神崎直美の恋愛事情 (柊木 智)
「よぉし、今回こそは……!」
神崎直美は意気込んでいた。というのも彼女は今日、男子生徒から告白されたのである。しかもその相手は、校内でも成績優秀、容姿端麗、更には運動万能と話題の霧島隼人。成績も容姿も至って普通、運動が得意な訳でも無い、言ってしまえば平凡な女子高生である直美にとって、霧島に告白されたことは奇跡に近かった。この奇跡、逃すわけにはいかない。
だが、彼女には一つ、心配事があった。
「おー直美ちゃーん。おかえりー」
直美が家に帰ると、二次元から出てきたようなイケメンが優雅にドラマの再放送を見ていた。この人物が、彼女の心配事の種をまいている。
「ただいまー。神様、まだそのドラマ見てんの?」
「うん。続きが気になっちゃって……」
「神様なんだから、ドラマの展開くらいお見通しなんじゃないの?」
「直美ちゃんったらやだー。そんな夢のないこと言わないでよー。神様だってドラマの展開が気になることくらいあるのー」
このイケメンの職業は神様。直美は訳あって神様と同居しているのである。しかも直美の両親は海外出張中であるため、言ってしまえば一つ屋根の下で直美と神様の二人きり。
ひょんなことから神様と同居するようになって一年近く経つが、その間直美の恋がうまく行ったことは一度たりともない。
「ところで直美ちゃんさー、今日告白されたらしいじゃーん」
神様から言われて、直美の体がびくっ、と跳ねる。
「いや、そんなこと無いよ……?」
「嘘ついても無駄だよーん。俺は神様なんだから。神様はなんでもわかっちゃうんだよ?」
彼女の恋が今までうまく行かなかった原因は、この神様だった。
神様は直美のことがひどく気に入ってしまったらしく、ことあるごとに神様は直美の恋路の邪魔をしてきた。
おかげでここ一年の間、直美が男子から遊びに誘われた日は決まって豪雨か猛吹雪。男子にメールを送ろうとしても必ず通信障害になり、今まで男子から貰ったキーホルダーやアクセサリーは自転車に踏まれたり犬に食べられたりして全て壊れてしまっている。全ては神様の仕業だ。
「でも直美ちゃんさ、あの男の子……うーん、霧島隼人っていったっけ? あいつからの告白の答えは言わなかったよねー。ついに俺と付き合って一緒ハネムーンする気になった?」
だから、今回、彼女は霧島からの告白に返事をしなかったのだ。普通に考えれば、即オッケーするところだった。しかし、このままでは絶対神様に邪魔をされると踏んだ彼女は、取りあえず返事を引き延ばして様子を見ることにしたのだ。
一週間。一週間、霧島と直美自身が神様からの嫌がらせに耐えられれば隼人と付き合おう、と決めていたのである。
「神様とハネムーンする気なんてこれっぽっちも無いよーだ」
「うわひどい。直美ちゃんひどい。こうやって俺をいじめて」
そう言って、神様はしくしくと泣くジェスチャーをする。まったくもってウザったい神様だ。
「はいはい、そうですねー」
こんなウザい神様の振る舞いにも慣れてしまっていた直美は、神様を軽くあしらって自室へと足を運んだ。
*
翌朝。
「直美ちゃんもう学校行っちゃうの? 寂しくなっちゃうなあもうー。ほら、いってらっしゃいのちゅーしてあげる!」
「何がいってらっしゃいのちゅーだ! もう、学校行ってくるから、留守番お願いね!」
神様のことをいつものように軽くあしらいながら準備を済ませ、直美が家を出ると、そこには霧島の姿があった。
「きっ、霧島くん!?」
直美は、家の場所を教えた覚えがないのに霧島がここにいることよりも、霧島が無事にここで待っていたことに驚く。
以前にも直美に気のあると思われる男子が家の前で待っていたことはあったが(ちなみに直美も家の場所を教えていた)、このときは突如、超大型低気圧が日本上空に発生し、学校が臨時休校となった。無論、これも神様の仕業である。
だから、霧島が家の前に何ともない顔で立っていることに驚いたのだ。
あの神様が男子からのこんなあからさまなアタックに対して妨害しないなんて……!
