覚醒-DISILLUSION-

覚醒-DISILLUSION-

肝臓を食らい生き続ける男の物語・・・

[Ⅰ the liver]

 覚醒する時に見る夢はいつも同じだ。
ゼウスによってカウカソス山に磔にされ、私は晒された肝臓をハゲタカに貪り食われるのだ。
未来永劫、永遠に受け続ける罰……プロメテウスは私の分身なのだ。

 都会の片隅で、今日も私は獲物を狙って徘徊する。
獲物はあの吹き溜まりのような猥雑なネオンの雑居ビルから出てきた若い女……。
派手な化粧と、露出した衣装、下卑た笑をその真っ赤な唇の端に蓄えた若い女……。

 タクシーは捉まらない。私はゆっくりと舌なめずりしながら機会を伺う。時間はたっぷりある。何も焦る必要は無い。
 私の時間は常人の非ではない。

 プロメテウスは人間に火を与えたばかりにゼウスの大いなる怒りを買った。
永遠に繰り返される苦痛……肝臓は再生し、またハゲタカどもが私の肝臓を食らう。
私はそのまなこで、貪り食われる様をただ見つめているだけだ。

 タクシーを拾おうと女は路地を抜け、大通りに出ようとする。
私は素早く先回りし、女の眼前に現われ、薄笑いを浮かべる。

 女は一瞬驚くが、私を無視して歩き出す。

 私の右腕が女の断末魔の悲鳴を押し殺す。

 暫く鼻と口を圧迫していると女はあっけなく逝った。
私にとって人を殺すということは、食欲と同義語なのだと感じる。そして、愛用のハンティング・ナイフで肝臓を抉り取り、貪り食う。私の臓物への欲求が限りなく開放される。
ハゲタカに貪り食われ続ける私の肝臓。
真新しい血の味が私のアドレナリンを活性化させ、私は四肢に充満する活力に獣のような錯覚を覚える。人の形をした異形のもの、それが今の私の姿だ。
満月ならきっと咆えていたことだろう。
 野良猫が血の匂いを嗅ぎつけたのか私の周りを徘徊する。この前頭葉の隅っこに野生を残したケダモノは根っからの肉食獣なのだ。一片をくれてやろう。私は強靱な犬歯で引き千切ったレバーの肉片を放リ投げた。
一瞬野良猫は後退りするが、ゆっくりと用心深く近付き、舌なめずりしながらその肉片を平らげた。
お前も共犯者になったな……野良猫は咽を鳴らし、私を一瞥し、横たわった死体を見つめ、暗闇に消えた。

 古代ギリシャ人はなぜ肝臓が再生する臓器だと知っていたのだろうか……?

 私もそろそろこの場を立ち去ろう。次の獲物を求めて……重く、湿ったマンホールの蓋を開け、その溝の奥底へ、汚泥の中に身を沈めて、黴臭く汚らしい私の巣に帰ろう。満足の笑みを口元に張り付かせながら……。

 西新宿七丁目で起きたキャバクラ嬢の殺人及び死体遺棄事件は、当初新宿暑、刑事課が担当していたが、同様の事件が短期間に三件連続して起きたため、警視庁の刑事部、刑事課が担当することになった。
 その死体には際立った特徴があったからだ。被害者が全て若い女性であること。深夜に狙われていること、そして、最も特異なことは、その死体から肝臓が抉り摂られていたのだ。
どうやら犯人は、変質者である可能性が高い……肝臓を狙った殺人!?、死体のあったその場に、食い散らかした肝臓の断片があったからだ。
 その証拠品のDNA鑑定によって、犯人は同一人物と断定された。
 特異な猟奇的な殺人、都内の狭い地域で犠牲者が4人になった時、マスコミが大きく取り上げ始めた。

 更にこの事件の特異性が朗かになるにつれて、刑事課内の特捜班に担当が移された。
特捜班とは、五年ほど前に刑事課内に設立された主に、金融犯罪、企業犯罪、大規模テロ、カルト集団の犯罪、コンピューター犯罪、などを扱うそれぞれの専門家が集まった組織だ。最近ではそれに動機のないあるいは見えない殺人事件を担当する班が自然発生的にできていた。
 彼らは警視庁特別捜査官と言われ、猟奇的な殺人、変質者が絡んだ、いわゆる動機の見えない犯罪を、プロファイリングから、犯罪の性質や特徴を微細に検討し、行動科学的に分析し、犯人の特徴を推定するプロの集団がメンバーに名を連ねていた。

