君が見た景色。

君が見た景色。

森・少女・成長・ファンタジー。
それらのキーワードで、完全オリジナル作品にしたい!と、考えていて、
今まで前3作であったビジュアルイメージを、今回は一切排除。
私の頭の中で構築した世界観となっています。

今回のテーマは大きく3つ。
 ①会話文は一切なし。……ですが、これは掛け合いという意味では、無しということです。
 ②思考する。……これは、様々な問いかけをするのでご自身の答えを模索して欲しいということ。
 ③景色。……とは、一体なんでしょうか。目に見える景色ではなく、頭に広がる景色を思い浮かべてください。

その他、様々に散りばめられたキーワードを辿って、あなたなりの答えを模索してください。
限りなく明示するように心がけましたが、同じように暗示されているものもたくさんあります。

あなたは、どんなことに気づいてくれるでしょうか?

あなたには、どんな景色が見えるでしょうか……?

cantabile.


 こんばんわ、そしてごきげんよう。

 唐突だけど、あなたは、子守唄はお好きでしょうか? いいえ、嫌いな人なんてきっと居ないはず。
 あなたが覚えていないだけで、あなたが幼い頃、それは寝る前に聞いていたはず。
 あなたが気づいていないだけで、あなたは誰かの腕に包まれて、耳にしていたはず。
 そう、これは子守唄。
 私が、あなたに伝えられる物語は子守唄のように優しく、温かなものなのだから。
 でも、彼女にとっては人生そのもの。紆余曲折があり、岐路があり。時には傷ついて、泣いて、悲しむこともあるかもしれない。自己を確立し、何事にも根を上げず、胸を張れることもあるかもしれない。ひょっとしたら、諦めてしまうこともあるかもしれない。
 でもどうか、安心してほしい。あなたは聞いているだけでいいのだから。
 彼女が選んだ道を、どうか聞き届けてほしい。私はただ、静かに、その語り部となろう。
 さぁ、目を閉じて。耳を傾けて。
 彼女が感じた気持ち。彼女が抱いた疑問。彼女が見た景色。それを赤裸々に語ろう。解釈の仕方はみな違う。
 だから、あなたなりの真実を見出して欲しい。それによって、あなただけの、物語となるのだから。
 それでは、始めましょう……。

 タイトルは「君が見た景色」

 (fine.)

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espressivo.


