルシエル》! そしてこの剣の名は――おっと、今は部屋だったな! まぁよい、そなたらの名は!」
「ほう、お前がかの有名な《トゥネール・ブルシエル》か。ワシの名はアルバート・ユルゲンだ。よろしくな。」
「わたくしはファム・ヘロディア。まだ籍はいれていないけれど、享守の妻よ。」
「んなっ!?」
 ファムさんの当たり前のような自己紹介に先生が驚愕する。
「なんと! そなたには妻がいたのか! そうと知っていればあの一撃、多少は加減したのだがな! しかし何やら奥方がそなたの介抱を楽しんでいるようであるから結果良しというところか!」
 紅茶を机に並べながらそう言うフランス貴族は……まぁ、さっき名乗ってたけどトゥネール……いや、トゥネールさんだ。相変わらず頭の横にちくわが並んでいるような髪型だけど、服装は前より華美じゃない。金色のひらひらはなくなって……なんというか、より現代に近づいたフランス貴族という感じだろうか。白タイツとかぼちゃパンツはなくなり、スーツっぽいズボンをはいている。
「なんだか服が普通になっタゾ!」
 ライマンさんがそう言うと、トゥネールさんは背筋を伸ばして何やら雑誌のモデルさんみたいなポーズをとる。
「貴族と言えばあの格好であったはずなのだがな! スッテンによるとあれはもう古いらしい! 人間の営みは矢のごとくよ! 故にトレンディなスタイルにしたのだ!」
 百年以上も前の格好を最新と思っていたらしい。
「髪型はそのままなノカ?」
「? 変える理由が見当たらないな!」
 スッテンさんは髪型については何も言わなかったようだ……
「しかしスッテンよ、なぜにこんな場所に引っ越したのだ?」
『コンナバショトハシツレイダナ。コノアタリハスベテカイトッタカラ、イマハチカヲケンキュウシツニカイゾウチュウダ。カンリョウスレバマエヨリモイゴコチノヨイバショニナル。』
 スッテンさんの新居は山の上に建っていて……今のが聞き間違いでなければこの山を買い取ったらしい。そして山の中を研究室に改造しているようだ。
「あー、そういう意味ではない。土地の話ではなくて位置関係の話だ。都心でもなく、田舎でもなく……なんというか、この場所を選んだ理由が見えないのだ。」
『アア。ソレハコノバショガキョーマトキトーノチョウドアイダダカラダ。』
「?」
 アルバートさんが首を傾げて車いすの先生を見た。
「オレがいる診療所と鬼頭がいる病院の丁度真ん中ってことだ。」
『フフフ。ハレテゥワァタシモエスランクトセイカツスル《オイシャサン》ダカラナ。ケイケンノナガイキョーマト、ヴァンドロームトノコウリュウヲケンキュウスルキトーノチカクニイタホウガナニカトアンシンダロウ?』
「それはそうだが……一つの地域に《ヤブ医者》が三人とは……《デアウルス》がよく許可したな。バランスがどうとか言いそうだが……」
『タシカニシブッテハイタガナ。ソレヨリモトゥネールヲカクジツニセイギョカニオキタイノダロウナ。』
「何はともあれ、これで《お医者さん》側にSランクが四体だものね……《パンデミッカー》とのパワーバランスが大幅に崩れてしまったのだから、逆にそのあたりはしっかりして置きたいのでしょうね。」
 信じられないくらい様になって紅茶を飲むファムさんがそう呟く。私の左手の《オートマティスム》と《イクシード》さんとトゥネールさん、そこに《デアウルス》さんを加えるとSランクは全部で四体……この前眼球マニアさんが言っていた戦力とかバランスで考えれば、今天秤は《お医者さん》側に大きく傾いている。
 生物的に圧倒的……この前の先生の変身を見て、私はSランクの……戦力としての価値みたいなモノを実感した。きっと《パンデミッカー》は今、相当焦っている。しかも今回の《お医者さん》側への戦力追加はこれまでと比べ物にならない。超科学を使うスッテンさんと電気を使うトゥネールさんのコンビはあまりにベストな組み合わせだ。
『ア、 ソウイエバトゥネールトハナシテオモシロイコトガワカッタゾ。』
「なにかしら?」
