てんぷらこしょう

戸隠。

とがくし。

その戸の裏に隠したるは何か。

鬼無里。

きなさ。

鬼が無い、と容赦なく書かれると、本当は居ることを隠蔽するために名付けられた里。

などと勘ぐりたくなる。

そんな邪推と戯れながら、一人で一晩過ごした長野は戸隠の山林を下り、
畑が広がる鬼無里を単車で悠々と流していると、灰色の地べたを走る、
というよりふわっと浮かび上がり滑空するという錯覚に陥り、
やがて自分がこの世のものとは思えなくなってくる。

時間と空間という概念を疑い始めた頃、
ここは人間界であることを諭すかのように野菜の販売所が左の視界に入る。

それは、幻を装う現実。

浦島太郎気取りで立ち寄ると、てんぷらこしょうという名の野菜をまじまじと見つめる。

おもむろに、の意味がよくわからないのだが、この時確かにおもむろに手に取る。

てんぷらこしょう、下さい。

誰もが価値があると脅迫的に信じる貨幣というブツで物々交換し、
ピーマンに似た野菜が何故てんぷらこしょうと名付けられたのかを
考えるようで考えないまま単車に括りつけていると、小さな神社の前にいた。

真夏の晴天の下だから陽気。

それでも、微かに妖気を感じるのは、それを感じたい欲求の裏返しか。

振り返ると、空があり、大地があり、右の視界にポツンと比較的新しい公共施設らしき人工物。

しかし、そこは人々を受け入れる場という本来の役割を完全に放棄していた。

完璧なものなど存在しない世の中で、完璧なほど人の気配がない。

が、何者かの気配が身辺を支配している。

風。

音なき音。

再び神社を見上げ、足が勝手に歩き出す。

黒皮のブーツは重いが、石段を上る足取りは軽い。

右。

左。

右。

左。

生きてる限り、死なないよ。

右。

左。

右。

段一段一段と足裏の宇宙に蝉時雨

てんぷらこしょう

てんぷらこしょう

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-23

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