 深夜、警視庁のコンピューターにある膨大な犯罪ファイルを検索する刑事の眼に30年前の事件がHP製の液晶の画面に浮かび上がった。
 一番最初に眼についたのはマル秘の赤い文字、そして、未解決、最後は黒い太字の迷宮入りのスタンプ。
 
 その酷似する事件の内容、七人の若い女が短期間に殺され、その死体からは肝臓が抉り取られていた。その犯行の手口から同一犯と思われると、その報告書は結ばれていた。

 刑事はその画面を食い入るように見つめていた。背筋に悪寒が走った。
ガランとしたその三階の刑事部刑事課を見回した。誰かに見られている、そんな嫌悪感を抱いたからだ。

 「間違いないわね、同一犯よ、全く同じ手口。三十年前にDNA鑑定できる科学警察研究所(N・R・I)があれば、完全に犯人を特定できたのにね」
若い刑事は、その声に頬を幾分赤らめた。声の主の顔が余りにも身近だったからだ。そして、この殺風景な部屋には似つかわしくないパヒュームの甘い香り。
 ディスプレィには、真山茜(マヤマ・アカネ)の顔が霞んで見えた。

 警察庁から派遣されF・B・Iで三年の研修を受けた特捜班きっての切れ者、プロファイリングのプロ、それにしても完璧な美しさだと刑事は思った。
「新庄クン、さらに三十年遡って検索した?」
「真山警視生、それって……ま、まさか……!?」
「あい変らず硬いなあ、新庄君。同じ班なんだから、特にこんな時は茜でいいよ」
「は、はいじゃあ茜さんで……同じような殺しの記録が三十年前にもあるってこと……」
「察しがいいわね、そう、同じ事件がさらに三十年前にも起こってるのよ。若い女性が7人殺害されて、レバーが抉り取られてるの」
白いブラウスの大きく開かれた胸元のティファニーシルバーのクロスが揺れていた。新庄は一瞬その動きに視線を這わせた。
「ちゃんと聞いてるの!」
「あ、は、はい……同一犯なら優に六十は過ぎてるってことになりますよ、犯人は……?」
「残念よね、それ以前の同一の犯罪記録ってこのコンピューターにはデータないものね。さらに三十年前に遡って……」
「茜さん、ま、まさか、犯人は九十過ぎてますよ。いくらなんでもそれは……」
「九十歳の容疑者、肝臓を抉って食う犯人、まさに猟奇殺人な事件……ありえないよねえ、でも、三十年ごとに七人の若い女性を殺してその肝臓を食べる該者ってのも余りにもおかしな事件よ」
「茜さんらしくないなあ、僕だって困惑してんですから、なんかヒントないんですかね」
「もちろんプロファイリングしたわよ。でも結論から言うとこの事件にはそれは全く役に立たないってことが分っただけね。この事件を仔細にコンピューター分析したけど、これは、過去の猟奇殺人、あるいは変質者の事件とは朗かに手法が異なってるわね」
「ウーン、良く分りません。茜さんの言ってる意味が……」
「つまり、端的に言うとね、人間の行動の範疇を超えてるってこと。範疇を超えてしまえば、九十だろうが、百二十歳だろうが関係ないわけでしょ」
「はあ、茜さんそれって犯人は人間じゃないってこと言ってるんですか!?」
「違う、違う、もちろん犯人は人間よ、間違いなく・・・行動が人間を逸脱してるって言ってるの。レバーを食べた歯型や、血液型や、DNA鑑定の結果や、ベタベタ女性の身体に残してる指紋や、色んな物的証拠が三十代から四十代の成人を示してるしね、この犯人証拠をいっぱい残してるのよ、まるで私は絶対捕まらないって自信あるみたいにね」
「なんだか、背筋がゾクゾクしてきましたよ。茜さんのそんな途方にくれた顔初めて見たな」
「けっこう焦ってるかもねえ、マスコミがやたらに騒ぐし、警察の無能振り叩かれてるし、警視総監から直々に早く犯人を特定しろって、早急な事件の解決を諮れって煩いしねえ」
「5人目ありますかねえ……」
「間違いなくね、この犯人は必ずやるよ七人までは……必ずね」
新庄は頷かざるおえなかった。新庄にも予感はあったのだ。この犯人は絶対に七人を殺すまでは止めないのだと……捕まりはしないのだとどこかで警察をあざ笑っているのだ。そして、また三十年後……。
「新庄君、新聞社行って古い新聞のマイクロフィルム調べてきてよ、千九百四十六年以前よ。予想ではもちろん千九百十六年よ。コンピュターにデータ入ってるから、けっこう手間かからないと思う。この事件と関連あるものしらみつぶしに当ってくれる?」