『《パンデミッカー》タチニトッテノ『カミ』ニツイテダ。ソイツガドウイウエスランクナノカ、トゥネールガシッテイタンダ。』
『かかっ。それは興味深いな。』
 いつの間にか先生の膝の上に《イクシード》さんが座っている。
『かかっ。恐らく《デアウルス》もそうであろうが、我が知っているSランクはかつて一回だけ行ったSランク同士の集まりにいた者だけだ。その中には『ウイルス感染』などという力を持つ者はいなかった。』
「それはそうだろうな! あやつが封印されたのは今でいうところの神話の時代だからな!」
『かかっ。そんなに昔の事だったのか?』
「そなたはもう生まれていたか? 《イクシード》よ。」
『かかっ。忘れたな。』
「案ずるな、このトゥネールもだ! 今でこそ数字というモノがある故、数えるという事が叶うが……それが無い頃は単なる感覚だったからな!」
 ちょっと想像もつかない単位の昔話をしている二人を、私は目をパチクリさせながら見ていた。
「それでもあやつはきちんと名を持っていた! 伝説によると人間が名づけたようだ!」
『かかっ。人間がいた時代なのか、それとも神話なのか、後の誰かが名づけたのか、イマイチ合わないが……まぁいいだろう。それで、そのSランクの名は?』
「あやつの名は《カタクルスモス》! 『症状』は知っての通り、『ウイルス感染』だ!」
『かかっ。噛みそうな名前だな。そうか……《カタクルスモス》か……』
 瞬間、部屋の気温が一気に十度くらい下がったような気がした。押しつぶされそうな圧迫感と、全身を震わせる恐怖。その真っ黒な渦の中心にいるのは顔のない、だけど明らかな怒りを漏らす小さな……ぬいぐるみ程の生き物。
 《イクシード》さんが怒っている。
 そうだ……その《カタクルスモス》というヴァンドロームの力でキャメロンさんは死んだ。
そのヴァンドロームの意思では無かったとか、当の本人は封印されているとかそんな事はどうでもいい。ただ、自分の家族を殺した力への……怒りだ。
「《イクシード》。」
 そう言って先生が《イクシード》さんの頭に手を置く。
『……かかっ。すまないな……』
 その一言で場の空気が元に戻った。トゥネールさんと先生以外、全員が冷や汗を拭う。
「それで、トゥネールはそいつの事をどこで知ったんだ?」
 《イクシード》さんのほっぺを引っ張ったり押したりしながら先生が聞いた。
(パンデミッカー)という組織が出来上がった時に興味を持って接触したのだが、その際に聞いたのだ!」
「……誰から?」
「アウシュヴィッツという男だ!」
『かかっ。まぁそうなるだろうな。まったく、せっかく所属していたというのに我とキャメロンは自分の目的だけに進み過ぎたな。あの建物のどこかに『神』の身体とやらがあったかもしれんのに……』
「その頃は二人とも、自分たちが《お医者さん》になるなんて思ってなかっただろうから……しかたないさ。」
 なんとなく場がしんみりしたところで、別にそれを明るくしようと思っての事ではないだろうけど、ファムさんが割と真剣な表情で呟いた。
「わたくしも引っ越そうかしら……」
「……どこに?」
 答えはわかっているだろうに、それでも先生はそう聞いた。
「甜瓜診療所かしら。」
「直接過ぎる!」
「あら、わたくしと一つ屋根の下は嫌かしら? あ、もしかしてわたくしの部屋が無い事を気にしているのかしら? それなら問題はないわ、享守と同じ部屋で生活するのだから。」
『ヒトツノイリョウシセツニフクスウノ《ヤブイシャ》トイウノハレイガナイナ。《ヤブイシャ》トイウノハキホンテキニドクソウシテキタモノダカラナ。』
「ふむ。ただでさえ多いというのにファムまで加わると……ふふ、この付近の住人は《お医者さん》に困らんな!」
「オレが! 色々と困るわ!」
『マァ……ゥワァタシノバアイ、シカタノナイブブンハアッタニセヨ、マエマエカラヒッコシハカンガエテイタコトダ。ロシアハサムイシナ。』
 ロシア? スッテンさんはそんなところに住んでいたのか。
「……そもそもなんでロシアにいたんだ? というかスッテンは何人なんだ?」