この衝撃が多すぎて、霧島が自分の家を知っていたことに対しての疑問を抱くことはなかった。
「おはよう、神崎さん」
霧島の爽やかな笑顔。その笑顔に、少しドキッとしてしまう。容姿端麗と話題なだけあって、その笑顔は素敵なことこの上なかった。二次元から出てきたようなイケメンの神様とも引けをとらない。
「ごめんね? 急に家まで来ちゃって。ただ、どうしても神崎さんと一緒に学校に行きたくてさ」
そんな笑顔でこんなことを言われたら、断れる女子なんていないだろう。
「い、いや、大丈夫。さ、学校行こうかっ!」
もちろん、直美も例外ではない。こうして、二人は学校へ向けて歩き出した。
「そうだ、神崎さん」
「ん? 何?」
「神崎さんの下の名前って直美でしょ? 直さんって呼んでいい?」
「なお、さん?」
こんな呼ばれ方をされたのは初めてだった。友達からは普通に直美と呼ばれていたし。少し驚いたような直美の様子を見て、霧島は慌てて弁明する。
「い、いや、神崎さんが嫌なら良いんだよ? ただ、直さんって呼ばせてくれたらうれしいなーって……」
こうして少し顔を赤らめたりなんてするものだから、直美は思わず大丈夫だよ、なんて言ってしまう。こんな顔で頼まれたら女子はたまったものじゃない。さすが容姿端麗、と言ったところだろうか。
「ありがとう! じゃあ学校行こうか、直さん!」
*
これから一週間、結局、直美が神様からの妨害受けることは一度も無かった。超巨大低気圧が発生することは無かったし、一緒に登下校をしている道中でカエルが大量発生することも無かった。挙句の果てには、今まで散々悩まされてきた電波障害すら発生しない始末。おかげで何のストレスもなく霧島とメールのやり取りが出来る。
直美もこれを不信に思ったが、神様が霧島について何か言ってくることも無かったため、なかなかこちらから話も振りにくい。
結局、まあ、多分神様も考え直してくれたんだよね、私と一緒にハネムーンなんてやっぱり馬鹿げたことだって思い直したんだよね! なんて直美自身に言い聞かせることにした。普通に考えると、あの神様がそう簡単に考えを改めるなんて考えにくいのだが。
彼女も今の平穏な生活を楽しみたかったのかもしれない。
そして、今日で霧島に告白されて一週間が経つ。
直美は体育館裏に霧島を呼び出した。
「あ、霧島くん……」
「今日は返事をしてくれる、ってことで良いんだよ、ね?」
霧島の真剣な瞳。その瞳に、直美は吸い込まれそうになる。そして、それと同時に、自分にはこの人しかいないのだ、と確信する。あんな顔だけ神様野郎なんかよりも、私にとっては全然霧島くんがお似合いなのだ、と。
「はい、えっと……」
鼓動が高鳴る。こんなにドキドキしたのはいつ振りだろうか。
「是非、私と、付き合ってくださいっ……!」
その言葉を聞いて、霧島の顔がぱあっと明るくなった。
「ほ、本当に……!? ありがとう、こちらこそ、よろしく」
これから私は幸せな生活を送るんだ――! と、直美が心の底から幸せを噛みしめようとした、その瞬間。
「じゃあ、早速家に帰ろうか、直姉さん!」
あまりにも今が幸せすぎて、一瞬霧島のこの言葉の違和感に気付けない直美がいた。しかし、直美の頭の端では警告を示す赤いランプがぴかぴかしている。
「な、直姉さんって……? しかも、家に帰るってどういうこと……?」
半ば無意識に呟いていた。目の前には、たいそう幸せそうな顔をする霧島。
「あぁ、ごめんごめん。君、すごく僕の姉さんに似てるんだよね。髪形とか、唇の感じとか。あ、目の下にほくろがあるのも姉さんと一緒。しかも、僕の姉さんの名前は直子で、ずっと直姉さんって呼んでたんだよ。顔も似てるし名前も似てるなんて……これは運命だと思って!」