 想像してほしい。
 ここは、緑の美しい自然に囲まれた小さな村。
 村の人はみな、自給自足で生活していて川へ行けば魚を捕り、林へ行けばイノシシを狩ってくる。畑を耕して穀物を収穫する人もいれば、野菜を栽培する人もいる。力仕事は、山の麓で鉱石を発掘する男たちもいた。
 日が昇れば目が覚め、日が沈めは床に入る。時間や、年月といった概念は無く、とてもありふれた日々の名残。生きるために食べ、生活するために身体を動かす。人々の喧騒も、家の中の談笑も、全て全て、生命の息づく証。輝かしい光景。
 まずは、この物語の背景を理解するところから始めよう。
 あなたの生きる世界がどういうものであるか、それは今は忘れて欲しい。この世界に息づく人々は、この日々の中で満ち足りていて、私たちの世界とは何ら関わりは無いのだから。
 さて、この村の名前はウィッカ。なぜウィッカ村というのかは、後述する。
 村の周りは山が囲み、平原も広がっている。山の麓の林はイノシシが多く生息している。そして、反対側には深い森が広がっている。
 村の人々は林に猟へ出掛けたり、川へ行く以上に遠くへ行くことはしない。遠出をしなくても生活をしていけるからだ。それに関して興味を持つ者もおらず、逆に、深い森には【ある儀式】の時以外は近寄ってはいけないという戒律があった。
 その【ある儀式】とは成人の儀のことである。この村では、18歳になった女性は成人の儀を行うことになっており、18歳になった女性……いや、少女は魔女が住むという深い森へ一人で行かなければならない。それは3日3晩の旅路であり、古くから行われてきた儀式なのだ。
 おそらく魔女と聞くと、負の象徴であるとか、不可思議な魔法を使う邪悪な存在だと思うだろう。でも安心してほしい。この森に住むのは、いわゆる【黒魔女】ではなく、【白魔女】である。
 その違いは、元のイメージとの対比で構わない。決して恐怖たる存在ではないことを念を押しておこう。
 ここまでの説明で聡明なあなたなら、なぜ村の名前がウィッカなのか想像が付くだろう。本来のイメージ【黒魔女】であるなら、ウィッチであったはず。しかし、この森には【白魔女】が住む。ゆえに、ウィッカと名付けられた。
 ここに住む女性たちは皆、その成人の儀を終えて今に至る。未だかつて死人が出たとか、森で行方不明になったという報告は無い。皆、胸を張って生きている。
 それでも……。年頃の少女の胸中は、察することが出来るだろうか。
 この村では、成人の儀以外での遠出の機会は皆無といっていい。初めての遠出、初めての深い森。話でしか聞いたことの無い【魔女】という存在。不安を抱くのも無理は無いというもの。
 話で聞く魔女の話。そして、母親が伝える成人の儀の仕方。それは【何が正しい】というものは無いのである。つまり、それぞれが、違う経験をして帰ってくるのだ。
 いや、【何かをする】というのは語弊があるかもしれない。【何かを考える】が正しいのかもしれない。この成人の儀というのは、一人で森へ訪れ魔女と会い3日3晩生活を共にするということしか決められていない。
 途中、1日で帰ってきてはいけない。成人の儀を拒んではいけない。などという制約はないのだ。かといって、今まで成人の儀を放棄した女性もいなければ、3日を待たずに帰ってきた女性もいない。
 皆が皆、違う経験なれど立派に成長して帰ってくる。それが即ち成人したということ。3日後に帰ってきた娘の表情を見れば分かるだろう。胸を張る子もいれば、にこやかに微笑む子、少しの憂いを覚えた大人びた瞳。しかしどの子も、【成長した】のだ。
 母親は娘にこう伝える。大丈夫、あなたらしく生きなさい、と……。
 そう背中を押された娘が、今年も一人居た。森の翠に染められたかような翡翠色の髪は、首に掛かるくらいの短さで、片方の横髪が右頬を撫でるように伸びている。背は低くて、線は細い。けれども川の水のように透き通る白い肌はとても美しい。控え目な性格なのだろう、母からの言葉も不安という陰に気圧されて、ぎこちない笑みを浮かべている。
 彼女の名前は、エリスメルト・ロニクール。親しい者はエリィと呼び彼女を可愛がっている。
 余談だが、ここではあえて【エリス】と呼称しよう。物語を読み終えた後、なぜエリスと呼んだかは思考してほしい。
 エリスのその表情で母親も分かるだろう。だから無理にとは言わない、あなたが決めて良いのだと言う。しかし、刻限はもう明日にまで迫っている。答えは今晩中に出さなければならない。
 補足をするならば、成人の儀の決まりは一つだけと前述したが期日は人生で一度きり。決められたその日から3日間ということになっている。その日は前後することはない。
 その日とは、自分が生を受けた日。それは一生に1度であり、前後するはずもない。故に、その日は刻限であり最も適した日と言える。自分が生まれてから丁度18年後、少女は未知の世界へと旅立つのだ。いや、【巣立ち】とも言えるだろう。
 そんな巣立ちの日を明日に控え、エリスの胸中は期待と希望で一杯……とはいかなかったのだ。エリスの立場になって想像してほしい。心の準備があったにせよ無かったにせよ、未知とは不安で一杯なのだ。
 時にそれは、挑戦であったり、期待であったり、胸がすくような高揚を覚える人もいるかもしれない。しかし、エリスにとってそれは恐怖だったのだ……。
 自室のベッドの上で枕を抱きながらエリスは思う。
 《怖い……。どうして一人であんな深い森へ? お母様は自分らしく生きなさいというだけで、魔女については何も教えてくれない。【魔女】とは一体どんな存在なのだろう? 姿は? 人柄は? いやそもそも、人であるの? 魔女というのは名ばかりの、概念なのでは? 私を試すために大人の誰かが先に森に入り、私を待っている? ひょっとしてそれは、お母様? いやいや、本当に【魔女】なんていたらどうしよう……。知らなかった……。いいえ、知らないことがこんなにも私を臆病にするなんて。私は無知だ。外の世界のことを何も知らない。森のことも、魔女のことも、知らないことだらけ。それが、怖い……》
 エリスが未知に対して感じたのは、恐怖。まだ見ぬ恐怖が彼女を陥れるのだ。さらに、刻限は明日の朝までという状況でエリスの心は不安で押しつぶされそうになる。
 想像して欲しい。未知に対して恐怖を覚えたことはあるだろうか? 何事も人は万能ではない。そして初めから全知などということもない。つまり、人は誰しも初めは無知なのだ。それは経験や慣れを通して克服していくものだが、エリスにはまだそれが無い。怖い怖いと思い込むことが、さらにエリスの心を蝕んでいる。
 人は思い込むことに脆い。時にそれは、良き方へ傾くこともあるが逆も然り。自身の思い込みが身体に影響を及ぼすこともあれば、脳の意識を増長させることもある。これを、ブラシーボ効果という。
 エリスは恐怖で頭を満たし、心をも満たそうとしている。そこから抜け出すには一つしかない。意識を別の方向へ向けるのだ。希望的観測へ。
 《きっと、魔女なんて居ない。それは概念的な存在であり、成人の儀とは一人立ちを促すための試練であり経験をさせるもの。お母様はよく本を読んでくださって、童話もたくさん知ってる。そのお話に登場する【魔女】は、どれも恐ろしい存在であると吹聴しているから、私の心に住みついているだけ。本当は、怖い魔女なんていない。それにほら、あの森に住む魔女は【白い魔女】だから、私を脅かすことはしないってお母様も言っていたもの。
 それでも……。もしも、魔女という存在が出迎えてくれたとしても白魔女であれば何も怖いことなんてないはず。うん、きっとそう》
 そう、思い直すエリスの表情は少しだけ和らいだように見える。誰しも希望的観測を抱くだろう。そんなささやかな願いが叶うといいなと、夢想する。仮に、そうして得られた幸運があった時、これをピグマリオン効果と呼ぶ。
 余談だが、これはギリシャ神話の逸話に由来すると言われている。古代ギリシャにおいて、キプロスという街で活躍したピグマリオンという彫刻家の話である。読んだことが無ければ、ぜひ読んでほしい。
 さりとて、まだ結果はこの時点では得られていない。だからまだピグマリオン効果とはなり得ていないのだ。それでも、エリスの心を明日に向けさせるには十分だったようだ……。
 
 さて、ここまでが前夜の出来事。
 人の心とは本当に面白い。思い込むことに脆く、それでいて耐えうる強さもある。決して人は弱くは無い。それは、18歳という少女の心にも芽吹いている。
 同時に、物事には心を含め、【二面性】を有することがお分かり頂けただろうか。不安と期待、無知と憧れ、恐怖と希望。表が向けば裏が存在するように。光が差せば、影が落ちる様に。今見ているものが全てであると思うのは、とても危険だということ。
 誰しも人生を歩んでいく中で、着実に、確実に思いを巡らせる。それがいつであるか、幾度とあるか、それはみな違う。その中で思考し、解を求める。それが確証のあるものでなかったにせよ、自分を納得させるものであるならそれでよしとする。
 彼女は18歳という人生の節目を向かえ、不安だったのだ。これから先の自分、これから先の事、これからの未来に。その不安を、希望的観測で自分を納得させた。心は揺れても、安寧を求めるのだから。
 でも、ほら……。
 いや、これはあなたの想像に委ねよう。彼女が明日を控え、どんな表情で寝息を立てているのかは……。