『ロシアニテイジュウシテイタワケデハナイ。タマタマケンキュウノカラミデイタダケダ。ソシテゥワァタシハ……フッフッフ、ヒミツダ。』
「……んまぁ、何人でも今更驚かないけどな。」
『ウチュウジンカモシレナイゾ?』
 そんな事を言いながら、ストローでティーカップの中の紅茶をずずずと飲むスッテンさん。
「先のバランスの話に戻るが――」
 大きな手に小さなティーカップを持ってサイズが合わない事この上ないんだけど飲み方はファムさんのように上品なアルバートさんが「やれやれ」という顔をする。
「この崩れたバランス……そろそろ《パンデミッカー》側も本腰を入れるのではないか?」
「……ランカーか。」
 アルバートさんの懸念を先生が具体的に言う。
 ランカー。先生の話によれば、《パンデミッカー》における実力者たちのこと。この前現れたアリベルトという人は今の《パンデミッカー》のトップらしいから、ランカーという形で言えばあの人がナンバーワン。
「でもさ、Sランクのトゥネールを倒しちゃったスーパー科学者のスッテンがいるんだし、もう何も怖くない気がするケド。」
『ゥワァタシガダレヲタオウソウトモ、ダカラトイッテコノサキコワイモノナシトイウワケデハナイゾ。《オイシャサン》ヤ《パンデミッカー》ノタタカイハアイショウガオオキクサヨウスルカラナ。』
「その通りだ! 今回、このトゥネールはスッテンに敗北したが、そこの《オートマティスム》であったならスッテンの攻撃を一撃も受けずに勝利していただろう!」
 私の左手に視線が集まる。《オートマティスム》はそんなにすごいヴァンドロームなのか……
「だがだからと言って《オートマティスム》が無敵と言う訳でもなく、場合によってはあのノロマな《デアウルス》に敗北する可能性もある!」
『かかっ。この世に最強などはおらず、そう呼ばれている連中は単に自分の力が最大限に引き出せる環境と今の世界が似ているからそうなっているだけだ。まぁ、だからと言って人間の赤ん坊がライオンなどに勝てる条件があるなどとは言わないがな。』
「じゃあ、スッテンがトゥネールに勝ったのは相性が良かったからなノカ?」
『かかっ。まぁそんなところだ。言うなれば、運が良かった。』
「運も実力のおうちっていウヨ?」
 あんまり納得いかない様子のライマンさん。
「ふふふ、《お医者さん》の治療と同じ事よ。《ヤブ医者》と呼ばれているわたくしに治療できないヴァンドロームがいるかと思えば、それはあなたにとってはとても簡単にできてしまったりね。」
「オオ! そういえばそんな事習ったタゾ!」
「まぁ……そんな《お医者さん》において万能に最も近いのが享守ということなのだけれど。」
 ファムさんが先生を横目で見る。
「万能か……ちょっと無理するとこの様だけどな。」
「安藤には基本的な力が足りぬのだ。筋肉をつけろ!」
 アルバートさんのポージングが始まる。みんなと一緒に笑いながら、私は今回の出来事を思い出す。
 アリベルトが現れたあの事件にライマンさんを巻き込んでしまったという事を、スクールの律儀な校長先生がライマンさんの両親に話した事が今回の始まり。心配になった両親はライマンさんに会いたいと言い、そんなこんなでアメリカのスクールにやってきた私たちは、そこでライマンさんの友達のミョンさんに会った。
 そしてミョンさんがスクールに戻って来た理由……『四条』の会議を覗きに行ったら《パンデミッカー》が現れた。
 それが終わったと思ったら、今度はSランクヴァンドロームがスクールを襲撃してきた。
 我ながら的外れで緊張感がないけど、今回の舞台は全部海外だった。《お医者さん》って、海外にもあるちゃんとした職業なんだなぁと、今更ながら感じた。
 他にも……《パンデミッカー》がやっぱり怖い人たちだって事、《ヤブ医者》ってすごいんだなって事、Sランクは話通りにとんでもないって事……色々と再確認した。
 一年とちょっと前、いきなり飛び込んだこの《お医者さん》っていう世界……先生の事や色んな組織や人、たくさんのわからなかった事とか新しい事を知った。そして今、私の周りにはすごくて……頼りになる人がたくさんいる。