[Ⅱ Heart]

 暗く湿った温もりの中で覚醒の時を待ち続けている。
昏睡状態の間も、私の五感は研ぎ澄まされ、体毛の端々で敏感な空気の流れを知覚する。
私を包む全身の毛穴から吐き出される体液は凝固し、高級な寝袋のように強固に私を守る。
三十年の眠りを守る凝固した私の体液……繰り返される悪夢の果てで私は辛抱強く待ち続ける。

 千九百七十六年八月私は目覚めた。
それは、多摩川のある貯水場の地下の貯水パイプの一つ、私の巣があった場所。
私はなるべく三十年の眠りを妨げられないような原風景を残せる場所をねぐらに選ぶのだが、まあ、環境が変われば研ぎ澄まされた私の神経が目覚めを早めさせるだけだ。
 そうして私は生き延びてきたのだ。これからも……。

 身体を包む体液を力任せに突き破り、神経を集中して、空気か光の痕跡を探す。
ドブねずみが数匹私の周りを徘徊する。空腹からその一匹を食べてみたが、胃の腑が受け付けずすぐに吐き出した。
シノプシスが鋭敏な知覚を取り戻し、四肢が完全に目覚めた頃、私は、自在に細胞を変化させ、その直径二十cmほどのパイプを伝い、地上に這い出る。
眩しさに一瞬目が眩んだ。覚醒には長い長い時間が掛かった。
何しろ三十年も眠っていたのだ。
裸の薄汚れた身体を多摩川の水で洗った。
 着るものを捜さねばならない。それと栄養を補給せねば……。
痩せ細った身体が求めるものを私は知っている。
もちろん、若い女の肝臓だ。それも幾つも必要なのだ。次の眠りの間、私はそれを糧にしてさらに生き続けるのだ。
 
 肝臓が内包する栄養素を糧に私は永遠とも思える日々を生きてきたのだ。

 三十年前と変わらぬ風景で多摩川大橋は私を安心させた。漆黒の闇は私の友、闇に包まれるまで日陰に身を隠そう。橋の欄干に私は身を沈める。
真夜中、信望強く待ち続けた私の前に獲物がやってきた。若い女の匂い、私は背後から迫り、首を両手で絞めた。女は驚きと困惑の表情を、頼りなく光る街路灯の青白い薄明かりの中に浮かべたが、すぐに息絶えた。
 女の肝臓を貪る。体内に充満する、生への歓喜……私の頭の中には第九が高らかに鳴り響く……既に死んだ女の体内に規則正しく脈打つ鼓動……それは、やがて、弱々しい脈動となり、事切れる。

 どうやら、この女の中にもう一つの命が宿っていたようだ。
満月を見上げた。感傷からか、私は少しだけ後悔した。生のためだ、仕方がない。
生を失った女のボロキレのような身体を多摩川に捨てた。

 取りあえずの糧は得た。ゆっくり眠り、そしてまた獲物を探そう。
狩りは始まったばかりだ。


ゼウス、そしてプロメテウスの呪縛……人間に火を与えたばかりに、その知性の閃きを与えたばかりに私はこうして永遠に生き続け、地獄の責め苦を味わうのだ。

 「明日、経過報告の会議あるわよ、百人体制で聞き込みに当ってるんだし、四つの殺人及び死体遺棄が同一犯だってのははっきりしてるってのに、全然捜査が進展なしじゃあねえ新庄君、で、新聞の方はどうだった?」
「それがですねえ、はっきりしないんですよね。そういう類似の殺しはあるにはあるんですが、何しろ古いし半端な記事ばかりで……腐乱死体なんかもあるわけで……殺されて臓器が抉り取られて……」
「言い訳はもういいわよ……分らなかったわけね……で、こちらはどなた?」
新庄の隣に長身の痩せぎすの男が立っていた。
「ああ、科学警察研究所(N・R・I)の進藤検査官です。こちら、真山警視生、この事件の主席担当です」
真山と進藤は型どおりの挨拶を済まし、お互いを値踏みするように視線を投げた。
「警視生、こちら医学部出身なんですよ、それも臓器に関しては造詣が深いんで、柿崎警部に頼んで我が班に協力をお願いしたしだいで……」
「ふーん、こちらも手詰まりだからねえ、新庄君スタバ行ってコーヒー買ってきてよ、私はラテにバニラシロップ追加したやつお願い。それとなんかストロベリー・クリーム・スコーンがいいかな分室で作戦会議しよ」
「はい、はい、パシリ努めさせていただきますです。真山警視生」