 さて……。ここで、時間軸は少し先の未来。結果から語ろう。
 エリスは成人の儀を行い、3日3晩を体験して村に帰ってきた。その表情は、あなたにはどう見えるだろう。
 エリスは何を見、何を感じ、何を得たのか。エリスは【成長した】のだろうか。見方を変えればそれは、大人びたと見えるかもしれない。あるいは、エリス本人ではないのかもしれない。森に住むと云われる白魔女は、一体エリスになにをしたのだろう。
 心して聞いて欲しい。エリスが村へ戻ってきた時、最初に口にした言葉は……。
 【私は、魔女を殺しました。】
 いまだかつて、このような言葉を残した人がいただろうか。成人の儀とは、精神的な成長を促すための【きっかけ】であって、儀式という形であるだけ。かつての少女たちは、様々な体験をして、言葉こそ違うけれど【成長した】と一目で分かるほどだった。
 決して、このような驚愕を覚える言葉を口にしたことはなかったのだ。
 しかし考えてほしい。【殺した】とは、如何様にも取れる。あなたには、エリスの表情はどう映っているだろうか。三日月のように口が切れ上がり、殺人という美酒を飲んでしまったような? それとも廃人形のように虚ろで、糸で操らないと快活に動けないほどの脱力感? もしくは、堰を切ったように涙を零し、痛々しいくらいに肩を震わせる姿だろうか。
 そう、人には【感情】というものがある。虚無すらも感情であるならば、人には無感情という言葉は当てはまらない。その感情とは、表情であり情緒でありヒトである。
 あなたも意識があれど無かれど、人に感情を表現している。ならば、エリスも感情表現をするのは必然。その感情とは、一体どんなものなのか、それを想像してほしい。
 逆に、文章という文字を見て感じ取れることはあるだろうか。……少なからずあるだろう。声という音を聴いて感じ取れることはあるだろうか。……たくさんあるだろう。
 では、エリスの表情を見て、あなたは何を思う?
 ……いや、質問ばかりでは頭も抱えてしまう。つまりは、エリスが【何を伝えたかった
か】、ではなく【あなたはどう思ったか。】それを重視してほしい。
 それが、この物語を通して私が一番伝えたいこと。あなたなりの真実を見出せたなら、今度はそれを咀嚼して、それからこの物語を結んでほしい。そうすることで、このお話も、エリスもきっと笑顔になれるはずだから……。
 さぁ、これで前置きは終わりにしよう。この物語の世界観と、そして私があなたに伝えたいこと。それから、あなたの心の在り処を理解したなら大丈夫。
 ここから先は、エリスの見た景色を追っていこう。……一緒に。

 さて、時間軸は再び戻る。エリスの出立からにしよう。
 エリスの前には、悠然と広がる森が見える。そこには白魔女が居て、これから3日3晩過ごさなければならない。一体どんな人なんだろう? 何歳くらいなんだろう?
 それよりも、エリスはどんな表情をしている? ……あなたにそう見えたなら、きっとそれが正解。彼女には、私たちのことは見えないけれど私たちはすぐ傍に居て、エリスを見守っている。ドキドキする。だってもう、【私たち】の旅は始まっているのだから。
 もうエリスは振り返らない。前だけを見つめて、心は未来を向いていた。
 そんなエリスに応えるかのように、森の入り口にはスイートピーが咲き誇っていた。まるで、ここが唯一無二の入り口であり、全ての【はじまり】であるかのように。
 スイートピーに迎えられ、森の中に入るとしばらくは1本道で両脇を彩るスイートピーは、花道を歩いていると錯覚させるほどに、素敵なコントラストが敷かれている。その歓迎は果たして、吉兆か凶兆か。今のエリスにそれを見分ける術は無い。けれどもエリスは穏やかに、その美しい花を撫でている。
 そう、未来を見るということは今の積み重ねである。決して、前を見ているからといって足元がおぼつかないわけではない。未来はこの先であり、今は【この瞬間】なのだから。
 エリスは一晩で、何かを諦観したのかもしれない。未来へ至るのが今の積み重ねならば、その過程は幸溢るるものにしたい。それは人が願ってやまない事。きっとエリスは、今を楽しむということを覚えた。だからこそ、浮かべられる表情は心の表れ。
 世界はいつだって表情を変える。それは物理的、客観的にではない。主観に委ねられている。エリスが幸せだと思い、愛を注ぐことを選んだなら、世界は表情を変える。
 たしかに一抹の不安も残っているかもしれない。けれど、臆病な自分をようやく受け止められたのだ。一緒に歩いていこうと。
 さぁ、追いかけよう。エリスは振り返らないから。置いてかれないように……。