 そろそろ……私も進まなきゃいけない。そろそろ、自分の問題に手を出してもいいと思う。
 私の左手……私と《オートマティスム》の関係に。



 わたしは、かつて彼が座っていた椅子に座っています。大きな窓を背にして座っていた彼は、比喩ではなく、全てを見通す目でわたしを見つめていました。
 彼に導かれ、彼に頼まれた事をしていますが……事態は深刻になっています。これでは彼の意思を貫くことが……わたしの使命が……
「アリベルト。」
 顔をあげると、かつて私が立っていた場所に見知った顔が立っていました。
「……どうしましたか?」
「どうもこうも。聞いたぜ……あの《トゥネール・ブルシエル》があっちについたってな。不安になってるメンバーも多い。」
「……わたしが至らないばかりに……」
「おいおい、別にお前のせいじゃないだろ。今回負けちまったカールたちだって、元々そういう予定はなかったんだけどバトルになっちまったってだけだ。お前は何も悪くない。だけどまぁ、状況は悪化した……そろそろ本気出していいんじゃないか?」
「本気ですか。」
「オレらを使えって話だ。戦力の温存が大切だって事もわかるが、ここらでオレらにも勝ち星が欲しいとこだ。前哨戦の勢いづけだと思えばいい。」
「わたしが無力でしたからね。しかし。その手前、あなたたちに行けと言うのはいかがなものかと。」
「それは相性が悪かったからだろ? お前は間違いなく最強だ。Sランク相手だと効果がなくて、たまたまオレらの敵がそうであるだけだ。Sランクとバトルするなんてとんでもなく確率の低い事なのに、何故か今は相手側に四体もいる……それだけだ。逆に言えば、Sランクさえ何とかすれば……アリベルト、お前に敵はいない。」
「……」
「だから、お前じゃどうにもできなくても、相性的にまだどうにかできるオレらがその障害を取り除こうって提案だ。」
「…………あなたなら。確かに。いきなりあなたですか? しかし。」
「順番に下から行かなくたっていいだろ。一番できそうなのが行けばいい。」
「そうですね。あなたにお願いします。では。」
「おう。あ、ジャック借りていいか?」
「いいですよ。彼女にはわたしから。」
「よろしくな。」
 わたしに背を向けて部屋から出ていくその者を、その能力故に少し結果を楽しみに思いながら見送ります。


「頼みましたよ。ナンバーファイブ、ロベルト・グラヴィッツ。」



つづく

お医者さん 第4章 「運も実力のおうちっていウヨ?」

私は、色んな設定に「理由」を付けたがります。

なんかすごい技を出したら、その原理を誰かに説明してもらったりなど。

ですがこの「お医者さんシリーズ」に出て来る鎧の科学者に関しては、理論とかそういうモノを一切考えないようにしようと思っています。

これ、私にとっては結構チャレンジな人だったりして、なかなか動かしていて楽しいものです。

私も読者も、彼(彼女?)のセリフは読みにくくてしょうがないのですが。

お医者さん 第4章 「運も実力のおうちっていウヨ?」

昔話を聞きおえて色々と知ったことねさん。 第二章で起きた事件のせいでスクールに呼ばれたライマンくんについていくことねさんたちは、そこで日本の《お医者さん》の頂点に立つ人たちに出会います。 そして唐突に現れる突拍子もない格好をしたとんでもない人。 すごいすごいと言われていた人たちがそのすごさを見せつけた結果大いに弾けた第4章です。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-01-18

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