君に花、その色は…
「君は、一体誰?」
その声は少し離れた場所から聞こえてきた。
自分に向けられた言葉では無い。
乾いた熱が、シウォンの頬を撫ぜていく。
全ての色彩が眩しい。
陽光を大きく跳ね返しながら艶艶と揺れる緑も、どこまでも快い空の青も。
足元に落ちる影の濃厚な黒は、極彩の景色よりも強く、ここが南国である事を念押しする。
1人の白人男性が、ベンチに座るヒョクチェに声を掛けている。シウォンは正直、ああ、またか…と思った。
当のヒョクチェは、ポカンと口を開け、目の前の男を見上げている。
そう、昨日も。到着したばかりの空港で、ラウンジスタッフの青年に「Beautiful…」等と、感嘆の声を上げられていた事に、ヒョクチェ本人は全く気付かずにいた。
撮影用のメイクはオーバルフレームの大きなサングラスで隠している。しかし、照りつける陽射しの下、透き通るようなヒョクチェの白い肌は確かに良く人の目を引く。勿論、理由はそれだけではないだろう。
とにかく本当に、迂闊に目が離せない。
*
国外での撮影は随分久しぶりだというのに、出だしからの機材トラブル。慌ただしく右往左往するスタッフを脇目に、半日程とは言え南国でのフリータイムを与えられたメンバー達は皆、分かり易く歓喜していた。それぞれが思い思いの過ごし方を選ぶ中、シウォンとヒョクチェは撮影で訪れている本島から1時間もかからない離島に足を延ばした。目立った観光地や買物スポット、高級ホテルも無いこの島に、観光客はまばらだ。すれ違うのも圧倒的に地元民ばかりで、自分達を知る人間は殆どいない。
シウォンは以前、単独の撮影でこの島を訪れた時から、本島よりも遥かに澄み切った透明な海をいつかヒョクチェにも見せたいと思っていた。嬉々としてその思いを伝えると、ヒョクチェはふぅん、と鼻を鳴らす。
「これから行かないか?少しの時間だけど…。ヒョクチェも絶対感動するよ」
……そう言えばと、ついでの様に屋台のローカルフードが素晴らしく旨かった事を付け加えると、ヒョクチェはやっとその目を輝かせて、食いたい!と笑った。
完全に食い気で釣れた最愛の恋人と…、とりあえず念願叶ってシウォンはこの島を再訪する事が出来たのだった。
*
「自分でも不思議だけど……何だか、君から目が離せなかったんだ。君、普通の人じゃないね」
……年の頃は40代後半といった所か。とてもハンサムな男性だ。休暇中らしいラフなスタイルだけれど、さりげなく身に付けられた装飾品の具合やその佇まいから、ビジネスでの成功者なのだろう、とシウォンは察する。
「ヒョクチェ」
「……シウォナ」
ヒョクチェがホッとした面持ちでベンチから立ち上がる。
呼応するように男性がこちらに視線を向けた所で、シウォンはにこり、と微笑んだ。
「そろそろ行こうか」
購入してきた飲み物をヒョクチェに手渡しながら、その肩を引き寄せる。それはごく自然に、あくまでも見知らぬ相手に対して礼儀を欠く仕草にはならないように。
「羨ましい。……君の"ヒョクチェ"は『特別』だな」
目の前の相手から突然発せられたその言葉に、流石のシウォンも意表を突かれた。そして、しまった、と思った。僅かに表情を強張らせてしまったのが、自分でも分かったから。余裕に満ちた笑顔を浮かべる男性のその表情は、『一目で理解したよ』と語っている。
「それは……僕も良く知っています」
少しばかり苦々しい笑顔でそれだけ返すと、男は満足そうに頷いた。
「気を悪くしないで欲しいな。…それに勿論、君も。普通ではないものを持ってるね。まあ君の場合は言うまでもないかな」
シウォンの頬を軽く一撫でして、朗らかに笑う。
妙な気分だった。こうも直球にプライベートに立ち入られても尚、目の前の男性には、どこまでも憎めない魅力のような何かがあって、それが不思議と不快ではない。
魅力的な笑顔を浮かべながら、男性はシウォンの耳元に顔を寄せた。そして何事かを囁く。
無言で瞳を少しだけ見開いたシウォンと視線を交わすと、再び心からの親しみを込めて微笑み、立ち去って行った。
「ーーーシウォナ、あの人誰?」
…ヒョクチェの言葉で我に帰り、何だかやっと身体の力が抜けたような気がした。
「何て言ってた?途中から早口で全然わかんなかった。
俺の事、君は誰?って。あんたこそ誰だよって思ったけど。…なんか色々話してただろシウォナ」
「ヒョクチェの事を褒めてたんだよ」
「…嘘!」
「嘘じゃない」
「…それに、なんかお前触られてただろ!………こらシウォナ!笑ってごまかすなよ!」
”君達に秘め事は似合わない"
ーーーー耳元で囁かれた言葉だ。
”君達みたいな二人が惹かれ合うって、奇跡みたいに素晴らしい事だ。誰が何を言おうとも、それが君達の正解だよ、きっと"
(…本当に、そうだろうか)
自分達の事を知らない誰かが、直感的に向けてくれたその言葉が、素直に嬉しかった。
*
余り期待をされていなかった分、実際の海を目の前にしたヒョクチェの反応は、とびきりだった。
「ここは………神様が居るな…」
「居るさ、常に神は居るよ」
「わかってるけど、そうじゃなくて、ここにはこの場所の神様が居るっていうか…昔からの」
シウォンは頷いた。