 ふとしてエリスは、足を止めた。
 見ると、前方に3つの分かれ道。気が付けば両脇を飾っていたスイートピーの花道は終わっていて、木々が取り囲んでいる。木漏れ日を頼りに、分かれた3つの道の先を凝視する。
 しかし、道はどこまでも続いていてその先を窺い知ることは出来そうになかった。
 エリスは右頬に手を添えて考える。どれが【正しい道】か、ではなくどれが【選ぶべき道】かを。何の情報も無いこの状況で、3つのうちのどれを選ぶかは結果の見えない選択。ひょっとしたら白魔女が居て、出迎えてくれるかもしれない。もしくは、この先は崖で道は無いのかもしれない。
 けれどエリスは漠然と思った。どれかの道を選んだら、きっと引き返すことは出来ない。つまり、一つの道を選んだら別の道はなくなってしまうのではないかと。なぜならば、これは成人の儀。この選択すらも儀式のうちで、結果を知ってからのやり直しは出来ない。
 それが本当であったとしても、エリスの考えすぎであったとしても。これは、運命であるとか、天に任せるであるとか、そういうことではない。全て、【自分で】選んだ道になる。
 思えば、選択を迫られることは人生において多々ある。それは仮に、今日の夕飯は何にしようかという日常的なものから、今この瞬間を逃したら永遠にチャンスを逃してしまうような究極の選択でもあるように。
 しかし人は、その選んだ選択肢しか知ることは出来ない。選ばなかった結果は得ることが出来ない。自分が選べる道は、一つしか無いのだから。
 【もしも】を想像することはあるだろう。あの時別の選択をしていたら、自分は今頃どうなっていただろうと。自分が得た結果とは【相対的】に、別の道の解釈を結論付けることもあるかもしれない。でもそれは、あくまで想像。自分を納得させることが出来るだけの理由に他ならない。
 では、極端な例を挙げよう。ここに二つの道があったとする。仮にAの道を選んだなら生還する。Bの道を選んだら死んでしまうとする。何も知らずにAを選んだなら、良かったと胸を撫で下ろし別の世界の自分を想像してゾッとする。逆にBを選んで死んでしまったなら、Aを選べば良かったと後悔するだろう。
 そうして相対的な極論を出してしまえば、生死を分かつ選択に慎重にならざるを得ない。
 しかしここには3つの道がある。AとBとCがある。Cとは、一体……?
 世界の解釈は諸説あるが、ここではこう定義する。【人は、遍在している。】それは時間的、世界的、主観的に。
 あなたは、パラレルワールドをご存知だろうか? 人が想像し得るIFの世界。もしも、あの時別の道を選んでいたら。もしも、あの時こう言っていれば……。それは後悔であり、希望であり、時に欺瞞でもある。
 けれど、人は遍在する。どの世界でも、自分という個人は遍在していると言える。
 つまり、この【選択】というのは自分という岐路であり、人生の岐路でもある。ここでエリスが選んだ道には、もちろんエリスの未来が築かれていくだろう。それと同時に、選ばなかった二つの道を歩むエリスも、同時に存在するということがお分かりだろうか。
 Aの道を選んだエリス。Bの道を選んだエリス。Cの道を選んだエリス。そうして人は、分岐し、枝分かれして、それぞれの世界で、それぞれの未来を刻む。今あなたがいる世界でも、時に選択を迫られ、人生を選んで来たはず。あなたが選んだ道が、今であると思うのは、人は主観的な生き物だから。
 決して、遍在する自分を知覚することは出来ない。けれど、人は遍在する。
 だからエリスは、今この瞬間、人生の岐路に立たされたと言ってもいい。成人の儀が、成長への選択というのなら、選ぶしかない。【自分の道】を。
 そうして、短くない時間考えていたエリスは、自然と一つの道を選んで歩き出した。
 同時に、エリスの人生は枝分かれした。しかし、エリスが知覚することは無い。別の世界の自分のことを、その先に何があったのかを私たちは知ることが出来ないのだから。

 そして、エリスは声を聞く。誰かの、声……。
 いいえ、【誰か】ではない。これは、私の声? 耳馴染み、というと不自然だろう。本来、人は自分が聞こえている声と、他人が聞いている声は違う。
 しかし、エリスが感じたのはまさに自分が普段聞こえている声だった。それが耳から伝わる振動であるか、脳内に再生されている音であるかは分からない。それでも、エリスは戸惑いを浮かべる。
 なぜなら、今私は、口を動かしていない……。
 目を閉じて。もう一度耳を澄ましてみる。すると、【それ】は確かに囁く。私の耳元で、私の頭の中に、私の心に向けて。
 それはどれも聞いたことがある声。いいえ、私が生んだ感情だった。それは、幼かった私が内に秘めた醜いエゴであり、吐き出さず押さえ込んだ声だった。それが今になって、溢れ出して来る。
 《どうして今なの? それはもう納得して水に流した。確かにあの時の私は幼くて、納得できないこともあった。でも今は違う。違うの。ちゃんと自分で考えて、人として、女の子として、私は私らしく生きるって決めたの。
 いいえ、私は自分勝手なんかじゃない。これも私が選んだ道なの。3つのうちのどれかを選ぶことだって、私の意志。それでも、私だけが良ければいいなんて考えじゃない。私は自分のことだけを考えて、行動してるわけじゃない! やめて、私はそんなことを思ってない! 私は、独りよがりじゃない!》
 ……そうして、エリスは頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
 続いて聞こえてくるのは、慈愛に満ちた優しい声。それは紛れも無い自分の声なのだけれど、そっと自分を抱きしめてくれるような温かなもの。昂った感情を全て受け止めてくれる、優しい自分。
 《うん、大丈夫だよ。私は平気。私も涙を見ると辛いから。ありがとう。
 この世界に悲しい涙を流す人はいないで欲しい。もしも、先が見えなくて涙を流すしかない人が居たら、私が助けてあげたい。涙を拭いて、もう大丈夫だよって言ってあげたい。
 もちろん、生きていて楽しいことばかりじゃないかもしれない。でも、辛くなったら、前を向こう? きっと、私が居てあげる。それでもダメなら、一緒に落ち着くまで泣こう?
 一杯泣いて、一杯躓いて、一杯挫けそうになっても。一杯笑って、一杯楽しんで、一杯遊ぼう? そうやって、みんな生きてるの。私も、あなたも。
 私は、そんな、あなたみたいな人になりたい》
 ……エリスはゆっくりと立ち上がって、目元を拭う。そして、自然と笑みを零す。
 それはくすぐったいような、恥ずかしいような、あどけない笑顔。無邪気に、それでいてひだまりの様な。その笑顔に応えるように聞こえてくる声は、普段のエリスには似つかわしくないような少し茶目っ気のあるものだった。
 《そんな、やめてよ大袈裟だよ。でも、そういう風に言われるのも、嫌いじゃ、ないかも。ちゃんと今日の為に、おめかししてきたもん。私のこの髪は自慢だよ。長くは伸ばしてないけど、頬に掛かるくらいが一番かわいいもの。
 そ、そうだよ。私の目は森の神様から授かった、美しい翠色なんだから。それに毎日ちゃんとお風呂で身体も綺麗にしてるから、川の水みたいに透き通った肌でしょう? 
 私は、わ、私くらいになれば……村一番の美人って言われてるんだよ。そう、エリスは美人で、おしとやかで、気立てが良くて、みんなにちやほやされてるんだから。ふふ、うふふ……》
 エリスは小さく微笑むと、心なしか頬を染めて両手を頬に添えた。
 【私】は、思う。人は皆、エゴイストでモラリストでナルシストではないだろうか。それが良し悪しではなく、誰の心にも息づいているはず。本来、自己や自我というものは意識されない。無意識下で人は自覚し、自分がどういう人間かという【パーソナリティ】を理解していく。
 誰にでも、利己的に他人を顧みない気持ちを抱くことだってあるだろう。それは主張であり、蔑まれることではない。それも一つの、自分の気持ちなのだ。
 誰にでも、道徳心を尊重し自愛に満ちた優しさを求めることがあるだろう。そしてそれを、誰かに与えたい、共有したいという気持ちが芽生えるのも自然な感情の一つ。
 誰にでも、自己を美化し着飾ることを覚えるだろう。それは自信であり、自分の世界を広げる糧となる。やがて心の美学となる。
 だからきっと、エリスの小さな心にも様々な声が去来しては、考えるのだろう。それを単に【葛藤】という言葉で片付けてしまうのは、片目でモノを見るのも同じ。
 あなたはこれを、どう説明するでしょうか。切り捨てても構いません。ただ今は、エリスの心が、あなたの目に映っていれば……。