「……肝臓は、人間の臓器の中でも特異な性質があります。また最も重要な臓器でもあります」
「進藤さん、前置きはいいわ。単刀直入に進藤さんはどんな犯人像を思い浮かべるかしら……」
 進藤の銀縁の眼鏡の奥の瞳が一瞬鈍い光を放った。警察官には似つかわしくないロン毛を右手でかき上げた。
「……九十歳の犯人、あるいはそれ以上の年齢ですか?ありえない」
「でも、犯人は少なくとも警察の記録には残ってるわよ千九百七十六年の記録、迷宮入りね、かろうじて千九百四十六年の年次調書にも似たような事件の痕跡を見つけたわ、これも迷宮入り。性能のいいコンピューターがもしこの時代にあったら、仔細な事件の記録も見つかり、状況照らし合わせて、犯人がかなりの高齢だという確たる証拠が見つかったかもしれない」
「しかしですねえ、四人の害者の死体を仔細に解剖した結果、所見から全て絞殺ですからねえ、犯人は殺してから何らかの鋭利な凶器を使って肝臓を抉りだしている。そして、それをまあ食べるなりしてますよ、捨てられた肝臓の一部に歯型が着いてますからね、犯人は立派な犬歯を持っている、冗談ですが間違いないです。やはり三十代か四十代という線で・・・とても老人の所存じゃない。それなりの体力ないとですねえ、例え女とはいえ、着衣の乱れもないわけですから、抵抗もできずに殺されてるわけですから・・・」
「あのねえ……まあこんな特異な事件はざらにないわけだし、貴方なんか隠してない?
なんかそんな気がするなあ、ここからはオフレコで全くの仮定の話でもなんでもいいから貴方が思ってること話してみてよ」

 進藤はコーヒーを啜り、三階の分室の窓を見つめた。閉じられたブラインドの僅かな隙間から夕暮れの淡い光が差し込んでいた。
 神経質そうなその額が軽く歪んだ。
「肝臓を食するというのは、例えば人間ならある種のまあ主に鳥や牛なんかのレバーは珍重され高級食材として持て囃されます。そしてある種の生物はその肝臓を好んで食べる性質があるのも確かです。何しろ肝臓は栄養の宝庫ですからね。唯一再生する臓器でもあります。多少の損失があっても再生したりするし、自覚症状が出る頃にはかなり悪化してたり沈黙の臓器なんて呼ばれてたり……あくまでも仮定の話なんですがね・・・例えば昏睡状態に陥った患者は肝機能が正常ならば何十年も生きている状態を維持できたりするわけです。主に代謝作用を司ってるわけだし、解毒作用や、アンモニアの変換、アルブミンの合成やグリコーゲンの貯蔵とブドウ糖の合成、これで人間は冬眠状態に入ると仮定して、何十年も歳もとらず、その容姿も変えずに生き続けたという実際の記録もありますしね 」
思わず新庄が口を開いた。テーブルが揺れ、コーヒーが零れた。
「……で、その人は昏睡かあるいは冬眠状態から復帰したんですか!?」
「はい、ある日突然目覚めました。身体は元のままです。十年も寝たままなら、かなり身体機能は低下します。心肺機能も微弱、筋肉は極端に落ちてしまいますからね、過酷なリハビリでもしなければ……しかし、その人は四肢の後退は全く見られず、心肺機能も健康体を維持、脳波も正常でした。ですから、ある種特異な体質を持った生物あるいは人間は、こうして肝臓を摂取して、肝機能を維持して、何十年も生き続けることができるかも知れないなんて仮定の話をしたわけです」
真山が口を開いた。
「で、その人物は今も生きてるわけね……」
「ええ、三ヶ月ほど普通の生活をしたあと、また昏睡状態に陥り、眠り続けてます。十年経ったらまた覚醒するかも知れませんがね……もっぱらの噂に過ぎませんが、まあ、人間の身体機能に関しては、ヒトのゲノムの全塩基配列を解析するプロジェクトなんかで解明されてきてはいますが、解明されるほどにまた更に未知の部分が増えてくるってのが現状ですからね……」