良く分かる。その感覚は常にある。例え聖地と言われる場所では無くても。取り分け、この島のこの海は明らかに別種のエネルギーを発している。そういう面ではヒョクチェもかなり勘が良い方だ。
ヒョクチェの白い腕が、ふいにひらりと翻った。
「うーん…こんな感じだったかな」
賑やかで楽しいのに、悲しい……。そんな感じ。
ヒョクチェはそう呟いてからターンし、恭しく頭を下げて見せた。昨晩ホテルで鑑賞したこの島の伝統舞踊だと気付いた。さすがだ。記憶から掬い取るように、忠実に、美しく魅せながら、その一節の振りをヒョクチェは舞ってみせた。
「こんなとこに住んで、毎日この海見てたら多分、身体が勝手に動くだろうな。…うん、ここには踊りの神様がいるのかも」
(賑やかなのに、悲しい…)
観光客用にアレンジしてあるものの、昨晩の演目には、この島の持つ歴史的な悲哀の意味が込められている、という事を勿論ヒョクチェは知らない。模して踊る事で読み取ったのだ。それは彼の天性の知覚なのだと、改めてシウォンは思う。踊りの神様……その存在はずっと前からヒョクチェを守っている。シウォンは疑う事なく、そう思う。
「……凄い。全部、ヒョクチェの踊りになるな」
「……それじゃ駄目な時もある」
「俺は好きだよ」
「……そりゃお前はそう言うだろうけどさ」
惜しみ無く拍手を贈るシウォンを横目に、照れ臭さを隠すように、ヒョクチェは首を振った。
並んで、浜辺をゆっくりと歩く。
手の甲と甲が触れる。
自然と、それをとらえて軽く、握る。
ヒョクチェは振り払うでもなく、強く握り返すでもなく、そう、されるがままにしている。
当たり前だが、普段屋外でこういう事はしない。
公に恋人らしい振る舞いが出来ない立場はお互い良く分かっているし、殊更ヒョクチェはシウォン以上に人目に敏感だ。だから、こんなシチュエーションはとても珍しい。
「……大丈夫?」
「誰も、いないし……」
この場合の誰もいない、は俺達の事を知っている人は、の意味だ。
「このまま、繋いでたい」
普段だったら言わない事を急にサラリと言ってのけて、ヒョクチェは指を絡め直した。一瞬感じた軽い眩暈は暑さのせいだけじゃないと、シウォンは思った。
ーーーその時。
どこかからの、シャッター音。
自然と互いの身体が一瞬固まったのが分かった。
音の方向に視線を向ける。
……古いポラロイドカメラを慌てて首から下げた少女がいた。確かに携帯カメラとは違う、鈍いシャッター音だった筈だ。
物売りの少女だろう。手にはカラフルな石を使って作られた小さなアクセサリーが握られていた。ブレスレットとか、ネックレスとか、そういう物だ。
「……それを一つ、貰えるかな?」
少女は大きな目を見開いて、おずおずとその中の一つをシウォンに手渡す。シウォンが現地の言葉で「ありがとう」と伝えると、少女は泣き出しそうな顔で頰を赤く染めた。手渡された金額の多さと、多分、シウォンが余りにも優しく微笑んだ事の、両方に。
「……勝手に、ごめんなさい。あんまり素敵だったから、撮ったの」
一枚のポラロイドフィルムをシウォンに渡し、少女はパタパタと走り去って行った。
「……驚いた。良かった」
素直に安堵するヒョクチェの腕を無言で引いて、その手首にグルグルと鮮やかな色のネックレスを巻き付ける。…本当に、どんな物でも似合ってしまう。ヒョクチェも気に入った様子で、その石を光にかざして見ている。とても、綺麗だ。
「そろそろ、戻らないとかな」
シウォンは、ふと、手元のフィルムに視線を落とした。先に映し出されたのは、鮮やかな赤い色。辺りに咲くこの赤い大輪の花は、さっきの少女の髪にも飾られていた。
フィルムにはぼんやりと、手を繋ぐ二人の姿が浮き上がり、ゆっくりと定着されていく。
……それはシウォンにとって、初めて見るヒョクチェの顔だった。撮影でも、舞台でも。気の知れたメンバーにも見せる事のない表情。それは多分、二人だけの時間に、そしてシウォンが自分から目を逸らしている時だけに浮かべる、ヒョクチェの素顔なのだと思った。
ヒョクチェは、シウォンを見ている。
ヒョクチェの、ただひたすらに透んだその視線の先には、自分が居る。
"愛されている"
その時、何の扮飾も無く、はっきりとシウォンはそう思った。
…この多幸感のやり場が無い。胸が詰まる。
ヒョクチェは立ち尽くしているシウォンを見て首を傾げ、「どうしたんだよ」と笑った。そんなにいい写真だったか?と。
言葉無く、ただ微笑みを返しながらシウォンは思う。
帰国したら、どこかでまたこうやって、手を繋いで歩こう。誰かに見られたらと渋るヒョクチェを、少しだけだと宥めて、その手を引こう。絶対に、そうしよう。
例えば二人のいる場所が遠く離れている時には……そう、心の中で、この花を君に贈ろう。
(いつでも、愛してる)
……本当に、本当に、愛してるから。
丁寧にフィルムをなぞるシウォンのその指先が、真紅の花に、そっと触れた。
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Happy Birthday Katie♡
Always love you!
You make my life richer and fuller...
君に花、その色は…