 すると、数メートル先に小さなものが見えた。
 いえ、【現れた】のではないかというほどに唐突で、エリスはその存在に気づいた時に、両手をぎゅっと胸の前で握る。その小さいものは、木漏れ日にライトアップされていてとても幻想的な雰囲気を漂わせていた。
 しなやかな毛並みに、上品な佇まい。鋭い視線はエリスの目を釘付けにする。それは、およそ想像の出来る動物であったが、その美しさはエリスの知るその生き物とは似て非なるもののようだ。
 光に照らされた身体は、白い毛並みを立花さながらの白銀に輝かせ、二つの碧眼は蒼穹の彼方を思わせる。到底、猫のそれとはかけ離れていた。
 しかしエリスは動物が大好きで、村にいる猫も犬も、果ては家畜の羊にも話しかけるほどの心の豊かさがあった。そんな美しい猫を前にして、エリスが目を輝かせないわけがない。
 けれど、【猫さん】などと呼びかけたせいか、名も知らぬ白猫は一瞥をくれるとエリスに背を向ける。どうやら、付いて来いと言う様に優雅に歩き出した。
 エリスは迷わず後に付いて行く。まるで、猫に道案内されているのが楽しい旅行であるかのように自然と頬が綻ぶ。会話は出来ないけれど、エリスはとても楽しそうである。
 傍から見ればとても不思議な光景。幻想的なオーラをまとう白猫に、笑顔をたたえた少女の行進。これから別世界へと誘うかの如く、現実感の喪失したファンタジックな光景だった。
 そこでふいに、エリスは目をしばたたく。今度は直接頭の中に、声を聞いたのだ。
 今度のそれは、自分の声ではない。似ているけども、違うように思う。先ほどの、骨導音による自分の声ではなく、ひょっとしたら周りの人が聞いているエリスの声なのかもしれない。しかし、エリスが自分の声を録音して聞いたことがなければ、それと自覚することは出来ないだろう。だから、エリスは漠然とそんな気がしたという程度。
 それは、【問いかけ】だった。
 エリスは直感的に、この白猫からのテレパシーではないかと驚く。しかしながら、エリスはこれまで何らかのフィーリングを感じたことは一度も無い。ひょっとしたら、自分がテレパシーという超自然能力を開眼したのかもしれない。そんなことを思ってしまう。
 けれど一説には、テレパシー能力というのは、あらゆる生き物に本来備わっている自然の能力であるらしい。が、ここでの説明は割愛する。
 チラッとこちらを盗み見る白猫を見るに、どうやらそれは間違いではなさそうである。エリスが発現させたのか、白猫が強制的に交信しているのかは定かではないけれど。
 まず、名前についての問いかけ。エリスメルト・ロニクール。
 次に年齢と性別の問いかけ。18歳、女の子。
 さらに、趣味と特技の問いかけ。物語を読むこと、書くこと。動物とお話出来る(笑)
 ちょっとした自己紹介のような問いかけに、エリスは小さく微笑むと続いて自分も問いかけることは出来るのかと思い、白猫に名前を問いかける。
 メルトリス・エ・クロニール。それが、白猫の名前だという。エリスは可愛らしく呼びたいと思い、【メルト】と呼ぶことにした。これからこの白猫のことは、メルトと呼称する。
 メルトはなおも歩き続けるが、次の問いかけはエリスに一瞬の動揺を与えた。
 【あなたは、自分を殺すことが出来ますか?】
 自分を、殺す……。それはつまり、自殺することが出来るか……ということだろうか?
 先ほどから続いていた日常的な、当たり障りの無い問いかけから一変。冷たい距離を感じさせる問いかけに様変わりしていた。
 しかしそれは、物理的に自らの命を絶つという意味で言ったのではない。自分を殺すということには、別の解釈がある。けれど、エリスはまだ知らない。自殺と、自らを殺すことの境界を……。
 だからエリスが少し感情的になるのは、必然といえた。メルトはというと、動じずエリスの言葉を聞き流すのみ。まだ言葉の意味を理解出来ないエリスを諭すでもなく、卑下するでもなく淡白なままであった。ただ、答えはあなたの中にある、というように……。
 ふいに、メルトは歩みを止める。
 気が付けば森を抜けていて、見渡せるくらいの平原が広がっている。そこに佇む、レンガの家。そこが魔女の館であるかのような、ハロウィンを思わせる装飾などは一切無い。
 煙突からは煙は上がっていないけれど、こんな遠くに住んでいる人などいるのだろうか。外見では判断出来ないが、ひょっとしてここが白魔女が住む小屋?
 少し警戒しながら小屋を臨むエリスをよそに、メルトは我が家に帰るかのように小屋へと入っていく。もちろん、扉を自ら開けてではなく、すり抜けたわけでもなく。入り口のドアの下部に、猫が通れるほどの大きさにくり貫かれたスペースがあった。そこには柄の付いた暖簾のようなものが架かっており、メルトの身体を撫でる。
 エリスはぐっと不安を押し込めて、小屋のドアをノックした。中から聞こえてきたのは、若い女性の声。またしても、自分に似たような声……?
 今日エリスは、何度目か分からない既視感を覚えながら小屋のドアを開く。
 中に居たのは―――。
 見間違えるはずもない。曲解しようもない。まるでそれは、鏡と対面しているかの様。可愛らしいクッションに囲まれたソファに、寝そべるようにクッションを抱いてこちらに顔を向ける少女が居た。少女はエリスを見つめながら、にっこりと微笑む。
 世の中には3人くらい自分にそっくりな人がいるという俗説がある。しかし、似ているとか、そっくりというレベルではない。これはもはや、エリスが一卵性双生児であったといわれても納得してしまうだろう。
 それでも別人というのなら、これはドッペルゲンガーか。死期を知らせる鐘のような存在。これには諸説あるが、大体は不吉の前兆として捉えられることが多い。
 しかし、【共に歩く者】という解釈があるのをご存知だろうか。仮に凶兆として捉えた場合、常に死が共に歩くという考え方。これは、とりわけ不思議なことではない。
 なぜなら人の生死は背面関係にある。表と裏があるように、光と影があるように。この世界は相反する心に従順である。常に天秤は、アンビバレンスなのだ。
 余談だが、対極に位置する気持ち、あるいは態度を同時に表す時、相反する心を【アンビバレンス】という。分かりやすく例えると、狂おしい程愛しているのに、殺したいほど憎い。といったアンビバレンス。
 このドッペルゲンガーの場合、人は常に生きていれば、常に死と隣り合わせであると定義出来る。故に、ドッペルゲンガーは共に歩く者なのである。
 ……そして、エリスは恐る恐る問い掛ける。あなたの、名前は……と。
 【わたしは、あなた。】
 それが、彼女の解であった。
 エリスは理解しようと必死で思考する。けれど、どの言葉も支離滅裂で、自分を納得させるだけの解を導くことは出来なかった。そんなエリスを知ってか知らずか、人懐っこい笑みを浮かべならが、まるでスキップするように駆け寄る少女。
 エリスの手を取ると、親しい友達を自分の部屋へ招くかのようにソファに座らせた。
 初対面にも関わらず少女は、エリスの名前を呼んだ。困惑するエリスの頭の中はクエスチョンマークで満たされていく。
 《どうして私の名前を知ってるの? そもそも私にそっくりなのはなぜ? 私は夢を見ているの? ひょっとしてこの子が、白魔女なの? 私と同じ顔、同じ背格好、同じ声のこの子が? それより、メルトは? 確かにここに入ってきたのにどこに行ってしまったの? これが、成人の儀というものなの?》
 矢継ぎ早に湧き上がる声無き問いに、少女はぎゅっと握り締めたエリスの手を両手で包み込むと、落ち着くのを待ってから、そっとエリスの右頬に触れた。その表情は聖母の眼差しを湛え、エリスの憧れたそれに限りなく近い表情をしていた。
 それから一つ一つ、少女はエリスの問いを説き解いていく。次第に、警戒と混乱で満たされていたエリスの心も和らぎ、嬉しそうに話す少女に静かに耳を傾けられるようになる。
 その中で、何度もエリスの名前を呼び、エリスもそれに応える。少女のことはメルトと呼んだ。聞けば、白猫のメルトと同じ名前だったから。でもその疑問を問うよりも、【メルト】の話すことに耳を傾けることの方が、今のエリスにとっては至福だったのだ。
 名前を呼ばれることに、こんなにも嬉しさを覚えたのはいつ振りだろう。普段エリスは、お母様やお父様から名前で呼ばれている。けれど、この子はエリスの名前を呼ぶこと自体が嬉しいことであるかのように、とても幸せそうにエリスの名前を呼んでいる。
 それはまるで、いつもエリスが動物たちに語りかける時のようで。エリスは、自分はきっとこんな表情をしながら、動物たちに話しかけているのだろうと思った。
 思えば、愛猫のクリス。散歩の時に出会うシェルティのシエル。牧場にいる羊のシープにメリアにララ……。みんなに名前がある。
 そして何よりも、エリス自身にとっても自分の名前は特別。それは唯一無二の、自分である証。例え、同姓同名の名前であったとしても【自分】は唯一無二。
 これは識別番号などでは、決して無い。自らが愛し、ひとから愛される名前。それが、名前に宿る魂であり、名前で呼ばれることの【意味】である。
 