 沈黙がさざ波となって分室を包んだ。
ありえないことがありえるかも知れないという空気に三人が身震いした時、五人目の犠牲者が出たという通報が真山の携帯に届いた。

[Ⅲ the lungs]

 悪夢の中で繰り返すのは、私が殺した女たちの断末魔の恐怖に歪んだ顔、途切れ途切れに記憶の断片が、私の眠りを妨げようとする。唐突に現われるその女たちの幻影の中で私は惰眠を貪るのだ。
 眠りの中で消えることなく絶えず私を苛む記憶・・・何人の女を殺し、幾つの肝臓を喰らったのか、獣は自らの意思によってケダモノ足りえるのだ。人も一皮剥けばケダモノの心象を露呈する。テロリストがテロリスト足りえるのは神を信じているからではない。
自分がケダモノだと自覚しているのだ。唯心論などというまやかしにどっぷりと浸かった己をケダモノだと悟った時、真のテロリストがまた一人この世に生まれるのだ。
私もまたこの世界を変えようなどという大それた絵空事を信じてはいないが、世間からはみ出したテロリスト足りえる資格は充分にあるはずだ。
 あるいはニーチェの描いた「超人」の具現が私なのだ。軋轢におびえ、他者に身を委ねる畜群どもを蹴散らし、人類の連鎖からの完全なる孤高……私こそが超人なのだ。


 糧を得、精気に満ちた身体を取り戻すと私は、身なりのいいホームレスから衣服と、ついでに幾らかの金品を奪い、人込みに紛れ、地下鉄を乗り継いで、いつものように国立国会図書館に向かう。
以前は新聞を隅から隅まで入念に調べたものだが、今ではそれは一台のノートブックで事足りるとは……三十年前とは隔世の感がある。
パソコンの操作を司書から聞き、三十年分の情報を収集する。
現在のパソコンの驚異的な進歩に私は素直に驚く……三十年前のパーソナル・コンピューター等まるでできそこないの玩具のようではないか……。

 私は、私が載っている記事を丹念になぞってゆく。知らずに口元から笑みが零れる。
こんな鈍重な警察に捕まることなど絶対にないのだと言う、自信と自負から私は高笑いしたくなる自分を必死で抑えなければならない。
仮にもしも私が捕まりそうになったら人間狩りの速度を早め、三十年の塒を確保し、冬眠してしまえばいいのだ。
 そう、蛹のように安楽な殻に閉じこもればいいのだ。
 三十年、私を捕らえようと必死に捜査したところで、事件に携わったであろう刑事どもは殆ど、高齢か、あるいは定年で退職しまっていることだろう。
そういえば私のシッポを捕らえそうになったあの刑事はどうしているのか、私は殺すこともできたのだが、食に値しないものを殺すのは私の美意識に反する。
死よりも大きな恐怖を与えてやったのだが……。
 パソコンの画面に一人の女の顔が浮かぶ。
美しい、美しい女だ。この写真の女、真山警視生? ……女が私の事件の主席担当だと!?興味深いことだ。お手並み拝見といこうじゃないか、七人目の獲物としては最上のご馳走になるではないか……。 

 「真山警視生、やはりおっしゃってた通りでした。五人目の犠牲者です。前の四人と同じく肝臓が抉り取られ、死体の傍に肝臓の一部が散乱していました。まるで我々に挑戦しているのか、あるいは挑発しているのか、場所は新宿歌舞伎町十五丁目 稲荷鬼王神社の境内、所持品から本名、野口幸乃、二十ニ才、歌舞伎町のニュークラブ「サマンサ・タバサ」のホステス源氏名はミサキ……」

