ファッキン・大晦日
付き合ってもうすぐ一年だっていうのに、彼女にフラれた。大晦日の夜だっていうのに。クリスマスも無事に迎えたっていうのに。忘年会にも行かないで貯めた金で買ったプレゼントもあったっていうのに。最悪の二十歳だ。
でも、それが何の理由になるっていうんだろう、実際にフラれてみると、そういった事柄は全く何の言い訳にもならない。とにかくぼくはフラれたんだし、僕は去年と同じように一人ぼっちで年を越さなきゃいけないし。フラれたのが大晦日の夜だったってだけだ。別に夏至でも冬至でも構わなかった。すぐ記念日を作りたがるカップルはわかれやすいと聞く。知ったことか。
ぼくは遠くに除夜の鐘を聞きながら歩く。長い坂を下る。神社――彼女と別れてきた場所だ――へ続く坂は参拝客がひしめき合っている。多すぎだろ、ふざけんなよ、もっと計画的に来いよ。僕は大きく舌打ちをする。隣の家族連れの幸せそうな笑い声にかき消された。ぼくはダッフルコートを襟元まで止めた。
夜空は深い紺色の雲が一面にのさばっている。街灯が黄色い光をまき散らす。ぼくは彼女にフラれる。蛾がコンビニの前の除虫灯にはじかれる音が聞こえる。人々が口々に「良いお年を、坂本さん」とか「ああ、お久しぶりです、井上さん」とか言い合っている。まるで、一番最後に人名をつけないといけない病にかかったみたいに。
十字路の信号機が赤になる。僕は足を止める。誰かの吸った煙草の吸殻が落ちている。目の前に立っていた高校生のカップルはお互いをちらっと見やって、何も言わずに手をつなぎあった。大学生が口々に「おい、田中ぁ、酒ないの!」とかそういった類の言葉を叫ぶ。老婆はぼくの体を押しのけて前に進んだ。夫であろう老爺が心配そうに後を追った。
赤い信号機がうずくまったままぼくを見つめている。お前はフラれたんだ、お前だけが一人ぼっちなんだ、楽しい忘年会にも出ず、そしてせっかく買った金属の輪っかも捨てられて、お前だけが一人なんだ。
うるせえよ、黙れよ、ぼくは心の中でつぶやいた。ポケットの中で掌をぎゅっと握りこんだ。遠くで鐘の音が響いて、子供の歓声が上がる。
人の熱気の合間を縫って、冬の冷気がぼくの両耳をぎゅっとつかんだ。きっと、冷気に声があったら、こんなことを言うだろう。
笑えるよな、お前、フラれたんだってな。彼女、最後にお前に何て言ったんだっけ。「あなた、知りません」だっけか? 忘年会帰りだったらしいぜ、なぁ、なんとか言えよ、わざと行かないことを選んだ忘年会で、彼女を取られるなんてさ?
黙れよ、僕はきっと冷気にそういうだろう。けれど、それ以上の言葉は生み出せない。事実はただ事実としてあって、誰の口を通してもそれは変わらない。
酒の匂いのするサラリーマンが寄りかかってくる。彼は手に名刺の束を持っている。大変だろうな、と僕は思った。就職して、名刺をたくさん貰って。彼はそれらをめくりながら、「ああ、いたなぁ」と懐かしそうな声をあげた。久しぶりにおもちゃ箱を開けた時のような声だった。ぼくはどうという事もなくそれを聞いていた。
信号機は青になって、列はぼくを巻き込んだまま進んでゆく。僕は空を見上げた。星は見えない。けれど、雲の向こうには絶対に星があるし、きっと、明日の夜には星が見えるだろう。見えなくても、明後日には。
人ごみに流されて、ぼくは信号機が黄色になったあたりで横断歩道を渡った。彼女の顔を思いだした。それは、ぼくの事を本当に知らないというような顔だった。間違えて買ってしまった絵画を見るような顔ではなくて、いきなり路傍の石が話しかけてきたような顔をしていた。だから何だ? ぼくは自分に問いかけた。そんなことを思いだしてどうするつもりなんだ? どうとも答えられないまま、ぼくは横道にそれて、自分のアパートへ歩き始めた。
横道を一本、そしてもう一本超えると、人はぼく以外誰もいなくなっていた。街灯がいつも通りの白い光を投げかけている。ぼくはじっと自分のアパートのドアを眺めていた。そして、あ、と声を上げた。
そうだ、昨日は忘年会だったんだ。皆、今年を忘れてしまったんだ。そして、ぼくだけが忘年会に行かなかったんだ。
僕はコートの中に入っていた指輪を投げ捨てた。
ファッキン・大晦日