 メルトは本当に話し上手だった。彼女が話す話題は尽きることがなく、私もメルトと話していて飽きるということは無い。
 お腹が鳴ればクッキーを焼いてくれた。星型からハート型、細長いものから四角いもの。中には手のひらサイズの大きなものまで。味はチョコにイチゴにメロンに抹茶。聞けばどんな味のクッキーでも焼いてくれた。気が付けば部屋中に、かぐわしいクッキーの香りで満たされていて、甘く蕩けるような二人だけの空間を装飾している。
 手持ち無沙汰になったら綾取りを始めた。私は綾取りをするのは得意だと思っていたけど、メルトは何回も何回も珍妙な取り方で私を撹乱する。数え切れないほど繰り返しては、変な形になって笑い転げる。終いにはどっちが綺麗な形を作れるかという趣旨に変わっていて、もはや綾取りという遊びではなくなっていた。
 それからメルトの宝物である、綺麗な水晶石のカケラを見せてくれた。聞けば小屋のすぐ裏手には小さな洞穴があって、その地層には多種多様の水晶石が散りばめられているという。コレクションを一通り見せてもらった後に、一緒にその洞穴へと歩いて行ってみる。地中でランプを灯すと、まるでそこは地中のプラネタリウム。色取り取りの採光を放つ星空が広がっていた。そんな秘密の場所を案内してくれたメルトは、誰にも内緒だよっといって、指きりをした。
 小屋に戻ったあと、首飾りを見繕ってくれるというので翠色が好きな私はエメラルドをお願いした。
 夜になったら一緒に星空を見上げて、天体のお話を聞かせてくれた。この季節に生まれた子は、双子座の加護を受けている。双子座には兄弟にまつわるお話があって、身振り手振りを交えて語ってくれた。
 かつて神様の世界で双子の兄弟がいた。そしてその【いとこ】にも双子の兄弟がいたそうだ。とても仲が良かった兄弟だったけど、ある時、いとこ兄弟がひょんなことから喧嘩を始めてしまう。それを見た兄弟が仲裁に入ったとき、いとこ弟さんにお兄さんは刺されて死んでしまった。怒った弟さんは、いとこ弟さんを刺し殺しますが、いとこお兄さんは怖くなって逃げ出してしまう。弟さんは悲しみにくれ、自らも命を絶とうとしますが死ねませんでした。なんと弟さんは、お父さんの血を色濃く受け継いでいた不死身だったのです。それでも弟さんは、兄の居ない世界に生きる望みはないとお父さんに告げました。
 かくしてお父さんは、ふたりの魂を星座へと変えて空に掲げたといいます。
 ちなみに二人は、海の神様に愛されていた為ある逸話で海の守り神として認識されています。とある空電現象での光は二人であり、守り神の証だと。これを、【セント・エルモの灯】といいます。
 語り終えたメルトは、恭しくスカートの裾をつまんでお辞儀をした。女の子なのに髭を触る真似をしたり、小さい身体を大きく見せようと両手を広げたりしたのが、ちょっぴり可愛らしかった。
 寝る前には一緒にお風呂に入って、メルトの綺麗な背中を流してあげた。同じ女の子なのに見惚れてしまうくらい透き通るほどに綺麗な肌で、こする事で傷つけないように優しくさすってあげる。髪はメルトが洗ってくれた。時折、爪当たって痛くない? 痒いところはない? と、気遣ってくれるのが嬉しかった。湯船で10を数える。幼い頃、お母様としたお風呂の儀式が、まさかここでもするなんて。両手を握った隙間からお湯を飛ばしてくるメルトに負けじと、応戦するささやかな時間。はしゃぐ私たち。お風呂から上がる頃には、お互い顔を赤くして少し上せてしまったみたい。メルトがふらっとヨロけるのを支えると、抱きしめる形になってちょっとだけドキッとして、ちょっとだけ恥ずかしくてぎこちなく笑うのが精一杯だった。
 一つしかないベッドに一緒に入れてくれた。ドキドキしながら、眠くなるまでお話した。
 こんな話を覚えてる。メルトは私を見つめながら言うものだから、少し恥ずかしい。
 人の思考は、雪のよう。六花(りっか)という言葉を知ってる? 雪の結晶のことを、【六花】と呼んだ。それは六角形で花形のように咲き煌くことから、その名が付いたという。
 雪のように降って溶け……。六花のように輝いては、消えて……。
 けれど、雪が積もることもあるように、思考は蓄積されていく。【わたし】の思考は粉雪で、ずっと静かに降り注いでいる。触れるとサラサラで、息を吹きかけると、綺麗に舞うの。でも、陽が当たると溶けてしまう。
 わたしも、いつか、溶けてしまえたら……。
 その時エリスには、メルトの言葉の意味は分からなかったが、とても儚く見えたメルトの手をぎゅっと両手で握る。確かにメルトはここにいて、エリスはここにいた。
 お互いの温もりを確かめたエリスには、メルトは特別な存在となった。
 そしてエリスは、メルトとはどういう存在で、どうしてエリスと同じなのかを理解する。
 信頼は、関わりから生まれる。信頼は、交流から生まれる。交わした言葉の数、生まれた関わりのきっかけ。それが信じられたとき、心に刻まれるもの。
 エリスはようやく、自分を【理解】する。まだ、言葉にするにはあまりに小さくて、粉雪のように吹けば消えてしまうけれど。伝えるときが来たら、きっと……。
 そうするのが自然であるかのように、エリスはそっと、メルトの額に口付けた。
 メルトはもう、安らかな寝息を立てている。エリスもメルトの手を握ると、顔を寄せて目を閉じる……。