 真山たちが現場に到着した時、土曜日と相まって「CAUTION」「KEEP OUT」と書かれた黄色のバリヤ・テープで覆われた神社の境内は野次馬でごった返していた。
「鑑識の連中の方が早かったなんて許せないわ」
冗談とも本気とも言えぬ声色で真山が言った。
「東京の渋滞は世界一ですから・・・」新庄の軽口を聞き、真山の顔が一層怒りに燃えた。
進藤検査官はそんな二人の後を無言で歩いてゆく。
真山が先頭をきってバリヤ・テープをくぐった。
野次馬の整理に中っていた制服たちが一斉に真山に向かって敬礼する。
警視庁、警視生の襟章は伊達ではないのだ。
「ESPの安藤です!警視生、犯人は変質者あるいは若い女を殺すのが趣味な奴とか、もう割れてるんでしょ!何か一言お願いしますよ」
強引にマイクを向けられ真山の顔が更に歪む。
「新庄君、ESPって何!?どこのテレビ局?」
「センセーショナルな事件のニュースばかりを扱う新興のケーブル・テレビ局です。最近人気あるんですよ」
真山はそのマイクを無視し、鑑識の主任の元へ真っ直ぐに進んでいった。
「警視生、ご苦労様です。詳しいことは戻ってからでないと報告できませんが」
「いいわ、主任。分かることだけ、かいつまんでお願い」
「はい、状況から死後24時間は経っていると思われます。死因は頸部圧迫による窒息死。死体からは何か鋭利な刃物で肝臓が抉り取られています。指紋、歯型、その他、犯人の唾液も採取できました。はっきりしたことは追って報告しますが、多くの類似性から見て前4件の殺しと同一犯と思われます」
「ありがとう主任……」
多くの野次馬、そして新聞記者、テレビ局の関係者、容赦なく中てられるスポット・ライト、真山はそれらをゆっくりと一瞥する。この現場の状況を整理し、隅々まで記憶するためだ。
 再度のプロファイリングにはどんな些細な事項でも必要なのだ。
真山は一瞬、氷ついた。
後頭部に異様な気配を感じたからだ。それは、真山が今まで一度も感じたことのない殺意。
いや、確かな殺意ではない。いろんな感情が入り混じった、その中には愛情すら感じられる特異な視線。
 真山の全身の産毛が総毛立つ。おぞましい殺意と入り混じった愛情の表現に戸惑い、鳥肌が立つのを抑えられない。
 真山は、恐怖を噛み殺し素早く振向く。
新庄が真山の異変に気付き、真山の背後に寄り添う。
「……どうしたんです」
「分からない、分からないの……でも確かに感じたの、何か異様なもの、そんな気配みたいなもの」
これだけ大勢の人間の中にいるというのに、恐怖はますます真山の細胞の一つ一つを侵食してゆく。
新庄はただならぬ気配に腰のホルスターに収まったままのSIG P226自動拳銃の安全装置を外した。
「大丈夫です、僕が守りますから、絶対に守りますから」
「ありがとう新庄君、あのESPっていつもあんなにビデオ・カメラ回しているの?」
「はい、やつらの中継車警察の無線傍受してますからね最初の西新宿の殺しから張り付いてますよ」
「あの安藤って人にその現場写したビデオ全てダビングしてもらって、お礼に優先的に事件の情報流してあげるって」
「あのー警視生それは、服務規程に違反しますが……」
「ほらほら、硬いこと言いっこなしよ、とにかく貰ってきて」
「この野次馬の中に居たってことですか……まさか、まさか犯人ですか?!」
「分からない、勘なんて信じたことないけどね。でもさっき感じた異様な気配は何かを私に訴えているのよ」

 野次馬を一人、一人、睨みつけ中りを一瞥し、視線を真山に移した。そこには、困惑の表情を浮かべ頼りなげに佇む真山がいた。新庄は急に息苦しさを覚えた。肺が一気に萎んでしまったような気分だった。
犯人は必ず現場に舞い戻るのだという定石をまさかこんな所で味わうとは・・・そして、真山の本気の恐怖を感じて彼は、萎んだ肺に思いっきり空気を送り込み暗闇に向かって一気に吐いた。

 三日間真山たちは会議室に閉じこもりESPから応酬した殺人現場が映っている五枚のDVDディスクを仔細に検証した。真山の感が当った。
野次馬の中に必ず同じ風袋の男の姿があったのだ。
 一見ホームレスのような身なりをし、薄汚れたつばのついた帽子を目深に被ったその男は現場の全てに映っていた。時には真山たちの数メートル先に男の姿があった。
 まるでハンディ・カムを意識するようにその男は映像に現われた。
 真山は武者震いが止まらなかった。こんな近くに容疑者がいたのだ。あの時感じた薄気味の悪い感覚が甦ってくるのを感じた。

覚醒-DISILLUSION-

覚醒-DISILLUSION-

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-02-14

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  1. [Ⅰ the liver]
  2. [Ⅱ Heart]
  3. [Ⅲ the lungs]