急に目の前の人物に対する恐怖が込み上げてきた。この人はやばい、と直美の本能が告げている。
「でもさ、直姉さん最近結婚しちゃって、家とは別のところに住むようになっちゃったんだ。直姉さんのいない家はそれはもう寂しくて寂しくて。そんなとき、君を見つけたんだよ。もう、ビビっときたね。僕はこの人と一緒に暮らせばいいんだって。もう大変だったんだよ? 君のクラスがどこか聞いて回ったり、家の場所を調べたりするの。でもね、やっと僕のこの努力が報われるんだよ……」
危ない。この人は危ない。俗に言うヤンデレと呼ばれる属性の人間だ。更にシスコンという属性も持っている。
「だからさ、一緒に帰ろう? 直姉さん……!」
気付いたら、直美の足は霧島から逃げるように動いていた。
「姉さん! どうして逃げるんだい!?」
「どっ、どうしてもこうしても無い! そもそも私はあんたの姉さんなんかじゃないっ!」
半ば叫びながら、霧島から逃げる直美。そしてそんな直美を追う霧島。初めこそ多少は開いていた二人の距離。だが、霧島は運動万能なのに対して直美の運動能力は大したものでもない。更に女子と男子という体格差も手伝って、二人の距離はみるみるうちに縮まってゆく。
「姉さん! さあ! 僕らの家に帰ろう!!」
霧島の声がすぐ後ろから聞こえる。やばい、追いつかれる――!! と、直美がそう確信した瞬間。
「――あ、あれ?」
霧島の足音が急に聞こえなくなった。それと同時に、直美は自身の体が動かないことにも気付く。どうして……?
「やあやあ直美ちゃん。大変な目にあってるみたいだねー」
「かっ、神様!?」
突如として直美の目の前に現れた神様は、どこか嬉しそうな顔をしている。
「直美ちゃんが大変そうだったから助けにきてあげたんだよーん」
そう言って、神様は手をひらひらさせる。そんな神様のどこか嬉しそうな顔を見て、直美はあることを悟った。
「まさか神様、霧島くんがヤンデレシスコン属性なのを知ってて……!?」
「ふふふっ、直美ちゃんもまだまだ甘いなあー。俺が霧島隼人に対して何もしないって時点で、何かあることに気付かなきゃ」
なんなんだよこの顔だけ神様野郎! なんて叫びたくなったが、さすがにここまで言ってしまうと神様も助けてくれないだろう、と思い直し、言葉をぐっと飲み込む。悲しいことではあるが、直美にとっての頼みの綱はもはや神様しか残されてない。
「ところで直美ちゃん、助けてほしいよね? ね?」
煽るように言う神様。この顔だけ神様野郎は、どこまで直美を怒らせれば気が済むのだろうか。神様に殴りたい衝動に駆られた直美だが、体は思うように動いてくれない。
「そりゃ助けて欲しいよ……それで、私は何をすればいいの?」
観念したように直美は言う。正直、嫌な予感しかしない。
「やだなー直美ちゃん、わかってるくせにー」
直美の額に冷や汗が流れる。やっぱり、神様の要求は――。
「俺と一緒にハネムーンしてくれるなら、そこから助けてあげるよ。うーん、やっぱりハネムーンの場所は天国がいいかなー。もしかしたら人間界に二度と帰ってくれないかもしれないけど、天国では何不自由なく暮らせるし、それでいいよね?」
そのときの神様の笑顔は、直美が今まで見た中で一番輝いている。
(ああ、どうして私は普通に恋愛が出来ないのでしょうか……?)
直美は、どこかに居るはずの、神様をも超越した存在に問うことしかできなかった。
神崎直美の恋愛事情 (柊木 智)