 そして、二人の……いいえ、彼女の時間は過ぎていく。

 エリスが見た景色、それは―――。

 この3日間の、君が見た景色は……。


 目が覚めたエリスは、寝ぼけ眼をこすり掛けられたカレンダーを見る。
 今日で、成人の儀は完遂される。あとはもう、村に帰ればいいだけだ。
 時間の感覚は、村での生活とはかけ離れていた。この3日間は、とても夢心地で、気が付けば4日目の朝が来ていた。
 それでも、メルトと過ごした3日間はありありと思い出せる。心に刻まれたと、胸を張って言える。
 成人の儀は、確かにエリスを成長させた。しかしそれは、自分自身と向き合うことだったのかもしれない。これまで、たくさんの疑問、たくさんの問いかけ、たくさんの想いを抱いてきたエリス。
 それが今、最後の【答え】を求めている。
 
 二人は正面に立ち、微笑む。
 エリスは、心からの感謝を。メルトは、最後の問いかけを秘める。
 エリスはもう理解している。メルトはどういう存在で、どうしてメルトなのかを。そして、これからメルトが何を言おうとしているのかを……。
 メルトはにっこりと微笑むと、両手を広げた。
 
 【わたしは白魔女。わたしは、あなた。】
 
 エリスは頷く、メルトはいつもここに居る。これまでも、これからも。

 【わたしを、殺してくれますか?】

 エリスは少しだけ、躊躇する。殺す、という言葉にまだ抵抗がある。
 それでいい。エリスが理解したのは、もう一つの【殺す】ということなのだから。
 エリスにとっては、自らを殺すこと。その存在を、今は形あるものを、形なきものへ。
 人は、他人の生死を別つことは許されない。けれど、自分の生死を選ぶことは出来る。
 両手を広げるメルトに応えるように、エリスは囁く。

 【私は、あなた。】

 エリスはメルトを抱きしめる。強く、強く……。
 メルトの両手がエリスの背中に回されたとき、ゆっくりと霞みゆくメルト。
 まるで、六花が溶けていくように。エリスの心に沁みこんで行く……。
 それは傍から見れば、エリスの首飾りに吸い込まれるようでもあった。

 【ありがとう、メルト。】

 【ありがとう、エリス。】

 【ありがとう、私。】

 エリスの首飾りは、エメラルドの水晶石。
 石言葉は、心の安寧。そして、新しいはじまり。
 エリスは、数え切れないほどのメルトの言葉を思い出す。中には、私を試すような問いかけもあった。まだ答えを見つけていないエリスに、様々な解釈を与えるメルト。
 主観的に、客観的に、相対的に、立体的に。【ある事】を俯瞰したとき、様々な視点から、様々な角度から観測することにより全ては変化する。決して、一つの見方だけで解を求めてはいけない。
 しかし、人は観念的に主観的な生き物である。されど、人の目は二つある。
 そして、自ら選び片目を閉じることも出来る。それは、自らを殺すこと。
 メルトは、【4つの目】をエリスに与えたのだ。自らを賭して、自らを殺したこともあったかもしれない。全ては、エリスのために。
 思えば、メルトは最初から【自らを殺すこと】を問いかけていた。その意味を諭すために、3日間という時間を共にしてくれたのだ。 
 エリスはしばらく自分の肩を抱きながら、静かに涙を零す。
 でもその表情はさわやかで、笑みすら見受けられる。朝陽が差し込んだ部屋の中では、エリスの綺麗な雫は、六花のように煌いていた……。

 こうして、エリスはウィッカ村へと戻ってくる。
 3日3晩の成人の儀を終えて、エリスは【成長】した。メルトとの出会いから交流。問いかけ、答え。それらを胸に宿したエリスは、村までの岐路、思考していた。
 もちろん、メルトのことを。今はもう、自分の中に息づいている彼女といつでも会話することが出来る。彼女を他の人に紹介することも出来る。
 形ある存在を消した寂しさと、確かに心に存在する温かさを同時に抱く、アンビバレンス。
 ここから見るエリスの表情は、あなたにはどう映るだろう。きっと、幸溢れるものであることを祈って……。
 
 さぁ、エリスがウィッカ村に帰ってきての第一声を覚えているだろうか。
 【私は、魔女を殺しました。】
 今までわたしから、あなたにたくさんの問いかけをしてきました。これで、最後になります。
 エリスはこのとき、どんな表情をしていますか?
 想像してほしい。
 もしも叶うなら、あなたが目を覚ます前に、君が見た景色をわたしに教えて欲しい。
 それと……、自己紹介が遅れてしまって申し訳ありません。

 わたしは、エリスメルト・ロニクール。白魔女です。
 あの日分岐した、エリスです。
 あなたが望むなら、また……どこかの景色の中で……。

◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇

amabile.


 さぁ……そろそろ、目覚めの時間でしょうか。
 あ、でもちょっと待って。まだ、目を開けないで?
 プロローグがあれば、エピローグがあるのはお約束でしょう? もう少しだけ、私に付き合って頂けるでしょうか。
 さて……。
 唐突だけど、語り部が入れ替わる演出はお好きでしょうか? いいえ、あなたはそれに気づいていなかったかしら。
 あなたが覚えていないだけで、私たちは遍在している。
 あなたが気づいていないだけで、自分は分岐している。
 そうですね、自己紹介が遅れていました。私は、あなた……。

 ここで誤解が無いように補足しておくけれど、エリスの言う【自分を殺す】ということは、自分を押し殺したり、閉じ込めてしまうという意味ではないということ。
 時には、意志を曲げてはいけないときがあると思う。納得できないこともあるかもしれない。
 けれど、時に主観をぐっと堪えて、周囲の言葉に耳を傾けて見ましょう? そうすることで、きっと違う見方が出来るはず。新しい発見があるかも。意外な側面が見つかるかも。
 でも、誤解しないでほしい。あなたは、あなたの中にある。自分と上手に付き合うことが出来てはじめて、自分を理解してあげられる。
 自分を最後の最後まで信じてあげられるのは、自分だけなのだから。
 
 私も最後に、あなたに問いかけを。
 エリスの肩越しで、彼女の世界を見たあなたの目には、どんな景色が映っていましたか?
 さぁ、目を開けて。耳をそばだてて。
 あなたが感じた気持ち、あなたが抱いた疑問、あなたが見た景色。それを、私に聞かせてほしい。
 解釈は人それぞれ。千差万別・十人十色。あなたなりの真実を見出せたなら、大丈夫。
 道しるべは用意した。でも気をつけて、私は語感が好きで、アクセントとしてるだけかもしれない。つまり、キーワードだけを抜き出しても、点は線で繋がらないということ。
 私も、とても楽しみです。今度は、私が目を閉じているから、聞かせてほしい。

 あなたが紡ぐ物語のタイトルは、もう決まっているでしょう?

 【君が見た景色】

 それでは、御機嫌よう……。
 


 D.C.

君が見た景色。

あとがき。


 自作短編小説、第4作目「君が見た景色」を最後までお読み頂きましてありがとうございます。
 さて、あなたがここにいるということは、あなたの物語は出来上がったということでしょうか。

 今回のお話は、なかなか面白いものが書けたのではないかなと自画自賛しています。(笑)
 エリスの肩越しに世界を見るというところから、色々な問いかけをしてきました。それはエリスに
対してであったり、直接読者様へ向けてのものだったり様々です。
 
 会話文が使えないので、本当に説明的な文章になったかと思いますが、1人称を加えることで
ちょっとしたスパイスにもなったのかなぁと思います。
 文章構成のひとつに人称を混在させてはいけない、みたいなのがあった気がしますが…(笑)
 語り部を変えるには、人称を変える必要があったのでこれも斬新ではないでしょうか。

 作中でも言ったように、語感に影響されて使ってる言葉もあるのでそれをどう解釈するかは、
読んでくれた方の解釈に委ねたいと思います(笑)

 余談ですが、今回の短編の字数制限は2万字に設定しました。
 次回、とりあえず最後の5作目は1万字を予定しています。いやはや、1万という短い制限で
どんなお話ができるやら……。

 それでは、自作短編小説「君が見た景色」 略して、君色。を最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。
 また次回の5作目でお目にかかれることを祈って……。


 2012.2/14 0:12 自宅にて。


PS. このお話は「デンキノベル」様にて完全版を公開しています。

  加筆修正してサウンドノベル風に仕上げてあります。

  こちらからどうぞ↓

  http://denkinovel.com/stories/127/pages/1

君が見た景色。

このお話は、彼女の世界を見ながらあなたが考えるお話です。 作中に様々な【問いかけ】が出てきます。それら一つ一つに、あなたなりの解を模索してください。 解釈は人それぞれ。千差万別・十人十色。それでは、素敵な景色でお会いしましょう。 このお話は、デンキノベル様で加筆修正版が公開されています。 http://denkinovel.com/stories/127/pages/1

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-02-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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